古事記 中巻全文~原文対訳

中巻目次 古事記
中巻全文
下巻全文

中巻目次
1 神武天皇(じんむ)
2 綏靖天皇(すいぜい)
3 安寧天皇(あんねい)
4 懿德天皇(いとく)
5 孝昭天皇(こうしょう)
6 孝安天皇(こうあん)
7 孝靈天皇(こうれい)
8 孝元天皇(こうげん)
9 開化天皇(かいか)
10 崇神天皇(すじん)
11 垂仁天皇(すいにん)
12 景行天皇(けいこう)
13 成務天皇(せいむ)
14 仲哀天皇(ちゅうあい)
15 應神天皇(おうじん)

 

神武天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

神武東征(どげんか遷都如何)

     
神倭
伊波禮毘古命。
〈自伊下
五字以音〉
 神倭
伊波禮毘古
かむやまと
いはれびこの命、
 カムヤマト
イハレ彦の命
(神武天皇)、
與其伊呂兄
〈伊呂二字以音〉
五瀬命
二柱。
その
同母兄いろせ
五瀬の命と
二柱、
兄君の
イツセの命と
お二方、

高千穂宮而。
高千穗の宮に
ましまして
筑紫の高千穗の宮に
おいでになつて
議云。 議はかりたまはく、 御相談なさいますには、
     
坐何地者。 「いづれの地ところにまさば、 「何處の地におつたならば
平聞看
天下之政。
天の下の政を平けく
聞きこしめさむ。
天下を泰平にすることが
できるであろうか。
猶思東行。 なほ東のかたに、行かむ」
とのりたまひて、
やはりもつと東に行こうと思う」
と仰せられて、
即自日向發。 すなはち
日向ひむかより發たたして、
日向の國からお出になつて
幸行筑紫。 筑紫に
幸いでましき。
九州の北方に
おいでになりました。
     
故到
豐國宇沙之時。
かれ豐國の宇沙うさに
到りましし時に、
そこで豐後ぶんごのウサに
おいでになりました時に、
其土人。 その土人くにびと その國の人の

宇沙都比古。
宇沙都比賣
〈此十字以音〉
二人。
名は
宇沙都比古うさつひこ、
宇沙都比賣うさつひめ
二人、
ウサツ彦・
ウサツ姫
という二人が

足一騰
宮而。
足一騰
あしひとつあがりの
宮を作りて、
足一つ
騰あがりの
宮を作つて、

大御饗。
大御饗
おほみあへ
獻りき。
御馳走を
致しました。
     
自其地
遷移而。
其地そこより
遷りまして、
其處から
お遷りになつて、
於筑紫之
岡田宮
一年坐。
竺紫つくしの
岡田の宮に
一年ましましき。
筑前の
岡田の宮に
一年おいでになり、
亦從其國
上幸而。
またその國より
上り幸でまして、
また其處から
お上りになつて
於阿岐國之
多祁理宮。
七年坐。
阿岐あきの國の
多祁理たけりの宮に
七年ましましき。
安藝の
タケリの宮に
七年おいでになりました。
〈自多下
三字以音〉
   
     
亦從其國
遷上幸而。
またその國より
遷り上り幸でまして、
またその國から
お遷りになつて、
於吉備之
高嶋宮。
八年坐。
吉備の
高島の宮に
八年ましましき。
備後びんごの
高島の宮に
八年おいでになりました。
     

速吸門(はよせえ・早よせ衛門)

     
故從其國
上幸之時。
 かれその國より
上り幸でます時に、
 その國から
上のぼつておいでになる時に、
乘龜甲。 龜の甲せに乘りて、 龜の甲こうに乘つて
爲釣乍。 釣しつつ 釣をしながら
打羽擧來人。 打ち羽振り來る人、 勢いよく
身體からだを振ふつて來る人に
遇于
速吸門。
速吸はやすひの
門とに
遇ひき。
速吸はやすいの
海峽かいきようで
遇いました。
     
爾喚歸。 ここに喚びよせて、 そこで呼び寄せて、
問之
汝者誰也。
問ひたまはく、
「汝いましは誰ぞ」
と問はしければ、
「お前は誰か」
とお尋ねになりますと、
答曰
僕者國神。
答へて曰はく、
「僕あは國つ神なり」とまをしき。
「わたくしはこの土地にいる神です」
と申しました。
名宇豆毘古。    
     
又問
汝者知
海道乎。
また問ひたまはく
「汝は海うみつ道ぢを知れりや」
と問はしければ、
また
「お前は海の道を知つているか」
とお尋ねになりますと
答曰
能知。
答へて曰はく、
「能く知れり」とまをしき。
「よく知つております」
と申しました。
又問
從而仕奉乎。
また問ひたまはく
「從みともに仕へまつらむや」
と問はしければ、
また「供をして來るか」
と問いましたところ、
答曰仕奉。 答へて曰はく
「仕へまつらむ」とまをしき。
「お仕え致しましよう」
と申しました。
     
故爾
指度槁機。
かれここに
槁さをを指し度わたして、
そこで
棹さおをさし渡して
引入其御船。 その御船に引き入れて、 御船に引き入れて、
即賜名
號槁根津日子。
槁根津日子
さをねつひこ
といふ名を賜ひき。
サヲネツ彦
という名を下さいました。
〈此者
倭國造等之祖〉
(こは
倭の國の造等が祖なり。)
 
     

タテヅく

     
故從其國
上行之時。
 かれその國より
上り行いでます時に、
 その國から
上つておいでになる時に、

浪速之
渡而。
浪速なみはやの
渡わたりを
經て、
難波なにわの
灣わんを
經て

青雲之白肩津。
青雲の白肩しらかたの津に
泊はてたまひき。
河内の白肩の津に
船をお泊とめになりました。
     
此時。 この時に、 この時に、
登美能
那賀須泥毘古。
〈自登下
九字以音〉
登美とみの
那賀須泥毘古
ながすねびこ、
大和の國の
トミに住んでいる
ナガスネ彦が
興軍。 軍を興して、 軍を起して
待向以戰。 待ち向へて戰ふ。 待ち向つて戰いましたから、
爾取所
入御船之楯
而下立。
ここに、
御船に入れたる楯を取りて、
下おり立ちたまひき。
御船に入れてある
楯を取つて
下り立たれました。
故號其地
謂楯津。
かれ其地そこに號けて
楯津たてづといふ。
そこでその土地を名づけて
楯津と言います。
於今者
云日下之蓼津也。
今には
日下くさかの蓼津たでづといふ。
今でも
日下くさかの蓼津たでつと
言いつております。
     

イツセの痛手(イッテー)

     
於是與
登美毘古戰之時。
ここに
登美とみ毘古と戰ひたまひし時に、
かくて
ナガスネ彦と戰われた時に、
五瀬命。
於御手。
五瀬いつせの命、
御手に
イツセの命が
御手に
負登美毘古之
痛矢串。
登美毘古が
痛矢串いたやぐしを負はしき。
ナガスネ彦の
矢の傷をお負いになりました。
     
故爾詔。 かれここに詔りたまはく、 そこで仰せられるのには
吾者爲
日神之御子。
「吾は
日の神の御子として、
「自分は
日の神の御子として、
向日而戰不良。 日に向ひて戰ふことふさはず。 日に向つて戰うのはよろしくない。
故負
賤奴之痛手。
かれ賤奴やつこが痛手を負ひつ。 そこで賤しい奴の傷を負つたのだ。
     
自今者。
行廻而。
今よは
行き廻めぐりて、
今から廻つて行つて
背負日以撃
期而。
日を背に負ひて撃たむ」と、
期ちぎりたまひて、
日を背中にして撃とう」
と仰せられて、
自南方。
廻幸之時。
南の方より
廻り幸でます時に、
南の方から
廻つておいでになる時に、
到血沼海。 血沼ちぬの海に到りて、 和泉いずみの國の
チヌの海に至つて
洗其御手之血。 その御手の血を洗ひたまひき。 その御手の血をお洗いになりました。
故謂
血沼海也。
かれ血沼の海といふ。 そこでチヌの海とは言うのです。
     
從其地
廻幸。
其地そこより
廻り幸でまして、
其處から
廻つておいでになつて、

紀國男之
水門而詔。
紀きの國の男をの
水門みなとに
到りまして、詔りたまはく、
紀伊きいの國の
ヲの水門みなとに
おいでになつて仰せられるには、
負賤奴之手
乎死。
「賤奴やつこが手を負ひてや、
命すぎなむ」
「賤しい奴のために
手傷を負つて死ぬのは
殘念である」
爲男建
而崩。
と男健をたけびして
崩かむあがりましき。
と叫ばれて
お隱れになりました。
     
故號其水門。
謂男水門也。
かれその水門みなとに名づけて
男をの水門といふ。
それで其處を
ヲの水門みなとと言います。
     
陵即在
紀國之
竈山也。
陵みはかは
紀の國の
竈山かまやまにあり。
御陵は
紀伊の國の
竈山かまやまにあります。
     

失神

     

神倭
伊波禮毘古命。
 かれ
神倭
伊波禮毘古の命、
 カムヤマト
イハレ彦の命は、
從其地廻幸。 其地そこより
廻り幸でまして、
その土地から
廻つておいでになつて、
到熊野村之時。 熊野くまのの村に到りましし時に、 熊野においでになつた時に、
大熊。
髣髴
出入即失。
大きなる熊、
髣髴ほのかに
出で入りてすなはち失せぬ。
大きな熊が
ぼうつと現れて、
消えてしまいました。
     
爾神倭
伊波禮毘古命。
焂忽爲遠延。
ここに神倭
伊波禮毘古の命
焂忽にはかにをえまし、
ここにカムヤマト
イハレ彦の命は
俄に氣を失われ、
及御軍
皆遠延
而伏。
〈遠延二字以音〉
また御軍も
皆をえて
伏しき。
兵士どもも
皆氣を失つて
仆れてしまいました。
     

高倉下=高倉じい=高木の下降

     
此時。
熊野之
高倉下。
〈此者人名〉
この時に
熊野の
高倉下たかくらじ、
この時
熊野の
タカクラジという者が
齎一横刀。 一横刀たちをもちて、 一つの大刀をもつて
到於
天神御子之伏地而。
獻之時。
天つ神の御子の
伏こやせる地ところに
到りて獻る時に、
天の神の御子の
臥しておいでになる處に
來て奉る時に、
天神御子
即寤起。
天つ神の御子、
すなはち寤さめ起ちて、
お寤さめになつて、
詔長寢乎。 「長寢ながいしつるかも」
と詔りたまひき。
「隨分寢たことだつた」
と仰せられました。
     
故受取
其横刀之時。
かれその横刀たちを
受け取りたまふ時に、
その大刀を
お受け取りなさいました時に、
其熊野山之荒神。 その熊野の山の
荒あらぶる神
熊野の山の
惡い神たちが
自皆爲切仆。 おのづからみな切り仆たふさえき。 自然に皆切り仆されて、
爾其惑伏御軍。
悉寤起之。
ここにそのをえ伏せる御軍
悉に寤め起ちき。
かの正氣を失つた軍隊が
悉く寤さめました。
     
故天神御子。 かれ天つ神の御子、 そこで天の神の御子が
問獲
其横刀之所由。
その横刀たちを獲つる
ゆゑを問ひたまひしかば、
その大刀を獲た
仔細をお尋ねになりましたから、
高倉下答曰。 高倉下じ答へまをさく、 タカクラジがお答え申し上げるには、
     
己夢云。 「おのが夢に、 「わたくしの夢に、
天照大神。
高木神。
二柱神之命以。
天照らす大神
高木の神
二柱の神の命もちて、
天照らす大神と
高木の神の
お二方の御命令で、
召建御雷神
而詔。
建御雷たけみかづちの神を召よびて
詔りたまはく、
タケミカヅチの神を召して、
     
葦原中國者。
伊多玖
佐夜藝帝阿理那理。
〈此十一字以音〉
葦原の中つ國は
いたく
騷さやぎてありなり。
葦原の中心の國は
ひどく
騷いでいる。
我之御子等。
不平坐良志。
〈此二字以音〉
我が御子たち
不平やくさみますらし。
わたしの御子みこたちは
困つていらつしやるらしい。
其葦原中國者。 その葦原の中つ國は、 あの葦原の中心の國は
專汝所
言向之國故。
もはら汝いましが
言向ことむけつる國なり。
もつぱらあなたが
平定した國である。
汝建御雷神
可降。
かれ汝
建御雷の神降あもらさね」
とのりたまひき。
だからお前
タケミカヅチの神、
降つて行けと仰せになりました。
     
爾答曰。 ここに答へまをさく、 そこでタケミカヅチの神が
お答え申し上げるには、
僕雖不降。 「僕やつこ降らずとも、 わたくしが降りませんでも、
專有
平其國之横刀。
もはら
その國を平ことむけし横刀あれば、
その時に國を平定した大刀が
ありますから、
可降是刀。 この刀たちを降さむ。 これを降しましよう。
〈此刀名。
云佐士布都神。
亦名云甕布都神。
亦名云布都御魂。
此刀者。
坐石上神宮也〉
(この刀の名は
佐士布都の神といふ。
またの名は甕布都の神といふ、
またの名は布都の御魂。
この刀は
石上の神宮に坐す)
この大刀の名は
サジフツの神、
またの名はミカフツの神、
またの名はフツノミタマと言います。
今石上いそのかみ神宮にあります。
降此刀状者。 この刀を降さむ状は、 この大刀を降す方法は、
穿高倉下之
倉頂。
高倉下が
倉の頂むねを穿ちて、
タカクラジの
倉の屋根に穴をあけて
自其墮入。 そこより墮し入れむ
とまをしたまひき。
其處から墮し入れましよう
と申しました。
「故
建御雷神教曰。
   
穿汝之倉頂。    
以此刀堕入」    

阿佐
米余玖
〈自阿下
五字以音〉
かれ

目吉よく
そこでわたくしに、
お前は朝
目が寤さめたら、
汝取持。 汝取り持ちて この大刀を取つて
獻天神御子。 天つ神の御子に獻れと、
のりたまひき。
天の神の御子に奉れと
お教えなさいました。
     
故如夢教而。 かれ夢の教のまにま、 そこで夢の教えのままに、
旦見己倉者。 旦あしたにおのが倉を見しかば、 朝早く倉を見ますと
信有横刀。 信まことに横刀たちありき。 ほんとうに大刀がありました。
故以是
横刀而獻耳。
かれこの横刀をもちて獻らくのみ」
とまをしき。
依つてこの大刀を奉るのです」
と申しました。
     

八咫烏(やたがらす)

     
於是亦。
高木大神之命以
覺白之。
 ここにまた
高木の大神の命もちて、
覺さとし白したまはく、
 ここにまた
高木の神の御命令で
お教えになるには、
天神御子。 「天つ神の御子、 「天の神の御子よ、
自此於奧方
莫使入幸。
こよ奧つ方に
な入りたまひそ。
これより奧には
おはいりなさいますな。
荒神甚多。 荒ぶる神いと多さはにあり。 惡い神が澤山おります。
     
今自天。
遣八咫烏。
今天より
八咫烏やたがらすを
遣つかはさむ。
今天から
八咫烏やたがらすを
よこしましよう。
故其八咫烏
引道。
かれその八咫烏
導きなむ。
その八咫烏が
導きするでしようから、
從其立後應幸行。 その立たむ後しりへより幸でまさね」
と、のりたまひき。
その後よりおいでなさい」
とお教え申しました。
     

うだのウガチ(違う歌)

     
故隨其教覺。 かれその御教みさとしのまにまに、 はたして、その御教えの通り
從其八咫烏之後
幸行者。
その八咫烏の後より
幸いでまししかば、
八咫烏の後から
おいでになりますと、
到吉野河之
河尻時。
吉野えしの河の
河尻に到りましき。
吉野河の
下流に到りました。
作筌
有取魚人。
時に筌うへをうちて
魚な取る人あり。
時に河に筌うえを入いれて
魚を取る人があります。
爾天神御子。 ここに天つ神の御子 そこで天の神の御子が
問汝者誰也。 「汝いましは誰そ」
と問はしければ、
「お前は誰ですか」
とお尋ねになると、
答曰
僕者國神。
名謂
贄持之子。
答へ白さく、
「僕あは國つ神
名は贄持にへもつの子」
とまをしき。
「わたくしは
この土地にいる神で、
ニヘモツノコであります」
と申しました。
〈此者。
阿陀之鵜飼之祖〉
(こは阿陀の鵜養の祖なり) これは阿陀の鵜飼の祖先です。
     
從其地
幸行者。
其地そこより
幸でまししかば、
それから
おいでになると、
生尾人。 尾ある人 尾のある人が
自井出來。 井より出で來。 井から出て來ました。
其井有光。 その井光れり。 その井は光つております。
爾問汝誰也。 「汝は誰そ」
と問はしければ、
「お前は誰ですか」
とお尋ねになりますと、
答曰 答へ白さく、  
僕者國神。 「僕は國つ神 「わたくしはこの土地にいる神、
名謂井氷鹿。 名は井氷鹿ゐひか」とまをしき。 名はヰヒカと申します」と申しました。
〈此者。吉野
首等祖也〉
(こは吉野の
首等が祖なり)
これは吉野の
首等おびとらの祖先です。
     
即入其山之。 すなはちその山に入りまししかば、 そこでその山におはいりになりますと、
亦遇生尾人。 また尾ある人に遇へり。 また尾のある人に遇いました。
此人。
押分巖而出來。
この人
巖いはほを押し分けて出で來く。
この人は
巖を押し分けて出てきます。
爾問汝者誰也。 「汝は誰そ」と問はしければ、 「お前は誰ですか」とお尋ねになりますと、
答曰 答へ白さく、  
僕者國神。 「僕は國つ神 「わたくしはこの土地にいる神で、
名謂石押分之子。 名は石押分いはおしわくの子、 イハオシワクであります。
今聞天神御子
幸行。
今天つ神の御子
幸いでますと聞きつ。
今天の神の御子が
おいでになりますと聞きましたから、
故參向耳。 かれ、まゐ向へまつらくのみ」
とまをしき。
參り出て來ました」
と申しました。
〈此者。吉野國巣之祖〉 (こは吉野の國巣が祖なり) これは吉野の國栖くずの祖先です。
     
自其
地蹈穿越。
其地そこより
蹈み穿ち越えて、
それから
山坂を蹈み穿うがつて越えて
幸宇陀。 宇陀うだに幸でましき。 ウダにおいでになりました。
故曰宇陀之穿也。 かれ宇陀うだの穿うがちといふ。 依つて宇陀うだのウガチと言います。
     

エウカシとオトウカシ

     
故爾於宇陀。  かれここに宇陀に、  

兄宇迦斯。
弟宇迦斯
二人。
兄宇迦斯えうかし
弟宇迦斯おとうかしと
二人あり。
 この時に宇陀うだに
エウカシ・
オトウカシという
二人ふたりがあります。
〈自宇以下
三字以音。
下效此。(也)〉
   
     
故先遣
八咫烏。
かれまづ
八咫烏を遣はして、
依つてまず
八咫烏やたがらすを遣つて、
問二人曰。 二人に問はしめたまはく、  
今天神御子
幸行。
「今、天つ神の御子
幸いでませり。
「今天の神の御子が
おいでになりました。
汝等仕奉乎。 汝いましたち仕へまつらむや」
と問ひたまひき。
お前方はお仕え申し上げるか」
と問わしめました。
於是兄宇迦斯。 ここに兄宇迦斯、 しかるにエウカシは
以鳴鏑待
射返其使。
鳴鏑なりかぶらもちて、
その使を待ち射返しき。
鏑矢かぶらやを以つて
その使を射返しました。
故其鳴鏑所
落之地。
かれその鳴鏑の
落ちし地ところを、
その鏑矢の落ちた處を
謂訶夫羅前也。 訶夫羅前かぶらざきといふ。 カブラ埼さきと言います。
     
將待撃云而。 「待ち撃たむ」といひて、 「待つて撃とう」と言つて
聚軍然
不得聚軍者。
軍いくさを聚めしかども、
軍をえ聚めざりしかば、
軍を集めましたが、
集め得ませんでしたから、
欺陽
仕奉而。
仕へまつらむと
欺陽いつはりて、
「お仕え申しましよう」と
僞つて、
作大殿。 大殿を作りて、 大殿を作つて
於其殿内。 その殿内とのぬちに その殿の内に
作押機待時。 押機おしを作りて待つ時に、 仕掛を作つて待ちました時に、
弟宇迦斯
先參向。
弟宇迦斯
おとうかしまづまゐ向へて、
オトウカシがまず出て來て、
拜曰。 拜をろがみてまをさく、 拜して、
僕兄兄宇迦斯。 「僕が兄兄宇迦斯、 「わたくしの兄のエウカシは、
射返
天神御子之使。
天つ神の御子の使を
射返し、
天の神の御子のお使を
射返し、
將爲待攻而。
聚軍
不得聚者。
待ち攻めむとして
軍を聚むれども、
え聚めざれば、
待ち攻めようとして
兵士を集めましたが
集め得ませんので、
作殿。 殿を作り、 御殿を作り
其内張押機。 その内に押機おしを張りて、 その内に仕掛を作つて
將待取。 待ち取らむとす、 待ち取ろうとしております。
故參向
顯白。
かれまゐ向へて
顯はしまをす」
とまをしき。
それで出て參りまして
このことを申し上げます」
と申しました。
     

宇陀の血原(歌の力)

     
爾大伴連等之祖。
道臣命。
ここに大伴おほともの連むらじ等が
祖道みちの臣おみの命、
そこで大伴おおともの連等むらじらの
祖先そせんのミチノオミの命、
久米直等之祖。
大久米命二人。
久米くめの直あたへ等が祖
大久米おほくめの命二人、
久米くめの直等あたえらの祖先の
オホクメの命二人が
召兄宇迦斯
罵詈云。
兄宇迦斯えうかしを召よびて、
罵のりていはく、
エウカシを呼んで
罵ののしつて言うには、
伊賀〈此二字以音〉
所作仕奉
於大殿内者。
「いが
作り仕へまつれる
大殿内とのぬちには、
「貴樣が
作つてお仕え申し上げる
御殿の内には、
意禮〈此二字以音〉
先入。
おれ
まづ入りて、
自分が
先に入つて
明白其將爲
仕奉之状而。
その仕へまつらむとする状を
明し白せ」といひて、
お仕え申そうとする樣を
あきらかにせよ」と言つて、
即握
横刀之手上。
横刀たちの手上たがみ
握とりしばり、
刀の柄つかを
掴つかみ
矛由氣
〈此二字以音〉
矢刺而。

ほこゆけ
矢刺して、
矛ほこを
さしあて
矢をつがえて
追入之時。 追ひ入るる時に、 追い入れる時に、
乃己所作
押見打而死。
すなはちおのが作れる
押機おしに打たれて死にき。
自分の張つて置いた
仕掛に打たれて死にました。
     
爾即控出
斬散。
ここに控ひき出して
斬り散はふりき。
そこで引き出して、
斬り散らしました。
故其地謂
宇陀之
血原也。
かれ其地そこを
宇陀の
血原といふ。
その土地を
宇陀うだの
血原ちはらと言います。
     

久米歌(くえない歌)

     
然而。
其弟宇迦斯之
獻大饗者。
然して
その弟宇迦斯おとうかしが
獻れる大饗おほみあへをば、
そうしてそのオトウカシが
獻上した御馳走を
悉賜其御軍。 悉にその御軍みいくさに賜ひき。 悉く軍隊に賜わりました。
此時歌曰。 この時、
御歌よみしたまひしく、
その時に
歌をお詠みになりました。それは、
     
宇陀能 多加紀爾  宇陀の 高城たかきに  宇陀の 高臺たかだいで
志藝和那波留  鴫羂しぎわな張る。 シギの網あみを張る。
和賀麻都夜 志藝波佐夜良受  我わが待つや 鴫は障さやらず、 わたしが待まつているシギは懸からないで
伊須久波斯 久治良佐夜流  いすくはし 鷹くぢら障さやる。 思いも寄らないタカが懸かつた。
古那美賀 那許波佐婆  前妻こなみが 菜な乞はさば、 古妻ふるづまが食物を乞うたら
多知曾婆能 微能那祁久袁  たちそばの 實の無なけくを ソバノキの實のように
許紀志斐惠泥  こきしひゑね。 少しばかりを削つてやれ。
宇波那理賀 那許婆佐婆  後妻うはなりが 菜乞はさば、 新しい妻が食物を乞うたら
伊知佐加紀 微能意富祁久袁  いちさかき實みの大けくを イチサカキの實のように
許紀陀斐惠泥  こきだひゑね 澤山に削つてやれ。
疊疊〈音引〉志夜胡志夜 ええ、しやこしや。 ええ
此者伊碁能布曾。
〈此五字以音〉
こは いのごふぞ。 やつつけるぞ。
阿阿〈音引〉志夜胡志夜。 ああ、しやこしや。 ああ
此者嘲咲者也 こは 嘲咲あざわらふぞ。 よい氣味きみだ。
     
故其
弟宇迦斯。
かれその
弟宇迦斯、
 その
オトウカシは
〈此者。宇陀
水取等之祖也〉
こは宇陀の
水取もひとり等が祖なり。
宇陀の
水取もひとり等の祖先です。
     

うちてしやまんの歌

     
自其地幸行。  其地そこより幸でまして、  次に、
到忍坂
大室之時。
忍坂おさかの
大室に到りたまふ時に、
忍坂おさかの
大室おおむろにおいでになつた時に、
生尾土雲
〈訓云具毛〉
八十建。
尾ある土雲
八十建
やそたける、
尾のある穴居の人
八十人の武士が
在其室
待伊那流。
〈此三字以音〉
その室にありて
待ちいなる。
その室にあつて
威張いばつております。
     
故爾
天神御子之命以。
かれここに
天つ神の御子の命もちて、
そこで
天の神の御子の御命令で
饗賜
八十建。
御饗みあへを
八十建やそたけるに賜ひき。
お料理を賜わり、
於是
宛八十建。
設八十膳夫。
ここに
八十建に宛てて、
八十膳夫かしはでを設まけて、
八十人の武士に當てて
八十人の料理人を用意して、
毎人佩刀。
誨其膳夫等曰。
人ごとに刀たち佩けて
その膳夫かしはでどもに、
誨へたまはく、
その人毎に大刀を佩はかして、
その料理人どもに
     
聞歌之者。 「歌を聞かば、 「歌を聞いたならば
一時共斬。 一時もろともに斬れ」
とのりたまひき。
一緒に立つて武士を斬れ」
とお教えなさいました。
故明
將打其土雲之歌
曰。
かれその土雲を
打たむとすることを
明あかして歌よみしたまひしく、
その穴居の人を
撃とうとすることを
示した歌は、
     
意佐加能 意富牟盧夜爾  忍坂おさかの 大室屋に 忍坂おさかの大きな土室つちむろに
比登佐波爾 岐伊理袁理  人多さはに 來き入り居り。 大勢の人が入り込んだ。
比登佐波爾 伊理袁理登母  人多に 入り居りとも、 よしや大勢の人がはいつていても
美都美都斯 久米能古賀  みつみつし 久米の子が、 威勢のよい久米くめの人々が
久夫都都伊 伊斯都都伊母知  頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち 瘤大刀こぶたちの石大刀いしたちでもつて
宇知弖斯夜麻牟  撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
美都美都斯 久米能古良賀  みつみつし 久米の子らが、 威勢のよい久米の人々が
久夫都都伊 伊斯都都伊母知  頭椎い 石椎いもち 瘤大刀の石大刀でもつて
伊麻宇多婆余良斯 今撃たば善よらし。 そら今撃つがよいぞ。
     
如此歌而。  かく歌ひて、  かように歌つて、
拔刀。
一時打殺也。
刀を拔きて、
一時に打ち殺しつ。
刀を拔いて
一時に打ち殺してしまいました。
     

うちてし野蛮の歌

     
然後
將撃
登美毘古之時。
 然ありて後に、
登美毘古を
撃ちたまはむとする時、
 その後、
ナガスネ彦を
お撃ちになろうとした時に、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いになつた歌は、
     
美都美都斯  みつみつし  威勢のよい
久米能古良賀  久米の子らが 久米の人々の
阿波布爾波  粟生あはふには  アワの畑はたけには
賀美良比登母登  臭韮かみら一莖もと、 臭いニラが一本ぽん生はえている。
曾泥賀母登  そねが莖もと  その根ねのもとに、
曾泥米都那藝弖  そね芽め繋つなぎて その芽めをくつつけて
宇知弖志夜麻牟  撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  また、
     
美都美都斯。 みつみつし  威勢のよい
久米能古良賀。 久米の子らが 久米の人々の
加岐母登爾。 垣下もとに  垣本かきもとに
宇惠志波士加美。 植うゑし山椒はじかみ、 植えたサンシヨウ、
久知比比久。 口ひひく  口がひりひりして
和禮波和須禮士。 吾われは忘れじ。 恨みを忘れかねる。
宇知弖斯夜麻牟。 撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
     

うちてし野蛮の神風の歌

     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  また、
     
加牟加是能 神風かむかぜの  神風かみかぜの吹く
伊勢能宇美能 伊勢の海の 伊勢の海の
意斐志爾 大石おひしに  大きな石に
波比母登富呂布 はひもとほろふ 這い廻まわつている
志多陀美能 細螺しただみの、 細螺しただみのように
伊波比母登富理 いはひもとほり 這い廻つて
宇知弖志夜麻牟 撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
     
又撃
兄師木。
弟師木之時。
 また
兄師木えしき
弟師木おとしきを
撃ちたまふ時に、
 また、
エシキ、
オトシキを
お撃ちになりました時に、
御軍暫疲。 御軍暫しまし疲れたり。 御軍の兵士たちが、少し疲れました。
爾歌曰。 ここに歌よみしたまひしく、 そこでお歌い遊ばされたお歌、
     
多多那米弖。 楯並たたなめて 楯たてを竝ならべて射いる、
伊那佐能夜麻能。 伊那佐いなさの山の そのイナサの山の
許能麻用母。 樹この間よも 樹この間まから
伊由岐麻毛良比。 い行きまもらひ 行き見守つて
多多加閇婆。 戰へば 戰爭いくさをすると
和禮波夜惠奴。 吾われはや飢ゑぬ。 腹が減へつた。
志麻都登理。 島つ鳥 島しまにいる
宇〈上〉加比賀登母。 鵜養うかひが徒とも、 鵜うを養かう人々よ
伊麻須氣爾許泥。 今助すけに來ね。 すぐ助けに來てください。
     
     最後に
トミのナガスネ彦をお撃うちになりました。

ウマシマヂの命(生ましまじ)

     
故爾
邇藝速日命。
 かれここに
邇藝速日
にぎはやびの命
時にニギハヤビの命が
參赴。 まゐ赴むきて、 天の神の御子のもとに參つて
白於天神御子。 天つ神の御子にまをさく、 申し上げるには、
     
聞天神御子。
天降坐故。
「天つ神の御子
天降あもりましぬと聞きしかば、
「天の神の御子が
天からお降りになつたと聞きましたから、
追參降來。 追ひてまゐ降り來つ」とまをして、 後を追つて降つて參りました」と申し上げて、
即獻天津瑞以。
仕奉也。
天つ瑞しるしを獻りて
仕へまつりき。
天から持つて來た寶物を捧げて
お仕え申しました。
     

邇藝速日命。
かれ邇藝速日
にぎはやびの命、
このニギハヤビの命が

登美毘古之妹。
登美夜毘賣。生子
登美毘古が妹
登美夜毘賣
とみやびめに
娶ひて生める子、
ナガスネ彦の
妹トミヤ姫と結婚して
生んだ子が
宇摩志麻遲命。 宇摩志麻遲
うましまぢの命。
ウマシマヂの命で、
〈此者。
物部連。
穂積臣。
婇臣祖也〉故如此。
(こは
物部の連、
穗積の臣、
婇臣が祖なり)
これが
物部もののべの連・
穗積の臣・
采女うねめの臣等の祖先です。
     
言向平和
荒夫琉神等。
〈夫琉二字以音〉
かれかくのごと、
荒ぶる神どもを
言向ことむけやはし、
そこでかようにして
亂暴な神たちを
平定し、
退撥
不伏之人等而。
伏まつろはぬ人どもを
退そけ撥はらひて、
服從しない人どもを
追い撥はらつて、
坐畝火之
白檮原宮。
畝火うねびの
白檮原かしはらの宮にましまして、
畝傍うねびの
橿原かしはらの宮において
治天下也。 天の下治しらしめしき。 天下をお治めになりました。
     

ホトホト困った名

     
故坐
日向時。
 かれ日向に
ましましし時に、
 はじめ日向ひうがの國に
おいでになつた時に、
娶阿多之
小椅君妹。
阿多あたの
小椅をばしの君が妹、
阿多あたの
小椅おばしの君の妹の
名阿比良比賣。
〈自阿以下
五字以音〉
名は阿比良
あひら比賣に娶ひて、
アヒラ姫という方と結婚して、
生子。 生みませる子、  
多藝志美美命。 多藝志美美たぎしみみの命、 タギシミミの命・
次岐須美美命。 次に岐須美美きすみみの命、 キスミミの命と
二柱坐也。 二柱ませり。 お二方の御子がありました。
     
然更求
爲大后之美人時。
然れども更に、
大后おほぎさきとせむ美人をとめを
求まぎたまふ時に、
しかし更に
皇后となさるべき孃子おとめを
お求めになつた時に、
大久米命曰。 大久米の命まをさく、 オホクメの命の申しますには、
此間有媛女。
是謂神御子。
「ここに媛女をとめあり。
こを神の御子なりといふ。
「神の御子と傳える
孃子があります。
其所以謂
神御子者。
それ神の御子と
いふ所以ゆゑは、
そのわけは
三嶋
湟咋之女。
三島の
湟咋みぞくひが女、
三嶋みしまの
ミゾクヒの娘むすめの

勢夜陀多良比賣。
名は勢夜陀多良
せやだたら比賣、
セヤダタラ姫という方が
其容姿麗美。 それ容姿麗かほよかりければ、 非常に美しかつたので、
故美和之
大物主神。
美和の
大物主の神、
三輪みわの
オホモノヌシの神が
見感而。 見感めでて、 これを見て、
其美人。
爲大便之時。
その美人をとめの
大便くそまる時に、
その孃子が
厠かわやにいる時に、
化丹塗矢。 丹塗にぬり矢になりて、 赤く塗つた矢になつて
自其爲大便之
溝流下。
その大便まる溝より、
流れ下りて、
その河を流れて來ました。
突其美人之
富登。
〈此二字以音。
下效此〉
その美人の
富登
ほとを突きき。
 
爾其美人驚而。 ここにその美人驚きて、 その孃子が驚いて
立走
伊須須岐伎。
〈此五字以音〉
立ち走り
いすすぎき。
 
     
乃將來其矢。 すなはちその矢を持ち來て、
その矢を持つて來て
置於床邊。 床の邊に置きしかば、 床の邊ほとりに置きましたところ、
忽成麗壯夫。 忽に麗しき壯夫をとこに成りぬ。 たちまちに美しい男になつて、
即娶
其美人。
生子。
すなはちその美人に娶ひて
生める子、
その孃子と結婚して
生んだ子が
名謂
富登多多良
伊須須岐比賣命。
名は
富登多多良伊須須岐比賣
ほとたたら
いすすきひめの命、
ホトタタラ
イススキ姫であります。
亦名謂
比賣多多良
伊須氣余理比賣。
またの名は
比賣多多良
伊須氣余理比賣
ひめたたら
いすけよりひめといふ。
後にこの方は名を
ヒメタタラ
イスケヨリ姫と改めました。
〈是者。
惡其富登云事。
後改名者也〉
(こは
その富登といふ事を惡みて、
後に改へつる名なり)
これは
そのホトという事を嫌つて、
後に改めたのです。
     

故是以
謂神御子也。
かれここを以ちて
神の御子とはいふ」
とまをしき。
そういう次第で、
神の御子と申すのです」
と申し上げました。
     

七乙女

     
於是七媛女。  ここに七媛女をとめ、  ある時七人の孃子が
遊行於
高佐士野。
〈佐士二字以音〉
高佐士野
たかさじのに遊べるに、
大和の
タカサジ野で遊んでいる時に、
伊須氣余理比賣
在其中。
伊須氣余理比賣
いすけよりひめその中にありき。
このイスケヨリ姫も
混まじつていました。
爾大久米命。 ここに大久米の命、 そこでオホクメの命が、
見其伊須氣余理比賣而。 その伊須氣余理比賣を見て、 そのイスケヨリ姫を見て、
以歌白於天皇曰。 歌もちて天皇にまをさく、 歌で天皇に申し上げるには、
     
夜麻登能 倭やまとの 大和の國の
多加佐士怒袁 高佐士野を タカサジ野のを
那那由久 七なな行く 七人行く
袁登賣杼母 媛女をとめども、 孃子おとめたち、
多禮袁志摩加牟  誰をしまかむ。 その中の誰をお召しになります。
     

伊須氣
余理比賣者。
 ここに
伊須氣
余理比賣は、
 この
イスケヨリ姫は、
立其媛女等
之前。
その媛女どもの
前さきに立てり。
その時に孃子たちの
前さきに立つておりました。
     
乃天皇見
其媛女等而。
すなはち天皇、
その媛女どもを見て、
天皇は
その孃子たちを御覽になつて、
御心知
伊須氣余理比賣
立於最前。
御心に
伊須氣余理比賣の
最前いやさきに立てることを知らして、
御心に
イスケヨリ姫が
一番前さきに立つていることを知られて、
以歌答曰。 歌もちて答へたまひしく、 お歌でお答えになりますには、
     
加都賀都母 かつがつも まあまあ
伊夜佐岐陀弖流 いや先立てる 一番先に立つている娘こを
延袁斯麻加牟 愛えをしまかむ。 妻にしましようよ。
     

入墨の秘密(黥・ケイ≒刑)

     
爾大久米命。  ここに大久米の命、  ここにオホクメの命が、
以天皇之命。 天皇の命を、 天皇の仰せを
詔其
伊須氣余理比賣之時。
その伊須氣余理比賣に
詔のる時に、
そのイスケヨリ姫に傳えました時に、
見其大久米命

利目而。
その大久米の命の
黥さける
利目とめを見て、
姫はオホクメの命の
眼の裂目さけめに
黥いれずみをしているのを見て
思奇歌曰。 奇あやしと思ひて、
歌ひたまひしく、
不思議に思つて、
     
阿米都都 天地あめつつ 天地間てんちかんの
知杼理麻斯登登 ちどりましとと 千人にん勝まさりの
勇士ゆうしだというに、
那杼佐祁流斗米 など黥さける利目とめ。 どうして目めに
黥いれずみをしているのです。
     
    と歌いましたから、
爾大久米命
答歌曰。
 ここに大久米の命、
答へ歌ひて曰ひしく、
オホクメの命が答えて歌うには、
     
袁登賣爾 媛女に お孃さんに
多陀爾阿波牟登 直ただに逢はむと すぐに逢おうと思つて
和加佐祁流斗米 吾わが黥ける利目とめ 目に黥いれずみをしております。
    と歌いました。
     
故其孃子。  かれその孃子をとめ、 かくてその孃子は
白之仕奉也。 「仕へまつらむ」とまをしき。 「お仕え申しあげましよう」と申しました。
     

サヰ河(サギか)

     
於是其
伊須氣余理比賣命
之家。
ここにその
伊須氣余理比賣の命の家は、
 その
イスケヨリ姫のお家は
在狹井河之上。 狹井さゐ河の上うへにあり。 サヰ河のほとりにありました。
天皇幸行
其伊須氣余理比賣
之許。
天皇、
その伊須氣余理比賣のもとに
幸いでまして、
この姫のもとに
おいでになつて
一宿御寢坐也。 一夜御寢みねしたまひき。 一夜お寢やすみになりました。
     
〈其河謂
佐韋河由者。
(その河を
佐韋河といふ由は、
その河をサヰ河というわけは、
於其河邊
山由理草
多在。
その河の邊に、
山百合草
多くあり。
河のほとりに
山百合やまゆり草が
澤山ありましたから、
故取其
山由理草之名。
かれその
山百合草の名を取りて、
その名を取つて
號佐韋河也。 佐韋河と名づく。 名づけたのです。
山由理草之
本名云佐韋也〉
山百合草の
本の名佐韋といひき)
山百合草のもとの名は
サヰと言つたのです。
     
後其
伊須氣余理比賣。
 後にその
伊須氣余理比賣いすけよりひめ、
後にその姫が
參入宮内之時。 宮内おほみやぬちにまゐりし時に、 宮中に參上した時に、
天皇御歌曰。 天皇、御歌よみしたまひしく、 天皇のお詠みになつた歌は、
     
阿斯波良能 葦原の アシ原の
志祁志岐袁夜邇 しけしき小屋をやに アシの繁つた小屋に
須賀多多美 菅疊すがたたみ スゲの蓆むしろを
伊夜佐夜斯岐弖 いや清さや敷きて、 清らかに敷いて、
和賀布多理泥斯 わが二人寢し。 二人ふたりで寢たことだつたね。
     
然而
阿禮坐之御子名。
 然して
生あれませる御子の名は、
 かくして
お生まれになつた御子は、
日子八井命。 日子八井ひこやゐの命、 ヒコヤヰの命・
次神八井耳命。 次に神八井耳
かむやゐみみの命、
カムヤヰミミの命・
次神沼河耳命。 次に神沼河耳
かむななかはみみの命
カムヌナカハミミの命の
〈三柱〉 三柱。 お三方です。
     

サヤギヌ

     
故天皇崩後。  かれ天皇崩かむあがりまして後に、  天皇がお隱れになつてから、
其庶兄
當藝志美美命。
その庶兄まませ
當藝志美美
たぎしみみの命、
その庶兄ままあにの
タギシミミの命が、
娶其嫡后
伊須氣余理比賣之時。
その嫡后おほぎさき
伊須氣余理比賣に娶あへる時に、
皇后の
イスケヨリ姫と結婚した時に、
將殺
其三弟而。
その三柱の弟おとみこたちを
殺しせむとして、
三人の弟たちを
殺ころそうとして
謀之間。 謀るほどに、 謀はかつたので、
其御祖
伊須氣余理比賣
患苦而。
その御祖みおや
伊須氣余理比賣、
患苦うれへまして、
母君ははぎみの
イスケヨリ姫が
御心配になつて、
以歌。
令知
其御子等。
歌曰。
歌もちて
その御子たちに
知らしめむとして
歌よみしたまひしく、
歌で
この事を御子たちに
お知らせになりました。
その歌は、
     
佐韋賀波用 狹井河よ サヰ河の方から
久毛多知和多理 雲起ちわたり 雲が立ち起つて、
宇泥備夜麻 畝火山 畝傍うねび山の
許能波佐夜藝奴 木の葉さやぎぬ。 樹の葉が騷いでいる。
加是布加牟登須 風吹かむとす。 風が吹き出しますよ。
     
又歌曰。  また歌よみしたまひしく、  
     
宇泥備夜麻 畝火山  畝傍山は
比流波久毛登韋 晝は雲とゐ、 晝は雲が動き、
由布佐禮婆 夕されば 夕暮になれば
加是布加牟登曾 風吹かむとぞ 風が吹き出そうとして
許能波佐夜牙流 木の葉さやげる。 樹の葉が騷いでいる。
     

謀殺

     
於是
其御子聞知而。
 ここに
その御子たち聞き知りて、
 そこで
御子たちがお聞きになつて、
驚乃
爲將殺
當藝志美美之時。
驚きて
當藝志美美を
殺しせむとしたまふ時に、
驚いて
タギシミミを
殺そうとなさいました時に、
     
神沼河耳命。 神沼河耳の命、 カムヌナカハミミの命が、
曰其兄
神八井耳命。
その兄いろせ
神八井耳の命にまをしたまはく、
兄君の
カムヤヰミミの命に、
那泥。
〈此二字以音〉
汝命。
「なね
汝なが命、
「あなたは
持兵入而。 兵つはものを持ちて入りて、 武器を持つてはいつて

當藝志美美。
當藝志美美を殺せたまへ」
とまをしたまひき。
タギシミミをお殺しなさいませ」
と申しました。
     
故持兵入以。 かれ兵つはものを持ちて、 そこで武器を持つて
將殺之時。 入りて殺しせむとする時に、 殺そうとされた時に、
手足
和那那岐弖
〈此五字以音〉
不得殺。
手足
わななきて
え殺せたまはず。
手足が
震えて
殺すことができませんでした。
     
故爾其弟
神沼河耳命。
かれここに
その弟いろと
神沼河耳の命、
そこで
弟のカムヌナカハミミの命が
乞取
其兄所持之兵。
その兄の持てる
兵つはものを乞ひ取りて、
兄君の持つておられる
武器を乞い取つて、
入殺
當藝志美美。
入りて
當藝志美美を殺しせたまひき。
はいつて
タギシミミを殺しました。
     
故亦稱其御名。 かれまた
その御名をたたへて、
そこでまた
御名みなを讚たたえて

建沼河耳命。
建沼河耳
たけぬなかはみみの命
とまをす。
タケヌナカハミミの命
と申し上げます。
     

忌人

     
爾神八井命。  ここに神八井耳の命、  かくてカムヤヰミミの命が
讓弟
建沼河耳命曰。
弟建沼河耳の命に
讓りてまをしたまはく、
弟のタケヌナカハミミの命に
國を讓つて申されるには、
     
吾者不能殺仇。 「吾あは仇をえ殺せず、 「わたしは仇を殺すことができません。
汝命
既得殺仇。
汝なが命は
既にえ殺せたまひぬ。
それをあなたが
殺しておしまいになりました。
故吾雖兄。 かれ吾は兄なれども、 ですからわたしは兄であつても、
不宜爲上。 上かみとあるべからず。 上にいることはできません。
是以汝命爲上。 ここを以ちて汝が命、上とまして、 あなたが天皇になつて
治天下。 天の下治しらしめせ。 天下をお治め遊ばせ。
僕者扶汝命。 僕やつこは汝が命を扶たすけて、 わたしはあなたを助けて
爲忌人而。 忌人いはひびととなりて 祭をする人として
仕奉也。 仕へまつらむ」とまをしたまひき。 お仕え申しましよう」と申しました。
     

系譜

     
故其
日子八井命者。
かれその
日子八井の命は、
そこでその
ヒコヤヰの命は、
〈茨田連。
手嶋連之祖〉
茨田うまらたの連、
手島の連が祖。
茨田うまらたの連むらじ・
手島の連の祖先です。
     
神八井耳命者。 神八井耳の命は、 カムヤヰミミの命は、
〈意富臣。 意富おほの臣四、 意富おおの臣おみ・
小子部連。 小子部ちひさこべの連、 小子部ちいさこべの連・
坂合部連。 坂合部の連、 坂合部の連・
火君。 火の君、 火の君・
大分君。 大分おほきたの君、 大分おおきたの君・
阿蘇君。 阿蘇の君、 阿蘇あその君・
筑紫三家連。 筑紫の三家みやけの連、 筑紫の三家みやけの連・
雀部臣。 雀部さざきべの臣、 雀部さざきべの臣・
雀部造。 雀部の造、 雀部の造みやつこ・
小長谷造。 小長谷をはつせの造、 小長谷おはつせの造・
都祁直。 都祁つげの直、 都祁つげの直あたえ・
伊余國造。 伊余の國の造、 伊余いよの國の造・
科野國造。 科野しなのの國の造、 科野しなのの國の造・
道奧石城國造。 道の奧の石城いはきの國の造、 道の奧の石城いわきの國の造・
常道仲國造。 常道ひたちの仲の國の造、 常道ひたちの仲の國の造・
長狹國造。 長狹の國の造、 長狹ながさの國の造・
伊勢船木直。 伊勢の船木の直、 伊勢の船木ふなきの直・
尾張丹波臣。 尾張の丹波にはの臣、 尾張の丹羽にわの臣・
嶋田臣等之祖也〉 島田の臣等が祖なり。 島田の臣等の祖先です。
     
神沼河耳命者。 神沼河耳の命は カムヌナカハミミの命は、
治天下也。 天の下治しらしめしき。 天下をお治めになりました。
     

最期(神武天皇)

     
凡此
神倭伊波禮毘古天皇。
 およそこの
神倭伊波禮毘古の天皇、
すべてこの
カムヤマトイハレ彦の天皇は、
御年。壹佰參拾漆歳。 御年一百三十七歳
ももちまりみそまりななつ、
御歳おとし百三十七歳、
御陵在
畝火山之北方
白檮尾上也。
御陵みはかは
畝火山の北の方
白檮かしの尾の上にあり。
御陵は
畝傍山の北の方の
白檮かしの尾おの上えにあります。

 

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

綏靖天皇

     
神沼河耳命。  神沼河耳の命、  カムヌナカハミミの命
(綏靖天皇すいせいてんのう)、
坐葛城
高岡宮。
葛城かづらきの
高岡たかをかの宮にましまして、
大和の國の葛城かずらきの
高岡の宮においでになつて
治天下也。 天の下治しらしめしき。 天下をお治め遊ばされました。
     
此天皇。 この天皇、 この天皇、
娶師木縣主之祖。 師木の縣主の祖、 シキの縣主あがたぬしの祖先の
河俣毘賣。 河俣かはまた毘賣に娶あひて、 カハマタ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
師木津日子
玉手見命。
師木津日子玉手見
しきつひこたまでみの命
シキツ彦
タマデミの命
〈一柱〉 一柱。 お一方です。
     
天皇
御年肆拾伍歳。
天皇、
御年四十五歳よそぢあまりいつつ、
天皇は
御年四十五歳、
御陵在
衝田岡也。
御陵は
衝田つきだの岡にあり。
御陵は
衝田つきだの岡にあります。
     
     

安寧天皇

     
師木津日子
玉手見命。
 師木津日子
玉手見の命、
 シキツ彦
タマデミの命(安寧天皇)、
坐片鹽浮穴宮。 片鹽かたしほの
浮穴うきあなの宮にましまして、
大和の片鹽かたしおの
浮穴うきあなの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。
娶河俣毘賣之兄。
縣主殿延之女。
阿久斗比賣。
この天皇、
河俣かはまた毘賣の兄
縣主波延はえが女、
阿久斗あくと比賣に娶あひて、
この天皇は
カハマタ姫の兄の
縣主あがたぬしハエの女の
アクト姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
常根津日子
伊呂泥命。
〈自伊下三字以音〉
常根津日子伊呂泥
とこねつひこいろねの命、
トコネツ彦
イロネの命・
次大倭日子
鉏友命。
次に大倭日子鉏友
おほやまとひこすきともの命、
オホヤマト彦
スキトモの命・
次師木津日子命。 次に師木津日子しきつひこの命。 シキツ彦の命のお三方です。
     
此天皇之御子等。 この天皇の御子等たち この天皇の御子たち
并三柱之中。 并せて、三柱の中、 合わせてお三方の中、
大倭日子
鉏友命者。
大倭日子
鉏友の命は、
オホヤマト彦
スキトモの命は、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めになりました。
     

師木津日子命。之子
次に
師木津日子の命の御子
次に
シキツ彦の命の御子が
二王坐。 二柱ます。 お二方あつて、
一子者。 一柱の子孫は、 お一方の子孫は、
〈伊賀須知之稻置。
那婆理之稻置。
三野之稻置之祖〉
伊賀の須知の稻置いなき、
那婆理の稻置、
三野の稻置が祖なり。
伊賀の須知の稻置いなき・
那婆理なはりの稻置・
三野の稻置の祖先です。
一子。
和知都美命者。
一柱の御子
和知都美
わちつみの命は、
お一方の御子
ワチツミの命は
坐淡道之御井宮。 淡道あはぢの
御井みゐの宮にましき。
淡路の
御井みいの宮においでになり、
故此王。
有二女。
かれこの王みこ、
女むすめ二柱ましき。
姫宮が
お二方おありになりました。
     
兄名
蝿伊呂泥。
兄いろねの名は
繩伊呂泥
はへいろね、
その姉君あねぎみは
ハヘイロネ、
亦名
意富夜麻
登久邇阿禮比賣命。
またの名は
意富夜麻登久邇阿禮
おほやまとくにあれ比賣の命、
またの名は
オホヤマトクニアレ姫の命、
弟名
蝿伊呂杼也。
弟いろとの名は
繩伊呂杼
はへいろとどなり。
妹君は
ハヘイロドです。
     
天皇。
御年肆拾玖歳。
 天皇、御年四拾九歳
よそぢあまりここのつ、
この天皇の
御年四十九歳、
御陵在
畝火山之
美富登也。
御陵は
畝火山の
美富登みほとにあり。
御陵は
畝傍山の
ミホトにあります。
     
     

懿德天皇

     
大倭
日子鉏友命。
 大倭日子鉏友
おほやまと
ひこすきともの命、
 オホヤマト彦
スキトモの命
(懿徳天皇)、

輕之境岡宮。
輕かるの
境岡さかひをかの宮に
ましまして、
大和の輕かるの
境岡さかいおかの宮に
おいでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
此天皇。娶
師木縣主之祖。
賦登麻和訶比賣命。
亦名
飯日比賣命。
この天皇、
師木の縣主の祖、
賦登麻和訶ふとまわか比賣の命、
またの名は
飯日いひひ比賣の命に娶ひて、
この天皇は
シキの縣主あがたぬしの祖先
フトマワカ姫の命、
またの名は
イヒヒ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
御眞津日子
訶惠志泥命。
〈自訶下四字以音〉
御眞津日子訶惠志泥
みまつひこかゑしねの命、
ミマツ彦
カヱシネの命と


多藝志比古命。
〈二柱〉
次に
多藝志比古
たぎしひこの命
二柱。
タギシ彦の命と
お二方です。
     

御眞津日子
訶惠志泥命者。
かれ御眞津日子訶惠志泥
みまつひこ
かゑしねの命は、
この
ミマツ彦
カヱシネの命は
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

當藝志比古命者。
次に
當藝志比古の命は、
次にタギシ彦の命は、
〈血沼之別。
多遲麻之竹別。
葦井之
稻置之祖〉
血沼の別、
多遲麻の竹の別、
葦井の
稻置が祖なり。
血沼ちぬの別わけ・
多遲麻たじまの竹の別・
葦井あしいの
稻置いなきの祖先です。
     
天皇。
御年肆拾伍歳。
 天皇、
御年四十五歳よそぢあまりいつつ、
天皇は御年
四十五歳、
御陵在
畝火山之
眞名子谷上也。
御陵は
畝火山の眞名子谷
まなごだにの上にあり。
御陵は
畝傍山の
マナゴ谷の上にあります。
     
     

孝昭天皇

     
御眞津日子
訶惠志泥命。
 御眞津日子訶惠志泥
みまつひこかゑしねの命、
 ミマツ彦
カヱシネの命(孝昭天皇)、
坐葛城
掖上宮。
葛城の
掖上わきがみの宮にましまして、
大和の葛城の
掖上わきがみの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
此天皇。
娶尾張連之祖。
奧津余曾之妹。
名余曾多本毘賣命。
この天皇、
尾張の連むらじの祖、
奧津余曾おきつよそが妹、
名は余曾多本毘賣よそたほびめの命に娶ひて、
この天皇は
尾張おわりの連の祖先の
オキツヨソの妹
ヨソタホ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
天押帶日子命。 天押帶日子あめおしたらしひこの命、 アメオシタラシ彦の命と
次大倭帶日子
國押人命。
次に大倭帶日子國押人
おほやまとたらしひこくにおしびとの命
オホヤマトタラシ彦
クニオシビトの命と
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
故弟。
帶日子國
忍人命者。
かれ弟いろと
帶日子國押人
たらしひこくに
おしびとの命は、
この
オホヤマトタラシ彦
クニオシビトの命は
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。

天押帶日子命者。
兄いろせ
天押帶日子
あめおしたらしひこの命は、
兄のアメオシタラシ彦の命は、
〈春日臣。 春日の臣、 春日の臣・
大宅臣。 大宅の臣、 大宅おおやけの臣・
粟田臣。 粟田の臣、 粟田の臣・
小野臣。 小野の臣、 小野の臣・
柿本臣。 柿本の臣、 柿本の臣・
壹比韋臣。 壹比韋の臣、 壹比韋いちひいの臣・
大坂臣。 大坂の臣、 大坂の臣・
阿那臣。 阿那の臣、 阿那の臣・
多紀臣。 多紀の臣、 多紀たきの臣・
羽栗臣。 羽栗の臣、 羽栗の臣・
知多臣。 知多の臣、 知多の臣・
牟邪臣。 牟耶の臣、 牟耶むざの臣・
都怒山臣。 都怒山の臣、 都怒つの山の臣・
伊勢飯高君。 伊勢の飯高の君、 伊勢の飯高の君・
壹師君。 壹師の君、 壹師の君・
近淡海國造之祖也〉 近つ淡海の國の造が祖なり。 近つ淡海の國の造の祖先です。
     
天皇
御年玖拾參歳。
 天皇、
御年九十三歳ここのそぢまりみつ、
天皇は
御年九十三歳、
御陵在
掖上
博多山上也。
御陵は
掖上の
博多はかた山の上三にあり。
御陵は
掖上の
博多はかた山の上にあります。
     
     

孝安天皇

     
大倭帶日子
國押人命。
 大倭帶日子國押人
おほやまとたらしひこ
くにおしびとの命、
 オホヤマトタラシ彦
クニオシビトの命
(孝安天皇)、
坐葛城室之
秋津嶋宮。
葛城の室むろの
秋津島あきづしまの宮にましまして、
大和の葛城の室の
秋津島の宮においでになつて
治天下也此天皇。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
娶姪
忍鹿比賣命。
この天皇、
姪忍鹿おしが比賣の命に娶ひて、
この天皇は
姪めいのオシカ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
大吉備諸進命。 大吉備おほきびの
諸進もろすすの命、
オホキビノ
モロススの命と
次大倭根子日子
賦斗邇命。
次に大倭根子日子賦斗邇
おほやまとねこひこ
ふとにの命
オホヤマトネコ彦
フトニの命と
〈二柱。
自賦下三字以音〉
二柱。 お二方です。
故大倭根子日子
賦斗邇命者。
かれ大倭根子日子賦斗邇
おほやまとねこひこふとにの命は、
このオホヤマトネコ彦
フトニの命は
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。
御年壹佰貳拾參歳。
 天皇、
御年一百二十三歳ももちあまりはたちみつ、
天皇は
御年百二十三歳、
御陵在玉手岡上也。 御陵は玉手たまての岡の上へにあり。 御陵は玉手の岡の上にあります。
     
     

孝靈天皇

     
大倭根子日子
賦斗邇命。
 大倭根子日子賦斗邇
おほやまとねこひこふとにの命、
 オホヤマトネコ彦
フトニの命(孝靈天皇)、
坐黒田廬戸宮。 黒田くろだの
廬戸いほどの宮にましまして、
大和の黒田の
廬戸いおとの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
此天皇。娶
十市縣主之祖。
大目之女。
名細比賣命。
この天皇、
十市とをちの縣主の祖、
大目おほめが女、
名は細くはし比賣の命に娶ひて、
この天皇、
トヲチの縣主の祖先の
オホメの女の
クハシ姫の命と結婚して
生御子。
大倭根子日子
國玖琉命。
〈一柱。
玖琉二字以音〉
生みませる御子、
大倭根子日子國玖琉
おほやまとねこひこくにくるの命
一柱。
お生みになつた御子は、
オホヤマトネコ彦
クニクルの命
お一方です。
     
又娶
春日之
千千速眞若比賣。
また春日かすがの
千千速眞若
ちぢはやまわか比賣に娶ひて、
また春日かすがの
チチハヤマワカ姫と結婚して
生御子
千千速比賣命。
〈一柱〉
生みませる御子、
千千速ちぢはや比賣の命
一柱。
お生みになつた御子は、
チチハヤ姫の命
お一方です。
     
又娶
意富夜麻登
玖邇阿禮比賣命。
また
意富夜麻登玖邇阿禮
おほやまと
くにあれ比賣の命に娶ひて、
オホヤマト
クニアレ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
夜麻登
登母母曾毘賣命。
夜麻登登母母曾毘賣
やまと
とももそびめの命、
ヤマト
トモモソ姫の命・

日子刺肩別命。
次に日子刺肩別
ひこさしかたわけの命、
ヒコサシ
カタワケの命・

比古伊
佐勢理毘古命。
次に比古伊佐勢理毘古
ひこいさせりびこの命、
ヒコイ
サセリ彦の命、
亦名
大吉備津日子命。
またの名は
大吉備津日子
おほきびつひこの命、
またの名は
オホキビツ彦の命・


飛羽矢若屋比賣。
次に
倭飛羽矢若屋
やまととびはやわかや比賣
ヤマト
トビハヤワカヤ姫の
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
其阿禮比賣命之弟。
蠅伊呂杼。
またその
阿禮あれ比賣の命の弟、
繩伊呂杼はへいろどに娶ひて、
またそのアレ姫の命の
妹ハヘイロドと結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
日子寤間命。 日子寤間
ひこさめまの命、
ヒコサメマの命と

若日子建
吉備津日子命。
次に
若日子建吉備津日子
わかひこたけきびつひこの命
ワカヒコタケキビツ彦の命と
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
此天皇之御子等。
并八柱。
この天皇の御子たち、
并はせて八柱ませり。
この天皇の御子みこは
合わせて八人にんおいでになりました。
〈男王五。女王三〉 (男王五柱、女王三柱) 男王五人、女王三人です。
     

大倭根子日子
國玖琉命者。
かれ
大倭根子日子國玖琉
おほやまとねこひこくにくるの命は、
 そこで
オホヤマトネコ彦
クニクルの命は
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
大吉備津日子命。 大吉備津日子
おほきびつひこの命と
オホキビツ彦の命と

若建吉備津日子命。
若建吉備津日子
わかたけきびつひこの命とは、
ワカタケキビツ彦の命とは、
二柱相副而。 二柱相副たぐはして、 お二方で
於針間
氷河之前。
針間はりまの
氷ひの河かはの前さきに
播磨はりまの
氷ひの河かわの埼さきに
居忌瓮而。 忌瓮いはひべを居すゑて、 忌瓮いわいべを据すえて
神かみを祭まつり、
針間爲道口 針間を道の口として、 播磨からはいつて
以言向和
吉備國也。
吉備の國を
言向ことむけ和やはしたまひき。
吉備きびの國を平定されました。
     
故此
大吉備津日子命者。
〈吉備上道臣之祖也〉
かれこの
大吉備津日子の命は、
吉備の上つ道の臣が祖なり。
この
オホキビツ彦の命は、
吉備の上の道の臣の祖先です。
次若日子建
吉備津日子命者。
〈吉備
下道臣。笠臣祖〉
次に若日子建
吉備津日子の命は、
吉備の
下つ道の臣、笠の臣が祖なり。
次にワカヒコタケ
キビツ彦の命は、
吉備の
下の道の臣・笠の臣の祖先です。
     
次日子寤間命者。
〈針間
牛鹿臣之祖也〉
次に日子寤間
ひこさめまの命は、
針間はりまの
牛鹿の臣が祖なり。
次にヒコサメマの命は、
播磨の
牛鹿うしかの臣の祖先です。

日子刺肩別命者。
次に日子刺肩別
ひこさしかたわけの命は、
次にヒコサシカタワケの命は、
〈高志之利波臣。 高志こしの利波となみの臣、 高志こしの利波となみの臣・
豐國之國前臣。 豐國の國前の臣、 豐國の國前さきの臣・
五百原君。 五百原の君、 五百原の君・
角鹿海直之祖也〉 角鹿つぬがの濟の直が祖なり。 角鹿の濟わたりの直の祖先です。
     
天皇。
御年壹佰陸歳。
 天皇、
御年一百六歳ももちまりむつ、
天皇は
御年百六歳、
御陵在片岡馬坂上也。 御陵は片岡の馬坂うまさかの上にあり。 御陵は片岡の馬坂うまさかの上にあります。
     
     

孝元天皇

     
大倭根子日子
國玖琉命。
 大倭根子日子國玖琉
おほやまとねこ
ひこくにくるの命、
 オホヤマトネコ彦
クニクルの命
(孝元天皇)、
坐輕之
堺原宮。
輕かるの
堺原さかひはらの宮に
ましまして、
大和の輕の
堺原さかいはらの宮に
おいでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。 この天皇、 この天皇は
娶穂積臣等之祖。 穗積ほづみの臣等が祖、 穗積ほずみの臣等の祖先の
内色許男命妹
〈色許二字以音
下效此〉。
内色許男うつしこをの命が妹、 ウツシコヲの命の妹の
内色許賣命。 内色許賣うつしこめの命に娶ひて、 ウツシコメの命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
大毘古命。 大毘古おほびこの命、 大彦おおびこの命・

少名日子
建猪心命。
次に少名日子建猪心
すくなひこ
たけゐごころの命、
スクナヒコ
タケヰココロの命・

若倭根子日子
大毘毘命。
次に若倭根子日子大毘毘
わかやまとねこひこ
おほびびの命
ワカヤマトネコ彦
オホビビの命の
〈三柱〉 三柱。 お三方です。
     
又娶
内色許男命之女。
また内色許男
うつしこをの命が女、
また
ウツシコヲの命の女の
伊賀迦色許賣命。 伊迦賀色許賣
いかがしこめの命に娶ひて、
イカガシコメの命と
結婚して
生御子
比古布都押之信命。
〈自比至都以音〉
生みませる御子、
比古布都押
ひこふつおしの信まことの命一柱。
お生みになつた御子は
ヒコフツオシノマコトの命
お一方です。
     
又娶
河内青玉之女。
名波邇夜須毘賣。
また
河内の青玉あをたまが女、
名は波邇夜須
はにやす毘賣に娶ひて、
また
河内のアヲタマの女の
ハニヤス姫と結婚して
生御子
建波邇夜須毘古命。
〈一柱〉
生みませる御子、
建波邇夜須毘古
たけはにやすびこの命
一柱。
お生みになつた御子は
タケハニヤス彦の命
お一方です。
此天皇之御子等。
并五柱。
この天皇の御子たち、
并はせて五柱ませり。
この天皇の御子たち
合わせてお五方いつかたおいでになります。
     

若倭根子日子
大毘毘命者。
治天下也。
かれ
若倭根子日子大毘毘
わかやまとねこひこ
おほびびの命は、
天の下治らしめしき。
このうち
ワカヤマトネコ彦
オホビビの命は
天下をお治めなさいました。
其兄大毘古命之子。
建沼河別命者。
〈阿倍臣等之祖〉
その兄大毘古おほびこの命の子、
建沼河別
たけぬなかはわけの命は、
阿部の臣等が祖なり。
その兄、大彦の命の子
タケヌナカハワケの命は
阿部の臣等の祖先です。
     

比古伊那許志別命。
〈自比至士六字以音。
次に比古伊那許士別
ひこいなこじわけの命、
次に
ヒコイナコジワケの命は
此者。膳臣之祖也〉 こは膳の臣が祖なり。 膳かしわでの臣の祖先です。
     
比古布都押之
信命。
比古布都押
ひこふつおしの
信まことの命、
ヒコフツオシノ
マコトの命が、
娶尾張連等之祖。
意富那毘之妹。
〈那毘二字以音〉
葛城之
高千那毘賣。
尾張をはりの連むらじ等が祖、
意富那毘
おほなびが妹、
葛城かづらきの
高千那毘賣たかちなびめに娶ひて、
尾張おわりの連の祖先の
オホナビの妹の
葛城かずらきの
タカチナ姫と結婚して
生子。
味師内宿禰。
〈此者。
山代内臣之祖也〉
生みませる子、
味師内うましうちの宿禰すくね、
こは
山代の内の臣が祖なり。
生んだ子は
ウマシウチの宿禰すくね、
これは山代
やましろの内の臣の祖先です。
     
又娶
木國造之祖。
宇豆比古之妹。
山下影日賣。
また
木きの國くにの造みやつこが祖、
宇豆比古うづひこが妹、
山下影やましたかげ日賣に娶ひて、
また
木の國くにの造みやつこの祖先の
ウヅ彦の妹の
ヤマシタカゲ姫と結婚して
生子
建内宿禰。
生みませる子、
建内たけしうちの宿禰すくね。
生んだ子は
タケシウチの宿禰です。
此建内宿禰之子。
并九。
〈男七。女二〉
この建内の宿禰の子、
并はせて九人ここのたり
(男七柱、女二柱)
このタケシウチの宿禰の子は
合わせて九人にんあります。
男七人女二人です。
     

宿禰

     
波多八代宿禰者。 波多の八代の宿禰は、 その
ハタノヤシロの宿禰は
〈波多臣。 波多の臣、 波多の臣・
林臣。 林の臣、 林の臣・
波美臣。 波美の臣、 波美の臣・
星川臣。 星川の臣、 星川の臣・
淡海臣。 淡海の臣、 淡海の臣・
長谷部君之祖也〉 長谷部の君が祖なり。 長谷部の君の祖先です。
     

許勢
小柄宿禰者。
次に
許勢こせの
小柄をからの宿禰は、
コセノヲカラの宿禰は
〈許勢臣。 許勢の臣、 許勢の臣・
雀部臣。 雀部の臣、 雀部の臣・
輕部臣之祖也〉 輕部の臣が祖なり。 輕部の臣の祖先です。
     
次蘇賀
石河宿禰者。
次に
蘇賀そがの
石河いしかはの宿禰すくねは、
ソガノ
イシカハの宿禰は
〈蘇我臣。 蘇我の臣、 蘇我の臣・
川邊臣。 川邊の臣、 川邊の臣・
田中臣。 田中の臣、 田中の臣・
高向臣。 高向の臣、 高向たかむくの臣・
小治田臣。 小治田の臣、 小治田おはりだの臣・
櫻井臣。 櫻井の臣、 櫻井の臣・
岸田臣等之祖也〉 岸田の臣等が祖なり。 岸田の臣等の祖先です。
     
次平群
都久宿禰者。
次に平群へぐりの
都久つくの宿禰は、
ヘグリノ
ツクの宿禰すくねは、
〈平群臣。 平群の臣、 平群の臣・
佐和良臣。 佐和良の臣、 佐和良の臣・
馬御樴連等祖也〉 馬の御樴みくひの連等が祖なり。 馬の御樴みくひの連等が祖なり。
     
次木角宿禰者。 次に木きの角つのの宿禰は、 キノツノの宿禰すくねは、
〈木臣。 木の臣、 木の臣・
都奴臣。 都奴の臣、 都奴の臣・
坂本臣之祖〉 坂本の臣等が祖なり。 坂本の臣の祖先です。
     
次久米能
摩伊刀比賣。
次に久米くめの
摩伊刀まいと比賣、
次に
クメノマイト姫・
次怒能伊呂比賣。 次に怒のの伊呂いろ比賣、 ノノイロ姫です。
次葛城
長江曾都毘古者。
次に葛城かづらきの
長江ながえの曾都そつ毘古は、
葛城かずらきの
長江ながえのソツ彦は、
〈玉手臣。 玉手の臣、 玉手の臣・
的臣。 的の臣、 的いくはの臣・
生江臣。 生江の臣、 生江の臣・
阿藝那臣等之祖也〉 阿藝那の臣等が祖なり。 阿藝那あきなの臣等の祖先です。
又若子宿禰。 また若子わくごの宿禰は、 次に若子わくごの宿禰すくねは、
〈江野財臣之祖〉 江野の財の臣が祖なり。 江野の財の臣の祖先です。
     
此天皇。
御年伍拾漆歳。
 この天皇、
御年五十七歳いそぢあまりななつ、
この天皇は御年五十七歳、
御陵在
劔池之
中岡上也。
御陵は
劒つるぎの池いけの
中なかの岡をかの上にあり。
御陵ごりようは
劒の池の
中の岡の上にあります。
     
     

開化天皇

     
若倭根子日子
大毘毘命。
 若倭根子日子大毘毘
わかやまとねこひこ
おほびびの命、
 ワカヤマトネコ彦
オホビビの命(開化天皇)、
坐春日之
伊邪河宮。
春日かすがの
伊耶河いざかはの宮
にましまして、
大和の春日の
イザ河の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
此天皇。娶
旦波之
大縣主。
名由碁理之女。
竹野比賣。
この天皇、
旦波たにはの
大縣主おほあがたぬし、
名は由碁理ゆごりが女むすめ、
竹野たかの比賣に娶ひて、
この天皇は、
丹波たんばの
大縣主おおあがたぬし
ユゴリの女の
タカノ姫と結婚して
生御子。
比古由牟須美命。
〈一柱。
此王名以音〉
生みませる御子、
比古由牟須美
ひこゆむすみの命一柱。
お生みになつた御子は
ヒコユムスミの命
お一方です。
     
又娶
庶母
伊迦賀色許賣命。
また
庶母みままはは
伊迦賀色許賣
いかがしこめの命に娶ひて、
また
イカガシコメの命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
御眞木入日子
印惠命。
〈印惠二字以音〉
御眞木入日子印惠
みまきいりひこ
いにゑの命、
ミマキイリ彦
イニヱの命と
次御眞津比賣命。
〈二柱〉
次に御眞津みまつ比賣の命
二柱。
ミマツ姫の命との
お二方です。
     
又娶
丸邇臣之祖。
日子國
意祁都命之妹。
意祁都比賣命。
〈意祁都三字以音〉
また
丸邇わにの臣の祖、
日子國意祁都
ひこくにおけつの命が妹、
意祁都おけつ比賣の命に
娶ひて、
また
丸邇わにの臣の祖先の
ヒコクニオケツの命の妹の
オケツ姫の命と
結婚して
     
生御子。
日子坐王。
〈一柱〉
生みませる御子、
日子坐ひこいますの王
一柱。
お生みになつた御子は
ヒコイマスの王みこ
お一方です。
     
又娶
葛城之
垂見宿禰之女。
鸇比賣。
また葛城かづらきの
垂見たるみの宿禰が女、
鸇わし比賣に娶ひて
また葛城かずらきの
タルミの宿禰の女の
ワシ姫と結婚して
生御子
建豐
波豆羅和氣王。
〈一柱。
自波下五字以音〉

生みませる御子、
建豐波豆羅和氣
たけとよ
はつらわけの王
一柱。
お生みになつた御子は
タケトヨ
ハツラワケの王
お一方です。
     
此天皇之御子等。
并五柱。
〈男王四。女王一〉
この天皇の御子たち、
并はせて五柱
(男王四柱、女王一柱)
合わせて五人
おいでになりました。

御眞木入日子
印惠命者。
治天下也。
かれ
御眞木入日子印惠
みまきいりひこ
いにゑの命は、
天の下治らしめしき。
このうち
ミマキイリ彦
イニヱの命は
天下をお治めなさいました。
     
其兄
比古由牟須美
王之子。
その兄みこのかみ
比古由牟須美
ひこゆむすみの
王の御子、
その兄
ヒコユムスミの
王の御子は、
大筒木垂根王。 大筒木垂根
おほつつきたりねの王、
オホツツキタリネの王と
次讚岐垂根王。
〈二王。
讚岐二字以音〉
次に讚岐垂根
さぬきたりねの王
二柱。
サヌキタリネの王と
お二方で、
此二王之女。
五柱坐也。
この二柱の王の女、
五柱ましき。
この二王の女は
五人ありました。
     
次日子坐王。娶
山代之
荏名津比賣。
亦名
苅幡戸辨。
〈此一字以音〉
次に
日子坐ひこいますの王、
山代やましろの
荏名津えなつ比賣、
またの名は
苅幡戸辨かりはたとべ
に娶ひて
次にヒコイマスの王が
山代やましろの
エナツ姫、
またの名は
カリハタトベ
と結婚して
生子。
大俣王。次
小俣王。次
志夫美宿禰王。
〈三柱〉
生みませる子、
大俣おほまたの王、次に
小俣をまたの王、次に
志夫美しぶみの宿禰すくねの王
三柱。
生んだ子は
オホマタの王と
ヲマタの王と
シブミの宿禰の王と
お三方です。
     
又娶
春日
建國勝戸賣之女。
名沙本之
大闇見戸賣。
また春日かすがの
建國勝戸賣
たけくにかつとめが女、
名は沙本さほの
大闇見戸賣おほくらみとめに娶ひて、
またこの王が春日の
タケクニカツトメの女の
サホの
オホクラミトメと結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子が
沙本毘古王。 沙本毘古さほびこの王、 サホ彦の王・
次袁邪本王。 次に袁耶本をざほの王、 ヲザホの王・
次沙本毘賣命。
亦名佐波遲比賣。
次に沙本さほ毘賣の命、
またの名は佐波遲さはぢ比賣、
サホ姫の命・
(サホ姫の命は
またの名はサハヂ姫で、
〈此沙本毘賣命者。
爲伊久米天皇之后。
(この沙本毘賣の命は
伊久米三の天皇の
后となりたまへり。)
この方は
イクメ天皇の
皇后樣におなりになりました)
自沙本毘古以下
三王名皆以音〉
   
次室毘古王。
〈四柱〉
次に室毘古むろびこの王
四柱。
ムロビコの王の
お四方です。
     
又娶
近淡海之
御上
祝以伊都玖。
〈此三字以音〉
また近ちかつ
淡海あふみの
御上みかみの
祝はふりがもち
いつく、
また近江の國の
御上みかみ山の
神職がお祭する
天之御影神之女。
息長水依比賣。
天あめの御影みかげの神が女、
息長おきながの
水依みづより比賣に娶ひて、
アメノミカゲの神の女
オキナガノミヅヨリ姫と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
丹波
比古多多須
美知能宇斯王。
〈此王名以音〉
丹波たにはの
比古多多須美知能宇斯
ひこたたすみちのうしの王、
丹波ノ
ヒコタタス
ミチノウシの王・


水穂眞若王。
次に
水穗みづほの
眞若まわかの王、
ミヅホノ
マワカの王・

神大根王。
亦名
八瓜
入日子王。
次に
神大根
かむおほねの王、
またの名は
八瓜やつりの
入日子いりひこの王、
カムオホネの王、
またの名は
ヤツリの
イリビコの王・

水穂
五百依比賣。
次に水穗みづほの
五百依いほより比賣、

ミヅホノ
イホヨリ姫・
次御井津比賣。 次に御井津みゐつ比賣 ミヰツ姫の
〈五柱〉 五柱。 五人です。
     
又娶
其母弟。
袁祁都比賣命。
またその母の弟
袁祁都をけつ比賣の命に
娶ひて、
また母の妹
オケツ姫と
結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
山代之
大筒木
眞若王。
山代やましろの
大筒木おほつつきの
眞若まわかの王、
山代の
オホツツキの
マワカの王・
次比古意須王。 次に比古意須ひこおすの王、 ヒコオスの王・
次伊理泥王。 次に伊理泥いりねの王 イリネの王の
〈三柱。此二王名以音〉 三柱。 三人です。
凡日子坐王之子。
并十一王。
およそ日子坐ひこいますの王の子、
并はせて十五王とをまりいつはしら。
すべてヒコイマスの王の御子は
合わせて十五人ありました。
     
故兄
大俣王之子。
かれ兄このかみ
大俣おほまたの王の子、
兄のオホマタの王の子は
曙立王。 曙立あけたつの王、 アケタツの王・
次菟上王。 次に菟上うがかみの王 ウナガミの王の
〈二柱〉 二柱。 二人です。
     
此曙立王者。
〈伊勢之品遲部君。
伊勢之佐那造之祖〉
この曙立あけたつの王は、
伊勢の品遲ほむぢ部、
伊勢の佐那の造が祖なり。
このアケタツの王は、
伊勢の品遲部ほんじべ・
伊勢の佐那の造の祖先です。
     
次菟上王者。
〈比賣陀君之祖〉
菟上うながみの王は、
比賣陀の君が祖なり。
ウナガミの王は、
比賣陀の君の祖先です。
次小俣王者。
〈當麻勾君之祖〉
次に小俣をまたの王は
當麻の勾の君が祖なり。
次にヲマタの王は
當麻たぎまの
勾まがりの君の祖先です。
次志夫美
宿禰王者。
〈佐佐君之祖也〉
次に
志夫美しぶみの
宿禰すくねの王は
佐佐の君が祖なり。
次にシブミの宿禰の王は
佐佐の君の祖先です。
次沙本毘古王者。
〈日下部連。
甲斐國造之祖〉
次に沙本毘古さほびこの王は、
日下部の連、
甲斐の國の造が祖なり。
次にサホ彦の王は
日下部くさかべの連・
甲斐の國の造の祖先です。
次袁邪本王者。
〈葛野之別。
近淡海蚊野之別祖也〉
次に袁耶本をざほの王は、
葛野の別、
近つ淡海の
蚊野の別が祖なり。
次にヲザホの王は
葛野かずのの別・
近つ淡海の
蚊野かやの別の祖先です。
次室毘古王者。
〈若狹之耳別之祖〉
次に室毘古むろびこの王は、
若狹の耳の別が祖なり。
次にムロビコの王は
若狹の耳の別の祖先です。
     
其美知能宇志王。

丹波之
河上之摩須
郎女。
その美知能宇志
みちのうしの王、
丹波たにはの
河上の摩須ますの
郎女いらつめに娶ひて、
そのミチノウシの王が
丹波の
河上のマスの
郎女いらつめと
結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
比婆須比賣命。 比婆須ひばす比賣の命、 ヒバス姫の命・
次眞砥野比賣命。 次に眞砥野まとの比賣の命、 マトノ姫の命・
次弟比賣命。 次に弟おと比賣の命、 オト姫の命・
次朝廷別王。 次に朝廷別みかどわけの王 ミカドワケの王の
〈四柱〉 四柱。 四人です。
     
此朝廷別王者。
〈三川之穂別之祖〉
この朝廷別
みかどわけの王は、
三川の穗の別が祖なり。
このミカドワケの王は、
三川の穗の別の祖先です。
此美知能宇斯王之弟。
水穂眞若王者。
〈近淡海之安直之祖〉
この美知能宇斯みちのうしの王の弟、
水穗みづほの眞若まわかの王は、
近つ淡海の安の直が祖なり。
このミチノウシの王の弟
ミヅホノマワカの王は
近つ淡海の安の直の祖先です。
     
次神大根王者。
〈三野國之
本巣國造。
長幡部連之祖〉
次に神大根かむおほねの王は、
三野の國の造、
本巣の國の造、
長幡部の連が祖なり。
次にカムオホネの王は
三野の國の造・
本巣もとすの國の造・
長幡部ながはたべの連の祖先です。
     
次山代之
大筒木眞若王。娶
同母弟伊理泥王之女。
丹波能
阿治佐波毘賣。
次に山代やましろの
大筒木眞若
おほつつきまわかの王、
同母弟いろせ伊理泥いりねの王が女、
丹波の
阿治佐波あぢさは毘賣に娶ひて、
その山代やましろの
オホツツキマワカの王は
弟君イリネの王の女の
丹波たんばの
アヂサハ姫と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ御子は、
迦邇米雷王。
〈迦邇米三字以音〉
迦邇米雷
かにめいかづちの王、
カニメイカヅチの王です。
     
此王。
娶丹波之
遠津臣之女。
名高材比賣。
この王、
丹波たにはの
遠津とほつの臣が女、
名は高材たかき比賣に娶ひて、
この王が
丹波たんばの
遠津の臣の女の
タカキ姫と結婚して
生子。
息長宿禰王。
生みませる子、
息長おきながの宿禰の王、
生んだ御子は
オキナガの宿禰の王です。
     
此王娶
葛城之
高額比賣。
この王、
葛城かづらきの
高額たかぬか比賣に娶ひて、
この王が
葛城のタカヌカ姫と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ御子が
息長帶比賣命。 息長帶おきながたらし比賣の命、 オキナガタラシ姫の命・
次虚空津比賣命。 次に虚空津そらつ比賣の命、 ソラツ姫の命・
次息長日子王。 次に息長日子おきながひこの王 オキナガ彦の王の
〈三柱。 三柱。 三人です。
此王者。
吉備品遲君。
針間阿宗君之祖〉
この王は
吉備の品遲の君、
針間の阿宗の君が祖なり。
このオキナガ彦の王は、
吉備の品遲ほむじの君・
播磨の阿宗の君の祖先です。
     

又息長宿禰王。
また息長おきながの宿禰の王、 またオキナガの宿禰の王が、

河俣
稻依毘賣。
河俣かはまたの
稻依いなより毘賣に
娶ひて、
カハマタノ
イナヨリ姫と
結婚して
生子。
大多牟坂王。
〈多牟二字以音。
此者。
多遲摩國造之祖也〉
生みませる子、
大多牟坂
おほたむさかの王、
こは
多遲摩の國の造が祖なり。
生んだ子が
オホタムサカの王で、
この方は
但馬たじまの國の造の祖先です。
     
上所謂。
建豐
波豆羅和氣王者。
上かみにいへる
建豐波豆羅和氣
たけとよはづらわけの王は
上に出た
タケトヨ
ハヅラワケの王は、
〈道守臣。 道守の臣、 道守の臣・
忍海部造。 忍海部の造、 忍海部の造・
御名部造。 御名部の造、 御名部の造・
稻羽忍海部。 稻羽の忍海部、 稻羽の忍海部・
丹波之竹野別。 丹波の竹野の別、 丹波の竹野の別・
依網之阿毘古等之祖也〉 依網の阿毘古等が祖なり。 依網よさみの阿毘古等の祖先です。
     
天皇
御年陸拾參歳。
 天皇、
御年六十三歳むそぢまりみつ、
この天皇は
御年六十三歳、
御陵在伊邪河之坂上也。 御陵は伊耶河いざかはの坂の上七にあり。 御陵はイザ河の坂の上にあります。

 

崇神天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子

     
御眞木入日子
印惠命。
 御眞木入日子印惠
みまきいりひこ
いにゑの命、
 イマキイリ彦
イニヱの命
(崇神天皇)、
坐師木水垣宮。 師木しきの
水垣みづかきの宮にましまして、
大和の師木しきの
水垣の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。娶
木國造。
名荒河刀辨之女。
〈刀辨二字以音〉
遠津年魚目
目微比賣。
この天皇、
木の國の造、
名は荒河戸辨
あらかはとべが女、
遠津年魚目目微比賣
とほつあゆめ
まくはしひめに娶ひて、
 この天皇は、
木の國の造の
アラカハトベの女の
トホツアユメ
マクハシ姫と結婚して
ごま2014    
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
豐木入日子命。 豐木入日子とよきいりひこの命、 トヨキイリ彦の命と
次豐鉏入日賣命。 次に豐鉏入日賣
とよすきいりひめの命
トヨスキイリ姫の命
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
尾張連之祖。
意富阿麻比賣。
また尾張をはりの連が祖
意富阿麻おほあま比賣に
娶ひて、
また尾張の連の祖先の
オホアマ姫と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
大入杵命。 大入杵おほいりきの命、 オホイリキの命・
次八坂之入日子命。 次に八坂やさかの入日子いりひこの命、 ヤサカノイリ彦の命・
次沼名木之入日賣命。 次に沼名木ぬなきの入日賣の命、 ヌナキノイリ姫の命・
次十市之入日賣命。 次に十市とをちの入日賣の命 トホチノイリ姫の命の
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
大毘古命之女。
御眞津比賣命。
また大毘古おほびこの命が女、
御眞津みまつ比賣の命に
娶ひて、
また大彦おおびこの命の女の
ミマツ姫の命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
伊玖米入日子
伊沙知命。
〈伊玖米伊沙知
六字以音〉
伊玖米入日子
伊沙知
いくめいりひこ
いさちの命、
イクメイリ彦
イサチの命・
次伊邪能眞若命。
〈自伊至能以音〉
次に伊耶いざの眞若まわかの命、 イザノマワカの命・
次國片比賣命。 次に國片くにかた比賣の命、 クニカタ姫の命・
次千千都久
〈此二字以音〉
和比賣命。
次に千千都久和
ちぢつくやまと比賣の命、
チヂツクヤマト姫の命・
次伊賀比賣命。 次に伊賀いが比賣の命、 イガ姫の命・
次倭日子命。 次に倭日子やまとひこの命。 ヤマト彦の命の
〈六柱〉 六柱 お六方です。
此天皇之御子等。
并十二柱。
〈男王七。女王五也〉
この天皇の御子たち、
并せて十二柱
(男王七、女王五なり)
この天皇の御子たちは
合わせて十二王おいでになりました。
男王七人女王五人です。
     

伊久米伊理毘古
伊佐知命者。
治天下也。
かれ
伊久米伊理毘古伊佐知
いくめいりびこいさちの命は、
天の下治らしめしき。
そのうち
イクメイリ彦
イサチの命は
天下をお治めなさいました。
     
次豐木
入日子命者。
〈上毛野君。
下毛野君等之祖也〉
次に豐木入日子
とよきいりひこの命は、
上つ毛野、
下つ毛野の君等が祖なり。
次にトヨキイリ彦の命は、
上毛野かみつけの・
下毛野の君等の祖先です。
     
妹豐鉏比賣命。
〈拜祭
伊勢大神之宮也〉
妹豐鉏とよすき比賣の命は
伊勢の大神の宮を
拜いつき祭りたまひき。
妹のトヨスキ姫の命は
伊勢の大神宮を
お祭りになりました。
     
次大入杵命者。
〈能登臣之祖也〉
次に大入杵おほいりきの命は、
能登の臣が祖なり。
次にオホイリキの命は
能登の臣の祖先です。
次倭日子命。
〈此王之時。
始而於陵立人垣〉
次に倭日子やまとひこの命は、
この王の時に
始めて陵に人垣を立てたり。
次にヤマト彦の命は、
この王の時に始めて
陵墓に人の垣を立てました。
     

御諸山の大物主による疫病

     
此天皇之御世。  この天皇の御世に  この天皇の御世に、
疫病多起。 「役病えやみ多さはに起り、 流行病が盛んに起つて、
人民死爲盡。 人民おほみたから盡きなむとしき。 人民がほとんど盡きようとしました。
爾天皇愁歎而。 ここに天皇愁歎うれへたまひて、 ここに天皇は、御憂慮遊ばされて、
坐神牀之夜。 神牀かむとこにましましける夜に、 神を祭つてお寢やすみになつた晩に、
大物主大神。 大物主おほものぬしの大神おほかみ、 オホモノヌシの大神が
顯於御夢曰。 御夢に顯はれてのりたまひしく、 御夢に顯れて仰せになるには、
     
是者
我之御心。
「こは
我あが御心なり。
「かように病氣がはやるのは
わたしの心である。
故以
意富多多泥古而。
かれ意富多多泥古
おほたたねこをもちて、
これは
オホタタネコをもつて
令祭我御前者。 我が御前に祭らしめたまはば、 わたしを祭らしめたならば、
神氣不起。 神の氣け起らず、 神のたたりが起らずに
國安平。 國も安平やすらかならむ」
とのりたまひき。
國も平和になるだろう」
と仰せられました。
     
是以
驛使
班于四方。
ここを以ちて、
驛使はゆまづかひを
四方よもに班あかちて、
そこで
急使を
四方に出して
求謂
意富多多泥古
人之時。
意富多多泥古
おほたたねこといふ人を
求むる時に、
オホタタネコという人を
求めた時に、
於河内之美努村。
見得其人
貢進。
河内の美努みのの村に
その人を見得て、
貢たてまつりき。
河内の國のミノの村で
その人を探し出して
奉りました。
     
爾天皇。
問賜之。
汝者誰子也。
ここに天皇問ひたまはく、
「汝いましは誰が子ぞ」
と問ひたまひき。
そこで天皇は
「お前は誰の子であるか」
とお尋ねになりましたから、
答曰。 答へて白さく 答えて言いますには
僕者。 「僕あは  
大物主大神。娶
陶津耳命之女。
活玉依毘賣。
生子。
名櫛御方命之子。
飯肩巣見命之子。
建甕槌命之子。
大物主の大神、
陶津耳すゑつみみの命が女、
活玉依いくたまより毘賣に娶ひて
生みませる子、
名は櫛御方くしみかたの命の子、
飯肩巣見いひがたすみの命の子、
建甕槌たけみかづちの命の子、
「オホモノヌシの神が
スヱツミミの命の女の
イクタマヨリ姫と結婚して
生んだ子は
クシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、
その子がタケミカヅチの命、
僕意
富多多泥古白。
僕やつこ
意富多多泥古」とまをしき。
その子がわたくし
オホタタネコでございます」と申しました。
     
於是天皇
大歡以。
 ここに天皇
いたく歡びたまひて、
そこで天皇が
非常にお歡よろこびになつて
詔之。 詔りたまはく、 仰せられるには、
天下平。 「天の下平ぎ、 「天下が平ぎ
人民榮。 人民おほみたから榮えなむ」
とのりたまひて、
人民が榮えるであろう」
と仰せられて、
即以
意富多多泥古命。
爲神主而。
すなはち
意富多多泥古の命を、
神主かむぬしとして、
このオホタタネコを
神主かんぬしとして
於御諸山。 御諸山に、 ミモロ山で
拜祭。
意富美和之大神前。
意富美和おほみわの大神の御前を
拜いつき祭りたまひき。
オホモノヌシの神を
お祭り申し上げました。
     
又仰
伊迦賀色許男命。
また伊迦賀色許男
いかがしこをの命に仰せて、
イカガシコヲの命に命じて
作天之
八十毘羅訶。
〈此三字以音(也)〉
天の八十平瓮
やそひらかを作り、
祭に使う皿を
澤山作り、
定奉。
天神
地祇之社。
天つ神
地くにつ祇かみの社を
定めまつりたまひき。
天地の神々の社を
お定め申しました。
     
又於宇陀
墨坂神。
また宇陀うだの
墨坂すみさかの神に、
また宇陀うだの
墨坂すみさかの神に
祭赤色
楯矛。
赤色の
楯矛たてほこを祭り、
赤い色の
楯たて矛ほこを獻り、
又於大坂神。 また大坂おほさかの神に、 大坂の神に
祭黒色楯矛。 墨色の楯矛を祭り、 墨の色の楯矛を獻り、
又於
坂之御尾神。
また
坂さかの御尾みをの神、
また坂の上の神や
及河瀬神。 河かはの瀬せの神までに、 河の瀬の神に至るまでに
悉無遺忘。 悉に遺忘おつることなく 悉く殘るところなく
以奉幣帛也。 幣帛ぬさまつりたまひき。 幣帛へいはくを獻りました。
     
因此而。
疫氣悉息。
これに因りて
役えの氣け悉に息やみて、
これによつて
疫病えきびようが止んで
國家安平也。 國家みかど安平やすらぎき。 國家が平安になりました。
     

ミワの由来

     
此謂
意富多多泥古人。
所以知神子者。
 この
意富多多泥古といふ人を、
神の子と知れる所以ゆゑは、
 この
オホタタネコを
神の子と知つた次第は、
     
上所云
活玉依毘賣。
上にいへる活玉依
いくたまより毘賣、
上に述べた
イクタマヨリ姫は
其容姿端正。 それ顏好かりき。 美しいお方でありました。
於是有神壯夫。
其形姿威儀。
於時無比。
夜半之時。
焂忽到來。
ここに壯夫をとこありて、
その形姿かたち威儀よそほひ
時に比たぐひ無きが、
夜半さよなかの時に
たちまち來たり。
ところが形姿かたち
威儀いぎ竝ならびなき
一人の男が
夜中に
たちまち來ました。
     
故相感。
共婚
供住之間。
かれ相感めでて
共婚まぐはひして、
住めるほどに、
そこで互に愛めでて
結婚して
住んでいるうちに、
未經幾時。
其美人妊身。
いまだ幾何いくだもあらねば、
その美人をとめ姙はらみぬ。
何程もないのに
その孃子おとめが姙はらみました。
     
爾父母
恠其妊身之事。
 ここに父母、
その姙はらめる事を怪みて、
そこで父母が
姙娠にんしんしたことを怪しんで、
問其女曰。 その女に問ひて曰はく、 その女に、
汝者自妊。 「汝いましはおのづから姙はらめり。 「お前は自然しぜんに姙娠にんしんした。
無夫
何由妊身乎。
夫ひこぢ無きに
いかにかも姙はらめる」と問ひしかば、
夫が無いのに
どうして姙娠したのか」と尋ねましたから、
答曰。 答へて曰はく、 答えて言うには
有麗美壯夫。
不知其姓名。
「麗うるはしき壯夫をとこの、
その名も知らぬが、
「名も知らない
りつぱな男が
毎夕到來。
共住之間。
夕よごとに來りて
住めるほどに、
夜毎に來て
住むほどに、
自然懷妊。 おのづからに姙はらみぬ」
といひき。
自然しぜんに姙はらみました」
と言いました。
     
是以其父母。 ここを以ちてその父母、 そこでその父母が、
欲知其人。 その人を知らむと欲おもひて、 その人を知りたいと思つて、

其女曰。
その女に
誨をしへつらくは、
その女に
教えましたのは、
以赤土
散床前。
「赤土はにを
床の邊に散らし、
「赤土を
床のほとりに散らし
以閇蘇
〈此二字以音〉
紡麻貫針。
卷子紡麻
へそをを
針に貫ぬきて、
麻絲を
針に貫いてその
刺其衣襴。 その衣の襴すそに刺せ」
と誨をしへき。
着物きものの裾に刺せ」
と教えました。
     
故如教而。 かれ教へしが如して、 依つて教えた通りにして、
旦時見者。 旦時あしたに見れば、 朝になつて見れば、
所著針麻者。 針をつけたる麻をは、 針をつけた麻は
自戸之鉤穴
控通而出。
戸の鉤穴かぎあなより
控ひき通りて出で、
戸の鉤穴かぎあなから
貫け通つて、
唯遺麻者。 ただ遺のこれる麻をは、 殘つた麻は
三勾耳。 三勾みわのみなりき。 ただ三輪だけでした。
爾即知
自鉤穴出之状而。
 ここにすなはち
鉤穴より出でし状を知りて、
そこで
鉤穴から出たことを知つて
從糸尋行者。 絲のまにまに尋ね行きしかば、 絲をたよりに尋ねて行きましたら、
至美和山而。 美和山に至りて、 三輪山に行つて
留神社。 神の社に留まりき。 神の社に留まりました。
故知
其神子。
かれその神の御子なり
とは知りぬ。
そこで神の御子である
とは知つたのです。
     
故因其麻之
三勾遺而。
かれその麻をの
三勾みわ遺のこれるによりて、
その麻の
三輪殘つたのによつて
名其地謂
美和也。
其地そこに名づけて
美和みわといふなり。
其處を三輪と言うのです。
     
〈此意
富多多泥古命者。
この
意富多多泥古の命は、
この
オホタタネコの命は、
神君。 神みわの君、 神みわの君・
鴨君之祖〉 鴨の君が祖なり。 鴨の君の祖先です。
     

東方派兵

     
又此之御世。  またこの御世に、  またこの御世に
大毘古命者。
遣高志道。
大毘古おほびこの命を
高志こしの道みちに遣し、
大彦の命をば
越こしの道に遣し、
其子
建沼河別命者。
その子
建沼河別
たけぬなかはわけの命を
その子の
タケヌナカハワケの命を
遣東方
十二道而。
東ひむがしの方
十二とをまりふた道に遣して、
東方の
諸國に遣して
令和平
其麻都漏波奴
〈自麻下五字以音〉
人等。
その服まつろはぬ
人どもを
言向け和やはさしめ、
從わない人々を
平定せしめ、
又日子坐王者。 また日子坐
ひこいますの王みこをば、
またヒコイマスの王を
遣旦波國。 旦波たにはの國に遣して、 丹波の國に遣して
令殺
玖賀耳之御笠。
〈此人名者也。
玖賀二字以音〉
玖賀耳くがみみの
御笠みかさ
(こは人の名なり)
を殺とらしめたまひき。
クガミミの
ミカサ
という人を
討たしめました。
     

少女の歌

     
故大毘古命。  かれ大毘古おほびこの命、 その大彦の命が
罷往於
高志國之時。
高志こしの國に
罷り往いでます時に、
越の國に
おいでになる時に、
服腰裳
少女。
腰裳こしも服けせる
少女をとめ、
裳もを穿はいた女が
立山代之
幣羅坂而
山代の
幣羅坂へらさかに立ちて、
山城やましろの
ヘラ坂に立つて
歌曰。 歌よみして曰ひしく、 歌つて言うには、
     
古波夜     
美麻紀伊理毘古波夜  御眞木入日子みまきいりびこはや、 御眞木入日子さまは、
美麻紀伊理毘古波夜  御眞木入日子はや、  
意能賀袁袁  おのが命をを  御自分の命を
奴須美斯勢牟登  竊ぬすみ殺しせむと、 人知れず殺そうと、
斯理都斗用 伊由岐多賀比 後しりつ戸とよ い行き違たがひ 背後うしろの入口から行き違ちがい
麻幣都斗用 伊由岐多賀比 前まへつ戸よ い行き違ひ 前の入口から行き違い
宇迦迦波久 斯良爾登  窺はく 知らにと、 窺のぞいているのも知らないで、
美麻紀伊理毘古波夜  御眞木入日子はや。 御眞木入日子さまは。
     
  と歌ひき。 と歌いました。
     
於是
大毘古命。
ここに
大毘古おほびこの命、
そこで
大彦の命が
思怪
返馬。
怪しと思ひて、
馬を返して、
怪しいことを言うと思つて、
馬を返してその孃子に、
問少女曰。 その少女に問ひて曰はく、  
汝所謂之言。
何言。
「汝いましがいへる言は、
いかに言ふぞ」と問ひしかば、
「あなたの言うことは
どういうことですか」と尋ねましたら、
     
爾少女。答曰。
吾勿言。
唯爲詠歌耳。
少女答へて曰はく、
「吾あは言ふこともなし。
ただ歌よみしつらくのみ」といひて、
「わたくしは何も申しません。
ただ歌を歌つただけです」と答えて、
即不見
其所如而。
忽失。
その行く方へも見えずして
忽に失せぬ。
行く方も見せずに
消えてしまいました。
     
故大毘古命。 かれ大毘古の命、 依つて大彦の命は
更還參上。 更に還りまゐ上りて、 更に還つて
請於天皇時。 天皇にまをす時に、 天皇に申し上げた時に、
天皇答詔之。 天皇答へて詔りたまはく、 仰せられるには、
此者爲。
在山代國。
我之庶兄
建波邇安王。
〈波邇二字以音〉
起邪心之
表耳。
「こは
山代の國なる
我が庶兄まませ、
建波邇安
たけはにやすの王の、
邪きたなき心を起せる
表しるしならむ。
「これは思うに、
山城の國に赴任した
タケハニヤスの王が
惡い心を起した
しるしでありましよう。
伯父。 伯父、 伯父上、
興軍
宜行。
軍を興して、
行かさね」
とのりたまひて、
軍を興して
行つていらつしやい」
と仰せになつて、
即副
丸邇臣之祖。
日子國夫玖命
而遣時。
丸邇わにの臣おみの祖、
日子國夫玖
ひこくにぶくの命を副へて、
丸邇わにの臣の祖先の
ヒコクニブクの命を
副えてお遣しになりました、
     
即於
丸邇坂。
遣す時に、
すなはち丸邇坂わにさかに
その時に
丸邇坂わにさかに
居忌瓮而。
忌瓮いはひべを居すゑて、

清淨な瓶を据えてお祭をして
罷往。 罷り往いでましき。 行きました。
     
於是到
山代之
和訶羅河時。
 ここに
山代の
和訶羅わから河に
到れる時に、
 さて山城の
ワカラ河に
行きました時に、

建波邇安王。
興軍待遮。
その
建波邇安の王、
軍を興して、待ち遮り、
果して
タケハニヤスの王が
軍を興して待つており、
各中
挾河而。
對立相挑。
おのもおのも
河を中にはさみて、
對むき立ちて相挑いどみき。
互に河を挾んで
對むかい立つて
挑いどみ合いました。
故號其地。
謂伊杼美。
〈今謂
伊豆美也〉
かれ其地そこに名づけて、
伊杼美いどみといふ。
(今は
伊豆美といふ)
それで其處の名を
イドミというのです。
今では
イヅミと言つております。
     

クソバカマ(クソバカマン達)

     

日子國夫玖命。
乞云
其廂人。
先忌矢可彈。
ここに
日子國夫玖ひこくにぶくの命、
「其方そなたの人
まづ忌矢いはひやを放て」
と乞ひいひき。
ここに
ヒコクニブクの命が
「まず、そちらから
清め矢を放て」
と言いますと、
爾其
建波爾安王
雖射。
不得中。
ここにその
建波邇安の王
射つれども
え中てず。
タケハニヤスの王が
射ましたけれども、
中あてることができませんでした。
     
於是
國夫玖命彈矢者。
即射建波爾安王
而死。
ここに
國夫玖くにぶくの命の放つ矢は、
建波邇安の王を射て
死ころしき。
しかるに
ヒコクニブクの命の放つた矢は
タケハニヤスの王に射中いあてて
死にましたので、
故其軍
悉破而逃散。
かれその軍、
悉に破れて逃げ散あらけぬ。
その軍が
悉く破れて逃げ散りました。
     
爾追迫
其逃軍。
ここにその逃ぐる軍を
追ひ迫せめて、
依つて逃げる軍を
追い攻めて、

久須婆之度時。
久須婆くすばの
渡わたりに到りし時に、
クスバの渡しに
行きました時に、
皆被迫窘而。 みな迫めらえ窘たしなみて、 皆攻め苦しめられたので
屎出
懸於褌。
屎くそ出でて、
褌はかまに懸かりき。
屎くそが出て
褌はかまにかかりました。
故號其地謂
屎褌。
かれ其地そこに名づけて
屎褌くそはかまといふ。
そこで其處の名を
クソバカマというのですが、
今者謂久須婆。 (今は久須婆といふ) 今はクスバと言つております。
     
又遮其逃軍以
斬者。
またその逃ぐる軍を遮りて
斬りしかば、
またその逃げる軍を待ち受けて
斬りましたから、
如鵜浮於河。 鵜のごと河に浮きき。 鵜うのように河に浮きました。
故號其河謂
鵜河也。
かれその河に名づけて、
鵜河といふ。
依つてその河を
鵜河うがわといいます。
     

斬波布理
其軍士故。
また
その軍士いくさびとを
斬り屠はふりき。
また
その兵士を
斬り屠ほおりましたから、
號其地。謂
波布理曾能。
〈自波下五字以音〉
かれ、其地に名づけて
波布理曾能
はふりそのといふ。
其處の名を
ハフリゾノといいます。
     

会津でアエズ(これ以上下らないで)

     
如此平訖。 かく平ことむけ訖へて、 かように平定し終つて、
參上
覆奏。
まゐ上りて
覆かへりごと奏まをしき。
朝廷に參つて
御返事申し上げました。
     
故大毘古命者。  かれ大毘古おほびこの命は、  かくて大彦の命は
隨先命而。 先の命のまにまに、 前の命令通りに
罷行高志國。 高志こしの國に罷り行いでましき。 越の國にまいりました。
爾自東方所遣
建沼河別。
ここに東の方より遣しし
建沼河別
たけぬなかはわけ、
ここに東の方から遣わされた
タケヌナカハワケの命は、
與其父大毘古共。 その父大毘古おほびこと共に、 その父の大彦の命と
往遇于相津。 相津あひづに往き遇ひき。 會津あいずで行き遇いましたから、
故其地謂相津也。 かれ其地そこを相津あひづといふ。 其處を會津あいずというのです。
     

ミマキのミマカリ

     
是以
各和平所
遣之國政
而覆奏。
ここを以ちて
おのもおのも遣さえし國の
政を和やはし言向けて、
覆かへりごと奏まをしき。
ここにおいて、
それぞれに遣わされた國の
政を終えて
御返事申し上げました。
     
爾天下太平。  ここに天の下平ぎ、 かくして天下が平かになり、
人民富榮。 人民おほみたから富み榮えき。 人民は富み榮えました。
     
於是初
令貢
男弓端之調。
女手末之調。
ここに初めて
男をとこの弓端ゆはずの調みつき、
女をみなの手末たなすゑの調を
貢たてまつらしめたまひき。
ここにはじめて
男の弓矢で得た獲物や
女の手藝の品々を
貢たてまつらしめました。
     
故稱其御世。 かれその御世を稱たたへて、 そこでその御世を讚たたえて
謂所知
初國之
御眞木天皇也。
初はつ國知らしし、
御眞木みまきの天皇とまをす。
初めての國をお治めになつた
ミマキの天皇と申し上げます。
     
又是之御世。
作依網池。
またこの御世に、
依網よさみの池を作り、
またこの御世に
依網よさみの池を作り、
亦作輕之
酒折池也。
また輕かるの
酒折さかをりの池を作りき。
また輕かるの
酒折さかおりの池を作りました。
     

最期(崇神天皇)

     
天皇。
御歳壹
佰陸拾捌歳。
 天皇、
御歳一百六十八歳
ももぢあまりむそぢやつ、
天皇は
御年百六十八歳、
  (戊寅の年の
十二月に崩りたまひき)
戊寅つちのえとらの年の
十二月にお隱れになりました。
御陵在
山邊道
勾之岡上也。
御陵は、
山やまの邊べの道みちの
勾まがりの岡をかの上へにあり。
御陵は山の邊の道の
勾まがりの岡の上にあります。

 

垂仁天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子

     
伊久米伊理毘古
伊佐知命。
 伊久米伊理毘古伊佐知
いくめいりびこいさちの命、
 イクメイリ彦
イサチの命(垂仁天皇)、
坐師木玉垣宮。 師木しきの
玉垣たまがきの宮にましまして、
大和の師木しきの
玉垣の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。娶。
沙本毘古命之妹。
佐波遲比賣命。
この天皇、
沙本毘古さほびこの命が妹、
佐波遲さはぢ比賣の命に娶ひて、
この天皇、
サホ彦の命の妹の
サハヂ姫の命と結婚して
生御子。
品牟都和氣命。
〈一柱〉
生みませる御子、
品牟都和氣ほむつわけの命
一柱。
お生うみになつた御子みこは
ホムツワケの命
お一方です。
     
又娶。
旦波比古多多須
美知宇斯王之女。
氷羽州比賣命。
また旦波たにはの
比古多多須美知能宇斯
ひこたたすみちのうしの王が女、
氷羽州ひばす比賣の命に娶ひて、
また丹波たんばの
ヒコタタス
ミチノウシの王の女の
ヒバス姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
印色之
入日子命。
〈印色二字以音〉
印色いにしきの
入日子いりひこの命、
イニシキノ
イリ彦の命・
次大帶日子
淤斯呂和氣命。
〈自淤至氣
五字以音〉
次に大帶日子
淤斯呂和氣
おほたらしひこ
おしろわけの命、
オホタラシ彦
オシロワケの命・
次大中津日子命。 次に大中津日子
おほなかつひこの命、
オホナカツ彦の命・
次倭比賣命。 次に倭やまと比賣の命、 ヤマト姫の命・
次若木入日子命。 次に若木わかきの
入日子いりひこの命
ワカキノイリ彦の命の
〈五柱〉 五柱。 お五方です。
     
又娶。
其氷羽州比賣命之弟。
沼羽田之入毘賣命。
またその
氷羽州ひばす比賣の命が弟、
沼羽田ぬばたの
入いり毘賣の命に娶ひて、
またそのヒバス姫の命の妹、
ヌバタノイリ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
沼帶別命。 沼帶別ぬたらしわけの命、 ヌタラシワケの命・
次伊賀帶日子命 次に伊賀帶日子
いがたらしひこの命
イガタラシ彦の命の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
其沼羽田之
入日賣命之弟。
阿邪美能
伊理毘賣命。
〈此女王名以音〉
またその
沼羽田ぬばたの
入いり日賣の命が弟、
阿耶美あざみの
伊理いり毘賣の命に娶ひて、
またその
ヌバタノ
イリ姫の命の妹の
アザミノ
イリ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
伊許婆夜和氣命。 伊許婆夜和氣
いこばやわけの命、
イコバヤワケの命・

阿邪美都
比賣命。
次に、
阿耶美都
あざみつ比賣の命
アザミツ姫の命の
〈二柱。
此二王名以音〉
二柱。 お二方です。
     

大筒木カグヤ姫の系譜

     
又娶
大筒木垂根王之女。
迦具夜比賣命。
また
大筒木垂根
おほつつきたりねの王が女、
迦具夜かぐや比賣の命に娶ひて、
また
オホツツキタリネの王の女の
カグヤ姫の命と結婚して
生御子。
袁邪辨王。
〈一柱〉
生みませる御子、
袁那辨
をなべの王一柱。
お生みになつた御子は
ヲナベの王
お一方です。
     
又娶
山代大國之
淵之女。
苅羽田刀辨。
〈此二字以音〉
また
山代の大國おほくにの
淵ふちが女、
苅羽田刀辨
かりばたとべに娶ひて、
また
山代やましろの大國おおくにの
フチの女の
カリバタトベと結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
落別王。 落別おちわけの王、 オチワケの王・

五十日帶日子王。
次に
五十日帶日子
いかたらしひこの王、
イカタラシ彦の王・

伊登志別王。
〈伊登志
三字以音〉
次に
伊登志別
いとしわけの王
三柱。
イトシワケの王の
お三方です。
     
又娶
其大國之淵之女。
弟苅羽田刀辨。
また
その大國おほくにの淵ふちが女、
弟苅羽田刀辨
おとかりばたとべに娶ひて、
またその大國のフチの女の
オトカリバタトベと結婚して、
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
石衝別王。 石衝別いはつくわけの王、 イハツクワケの王・
次石衝毘賣命。
亦名
布多遲能
伊理毘賣命。
次に石衝いはつく毘賣の命、
またの名は
布多遲ふたぢの
伊理いり毘賣の命
イハツク姫の命
またの名は
フタヂノ
イリ姫の命の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
凡此天皇之御子等。
十六王。
およそこの天皇の御子等、
十六王とをまりむはしらませり。
すべてこの天皇の皇子たちは
十六王おいでになりました。
〈男王十三。女王三〉 (男王十三柱、女王三柱) 男王十三人、女王三人です。
     
故大帶日子
淤斯呂和氣命者。
治天下也。
 かれ
大帶日子淤斯呂和氣
おほたらしひこ
おしろわけの命は、
天の下治らしめしき。
 その中で
オホタラシ彦
オシロワケの命は、
天下をお治めなさいました。
〈御身長。
一丈二寸。
御脛長四尺一寸也〉
(御身のたけ一丈二寸、
御脛の長さ四尺一寸ましき)
御身おみの長さ一丈二寸、
御脛おんはぎの長さ四尺一寸ございました。
     


印色
入日子命者。
次に
印色いにしきの
入日子いりひこの命は、
次にイニシキノ
イリ彦の命は、
作血沼池。 血沼ちぬの池を作り、 血沼ちぬの池・
又作狹山池。 また狹山さやまの池を作り、 狹山さやまの池を作り、
又作日下之
高津池。
また日下くさかの
高津たかつの池を作りたまひき。
また日下くさかの
高津たかつの池をお作りになりました。
     
又坐
鳥取之
河上宮。
また
鳥取ととりの
河上の宮にましまして、
また
鳥取ととりの
河上かわかみの宮においでになつて
令作
横刀壹仟口。
横刀たち壹仟口ちぢを
作らしめたまひき。
大刀一千振ふりを
お作りになつて、
是奉納
石上神宮。
こを石いその上かみの神宮に
納めまつる。
これを石上いそのかみの神宮じんぐうに
お納おさめなさいました。
即坐其宮。
定河上部也。
すなはちその宮にましまして、
河上部を定めたまひき。
そこでその宮においでになつて
河上部をお定めになりました。
     
次大中津日子命者。 次に大中津日子
おほなかつひこの命は、
次にオホナカツ彦の命は、
〈山邊之別。 山邊の別、 山邊の別・
三枝之別。 三枝の別、 三枝さきくさの別・
稻木之別。 稻木の別、 稻木の別・
阿太之別。 阿太の別、 阿太の別・
尾張國之三野別。 尾張の國の三野の別、 尾張の國の三野の別・
吉備之石无別。 吉備の石旡なしの別、 吉備の石无いわなしの別・
許呂母之別。 許呂母の別、 許呂母ころもの別・
高巣鹿之別。 高巣鹿の別、 高巣鹿たかすかの別・
飛鳥君。 飛鳥の君、 飛鳥の君・
牟禮之別等祖也〉 牟禮の別等が祖なり。 牟禮の別等の祖先です。
     
次倭比賣命者。
〈拜祭
伊勢大神宮也〉
次に倭やまと比賣の命は、
伊勢の大神の宮を
拜いつき祭りたまひき。
次にヤマト姫の命は
伊勢の大神宮を
お祭りなさいました。
     
次伊許婆夜和氣王者。
〈沙本穴太部之
別祖也〉
次に伊許婆夜和氣
いこばやわけの王は、
沙本の穴本あなほ部の
別が祖なり。
次にイコバヤワケの王は、
沙本の穴本部あなほべの
別の祖先です。
     
次阿邪美都比賣命者。
〈嫁稻瀬毘古王〉
次に阿耶美都あざみつ比賣の命は、
稻瀬毘古の王に嫁あひましき。
次にアザミツ姫の命は、
イナセ彦の王に嫁ぎました。
次落別王者。 次に落別おちわけの王は、 次にオチワケの王は、
〈小月之山君。
三川之衣君之祖也〉
小目の山の君、
三川の衣の君が祖なり。
小目おめの山の君・
三川の衣の君の祖先です。
次五十日帶日子王者。 次に五い十日帶日子かたらしひこの王は、 次にイカタラシ彦の王は、
〈春日山君。 春日の山の君、 春日の山の君・
高志池君。 高志の池の君、 高志こしの池の君・
春日部君之祖〉 春日部の君が祖なり。 春日部の君の祖先です。
次伊登志和氣王者。
〈因無子而。
爲子代。定伊都部〉
次に伊登志和氣いとしわけの王は、
子なきに因りて、
子代として、伊登志部を定めき。
次にイトシワケの王は、
子がありませんでしたので、
子の代りとして伊登志部を定めました。
     
次石衝別王者。
〈羽咋君。
三尾君之祖〉
次に石衝別
いはつくわけの王は、
羽咋はくひの君、
三尾の君が祖なり。
次にイハツクワケの王は
羽咋はくいの君・
三尾の君の祖先です。
     
次布多遲能
伊理毘賣命者。
〈爲倭建命之后〉
次に
布多遲ふたぢの
伊理いり毘賣の命は、
倭建の命の后となりたまひき。
次に
フタヂノ
イリ姫の命は
ヤマトタケルの命の妃きさきになりました。
     

サホ彦サホ姫の兄妹物語

     
此天皇。  この天皇、  この天皇、
以沙本毘賣
爲后之時。
沙本さほ毘賣を
后としたまひし時に、
サホ姫を皇后になさいました時に、
沙本毘賣命之兄。 沙本さほ毘賣の命の兄いろせ、 サホ姫の命の兄の
沙本毘古王。 沙本毘古さほびこの王、 サホ彦の王が
問其伊呂妹曰。 その同母妹いろもに問ひて曰はく、 妹に向つて
孰愛
夫與兄歟。
「夫せと兄いろせとは
いづれか愛はしき」
と問ひしかば、
「夫と兄とは
どちらが大事であるか」
と問いましたから、
答曰
愛兄。
答へて曰はく
「兄を愛しとおもふ」
と答へたまひき。
「兄が大事です」
とお答えになりました。
     
爾沙本毘古王
謀曰。
ここに沙本毘古さほびこの王、
謀りて曰はく、
そこでサホ彦の王が
謀をたくらんで、
汝寔思愛我者。 「汝みましまことに
我あれを愛しと思ほさば、
「あなたがほんとうに
わたしを大事にお思いになるなら、
將吾與汝治天下而。 吾と汝と天の下治らさむとす」といひて、 あなたとわたしとで天下を治めよう」と言つて、
即作
八鹽折之
紐小刀。
すなはち八鹽折やしほりの
紐小刀ひもがたなを作りて、
色濃く染めた
紐のついている小刀を
作つて、
授其妹曰。 その妹いろもに授けて
曰はく、
その妹に授けて、
以此小刀
刺殺
天皇之寢。
「この小刀もちて、
天皇の寢みねしたまふを
刺し殺しせまつれ」といふ。
「この刀で
天皇の眠つておいでになるところを
お刺し申せ」と言いました。
     

涙と蛇の夢

     
故天皇。 かれ天皇、 しかるに天皇は
不知其之謀而。 その謀を知しらしめさずて、 その謀をお知り遊ばされず、
枕其后之御膝。 その后の御膝を枕まきて、 皇后の膝を枕として
爲御寢坐也。 御寢したまひき。 お寢やすみになりました。
爾其后。 ここにその后、 そこでその皇后は
以紐小刀。 紐小刀もちて、 紐のついた小刀をもつて
爲刺
其天皇之御頸。
その天皇の御頸おほみくびを
刺しまつらむとして、
天皇のお頸くびを
お刺ししようとして、
三度擧而。 三度擧ふりたまひしかども、 三度振りましたけれども、
不忍哀情。 哀かなしとおもふ情に
え忍あへずして、
哀かなしい情に堪えないで
不能刺頸而。 御頸をえ刺しまつらずて、 お頸をお刺し申さないで、
泣涙
落溢
於御面。
泣く涙、
御面おほみおもに
落ち溢あふれき。
お泣きになる涙が
天皇のお顏の上に
落ち流れました。
     
乃天皇驚起。 天皇驚き起ちたまひて、 そこで天皇が驚いてお起ちになつて、
問其后曰。 その后に問ひてのりたまはく、 皇后にお尋ねになるには、
吾見異夢。 「吾あは異けしき夢いめを見つ。 「わたしは不思議な夢を見た。
從沙本方
暴雨零來。
沙本さほの方かたより、
暴雨はやさめの零ふり來て、
サホの方から俄雨が降つて來て、
急洽吾面。 急にはかに吾が面を沾ぬらしつ。 急に顏を沾ぬらした。
又錦色小蛇。 また錦色の小蛇へみ、 また錦色にしきいろの小蛇が
纒繞我頸。 我が頸に纏まつはりつ。 わたしの頸くびに纏まといついた。
如此之夢。 かかる夢は、 こういう夢は
是有何表也。 こは何の表しるしにあらむ」
とのりたまひき。
何のあらわれだろうか」
とお尋ねになりました。
     

自白

     
爾其后 ここにその后、 そこでその皇后が
以爲不應爭。 爭ふべくもあらじとおもほして、 隱しきれないと思つて
即白天皇言。 すなはち天皇に白して言さく、 天皇に申し上げるには、
妾兄
沙本毘古王。
「妾が兄
沙本毘古さほびこの王、
「わたくしの兄の
サホ彦の王が
問妾曰。
孰愛夫與兄。
妾に、
夫と兄とはいづれか愛はしきと問ひき。
わたくしに、
夫と兄とはどちらが大事かと尋ねました。
是不勝面問 ここに
え面勝たずて、
目の前で尋ねましたので、
故妾答曰
愛兄歟。
かれ妾、
兄を愛しとおもふと答へ曰へば、
仕方しかたがなくて、
兄が大事ですと答えましたところ、
爾誂妾曰。 ここに妾に誂あとらへて曰はく、 わたくしに註文して、
吾與汝共。
治天下。
吾と汝と
天の下を治らさむ。
自分とお前とで
天下を治めるから、
故當殺
天皇云而。
かれ天皇を
殺しせまつれといひて、
天皇を
お殺し申せと言つて、
作八鹽折之
紐小刀。
授妾。
八鹽折やしほりの
紐小刀を作りて
妾に授けつ。
色濃く染めた
紐をつけた小刀を作つて
わたくしに渡しました。
     
是以欲刺。
御頸。
ここを以ちて
御頸を刺しまつらむとして、
そこでお頸をお刺し申そうとして
雖三度擧。 三度擧ふりしかども、 三度振りましたけれども、
哀情忽起。 哀しとおもふ情忽に起りて、 哀かなしみの情がたちまちに起つて
不得刺頸而。 頸をえ刺しまつらずて、 お刺し申すことができないで、
泣涙落。 泣く涙の落ちて、 泣きました涙が
洽於御面。 御面を沾らしつ。 お顏を沾ぬらしました。
必有是表焉。 かならずこの表しるしにあらむ」
とまをしたまひき。
きつとこのあらわれでございましよう」
と申しました。
     

サホ姫の真意

     
爾天皇。
詔之。
 ここに天皇
詔りたまはく、
 そこで天皇は

殆見
欺乎。
「吾は
ほとほとに
欺かえつるかも」
とのりたまひて、
「わたしは
あぶなく
欺あざむかれるところだつた」
と仰せになつて、
乃興軍
撃沙本毘古王之時。
軍を興して、
沙本毘古さほびこの王を撃うちたまふ時に、
軍を起して
サホ彦の王をお撃ちになる時、
其王作
稻城以
待戰。
その王
稻城いなぎを作りて、
待ち戰ひき。
その王が
稻の城を作つて
待つて戰いました。
     
此時
沙本毘賣命。
この時
沙本毘賣さほびめの命、
この時、
サホ姫の命は
不得忍其兄。 その兄にえ忍あへずして、 堪え得ないで、
自後門逃出而。 後しりつ門より逃れ出でて、 後の門から逃げて
納其之稻城。 その稻城いなぎに納いりましき。 その城におはいりになりました。
     
此時
其后妊身。
 この時に
その后姙はらみましき。
 この時に
その皇后は姙娠
にんしんしておいでになり、
於是天皇。 ここに天皇、  
不忍
其后懷妊
その后の、懷姙みませるに
忍へず、
 
及愛重 また愛重めぐみたまへることも、 またお愛し遊ばされていることが
至于三年。 三年になりにければ、 もう三年も經つていたので、
故廻其軍。 その軍を廻かへして 軍を返して、
不急攻迫。 急すむやけくも攻めたまはざりき。 俄にお攻めになりませんでした。
     
如此逗留之間。 かく逗留とどこほる間に、 かように延びている間に
其所妊之御子
既産。
その姙はらめる御子
既に産あれましぬ。
御子がお生まれになりました。
故出其御子。 かれその御子を出して、 そこでその御子を出して
置稻城外。 稻城いなぎの外に置きまつりて、 城の外において、
令白天皇。 天皇に白さしめたまはく、 天皇に申し上げますには、
若此御子矣。 「もしこの御子を、 「もしこの御子をば
天皇之御子所
思看者。
可治賜。
天皇の御子と思ほしめさば、
治めたまふべし」
とまをしたまひき。
天皇の御子と思しめすならば
お育て遊ばせ」
と申さしめました。
     

そこところえず

     
於是天皇。 ここに天皇詔のりたまはく、 ここで天皇は
(詔)雖怨其兄。 「その兄を怨きらひたまへども、 「兄には恨みがあるが、
猶不得忍愛其后。 なほその后を愛しとおもふにえ忍へず」
とのりたまひて、
皇后に對する愛は變らない」
と仰せられて、
故即有
得后之心。
后を得むと
おもふ心ましき。
皇后を得られようとする
御心がありました。
是以
選聚
軍士之中。
力士
輕捷而。
ここを以ちて
軍士いくさびとの中に
力士ちからびとの
輕捷はやきを
選り聚つどへて、
そこで
軍隊の中から
敏捷な人を
選り集めて
宣者。 宣りたまはくは、 仰せになるには、
取其御子之時。 「その御子を取らむ時に、 「その御子を取る時に
乃掠取
其母王。
その母王ははみこをも
掠かそひ取れ。
その母君をも
奪い取れ。
或髮或手。 御髮にもあれ、御手にもあれ、 御髮でも御手でも
當隨取獲而。 取り獲むまにまに、 掴まえ次第に掴んで
掬以控出。 掬つかみて控ひき出でよ」
とのりたまひき。
引き出し申せ」
と仰せられました。
     
爾其后。 ここにその后、 しかるに皇后は
豫知其情。 あらかじめ
その御心を知りたまひて、
あらかじめ
天皇の御心の程をお知りになつて、
悉剃其髮。 悉にその髮を剃りて、 悉く髮をお剃りになり、
以髮覆其頭。 その髮もちてその頭を覆ひ、 その髮でお頭を覆おおい、
亦腐玉緒。 また玉の緒を腐くたして、 また玉の緒を腐らせて
三重纒手。 御手に三重纏まかし、 御手に三重お纏きになり、
且以酒腐御衣。 また酒もちて御衣みけしを腐して、 また酒でお召物を腐らせて、
如全衣服。 全き衣みそのごと
服けせり。
完全なお召物のようにして
著ておいでになりました。
     
如此設備而。 かく設け備へて、 かように準備をして
抱其御子。 その御子を抱うだきて、 御子をお抱きになつて
刺出城外。 城の外にさし出でたまひき。 城の外にお出になりました。
爾其力士等。 ここにその力士ちからびとども、 そこで力士たちが
取其御子。 その御子を取りまつりて、 その御子をお取り申し上げて、
即握其御祖。 すなはちその御祖みおやを
握とりまつらむとす。
その母君をも
お取り申そうとして、
爾。 ここに  
握其御髮者。 その御髮を握とれば、 御髮を取れば
御髮自落。 御髮おのづから落ち、 御髮がぬけ落ち、
握其御手者。 その御手を握とれば、 御手を握れば
玉緒且絶。 玉の緒また絶え、 玉の緒が絶え、
握其御衣者。 その御衣みけしを握とれば、 お召物を握れば
御衣便破。 御衣すなはち破れつ。 お召物が破れました。
是以
取獲其御子。
ここを以ちて
その御子を取り獲て、
こういう次第で
御子を取ることはできましたが、
不得其御祖。 その御祖おやをば
えとりまつらざりき。
母君を
取ることができませんでした。
     
故其軍士等。 かれその軍士ども、 その兵士たちが
還來奏言。 還り來て、奏まをして言さく、 還つて來て申しましたには、
御髮自落。 「御髮おのづから落ち、 「御髮が自然に落ち、
御衣易破。 御衣破れ易く、 お召物は破れ易く、
亦所纒
御手之玉緒。
便絶故。
御手に纏まかせる
玉の緒も
すなはち絶えぬ。
御手に纏いておいでになる
玉の緒も
切れましたので、
不獲御祖。 かれ御祖を獲まつらず、 母君をばお取り申しません。
取得御子。 御子を取り得まつりき」とまをす。 御子は取つて參りました」と申しました。
     
爾天皇。 ここに天皇 そこで天皇は
悔恨而。 悔い恨みたまひて、 非常に殘念がつて、
惡作玉人等。 玉作りし人どもを惡にくまして、 玉を作つた人たちをお憎しみになつて、
皆奪其地。 その地ところをみな奪とりたまひき。 その領地を皆お奪とりになりました。
故諺曰
不得地玉作
也。
かれ諺ことわざに、
地ところ得ぬ玉作り
といふなり。
それで諺ことわざに、
「處ところを得ない玉作たまつくりだ」
というのです。
     

遺言

     
亦天皇。  また天皇、  また天皇が
命詔其后。 その后に命詔みことのりしたまはく、 その皇后に仰せられるには、
言凡子名。 「およそ子の名は、 「すべて子この名は
必母名。 かならず母の名づくるを、 母が附けるものであるが、
何稱
是子之御名。
この子の御名を、何とかいはむ」
と詔りたまひき。
この御子の名前を何としたらよかろうか」
と仰せられました。
爾答白。 ここに答へて白さく、 そこでお答え申し上げるには、
今當火燒
稻城之時而。
火中所生。
「今火の
稻城いなぎを燒く時に、
火ほ中に生あれましつ。
「今稻の城を燒く時に
炎の中でお生まれになりましたから、
故其御名
宜稱
本牟智和氣
御子。
かれその御名は、
本牟智和氣
ほむちわけの御子みこ
とまをすべし」
とまをしたまひき。
その御子のお名前は
ホムチワケの御子と
お附け申しましよう」
と申しました。
     
又命詔。
何爲日足奉。
また命詔したまはく
「いかにして日足ひたしまつらむ」
とのりたまへば、
また
「どのようにしてお育て申そうか」
と仰せられましたところ、
答白。 答へて白さく、  
取御母。 「御母みおもを取り、 「乳母を定め

大湯坐。
若湯坐。
大湯坐おほゆゑ、
若湯坐わかゆゑを
定めて、
御養育掛りを
きめて
宜日足奉。 日足しまつるべし」とまをしたまひき。 御養育申し上げましよう」と申しました。
故隨其后白以。
日足奉也。
かれその后のまをしたまひしまにまに、
日足ひたしまつりき。
依つてその皇后の申されたように
お育て申しました。
     
又問其后曰。 またその后に問ひたまはく、 またその皇后に
汝所堅之
美豆能
小佩者誰解。
〈美豆能三字
以音。(也)〉
「汝みましの堅めし
瑞みづの
小佩をひもは、誰かも解かむ」
「あなたの結び堅めた
衣の紐は誰が解くべきであるか」
  とのりたまひしかば、 とお尋ねになりましたから、
答白。 答へて白さく、  
旦波
比古多多須美智
宇斯王之女。
「旦波たにはの
比古多多須美智能宇斯
ひこたたすみちの
うしの王みこが女、
「丹波の
ヒコタタスミチノ
ウシの王の女の

兄比賣。
弟比賣。
名は
兄比賣えひめ
弟比賣おとひめ、
兄姫えひめ・
弟姫おとひめという
茲二女王。 この二柱の女王ひめみこ、 二人の女王は、
淨公民故。 淨き公民おほみたからにませば、 淨らかな民でありますから
宜使也。 使ひたまふべし」とまをしたまひき。 お使い遊ばしませ」と申しました。
     
然遂
殺其沙本比古王。
然ありて遂に
その沙本比古さほひこの王を
殺とりたまへるに、
かくて遂に
そのサホ彦の王を
討たれた時に、
其伊呂妹
亦從也。
その同母妹いろもも
從ひたまひき。
皇后も
共にお隱れになりました。
     

幼稚なホムチのワケ=あぎ(アレ・いえません)

     
故率遊
其御子之
状者。
 かれその御子を
率ゐて
遊ぶ状さまは、
 かくてその御子を
お連れ申し上げて
遊ぶ有樣は、
在於
尾張之相津。
尾張の相津なる 尾張の相津にあつた
二俣榲。 二俣榲ふたまたすぎを 二俣ふたまたの杉をもつて

二俣小舟而。
二俣小舟ふたまたをぶねに
作りて、
二俣の小舟を
作つて、
持上來以。 持ち上り來て、 持ち上つて來て、

倭之市師池。
輕池。
倭やまとの
市師いちしの池
輕かるの池に浮けて、
大和の
市師いちしの池、
輕かるの池に浮べて
率遊其御子。 その御子を率ゐて遊びき。 遊びました。
     
然是御子 然るにこの御子、 この御子は、
八拳鬚
至于心前。
八拳鬚心前
つかひげ
むなさきに至るまでに
長い鬢が
胸の前に至るまでも
眞事登波受。
〈此三字以音〉
ま言こととはず。 物をしかと仰せられません。
故今
聞高往
鵠之音。
かれ今、
高往く
鵠たづが音を聞かして、
ただ大空を
鶴が鳴き渡つたのを
お聞きになつて
始爲
阿藝登比。
〈自阿下
四字以音〉
始めて
あぎとひ
たまひき。
始めて
「あぎ」と
言われました。
     

追い回り

     
爾遣
山邊之
大鶙。
〈此者人名〉
ここに
山邊やまべの
大鶙おほたか
(こは人の名なり)を遣して、
そこで
山邊やまべの
オホタカという人を
遣つて、
令取其鳥。 その鳥を取らしめき。 その鳥を取らせました。
故是人
追尋其鵠。
かれこの人、
その鵠を追ひ尋ねて、
ここにその人が
鳥を追い尋ねて
自木國
到針間國。
木きの國より
針間はりまの國に到り、
紀の國から
播磨の國に至り、
亦追越
稻羽國。
また追ひて
稻羽いなばの國に越え、
追つて
因幡いなばの國に越えて行き、
即到
旦波國。
多遲麻國。
すなはち
旦波たにはの國
多遲麻たぢまの國に到り、
丹波の國・
但馬の國に行き、
追廻東方。 東の方に追ひ廻りて、 東の方に追い廻つて
到近淡海國。 近ちかつ淡海あふみの國に到り、 近江の國に至り、
乃越三野國。 三野みのの國に越え、 美濃の國に越え、
自尾張國傳以。 尾張をはりの國より傳ひて 尾張の國から傳わつて
追科野國。 科野しなのの國に追ひ、 信濃の國に追い、
遂追到
高志國而。
遂に
高志こしの國に追ひ到りて、
遂に
越こしの國に行つて、
於和那美之
水門張網。
和那美わなみの
水門みなとに網を張り、
ワナミの水門みなとで
罠わなを張つて
取其鳥而。 その鳥を取りて、 その鳥を取つて
持上獻。 持ち上りて獻りき。 持つて來て獻りました。
故號其水門。 かれその水門に名づけて そこでその水門みなとを
謂和那美之
水門也。
和那美わなみの
水門みなとといふなり。
ワナミの
水門とはいうのです。
     

出雲の祟りの夢

     
亦見其鳥者。 またその鳥を見たまへば、 さてその鳥を御覽になつて、
於思物言而。 物言はむと思ほして、 物を言おうとお思いになるが、
如思爾勿言事。 思ほすがごと言ひたまふ事
なかりき。
思い通りに言われることは
ありませんでした。
     
於是
天皇患賜而。
 ここに天皇患へたまひて、  そこで天皇が
御心配遊ばされて
御寢之時。 御寢みねませる時に、 お寢やすみになつている時に、
覺于御夢曰。 御夢に覺さとしてのりたまはく、 御夢に神のおさとしをお得になりました。
修理我宮
如天皇之
御舍者。
「我が宮を、
天皇おほきみの
御舍みあらかのごと
修理をさめたまはば、
それは「わたしの御殿を
天皇の
宮殿のように
造つたなら、
御子
必眞事
登波牟。
〈自登下
三字以音〉
御子
かならずま言ごと
とはむ」
御子が
きつと物を言うだろう」と、
如此覺時。 とかく覺したまふ時に、 かように夢に御覽になつて、
布斗摩邇邇
占相而。
太卜ふとまにに
占うらへて、
そこで太卜ふとまにの法で
占いをして、
求何神之心。 「いづれの神の御心ぞ」
と求むるに、
これはどの神の御心であろうか
と求めたところ、
爾祟。 ここに祟たたりたまふは、 その祟たたりは
出雲大神之御心。 出雲いづもの大神の御心なり。 出雲の大神の御心でした。
     
故其御子令
拜其大神宮。
將遣之時。
かれその御子を、
その大神の宮を
拜をろがましめに
遣したまはむとする時に、
依つてその御子をして
その大神の宮を拜ましめに
お遣りになろうとする時に、
令副誰人者吉。 誰を副たぐへしめば
吉えけむとうらなふに、
誰を副えたら
よかろうかと占いましたら、
爾曙立王
食ト。
ここに曙立あけたつの王
卜うらに食あへり。
アケタツの王が
占いに合いました。
     
故科
曙立王。
かれ曙立あけたつの王に
科おほせて、
依つてアケタツの王に
仰せて
令宇氣比白。
〈宇氣比三字以音〉
うけひ
白さしむらく、
誓言を
申さしめなさいました。
因拜此大神。
誠有驗者。
「この大神を拜むによりて、
誠まことに驗しるしあらば、
「この大神を拜むことによつて
誠にその驗があるならば、
住是鷺巣
池之樹鷺乎。
宇氣比落。
この鷺さぎの巣すの
池の樹に住める鷺を、
うけひ落ちよ」と、
この鷺の巣の
池の樹に住んでいる鷺が
我が誓によつて落ちよ」
如此詔之時。 かく詔りたまふ時に、 かように仰せられた時に
宇氣比
其鷺墮地死。
うけひて
その鷺地つちに墮ちて死にき。
その鷺が池に落ちて死にました。
又詔之
宇氣比活(爾)者。
また「うけひ活け」と詔りたまひき。
ここにうけひしかば、
また「活きよ」と
誓をお立てになりましたら
更活。 更に活きぬ。 活きました。
又在甜白檮
之前
また甜白檮あまがしの
前さきなる
またアマカシの
埼さきの
葉廣熊白檮。 葉廣熊白檮
はびろくまがしを
廣葉のりつぱなカシの木を
令宇氣比枯。
亦令宇氣比生。
うけひ枯らし、
またうけひ生かしめき。
誓を立てて枯らしたり
活かしたりしました。
     
爾名賜。
其曙立王。
謂倭者
師木登美
豐朝倉
曙立王。
〈登美二字以音〉
ここに
その曙立あけたつの王に、
倭やまとは
師木しきの登美とみの
豐朝倉とよあさくらの
曙立あけたつの王といふ名を賜ひき。
それでアケタツの王に、
「大和は師木しき、
登美とみの
豐朝倉とよあさくらの
アケタツの王」
という名前を下さいました。
     

木戸が吉戸と

     

曙立王。
菟上王。
二王。
すなはち
曙立あけたつの王
菟上うながみの王
二王ふたばしらを、
かようにして
アケタツの王と
ウナガミの王と
お二方を
副其御子
遣時。
その御子に副へて
遣しし時に、
その御子に副えて
お遣しになる時に、
自那良戸。 那良戸ならどよりは 奈良の道から行つたならば、
遇跛盲。 跛あしなへ、
盲めしひ遇はむ。
跛ちんばだの
盲めくらだのに遇うだろう。
自大坂戸
亦遇跛盲。
大阪戸よりも
跛あしなへ、盲めしひ遇はむ。
二上ふたかみ山の
大阪の道から行つても
跛や盲に遇うだろう。
唯木戸
是腋月之吉戸
ト而。
ただ木戸ぞ
掖戸わきどの吉き戸
と卜へて、
ただ
紀伊きいの道こそは
幸先さいさきのよい道である
と占うらなつて
出行之時。 いでましし時に、 出ておいでになつた時に、
毎到坐地。 到ります地ところごとに 到る處毎に

品遲部也。
品遲部ほむぢべを
定めたまひき。
品遲部ほむじべの人民を
お定めになりました。
     

夢の展開

     
故到於出雲。  かれ出雲いづもに到りまして、  かくて出雲の國においでになつて、
拜訖大神。 大神おほかみを拜み訖をへて、 出雲の大神を拜み終つて
還上之時。 還り上ります時に、 還り上つておいでになる時に、
肥河之中。 肥ひの河の中に 肥ひの河の中に
作黒巣橋。 黒樔くろすの橋を作り、 黒木の橋を作り、
仕奉假宮
而坐。
假宮を仕へ奉まつりて、
坐まさしめき。
假の御殿を造つて
お迎えしました。
     

出雲國
造之祖。
ここに
出雲いづもの國くにの
造みやつこの祖、
ここに
出雲の
臣の祖先の
名岐比佐都美。 名は岐比佐都美
きひさつみ、
キヒサツミという者が、
餝青葉山而。 青葉の山を餝かざりて、 青葉の作り物を飾り立てて
立其河下。 その河下に立てて、 その河下にも立てて
將獻
大御食之時。
大御食おほみあへ
獻らむとする時に、
御食物を
獻ろうとした時に、
其御子詔言。 その御子詔りたまはく、 その御子が仰せられるには、
     
是於河下。 「この河下に 「この河の下に
如青葉山者。 青葉の山なせるは、 青葉が山の姿をしているのは、
見山非山。 山と見えて山にあらず。 山かと見れば山ではないようだ。
若坐出雲之
石〓[石+司]之
曾宮。
もし出雲いづもの
いはくまの
曾その宮にます、
これは出雲の
いわくまの
曾その宮に
葦原色許男大神
以伊都玖之
祝大廷乎。
問賜也。
葦原色許男
あしはらしこをの大神を
もち齋いつく
祝はふりが大庭にはか」
と問ひたまひき。
お鎭まりになつている
アシハラシコヲの大神を
お祭り申し上げる
神主の祭壇であるか」
と仰せられました。
     
爾所
遣御伴王等。
ここに
御供に遣さえたる
王みこたち、
そこで
お伴に遣された
王たちが
聞歡
見喜而。
聞き歡び
見喜びて、
聞いて歡び、
見て喜んで、
御子者。
坐檳榔之
長穂宮而。
御子は
檳榔あぢまさの
長穗ながほの宮に
ませまつりて、
御子を
檳榔あじまさの
長穗ながほの宮に
御案内して、
貢上
驛使。
驛使
はゆまづかひを
たてまつりき。
急使を奉つて
天皇に奏上致しました。
     

蛇と一宿(ヘビでも人やど!)

     
爾其御子。  ここにその御子、  そこでその御子が
一宿婚
肥長比賣。
肥長ひなが比賣に
一宿ひとよ婚ひたまひき。
一夜
ヒナガ姫と
結婚なさいました。
故竊伺
其美人者。
蛇也。
かれその美人をとめを
竊伺かきまみたまへば、
蛇をろちなり。
その時に孃子を
伺のぞいて御覽になると
大蛇でした。
     
即見畏遁逃。 すなはち見畏みて
遁げたまひき。
そこで見て畏れて
遁げました。
爾其肥長比賣
患光海原。
自船追來。
ここにその肥長ひなが比賣
患うれへて、
海原を光てらして
船より追ひ來く。
ここにそのヒナガ姫は
心憂く思つて、
海上を光らして
船に乘つて追つて來るので
故益。
見畏以。
かれ、ますます見畏みて いよいよ畏れられて、
自山多和。
〈此二字以音〉
山のたわより 山の峠とうげから
引越御船。 御船を引き越して、 御船を引き越させて
逃上行也。 逃げ上りいでましつ。 逃げて上つておいでになりました。
     
於是覆奏言。 ここに覆奏かへりごとまをさく、 そこで御返事申し上げることには、
因拜大神。 「大神を拜みたまへるに因りて、 「出雲の大神を拜みましたによつて、
大御子物詔故。 大御子おほみこ物もの詔のりたまひつ。 大御子が物を仰せになりますから
參上來。 かれまゐ上り來つ」とまをしき。 上京して參りました」と申し上げました。
故天皇歡喜。 かれ天皇歡ばして、 そこで天皇がお歡びになつて、
即返菟上王。 すなはち菟上うながみの王を返して、 ウナガミの王を返して
令造神宮。 神宮を造らしめたまひき。 神宮を造らしめました。
     
於是天皇。 ここに天皇、 そこで天皇は、
因其御子。 その御子に因りて その御子のために

鳥取部。
鳥取部ととりべ、 鳥取部・
鳥甘部。 鳥甘とりかひ、 鳥甘とりかい・
品遲部。 品遲部ほむぢべ、 品遲部ほむじべ・
大湯坐。 大湯坐おほゆゑ、 大湯坐おおゆえ・
若湯坐。 若湯坐わかゆゑを
定めたまひき。
若湯坐をお定めになりました。
     

さがりオチ(自○未遂)

     
又隨
其后之白。
 またその后の白したまひし
まにまに、
 天皇はまたその皇后サホ姫の
申し上げたままに、
喚上
美知能宇斯王之女等。
美知能宇斯
みちのうしの王の女たち、
ミチノウシの王の娘たちの
比婆須比賣命。 比婆須ひばす比賣の命、 ヒバス姫の命・
次弟比賣命。 次に弟おと比賣の命、 弟おと姫の命・
次歌凝比賣命。 次に歌凝うたこり比賣の命、 ウタコリ姫の命・
次圓野比賣命。 次に圓野まとの比賣の命、 マトノ姫の命の
并四柱。 并はせて四柱を
喚上めさげたまひき。
四人を
お召しになりました。
     
然留
比婆須比賣命。
弟比賣命
二柱而。
然れども
比婆須ひばす比賣の命、
弟比賣おとひめの命、
二柱を留めて、
しかるに
ヒバス姫の命・
弟姫の命の
お二方ふたかたはお留めになりましたが、
其弟王二柱者。 その弟王おとみこ二柱は、 妹のお二方は
因甚凶醜。 いと醜きに因りて 醜かつたので、
返送本土。 本もとつ土くにに
返し送りたまひき。
故郷に
返し送られました。
     
於是圓野比賣
慚言。
ここに圓野まとの比賣
慚やさしみて
そこでマトノ姫が耻はじて、
同兄弟之中。 「同兄弟はらからの中に、 「同じ姉妹の中で
以姿醜被還之事。 姿醜みにくきによりて、
還さゆる事、
顏が醜いによつて
返されることは、
聞於隣里。 隣里ちかきさとに聞えむは、 近所に聞えても
是甚慚而。 いと慚やさしきこと」といひて、 耻はずかしい」と言つて、
到山代國之
相樂時。
山代の國の
相樂さがらかに到りし時に、
山城の國の
相樂さがらかに行きました時に
取懸樹枝而
欲死。
樹の枝に取り懸さがりて、
死なむとしき。
木の枝に懸かつて
死のうとなさいました。
故號其地謂
懸木。
かれ其地そこに名づけて、
懸木さがりきといひしを、
そこで其處の名を
懸木さがりきと言いましたのを
今云相樂。 今は相樂さがらかといふ。 今は相樂さがらかと言うのです。
     
又到弟國之時。 また弟國おとくにに到りし時に、 また弟國おとくにに行きました時に
遂墮峻淵而死。 遂に峻ふかき淵に墮ちて、死にき。 遂に峻けわしい淵に墮ちて死にました。
故號其地。 かれ其地そこに名づけて、 そこでその地の名を
謂墮國。 墮國おちくにといひしを、 墮國おちくにと言いましたが、
今云弟國也。 今は弟國といふなり。 今では弟國おとくにと言うのです。
     

時じくのかくの木の実=橘=ミカン=未完

     
又天皇。  また天皇、  また天皇、
以三宅連等之祖。 三宅みやけの連むらじ等が祖、 三宅の連等の祖先の
名多遲麻毛理。 名は多遲摩毛理たぢまもりを、 タヂマモリを
遣常世國。 常世とこよの國に遣して、 常世とこよの國に遣して、
令求
登岐士玖能
迦玖能木實。
〈自登下八字以音〉
時じくの
香かくの
木この實みを
求めしめたまひき。
時じくの
香かぐの
木の實を
求めさせなさいました。

多遲摩毛理。
かれ
多遲摩毛理
たぢまもり、
依つて
タヂマモリが
遂到其國。 遂にその國に到りて、 遂にその國に到つて
採其木實。 その木の實を採りて、 その木を採つて、
以縵八縵。
矛八矛。
縵八縵かげやかげ
矛八矛ほこやほこを、
蔓つるの形になつているもの八本、
矛ほこの形になつているもの八本を
將來之間。 將もち來つる間に、 持つて參りましたところ、
天皇既崩。 天皇既に崩かむあがりましき。 天皇はすでにお隱れになつておりました。
爾多遲摩毛理。 ここに多遲摩毛理たぢまもり、 そこでタヂマモリは

縵四縵。
矛四矛。
縵四縵
矛四矛
かげよかげ
ほこよほこを分けて、
蔓つる四本
矛ほこ四本を分けて
獻于大后。 大后に獻り、 皇后樣に獻り、

縵四縵。
矛四矛。
縵四縵
矛四矛
かげよかげ
ほこよほこを、
蔓四本
矛四本を
獻置天皇之
御陵戸而。
天皇の御陵の戸に
獻り置きて、
天皇の御陵のほとりに獻つて、
擎其木實。 その木の實を擎ささげて、 それを捧げて
叫哭以白。 叫び哭おらびて白さく、 叫び泣いて、
常世國之。
登岐士玖能
迦玖能木實。
持參上侍。
「常世の國の
時じくの香かくの木この實みを
持ちまゐ上りて侍さもらふ」
とまをして
「常世の國の
時じくの香かぐの木の實を
持つて參上致しました」
と申して、
遂叫哭死也。 遂に哭おらび死にき。 遂に叫び死にました。
其登岐士玖能
迦玖能木實者。
是今橘者也。
その時じくの
香かくの木の實は
今の橘なり。
その時じくの
香の木の實というのは、
今のタチバナのことです。
     

最期(垂仁天皇)

     
此天皇。  この天皇、 この天皇は
御年
壹佰伍拾參歳。
御年一百五十三歳
ももちまりいそぢみつ、
御年百五十三歳、
御陵在
菅原之
御立野中也。
御陵は
菅原すがはらの
御立野みたちのの中にあり。
御陵は
菅原の
御立野みたちのの中にあります。
     
又其
大后
比婆須比賣命之時。
 またその
大后おほきさき
比婆須ひばす比賣の命の時、
 またその
皇后
ヒバス姫の命の時に、
定石祝作。 石祝作いしきつくりを定め、 石棺作りをお定めになり、
又定土師部。 また土師部はにしべを
定めたまひき。
また土師部はにしべを
お定めになりました。
此后者。

狹木之
寺間陵也。
この后は
狹木さきの
寺間てらまの陵に
葬をさめまつりき。
この皇后は
狹木さきの
寺間てらまの陵に
お葬り申しあげました。

 

景行天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子

     
大帶日子
淤斯呂和氣天皇。
大帶日子淤斯呂和氣
おほたらしひこ
おしろわけの天皇、
 オホタラシ彦
オシロワケの天皇
(景行天皇)、
坐纒向之
日代宮。
纏向まきむくの
日代ひしろの宮にましまして、
大和の纏向まきむくの
日代ひしろの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。娶
吉備臣等之祖。
若建
吉備津日子之女。

針間之
伊那毘能
大郎女。
この天皇、
吉備きびの臣等の祖、
若建吉備津日子
わかたけきびつひこが女、
名は
針間はりまの
伊那毘いなびの
大郎女おほいらつめに娶ひて、
この天皇、
吉備きびの臣等の祖先の
ワカタケ
キビツ彦の女の
播磨はりまの
イナビの
大郎女おおいらつめと結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
櫛角別王。 櫛角別くしつのわけの王、 クシツノワケの王・
次大碓命。 次に大碓おほうすの命、 オホウスの命・
次小碓命。
亦名
倭男具那命。
〈具那二字以音〉
次に小碓をうすの命、
またの名は
倭男具那やまとをぐなの命、
ヲウスの命
またの名は
ヤマトヲグナの命・
次倭根子命。 次に倭根子やまとねこの命、 ヤマトネコの命・
次神櫛王。 次に神櫛かむくしの王 カムクシの王の
〈五柱〉 五柱。 五王です。
     
又娶
八尺
入日子命之女。
八坂之
入日賣命。
また八尺やさかの
入日子いりひこの命が女、
八坂やさかの
入日賣いりひめの命に娶ひて、
ヤサカノ
イリ彦の命の女むすめ
ヤサカノ
イリ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
若帶日子命。 若帶日子
わかたらしひこの命、
ワカタラシ彦の命・

五百木之
入日子命。
次に
五百木いほきの
入日子いりひこの命、
イホキノイリ彦の命・
次押別命。 次に押別おしわけの命、 オシワケの命・

五百木之
入日賣命。
次に
五百木いほきの
入いり日賣の命、
イホキノイリ姫の命です。
     
又妾之子。 またの妾みめの御子、 またの妾の御子は、
豐戸別王。 豐戸別とよとわけの王、 トヨトワケの王・
次沼代郎女。 次に沼代ぬなしろの郎女いらつめ、 ヌナシロの郎女、
     
又妾之子。 またの妾みめの御子、 またの妾の御子は、
沼名木郎女。 沼名木ぬなきの郎女いらつめ、 ヌナキの郎女・
次香余理比賣命。 次に香余理かぐより比賣の命、 カグヨリ姫の命・
次若木之入日子王。 次に若木わかきの
入日子いりひこの王、
ワカキノイリ彦の王・
次吉備之兄日子王。 次に吉備の兄日子えひこの王、 キビノエ彦の王・
次高木比賣命。 次に高木比賣の命、 タカギ姫の命・
次弟比賣命。 次に弟比賣おとひめの命。 オト姫の命です。
     
又娶。
日向之
美波迦斯毘賣。
また
日向ひむかの
美波迦斯毘賣
みはかしびめに娶ひて、
また日向の
ミハカシ姫と結婚して
生御子。
豐國別王。
生みませる御子、
豐國別とよくにわけの王。
お生みになつた御子は、
トヨクニワケの王です。
     
又娶
伊那毘能
大郎女之弟。
伊那毘能
若郎女。
〈自伊下四字以音〉
また
伊那毘いなびの
大郎女おほいらつめの弟、
伊那毘の
若郎女わかいらつめに娶ひて、
また
イナビの大郎女の妹、
イナビの若郎女と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
眞若王。 眞若まわかの王、 マワカの王・
次日子人之
大兄王。
次に日子人ひこひとの
大兄おほえの王。
ヒコヒトノ
オホエの王です。
     
又娶
倭建命之曾孫。
名須賣伊呂
大中日子王
〈自須至呂
四字以音〉之女。
訶具漏比賣。
また
倭建やまとたけるの命の
曾孫みひひこ
名は須賣伊呂大中
すめいろおほなかつ
日子ひこの王が女、
訶具漏かぐろ比賣に娶ひて
また
ヤマトタケルの命の
曾孫の
スメイロ
オホナカツ彦の王の女の
カグロ姫と結婚して
生御子。
大枝王。
生みませる御子、
大枝おほえの王。
お生みになつた御子は、
オホエの王です。
     

三太子とその他

     
凡此大帶日子
天皇之御子等。
およそこの
大帶日子おほたらしひこの
天皇の御子たち、
すべて天皇の
御子たちは、
所録
廿一王。
録しるせるは
廿一王はたちまりひとはしら、
記したのは
二十一王、
不入記
五十九王。
記さざる
五十九王いそぢまりここのはしら、
記さないのは
五十九王、

八十王
之中。
并はせて
八十王はしら
います中に、
合わせて
八十の御子みこが
おいでになりました中に、
若帶日子命。 若帶日子の命と ワカタラシ彦の命と
與倭建命。 倭建やまとたけるの命、 ヤマトタケルの命と
亦。五百木之
入日子命。
また五百木いほきの
入日子いりひこの命と、
イホキノイリ彦の命と、
此三王。
負太子之名。
この三王みはしらは
太子ひつぎのみこの名を負はし、
このお三方は、
皇太子と申す御名を負われ、
自其餘
七十七王者。
それより餘ほか
七十七王
ななまりななはしらのみこは、
他の七十七王は
悉別賜。
國國之國造。
亦和氣。及稻置。
縣主也。
悉に國國の國の造、
また別わけ、稻置いなぎ、
縣主あがたぬし七に別け賜ひき。
悉く諸國の國の造みやつこ・
別わけ・稻置いなき・
縣主あがたぬし等として
お分け遊ばされました。
     

若帶日子命者。
治天下也。
かれ若帶日子
わかたらしひこの命は、
天の下治らしめしき。
そこでワカタラシ彦の命は
天下をお治めなさいました。
小碓命者。 小碓をうすの命は、 ヲウスの命は
平東西之荒神。 東西の荒ぶる神、 東西の亂暴な神、
及不伏人等也。 また伏まつろはぬ人どもを
平ことむけたまひき。
また服從しない人たちを
平定遊ばされました。
次櫛角別王者。 次に櫛角別くしつのわけの王は、 次にクシツノワケの王は、
〈茨田下連等之祖〉 茨田の下の連等が祖なり。 茨田の下の連等の祖先です。
次大碓命者。 次に大碓おほうすの命は 次にオホウスの命は、
〈守君。
大田君。
嶋田君之祖〉
守の君、
太田の君、
島田の君が祖なり。
守の君・
太田の君・
島田の君の祖先です。
次神櫛王者。 次に神櫛かむくしの王は、 次にカムクシの王は
〈木國之酒部阿比古。 木の國の酒部の阿比古、 木の國の酒部の阿比古・
宇陀酒部之祖〉 宇陀の酒部が祖なり。 宇陀の酒部の祖先です。
次豐國別王者。 次に豐國別とよくにわけの王は、 次にトヨクニワケの王は、
〈日向國造之祖〉 日向の國の造が祖なり。 日向の國の造の祖先です。
     

兄姫と弟姫(エヒメとオトヒメ)

     
於是天皇。  ここに天皇、  ここに天皇は、
聞看定
三野國造之祖。
神大根王之女。

兄比賣。
弟比賣二孃子。
其容姿麗美而。
三野みのの國の造の祖、
大根おほねの王八が女、
名は
兄比賣えひめ
弟比賣おとひめ二孃子ふたをとめ、
それ容姿麗美かほよしと
きこしめし定めて、
三野の國の造の祖先の
オホネの王の女の
兄姫えひめ
弟姫おとひめの
二人の孃子が美しいということを
お聞きになつて、
     
遣其御子
大碓命以喚上。
その御子
大碓おほうすの命を遣して、
喚めし上げたまひき。
その御子の
オホウスの命を遣わして、
お召しになりました。
故其所遣
大碓命。
かれその遣さえたる
大碓の命、
しかるにその遣わされた
オホウスの命が
勿召上而。 召し上げずて、 召しあげないで、
即己自
婚其孃子。
すなはちおのれみづから
その二孃子に婚ひて、
自分が
その二人の孃子と結婚して、
更求他女人。 更に他あだし女をみなを求まぎて、 更に別の女を求めて、
詐名其孃女
而貢上。
その孃子と詐り名づけて
貢上たてまつりき。
その孃子だと僞つて
獻りました。
     
於是天皇。 ここに天皇 そこで天皇は、
知其他嬢。 それ他あだし女を
みななることを知らしめして、
それが別の女であることを
お知りになつて、
恒令經長眼。 恆に長眼を經しめ、 いつも見守らせるだけで、
亦勿婚
而惚也。
また婚あひもせずて、
惚たしなめたまひき。
結婚をしないで
苦しめられました。
     
故其大碓命。 かれその大碓おほうすの命、 それでそのオホウスの命が

兄比賣。生子。
押黒之兄日子王。
兄比賣えひめに娶ひて
生みませる子、
押黒おしくろの兄日子の王。
兄姫と結婚して
生んだ子が
オシクロのエ彦の王で、
     
〈此者。三野之
宇泥須和氣之祖〉
こは三野の
宇泥須和氣が祖なり。
これは三野の
宇泥須うねすの別の祖先です。
亦娶
弟比賣。生子。
押黒弟日子王。
また弟比賣に娶ひて
生みませる子、
押黒の弟日子の王。
また弟姫と結婚して
生んだ子は、
オシクロのオト彦の王で、
〈此者。
牟宜都君等之祖〉
こは
牟宜都の君等が祖なり。
これは
牟宜都むげつの君等の祖先です。
     
此之御世。 この御世に この御世に

田部。
田部たべを定め、 田部を
お定めになり、
又定
東之淡水門。
また東あづまの
淡あはの水門みなとを定め、
また東國の
安房の水門みなとをお定めになり、
又定
膳之大伴部。
また膳かしはでの
大伴部おほともべを定め、
また膳かしわでの
大伴部をお定めになり、
又定
倭屯家。
また倭やまとの
屯家みやけを定めたまひ、
また大和の
役所をお定めになり、
又作坂手池。 また坂手さかての池を作りて、 また坂手の池を作つて
即竹植
其堤也。
すなはちその堤に
竹を植ゑしめたまひき。
その堤に
竹を植えさせなさいました。
     

野蛮で猛

     
天皇詔
小碓命。
 天皇、
小碓をうすの命に詔りたまはく、
 天皇が
ヲウスの命に仰せられるには
何汝兄。 「何とかも汝みましの兄いろせ、 「お前の兄はどうして
於朝夕之
大御食不參出來。
朝あした夕ゆふべの
大御食おほみけにまゐ出來でこざる。
朝夕の
御食事に出て來ないのだ。
專汝
泥疑
教覺。
もはら汝
みましねぎ
教へ覺せ」
と詔りたまひき。
お前が
引き受けて
教え申せ」
と仰せられました。
〈泥疑二字以音。
下效此〉
   
     
如此詔以後。 かく詔りたまひて後、 かように仰せられて
至于五日。 五日に至るまでに、 五日たつても
猶不參出。 なほまゐ出でず。 やはり出て來ませんでした。
爾天皇
問賜小碓命。
ここに天皇、
小碓の命に問ひたまはく、
そこで、天皇が
ヲウスの命にお尋ねになるには
何汝兄。
久不參出。
「何ぞ汝の兄
久しくまゐ出來ざる。
「どうしてお前の兄が
永い間出て來ないのだ。
若有未誨乎。 もしいまだ誨をしへずありや」
と問ひたまひしかば、
もしやまだ教えないのか」
とお尋ねになつたので、
答白。 答へて白さく、 お答えしていうには
既爲泥疑也。 「既にねぎつ」とまをしたまひき。 「もう教えました」と申しました。
又詔。
如何
泥疑之。
また「いかにか
ねぎつる」
と詔りたまひしかば、
また「どのように
教えたのか」
と仰せられましたので、
答白。 答へて白さく、 お答えして
朝署
入廁之時。
「朝署あさけに
厠に入りし時、
「朝早く
厠かわやにおはいりになつた時に、
持捕
搤㧗而。
待ち捕へ
搤つかみ批ひしぎて、
待つていてつかまえて
つかみひしいで、
引闕其枝。 その枝を
引き闕かきて、
手足を折つて
裹薦
投棄。
薦こもにつつみて
投げ棄うてつ」
とまをしたまひき。
薦こもにつつんで
投げすてました」
と申しました。
     

熊襲襲撃

     
於是天皇。  ここに天皇、  そこで天皇は、
惶其御子之。
建荒之情而。
その御子の
建く荒き情を惶かしこみて、
その御子の
亂暴な心を恐れて
詔之。 詔りたまひしく、 仰せられるには
西方有
熊曾建二人。
「西の方に
熊曾建くまそたける二人あり。
「西の方に
クマソタケル二人がある。
是不伏
无禮人等。
これ伏まつろはず、
禮旡ゐやなき人どもなり。
これが服從しない
無禮の人たちだ。
故取其人等。 かれその人どもを取れ」
とのりたまひて、
だからその人たちを殺せ」
と仰せられました。
而遣。 遣したまひき。  
     
當此之時。 この時に當りて、 この時に、
其御髮
結額也。
その御髮みかみを
額ぬかに結はせり。
その御髮を
額で結つておいでになりました。
爾小碓命。 ここに小碓をうすの命、 そこでヲウスの命は、
給其
姨倭比賣命之
御衣御裳。
その姨みをば
倭比賣やまとひめの命の
御衣みそ
御裳みもを給はり、
叔母樣の
ヤマト姫の命の
お衣裳をいただき、
以小劔
納于御懷而
幸行。
劒たちを
御懷ふところに納いれて
いでましき。
劒を
懷にいれて
おいでになりました。
     
故到于
熊曾建之家
見者。
かれ
熊曾建くまそたけるが
家に到りて
見たまへば、
そこで
クマソタケルの
家に行つて
御覽になりますと、
於其家邊。 その家の邊に、 その家のあたりに、
軍圍三重。 軍いくさ三重に圍み、 軍隊が三重に圍んで守り、
作室以居。 室を作りて居たり。 室むろを作つて居ました。
於是
言動爲
御室樂。
ここに
御室樂みむろうたげせむと
言ひ動とよみて、
そこで
新築の祝をしようと
言い騷いで、
設備食物。 食をし物を設まけ備へたり。 食物を準備しました。
故遊行
其傍。
かれその傍あたりを
遊行あるきて、
依つてその近所を
歩いて
待其樂日。 その樂うたげする日を
待ちたまひき。
宴會をする日を
待つておいでになりました。
     

女装で武装(懐刀)

     
爾臨其樂日。 ここにその樂の日になりて、 いよいよ宴會の日になつて、
如童女之髮。
梳垂。
其結御髮。
童女をとめの髮のごと
その結はせる髮を
梳けづり垂れ、
結つておいでになる髮を
孃子の髮のように
梳けずり下げ、
服其姨之
御衣
御裳。
その姨みをばの
御衣みそ
御裳みもを服けして、
叔母樣の
お衣裳をお著つけになつて
既成童女之姿。 既に童女の姿になりて、 孃子の姿になつて
交立女人之中。 女人をみなの中に交り立ちて、 女どもの中にまじり立つて、
入坐其室内。 その室内むろぬちに入ります。 その室の中におはいりになりました。
     
爾熊曾建
兄弟二人。
ここに熊曾建くまそたける
兄弟二人、
ここにクマソタケルの
兄弟二人が、
見感其孃子。 その孃子を見感めでて、 その孃子を見て感心して、
坐於己中而。 おのが中に坐ませて、 自分たちの中にいさせて
盛樂。 盛に樂うたげつ。 盛んに遊んでおりました。
     
故臨其酣時。 かれその酣たけなはなる時になりて、 その宴の盛んになつた時に、
自懷出劔。 御懷より劒を出だし、 命は懷から劒を出し、
取熊曾之
衣衿。
熊曾くまそが
衣の矜くびを取りて、
クマソタケルの
衣の襟を取つて
以劔自
其胸刺通之時。
劒もちて
その胸より刺し通したまふ時に、
劒をもつて
その胸からお刺し通し遊ばされる時に、
其弟建。 その弟おと建たける その弟のタケルが
見畏逃出。 見畏みて逃げ出でき。 見て畏れて逃げ出しました。
     

追至
其室之
椅本。
すなはち
その室の
椅はしの本に
追ひ至りて、
そこで
その室の
階段のもとに
追つて行つて、
取其背。 背の皮を取り 背の皮をつかんで
以劔自尻刺通。 劒を尻より刺し通したまひき。 うしろから劒で刺し通しました。
     

熊襲の名を襲名

     
爾其熊曾建
白言。
ここにその熊曾建
白して曰さく、
ここにそのクマソタケルが
申しますには、
莫動其刀。 「その刀をな動かしたまひそ。 「そのお刀をお動かし遊ばしますな。
僕有白言。 僕やつこ白すべきことあり」
とまをす。
申し上げることがございます」
と言いました。
爾暫許押伏。 ここに暫しまし許して押し伏せつ。 そこでしばらく押し伏せておいでになりました。
於是白言。 ここに白して言さく、  
汝命者誰。 「汝なが命は誰そ」
と白ししかば、
「あなた樣さまはどなたでいらつしやいますか」
と申しましたから、
爾詔。    
吾者
坐纒向之
日代宮。
「吾あは
纏向まきむくの
日代ひしろの宮にましまして、
「わたしは
纏向まきむくの
日代ひしろの宮においで遊ばされて
所知
大八嶋國。
大八島國おほやしまぐに
知しらしめす、
天下を
お治めなされる
大帶日子
淤斯呂和氣天皇
之御子。
大帶日子淤斯呂和氣
おほたらしひこ
おしろわけの天皇
の御子、
オホタラシ彦
オシロワケの天皇の
御子の
名倭男具那王
者也。
名は倭男具那
やまとをぐなの王なり。
ヤマトヲグナの王という者だ。
意禮熊曾建二人。 おれ熊曾建二人、 お前たちクマソタケル二人が

無禮聞看而。
伏まつろはず、
禮ゐやなしと聞こしめして、
服從しないで
無禮だとお聞きなされて、
取殺意禮詔
而遣。
おれを取り殺とれと詔りたまひて、
遣せり」
とのりたまひき。
征伐せよと仰せになつて、
お遣わしになつたのだ」
と仰せられました。
     

野○度:熊襲建<倭建

     
爾其熊曾建白。 ここにその熊曾建白さく、 そこでそのクマソタケルが、
信然也。 「信に然しからむ。 「ほんとうにそうでございましよう。
於西方。 西の方に 西の方に
除吾二人。 吾二人を除おきては、 我々二人を除いては
無建強人。 建たけく強こはき人無し。 武勇の人間はありません。
然於大倭國。 然れども大倭おほやまとの國に、 しかるに大和の國には
益吾二人而。 吾二人にまして 我々にまさつた
建男者坐祁理。 建たけき男は坐いましけり。 強い方がおいでになつたのです。
是以。
吾獻御名。
ここを以ちて吾、
御名を獻らむ。
それでは
お名前を獻上致しましよう。
自今以後。 今よ後、 今からは
應稱
倭建御子。
倭建やまとたけるの御子と
稱へまをさむ」とまをしき。
ヤマトタケルの御子と
申されるがよい」と申しました。
     
是事白訖。 この事白まをし訖へつれば、 かように申し終つて、
即如熟苽
振折而。
すなはち
熟苽ほぞちのごと、
振り拆さきて
熟した瓜を
裂くように裂き
殺也。 殺したまひき。 殺しておしまいになりました。
故自其時。 かれその時より御名を稱へて、 その時からお名前を
稱御名謂倭建命。 倭建やまとたけるの命とまをす。 ヤマトタケルの命と申し上げるのです。
     
然而。 然ありて そうして
還上之時。 還り上ります時に、 還つておいでになつた時に、
山神河神。 山の神河の神 山の神・河の神、
及穴戸神。 また穴戸あなどの神を また海峽の神を
皆言向和而
參上。
みな言向け和やはして
まゐ上りたまひき。
皆平定して
都にお上りになりました。
     

出雲建の悲劇(手がつけられない)

     

入坐出雲國。
 すなはち
出雲の國に入りまして、
 そこで
出雲の國におはいりになつて、
欲殺
其出雲建而。
その出雲いづもの國の建たけるを
殺とらむとおもほして、
そのイヅモタケルを
撃うとうとお思いになつて、
到即結友。 到りまして、
すなはち結交うるはしみしたまひき。
おいでになつて、
交りをお結びになりました。
     
故竊以赤檮。 かれ竊に
赤檮いちひのきもちて、
まずひそかに
赤檮いちいのきで
作詐刀。 詐刀こだちを作りて、 刀の形を作つて
爲御佩。 御佩はかしとして、 これをお佩びになり、

沐肥河。
共に
肥の河に沐かはあみしき。
イヅモタケルとともに
肥ひの河に水浴をなさいました。
     
爾倭建命。 ここに倭建やまとたけるの命、 そこでヤマトタケルの命が
自河先上。 河よりまづ上あがりまして、 河からまずお上りになつて、
取佩
出雲建之
解置横刀而。
出雲建いづもたけるが
解き置ける横刀たちを
取り佩かして、
イヅモタケルが
解いておいた大刀を
お佩きになつて、
詔為易刀。 「易刀たちかへせむ」
と詔りたまひき。
「大刀を換かえよう」
と仰せられました。
故後出雲建。 かれ後に出雲建 そこで後からイヅモタケルが
自河上而。 河より上りて、 河から上つて、
佩倭建命之
詐刀。
倭建の命の
詐刀こだちを佩きき。
ヤマトタケルの命の
大刀を佩きました。
     
於是倭建命。 ここに倭建の命 ここでヤマトタケルの命が、
誂云
伊奢合刀。
「いざ刀合たちあはせむ」
と誂あとらへたまふ。
「さあ大刀を合わせよう」
と挑いどまれましたので、
爾各拔
其刀之時。
かれおのもおのも
その刀を拔く時に、
おのおの
大刀を拔く時に、
出雲建。
不得拔詐刀。
出雲建、
詐刀こだちをえ拔かず、
イヅモタケルは
大刀を拔き得ず、
即倭建命。
拔其刀而。
すなはち倭建の命、
その刀を拔きて、
ヤマトタケルの命は
大刀を拔いて
打殺
出雲建。
出雲建を
打ち殺したまひき。
イヅモタケルを
打ち殺されました。
     
爾御歌曰。 ここに御歌よみしたまひしく、 そこでお詠みになつた歌、
     
夜都米佐須 やつめさす 雲くもの叢むらがり立つ
伊豆毛多祁流賀 出雲建いづもたけるが  出雲いづものタケルが
波祁流多知  佩ける刀たち、 腰にした大刀は、
都豆良佐波麻岐 黒葛つづら多さは纏まき 蔓つるを澤山卷いて
佐味那志爾阿波禮 さ身み無しにあはれ。 刀の身が無くて、きのどくだ。
     
故如此撥治。  かれかく撥はらひ治めて、  かように平定して、
參上
覆奏。
まゐ上りて、
覆奏かへりごとまをしたまひき。
朝廷に還つて
御返事申し上げました。
     

倭建の東征の理由:最凶

     
爾天皇。  ここに天皇、  ここに天皇は、
亦頻詔
倭建命。
また頻しきて
倭建やまとたけるの命に、
また續いて
ヤマトタケルの命に、
言向和平。
東方十二道之
荒夫琉神。
及摩都樓波奴
人等而。
「東の方十二道
とをまりふたみちの荒ぶる神、
また伏まつろはぬ人どもを、
言向け和やはせ」と詔りたまひて、
「東の方の諸國の
惡い神や
從わない人たちを
平定せよ」と仰せになつて、
副吉備臣等之祖。
名御鉏友
耳建日子而。
遣之時。
吉備きびの臣おみ等が祖、
名は御鉏友耳建日子
みすきともみみたけひこを
副へて遣す時に、
吉備きびの臣等の祖先の
ミスキトモ
ミミタケ彦という人を副えて
お遣わしになつた時に、
     

比比羅木之
八尋矛。
比比羅木ひひらぎの
八尋矛やひろぼこを
給ひき。
柊ひいらぎの
長い矛ほこを
賜わりました。
〈比比羅
三字以音〉
   
     
故受命。 かれ命を受けたまはりて、 依つて御命令を受けて
罷行之時。 罷り行いでます時に、 おいでになつた時に、
參入。
伊勢大御神宮。
伊勢の大御神の宮に參りて、 伊勢の神宮に參拜して、
拜神朝廷。 神の朝廷みかどを拜みたまひき。 其處に奉仕して
即白
其姨
倭比賣命者。
すなはちその姨みをば
倭やまと比賣の命に
白したまひしくは、
おいでになつた叔母樣の
ヤマト姫の命に
申されるには、
天皇。
既所以思
吾死乎。
「天皇
既に吾を死ねと
思ほせか、
「父上は
わたくしを死ねと
思つていらつしやるのでしようか、
何撃遣
西方之
惡人等而。
何ぞ、西の方の
惡あらぶる人ひとどもを
撃とりに遣して、
どうして西の方の
從わない人たちを
征伐にお遣わしになつて、
返參上來之間。 返りまゐ上り來し間ほど、 還つてまいりまして
未經幾時。 幾時いくだもあらねば、 まだ間も無いのに、
不賜軍衆。 軍衆いくさびとどもをも賜はずて、 軍卒も下さらないで、
今更
平遣。
東方十二道之
惡人等。
今更に
東の方の十二道の
惡ぶる人どもを
平ことむけに遣す。
更に
東方諸國の
惡い人たちを
征伐するために
お遣わしになるのでしよう。
因此思惟。 これに因りて思へば こういうことによつて思えば、
猶所思看
吾既死焉。
なほ吾を既に死ねと
思ほしめすなり」
とまをして、
やはりわたくしを早く死ねと
思つておいでになるのです」
と申して、
患泣
罷時。
患へ泣きて
罷りたまふ時に、
心憂く思つて泣いて
お出ましになる時に、
     

倭姫の餞別

     
倭比賣命。 倭比賣の命、 ヤマト姫の命が、
賜草那藝劍。
〈那藝二字以音〉
草薙くさなぎの劒たちを賜ひ、 草薙の劒をお授けになり、
亦賜御嚢而。 また御嚢みふくろを賜ひて、 また嚢ふくろをお授けになつて、
詔若有急事。 「もし急とみの事あらば、 「もし急の事があつたなら、
解茲嚢口。 この嚢ふくろの口を解きたまへ」
と詔りたまひき。
この嚢の口をおあけなさい」
と仰せられました。
     

尾張の美夜受比賣

     

到尾張國。
 かれ
尾張の國に到りまして、
 かくて
尾張の國においでになつて、
入坐。
尾張國造之祖。
美夜受比賣之家。
尾張の國の造が祖、
美夜受みやず比賣の家に
入りたまひき。
尾張の國の造みやつこの祖先の
ミヤズ姫の家へ
おはいりになりました。
     
乃雖思將婚。 すなはち婚あはむと
思ほししかども、
そこで結婚なされようと
お思いになりましたけれども、
亦思還上之時
將婚。
また還り上りなむ時に
婚はむと思ほして、
また還つて來た時に
しようとお思いになつて、
期定而。 期ちぎり定めて、 約束をなさつて
幸于東國。 東の國に幸でまして、 東の國においでになつて、
悉言向和平。
山河荒神。
及不伏人等。
山河の荒ぶる神又は
伏はぬ人どもを、
悉に平ことむけ和やはしたまひき。
山や河の亂暴な神たち
または從わない人たちを
悉く平定遊ばされました。
     

焼津の由来

     
故爾到
相武國之時。
かれここに
相武さがむの國に到ります時に、
ここに
相摸の國においで遊ばされた時に、
其國造
詐白。
その國の造、
詐いつはりて白さく、
その國の造が
詐いつわつて言いますには、
於此野中。
有大沼。
「この野の中に大きなる沼あり。 「この野の中に大きな沼があります。
住是沼中之神。 この沼の中に住める神、 その沼の中に住んでいる神は
甚道速振神也。 いとちはやぶる神なり」とまをしき。 ひどく亂暴な神です」と申しました。
     
於是看行其神。 ここにその神を看そなはしに、 依つてその神を御覽になりに、
入坐其野。 その野に入りましき。 その野においでになりましたら、
爾其國造。 ここにその國の造、 國の造が
火著其野。 その野に火著けたり。 野に火をつけました。
     
故知見欺而。 かれ欺かえぬと知らしめして、 そこで欺かれたとお知りになつて、
解開
其姨倭比賣命之所給
嚢口
而見者。
その姨みをば
倭比賣の命の給へる
嚢ふくろの口を解き開けて
見たまへば、
叔母樣の
ヤマト姫の命のお授けになつた
嚢の口を解いてあけて
御覽になりましたところ、
火打有其嚢。 その裏うちに火打あり。 その中に火打ひうちがありました。
     
於是先以
其御刀
苅撥草。
ここにまづ
その御刀みはかしもちて、
草を苅り撥はらひ、
そこでまず
御刀をもつて
草を苅り撥はらい、
以其火打而。 その火打もちて その火打をもつて
打出火。 火を打ち出で、 火を打ち出して、
著向火而。 向火むかへびを著けて こちらからも火をつけて
燒退。 燒き退そけて、 燒き退けて
還出。 還り出でまして、 還つておいでになる時に、
皆切滅。
其國造等。
その國の造どもを
皆切り滅し、
その國の造どもを
皆切り滅し、
即著火燒。 すなはち火著けて、燒きたまひき。 火をつけてお燒きなさいました。
故其地者。
於今謂
燒津也。
かれ今に
燒遣やきづといふ。
そこで今でも
燒津やいずといつております。
     

弟橘比賣の命(の行方)

     
自其入幸。  そこより入り幸いでまして、  其處からおいでになつて、

走水海之時。
走水はしりみづの海を
渡ります時に、
走水はしりみずの海を
お渡りになつた時に
其渡神
興浪。
その渡の神、
浪を興たてて、
その渡わたりの神が
波を立てて
廻船。 御船を廻もとほして、 御船がただよつて
不得進渡。 え進み渡りまさざりき。 進むことができませんでした。
     
爾其后。 ここにその后 その時にお妃の
名弟橘比賣命
白之。
名は弟橘おとたちばな比賣の命の
白したまはく、
オトタチバナ姫の命が
申されますには、
妾易御子而
入海中。
「妾、御子に易かはりて
海に入らむ。
「わたくしが御子に代つて
海にはいりましよう。
御子者。
所遣之政遂
應復奏。
御子は
遣さえし政遂げて、
覆奏かへりごとまをしたまはね」
とまをして、
御子は
命ぜられた任務をはたして
御返事を申し上げ遊ばせ」
と申して
將入海時。 海に入らむとする時に、 海におはいりになろうとする時に、
以菅疊八重。 菅疊すがだたみ八重やへ、 スゲの疊八枚、
皮疊八重。 皮疊かはだたみ八重やへ、 皮の疊八枚、
絁疊八重。 絁疊きぬだたみ八重やへを 絹の疊八枚を
敷于波上而。 波の上に敷きて、 波の上に敷いて、
下坐其上。 その上に下りましき。 その上におおり遊ばされました。
     
於是其暴浪
自伏。
ここにその暴あらき浪
おのづから伏なぎて、
そこでその荒い波が
自然に凪ないで、
御船得進。 御船え進みき。 御船が進むことができました。
     

弟橘の歌の心(逃げ場がない)

     
爾其后
歌曰。
ここにその后の
歌よみしたまひしく、
そこでその妃の
お歌いになつた歌は、
     
佐泥佐斯 さねさし 高い山の立つ
佐賀牟能袁怒邇 相摸さがむの小野をのに 相摸さがみの國の野原で、
毛由流肥能 燃ゆる火の 燃え立つ火の、
本那迦邇多知弖 火ほ中に立ちて、 その火の中に立つて
斗比斯岐美波母 問ひし君はも。 わたくしをお尋ねになつたわが君。
     
故七日之後。  かれ七日なぬかの後に、  かくして七日過ぎての後に、
其后御櫛
依于海邊。
その后の御櫛みぐし
海邊うみべたに依りき。
そのお妃のお櫛が
海濱に寄りました。
乃取其櫛。 すなはちその櫛を取りて、 その櫛を取つて、
作御陵而。
治置也。
御陵みはかを作りて
治め置きき。
御墓を作つて
收めておきました。
     

アヅマの由来(ああ吾が妻)

     
自其
入幸。
 そこより
入り幸いでまして、
 それから
はいつておいでになつて、
悉言向
荒夫琉
蝦夷等。
悉に
荒ぶる
蝦夷えみしどもを言向け、
悉く
惡い
蝦夷えぞどもを平らげ、
亦平和
山河
荒神等而。
また山河の
荒ぶる神どもを
平け和して、
また山河の
惡い神たちを
平定して、
還上幸時。 還り上りいでます時に、 還つてお上りになる時に、
到足柄之
坂本。
足柄あしがらの
坂下もとに到りまして、
足柄あしがらの
坂本に到つて
於食
御粮處。
御粮かれひ
聞きこし食めす處に、
食物を
おあがりになる時に、
其坂神化
白鹿而來立。
その坂の神、
白き鹿かになりて來立ちき。
その坂の神が
白い鹿になつて參りました。
     
爾即
以其咋
遺之蒜片端
待打者。
ここにすなはち
その咋をし
遺のこりの蒜ひるの片端もちて、
待ち打ちたまへば、
そこで
召し上り
殘りのヒルの片端かたはしをもつて
お打ちになりましたところ、
中其目。 その目に中あたりて、 その目にあたつて
乃打殺也。 打ち殺しつ。 打ち殺されました。
     
故登立其坂。 かれその坂に登り立ちて、 かくてその坂にお登りになつて
三歎。 三たび歎かして 非常にお歎きになつて、
詔云。 詔りたまひしく、  
阿豆麻波夜。
〈自阿下
五字以音。(也)〉
「吾嬬あづまはや」
と詔りたまひき。
「わたしの妻はなあ」
と仰せられました。
故號其國謂
阿豆麻也。
かれその國に名づけて
阿豆麻あづまといふなり。
それからこの國を
吾妻あずまとはいうのです。
     

東のみやつこ:月日経る歌

     
即自其國越。  すなはちその國より越えて、  その國から越えて
出甲斐

酒折宮之時。
甲斐に出でて、
酒折さかをりの宮に
まします時に
甲斐に出て、
酒折さかおりの宮に
おいでになつた時に、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いなされるには、
     
邇比婆理 新治にひばり 常陸の新治にいはり・
都久波袁須疑弖 筑波つくはを過ぎて、 筑波つくばを過すぎて
伊久用加泥都流 幾夜か宿ねつる。 幾夜いくよ寢ねたか。
     
爾其
御火燒之老人。
 ここにその
御火燒みひたきの老人おきな、
 ここにその
火ひを燒たいている老人が
續御歌以歌曰。 御歌に續ぎて歌よみして曰ひしく、 續いて、
     
迦賀那倍弖 かがなべて 日數ひかず重かさねて、
用邇波許許能用 夜には九夜ここのよ 夜よは九夜ここのよで
比邇波登袁加袁 日には十日を。 日ひは十日とおかでございます。
     
  と歌ひき。 と歌いました。
     
是以譽其老人。 ここを以ちてその老人を譽めて、 そこでその老人を譽めて、
即給東國造也。 すなはち
東あづまの
國くにの造みやつこを給ひき。
吾妻あずまの國の造になさいました。
     

美夜受比賣の歌:月経の歌

     
自其國越
科野國
 その國より
科野しなのの國に越えまして、
 かくてその國から
信濃の國にお越えになつて、
乃言向
科野之坂神而。
科野の坂の神を言向けて、 そこで
信濃の坂の神を平らげ、
還來尾張國。 尾張の國に還り來まして、 尾張の國に還つておいでになつて、
入坐
先日所期
美夜受比賣之許。
先の日に期ちぎりおかしし
美夜受みやず比賣のもとに
入りましき。
先に約束しておかれた
ミヤズ姫のもとに
おはいりになりました。
     
於是獻
大御食之時。
ここに大御食おほみけ
獻る時に、
ここで御馳走を
獻る時に、
其美夜受比賣。 その美夜受みやず比賣、 ミヤズ姫が
捧大御酒盞以獻。 大御酒盞さかづきを捧げて獻りき。 お酒盃を捧げて獻りました。
爾美夜受比賣。 ここに美夜受みやず比賣、 しかるにミヤズ姫の
於意須比之襴
〈意須比三字以音〉
著月經。
その襲おすひの襴すそに
月經さはりのもの著きたり。
打掛うちかけの裾に
月の物がついておりました。
故見其月經
御歌曰。
かれその月經を見そなはして、
御歌よみしたまひしく、
それを御覽になつて
お詠み遊ばされた歌は、
     
比佐迦多能。 ひさかたの 仰あおぎ見る
阿米能迦具夜麻。 天あめの香山かぐやま 天あめの香具山かぐやま
斗迦麻邇。 利鎌とかまに  鋭するどい鎌のように
佐和多流久毘。 さ渡る鵠くび、 横ぎる白鳥はくちよう。
比波煩曾。 弱細ひはぼそ  そのようなたおやかな
多和夜賀比那袁。 手弱たわや腕かひなを 弱腕よわうでを
麻迦牟登波 阿禮波須禮杼 枕まかむとは 吾あれはすれど 抱だこうとは わたしはするが、
佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼 さ寢ねむとは 吾あれは思おもへど 寢ねようとは わたしは思うが
那賀祁勢流。 汝なが著けせる あなたの著きている
意須比能須蘇爾。 襲おすひの襴すそに 打掛うちかけの裾に
都紀多知邇祁理。 月立ちにけり。 月つきが出ているよ。
     
爾美夜受比賣。  ここに美夜受みやず比賣、  そこでミヤズ姫が、
答御歌曰。 御歌に答へて
歌よみして曰ひしく、
お歌にお答えして
お歌いなさいました。
     
多迦比迦流。 高光る  照り輝く
比能美古。 日の御子 日のような御子みこ樣
夜須美斯志。 やすみしし 御威光すぐれた
和賀意富岐美。 吾わが大君、 わたしの大君樣。
阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 あら玉の 年が來經きふれば、 新しい年が來て過ぎて行けば、
阿良多麻能 都紀波岐閇由久 あら玉の 月は來經往きへゆく。 新しい月は來て過ぎて行きます。
宇倍那宇倍那。 うべなうべな ほんとうにまあ
岐美麻知賀多爾。 君待ちがたに、 あなた樣をお待ちいたしかねて
和賀祁勢流。 吾わが著けせる わたくしのきております
意須比能須蘇爾。 襲おすひの裾すそに 打掛の裾に
都紀多多那牟余。 月立たなむよ。 月も出るでございましようよ。
     
故爾御合而。  かれここに御合ひしたまひて、  そこで御結婚遊ばされて、
以其御刀之
草那藝劔置
其美夜受比賣之許而。
その御刀みはかしの
草薙の劒たちを、
その美夜受みやず比賣のもとに置きて、
その佩びておいでになつた
草薙の劒を
ミヤズ姫のもとに置いて、
取伊服岐能山之神
幸行。
伊服岐いぶきの山の神を
取りに幸でましき。
イブキの山の神を
撃ちにおいでになりました。
     

イサメの猪神

     
於是詔。
茲山神者。
徒手直取而。
 ここに詔りたまひしく、
「この山の神は
徒手むなでに直ただに取りてむ」
とのりたまひて、
 そこで
「この山の神は
空手からてで取つて見せる」
と仰せになつて、
騰其山之時。 その山に騰のぼりたまふ時に、 その山にお登りになつた時に、
白猪逢于
山邊。
山の邊に
白猪逢へり。
山のほとりで
白い猪に逢あいました。
其大如牛。 その大きさ牛の如くなり。 その大きさは牛ほどもありました。
爾爲言擧而詔。 ここに言擧して詔りたまひしく、 そこで大言して、
是化白猪者。 「この白猪になれるは、 「この白い猪になつたものは
其神之使者。 その神の使者つかひにあらむ。 神の從者だろう。
雖今不殺。 今殺とらずとも、 今殺さないでも
還時將殺而。 還らむ時に殺とりて還りなむ」
とのりたまひて
還る時に殺して還ろう」
と仰せられて、
騰坐。 騰りたまひき。 お登りになりました。
於是
零大氷雨。
ここに
大氷雨おほひさめを零ふらして、
そこで山の神が
大氷雨だいひよううを降らして
打惑倭建命。 倭建の命を打ち惑はしまつりき。 ヤマトタケルの命を打ち惑わしました。
     
〈此化白猪者。 (この白猪に化れるは、 この白い猪に化けたものは、
非其神之使者。 その神の使者にはあらずて、 この神の從者ではなくして、
當其神之正身。 その神の正身なりしを、 正體であつたのですが、
因言擧 言擧したまへるによりて、 命が大言されたので
見惑也〉 惑はさえつるなり) 惑わされたのです。
     
故還下坐之。 かれ還り下りまして、 かくて還つておいでになつて、
到玉倉部之
清泉以息
坐之時。
玉倉部たまくらべの
清泉しみづに到りて、
息ひます時に、
玉倉部たまくらべの
清水に到つて
お休みになつた時に、
御心稍寤。 御心やや寤さめたまひき。 御心がややすこしお寤さめになりました。
故號其清泉。 かれその清泉しみづに名づけて そこでその清水を
謂居寤清泉也。 居寤ゐさめの清泉しみづといふ。 居寤いさめの清水と言うのです。
     

たぎたぎし

     
自其處發。  其處そこより發たたして、  其處からお立ちになつて
到當藝野上之時。 當藝たぎの野のの上に
到ります時に、
當藝たぎの野の上に
おいでになつた時に
詔者。 詔りたまはくは、 仰せられますには、
吾心
恆念
自虚翔行然。
「吾が心、
恆は虚そらよ翔かけり行かむ
と念ひつるを、
「わたしの心は
いつも空を飛んで行くと
思つていたが、
今吾足不得歩。 今吾が足え歩かず、 今は歩くことができなくなつて、
成當藝斯玖。
〈自當下六字以音〉
たぎたぎしくなりぬ」
とのりたまひき。
足がぎくぎくする」
と仰せられました。
故號其地。 かれ其地そこに名づけて 依つて其處を
謂當藝也。 當藝たぎといふ。 當藝たぎといいます。
     

尾津の一つ松の歌

     

自其地。
其地そこより 其處から
差少幸行。 ややすこし幸でますに、 なお少しおいでになりますのに、
因甚疲
衝御杖。
いたく疲れませるに因りて、
御杖を衝つかして、
非常にお疲れなさいましたので、
杖をおつきになつて
稍歩。 ややに歩みたまひき。 ゆるゆるとお歩きになりました。
故號其地。 かれ其地そこに名づけて そこでその地を
謂杖衝坂也。 杖衝坂つゑつきざかといふ。 杖衝つえつき坂といいます。
到坐
尾津前
一松之許。
尾津の前さきの
一つ松のもとに
到りまししに、
尾津おつの埼の
一本松のもとに
おいでになりましたところ、
先御食之時。 先に、
御食みをしせし時、
先に食事をなさつた時に
所忘其地御刀。 其地そこに忘らしたりし御刀みはかし、 其處にお忘れになつた大刀が
不失猶有。 失うせずてなほありけり。 無くならないでありました。
爾御歌曰。 ここに御歌よみしたまひしく、 そこでお詠み遊ばされたお歌、
     
袁波理邇 尾張に 尾張の國に
多陀邇牟迦幣流 直ただに向へる 眞直まつすぐに向かつている
袁都能佐岐那流 尾津の埼なる 尾津の埼の
比登都麻都 一つ松、 一本松よ。
阿勢袁 吾兄あせを。 お前。
比登都麻都 一つ松 一本松が
比登邇阿理勢婆 人にありせば、 人だつたら
多知波氣麻斯袁 大刀佩はけましを 大刀を佩はかせようもの、
岐奴岐勢麻斯袁 衣きぬ着せましを。 着物を著せようもの、
比登都麻都 一つ松、 一本松よ。
阿勢袁 吾兄を。 お前。
     

三重の由来

     
自其地幸。  其地より幸でまして、  其處からおいでになつて、
到三重村之時。 三重の村に到ります時に、 三重みえの村においでになつた時に、
亦詔之。
吾足如
三重勾而
甚疲。
また詔りたまはく、
「吾が足
三重の勾まがりなして、
いたく疲れたり」とのりたまひき。
また
「わたしの足は、
三重に曲つた餅のようになつて
非常に疲れた」と仰せられました。
故號其地謂三重。 かれ其地に名づけて三重といふ。 そこでその地を三重といいます。
     

思國歌

     
自其幸行而。  そこより幸でまして、  其處からおいでになつて、
到能煩野之時。 能煩野のぼのに到ります時に、 能煩野のぼのに行かれました時に、
思國以歌曰。 國思しのはして歌よみしたまひしく、 故郷をお思いになつてお歌いになりましたお歌、
     
夜麻登波 倭やまとは 大和は
久爾能麻本呂婆 國のまほろば、 國の中の國だ。
多多那豆久 たたなづく 重かさなり合つている
阿袁加岐 青垣、 青い垣、
夜麻碁母禮流 山隱ごもれる 山に圍まれている
夜麻登志宇流波斯 倭し 美うるはし。 大和は美しいなあ。
     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  
     
伊能知能 命の 命が
麻多祁牟比登波 全またけむ人は、 無事だつた人は、
多多美許母 疊薦たたみこも  大和の國の
幣具理能夜麻能 平群へぐりの山の 平群へぐりの山の
久麻加志賀波袁 熊白檮くまかしが葉を りつぱなカシの木の葉を
宇受爾佐勢 髻華うずに插せ。 頭插かんざしにお插しなさい。
曾能古 その子。 お前たち。
     
    とお歌いになりました。
此歌者。
思國歌也。
 この歌は
思國歌くにしのひうたなり。
この歌は
思國歌くにしのびうたという名の歌です。
     

片歌

     
又歌曰。 また歌よみしたまひしく、 またお歌い遊ばされました。
     
波斯祁夜斯 はしけやし なつかしの
和岐幣能迦多用 吾家わぎへの方よ わが家やの方ほうから
久毛韋多知久母 雲居起ち來も。 雲が立ち昇つて來るわい。
     
此者片歌也。  こは片歌なり。  これは片歌かたうたでございます。
此時御病甚急, この時御病いと急にはかになりぬ。 この時に、御病氣が非常に重くなりました。
爾御歌曰。 ここに御歌よみしたまひしく、 そこで、御歌みうたを、
     
袁登賣能。 孃子をとめの 孃子おとめの
登許能辨爾。 床の邊べに 床とこのほとりに
和賀淤岐斯。 吾わが置きし わたしの置いて來た
都流岐能多知。 つるぎの大刀、 良よく切れる大刀たち、
曾能多知波夜。 その大刀はや。 あの大刀たちはなあ。
     
歌竟即崩。  と歌ひ竟をへて、
すなはち崩かむあがりたまひき。
と歌い終つて、
お隱れになりました。
爾貢上驛使。 ここに驛使はゆまづかひを
上たてまつりき。
そこで急使を上せて
朝廷に申し上げました。
     

御葬の歌

     
於是坐
倭后等。
及御子等。
 ここに倭やまとにます
后たち、また御子たち
 ここに大和においでになる
お妃たちまた御子たちが
諸。下到而。 もろもろ下りきまして、 皆下つておいでになつて、
作御陵。 御陵を作りき。 御墓を作つて
即匍匐廻
其地之
那豆岐田
〈自那下
三字以音〉而。
すなはち
其地そこの
なづき田に
匍匐はらばひ廻もとほりて、
そのほとりの田に
這い廻つて
哭爲
歌曰。
哭みねなかしつつ
歌よみしたまひしく、
お泣きになつて
お歌いになりました。
     
那豆岐能 なづきの 周まわりの田の
多能伊那賀良邇 田の稻幹いながらに、 稻の莖くきに、
伊那賀良爾 稻幹いながらに 稻の莖に、
波比母登富呂布 蔓はひもとほろふ 這い繞めぐつている
登許呂豆良 ところづら。 ツルイモの蔓つるです。
     
於是化
八尋白智鳥。
〈智字以音〉
 ここに
八尋白智鳥しろちどりになりて、
 しかるに其處から
大きな白鳥になつて
翔天而 天翔あまがけりて、 天に飛んで、
向濱飛行。 濱に向きて
飛びいでます。
濱に向いて
飛んでおいでになりましたから、
爾其后及御子等。 ここにその后たち御子たち、 そのお妃たちや御子たちは、
於其小竹之
苅杙。
その小竹しのの
苅杙かりばねに、
其處の篠竹しのだけの
苅株かりくいに
雖足䠊破。 足切り破るれども、 御足が切り破れるけれども、
忘其痛以哭追。 その痛みをも忘れて、
哭きつつ追ひいでましき。
痛いのも忘れて
泣く泣く追つておいでになりました。
     
此時歌曰。 この時、歌よみしたまひしく、 その時の御歌は、
     
阿佐士怒波良 淺小竹原あさじのはら 小篠こざさが原を
許斯那豆牟 腰こしなづむ。 行き惱なやむ、
蘇良波由賀受 虚空そらは行かず、 空中からは行かずに、
阿斯用由久那 足よ行くな。 歩あるいて行くのです。
     
又入其海鹽而。  またその海水うしほに入りて、  また、海水にはいつて、
那豆美
〈此三字以音〉
行時歌曰。
なづみ
行いでます時、
歌よみしたまひしく、
海水の中を
骨を折つておいでになつた時の
御歌、
     
宇美賀由氣婆 海が行けば 海うみの方ほうから行ゆけば
許斯那豆牟 腰なづむ。 行き惱なやむ。
意富迦波良能 大河原の 大河原おおかはらの
宇惠具佐 植草うゑぐさ、 草のように、
宇美賀波 海がは 海や河かわを
伊佐用布 いさよふ。 さまよい行く。
     
又飛居其磯之時。  また飛びてその磯に居たまふ時、  また飛んで、其處の磯においで遊ばされた時の
歌曰。 歌よみしたまひしく、 御歌、
     
波麻都知登理。 濱つ千鳥 濱の千鳥、
波麻用波由迦受。 濱よ行かず 濱からは行かずに
伊蘇豆多布。 磯傳ふ。 磯傳いをする。
     
是四歌者。  この四歌は、  この四首の歌は
皆歌其御葬也。 みなその御葬みはふりに歌ひき。 皆そのお葬式に歌いました。
故至今其歌者。 かれ今に至るまで、 それで今でも
歌天皇之
大御葬也。
その歌は天皇の
大御葬おほみはふりに歌ふなり。
その歌は天皇の
御葬式に歌うのです。
     
故自其國。 かれその國より そこでその國から
飛翔行。 飛び翔り行でまして、 飛び翔たつておいでになつて、
留河内國之志幾。 河内の國の志幾しきに留まりたまひき。 河内の志幾しきにお留まりなさいました。
故於其地作御陵。 かれ其地そこに御陵を作りて、 そこで其處に御墓を作つて、
鎭坐也。 鎭まりまさしめき。 お鎭まり遊ばされました。
即號其御陵。 すなはちその御陵に名づけて  
謂白鳥御陵也。 白鳥の御陵といふ。  
     
然亦自其地
更翔天以飛行。
然れどもまた
其地より更に
天翔りて飛び行でましき。
しかしながら、
また其處から更に
空を飛んでおいでになりました。
     
凡此倭建命。 およそこの倭建の命、 すべてこのヤマトタケルの命が
平國廻行之時。 國平むけに廻り行いでましし時、 諸國を平定するために廻つておいでになつた時に、
久米直之祖。 久米くめの直あたへが祖、 久米の直あたえの祖先の
名七拳脛。 名は七拳脛つかはぎ、 ナナツカハギという者が
恆爲膳夫以。 恆つねに膳夫かしはでとして いつもお料理人として
從仕奉也。 御伴仕へまつりき。 お仕え申しました。
     

倭建の系譜

     
此倭建命。  この倭建の命、  このヤマトタケルの命が、

伊玖米天皇之女。
布多遲能伊理毘賣命。
〈自布下八字以音〉
伊玖米いくめの天皇が女、
布多遲ふたぢの
伊理毘賣いりびめの命に
娶ひて
垂仁天皇の女、
フタヂノイリ姫の命と
結婚して
生御子。
帶中津日子命。
〈一柱〉
生みませる御子みこ
帶中津日子
たらしなかつひこの命一柱。
お生みになつた御子は、
タラシナカツ彦の命お一方です。
     
又娶。
其入海
弟橘比賣命。
またその海に入りましし
弟橘おとたちばな比賣の命に
娶ひて
またかの海におはいりになつた
オトタチバナ姫の命と
結婚して
生御子。
若建王。
〈一柱〉
生みませる御子、
若建わかたけるの王
一柱。
お生みになつた御子は
ワカタケルの王
お一方です。
     
又娶。
近淡海之
安國造之祖。
意富多牟和氣之女。
布多遲比賣。
また
近ちかつ淡海あふみの
安やすの國の造の祖、
意富多牟和氣
おほたむわけが女、
布多遲ふたぢ比賣に娶ひて、
また近江のヤスの國の造の祖先の
オホタムワケの女の
フタヂ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
稻依別王。
〈一柱〉
稻依別いなよりわけの王
一柱。
イナヨリワケの王お一方です。
     
又娶。
吉備臣建日子之妹。
大吉備建比賣。
また吉備きびの臣
建日子たけひこが妹、
大吉備おほきびの
建たけ比賣に娶ひて、
また吉備の臣
タケ彦の妹の
大吉備のタケ姫と
結婚して
生御子。
建貝兒王。
〈一柱〉
生みませる御子、
建貝兒たけかひこの王
一柱。
お生みになつた御子は、
タケカヒコの王お一方です。
     
又娶。
山代之
玖玖麻毛理比賣。
また山代の
玖玖麻毛理
くくまもり比賣に娶ひて
また山代やましろの
ククマモリ姫と結婚して
生御子。
足鏡別王。
〈一柱〉
生みませる御子、
足鏡別あしかがみわけの王
一柱。
お生みになつた御子は
アシカガミワケの王
お一方です。
     
又一妻之子。
息長田別王。
またある妾みめの子みこ、
息長田別
おきながたわけの王。
またある妻の子は、
オキナガタワケの王です。
     
凡是
倭建命之御子等。
并六柱。
およそこの
倭建の命の御子たち、
并はせて六柱。
すべてこの
ヤマトタケルの命の御子たちは
合わせて六人ありました。
     
故帶中津日子命者。
治天下也。
かれ帶中津日子
たらしなかつひこの命は、
天の下治らしめしき。
 それでタラシナカツ彦の命は
天下をお治めなさいました。
     
次稻依別王者。 次に稻依別の王は、 次にイナヨリワケの王は、
〈犬上君。 犬上の君、 犬上の君・
建部君等之祖〉 建部の君等が祖なり。 建部の君等の祖先です。
     
次建貝兒王者。 次に建貝兒の王は、 次にタケカヒコの王は、
〈讚岐綾君。 讚岐の綾の君、 讚岐の綾の君・
伊勢之別。 伊勢の別、 伊勢の別・
登袁之別。 登袁の別、 登袁とおの別・
麻佐首。 麻佐の首、 麻佐の首おびと・
宮首之別等之祖〉 宮の首の別等が祖なり。 宮の首の別等の祖先です。
     
足鏡別王者。 足鏡別の王は アシカガミワケの王は、
〈鎌倉之別。 鎌倉の別、 鎌倉の別・
小津。石代之別。 小津の石代の別、 小津の石代いわしろの別・
漁田之別之祖也〉 漁田すなきだの別が祖なり。 漁田すなきだの別の祖先です。
     

息長田別王之子。
次に息長田別
おきながたわけの王の子みこ、
次にオキナガタワケの王の子、
杙俣長日子王。 杙俣長日子くひまたながひこの王。 クヒマタナガ彦の王、
此王之子。 この王の子、 この王の子、
飯野眞黒比賣命。 飯野いひのの
眞黒まぐろ比賣の命、
イヒノノ
マクロ姫の命・
次息長
眞若中比賣。
次に息長眞若中
おきながまわかなかつ比賣、
オキナガ
マワカナカツ姫・
次弟比賣。 次に弟比賣おとひめ 弟姫の
〈三柱〉 三柱。 お三方です。
     
故上云若建王。 かれ上にいへる若建の王、 そこで上に出たワカタケルの王が、
娶飯野眞黒比賣。 飯野の眞黒比賣に娶ひて イヒノノマクロ姫と結婚して
生子。
須賣伊呂大中日子王。
〈自須至呂以音〉
生みませる子、
須賣伊呂大中
すめいろおほなかつ日子ひこの王。
生んだ子は
スメイロオホナカツ彦の王、
此王。娶
淡海之柴野入杵之女。
柴野比賣。
この王、
淡海あふみの
柴野入杵しばのいりきが女、
柴野比賣に娶ひて
この王が、
近江の
シバノイリキの女の
シバノ姫と結婚して
生子。
迦具漏比賣命。
生みませる子、
迦具漏かぐろ比賣の命。
生んだ子は
カグロ姫の命です。
故大帶日子天皇。

此迦具漏比賣命。
かれ大帶日子
おほたらしひこの天皇、
この迦具漏比賣の命に
娶ひて
オホタラシ彦の天皇が
このカグロ姫の命と
結婚して
生子。
大江王。〈一柱〉
生みませる子、
大江おほえの王一柱。
お生みになつた御子は
オホエの王のお一方です。
此王。
娶庶妹銀王。
この王、
庶妹ままいも
銀しろがねの王に娶ひて
この王が
庶妹シロガネの王と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
大名方王。 大名方おほながたの王、 オホナガタの王と
次大中比賣命。 次に大中おほなかつ比賣の命二柱。 オホナカツ姫のお二方です。
〈二柱〉    
故此之
大中比賣命者。
かれこの
大中おほなかつ比賣の命は、
そこでこの
オホナカツ姫の命は、
香坂王。 香坂かごさかの王、 カゴサカの王・
忍熊王之御祖也。 忍熊おしくまの王の御祖なり。 オシクマの王の母君です。
     

最期(景行天皇)

     
此大帶日子天皇
之御年。
壹佰參拾漆歳。
 この大帶日子おほたらしひこの
天皇の御年、
一百三十七歳ももちまりみそななつ、
 このオホタラシ彦の天皇の
御年百三十七歳、
御陵在山邊之道上也。 御陵は山の邊の道の上にあり。 御陵は山の邊の道の上にあります。

 

成務天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
若帶日子天皇。  若帶日子
わかたらしひこの天皇、
 ワカタラシ彦の天皇
(成務天皇)、

近淡海之
志賀
高穴穂宮。
近つ淡海あふみの
志賀しがの
高穴穗ほの宮にましまして、
近江の國の
志賀しがの
高穴穗の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
此天皇。

穂積臣等之祖。
建忍山垂根之女。
名弟財郎女。
この天皇、
穗積ほづみの臣等の祖、
建忍山垂根
たけおしやまたりねが女、
名は弟財おとたからの
郎女いらつめに
娶ひて、
この天皇は
穗積ほづみの臣の祖先、
タケオシヤマタリネの女の
オトタカラの
郎女いらつめと
結婚して
生御子
和訶奴氣王。
〈一柱〉
生みませる御子
和訶奴氣
わかぬけの王。
お生みになつた御子は
ワカヌケの王
お一方です。
     
故建内宿禰
爲大臣。
かれ建内の宿禰を
大臣おほおみとして、
そこでタケシウチの宿禰を
大臣となされ、
定賜大國。
小國之國造。
亦定賜。
大國小國の
國の造を
定めたまひ、
大小國々の
國の造を
お定めになり、
國國之堺。 また國國の堺、 また國々の堺、
及大縣。小縣之
縣主也。
また大縣小縣の
縣主を定めたまひき。
また大小の縣の
縣主あがたぬしをお定めになりました。
     
天皇。
御年。玖拾伍歳。
 天皇、
御年九十五歳ここのそぢまりいつつ
(乙卯の年三月十五日崩りたまひき)
天皇は
御年九十五歳、
乙卯の年の三月十五日にお隱れになりました。
御陵在
沙紀之多他那美也。
御陵は、
沙紀さきの多他那美たたなみにあり。
御陵は
沙紀さきの多他那美たたなみにあります。

 

仲哀天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子

     
帶中日子天皇。  帶中たらしなかつ
日子ひこの天皇、
 タラシナカツ彦の天皇
(仲哀天皇)、

穴門之
豐浦宮。
穴門あなとの
豐浦とよらの宮
穴門あなとの
豐浦とよらの宮

筑紫
訶志比宮。
また
筑紫つくしの
訶志比かしひの宮にましまして、
また筑紫つくしの
香椎かしいの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
此天皇。
娶大江王之女。
大中津比賣命。
この天皇、
大江おほえの王が女、
大中津おほなかつ比賣の命に娶ひて、
この天皇、
オホエの王の女の
オホナカツ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
香坂王。 香坂かごさかの王、 カゴサカの王と
忍熊王。 忍熊おしくまの王 オシクマの王
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
息長帶比賣命。
また
息長帶おきながたらし比賣の命に
娶ひたまひき。
また
オキナガタラシ姫の命と
結婚なさいました。
是大后。
生御子。
この太后の
生みませる御子、
この皇后の
お生みになつた御子は
品夜和氣命。 品夜和氣ほむやわけの命、 ホムヤワケの命・

大鞆和氣命。
亦名
品陀和氣命。
次に
大鞆和氣おほともわけの命、
またの名は
品陀和氣ほむだわけの命
オホトモワケの命、
またの名は
ホムダワケの命と
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
此太子之御名。
所以負
大鞆和氣命者。
この太子ひつぎのみこの御名、
大鞆和氣
おほともわけの命と
負はせる所以ゆゑは、
この皇太子の御名を
オホトモワケの命と
申しあげるわけは、
初所生時。 初め生れましし時に、 初めお生まれになつた時に
如鞆宍
生御腕。
鞆なす宍しし、
御腕みただむきに生ひき。
腕に
鞆ともの形をした肉がありましたから、
故著其御名。 かれその御名に著けまつりき。 この御名前をおつけ申しました。
是以知坐
腹中定國也。
ここを以ちて
腹中ぬちにましまして國知らしめしき。
そこで腹の中においでになつて
天下をお治めなさいました。
此之御世。 この御世に、 この御世に
定淡道之屯家也。 淡道あはぢの屯家みやけを定めたまひき。 淡路の役所を定めました。
     

神功皇后の神がかり

     
其大后
息長帶日賣命者。
 その太后
息長帶日賣の命は、
 皇后の
オキナガタラシ姫の命
(神功皇后)は
當時歸神。 當時そのかみ
神歸よせしたまひき。
神懸かみがかりを
なさつた方でありました。
故天皇坐
筑紫之
訶志比宮。
かれ天皇
筑紫の訶志比かしひの宮にましまして
天皇が
筑紫の香椎の宮においでになつて
將撃熊曾國之時。 熊曾の國を撃たむとしたまふ時に、 熊曾の國を撃とうとなさいます時に、
天皇。
控御琴而。
天皇
御琴を控ひかして、
天皇が
琴をお彈ひきになり、
建内宿禰大臣。 建内の宿禰の大臣 タケシウチの宿禰が
居於沙庭。 沙庭さにはに居て、 祭の庭にいて
請神之命。 神の命を請ひまつりき。 神の仰せを伺いました。
     
於是大后
歸神。
ここに太后、
神歸よせして、
ここに皇后に神懸りして
言教覺詔者。 言教へ覺さとし詔りたまひつらくは、 神樣がお教えなさいましたことは、
西方有國。 「西の方に國あり。 「西の方に國があります。
金銀爲本。 金くがね銀しろがねをはじめて、 金銀をはじめ
目之炎耀。 目耀まかがやく 目の輝く
種種珍寶。 種種くさぐさの珍寶うづたから 澤山の寶物が
多在其國。 その國に多さはなるを、 その國に多くあるが、
吾今歸賜其國。 吾あれ今その國を。歸よせたまはむ」
と詔りたまひつ
わたしが今その國をお授け申そう」
と仰せられました。
     
爾天皇答白。 ここに天皇、答へ白したまはく、 しかるに天皇がお答え申されるには、
登高地見西方者。 「高き地ところに登りて西の方を見れば、 「高い處に登つて西の方を見ても、
不見國土。 國は見えず、 國が見えないで、
唯有大海。 ただ大海のみあり」と白して、 ただ大海のみだ」と言われて、
謂爲詐神而。 詐いつはりせす神と思ほして、 詐いつわりをする神だとお思いになつて、
押退御琴。 御琴を押し退そけて、 お琴を押し退けて
不控。 控きたまはず、 お彈きにならず
默坐。 默もだいましき。 默つておいでになりました。
     

神の怒り

     
爾其神大忿。 ここにその神いたく忿りて、
詔りたまはく、
そこで神樣がたいへんお怒りになつて
詔凡茲天下者。 「およそこの天の下は、 「すべてこの國は
汝非應知國。 汝の知らすべき國にあらず、 あなたの治むべき國ではないのだ。
汝者向一道。 汝は一道に向ひたまへ」
と詔りたまひき。
あなたは一本道にお進みなさい」
と仰せられました。
     
於是
建内宿禰大臣白。
ここに
建内の宿禰の大臣白さく、
そこで
タケシウチの宿禰が申しますには、
恐我天皇。 「恐かしこし、我が天皇おほきみ。 「おそれ多いことです。陛下、
猶阿蘇婆勢
其大御琴。
〈自阿至勢以音〉
なほその大御琴
あそばせ」とまをす。
やはりそのお琴を
お彈き遊ばせ」と申しました。
爾稍取依其御琴而。 ここにややにその御琴を取り依せて、 そこで少しその琴をお寄せになつて
那摩那摩邇
〈此五字以音〉
控坐。
なまなまに
控きいます。
生々なまなまに
お彈きになつておいでになつたところ、
故未幾久而。 かれ、幾時いくだもあらずて、 間も無く
不聞御琴之音。 御琴の音聞えずなりぬ。 琴の音が聞えなくなりました。
即擧火見者。 すなはち火を擧げて見まつれば、 そこで火を點ともして見ますと、
既崩訖。 既に崩かむあがりたまひつ。 既にお隱かくれになつていました。
     
爾驚懼而。  ここに驚き懼かしこみて、  そこで驚き恐懼きようくして
坐殯宮。 殯あらきの宮にませまつりて、 御大葬の宮殿にお遷し申し上げて、
更取
國之大奴佐而。
〈奴佐二字以音〉
更に
國の大幣おほぬさを取りて、
更にその國内から
幣帛へいはくを取つて、
種種求。    
生剥。 生剥いきはぎ、 生剥いけはぎ・
逆剥。 逆剥さかはぎ、 逆剥さかはぎ・
阿離。 阿離あはなち、 畦離あはなち・
溝埋。 溝埋みぞうみ、 溝埋みぞうめ・
屎戸。 屎戸くそへ、 屎戸くそへ・
上通下通婚。 上通下通婚おやこたはけ、 不倫の結婚の
馬婚。 馬婚うまたはけ、  
牛婚。 牛婚うしたはけ、  
鷄婚。 鷄婚とりたはけ、  
犬婚 犬婚いぬたはけ  
之罪類。 の罪の類を
種種くさぐさ求ぎて、
罪の類を求めて
爲國之大祓而。 國の大祓はらへして、 大祓おおばらえしてこれを清め、
亦建内宿禰
居於沙庭。
また建内の宿禰
沙庭さにはに居て、
またタケシウチの宿禰が
祭の庭にいて
請神之命。 神の命みことを請ひまつりき。 神の仰せを願いました。
     

どこの神か

     
於是教覺之状。 ここに教へ覺したまふ状、 そこで神のお教えになることは
具如先日。 つぶさに先さきの日の如くありて、 悉く前の通りで、
凡此國者。 「およそこの國は、 「すべてこの國は
坐汝命
御腹之御子。
汝命いましみことの
御腹にます御子の
皇后樣の
お腹においでになる御子の
所知國者也。 知らさむ國なり」
とのりたまひき。
治むべき國である」
とお教えになりました。
     
爾建内宿禰。  ここに建内の宿禰白さく、  そこでタケシウチの宿禰が、
白恐。我大神。 「恐し、我が大神、 「神樣、おそれ多いことですが、
坐其神
腹之御子。
その神の御腹にます御子は その皇后樣の
お腹はらにおいでになる御子は
何子歟。 何の御子ぞも」
とまをせば、
何の御子でございますか
と申しましたところ、
答詔。 答へて詔りたまはく、  
男子也。 「男子をのこなり」と詔りたまひき。 「男の御子だ」と仰せられました。
     
爾具請之。 ここにつぶさに請ひまつらく、 そこで更にお願い申し上げたことは、
今如此言教之
大神者。
「今かく言教へたまふ大神は、 「今かようにお教えになる神樣は
欲知其御名。 その御名を知らまくほし」とまをししかば、 何という神樣ですか」と申しましたところ、
即答詔。 答へ詔りたまはく、 お答え遊ばされるには
是天照大神
之御心者。
「こは天照らす大神の御心なり。 「これは天照らす大神の御心だ。

底筒男。
また
底筒そこつつの男を、
またソコツツノヲ・
中筒男。 中筒なかつつの男を、 ナカツツノヲ・
上筒男。 上筒うはつつの男を ウハツツノヲ
三柱大神者也。 三柱の大神なり。 の三神だ。
〈此時
其三柱大神之
御名者顯也〉
(この時に
その三柱の大神の御名は
顯したまへり)
 
今寔
思求其國者。
今まことに
その國を求めむと思ほさば、
今まことに
あの國を求めようと思われるなら、
於天神地祇。 天あまつ神かみ地くにつ祇かみ、 天地の神たち、

山神及
河海之諸神。
また
山の神
海河の神たちまでに
また
山の神、
海河の神たちに
悉奉幣帛。 悉に幣帛ぬさ奉り、 悉く幣帛へいはくを奉り、
我之御魂。 我が御魂を わたしの御魂みたまを
坐于船上而。 御船の上にませて、 御船みふねの上にお祭り申し上げ、
眞木灰
納瓠。
眞木まきの灰を
瓠ひさごに納れ、
木の灰を
瓠ひさごに入れ、
亦箸及
比羅傳
〈此三字以音〉
多作。
また箸と
葉盤ひらでとを
多さはに作りて、
また箸はしと
皿とを
澤山に作つて、
皆皆散浮大海
以可度。
皆皆大海に散らし浮けて、
度わたりますべし」
とのりたまひき。
悉く大海に散ちらし浮うかべて
お渡わたりなさるがよい」
と仰せなさいました。
     

新羅と百済

     
故備如教覺。  かれつぶさに
教へ覺したまへる如くに、
 そこで悉く
神の教えた通りにして
整軍雙船。 軍いくさを整へ、船雙なめて、 軍隊を整え、多くの船を竝べて
度幸之時。 度りいでます時に、 海をお渡りになりました時に、
海原之魚。 海原の魚ども、 海中の魚どもは
不問大小。 大きも小きも、 大小となくすべて出て、
悉負御船而渡。 悉に御船を負ひて渡りき。 御船を背負つて渡りました。
     
爾順風大起。 ここに順風おひかぜいたく起り、 順風が盛んに吹いて
御船從浪。 御船浪のまにまにゆきつ。 御船は波のまにまに行きました。
故其御船之波瀾。 かれその御船の波、 その御船の波が
押騰新羅之國。 新羅しらぎの國に押し騰あがりて、 新羅しらぎの國に押し上つて
既到半國。 既に國半なからまで到りき。 國の半にまで到りました。
     
於是其國王
畏惶奏言。
ここにその國主こにきし、
畏おぢ惶かしこみて
奏まをして言まをさく、
依つてその國王が
畏おじ恐れて、
自今以後。 「今よ後、 「今から後は
隨天皇命而。 天皇おほきみの命のまにまに、 天皇の御命令のままに
爲御馬甘。 御馬甘みまかひとして、 馬飼うまかいとして、
毎年雙船。 年の毎はに船雙なめて 毎年多くの
不乾船腹。 船腹乾ほさず、 船の腹を乾かわかさず、
不乾䑨檝。 さをかぢ乾さず、 柁檝かじさおを乾かわかさずに、
共與天地。 天地のむた、 天地のあらんかぎり、
無退仕奉。 退しぞきなく仕へまつらむ」
とまをしき。
止まずにお仕え申し上げましよう」
と申しました。
     
故是以新羅國者。 かれここを以ちて、
新羅しらぎの國をば、
かような次第で
新羅の國をば
定御馬甘。 御馬甘みまかひと定めたまひ、 馬飼うまかいとお定め遊ばされ、
百濟國者。 百濟くだらの國をば、 百濟くだらの國をば
定渡屯家。 渡わたの屯家みやけと定めたまひき。 船渡ふなわたりの役所とお定めになりました。
     
爾以其御杖。 ここにその御杖を そこで御杖を
衝立新羅國主之門。 新羅しらぎの
國主こにきしの門かなとに
衝き立てたまひ、
新羅の
國主の門に
おつき立て遊ばされ、
即以墨江大神之
荒御魂。
すなはち墨江すみのえの大神の
荒御魂あらみたまを、
住吉の大神の
荒い御魂を、
爲國守神而。祭鎭。
還渡也。
國守ります神と祭り鎭めて
還り渡りたまひき。
國をお守りになる神として祭つて
お還り遊ばされました。
     

ウミのイト

     
故其政
未竟之間。
 かれその政
いまだ竟へざる間ほどに、
 かような事が
まだ終りませんうちに、
其懷妊臨産。 妊はらませるが、
産あれまさむとしつ。
お腹の中の御子が
お生まれになろうとしました。
即爲鎭御腹。 すなはち御腹を
鎭いはひたまはむとして、
そこでお腹を
お鎭めなされるために
取石以纒
御裳之腰而。
石を取らして、
御裳みもの腰に纏かして、
石をお取りになつて
裳の腰におつけになり、
渡筑紫國。 筑紫つくしの國に渡りましてぞ、 筑紫の國にお渡りになつてから
其御子者阿禮坐。
〈阿禮二字以音〉
その御子は生あれましつる。 その御子はお生まれになりました。
故號其御子
生地謂
宇美也。
かれその御子の
生れましし地に名づけて、
宇美といふ。
そこでその御子を
お生み遊ばされました處を
ウミと名づけました。
     
亦所纒
其御裳之石者。
またその御裳に
纏まかしし石は、
またその裳に
つけておいでになつた石は
在筑紫國之伊斗村也。 筑紫の國の伊斗いとの村にあり。 筑紫の國のイトの村にあります。
     
亦到坐筑紫
末羅縣之
玉嶋里而。
 また筑紫の
末羅縣まつらがたの
玉島の里に到りまして、
 また筑紫の
松浦縣まつらがたの
玉島の里においでになつて、
御食
其河邊之時。
その河の邊に
御食をししたまふ時に、
その河の邊ほとりで
食物をおあがりになつた時に、
當四月之上旬。 四月うづきの上旬はじめのころなりしを、 四月の上旬の頃でしたから、
爾坐其河中之礒。 ここにその河中の磯にいまして、 その河中の磯においでになり、
拔取御裳之糸。 御裳の絲を拔き取り、 裳の絲を拔き取つて
以飯粒爲餌。 飯粒いひぼを餌にして、 飯粒めしつぶを餌えさにして
釣其河之年魚。 その河の年魚あゆを釣りたまひき。 その河のアユをお釣りになりました。
     
〈其河名謂小河。 (その河の名を小河といふ。 その河の名は小河おがわといい、
亦其磯名謂
勝門比賣也〉
またその磯の名を
勝門比賣といふ)
その磯の名は
カツト姫といいます。
     
故四月上旬之時。 かれ四月の上旬の時、 今でも四月の上旬になると、
女人拔裳糸。 女ども裳の絲を拔き、 女たちが裳の絲を拔いて
以粒爲餌。 飯粒を餌にして、 飯粒を餌にして
釣年魚。 年魚あゆ釣ること アユを釣ることが
至于今不絶也。 今に至るまで絶えず。 絶えません。
     

オシクマとフルクマ

     
於是息長帶日賣命。  ここに息長帶日賣の命、  オキナガタラシ姫の命は、
於倭還上之時。 倭やまとに還り上ります時に 大和に還りお上りになる時に、
因疑人心。 人の心疑うたがはしきに因りて、 人の心が疑わしいので
一具喪船。 喪船を一つ具へて、 喪もの船を一つ作つて、
御子載其喪船。 御子をその喪船に載せまつりて、 御子をその喪の船にお乘せ申し上げて、
先令言漏之
御子既崩。
まづ「御子は既に崩りましぬ」
と言ひ漏らさしめたまひき。
まず御子は既にお隱れになりました
と言い觸らさしめました。
     
如此
上幸之時。
かくして
上りいでましし時に、
かようにして
上つておいでになる時に、
香坂王。 香坂かごさかの王 カゴサカの王、
忍熊王聞而。 忍熊おしくまの王聞きて、 オシクマの王が聞いて
思將待取。 待ち取らむと思ほして、 待ち取ろうと思つて、
進出於斗賀野。 斗賀野とがのに進み出でて、 トガ野に進み出て
爲宇氣比獦也。 祈狩うけひがりしたまひき。 誓を立てて狩をなさいました。
爾香坂王。 ここに香坂かごさかの王、 その時にカゴサカの王は
騰坐歴木而是。 歴木くぬぎに騰りいまして見たまふに、 クヌギに登つて御覽になると、
大怒猪出。 大きなる怒り猪出でて、 大きな怒り猪じしが出て
堀其歴木。 その歴木くぬぎを掘りて、 そのクヌギを掘つて
即咋食
其香坂王。
すなはちその香坂かごさかの王を
咋くひ食はみつ。
カゴサカの王を
咋くいました。
     
其弟忍熊王。 その弟忍熊の王、 しかるにその弟のオシクマの王は、
不畏
其態。
その態しわざを
畏かしこまずして、
誓の狩にかような惡い事があらわれたのを
畏れつつしまないで、
興軍
待向之時。
軍を興し、
待ち向ふる時に、
軍を起して
皇后の軍を待ち迎えられます時に、
赴喪船
將攻空船。
喪船に赴むかひて
空むなし船ふねを攻めたまはむとす。
喪の船に向かつて
からの船をお攻めになろうとしました。
爾自其喪船
下軍相戰。
ここにその喪船より
軍を下して戰ひき。
そこでその喪の船から
軍隊を下して戰いました。
     
此時忍熊王。  その時忍熊おしくまの王は、  この時にオシクマの王は、
以難波
吉師部之祖。
難波なにはの
吉師部きしべが祖、
難波なにわの
吉師部きしべの祖先の
伊佐比宿禰
爲將軍。
伊佐比いさひの宿禰を
將軍いくさのきみとし、
イサヒの宿禰すくねを
將軍とし、
太子御方者。 太子ひつぎのみこの御方には、 太子の方では
以丸邇臣之祖。 丸邇わにの臣が祖、 丸邇わにの臣の祖先の
難波根子
建振熊命
爲將軍。
難波根子建振熊
なにはねこたけふるくまの命を、
將軍としたまひき。
難波なにわ
ネコタケフルクマの命を
將軍となさいました。
故追退。 かれ追ひ退そけて かくて追い退けて
到山代之時。 山代に到りし時に、 山城に到りました時に、
還立。 還り立ちて 還り立つて
各不退相戰。 おのもおのも退かずて相戰ひき。 雙方退かないで戰いました。
     
爾建振熊命。 ここに建振熊の命 そこでタケフルクマの命は
權而令云。 權たばかりて、 謀つて、
息長帶日賣命者。
既崩
「息長帶日賣の命は、
既に崩りましぬ。
皇后樣は
既にお隱れになりましたから
故無可更戰。 かれ、更に戰ふべくもあらず」といはしめて、 もはや戰うべきことはないと言わしめて、
即絶弓絃。 すなはち弓絃ゆづらを絶ちて、 弓の弦を絶つて
欺陽歸服。 欺いつはりて歸服まつろひぬ。 詐いつわつて降服しました。
於是其將軍
既信詐。
ここにその將軍既に
詐りを信うけて、
そこで敵の將軍は
その詐りを信じて
弭弓藏兵。 弓を弭はづし、
兵つはものを藏めつ。
弓をはずし
兵器を藏しまいました。
爾自頂髮中 ここに頂髮たぎふさの中より その時に頭髮の中から
採出設弦。
〈一名云
宇佐由豆留〉
設まけの
弦ゆづるを採とり出で
豫備の
弓弦を取り出して、
更張追撃。 更に張りて追ひ撃つ。 更に張つて追い撃ちました。
     
故逃退逢坂。 かれ逢坂あふさかに逃げ退きて、 かくて逢坂おおさかに逃げ退いて、
對立亦戰。 對むき立ちてまた戰ふ。 向かい立つてまた戰いましたが、
爾追迫敗。 ここに追ひ迫せめ敗りて、 遂に追い迫せまり敗つて
沙沙那美。 沙沙那美ささなみに出でて、 近江のササナミに出て
悉斬其軍。 悉にその軍を斬りつ。 悉くその軍を斬りました。
於是其忍熊王 ここにその忍熊の王、 そこでそのオシクマの王が
與伊佐比宿禰。 伊佐比いさひの宿禰と イサヒの宿禰と
共被追迫。 共に追ひ迫めらえて、 共に追い迫せめられて、
乘船浮海
歌曰。
船に乘り、海に浮きて、
歌よみして曰ひしく、
湖上に浮んで
歌いました歌、
     
伊奢阿藝 いざ吾君あぎ、 さあ君きみよ、
布流玖麻賀 振熊ふるくまが フルクマのために
伊多弖淤波受波 痛手負はずは 負傷ふしようするよりは、
邇本杼理能 鳰鳥にほどりの  カイツブリのいる
阿布美能宇美邇 淡海の海に 琵琶の湖水に
迦豆岐勢那和 潛かづきせなわ。 潛り入ろうものを。
     
即入海
共死也。
と歌ひて、
すなはち海に入りて共に死しにき。
と歌つて
海にはいつて死にました。
     

氣比大神

     
故建内宿禰命。  かれ建内の宿禰の命、  かくてタケシウチの宿禰が
率其太子。 その太子ひつぎのみこを率ゐまつりて、 その太子をおつれ申し上げて
爲將禊而。 御禊みそぎせむとして、 禊みそぎをしようとして
經歴
淡海及
若狹國之時。
淡海また
若狹の國を
經歴めぐりたまふ時に、
近江また
若狹わかさの國を
經た時に、
於高志前之
角鹿。
高志こしの前みちのくちの
角鹿つぬがに、
越前の
敦賀つるがに
造假宮而坐。 假宮を造りてませまつりき。 假宮を造つてお住ませ申し上げました。
     
爾坐其地。 ここに其地そこにます その時にその土地においでになる
伊奢沙和氣大神之命。 伊奢沙和氣いざさわけの大神の命、 イザサワケの大神が夜の夢にあらわれて、
見於夜夢。 夜の夢いめに見えて、  
云。
以吾名。
欲易御子之御名。
「吾が名を
御子の御名に易へまくほし」
とのりたまひき。
「わたしの名を
御子の名と取りかえたいと思う」
と仰せられました。
爾言祷。
白之。
ここに言祷ことほぎて
白さく、
そこで
恐隨命
易奉。
「恐し、命のまにまに、
易へまつらむ」
とまをす。
「それは恐れ多いことですから、
仰せの通りおかえ致しましよう」
と申しました。
     
亦其神詔。 またその神詔りたまはく、 またその神が仰せられるには
明日之旦。 「明日あすの旦あした 「明日の朝、
應幸於濱。 濱にいでますべし。 濱においでになるがよい。
獻易名之幣。 易名なかへの幣みやじり獻らむ」
とのりたまふ。
名をかえた贈物を獻上致しましよう」
と仰せられました。
故其旦。 かれその旦 依つて翌朝
幸行于濱之時。 濱にいでます時に、 濱においでになつた時に、
毀鼻入鹿魚。 鼻毀やぶれたる入鹿魚いるか、 鼻の毀やぶれたイルカが
既依一浦。 既に一浦に依れり。 或る浦に寄つておりました。
於是御子。 ここに御子、 そこで御子が
令白于神云。 神に白さしめたまはく、 神に申されますには、
於我給御食之魚。 「我に御食みけの魚な給へり」
とまをしたまひき。
「わたくしに御食膳の魚を下さいました」
と申さしめました。
故亦稱其御名。 かれまたその御名をたたへて それでこの神の御名を稱えて
號御食津大神。 御食津みけつ大神とまをす。 御食みけつ大神と申し上げます。
故於今。 かれ今に その神は今でも
謂氣比大神也。 氣比けひの大神とまをす。 氣比の大神と申し上げます。
亦其入鹿魚之鼻
血臰。
またその入鹿魚いるかの鼻の
血臭くさかりき。
またそのイルカの鼻の
血が臭うございました。
故號其浦謂血浦。 かれその浦に名づけて血浦といふ。 それでその浦を血浦ちうらと言いましたが、
今謂都奴賀也。 今は都奴賀つぬがといふなり。 今では敦賀つるがと言います。
     

酒楽の歌

     
於是還上坐時。  ここに還り上ります時に、  其處から還つてお上りになる時に、
其御祖。 その御祖みおや 母君の
息長帶日賣命。 息長帶日賣の命、 オキナガタラシ姫の命が
釀待酒以獻。 待酒を釀みて獻りき。 お待ち申し上げて
酒を造つて獻上しました。
爾其御祖御歌曰。 ここにその御祖、
御歌よみしたまひしく、
その時にその母君の
お詠み遊ばされた歌は、
     
許能美岐波 この御酒みきは このお酒は
和賀美岐那良受 わが御酒ならず。 わたくしのお酒ではございません。
久志能加美 酒くしの長かみ  お神酒みきの長官、
登許余邇伊麻須 常世とこよにいます 常世とこよの國においでになる
伊波多多須 石いは立たたす 岩になつて立つていらつしやる
須久那美迦微能 少名すくな御神の、 スクナビコナ樣が
加牟菩岐 神壽かむほき  祝つて祝つて
本岐玖琉本斯 壽き狂くるほし 祝い狂くるわせ
登余本岐 豐壽とよほき 祝つて祝つて
本岐母登本斯 壽きもとほし 祝い廻まわつて
麻都理許斯美岐敍 獻まつり來こし 御酒みきぞ 獻上して來たお酒なのですよ。
阿佐受袁勢佐佐 乾あさずをせ。ささ。 盃をかわかさずに召しあがれ。
     
如此歌而。  かく歌ひたまひて、  かようにお歌いになつて
獻大御酒。 大御酒獻りき。 お酒を獻りました。
爾建内宿禰命。 ここに建内の宿禰の命、 その時にタケシウチの宿禰が
爲御子答
歌曰。
御子のために答へて
歌ひして曰ひしく、
御子のためにお答え申し上げた
歌は、
     
許能美岐袁 この御酒を このお酒を
迦美祁牟比登波 釀かみけむ人は、 釀造した人は、
曾能都豆美 その鼓つづみ その太鼓を
宇須邇多弖弖 臼に立てて 臼うすに使つて、
宇多比都都 迦美祁禮迦母 歌ひつつ釀かみけれかも、 歌いながら作つた故か、
麻比都都 迦美祁禮加母 舞ひつつ釀かみけれかも、 舞いながら作つた故か、
許能美岐能 美岐能 この御酒の 御酒の このお酒の
阿夜邇 宇多陀怒斯 あやに うた樂だのし。 不思議に樂しいことでございます。
佐佐 ささ。  
     
此者。
酒樂之歌也。
 こは
酒樂さかくらの歌なり。
 これは
酒樂さかくらの歌でございます。
     

最期(仲哀天皇)

     

帶中津日子
天皇之
御年。伍拾貳歳。
 およそこの
帶中津日子
たらしなかつひこの天皇の
御年五十二歳いそぢまりふたつ。
 すべて
タラシナカツ彦の天皇の
御年は五十二歳、
  (壬戌の年
六月十一日崩りたまひき)
壬戌みずのえいぬの年の
六月十一日にお隱れになりました。
御陵在
河内惠賀之
長江也。
御陵は
河内の惠賀ゑがの
長江ながえにあり。
御陵は
河内の惠賀えがの
長江にあります。
  皇后は
御年一百歳にして崩りましき。
皇后樣は
御年百歳でお隱かくれになりました。
  狹城さきの楯列たたなみの陵に
葬めまつりき。
狹城さきの楯列たたなみの御陵に
お葬り申し上げました。

 

應神天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

后妃と御子

     
品陀和氣命。  品陀和氣
ほむだわけの命、
 ホムダワケの命
(應神天皇)、

輕嶋之
明宮
治天下也。
輕島の
明あきらの宮に
ましまして、
天の下治らしめしき。
大和の輕島かるしまの
明あきらの宮に
おいでになつて
天下をお治めなさいました。
     
此天皇。娶
品陀眞若王
〈品陀二字以音〉
之女。三柱女王。
この天皇、
品陀の眞若まわかの王が女、
三柱の女王ひめみこに
娶ひたまひき。
この天皇は
ホムダノマワカの王の女王
お三方と結婚されました。
一名。
高木之入日賣命。
一柱の御名は、
高木の入日賣の命、
お一方は、
タカギノイリ姫の命、
次中日賣命。 次に中日賣の命、 次は中姫の命、
次弟日賣命。 次に弟日賣の命。 次は弟姫の命であります。
     
〈此女王等之父。 この女王たちの父、 この女王たちの御父、
品陀眞若王者。 品陀の眞若の王は、 ホムダノマワカの王は
五百木之入日子命。
娶尾張連之祖。
建伊那陀宿禰之女。
志理都紀斗賣。
生子者也〉
五百木の入日子の命の、
尾張の連の祖、
建伊那陀の宿禰が女、
志理都紀斗賣に娶ひて、
生める子なり。
イホキノイリ彦の命が、
尾張の直の祖先の
タケイナダの宿禰の女の
シリツキトメと結婚して
生んだ子であります。
     
故高木之入日賣
之子。
 かれ高木の入日賣の
御子、
そこでタカギノイリ姫の
生んだ御子みこは、
額田
大中日子命。
額田ぬかだの
大中おほなかつ日子ひこの命、
ヌカダノ
オホナカツヒコの命
次大山守命。 次に大山守おほやまもりの命、 オホヤマモリの命
次伊奢之眞若命。
〈伊奢二字以音〉
次に伊奢いざの眞若の命、 イザノマワカの命
次妹。大原郎女。 次に妹いも大原の郎女いらつめ、 オホハラの郎女いらつめ
次高目郎女。 次に高目たかもくの郎女 タカモクの郎女いらつめの
〈五柱〉 五柱。 御おん五方かたです。
     
中日賣命之御子。 中日賣の命の御子、 中姫の命の生んだ御子みこは、
木之荒田郎女。 木きの荒田の郎女、 キノアラタの郎女いらつめ
次大雀命。 次に大雀おほさざきの命四、 オホサザキの命
次根鳥命。 次に根鳥ねとりの命 ネトリの命の
〈三柱〉 三柱。 お三方です。
弟日賣命之御子。 弟日賣の命の御子、 弟姫の命の御子は、
阿倍郎女。 阿部の郎女、 阿部あべの郎女
次阿具知能
〈此四字以音〉
三腹郎女。
次に
阿貝知あはぢの
三腹みはらの郎女、
アハヂノ
ミハラの郎女
次木之菟野郎女。 次に木の菟野うのの郎女、 キノウノの郎女
次三野郎女。 次に三野みのの郎女 ミノの郎女の
〈五柱〉 五柱。 お五方です。
     
又娶。
丸邇之
比布禮能
意富美之女。
〈自比至美以音〉
名宮主矢河枝比賣。
また丸邇わにの
比布禮ひふれの
意富美おほみが女、
名は宮主矢河枝
みやぬしやかはえ比賣に娶ひて
また天皇、
ワニノ
ヒフレのオホミの女の
ミヤヌシヤガハエ姫と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生うみになつた御子みこは、
宇遲能
和紀郎子。
宇遲うぢの
和紀郎子わきいらつこ、
ウヂの若郎子わきいらつこ
次妹。
八田若郎女。
次に妹八田やたの若郎女、 ヤタの若郎女わきいらつめ
次女鳥王。 次に女鳥めどりの王 メトリの王の
〈三柱〉 三柱。 お三方です。
     
又娶其
矢河枝比賣之弟。
袁那辨郎女。
またその矢河枝比賣が弟、
袁那辨をなべの郎女に娶ひて
またそのヤガハエ姫の妹
ヲナベの郎女と結婚して
生御子。
宇遲之若郎女。
〈一柱〉
生みませる御子、
宇遲うぢの若わき郎女一柱。
お生みになつた御子は、
ウヂの若郎女お一方です。
     
又娶
咋俣長日子王之女。
息長眞若中比賣。
また咋俣長日子
くひまたながひこの王が女、
息長眞若中
おきながまわかなかつ比賣に娶ひて、
またクヒマタナガ彦の王の女の
オキナガマワカナカツ姫と
結婚して
生御子。
若沼毛二俣王。
〈一柱〉
生みませる御子、
若沼毛二俣
わかぬけふたまたの王
一柱。
お生みになつた御子は
ワカヌケフタマタの王
お一方です。
     
又娶
櫻井田部連之祖。
嶋垂根之女。
糸井比賣。
また櫻井さくらゐの
田部たべの連むらじの祖、
島垂根しまたりねが女、
糸井いとゐ比賣に娶ひて、
また櫻井の
田部たべの連の祖先そせんの
シマタリネの女の
イトヰ姫と結婚して
生御子。
速總別命。
〈一柱〉
生みませる御子、
速總別はやぶさわけの命
一柱。
お生みになつた御子は
ハヤブサワケの命
お一方です。
     
又娶
日向之泉長比賣。
また日向ひむかの
泉いづみの長なが比賣に娶ひて、
また日向の
イヅミノナガ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
大羽江王。 大羽江はえの王みこ、 オホハエの王
次小羽江王。 次に小羽江をはえの王、 ヲハエの王
次幡日之若郎女。 次に檣日はたびの若わか郎女 ハタビの若郎女の
〈三柱〉 三柱。 お三方です。
     
又娶迦具漏比賣。 また迦具漏かぐろ比賣に娶ひて またカグロ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
川原田郎女。 川原田かはらだの郎女、 カハラダの郎女
次玉郎女。 次に玉の郎女、 タマの郎女
次忍坂大中比賣。 次に忍坂おしさかの大中おほなかつ比賣、 オシサカノオホナカツ姫
次登富志郎女。 次に登富志とほしの郎女、 トホシの郎女
次迦多遲王。 次に迦多遲かたぢの王 カタヂの王の御
〈五柱〉 五柱。 五方です。
     
又娶。
葛城之野伊呂賣。
〈此三字以音〉
また葛城かづらきの野の
伊呂賣いろめに娶ひて、
またカヅラキノノ
ノイロメと結婚して
生御子。
伊奢能麻和迦王。
〈一柱〉
生みませる御子、
伊奢いざの麻和迦まわかの王
一柱。
お生みになつた御子は、
イザノマワカの王
お一方です。
     
此天皇之御子等。 この天皇の御子たち、 すべてこの天皇の御子たちは
并廿六王。
〈男王十一。女王十五〉
并はせて二十六王
はたちまりむはしら
(男王十一、女王十五)
合わせて二十六王
おいで遊あそばされました。
男王十一人女王十五人です。
     
此中大雀命者。
治天下也。
この中に大雀の命は、
天の下治らしめしき。
この中でオホサザキの命は
天下をお治めになりました。
     

大山守と大雀(おほさざき)

     
於是天皇。  ここに天皇、  ここに天皇が

大山守命與
大雀命詔。
大山守の命と
大雀の命とに問ひて詔りたまはく、
オホヤマモリの命と
オホサザキの命とに
汝等者。
孰愛
兄子與
弟子。
「汝等みましたちは、
兄なる子と
弟なる子と、
いづれか愛はしき」
と問はしたまひき。
「あなたたちは
兄である子と
弟である子とは、
どちらがかわいいか」
とお尋ねなさいました。
     
〈天皇所以發
是問者。
(天皇の
この問を發したまへる故は、
天皇がかように
お尋ねになつたわけは、
宇遲能和紀郎子。
有令治
天下之心也〉
宇遲の和紀郎子に
天の下治らしめむ御心
ましければなり)
ウヂの若郎子に
天下をお授けになろうとする御心が
おありになつたからであります。
     

大山守命
白愛兄子。
ここに
大山守の命白さく、
「兄なる子を愛はしとおもふ」
と白したまひき。
しかるに
オホヤマモリの命は、
「上の子の方がかわゆく思われます」
と申しました。
     

大雀命。
次に
大雀の命は、
次に
オホサザキの命は
知天皇。
所問賜之大御情
而白。
天皇の
問はしたまふ大御心を知らして、
白さく、
天皇のお尋ね遊ばされる御心を
お知りになつて
申されますには、
兄子者。
既成人。
是無悒。
「兄なる子は、
既に人となりて、
こは悒いぶせきこと無きを、
「大きい方の子は
既に人となつておりますから
案ずることもございませんが、
弟子者。
未成人。
是愛。
弟なる子は、
いまだ人とならねば、
こを愛しとおもふ」とまをしたまひき。
小さい子は
まだ若いのですから
愛らしく思われます」と申しました。
     
爾天皇詔。 ここに天皇詔りたまはく、 そこで天皇の仰せになりますには、
佐邪岐。
阿藝之言。
〈自佐至藝
五字以音〉
「雀さざき、
吾君あぎの言ことぞ、
「オホサザキよ、
あなたの言うのは
如我所思。 我が思ほすが如くなる」
とのりたまひき。
わたしの思う通りです」
と仰せになつて、
即詔
別者。
すなはち
詔り別けたまひしくは、
そこでそれぞれに
詔みことのりを下されて、
大山守命。 「大山守の命は、 「オホヤマモリの命は
爲山海之政。 山海うみやまの政をまをしたまへ。 海や山のことを管理なさい。
大雀命。 大雀の命は、 オホサザキの命は
執食國之
政以白賜。
食國おすくにの
政執りもちて白したまへ。
天下の政治を執つて
天皇に奏上なさい。
宇遲能和紀郎子。 宇遲うぢの和紀わき郎子は、 ウヂの若郎子は
所知天津日繼也。 天つ日繼知らせ」
と詔り別けたまひき。
帝位におつきなさい」
とお分わけになりました。
故大雀命者。 かれ大雀の命は、 依つてオホサザキの命は
勿違
天皇之命也。
大君の命みことに
違たがひまつらざりき。
父君の御命令に
背きませんでした。
     

葛野の歌(数の歌)

     
一時天皇  或る時天皇、  或る時、
越幸
近淡海國之時。
近つ淡海あふみの國に
越え幸でましし時、
天皇が近江の國へ
越えてお出ましになりました時に、
御立宇遲野上。 宇遲野うぢのの上に
御立みたちして、
宇治野の上にお立ちになつて
望葛野。 葛野かづのを望みさけまして、 葛野かずのを御覽になつて
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お詠みになりました御歌、
     
知婆能 千葉の 葉の茂しげつた
加豆怒袁美禮婆 葛野かづのを見れば、 葛野かずのを見れば、
毛毛知陀流 百千足ももちだる 幾千も富み榮えた
夜邇波母美由 家庭やにはも見ゆ。 家居が見える、
久爾能富母美由 國の秀ほも見ゆ。 國の中での良い處が見える。
     
  と歌ひたまひき。  
     

ワニのカニの歌

     
故到坐
木幡村之時。
 かれ木幡こはたの村に
到ります時に、
 かくて木幡こばたの村に
おいでになつた時に、
麗美孃子。
遇其道衢。
その道衢ちまたに、
顏美よき孃子遇へり。
その道で
美しい孃子にお遇いになりました。
     
爾天皇問
其孃子曰。
ここに天皇、
その孃子に問ひたまはく、
そこで天皇が
その孃子に、
汝者誰子。 「汝いましは誰が子ぞ」
と問はしければ、
「あなたは誰の子か」
とお尋ねになりましたから、
答白。 答へて白さく、 お答え申し上げるには、
丸邇之
比布禮能
意富美之女。

宮主矢河枝比賣。
「丸邇わにの
比布禮ひふれの
意富美おほみが女、
名は宮主矢河枝
みやぬしやかはえ比賣」とまをしき。
「ワニノ
ヒフレの
オホミの女の
ミヤヌシヤガハエ姫でございます」
と申しました。
     
天皇即詔其孃子。 天皇すなはちその孃子に詔りたまはく、 天皇がその孃子に
吾明日還幸之時。 「吾明日あすのひ還りまさむ時、 「わたしが明日還る時に
入坐汝家。 汝いましの家に入りまさむ」
と詔りたまひき。
あなたの家にはいりましよう」
と仰せられました。
     
故矢河枝比賣。
委曲語其父。
かれ矢河枝比賣、
委曲つぶさにその父に語りき。
そこでヤガハエ姫が
その父に詳しくお話しました。
於是父答曰。 ここに父答へて曰はく、 依つて父の言いますには、
是者
天皇坐那理。
〈此二字以音〉
「こは
大君にますなり。
「これは
天皇陛下でおいでになります。
恐之。 恐かしこし、 恐れ多いことですから、
我子仕奉。 我あが子仕へまつれ」 わが子よ、お仕え申し上げなさい」
云而。 といひて、 と言つて、
嚴餝其家
候待者。
その家を嚴飾かざりて、
候さもらひ待ちしかば、
その家をりつぱに飾り立て、
待つておりましたところ、
     
明日入坐。 明日あすのひ入りましき。 あくる日においでになりました。
故獻大御饗之時。 かれ大御饗みあへ獻たてまつる時に、 そこで御馳走を奉る時に、
其女
矢河枝比賣。(命)
その女
矢河枝やかはえ比賣の命に
そのヤガハエ姫に
令取大御酒盞
而獻。
大御酒盞を取らしめて
獻る。
お酒盞さかずきを取らせて
獻りました。
於是天皇。 ここに天皇、 そこで天皇が
任令取其大御酒盞而御歌曰。 その大御酒盞を取らしつつ、 その酒盞をお取りになりながら
  御歌よみしたまひしく、 お詠み遊ばされた歌、
     
許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 この蟹かにや 何處いづくの蟹。 この蟹かにはどこの蟹だ。
毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 百傳ふ 角鹿つぬがの蟹。 遠くの方の敦賀つるがの蟹です。
余許佐良布 伊豆久邇伊多流 横よこさらふ 何處に到る。 横歩よこあるきをして何處へ行くのだ。
伊知遲志麻 美志麻邇斗岐 伊知遲いちぢ島 美み島に著とき、 イチヂ島・ミ島について、
美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐 鳰鳥みほどりの 潛かづき息衝き、 カイツブリのように水に潛くぐつて息いきをついて、
志那陀由布 佐佐那美遲袁 しなだゆふ 佐佐那美道ささなみぢを 高低のあるササナミへの道を
須久須久登 和賀伊麻勢婆夜 すくすくと 吾わが行いませばや、 まつすぐにわたしが行ゆきますと、
許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 木幡こはたの道に 遇はしし孃子をとめ、 木幡こばたの道で出逢つた孃子おとめ、
宇斯呂傳波 袁陀弖呂迦母 後方うしろでは 小楯をだてろかも。 後姿うしろすがたは楯のようだ。
波那美波志 比斯那須 齒並はなみは 椎菱しひひしなす。 齒竝びは椎しいの子みや菱ひしの實のようだ。
伊知比韋能 和邇佐能邇袁 櫟井いちゐの 丸邇坂わにさの土にを、 櫟井いちいの丸邇坂わにさかの土つちを
波都邇波 波陀阿可良氣美 初土はつには 膚赤らけみ 上うえの土つちはお色いろが赤い、
志波邇波 邇具漏岐由惠 底土しはには に黒き故、 底の土は眞黒まつくろゆえ
美都具理能 曾能那迦都爾袁 三栗みつぐりの その中つ土にを 眞中まんなかのその中の土を
加夫都久 麻肥邇波阿弖受 頭著かぶつく 眞火には當てず かぶりつく直火じかびには當てずに
麻用賀岐 許邇加岐多禮 眉畫まよがき 濃こに書き垂れ 畫眉かきまゆを濃く畫いて
阿波志斯袁美那  遇はしし女をみな。 お逢あいになつた御婦人、
迦母賀登 和賀美斯古良 かもがと 吾わが見し兒ら このようにもとわたしの見たお孃さん、
迦久母賀登 阿賀美斯古邇 かくもがと 吾あが見し兒に あのようにもとわたしの見たお孃さんに、
宇多多氣陀邇 牟迦比袁流迦母 うたたけだに 向ひ居をるかも 思いのほかにも向かつていることです。
伊蘇比袁流迦母  い副そひ居るかも。 添つていることです。
     
如此御合
生御子。
 かくて御合みあひまして、
生みませる御子、
 かくて御結婚なすつて
お生うみになつた子が
宇遲能和紀
〈自宇下五字以音〉
郎子也。
宇遲うぢの
和紀郎子
わきいらつこなり。
ウヂの
若郎子
わきいらつこでございました。
     

髮長比賣(かみながひめ)

     
天皇。
聞看。
日向國諸縣君之女。
名髮長比賣。
其顏容麗美。
 天皇、
日向の國の
諸縣もらがたの君が女、
名は髮長かみなが比賣
それ顏容麗美かほよしと聞こしめして、
 また天皇が、
日向の國の
諸縣むらがたの君の女むすめの
髮長姫かみながひめが
美しいとお聞きになつて、
將使而。 使はむとして、 お使い遊ばそうとして、
喚上之時。 喚めし上げたまふ時に、 お召めし上げなさいます時に、
     
其太子大雀命。 その太子ひつぎのみこ大雀の命、 太子のオホサザキの命が
見其孃子。
泊于難波津而。
その孃子をとめの
難波津に泊はてたるを見て、
その孃子の
難波津に船つきしているのを
御覽になつて、
     
感其
姿容之端正。
その姿容かたちの端正うつくしきに
感めでたまひて、
その容姿のりつぱなのに
感心なさいまして、
即誂告。
建内宿禰大臣。
すなはち
建内たけしうちの宿禰すくねの大臣に
誂あとらへてのりたまはく、
タケシウチの宿禰すくねに
お頼みになるには
是自日向
喚上之
髮長比賣者。
「この日向より
喚めし上げたまへる
髮長かみなが比賣は、
「この日向から
お召し上げになつた
髮長姫を、
請白
天皇之大御所而。
天皇の大御所みもとに
請ひ白して、
陛下の御もとにお願いして
令賜於吾。 吾あれに賜はしめよ」
とのりたまひき。
わたしに賜わるようにしてくれ」
と仰せられました。
     
爾建内宿禰大臣。 ここに建内の宿禰の大臣、 依つてタケシウチの宿禰の大臣が
請大命者。 大命おほみことを請ひしかば、 天皇の仰せを願いましたから、
天皇。即
以髮長比賣。
天皇すなはち
髮長かみなが比賣をその御子に賜ひき。
天皇が
髮長姫をその御子にお授けになりました。
     
賜于其御子。
所賜状者。
賜ふ状は、 お授けになる樣は、
天皇。聞看豐明之日。 天皇の豐とよの明あかり聞こしめしける日に、 天皇が御酒宴を遊ばされた日に、
於髮長比賣令握大御酒柏。 髮長比賣に大御酒の柏かしはを取らしめて、 髮長姫にお酒を注ぐ柏葉かしわを取らしめて、
賜其太子。 その太子に賜ひき。 その太子に賜わりました。
爾御歌曰。 ここに御歌よみしたまひしく、 そこで天皇のお詠み遊ばされた歌は、
     
伊邪古杼母 怒毘流都美邇 いざ子ども 野蒜のびる摘みに、 さあお前まえたち、野蒜のびる摘つみに
比流都美邇 和賀由久美知能 蒜ひる摘みに わが行く道の 蒜ひる摘つみにわたしの行く道の
迦具波斯 波那多知婆那波 香ぐはし 花橘はなたちばなは、 香こうばしい花橘はなたちばなの樹、
本都延波 登理韋賀良斯 上枝ほつえは 鳥居枯がらし、 上の枝は鳥がいて枯らし
志豆延波 比登登理賀良斯 下枝しづえは 人取り枯がらし、 下の枝は人が取つて枯らし、
美都具理能 那迦都延能 三栗の 中つ枝の 三栗みつぐりのような眞中まんなかの枝の
本都毛理 阿加良袁登賣袁 ほつもり 赤ら孃子を、 目立つて見える紅顏のお孃さんを
伊邪佐佐婆 余良斯那 いざささば 好よらしな。 さあ手に入れたら宜いでしよう。
     
又御歌曰。  また、御歌よみしたまひしく、  また、
     
美豆多麻流 水渟たまる 水のたまつている
余佐美能伊氣能 依網よさみの池の 依網よさみの池の
韋具比宇知「比斯」賀 堰杙ゐぐひ打ちが  堰杙せきくいを打うつてあつたのを
「良能」佐斯祁流 斯良邇 刺しける知らに、 知しらずに
奴那波久理 ぬなは繰くり  ジュンサイを手繰たぐつて
波閇祁久斯良邇 延はへけく知らに、 手の延びていたのを知しらずに
和賀許許呂志(叙) 吾が心しぞ  
伊夜袁許邇斯弖 いやをこにして 氣のつかない事をして
伊麻叙久夜斯岐 今ぞ悔しき。 殘念だつた。
     
如此歌而賜也。 と、かく歌ひて賜ひき。  かようにお歌いになつて賜わりました。
故被賜其孃子之後。 かれその孃子を賜はりて後に、 その孃子を賜わつてから後に
太子歌曰。 太子ひつぎのみこの
歌よみしたまひしく、
太子の
お詠みになつた歌、
     
美知能斯理 道の後しり 遠い國の
古波陀袁登賣袁 古波陀孃子こはだをとめを、 古波陀こはだのお孃さんを、
迦微能碁登 雷かみのごと 雷鳴かみなりのように
岐許延斯迦杼母 聞えしかども 音高く聞いていたが、
阿比麻久良麻久 相枕あひまくら纏まく。 わたしの妻つまとしたことだつた。
     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  また、
     
美知能斯理 道の後 遠い國の
古波陀袁登賣波 古波陀孃子は、 古波陀こはだのお孃さんが、
阿良蘇波受 爭はず 爭わずに
泥斯久袁斯叙母 寢しくをしぞも、 わたしの妻となつたのは、
宇流波志美意母布 愛うるはしみ思おもふ。 かわいい事さね。
     
  と歌ひたまひき。  
     

吉野のクズの歌

     
又吉野之國主等。  また、吉野えしのの國主くずども、  また、吉野のクズどもが
瞻大雀命之
所佩御刀。
大雀の命の
佩はかせる御刀を見て、
オホサザキの命の
佩おびておいでになるお刀を見て
歌曰。 歌ひて曰ひしく、 歌いました歌は、
     
本牟多能 品陀ほむだの  天子樣の
比能美古 日の御子、 日の御子である
意富佐邪岐 大雀おほさざき  オホサザキ樣、
意富佐邪岐 大雀。 オホサザキ樣の
波加勢流多知 佩かせる大刀、 お佩はきになつている大刀は、
母登都流藝 本劍もとつるぎ 本は鋭く、
須惠布由 末すゑふゆ。 切先きつさきは魂あり、
布由紀能 冬木の 冬木の
須加良賀志多紀能 すからが下した木の すがれの下の木のように
佐夜佐夜 さやさや。 さやさやと鳴り渡る。
     
又於
吉野之白檮上。
 また、
吉野の白檮かしの生ふに
 また吉野のカシの木の
作横臼而。 横臼よくすを作りて、 ほとりに臼を作つて、
於其横臼。 その横臼に その臼で
釀大御酒。 大御酒おほみきを釀かみて、 お酒を造つて、
獻其大御酒之時。 その大御酒を獻る時に、 その酒を獻つた時に、
撃口鼓
爲伎而
歌曰。
口鼓くちつづみを撃ち、
伎わざをなして、
歌ひて曰ひしく、
口鼓を撃ち
演技をして
歌つた歌、
     
加志能布邇 白檮かしの生ふに カシの木の原に
余久須袁都久理 横臼よくすを作り、 横の廣い臼を作り
余久須邇 横臼に その臼に
迦美斯意富美岐 釀かみし大御酒、 釀かもしたお酒、
宇麻良爾 うまらに  おいしそうに
岐許志母知袁勢 聞こしもちをせ。 召し上がりませ、
麻呂賀知 まろが父ち。 わたしの父とうさん。
     
此歌者。  この歌は、  この歌は、
國主等。 國主くずども クズどもが
獻大贄之時時。 大贄にへ獻る時時、 土地の産物を獻る時に、
恒至于今。 恆に今に至るまで 常に今でも
詠之歌者也。 歌ふ歌なり。 歌う歌であります。
     

文化の渡来

     
此之御世。
定賜。
海部。
山部。
山守部。
伊勢部也。
 この御世に、
海部あまべ、
山部やまべ、
山守部やまもりべ、
伊勢部いせべを
定めたまひき。
 この御世に、
海部あまべ・
山部・
山守部・
伊勢部を
お定めになりました。
亦作劍池。 また劒の池を作りき。 劒の池を作りました。
亦新羅人
參渡來。
また新羅人しらぎひと
まゐ渡り來つ。
また新羅人しらぎびとが
渡つて來ましたので、
是以建内宿禰命。 ここを以ちて建内の宿禰の命、 タケシウチの宿禰が
引率。 引き率ゐて、 これを率ひきいて
爲役之堤池而。 堤の池に渡りて、 堤の池に渡つて
作百濟池。 百濟くだらの池を作りき。 百濟くだらの池を作りました。
     
亦百濟國主
照古王。
 また百濟の國主こにきし
照古せうこ王、
 また百濟くだらの國王
照古王しようこおうが
以牡馬壹疋。 牡馬をま壹疋ひとつ、 牡馬おうま一疋・
牝馬壹疋。 牝馬めま壹疋を、 牝馬めうま一疋を
付阿知吉師
以貢上。
阿知吉師あちきしに付けて
貢たてまつりき。
アチキシに付けて
貢たてまつりました。
〈此阿知吉師者。
阿直史等之祖〉
この阿知吉師は
阿直あちの史等が祖なり。
このアチキシは
阿直あちの史等ふみひとの祖先です。
亦貢上横刀及大鏡。 また大刀と大鏡とを貢りき。 また大刀と大鏡とを貢りました。
     

和邇吉師(王仁→応神):論語と千字文

     
又科賜。
百濟國。
若有賢人者貢上。
また百濟の國に仰せたまひて、
「もし賢さかし人あらば貢れ」
とのりたまひき。
また百濟の國に、
もし賢人があれば貢れと
仰せられましたから、
     
故受命以貢上人。 かれ命を受けて貢れる人、 命を受けて貢つた人は
名和邇吉師。 名は和邇吉師わにきし、 ワニキシといい、
即論語十卷。 すなはち論語十卷とまき、 論語十卷・
千字文一卷。 千字文一卷、 千字文じもん一卷、
并十一卷。 并はせて十一卷とをまりひとまきを、 合わせて十一卷を
付是人即貢進。 この人に付けて貢りき。 この人に付けて貢りました。
〈此和邇吉師者。
文首等祖〉
この和爾吉師は
文の首等が祖なり。
 
     
又貢上。手人
韓鍛。名卓素。
亦呉服西素
二人也。
また手人
韓鍛からかぬち名は卓素たくそ、
また呉服くれはとり西素さいそ
二人を貢りき。
また工人の
鍛冶屋かじや卓素たくそという者、
また機はたを織る西素さいその
二人をも貢りました。
     
又秦造之祖。 また秦はたの造みやつこの祖、 秦はたの造みやつこ、
漢直之祖。 漢あやの直あたへの祖、 漢あやの直あたえの祖先、
及知釀酒人。
名仁番。
亦名須須許理等。
また酒みきを釀かむことを知れる人、
名は仁番にほ、
またの名は須須許理すすこり等、
それから酒を造ることを知しつている
ニホ、
またの名なをススコリという者等も
參渡來也。 まゐ渡り來つ。 渡つて參りました。
     

ススコリの歌

     
故是須須許理。 かれこの須須許理、 このススコリは
釀大御酒以獻。 大御酒を釀かみて獻りき。 お酒を造つて獻りました。
於是天皇。 ここに天皇、 天皇が
宇羅宜
是所獻之大御酒而。
〈宇羅宜三字以音〉
この獻れる大御酒に
うらげて、
この獻つたお酒に
浮かれて
御歌曰。 御歌よみしたまひしく、 お詠みになつた歌は、
     
須須許理賀 須須許理が ススコリの
迦美斯美岐邇 釀かみし御酒に 釀かもしたお酒に
和禮惠比邇祁理 われ醉ひにけり。 わたしは醉いましたよ。
許登那具志 事無酒咲酒なぐし 平和へいわなお酒、
惠具志爾 ゑぐしに、 樂しいお酒に
和禮惠比邇祁理 われ醉ひにけり。 わたしは醉いましたよ。
     
如此之歌
幸行時。
 かく歌ひつつ
幸でましし時に、
 かようにお歌いになつて
おいでになつた時に、
以御杖
打大坂連中之
大石者。
御杖もちて、
大坂の道中なる
大石を打ちたまひしかば、
御杖で
大坂の道の中にある
大石をお打ちになつたから、
其石走避。 その石走り避さりき。 その石が逃げ走りました。
故諺曰
堅石
避醉人也。
かれ諺に
堅石かたしはも
醉人ゑひびとを避さる
といふなり。
それで諺ことわざに
「堅い石でも
醉人よつぱらいに遇うと逃げる」
というのです。
     

大山守の乱

     
故天皇崩之後。  かれ天皇崩かむあがりましし後に、  かくして天皇がお崩かくれになつてから、
大雀命者。 大雀の命は、 オホサザキの命は
從天皇之命。 天皇の命のまにまに、 天皇の仰せのままに
以天下。 天の下を 天下を
讓宇遲能和紀郎子。 宇遲の和紀郎子に讓りたまひき。 ウヂの若郎子に讓りました。
     
於是大山守命者。 ここに大山守の命は、 しかるにオホヤマモリの命は
違天皇之命。 天皇の命に違ひて、 天皇の命に背いて
猶欲獲天下。 なほ天の下を獲むとして、 やはり天下を獲えようとして、
有殺
其弟皇子之情。
その弟皇子おとみこを
殺さむとする心ありて、
その弟の御子を
殺そうとする心があつて、
竊設兵
將攻。
竊みそかに兵つはものを設まけて
攻めむとしたまひき。
竊に兵士を備えて
攻めようとしました。
     
爾大雀命。 ここに大雀の命、 そこでオホサザキの命は
聞其兄備兵。 その兄の軍を備へたまふことを聞かして、 その兄が軍をお備えになることをお聞きになつて、
即遣使者。 すなはち使を遣して、 使を遣つて
令告宇遲能和紀郎子。 宇遲の和紀郎子に告げしめたまひき。 ウヂの若郎子に告げさせました。
     
故聞驚。 かれ聞き驚かして、 依つてお驚きになつて、
以兵伏河邊。 兵を河の邊べに隱し、 兵士を河のほとりに隱し、
亦其山之上。 またその山の上に、 またその山の上に
張施垣
立帷幕。
きぬがきを張り、
帷幕あげばりを立てて、
テントを張り、
幕を立てて、
詐以。 詐りて、 詐つて
舍人爲王。 舍人とねりを王になして、 召使を王樣として
露坐呉床。 露あらはに呉床あぐらにませて、 椅子にいさせ、
百官。 百官つかさづかさ、 百官が
恭敬往來之状。 敬ゐやまひかよふ状、 敬禮し往來する樣は
既如
王子之坐所而。
既に
王子のいまし所の如くして、
あたかも
王のおいでになるような有樣にして、
更爲其兄王。 更にその兄王の また兄の王の
渡河之時。 河を渡りまさむ時のために、 河をお渡りになる時の用意に、
具餝船楫。 船かぢを具へ飾り、 船ふねかじを具え飾り、
者舂佐那
〈此二字以音〉
葛之根。
また佐那葛さなかづらの根を
臼搗うすづき、
さな葛かずらという蔓草の根を
臼でついて、
取其汁滑而。 その汁の滑なめを取りて、 その汁の滑なめを取り、
塗其船中之
簀椅。
その船の中の
簀椅すばしに塗りて、
その船の中の
竹簀すのこに塗つて、
設蹈應仆而。 蹈みて仆るべく設まけて、 蹈めば滑すべつて仆れるように作り、
其王子者。 その王子は、 御子は
服布衣褌。 布たへの衣褌きぬはかまを服きて、 みずから布の衣裝を著て、
既爲賎人之形。 既に賤人やつこの形になりて、 賤しい者の形になつて
執楫立船。 かぢを取りて立ちましき。 棹を取つて立ちました。
     
於是其兄王。 ここにその兄王、 ここにその兄の王が
隱伏兵士。 兵士いくさびとを隱し伏せ、 兵士を隱し、
衣中服鎧。 鎧を衣の中に服きせて、 鎧よろいを衣の中に著せて、
到於河邊。 河の邊に到りて、 河のほとりに到つて
將乘船時。 船に乘らむとする時に、 船にお乘りになろうとする時に、
望其嚴餝之處。 その嚴飾かざれる處を望みさけて、 そのいかめしく飾つた處を見遣つて、
以爲弟王。 弟王 弟の王が
坐其呉床。 その呉床あぐらにいますと
思ほして、
その椅子においでになると
お思いになつて、
都不知。
執楫而
立船。
ふつにかぢを取りて
船に立ちませることを
知らず、
棹を取つて
船に立つておいでになることを
知らないで、
即問
其執楫者曰。
すなはちそのかぢ執れる者に
問ひたまはく、
その棹を取つている者に
お尋ねになるには、
     
傳聞。
茲山有忿怒之大猪。
「この山に怒れる大猪ありと
傳つてに聞けり。
「この山には怒つた大猪があると
傳え聞いている。
吾欲取其猪。 吾その猪を取らむと思ふを、 わしがその猪を取ろうと思うが
若獲其猪乎。 もしその猪を獲むや」
と問ひたまへば、
取れるだろうか」
とお尋ねになりましたから、
爾執楫者。 かぢ執れる者答へて曰はく、 棹を取つた者は
答曰不能也。 「得たまはじ」といひき。 「それは取れますまい」と申しました。
亦問曰何由。 また問ひたまはく、
「何とかも」と問ひたまへば、
また「どうしてか」と
お尋ねになつたので、
答曰。 答へたまはく  
時時也徃徃也。 「時時よりより往往ところどころにして、 「たびたび取ろうとする者があつたが
雖爲取而不得。 取らむとすれども得ず。 取れませんでした。
是以白
不能也。
ここを以ちて得たまはじと
白すなり」といひき。
それだからお取りになれますまい
と申すのです」と申しました。
     
渡到河中之時。 渡りて河中に到りし時に、 さて、渡つて河中に到りました時に、
令傾其船。 その船を傾かたぶけしめて、 その船を傾けさせて
墮入水中。 水の中に墮し入れき。 水の中に落し入れました。
爾乃浮出。 ここに浮き出でて、 そこで浮き出て
隨水流下。 水のまにまに流れ下りき。 水のまにまに流れ下りました。
即流歌曰。 すなはち流れつつ歌よみしたまひしく、 流れながら歌いました歌は、
     
知波夜夫流 ちはやぶる 流れの早い
宇遲能和多理邇 宇治の渡に、 宇治川の渡場に
佐袁斗理邇 棹取りに 棹を取るに
波夜祁牟比登斯 速はやけむ人し 早い人は
和賀毛古邇許牟 わが伴もこに來こむ。 わたしのなかまに來てくれ。
     
  と歌ひき。  
     
於是
伏隱河邊之兵。
ここに
河の邊に伏し隱れたる兵、
 そこで
河の邊に隱れた兵士が、
彼廂此廂。 彼廂此廂あなたこなた、 あちこちから
一時共興。 一時もろともに興りて、 一時に起つて
矢刺
而流。
矢刺して
流しき。
矢をつがえて攻めて
川を流れさせました。
故到
訶和羅之前而。
沈入。
〈訶和羅三以以音〉
かれ訶和羅かわらの前さきに
到りて
沈み入りたまふ。
そこでカワラの埼さきに
到つて
沈みました。
     
故以鉤探其沈處者。 かれ鉤かぎを以ちて、
その沈みし處を探りしかば、
それで鉤かぎをもつて
沈んだ處を探りましたら、
繋其衣中甲而。 その衣の中なる
甲よろひに繋かかりて、
衣の中の
鎧にかかつて
訶和羅鳴。 かわらと鳴りき。 カワラと鳴りました。
故號其地謂
訶和羅前也。
かれ其所そこに名づけて
訶和羅の前といふなり。
依つて其處の名を
カワラの埼というのです。
     

梓弓の歌

     
爾掛出其骨之時。 ここにその骨かばねを掛き出だす時に、 その屍體を掛け出した時に
弟王歌曰。 弟王、御歌よみしたまひしく、 歌つた弟の王の御歌、
     
知波夜比登 宇遲能和多理邇 ちはや人 宇治の渡に、 流れの早い 宇治川の渡場に
和多理是邇 多弖流 渡瀬わたりぜに 立てる 渡場に立つている
阿豆佐由美 麻由美 梓弓あづさゆみ 檀まゆみ。 梓弓とマユミの木、
伊岐良牟登 許許呂波母閇杼 いきらむと 心は思もへど、 切ろうと心には思うが
伊斗良牟登 許許呂波母閇杼 い取らむと 心は思もへど、 取ろうと心には思うが、
母登幣波 岐美袁淤母比傳 本方もとべは 君を思ひ出で、 本の方では君を思い出し
須惠幣波 伊毛袁淤母比傳 末方すゑへは 妹を思ひ出で、 末の方では妻を思い出し
伊良那祁久 曾許爾淤母比傳 いらなけく そこに思ひ出で、 いらだたしく其處で思い出し
加那志祁久 許許爾淤母比傳 愛かなしけく ここに思ひ出で、 かわいそうに其處で思い出し、
伊岐良受曾久流 いきらずぞ來くる。 切らないで來た
阿豆佐由美 麻由美 梓弓檀。 梓弓とマユミの木。
     
故其
大山守命之骨者。
 かれその
大山守の命の骨は、
 その
オホヤマモリの命の屍體をば
葬于那良山也。 那良なら山に葬をさめき。 奈良山に葬りました。
     
是大山守命者。 この大山守の命は このオホヤマモリの命は、
〈土形君。
弊岐君。
榛原君等之祖〉
土形ひぢかたの君、
幣岐へきの君、
榛原はりはらの君等が祖なり。
土形ひじかたの君・
幣岐へきの君・
榛原はりはらの君等の祖先です。
     

海人の貢物

     
於是大雀命。
與宇遲能和紀郎子
二柱。
 ここに大雀の命と
宇遲の和紀郎子と
二柱、
 かくてオホサザキの命と
ウヂの若郎子と
お二方、
各讓天下之間。 おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、 おのおの天下をお讓りになる時に、
海人貢大贄。 海人あま大贄にへを貢りつ。 海人あまが貢物を獻りました。
爾兄辭
令貢於弟。
ここに
兄は辭いなびて、
弟に貢らしめたまひ、
依つて兄の王はこれを拒んで
弟の王に獻らしめ、
弟辭令貢於
兄相讓之間。
弟はまた
兄に貢らしめて、
相讓りたまふあひだに
弟の王はまた
兄の王に獻らしめて、
互にお讓りになる間に
既經多日。 既に許多あまたの日を經つ。 あまたの日を經ました。
     
如此相讓
非一二時
かく相讓りたまふこと
一度二度にあらざりければ、
かようにお讓り遊ばされることは
一度二度でありませんでしたから、
故海人
既疲往還而泣也。
海人あまは
既に往還ゆききに疲れて泣けり。
海人は
往來に疲れて泣きました。
故諺曰。 かれ諺に、 それで諺に、
海人乎。 「海人あまなれや、 「海人だから
因己物而泣也。 おのが物から音ね泣く」といふ。 自分の物ゆえに泣くのだ」というのです。
     

宇遲能和紀郎子者
早崩。
然れども
宇遲の和紀郎子は
早く崩かむさりましき。
しかるに
ウヂの若郎子は
早くお隱れになりましたから、
故大雀命 かれ大雀の命、 オホサザキの命が
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

天の日矛(あめのひほこ)

     
又昔。  また昔  また
有新羅國主之子。 新羅しらぎの國主こにきしの子、 新羅しらぎの國王の子の
名謂天之日矛。 名は天あめの日矛ひぼこといふあり。 天あめの日矛ひほこという者がありました。
是人參渡來也。 この人まゐ渡り來つ。 この人が渡つて參りました。
所以參渡來者。 まゐ渡り來つる故は、 その渡つて來た故は、
新羅國有一沼。 新羅の國に一つの沼あり、 新羅の國に一つの沼がありまして、
名謂
阿具奴摩
〈自阿下四字以音〉
名を
阿具沼
あぐぬまといふ。
アグ沼といいます。
     
此沼之邊。 この沼の邊に、 この沼の邊で
一賎女晝寢。 ある賤の女晝寢したり。 或る賤の女が晝寢をしました。
於是日耀
如虹指
其陰上。
ここに日の耀ひかり
虹のじのごと、
その陰上ほとに指したるを、
其處に日の光が
虹のように
その女にさしましたのを、
亦有一賤夫。 またある賤の男、 或る賤の男が
思異其状。 その状を異あやしと思ひて、 その有樣を怪しいと思つて、
恒伺其女人之行。 恆にその女人をみなの行を伺ひき。 その女の状を伺いました。
故是女人。 かれこの女人、 しかるにその女は
自其晝寢時妊身。 その晝寢したりし時より、姙みて、 その晝寢をした時から姙んで、
生赤玉。 赤玉を生みぬ。 赤い玉を生みました。
     
爾其所伺賤夫。 ここにその伺へる賤の男、  その伺つていた賤の男が
乞取其玉。 その玉を乞ひ取りて、 その玉を乞い取つて、
恒裹着腰。 恆に裹つつみて腰に著けたり。 常に包つつんで腰につけておりました。
     
此人
營田於山谷之間故。
この人、
山谷たにの間に田を作りければ、
この人は
山谷の間で田を作つておりましたから、
耕人等之飮食。 耕人たひとどもの飮食をしものを 耕作する人たちの飮食物を
負一牛而。 牛に負せて、 牛に負わせて
入山谷之中。 山谷たにの中に入るに、 山谷の中にはいりましたところ、
遇逢。
其國主之子
天之日矛。
その國主こにきしの子
天あめの日矛ひぼこに
遇ひき。
國王の子の
天の日矛が
遇いました。
     
爾問其人。 ここにその人に問ひて曰はく、 そこでその男に言うには、
曰何汝
飮食負牛。
「何なぞ汝いまし
飮食を牛に負せて
「お前はなぜ
飮食物を牛に背負わせて
入山谷。 山谷たにの中に入る。 山谷にはいるのか。
汝必殺
食是牛。
汝いましかならず
この牛を殺して食ふならむ」といひて、
きつと
この牛を殺して食うのだろう」と言つて、
即捕其人。 すなはちその人を捕へて、 その男を捕えて
將入獄囚。 獄内ひとやに入れむとしければ、 牢に入れようとしましたから、
其人答。 その人答へて曰はく、 その男が答えて言うには、
曰吾非殺牛。 「吾、牛を殺さむとにはあらず、 「わたくしは牛を殺そうとは致しません。
唯送田人之食耳。 ただ田人の食を送りつらくのみ」
といふ。
ただ農夫の食物を送るのです」
と言いました。
然猶不赦。 然れどもなほ
赦さざりければ、
それでも
赦しませんでしたから、
爾解其腰之玉。 ここにその腰なる玉を解きて、 腰につけていた玉を解いて
幣其國主之子。 その國主こにきしの子に幣まひしつ。 その國王の子に贈りました。
     
故赦其賤夫。 かれその賤の夫を赦して、 依つてその男を赦して、
將來其玉。 その玉を持ち來て、 玉を持つて來て
置於床邊。 床の邊べに置きしかば、 床の邊に置きましたら、
即化美麗孃子。 すなはち顏美き孃子になりぬ。 美しい孃子になり、
仍婚
爲嫡妻。
仍よりて婚まぐはひして
嫡妻むかひめとす。
遂に婚姻して
本妻としました。
     

アカル姫

     
爾其孃子。 ここにその孃子、 その孃子は、
常設種種之
珍味。
常に種種の
珍ためつ味ものを設けて、
常に種々の
珍味を作つて、
恒食其夫。 恆にその夫ひこぢに食はしめき。 いつもその夫に進めました。
     
故其國主之子。 かれその國主こにきしの子心奢りて、 しかるにその國王の子が心奢おごりして
心奢詈妻。 妻めを詈のりしかば、 妻を詈ののしりましたから、
其女人言。 その女人の言はく、 その女が
凡吾者。 「およそ吾は、 「大體わたくしは
非應爲汝妻之女。 汝いましの妻めになるべき女にあらず。 あなたの妻になるべき女ではございません。
將行吾祖之國。 吾が祖みおやの國に行かむ」といひて、 母上のいる國に行きましよう」と言つて、
即竊乘小船。 すなはち竊しのびて小を船に乘りて、 竊に小船に乘つて
逃遁渡來。 逃れ渡り來て、 逃げ渡つて來て
留于難波。 難波に留まりぬ。 難波に留まりました。
〈此者坐
難波之
比賣碁曾社。
謂阿加流比賣神者也〉
(こは難波の
比賣碁曾の社にます
阿加流比賣といふ神なり)
これは難波の
ヒメゴソの社においでになる
アカル姫という神です。
     
於是天之日矛。  ここに天の日矛、  そこで天の日矛が
聞其妻遁。 その妻めの遁れしことを聞きて、 その妻の逃げたことを聞いて、
乃追渡來。 すなはち追ひ渡り來て、 追い渡つて來て
將到難波之間。 難波に到らむとする間ほどに、 難波にはいろうとする時に、
其渡之神。 その渡の神 その海上の神が、
塞以不入。 塞さへて入れざりき。 塞いで入れませんでした。
     

但馬

     
故更還泊
多遲摩國。
かれ更に還りて、
多遲摩たぢまの國に泊はてつ。
依つて更に還つて、
但馬たじまの國に船泊はてをし、
即留其國而。 すなはちその國に留まりて、 その國に留まつて、

多遲摩之
俣尾之女。
名前津見。
多遲摩の
俣尾またをが女、
名は前津見まへつみに娶あひて
但馬の
マタヲの女の
マヘツミと結婚して
生子。多遲摩母呂須玖。 生める子、多遲摩母呂須玖もろすく。 生うんだ子はタヂマモロスクです。
此之子。多遲摩斐泥。 これが子多遲摩斐泥ひね。 その子がタヂマヒネ、
此之子。多遲摩比那良岐。 これが子多遲摩比那良岐ひならき。 その子がタヂマヒナラキ、
此之子。多遲麻毛理。 これが子多遲摩毛理もり五、 その子は、タヂマモリ・
次多遲摩比多訶。 次に多遲摩比多訶ひたか、 タヂマヒタカ・
次清日子。 次に清日子きよひこ キヨ彦の
〈三柱〉 三柱。 三人です。
     
此清日子。 この清日子、 このキヨ彦が
娶當摩之咩斐。 當摩たぎまの咩斐めひに娶ひて タギマノメヒと結婚して
生子。 生める子、 生うんだ子が
酢鹿之諸男。 酢鹿すがの諸男もろを、 スガノモロヲと
次妹菅竈〈上〉
由良度美。
〈此四字以音〉
次に妹
菅竈由良度美
すがかまゆらどみ、
スガカマ
ユラドミです。
     
故上云
多遲摩比多訶。
かれ上にいへる
多遲摩比多訶、
上に擧げたタヂマヒタカが
娶其姪
由良度美。
その姪
由良度美に娶ひて
その姪めいの
ユラドミと結婚して
生子。 生める子、 生んだ子が
葛城之
高額比賣命。
葛城かづらきの
高額たかぬか比賣の命。
葛城の
タカヌカ姫の命で、
〈此者
息長帶比賣命之
御祖〉
(こは
息長帶比賣の命の
御祖なり)
これがオキナガタラシ姫の命
(神功皇后)の
母君です。
     

玉巾鏡

     

其天之日矛
持渡來物者。
 かれ
その天の日矛の
持ち渡り來つる物は、
 この
天の日矛の
持つて渡つて來た寶物は、
玉津寶云而。 玉たまつ寶たからといひて、 玉つ寶という
珠二貫。 珠二貫つら、 玉の緒に貫いたもの二本、
又振浪比禮。
〈比禮二字以音。
下效此〉
また浪なみ振ふる
比禮ひれ、
また浪振る
領巾ひれ・
切浪比禮。 浪なみ切きる比禮、 浪切る領巾・
振風比禮。 風振る比禮、 風振る領巾・
切風比禮。 風切る比禮、 風切る領巾・
又奧津鏡。 また奧おきつ鏡、 奧つ鏡・
邊津鏡。 邊へつ鏡、 邊つ鏡、
并八種也。 并はせて八種なり。 合わせて八種です。
〈此者
伊豆志之
八前大神也〉
(こは
伊豆志の
八前の大神なり)
これらは
イヅシの社
やしろに祭まつつてある八神です。
     

秋山と春山

     
故茲
神之女。
 かれここに
神の女、
 ここに
神の女むすめ、

伊豆志
袁登賣神坐也。
名は
伊豆志袁登賣
いづしをとめの神います。
イヅシ
孃子という神がありました。
故八十神。 かれ八十神、 多くの神が
雖欲得是
伊豆志袁登賣。
この伊豆志袁登賣を
得むとすれども、
このイヅシ孃子を
得ようとしましたが
皆不得婚。 みなえ婚よばはず。 得られませんでした。
於是有二神。 ここに二柱の神あり。 ここに
兄號
秋山之下氷壯夫。
兄の名を
秋山の下氷壯夫したびをとこ、

秋山の下氷壯夫したひおとこ・
弟名
春山之霞壯夫。
弟の名は
春山の霞壯夫かすみをとこなり。
春山の霞壯夫かすみおとこという
兄弟の神があります。
     
故其兄謂其弟。 かれその兄、その弟に謂ひて、 その兄が弟に言いますには、
吾雖乞伊豆志袁登賣。 「吾、伊豆志袁登賣を乞へども、 「わたしはイヅシ孃子を得ようと思いますけれども
不得婚。 え婚はず。 得られません。
汝得此孃子乎。 汝いましこの孃子を得むや」
といひしかば
お前はこの孃子を得られるか」と言いましたから、
答曰易得也。 答へて曰はく、
「易く得む」といひき。
「たやすいことです」
と言いました。
     
爾其兄曰。 ここにその兄の曰はく、 そこでその兄の言いますには、
若汝有得此孃子者。 「もし汝、この孃子を得ることあらば、 「もしお前がこの孃子を得たなら、
避上下衣服。 上下の衣服きものを避さり、 上下の衣服をゆずり、
量身高而釀甕酒。 身の高たけを量りて
甕みかに酒を釀かみ、
身の丈たけほどに
甕かめに酒を造り、
亦山河之物。 また山河の物を また山河の産物を
悉備設。 悉に備へ設けて、 悉く備えて
爲宇禮豆玖云爾
〈自宇至玖以音。下效此〉
うれづくをせむ」
といふ。
御馳走をしよう」
と言いました。
     
爾其弟。 ここにその弟、 そこでその弟が
如兄言
具白其母。
兄のいへる如、
つぶさにその母に白ししかば、
兄の言つた通りに
詳しく母親に申しましたから、
即其母。 すなはちその母、 その母親が
取布遲葛而。
〈布遲二字以音〉
ふぢ葛かづらを取りて、 藤の蔓を取つて、
一宿之間。 一夜の間ほどに、 一夜のほどに
織縫。
衣褌。
及襪沓。
衣きぬ、褌はかま、
また襪したぐつ、
沓くつを織り縫ひ、
衣ころも・褌はかま・
襪くつした・
沓くつまで織り縫い、
亦作弓矢。 また弓矢を作りて、 また弓矢を作つて、
令服其衣褌等。 その衣褌等を服しめ、 衣裝を著せ
令取其弓矢。 その弓矢を取らしめて、 その弓矢を持たせて、
遣其孃子之家者。 その孃子の家に遣りしかば、 その孃子の家に遣りましたら、
其衣服及弓矢。 その衣服も弓矢も その衣裝も弓矢も
悉成藤花。 悉に藤の花になりき。 悉く藤の花になりました。
     
於是其春山之霞壯夫。 ここにその春山の霞壯夫、 そこでその春山の霞壯夫が
以其弓矢。 その弓矢を 弓矢ゆみやを
繋孃子之厠。 孃子の厠に繋けたるを、 孃子の厠に懸けましたのを、
爾伊豆志袁登賣。 ここに伊豆志袁登賣、 イヅシ孃子が
思異其花。 その花を異あやしと思ひて、 その花を不思議に思つて、
將來之時。 持ち來る時に、 持つて來る時に、
立其孃子之後。 その孃子の後に立ちて、 その孃子のうしろに立つて、
入其屋
即婚。
その屋に入りて、
すなはち婚まぐはひしつ九。
その部屋にはいつて
結婚をして、
故生一子也。 かれ一人の子を生みき。 一人の子を生みました。
     
爾白其兄曰。  ここにその兄に白して曰はく、  そこでその兄に
吾者。
得伊豆志袁登賣。
「吾あは
伊豆志袁登賣を得つ」といふ。
「わたしは
イヅシ孃子を得ました」と言う。
於是其兄。 ここにその兄、 しかるに兄は
慷愾弟之婚以。 弟の婚ひつることを慨うれたみて、 弟の結婚したことを憤つて、
不償其宇禮豆玖之物。 そのうれづくの物を償はざりき。 その賭けた物を償いませんでした。
爾愁白其母之時。 ここにその母に愁へ白す時に、 依つてその母に訴えました。
     
御祖答曰。 御祖の答へて曰はく、 母親が言うには、
我御世之事。 「我が御世の事、 「わたしたちの世の事は、
能許曾
〈此二字以音〉
神習。
能くこそ
神習はめ。
すべて
神の仕業に習うものです。
又宇都志岐青人草習乎。 またうつしき青人草習へや、 それだのにこの世の人の仕業に習つてか、
不償其物。 その物償はぬ」といひて、 その物を償わない」と言つて、
恨其兄子。 その兄なる子を恨みて、 その兄の子を恨んで、
     
乃取其
伊豆志河之
河嶋節竹而。
すなはちその
伊豆志河いづしかはの
河島の一節竹よだけを取りて、
イヅシ河の
河島の節のある竹を取つて、
作八目之荒籠。 八やつ目めの
荒籠あらこを作り、
大きな目の
荒い籠を作り、
取其河石。 その河の石を取り、 その河の石を取つて、
合鹽而。 鹽に合へて、 鹽にまぜて
裹其竹葉。 その竹の葉に裹み、 竹の葉に包んで、
令詛言。 詛言とこひいはしめしく、 詛言のろいごとを言つて、
如此竹葉青。 「この竹葉たかばの青むがごと、 「この竹の葉の青いように、
如此竹葉萎而。 この竹葉の萎しなゆるがごと、 この竹の葉の萎しおれるように、
青萎。 青み萎えよ。 青くなつて萎れよ。
又如此
鹽之盈乾而。
またこの
鹽の盈みち乾ふるがごと、
またこの
鹽の盈みちたり乾ひたりするように
盈乾。 盈ち乾ひよ。 盈ち乾よ。
     
又如此
石之沈而。沈臥。
またこの
石の沈むがごと、沈み臥せ」と
またこの
石の沈むように沈み伏せ」と、
如此令詛
置於烟上。
かく詛とこひて、
竈へつひの上に置かしめき。
このように詛のろつて、
竈かまどの上に置かしめました。
是以其兄。 ここを以ちてその兄 それでその兄が
八年之間。 八年の間に 八年もの間、
于萎病枯。 干かわき萎え病み枯れき。 乾かわき萎しおれ病やみ伏ふしました。
     
故其兄患泣。 かれその兄患へ泣きて、 そこでその兄が、
請其御祖者。 その御祖に請ひしかば、 泣なき悲しんで願いましたから、
即令返其詛戸。 すなはちその詛戸とこひどを返さしめき。 その詛のろいの物をもとに返しました。
於是其身
如本以安平也。
ここにその身
本の如くに安平やすらぎき。
そこでその身が
もとの通りに安らかになりました。
〈此者
神宇禮豆玖
之言本者也〉
(こは
神うれづく
といふ言の本なり)
 
     

系譜(應神天皇)

     
又。
此品陀天皇之御子。
 また
この品陀ほむだの天皇の御子、
 このホムダの天皇の御子の
若野毛二俣王。 若野毛二俣
わかのけふたまたの王、
ワカノケフタマタの王が、
娶其母弟。
百師木伊呂辨。
亦名
弟日賣眞若比賣命。
その母の弟、
百師木伊呂辨ももしきいろべ、
またの名は
弟日賣眞若
おとひめまわか比賣の命に娶ひて
その母の妹の
モモシキイロベ、
またの名は
オトヒメマワカ姫の命と
結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は、
大郎子。
亦名
意富富杼王。
大郎子おほいらつこ、
またの名は
意富富杼おほほどの王、
大郎子、
またの名は
オホホドの王・
次忍坂之大中津比賣命。 次に忍坂おさかの大中津おほなかつ比賣の命、 オサカノオホナカツ姫の命・
次田井之中比賣。 次に田井たゐの中比賣、 タヰノナカツ姫・
次田宮之中比賣。 次に田宮たみやの中比賣、 タミヤノナカツ姫・
次藤原之琴節郎女。 次に藤原の琴節ことふしの郎女いらつめ、 フヂハラノコトフシの郎女・
次取〈上〉賣王。 次に取賣とりめの王、 トリメの王・
次沙禰王〈七王〉。 次に沙禰さねの王七柱。 サネの王の七人です。
     
故意富富杼王者。 かれ意富富杼の王は そこでオホホドの王は、
〈三國君。 三國の君、 三國の君・
波多君。 波多の君、 波多の君・
息長君。 息長の君、 息長おきながの君・
酒田酒人君。 酒人の君、 酒人の君・
山道君。 山道の君、 山道の君・
筑紫之末多君。 筑紫の米多の君、 筑紫の米多の君・
  長坂の君、 長坂の君・
布勢君等之祖也〉 布勢の君等が祖なり。 布勢の君の祖先です。
     
又根鳥王。 また根鳥の王、 またネトリの王が

庶妹
三腹郎女。
庶妹ままいも
三腹みはらの郎女に
娶ひて
庶妹
ミハラの郎女と
結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は、
中日子王。 中日子なかひこの王、 ナカツ彦の王、
次伊和嶋王。 次に伊和島いわじまの王 イワシマの王の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
又堅石王之子者。 また堅石かたしはの王の子は、 またカタシハの王の子は
久奴王也。 久奴くぬの王なり。 クヌの王です。
     

最期(應神天皇)

     
凡此品陀天皇。  およそこの品陀の天皇。 すべてこのホムダの天皇は
御年壹佰參拾歳。 御年一百三十歳ももぢまりみそぢ。 御年百三十歳、
  甲午の年九月九日に崩りたまひき。 甲午の九月九日にお隱れになりました。
御陵
在川内
惠賀之
裳伏岡也。
御陵は、
川内かふちの
惠賀ゑがの
裳伏もふしの岡にあり。
御陵は
河内の
惠賀えがの
裳伏もふしの岡にあります。