宇治拾遺物語:易の占ひして金取り出す事

龍門の聖 宇治拾遺物語
巻第一
1-8
易の占ひ
宇治殿

 
 旅人の宿求めけるに、大きやかなる家の、あばれたるがありけるに、よりて、「ここに宿し給ひてんや」と言へば、女声にて「よき事、宿り給へ」と言へば、皆おりゐにけり。屋、大きなれども、人のありげもなし。ただ女一人ぞあるけはひしける。
 

 かくて夜明けにければ、物食ひしたためて出でて行くを、この家にある女出で来て、「え出でおはせじ。とどまり給へ」と言ふ。「こはいかに」と問へば、「おのれが金千両を負ひ給へり。その弁へしてこそ出で給はめ」と言へば、この旅人従者ども笑ひて、「あら、しや、讒なめり」と言へば、この旅人、「しばし」と言ひて、またおりゐて、皮籠を乞ひ寄せて幕引きめぐらして、しばしばかりありて、この女を呼びければ、出で来にけり。
 

 旅人問ふやうは、「この親は、もし易の占ひといふ事やせられし」と問へば、
 「いさ、さ侍りけん。そのし給ふやうなる事はしき給ひき」と言へば、
 「さるなり」と言ひて、「さても何事にて『千両の金負ひたる、そのわきまへせよ』とはいふぞ」と問へば、
 「おのれが親の失せ侍りし折に、世の中にあるべきほどの物など得させおきて、申ししやう、『今なむ十年ありて、その月にここに旅人来て宿らんとす。その人は我が金を千両負ひたる人なり。それにその金を乞ひて、たへがたからん折は売りて過ぎよ』と申ししかば、今までは親の得させて侍りし物を少しづつも売り使ひて、今年となりては売るべき物も侍らぬままに、『いつしか我が親の言ひし月日の、とく来かし』と待ち侍りつるに、今日に当たりて、おはして宿り給へれば、金負ひ給へる人なりと思ひて申すなり」と言へば、
 「金の事はまことなり。さる事あるらん」とて女を片隅に引きて行きて、人にも知らせで柱を叩かすれば、うつほなる声のする所を、「くは、これが中に宣ふ金はあるぞ。あけて少しづつ取り出でて使ひ給へ」と教へて、出でて往にけり。
 

 この女の親の、易の占ひの上手にて、この女の有様を勘へけるに、「いま十年ありて貧しくならんとす。その月日、易の占ひする男来て宿らんずる」と勘へて、「かかる金あると告げては、まだしきに取り出でて使ひ失ひては、貧しくならんほどに、使ふ物なくて惑ひなん」と思ひて、しか言ひ教へて、死にける後にも、この家をも売り失はずして今日を待ちつけて、この人をかく責めければ、これも易の占ひする者にて、心得て占ひ出して教へ、出でて往にけるなり。
 

 易の占ひは、行く末を掌の中のやうに指して、知る事にてありけるなり。
 

龍門の聖 宇治拾遺物語
巻第一
1-8
易の占ひ
宇治殿