古事記 三太子(成務・倭建・五百木)~原文対訳

宮と系譜 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
三太子
兄姫弟姫と大碓小碓
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
凡此大帶日子
天皇之御子等。
およそこの
大帶日子おほたらしひこの
天皇の御子たち、
すべて天皇の
御子たちは、
所録
廿一王。
録しるせるは
廿一王はたちまりひとはしら、
記したのは
二十一王、
不入記
五十九王。
記さざる
五十九王いそぢまりここのはしら、
記さないのは
五十九王、

八十王
之中。
并はせて
八十王はしら
います中に、
合わせて
八十の御子みこが
おいでになりました中に、
若帶日子命。 若帶日子の命と ワカタラシ彦の命と
與倭建命。 倭建やまとたけるの命、 ヤマトタケルの命と
亦。五百木之
入日子命。
また五百木いほきの
入日子いりひこの命と、
イホキノイリ彦の命と、
此三王。
負太子之名。
この三王みはしらは
太子ひつぎのみこの名を負はし、
このお三方は、
皇太子と申す御名を負われ、
自其餘
七十七王者。
それより餘ほか
七十七王
ななまりななはしらのみこは、
他の七十七王は
悉別賜。
國國之國造。
亦和氣。及稻置。
縣主也。
悉に國國の國の造、
また別わけ、稻置いなぎ、
縣主あがたぬし七に別け賜ひき。
悉く諸國の國の造みやつこ・
別わけ・稻置いなき・
縣主あがたぬし等として
お分け遊ばされました。
     

若帶日子=成務天皇

     

若帶日子命者。
治天下也。
かれ若帶日子
わかたらしひこの命は、
天の下治らしめしき。
そこでワカタラシ彦の命は
天下をお治めなさいました。
     

小碓=倭建

     
小碓命者。 小碓をうすの命は、 ヲウスの命は
平東西之荒神。 東西の荒ぶる神、 東西の亂暴な神、
及不伏人等也。 また伏まつろはぬ人どもを
平ことむけたまひき。
また服從しない人たちを
平定遊ばされました。
     
次櫛角別王者。 次に櫛角別くしつのわけの王は、 次にクシツノワケの王は、
〈茨田下連等之祖〉 茨田の下の連等が祖なり。 茨田の下の連等の祖先です。
     
次大碓命者。 次に大碓おほうすの命は 次にオホウスの命は、
〈守君。
大田君。
嶋田君之祖〉
守の君、
太田の君、
島田の君が祖なり。
守の君・
太田の君・
島田の君の祖先です。
     
次神櫛王者。 次に神櫛かむくしの王は、 次にカムクシの王は
〈木國之酒部阿比古。 木の國の酒部の阿比古、 木の國の酒部の阿比古・
宇陀酒部之祖〉 宇陀の酒部が祖なり。 宇陀の酒部の祖先です。
     
次豐國別王者。 次に豐國別とよくにわけの王は、 次にトヨクニワケの王は、
〈日向國造之祖〉 日向の國の造が祖なり。 日向の國の造の祖先です。
宮と系譜 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
三太子
兄姫弟姫と大碓小碓