古事記~佐比持神(一尋和邇) 原文対訳

探下逆鉤針
謀反逆転
古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
佐比持神
一尋和邇
兄の下僕化
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故各隨己
身之尋長。
かれおのもおのもおのが
身の尋長たけのまにまに、
そこでそれぞれに
自分の身の長さのままに
限日而白之中。 日を限りて白す中に、 日數を限つて申す中に、
一尋和邇。 一尋鰐白さく、 一丈の鰐わにが
白僕者
一日送。
「僕あは
一日に送りまつりて、
「わたくしが
一日にお送り申し上げて
即還來。 やがて還り來なむ」とまをしき。 還つて參りましよう」と申しました。
     
故爾告其
一尋和邇。
かれここにその
一尋鰐に告りたまはく、
依つてその
一丈の鰐に
然者
汝送奉。
「然らば
汝送りまつれ。
「それならば
お前がお送り申し上げよ。
渡海中時 もし海わた中を渡る時に、 海中を渡る時に
無令惶畏 な惶畏かしこませまつりそ」とのりて、 こわがらせ申すな」と言つて、
即載
其和邇之頸。
すなはちその鰐の頸に
載せまつりて、
その鰐の頸に
お乘せ申し上げて
送出。 送り出しまつりき。 送り出しました。
     
故如期 かれ期ちぎりしがごと はたして約束通り
一日之内
送奉也。
一日の内に
送りまつりき。
一日に
お送り申し上げました。
     
其和邇
將返之時。
その鰐
返りなむとする時に、
その鰐が
還ろうとした時に、
解所
佩之紐小刀。
佩かせる紐小刀を
解かして、
紐の附いている小刀を
お解きになつて、
著其頸
而返。
その頸に著けて
返したまひき。
その鰐の頸につけて
お返しになりました。
     
故其一尋和邇者。 かれその一尋鰐は、 そこでその一丈の鰐をば、
於今謂
佐比持神也。
今に佐比持
さひもちの神といふ。
今でも
サヒモチの神と言つております。

 

探下逆鉤針
謀反逆転
古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
佐比持神
一尋和邇
兄の下僕化

解説

 
 

渡海中時=渡来、和邇=渡来人


 
 「渡海中時」という言葉で、海中にいたことを表わしている。
 訳註はそう見ないが、こう見ないと上の国に行くとしつつ、海中を通る意味が不明(また豊玉姫も出産の時に海原から出てきたとしている)。
 

 これはワニと合わせ、実際には海中ではなく、海洋の中を渡ってきたという例え(ただし物語としては海中の話。それによる暗示)。
 つまり渡来人の系譜。ワニ(王仁・和邇)は向こうの名前。
 

 前段の「上国」に行く(上る)は、大和と倭を掛けている。
 
 

佐比持神=サチに掛かる神

 
 
 小刀と掛けた佐比持(サヒモチ)の神を、訳註は「鋤を持つている神。サヒは鋤であり武器でもある」とするが、鋤(スキ)はどこから出てくるのか。
 そんな文字はどこにもないし、鋤にサヒという読みもない。いざという時の一揆用の武器だろうか?
 それより紐小刀はどこにいったのか?
 
 紐で首からさげたのが鋤というのはありえないし、文脈からサヒモチは紐小刀によっている。よってスキの意味ではない。
 紐の小刀はお守り。武器ではない(役にたたない)。まして小さい武器をワニに渡す文脈がない(怖がらせるなと言っているのに)。
 なぜ文面に根拠ないことを簡単に断定するのか。思考全般の問題。
 
 山佐知母。己之佐知佐知。
 海佐知母。已之佐知佐知。
 このようにサチ(幸と不幸)の入れかえは一大テーマであったから、ここでのサチとヒモが、佐比持が、どのような意味をもつか考えなければならない。
 

 太刀と対比させ(対=ツイタチ・一日)、小刀をサチとかけてよむ。
 サチ(佐知=幸)がわかれて真ん中に紐が通っている。それがワニにかかっている。ひもをかけるに掛けて。
 色んな読み方ができるが、ここでの文脈では、この国のサチは外国(大国)にかかっていると見れる。
 
 この国の帝を象徴するホオリは何もせず、ただ言われるままにしただけ。
 他人の幸せをとって使いこんで無くして、その問題を放り投げ、向き合わない。
 ただ器の(豊)玉に唾をつけ、三年いちゃつき大嘆きし、言われるがまま動いた。
 大国の後ろ盾を欲する国。
 
 

身之尋長=身の丈相応

 
 
 八尋はワニ(王仁)とあわさり大陸の含みで、一尋は和邇で半島(「身之尋長」)。
 これがあの有名な(?)身の丈発言。ここでのホオリも弟である。
 続く「故如期」は相応に対応。身の丈相応は出過ぎを戒める言葉。
 
 これは他国ではなく、自国に向けた物語。
 ギャング行為や奴隷獲得など、クダラないことを企まないようにと(派兵出兵・何々経済圏、外にうってでる)。
 どじこもっていろというのか、そういう人達はいつでも金・市場だけが目当て。
 座して死を待つことなどない。だからそういう人達が存在していられる。延々危機を自分達で作り出す人達。
 もとを辿れば自らに原因を求めない、すぐよそのせいにする文明の成熟度(野蛮度)。
 

 近時、人に対して「器ではない」が用いられるが、器とは先天的にその目的で造られたという意味。
 器ではないと見られる存在が、心をいれかえても器たりえない。
 それで造られた(生まれた)以上器はかわらない。
 それを認めないまま「器ではない」といっても、民に選任されれば、その人にとっては器たる資格は認められたことになる。