伊勢物語 48段:人待たむ里 あらすじ・原文・現代語訳

第47段
大幣
伊勢物語
第二部
第48段
人待たむ里
第49段
若草

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 昔男が、馬の餞(送別会)をしようとして人を待っていたが、来なかったので。

 今ぞ知る 苦しきものと 人待たむ 里をば離れず 訪ふべかりけり
 

 「今知った 人を待つその 苦しさを 訪ねられない 苦しさを」

 ここでは訪ねるを、訪問と質問(問いかけ)に掛けている。
 

 少し前の44段(馬の餞)と掛けたかと思いきや最初だけで、後は次の45段(行く蛍)の内容とリンクさせている(里に籠っていた女)。
 本段は、すっぽかされた話ではなく、待ち人が少し遅れた間に少々逡巡した話と思う。「今ぞ」とはそういう意味に見れる。
 

 そして、この歌を収録した古今969の詞書は、この説明とある意味ではリンクするのだが、その認定(業平作)には根拠がない。
 紀のとしさたか阿波のすけにまかりける時に、むまのはなむけせむとて、けふといひおくれりける時に、
 ここかしこにまかりありきて、夜ふくるまて見えさりけれはつかはしける

 

 全く脈絡なく紀利貞がでてくること、そもそも業平の認定自体に根拠がないことから、業平説を何とか固めようとした試みと解する。
 だから、その説明がやたらと細かい点を出そうとしているし、モタモタと説明的。利貞というのは、有常近辺で適当に符合する人物にしたいえる。
 この認定を前提にすると、881年頃この歌が作られたことになるが、遅すぎる(業平は880年に死亡)。つまり一貫性が、認定に自然さが、全くない。
 

 しかも、訪ねてこない、しかしその理由も訪ねられないと掛けた歌なのに、使いを出したというナンセンスさ。
 言葉が軽いし理解もしていない。実際のことと歌は違う、そこまでの意味はないなどと、いとも簡単に言葉と伊勢物語を貶めるその感覚。それがナンセンス。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第48段 人待たむ里
   
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこありけり。  むかしおとこ有けり。
  馬のはなむけせむとて、 むまのはなむけせむとて、 ものへ行人に。むまのはなむけせんとて。
  人を待ちけるに、来ざりければ、 人をまちけるに、こざりければ、 ひと日まちけるに。こざりければ。
       

89
 今ぞ知る
 苦しきものと人待たむ
 いまぞしる
 くるしき物と人またむ
 今そしる
 苦しき物と人またん
  里をば離れず
  訪ふべかりけり
  さとをばかれず
  とふべかりけり
  里をはかれす
  とふへかりけり
   

現代語訳

 
 

むかし、男ありけり。
馬のはなむけせむとて、人を待ちけるに、来ざりければ、
 
今ぞ知る 苦しきものと 人待たむ
 里をば離れず 訪ふべかりけり

 
 
むかし男ありけり
 むかし男がいた。
 

馬のはなむけせむとて
 馬のはなむけ(送別会)をしようといって、
 
 →44段「馬の餞」では宴会をし、服の贈物をした。
 馬の鼻を向かせることではなく、ウマもハナも当てただけ。
 

人を待ちけるに来ざりければ
 人を待っていたが、来なかったので。
 
 (ありえない状況なので、素朴にみれば前段からの流れで笑い話。皮肉。)
 
 

今ぞ知る
 今知った。
 

苦しきものと
 苦しいということを。(つまり)
 

人待たむ
 人を待って
 
 「む」は否定ではなく意志。
 例:せむとす。
 

里をば離れず
 里を離れられず
 

訪ふべかりけり
 訪ねることもできないこと。
 
 

 これは45段(行く蛍)の内容にかけていることが一つ。
 そこでは、死にそうな女が自分の都合で男を呼びつけて、よくわからんこと(内容は書いていない)を言って果てた。

 したがって、ここでの餞別も、そのような自分勝手だったのか、その時の自分のように来たくなかったのか、辛いわという内容。
 待つしかないのが辛い、というのは表面的なこと。
 

 もう一つには、訪ねる(訪問)を、理由を聞くことにかけて、来ない理由を自分からは聞けないということを言っている。
 

 だけど、ここでは相手は少し遅れているだけだと思う。
 「今ぞ知る」「苦しき」という格好つけたような表現はそういうフリ。