枕草子179段 宮仕人の里なども

女のひとり 枕草子
中巻中
179段
宮仕人の里
ある所に

(旧)大系:179段
新大系:172段、新編全集:172段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:178段
 


 
 宮仕人の里なども、親ども二人あるはいとよし。
 人しげく出で入り、奥のかたにあまた声々さまざま聞こえ、馬の音などして、いとさわがしきまであれど、とがもなし。
 されど、忍びてもあらはれても、おのづから、「出で給ひにけるをえしらで」とも、まて、「いつか参り給ふ」などいひに、さしのぞき来るもあり。
 

 心かけたる人、はたまたいかがは。門あけなどするを、うたてさわがしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。
 「大御門はしつや」など問ふなれば、「いま。まだ人のおはすれば」などいふものの、なまふせがしげに思ひていらふるにも、「人出で給ひなば、とくさせ。このごろ盗人いとおほかなり。火あやふし」などいひたるが、いとむつかしう、うち聞く人だにあり。
 

 この人の供なる者どもはわびぬにやあらむ、この客いまや出づると絶えずさしのぞきてけしき見る者どもを笑ふべかめり。まねうちするを聞かば、ましていかにきびしきいひとがめむ。いと色にいでていはぬも、思ふ心なき人は、かならず来などやはする。されど、すくよかなるは、「夜ふけぬ。御門あやふかなり」など笑ひて出でぬるもあり。まことに心ざしことなる人は、「はや」などあまたたび遣らはるれど、なほゐ明かせば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門を今宵らいさうとあけひろげて」と聞こえごちて、あぢきなく暁にぞさすなるは、いかがはにくきを。親添ひぬる、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへつつまし。せうとの家なども、けにくきはさぞあらむ。
 

 夜中、暁ともなく、門もいと心かしこうももてなさず、なにの宮、内裏わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子などもあげながら冬の夜をゐ明かして、人の出でぬる後も見いだしたるこそをかしけれ。有明などは、ましていとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、いそぎてもねられず、人のうへどもいひあはせて歌など語り聞くままに、寝入りぬるこそをかしけれ。
 
 

女のひとり 枕草子
中巻中
179段
宮仕人の里
ある所に