古事記 焼津の由来~原文対訳

美夜受比賣 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
4 焼津の由来
弟橘比賣命
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

道速振=ちはやぶる

     
故爾到
相武國之時。
かれここに
相武さがむの國に到ります時に、
ここに
相摸の國においで遊ばされた時に、
其國造
詐白。
その國の造、
詐いつはりて白さく、
その國の造が
詐いつわつて言いますには、
於此野中。
有大沼。
「この野の中に大きなる沼あり。 「この野の中に大きな沼があります。
住是沼中之神。 この沼の中に住める神、 その沼の中に住んでいる神は
道速振神也。 いとちはやぶる神なり」とまをしき。 ひどく亂暴な神です」と申しました。
     
於是看行其神。 ここにその神を看そなはしに、 依つてその神を御覽になりに、
入坐其野。 その野に入りましき。 その野においでになりましたら、
爾其國造。 ここにその國の造、 國の造が
火著其野。 その野に火著けたり。 野に火をつけました。
     

倭姫の知恵袋(草薙+火打→草刈?)

     
故知見欺而。 かれ欺かえぬと知らしめして、 そこで欺かれたとお知りになつて、
解開
其姨倭比賣命之所給
嚢口
而見者。
その姨みをば
倭比賣の命の給へる
嚢ふくろの口を解き開けて
見たまへば、
叔母樣の
ヤマト姫の命のお授けになつた
嚢の口を解いてあけて
御覽になりましたところ、
火打有其嚢。 その裏うちに火打あり。 その中に火打ひうちがありました。
     
於是先以
其御刀
苅撥草。
ここにまづ
その御刀みはかしもちて、
草を苅り撥はらひ、
そこでまず
御刀をもつて
草を苅り撥はらい、
以其火打而。 その火打もちて その火打をもつて
打出火。 火を打ち出で、 火を打ち出して、
著向火而。 向火むかへびを著けて こちらからも火をつけて
燒退。 燒き退そけて、 燒き退けて
     
還出。 還り出でまして、 還つておいでになる時に、
皆切滅。
其國造等。
その國の造どもを
皆切り滅し、
その國の造どもを
皆切り滅し、
即著火燒。 すなはち火著けて、燒きたまひき。 火をつけてお燒きなさいました。
     
故其地者。
於今謂
燒津也。
かれ今に
燒遣やきづといふ。
そこで今でも
燒津やいずといつております。