平家物語 巻第二 少将乞請:概要と原文

小教訓 平家物語
巻第二
少将乞請
しょうしょうこいうけ
教訓状

〔概要〕
 
 清盛の弟(忠盛の四男)平教盛の嘆願で、成親の子藤原成経も助命。(Wikipedia『平家物語の内容』から引用)

 


 
 丹波の少将成経は、その夜しも院の御所法住寺殿に上伏しして、いまだ出でられざりけるに、大納言の侍ども、急ぎ御所に馳せ参り、少将殿呼び出だし奉り、この由申しければ、「などや宰相のもとより、今まで知らせざるらん」と宣ひも果てぬに、宰相殿よりとて御使あり。この宰相と申すは、入道相国の御弟、宿所は六波羅の惣門の内におはしければ、門脇の宰相とぞ申しける。丹波の少将には舅なり。
 「何事にて候ふやらん。西八条殿より、きつと具し奉れと候ふ」と、宣ひつかはされたりければ、少将このこと心得て、近習の女房呼び出だし奉り、泣く泣く申されけるは、「ゆふべ何となう世の物騒がしう候ひしを、例の山法師の下りかなど、よそに思ひて候へば、はや成経が身の上にて候ひけり。ゆさり大納言斬らるべう候ふなれば、成経とても同罪にてぞ候はんずらん。今一度御前へ参つて、君をも見参せたく存じ候へども、かかる身にまかりなつて候へば、はばかり存じ候ふ」と申されたりける。
 女房たち急ぎ御前へ参つて、このよし奏聞せられければ、法皇「さればこそ。今朝の入道が使にはや御心得あり。さるにてもこれへこれへ」と御気色ありければ、少将御前へ参れたり。法皇御涙を流させ給ひて、仰せ下さるる旨もなし。少将も涙にむせびで、申しあげらるることもなし。
 

 さてしもあるべき事ならねば、ややあつて少将御前をまかり出でられけるを、法皇後ろをはるかに御覧じおくつて、「ただ末代こそ心うけれ。これが限りにてまたも御覧ぜぬ事もやあらんずらん」とて、御涙せきあへさせ給はず。少将御所をまかり出でけるに、院中の人々、少将の袖をひかへ袂にすがり、涙を流し、袖を濡らさぬはなかりけり。
 

 舅の宰相のもとへ出でられたれば、北の方は近う産すべき人にておはしけるが、今朝よりこの嘆きをうちそへて、すでにも命も消え入る心地ぞせられける。少将御所をまかり出でられつるより、流るる涙つきせぬに、北の方の有様を見給ひては、いとどせん方なげにぞ見えられける。
 少将の乳母に六条といふ女房あり。「御乳に参りはじめ候ひて、君をちの中より抱き上げ奉り、おほしたて参せてよりこの方、月日の重なるにしたがつて、我が身の年のゆくをば歎かずして、君のおとなしうならせ給ふことをのみよろこび候ひ、あからさまとは思へども、今年は二十一年、離れ参らせ候はず。院内へ参らせ給ひて、遅う出でさせ給ふだにも、心苦しう思ひ参らせ候ひつるに、つひにいかなる御目に合はせ給ふべきやらん」とて泣く。
 少将、「いたうな歎いそ。宰相さておはすれば、さりとも命ばかりは乞ひ請け給はんずらん」と、やうやうに慰め置き給へども、人目も恥ぢず、泣き悶えけり。
 

 さるほどに西八条殿より使しきなみにありければ、宰相、「出で向かうてこそ、ともかくもならめ」とて出でられければ、少将も宰相の車の尻に乗つてぞ出でられける。保元、平治よりこの方、平家の人々、楽しみ栄えのみあつて、うれへ嘆きはなかりしに、この宰相ばかりこそ、よしなき婿ゆゑに、かかる嘆きをせられけれ。
 

 西八条近うなつて、まづ案内を申されたりければ、「少将をば門の内へは入れらるべからず」と宣ふ間、その辺なる侍のもとに下ろしおき奉り、宰相ばかりぞ門の内へは参れける。少将をば、いつしか武士どもうち囲んで、きびしう守護し奉る。さしも頼まれたりつる宰相殿には離れ給ひぬ。少将の心のうち、さこそはたよりなかりけめ。
 

 宰相、中文にゐ給ひたれども、入道出でもあはれず、ややあつて宰相、源大夫判官季貞をもつて申されけるは、「かやうによしなき者に親しうなり候ひて、返す返す悔しみ候へども、かひも候はず。相具せさせて候ふ者の、このほどなやむこと候ふなるが、今朝よりこの嘆きをうちそへて、すでに命もたえ候ひなんず。教盛かうて候へば、なじかは僻事せさせ候ふべき。少将をばしばらく教盛に預けさせおはしませ」と申されければ、季貞参つてこの由を申す。
 入道、「あはれ例の宰相がものに心得ぬよ」とて、とみに返事もし給はず。
 ややあつて入道宣ひけるは、「『新大納言成親卿は、この一門滅ぼして天下を乱らんとする企てあり。この少将といふは、すでにかの大納言が嫡子なり。うとうもなれ、親しうもなれ、えこそ申しなだむまじけれ。もしこの謀叛遂げましかば、御辺とても穏しうてやはおはすべき』といふべし」とこそ宣ひけれ。
 

 季貞帰り参り、宰相殿にこの由を申す。宰相世にも本意なげにて、重ねて申されけるは、「保元、平治よりこの方、度々の合戦にも、御命にはかはり参らせんとこそ存じ候ひしか。この後も荒き風をばまづ防ぎ参せ候ふべし。たとひ教盛こそ年老いて候ふとも、若き子どもあまた候へば、一方の御固めにも、などかならでは候ふべき。それに少将しばらく預からうど申すを、御赦しないは一向教盛を二心あるものと思し召され候ひけるにこそ。これほどに後ろめたう思はれ参せては、世にあつても何かはし候ふべき。今はただ身のいとまを給はつて、出家入道つかまつり、いかならん片山里にも籠りゐて、一筋に後世菩提の勤めを営み候はん。
 よしなき浮世のまじはりなり。世にあればこそ望みもあれ、望みのかなはねばこそ恨みもあれ。如かじ憂き世を厭ひ、まことの道に入りなんは」とぞ宣ひける。
 季貞参つて、「宰相殿ははや思し召しきつて候ふぞ。ともかく好き様に御ぱからひ候へ」と申しければ、その時入道大きに驚き、「さればとて、出家入道まではあまりにけしからず。その儀ならば、少将をばしばらく御辺に預け奉るといふべし」とこそ宣ひけれ。
 季貞帰り参つて、宰相殿にこの由を申す。宰相、「あはれ人の子をば持つまじかりけるものかな。我が子の縁に結ぼほれざらんには、これほどまで心をば砕かじものを」とて出でられけり。
 

 少将、宰相殿待ちうけ奉つて、「さていかが候ひつる」と申されければ、
 宰相、「入道あまりに怒り、教盛にはつひに対面もし給はず。かなふまじき由をしきりに宣ひつれば、出家入道まで申したればにやらん、その儀ならばしばらく教盛に預くるとは宣ひつれども、始終はよかるべしともおぼえず」と宣へば、
 少将、「さては成経は御恩をもつてしばしの命の延び候はんずるにこそ。さて父で候ふ大納言が事をば、何とか聞こし召され候ふぞ」と申されければ、
 宰相、「いさとよ、御辺のことをこそ、やうやうに申しつれ、それまでは思ひもよらず」と宣へば、
 少将涙をはらはらと流いて、「命のをしう候ふも、父をいま一度見ばやと思ふためなり。ゆふさり大納言斬られ候はんずるにおいては、成経とても命いきても何にかはし候ふべき。ただ一所でいかにもなるやうに申してたばせ給ふべうや候ふらん」と申されければ、
 宰相世にも苦しげにて、「いさとよ、御辺の事をこそやうやうに申しつれ。それまでは思ひもよらねども、けさ内大臣のやうやうに申されつれば、それもしばらくはよきやうにこそ聞け」と宣へば、
 少将聞きもあへ給はず、泣く泣く手を合はせてぞよろこばれける。
 子ならざらん者は、誰かただ今我が身の上をさしおいて、これほどまでは喜ぶべき。まことの契りは親子の中にぞありける。子をば人の持つべかりけるものかなと、やがて思ひ返されけり。
 さて今朝のごとくに同車して帰られけり。宿所には女房達死にたる人の生き返りたる心地して、さしつどひて皆喜び泣きをぞせられける。
 

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巻第二
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