枕草子83段 かへる年の二月廿日よ日

頭の中将の 枕草子
上巻下
83段
かへる年の
里へ

(旧)大系:83段
新大系:79段、新編全集:79段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:87段
 


 
 かへる年の二月廿日よ日、宮の職へ出でさせ給ひし、御供に参らで、梅壺に残りゐたりし、またの日、頭の中将の御消息とて、「昨日の夜、鞍馬にまうでたりしに、今宵、方のふたがりければ、方違へになむいく。まだ明けざらむに帰りぬべし。かならずいふべきことあり。いたうたたかせで待て」と宣へりしかど、「局にひとりはなどてあるぞ。ここに寝よ」と御匣殿の召したれば、参りぬ。
 

 ひさしう寝起きて、下りたれば、「昨夜いみじう人のたたかせ給ひし、からうじて起きて侍りしかば、『上にか、さらば、かくなむと聞こえよ』と侍りしかども、よも起きさせ給はじとて臥し侍りにき」と語る。
 心もなのことや、と聞くほどに、主殿司来て、「頭の殿の聞こえさせ給ふ、『ただいままかづるを、きこゆべきことなむある』」といへば、「見るべきことありて、上になむのぼり侍る。そこにて」といひてやりつ。
 

 局は、引きもあけ給はむと、心ときめきわづらはしければ、梅壺の東面、半蔀あげて、「ここに」といへば、めでたくぞあゆみ出で給へる。
 

 桜の直衣のいみじくはなばなと、裏のつやなど、えもいはずきよらなるに、葡萄染のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織りみだりて、くれなゐの色、打ち目など、かがやくばかりぞ見ゆる。
 しろき、薄色など、下にあまたかさなり、せばき縁に、かたつかたは下ながら、すこし簾のもとちかうよりゐ給へるぞ、まことに絵にかき、物語のめでたきことにいひたる、これにこそはとぞ見えたる。
 

 御前の梅は、西はしろく、東は紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。
 御簾の内に、まいてわかやかなる女房などの、髪うるはしう、こぼれかかりて、などいひためるやうにて、もののいらへなどしたらむは、いますこしをかしう、見所ありぬべきに、いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、所々わななきちりぼひて、おほかた色ことなる頃なれば、あるかなきかなる薄鈍、あはひも見えぬうは衣などばかり、あまたあれど、つゆのはえも見えぬに、おはしまさねば裳も着ず、袿姿にてゐたるこそ、物ぞこなひにてくちをしけれ。
 「職へなう参る。ことづけやある。いつか参る」など宣ふ。
 「さても、昨夜夜明かしもはてで、さりとも、かねてさいひしかば待つらむとて、月のいみじうあかきに、西の京といふ所より来るままに、局をたたきしほど、からうじて寝おびれ起きたりしけしき、いらへのはしたなき」など語りてわらひ給ふ。
 「むげにこそ思ひうんじにしか。などさる者をば置きたる」と宣ふ。
 げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもありし。
 

 しばしありて出で給ひぬ。
 外より見む人は、をかしく、いかなる人あらむと思ひぬべし。
 奥の方より見いだされたらむうしろこそ、外にさる人やはとおぼゆまじけれ。
 

 暮れぬれば参りぬ。
 御前に人々いとおほく、上人など候ひて、物語のよきあしき、にくき所などをぞ定め、いひそしる。
 涼、仲忠などがこと、御前にも、おとりまさりたるほどなど仰せられける。
 「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちに仰せらるるぞ」などいへば、「なにかは。琴なども、天人の下るばかり弾き出で、いとわるき人なり。帝の御むすめやは得たる」といへば、仲忠が方人ども、所を得て。「さればよ」などいふに、「このことどもよりは、昼、斉信が参りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそおぼえつれ」と仰せらるるに、「さて、まことに、つねよりもあらまほしくこそ」などいふ。
 「まづそのことをこそは啓せむと思ひて参りつるに、物語のことにまぎれて」とて、ありつることのさま、語り聞こえさすれば、「誰も見つれど、いとかう、縫ひたる糸、針目までやは見とほしつる」とて笑ふ。
 

 西の京といふ所のあはれなりつること、「もろともに見る人のあらましかばとなむおぼえつる。垣などもみな古りて、苔生ひてなむ」など語りつれば、宰相の君、「瓦に松はありつや」といらへたるに、いみじうめでて、「西の方、都門を去れる事いくばくの地ぞ」と口ずさびつることなど、かしがましきまでいひしこそをかしかりしか。