宇治拾遺物語:出雲寺別当、父鯰になりたるを知りながら殺して食ふ事

ある唐人 宇治拾遺物語
巻第十三
13-8 (168)
出雲寺別当
魔往生

 
 今は昔、王城の北、上つ出雲寺といふ寺、たててより後、年久しくなりて、御堂も傾きて、はかばかしう修理する人もなし。
 この近う、別当侍りき。その名をば、上覚となん言ひける。これぞ前の別当の子に侍りける。
 あひつぎつつ、妻子もたる法師ぞ知り侍りける。いよいよ寺はこぼれて、荒れ侍りける。
 さるは、伝教大師の唐土にて、天宗たてん所をえらび給ひけるに、この寺の所をば、絵にかきてつかはしける。
 「高雄、比叡山、かむつ寺と、三の中にいづれかよかるべき」とあれば、「この寺の地は、人にすぐれてめでたけれど、僧なんらうがはしかるべき」とありければ、それによりて、とどめたる所なり。
 いとやんごとなき所なれど、いかなるにか、さなり果て、わろく侍るなり。
 

 それに、上覚が夢にみるやう、我父の別当、いみじう老いて、杖つきて、出で来て言ふやう、「あさて未の時に、大風吹きて、この寺倒れなんとす。しかるに、我、この寺のかはらの下に、三尺ばかりの鯰にてなん、行方なく、水も少なく、せばく暗き所にありて、あさましう苦しき目をなんみる。寺倒れば、こぼれて庭にはひありかば、童部打ち殺してんとす。その時、汝が前にゆかんとす。童部に打たせずして、加茂川に放ちてよ。さらば広きめもみん。大水に行きて頼もしくなんあるべき」と言ふ。
 夢さめて、「かかる夢をこそみつれ」と語れば、「いかなることにか」と言ひて、日暮れぬ。
 

 その日になりて、午の時の末より、にはかに空かき曇りて、木を折り、家を破る風いできぬ。
 人々あわてて、家どもつくろひさわげども、風いよいよ吹き増さりて、村里の家どもみな吹き倒し、野山の竹木倒れ折れぬ。
 この寺、まことに未の時ばかりに、吹き倒されぬ。柱折れ、棟くづれて、ずちなし。
 さるほどに、うら板の中に、年ごろの雨水たまりけるに、大きなる魚どもおほかり。そのわたりの者ども、桶をさげて、みなかき入れさわぐほどに、三尺ばかりなる鯰の、ふたふたとして庭にはひ出たり。
 夢のごとく、上覚がまへに来ぬるを、上覚思ひもあへず、魚の大きにたのしげなるにふけりて、鉄杖の大きなるをもちて、頭につきたてて、我が太郎童部をよびて、「これ」と言ひければ、魚大きにてうちとらねば、草刈鎌といふものをもちて、あぎとをかききりて、物につつませて、家にもて入りぬ。
 さて、こと魚などしたためて、桶に入れて、女どもにいただかせて、我が坊にかへりたれば、妻の女「この鯰は夢に見えける魚にこそあめれ。なにしに殺し給へるぞ」と、心うがれど、「こと童部の殺さましも同じこと。あへなん、我は」などと言ひて、「こと人まぜず、太郎、次郎童など食ひたらんをぞ、故御房はうれしとおぼさん」とて、つぶつぶときり入れて、煮て食ひて、「あやしう、いかなるにか。こと鯰よりもあぢはひのよきは、故御房の肉なれば、よきなめり。これが汁すすれ」など、あひして食ひけるほどに、大きなる骨喉にたてて、えうえうといひけるほどに、とみに出ざりければ、苦痛して、遂に死に侍り。
 妻はゆゆしがりて、鯰をば食はずなりにけりとなん。