紫式部日記 18 三日にならせたまふ夜は 逐語分析

女房たちの装い 紫式部日記
第一部
中宮職の御産養
道長の御産養
目次
冒頭
1 三日にならせたまふ夜は
2 右衛門督は御前の事
3 源中納言、藤宰相は御衣
4 近江守は、おほかたの
5 東の対の西の廂は上達部の座
6 白き綾の御屏風

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 三日に
ならせたまふ夜は、

宮司、大夫よりはじめて
御産養仕うまつる。
 御誕生三日目に
おなりあそばす夜は、
中宮職の官人が
中宮大夫を始めとして
御産養に奉仕する。
〈御産養(おん うぶ やしない):新生児誕生から3,5,7,9日の奇数の夜に行われる祝宴の儀で衣服・調度・食物などが贈られる〉

2

右衛門督<大夫斉信>は
御前の事、
沈の懸盤、
白銀の御皿
など、
詳しくは見ず。
中宮大夫の右衛門督〈は
中宮御前の御膳の事で〉、
沈の懸盤や
白銀の御皿
〈などを提供したが〉、
詳しくは見ていない。

【右衛門督】-『絵詞』の割注に「大夫斉信」とある。従二位権中納言中宮大夫右衛門督藤原斉信。四十二歳。

〈渋谷訳:△右衛門督が中宮様の御祝膳の事にあたったが…御皿などについては、詳しくは見ていない

 沈の懸盤:は香木。懸盤は料理を載せる台〉

     

3

 源中納言<権大夫俊賢>、  源中納言と 【源中納言】-『絵詞』の割注に「権大夫俊賢」とある。この時、正三位権中納言治部卿中宮権大夫、十月十六日には行幸の賞に従二位に叙される。四十九歳。源高明の三男。
藤宰相<権亮実成>は 藤宰相は 【藤宰相】-『絵詞』の割注に「権亮実成」とある。この時、正四位下参議中宮権亮侍従、十月十六日には行幸の賞に従三位に叙される。三十四歳。内大臣公季の長男。
御衣、
御襁褓、
衣筥の折立、
入帷子、
包、覆、
下机など、
若宮の御衣や
御襁褓、
衣筥の折立、
入帷子、
包み、覆い、
下机など、
〈御衣(みそ・おほんぞ・ぎょい)
御襁褓(お むつ き):おむつ
衣筥の折立(ころもばこ の をたて):衣装箱の中の仕切り
入帷子(いれかたびら):かたびら(肌着)を入れる長方形の箱
下机(したづくえ):机の下に置く物を載せる台〉
同じことの、
同じ白さ
なれど、
通例のことで、
同じ白一色で
あるが、
 
しざま、
人の心々
見えつつ
し尽くしたり。
〈仕立て方に
人の〉趣向が
うかがえて
念入りになされていた。

△その作り方に、

×女房たちは各自の趣向が

〈全集・集成は作り手の心と解するが、ここに上記二者を含めないのは無理があるので、関わった人達と見る。作って終わり置いて終わりではなく、見せ方(プレゼン→プレゼント)も指揮者的な技術だが、そこが日本は伝統的に弱い(という解釈)。見せ方というと広報宣伝・口先小手先・街頭ポスター的含みがあるが、そうした認識が彼我の違いと、エリザベス女王の葬式、米大統領(プレジデント)の聖書宣誓等と比較すれば分かると思う〉

4

近江守は、
おほかたの
ことどもや
仕うまつるらむ。
近江守源高雅は、
その他全般的な
事柄を
担当したのだろうか。
【近江守】-『絵詞』には「高雅」ナシ。『全注釈』は「高雅」を削除し「近江守」とする。従四位下中宮亮兼近江守源高雅。道長の家司。

5

東の対の
西の廂は、
上達部の座、
東の対の
西の廂の間は
上達部の座席で、
 
北を上にて二行に、
南の廂に、
殿上人の座は
西を上なり。
北を上座として二列に並び、
南の廂の間の
殿上人の座席は
西が上座である。
 

6

白き綾の御屏風、
母屋の御簾に添へて、
外ざまに
立てわたしたり。
白い綾の御屏風を、
母屋の御簾に沿って、
外向きに
立て並べていた。
【御屏風】-底本「御ひやうふともを」。『絵詞』は「御ひやうふ」とある。諸本「御屏風どもを」とするが、『絵詞』に従って「ともを」を削除する。