伊勢物語 22段:千夜を一夜 あらすじ・原文・現代語訳

第21段
思ふかひ
伊勢物語
第一部
第22段
千夜を一夜
第23段
筒井筒

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  ♀憂きながら ♂心ひとつ 
  
  ♂千夜一夜  いにしへゆくさき ※古と古代
  
  ♀ことば残りて
 
 
 

あらすじ

 
 
 前段からの続き。
 男が(世のためすべきことがあると)女のもとから離れて、なお忘れられない女が「ほったらかされて恨んでいるが、なお恋しい」と、よこしてきた。
 

 男はそれを見て、恨むのも当然と思い「いつも心は一つ。流れる川にも流されないと思っている」と言いながらも、
 やはり言葉だけではだめだと思い、その夜、会いに行った。
 

 その時、古(いにしえ)から遠い未来に至るまでのことを、言い伝え、こう言った。
 「秋の夜、千夜を一夜になぞらえて、八千夜も一緒に寝れば、飽きちゃうでしょう」
 その心は、秋なのにアキちゃうねん。どう?
 

 女がそれに返し、
 「(やーね、何ばかなことを言ってるの?)でもその言葉で、少しは泣くのもやめれるかな」
 その心は、泣くは泣くでも嬉し涙がいいねって。
 

 そうして、古から続く二人の間柄よりも、なお一層愛おしく思われ、(前よりは)会いに行くようになった。
 

 なお、「古から続く(古よりも)」とは、二人が生きている時間よりも前のことを言っている。
 だから幼馴染として生まれてきて思いあっている(次段)。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第22段 千夜を一夜
   
   むかし、はかなくて絶えにけるなか、  むかし、はかなくてたえにけるなか、  むかしはかなくてたえにける中。
なほや忘れざりけむ、女のもとより、 猶やわすれざりけむ、女のもとより、 をか[なをやイ]わすれざりけん女のもとより。
 

43
 憂きながら
 人をばえしも忘れねば
 うきながら
 人をばえしもわすれねば
 うきなから
 人をはえしも忘ねは
  かつ恨みつゝ
  なほぞ恋しき
  かつうらみつゝ
  猶ぞこひしき
  かつ恨つゝ
  猶そ戀しき
 
  といへりければ、 といへりければ、 といひければ。
  さればよといひて、 さればよといひて、 さればよと思ひて。
  男、 おとこ、  
 

44
 あひ見ては
 心ひとつをかは島の
 あひ見ては
 心ひとつをかはしまの
 あひはみて
 心ひとつをかはしまの
  水の流れて
  絶えじとぞ思ふ
  水のながれて
  たえじとぞ思
  水の流て
  絕しとそ思ふ
 
  とはいいけれど、その夜いにけり。 とはいひけれど、そのよいにけり。 とはいひけれど。その夜いにけり。
 
  いにしへゆくさきのことどもなどいひて、 いにしへゆくさきのことゞもなどいひて、 いにしへゆくさきの事どもぞおもふ。
 

45
 秋の夜の
 千夜を一夜になずらへて
 秋の夜の
 ちよをひと夜になずらへて
 秋のよの
 ちよを一夜に準へて
  八千夜し寝ばや
  飽く時のあらむ
  やちよしねばや
  あく時のあらむ
  やちよしねはや
  飽由のあらん
 
  返し、 返し、 返し。
 

46
 秋の夜の
 千夜を一夜になせりとも
 あきの夜の
 ちよをひとよになせりとも
 秋夜の
 千夜を一よになせりとも
  ことば残りて
  鳥や鳴きなむ
  ことばのこりて
  とりやなきなむ
  ことは殘て
  鳥や鳴なん
 
  いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。 いにしへよりもあはれにてなむかよひける。  いにしへよりも哀にてなむかよひける。
   

現代語訳

 
 

憂きながら

 

むかし、はかなくて絶えにけるなか、
なほや忘れざりけむ、女のもとより、
 
 憂きながら 人をばえしも 忘れねば
  かつ恨みつゝ なほぞ恋しき
 
といへりければ、

 
 
むかし、はかなくて絶えにけるなか、
 むかし、はかなく連絡が途絶えていた仲の
 

はかなし【果無し・果敢無し・儚し】
 :前段では、実を結ばない玉葛とかけ、果無しだったが、ここは儚しでいいだろう。
 つまり現代通りの意味。消えてなくなりやすい。もろくて長続きしない。
 

 「なか」は、中(時間)と、仲をかけている。)
 
 

なほや忘れざりけむ、女のもとより、
 それでも忘れられない、女のもとから
(文が送られてきた)
 
 

憂きながら
 憂いているが、
(これは男が世の中を憂い出て行ったことへの当てつけ。前段参照。
 

 うい:【憂い】
 思うようにならず、つらい。せつない。鬱だ。
 
 

人をばえしも 忘れねば
 そうさせた人を、どうしても忘れられないので、
 

→人+を(ば)+えしも+忘れ+ね+ば

 「をば」の「ば」は強調。
 

 「えしも」とは、どうしても。
 「よーできん」と同じ。できないこと。
 →「え」=得、「し」=する、「も」=反語。
 

 「忘れねば」:ここでは、忘れられない

 末尾の「ば」は「をば」とかけ強調で韻を踏む。
 
 

かつ恨みつゝ
 かつ恨みつ
(なお恨みつつ、しかし、
 →なおを補うのは続く言葉から当然。なおかつ。前後はできる限り、つなげて読み込む)
 
 

なほぞ恋しき
 なおまだ恋しい。
 

といへりければ、
 と言ってきたので、
 
 

心ひとつ

 

さればよといひて、男、
 
あひ見ては 心ひとつを かは島の
 水の流れて 絶えじとぞ思ふ
 
とはいいけれど、その夜いにけり。

 
 
さればよといひて
 そうだよなあと言って、
 

(「それみたことか」とかいう趣旨の一般の訳は、ありえない。この物語も著者の品格も著しく害う。みやびでもない)
 

(ここでは、恨んでいるということを、そうだよなと言っている。
 恋しいというのは双方にとってあまりに当然のことなので。
 →前段、前々段。「むかし、男をんな、 いとかしこく思ひかはしてこと心なかりけり
 しかしそれにあぐらをかき梓弓の事態になった。
 別の言い方では、そんなことで揺らがないと思っていた。ある意味では揺らいでいなかったが)
 
 

男、
 男(曰く)、
 

あひ見ては
 こうして互いに(文を)みては、
 

あひ
 ①【合ひ・会ひ・逢ひ】 あうこと。対面。
 ② 【相】
 -①ともに。いっしょに。
 -②互いに。
 -③たしかに。まさに。語調を整え、強調したり改まった態度などを示す。
 

 ここでは、最後の②③をメインに、全ての意味を包含する。
 
 

心ひとつをかは島の
 心を一つにあい交わし
 

水の流れて
 水の流れでも
 

絶えじとぞ思ふ
 絶えない、絶え間ないと思う。
(つまりその心は、時の流れでも流されない、揺るがない愛だと)
 

とはいいけれど、その夜いにけり。
 とは言ったものの、(やはり文だけではだめだ、言葉だけではだめだと)その夜会いに行った。
 
 
 

千夜一夜

 

いにしへゆくさきのことどもなどいひて、
 
秋の夜の 千夜を一夜に なずらへて
 八千夜し寝ばや 飽く時のあらむ
 

いにしへゆくさき

 
いにしへ、ゆくさきの、ことども、
 古のことから、これから行く先のこと、子供のことなど様々なこと、
 

ゆくさき 【行く先】
 ①進んで行く先。目的地。前途。(空間)
 ②今後の成り行き。将来。(時間)
 一般の辞書では、上記の伊勢の記述の解釈を根拠に②と定義する。
 
 ただし、ここでは古と対比させているので、遠い(一つの生をこえた)将来のことを言っている。
 そのような時間の描写に付随して、そのために男が物理的に行く先の話とみるといいだろう。
 それが梓弓の段でいう「わがせしがごと」。だからその解釈が微妙におかしなことになる(以下の理由で)。
 
 

※古と古代

 
 なお、ここで突如、古(いにしへ)が出てくる。
 これは文字通り、一つの人生の範囲を超えている時間。文字の意味を軽んじてはいけない。
 

 といっても普通の感覚ではそう読むのはまず無理だが、それは特別な古代の智恵だから。
 それが伊勢の初段のように、しばしば古を出す。
 普通の歌と古典の歌は全く別物(神事)。時間がたてば古典になるのとは違う。
 
 同様に古今集仮名序でも古を知る心という意味。
 つまり、その著者・貫之は古の心を伝えられた(貫之が伊勢の著者という意味ではない)。それが相まって特別になっている。
 そして、そういうことが常識などではないことは現代と同じ。形になったから常識というのはあまりに単純。突出したから残っている。
 
 だから伊勢(+竹取)の著者は別格。
 複数人? 読めていないだけ。
 著者が全く不明とされ錯綜するのは、一般の感覚とかけ離れているから。器が違う。
 

 前段から、女の子も「いと賢く」少なくとも万葉の言葉を繰っているのは、そういう智恵による。
 つまり二人ともただの一般人ではない)
 
 
 

などいひて、(△ぞおもふ)
 などを言い伝えて、
 
 

秋の夜の
 
 

千夜を一夜に なずらへて
 

→アラビアンナイト。だからいにしえ。
 千夜一夜物語は、9世紀頃に原型ができたとされるが(つまり伊勢と同時期)、それ自体各国の説話の集合体。
 この著者(むかし、男)は、しばしば女性に物語を聞かせる描写がある(53段・あひがたき女、95段・彦星)。
 

 この時代、語りはその土地の長などがするもの。凡人に語るほどの知識はない。

 そして竹取物語には天竺などの話がポンポン出てくるように、この時代における普通の認識の広さではない。
 帝の狼藉を記し、帝など畏しと思わずと表現する。現代でそういう人を想像されたい。凡庸な感覚ではない。
 つまり貴族・皇族などでは当然ありえないし、しかも内部の情況(特に宮中の女事情)に詳しいのだから、外部の坊主でもない。
 
 それがつまり伊勢の主人公。二条内部のことを記す宮仕えする男。
 田舎から出てきて、宮仕えし、二条の后に詳しい男。普通ではない。だから、誰の想像も及ばない(興味があれば、初段等の解説を参照してほしい)。
 そして伊勢と竹取は双方並び立つとされるのだから、同一人物。先頭に共通する際立った独自の特徴語句からも、別に見る必要が全くない。
 
 

八千夜し 寝ばや
 八千代に寝れば
 

(夜と代をかけている。

 やちよ 【八千代】
 :八千年。極めて長い年月。永遠。
 

 加えて「八千夜し寝ばや」で、永遠の間、体を幾度も経ながらという意味。
 そして知識を継続させる。それが古代の智恵。それが竹取でいう不死の薬。
 

飽く時のあらむ
(そうすれば)きっと飽きてしまうだろう?
 
(だから、この短い時間の一瞬を大事にして、精一杯愛し合おう)
 
 

ことば残りて

 

返し、
 
秋の夜の 千夜を一夜に なせりとも
 ことば残りて 鳥や鳴きなむ
 
いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。

 
 
返し、
 
 

秋の夜の
 
(同一の枕詞。つまり枕を一緒にした時の言葉。ピロー。だから上の文脈。)
 
 

千夜を一夜に なせりとも
 
 

ことば残りて
 
 

鳥や鳴きなむ
 (??)
 

いにしへよりもあはれにて、なむ通ひける。
(それを聞いて)古よりも、いと愛おしく思い、(それまでよりは)通うようになった。
 
 

 ここでの古とは、上述のように、文字通り、その二人の生での話ではない。
 それが例えば、古今集仮名序で小町を「古の衣通姫のりうなり」という意味。
 

 最後の、言葉残りて鳥がなくとは、残っているとなくを対比させ、さらに鳴くを泣くにつなげて、「なきなむ」を「泣く泣く」と読む。
 泣く泣くにかかる言葉は、承知して。
 

 本当に、可愛い子だこと。
 そして、こうして言葉は残り続ける。