伊勢物語~第四部(91-125)

第三部 伊勢物語
第四部
   

 
 伊勢物語を便宜上、30話ずつに区切っている。
 
 
全体一覧 
 昔男(文屋)の人生体験・見聞録
 後宮・田舎の里・地方と判事の経験
 

第一部(-30)仕えた二条の后と筒井の妻
 

第二部(-60)小町と有常(特に近い人)
 

第三部(-90)在五出現(非難)・斎宮と盃(契り)
 

★第四部(-125)これまでの後日談
 

 94段:紅葉も花も
 →24段(梓弓)を受けた亡き妻の話。
  紅葉=楓(20段)は彼女の象徴。
 

 95段:彦星
 →4段と同じ構図。二条の后に仕え歌物語を聞かせる昔男。
 続く96・97・98段(天の逆手・四十の賀・梅の造り枝)は、女(后)のせうと=兄=堀河大臣でこれも5~6段と同じ構図。
 つまりこのせうとの配置からひるがえり、4段の歌は昔男が后に詠んできかせた歌に他ならない。男の夜這いではなく后の夜の通いに付き添っていた男。
 

 99段:ひをりの日
 →女=后の車につきまとう中将(在五)。76段(小塩の山・近衛府にさぶらひける翁)と完全にパラレル。
 女の車と見て寄って来る変な男、それを内側から見て阿保やと思う昔男の構図(39段・源の至)。
 

 115段:みやこしま
 →14~15段の陸奥の女とお別れした時の話。数字は要所でリンクさせている。
 

 102段(あてなる女)・104段(賀茂の祭見)・123段(深草)
 →尼になった伊勢斎宮。123段で突如新しい女を出したりしない。意味不明すぎる。
 その女の「狩だにやは君はこざらむ」とは狩の使の時のことを言っているに他ならない。「やうやうあきがた」も、まんまその時の夜の暗示。
 
 


男女 段数
△朱雀落
   第91段   惜しめども
 第92段   棚なし小舟
   第93段   高き卑しき
  第94段 紅葉も花も
   第95段   彦星に
   第96段   天の逆手
   第97段   四十の賀
   第98段   梅の造り枝
   第99段 ひをりの日
   第100段   忘れ草
  第101段   藤の花
   第102段   あてなる女
   第103段   寢ぬる夜の
 第104段   賀茂の祭見
   第105段   白露は
   第106段   龍田川
   第107段 身を知る雨
 第108段 浪こす岩
   第109段   人こそあだ
   第110段   魂結び
   第111段 まだ見ぬ人
   第112段   須磨のあま
   第113段   短き心
  第114段   芹川行幸
♂♀  第115段   みやこしま
  第116段   はまびさし
  第117段 住吉行幸
   第118段   たえぬ心
 第119段   形見こそ
   第120段   筑摩の祭
   第121段 梅壷
   第122段   井出の玉水
   第123段 深草に
   第124段   われと等しき
  第125段   つひにゆく

 
 
 !:朱雀院塗籠本(群書類従)は最終段の内容を59段に挿入。
 また114段を81段の後に移動し、業平没後の「仁和の帝」を、存命時の「ふか草の帝」に変更。つまり塗籠は根本的に写本ではない。
 欠落移動が目立つ時点でそう言えるが、その欠落の動機も、公(とその認定)にとって都合が悪いから、といえる。
 それがたとえば39段・源の至、101段・藤の花。
 101段では業平は歌を元より知らない、と言い訳できないほど他人目線で非難する文脈で、業平認定に最も致命的な段。かつそれを著者は意図している。
 
 加えて仁和帝が出る114段は、当時非常に物議をかもしたと思われる段で、この101段と114段が内外的に業平説に致命傷を負わせる筆頭の段。
 後撰集でここで歌う無名の存在が突如行平と認定され、当然のようにその認定が前提とされるが、古今の業平認定を維持するためのこじつけとしか言えない。
 79段と101段で行平は明示され、114段では何ら明示はないがそれは無視。業平は一度も明示されていないが、行平は二度とも明示されている。それは無視。
 
 つまり古今は伊勢を業平の歌集と見たのだが、その認定では絶対的な不都合というか無理が生じたので、それを糊塗するためになされたのが後撰の認定。
 後撰の説明を見る限り、細部を積極的表面的に付加しているので正確には捏造。かつ他の歌に抱き合わせていることも独自性がないことを裏づけている。
 公の色濃い塗籠本も114段を改変しチグハグになったから段を移動させている。目先の意識しかなく整合性は何もない。嘘と認められないから嘘を重ねる。
 

 国家機関による筋書きに合わせた証拠作出はありふれた問題。
 絶対的倫理感覚のなさ、物事の正否・当否を、全て金・物・地位により決める即物的道義観からして何の不思議もない。
 正しさは権力×地位=パワー(権威)で決まるという感覚。学説も公に不都合なら認知しない。致命的な異論は認めない。認知しない。すりかえる。
 統治それ自体の過ち、繰り返される糊塗、重ねられる過ち。それを黙認・追従・正当化する人達。そこでは知見を広げる動機は真理や実態の解明ではない。
 
 一般に伊勢は当然のように古今以後のように扱われているが根拠がない。伊勢の記述内容は全て一貫して特定の800年代で、かつ日記調なのにもかかわらず。

 なぜ114段で仁和の帝を出したか。業平の話と歌ではないことを確実にするため。かつ狩衣の裾の歌でリンクさせ、初段からの一体性も保持している。
 63段の在五という蔑称や、114段がありつつ、なおそれらを軽視し、疑義が呈されている古今認定のみに基づき、後日誰かがツギハギしたというのは無理。
 伊勢は万葉すら直接引用していない。参照はしているが全部引用はしていない。その典型が「沖つ白波龍田山」の歌で、梓弓の歌。
 その歌を良くもないといい(77段)、歌をもとより知らないと評した業平(101段)を装い、何度も引用する動機が何もない。
 
 業平を思慕しているとかいう説は、絶対に伊勢を読んでいない。伊勢の精神を根底から否定して踏みにじっている。
 業平の歌を利用したのではない。逆。伊勢がなきものにされ、利用された。業平と古今と古今以後の勅撰歌集に。
 だからそれを支持する人達は、伊勢の著者の文面と意図を悉く軽視して無視する。業平ありきで言葉をまげて定義する。それはこの構図の投影である。
 業平の歌という根拠は古今以外何もない。その古今の認定が一般に流布した噂に乗っただけの誤認定。だから諸情況と整合しないし、説明にならない。
 
 「死出の田長」(43段)や、「天の逆手」(96段)、いや初段の解釈から意味不明。それは表現の問題ではなく根本を取り違えているからである。
 前者は文字通りの田長の一声と、ほととぎすの(なき)声で死の田植えが始まることをかけているのであり、天の逆手は古事記の参照と解釈問題の摘示。
 このような現代に至るまで説明できない解釈問題を、当時の普通の上流貴族が記したと見るのは無理。当時の理解レベルは業平認定自体が象徴している。
 だから貫之のみ文屋を絶対の別格の存在として扱ったし、源氏で紫は伊勢物語を評し「伊勢の海の深き心」とし、誰も片端も読めないとしている。
 当然ながらその表現も誰にも読まれない。軽んじられているから。伊勢の深さと対比して紫は「あさはかなる若人ども」とする。彼女は結構辛辣である。
 
 貫之と紫が別格なのは、その意志を読み解けたから。それがその影響力。
 より読み解けたのは紫。だから無名で卑しい生まれの主人公を須磨で無位無官にしてまで絶賛し、死後も描き、慕う気持ちを伝えられなかったとしている。
 「つひに、いささかも取り分きて、わが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて、過ぎたまひにしことを、口惜しう飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ」
 この二人が圧倒的実績を残した以上、著者の文章の方がおかしいとか勘違いとかいう指摘は悉く全て当たらない。むしろ最高に洗練された文章であった。