奥の細道 市振:原文対照



『おくのほそ道』
素龍清書原本 校訂
『新釈奥の細道』
   今日は親知らず、子知らず、 今日は親不知子知らず
  犬戻り、駒返しなどいふ北国一の難所を越えて 犬もとり駒返しなどいふ北國一の難所をこえて
  疲れ侍れば、 つかれ侍れば
  枕引き寄せて寝たるに、 枕引よせてねたるに
  一間隔てて面の方に、 一間へだてゝ西の方に
  若き女の声、二人ばかりと聞こゆ。 若き女の聲二人ばかりと聞ゆ
  年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、 年よりたる男の聲も交りて物語するをきけば
  越後の国新潟といふ所の遊女なりし。 越後國新潟といふ處の遊女なりし
  伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて、 いせ參宮するとて此關まで男の送りて
  明日は故郷に返す文したためて、 あすは古鄕にかへす文したゝめて
  はかなき言伝などしやるなり。 はかなき言傳などしやる也
     
  白波の寄する汀に身をはふらかし、 白波のよする渚に身をはふらかし
  海士のこの世をあさましう下りて、 あまのこの世を淺ましう下りて
  定めなき契り、 定めなき契
  日々の業因いかにつたなしと、 日々の業因いかにつたなしと
  物いふを聞く聞く寝入りて、 物いふをきゝ〳〵ねいりて
  朝旅立つに、我々に向かひて、 朝たび立に我らにむかひて
  「行方知らぬ旅路の憂さ、 行衞しらぬ旅路のうさ
  あまりおぼつかなう悲しく侍れば、 餘り覺束なうかなしく侍れば
  見え隠れにも御跡を慕ひ侍らん。 見へがくれにも御跡をしたひ侍ん
  衣の上の御情けに大慈の恵みを垂れて、 衣のうへの御情に大悲のめぐみをたれて
  結縁せさせ給へ」 結緣せさせ給へ
  と涙を落とす。 と泪を落す
     
  不便のことには侍れども、 不便の事には侍れども
  「我々は所々にてとどまるかた多し。 我らは所々にてとまるかた多し
  ただ人の行くにまかせて行くべし。 たゞ人の行くにまかせて行くべし
  神明の加護、必ず恙なかるべし」 神明の加護必ずつゝがなかるべし
  といひ捨てて出でつつ、 といひすてゝ出つゝ
  あはれさしばらくやまざりけらし。 哀さしばらくやまざりけらし
     

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 一つ家に 遊女も寝たり 萩と月  一家に 遊女も寢たり 萩と月
     
  曾良に語れば、書きとどめ侍る。 曾良にかたればかきとゝめ侍る