平家物語 巻第七 清水冠者 原文

巻第六
横田河原合戦
平家物語
巻第七
清水冠者
しみずのかんじゃ
北国下向
異:清水冠者

 
 寿永二年三月上旬に、兵衛佐と木曾の冠者義仲、不快の事ありけり。
 

 兵衛佐は木曾追討のためにその勢十万余騎で、信濃国へ発向す。木曾はその頃依田の城にありけるが、これを聞いて依田の城を出でて、信濃と越後の境、熊坂山に陣を取る。兵衛佐は同じき国、善光寺に着き給ふ。
 木曾、乳母子の今井四郎兼平を使者で、兵衛佐のもとへ遣はす。
 「いかなる仔細のあれば、義仲討たんとは宣ふなるぞ。御辺は東八箇国を討ち従へて、東海道より攻め上り、平家を追ひ落とさんとし給ふなり。義仲も東山北陸両道を従へて、今一日も先に平家を攻め落とさんとする事でこそああれ。何の故にか、御辺と義仲と仲を違うて、平家に笑はれんとは思ふべき。ただし十郎蔵人殿こそ御辺を恨むる事ありとて、義仲がもとへおはしたるを、義仲さへすげなうもてなし申さん事、いかんぞや候へば、うちつれ申したれ。まつたく義仲においては御辺に意趣思ひ奉らず」といひつかはす。
 兵衛佐の返事には、「今こそさやうに宣へども、確かに頼朝討つべき由、謀叛の企てありと申す者あり。それにはよるべからず」とて、土肥、梶原を先として、すでに討手を差し向けらるる由聞こえしかば、木曾、真実意趣なき由をあらはさんがために、嫡子に清水冠者義重とて、生年十一歳になる小冠に、海野、望月、諏訪、藤沢などいふ、聞こゆる兵どもをつけて、兵衛佐のもとへ遣はす。
 兵衛佐、「この上はまことに意趣なかりけり。頼朝いまだ成人の子を持たず。よしよし、さらば子にし申さん」とて、清水冠者を相具して、鎌倉へこそ帰られけれ。
 

巻第六
横田河原合戦
平家物語
巻第七
清水冠者
しみずのかんじゃ
北国下向
異:清水冠者