源氏物語 34帖 若菜上:あらすじ・目次・原文対訳

藤裏葉 源氏物語
第二部
第34帖
若菜上
若菜下

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 若菜上のあらすじ

 光源氏39歳十二月から41歳三月までの話。

 源氏の兄朱雀院は先日出席した、六条院の行幸直後から病気を患い出家しようとするが、後見人の居ない愛娘女三宮の将来が心配で躊躇している。弟宮の蛍兵部卿宮や藤大納言・柏木など多くの貴公子が婿候補にあがるも、婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏に宮を託すことを決心、源氏もそれを承諾してしまった。

 それまで正妻格として認められてきた紫の上は動揺するが、それを隠して女三宮を源氏の正室として迎える準備をする。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。二月に女三宮が六条院に降嫁したが、女三宮のあまりの幼さに源氏は失望してしまう。また、紫の上は思わぬ展開に悲しみを内に秘めて次第に出家を望むようになっていった。

 朱雀院の出家で、院の御所も人気がなくなりかつて寵愛していた后妃たちもそれぞれ、ちりぢりになった事を従者から聞いた源氏。中でも、かつて恋に落ちた朧月夜が御所を出て元の実家(かつての右大臣邸)へ帰った事を知り、政敵の娘との許されぬ恋により、須磨・明石に蟄居を余儀なくされた日々を思い出していた。源氏から「久し振りに会いたい」と使いをよこされた朧月夜は頑なに拒否するが、それにもめげず源氏は元右大臣邸へ。結局よりが戻ってしまい、嘆き悲しむ朧月夜。しばらく逢瀬を重ねるが、彼女は密かに朱雀院の後を追い出家する事を考えていた。

 内裏にいる明石の女御は体調が優れず、「実家の六条院へ帰りたい」と訴えていたが東宮(後の帝)が許してくれず、鬱々とした日々を過ごしていた。女御の病状を確かめると懐妊した事が明らかに。東宮もようやく宿下がりを許し、明石の女御は喜ぶ。月日は流れ、産み月間近に迫ったものの、悪阻がひどいため女御は冬の御殿へ移り住む事に。源氏はかつて、夕霧の母・葵の上を産褥で亡くしている事から、紫の上に不安を打ち明けた。女御は明石尼君〔祖母〕と初対面。自分が生まれたときの経緯を聞き、感涙する。

 翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(後の帝)の男御子を出産。人生最大の栄華に喜ぶ明石の御方たちだが、明石入道の消息文を読み涙を流した。〔

 一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。三月末、六条院の蹴鞠の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていった。

(以上Wikipedia若菜(源氏物語)より。色づけと〔〕は本ページ。の部分に冷泉帝退位・住吉参詣が記されていたが、若菜下の内容なので移動させた)
 
目次
和歌抜粋内訳#若菜上(24首:別ページ)
主要登場人物
 
第34帖 若菜上
 光る源氏の准太上天皇時代
 三十九歳暮から
 四十一歳三月までの物語
 
第一章 朱雀院 女三の宮の婿選び
第二章 朱雀院 女三の宮との結婚を承諾
第三章 朱雀院 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
第四章 光る源氏 紫の上に打ち明ける
第五章 光る源氏 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
第六章 光る源氏 女三の宮の六条院降嫁
第七章 朧月夜 こりずまの恋
第八章 紫の上の境遇と絶望感
第九章 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
第十章 明石 男御子誕生
第十一章 明石 入道の手紙
第十二章 明石 一族の宿世
第十三章 女三の宮 柏木、女三の宮を垣間見る
第十四章 女三の宮 蹴鞠の後宴
 
 
第一章 朱雀院の物語
 女三の宮の婿選び
 第一段 朱雀院、女三の宮の将来を案じる
 第二段 東宮、父朱雀院を見舞う
 第三段 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う
 第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す
 第五段 朱雀院の夕霧評
 第六段 女三の宮の乳母、源氏を推薦
 
第二章 朱雀院の物語
 女三の宮との結婚を承諾
 第一段 乳母と兄左中弁との相談
 第二段 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上
 第三段 朱雀院、内親王の結婚を苦慮
 第四段 朱雀院、婿候補者を批評
 第五段 婿候補者たちの動静
 第六段 夕霧の心中
 第七段 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす
 第八段 源氏、承諾の意向を示す
 
第三章 朱雀院の物語
 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
 第一段 歳末、女三の宮の裳着催す
 第二段 秋好中宮、櫛を贈る
 第三段 朱雀院、出家す
 第四段 源氏、朱雀院を見舞う
 第五段 朱雀院と源氏、親しく語り合う
 第六段 内親王の結婚の必要性を説く
 第七段 源氏、結婚を承諾
 第八段 朱雀院の饗宴
 
第四章 光る源氏の物語
 紫の上に打ち明ける
 第一段 源氏、結婚承諾を煩悶す
 第二段 源氏、紫の上に打ち明ける
 第三段 紫の上の心中
 
第五章 光る源氏の物語
 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
 第一段 玉鬘、源氏に若菜を献ず
 第二段 源氏、玉鬘と対面
 第三段 源氏、玉鬘と和歌を唱和
 第四段 管弦の遊び催す
 第五段 暁に玉鬘帰る
 
第六章 光る源氏の物語
 女三の宮の六条院降嫁
 第一段 女三の宮、六条院に降嫁
 第二段 結婚の儀盛大に催さる
 第三段 源氏、結婚を後悔
 第四段 紫の上、眠れぬ夜を過ごす
 第五段 六条院の女たち、紫の上に同情
 第六段 源氏、夢に紫の上を見る
 第七段 源氏、女三の宮と和歌を贈答
 第八段 源氏、昼に宮の方に出向く
 第九段 朱雀院、紫の上に手紙を贈る
 
第七章 朧月夜の物語
 こりずまの恋
 第一段 源氏、朧月夜に今なお執心
 第二段 和泉前司に手引きを依頼
 第三段 紫の上に虚偽を言って出かける
 第四段 源氏、朧月夜を訪問
 第五段 朧月夜と一夜を過ごす
 第六段 源氏、和歌を詠み交して出る
 第七段 源氏、自邸に帰る
 
第八章 紫の上の物語
 紫の上の境遇と絶望感
 第一段 明石姫君、懐妊して退出
 第二段 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る
 第三段 紫の上の手習い歌
 第四段 紫の上、女三の宮と対面
 第五段 世間の噂、静まる
 
第九章 光る源氏の物語
 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
 第一段 紫の上、薬師仏供養
 第二段 精進落としの宴
 第三段 舞楽を演奏す
 第四段 宴の後の寂寥
 第五段 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷
 第六段 中宮主催の饗宴
 第七段 勅命による夕霧の饗宴
 第八段 舞楽を演奏す
 第九段 饗宴の後の感懐
 
第十章 明石の物語
 男御子誕生
 第一段 明石女御、産期近づく
 第二段 大尼君、孫の女御に昔を語る
 第三段 明石御方、母尼君をたしなめる
 第四段 明石女三代の和歌唱和
 第五段 三月十日過ぎに男御子誕生
 第六段 産養の儀盛大に催される
 第七段 紫の上と明石御方の仲
 
第十一章 明石の物語
 入道の手紙
 第一段 明石入道、手紙を贈る
 第二段 入道の手紙
 第三段 手紙の追伸
 第四段 使者の話
 第五段 明石御方、手紙を見る
 第六段 尼君と御方の感懐
 第七段 御方、部屋に戻る
 
第十二章 明石の物語
 一族の宿世
 第一段 東宮からのお召しの催促
 第二段 明石女御、手紙を見る
 第三段 源氏、女御の部屋に来る
 第四段 源氏、手紙を見る
 第五段 源氏の感想
 第六段 源氏、紫の上の恩を説く
 第七段 明石御方、卑下す
 第八段 明石御方、宿世を思う
 
第十三章 女三の宮の物語
 柏木、女三の宮を垣間見る
 第一段 夕霧の女三の宮への思い
 第二段 夕霧、女三の宮を他の女性と比較
 第三段 柏木、女三の宮に執心
 第四段 柏木ら東町に集い遊ぶ
 第五段 南町で蹴鞠を催す
 第六段 女三の宮たちも見物す
 第七段 唐猫、御簾を引き開ける
 第八段 柏木、女三の宮を垣間見る
 第九段 夕霧、事態を憂慮す
 
第十四章 女三の宮の物語
 蹴鞠の後宴
 第一段 蹴鞠の後の酒宴
 第二段 源氏の昔語り
 第三段 柏木と夕霧、同車して帰る
 第四段 柏木、小侍従に手紙を送る
 第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十九歳四十一歳三月
呼称:六条院・六条の大臣・主人の院・大殿・大殿の君
朱雀院(すざくいん)
源氏の兄
呼称:朱雀院の帝・院の帝・一の院・主人の院・父帝・帝・主上
女三の宮(おんなさんのみや)
朱雀院の第三内親王
呼称:三の宮・内親王・姫宮・女宮・宮・姫宮の御方・宮の御方・御方
柏木(かしわぎ)
太政大臣の長男
呼称:右衛門督・衛門督・衛門督の君・督の君・宰相の君
夕霧(ゆうぎり)
光る源氏の長男
呼称:中納言・中納言の朝臣・権中納言の朝臣・中納言の君・大将・大将の君
雲居雁(くもいのかり)
夕霧の北の方
呼称:三条の北の方・北の方・女君
太政大臣(だじょうだいじん)
呼称:太政大臣・太政大臣君・父大臣・大臣・大殿
紫の上(むらさきのうえ)
源氏の妻
呼称:対の上・北の政所・紫・対・女君・御方
花散里(はなちるさと)
呼称:上
朧月夜の君(おぼろづきよのきみ)
呼称:内侍の尚君・尚侍の君・女君
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
呼称:中宮・后の宮・宮
冷泉帝(れいぜいてい)
呼称:朝廷・帝・内裏
明石の尼君(あかしのあまぎみ)
呼称:大尼君
明石御方(あかしのおおんかた)
呼称:明石の御方・祖母君・母君・御方・君
明石女御(あかしのにょうご)
源氏の娘
呼称:桐壺の御方・淑景舎・女御の君・春宮の御方・女御・桐壺・若君・君
東宮(とうぐう)
呼称:春宮・宮
玉鬘(たまかずら)
鬚黒の北の方
呼称:尚侍の君・北の方
蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)
呼称:蛍兵部卿宮・親王・宮

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(明融臨模本
現代語訳
(渋谷栄一)
  若菜上
 
 

第一章 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び

 
 

第一段 朱雀院、女三の宮の将来を案じる

 
   朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならず悩みわたらせたまふ。
 もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細く思し召されて、
 朱雀院の帝、先日の行幸の後、そのころから、御不例でずっと御病気でおいであそばす。
 もともと御病気がちでいらせられるが、今回は何となく心細くお思いあさばされて、
   「年ごろ行なひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」  「長年出家の願望は強いが、后の宮がご存命であった間は、いろいろと御遠慮申し上げなさって、今まで決意しないでいたが、やはりその方面に心が向くのだろうか、長くは生きていられないような気がする」
   などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
 
 などと仰せられて、しかるべきお心づもりをいろいろ御準備あそばす。
 
   御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。
 その中に、藤壺と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける。
 
 御子たちは、東宮を別に申して、女宮たちがお四方いらっしゃった。
 その中でも、藤壷と申し上げた方は、先帝の源氏でいらっしゃった。
 
   まだ坊と聞こえさせし時参りたまひて、高き位にも定まりたまべかりし人の、取り立てたる御後見もおはせず、母方もその筋となく、ものはかなき更衣腹にてものしたまひければ、御交じらひのほども心細げにて、大后の、尚侍を参らせたてまつりたまひて、かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧されて、帝も御心のうちに、いとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、下りさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし。
 
 まだ東宮と申し上げた時代に入内なさって、高い地位にもおつきになるはずであった方が、これと言ったご後見役もいらっしゃらず、母方も名門の家柄でなく、微力の更衣腹でいらっしゃったので、ご交際ぶりも頼りなさそうで、大后が尚侍の君をお入れ申し上げなさって、側に競争相手がいないほど重くお扱い申し上げなさったりしたので、圧倒されて、帝も御心中に、お気の毒にはお思い申し上げあそばしながら、御譲位あそばしたので、入内した甲斐もなく残念で、世の中を恨むような有様でお亡くなりになった。
 
   その御腹の女三の宮を、あまたの御中に、すぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ。
 
 その腹の女三の宮を、大勢の御子たちの中で、特別にかわいがって大事になさっておいでになる。
 
   そのほど、御年、十三、四ばかりおはす。
 
 その当時、お年、十三、四歳ほどでいらっしゃる。
 
   「今はと背き捨て、山籠もりしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむ」  「今を限りと世を捨てて、山籠もりした後に残って、誰を頼りとして行かれるのだろうか」
   と、ただこの御ことをうしろめたく思し嘆く。
 
 と、ただこの御方のことだけが気がかりにお嘆きになる。
 
   西山なる御寺造り果てて、移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、またこの宮の御裳着のことを思しいそがせたまふ。
 
 西山にある御寺を完成させて、お移りあそばすための御準備をあそばすにつけても、またこの宮の御裳着の儀式を御準備あそばす。
 
   院のうちにやむごとなく思す御宝物、御調度どもをばさらにもいはず、はかなき御遊びものまで、すこしゆゑある限りをば、ただこの御方に取りわたしたてまつらせたまひて、その次々をなむ、異御子たちには、御処分どもありける。
 
 院の中に秘蔵していらっしゃる御宝物、御調度類は言うまでもなく、ちょっとしたお遊び道具類まで、少しでも由緒ある物は全て、ただこの御方にお譲り申し上げなさって、それに次ぐ品々を、他の御子たちには、御分配なさったのであった。
 
 
 

第二段 東宮、父朱雀院を見舞う

 
   春宮は、「かかる御悩みに添へて、世を背かせたまふべき御心づかひになむ」と聞かせたまひて、渡らせたまへり。
 母女御、添ひきこえさせたまひて参りたまへり。
 すぐれたる御おぼえにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御宿世の、限りなくめでたければ、年ごろの御物語、こまやかに聞こえさせたまひけり。
 
 東宮は、「このような御病気に加えて、御出家あそばすお心づもりだ」とお聞きあそばして、お越しあそばした。
 母女御、ご一緒申されておいでになった。
 格別のご寵愛というほどでもなかったが、東宮がこうしていらっしゃるご運勢が、この上なく素晴らしいので、久しぶりのお話、親しくお話し合いになったのであった。
 
   宮にも、よろづのこと、世をたもちたまはむ御心づかひなど、聞こえ知らせたまふ。
 御年のほどよりはいとよく大人びさせたまひて、御後見どもも、こなたかなた、軽々しからぬ仲らひにものしたまへば、いとうしろやすく思ひきこえさせたまふ。
 
 東宮にも、いろいろなこと、国をお治めになる時の御注意など、お教え申し上げなさる。
 お年のわりにはとてもよくご成人あそばされていて、ご後見役たちも、あちらこちらと、重々しい立派なお間柄でいらっしゃるので、たいそう安心だとお思い申し上げていらっしゃる。
 
   「この世に恨み残ることもはべらず。
 女宮たちのあまた残りとどまる行く先を思ひやるなむ、さらぬ別れにもほだしなりぬべかりける。
 さきざき、人の上に見聞きしにも、女は心よりほかに、あはあはしく、人におとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく悲しき。
 
 「この世に不満の残ることはございません。
 女宮たちが大勢後に残るその行く末を思いやると、それがいざ別れとなる時にきっと障りとなることでしょう。
 これまで、他人事として見たり聞いたりしてきたことが、女は思いがけず、軽々しく、世間から批判される運命であるのが、たいそう残念で悲しいことだ。
 
   いづれをも、思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて、御心とどめて思し尋ねよ。
 その中に、後見などあるは、さる方にも思ひ譲りはべり。
 
 どなたをも、御即位なさった御代には、何かにつけて、お心にかけてお世話なさって下さい。
 その中で、後見人のいる方は、そちらに任せてよいと思います。
 
   三の宮なむ、いはけなき齢にて、ただ一人を頼もしきものとならひて、うち捨ててむ後の世に、ただよひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しくはべる」  三の宮は、幼いお年頃で、ただわたし一人をずっと頼りとしてきたので、出家した後の世に、寄るべもなく心細い生活をするだろうことを、とてもまことに気がかりで悲しく思っております」
   と、御目おし拭ひつつ、聞こえ知らせさせたまふ。
 
 と、お目を拭いながら、お聞かせ申し上げあそばす。
 
   女御にも、うつくしきさまに聞こえつけさせたまふ。
 されど、女御の、人よりはまさりて時めきたまひしに、皆挑み交はしたまひしほど、御仲らひども、えうるはしからざりしかば、その名残にて、「げに、今はわざと憎しなどはなくとも、まことに心とどめて思ひ後見むとまでは思さずもや」とぞ推し量らるるかし。
 
 女御にも、やさしくして下さるようお頼み申し上げあそばす。
 けれども、母女御が、他の人よりは優れて御寵愛が厚かったために、皆が競争なさい合ったころ、お妃方の御仲も、あまりよろしくできなかったので、その影響で、「なるほど、今では特に憎いなどとは思わなくても、本当に心にかけてお世話しようとまではお思いでなかろう」と推量されるのである。
 
   朝夕に、この御ことを思し嘆く。
 年暮れゆくままに、御悩みまことに重くなりまさらせたまひて、御簾の外にも出でさせたまはず。
 御もののけにて、時々悩ませたまふこともありつれど、いとかくうちはへをやみなきさまにはおはしまさざりつるを、「このたびは、なほ、限りなり」と思し召したり。
 
 朝な夕なに、この方の御事を御心配なさる。
 年が暮れてゆくにつれて、御病気がほんとうに重くおなりあそばして、御簾の外にもお出ましにならない。
 御物の怪で、時々お悩みになったことはあったが、とてもこのようにいつまでもお悪いことはあり続けなかったが、「今度は、やはり、最期だ」とお思いでいらっしゃった。
 
   御位を去らせたまひつれど、なほその世に頼みそめたてまつりたまへる人びとは、今もなつかしくめでたき御ありさまを、心やりどころに参り仕うまつりたまふ限りは、心を尽くして惜しみきこえたまふ。
 
 お位をお退きあそばしたが、やはりその当時にお頼り申し上げていらした方々は、今でもおやさしくご立派なお人柄を、心の慰め所にして参上しお仕えなさっている方々は、みな心の底からお悲しみ申し上げなさる。
 
 
 

第三段 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う

 
   六条院よりも、御訪らひしばしばあり。
 みづからも参りたまふべきよし、聞こし召して、院はいといたく喜びきこえさせたまふ。
 
 六条院からも、お見舞いが頻繁にある。
 ご自身も参上なさる由、お聞きあそばして、院はとてもたいそうお喜び申し上げあそばす。
 
   中納言の君参りたまへるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
 
 中納言の君が参上なさったのを、御簾の中に招き入れて、お話を親密になさる。
 
   「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御こと、今の内裏の御ことなむ、取り分きてのたまひ置きしを、公けとなりて、こと限りありければ、うちうちの御心寄せは、変らずながら、はかなきことのあやまりに、心おかれたてまつることもありけむと思ふを、年ごろことに触れて、その恨み残したまへるけしきをなむ漏らしたまはぬ。
 
 「故院の帝が、御臨終の際に、多くの御遺言があった中で、この院の御事と今上の帝の御事を、特別に仰せになったが、皇位に即くと、何かと自由にならないもので、心の中の好意は、変わらないものの、ちょっとした事の行き違いから、お恨まれ申されることもあっただろうと思うが、長年何かにつけて、その時の恨みが残っていらっしゃるご様子をお見せにならない。
 
   賢しき人といへど、身の上になりぬれば、こと違ひて、心動き、かならずその報い見え、ゆがめることなむ、いにしへだに多かりける。
 
 賢人と言っても、自分自身の事となると、話は違って、心が動揺し、必ずその報復をし、道を踏みはずす例は、昔でさえ多くあったのだ。
 
   いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世の人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐしたまひて、春宮などにも心を寄せきこえたまふ。
 今はた、またなく親しかるべき仲となり、睦び交はしたまへるも、限りなく心には思ひながら、本性の愚かなるに添へて、子の道の闇にたち交じり、かたくななるさまにやとて、なかなかよそのことに聞こえ放ちたるさまにてはべる。
 
 どのような時にか、お恨みの心が漏れ出ることだろうかと、世間の人々もその気で疑っていたが、とうとう辛抱なさって、東宮などにもご好意をお寄せ申されていらっしゃる。
 今では、またとなく親しい姻戚関係になって交際していらっしゃるのも、この上なく有り難く心の中では思いながら、生来の愚かさに加えて、子を思う親心で目がくらみ、見苦しいことではないかと思って、かえってよそ事のようにお任せ申している有様でございます。
 
   内裏の御ことは、かの御遺言違へず仕うまつりおきてしかば、かく末の世の明らけき君として、来しかたの御面をも起こしたまふ。
 本意のごと、いとうれしくなむ。
 
 帝の御事は、あの御遺言通りに致しましたので、このような末世の名君として、これまでの不面目を挽回して下さる。
 願い通りで、まことに嬉しく思います。
 
   この秋の行幸の後、いにしへのこととり添へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ。
 対面に聞こゆべきことどもはべり。
 かならずみづから訪らひものしたまふべきよし、もよほし申したまへ」
 この秋の行幸の後は、昔のことがあれこれと思い出されて、懐かしくお会いしたく存じます。
 お目にかかって申し上げたいことどもがございます。
 必ずご自身お訪ね下さるよう、お勧め申し上げて下さい」
   など、うちしほたれつつのたまはす。
 
 などと、涙ぐみながら仰せになる。
 
 
 

第四段 夕霧、源氏の言葉を言上す

 
   中納言の君、  中納言の君は、
   「過ぎはべりにけむ方は、ともかくも思うたまへ分きがたくはべり。
 年まかり入りはべりて、朝廷にも仕うまつりはべるあひだ、世の中のことを見たまへまかりありくほどには、大小のことにつけても、うちうちのさるべき物語などのついでにも、『いにしへのうれはしきことありてなむ』など、うちかすめ申さるる折ははべらずなむ。
 
 「過ぎ去りました昔の事は、何とも分りかねがたく存じます。
 成人いたしまして、朝廷にもお仕え致す間に、世間の事をあれこれと経験してまいりますうちに、大小の公事につけても、私的な打ち解けた話し合いの中でも、『昔の辛い思いをしたことがあって』などと、ほのめかされることはございませんでした。
 
   『かく朝廷の御後見を仕うまつりさして、静かなる思ひをかなへむと、ひとへに籠もりゐし後は、何ごとをも、知らぬやうにて、故院の御遺言のごともえ仕うまつらず、御位におはしましし世には、齢のほども、身のうつはものも及ばず、かしこき上の人びと多くて、その心ざしを遂げて御覧ぜらるることもなかりき。
 今、かく政事を去りて、静かにおはしますころほひ、心のうちをも隔てなく、参りうけたまはらまほしきを、さすがに何となく所狭き身のよそほひにて、おのづから月日を過ぐすこと』
 『このように朝廷の御後見を中途でご辞退申して、静かな暮らしをしようと、すっかり籠居して後は、どのような事をも、関係ないようにして、故院の御遺言通りにもお仕え申すことができず、御在位時代には、年齢も器量も不十分で、すぐれた上位の方々が多くて、わたしの思いを十分に尽くして御覧いただくこともありませんでした。
 今は、このように御退位なさって、静かにお暮らしになっていらっしゃるこの折に、思いのまま心おきなく、参上してお話を承りたいが、そうは言っても何やら大層な身分のために、ついつい月日を過ごしたていること』
   となむ、折々嘆き申したまふ」  と、時々お嘆き申していらっしゃいます」
   など、奏したまふ。
 
 などと、奏上なさる。
 
   二十にもまだわづかなるほどなれど、いとよくととのひ過ぐして、容貌も盛りに匂ひて、いみじくきよらなるを、御目にとどめてうちまもらせたまひつつ、このもてわづらはせたまふ姫宮の御後見に、これをやなど、人知れず思し寄りけり。
 
 二十歳にもまだわずか足りない年齢であるが、まことに立派に年齢以上に成人して、器量も今を盛りに輝くばかりで、たいそう美しいので、お目に止めてじっと御覧あそばしながら、この御心中を悩ましていらっしゃる姫宮の御後見に、この人はどうかしらなどと、人知れずお考えよりになるのであった。
 
   「太政大臣のわたりに、今は住みつかれにたりとな。
 年ごろ心得ぬさまに聞きしが、いとほしかりしを、耳やすきものから、さすがにねたく思ふことこそあれ」
 「太政大臣の邸に、今は落ちつかれたそうですね。
 長年わけの分からない話のように聞いたのは、気の毒に思ったが、ほっとしたものの、やはり残念に思うことがあります」
   とのたまはする御けしきを、「いかにのたまはするにか」と、あやしく思ひめぐらすに、「この姫宮をかく思し扱ひて、さるべき人あらば、預けて、心やすく世をも思ひ離ればや、となむ思しのたまはする」と、おのづから漏り聞きたまふ便りありければ、「さやうの筋にや」とは思ひぬれど、ふと心得顔にも、何かはいらへきこえさせむ。
 ただ、
 と仰せになる御様子を、「何を仰せになろうとするのかしら」と、不思議に思って考えてみると、「こちらの姫宮をこのように御心配なさって、適当な人がいたら、頼んで、気楽に俗世を離れたい、とお思いになって仰せになるのだろう」と、自然と漏れ聞きなさる伝もあったので、「そのようなことではないか」とは思ったが、すぐさま分かったような顔をして、どうしてお答え申し上げられよう。
 ただ、
   「はかばかしくもはべらぬ身には、寄るべもさぶらひがたくのみなむ」  「頼りにもならないわたしには、妻もなかなか得がたくございます」
   とばかり奏して止みぬ。
 
 とだけお答え申し上げるにとどまった。
 
 
 

第五段 朱雀院の夕霧評

 
   女房などは、覗きて見きこえて、  女房などは、覗き見申して、
   「いとありがたくも見えたまふ容貌、用意かな」  「本当に立派にお見えになる容貌や、態度ですこと」
   「あな、めでた」  「ああ、素晴らしい」
   など、集りて聞こゆるを、老いしらへるは、  などと、集まってお噂申し上げているのを、年輩の女房は、
   「いで、さりとも、かの院のかばかりにおはせし御ありさまには、えなずらひきこえたまはざめり。
 いと目もあやにこそきよらにものしたまひしか」
 「さあ、どうかしら、そうは言っても、あの院がこれぐらいお年でいらっしゃった時のご様子には、とてもお比べ申し上げることはおできになれません。
 実に眩しいほどお美しくいらっしゃいました」
   など、言ひしろふを聞こしめして、  などと、言い合うのをお耳にあそばして、
   「まことに、かれはいとさま異なりし人ぞかし。
 今はまた、その世にもねびまさりて、光るとはこれを言ふべきにやと見ゆる匂ひなむ、いとど加はりにたる。
 うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬ心地するを、また、うちとけて、戯れごとをも言ひ乱れ遊べば、その方につけては、似るものなく愛敬づき、なつかしくうつくしきことの、並びなきこそ、世にありがたけれ。
 何ごとにも前の世推し量られて、めづらかなる人のありさまなり。
 
 「本当に、あの方は特別の人であった。
 今はまた、あの当時以上に立派になって、光り輝くとはこれを言うべきなのかと見える輝きが、一段と加わっている。
 威儀を正して、公事に携わっているところを見ると、堂々として鮮やかで、目も眩ゆい気がするが、また一方に、うちくつろいで、冗談を言ってふざけるところは、その方面では、またとないほど愛嬌があって、親しみやすく愛らしいこと、この上ないのは、めったにいない人だ。
 何事につけても前世の果報が思いやられて、類稀な人柄だ。
 
   宮の内に生ひ出でて、帝王の限りなくかなしきものにしたまひ、さばかり撫でかしづき、身に変へて思したりしかど、心のままにも驕らず、卑下して、二十がうちには、納言にもならずなりにきかし。
 一つ余りてや、宰相にて大将かけたまへりけむ。
 
 宮中で成長して、帝王がこの上なくおかわいがりなさり、あれほど大事にし、わが身以上に大切になさったが、いい気になって増長することもなく、謙虚にして、二十歳までは、中納言にもならずじまいだった。
 一つ越してか、宰相で大将を兼官なさったろう。
 
   それに、これはいとこよなく進みにためるは、次々の子の世のおぼえのまさるなめりかし。
 まことに賢き方の才、心もちゐなどは、これもをさをさ劣るまじく、あやまりても、およすけまさりたるおぼえ、いと異なめり」
 それに比べて、こちらはこの上なく昇進しているのは、親から子へと次第に声望が高まっていくのであろう。
 本当に公事に関する才能、心構えなどは、こちらも決して父親に劣らず、たとい間違っても、年々老成してきたという評判は、たいそう格別なようだ」
   など、めでさせたまふ。
 
 などと、お誉めあそばす。
 
 
 

第六段 女三の宮の乳母、源氏を推薦

 
   姫宮のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、  姫宮がとてもかわいらしげで、幼く無邪気なご様子であるのを拝見なさるにつけても、
   「見はやしたてまつり、かつはまた、片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむに預けきこえばや」  「はなやかにお世話して上げ、また一方では、至らないところは、見知らない体でそっと教えて上げるような人で、安心な方にお預け申したいものだ」
   など聞こえたまふ。
 
 などとお申し上げになる。
 
   大人しき御乳母ども召し出でて、御裳着のほどのことなどのたまはするついでに、  年かさの御乳母たちを御前に召し出して、御裳着の時の事などを仰せになる折に、
   「六条の大殿の、式部卿親王の女生ほし立てけむやうに、この宮を預かりて育まむ人もがな。
 ただ人の中にはありがたし。
 内裏には中宮さぶらひたまふ。
 次々の女御たちとても、いとやむごとなき限りものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうの交じらひ、いとなかなかならむ。
 
 「六条の大殿が、式部卿の親王の娘を育て上げたというように、この姫宮を引き取って育ててくれる人がいないものか。
 臣下の中ではいそうにない。
 主上には中宮がいらっしゃる。
 それに次ぐ女御たちにしても、たいそう高貴な家柄の方ばかりが揃っていられるから、しっかりした御後見役がいなくて、そのような宮廷生活は、かえってしないほうがましだろう。
 
   この権中納言の朝臣の独りありつるほどに、うちかすめてこそ試みるべかりけれ。
 若けれど、いと警策に、生ひ先頼もしげなる人にこそあめるを」
 この権中納言の朝臣が独身でいた時に、こっそり打診してみるべきであった。
 若いけれど、たいそう有能で、将来有望な人と思えるから」
   とのたまはす。
 
 と仰せになる。
 
   「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年ごろも、かのわたりに心をかけて、ほかざまに思ひ移ろふべくもはべらざりけるに、その思ひ叶ひては、いとど揺るぐ方はべらじ。
 
 「中納言は、もともとたいそう生真面目な方で、長年、あの方に心を懸けて、他の女性には心を移そうともしなかったのでございますから、その願いが叶ってからは、ますますお心の動くはずがございますまい。
 
   かの院こそ、なかなか、なほいかなるにつけても、人をゆかしく思したる心は、絶えずものせさせたまふなれ。
 その中にも、やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れがたくこそ、聞こえたまふなれ」
 あの院こそは、かえって、依然としてどのようなことにつけても、女性にご関心の心は、引き続きお持ちのようでいらっしゃると聞いております。
 その中でも、高貴な女性を得たいとのお望みが深くて、前斎院などをも、今でも忘れることができずに、お便りを差し上げていらっしゃると聞いております」
   と申す。
 
 と申し上げる。
 
   「いで、その旧りせぬあだけこそは、いとうしろめたけれ」  「いや、その変わらない好色心が、たいそう心配だ」
   とはのたまはすれど、  とは仰せになるが、
   「げに、あまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲りおききこえまし」  「なるほど、大勢の婦人方の中に混じって、不愉快な思いをすることがあったとしても、やはり親代わりと決めたことにして、そのようにお譲り申そうか」
   なども、思し召すべし。
 
 などとも、お考えになるのだろう。
 
   「まことに、少しも世づきてあらせむと思はむ女子持たらば、同じくは、かの人のあたりにこそ、触ればはせまほしけれ。
 いくばくならぬこの世のあひだは、さばかり心ゆくありさまにてこそ、過ぐさまほしけれ。
 
 「ほんとうに、少しでも結婚させようと思うような女の子を持っていたら、同じことなら、あの院の側に、添わせたいものだ。
 長くもない人生では、あのように満ち足りた気持ちで、過ごしたいものだ。
 
   われ女ならば、同じはらからなりとも、かならず睦び寄りなまし。
 若かりし時など、さなむおぼえし。
 まして、女の欺かれむは、いと、ことわりぞや」
 わたしが女だったら、同じ姉弟ではあっても、きっと睦まじい仲になっていただろう。
 若かった時など、そのように思った。
 ましてや、女がだまされたりするようなのは、まことに、もっともなことだ」
   とのたまはせて、御心のうちに、尚侍の君の御ことも、思し出でらるべし。
 
 と仰せになって、御心中に、尚侍の君の御事も、自然とお思い出しになっているのであろう。
 
 
 

第二章 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾

 
 

第一段 乳母と兄左中弁との相談

 
   この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄、左中弁なる、かの院の親しき人にて、年ごろ仕うまつるありけり。
 この宮にも心寄せことにてさぶらへば、参りたるにあひて、物語するついでに、
 姫宮のご後見たちの中で、重々しい御乳母の兄、左中弁でいる者で、あちらの院の近臣として、長年仕えている者がいたのであった。
 こちらの宮にも特別の気持ちを持って仕えているので、参上した折に会って、話をした機会に、
   「主上なむ、しかしか御けしきありて聞こえたまひしを、かの院に、折あらば漏らしきこえさせたまへ。
 皇女たちは、独りおはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心寄せたてまつり、何ごとにつけても、御後見したまふ人あるは頼もしげなり。
 
 「院の上が、これこれしかじかの御意向があってお洩らしになったが、あちらの院に、機会があったらそれとなくお耳にお入れ申し上げてください。
 内親王たちは、独身でいらっしゃるのが通例ですが、いろいろなことにつけてご好意をお寄せ申し、どのような事柄につけても、ご後見なさる方がいることは頼もしいことです。
 
   主上をおきたてまつりて、また真心に思ひきこえたまふべき人もなければ、おのらは、仕うまつるとても、何ばかりの宮仕へにかあらむ。
 わが心一つにしもあらで、おのづから思ひの他のこともおはしまし、軽々しき聞こえもあらむ時には、いかさまにかは、わづらはしからむ。
 御覧ずる世に、ともかくも、この御こと定まりたらば、仕うまつりよくなむあるべき。
 
 院の上をお置き申しては、また心底からご心配申し上げなさる方もいないので、自分たちは、お仕え申しているが、どれほどのお役に立てましょうか。
 わたしの一存のままにもならず、自然と思いの他の事もおありになり、浮いた噂が立つような時には、どんなにか厄介なことでしょう。
 御存命中には、どのような形にせよ、姫宮のお身の上が決まったならば、お仕えしやすいことでしょう。
 
   かしこき筋と聞こゆれど、女は、いと宿世定めがたくおはしますものなれば、よろづに嘆かしく、かくあまたの御中に、取り分ききこえさせたまふにつけても、人の嫉みあべかめるを、いかで塵も据ゑたてまつらじ」  高貴なご身分と申しても、女は、本当に運命が不安定でいらっしゃいますから、いろいろと心配な上に、このような多くの皇女たちの中で、特別大切にお扱い申されるにつけても、人の妬みもあるでしょうし、何とか少しの瑕もおつけ申すまい」
   と語らふに、弁、  と相談をもちかけると、弁は、
   「いかなるべき御ことにかあらむ。
 院は、あやしきまで御心長く、仮にても見そめたまへる人は、御心とまりたるをも、またさしも深からざりけるをも、かたがたにつけて尋ね取りたまひつつ、あまた集へきこえたまへれど、やむごとなく思したるは、限りありて、一方なめれば、それにことよりて、かひなげなる住まひしたまふ方々こそは多かめるを、御宿世ありて、もし、さやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞こゆとも、立ち並びておしたちたまふことは、えあらじとこそは推し量らるれど、なほ、いかがと憚らるることありてなむおぼゆる。
 
 「どのような御事なのでしょうか。
 院は、不思議なまでお心の変わらない方で、いったんご寵愛なさった女性は、お気に入った方も、またさほど深くなかった方をも、それぞれにつけてお引き取りになっては、大勢お集め申していらっしゃるが、大切にお思いなさる方は、限りがあって、お一方のようなので、そちらに片寄って、寂しい暮らしをしていらっしゃる方々が多いようですが、御宿縁があって、もし、そのようにあそばされるようなことがありましたら、どんなに大切な方と申しても、張り合って押して来られるようなことは、とてもできますまいと想像されますが、やはり、どのようなものかと案じられることがあるように存じられます。
 
   さるは、『この世の栄え、末の世に過ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬこともある』となむ、常にうちうちのすさびごとにも思しのたまはすなる。
 
 とはいえ、『この世での栄誉は、末世には過ぎて、身の上に不足はないが、女性関係では、人の非難を受け、自分自身の意に満たないところもある』と、いつも内々の閑談にお気持ちを漏らされるそうです。
 
   げに、おのれらが見たてまつるにも、さなむおはします。
 かたがたにつけて、御蔭に隠したまへる人、皆その人ならず立ち下れる際にはものしたまはねど、限りあるただ人どもにて、院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやはおはすめる。
 
 なるほど、わたくしどもが拝見致しても、そのようでいらっしゃいます。
 それぞれの御縁で、お世話なさっている方は、みな素姓の分からぬような卑しい身分ではいらっしゃいませんが、たかだか知れた臣下の身分ばかりで、院のご様子に並び得る声望のある方はいらっしゃるだろうか。
 
   それに、同じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」  それに、同じ事なら、御意向通りに御降嫁あそばしたら、どんなにお似合いのご夫婦となることでしょう」
   と語らふを、  と内情を話したのを、
 
 

第二段 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上

 
   乳母、またことのついでに、  乳母が、また別の機会に、
   「しかしかなむ、なにがしの朝臣にほのめかしはべしかば、『かの院には、かならずうけひき申させたまひてむ。
 年ごろの御本意かなひて思しぬべきことなるを、こなたの御許しまことにありぬべくは、伝へきこえむ』となむ申しはべりしを、いかなるべきことにかははべらむ。
 
 「これこれしかじかの事を、某朝臣にそれとなく話しましたところ、『あちらの院では、きっとご承諾申し上げなさるでしょう。
 長年のご宿願が叶うとお思いになるはずのことですし、こちらの院の御許可が本当にあるのでしたらお伝え申し上げましょう』と申しておりましたが、どのように致しましょうか。
 
   ほどほどにつけて、人の際々思しわきまへつつ、ありがたき御心ざまにものしたまふなれど、ただ人だに、またかかづらひ思ふ人立ち並びたることは、人の飽かぬことにしはべめるを、めざましきこともやはべらむ。
 御後見望みたまふ人びとは、あまたものしたまふめり。
 
 身分身分に応じて、夫人それぞれの待遇をお考えになっては、めったにないお心づかいでいらっしゃるようですが、臣下の者でも、自分以外に寵愛を受ける女が横にいることは、誰でも不満に思うことでございますから、心外なことでございましょうかしら。
 ご後見を希望なさる方は、大勢いらっしゃるようです。
 
   よく思し定めてこそよくはべらめ。
 限りなき人と聞こゆれど、今の世のやうとては、皆ほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたまひつべきもおはしますべかめるを、姫宮は、あさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせたまふに、さぶらふ人びとは、仕うまつる限りこそはべらめ。
 
 よくお考えあそばしてお決めになるのがようございましょう。
 この上ない身分の人と申しても、今の世の中では、みなわだかまりなく、立派に処理して、夫婦仲を考え通りにお過ごしになられる方もいらっしゃるようですが、姫宮は、驚くほど気がかりで、頼りなくお見えでいらっしゃるし、伺候している女房たちは、お仕え申すにも限界がございましょう。
 
   おほかたの御心おきてに従ひきこえて、賢しき下人もなびきさぶらふこそ、頼りあることにはべらめ。
 取り立てたる御後見ものしたまはざらむは、なほ心細きわざになむはべるべき」
 大抵ご主人のご意向にお従い申して、賢明な下々の者もそのお考え通りに従うのが、心丈夫なことでしょう。
 特別のご後見がいらっしゃらないのは、やはり心細いことでございましょう」
   と聞こゆ。
 
 と申し上げる。
 
 
 

第三段 朱雀院、内親王の結婚を苦慮

 
   「しか思ひたどるによりなむ。
 皇女たちの世づきたるありさまは、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、悔しげなることも、めざましき思ひも、おのづからうちまじるわざなめれと、かつは心苦しく思ひ乱るるを、また、さるべき人に立ちおくれて、頼む蔭どもに別れぬる後、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は、人の心たひらかにて、世に許さるまじきほどのことをば、思ひ及ばぬものとならひたりけむ、今の世には、好き好きしく乱りがはしきことも、類に触れて聞こゆめりかし。
 
 「そのように考えるからなのだ。
 皇女たちが結婚している様子は、見苦しく軽薄なようでもあり、また高貴な身分といっても、女は男との結婚によって、悔やまれることも、しゃくに障る思いも、自然と生じるもののようだと、一方では不憫に思い悩むが、また一方で、頼りとする人に先立たれて、頼る人々に別れた後、自分の意志通りに世の中を生きて行くことも、昔は、人の心も穏やかで、世間から許されない身分違いのことは、考えもしないことであったろうが、今の世では、好色で淫らなことも、縁者を頼って聞こえてくるようだ。
 
   昨日まで高き親の家にあがめられかしづかれし人の女の、今日は直々しく下れる際の好き者どもに名を立ち欺かれて、亡き親の面を伏せ、影を恥づかしむるたぐひ多く聞こゆる。
 言ひもてゆけば皆同じことなり。
 
 昨日まで高貴な親の家で大切にされて育てられていた姫が、今日は平凡な身分の低い好色者たちに浮名を立てられだまされて、亡き親の面目をつぶし、死後の名を辱めるような例が多く聞こえる。
 詮じつめれば、どちらも同じ事である。
 
   ほどほどにつけて、宿世などいふなることは、知りがたきわざなれば、よろづにうしろめたくなむ。
 すべて、悪しくも善くも、さるべき人の心に許しおきたるままにて世の中を過ぐすは、宿世宿世にて、後の世に衰へある時も、みづからの過ちにはならず。
 
 身分身分に応じて、宿世などということは、知りがたいことなので、万事が不安である。
 総じて、良くも悪くも、しかるべき人が指図しておいたようにして世の中を過ごして行くのは、それぞれの宿世であって、晩年に衰えることがあっても、自分自身の間違いにはならない。
 
   あり経て、こよなき幸ひあり、めやすきことになる折は、かくても悪しからざりけりと見ゆれど、なほ、たちまちふとうち聞きつけたるほどは、親に知られず、さるべき人も許さぬに、心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはますことなき疵とおぼゆるわざなる。
 
 後になって、この上ない幸福がきて、見苦しからぬことになった時には、それでもかまわなかったと見えるが、やはり、その当座いきなり耳にした時には、親にも内緒だし、しかるべき保護者も許さないのに、自分勝手の秘事をしでかしたのは、女の身の上にはこれ以上ない欠点だと思われることだ。
 
   直々しきただ人の仲らひにてだに、あはつけく心づきなきことなり。
 みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを、思ふ心よりほかに人にも見えず、宿世のほど定められむなむ、いと軽々しく、身のもてなし、ありさま推し量らるることなるを。
 
 平凡な臣下の者同士でさえ、軽薄で良くないことである。
 本人の意志と無関係に事が運ばれて良いはずのものでもないが、自分の意に反しては結婚せず、運命の程が決めらるのは、たいそう軽率で、日常の態度、様子が想像されることよ。
 
   あやしくものはかなき心ざまにやと見ゆめる御さまなるを、これかれの心にまかせ、もてなしきこゆな、さやうなることの世に漏り出でむこと、いと憂きことなり」  妙に頼りない性質ではないかと見えるようなご様子だから、お前たちの考えのままに、お取り計らい申し上げるというのは、そのようなことが世間に漏れ出るようなことは、まことに情けないことだ」
   など、見捨てたてまつりたまはむ後の世を、うしろめたげに思ひきこえさせたまへれば、いよいよわづらはしく思ひあへり。
 
 などと、お残し申されて御出家あそばされる後のことを、不安にお思い申し上げていらっしゃるので、ますます厄介なことと思い合っていた。
 
 
 

第四段 朱雀院、婿候補者を批評

 
   「今すこしものをも思ひ知りたまふほどまで見過ぐさむとこそは、年ごろ念じつるを、深き本意も遂げずなりぬべき心地のするに思ひもよほされてなむ。
 
 「もう少し分別がおできになるまで世話してあげようとは、長年辛抱してきたが、深い出家の本懐も遂げずになってしまいそうな気がするので、つい気が急かされるものだ。
 
   かの六条の大殿は、げに、さりともものの心得て、うしろやすき方はこよなかりなむを、方々にあまたものせらるべき人びとを知るべきにもあらずかし。
 とてもかくても、人の心からなり。
 のどかにおちゐて、おほかたの世のためしとも、うしろやすき方は並びなくものせらるる人なり。
 さらで良ろしかるべき人、誰ればかりかはあらむ。
 
 あの六条の大殿は、なるほど、そうはいっても万事心得ていて、安心な点ではこの上ないが、あちこちに大勢いらっしゃるご夫人たちを考慮する必要もあるまい。
 何といっても、当人の心次第である。
 ゆったりと落ち着いていて、広く世の模範であり、信頼できる点では並ぶ者がなくおいでになる方である。
 この人以外で適当な人は誰がいようか。
 
   兵部卿宮、人柄はめやすしかし。
 同じき筋にて、異人とわきまへおとしむべきにはあらねど、あまりいたくなよびよしめくほどに、重き方おくれて、すこし軽びたるおぼえや進みにたらむ。
 なほ、さる人はいと頼もしげなくなむある。
 
 兵部卿宮、性質は好ましい。
 同じ皇族で、他人扱いして軽んじるべきではないが、あまりにひどく弱々しく風流めいていて、重々しいところが足りなくて、少し軽薄な感じが過ぎていよう。
 やはり、そのような人はたいそう頼りなさそうな気がする。
 
   また、大納言の朝臣の家司望むなる、さる方に、ものまめやかなるべきことにはあなれど、さすがにいかにぞや。
 さやうにおしなべたる際は、なほめざましくなむあるべき。
 
 また、大納言の朝臣が家司を望んでいるというのは、そうした点では、忠実に勤めるにちがいないだろうが、それでもどんなものか。
 その程度の世間一般の身分の者では、やはりとんでもない不釣合であろう。
 
   昔も、かうやうなる選びには、何事も人に異なるおぼえあるに、ことよりてこそありけれ。
 ただひとへに、またなく持ちゐむ方ばかりを、かしこきことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ。
 
 昔も、このような婿選びでは、万事につけ人より格別優れた評判のある者に、落ち着いたものだ。
 ただ一途に、他の女には目もくれず大事にしてくれる点だけを、立派なことだと考えるのは、実に物足りなく残念なことだ。
 
   右衛門督の下にわぶなるよし、尚侍のものせられし、その人ばかりなむ、位など今すこしものめかしきほどになりなば、などかは、とも思ひ寄りぬべきを、まだ年いと若くて、むげに軽びたるほどなり。
 
 右衛門督が内々希望していると、尚侍が話していたが、その人だけは、位などがもう少し一人前になったら、何の不釣合なことがあろう、と思いつくところだが、まだ年齢が若くて、あまりに軽い地位である。
 
   高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひ上がれるけしき、人には抜けて、才などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末も頼もしけれど、なほまたこのためにと思ひ果てむには、限りぞあるや」  高貴な女性をという願いが強くて、独身で過ごしながら、たいそう沈着に理想を高く持している態度が、誰よりも抜群で、漢学なども難なく備わり、最後は世の重鎮となるはずの人なので、将来を期待できるが、やはり婿にと決めてしまうには、不十分ではないか」
   と、よろづに思しわづらひたり。
 
 と、いろいろとお考え悩んでいらっしゃった。
 
   かうやうにも思し寄らぬ姉宮たちをば、かけても聞こえ悩ましたまふ人もなし。
 あやしく、うちうちにのたまはする御ささめき言どもの、おのづからひろごりて、心を尽くす人びと多かりけり。
 
 これほどにはお考えでない姉宮たちには、一向にお心をお悩ませ申し上げる人もいない。
 不思議と、内々に仰せになる内証事が、自然と広がって、気を揉む人々が多いのであった。
 
 
 

第五段 婿候補者たちの動静

 
   太政大臣も、  太政大臣も、
   「この衛門督の、今までひとりのみありて、皇女たちならずは得じと思へるを、かかる御定めども出で来たなる折に、さやうにもおもむけたてまつりて、召し寄せられたらむ時、いかばかりわがためにも面目ありてうれしからむ」  「この右衛門督が、今まで独身でいて、内親王でなければ妻としないと思っているのを、このような御詮議が問題になっているという機会に、そのようにお願い申し上げて、召し寄せられたならば、どんなにか自分にとっても名誉なことで、嬉しいだろう」
   と、思しのたまひて、尚侍の君には、かの姉北の方して、伝へ申したまふなりけり。
 よろづ限りなき言の葉を尽くして奏せさせ、御けしき賜はらせたまふ。
 
 と、お思いになりおっしゃりもなさって、尚侍の君には、その姉の北の方を通じて、お伝え申し上げるのであった。
 あらん限りの言葉を尽くして奏上させて、御内意をお伺いになる。
 
   兵部卿宮は、左大将の北の方を聞こえ外したまひて、聞きたまふらむところもあり、かたほならむことはと、選り過ぐしたまふに、いかがは御心の動かざらむ。
 限りなく思し焦られたり。
 
 兵部卿宮は、左大将の北の方を貰い受け損ねなさって、お聞きになっているだろうところもあって、欠点があってはと、選り好みしていらっしゃったが、どうしてお心が動かないことがあろうか。
 この上なくやきもきしていらっしゃった。
 
   藤大納言は、年ごろ院の別当にて、親しく仕うまつりてさぶらひ馴れにたるを、御山籠もりしたまひなむ後、寄り所なく心細かるべきに、この宮の御後見にことよせて、顧みさせたまふべく、御けしき切に賜はりたまふなるべし。
 
 藤大納言は、長年院の別当として、親しくお仕え続けてきたが、御入山あそばして後、頼る所もなくきっと心細いだろうから、この宮の御後見を口実にして、お心にかけていただくよう、御内意を熱心に伺っていらっしゃるのであろう。
 
 
 

第六段 夕霧の心中

 
   権中納言も、かかることどもを聞きたまふに、  権中納言も、このような事柄をお聞きになって、
   「人伝てにもあらず、さばかりおもむけさせたまへりし御けしきを見たてまつりてしかば、おのづから便りにつけて、漏らし、聞こし召さることもあらば、よももて離れてはあらじかし」  「人伝でもなく直接に、あれほど意中をお漏らしあそばした御様子を拝見したのだから、自然と何かの機会を待って、自分の意向をほのめかし、お耳にあそばすことがあったら、けっして外れることはあるまい」
   と、心ときめきもしつべけれど、  と、心をときめかしたにちがいなかろうが、
   「女君の今はとうちとけて頼みたまへるを、年ごろ、つらきにもことつけつべかりしほどだに、他ざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今さらに立ち返り、にはかに物をや思はせきこえむ。
 なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何ごとも思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめ」
 「女君が、今はもう大丈夫と心から頼りにしていらっしゃるのを、長年、辛い仕打ちを口実に浮気しようと思えば出来た時でさえ、他の女への心変わりもなく過ごしてきたのに、無分別にも、今になって昔に戻って、急に心配をおかけできようか。
 並々ならぬ高貴なお方に関係したならば、どのようなことも思うようにならず、左右に気を使っては、自分も苦しいことだろう」
   など、もとより好き好きしからぬ心なれば、思ひしづめつつうち出でねど、さすがに他ざまに定まり果てたまはむも、いかにぞやおぼえて、耳はとまりけり。
 
 などと、本来好色でない性格なので、心を抑えながら外には出さないが、やはり他人に決定してしまうのも、どんなことかと思わずにはいられず、聞き耳を立てるのであった。
 
 
 

第七段 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす

 
   春宮にも、かかることども聞こし召して、  東宮におかれても、このような事をお耳にあそばして、
   「さし当たりたるただ今のことよりも、後の世の例ともなるべきことなるを、よく思し召しめぐらすべきことなり。
 人柄よろしとても、ただ人は限りあるを、なほ、しか思し立つことならば、かの六条院にこそ、親ざまに譲りきこえさせたまはめ」
 「差し当たっての現在のことよりも、後の世の例となるべきのことですから、よくよくお考えあそばさなければならないことです。
 人柄がまあまあ良いといっても、臣下では限界があるので、やはり、そのようにお考えになられるならば、あの六条院にこそ、親代わりとしてお譲り申し上げあそばしませ」
   となむ、わざとの御消息とはあらねど、御けしきありけるを、待ち聞かせたまひても、  と、特別のお手紙というのではないが、御内意があったのを、お待ち受けお聞きあそばしても、
   「げに、さることなり。
 いとよく思しのたまはせたり」
 「なるほど、おっしゃる通りだ。
 たいそうよく考えておっしゃったことだ」
   と、いよいよ御心立たせたまひて、まづ、かの弁してぞ、かつがつ案内伝へきこえさせたまひける。
 
 と、ますます御決心をお固めあそばして、まずは、あの弁を使者として、とりあえず事情をお伝え申し上げさせあそばすのであった。
 
 
 

第八段 源氏、承諾の意向を示す

 
   この宮の御こと、かく思しわづらふさまは、さきざきも皆聞きおきたまへれば、  この姫宮の御事、このようにお悩みの様子は、以前からもみなお聞きになっていらっしゃったので、
   「心苦しきことにもあなるかな。
 さはありとも、院の御世残りすくなしとて、ここにはまた、いくばく立ちおくれたてまつるべしとてか、その御後見の事をば受けとりきこえむ。
 げに、次第を過たぬにて、今しばしのほども残りとまる限りあらば、おほかたにつけては、いづれの皇女たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど、またかく取り分きて聞きおきたてまつりてむをば、ことにこそは後見きこえめと思ふを、それだにいと不定なる世の定めなさなりや」
 「お気の毒なことですね。
 そうはいっても、院の御寿命が短いといっても、わたしとてまた、どれほど生き残り申せると思ってか、姫の御後見のことをお引き受け申すことができようか。
 なるほど、年の順を間違わずに、もう暫くの間長生きできたら、大体の関係からいって、どの内親王たちをも、他人扱い申すはずもないが、またこのように特別に御心配の旨をお伺いしてしまったような方を、特別に御後見致そうと思うが、それさえも無常な世の中の定めなさということだ」
   とのたまひて、  とおっしゃって
   「まして、ひとつに頼まれたてまつるべき筋に、むつび馴れきこえむことは、いとなかなかに、うち続き世を去らむきざみ心苦しく、みづからのためにも浅からぬほだしになむあるべき。
 
 「それにもまして、一途に頼みにして戴くような者として、お親しみ申すことは、とてもかえって、引き続いて世を去るような時がおいたわしくて、自分自身にとっても容易ならぬ障りとなるにちがいなかろう。
 
   中納言などは、年若く軽々しきやうなれど、行く先遠くて、人柄も、つひに朝廷の御後見ともなりぬべき生ひ先なめれば、さも思し寄らむに、などかこよなからむ。
 
 中納言などは、年も若く身分も軽々しいようだが、将来性があって、人柄も、最後は朝廷のご後見をするにちがいない見込みのようなので、そちらにお考えなさって、どうして申し分ないことがあろう。
 
   されど、いといたくまめだちて、思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚らせたまふにやあらむ」  しかし、とてもたいそう生真面目で、思う人を妻にしたようなので、それに御遠慮あそばすのだろうか」
   などのたまひて、みづからは思し離れたるさまなるを、弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしく、口惜しくも思ひて、うちうちに思し立ちにたるさまなど、詳しく聞こゆれば、さすがに、うち笑みつつ、  などとおっしゃって、ご自身は思ってもいないというふうなので、弁は、並々な御決定でないことを、このようにおっしゃるので、お気の毒にも、残念にも思って、内々に御決意になった様子など、詳しく申し上げると、断ったとはいえ、やはりにっこりなさりながら、
   「いとかなしくしたてまつりたまふ皇女なめれば、あながちにかく来し方行く先のたどりも深きなめりかしな。
 ただ、内裏にこそたてまつりたまはめ。
 やむごとなきまづの人びとおはすといふことは、よしなきことなり。
 それにさはるべきことにもあらず。
 かならずさりとて、末の人疎かなるやうもなし。
 
 「とても大切にかわいがっていらっしゃる内親王のようなので、ひとえに過去や将来のことを深く考えたのだろうな。
 ただ、帝に差し上げなさるがよいであろう。
 れっきとした前からの人々がいらっしゃるということは、理由のないことである。
 そのことに支障の生じることではない。
 必ず、後から入内するからといって、後の人が疎略にされるものでない。
 
   故院の御時に、大后の、坊の初めの女御にて、いきまきたまひしかど、むげの末に参りたまへりし入道宮に、しばしは圧されたまひにきかし。
 
 故院の御時に、弘徽殿大后が、東宮の最初の女御として、威勢をふるっていらっしゃったが、はるか後に入内なさった入道宮に、暫くの間は圧倒されなさったのだ。
 
   この皇女の御母女御こそは、かの宮の御はらからにものしたまひけめ。
 容貌も、さしつぎには、いとよしと言はれたまひし人なりしかば、いづ方につけても、この姫宮おしなべての際にはよもおはせじを」
 この内親王の御母女御は、あの宮の御姉妹でいらっしゃったはず。
 器量も、その次には、おきれいな方だと言われなさった方であったから、どちらから見ても、この姫宮は並大抵の方ではいらっしゃるまいが」
   など、いぶかしくは思ひきこえたまふべし。
 
 などと、興味深くお思い申し上げていらっしゃるのであろう。
 
 
 

第三章 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家

 
 

第一段 歳末、女三の宮の裳着催す

 
   年も暮れぬ。
 朱雀院には、御心地なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく思し立ちて、御裳着のことは、思しいそぐさま、来し方行く先ありがたげなるまで、いつくしくののしる。
 
 年も暮れた。
 朱雀院におかれては、御気分もやはり快方に向かう御様子もないので、何かと気忙しく御決心なさって、御裳着の儀式は、その御準備なさる様子、過去にも将来にも例のないと思われるほど、盛大に大騷ぎである。
 
   御しつらひは、柏殿の西面に、御帳、御几帳よりはじめて、ここの綾錦混ぜさせたまはず、唐土の后の飾りを思しやりて、うるはしくことことしく、かかやくばかり調へさせたまへり。
 
 お部屋の飾り付けは、柏殿の西表に、御帳台、御几帳をはじめとして、この国の綾や錦はお加えあそばさず、唐国の皇后の装飾を想像して、端麗で豪華に、光眩しいほどに御準備あそばした。
 
   御腰結には、太政大臣をかねてより聞こえさせたまへりければ、ことことしくおはする人にて、参りにくく思しけれど、院の御言を昔より背き申したまはねば、参りたまふ。
 
 御腰結の役には、太政大臣を前もってお願い申し上げていらっしゃったので、物事を大げさになさる方なので、参上しにくくお思いであったが、院のお言葉に昔から背きなさらないので、参上なさる。
 
   今二所の大臣たち、その残り上達部などは、わりなき障りあるも、あながちにためらひ助けつつ参りたまふ。
 親王たち八人、殿上人はたさらにもいはず、内裏、春宮の残らず参り集ひて、いかめしき御いそぎの響きなり。
 
 もう二方の大臣たち、その他の上達部などは、やむをえない支障がある者も、無理に何とかし都合をつけて参上なさる。
 親王たち八人、殿上人は言うまでもなく、内裏、東宮の人々も残らず参集して、盛大な御儀式の騷ぎである。
 
   院の御こと、このたびこそとぢめなれと、帝、春宮をはじめたてまつりて、心苦しく聞こし召しつつ、蔵人所、納殿の唐物ども、多く奉らせたまへり。
 
 院の御催事も、今回が最後であろうと、帝、東宮をおはじめ申して、お気の毒にお思いあそばされて、蔵人所、納殿の舶来品を、数多く献上させなさった。
 
   六条院よりも、御とぶらひいとこちたし。
 贈り物ども、人びとの禄、尊者の大臣の御引出物など、かの院よりぞ奉らせたまひける。
 
 六条院からも、御祝儀がたいそう盛大にある。
 数々の贈り物や、人々の禄、尊者の大臣の御引出者など、あちらの院からご献上あそばしたものであった。
 
 
 

第二段 秋好中宮、櫛を贈る

 
   中宮よりも、御装束、櫛の筥、心ことに調ぜさせたまひて、かの昔の御髪上の具、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがに元の心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方、奉れさせたまふ。
 宮の権の亮、院の殿上にもさぶらふを御使にて、姫宮の御方に参らすべくのたまはせつれど、かかる言ぞ、中にありける。
 中宮からも、御装束、櫛の箱を、特別にお作らせになって、あの昔の御髪上の道具、趣のあるように手を加えて、それでいて元の感じも失わず、それと分かるようにして、その日の夕方、献上させなさった。
 中宮の権亮で、院の殿上にも伺候している人を御使者として、姫宮の御方に献上させるべく仰せになったが、このような歌が中にあったのである。
 

459
 「さしながら 昔を今に 伝ふれば
 玉の小櫛ぞ 神さびにける」
 「挿したまま昔から今に至りましたので
  玉の小櫛は古くなってしまいました」
 
   院、御覧じつけて、あはれに思し出でらるることもありけり。
 あえ物けしうはあらじと譲りきこえたまへるほど、げに、おもだたしき簪なれば、御返りも、昔のあはれをばさしおきて、
 院が、御覧になって、しみじみとお思い出されることがあるのであった。
 あやかり物として悪くはないとお譲り申し上げなさるだが、なるほど、名誉な櫛なので、お返事も、昔の感情はさておいて、
 

460
 「さしつぎに 見るものにもが 万世を
 黄楊の小櫛の 神さぶるまで」
 「あなたに引き続いて姫宮の幸福を見たいものです
  千秋万歳を告げる黄楊の小櫛が古くなるまで」
 
   とぞ祝ひきこえたまへる。
 
 とお祝い申し上げなさった。
 
 
 

第三段 朱雀院、出家す

 
   御心地いと苦しきを念じつつ、思し起こして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪下ろしたまふ。
 よろしきほどの人の上にてだに、今はとてさま変はるは悲しげなるわざなれば、まして、いとあはれげに御方々も思し惑ふ。
 
 御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになって、この御儀式がすっかり終わったので、三日過ぎて、とうとう御髪をお下ろしになる。
 普通の身分の者でさえ、今は最後と姿が変わるのは悲しいことなので、まして、お気の毒な御様子に、御妃方もお悲しみに暮れる。
 
   尚侍の君は、つとさぶらひたまひて、いみじく思し入りたるを、こしらへかねたまひて、  尚侍の君は、ぴったりとお側を離れずにいらして、ひどく思いつめていらっしゃるのを、慰めかねなさって、
   「子を思ふ道は限りありけり。
 かく思ひしみたまへる別れの堪へがたくもあるかな」
 「子を思う道には限度があるなあ。
 このように悲しんでいらっしゃる別れが堪え難いことよ」
   とて、御心乱れぬべけれど、あながちに御脇息にかかりたまひて、山の座主よりはじめて、御忌むことの阿闍梨三人さぶらひて、法服などたてまつるほど、この世を別れたまふ御作法、いみじく悲し。
 
 といって、御決心が鈍ってしまいそうだが、無理に御脇息に寄りかかりなさって、山の座主をはじめとして、御授戒の阿闍梨三人が伺候して、法服などをお召しになるとき、この世をお別れなさる御儀式、堪らなく悲しい。
 
   今日は、世を思ひ澄ましたる僧たちなどだに、涙もえとどめねば、まして女宮たち、女御、更衣、ここらの男女、上下ゆすり満ちて泣きとよむに、いと心あわたたしう、かからで、静やかなる所に、やがて籠もるべく思しまうけける本意違ひて思し召さるるも、「ただ、この幼き宮にひかされて」と思しのたまはす。
 
 今日は、人の世を悟りきった僧たちなどでさえ、涙を堪えかねるのだから、まして女宮たち、女御、更衣、おおぜいの男女たち、身分の上下の者たち、皆どよめいて泣き悲しむので、何とも心が落ち着かず、こうしたふうにでなく、静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違って思われなさるのも、「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と仰せられる。
 
   内裏よりはじめたてまつりて、御とぶらひのしげさ、いとさらなり。
 
 帝をおはじめ申して、お見舞いの多いこと、いまさら言うまでもない。
 
 
 

第四段 源氏、朱雀院を見舞う

 
   六条院も、すこし御心地よろしくと聞きたてまつらせたまひて、参りたまふ。
 御賜ばりの御封などこそ、皆同じごと、下りゐの帝と等しく定まりたまへれど、まことの太上天皇の儀式にはうけばりたまはず。
 世のもてなし思ひきこえたるさまなどは、心ことなれど、ことさらに削ぎたまひて、例の、ことことしからぬ御車にたてまつりて、上達部など、さるべき限り、車にてぞ仕うまつりたまへる。
 
 六条院も、少し御気分がよろしいとお耳に入れあそばして、参上なさる。
 御下賜の御封など、みな同じように、退位された帝と同じく決まっていらっしゃったが、ほんとうの太上天皇の儀式には威勢をお張りにならない。
 世間の人々のお扱いや尊敬申し上げる様子などは、格別であるが、わざと簡略になさって、例によって、仰々しくないお車にお乗りになって、上達部などのしかるべき方だけが、お車でお供なさっていた。
 
   院には、いみじく待ちよろこびきこえさせたまひて、苦しき御心地を思し強りて、御対面あり。
 うるはしきさまならず、ただおはします方に、御座よそひ加へて、入れたてまつりたまふ。
 
 院におかれては、たいそうお待ちかねしてお喜び申し上げあそばして、苦しい御気分をしいて我慢なさって御対面なさる。
 格式ばらずに、ただ常の御座所に新たにお席を設けて、お入れ申し上げなさる。
 
   変はりたまへる御ありさま見たてまつりたまふに、来し方行く先暮れて、悲しくとめがたく思さるれば、とみにもえためらひたまはず。
 
 お変わりになった御様子を拝見なさると、過去も未来も真暗になって、悲しく涙を止めがたく思わずにはいらっしゃれないので、すぐには気持ちをお静めになれない。
 
   「故院におくれたてまつりしころほひより、世の常なく思うたまへられしかば、この方の本意深く進みはべりにしを、心弱く思うたまへたゆたふことのみはべりつつ、つひにかく見たてまつりなしはべるまで、おくれたてまつりはべりぬる心のぬるさを、恥づかしく思うたまへらるるかな。
 
 「故院に先立たれ申したころから、世の中が無常に存じられずにはいられませんでしたので、この方面への決心も深くなっていましたが、心弱くてぐずぐずしてばかりいまして、とうとうこのように拝見致すまで、遅れ申してしまいました心の怠慢を、恥ずかしく存ぜずにはいられませんなあ。
 
   身にとりては、ことにもあるまじく思うたまへたちはべる折々あるを、さらにいと忍びがたきこと多かりぬべきわざにこそはべりけれ」  わたくし自身のこととしては、たいしたことでもあるまいと決心致しました時々もありましたが、どうしても堪えられないことが多くございましたよ」
   と、慰めがたく思したり。
 
 と、心を静められないお思いでいらっしゃった。
 
 
 

第五段 朱雀院と源氏、親しく語り合う

 
   院も、もの心細く思さるるに、え心強からず、うちしほれたまひつつ、いにしへ、今の御物語、いと弱げに聞こえさせたまひて、  院も、何となく心細くお思いになられて、我慢おできになれず、涙をお流しになりながら、昔、今のお話、たいそう弱々そうにお話しあそばされて、
   「今日か明日かとおぼえはべりつつ、さすがにほど経ぬるを、うちたゆみて、深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひ起こしてなむ。
 
 「今日か明日かと思われながら、それでも年月を経てしまったが、つい油断して、心からの念願の一端も遂げずに終わってしまいそうなことだ、と思い立ったのです。
 
   かくても残りの齢なくは、行なひの心ざしも叶ふまじけれど、まづ仮にても、のどめおきて、念仏をだにと思ひはべる。
 はかばかしからぬ身にても、世にながらふること、ただこの心ざしにひきとどめられたると、思うたまへ知られぬにしもあらぬを、今まで勤めなき怠りをだに、安からずなむ」
 こう出家しても余生がなければ、勤行の意志も果たせそうにありませんが、まずは一時なりとも、命を延ばしておいて、せめて念仏だけでもと思っています。
 何もできない身の上ですが、今まで生きながらえているのは、ただこの意志に引き留められていたと、存じられないわけではありませんが、今まで仏道に励まなかった怠慢だけでも、気にかかってなりません」
   とて、思しおきてたるさまなど、詳しくのたまはするついでに、  とおっしゃって、考えていたことなどを、詳しく仰せになる機会に、
   「女皇女たちを、あまたうち捨てはべるなむ心苦しき。
 中にも、また思ひ譲る人なきをば、取り分きうしろめたく、見わづらひはべる」
 「内親王たちを、大勢残して行きますのが気の毒です。
 その中でも、他に頼んでおく人のない姫を、格別に気がかりで、どうしたものかと苦にしております」
   とて、まほにはあらぬ御けしき、心苦しく見たてまつりたまふ。
 
 とおっしゃって、はっきりとは仰せにならない御様子を、お気の毒と拝し上げなさる。
 
 
 

第六段 内親王の結婚の必要性を説く

 
   御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば、思し過ぐしがたくて、  お心の中でも、何と言っても関心のある御事なので、お聞き過ごし難く思って、
   「げに、ただ人よりも、かかる筋には、私ざまの御後見なきは、口惜しげなるわざになむはべりける。
 春宮かくておはしませば、いとかしこき末の世の儲けの君と、天の下の頼みどころに仰ぎきこえさするを。
 
 「仰せのとおり、尋常の臣下の者以上に、こういうご身分の方には、内々のご後見役がいないのは、いかにも残念なことでございますね。
 東宮がこうしてご立派にいらっしゃいますので、まことに末世には過ぎた畏れ多い儲けの君として、天下の頼り所として仰ぎ見申し上げておりますよ。
 
   まして、このことと聞こえ置かせたまはむことは、一事として疎かに軽め申したまふべきにはべらねば、さらに行く先のこと思し悩むべきにもはべらねど、げに、こと限りあれば、公けとなりたまひ、世の政事御心にかなふべしとは言ひながら、女の御ために、何ばかりのけざやかなる御心寄せあるべきにもはべらざりけり。
 
 まして、これこれのことは是非にと仰せおきなさることは、一事としていい加減に軽んじ申し上げなさるはずのことはございませんので、全然将来のことをお悩みになることはございませんが、なるほど、物事には限りがあるので、即位なさり、世の中の政治もお心のままにお執りなるとは言っても、姫宮の御ためには、どれほどのはっきりとしたお力添えができるものでもございません。
 
   すべて、女の御ためには、さまざま真の御後見とすべきものは、なほさるべき筋に契りを交はし、えさらぬことに、育みきこゆる御護りめはべるなむ、うしろやすかるべきことにはべるを、なほ、しひて後の世の御疑ひ残るべくは、よろしきに思し選びて、忍びて、さるべき御預かりを定めおかせたまふべきになむはべなる」  総じて、内親王の御ためには、いろいろとほんとうのご後見に当たる者は、やはりしかるべき夫婦の契りを交わし、当然の役目として、お世話申し上げる御保護者のいますのが、安心なことでございましょうが、やはり、どうしても将来にご不安が残りそうでしたら、適当な人物をお選びになって、内々に、しかるべきお引き受け手をお決めおきあそばすのがよいことでしょう」
   と、奏したまふ。
 
 と、奏上なさる。
 
 
 

第七段 源氏、結婚を承諾

 
   「さやうに思ひ寄る事はべれど、それも難きことになむありける。
 いにしへの例を聞きはべるにも、世をたもつ盛りの皇女にだに、人を選びて、さるさまのことをしたまへるたぐひ多かりけり。
 
 「そのように考えたこともありますが、それも難しいことなのです。
 昔の例を聞きましても、在位中の帝の内親王でさえ、人を選んで、そのような婿選びをなさった例は多かったのです。
 
   ましてかく、今はとこの世を離るる際にて、ことことしく思ふべきにもあらねど、また、しか捨つる中にも、捨てがたきことありて、さまざまに思ひわづらひはべるほどに、病は重りゆく。
 また取り返すべきにもあらぬ月日の過ぎゆけば、心あわたたしくなむ。
 
 ましてこのように、これが最後とこの世を離れる時になって、仰々しく思い悩むこともないのですが、また一方、世を捨てた中にも、捨て去り難いことがあって、いろいろと思い悩んでいましたうちに、病気は重くなってゆく。
 再び取り戻すことのできない月日も過ぎて行くので、気が急いてなりません。
 
   かたはらいたき譲りなれど、このいはけなき内親王、一人、分きて育み思して、さるべきよすがをも、御心に思し定めて預けたまへ、と聞こえまほしきを。
 
 恐縮なお譲りごとなのですが、この幼い内親王、一人、特別にお目にかけ育てくださって、適当な婿をも、あなたのお考え通りにお決めくださって、その人にお預けくださいと申し上げたいところですが。
 
   権中納言などの独りものしつるほどに、進み寄るべくこそありけれ。
 大臣に先ぜられて、ねたくおぼえはべる」
 権中納言などが独身でいた時に、こちらから申し出るべきであった。
 太政大臣に先を越されて、残念に思っています」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
   「中納言の朝臣、まめやかなる方は、いとよく仕うまつりぬべくはべるを、何ごともまだ浅くて、たどり少なくこそはべらめ。
 
 「中納言の朝臣は、誠実という点では、たいそうよくお仕え致しましょうが、何事もまだ経験が浅くて、分別が足りのうございましょう。
 
   かたじけなくとも、深き心にて後見きこえさせはべらむに、おはします御蔭に変りては思されじを、ただ行く先短くて、仕うまつりさすことやはべらむと、疑はしき方のみなむ、心苦しくはべるべき」  恐れ多いことですが、真心をこめてご後見させていただきましたら、御在俗中と違ってはお思いなされないでしょうが、ただ老い先が短くて、途中でお仕えできなくなることがございはしまいかと、懸念される点だけが、お気の毒でございます」
   と、受け引き申したまひつ。
 
 と言って、お引き受け申し上げなさった。
 
 
 

第八段 朱雀院の饗宴

 
   夜に入りぬれば、主人の院方も、客人の上達部たちも、皆御前にて、御饗のこと、精進物にて、うるはしからず、なまめかしくせさせたまへり。
 院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、昔に変はりて参るを、人びと、涙おし拭ひたまふ。
 あはれなる筋のことどもあれど、うるさければ書かず。
 
 夜に入ったので、主人の院方も、お客の上達部たちも、皆御前において、御饗応の事があり、精進料理で、格式ばらずに、風情ある感じにおさせになっていた。
 院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、在俗の時とは違って差し上げるのを、人々は、涙をお拭いになる。
 しみじみとした和歌が詠まれたが、煩わしいので書かない。
 
   夜更けて帰りたまふ。
 禄ども、次々に賜ふ。
 別当大納言も御送りに参りたまふ。
 主人の院は、今日の雪にいとど御風邪加はりて、かき乱り悩ましく思さるれど、この宮の御事、聞こえ定めつるを、心やすく思しけり。
 
 夜が更けてお帰りになる。
 禄の品々を、次々と御下賜される。
 別当の大納言もお送りに供奉申し上げなさる。
 主の院は、今日の雪にますますお風邪まで召されて、御気分が悪く苦しくいらっしゃるが、この姫宮の御身の上を、御依頼し決定なさったので、御安心なさったのであった。
 
 
 

第四章 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける

 
 

第一段 源氏、結婚承諾を煩悶す

 
   六条院は、なま心苦しう、さまざま思し乱る。
 
 六条院は、何となく気が重くて、あれこれと思い悩みなさる。
 
   紫の上も、かかる御定めなむと、かねてもほの聞きたまひけれど、  紫の上も、このようなご決定があったと、以前からちらっとお聞きになっていたが、
   「さしもあらじ。
 前斎院をも、ねむごろに聞こえたまふやうなりしかど、わざとしも思し遂げずなりにしを」
 「決してそのようなことはあるまい。
 前斎院を熱心に言い寄っていらっしゃるようだったが、ことさら思いを遂げようとはなさらなかったのだから」
   など思して、「さることもやある」とも問ひきこえたまはず、何心もなくておはするに、いとほしく、  などとお思いになって、「そのようなことがあったのですか」ともお尋ね申し上げなさらず、平気な顔でいらっしゃるので、おいたわしくて、
   「この事をいかに思さむ。
 わが心はつゆも変はるまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど深さこそまさらめ、見定めたまはざらむほど、いかに思ひ疑ひたまはむ」
 「このことをどのようにお思いだろう。
 自分の心は少しも変わるはずもなく、そのことがあった場合には、かえってますます愛情が深くなることだろうが、それがお分りいただけない間は、どんなにお思い疑いなさるだろう」
   など安からず思さる。
 
 などと、気がかりにお思いになる。
 
   今の年ごろとなりては、ましてかたみに隔てきこえたまふことなく、あはれなる御仲なれば、しばし心に隔て残したることあらむもいぶせきを、その夜はうち休みて明かしたまひつ。
 
 長の年月を経たこのごろでは、ましてお互いに心を隔て置き申し上げることもなく、しっくりしたご夫婦仲なので、一時でも心に隔てを残しているようなことがあるのも気が重いのだが、その晩はそのまま寝んで、夜を明かしなさった。
 
 
 

第二段 源氏、紫の上に打ち明ける

 
   またの日、雪うち降り、空のけしきもものあはれに、過ぎにし方行く先の御物語聞こえ交はしたまふ。
 
 翌日、雪がちょっと降って、空模様も物思いを催し、過去のこと将来のことをお話し合いなさる。
 
   「院の頼もしげなくなりたまひにたる、御とぶらひに参りて、あはれなることどものありつるかな。
 女三の宮の御ことを、いと捨てがたげに思して、しかしかなむのたまはせつけしかば、心苦しくて、え聞こえ否びずなりにしを、ことことしくぞ人は言ひなさむかし。
 
 「院がお弱りになりなさったが、お見舞いに参上して、ひどく胸を打たれることがありました。
 女三の宮の御身の上の事を、実に放っておきがたく思し召されて、これこれしかじかのことを仰せになったので、お気の毒で、お断り申し上げることができなくなってしまったのを、大げさに人は言いなすだろう。
 
   今は、さやうのことも初ひ初ひしく、すさまじく思ひなりにたれば、人伝てにけしきばませたまひしには、とかく逃れきこえしを、対面のついでに、心深きさまなることどもを、のたまひ続けしには、えすくすくしくも返さひ申さでなむ。
 
 今は、そのようなことも気恥ずかしく、関心も持てなくなってきたので、人を通してそれとなく仰せになった時には、何とか逃げ申したが、対面した時に、あわれ深い親心をおっしゃり続けたのには、すげなくご辞退申し上げることができませんでした。
 
   深き御山住みに移ろひたまはむほどにこそは、渡したてまつらめ。
 あぢきなくや思さるべき。
 いみじきことありとも、御ため、あるより変はることはさらにあるまじきを、心なおきたまひそよ。
 
 深い山住み生活にお移りになるころには、こちらにお迎え申し上げることになろう。
 おもしろくなくお思いでしょうか。
 たとえどんなことがあっても、あなたにとって、今までと変わることは決してありませんから、気にかけないでくださいよ。
 
   かの御ためこそ、心苦しからめ。
 それもかたはならずもてなしてむ。
 誰も誰も、のどかにて過ぐしたまはば」
 あちらの方にとってこそ、お気の毒でしょう。
 その方も見苦しからずお世話しよう。
 皆が皆、穏やかにお過ごしくださったなら」
   など聞こえたまふ。
 
 などと申し上げなさる。
 
   はかなき御すさびごとをだに、めざましきものに思して、心やすからぬ御心ざまなれば、「いかが思さむ」と思すに、いとつれなくて、  ちょっとしたお浮気でさえ、目障りなとお思いなさって、心穏やかでないご性分なので、「どうお思いかしら」とお思いになると、まったく平静で、
   「あはれなる御譲りにこそはあなれ。
 ここには、いかなる心をおきたてまつるべきにか。
 めざましく、かくてなど、咎めらるまじくは、心やすくてもはべなむを、かの母女御の御方ざまにても、疎からず思し数まへてむや」
 「ほんとうにお気の毒なご依頼ですこと。
 わたしには、どのような快からぬ心をお抱き申しましょうか。
 目障りな、こうしていてなどと、咎められないようでしたら、安心してここにいさせていただきましょうが、あちらの御母女御の御縁からいっても、仲好くしていただけるでしょうから」
   と、卑下したまふを、  と、謙遜なさるのを、
   「あまり、かう、うちとけたまふ御ゆるしも、いかなればと、うしろめたくこそあれ。
 まことは、さだに思しゆるいて、われも人も心得て、なだらかにもてなし過ぐしたまはば、いよいよあはれになむ。
 
 「あまり、こんなに、快くお許しくださるのも、どうしてかと、不安に思われます。
 ほんとうは、せめてそのように大目に見てくださって、自分もあちらの方も事情を分かりあって、穏やかに暮らしてくださるなら、一層ありがたいことです。
 
   ひがこと聞こえなどせむ人の言、聞き入れたまふな。
 すべて、世の人の口といふものなむ、誰が言ひ出づることともなく、おのづから人の仲らひなど、うちほほゆがみ、思はずなること出で来るものなるを、心ひとつにしづめて、ありさまに従ふなむよき。
 まだきに騒ぎて、あいなきもの怨みしたまふな」
 根も葉もない噂などをする人の話は、信じなさるな。
 総じて、世間の人の口というものは、誰が言い出したということもなく、自然と他人の夫婦仲などを、事実とは違えて、意外な話が出て来るもののようですが、自分一人の心におさめて、成り行きに従うのが良い。
 早まって騷ぎ出して、つまらない嫉妬をなさるな」
   と、いとよく教へきこえたまふ。
 
 と、たいそう良くお教え申し上げなさる。
 
 
 

第三段 紫の上の心中

 
   心のうちにも、  心の中でも、
   「かく空より出で来にたるやうなることにて、逃れたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ。
 わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心より起これる懸想にもあらず。
 せかるべき方なきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞こえじ。
 
 「このように空から降って来たようなことなので、ご辞退できなかったのだから、恨み言は申し上げまい。
 ご自身気が咎めなさり、他人の諌めに従いなさるような、当人同士の心から出た恋でない。
 せき止めるすべもないものだから、馬鹿らしくうち沈んでいる様子、世間の人に漏れ見せまい。
 
   式部卿宮の大北の方、常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへ、あやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ」  式部卿宮の大北の方が、常に呪わしそうな言葉をおっしゃっては、どうにもならない大将の御身の上の事についてまで、変に恨んだり妬んだりなさるというが、このように聞いて、どんなにかそれ見たことかと思うことだろう」
   など、おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ。
 今はさりともとのみ、わが身を思ひ上がり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。
 
 などと、おっとりしたご性分とはいえ、どうしてこの程度の邪推をなさらないことがあろうか。
 今はもう大丈夫とばかり、わが身の上を気位を高く持って、気兼ねなく過ごして来た夫婦仲が、物笑いになろうことを、心の中では思い続けなさるが、表面はとても穏やかにばかり振る舞っていらっしゃった。
 
 
 

第五章 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う

 
 

第一段 玉鬘、源氏に若菜を献ず

 
   年も返りぬ。
 朱雀院には、姫宮、六条院に移ろひたまはむ御いそぎをしたまふ。
 聞こえたまへる人びと、いと口惜しく思し嘆く。
 内裏にも御心ばへありて、聞こえたまひけるほどに、かかる御定めを聞こし召して、思し止まりにけり。
 
 年も改まった。
 朱雀院におかれては、姫宮が、六条院にお移りになる御準備をなさる。
 ご求婚申し上げなさっていた方々は、たいそう残念にお嘆きになる。
 帝におかせられてもお気持ちがあって、お申し入れしていらっしゃるうちに、このような御決定をお耳にあそばして、お諦めになったのであった。
 
   さるは、今年ぞ四十になりたまひければ、御賀のこと、朝廷にも聞こし召し過ぐさず、世の中の営みにて、かねてより響くを、ことのわづらひ多くいかめしきことは、昔より好みたまはぬ御心にて、皆かへさひ申したまふ。
 
 それはそれとして実は、今年四十歳におなりになったので、その御賀のこと、朝廷でもお聞き流しなさらず、世を挙げての行事として、早くから評判であったが、いろいろと煩わしいことが多い厳めしい儀式は、昔からお嫌いなご性分であるから、皆ご辞退申し上げなさる。
 
   正月二十三日、子の日なるに、左大将殿の北の方、若菜参りたまふ。
 かねてけしきも漏らしたまはで、いといたく忍びて思しまうけたりければ、にはかにて、えいさめ返しきこえたまはず。
 忍びたれど、さばかりの御勢ひなれば、渡りたまふ御儀式など、いと響きことなり。
 
 正月二十三日は、子の日なので、左大将殿の北の方が、若菜を献上なさる。
 前もってその様子も外に現しなさらず、とてもたいそう密かにご準備なさっていたので、急な事で、ご意見してご辞退申し上げることもできない。
 内々にではあるが、あれほどのご威勢なので、ご訪問の作法など、たいそう騷ぎが格別である。
 
   南の御殿の西の放出に御座よそふ。
 屏風、壁代よりはじめ、新しく払ひしつらはれたり。
 うるはしく倚子などは立てず、御地敷四十枚、御茵、脇息など、すべてその御具ども、いときよらにせさせたまへり。
 
 南の御殿の西の放出に御座席を設ける。
 屏風、壁代をはじめ、新しくすっかり取り替えられている。
 儀式ばって椅子などは立てず、御地敷四十枚、御褥、脇息など、総じてその道具類は、たいそう美しく整えさせていらっしゃった。
 
   螺鈿の御厨子二具に、御衣筥四つ据ゑて、夏冬の御装束。
 香壺、薬の筥、御硯、ゆする坏、掻上の筥などやうのもの、うちうちきよらを尽くしたまへり。
 御插頭の台には、沈、紫檀を作り、めづらしきあやめを尽くし、同じき金をも、色使ひなしたる、心ばへあり、今めかしく。
 
 螺鈿の御厨子二具に、御衣箱四つを置いて、夏冬の御装束。
 香壷、薬の箱、御硯、ゆする坏、掻上の箱などのような物を、目立たない所に善美を尽くしていらっしゃった。
 御插頭の台としては、沈や、紫檀で作り、珍しい紋様を凝らし、同じ金属製品でも、色を使いこなしているのは、趣があり、現代風で。
 
   尚侍の君、もののみやび深く、かどめきたまへる人にて、目馴れぬさまにしなしたまへる、おほかたのことをば、ことさらにことことしからぬほどなり。
 
 尚侍の君は、風雅の心が深く、才気のある方なので、目新しい形に整えなさっていたが、儀式全般のこととしては、格別に仰々しくないようにしてある。
 
 
 

第二段 源氏、玉鬘と対面

 
   人びと参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、尚侍の君に御対面あり。
 御心のうちには、いにしへ思し出づることもさまざまなりけむかし。
 
 人々が参上などなさって、お座席にお出になるに当たり、尚侍の君とご対面がある。
 お心の中では、昔を思い出しなさることがさまざまとあったことであろう。
 
   いと若くきよらにて、かく御賀などいふことは、ひが数へにやと、おぼゆるさまの、なまめかしく、人の親げなくおはしますを、めづらしくて年月隔てて見たてまつりたまふは、いと恥づかしけれど、なほけざやかなる隔てもなくて、御物語聞こえ交はしたまふ。
 
 実に若々しく美しくて、このように御四十の賀などということは、数え違いではないかと、つい思われる様子で、優美で子を持つ親らしくなくいらっしゃるのを、珍しくて、歳月を経て拝見なさるのは、とても恥ずかしい思いがするが、やはり際立った隔てもなく、お話を交わしなさる。
 
   幼き君も、いとうつくしくてものしたまふ。
 尚侍の君は、うち続きても御覧ぜられじとのたまひけるを、大将、かかるついでにだに御覧ぜさせむとて、二人同じやうに、振分髪の何心なき直衣姿どもにておはす。
 
 幼い君も、とてもかわいらしくいらっしゃる。
 尚侍の君は、続いて二人もお目にかけたくないとおっしゃったが、大将が、せめてこのような機会に御覧に入れようと言って、二人同じように、振り分け髪で、無邪気な童直衣姿でいらっしゃる。
 
   「過ぐる齢も、みづからの心にはことに思ひとがめられず、ただ昔ながらの若々しきありさまにて、改むることもなきを、かかる末々のもよほしになむ、なまはしたなきまで思ひ知らるる折もはべりける。
 
 「年を取ると、自分自身では特に気にもならず、ただ昔のままの若々しい様子で、変わることもないのだが、このような孫たちができたことで、きまりの悪いまでに年を取ったことを思い知られる時もあるのですね。
 
   中納言のいつしかとまうけたなるを、ことことしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。
 人よりことに、数へ取りたまひける今日の子の日こそ、なほうれたけれ。
 しばしは老を忘れてもはべるべきを」
 中納言が早々と子をなしたというのに、仰々しく分け隔てして、まだ見せませんよ。
 誰より先に、私の年を数えて祝ってくださった今日の子の日は、やはりつらく思われます。
 しばらくは老いを忘れてもいられたでしょうに」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
 
 

第三段 源氏、玉鬘と和歌を唱和

 
   尚侍の君も、いとよくねびまさり、ものものしきけさへ添ひて、見るかひあるさましたまへり。  尚侍の君も、すっかり立派に成熟して、貫祿まで加わって、素晴らしいご様子でいらっしゃった。
 

461
 「若葉さす 野辺の小松を 引き連れて
 もとの岩根を 祈る今日かな」
 「若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れて
  育てて下さった元の岩根を祝う今日の子の日ですこと」
 
   と、せめておとなび聞こえたまふ。
 沈の折敷四つして、御若菜さまばかり参れり。
 御土器取りたまひて、
 と、強いて母親らしく申し上げなさる。
 沈の折敷を四つ用意して、御若菜を御祝儀ばかりに献上なさった。
 御杯をお取りになって、
 

462
 「小松原 末の齢に 引かれてや
 野辺の若菜も 年を摘むべき」
 「小松原の将来のある齢にあやかって
  野辺の若菜も長生きするでしょう」
 
   など聞こえ交はしたまひて、上達部あまた南の廂に着きたまふ。
 
 などと詠み交わしなさっているうちに、上達部が大勢南の廂の間にお着きになる。
 
   式部卿宮は、参りにくく思しけれど、御消息ありけるに、かく親しき御仲らひにて、心あるやうならむも便なくて、日たけてぞ渡りたまへる。
 
 式部卿宮は、参上しにくくお思いであったが、ご招待があったのに、このように親しい間柄で、わけがあるみたいに取られるのも具合が悪いので、日が高くなってからお渡りになった。
 
   大将のしたり顔にて、かかる御仲らひに、うけばりてものしたまふも、げに心やましげなるわざなめれど、御孫の君たちは、いづ方につけても、おり立ちて雑役したまふ。
 籠物四十枝、折櫃物四十。
 中納言をはじめたてまつりて、さるべき限り取り続きたまへり。
 御土器くだり、若菜の御羹参る。
 御前には、沈の懸盤四つ、御坏どもなつかしく、今めきたるほどにせられたり。
 
 大将が得意顔で、このようなお間柄ゆえ、すべて取り仕切っていらっしゃるのも、いかにも癪に障ることのようであるが、御孫の君たちは、どちらからも縁続きゆえに、骨身を惜しまず、雑用をなさっている。
 籠物四十枝、折櫃物四十。
 中納言をおはじめ申して、相当な方々ばかりが、次々に受け取って献上なさっていた。
 お杯が下されて、若菜の御羹をお召し上がりになる。
 御前には、沈の懸盤四つ、御坏類も好ましく現代風に作られていた。
 
 
 

第四段 管弦の遊び催す

 
   朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。
 御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
 朱雀院の御病気が、まだすっかり良くならないことによって、楽人などはお召しにならない。
 管楽器などは、太政大臣が、そちらの方面はお整えになって、
   「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」  「世の中に、この御賀より他に立派で善美を尽くすような催しはまたとあるまい」
   とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
 
 とおっしゃって、優れた楽器ばかりを、以前からご準備なさっていたので、内輪の方々で音楽のお遊びが催される。
 
   とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。
 さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。
 
 それぞれ演奏する楽器の中で、和琴は、あの太政大臣が第一にご秘蔵なさっていた御琴である。
 このような名人が、日頃入念に弾き馴らしていらっしゃる音色、またとないほどなので、他の人は弾きにくくなさるので、衛門督が固く辞退しているのを催促なさると、なるほど実に見事に、少しも父親に負けないほどに弾く。
 
   「何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかし」と、心にくくあはれに人びと思す。
 調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。
 
 「どのようなことも、名人の後嗣と言っても、これほどにはとても継ぐことはできないものだ」と、奥ゆかしく感心なことに人々はお思いになる。
 それぞれの調子に従って、楽譜の整っている弾き方や、決まった型のある中国伝来の曲目は、かえって習い方もはっきりしているが、気分にまかせて、ただ掻き合わせるすが掻きに、すべての楽器の音色が一つになっていくのは、見事に素晴らしく、不思議なまでに響き合う。
 
   父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らしたまふ。
 これは、いとわららかに昇る音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞こえざりしを」と、親王たちも驚きたまふ。
 
 父大臣は、琴の緒をとても緩く張って、たいそう低い調子で調べ、余韻を多く響かせて掻き鳴らしなさる。
 こちらは、たいそう明るく高い調子で、親しみのある朗らかなので、「とてもこんなにまでとは知らなかった」と、親王たちはびっくりなさる。
 
   琴は、兵部卿宮弾きたまふ。
 この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふことにて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとするため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔のことも恋しく思し出でらる。
 
 琴は、兵部卿宮がお弾きになる。
 この御琴は、宜陽殿の御物で、代々に第一の評判のあった御琴を、故院の晩年に、一品宮がお嗜みがおありであったので、御下賜なさったのを、この御賀の善美を尽しなさろうとして、大臣が願い出て賜ったという次々の伝来をお思いになると、実にしみじみと、昔のことが恋しくお思い出さずにはいらっしゃれない。
 
   親王も、酔ひ泣きえとどめたまはず。
 御けしきとりたまひて、琴は御前に譲りきこえさせたまふ。
 もののあはれにえ過ぐしたまはで、めづらしきもの一つばかり弾きたまふに、ことことしからねど、限りなくおもしろき夜の御遊びなり。
 
 親王も、酔い泣きを抑えることがおできになれない。
 ご心中をお察しになって、琴は御前にお譲り申し上げあそばす。
 感興にじっとしていらっしゃれずに、珍しい曲目を一曲だけお弾きなさると、儀式ばった仰々しさはないけれども、この上なく素晴らしい夜のお遊びである。
 
   唱歌の人びと御階に召して、すぐれたる声の限り出だして、返り声になる。
 夜の更け行くままに、物の調べども、なつかしく変はりて、「青柳」遊びたまふほど、げに、ねぐらの鴬おどろきぬべく、いみじくおもしろし。
 私事のさまにしなしたまひて、禄など、いと警策にまうけられたりけり。
 
 唱歌の人々を御階に召して、美しい声ばかりで歌わせて、返り声に転じて行く。
 夜が更けて行くにつれて、楽器の調子など、親しみやすく変わって、「青柳」を演奏なさるころに、なるほど、ねぐらの鴬が目を覚ますに違いないほど、大変に素晴らしい。
 私的な催しの形式になさって、禄など、たいそう見事な物を用意なさっていた。
 
 
 

第五段 暁に玉鬘帰る

 
   暁に、尚侍君帰りたまふ。
 御贈り物などありけり。
 
 明け方に、尚侍の君はお帰りになる。
 御贈り物などがあるのだった。
 
   「かう世を捨つるやうにて明かし暮らすほどに、年月の行方も知らず顔なるを、かう数へ知らせたまへるにつけては、心細くなむ。
 
 「このように世を捨てたようにして毎日を送っていると、年月のたつのも気づかぬありさまだが、このように齢を数えて祝ってくださるにつけて、心細い気がする。
 
   時々は、老いやまさると見たまひ比べよかし。
 かく古めかしき身の所狭さに、思ふに従ひて対面なきも、いと口惜しくなむ」
 時々は、前より年とったかどうか見比べにいらっしゃって下さいよ。
 このように老人の身の窮屈さから、思うままにお会いできないのも、まことに残念だ」
   など聞こえたまひて、あはれにもをかしくも、思ひ出できこえたまふことなきにしもあらねば、なかなかほのかにて、かく急ぎ渡りたまふを、いと飽かず口惜しくぞ思されける。
 
 などと申し上げなさって、しんみりとまた情趣深く、思い出しなさることがないでもないから、かえってちらっと顔を見せただけで、このように急いでお帰りになるのを、たいそう堪らなく残念に思わずにはいらっしゃれなかった。
 
   尚侍の君も、まことの親をばさるべき契りばかりに思ひきこえたまひて、ありがたくこまかなりし御心ばへを、年月に添へて、かく世に住み果てたまふにつけても、おろかならず思ひきこえたまひけり。
 
 尚侍の君も、実の親は親子の宿縁とお思い申し上げなさるだけで、世にも珍しく親切であったお気持ちの程を、年月とともに、このようにお身の上が落ち着きなさったにつけても、並々ならずありがたく感謝申し上げなさるのであった。
 
 
 

第六章 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁

 
 

第一段 女三の宮、六条院に降嫁

 
   かくて、如月の十余日に、朱雀院の姫宮、六条院へ渡りたまふ。
 この院にも、御心まうけ世の常ならず。
 若菜参りし西の放出に御帳立てて、そなたの一、二の対、渡殿かけて、女房の局々まで、こまかにしつらひ磨かせたまへり。
 内裏に参りたまふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。
 渡りたまふ儀式、言へばさらなり。
 
 こうして、二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮、六条院へお輿入れになる。
 こちらの院におかれても、ご準備は並々でない。
 若菜を召し上がった西の放出に御帳台を設けて、そちらの西の第一、第二の対、渡殿にかけて、女房の局々に至るまで、念入りに整え飾らせなさっていた。
 宮中に入内なさる姫君の儀式に似せて、あちらの院からも御調度類が運ばれて来る。
 お移りになる儀式の盛大さは、今さら言うまでもない。
 
   御送りに、上達部などあまた参りたまふ。
 かの家司望みたまひし大納言も、やすからず思ひながらさぶらひたまふ。
 御車寄せたる所に、院渡りたまひて、下ろしたてまつりたまふなども、例には違ひたることどもなり。
 
 御供奉に、上達部などが大勢お供なさる。
 あの家司をお望みになった大納言も、面白らかず思いながらも供奉なさっている。
 お車を寄せた所に、院がお出になって、お下ろし申し上げなさるなども、例には無いことである。
 
   ただ人におはすれば、よろづのこと限りありて、内裏参りにも似ず、婿の大君といはむにもこと違ひて、めづらしき御仲のあはひどもになむ。
 
 臣下でいらっしゃるので、何もかも制限があって、入内の儀式とも違うし、婿の大君と言うのとも事情が違って、珍しいご夫婦の関係である。
 
 
 

第二段 結婚の儀盛大に催さる

 
   三日がほど、かの院よりも、主人の院方よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。
 
 三日の間は、あちらの院からも、主人である院からも、盛大でまたとないほどの優雅な催しをお尽くしになる。
 
   対の上も、ことに触れてただにも思されぬ世のありさまなり。
 げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへるに、なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りのほども、もろ心にはかなきこともし出でたまひて、いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。
 
 対の上も何かにつけて、平静ではいらっしゃれないお身の回りである。
 なるほど、このようなことになったからと言って、すっかりあちらに負けて影が薄くなってしまうこともあるまいけれど、また一方でこれまで揺ぎない地位にいらしたのに、華やかでお年も若く、侮りがたい勢いでお輿入れになったので、何となく居心地が悪くお思いになるが、何気ないふうにばかり装って、お輿入れの時も、ご一緒に細々とした事までお世話なさって、まことにかいがいしいご様子を、ますます得がたい人だとお思い申し上げなさる。
 
   姫宮は、げに、まだいと小さく、片なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに若びたまへり。
 
 姫宮は、なるほど、まだとても小さく、大人になっていらっしゃらないうえ、まことにあどけない様子で、まるきり子供でいらっしゃった。
 
   かの紫のゆかり尋ね取りたまへりし折思し出づるに、  あの紫のゆかりを探し出しなさった時をお思い出しなさると、
   「かれはされていふかひありしを、これは、いといはけなくのみ見えたまへば、よかめり。
 憎げにおしたちたることなどはあるまじかめり」
 「あちらは気が利いていて手ごたえがあったが、こちらはまことに幼くだけお見えでいらっしゃるので、まあ、よかろう。
 憎らしく強気に出ることなどもあるまい」
   と思すものから、「いとあまりものの栄なき御さまかな」と見たてまつりたまふ。
 
 とお思いになる一方で、「あまり張り合いのないご様子だ」と拝見なさる。
 
 
 

第三段 源氏、結婚を後悔

 
   三日がほどは、夜離れなく渡りたまふを、年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれど、なほものあはれなり。
 御衣どもなど、いよいよ薫きしめさせたまふものから、うち眺めてものしたまふけしき、いみじくらうたげにをかし。
 
 三日間は、毎晩お通いになるのを、今までにこのようなことは経験がおありでないので、堪えはするが、やはり胸が痛む。
 お召し物などを、いっそう念入りに香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃる様子は、たいそういじらしく美しい。
 
   「などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。
 あだあだしく、心弱くなりおきにけるわがおこたりに、かかることも出で来るぞかし。
 若けれど、中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」
 「どうして、どんな事情があるにもせよ、他に妻を迎える必要があったのだろうか。
 浮気っぽく、気弱になっていた自分の失態から、このような事も出てきたのだ。
 若いけれど、中納言をお考えに入れずじまいだったようなのに」
   と、われながらつらく思し続くるに、涙ぐまれて、  と、自分ながら情けなくお思い続けられて、つい涙ぐんで、
   「今宵ばかりは、ことわりと許したまひてむな。
 これより後のとだえあらむこそ、身ながらも心づきなかるべけれ。
 また、さりとて、かの院に聞こし召さむことよ」
 「今夜だけは、無理もないこととお許しくださいな。
 これから後に来ない夜があったら、我ながら愛想が尽きるだろう。
 だが、とは言っても、あちらの院には何とお聞きになろうやら」
   と、思ひ乱れたまへる御心のうち、苦しげなり。
 すこしほほ笑みて、
 と言って、思い悩んでいらっしゃるご心中、苦しそうである。
 少しほほ笑んで、
   「みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も、いづこにとまるべきにか」  「ご自身のお考えでさえ、お決めになれないようですのに、ましてわたしは無理からぬことやら何やら、どちらに決められましょう」
   と、いふかひなげにとりなしたまへば、恥づかしうさへおぼえたまひて、つらづゑをつきたまひて、寄り臥したまへれば、硯を引き寄せたまひて、  と、取りつく島もないように話を逸らされるので、恥ずかしいまでに思われなさって、頬杖をおつきになって、寄り臥していらっしゃると、硯を引き寄せて、
 

463
 「目に近く 移れば変はる 世の中を
 行く末遠く 頼みけるかな」
 「眼のあたりに変われば変わる二人の仲でしたのに
  行く末長くとあてにしていましたとは」
 
   古言など書き交ぜたまふを、取りて見たまひて、はかなき言なれど、げにと、ことわりにて、  古歌などを書き交えていらっしゃるのを、取って御覧になって、何でもない歌であるが、いかにもと、道理に思って、
 

464
 「命こそ 絶ゆとも絶えめ 定めなき
 世の常ならぬ 仲の契りを」
 「命は尽きることがあってもしかたのないことだが
  無常なこの世とは違う変わらない二人の仲なのだ」
 
   とみにもえ渡りたまはぬを、  すぐにはお出かけになれないのを、
   「いとかたはらいたきわざかな」  「まこと不都合なことです」
   と、そそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどに、えならず匂ひて渡りたまふを、見出だしたまふも、いとただにはあらずかし。
 
 と、お促し申し上げなさると、柔らかで優美なお召し物に、たいそうよい匂いをさせてお出かけになるのを、お見送りなさるのも、まことに平気ではいられないだろう。
 
 
 

第四段 紫の上、眠れぬ夜を過ごす

 
   年ごろ、さもやあらむと思ひしことどもも、今はとのみもて離れたまひつつ、さらばかくにこそはとうちとけゆく末に、ありありて、かく世の聞き耳もなのめならぬことの出で来ぬるよ。
 思ひ定むべき世のありさまにもあらざりければ、今より後もうしろめたくぞ思しなりぬる。
 
 長い間には、もしかしたらと思っていたいろいろな事も、今は終わりとすっかりお絶ちになって、ではこれで大丈夫と、安心なさるようになった今頃になって、とどのつまり、このような世間に外聞の悪い事が出て来るとは。
 安心できる二人の仲ではなかったのだから、これから先も不安にお思いになるのであった。
 
   さこそつれなく紛らはしたまへど、さぶらふ人びとも、  あのようにさりげなく装ってはいらっしゃるが、伺候している女房たちも、
   「思はずなる世なりや。
 あまたものしたまふやうなれど、いづ方も、皆こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて過ぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、おしたちてかばかりなるありさまに、消たれてもえ過ぐしたまふまじ」
 「思いがけない事になりましたわね。
 大勢いらっしゃるようですが、どの方も、皆こちらのご威勢には一歩譲って遠慮なさって来たからこそ、何事もなく平穏でしたのに、誰憚らないこのようなやり方に、負けておしまいになったままではお過ごしになれまい」
   「また、さりとて、はかなきことにつけても、安からぬことのあらむ折々、かならずわづらはしきことども出で来なむかし」  「でも、それはそれとして、ちょっとした事でも、穏やかならぬことがいろいろと起こったら、きっと面倒な事が持ち上がって来ましょうよ」
   など、おのがじしうち語らひ嘆かしげなるを、つゆも見知らぬやうに、いとけはひをかしく物語などしたまひつつ、夜更くるまでおはす。
 
 などと、朋輩同士話し合って嘆いているふうなのを、少しも知らないふうに、まことに感じも優雅にお話などをなさりながら、夜が更けるまで起きていらっしゃる。
 
 
 

第五段 六条院の女たち、紫の上に同情

 
   かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしと思して、  このように女房たちが容易ならぬことを言ったり思ったりしているのも、聞きにくいことだとお思いになって、
   「かく、これかれあまたものしたまふめれど、御心にかなひて、今めかしくすぐれたる際にもあらずと、目馴れてさうざうしく思したりつるに、この宮のかく渡りたまへるこそ、めやすけれ。
 
 「このように、だれかれと大勢いらっしゃるようですが、お気持ちにかなった、華やかな高い身分ではないと、目馴れて物足りなくお思いになっていたところに、この宮がこのようにお輿入れなさったことは、本当に結構なことです。
 
   なほ、童心の失せぬにやあらむ、われも睦びきこえてあらまほしきを、あいなく隔てあるさまに人びとやとりなさむとすらむ。
 ひとしきほど、劣りざまなど思ふ人にこそ、ただならず耳たつことも、おのづから出で来るわざなれ、かたじけなく、心苦しき御ことなめれば、いかで心おかれたてまつらじとなむ思ふ」
 まだ、子供心が抜けないのでしょうか、わたしもお親しくさせていただきたいのですが、困ったことにこちらに隔て心があるかのように皆が考えようとするのかしら。
 同じ程度の人とか、劣っていると思う人に対しては、黙って聞き流すわけに行かないことも、ついつい起こるものですが、恐れ多く、お気の毒な御事情がおありらしいので、何とか親しくさせていただきたいと思っています」
   などのたまへば、中務、中将の君などやうの人びと、目をくはせつつ、  などとおっしゃると、中務、中将の君などといった女房たちは、目くばせしながら、
   「あまりなる御思ひやりかな」  「あまりなお心づかいですこと」
   など言ふべし。
 昔は、ただならぬさまに使ひならしたまひし人どもなれど、年ごろはこの御方にさぶらひて、皆心寄せきこえたるなめり。
 
 などと、きっと言っているであろう。
 昔は、普通の女房よりは親しく使っていらした女房たちであるが、ここ何年かはこちらの御方にお仕えして、皆お味方申しているようである。
 
   異御方々よりも、  他の御方々からも、
   「いかに思すらむ。
 もとより思ひ離れたる人びとは、なかなか心安きを」
 「どのようなお気持ちでしょう。
 初めから諦めているわたしたちには、かえって平気ですが」
   など、おもむけつつ、とぶらひきこえたまふもあるを、  などと、こちらの気を引きながら、お慰め申される方もあるが、
   「かく推し量る人こそ、なかなか苦しけれ。
 世の中もいと常なきものを、などてかさのみは思ひ悩まむ」
 「このように推量する人こそ、かえって厄介なこと。
 世の中もまことに無常なものなのに、どうしてそんなにばかり思い悩んでいよう」
   など思す。
 
 などとお思いになる。
 
   あまり久しき宵居も、例ならず人やとがめむと、心の鬼に思して、入りたまひぬれば、御衾参りぬれど、げにかたはらさびしき夜な夜な経にけるも、なほ、ただならぬ心地すれど、かの須磨の御別れの折などを思し出づれば、  あまり遅くまで起きているのも、いつにないことと、皆が変に思うだろうと気が咎めて、お入りになったので、御衾をお掛けしたが、なるほど独り寝の寂しい夜々を過ごしてきたのも、やはり、穏やかならぬ気持ちがするが、あの須磨のお別れの時などをお思い出しになると、
   「今はと、かけ離れたまひても、ただ同じ世のうちに聞きたてまつらましかばと、わが身までのことはうち置き、あたらしく悲しかりしありさまぞかし。
 さて、その紛れに、われも人も命堪へずなりなましかば、いふかひあらまし世かは」
 「もう最後だと、お離れになっても、ただ同じこの世に無事でいらっしゃるとお聞き申すのであったらと、自分の身の上までのことはさておいて、惜しみ悲しく思ったことだわ。
 あのまま、あの騷ぎの中に、自分も殿も死んでしまったならば、お話にもならない二人の仲であったろうに」
   と思し直す。
 
 とお思い直される。
 
   風うち吹きたる夜のけはひ冷やかにて、ふとも寝入られたまはぬを、近くさぶらふ人びと、あやしとや聞かむと、うちも身じろきたまはぬも、なほいと苦しげなり。
 夜深き鶏の声の聞こえたるも、ものあはれなり。
 
 風が吹いている夜の様子が冷やかに感じられて、急には寝つかれなされないのを、近くに伺候している女房たち、変に思いはせぬかと、身動き一つなさらないのも、やはりまことにつらそうである。
 夜深いころの鶏の声が聞こえるのも、しみじみと哀れを感じさせる。
 
 
 

第六段 源氏、夢に紫の上を見る

 
   わざとつらしとにはあらねど、かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に、急ぎ出でたまふ。
 いといはけなき御ありさまなれば、乳母たち近くさぶらひけり。
 
 特別に恨めしいというのではないが、このように思い乱れなさったためであろうか、あちらの御夢に現れなさったので、ふと目をお覚ましになって、どうしたのかと胸騷ぎがなさるので、鶏の声をお待ちになっていたので、まだ夜の深いのも気づかないふりをして、急いでお帰りになる。
 とても子供子供したご様子なので、乳母たちが近くに伺候していた。
 
   妻戸押し開けて出でたまふを、見たてまつり送る。
 明けぐれの空に、雪の光見えておぼつかなし。
 名残までとまれる御匂ひ、
 妻戸を押し開けてお出になるのを、お見送り申し上げる。
 明け方の暗い空に、雪の光が見えてぼんやりとしている。
 後に残っている御匂いに、
   「闇はあやなし」  「闇はあやなし」
   と独りごたる。
 
 とつい独り言が出る。
 
   雪は所々消え残りたるが、いと白き庭の、ふとけぢめ見えわかれぬほどなるに、  雪は所々に消え残っているのが、真白な庭と、すぐには見分けがつかぬほどなので、
   「なほ残れる雪」  「今も残っている雪」
   と忍びやかに口ずさびたまひつつ、御格子うち叩きたまふも、久しくかかることなかりつるならひに、人びとも空寝をしつつ、やや待たせたてまつりて、引き上げたり。
 
 とひっそりとお口ずさみなさりながら、御格子をお叩きなさるのも、長い間こうしたことがなかったのが常となって、女房たちも空寝をしては、ややお待たせ申してから、引き上げた。
 
   「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。
 懼ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。
 さるは、罪もなしや」
 「ずいぶん長かったので、身もすっかり冷えてしまったよ。
 お恐がり申す気持ちが並々でないからでしょう。
 とは言っても、別に私には罪はないのだがね」
   とて、御衣ひきやりなどしたまふに、すこし濡れたる御単衣の袖をひき隠して、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意など、いと恥づかしげにをかし。
 
 と言って、御衾を引きのけなどなさると、少し涙に濡れた御単衣の袖を引き隠して、素直でやさしいものの、仲直りしようとはなさらないお気持ちなど、とてもこちらが恥ずかしくなるくらい立派である。
 
   「限りなき人と聞こゆれど、難かめる世を」  「この上ない身分の人と申しても、これほどの人はいまい」
   と、思し比べらる。
 
 と、ついお比べにならずにはいられない。
 
   よろづいにしへのことを思し出でつつ、とけがたき御けしきを怨みきこえたまひて、その日は暮らしたまひつれば、え渡りたまはで、寝殿には御消息を聞こえたまふ。
 
 いろいろと昔のことをお思い出しになりながら、なかなか機嫌を直してくださらないのをお恨み申し上げなさって、その日はお過ごしになったので、お渡りになれず、寝殿にはお手紙を差し上げなさる。
 
   「今朝の雪に心地あやまりて、いと悩ましくはべれば、心安き方にためらひはべる」  「今朝の雪で気分を悪くして、とても苦しゅうございますので、気楽な所で休んでおります」
   とあり。
 御乳母、
 とある。
 御乳母は、
   「さ聞こえさせはべりぬ」  「さように申し上げました」
   とばかり、言葉に聞こえたり。
 
 とだけ、口上で申し上げた。
 
   「異なることなの御返りや」と思す。
 「院に聞こし召さむこともいとほし。
 このころばかりつくろはむ」と思せど、えさもあらぬを、「さは思ひしことぞかし。
 あな苦し」と、みづから思ひ続けたまふ。
 
 「そっけないお返事だ」とお思いになる。
 「院がお耳にあそばすこともおいたわしい、しばらくの間は人前を取り繕う」とお思いになるが、そうもできないので、「それは思ったとおりだった。
 ああ困ったことだ」と、ご自身お思い続けなさる。
 
   女君も、「思ひやりなき御心かな」と、苦しがりたまふ。
 
 女君も、「お察しのないお方だ」と、迷惑がりなさる。
 
 
 

第七段 源氏、女三の宮と和歌を贈答

 
   今朝は、例のやうに大殿籠もり起きさせたまひて、宮の御方に御文たてまつれたまふ。
 ことに恥づかしげもなき御さまなれど、御筆などひきつくろひて、白き紙に、
 今朝は、いつものようにこちらでお目覚めになって、宮の御方にお手紙を差し上げなさる。
 特別に気の張らないご様子であるが、お筆などを選んで、白い紙に、
 

465
 「中道を 隔つるほどは なけれども
 心乱るる 今朝のあは雪」
 「わたしたちの仲を邪魔するほどではありませんが
 降り乱れる今朝の淡雪にわたしの心も乱れています」
 
   梅に付けたまへり。
 人召して、
 梅の枝にお付けなさった。
 人を呼び寄せて、
   「西の渡殿よりたてまつらせよ」  「西の渡殿から差し上げなさい」
   とのたまふ。
 やがて見出だして、端近くおはします。
 白き御衣どもを着たまひて、花をまさぐりたまひつつ、「友待つ雪」のほのかに残れる上に、うち散り添ふ空を眺めたまへり。
 鴬の若やかに、近き紅梅の末にうち鳴きたるを、
 とおっしゃる。
 そのまま外を見出して、端近くにいらっしゃる。
 白い御衣類を何枚もお召しになって、花を玩びなさりながら、「友待つ雪」がほのかに残っている上に、雪の降りかかる空をながめていらっしゃった。
 鴬が初々しい声で、軒近い紅梅の梢で鳴いているのを、
   「袖こそ匂へ」  「袖が匂う」
   と花をひき隠して、御簾押し上げて眺めたまへるさま、夢にも、かかる人の親にて、重き位と見えたまはず、若うなまめかしき御さまなり。
 
 と花を手で隠して、御簾を押し上げて眺めていらっしゃる様子は、少しも、このような人の親で重い地位のお方とはお見えでなく、若々しく優美なご様子である。
 
   御返り、すこしほど経る心地すれば、入りたまひて、女君に花見せたてまつりたまふ。
 
 お返事が、少し暇どる感じなので、お入りになって、女君に花をお見せ申し上げなさる。
 
   「花といはば、かくこそ匂はまほしけれな。
 桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし」
 「花と言ったら、このように匂いがあってよいものだな。
 桜に移したら、少しも他の花を見る気はしないだろうね」
   などのたまふ。
 
 などとおっしゃる。
 
   「これも、あまた移ろはぬほど、目とまるにやあらむ。
 花の盛りに並べて見ばや」
 「この花も、多くの花に目移りしないうちに咲くから、人目を引くのであろうか。
 桜の花の盛りに比べてみたいものだ」
   などのたまふに、御返りあり。
 紅の薄様に、あざやかにおし包まれたるを、胸つぶれて、御手のいと若きを、
 などとおっしゃっているところに、お返事がある。
 紅の薄様に、はっきりと包まれているので、どきりとして、ご筆跡のまことに幼稚なのを、
   「しばし見せたてまつらであらばや。
 隔つとはなけれど、あはあはしきやうならむは、人のほどかたじけなし」
 「しばらくの間はお見せしないでおきたいものだ。
 隠すというのではないが、軽々しく人に見せたら、身分柄恐れ多いことだ」
   と思すに、ひき隠したまはむも心おきたまふべければ、かたそば広げたまへるを、しりめに見おこせて添ひ臥したまへり。  とお思いになると、お隠しになるというのもきっと気を悪くするだろうから、片端を広げていらっしゃるのを、横目で御覧になりながら、物に寄り臥していらっしゃった。
 
 

466
 「はかなくて うはの空にぞ 消えぬべき
 風にただよふ 春のあは雪」
 「頼りなくて中空に消えてしまいそうです
  風に漂う春の淡雪のように」
 
   御手、げにいと若く幼げなり。
 「さばかりのほどになりぬる人は、いとかくはおはせぬものを」と、目とまれど、見ぬやうに紛らはして、止みたまひぬ。
 
 ご筆跡は、なるほどまことに未熟で幼稚である。
 「これほどの年になった人は、とてもこんなではいらっしゃらないものを」と、目につくが、見ないふりをなさって、お止めになった。
 
   異人の上ならば、「さこそあれ」などは、忍びて聞こえたまふべけれど、いとほしくて、ただ、  他人のことならば、「こんなに下手な」などとは、こっそり申し上げなさるにちがいないのだが、気の毒で、ただ、
   「心安くを、思ひなしたまへ」  「ご安心して、お思いなさい」
   とのみ聞こえたまふ。
 
 とだけ申し上げなさる。
 
 
 

第八段 源氏、昼に宮の方に出向く

 
   今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。
 心ことにうち化粧じたまへる御ありさま、今見たてまつる女房などは、まして見るかひありと思ひきこゆらむかし。
 御乳母などやうの老いしらへる人びとぞ、
 今日は、宮の御方に昼お渡りになる。
 特別念入りにお化粧なさっているご様子、今初めて拝見する女房などは、宮以上に素晴らしいとお思い申し上げることであろう。
 御乳母などの年とった女房たちは、
   「いでや。
 この御ありさま一所こそめでたけれ、めざましきことはありなむかし」
 「さあ、どうでしょう。
 このお一方はご立派ですが、癪にさわるようなことがきっと起こることでしょう」
   と、うち混ぜて思ふもありける。
 
 と、嬉しいなかにも心配する者もいるのだった。
 
   女宮は、いとらうたげに幼きさまにて、御しつらひなどのことことしく、よだけくうるはしきに、みづからは何心もなく、ものはかなき御ほどにて、いと御衣がちに、身もなく、あえかなり。
 ことに恥ぢなどもしたまはず、ただ稚児の面嫌ひせぬ心地して、心安くうつくしきさましたまへり。
 
 女宮は、たいそうかわいらしげに子供っぽい様子で、お部屋飾りなどが仰々しく。
 堂々と整然としているが、ご自身は無心に、頼りないご様子で、まったくお召し物に埋まって、身体もないかのように、か弱くいらっしゃる。
 特に恥ずかしがりもなさらず、まるで子供が人見知りしないような感じがして、気の張らないかわいい感じでいらっしゃった。
 
   「院の帝は、ををしくすくよかなる方の御才などこそ、心もとなくおはしますと、世人思ひためれ、をかしき筋、なまめきゆゑゆゑしき方は、人にまさりたまへるを、などて、かくおいらかに生ほしたてたまひけむ。
 さるは、いと御心とどめたまへる皇女と聞きしを」
 「院の帝は、男らしく理屈っぽい方面のご学問などは、しっかりしていらっしゃらないと、世間の人は思っていたようだが、趣味の方面では、優美で風雅なことでは、人一倍勝れていらっしゃったのに、どうして、このようにおっとりとお育てになったのだろう。
 とはいえ、たいそうお心にとめていらっしゃった内親王と聞いたのだが」
   と思ふも、なま口惜しけれど、憎からず見たてまつりたまふ。
 
 と思うと、何やら残念な気がするが、それもかわいいと拝見なさる。
 
   ただ聞こえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、御いらへなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひ出でて、え見放たず見えたまふ。
 
 ただ申し上げるままに、柔らかくお従いになって、お返事なども、お心に浮かんだことは、何の考えもなくお口に出されて、とても見捨てられないご様子にお見えになる。
 
   昔の心ならましかば、うたて心劣りせましを、今は、世の中を皆さまざまに思ひなだらめて、  若いころの考えであったなら、嫌になってがっかりしたろうが、今では、世の中を人それぞれだと穏やかに考えて、
   「とあるもかかるも、際離るることは難きものなりけり。
 とりどりにこそ多うはありけれ、よその思ひは、いとあらまほしきほどなりかし」
 「あれやこれやといろいろな女がいるが、飛び抜けて立派な女はいないものだなあ。
 それぞれいろいろな特色があるものだが、はたから見れば、まったく申し分のない方なのだ」
   と思すに、差し並び目離れず見たてまつりたまへる年ごろよりも、対の上の御ありさまぞなほありがたく、「われながらも生ほしたてけり」と思す。
 一夜のほど、朝の間も、恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、「などかくおぼゆらむ」と、ゆゆしきまでなむ。
 
 とお思いになると、二人一緒にいつも離れずお暮らし申して来られた年月からも、対の上のご様子がやはり立派で、「自分ながらもよく教育したものだ」とお思いになる。
 一晩の間、朝の間も、恋しく気にかかって、いっそうのご愛情が増すので、「どうしてこんなに思われるのだろう」と、不吉な予感までなさる。
 
 
 

第九段 朱雀院、紫の上に手紙を贈る

 
   院の帝は、月のうちに御寺に移ろひたまひぬ。
 この院に、あはれなる御消息ども聞こえたまふ。
 姫宮の御ことはさらなり。
 
 院の帝は、その月のうちにお寺にお移りになった。
 こちらの院に、情のこもったお手紙を何度も差し上げなさる。
 姫宮の御事は言うまでもない。
 
   わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび聞こえたまひける。
 されど、あはれにうしろめたく、幼くおはするを思ひきこえたまひけり。
 
 気を遣って、どのように思うかなどと、遠慮なさることもなく、どうなりと、ただお心次第にお世話くださいますように、度々お申し上げなさるのであった。
 けれども、身にしみて後ろ髪引かれる思いで、幼くていらっしゃるのを御心配申し上げなさるのでもあった。
 
   紫の上にも、御消息ことにあり。
 
 紫の上にも、お手紙が特別にあった。
 
   「幼き人の、心地なきさまにて移ろひものすらむを、罪なく思しゆるして、後見たまへ。
 尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ。
 
 「幼い人が、何のわきまえもない有様でそちらへ参っておりますが、罪もないものと大目に見ていただき、お世話ください。
 お心にかけてくださるはずの縁もあろうかと存じます。
 
 

467
 背きにし この世に残る 心こそ
 入る山路の ほだしなりけれ
  捨て去ったこの世に残る子を思う心が
  山に入るわたしの妨げなのです
 
   闇をえはるけで聞こゆるも、をこがましくや」  親心の闇を晴らすことができずに申し上げるのも、愚かなことですが」
   とあり。
 大殿も見たまひて、
 とある。
 殿も御覧になって、
   「あはれなる御消息を。
 かしこまり聞こえたまへ」
 「お気の毒なお手紙よ。
 謹んでお承りした旨を差し上げなさい」
   とて、御使にも、女房して、土器さし出でさせたまひて、しひさせたまふ。
 「御返りはいかが」など、聞こえにくく思したれど、ことことしくおもしろかるべき折のことならねば、ただ心をのべて、
 とおっしゃって、お使いにも、女房を通じて、杯をさし出させなさって、何杯もお勧めになる。
 「お返事はどのように」などと、申し上げにくくお思いになったが、仰々しく風流めかすべき時のことでないので、ただ心のままを書いて、
 

468
 「背く世の うしろめたくは さりがたき
 ほだしをしひて かけな離れそ」
 「お捨て去りになったこの世が御心配ならば
  離れがたいお方を無理に離れたりなさいますな」
 
   などやうにぞあめりし。
 
 などというようにあったらしい。
 
   女の装束に、細長添へてかづけたまふ。
 御手などのいとめでたきを、院御覧じて、何ごともいと恥づかしげなめるあたりに、いはけなくて見えたまふらむこと、いと心苦しう思したり。
 
 女の装束に、細長を添えてお与えになる。
 ご筆跡などがとても立派なのを、院が御覧になって、万事気後れするほど立派なような所で、幼稚にお見えになるだろうこと、まことにお気の毒に、お思いになっていた。
 
 
 

第七章 朧月夜の物語 こりずまの恋

 
 

第一段 源氏、朧月夜に今なお執心

 
   今はとて、女御、更衣たちなど、おのがじし別れたまふも、あはれなることなむ多かりける。
 
 いよいよこれまでと、女御、更衣たちなど、それぞれお別れなさるのも、しみじみと悲しいことが多かった。
 
   尚侍の君は、故后の宮のおはしましし二条の宮にぞ住みたまふ。
 姫宮の御ことをおきては、この御ことをなむかへりみがちに、帝も思したりける。
 尼になりなむと思したれど、
 尚侍の君は、故后の宮がいらっしゃった二条宮にお住まいになる。
 姫宮の御事をおいては、この方の御事を気がかりに、院の帝もお思いになっていたのであった。
 尼になってしまおうとお思いであったが、
   「かかるきほひには、慕ふやうに心あわたたしく」  「そのように競って出家したのでは、後を追うようで気ぜわしいから」
   と諌めたまひて、やうやう仏の御ことなどいそがせたまふ。
 
 と、お止めになって、だんだんと仏道の御事などをご準備おさせになる。
 
   六条の大殿は、あはれに飽かずのみ思してやみにし御あたりなれば、年ごろも忘れがたく、  六条の大殿は、いとしく飽かぬ思いのままに別れてしまったお方の事なので、長年忘れがたく、
   「いかならむ折に対面あらむ。
 今一たびあひ見て、その世のことも聞こえまほしく」
 「どのような時に会えるだろう。
 もう一度お会いして、その当時の事もお話申し上げたい」
  のみ思しわたるを、かたみに世の聞き耳も憚りたまふべき身のほどに、いとほしげなりし世の騷ぎなども思し出でらるれば、よろづにつつみ過ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、世の中を思ひしづまりたまふらむころほひの御ありさま、いよいよゆかしく、心もとなければ、あるまじきこととは思しながら、おほかたの御とぶらひにことつけて、あはれなるさまに常に聞こえたまふ。
 
 と、ばかりお思い続けていらっしゃったが、お互いに世間の噂も遠慮なさらねばならないご身分であるし、お気の毒に思った当時の騷動なども、お思い出さずにはいらっしゃれないので、何事も心に秘めてお過ごしになったが、このようにのんびりとしたお身になられて、世の中を静かに御覧になっていらっしゃるこのごろのご様子を、ますますお会いしたく、気になってならないので、あってはならないこととはお思いになりながら、通例のお見舞いにかこつけて、心をこめた書きぶりで始終お便りを差し上げなさる。
 
   若々しかるべき御あはひならねば、御返りも時々につけて聞こえ交はしたまふ。
 昔よりもこよなくうち具し、ととのひ果てにたる御けはひを見たまふにも、なほ忍びがたくて、昔の中納言の君のもとにも、心深きことどもを常にのたまふ。
 
 若い者どうしの色恋めいた間柄でもないので、お返事も時に応じてやりとりなさっていらっしゃる。
 若いころよりも格段に何もかもそなわって、すっかり円熟していらっしゃるご様子を御覧になるにつけても、やはり堪えがたくて、昔の中納言の君の許にも、切ない気持ちをいつもおっしゃる。
 
 
 

第二段 和泉前司に手引きを依頼

 
   かの人の兄なる和泉の前の守を召し寄せて、若々しく、いにしへに返りて語らひたまふ。
 
 その人の兄に当たる和泉前司を招き寄せて、若々しく、昔に返って相談なさる。
 
   「人伝てならで、物越しに聞こえ知らすべきことなむある。
 さりぬべく聞こえなびかして、いみじく忍びて参らむ。
 
 「人を介してではなく、直接物越しに申し上げねばならないことがある。
 しかるべく申し上げご承知いただいた上で、たいそうこっそりと参上したい。
 
   今は、さやうのありきも所狭き身のほどに、おぼろけならず忍ぶれば、そこにもまた人には漏らしたまはじと思ふに、かたみにうしろやすくなむ」  今は、そのような忍び歩きも、窮屈な身分で、並々ならず秘密のことなので、そなたも他の人にはお漏らしなさるまいと思うゆえ、お互いに安心だ」
   とのたまふ。
 尚侍の君、
 とおっしゃる。
 尚侍の君は、
   「いでや。
 世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心を、ここら思ひつめつる年ごろの果てに、あはれに悲しき御ことをさし置きて、いかなる昔語りをか聞こえむ。
 
 「さてどうしたものだろう。
 世間の事が分かって来たにつけても、昔から薄情なお心を、幾度も味わわされて来た長の年月の果てに、しみじみと悲しい御事をさしおいて、どのような昔話をお話し申し上げられようか。
 
   げに、人は漏り聞かぬやうありとも、心の問はむこそいと恥づかしかるべけれ」  なるほど、他人は漏れ聞かないようにしたところで、良心に聞かれたら恥ずかしい気がするに違いない」
   とうち嘆きたまひつつ、なほ、さらにあるまじきよしをのみ聞こゆ。
 
 と嘆息をなさりながら、やはり、会うことはできない旨だけを申し上げる。
 
 
 

第三段 紫の上に虚偽を言って出かける

 
   「いにしへ、わりなかりし世にだに、心交はしたまはぬことにもあらざりしを。
 げに、背きたまひぬる御ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば、今しもけざやかにきよまはりて、立ちにしわが名、今さらに取り返したまふべきにや」
 「昔、逢瀬も難しかった時でさえ、お心をお通わしなさらないでもなかったものを。
 なるほど、ご出家なさったお方に対しては後ろ暗い気はするが、昔なかった事でもないのだから、今になって綺麗に潔白ぶっても、立ってしまった自分の浮名は、今さらお取り消しになることができるものでもあるまい」
   と思し起こして、この信太の森を道のしるべにて参うでたまふ。
 女君には、
 と、お思い起こして、この信太の森の和泉前司を道案内にしてお出かけになる。
 女君には、
   「東の院にものする常陸の君の、日ごろわづらひて久しくなりにけるを、もの騒がしき紛れに訪らはねば、いとほしくてなむ。
 昼など、けざやかに渡らむも便なきを、夜の間に忍びてとなむ、思ひはべる。
 人にもかくとも知らせじ」
 「東の院にいらっしゃる常陸の君が、このところ久しく患っていましたのに、何かと忙しさに取り紛れて、お見舞いもしなかったので、お気の毒に思っております。
 昼間など、人目に立って出かけるのも不都合なので、夜の間にこっそりと、思っております。
 誰にもそうとは知らせまい」
   と聞こえたまひて、いといたく心懸想したまふを、例はさしも見えたまはぬあたりを、あやし、と見たまひて、思ひ合はせたまふこともあれど、姫宮の御事の後は、何事も、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす。
 
 と申し上げなさって、とてもたいそう改まった気持ちでいらっしゃるのを、いつもはそれほどまでにはお思いでない方を、妙だ、と御覧になって、お思い当たりなさることもあるが、姫宮の御事の後は、どのような事も、まったく昔のようにではなく、少し隔て心がついて、見知らないようにしていらっしゃる。
 
 
 

第四段 源氏、朧月夜を訪問

 
   その日は、寝殿へも渡りたまはで、御文書き交はしたまふ。
 薫き物などに心を入れて暮らしたまふ。
 
 その日は、寝殿へもお渡りにならず、お手紙だけを書き交わしなさる。
 薫物などを念入りになさって一日中お過ごしになる。
 
   宵過ぐして、睦ましき人の限り、四、五人ばかり、網代車の、昔おぼえてやつれたるにて出でたまふ。
 和泉守して、御消息聞こえたまふ。
 かく渡りおはしましたるよし、ささめき聞こゆれば、驚きたまひて、
 宵が過ぎるのを待って、親しい者ばかり、四、五人ほどで、網代車の、昔を思い出させる粗末なふうで、お出かけになる。
 和泉守を遣わして、ご挨拶を申し上げなさる。
 このようにいらっしゃった旨、小声で申し上げると、驚きなさって、
   「あやしく。
 いかやうに聞こえたるにか」
 「変だこと。
 どのようにお返事申し上げたのだろうか」
   とむつかりたまへど、  とご機嫌が悪いが、
   「をかしやかにて帰したてまつらむに、いと便なうはべらむ」  「気を持たせるようにしてお帰し申すのは、たいそう不都合でございましょう」
   とて、あながちに思ひめぐらして、入れたてまつる。
 御とぶらひなど聞こえたまひて、
 と言って、無理に工夫をめぐらして、お入れ申し上げる。
 お見舞いの言葉などを申し上げなさって、
   「ただここもとに、物越しにても。
 さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」
 「ただここまでお出ください、几帳越しにでも。
 まったく昔のけしからぬ心などは、無くなったのですから」
   と、わりなく聞こえたまへば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。
 
 と、切々と訴え申し上げなさるので、ひどく溜息をつきながらいざり出ていらっしゃった。
 
   「さればよ。
 なほ、気近さは」
 「案の定だ。
 やはり、すぐに靡くところは」
   と、かつ思さる。
 かたみに、おぼろけならぬ御みじろきなれば、あはれも少なからず。
 東の対なりけり。
 辰巳の方の廂に据ゑたてまつりて、御障子のしりばかりは固めたれば、
 と、一方ではお思いになる。
 お互いに、知らないではない相手の身動きなので、感慨も浅からぬものがある。
 東の対だったのだ。
 辰巳の方の廂の間にお座りいただいて、御障子の端だけは固くとめてあるので、
   「いと若やかなる心地もするかな。
 年月の積もりをも、紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」
 「とても若い者のような心地がしますね。
 あれからの年月の数をも、間違いなく数えられるほど思い続けているのに、このように知らないふりをなさるのは、たいそう辛いことです」
   と怨みきこえたまふ。
 
 とお恨み申し上げなさる。
 
 
 

第五段 朧月夜と一夜を過ごす

 
   夜いたく更けゆく。
 玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々など、あはれに聞こえて、しめじめと人目少なき宮の内のありさまも、「さも移りゆく世かな」と思し続くるに、平中がまねならねど、まことに涙もろになむ。
 昔に変はりて、おとなおとなしくは聞こえたまふものから、「これをかくてや」と、引き動かしたまふ。
 
 夜はたいそう更けて行く。
 玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々などが、しみじみと聞こえて、ひっそりと人の少ない宮邸の中の様子を、「こうも変わってしまう世の中だな」とお思い続けると、平中の真似ではないが、ほんとうに涙が出てしまう。
 昔に変わって、落ち着いて申し上げなさる一方で、「この隔てをこのままでいられようか」と、引き動かしなさる。
 
 

469
 「年月を なかに隔てて 逢坂の
 さも塞きがたく 落つる涙か」
 「長の年月を隔ててやっとお逢いできたのに
  このような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます」
 
   女、  女、

470
 「涙のみ 塞きとめがたき 清水にて
 ゆき逢ふ道は はやく絶えにき」
 「涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれても
  お逢いする道はとっくに絶え果てました」
 
   などかけ離れきこえたまへど、いにしへを思し出づるも、  などとまったくお受け付けにならないが、昔をお思い出しなさると、
   「誰れにより、多うはさるいみじきこともありし世の騷ぎぞは」と思ひ出でたまふに、「げに、今一たびの対面はありもすべかりけり」  「誰のせいで、あのような大変なことが起こり世の騷ぎもあったのか、この自分のせいではなかったか」とお思い出しなさると、「なるほど、もう一度会ってもいい事だ」
   と、思し弱るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし人の、年ごろは、さまざまに世の中を思ひ知り、来し方を悔しく、公私のことに触れつつ、数もなく思し集めて、いといたく過ぐしたまひにたれど、昔おぼえたる御対面に、その世のことも遠からぬ心地して、え心強くももてなしたまはず。
 
 と、気弱におなりになるのも、もともと重々しい所がおありでなかった方で、この何年かは、あれこれと愛情の問題も分かるようになり、過去を悔やまれて、公事につけ私事につけ、数えきれないほど物思いが重なって、とてもたいそう自重してお過ごしなさって来たのだが、昔が思い出されるご対面に、その当時の事もそう遠くない心地がして、いつまでも気強い態度をおとりになれない。
 
   なほ、らうらうじく、若うなつかしくて、一方ならぬ世のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふけしきなど、今始めたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくもいと口惜しくて、出でたまはむ空もなし。
 
 昔に変わらず、洗練されて、若々しく魅力的で、並々でない世間への遠慮も思慕も、思い乱れて、溜息がちでいらっしゃるご様子など、今初めて逢った以上に新鮮で心が動いて、夜が明けて行くのもまことに残念に思われて、お帰りになる気もしない。
 
 
 

第六段 源氏、和歌を詠み交して出る

 
   朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥の声もいとうららかなり。
 花は皆散り過ぎて、名残かすめる梢の浅緑なる木立、「昔、藤の宴したまひし、このころのことなりけりかし」と思し出づる、年月の積もりにけるほども、その折のこと、かき続けあはれに思さる。
 
 朝ぼらけの美しい空に、百千鳥の声がとてもうららかに囀っている。
 花はみな散り終わって、その後に霞のかかった梢が浅緑の木立に、「昔、藤の宴をなさったのは、今頃の季節であったな」とお思い出される、あれからずいぶん歳月の過ぎ去った事も、その当時の事も、次から次へとしみじみと思い出される。
 
   中納言の君、見たてまつり送るとて、妻戸押し開けたるに、立ち返りたまひて、  中納言の君、お見送り申し上げるために、妻戸を押し開けたが、立ち戻りなさって、
   「この藤よ。
 いかに染めけむ色にか。
 なほ、えならぬ心添ふ匂ひにこそ。
 いかでか、この蔭をば立ち離るべき」
 「この藤の花よ。
 どうしてこのように美しく染め出して咲いているのか。
 やはり、何とも言えない風情のある色あいだな。
 どうして、この花蔭を離れることができようか」
   と、わりなく出でがてに思しやすらひたり。
 
 と、どうしても帰りにくそうにためらっていらっしゃった。
 
   山際よりさし出づる日のはなやかなるにさしあひ、目もかかやく心地する御さまの、こよなくねび加はりたまへる御けはひなどを、めづらしくほど経ても見たてまつるは、まして世の常ならずおぼゆれば、  築山の端からさし昇ってくる朝日の明るい光に映えて、目も眩むように美しいお姿が、年とともにこの上なくご立派におなりになったご様子などを、久し振りに拝見するのは、いよいよ世の常の人とは思われない気がするので、
   「さる方にても、などか見たてまつり過ぐしたまはざらむ。
 御宮仕へにも限りありて、際ことに離れたまふこともなかりしを。
 故宮の、よろづに心を尽くしたまひ、よからぬ世の騷ぎに、軽々しき御名さへ響きてやみにしよ」
 「ご一緒になって、どうしてお暮らしにならなかったのだろうか。
 御宮仕えにも限度があって、特別のご身分になられることもなかったのに。
 故宮が、万事にお心を尽くしなさって、けしからぬ世の騷ぎが起こって、軽々しいお噂まで立って、それきりになってしまったことだわ」
   など思ひ出でらる。
 名残多く残りぬらむ御物語のとぢめには、げに残りあらせまほしきわざなめるを、御身、心にえまかせたまふまじく、ここらの人目もいと恐ろしくつつましければ、やうやうさし上がり行くに、心あわたたしくて、廊の戸に御車さし寄せたる人びとも、忍びて声づくりきこゆ。
 
 などと思い出される。
 尽きない思いが多く残っているだろうお話の終わりは、なるほど後を続けたいものであろうが、御身を、お心のままにおできになれず、大勢の人目に触れることもたいそう恐ろしく遠慮もされるので、だんだん日が上って行くので、気がせかれて、廊の戸に御車をつけ寄せた供人たちも、そっと催促申し上げる。
 
   人召して、かの咲きかかりたる花、一枝折らせたまへり。
 
 人を呼んで、あの咲きかかっている藤の花、一枝折らさせなさった。
 
 

471
 「沈みしも 忘れぬものを こりずまに
 身も投げつべき 宿の藤波」
 「須磨に沈んで暮らしていたことを忘れないが
  また懲りもせずにこの家の藤の花に、淵に身を投げてしまいたい」
 
   いといたく思しわづらひて、寄りゐたまへるを、心苦しう見たてまつる。
 女君も、今さらにいとつつましく、さまざまに思ひ乱れたまへるに、花の蔭は、なほなつかしくて、
 とてもひどく思い悩んでいらっしゃって、物に寄り掛かっていらっしゃるのを、お気の毒に拝し上げる。
 女君も、今さらにとても遠慮されて、いろいろと思い乱れていらっしゃるが、藤の花は、やはり慕わしくて、
 

472
 「身を投げむ 淵もまことの 淵ならで
 かけじやさらに こりずまの波」
 「身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではないのですから
  性懲りもなくそんな偽りの波に誘われたりしません」
 
   いと若やかなる御振る舞ひを、心ながらもゆるさぬことに思しながら、関守の固からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出でたまふ。
 
 とても若々しいお振る舞いを、ご自分ながらも良くないこととお思いになりながら、関守が固くないのに気を許してか、たいそうよく後の逢瀬を約束してお帰りになる。
 
   そのかみも、人よりこよなく心とどめて思うたまへりし御心ざしながら、はつかにてやみにし御仲らひには、いかでかはあはれも少なからむ。
 
 その昔も、誰にも勝ってご執心でいらっしゃったご愛情であるが、わずかの契りで終わってしまったお二人の仲なので、どうして愛情の浅いことがあろうか。
 
 
 

第七段 源氏、自邸に帰る

 
   いみじく忍び入りたまへる御寝くたれのさまを待ち受けて、女君、さばかりならむと心得たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。
 なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも、心苦しく、「など、かくしも見放ちたまへらむ」と思さるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞こえたまふ。
 
 たいそう人目を忍んで入って来られたその寝乱れ髪の様子を待ち受けて、女君、そんなことだろうと、お悟りになっていたが、気づかないふりをしていらっしゃる。
 なまじやきもちを焼いたりなどなさるよりも、お気の毒で、「どうして、このように見放していられるのだろうか」と思わずにはいらっしゃれないので、以前よりもいっそう強い愛情を、永遠に変わらないことをお誓い申し上げなさる。
 
   尚侍の君の御ことも、また漏らすべきならねど、いにしへのことも知りたまへれば、まほにはあらねど、  尚侍の君の御事も、他に漏らしてよいことではないが、昔のこともご存知でいらっしゃるので、ありのままではないが、
   「物越しに、はつかなりつる対面なむ、残りある心地する。
 いかで人目咎めあるまじくもて隠しては、今一たびも」
 「物越しに、ほんのちょっとお会いしましたので、物足りない気が致しています。
 何とか人に見咎められないように秘密にして、もう一度だけでも」
   と、語らひきこえたまふ。
 うち笑ひて、
 と、打ち明けて申し上げなさる。
 軽く笑って、
   「今めかしくもなり返る御ありさまかな。
 昔を今に改め加へたまふほど、中空なる身のため苦しく」
 「ずいぶん若返ったご様子ですこと。
 昔の恋を今さらむし返しなさるので、どっちつかずのよるべのないわたしには辛くて」
   とて、さすがに涙ぐみたまへるまみの、いとらうたげに見ゆるに、  とおっしゃって、そうはいうものの涙ぐんでいらっしゃる目もとが、とてもおいたわしく見えるので、
   「かう心安からぬ御けしきこそ苦しけれ。
 ただおいらかに引き抓みなどして、教へたまへ。
 隔てあるべくも、ならはしきこえぬを、思はずにこそなりにける御心なれ」
 「このようにご機嫌の悪いご様子が辛いことです。
 いっそ素直に抓るなりなさって、叱ってください。
 他人行儀に思うこともおっしゃらないふうには、今までお仕向けしてこなかったのに、心外なお気持ちになってしまわれたお心ですね」
   とて、よろづに御心とりたまふほどに、何ごともえ残したまはずなりぬめり。
 
 とおっしゃって、いろいろとご機嫌をお取りになるうちに、何もかも残らず白状なさってしまったようである。
 
   宮の御方にも、とみにえ渡りたまはず、こしらへきこえつつおはします。
 姫宮は、何とも思したらぬを、御後見どもぞ安からず聞こえける。
 わづらはしうなど見えたまふけしきならば、そなたもまして心苦しかるべきを、おいらかにうつくしきもて遊びぐさに思ひきこえたまへり。
 
 宮の御方にも、すぐにはお行きになることができずに、あれこれとおなだめ申してお過ごしになる。
 姫宮は、何ともお思いにならないが、ご後見人たちはご不満申し上げてるのであった。
 うるさいお方と思われなさるようなことであったら、あちらもこちら以上にお気の毒なはずだが、おっとりとしてかわいらしいお相手のようにお思い申し上げていらっしゃった。
 
 
 

第八章 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感

 
 

第一段 明石姫君、懐妊して退出

 
   桐壺の御方は、うちはへえまかでたまはず。
 御暇のありがたければ、心安くならひたまへる若き御心に、いと苦しくのみ思したり。
 
 桐壷の御方は、ずっと長いこと退出なさっていない。
 御暇が出そうにもないので、今までお気楽に過ごして来られたお若い年頃の方ゆえ、とても辛くばかり思っていらっしゃった。
 
   夏ごろ、悩ましくしたまふを、とみにも許しきこえたまはねば、いとわりなしと思す。
 めづらしきさまの御心地にぞありける。
 まだいとあえかなる御ほどに、いとゆゆしくぞ、誰れも誰れも思すらむかし。
 からうしてまかでたまへり。
 
 夏のころ、ご気分がすぐれなくいらっしゃったのを、すぐにもお許し申し上げなさらないので、とても困ったこことお思いになる。
 ご懐妊のご様子だったのである。
 まだとても若すぎるご様子なので、たいそう恐ろしいことと、どなたもどなたもお思いのようである。
 やっとのことでご退出なさった。
 
   姫宮のおはします御殿の東面に、御方はしつらひたり。
 明石の御方、今は御身に添ひて、出で入りたまふも、あらまほしき御宿世なりかし。
 
 姫宮がいらっしゃる寝殿の東側に、お部屋は設営してある。
 明石の御方、今は女御の御方に付き添って、参内し退出なさるのも、申し分ないご運勢である。
 
 
 

第二段 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る

 
   対の上、こなたに渡りて対面したまふついでに、  対の上が、こちらにおいでになって、お会いなさるついでに、
   「姫宮にも、中の戸開けて聞こえむ。
 かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかる折に聞こえ馴れなば、心安くなむあるべき」
 「姫宮にも、中の戸を開けてご挨拶申し上げましょう。
 前々からそのように思っていましたが、機会がなくては遠慮されますが、このような機会にご挨拶申し上げ、お近づきになれましたら、気が楽になるでしょう」
   と、大殿に聞こえたまへば、うち笑みて、  と、大殿に申し上げると、ほほ笑んで、
   「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。
 いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」
 「それは望みどおりのお付き合いというものだ。
 とても子供子供していらっしゃるようだから、心配のないようにお教え上げてください」
   と、許しきこえたまふ。
 宮よりも、明石の君の恥づかしげにて交じらむを思せば、御髪すましひきつくろひておはする、たぐひあらじと見えたまへり。
 
 と、お許し申し上げなさる。
 姫宮よりも、明石の君が気の張る様子で控えているだろうことをお思いになると、御髪を洗い身づくろいしていらっしゃる、世にまたとあるまいとお見えになった。
 
   大殿は、宮の御方に渡りたまひて、  大殿は、宮の御方においでになって、
   「夕方、かの対にはべる人の、淑景舎に対面せむとて出で立つ。
 そのついでに、近づききこえさせまほしげにものすめるを、許して語らひたまへ。
 心などはいとよき人なり。
 まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなむ」
 「夕方、あちらの対にいます人が、淑景舎の御方にお目にかかろう出て参ります。
 その機会に、お近づき申し上げたいように申しておりますようなので、お許しになって会ってください。
 気立てなどはとてもよい方です。
 まだ若々しくて、お遊び相手として不似合いでなく思われます」
   など、聞こえたまふ。
 
 などと、申し上げなさる。
 
   「恥づかしうこそはあらめ。
 何ごとをか聞こえむ」
 「さぞきまりの悪いことでしょうね。
 何をお話し申し上げたらよいのでしょう」
   と、おいらかにのたまふ。
 
 と、おっとりとおっしゃる。
 
   「人のいらへは、ことにしたがひてこそは思し出でめ。
 隔て置きてなもてなしたまひそ」
 「お返事は、あちらの言うことに応じて考えつかれるのがよいでしょう。
 他人行儀なおあしらいはなさいますな」
   と、こまかに教へきこえたまふ。
 「御仲うるはしくて過ぐしたまへ」と思す。
 
 と、こまごまとお教え申し上げなさる。
 「二人が仲好くきちんとお暮らしになって欲しい」とお思いになる。
 
   あまりに何心もなき御ありさまを見あらはされむも、恥づかしくあぢきなけれど、さのたまはむを、「心隔てむもあいなし」と、思すなりけり。
 
 あまりに無邪気なご様子を見られてしまっても、き含り悪く面白くないが、あのようにおっしゃるお気持ちを、「止めだてするのも感心しない」と、お思いになるのであった。
 
 
 

第三段 紫の上の手習い歌

 
   対には、かく出で立ちなどしたまふものから、  対の上におかれては、このようにご挨拶にお出向きなさるものの、
   「我より上の人やはあるべき。
 身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ」
 「自分より上の人があるだろうか。
 わが身の頼りない身の上を、見出され申しただけのことなのだわ」
   など、思ひ続けられて、うち眺めたまふ。
 手習などするにも、おのづから古言も、もの思はしき筋にのみ書かるるを、「さらば、わが身には思ふことありけり」と、身ながらぞ思し知らるる。
 
 などと、つい思い続けずにはいらっしゃれなくて、物思いに沈んでいらっしゃる。
 手習いなどをするにも、自然と古歌も、物思いの歌だけが筆先に出てくるので、「それでは、わたしには思い悩むことがあったのだわ」と、自分ながら気づかされる。
 
   院、渡りたまひて、宮、女御の君などの御さまどもを、「うつくしうもおはするかな」と、さまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、「なほ、たぐひなくこそは」と見たまふ。
 ありがたきことなりかし。
 
 院、お渡りになって、宮、女御の君などのご様子などを、「かわいらしくていらっしゃるものだ」と、それぞれを拝見なさったそのお目で御覧になると、長年連れ添っていらした人が、世間並の器量であったなら、とてもこうも驚くはずもないのに、「やはり、二人といない方だ」と御覧になる。
 世間にありそうもないお美しさである。
 
   あるべき限り、気高う恥づかしげにととのひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたるさまざまの香りも、取りあつめ、めでたき盛りに見えたまふ。
 去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、「いかでかくしもありけむ」と思す。
 
 どこからどこまでも、気品高く立派に整っていらっしゃる上に、はなやかに現代風で、照り映えるような美しさと優雅さとを、何もかも兼ね備え、素晴らしい女盛りにお見えになる。
 去年より今年が素晴らしく、昨日よりは今日が目新しく、いつも新鮮なご様子でいらっしゃるのを、「どうしてこんなにも美しく生まれつかれたのか」とお思いになる。
 
   うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、見つけたまひて、引き返し見たまふ。
 手などの、いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり。
 
 気を許してお書きになった御手習いを、硯の下にさし隠しなさっていたが、見つけなさって、繰り返して御覧になる。
 筆跡などの、特別に上手とも見えないが、行き届いてかわいらしい感じにお書きになっていた。
 
 

473
 「身に近く 秋や来ぬらむ 見るままに
 青葉の山も 移ろひにけり」
 「身近に秋が来たのかしら、見ているうちに
  青葉の山のあなたも心の色が変わってきたことです」
 
   とある所に、目とどめたまひて、  とある所に、目をお止めになって、
 

474
 「水鳥の 青羽は色も 変はらぬを
 萩の下こそ けしきことなれ」
 「水鳥の青い羽のわたしの心の色は変わらないのに
  萩の下葉のあなたの様子は変わっています」
 
   など書き添へつつすさびたまふ。
 ことに触れて、心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、ことなく消ちたまへるも、ありがたくあはれに思さる。
 
 などと書き加えながら手習いに心をやりなさる。
 何かにつけて、おいたわしいご様子が、自然に漏れて見えるのを、何でもないふうに隠していらっしゃるのも、またと得がたい殊勝な方だと思わずにはいらっしゃれない。
 
   今宵は、いづ方にも御暇ありぬべければ、かの忍び所に、いとわりなくて、出でたまひにけり。
 「いとあるまじきこと」と、いみじく思し返すにも、かなはざりけり。
 
 今夜は、どちらの方にも行かなくてよさそうなので、あの忍び所に、実にどうしようもなくて、お出かけになるのであった。
 「とんでもないけしからぬ事」と、ひどく自制なさるのだが、どうすることもできないのであった。
 
 
 

第四段 紫の上、女三の宮と対面

 
   春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦ましきものに頼みきこえたまへり。
 いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。
 
 東宮の御方は、実の母君よりも、この御方を親しいお方と思ってお頼り申し上げていらっしゃった。
 たいそうかわいらしげに一段と大人らしくおなりになったのを、実の子のように、いとしいとお思い申し上げなさる。
 
   御物語など、いとなつかしく聞こえ交はしたまひて、中の戸開けて、宮にも対面したまへり。
 
 お話などを、とてもうちとけてお互いに話し合われてから、中の戸を開けて、宮にもお会いになった。
 
   いと幼げにのみ見えたまへば、心安くて、おとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ねきこえたまふ。
 中納言の乳母といふ召し出でて、
 ただもう子供っぽくばかりお見えになるので、気安く感じられて、年輩者らしく母親のような態度で、親たちのお血筋をお話し申し上げなさる。
 中納言の乳母という人を召し出して、
   「同じかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを、今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、おこたらむことは、おどろかしなどもものしたまはむなむ、うれしかるべき」  「同じ血筋の繋がりをお尋ね申し上げてゆくと、恐れ多いことですが、切っても切れない御縁とは拝し上げながら、その機会もなく失礼致しておりましたが、今からはお心おきなく、あちらの方にもおいでくださって、行き届かない点がありましたら、ご注意くださるなどしていただけましたら、嬉しゅうございましょう」
   などのたまへば、  などとおっしゃると、
   「頼もしき御蔭どもに、さまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。
 背きたまひにし上の御心向けも、ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。
 うちうちにも、さなむ頼みきこえさせたまひし」
 「頼みとなさっていた方々に、それぞれお別れ申されて、心細そうでいらっしゃいますので、このようなお言葉を戴きますと、この上なくありがたく存じられます。
 御出家あそばされた院の上の御意向も、ただこのように他人扱いなさらずに、まだ子供っぽいご様子を、お育て申し上げて戴きたくございましたようでした。
 内々の話にも、そのようにお頼み申していらっしゃいました」
   など聞こゆ。
 
 などと申し上げる。
 
   「いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける」  「まことに恐れ多いお手紙を頂戴してから後は、是非にお力になりたいとばかり存じておりましたが、何事につけても、人数に入らない我が身が残念に思われます」
   と、安らかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の捨てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、「げに、いと若く心よげなる人かな」と、幼き御心地にはうちとけたまへり。
 
 と、穏やかに大人びた様子で、宮にも、お気に入りなさるように、絵などのこと、お人形遊びの楽しいことを、若々しく申し上げなさるので、「なるほど、ほんとうに若々しく気立てのよい方だわ」と、子供心にうちとけなさった。
 
 
 

第五段 世間の噂、静まる

 
   さて後は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞こえ交はしたまふ。
 世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、言ひあつかふものなれば、初めつ方は、
 それから後は、いつもお手紙のやりとりなどをなさって、おもしろい遊び事がある折につけても、別け隔てせずお便りをやりとりなさる。
 世の中の人も、おせっかいなことに、これほどの地位になった方々のことは、とかく噂したがるものなので、初めのうちは、
   「対の上、いかに思すらむ。
 御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。
 すこしは劣りなむ」
 「対の上は、どのようにお思いだろう。
 ご寵愛は、とても今までのようにはおありであるまい。
 少しは落ちるだろう」
   など言ひけるを、今すこし深き御心ざし、かくてしも勝るさまなるを、それにつけても、また安からず言ふ人びとあるに、かく憎げなくさへ聞こえ交はしたまへば、こと直りて、目安くなむありける。
 
 などと言っていたが、以前よりも深い愛情、こうなってから一段と勝った様子なので、それにつけても、また事ありげに言う人々もいたが、このように仲睦まじいまでに交際なさっているので、噂も変わって、無難におさまっていたのである。
 
 
 

第九章 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う

 
 

第一段 紫の上、薬師仏供養

 
   神無月に、対の上、院の御賀に、嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養じたてまつりたまふ。
 いかめしきことは、切にいさめ申したまへば、忍びやかにと思しおきてたり。
 
 神無月に、対の上は、院の四十の御賀のために、嵯峨野の御堂で、薬師仏をご供養申し上げなさる。
 盛大になることは、切にご禁じ申されていたので、目立たないようにとお考えになっていた。
 
   仏、経箱、帙簀のととのへ、まことの極楽思ひやらる。
 最勝王経、金剛般若、寿命経など、いとゆたけき御祈りなり。
 上達部いと多く参りたまへり。
 
 仏像、経箱、帙簀の整っていること、真の極楽のように思われる。
 最勝王経、金剛般若経、寿命経など、たいそう盛大なお祈りである。
 上達部がたいへん大勢参上なさった。
 
   御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、かたへは、きほひ集りたまふなるべし。
 
 御堂の様子、素晴らしく何とも言いようがなく、紅葉の蔭を分けて行く野辺の辺りから始まって、見頃の景色なので、半ばはそれで競ってお集まりになったのであろう。
 
   霜枯れわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。
 御誦経われもわれもと、御方々いかめしくせさせたまふ。
 
 一面に霜枯れしている野原のまにまに、馬や牛車が行き違う音がしきりに響いていた。
 御誦経を、我も我もと御方々がご立派におさせになる。
 
 
 

第二段 精進落としの宴

 
   二十三日を御としみの日にて、この院は、かく隙間なく集ひたまへるうちに、わが御私の殿と思す二条の院にて、その御まうけせさせたまふ。
 御装束をはじめ、おほかたのことどもも、皆こなたにのみしたまふ。
 御方々も、さるべきことども分けつつ望み仕うまつりたまふ。
 
 二十三日を御精進落しの日として、こちらの院は、このように隙間もなく大勢集っていらっしゃるので、ご自分の私的邸宅とお思いの二条院で、そのご用意をおさせになる。
 ご装束をはじめとして、一般の事柄もすべてこちらでばかりなさる。
 他の御方々も適当な事を分担しいしい、進んでお仕えなさる。
 
   対どもは、人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせたまへり。
 
 東西の対は、女房たちの局にしていたのを片付けて、殿上人、諸大夫、院司、下人までの饗応の席を、盛大に設けさせなさっている。
 
   寝殿の放出を、例のしつらひにて、螺鈿の倚子立てたり。
 
 寝殿の放出を例のように飾って、螺鈿の椅子を立ててある。
 
   御殿の西の間に、御衣の机十二立てて、夏冬の御よそひ、御衾など、例のごとく、紫の綾の覆どもうるはしく見えわたりて、うちの心はあらはならず。
 
 御殿の西の間に、ご衣装の机を十二立てて、夏冬のご衣装、御夜具など、しきたりによって、紫の綾の覆いの数々が整然と掛けられていて、中の様子ははっきりしない。
 
   御前に置物の机二つ、唐の地の裾濃の覆したり。
 插頭の台は、沈の花足、黄金の鳥、銀の枝にゐたる心ばへなど、淑景舎の御あづかりにて、明石の御方のせさせたまへる、ゆゑ深く心ことなり。
 
 御前に置物の机を二脚、唐の地の裾濃の覆いをしてある。
 挿頭の台は沈の花足、黄金の鳥が、銀の枝に止まっている工夫など、淑景舎のご担当で、明石の御方がお作らせになったものだが、趣味深くて格別である。
 
   うしろの御屏風四帖は、式部卿宮なむせさせたまひける。
 いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、めづらしき山水、潭など、目馴れずおもしろし。
 北の壁に添へて、置物の御厨子、二具立てて、御調度ども例のことなり。
 
 背後の御屏風の四帖は、式部卿宮がお作らせになったものであった。
 たいそう善美を尽くして、おきまりの四季の絵であるが、目新しい山水、潭など、見なれず興味深い。
 北の壁に沿って、置物の御厨子、二具立てて、御調度類はしきたりどおりである。
 
   南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をはじめたてまつりて、次々はまして参りたまはぬ人なし。
 舞台の左右に、楽人の平張打ちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。
 
 南の廂の間に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をおはじめ申して、ましてそれ以下の人々で参上なさらない人はいない。
 舞台の左右に、楽人の平張りを作り、東西に屯食を八十具、禄の唐櫃を四十ずつ続けて立ててある。
 
 
 

第三段 舞楽を演奏す

 
   未の時ばかりに楽人参る。
 「万歳楽」、「皇じやう」など舞ひて、日暮れかかるほどに、高麗の乱声して、「落蹲」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾」をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人びと思したり。
 
 未の刻ごろに楽人が参る。
 「万歳楽」、「皇じょう」などを舞って、日が暮れるころ、高麗楽の乱声をして、「落蹲」が舞い出たところは、やはり常には見ない舞の様子なので、舞い終わるころに、権中納言や、衛門督が庭に下りて、「入綾」を少し舞って、紅葉の蔭に入ったその後の気持ちは、いつまでも面白いとご一同お思いである。
 
   いにしへの朱雀院の行幸に、「青海波」のいみじかりし夕べ、思ひ出でたまふ人びとは、権中納言、衛門督、また劣らず立ち続きたまひにける、世々のおぼえありさま、容貌、用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそなど、齢のほどをも数へて、「なほ、さるべきにて、昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけり」と、めでたく思ふ。
 
 昔の朱雀院の行幸に、「青海波」が見事であった夕べ、お思い出しになる方々は、権中納言と、衛門督とが、また負けず跡をお継ぎになっていらっしゃるのが、代々の世評や様子、器量、態度なども少しも負けず、官位は少し昇進さえしていらっしゃるなどと、年齢まで数えて、「やはり、前世の因縁で、昔からこのように代々並び合うご両家の間柄なのだ」と、素晴らしく思う。
 
   主人の院も、あはれに涙ぐましく、思し出でらるることども多かり。
 
 主人の院も、しみじみと涙ぐんで、自然と思い出される事柄が多かった。
 
 
 

第四段 宴の後の寂寥

 
   夜に入りて、楽人どもまかり出づ。
 北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、次々賜ふ。
 白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる。
 
 夜に入って、楽人たちが退出する。
 北の対の政所の別当連中は、下男どもを引き連れて、禄の唐櫃の側に立って、一つずつ取り出して、順々に与えなさる。
 白い衣類をそれぞれが肩に懸けて、築山の側から池の堤を通り過ぎて行くのを横から眺めると、千歳の寿をもって遊ぶ鶴の白い毛衣に見間違えるほどである。
 
   御遊び始まりて、またいとおもしろし。
 御琴どもは、春宮よりぞ調へさせたまひける。
 朱雀院よりわたり参れる琵琶、琴。
 内裏より賜はりたまへる箏の御琴など、皆昔おぼえたるものの音どもにて、めづらしく掻き合はせたまへるに、何の折にも、過ぎにし方の御ありさま、内裏わたりなど思し出でらる。
 
 管弦の御遊びが始まって、これもまた素晴らしい。
 御琴類は、東宮から御準備あそばしたものであった。
 朱雀院からお譲りのあった琵琶、琴。
 帝から頂戴なさった箏の御琴など、すべて昔を思い出させる音色で、久しぶりに合奏なさると、どの演奏の時にも、昔のご様子や、宮中あたりのことなどが自然とお思い出される。
 
   「故入道の宮おはせましかば、かかる御賀など、われこそ進み仕うまつらましか。
 何ごとにつけてかは心ざしも見えたてまつりけむ」
 「亡き入道の宮が生きていらっしゃったら、このような御賀など、自分が進んでお仕え申したであろうに。
 何をすることによって、わたしの気持ちを分かって戴けただろうか」
   と、飽かず口惜しくのみ思ひ出できこえたまふ。
 
 と、ただただ恨めしく残念にばかりお思い申し上げなさる。
 
   内裏にも、故宮のおはしまさぬことを、何ごとにも栄なくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに、例の跡をあるさまのかしこまりを尽くしてもえ見せたてまつらぬを、世とともに飽かぬ心地したまふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思しおきてけれど、  帝におかせられても、亡き母宮のおいであそばさないことを、何事につけても張り合いがなく物足りなくお思いなされるので、せめてこの院の御賀の事だけでも、きまったとおりの礼儀を十分に尽くしてさし上げることができないのを、何かにつけ常に物足りないお気持ちでいらっしゃるので、今年はこの四十の御賀にかこつけて、行幸などもあるようにお考えでいらっしゃったが、
   「世の中のわづらひならむこと、さらにせさせたまふまじくなむ」  「世の中の迷惑になるようなことは、絶対になさらぬように」
   と否び申したまふこと、たびたびになりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。
 
 とご辞退申し上げなさること、再々になったので、残念ながらお思い止まりなさった。
 
 
 

第五段 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷

 
   師走の二十日余りのほどに、中宮まかでさせたまひて、今年の残りの御祈りに、奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。
 
 十二月の二十日過ぎのころに、中宮が御退出あそばして、今年の残りの御祈祷に、奈良の京の七大寺に、御誦経のため、布を四千反、この平安京の四十寺に、絹を四百疋分けてお納めあそばす。
 
   ありがたき御はぐくみを思し知りながら、何ごとにつけてか、深き御心ざしをもあらはし御覧ぜさせたまはむとて、父宮、母御息所のおはせまし御ための心ざしをも取り添へ思すに、かくあながちに、朝廷にも聞こえ返させたまへば、ことども多くとどめさせたまひつ。
 
 ありがたいお世話をご存知でありながら、どのような機会にか、深い感謝の気持ちを表して御覧に入れようとお思いなさって、父宮と、母御息所とがご存命ならばきっとして差し上げただろう感謝の気持ちも添えてお思いになったのだが、このように無理に、帝に対してもご辞退申し上げていらっしゃっるので、ご計画の多くを中止なさった。
 
   「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべるにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、このたびは、なほ、世の響きとどめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」  「四十の賀ということは、先例を聞きましても、残りの寿命が長い例が少なかったが、今回は、やはり、世間の騷ぎになることをお止めあそばして、ほんとうに後に寿命を保った時に祝ってください」
   とありけれど、公ざまにて、なほいといかめしくなむありける。
 
 とあったが、公的催しとなって、やはりたいそう盛大になったのであった。
 
 
 

第六段 中宮主催の饗宴

 
   宮のおはします町の寝殿に、御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず、上達部の禄など、大饗になずらへて、親王たちにはことに女の装束、非参議の四位、まうち君達など、ただの殿上人には、白き細長一襲、腰差などまで、次々に賜ふ。
 
 宮のいらっしゃる町の寝殿に、御準備などをして、前のと特に変わらず、上達部の禄など、大饗に準じて、親王たちには特に女装束、非参議の四位、廷臣たちなどの、普通の殿上人には、白い細長を一襲と、腰差などまで、次々とお与えになる。
 
   装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀など、故前坊の御方ざまにて伝はり参りたるも、またあはれになむ。
 古き世の一の物と名ある限りは、皆集ひ参る御賀になむあめる。
 昔物語にも、もの得させたるを、かしこきことには数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひのことどもは、えぞ数へあへはべらぬや。
 
 装束はこの上なく善美を尽くして、有名な帯や、御佩刀など、故前坊のお形見として御相続なさっているのも、また感慨に堪えないことである。
 古来第一の宝物として有名な物は、すべて集まって参るような御賀のようである。
 昔物語にも、引出物を与えることを、たいしたこととして一つ一つ数え上げているようであるが、これはとても煩わしいので、ご立派な方々のご贈答の数々は、とても数え上げることができない。
 
 
 

第七段 勅命による夕霧の饗宴

 
   内裏には、思し初めてしことどもを、むげにやはとて、中納言にぞつけさせたまひてける。
 そのころの右大将、病して辞したまひけるを、この中納言に、御賀のほどよろこび加へむと思し召して、にはかになさせたまひつ。
 
 帝におかせられては、お思い立ちあそばした事柄を、やすやすとは中止できまいとお思いになって、中納言に御依頼あそばした。
 そのころの右大将が、病気になって職をお退きになったので、この中納言に、御賀に際して喜びを加えてやろうとお思いあそばして、急に右大将におさせあそばした。
 
   院もよろこび聞こえさせたまふものから、  院もお礼申し上げなさるものの、
   「いと、かく、にはかに余る喜びをなむ、いちはやき心地しはべる」  「とても、このような、急に身に余る昇進は、早すぎる気が致します」
   と卑下し申したまふ。
 
 とご謙遜申し上げなさる。
 
   丑寅の町に、御しつらひまうけたまひて、隠ろへたるやうにしなしたまへれど、今日は、なほかたことに儀式まさりて、所々の饗なども、内蔵寮、穀倉院より、仕うまつらせたまへり。
 
 丑寅の町に、ご準備を整えなさって、目立たないようになさったが、今日は、やはり儀式の様子も格別で、あちらこちらでの饗応なども、内蔵寮や、穀倉院から、ご奉仕させなさっていた。
 
   屯食など、公けざまにて、頭中将宣旨うけたまはりて、親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例の、内裏、春宮、院、残る少なし。
 
 屯食などは、公式的な作り方で、頭中将が宣旨を承って、親王たち五人、左右の大臣、大納言が二人、中納言が三人、参議が五人で、殿上人は、例によって、内裏のも、東宮のも、院のも、残る人は少ない。
 
   御座、御調度どもなどは、太政大臣詳しくうけたまはりて、仕うまつらせたまへり。
 今日は、仰せ言ありて渡り参りたまへり。
 院も、いとかしこくおどろき申したまひて、御座に着きたまひぬ。
 
 お座席、ご調度類などは、太政大臣が詳細に勅旨を承って、ご準備なさっていた。
 今日は、勅命があって、いらっしゃっていた。
 院も、たいそう恐縮申されて、お座席にご着席になった。
 
   母屋の御座に向へて、大臣の御座あり。
 いときよらにものものしく太りて、この大臣ぞ、今盛りの宿徳とは見えたまへる。
 
 母屋のお座席に向かい合って、大臣のお座席がある。
 たいそう美々しく堂々と太って、この大臣は、今が盛りの威厳があるようにお見えである。
 
   主人の院は、なほいと若き源氏の君に見えたまふ。
 御屏風四帖に、内裏の御手書かせたまへる、唐の綾の薄毯に、下絵のさまなどおろかならむやは。
 おもしろき春秋の作り絵などよりも、この御屏風の墨つきのかかやくさまは、目も及ばず、思ひなしさへめでたくなむありける。
 
 主人の院は、今もなお若々しい源氏の君とお見えである。
 御屏風四帖に、帝が御自身でお書きあそばした唐の綾の薄毯の地に、下絵の様子など、尋常一様であるはずがない。
 美しい春秋の作り絵などよりも、この御屏風のお筆の跡の輝く様子は、目も眩む思いがし、御宸筆と思うせいでいっそう素晴らしかったのであった。
 
   置物の御厨子、弾き物、吹き物など、蔵人所より賜はりたまへり。
 大将の御勢ひ、いといかめしくなりたまひにたれば、うち添へて、今日の作法いとことなり。
 御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人、上より次々に牽きととのふるほど、日暮れ果てぬ。
 
 置物の御厨子、絃楽器、管楽器など、蔵人所から頂戴なさった。
 右大将のご威勢も、たいそう堂々たる者におなりになったので、それも加わって、今日の儀式はまことに格別である。
 御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人が、上の者から順々に馬を引き並べるうちに、日がすっかり暮れた。
 
 
 

第八段 舞楽を演奏す

 
   例の、「万歳楽」、「賀王恩」などいふ舞、けしきばかり舞ひて、大臣の渡りたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊びに、皆人、心を入れたまへり。
 琵琶は、例の兵部卿宮、何ごとにも世に難きものの上手におはして、いと二なし。
 御前に琴の御琴。
 大臣、和琴弾きたまふ。
 
 例によって、「万歳楽」「賀皇恩」などという舞、形ばかり舞って、太政大臣がおいでになっているので、珍しく湧き立った管弦の御遊に、参会者一同、熱中して演奏していらっしゃった。
 琵琶は、例によって兵部卿宮、どのような事でも世にも稀な名人でいらっしゃって、二人といない出来である。
 院の御前に琴の御琴。
 太政大臣、和琴をお弾きになる。
 
   年ごろ添ひたまひにける御耳の聞きなしにや、いと優にあはれに思さるれば、琴も御手をさをさ隠したまはず、いみじき音ども出づ。
 
 長年幾度となくお聞きになってきたお耳のせいか、まことに優美にしみじみと感慨深くお感じになって、ご自身の琴の秘術も少しもお隠しにならず、素晴らしい音色を奏でる。
 
   昔の御物語どもなど出で来て、今はた、かかる御仲らひに、いづ方につけても、聞こえかよひたまふべき御睦びなど、心よく聞こえたまひて、御酒あまたたび参りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔ひ泣きどもえとどめたまはず。
 
 昔のお話なども出てきて、今は今で、このような親しいお間柄で、どちらからいっても、仲よくお付き合いなさるはずの親しいご交際などを、気持ちよくお話し申されて、お杯を幾度もお傾けになって、音楽の感興も増す一方で、酔いの余りの感涙を抑えかねていらっしゃる。
 
   御贈り物に、すぐれたる和琴一つ、好みたまふ高麗笛添へて。
 紫檀の箱一具に、唐の本ども、ここの草の本など入れて。
 御車に追ひてたてまつれたまふ。
 御馬ども迎へ取りて、右馬寮ども、高麗の楽して、ののしる。
 六衛府の官人の禄ども、大将賜ふ。
 
 御贈り物として見事な和琴を一つ、お好きでいらっしゃる高麗笛を加えて。
 紫檀の箱一具に、唐の手本とわが国の草仮名の手本などを入れて。
 お車まで追いかけて差し上げなさる。
 御馬を受け取って、右馬寮の官人たちが、高麗の楽を演奏して、大声を上げる。
 六衛府の官人の禄など、大将がお与えになる。
 
   御心と削ぎたまひて、いかめしきことどもは、このたび停めたまへれど、内裏、春宮、一院、后の宮、次々の御ゆかりいつくしきほど、いひ知らず見えにたることなれば、なほかかる折には、めでたくなむおぼえける。
 
 ご意向から簡素になさって、仰々しいことは、今回はご中止なさったが、帝、東宮、一の院、后の宮、次から次へと御縁者の堂々たることは、筆舌に尽くしがたいことなので、やはりこのような晴れの賀宴の折には、素晴らしく思われるのであった。
 
 
 

第九段 饗宴の後の感懐

 
   大将の、ただ一所おはするを、さうざうしく栄なき心地せしかど、あまたの人にすぐれ、おぼえことに、人柄もかたはらなきやうにものしたまふにも、かの母北の方の、伊勢の御息所との恨み深く、挑みかはしたまひけむほどの御宿世どもの行く末見えたるなむ、さまざまなりける。
 
 大将が、ただ一人りいらっしゃるのを、物足りなく張り合いのない感じがしたが、大勢の人々に抜きん出て、評判も格別で、人柄も並ぶ者がないように優れていらっしゃるにつけても、あの母北の方が、伊勢の御息所との確執が深く、互いに争いなさったご運命の結果が現れたのが、それぞれの違いだったのである。
 
   その日の御装束どもなど、こなたの上なむしたまひける。
 禄どもおほかたのことをぞ、三条の北の方はいそぎたまふめりし。
 折節につけたる御いとなみ、うちうちのもののきよらをも、こなたにはただよそのことにのみ聞きわたりたまふを、何事につけてかは、かかるものものしき数にもまじらひたまはましと、おぼえたるを、大将の君の御ゆかりに、いとよく数まへられたまへり。
 
 その当日のご装束類は、こちらの御方がご用意なさったのであった。
 禄などの一通りのことは、三条の北の方がご準備なさったようであった。
 何かの折節につけたお催し事、内輪の善美事をも、こちらはただ他所事とばかり聞き過していらっしゃるので、どのような事をして、このような堂々たる方々のお仲間入りなされようかと、お思いであったのだが、大将の君のご縁で、まことに立派に重んじられていらっしゃった。
 
 
 

第十章 明石の物語 男御子誕生

 
 

第一段 明石女御、産期近づく

 
   年返りぬ。
 桐壺の御方近づきたまひぬるにより、正月朔日より、御修法不断にせさせたまふ。
 寺々、社々の御祈り、はた数も知らず。
 大殿の君、ゆゆしきことを見たまへてしかば、かかるほどのこと、いと恐ろしきものに思ししみたるを、対の上などのさることしたまはぬは、口惜しくさうざうしきものから、うれしく思さるるに、まだいとあえかなる御ほどに、いかにおはせむと、かねて思し騒ぐに、二月ばかりより、あやしく御けしき変はりて悩みたまふに、御心ども騒ぐべし。
 
 年が改まった。
 桐壷の御方の御出産が近づきなさったことによって、正月上旬から、御修法を不断におさせになる。
 多くの寺々、神社神社の御祈祷は、これまた数えきれないほどである。
 大殿の君は、不吉なことをご経験なさったことがあるので、このような時のことは、たいそう恐ろしいものと心底から思っていらっしゃるので、対の上などがそのようなことがおありでなかったのは、残念に物足りなく思うものの、一方では嬉しく思わずにはいらっしゃれないので、まだとてもお小さいお年頃なので、どんなことにおなりかと、前々からご心配であったが、二月ごろから、妙にご容態が変わってお苦しみなさるので、どなたもご心痛のようである。
 
   陰陽師どもも、所を変へてつつしみたまふべく申しければ、他のさし離れたらむはおぼつかなしとて、かの明石の御町の中の対に渡したてまつりたまふ。
 こなたは、ただおほきなる対二つ、廊どもなむめぐりてありけるに、御修法の壇隙なく塗りて、いみじき験者ども集ひて、ののしる。
 
 陰陽師たちも、お住まいを変えてお大事になさるのがよいと申したので、他のかけ離れた所は気がかりであると思って、あの明石の御町の中の対にお移し申し上げなさる。
 こちらは、ただ大きい対の屋が二棟だけあって、幾つもの渡廊などが周囲を廻っていたが、御修法の壇を隙間なく塗り固めて、たいそう霊験ある修験者たちが集まって、大声を上げて祈願する。
 
   母君、この時にわが御宿世も見ゆべきわざなめれば、いみじき心を尽くしたまふ。
 
 母君は、この時に自分の御運もはっきりするだろうことなので、たいそう気が気でない思いでいらっしゃる。
 
 
 

第二段 大尼君、孫の女御に昔を語る

 
   かの大尼君も、今はこよなきほけ人にてぞありけむかし。
 この御ありさまを見たてまつるは、夢の心地して、いつしかと参り、近づき馴れたてまつる。
 
 あの大尼君も、今ではすっかりもうろくした人になったのであろう。
 このご様子を拝見するのは、夢のような心地がして、早速お側に上がり、親しくお付き添い申す。
 
   年ごろ、母君はかう添ひさぶらひたまへど、昔のことなど、まほにしも聞こえ知らせたまはざりけるを、この尼君、喜びにえ堪へで、参りては、いと涙がちに、古めかしきことどもを、わななき出でつつ語りきこゆ。
 
 今まで、この母君はこのようにお付き添いなさっていたが、昔のことなどは、まともにお聞かせ申し上げなかったが、この尼君、喜びを抑えることができず、参上しては、たいそう涙っぽく、大昔のことどもを震え声を出しては度々お話し申し上げる。
 
   初めつ方は、あやしくむつかしき人かなと、うちまもりたまひしかど、かかる人ありとばかりは、ほの聞きおきたまへれば、なつかしくもてなしたまへり。
 
 初めのころは、妙にうるさい人だと、じっと顔を見つめていらっしゃったが、このような人がいるという程度には、うすうす聞いていらっしゃったので、やさしくお相手なさっていた。
 
   生まれたまひしほどのこと、大殿の君のかの浦におはしましたりしありさま、  お生まれになったころのこと、大殿の君があの浦にいらっしゃった様子、
   「今はとて京へ上りたまひしに、誰も誰も、心を惑はして、今は限り、かばかりの契りにこそはありけれと嘆きしを、若君のかく引き助けたまへる御宿世の、いみじくかなしきこと」  「もうお別れとばかり都へ上京なさった時、皆が皆、気が動転して、これが最後と、これだけの御縁であったのだと嘆いていましたが、若君がお生まれになってお助けくださった御運が、ほんとうに身にしみて感じられますこと」
   と、ほろほろと泣けば、  とぼろぼろと涙をこぼして泣くので、
   「げに、あはれなりける昔のことを、かく聞かせざらましかば、おぼつかなくても過ぎぬべかりけり」  「なるほど、大変であった当時のことを、このように聞かせてくださらなかったら、知らずに過ごしてしまったにちがいないことだわ」
   と思して、うち泣きたまふ。
 心のうちには、
 とお思いになって、涙をお漏らしになる。
 心の中では、
   「わが身は、げにうけばりていみじかるべき際にはあらざりけるを、対の上の御もてなしに磨かれて、人の思へるさまなども、かたほにはあらぬなりけり。
 人びとをばまたなきものに思ひ消ち、こよなき心おごりをばしつれ。
 世人は、下に言ひ出づるやうもありつらむかし」
 「わが身は、なるほど大きな顔をして栄華をきわめるような身分ではなかったのに、対の上のご養育のお蔭で立派になって、世間の人の思惑なども、悪くはなかったのだわ。
 傍輩の女御更衣たちをまったく問題にもせず、すっかり思い上がっていたものだわ。
 世間の人は、蔭で噂することもあったであろうよ」
   など思し知り果てぬ。
 
 などと、すっかりお分りになった。
 
   母君をば、もとよりかくすこしおぼえ下れる筋と知りながら、生まれたまひけむほどなどをば、さる世離れたる境にてなども知りたまはざりけり。
 いとあまりおほどきたまへるけにこそは。
 あやしくおぼおぼしかりけることなりや。
 
 母君を、もともとこのように少し身分が低い家柄とは知っていたが、お生まれになったときの状況などを、あのような都から遠く離れた田舎だなどとはご存知なかったのである。
 実にあまりにおっとりし過ぎていらっしゃるせいであろう。
 変に頼りないお話であったこと。
 
   かの入道の、今は仙人の、世にも住まぬやうにてゐたなるを聞きたまふも、心苦しくなど、かたがたに思ひ乱れたまひぬ。
 
 あの入道が、今では仙人のように、とてもこの世ではないような暮らしぶりでいるとの話をお聞きになるにつけても、お気の毒ななどと、あれやこれやとお心をお痛めになった。
 
 
 

第三段 明石御方、母尼君をたしなめる

 
   いとものあはれに眺めておはするに、御方参りたまひて、日中の御加持に、こなたかなたより参り集ひ、もの騒がしくののしるに、御前にこと人もさぶらはず、尼君、所得ていと近くさぶらひたまふ。
 
 たいそう物思いに沈んでいらっしゃるところに、御方がお上がりになって、日中の御加持に、あちらこちらから参まって来て、大声を立てて祈祷していたが、御前に特に女房たちも伺候していず、尼君、得意顔にたいそう身近にお付きしていらっしゃる。
 
   「あな、見苦しや。
 短き御几帳引き寄せてこそ、さぶらひたまはめ。
 風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。
 医師などやうのさまして。
 いと盛り過ぎたまへりや」
 「まあ、見苦しいこと。
 短い御几帳をお側に置いてこそ、お付きなさいませ。
 風などが強くて、自然と隙間もできましょうに。
 医師のようにして。
 ほんとうに盛りを過ぎていらっしゃること」
   など、なまかたはらいたく思ひたまへり。
 よしめきそして振る舞ふと、おぼゆめれども、もうもうに耳もおぼおぼしかりければ、「ああ」と、傾きてゐたり。
 
 などと、はらはらしていらっしゃった。
 十分気を付けて振る舞っていると、思っているらしいけれども、老いぼれて耳もよく聞こえなかったので、「ああ」と、首をかしげていた。
 
   さるは、いとさ言ふばかりにもあらずかし。
 六十五、六のほどなり。
 尼姿、いとかはらかに、あてなるさまして、目艶やかに泣き腫れたるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつぶれて、
 実際、そう言うほどの年齢でもない。
 六十五、六歳ぐらいである。
 尼姿、たいそうこざっぱりと、気品がある様子で、目がきらきらと涙で泣きはらした様子が、妙に昔を思い出しているようなので、胸がどきりとして、
   「古代のひが言どもや、はべりつらむ。
 よく、この世のほかなるやうなるひがおぼえどもにとり混ぜつつ、あやしき昔のことどもも出でまうで来つらむはや。
 夢の心地こそしはべれ」
 「古めかしいわけのわからないお話でも、ございましたのでしょう。
 よく、この世にはありそうもない記憶違いのことを交えては、妙な昔話もあれこれとお話し申し上げたことでしょうよ。
 夢のような心地がします」
   と、うちほほ笑みて見たてまつりたまへば、いとなまめかしくきよらにて、例よりもいたくしづまり、もの思したるさまに見えたまふ。
 わが子ともおぼえたまはず、かたじけなきに、
 と、ちょっと苦笑して拝見なさると、たいそう優雅でお美しくて、いつもよりひどく落ち着いていらして、物思いに沈んでいるようにお見えになる。
 自分が生んだ子ともお見えにならないほど、恐れ多い方なので、
   「いとほしきことどもを聞こえたまひて、思し乱るるにや。
 今はかばかりと御位を極めたまはむ世に、聞こえも知らせむとこそ思へ、口惜しく思し捨つべきにはあらねど、いといとほしく心劣りしたまふらむ」
 「お気の毒なことを申し上げなさったので、お悩みになっていらっしゃるのだろうか。
 もうこれ以上ない最高のお地位におつきになった時に、お話し申し上げようと思っていたのに、残念にも自信をおなくしになる程のことではないが、さぞやお気の毒にがっかりしていられることだろう」
   とおぼゆ。
 
 とご心配なさる。
 
 
 

第四段 明石女三代の和歌唱和

 
   御加持果ててまかでぬるに、御くだものなど近くまかなひなし、「こればかりをだに」と、いと心苦しげに思ひて聞こえたまふ。
 
 御加持が終わって退出したので、果物など近くにさし上げ、「せめてこれだけでもお召し上がりください」と、たいそうおいたわしく思い申し上げなさる。
 
   尼君は、いとめでたううつくしう見たてまつるままにも、涙はえとどめず。
 顔は笑みて、口つきなどは見苦しくひろごりたれど、まみのわたりうちしぐれて、ひそみゐたり。
 
 尼君は、とても立派でかわいらしいと拝見するにつけても、涙を止めることができない。
 顔は笑って、口もとなどはみっともなく広がっているが、目のあたりは涙に濡れて、泣き顔していた。
 
   「あな、かたはらいた」  「まあ、みっともない」
   と、目くはすれど、聞きも入れず。
 
 と、目くばせするが、かまいつけない。
 
 

475
 「老の波 かひある浦に 立ち出でて
 しほたるる海人を 誰れかとがめむ
 「長生きした甲斐があると嬉し涙に泣いているからと言って
  誰が出家した老人のわたしを咎めたりしましょうか
 
   昔の世にも、かやうなる古人は、罪許されてなむはべりける」  昔の時代にも、このような老人は、大目に見てもらえるものでございます」
   と聞こゆ。
 御硯なる紙に、
 と申し上げる。
 御硯箱にある紙に、
 

476
 「しほたるる 海人を波路の しるべにて
 尋ねも見ばや 浜の苫屋を」
 「泣いていらっしゃる尼君に道案内しいただいて
  訪ねてみたいものです、生まれ故郷の浜辺を」
 
   御方もえ忍びたまはで、うち泣きたまひぬ。
 
 御方も我慢なされずに、つい泣いておしまいになった。
 
 

477
 「世を捨てて 明石の浦に 住む人も
 心の闇は はるけしもせじ」
 「出家して明石の浦に住んでいる父入道も
  子を思う心の闇は晴れることもないでしょう」
 
   など聞こえ、紛らはしたまふ。
 別れけむ暁のことも、夢の中に思し出でられぬを、「口惜しくもありけるかな」と思す。
 
 などと申し上げて、涙をお隠しになる。
 別れたという暁のことを、少しも覚えていらっしゃらないのを、「残念なことだった」とお思いになる。
 
 
 

第五段 三月十日過ぎに男御子誕生

 
   弥生の十余日のほどに、平らかに生まれたまひぬ。
 かねてはおどろおどろしく思し騷ぎしかど、いたく悩みたまふことなくて、男御子にさへおはすれば、限りなく思すさまにて、大殿も御心落ちゐたまひぬ。
 
 三月の十何日のころに、無事にお生まれになった。
 前々は仰々しく大騒ぎしていたのだが、ひどくお苦しみになることもなくて、男の御子でさえいらっしゃったので、際限もなく望みどおりだったので、大殿もご安心なさった。
 
   こなたは隠れの方にて、ただ気近きほどなるに、いかめしき御産養などのうちしきり、響きよそほしきありさま、げに「かひある浦」と、尼君のためには見えたれど、儀式なきやうなれば、渡りたまひなむとす。
 
 こちらは裏側に当たっていて、端近な所であるが、盛大な御産養などがひき続き、騷ぎの仰々しい様子は、なるほど「価値ある浦」と、尼君のためには見えたが、威儀も整わないようなので、お移りになることになる。
 
   対の上も渡りたまへり。
 白き御装束したまひて、人の親めきて、若宮をつと抱きてゐたまへるさま、いとをかし。
 みづからかかること知りたまはず、人の上にても見ならひたまはねば、いとめづらかにうつくしと思ひきこえたまへり。
 むつかしげにおはするほどを、絶えず抱きとりたまへば、まことの祖母君は、ただ任せたてまつりて、御湯殿の扱ひなどを仕うまつりたまふ。
 
 対の上もいらっしゃった。
 白い御装束をお着けになって、まるで親のようにして、若宮をしっかりと抱いていらっしゃる様子、たいそう素晴らしい。
 ご自身ではこのようなことはご経験もないし、他人のことでも御覧になったことがないので、とても珍しくかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。
 まだお扱いにくそうでいらっしゃる時なのを、しじゅうお抱きになっていらっしゃるので、実の祖母君は、ただお任せ申して、お湯殿のお世話などをなさる。
 
   春宮の宣旨なる典侍ぞ仕うまつる。
 御迎湯に、おりたちたまへるもいとあはれに、うちうちのこともほの知りたるに、
 東宮の宣旨である典侍がお湯殿に奉仕する。
 御迎湯の役を、ご自身がなさるのも大変に胸をうつことで、内々の事情も少しは知っているので、 
   「すこしかたほならば、いとほしからましを、あさましく気高く、げに、かかる契りことにものしたまひける人かな」  「少しでも欠点があれば、お気の毒であったろうに、驚くほど気品があり、なるほど、このような前世からの約束事があったお方なのだわ」
   と見きこゆ。
 このほどの儀式なども、まねびたてむに、いとさらなりや。
 
 と拝見する。
 この時の儀式の様子などを、そっくりそのまま語り伝えるのも、まったく今さららしく思われるよ。
 
 
 

第六段 帝の七夜の産養

 
   六日といふに、例の御殿に渡りたまひぬ。
 七日の夜、内裏よりも御産養のことあり。
 
 六日目という日に、いつもの御殿にお移りになった。
 七日の夜に、内裏からも御産養がある。
 
   朱雀院の、かく世を捨ておはします御代はりにや、蔵人所より、頭弁、宣旨うけたまはりて、めづらかなるさまに仕うまつれり。
 禄の衣など、また中宮の御方よりも、公事にはたちまさり、いかめしくせさせたまふ。
 次々の親王たち、大臣の家々、そのころのいとなみにて、われもわれもと、きよらを尽くして仕うまつりたまふ。
 
 朱雀院が、このように御出家あそばされいるお代わりであろうか、蔵人所から、頭弁が、宣旨を承って、例のないほど立派にご奉仕した。
 禄の衣装など、また中宮の御方からも、公事のきまり以上に、盛大におさせあそばす。
 次々の親王方、大臣の家々、その当時のもっぱらの仕事にして、われもわれもと、善美を尽くしてご奉仕なさる。
 
   大殿の君も、このほどのことどもは、例のやうにもこと削がせたまはで、世になく響きこちたきほどに、うちうちのなまめかしくこまかなるみやびの、まねび伝ふべき節は、目も止まらずなりにけり。
 大殿の君も、若宮をほどなく抱きたてまつりたまひて、
 大殿の君も、この時の儀式はいつものように簡略になさらずに、世に例のないほど大仰な騷ぎで、内輪の優美で繊細な優雅さの、そのままお伝えしなければならない点は、目も止まらずに終わってしまったのであった。
 大殿の君も、若宮をすぐにお抱き申し上げなさって、
   「大将のあまたまうけたなるを、今まで見せぬがうらめしきに、かくらうたき人をぞ得たてまつりたる」  「大将が大勢子供を儲けているそうだが、今まで見せないのが恨めしいが、このようにかわいらしい子をお授かり申したことよ」
   と、うつくしみきこえたまふは、ことわりなりや。
 
 と、おかわいがり申し上げなさるのは、無理もないことであるよ。
 
   日々に、ものを引き伸ぶるやうにおよすけたまふ。
 御乳母など、心知らぬはとみに召さで、さぶらふ中に、品、心すぐれたる限りを選りて、仕うまつらせたまふ。
 
 日に日に、物を引き伸ばすようご成長なさっていく。
 御乳母など、気心の知れないのは急いでお召しにならず、伺候している者の中から、家柄、嗜みのある人ばかりを選んで、お仕えさせなさる。
 
 
 

第七段 紫の上と明石御方の仲

 
   御方の御心おきての、らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを、褒めぬ人なし。
 
 御方のお心構えが、気が利いていて気品があって、おっとりしているものの、しかるべき時には謙遜して、小憎らしくわがもの顔に振る舞ったりしないことなどを、誉めない人はいない。
 
   対の上は、まほならねど、見え交はしたまひて、さばかり許しなく思したりしかど、今は、宮の御徳に、いと睦ましく、やむごとなく思しなりにたり。
 稚児うつくしみたまふ御心にて、天児など、御手づから作りそそくりおはするも、いと若々し。
 明け暮れこの御かしづきにて過ぐしたまふ。
 
 対の上は、改まった形というのではないが、時々お会いなさって、あれほど許せないと思っていらっしゃったが、今では、若宮のお蔭で、たいそう仲好く、大切な方と思うようにおなりになっていた。
 子供をおかわいがりになるご性格で、天児などを、ご自身でお作りになり忙しそうにしていらっしゃるのも、たいそう若々しい。
 毎日このお世話で日を暮していらっしゃる。
 
   かの古代の尼君は、若宮をえ心のどかに見たてまつらぬなむ、飽かずおぼえける。
 なかなか見たてまつり初めて、恋ひきこゆるにぞ、命もえ堪ふまじかめる。
 
 あの年寄の尼君は、若君をゆっくりと拝見できないことを、残念に思っているのであった。
 なまじ拝見したために、またお目にかかりたく思って、死ぬほど切ない思いをしているようである。
 
 
 

第十一章 明石の物語 入道の手紙

 
 

第一段 明石入道、手紙を贈る

 
   かの明石にも、かかる御こと伝へ聞きて、さる聖心地にも、いとうれしくおぼえければ、  あの明石でも、このようなお話を伝え聞いて、そうした出家心にも、たいそう嬉しく思われたので、
   「今なむ、この世の境を心やすく行き離るべき」  「今は、この世から心安らかな気持ちで離れて行くことができよう」
   と弟子どもに言ひて、この家をば寺になし、あたりの田などやうのものは、皆その寺のことにしおきて、この国の奥の郡に、人も通ひがたく深き山あるを、年ごろも占めおきながら、あしこに籠もりなむ後、また人には見え知らるべきにもあらずと思ひて、ただすこしのおぼつかなきこと残りければ、今までながらへけるを、今はさりともと、仏神を頼み申してなむ移ろひける。
 
 と弟子たちに言って、この家を寺にして、周辺の田などといったものは、みなその寺の所領にすることにして、この国の奥の郡で、人も行かないような深い山があるのを、かねてより所有していたのを、あそこに籠もった後は、再び人に見られることもあるまいと考えて、ほんの少し気がかりなことが残っていたので、今までとどまっていたが、今はもう大丈夫と、仏神をお頼み申して移ったのであった。
 
   この近き年ごろとなりては、京に異なることならで、人も通はしたてまつらざりつ。
 これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君さるべき折節のことも通ひける。
 思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御方にたてまつれたまへり。
 
 最近の数年間は、都に特別の事でなくては、使いを差し上げることもしなかった。
 都からお下しになる使者ぐらいには言づけて、ほんの一行の便りなりと、尼君はしかるべき折のお返事をするのであった。
 俗世を離れる最後に、手紙を書いて、御方に差し上げなさった。
 
 
 

第二段 入道の手紙

 
   「この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身を変へたるやうに思うたまへなしつつ、させることなき限りは、聞こえうけたまはらず。
 
 「ここ数年というものは、同じこの世に生きておりましたが、何のかのと、生きながら別世界に生まれ変わったように考えることに致しまして、格別変わった事がない限りは、お手紙を差し上げたり戴いたりしないでおります。
 
   仮名文見たまふるは、目の暇いりて、念仏も懈台するやうに、益なうてなむ、御消息もたてまつらぬを、伝てにうけたまはれば、若君は春宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなむ、深く喜び申しはべる。
 
 仮名の手紙を拝見するのは、時間がかかって、念仏も怠けるようで、無益と考えて、お手紙を差し上げませんでしたが、人伝てに承りますと、若君は東宮に御入内なさって、男宮がご誕生なさったとのこと、心からお喜び申し上げております。
 
   そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず。
 過ぎにし方の年ごろ、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ御ことを心にかけて、蓮の上の露の願ひをばさし置きてなむ念じたてまつりし。
 
 そのわけは、わたし自身このような取るに足りない山伏の身で、今さらこの世での栄達を願うのではございません。
 過ぎ去った昔の何年かの間、未練がましく、六時の勤めにも、ただあなたの御事を心にかけ続けて、自分の極楽往生の願いはさしおいて願ってきました。
 
   わがおもと生まれたまはむとせし、その年の二月のその夜の夢に見しやう、  あなたがお生まれになろうとした、その年の二月の某日の夜の夢に見たことは、
   『みづから須弥の山を、右の手に捧げたり。
 山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす。
 みづからは山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず。
 山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく』
 『自分は須弥山を右手に捧げ持っていた。
 その山の左右から、月の光と日の光とが明るくさし出して世の中を照らす。
 自分自身は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。
 山を広い海の上に浮かべ置いて、小さい舟に乗って、西の方角を指して漕いで行く』
   となむ見はべし。
 
 と見ました。
 
   夢覚めて、朝より数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、『何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむ』と、心のうちに思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべしかば、賤しき懐のうちにも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道に赴きはべりにし。
 
 夢から覚めて、その朝から物の数でもないわが身にも期待する所が出て来ましたが、どのようなことにつけてか、そのような大変な幸運を待ち受けることができようかと、心中に思っておりましたが、そのころからあなたが孕まれなさって以来今まで、仏典以外の書物を見ましても、また仏典の真意を求めました中にも、夢を信じるべきことが多くございましたので、賎しい身ながらも、恐れ多く大切にお育て申し上げましたが、力の及ばない身に思案にあまって、このような田舎に下ったでした。
 
   また、この国のことに沈みはべりて、老の波にさらに立ち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべしかばなむ、心一つに多くの願を立てはべし。
 その返り申し、平らかに思ひのごと時にあひたまふ。
 
 するとまた、この国で沈淪しまして、老の身で都に二度と帰るまいと諦めをつけて、この浦に何年もおりましたその間も、あなたに期待をおかけ申していましたので、自分一人で数多くの願を立てました。
 そのお礼参りが、無事にできるような願いどおりの運勢に巡り合われたのです。
 
   若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社をはじめ、果たし申したまへ。
 さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。
 
 若君が、国母とおなりになって、願いが叶いなさったあかつきには、住吉の御社をはじめとして、お礼参りをなさい。
 まったく何を疑うことがありましょうか。
 
   この一つの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、はるかに西の方、十万億の国隔てたる、九品の上の望み疑ひなくなりはべりぬれば、今はただ迎ふる蓮を待ちはべるほど、その夕べまで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむ、まかり入りぬる。
 
 この一つの願いが、近い将来に叶うことになったので、遥か西方の、十万億土を隔てた極楽の九品の蓮台の上の往生の願いも確実になりましたので、今はただ阿彌陀の来迎を待っておりますだけで、その夕べまで、水も草も清らかな山の奥で勤行しましょうと思って、入山致しました。
 
 

478
 光出でむ 暁近く なりにけり
 今ぞ見し世の 夢語りする」
  日の出近い暁となったことよ
  今初めて昔見た夢の話をするのです」
 
   とて、月日書きたり。
 
 とあって、月日が書いてある。
 
 
 

第三段 手紙の追伸

 
   「命終らむ月日も、さらにな知ろしめしそ。
 いにしへより人の染めおきける藤衣にも、何かやつれたまふ。
 ただわが身は変化のものと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。
 この世の楽しみに添へても、後の世を忘れたまふな。
 
 「寿命の尽きる月日を、決してお心にかけてなさいますな。
 昔から皆が染めておいた喪服なども、お召しなさるな。
 ただ自分は神仏の権化とお思いになって、この老僧のためには冥福をお祈り下さい。
 現世の楽しみを味わうにつけても、来世をお忘れなさるな。
 
   願ひはべる所にだに至りはべりなば、かならずまた対面ははべりなむ。
 娑婆の他の岸に至りて、疾くあひ見むとを思せ」
 願っております極楽にさえ行きつけましたら、きっと再びお会いすることがございましょう。
 この世以外の世界に行き着いて、早く会おうとお考え下さい」
   さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる沈の文箱に、封じ籠めてたてまつりたまへり。
 
 そして、あの社に立てた多くの願文類を、大きな沈の文箱に、しっかり封をして差し上げなさっていた。
 
   尼君には、ことごとにも書かず、ただ、  尼君には、別に改めて書いてなく、ただ、
   「この月の十四日になむ、草の庵まかり離れて、深き山に入りはべりぬる。
 かひなき身をば、熊狼にも施しはべりなむ。
 そこには、なほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ。
 明らかなる所にて、また対面はありなむ」
 「今月の十四日に、草の庵を出て、深い山に入ります。
 役にも立たない身は、熊や狼に施しましょう。
 あなたは、やはり望みどおりの御代になるのをお見届け下さい。
 極楽浄土で、再びお会いすることがありましょう」
   とのみあり。
 
 とだけある。
 
 
 

第四段 使者の話

 
   尼君、この文を見て、かの使ひの大徳に問へば、  尼君、この手紙を見て、その使いの大徳に尋ねると、
   「この御文書きたまひて、三日といふになむ、かの絶えたる峰に移ろひたまひにし。
 なにがしらも、かの御送りに、麓まではさぶらひしかど、皆返したまひて、僧一人、童二人なむ、御供にさぶらはせたまふ。
 今はと世を背きたまひし折を、悲しきとぢめと思うたまへしかど、残りはべりけり。
 
 「このお手紙をお書きになって、三日目という日に、あの人跡絶えた山奥にお移りになりました。
 拙僧らも、そのお見送りに、麓までは参りましたが、皆お帰しになって、僧一人と、童二人をお供にお連れなさいました。
 今は最後とご出家なさった時に、悲しみの極みと存じましたが、さらに悲しいことが残っておりました。
 
   年ごろ行なひの隙々に、寄り臥しながら掻き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、掻い調べたまひつつ、仏にまかり申したまひてなむ、御堂に施入したまひし。
 さらぬものどもも、多くはたてまつりたまひて、その残りをなむ、御弟子ども六十余人なむ、親しき限りさぶらひける、ほどにつけて皆処分したまひて、なほし残りをなむ、京の御料とて送りたてまつりたまへる。
 
 長年勤行の合間合間に寄りかかりながら、掻き鳴らしていらした琴の御琴、琵琶を取り寄せなさって、少しお弾きなさっては、仏にお別れ申されて、御堂に施入なさいました。
 その他の物も、大抵は寄進なさって、その残りを、御弟子たち六十何人の、親しい者たちだけのお仕えしてきた者に、身分に応じて全て処分なさって、その上で残っているのを、都の方々の分としてお送り申し上げたのです。
 
   今はとてかき籠もり、さるはるけき山の雲霞に混じりたまひにし、むなしき御跡にとまりて、悲しび思ふ人びとなむ多くはべる」  今は最後と引き籠もり、あの遥かな山の雲霞の中にお入りになってしまわれたので、空っぽのお跡に残されて悲しく思う人々は多くございます」
   など、この大徳も、童にて京より下りし人の、老法師になりてとまれる、いとあはれに心細しと思へり。
 仏の御弟子のさかしき聖だに、鷲の峰をばたどたどしからず頼みきこえながら、なほ薪尽きける夜の惑ひは深かりけるを、まして尼君の悲しと思ひたまへること限りなし。
 
 などと、この大徳も、子供の時に都から下った人で、老僧となって残っているのだが、まことにしみじみと心細く思っていた。
 仏の御弟子の偉い聖僧でさえ、霊鷲山を十分に信じていながら、それでもやはり釈迦入滅の時の悲しみは深いものであったが、まして尼君の悲しいと思っていらっしゃることは際限がない。
 
 
 

第五段 明石御方、手紙を見る

 
   御方は、南の御殿におはするを、「かかる御消息なむある」とありければ、忍びて渡りたまへり。
 重々しく身をもてなして、おぼろけならでは、通ひあひたまふこともかたきを、「あはれなることなむ」と聞きて、おぼつかなければ、うち忍びてものしたまへるに、いといみじく悲しげなるけしきにてゐたまへり。
 
 明石御方は、南の御殿にいらっしゃったが、「このようなお手紙がありました」と、伝えて来たので、人目に立たないようにしてお越しになった。
 重々しく振る舞って、さしたる用件がなければ、行き来しあいなさることは難しいのだが、「悲しいことがある」と聞いて、気がかりなので、こっそりといらっしゃったところ、とてもたいそう悲しそうな様子で座っていらっしゃった。
 
   火近く取り寄せて、この文を見たまふに、げにせきとめむかたぞなかりける。
 よその人は、何とも目とどむまじきことの、まづ、昔来し方のこと思ひ出で、恋しと思ひわたりたまふ心には、「あひ見で過ぎ果てぬるにこそは」と、見たまふに、いみじくいふかひなし。
 
 灯火を近くに引き寄せて、この手紙を御覧になると、なるほど涙を堰き止めることができなかった。
 他人ならば、何とも感じないことが、まず、昔から今までのことを思い出して、恋しいとお思い続けていなさるお心には、「二度と会えずに終わってしまうのだ」と、思って御覧になると、ひどく何とも言いようがない。
 
   涙をえせきとめず、この夢語りを、かつは行く先頼もしく、  涙をお止めになることもできない。
 この夢物語を一方では将来頼もしく思われ、
   「さらば、ひが心にて、わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは、かくはかなき夢に頼みをかけて、心高くものしたまふなりけり」  「それでは、偏屈な考えで、わたしをあんなにもとんでもない身にして不安にさまよわせなさると、一時は気持ちが迷ったこともあるが、それは、このような当てにならない夢に望みをかけて、高い理想を持っていらしたのだ」
   と、かつがつ思ひ合はせたまふ。
 
 と、やっとお分りになる。
 
 
 

第六段 尼君と御方の感懐

 
   尼君、久しくためらひて、  尼君は、長い間涙を抑えて、
   「君の御徳には、うれしくおもだたしきことをも、身にあまりて並びなく思ひはべり。
 あはれにいぶせき思ひもすぐれてこそはべりけれ。
 
 「あなたのお蔭で、嬉しく光栄なことも、身に余るほどに又とない運勢だと思っております。
 でも、悲しく胸の晴れない思いも、人一倍多くございました。
 
   数ならぬ方にても、ながらへし都を捨てて、かしこに沈みゐしをだに、世人に違ひたる宿世にもあるかな、と思ひはべしかど、生ける世にゆき離れ、隔たるべき仲の契りとは思ひかけず、同じ蓮に住むべき後の世の頼みをさへかけて年月を過ぐし来て、にはかにかくおぼえぬ御こと出で来て、背きにし世に立ち返りてはべる、かひある御ことを見たてまつりよろこぶものから、片つかたには、おぼつかなく悲しきことのうち添ひて絶えぬを、つひにかくあひ見ず隔てながらこの世を別れぬるなむ、口惜しくおぼえはべる。
 
 物の数にも入らない身分ながらも、住み馴れた都を捨てて、あの国に沈淪していたのでさえ、普通の人と違った運命であると思っておりましたが、生きている間に別れ別れになり、離れて住まなければならない夫婦の縁とは思っておりませんで、同じ蓮の花の上に住むことができることに望みを託して歳月を送って来て、急にあのような思いもかけない御事が出てきて、捨てた都に帰って来ましたが、その甲斐あった御事を拝見して喜ぶものの、もう一方には、気がかりで悲しいことが付きまとって離れないのを、とうとうこのように再び会うことなく離れたまま、一生の別れとなってしまったのが残念に思われます。
 
   世に経し時だに、人に似ぬ心ばへにより、世をもてひがむるやうなりしを、若きどち頼みならひて、おのおのはまたなく契りおきてければ、かたみにいと深くこそ頼みはべしか。
 いかなれば、かく耳に近きほどながら、かくて別れぬらむ」
 在俗の時でさえ、普通の人と違った性質のため、世をすねているようでしたが、まだ若かった私たちは頼りにし合って、それぞれまたとなく深く約束し合っていたので、お互いに本当に心から頼りにしていましたのに。
 どのようなわけで、このような便りの通じる近い所でありながら、こうして別れてしまったのでしょう」
   と言ひ続けて、いとあはれにうちひそみたまふ。
 御方もいみじく泣きて、
 と言い続けて、たいそう悲しげに泣き顔をしていらっしゃる。
 御方もひどく泣いて、
   「人にすぐれむ行く先のことも、おぼえずや。
 数ならぬ身には、何ごとも、けざやかにかひあるべきにもあらぬものから、あはれなるありさまに、おぼつかなくてやみなむのみこそ口惜しけれ。
 
 「人より優れた将来のことなど、嬉しくありません。
 物の数にも入らない身には、どのようなことにつけても、晴れがましく生きがいのあるはずもないとはいうものの、悲しい行き別れの恰好で、生死の様子も分からずに終わってしまったことだけが残念です。
 
   よろづのこと、さるべき人の御ためとこそおぼえはべれ、さて絶え籠もりたまひなば、世の中も定めなきに、やがて消えたまひなば、かひなくなむ」  すべてのこと、そうした因縁がおありだった方のためと思われますが、そうして山奥に入ってしまわれたなら、人の命ははかないものですから、そのままお亡くなりになったら、何にもなりません」
   とて、夜もすがら、あはれなることどもを言ひつつ明かしたまふ。
 
 と言って、一晩中、しみじみとしたお話をし合って夜を明かしなさる。
 
 
 

第七段 御方、部屋に戻る

 
   「昨日も、大殿の君の、あなたにありと見置きたまひてしを、にはかにはひ隠れたらむも、軽々しきやうなるべし。
 身ひとつは、何ばかりも思ひ憚りはべらず。
 かく添ひたまふ御ためなどのいとほしきになむ、心にまかせて身をももてなしにくかるべき」
 「昨日も、大殿の君が、あちらにいると御覧になっていらっしゃったが、急に人目を避けて隠れたようなのも、軽率に見えましょう。
 わが身一つは、何も遠慮することはないのです。
 このように若宮にお付きなさっている姫君のためにお気の毒で、思いのままに身を振る舞いにくいのです」
   とて、暁に帰り渡りたまひぬ。
 
 と言って、暗いうちにお帰りになった。
 
   「若宮はいかがおはします。
 いかでか見たてまつるべき」
 「若宮はどうしていらっしゃいますか。
 何とかしてお目にかかれないのでしょうか」
   とても泣きぬ。
 
 と言ってまたも泣いた。
 
   「今見たてまつりたまひてむ。
 女御の君も、いとあはれになむ思し出でつつ、聞こえさせたまふめる。
 院も、ことのついでに、もし世の中思ふやうならば、ゆゆしきかね言なれど、尼君そのほどまでながらへたまはなむ、とのたまふめりき。
 いかに思すことにかあらむ」
 「すぐにお目にかかれましょう。
 女御の君も、とても懐かしくお思い出しになっては、お口にあそばすようです。
 院も、話のついでに、もし世の中が思うとおりに行ったならば、縁起でもないことを言うようだが、尼君がその時まで生き永らえていらして欲しいと、おっしゃっているようでした。
 どのようにお考えになってのことなのでしょうか」
   とのたまへば、またうち笑みて、  とおっしゃると、再び笑い顔になって、
   「いでや、さればこそ、さまざま例なき宿世にこそはべれ」  「さあ、それだからこそ、喜びも悲しみもまたと例のない運命なのです」
   とて喜ぶ。
 この文箱は持たせて参う上りたまひぬ。
 
 と言って喜ぶ。
 この文箱を持たせて女御の方の許に参上なさった。
 
 
 

第十二章 明石の物語 一族の宿世

 
 

第一段 東宮からのお召しの催促

 
   宮より、とく参りたまふべきよしのみあれば、  東宮から、早く参内なさるようにとのお召しが始終あるので、
   「かく思したる、ことわりなり。
 めづらしきことさへ添ひて、いかに心もとなく思さるらむ」
 「そのようにお思いあそばすのも、無理のないことです。
 おめでたいことまで加わって、どんなにか待ち遠しがっていらっしゃることでしょう」
   と、紫の上ものたまひて、若宮忍びて参らせたてまつらむ御心づかひしたまふ。
 
 と、紫の上もおっしゃって、若宮をこっそりと参上させようとご準備なさる。
 
   御息所は、御暇の心やすからぬに懲りたまひて、かかるついでに、しばしあらまほしく思したり。
 ほどなき御身に、さる恐ろしきことをしたまへれば、すこし面痩せ細りて、いみじくなまめかしき御さましたまへり。
 
 御息所は、なかなかお暇が出ないのにお懲りになって、このような機会に、暫くお里にいたいと思っていらっしゃった。
 年端も行かないお身体で、あのような恐ろしいご出産をなさったので、少しお顔がお痩せになって、たいそう優美なご様子をしていらっしゃった。
 
   「かく、ためらひがたくおはするほど、つくろひたまひてこそは」  「このような、まだおやつれになっていらっしゃるのですから、もう少し静養なさってからでは」
   など、御方などは心苦しがりきこえたまふを、大殿は、  などと、御方などはお気の毒にお思い申し上げなさるが、大殿は、
   「かやうに面痩せて見えたてまつりたまはむも、なかなかあはれなるべきわざなり」  「このように面痩せしてお目通りなさるのも、かえって魅力が増すものですよ」
   などのたまふ。
 
 などとおっしゃる。
 
 
 

第二段 明石女御、手紙を見る

 
   対の上などの渡りたまひぬる夕つ方、しめやかなるに、御方、御前に参りたまひて、この文箱聞こえ知らせたまふ。
 
 対の上などがお帰りになった夕方、ひっそりした時に、御方は、御前に参上なさって、あの文箱のことをお聞かせ申し上げなさる。
 
   「思ふさまにかなひ果てさせたまふまでは、取り隠して置きてはべるべけれど、世の中定めがたければ、うしろめたさになむ。
 何ごとをも御心と思し数まへざらむこなた、ともかくも、はかなくなりはべりなば、かならずしも今はのとぢめを、御覧ぜらるべき身にもはべらねば、なほ、うつし心失せずはべる世になむ、はかなきことをも、聞こえさせ置くべくはべりける、と思ひはべりて。
 
 「望み通りにおなりあそばすまでは、隠して置くべきことでございますが、この世は無常ですので、気がかりに思いまして。
 何事もご自分のお考えで一つ一つご判断のおできになります前に、何にせよ、わたしが亡くなるようなことがございましたら、必ずしも臨終の際に、お見取りいただける身分ではございませんので、やはり、しっかりしているうちに、ちょっとした事柄でも、お耳に入れて置いたほうがよい、と存じまして。
 
   むつかしくあやしき跡なれど、これも御覧ぜよ。
 この願文は、近き御厨子などに置かせたまひて、かならずさるべからむ折に御覧じて、このうちのことどもはせさせたまへ。
 
 分りにくい変な筆跡ですが、これも御覧くださいませ。
 この御願文は、身近な御厨子などにお置きあそばして、きっとしかるべき機会に御覧になって、この中の事柄をお果たしください。
 
   疎き人には、な漏らさせたまひそ。
 かばかりと見たてまつりおきつれば、みづからも世を背きはべなむと思うたまへなりゆけば、よろづ心のどかにもおぼえはべらず。
 
 気心の知れない人には、お話しあそばしてはなりません。
 将来も確かだと拝察致しましたので、自分自身も出家しましょうと思うようになってまいりましたので、何かにつけゆっくり構えるわけにも行きません。
 
   対の上の御心、おろかに思ひきこえさせたまふな。
 いとありがたくものしたまふ、深き御けしきを見はべれば、身にはこよなくまさりて、長き御世にもあらなむとぞ思ひはべる。
 もとより、御身に添ひきこえさせむにつけても、つつましき身のほどにはべれば、譲りきこえそめはべりにしを、いとかうしも、ものしたまはじとなむ、年ごろは、なほ世の常に思うたまへわたりはべりつる。
 
 対の上のお心、いい加減にはお思い申されますな。
 実にめったにないほどでいらっしゃる、深いご親切のほどを拝見しますと、わたしよりはこの上なく、長生きして戴きたいと存じております。
 もともと、お側にお付き申し上げるのも、遠慮される身分でございますので、最初からお譲り申し上げていたのでしたが、とてもこうまでも、してくださるまいと、長い間、やはり世間並に考えていたのでございました。
 
   今は、来し方行く先、うしろやすく思ひなりにてはべり」  が今では、過去も将来も、安心できる気持ちになりました」
   など、いと多く聞こえたまふ。
 涙ぐみて聞きおはす。
 かくむつましかるべき御前にも、常にうちとけぬさましたまひて、わりなくものづつみしたるさまなり。
 この文の言葉、いとうたてこはく、憎げなるさまを、陸奥国紙にて、年経にければ、黄ばみ厚肥えたる五、六枚、さすがに香にいと深くしみたるに書きたまへり。
 
 などと、とても数多く申し上げなさる。
 涙ぐんで聞いていらっしゃる。
 このように親しくしてもよい御前でも、いつも礼儀正しい態度をなさって、無闇に遠慮している様子である。
 この手紙の文句、たいそう固苦しく無愛想な感じであるが、陸奥国紙で年数が経っているので、黄ばんで厚くなった五、六枚に、そうは言っても香をたいそう深く染み込ませたのにお書きになっていた。
 
   いとあはれと思して、御額髪のやうやう濡れゆく、御側目、あてになまめかし。
 
 たいそう感動なさって、御額髪がだんだん涙に濡れて行く、御横顔、上品で優美である。
 
 
 

第三段 源氏、女御の部屋に来る

 
   院は、姫宮の御方におはしけるを、中の御障子よりふと渡りたまへれば、えしも引き隠さで、御几帳をすこし引き寄せて、みづからははた隠れたまへり。
 
 院は、姫宮の御方にいらっしゃったが、中の御障子から不意にお越しになったので、手紙を引き隠すことができず、御几帳を少し引き寄せて、ご自身はやはり隠れなさった。
 
   「若宮は、おどろきたまへりや。
 時の間も恋しきわざなりけり」
 「若宮は、お目覚めでいらっしゃいますか。
 ちょっとの間も恋しいものですよ」
   と聞こえたまへば、御息所はいらへも聞こえたまはねば、御方、  と申し上げなさると、御息所はお答えも申し上げなさらないので、御方が、
   「対に渡しきこえたまひつ」  「対の上にお渡し申し上げなさいました」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
   「いとあやしや。
 あなたにこの宮を領じたてまつりて、懐をさらに放たずもて扱ひつつ、人やりならず衣も皆濡らして、脱ぎかへがちなめる。
 軽々しく、などかく渡したてまつりたまふ。
 こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
 「実に不都合な。
 あちらではこの宮を独り占め申されて、懐から少しも放さずお世話なさっては、好き好んで着物もすっかり濡らして、しきりに脱ぎ替えているようです。
 かるがると、どうしてお渡し申しなさるのか。
 こちらに来てお世話申し上げなさればよいものを」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「いと、うたて。
 思ひぐまなき御ことかな。
 女におはしまさむにだに、あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはべらめ。
 まして男は、限りなしと聞こえさすれど、心やすくおぼえたまふを。
 戯れにても、かやうに隔てがましきこと、なさかしがり聞こえさせたまひそ」
 「まあ、いやな。
 思いやりのないお言葉ですこと。
 女宮でいらっしゃっても、あちらでお育て申し上げなさるのがよいことでございましょう。
 まして男宮は、どれほど尊いご身分と申し上げても、ご自由と存じ上げておりますのに。
 ご冗談にも、そのような分け隔てをするようなことを、変に知ったふうに申されなさいますな」
   と聞こえたまふ。
 うち笑ひて、
 とお答え申し上げなさる。
 ほほ笑んで、
   「御仲どもにまかせて、見放ちきこゆべきななりな。
 隔てて、今は、誰も誰もさし放ち、さかしらなどのたまふこそ幼けれ。
 まづは、かやうにはひ隠れて、つれなく言ひ落としたまふめりかし」
 「お二人にお任せして、お構い申さないのがよいというのですね。
 分け隔てをして、このごろは、誰も彼もが除け者にして、でしゃばりだなどとおっしゃるのは、考えが足りないことです。
 第一、そのようにこそこそ隠れて、冷たくこき下ろしなさるようだ」
   とて、御几帳を引きやりたまへれば、母屋の柱に寄りかかりて、いときよげに、心恥づかしげなるさましてものしたまふ。
 
 と言って、御几帳を引きのけなさると、母屋の柱に寄り掛かって、たいそう綺麗に、気が引けるほど立派な様子をしていらっしゃる。
 
 
 

第四段 源氏、手紙を見る

 
   ありつる箱も、惑ひ隠さむもさま悪しければ、さておはするを、  さきほどの文箱も、慌てて隠すのも体裁が悪いので、そのままにしておかれたのを、
   「なぞの箱。
 深き心あらむ。
 懸想人の長歌詠みて封じこめたる心地こそすれ」
 「何の箱ですか。
 深い子細があるのでしょう。
 懸想人が長歌を詠んで大事に封じ込めてあるような気がしますね」
   とのたまへば、  とおっしゃるので、
   「あな、うたてや。
 今めかしくなり返らせたまふめる御心ならひに、聞き知らぬやうなる御すさび言どもこそ、時々出で来れ」
 「まあ、いやですわ。
 今風に若返りなさったようなお癖で、合点のゆかないようなご冗談が、時々出て来ますこと」
   とて、ほほ笑みたまへれど、ものあはれなりける御けしきどもしるければ、あやしとうち傾きたまへるさまなれば、わづらはしくて、  と言って、ほほ笑んでいらっしゃるが、しみじみとしたご様子がはっきりと感じられるので、妙だと首を傾けていらっしゃる様子なので、厄介に思って、
   「かの明石の岩屋より、忍びてはべし御祈りの巻数、また、まだしき願などのはべりけるを、御心にも知らせたてまつるべき折あらば、御覧じおくべくやとてはべるを、ただ今は、ついでなくて、何かは開けさせたまはむ」  「あの明石の岩屋から、内々で致しましたご祈祷の巻数、また、まだ願解きをしていないのがございましたのを、殿にもお知らせ申し上げるべき適当な機会があったら、御覧になって戴いたほうがよいのではないかと送って来たのでございますが、只今は、その時でもございませんので、何のお開けあそばすこともございますまい」
   と聞こえたまふに、「げに、あはれなるべきありさまぞかし」と思して、  と申し上げなさると、「なるほど、泣くのも無理はない」とお思いになって、
   「いかに行なひまして住みたまひにたらむ。
 命長くて、ここらの年ごろ勤むる罪も、こよなからむかし。
 世の中に、よしあり、賢しき方々の、人とて見るにも、この世に染みたるほどの濁り深きにやあらむ、賢き方こそあれ、いと限りありつつ及ばざりけりや。
 
 「どんなに修業を積んでお暮らしになったことだろう。
 長生きをして、長年の勤行の功徳の積み重ねによって消滅した罪障も、数知れぬことだろう。
 世の中で、教養があり、賢明であるという方々を、それと見ても、現世の名利に執着した煩悩が深いのだろうか、学問は優れていても、実に限度があって及ばないな。
 
   さもいたり深く、さすがに、けしきありし人のありさまかな。
 聖だち、この世離れ顔にもあらぬものから、下の心は、皆あらぬ世に通ひ住みにたるとこそ、見えしか。
 
 実に悟りは深く、それでいて、風情のあった人だな。
 聖僧のように、現世から離れている顔つきでもないのに、本心は、すっかり極楽浄土に行き来しているように、見えました。
 
   まして、今は心苦しきほだしもなく、思ひ離れにたらむをや。
 かやすき身ならば、忍びて、いと会はまほしくこそ」
 まして、今では気にかかる係累もなく、解脱しきっているだろう。
 気楽に動ける身ならば、こっそりと行って、ぜひにも会いたいものだが」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
   「今は、かのはべりし所をも捨てて、鳥の音聞こえぬ山にとなむ聞きはべる」  「今は、あの住んでいた所も捨てて、鳥の音も聞こえない奥山にと聞いております」
   と聞こゆれば、  と申し上げると、
   「さらば、その遺言ななりな。
 消息は通はしたまふや。
 尼君、いかに思ひたまふらむ。
 親子の仲よりも、またさるさまの契りは、ことにこそ添ふべけれ」
 「それでは、その遺言なのですね。
 お手紙はやりとりなさっていますか。
 尼君、どんなにお思いだろうか。
 親子の仲よりも、また夫婦の仲は、格別に悲しみも深かろう」
   とて、うち涙ぐみたまへり。
 
 とおっしゃって、涙ぐみなさっていた。
 
 
 

第五段 源氏の感想

 
   「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひは、いかにあはれならむ」  「年を取って、世の中の様子を、あれこれと分かってくるにつれて、妙に恋しく思い出されるご様子の方なので、深い契りの夫婦では、どんなにか感慨も深いことであろう」
   などのたまふついでに、「この夢語りも思し合はすることもや」と思ひて、  などとおっしゃっている機会に、「あの夢物語もお思い当たりなさることがあるかも知れない」と思って、
   「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべき節もや混じりはべるとてなむ。
 今はとて別れはべりにしかど、なほこそ、あはれは残りはべるものなりけれ」
 「たいそう変な梵字とか言うような筆跡ではございますが、お目に止まるようなこともございましょうかと存じまして。
 これが最後と思って別れたのでしたが、やはり、愛着は残るものでございました」
   とて、さまよくうち泣きたまふ。
 寄りたまひて、
 と言って、見苦しからぬ体でお泣きになる。
 側に寄りなさって、
   「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。
 手なども、すべて何ごとも、わざと有職にしつべかりける人の、ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ。
 
 「実にしっかりしていて、まだまだ耄碌していませんな。
 筆跡なども、総じて何につけても、ことさら有職と言ってもよい方で、ただ世渡りの心得だけが上手でなかったな。
 
   かの先祖の大臣は、いとかしこくありがたき心ざしを尽くして、朝廷に仕うまつりたまひけるほどに、ものの違ひめありて、その報いにかく末はなきなりなど、人言ふめりしを、女子の方につけたれど、かくていと嗣なしといふべきにはあらぬも、そこらの行なひのしるしにこそはあらめ」  あの先祖の大臣は、たいそう賢明で世にも稀な忠誠を尽くして、朝廷にお仕え申していらっしゃった間に、何かの行き違いがあって、その報いでそのような子孫が絶えたのだと、人々が噂したようだが、女子の系統であるが、このように決して子孫がいないというわけでないのも、長年の勤行の甲斐があってなのだろう」
   など、涙おし拭ひたまひつつ、この夢のわたりに目とどめたまふ。
 
 などと、涙をお拭いになりながら、あの夢物語のあたりにお目を止めなさる。
 
   「あやしくひがひがしく、すずろに高き心ざしありと人も咎め、また我ながらも、さるまじき振る舞ひを、仮にてもするかな、と思ひしことは、この君の生まれたまひし時に、契り深く思ひ知りにしかど、目の前に見えぬあなたのことは、おぼつかなくこそ思ひわたりつれ、さらば、かかる頼みありて、あながちには望みしなりけり。
 
 「変に偏屈者で、無闇に大それた望みを持っていると人も非難し、また自分ながらも、よろしからぬ結婚をかりそめにもしたことよ、と思ったのは、この姫君がお生まれになった時に、前世からの宿縁だと深く理解したが、目の前に見えない遠い先のことは、どういうものかよく分からぬとずっと思い続けていたのだが、それでは、このような期待があって、無理やり婿に望んだのだったな。
 
   横さまに、いみじき目を見、ただよひしも、この人一人のためにこそありけれ。
 いかなる願をか心に起こしけむ」
 無実の罪によって、酷い目に遭い、流浪したのも、この人一人の祈願成就のためであったのだな。
 どのような祈願を思い立ったのだろうか」
   とゆかしければ、心のうちに拝みて取りたまひつ。
 
 と知りたいので、心の中で拝んでお取りになった。
 
 
 

第六段 源氏、紫の上の恩を説く

 
   「これは、また具してたてまつるべきものはべり。
 今また聞こえ知らせはべらむ」
 「この願文には、また一緒に差し上げねばならない物があります。
 そのうちお話しましょう」
   と、女御には聞こえたまふ。
 そのついでに、
 と、女御には申し上げなさる。
 その折に、
   「今は、かく、いにしへのことをもたどり知りたまひぬれど、あなたの御心ばへを、おろかに思しなすな。
 もとよりさるべき仲、えさらぬ睦びよりも、横さまの人のなげのあはれをもかけ、一言の心寄せあるは、おぼろけのことにもあらず。
 
 「今は、このように、昔のことをだいぶお分りになったのだが、あちらのご好意を、いい加減にはお思いなさいますな。
 もともと親しいはずの夫婦仲や、切っても切れない親兄弟の親しみよりも、血の繋がらない他人がかりそめの情けをかけ、一言の好意でも寄せてくれるのは、並大抵のことではありません。
 
   まして、ここになどさぶらひ馴れたまふを見る見るも、初めの心ざし変はらず、深くねむごろに思ひきこえたるを。
 
 まして、ここに始終お付きしていらっしゃるのを見ながら、最初の気持ちも変わらず、深くご好意をお寄せ申しているのですから。
 
   いにしへの世のたとへにも、さこそはうはべには育みけれと、らうらうじきたどりあらむも、賢きやうなれど、なほあやまりても、わがため下の心ゆがみたらむ人を、さも思ひ寄らず、うらなからむためは、引き返しあはれに、いかでかかるにはと、罪得がましきにも、思ひ直ることもあるべし。
 
 昔の世の例にも、いかにも表面だけはかわいがっているようだがと、賢そうに推量するのも、利口なようだが、やはり間違っても、自分にとって内心悪意を抱いているような継母を、そうとは思わず、素直に慕っていったならば、思い返してかわいがり、どうしてこんなかわいい子にはと、罰が当たることだと、改心することもきっとあるでしょう。
 
   おぼろけの昔の世のあだならぬ人は、違ふ節々あれど、ひとりひとり罪なき時には、おのづからもてなす例どもあるべかめり。
 さしもあるまじきことに、かどかどしく癖をつけ、愛敬なく、人をもて離るる心あるは、いとうちとけがたく、思ひぐまなきわざになむあるべき。
 
 並々ならぬ昔からの仇敵でない人は、いろいろ行き違いがあっても、お互いに欠点のない場合には、自然と仲好くなる例はたくさんあるようです。
 それほどでもないことに、とげとげしく難癖をつけ、かわいげなく、人を疎んじる心のある人は、とてもうちとけにくく、考えの至らない者と言うべきでしょう。
 
   多くはあらねど、人の心の、とあるさまかかるおもむきを見るに、ゆゑよしといひ、さまざまに口惜しからぬ際の心ばせあるべかめり。
 皆おのおの得たる方ありて、取るところなくもあらねど、また、取り立てて、わが後見に思ひ、まめまめしく選び思はむには、ありがたきわざになむ。
 
 多くはありませんが、人の心の、あれこれとある様子を見ると、嗜み教養といい、それぞれにしっかりした程度の心得は持っているようです。
 皆それぞれ長所があって、取柄がないでもないが、かと言って、特別に、わが妻にと思って、真剣に選ぼうとすれば、なかなか見当たらないものです。
 
   ただまことに心の癖なくよきことは、この対をのみなむ、これをぞおいらかなる人といふべかりける、となむ思ひはべる。
 よしとて、またあまりひたたけて頼もしげなきも、いと口惜しや」
 ただ本当に素直で良い人は、この対の上だけで、この人を穏やかな人と言うべきだ、と思います。
 身分の高い人と言っても、またあまりに締まりがなくて頼りなさそうなのも、まことに残念なことですよ」
   とばかりのたまふに、かたへの人は思ひやられぬかし。
 
 とだけおっしゃったが、もうお一方のことがきっと想像されたことだろう。
 
 
 

第七段 明石御方、卑下す

 
   「そこにこそ、すこしものの心得てものしたまふめるを、いとよし、睦び交はして、この御後見をも、同じ心にてものしたまへ」  「あなたこそは、少し物の道理が分かっていらっしゃるようだから、ほんとうに結構なことで、仲好くし合って、この姫君のご後見を、心を合わせてなさって下さい」
   など、忍びやかにのたまふ。
 
 などと、声をひそめておっしゃる。
 
   「のたまはせねど、いとありがたき御けしきを見たてまつるままに、明け暮れの言種に聞こえはべる。
 めざましきものになど思しゆるさざらむに、かうまで御覧じ知るべきにもあらぬを、かたはらいたきまで数まへのたまはすれば、かへりてはまばゆくさへなむ。
 
 「仰せはなくとも、まことに有り難いご好意を拝見しておりまして、朝夕の口癖に感謝申し上げております。
 目障りな者だとお許しがなかったら、こんなにまでお見知りおき下さるはずもございませんのに、身の置き所もない程に人並みにお言葉をかけて下さるので、かえって面映ゆいくらいです。
 
   数ならぬ身の、さすがに消えぬは、世の聞き耳も、いと苦しく、つつましく思うたまへらるるを、罪なきさまに、もて隠されたてまつりつつのみこそ」  人数にも入らないわたしが、それでも生き永らえていますのは、世間の評判もいかがと、まことに苦しく、遠慮される思いが致しますが、お咎めもない様子に、いつもお庇いいただいているのでございます」
   と聞こえたまへば、  と申し上げなさると、
   「その御ためには、何の心ざしかはあらむ。
 ただ、この御ありさまを、うち添ひてもえ見たてまつらぬおぼつかなさに、譲りきこえらるるなめり。
 それもまた、とりもちて、掲焉になどあらぬ御もてなしどもに、よろづのことなのめに目やすくなれば、いとなむ思ひなくうれしき。
 
 「あなたのためには、特にご好意があるのではないでしょう。
 ただ、この姫君のご様子を始終付き添ってお世話申し上げられないのが心配で、お任せ申されるのでしょう。
 それもまた、一人で取り仕切って、特に目立つようにお振る舞いにならないので、何事も穏やかで体裁よく運ぶので、まことに嬉しく思っています。
 
   はかなきことにて、ものの心得ずひがひがしき人は、立ち交じらふにつけて、人のためさへからきことありかし。
 さ直しどころなく、誰もものしたまふめれば、心やすくなむ」
 ちょとしたことにつけても、物の道理の分からずひねくれた者は、人と交際するにつけて、相手まで迷惑を被ることがあるものです。
 そのような直さなければならない所が、どちらにもなくいらっしゃるようなので、安心です」
   とのたまふにつけても、  とおっしゃるにつけても、
   「さりや、よくこそ卑下しにけれ」  「やっぱりだわ。
 よくここまで謙遜して来たこと」
   など、思ひ続けたまふ。
 対へ渡りたまひぬ。
 
 などと思い続けなさる。
 対の屋へお渡りになった。
 
 
 

第八段 明石御方、宿世を思う

 
   「さも、いとやむごとなき御心ざしのみまさるめるかな。
 げにはた、人よりことに、かくしも具したまへるありさまの、ことわりと見えたまへるこそめでたけれ。
 
 「ああして、たいそう大事になさるお気持ちが深まるばかりのようだこと。
 なるほどほんとに、人並み勝れて、こんなに何もかも揃っていらっしゃる様子で、無理もないとお見えになるのが立派ですわ。
 
   宮の御方、うはべの御かしづきのみめでたくて、渡りたまふことも、えなのめならざめるは、かたじけなきわざなめりかし。
 同じ筋にはおはすれど、今一際は心苦しく」
 宮の御方は、表向きのお扱いだけはご立派で、お渡りになるのも、そう十分でないらしいのは、恐れ多いことのようですわ。
 同じお血筋でいらっしゃるが、もう一段御身分が高いことだけにお気の毒で」
   としりうごちきこえたまふにつけても、わが宿世は、いとたけくぞ、おぼえたまひける。
 
 と陰口を申し上げなさるにつけても、自分の運命は、まことに大したものだと、思われなさるのであった。
 
   「やむごとなきだに、思すさまにもあらざめる世に、まして立ちまじるべきおぼえにしあらねば、すべて今は、恨めしき節もなし。
 ただ、かの絶え籠もりにたる山住みを思ひやるのみぞ、あはれにおぼつかなき」
 「高貴な方でさえ、思い通りにならないらしいご夫婦仲なのに、ましてお仲間入りできるような身分でもないのだから、何もかも今は、恨めしく思うことはない。
 ただ、あの世を捨てて籠もった深山生活を思いやるだけが悲しく心配だわ」
   尼君も、ただ、「福地の園に種まきて」とやうなりし一言をうち頼みて、後の世を思ひやりつつ眺めゐたまへり。
 
 尼君も、ただ、「福地の園に種を蒔いて」といったような一言を頼みにして、後世の事を考え考え物思いに耽っていらっしゃった。
 
 
 

第十三章 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る

 
 

第一段 夕霧の女三の宮への思い

 
   大将の君は、この姫宮の御ことを、思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにもおぼえず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折々に参り馴れ、おのづから御けはひ、ありさまも見聞きたまふに、いと若くおほどきたまへる一筋にて、上の儀式はいかめしく、世の例にしつばかりもてかしづきたてまつりたまへれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず。
 
 大将の君は、この姫宮の御事を、考えなかったわけでもないので、身近においであそばしますのを、とても平気ではいられず、普通のお世話にかこつけて、こちらには何か御用がある時にはいつも参上して、自然と雰囲気や、様子を見聞きなさると、とても若くおっとりしていらっしゃるばかりで、表向きの格式だけは堂々として、世の前例にもなりそうなくらい大事に申し上げなさっているが、実際はそう大して際立って奥ゆかしくは思われない。
 
   女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなる容貌人の、ひたぶるにうちはなやぎ、さればめるはいと多く、数知らぬまで集ひさぶらひつつ、もの思ひなげなる御あたりとはいひながら、何ごとものどやかに心しづめたるは、心のうちのあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、またまことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうち混じれば、かたへの人にひかれつつ、同じけはひもてなしになだらかなるを、ただ明け暮れは、いはけたる遊び戯れに心入れたる童女のありさまなど、院は、いと目につかず見たまふことどもあれど、一つさまに世の中を思しのたまはぬ御本性なれば、かかる方をもまかせて、さこそはあらまほしからめ、と御覧じゆるしつつ、戒めととのへさせたまはず。
 
 女房なども、しっかりした年輩の者たちは少なく、若くて美人で、ただもう華やかに振る舞って、気取っている者がとても多く、数えきれないほど多く集まり集まって、何の苦労もないお住まいとはいえ、どのような事でも騒がず落ち着いている女房は、心の中がはっきりと見えないものであるから、わが身に人知れない悩みを持っていても、また真実楽しげに、万事思い通りに行っているらしい人たちの中にいると、はたの人に引かれて、同じ気分や態度に調子を合わせるものであるから、ただ一日中、子供じみた遊びや戯れ事に熱中している童女の様子など、院は、まことに感心しないと御覧になることもあるが、一律に世間の事を断じたりなさらないご性格なので、このような事も勝手にさせて、そのようなこともしたいのだろうと、大目に御覧になって、叱って改めさせることはなさらない。
 
   正身の御ありさまばかりをば、いとよく教へきこえたまふに、すこしもてつけたまへり。
 
 ご本人のお振る舞いだけは、十分よくお教え申し上げなさるので、少しは取り繕っていらっしゃった。
 
 
 

第二段 夕霧、女三の宮を他の女性と比較

 
   かやうのことを、大将の君も、  このようなことを、大将の君も、
   「げにこそ、ありがたき世なりけれ。
 紫の御用意、けしきの、ここらの年経ぬれど、ともかくも漏り出で見え聞こえたるところなく、しづやかなるをもととして、さすがに、心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心にくくもてなし添へたまへること」
 「なるほど、立派な方はなかなかいないものだな。
 紫の上のお心がけ、態度は、長年たったけれども、何かと噂に出て見えたり聞こえたりするところはなく、もの静かな点を第一として、何と言っても、心やさしく、人をないがしろにせず、自分自身も気品高く、奥ゆかしくしていらっしゃることよ」
   と、見し面影も忘れがたくのみなむ思ひ出でられける。
 
 と、垣間見した面影を忘れ難くばかり思い出されるのであった。
 
   「わが御北の方も、あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものしたまはぬ人なり。
 おだしきものに、今はと目馴るるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに、集ひたまへるありさまどもの、とりどりにをかしきを、心ひとつに思ひ離れがたきを、ましてこの宮は、人の御ほどを思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御けしきしもあらず、人目の飾りばかりにこそ」
 「自分の北の方も、かわいいとお思いになることは強いのであるが、取り上げるほどの、人に勝れた才覚などは、お持ちでない方だ。
 安心していられる人と、もう今は安心だと見慣れているために、気が緩んで、やはりこのように、いろいろな方がお集まりになっていらっしゃる様子が、それぞれにご立派でいらっしゃるのを、内心密かに関心を捨て切れないでいるところに、ましてこの宮は、ご身分を考えるにつけても、この上なく格別のお生まれなのに、特別のご寵愛でもなく、世間体を飾っているだけのことだ」
   と見たてまつり知る。
 わざとおほけなき心にしもあらねど、「見たてまつる折ありなむや」と、ゆかしく思ひきこえたまひけり。
 
 とお見受けする。
 特に大それた考えではないが、「拝見する機会があるだろうか」と、関心をお寄せになっていらっしゃった。
 
 
 

第三段 柏木、女三の宮に執心

 
   衛門督の君も、院に常に参り、親しくさぶらひ馴れたまひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめたてまつりたまひし御心おきてなど、詳しく見たてまつりおきて、さまざまの御定めありしころほひより聞こえ寄り、院にも、「めざましとは思し、のたまはせず」と聞きしを、かくことざまになりたまへるは、いと口惜しく、胸いたき心地すれば、なほえ思ひ離れず。
 
 衛門督の君も、朱雀院に常に参上し、常日頃親しく伺候していらっしゃった方なので、この宮を父帝が大切になさっていらっしゃったご意向など、詳細に拝見していて、いろいろなご縁談があったころから申し出で、院におかせられても、「出過ぎた者とはお思いでなく、おっしゃりもしなかった」と聞いていたが、このようにご降嫁になったのは、大変に残念で、胸の痛む心地がするので、やはり諦めることができない。
 
   その折より語らひつきにける女房のたよりに、御ありさまなども聞き伝ふるを慰めに思ふぞ、はかなかりける。
 
 そのころから親しくなっていた女房の口から、ご様子なども伝え聞きくのを慰めにしているのは、はかないことであった。
 
   「対の上の御けはひには、なほ圧されたまひてなむ」と、世人もまねび伝ふるを聞きては、  「対の上のご寵愛には、やはり圧倒されていらっしゃる」と、世間の人が噂しているのを聞いては、
   「かたじけなくとも、さるものは思はせたてまつらざらまし。
 げに、たぐひなき御身にこそ、あたらざらめ」
 「恐れ多いことだが、そのような辛い思いはおさせ申さなかったろうに。
 いかにも、そのような高いご身分の相手には、相応しくないだろうが」
   と、常にこの小侍従といふ御乳主をも言ひはげまして、  と、いつもこの小侍従という御乳母子を責めたてて、
   「世の中定めなきを、大殿の君、もとより本意ありて思しおきてたる方に赴きたまはば」  「世の中は無常なものだから、大殿の君が、もともと抱いていらしたご出家をお遂げなさったら」
   と、たゆみなく思ひありきけり。
 
 と、怠りなく思い続けていらっしゃるのであった。
 
 
 

第四段 柏木ら東町に集い遊ぶ

 
   弥生ばかりの空うららかなる日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督など参りたまへり。
 大殿出でたまひて、御物語などしたまふ。
 
 三月ころの空がうららかに晴れた日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督などが参上なさった。
 大殿がお出ましになって、お話などなさる。
 
   「静かなる住まひは、このごろこそいとつれづれに紛るることなかりけれ。
 公私にことなしや。
 何わざしてかは暮らすべき」
 「静かな生活は、このごろ大変に退屈で気の紛れることがないね。
 公私とも平穏無事だ。
 何をして今日一日を暮らせばよかろう」
   などのたまひて、  などとおっしゃって、
   「今朝、大将のものしつるは、いづ方にぞ。
 いとさうざうしきを、例の、小弓射させて見るべかりけり。
 好むめる若人どもも見えつるを、ねたう出でやしぬる」
 「今朝、大将が来ていたが、どこに行ったか。
 何とももの寂しいから、いつものように、小弓を射させて見物すればよかった。
 愛好者らしい若い人たちが見えていたが、惜しいことに帰ってしまったかな」
   と、問はせたまふ。
 
 と、お尋ねさせなさる。
 
   「大将の君は、丑寅の町に、人びとあまたして、鞠もて遊ばして見たまふ」  「大将の君は、丑寅の町で、人々と大勢して、蹴鞠をさせて御覧になっていらっしゃる」
   と聞こしめして、  とお聞きになって、
   「乱りがはしきことの、さすがに目覚めてかどかどしきぞかし。
 いづら、こなたに」
 「無作法な遊びだが、それでも派手で気の利いた遊びだ。
 どれ、こちらで」
   とて、御消息あれば、参りたまへり。
 若君達めく人びと多かりけり。
 
 といって、お手紙があったので、参上なさった。
 若い公達らしい人々が多くいたのであった。
 
   「鞠持たせたまへりや。
 誰々かものしつる」
 「鞠をお持たせになったか。
 誰々が来たか」
   とのたまふ。
 
 とお尋ねになる。
 
   「これかれはべりつ」  「誰それがおります」
   「こなたへまかでむや」  「こちらへ来ませんか」
   とのたまひて、寝殿の東面、桐壺は若宮具したてまつりて、参りたまひにしころなれば、こなた隠ろへたりけり。
 遣水などのゆきあひはれて、よしあるかかりのほどを尋ねて立ち出づ。
 太政大臣殿の君達、頭弁、兵衛佐、大夫の君など、過ぐしたるも、まだ片なりなるも、さまざまに、人よりまさりてのみものしたまふ。
 
 とおっしゃって、寝殿の東面は、桐壷の女御は若宮をお連れ申し上げていらっしゃっている折なので、こちらはひっそりしていた。
 遣水などの合流する所が広々としていて、趣のある場所を探しに出て行く。
 太政大臣の公達の、頭弁、兵衛佐、大夫の君などの、年輩者も、また若い者も、それぞれに、他の人より立派な方ばかりでいらっしゃる。
 
 
 

第五段 南町で蹴鞠を催す

 
   やうやう暮れかかるに、「風吹かず、かしこき日なり」と興じて、弁君もえしづめず立ちまじれば、大殿、  だんだん日が暮れかかって行き、「風が吹かず、絶好の日だ」と興じて、弁君も我慢できずに仲間に入ったので、大殿が、
   「弁官もえをさめあへざめるを、上達部なりとも、若き衛府司たちは、などか乱れたまはざらむ。
 かばかりの齢にては、あやしく見過ぐす、口惜しくおぼえしわざなり。
 さるは、いと軽々なりや。
 このことのさまよ」
 「弁官までが落ち着いていられないようだから、上達部であっても、若い近衛府司たちは、どうして飛び出して行かないのか。
 それくらいの年では、不思議にも見ているのは、残念に思われたことだ。
 とはいえ、とても騒々しいな。
 この遊びの有様はな」
   などのたまふに、大将も督君も、皆下りたまひて、えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。
 をさをささまよく静かならぬ、乱れごとなめれど、所から人からなりけり。
 
 などとおっしゃると、大将も督君も、みなお下りになって、何ともいえない美しい桜の花の蔭で、あちこち動きなさる夕映えの姿、たいそう美しい。
 決して体裁よくなく、騒々しく落ち着きのない遊びのようだが、場所柄により人柄によるものであった。
 
   ゆゑある庭の木立のいたく霞みこめたるに、色々紐ときわたる花の木ども、わづかなる萌黄の蔭に、かくはかなきことなれど、善き悪しきけぢめあるを挑みつつ、われも劣らじと思ひ顔なる中に、衛門督のかりそめに立ち混じりたまへる足もとに、並ぶ人なかりけり。
 
 趣のある庭の木立がたいそう霞に包まれたところに、何本もの色とりどりに蕾の開いて行く花の木が、わずかに芽のふいた木の蔭で、このようにつまらない遊びだが、上手下手の違いがあるのを競い合っては、自分も負けまいと思っている顔つきの中で、衛門督がほんのお付き合いの顔で参加なさった蹴り方に、並ぶ人がいなかった。
 
   容貌いときよげに、なまめきたるさましたる人の、用意いたくして、さすがに乱りがはしき、をかしく見ゆ。
 
 器量もたいそう美しく優雅な物腰の人が、心づかいを十分して、それでいて活発なのは見事である。
 
   御階の間にあたれる桜の蔭に寄りて、人びと、花の上も忘れて心に入れたるを、大殿も宮も、隅の高欄に出でて御覧ず。
 
 御階の柱間に面した桜の木蔭に移って、人々が、花のことも忘れて熱中しているのを、大殿も兵部卿宮も隅の高欄に出て御覧になる。
 
 
 

第六段 女三の宮たちも見物す

 
   いと労ある心ばへども見えて、数多くなりゆくに、上臈も乱れて、冠の額すこしくつろぎたり。
 大将の君も、御位のほど思ふこそ、例ならぬ乱りがはしさかなとおぼゆれ、見る目は、人よりけに若くをかしげにて、桜の直衣のやや萎えたるに、指貫の裾つ方、すこしふくみて、けしきばかり引き上げたまへり。
 
 たいそう稽古を積んだ技の数々が見えて、回が進んで行くにつれて、身分の高い人も無礼講となって、冠の額際が少し弛んで来た。
 大将の君も、ご身分の高さを考えれば、いつにない羽目の外しようだと思われるが、見た目には、人よりことに若く美しくて、桜の直衣の少し柔らかくなっているのを召して、指貫の裾の方が、少し膨らんで、心もち引き上げていらっしゃった。
 
   軽々しうも見えず、ものきよげなるうちとけ姿に、花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。
 督の君続きて、
 軽率には見えず、さっぱりとした寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかるので、ちょっと見上げて、撓んだ枝を少し折って、御階の中段辺りにお座りになった。
 督の君も続いて、
   「花、乱りがはしく散るめりや。
 桜は避きてこそ」
 「花びらが、しきりに散るようですね。
 桜は避けて吹いてくれればよいに」
   などのたまひつつ、宮の御前の方を後目に見れば、例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ。
 
 などとおっしゃりながら、宮の御前の方角を横目に見やると、いつものように、格別慎みのない女房たちがいる様子で、色とりどりの袖口がこぼれ出ている御簾の端々から、透影などが、春に供える幣袋かと思われて見える。
 
 
 

第七段 唐猫、御簾を引き開ける

 
   御几帳どもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人びとおびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましき心地す。
 
 御几帳類をだらしなく方寄せ方寄せして、女房がすぐ側にいて世間ずれしているように思われるところに、唐猫でとても小さくてかわいらしいのを、ちょっと大きめの猫が追いかけて、急に御簾の端から走り出すと、女房たちは恐がって騷ぎ立て、ざわざわと身じろぎし、動き回る様子や、衣ずれの音がやかましいほどに思われる。
 
   猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、物にひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾の側いとあらはに引き開けられたるを、とみにひき直す人もなし。
 この柱のもとにありつる人びとも、心あわたたしげにて、もの懼ぢしたるけはひどもなり。
 
 猫は、まだよく人に馴れていないのであろうか、綱がたいそう長く付けてあったが、物に引っかけまつわりついてしまったので、逃げようとして引っぱるうちに、御簾の端がたいそうはっきりと中が見えるほど引き開けられたのを、すぐに直す女房もいない。
 この柱の側にいた人々も慌てているらしい様子で、誰も手が出ないでいるのである。
 
 
 

第八段 柏木、女三の宮を垣間見る

 
   几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。
 階より西の二の間の東の側なれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。
 
 几帳の側から少し奥まった所に、袿姿で立っていらっしゃる方がいる。
 階から西の二間の東の端なので、隠れようもなくすっかり見通すことができる。
 
   紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。
 御髪のすそまでけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七、八寸ばかりぞ余りたまへる。
 御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。
 夕影なれば、さやかならず、奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。
 
 紅梅襲であろうか、濃い色薄い色を、次々と、何枚も重ねた色の変化、派手で、草子の小口のように見えて、桜襲の織物の細長なのであろう。
 お髪が裾までくっきりと見えるところは、糸を縒りかけたように靡いて、裾がふさふさと切り揃えられているのは、とてもかわいい感じで、七、八寸ほど身丈に余っていらっしゃる。
 お召し物の裾が長く余って、とても細く小柄で、姿つき、髪のふりかかっていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど気高くかわいらしげである。
 夕日の光なので、はっきり見えず、奥暗い感じがするのも、とても物足りなく残念である。
 
   鞠に身を投ぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人びと、あらはをふともえ見つけぬなるべし。
 猫のいたく鳴けば、見返りたまへる面もち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。
 
 蹴鞠に夢中になっている若公達の、花の散るのを惜しんでもいられないといった様子を見ようとして、女房たちは、まる見えとなっているのを直ぐには気がつかないのであろう。
 猫がひどく鳴くので、振り返りなさった顔つき、態度などは、とてもおっとりとして、若くかわいい方だと、直観された。
 
 
 

第九段 夕霧、事態を憂慮す

 
   大将、いとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶきたまへるにぞ、やをらひき入りたまふ。
 さるは、わが心地にも、いと飽かぬ心地したまへど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。
 
 大将は、たいそうはらはらしていたが、近寄るのもかえって身分に相応しくないので、ただ気づかせようと、咳ばらいなさったので、すっとお入りになる。
 実の所、自分ながらも、とても残念な気持ちがなさったが、猫の綱を放したので、溜息をもらさずにはいられない。
 
   まして、さばかり心をしめたる衛門督は、胸ふとふたがりて、誰ればかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。
 
 それ以上に、あれほど夢中になっていた衛門督は、胸がいっぱいになって、他の誰でもない、大勢の中ではっきりと目立つ袿姿からも、他人と間違いようもなかったご様子など、心に忘れられなく思われる。
 
   さらぬ顔にもてなしたれど、「まさに目とどめじや」と、大将はいとほしく思さる。
 わりなき心地の慰めに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いと香ばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、好き好きしきや。
 
 何気ない顔を装っていたが、「当然見ていたにちがいない」と、大将は困った事になったと思わずにはいられない。
 たまらない気持ちの慰めに、猫を招き寄せて抱き上げてみると、とてもよい匂いがして、かわいらしく鳴くのが、慕わしい方に思いなぞらえられるとは、好色がましいことであるよ。
 
 
 

第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴

 
 

第一段 蹴鞠の後の酒宴

 
   大殿御覧じおこせて、  大殿がこちらを御覧になって、
   「上達部の座、いと軽々しや。
 こなたにこそ」
 「上達部の座席には、あまりに軽々しいな。
 こちらに」
   とて、対の南面に入りたまへれば、みなそなたに参りたまひぬ。
 宮もゐ直りたまひて、御物語したまふ。
 
 とおっしゃって、東の対の南面の間にお入りになったので、皆そちらの方にお上りになった。
 兵部卿宮も席をお改めになって、お話をなさる。
 
   次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。
 さるべき乾物ばかりして、御土器参る。
 
 それ以下の殿上人は、簀子に円座を召して、気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。
 適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。
 
   衛門督は、いといたく思ひしめりて、ややもすれば、花の木に目をつけて眺めやる。
 大将は、心知りに、「あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ」と思ひたまふ。
 
 衛門督は、たいそうひどく沈みこんで、ややもすれば、花の木に目をやってぼんやりと物思いに耽っている。
 大将は、事情を知っているので、「妙なことから垣間見た御簾の透影を思い出しているのだろう」とお考えになる。
 
   「いと端近なりつるありさまを、かつは軽々しと思ふらむかし。
 いでや。
 こなたの御ありさまの、さはあるまじかめるものを」と思ふに、「かかればこそ、世のおぼえのほどよりは、うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」
 「とても端近にいた様子を、一方では軽率だと思っているだろう。
 いやはや。
 こちらのご様子は、あのようなことは決してありますまいものを」と思うと、「こんなふうだから、世間の評判が高い割には、内々のご愛情は薄いようなのだった」
   と思ひ合はせて、  と合点されて、
   「なほ、内外の用意多からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、うしろめたきやうなりや」  「やはり、他人に対しても自分に対しても、不用心で、幼いのは、かわいらしいようだが不安なものだ」
   と、思ひ落とさる。
 
 と、軽んじられる。
 
   宰相の君は、よろづの罪をもをさをさたどられず、おぼえぬものの隙より、ほのかにもそれと見たてまつりつるにも、「わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや」と、契りうれしき心地して、飽かずのみおぼゆ。
 
 宰相の君は、いろんな欠点をもなかなか気づかず、思いがけない御簾の隙間から、ちらっとその方と拝見したのも、「自分の以前からの気持ちが報いられるのではないか」と、前世からの約束も嬉しく思われて、どこまでもお慕い続けている。
 
 
 

第二段 源氏の昔語り

 
   院は、昔物語し出でたまひて、  院は、昔話を始めなさって、
   「太政大臣の、よろづのことにたち並びて、勝ち負けの定めしたまひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。
 はかなきことは、伝へあるまじけれど、ものの筋はなほこよなかりけり。
 いと目も及ばず、かしこうこそ見えつれ」
 「太政大臣が、どのような事でも、わたしを相手にして勝負の争いをなさった中で、蹴鞠だけはとても敵わなかった。
 ちょっとした遊び事には、別に伝授があるはずもないが、名人の血統はやはり特別であったよ。
 たいそう目も及ばぬほど、上手に見えた」
   とのたまへば、うちほほ笑みて、  とおっしゃると、ちょっと苦笑して、
   「はかばかしき方にはぬるくはべる家の風の、さしも吹き伝へはべらむに、後の世のため、異なることなくこそはべりぬべけれ」  「公の政務にかけては劣っております家風が、そのような方面では伝わりましても、子孫にとっては、大したことはございませんでしょう」
   と申したまへば、  とお答え申されると、
   「いかでか。
 何ごとも人に異なるけぢめをば、記し伝ふべきなり。
 家の伝へなどに書き留め入れたらむこそ、興はあらめ」
 「どうしてそんなことが。
 何事でも他人より勝れている点を、書き留めて伝えるべきなのだ。
 家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」
   など、戯れたまふ御さまの、匂ひやかにきよらなるを見たてまつるにも、  などと、おからかいになるご様子が、つやつやとして美しいのを拝見するにつけても、
   「かかる人にならひて、いかばかりのことにか心を移す人はものしたまはむ。
 何ごとにつけてか、あはれと見ゆるしたまふばかりは、なびかしきこゆべき」
 「このような方と一緒にいては、どれほどのことに心を移す人がいらっしゃるだろうか。
 いったい、どうしたら、かわいそうにとお認め下さるほどにでも、気持ちをお動かし申し上げることができようか」
   と、思ひめぐらすに、いとどこよなく、御あたりはるかなるべき身のほども思ひ知らるれば、胸のみふたがりてまかでたまひぬ。
 
 と、あれこれ思案すると、ますますこの上なく、お側には近づきがたい身分の程が自然と思い知らされるので、ただもう胸の塞がる思いで退出なさった。
 
 
 

第三段 柏木と夕霧、同車して帰る

 
   大将の君一つ車にて、道のほど物語したまふ。
 
 大将の君と同車して、途中お話なさる。
 
   「なほ、このころのつれづれには、この院に参りて、紛らはすべきなりけり」  「やはり、今ごろの退屈な時には、こちらの院に参上して、気晴らしすべきだ」
   「今日のやうならむ暇の隙待ちつけて、花の折過ぐさず参れ、とのたまひつるを、春惜しみがてら、月のうちに、小弓持たせて参りたまへ」  「今日のような暇な日を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」
   と語らひ契る。
 おのおの別るる道のほど物語したまうて、宮の御事のなほ言はまほしければ、
 と約束し合う。
 お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
   「院には、なほこの対にのみものせさせたまふなめりな。
 かの御おぼえの異なるなめりかし。
 この宮いかに思すらむ。
 帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで、屈したまひにたらむこそ、心苦しけれ」
 「院におかれては、やはり東の対の御方にばかりいらっしゃるようですね。
 あちらの方へのご愛情が格別勝るからでしょう。
 こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。
 院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようなのは、お気の毒なことです」
   と、あいなく言へば、  と、よけいな事を言うので、
   「たいだいしきこと。
 いかでかさはあらむ。
 こなたは、さま変はりて生ほしたてたまへる睦びのけぢめばかりにこそあべかめれ。
 宮をば、かたがたにつけて、いとやむごとなく思ひきこえたまへるものを」
 「とんでもないことです。
 どうしてそんなことがありましょう。
 こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさったお親しさの違いがおありなのでしょう。
 宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」
   と語りたまへば、  とお話しになると、
   「いで、あなかま。
 たまへ。
 皆聞きてはべり。
 いといとほしげなる折々あなるをや。
 さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。
 ありがたきわざなりや」
 「いや、黙って下さい。
 すっかり聞いております。
 とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。
 実のところ、並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。
 考えられないお扱いではないですか」
   と、いとほしがる。
 
 と、お気の毒がる。
 
 

479
 「いかなれば 花に木づたふ 鴬の
 桜をわきて ねぐらとはせぬ
 「どうして、花から花へと飛び移る鴬は
  桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう
 
   春の鳥の、桜一つにとまらぬ心よ。
 あやしとおぼゆることぞかし」
 春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。
 不思議に思われることですよ」
   と、口ずさびに言へば、  と、口ずさみに言うので、
   「いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ」と思ふ。
 
 「何と、つまらないおせっかいだ。
 やっぱり思った通りだな」と思う。
 
 

480
 「深山木に ねぐら定むる はこ鳥も
 いかでか花の 色に飽くべき
 「深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も
  どうして美しい花の色を嫌がりましょうか
 
   わりなきこと。
 ひたおもむきにのみやは」
 理屈に合わない話です。
 そう一方的におっしゃってよいものですか」
   といらへて、わづらはしければ、ことに言はせずなりぬ。
 異事に言ひ紛らはして、おのおの別れぬ。
 
 と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。
 他に話をそらせて、それぞれ別れた。
 
 
 

第四段 柏木、小侍従に手紙を送る

 
   督の君は、なほ大殿の東の対に、独り住みにてぞものしたまひける。
 思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細き折々あれど、
 督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で暮らしていらっしゃっるのであった。
 考えるところがあって、長年このような独身生活をしてきが、誰のせいでもなく自分からもの寂しく心細い時々もあるが、
   「わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむ」  「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」
   とのみ、心おごりをするに、この夕べより屈しいたく、もの思はしくて、  と、ばかり自負しているが、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、
   「いかならむ折に、またさばかりにても、ほのかなる御ありさまをだに見む。
 ともかくもかき紛れたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違への移ろひも軽々しきに、おのづからともかくものの隙をうかがひつくるやうもあれ」
 「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見たいものだ。
 何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」
   など思ひやる方なく、  などと、思いを晴らすすべもなく、
   「深き窓のうちに、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき」  「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているということだけでも、お知らせ申し上げられようか」
   と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やりたまふ。
 
 と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、いつものように、手紙をおやりになる。
 
   「一日、風に誘はれて、御垣の原をわけ入りてはべしに、いとどいかに見落としたまひけむ。
 その夕べより、乱り心地かきくらし、あやなく今日は眺め暮らしはべる」
 「先日、誘われて、お邸に参上致しましたが、ますますどんなにかわたしをお蔑すみなさったことでしょうか。
 その夕方から、気分が悪くなって、わけもなく今日は物思いに沈んで暮らしております」
   など書きて、  などと書いて、
 

481
 「よそに見て 折らぬ嘆きは しげれども
 なごり恋しき 花の夕かげ」
 「よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども
  あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます」
 
   とあれど、侍従は一日の心も知らねば、ただ世の常の眺めにこそはと思ふ。
 
 とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋煩いだろうと思う。
 
 
 

第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る

 
   御前に人しげからぬほどなれば、かの文を持て参りて、  御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って上がって、
   「この人の、かくのみ、忘れぬものに、言問ひものしたまふこそわづらはしくはべれ。
 心苦しげなるありさまも見たまへあまる心もや添ひはべらむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」
 「あの方が、このようにばかり、忘れられないといって、手紙を寄こしなさるのが面倒なことでございます。
 お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」
   と、うち笑ひて聞こゆれば、  と、にっこりして申し上げると、
   「いとうたてあることをも言ふかな」  「とても嫌なことを言うのね」
   と、何心もなげにのたまひて、文広げたるを御覧ず。
 
 と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。
 
   「見もせぬ」と言ひたるところを、あさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面赤みて、大殿の、さばかりことのついでごとに、  「見ていない」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事を自然とお思いつかれたので、お顔が赤くなって、大殿が、あれほど何かあるごとに、
   「大将に見えたまふな。
 いはけなき御ありさまなんめれば、おのづからとりはづして、見たてまつるやうもありなむ」
 「大将に見られたりなさらないように。
 子供っぽいところがおありのようだから、自然とついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」
   と、戒めきこえたまふを思し出づるに、  と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、
   「大将の、さることのありしと語りきこえたらむ時、いかにあはめたまはむ」  「大将が、こんなことがあったとお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」
   と、人の見たてまつりけむことをば思さで、まづ、憚りきこえたまふ心のうちぞ幼かりける。
 
 と、人が拝見なさったことをお考えにならないで、まずは、叱られることを恐がり申されるお考えとは、なんと幼稚な方よ。
 
   常よりも御さしらへなければ、すさまじく、しひて聞こゆべきことにもあらねば、ひき忍びて、例の書く。
 
 いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべき事でもないから、こっそりと、いつものように書く。
 
   「一日は、つれなし顔をなむ。
 めざましうと許しきこえざりしを、『見ずもあらぬ』やいかに。
 あな、かけかけし」
 「先日は、知らない顔をなさっていましたね。
 失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ないでもなかった』とは何ですか。
 まあ、嫌らしい」
   と、はやりかに走り書きて、  と、さらさらと走り書きして、
 

482
 「いまさらに 色にな出でそ 山桜
 およばぬ枝に 心かけきと
 「今さらお顔の色にお出しなさいますな
  手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと
 
   かひなきことを」  無駄なことですよ」
   とあり。
 
 とある。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 わび人の分きて立ち寄る木のもとは頼む蔭なく紅葉散りけり(古今集秋下-二九二 僧正遍昭)(戻)  
  出典2 老いぬればさらぬ別れもありと言へばいよいよ見まくほしき君かな(古今集雑上-九〇〇 在原業平母)(戻)  
  出典3 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)  
  出典4 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典5 塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花(古今集夏-一六七 凡河内躬恒)(戻)  
  出典6 我が世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ(新古今集雑中-一六五一 在原行平)人の世の老いを果てにしせましかば今日か明日かと急がざらまし(朝忠集-一〇)(戻)  
  出典7 青柳を 片糸によりて や おけや 鴬の おけや 鴬の 縫ふといふ笠は おけや 梅の花笠や(催馬楽-青柳)(戻)  
  出典8 我家は 帷(とばり)帳(ちやう)も 垂れたるを 大君来ませ 聟にせむ 御肴に 何よけむ 鮑(あはび)栄螺(さだを)か 石陰子(かせ)よけむ 鮑栄螺か 石陰子よけむ(催馬楽-我家)(戻)  
  出典9 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る(拾遺集雑秋-一一一六 女)(戻)  
  出典10 あけぐれの空にぞ我は迷ひぬる思ふ心のゆかぬまにまに(拾遺集恋二-七三六 源順)(戻)  
  出典11 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(古今集春上-四一 凡河内躬恒)(戻)  
  出典12 子城陰處猶残雪 衙鼓声前未有塵(白氏文集巻十六-九一一)(戻)  
  出典13 かつ消えて空に乱るる淡雪はもの思ふ人の心なりけり(後撰集冬-四七九 藤原蔭基)(戻)  
  出典14 白雪の色分きがたき梅が枝に友待つ雪ぞ消え残りたる(家持集-二八四)(戻)  
  出典15 折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く(古今集春上-三二 読人しらず)(戻)  
  出典16 梅が香を桜の花に匂はせて柳が枝に咲かせてしかな(後拾遺集春上-八二 中原致時)(戻)  
  出典17 世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)  
  出典18 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典19 いかにしてかく思ふことをだに人づてならで君に語らむ(後撰集恋五-九六一 藤原敦忠)(戻)  
  出典20 無き名ぞと人には言ひて有りぬべし心の問はばいかが答へむ(後撰集恋三-七二五 読人しらず)(戻)  
  出典21 むら鳥の立ちにし我が名今さらに事なしぶともしるしあらめや(古今集恋三-六七四 読人しらず)(戻)  
  出典22 よも恋ひじ我をば恋ひじ和泉なる信太の森の雫なるらむ(出典未詳-源氏釈所引)(戻)  
  出典23 春の池の玉藻に遊ぶ鳰鳥の足のいとなき恋もするかな(後撰集春中-七二 宮道高風)(戻)  
  出典24 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の蔭かは(古今集春下-一三四 凡河内躬恒)(戻)  
  出典25 こりずまに又も無き名は立ちぬべし人憎からぬ世にし住まへば(古今集恋三-六三一 読人しらず)(戻)  
  出典26 人知れぬ我が通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ(古今集恋三-六三二 在原業平)(戻)  
  出典27 忘るらむと思ふ心の疑ひに在りしよりけにものぞ悲しき(伊勢物語-四一)(戻)  
  出典28 いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな(伊勢物語-六五)(戻)  
  出典29 白露はうつしなりけり水鳥の青葉の山の色づく見れば(古今六帖二-九二一)紅葉する秋は来にけり水鳥の青葉の山の色づく見れば(古今六帖三-一四六八)(戻)  
  出典30 秋萩の下葉につけて目に近くよそなる人の心をぞ見る(拾遺集雑秋-一一一六 女)秋萩の下葉色づく今よりや一人ある人のいねがてにする(古今集秋上-二二〇 読人しらず)(戻)  
  出典31 我が宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ(後撰集恋四-八〇九 伊勢)(戻)  
  出典32 席田(むしろだ)の 席田の 伊津貫川(いつぬきがは)に や 住む鶴の 住む鶴の や 住む鶴の 千歳をかねてぞ 遊びあへる 千歳をかねてぞ 遊びあへる(催馬楽-席田)(戻)  
  出典33 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典34 従是西方過十万億仏土 有世界 名曰極楽(阿弥陀経)(戻)  
  出典35 身を捨てて山に入りにし我なれば熊の食らはむこともおぼえず(拾遺集物名-三八二 読人しらず)(戻)  
  出典36 仏此夜滅度 如薪尽火滅(法華経-序品)(戻)  
  出典37 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ(古今集恋一-五三五 読人しらず)(戻)  
  出典38 世の中は夢のわたりの浮き橋かうち渡りつつものをこそ思へ(出典未詳-源氏釈所引)(戻)  
  出典39 耶輸陀羅が福地の園に種蒔きて逢はむ必ず有為の都に(出典未詳-奥入所引)(戻)  
  出典40 吹く風よ心しあらばこの春の桜はよきて散らさざらなむ(出典未詳-源氏釈所引)春風は花のあたりをよきて吹け心づからやう移ろふと見む(古今集春下-八五 藤原好風)(戻)  
  出典41 久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしかな(拾遺集雑上-四七三 菅原道真母)(戻)  
  出典42 深山木に夜は来て鳴くはこ鳥の明けば帰らむことをこそ思へ(古今六帖六-四四八三)(戻)  
  出典43 楊家有女初長成 養在深窓人未識(白氏文集-五九六 長恨歌)(戻)  
  出典44 ふるさとは春めきにけりみ吉野の御垣の原を霞こめたり(詞花集春-三 平兼盛)(戻)  
  出典45 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日を眺め暮らさむ(古今集恋一-四七六 在原業平)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 おきたてまつりて--をきて(て/$)たてまつりて(戻)  
  校訂2 御年のほどよりはいとよく大人びさせたまひて--(/+御としの程よりはいとよくおとなひさせ給て)(戻)  
  校訂3 女宮たち--女御(御/$宮)たち(戻)  
  校訂4 おとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく--おと(と/+しめらるゝすくせあるなんいとくちお)しく(戻)  
  校訂5 おし拭ひ--をしのひ(ひ/$)こひ(戻)  
  校訂6 うつくしき--心(心/$)うつくしき(戻)  
  校訂7 げに--けには(は/$)(戻)  
  校訂8 悩ませたまふ--なやみ(み/$ま)せたまふ(戻)  
  校訂9 たてまつり--(/+たてまつり)(戻)  
  校訂10 御心寄せ--(/+御)心よせ(戻)  
  校訂11 末の世の--すゑのよに(に/$の)(戻)  
  校訂12 秋の行幸--秋(秋/+の)行幸(戻)  
  校訂13 ついでにも--(/+つ)いてにも(戻)  
  校訂14 申さるる折ははべらず--申さゝ(ゝ/$るゝ)るをり(り/+は)はゝへらす(戻)  
  校訂15 仕うまつりさして--つかうまつりて(て/$)さして(戻)  
  校訂16 なれど--な(な/$)なれと(戻)  
  校訂17 きよらなる--きよく(く/$ら)なる(戻)  
  校訂18 にか」と--*にと(戻)  
  校訂19 及ばぬ--をよはす(す/$ぬ)(戻)  
  校訂20 並び--ならひならひ(なたひ<後出>/$)(戻)  
  校訂21 撫でかしづき--なて(て/+かし)つき(戻)  
  校訂22 なめり--なめりかし(かし/$)(戻)  
  校訂23 頼もしげなる--たのもしけれ(れ/$)なる(戻)  
  校訂24 宮仕へ--みやつかひ(ひ/$へ<)(戻)  
  校訂25 深からざりけるをも--ふかゝらさり(り/+ける)をも(戻)  
  校訂26 負ひ--おも(も/$)ひ(戻)  
  校訂27 おのれらが--をの(の/+れ)らか(戻)  
  校訂28 うけひき--うけけ(け/$)ひき(戻)  
  校訂29 なびき--な(な/+ひ)き(戻)  
  校訂30 はべらめ--はへらす(す/$め)(戻)  
  校訂31 同じ--おなな(な/$)(戻)  
  校訂32 宿世--すき(き/$く)せ(戻)  
  校訂33 ありさま--ありさま/\(/\/$)(戻)  
  校訂34 見ゆめる--みゆめるを(を/$)(戻)  
  校訂35 きこゆな--きこゆな(な/=なる)(戻)  
  校訂36 のたまはする--の給はすゑの(ゑの/$る)(戻)  
  校訂37 言どもの--*こともの(戻)  
  校訂38 動かざらむ--たゝ(たゝ/$うこか)さらむ(戻)  
  校訂39 限りなく--かきりなき(き/$く)(戻)  
  校訂40 親しく--したしき(き/$く)(戻)  
  校訂41 ことども--*ことも(戻)  
  校訂42 ことなるを、よく思し召しめぐらすべきことなり--ことな(な/+るをよくおほしめくらすへき事也)り(戻)  
  校訂43 御後見--*御うしろ(戻)  
  校訂44 よそに--よそき(き/$)に(戻)  
  校訂45 たてまつる--(/+た)てまつる(戻)  
  校訂46 あらねど--あらぬ(ぬ/$ね)と(戻)  
  校訂47 聞きおきたてまつり--きゝをきて(て/$)たてまつり(戻)  
  校訂48 あめれば--あめる(る/#れ)は(戻)  
  校訂49 御裳着--御も(も/+き)(戻)  
  校訂50 このたび--このた(た/#)たひ(戻)  
  校訂51 唐物--からも(も/$)もの(戻)  
  校訂52 御とぶらひいとこちたし。
 贈り物ども--(/+御とふらひいとこちたし送り物とも)(戻)
 
  校訂53 いみじく--(/いみしくおほしいりたるをこしらへかね給てこを思道はかきりありけりかくおもひしみ給へるわかれのたへかたくもあるかなとて御心みたれぬへけれとあなかちに御けうそくにかゝり給て山のさすよりはしめて御いむことのあさり三人さふらひてほうふくなとたてまつるほとこのよをわかれ給御さほう$)いみしく(戻)  
  校訂54 変はりたま--(/+かはりたま)(戻)  
  校訂55 たてまつり--(/+たてまつり)(戻)  
  校訂56 たまひつつ--給へる(へる/$つゝ)(戻)  
  校訂57 起こして--おこし(し/+て)(戻)  
  校訂58 疎かに--おろ(ろ/+そ)かに(戻)  
  校訂59 御護りめ--御(御/$)御まもりめ(戻)  
  校訂60 なりしかど--な(な/+り)しかと(戻)  
  校訂61 続けしには--つゝけしにも(も/$は)(戻)  
  校訂62 めざましきものに--めさましき?(?/#もの)に(戻)  
  校訂63 言ひ出づる--(/+い)ひいつる(戻)  
  校訂64 うちほほゆがみ--うちともなくをのつから(ともなくをのつから/$)ほをゆかみ(戻)  
  校訂65 思はず--お(お/+も)はす(戻)  
  校訂66 なさじ--なさむ(む/$し)(戻)  
  校訂67 忍びたれど--しのひたれは(は/$と)(戻)  
  校訂68 御儀式--(/+御)きしき(戻)  
  校訂69 払ひしつらはれたり--はこ(こ/$ら)ひしつらひ(ひ/$)はれたり(戻)  
  校訂70 御具--御(御/+く)(戻)  
  校訂71 四つ--よ(よ/+つ)(戻)  
  校訂72 尚侍の君--かむのき(き/+み)(戻)  
  校訂73 うつくしくて--うつくし(し/+く)て(戻)  
  校訂74 参れり--(/+ま)いれり(戻)  
  校訂75 召さず。
 御笛など、太政大臣の、その--(/+めさす御ふえなとおほきおとゝのその)(戻)
 
  校訂76 衛門督の固く否ぶるを責めたまへば--(/+衛門のかみのかたくいなふるをせめたまへは)(戻)  
  校訂77 継がぬ--つ(つ/+か)ぬ(戻)  
  校訂78 伝へ--つる(る/$た)へ(戻)  
  校訂79 賜はり--給はる(る/$り)(戻)  
  校訂80 御遊び--御(御/+あ)そひ(戻)  
  校訂81 御心--御(御/$)御心(戻)  
  校訂82 御帳--御帳丁(丁/$)(戻)  
  校訂83 かの院--こ(こ/=か)の院(戻)  
  校訂84 よりも--よ(よ/+り)も(戻)  
  校訂85 かれは--かれはかれは(かれは<後出>/$)(戻)  
  校訂86 ありしを--ありしに(に/$)を(戻)  
  校訂87 また--又△△(△△/#)(戻)  
  校訂88 うしろめたく--うしろめたな(な/$)く(戻)  
  校訂89 おはす--おも(も/$)はす(戻)  
  校訂90 心寄せ--心よ(よ/+せ)(戻)  
  校訂91 宵居--よ(よ/+ひ)ゐ(戻)  
  校訂92 つらし--つく(く/$ら)し(戻)  
  校訂93 独りごたる--ひとりみ(み/$こ)たる(戻)  
  校訂94 残れる--のこ(こ/+れ)る(戻)  
  校訂95 ことことしく--うと(うと/=こと)/\しく(戻)  
  校訂96 のたまひ--の給て(給て/$)たまひ(戻)  
  校訂97 多うは--おほゆれ(ゆれ/$)うは(戻)  
  校訂98 わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚り--かゝり(かゝり/$わつらはしくいかにきくところやなとはゝかり)(戻)  
  校訂99 えはるけで--(/+え)はるけて(戻)  
  校訂100 聞こえにくく--きこえ(え/+に)くゝ(戻)  
  校訂101 うしろめたくは--うしろめたくも(も/$は)(戻)  
  校訂102 女の装束--女はう(はう/$のさ)うそく(戻)  
  校訂103 ととのひ果て--とゝのひ(ひ/+は)て(戻)  
  校訂104 あれど--あは(は/$)れと(戻)  
  校訂105 など--なとに(に/$)(戻)  
  校訂106 しりばかり--しり(り/+はかり)(戻)  
  校訂107 かくおぼめかしき--(/+かく)おほし(し/$)めかしき(戻)  
  校訂108 塞きがたく--せきかたき(き/$く)(戻)  
  校訂109 一たび--ひとた(た/+ひ)(戻)  
  校訂110 心強くも--心つよからぬ(からぬ/$くも)(戻)  
  校訂111 梢--み(み/$こ)すゑ(戻)  
  校訂112 とぢめには--とちめ(め/+に)は(戻)  
  校訂113 なめる--なり(り/$め)る(戻)  
  校訂114 加へ--*(/+く)は(は/$ら)へ(戻)  
  校訂115 対の上--たいのうへに(に/$)(戻)  
  校訂116 聞こえ馴れ--きこえは(は/$)なれ(戻)  
  校訂117 ばかり--(/+はかり)(戻)  
  校訂118 御さま--おほさ(さ/$)むさむ(さむ/$)さま(戻)  
  校訂119 おどろかる--おとろい(い/$)かる(戻)  
  校訂120 香り--かは(は/$を)り(戻)  
  校訂121 さすれど--さすれは(は/$と)(戻)  
  校訂122 身--事(事/$身)(戻)  
  校訂123 言ふ--ゆ(ゆ/$い)ふ(戻)  
  校訂124 夏--なれ(れ/$つ)(戻)  
  校訂125 二つ、唐の地--ふた??(??/#つから)のち(ち/=らイ)(戻)  
  校訂126 など、目--なとの(の/$め)(戻)  
  校訂127 用意--(/+ようい)(戻)  
  校訂128 鶴の毛衣に思ひまがへらる。
 御遊び--(/+つるのけ衣に思まかへらる御あそひ)(戻)
 
  校訂129 ましか--ましかは(は/$)(戻)  
  校訂130 何ごとにつけてか--なにことも(も/$に)つけても(も/$か)(戻)  
  校訂131 させ--きか(きか/$さ)せ(戻)  
  校訂132 など--なとの(の/$)(戻)  
  校訂133 賜ふ--た(た/$)たまふ(戻)  
  校訂134 こちたき--こ△△(△△/#ちた)き(戻)  
  校訂135 ことどもは--ことゝも(も/+は)(戻)  
  校訂136 はべらぬや--はへらぬや△(△/#)(戻)  
  校訂137 渡り参り--つかうまつらせ(つかうまつらせ/$わたりまいり)(戻)  
  校訂138 賜ふ--(/+たまふ)(戻)  
  校訂139 君の--き(き/+み)の(戻)  
  校訂140 京へ--京(京/+へ)(戻)  
  校訂141 泣けば--なき(き/$け)は(戻)  
  校訂142 泣き--なけ(け/$)き(戻)  
  校訂143 人びと--み(み/$人/\)(戻)  
  校訂144 思ひ消ち--おもひて(て/$)けち(戻)  
  校訂145 振る舞ふと--ふるまふは(は/$と)(戻)  
  校訂146 あてなるさまして、目艶やかに--(/+あてなるさましてめつやゝかに)(戻)  
  校訂147 思ひて--思ひ(ひ/+て)(戻)  
  校訂148 ゐたり--ゐたりし(し/$)(戻)  
  校訂149 御迎湯に--御むかへゆ(ゆ/+に)(戻)  
  校訂150 うちうちの--うち/\の△(△/#)(戻)  
  校訂151 さる--さ(/$)さる(戻)  
  校訂152 つたなき--つた△(△/#)なき(戻)  
  校訂153 俗--そゝ(ゝ/$く)(戻)  
  校訂154 信ずべき--しんの心を(の心を/$)すへき(戻)  
  校訂155 思うたまへ--おもむき(むき/$ふ)たまへ(戻)  
  校訂156 果たし--はた(た/+し)(戻)  
  校訂157 娑婆--さはり(り/$)(戻)  
  校訂158 沈の--ちむ(む/+の)(戻)  
  校訂159 はるけき--は(は/+る)けき(戻)  
  校訂160 下りし--くたりしける(ける/$)(戻)  
  校訂161 思へり--おもふ(ふ/$へ)り(戻)  
  校訂162 だに--(/+た)に(戻)  
  校訂163 御方は--御かた(た/+は)(戻)  
  校訂164 よその人--よ(よ/+そ)の人(戻)  
  校訂165 似ぬ--(/+似)ぬ(戻)  
  校訂166 かくて--かくし(し/$)て(戻)  
  校訂167 出でつつ、聞こえさせたまふめる。
 院も、ことのついでに--いてに(に/$つゝ聞えさせ給める院もことのつゐてに)(戻)
 
  校訂168 かね言なれど--*かねこと(戻)  
  校訂169 御心づかひ--御(御/+心)つかひ(戻)  
  校訂170 心苦しがり--心くるし(し/+かり)(戻)  
  校訂171 せさせたまへ--せさり(り/$せ)給へ(戻)  
  校訂172 漏らさせ--もら(ら/+さ)せ(戻)  
  校訂173 ものづつみし--ものつゝま(ま/$み)し(戻)  
  校訂174 こなたに渡りてこそ見たてまつりたま--(/+こなたにわたりてこそ見たてまつりたま)(戻)  
  校訂175 さかしがり--さかしら(ら/$)かり(戻)  
  校訂176 めりかし--めりし(し/$かし)(戻)  
  校訂177 捨てて--す(す/$)すてゝ(戻)  
  校訂178 ななりな--なくも(くも/$なり)な(戻)  
  校訂179 思ひて--思ひ(ひ/+て)(戻)  
  校訂180 泣きたまふ。
 寄りたまひて--なけ(け/$)き給て(て/$より給て)(戻)
 
  校訂181 大臣は--おとゝを(を/$は)(戻)  
  校訂182 たまひける--給ひに(に/$)ける(戻)  
  校訂183 いふべきには--いふへきにも(も/$は)(戻)  
  校訂184 我ながら--われも(も/$)なから(戻)  
  校訂185 知らせ--しらせむ(む/$)(戻)  
  校訂186 一言--(/+ひと)こと(戻)  
  校訂187 ねむごろに--(/+ねむ)ころに(戻)  
  校訂188 けれと--けれれ(れ<後出>/$)と(戻)  
  校訂189 かどかどしく--かと/\しき(き/$く)(戻)  
  校訂190 思はむには--おも(も/+は)むには(戻)  
  校訂191 忍びやかに--しのひ(ひ/+や)かに(戻)  
  校訂192 儀式--きぬ(ぬ/$)しき(戻)  
  校訂193 さればめる--されさり(さり/#は)める(戻)  
  校訂194 つかず--つかぬ(ぬ/$す)(戻)  
  校訂195 院に--院(院/+に)(戻)  
  校訂196 御けはひには--御けはひ(ひ/+に)は(戻)  
  校訂197 大殿の君--も(も/$おとゝ)のきみ(戻)  
  校訂198 つれづれに--つれ/\に△(△/#)(戻)  
  校訂199 小弓--ふ(ふ/$こ)ゆき(き/$)み(戻)  
  校訂200 べかりけり--へかりける(る/=り)(戻)  
  校訂201 町に--ま(ま/+ち)に(戻)  
  校訂202 鞠--ま△(△/#)り(戻)  
  校訂203 たまふ--給て(て/$)(戻)  
  校訂204 所から--*心から(戻)  
  校訂205 間にあたれる桜の蔭に寄りて、人々、花の--(/+まにあたれるさくらのかけによりて人/\花の)(戻)  
  校訂206 に、花--はな(はな/$に花)(戻)  
  校訂207 雪の--ゆきのゆきの(ゆきの<後出>/$)(戻)  
  校訂208 しをれたる--しほ△れ(△れ/$れたる)(戻)  
  校訂209 追ひ続きて--をひき(き/$)つゝきて(戻)  
  校訂210 薄き--うすきに(に/$)(戻)  
  校訂211 ささやか--さく(さく/$さゝ)やか(戻)  
  校訂212 ことや--ことも(も/$)や(戻)  
  校訂213 昔--むかし△(△/#)(戻)  
  校訂214 まかで--まかり(り/$)て(戻)  
  校訂215 まほし--ま(ま/+ほ)し(戻)  
  校訂216 といらへて--(/+と)いらへて(戻)  
  校訂217 ならず--ならぬ(ぬ/$す)(戻)  
  校訂218 あれど--あは(は/$)れと(戻)  
  校訂219 軽々しきに--かる/\しき(き/+に)(戻)  
  校訂220 ともかく--とかく(とかく/$ともかくも)(戻)  
  校訂221 侍従は一日--(/+侍従は一日)(戻)  
  校訂222 知らねば--しらぬ(ぬ/$ね)は(戻)  
  校訂223 なげに--なけれ(れ/$)に(戻)  
  校訂224 ことの--(/+こと)の(戻)  
  校訂225 めざましう--めさましく(く/$う)(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)明融臨模本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。
 明融本ほぼ定家自筆本とほぼ同等に扱われているという。