宇治拾遺物語:日蔵上人、吉野山にて鬼にあふ事

空入水したる僧 宇治拾遺物語
巻第十一
11-11 (134)
吉野山にて鬼
丹後守保昌

 
 昔、吉野山の日蔵の君、吉野の奥におこなひありき給ひけるに、たけ七尺ばかりの鬼、身の色は紺青の色にて、髪は火のごとくに赤く、くび細く、むね骨は、ことにさしいでて、いらめき、腹ふくれて、脛は細くありけるが、このおこなひ人にあひて、手をつかねて、なくこと限りなし。
 

 「これはなにごとする鬼ぞ」と問へば、この鬼、涙にむせびながら申すやう、
 「われは、この四五百年を過ぎてのむかし人にて候ひしが、人のために恨みを残して、今はかかる鬼の身となりて候ふ。さてその敵をば、思ひのごとくに、とり殺してき。それが子、孫、ひこ、やしは子にいたるまで、残りなくとり殺しはてて、今は殺すべき者なくなりぬ。
 されば、なほかれらが生まれかはりまかる後までも知りて、とり殺さんと思ひ候ふに、つぎつぎの生まれ所、露もしらねば、取り殺すべきやうなし。瞋恚の炎は、おなじやうに、燃ゆれども、敵の子孫はたえはてたり。我ひとり、つきせぬ瞋恚の炎に、もえこがれて、せんかたなき苦をのみうけ侍り。
 かかる心を起さざらましかば、極楽天上にも生れなまし。殊に、恨みをとどめて、かかる身となりて、無量億劫の苦を受けんとすることの、せんかたなくかなしく候ふ。
 人のために恨みを残すは、しかしながら、我が身のためにてこそありけれ。敵の子孫は尽きはてぬ。わが命はきはまりもなし。かねてこのやうを知らましかば、かかる恨みをば、残さざらまし」といひ続けて、涙をながして、泣く事かぎりなし。
 そのあひだに、うへより、炎やうやう燃えいでけり。さて山の奥ざまへ、あゆみいりけり。
 

 さて日蔵の君、あはれと思ひて、それがために、さまざまの罪ほろぶべき事どもをし給ひけるとぞ。