古事記 引田部赤猪子~原文対訳

若日下部王の歌 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
引田部赤猪子
志都歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

赤猪子(あかいこ)=赤子=ベイビー(可愛い子)

     
亦一時。  またある時  また或る時、
天皇遊行。 天皇いでまして、  
到於
美和河之時。
美和河みわがはに
到ります時に、
三輪河に
お遊びにおいでになりました時に、
河邊。 河の邊に 河のほとりに
有洗衣童女。 衣きぬ洗ふ童女をとめあり。 衣を洗う孃子がおりました。
其容姿甚麗。 それ顏いと好かりき。 美しい人でしたので、
天皇。
問其童女。
汝者誰子。
天皇その童女に、
「汝いましは誰が子ぞ」
と問はしければ、
天皇がその孃子に
「あなたは誰ですか」と
お尋ねになりましたから、
     
答白。 答へて白さく 「わたくしは
己名。

引田部
赤猪子。
「おのが名は
引田部ひけたべの
赤猪子あかゐことまをす」
と白しき。
引田部ひけたべの
赤猪子あかいこと申します」
と申しました。
爾令詔者。 ここに詔らしめたまひしくは そこで仰せられますには、
汝不嫁夫。 「汝いまし、嫁とつがずてあれ。 「あなたは嫁に行かないでおれ。
今將喚而。 今召さむぞ」とのりたまひて、 お召しになるぞ」と仰せられて、
還坐於宮。 宮に還りましつ。 宮にお還りになりました。
     

八十年経過=老女

     
故其赤猪子。 かれその赤猪子、 そこでその赤猪子が
仰待天皇之命。 天皇の命を仰ぎ待ちて、 天皇の仰せをお待ちして
既經八十歲。 既に八十歳やそとせを經たり。 八十年經ました。
於是赤猪子以爲。 ここに赤猪子 ここに赤猪子が思いますには、
望命之間。 「命みことを仰ぎ待ちつる間に、 「仰せ言を仰ぎ待つていた間に
已經多年。 已に多あまたの年を經て、 多くの年月を經て
姿體痩萎。 姿體かほかたち痩やさかみ
萎かじけてあれば、
容貌もやせ衰えたから、
更無所恃。 更に恃むところなし。 もはや恃むところがありません。
然非顯
待情。
然れども待ちつる心を
顯はしまをさずては、
しかし待つておりました心を
顯しませんでは
不忍於悒而。 悒いぶせきに忍あへじ」と思ひて、 心憂くていられない」と思つて、
令持
百取之
机代物。
百取ももとりの
机代つくゑしろの物を
持たしめて、
澤山の
獻上物を
持たせて
參出貢獻。 まゐ出で獻りき。 參り出て獻りました。
     
然天皇。 然れども天皇、 しかるに天皇は
既忘。
先所命之事。
先に詔りたまひし事をば、
既に忘らして、
先に仰せになつたことを
とくにお忘れになつて、
問其赤猪子曰。 その赤猪子に問ひてのりたまはく、 その赤猪子に仰せられますには、
汝者誰老女。 「汝いましは誰しの老女おみなぞ。 「お前は何處のお婆さんか。
何由以參來。 何とかもまゐ來つる」
と問はしければ、
どういうわけで出て參つたか」
とお尋ねになりましたから、
     
爾赤猪子答白。 ここに赤猪子答へて白さく、 赤猪子が申しますには
其年其月。 「それの年のそれの月に、 「昔、何年何月に
被天皇之命。 天皇が命を被かがふりて、 天皇の仰せを被つて、
仰待大命。 大命を仰ぎ待ちて、 今日まで御命令をお待ちして、
至于今日。 今日に至るまで  
經八十歲。 八十歳やそとせを經たり。 八十年を經ました。
今容姿既耆。 今は容姿既に老いて、 今、もう衰えて
更無所恃。 更に恃むところなし。 更に恃むところがございません。

顯白
己志以。
然れども、
おのが志を
顯はし白さむとして、
しかし
わたくしの志を
顯し申し上げようとして
參出耳。 まゐ出でつらくのみ」
とまをしき。
參り出たのでございます」
と申しました。
若日下部王の歌 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
引田部赤猪子
志都歌