伊勢物語 87段:布引の滝 あらすじ・原文・現代語訳

第86段
おのがさまざま
伊勢物語
第三部
第87段
布引の滝
第88段
月をもめでじ

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 

  男の家:芦屋の里 なだの塩焼き 山のかみ 
 

  布引の滝(男達の物見遊山):白絹 滝の歌 ぬき乱る 
 

  帰り道:うせにし宮内卿 蛍かも 
 
  家の女方:浮海松 女方 わたつみの(こわいカミさん)
 
 

 

 

布引の滝:白絹に岩を包めらむやう

「白絹に岩を包めらむやう」
 写真はグーグルストリートビューより。
 

布引の滝:さる滝のかみに、わらふだの大きさして、さしいでたる石あり。

さる滝のかみに、わらふだの大きさして、さしいでたる石あり。
わらふだ=丸い敷物。円座。
 

布引の滝:その石のうへに走りかゝる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。

その石のうへに走りかゝる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。
 
まなくもちるか 袖のせばきにとは、右下の部分。
袖で水を受け止めきれない? 意味不明すぎるので違う。
 

あらすじ

 
 
 むかし男が莵原・芦屋の灘に住んだ(赴任した)時の話。
 (莵原=壮士+娘子にかかる万葉語。だから近衛の連中が集まってくる)
 
 灘は、尼崎の先にあり、(海)女達が常に忙しくしている所。
 それを尻目に衛府督(衛府のカミ)など、偉そうな男達がワラワラ集まって、物見遊山がてら布引の滝でブラブラする。
 
 そんで遊んで家に帰って「わだつみの」。わーうちのカミ(神)さんキター!
 ウチの女方(御台所)の子が一番偉かったというオチ(妻は24段で既に果てているので、恐らくはその子との子)。
 
 ~
 

 「さる滝のかみに、わらふだの」。
 わらふだとは、尻に敷く敷物。これを女の尻に敷かれるとかける。13段(武蔵鐙=尻敷に掛ける馬具)と同様。
 
 滝を前にして、衛府督(77段・藤原常行)は灘にかけて真面目な涙の歌を詠んだのに、かたや昔男は白玉にかけたおかしな歌で笑いを誘う。
 これだけでも、男は業平ではない。衛府督に相当するのは、77段で右大将常行しか出てきていない。
 79段で在原行平は中納言とし、101段で左兵衛督とするのとは区別している(かぶらないように)。
 そして77段・78段は、常行が部下の業平をいじる話。
 77段の歌を著者がよくもないと評しているのは、常行の歌の師匠が著者ということ。だから衛府督の後で歌っている。
 
 上で玉を飛ばしている人がいて袖で受けきれない
 →× そんな子供みたいな内容な訳ない。
 
 「とよめりければ、かたへの人笑ふことにやありけむ」
 →この素晴らしい歌の前では自分の歌はお笑い草だ
 →× 後だっつの。それにそんな素晴らしい歌なの?
 玉を乱れ飛ばして受けきれない? どこが素晴らしいの。スーパー玉出ですか。
 
 
 男の家でなぜか女方(後宮の暗語)が出てきて、宮内卿(カミ・長官)も消えていたのは、おなご(女子)を避けている文脈。
 
 亡くなった長官の家などと突如出してくる解釈
 →× 全く脈絡がない。「いはふ藻」とも相容れない。
 
 おいオッサンども、わいが取ったこの藻、有難く食えよ。
 いや、この人達そこまでザコじゃないのよ。
 心と頭脳は子どもだけど、見た目はオッサンだからね。
 
 いやこれ全部、恐るべきカミさんと(見えない所で仕事している)、それを畏れない子供達(遊んでいる人々)の揶揄ではないか。
 それが色々なレベルで折り重なっている。
 
 ~
 

 この段の一般の解釈は問題が多い。長いこともあいまって、全く脈絡がない。
 古今923などの認定に基づいて、「むかし男」を業平と決めつけるからおかしくなる。
 領地云々、在原云々、どれ一つ文中にない。「在」すらない。
 

 伊勢の著者は、在五=在原なりける男=馬頭を、断固拒絶している。
 「在五」「けぢめ見せぬ心」(63段)、「馬頭なりける人…その人の名忘れにけり」(82段)
 

 しるよし(知る由)は、縁・ゆかりという意味。それが「便りにて」という言葉にでる。
 それで赴任している。東下り・陸奥の話と同じ。
 領るよしなどとは当てれない。そういう意味も読みもない。
 家の前で子供が海藻を拾ってきて食べる。これが領地云々の家の話? ありえない。
 

 だから業平説(古今の認定)は間違い。
 

 この段は、全体に悲しい雰囲気などではない。物見遊山で笑ってるがな。
 朋遠方より來たる有り亦樂しからずや。って聞いたことあるでしょ。まさにそれ。
 

 在原氏の衰退? なにそのセコい悲しみ。
  
 「この男のこのかみも衛府督なりけり」が兄の行平って何?
 「男のこのかみ」で、どうして兄になるの? あ~塗籠に書いてあるか~。塗籠はすぐこういうことする(84段)。
 「男のこ」は、後段の「めのこども」と合わせて、男の子供しかない。
 っていやいや、辞書で「このかみ 【兄】」としているがな! 違うがな! どんだけ業平好きなんだよ。呪いの類?
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第87段 布引の滝(瀧)
   
 むかし、男、 昔、男、  昔男。
  津の国莵原の郡 つのくにむばらのこほり、 津の國むばらのこほり
  芦屋の里にしるよしして、 あしやのさとにしるよしゝて、 あしやの里にしるよしありて。
  いきて住みけり。 いきてすみけり。 いきてすみけり。
  昔の歌に、 むかしのうたに、 むかしのうたに。
       

157
 あしの屋の
 なだの塩焼きいとまなみ
 あしのやの
 なだのしほやきいとまなみ
 蘆のやの
 灘の鹽燒いとまなみ
  黄楊の小櫛も
  ささず来にけり
  つげのをぐしも
  さゝずきにけり
  つけの小櫛も
  さゝてきにけり
       
  とよみけるぞ、この里をよみける。 とよみけるぞ、このさとをよみける。 とよめるは。この里をよめるなり。
  ここをなむ芦屋の灘とはいひける。 こゝをなむあしやのなだとはいひける。 こゝをなんあし屋のなだとはいひけり。
       
  この男、なま宮仕へしければ、 このおとこ、なまみやづかへしければ、 此男なま宮づかへしければ。
  それを便りにて、 それをたよりにて、 それをたより。
  衛府佐ども集まり来にけり。 ゑふのすけどもあつまりきにけり。 ゑふのすけどもあつまりきにけり。
  この男のこのかみも
衛府督なりけり。
このおとこのこのかみも
ゑふのかみなりけり。
この男のあにも
ゑふのかみなりけり。
       
  その家の前の そのいへのまへの その家の
  海のほとりに遊びありきて、 海のほとりにあそびありきて、 海のほとりにあそびありきて。
  いざ、この山のかみにありといふ いざ、この山のかみにありといふ、 いざこの山のうへにありといふ
  布引の滝見にのぼらむ ぬのびきのたき見にのぼらむ、 ぬのびきのたき見にのぼらん
  といひてのぼり見るに、 といひてのぼりて見るに、 といひて。のぼりてみるに。
  その滝ものよりことなり。 そのたき、物よりことなり。 そのたき物よりことなり。
  ながさ二十丈、 ながさ二十丈、 たかさ廿丈ばかり。
  ひろさ五丈ばかりなる ひろさ五丈ばかりなる ひろさ五丈(尺一本)餘ばかりある
  石のおもて、 いしのおもてに、 石のおもてに。
  白絹に岩を包めらむやうに
なむありける。
しらぎぬにいはをつゝめらむやうに
なむありける。
しろききぬにいしをつゝみたらんやうに
なん有ける。
       
  さる滝のかみに、 さるたきのかみに、 さる瀧のかみに。
  わらふだの大きさして、 わらうだのおほきさして、 わらふだばかりにて
  さしいでたる石あり。 さしいでたるいしあり。 さし出たるいしあり。
  その石のうへに走りかゝる水は、 そのいしのうへにはしりかゝる水は、 その石のうへにはしりかゝる水。
  小柑子、栗 せうかうじ、くり せうかうじ(くり一本)
  の大きさにて のおほきさにて ばかりのおほきさにて
  こぼれ落つ。 こぼれおつ。 こぼれおつ。
       
  そこなる人にみな滝の歌よます。 そこなる人にみなたきのうたよます。 そこなる人にうたよます。
  かの衛府督まづよむ。 かのゑふのかみまづよむ。 このゑふのかみまづよむ。
       

158
 わが世をば
 けふかあすかと待つかひの
 わが世をば
 けふかあすかとまつかひの
 我世をは
 けふかあすかとまつかひの
  涙のたきと
  いづれたかけむ
  涙のたきと
  いづれたかけむ
  淚の瀧と
  いつれ勝れり
       
  あるじ、つぎによむ。 あるじ、つぎによむ。 つぎにあるじよむ。
       

159
 ぬき乱る
 人こそあるらし白玉の
 ぬきみだる
 人こそあるらしゝらたまの
 ぬき亂る
 人こそ有らめ白玉の
  まなくもちるか
  袖のせばきに
  まなくもちるか
  そでのせばきに
  まなくもちるか
  袖のせはきに
       
  とよめりければ、 とよめりければ、 とよめりければ。
  かたへの人、笑ふことにやありけむ、 かたへの人、わらふ事にやありけむ、 かたへの人わらふにや有けむ。
  この歌にめでて止みにけり。 このうたにめでゝやみにけり。 この歌をよみてやみけり。
  帰くる道遠くて、 かへりくるみちとをくて、 かへりくるみちとをくて。
  うせにし宮内卿もちよしが うせにし宮内卿もちよしが うせにし宮內卿もとよしが
  家の前くるに日暮れぬ。 家のまへくるに、日くれぬ。 家のまへすぐるに日くれぬ。
  やどりの方を見やれば、 やどりのかたを見やれば、 やどりのかたを見やれば。
  あまのいさり火おほく見ゆるに、 あまのいさりする火、おほく見ゆるに、 あまのいさりする火おほくみるに。
  かのあるじの男よむ。 かのあるじのおとこよむ。 このあるじのおとこよむ。
       

160
 はるゝ夜の
 星か河辺の蛍かも
 はるゝ夜の
 ほしか河辺のほたるかも
 はるゝ夜の
 星か河邊の螢かも
  わが住むかたの
  あまのたく火か
  わがすむ方に
  あまのたく火か
  我すむかたの
  蜑の燒火か
       
  とよみて家に帰りきぬ。 とよみて、家にかへりきぬ。 とよみて。みなかへりきぬ。
       
  その夜、南の風吹きて、 その夜、みなみのかぜふきて、 そのよみなみの風ふきて。
  浪いとたかし。 なみいとたかし。 なごりのなみいとたかし。
  つとめて、その家のめのこども出でて、 つとめて、その家のめのこどもいでゝ、 つとめてその家のめのこどもいでて。
  浮海松の波によせられたる拾ひて、 うきみるの浪によせられたるひろひて、 うきみるの浪によせられたるをひろひて。
  家のうちにもてきぬ。 いへのうちにもてきぬ。 いゑにもとてきぬ。
       
  女方より、その海松を高坏にもりて、 女がたより、そのみるをたかつきにもりて、 女がたより。そのみるをたかつきにもりて。
  かしはをおほひていだしたる、 かしはをおほひていだしたる、 かしはおほひて出したり。
  かしはにかけり。 かしはにかけり。 そのかしはにかくかけり。
       

161
 わたつみの
 かざしにさすといはふ藻も
 わたつうみの
 かざしにさすといはふもゝ
 わたつ海の
 かさしにさすと祝ふもゝ
  君がためには
  惜しまざりけり
  きみがためには
  おしまざりけり
  君か爲には
  惜まさり鳬
       
  田舎人の歌にては、 ゐなかびとのうたにては、 ゐなかの人の歌にては。
  あまけりや、たらずや。 あまれりやたらずや。 あまれりやたらずや。
   

現代語訳

 
 

芦屋の里

 

むかし、男、
津の国莵原の郡、芦屋の里にしるよしして、いきて住みけり。

 
 
むかし男
 むかし男が、
 

津の国、莵原(むばら)の郡、芦屋の里に
 摂津国、今の兵庫県芦屋市に
 

しるよしして
 知る由あって(縁あって赴任し)
 
 由(よし)は由来という意味。これは意図的にぼかした表現。
 男は自身の属性は明らかにしない。これは男のポリシー(しのぶ心。初段にも出てくるし、69段「人目しげければ逢はず」)。
 
 だから、「むかし男」は「在五」(63段)「在原なりける男」(65)ではない。
 まずこの表記自体否定的だし、在原は後宮に「人の見るをも知でのぼり」とある(65)。だからありえない。こういう所を悉く無視するのが業平説。
 
 「しるよし」は初段にも出てくるが、
 しるを「領る」と当てて、領地所有や別荘などとみるのは無理。
 何より、「しる」の語義、「領」の読みにそのような意味はない。
 加えて、「むかし男」の「身はいやし」(84)、地下(81段で親王達を前に地面を這うような描写がある)。
 このような記述は一貫している(23・24段:田舎出身、10段:父はなほ人)。
 つまり領地とかいう訳は、初段で業平が狩をしたとかいう勝手な思い込みに基づいている。
 
 よし=由=縁とは、間接的つながりという意味だが、この物語では、33段(こもり江)のこと。
 「むかし、男、津の国、菟原の郡にかよひける(女)」。
 本段末尾(田舎人の歌にては、あまけりやたらずや)と「田舎人のことにては、よしやあしや」で確実に符合。
 この話はその女と関係ないが、ここで端的に芦屋と出すことに表わされる。
 
 なお、ことあるたび業平の兄行平が須磨に流されたという話がもちだされるが、
 その根拠が古今にしかないなら、それはまず、65段で在原なりける男(業平)が流されたことと混同している。
 まさか「在原なりける男」を行平と見たのだろうか。都合良過ぎてありえない解釈だが、ありえてしまうところが逆に凄い。
 確実に業平死後の114段の歌だけ突如行平の歌と認定されるから、何も不思議ではない。ほんとオカミの考えることは場当たり的ですわね。今も昔も。
 

いきて住みけり
 行って住んだ。
 
 

なだの塩焼き

 

昔の歌に、
 
あしの屋の なだの塩焼きいとまなみ
 黄楊の小櫛も ささず来にけり
 
とよみけるぞ、この里をよみける。
ここをなむ芦屋の灘とはいひける。

 
志賀の海女は め苅り塩焼き いとま無み 髪梳(くしげ)の小櫛(をくし) 取りも見なくに万葉集0278・石川女郎

 あしの屋の なだの塩焼き いとまなみ 黄楊の小櫛も ささず来にけり(伊勢)
 
 万葉の歌と中心の三の句を重ねていることから、明らかに、志賀を芦屋に置き換えた著者の翻案。
 「昔の歌」って自分の歌だろ!というギャグ。め(昆布)かりを抜いているが、これは本段後段で出現するので確実。
 
 
昔の歌に
 
 これは万葉集を念頭においている。「莵原」は万葉で壮士(≒硬派な男)にかけられる言葉(だからここでも衛府が出てくる)。
 33段もその文脈(仕事で女の所に通っている。縫殿の六歌仙。後宮用の≒高級女物の服の仕立て。これをただ女通いと見るのがどれだけ浅い見方か)。
 知名度のある「芦屋」とだけせず、「莵原」もつけたのはそのアピール。
 

あしの屋の なだの塩焼き いとまなみ
 葦の屋の 灘の塩焼き 暇なく
 

 葦(芦)
 :水辺に生えるイネ科の多年草。小さい舟のたとえ。
 
 葦の屋
 :葦で屋根をふいた、粗末な小屋。
 
 灘
 :せ。はやせ(ここでは、はよせいと掛けて)。
 水が浅く流れが急な危険な航路。
 

 しほやき 【塩焼き】
 :海水を煮詰め塩を作ること。またその人。
 

 いとま 【暇】
 :ゆとり。ひま。余暇。
 

黄楊(つげ)の小櫛も ささず来にけり
 ツゲの漕ぐしも ささずに来るほど(忙しい)
 

とよみけるぞこの里をよみける
 と詠んでいるのはこの里のことである。
 

ここをなむ芦屋の灘とはいひける
 それでここを芦屋の灘というのである。
 
 このような説明は、竹取と同じ。
 
 

この男、なま宮仕へしければ、
それを便りにて、衛府佐ども集まり来にけり。
この男のこのかみも衛府督なりけり。

 
 
この男なま宮仕へしければ
 この男(著者)、なまじ宮仕えをしていたので
 

 なま【生】:
 ①なんとなく。いくらか。なまじ。
 ②未熟な。世なれない。中途半端な。
 
 これは謙遜。宮内卿など出てくるが、謙遜。
 

それを便りにて、衛府佐ども集まり来にけり
 それを頼りにし、衛府(今で言う軍)の佐官達が集まってきた。
 

この男のこのかみも衛府督(えふのかみ)なりけり
 この男の子の上司も、衛府の長官であった。
 

 ここで初めて男には子がいると出てくる。これは後段の「めのこども」と対比させて明らか。
 

 この点、塗籠は「この男のあにもゑふのかみなりけり」とするが誤り。
 定家はぶれていないし、そこで連続している「この」男の「この」かみを無視することは無理。
 業平ありきの、安易な改変。
 
 「衛府督」は、これまで右大将藤原常行が出てきた(77、78段)。武官最高位・右近衛大将(大納言)なので、この人しかいない。
 77段で常行の批評をさらに批評していること、本段の歌がリンクすることからもそういえる。つまり男は、この常行の歌の師匠。
 
 77段では、宮中(著者の勤める後宮)の法要を通し、常行が歌を人々に詠ませる描写があった。そこでのつながりが「なま宮仕え」「便り」の一例。
 子というのは衛府と縁深いことを示す意味。
 

 他方、行平も左兵衛督(101段)と明示されるが、この段以前には中納言(79段)とされるのみなので、違う。
 それに、101段では著者は、行平を暗に非難している(藤原の客人の面前で藤原の不幸を言った業平を咎めなかった)。
 つまり、二条の后もそうだが、藤原には好意的でありこそすれ(母が宮→藤原。84段・10段)、在原を立てる動機は皆無。むしろ全否定。
 

 そして、在五は大将の歌に、笑える歌で返せるような立場ではない(78段)。
 
 

山のかみ

 

その家の前の海のほとりに遊びありきて、
いざ、この山のかみにありといふ布引の滝見にのぼらむ
といひてのぼり見るに、その滝ものよりことなり。

 
 
その家の前の
 その男の家の前の
 

海のほとりに遊びありきて
 海のほとりに遊び歩いて(散歩して)
 

いざこの山のかみにありといふ
 いざこの山(六甲山)の上にあるという
 
 先の衛府のかみと掛けている。布引の滝は神滝ということとも、かけている。
 

布引の滝見にのぼらむ
 布引の滝を見に登ろう
 
 布引の滝:神戸三宮駅直上、新神戸駅の間近にある観光地。
 

といひてのぼり見るに
 といって、登って見ると
 

その滝、ものよりことなり
 その滝、普通のものとは異なっていた。
 
 

白絹

 

ながさ二十丈、ひろさ五丈ばかりなる石のおもて、
白絹に岩を包めらむやうになむありける。
さる滝のかみに、わらふだの大きさして、さしいでたる石あり。
その石のうへに走りかゝる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。

 
 
ながさ二十丈ひろさ五丈ばかりなる
 長さは60m、広さは15mばかりで、
 
 ぢゃう 【丈】
 :一丈は十尺で、約三メートル。
 
 単体ではなく全体を合わせて。複数段差がある。
 

石のおもて
 石の表面が
 

白絹に岩を包めらむやうになむありける
 あたかも白い絹に岩を包むようであった。
 

さる滝のかみに
 その滝の上に
 

わらふだの大きさして、さしいでたる石あり
 

 わらふだ 【藁蓋】
 敷物の一種。藁などを渦巻き状に平らに編んで作ったもの。
 「ゑんざ(円座)」に同じ。
 

その石のうへに走りかゝる水は
 その石の上に走りかかる水は、
 

小柑子(せうかうじ)、栗の大きさにてこぼれ落つ
 小さなミカンや、栗の大きさでこぼれ落ちていた。
 
 

滝の歌

 

そこなる人にみな滝の歌よます。
かの衛府督まづよむ。
 
わが世をば けふかあすかと待つかひの
 涙のたきと いづれたかけむ

 
 
そこなる人にみな滝の歌よます
 そこにいる人にみな滝の歌を詠ませる。
 
 この展開も77段(安祥寺)、78段(山科の宮)と同じ。
 77段 歌を詠む人々を召しあつめて、 けふのみわざを題にて、 春の心ばへある歌を奉らせ給ふ。
 78段 人々に歌よませ給ふ。
 
 「みな」とあることから、上下関係がうかがえるが。

 

かの衛府督まづよむ
 かの提督がまず詠む。
 
 普通大将は最後だが、大トリがいるから先に詠む。
 この構図は、81段(塩釜)でもそうだった。親王達の宴会で謎の翁が出現して最後に歌を歌う。
 というのも、歌の実力が宮中に認められていたから。だから家も名も何もない、ただの役人なのに歌仙。
 
 これは帝に重用されたということ。114段(芹川行幸)で狩に同行するように。柿本人麻呂と全く同じ構図(卑官・男の身はいやし。84段)。
 それが69段(狩の使)における「常の使よりは、この人、よくいたはれ」という伊勢斎宮の親の発言。斎宮の親とは帝。
 (一般にはこれを母親と見るが違う。その文脈がないし、69段末尾では「文徳天皇の御むすめ(惟喬の親王の妹)」と明示されている)
 
 だから81段でその翁が親王達の前で「わが帝六十余国」という立てる発言もしている。
 これは威をかっている訳ではなくただの挨拶。だからそんな関係性を誰も考えやしない。
 
 「むかし男」のように自分を出さないのに、なぜ知られるようになったかというと、恐らく、縫殿で後宮の女官とその子供の近くにいたから。
 その片鱗が「むかし、男ありけり。わらはより仕うまつりける君」(85段。この君は惟喬親王)。
 翁というのも、目立たせないよう卑下している。それが「むかし男」。
 

わが世をば けふかあすかと 待つかひの
 わが世をば 今日か明日かと 待つ甲斐の
 

涙のたきと いづれたかけむ
 涙の滝と どちらが高い高さだろうか。
 
 う~ん。滝を涙にかけたと。中の句を「の」にするところなんて、中々じゃない。風情があるよ。
 ただちょっと大袈裟。特に後段、絶対盛ってるってわかる。こういうのはあまり良くないのよ。自然じゃないもの。
 自然を歌っているのだから、自然にしないとね。
 それで、
 
 

ぬき乱る

 

あるじ、つぎによむ。
 
ぬき乱る 人こそあるらし白玉の
 まなくもちるか 袖のせばきに
 
とよめりければ、かたへの人、笑ふ。
ことにやありけむ、この歌にめでて止みにけり。

 
 
あるじつぎによむ
 この場の主が次に詠む。
 
 業平ではない。77段・78段で馬頭は歌わされる側だった。
 
 さらに、この歌は古今923に収録され、業平のものと認定されるが誤り。
 伊勢を業平の日記とみなしたからこうなった。その認定に根拠が全くない。だから色々な事情と矛盾する。
 
 どこかにあった業平の歌を伊勢が参照したのでもない。
 むかし男は業平ではありえない。明確に区別して「在五」「在原なりける男」として非難している(63段・65段)。
 加えて、業平は歌をもとより知らないとしている(101段)。だからその業平を装う意味が、動機が全くない。
 しかし逆の意味ならある。業平が著者の威を借りる意味。だから六歌仙になっている。
 

ぬき乱る 人こそあるらし白玉の
 ヌキ乱れ 人にならある白玉の
 

まなくもちるか 袖のせばきに
 まもなく散るか 袖口狭さに(ソコから飛び散るように)
 

とよめりければ
 と(なぜか書いておいたクリにかけ、白い何かが、玉からとびちるブッカケねと)詠んだらば
 
 玉の緒・真珠・それを受け止める袖・などというように、次々想像で独自の言葉を補い、別の作品にしないように。
 自分の袖で滝を受けきれるはずなどない。そんな子供のような表現ではない。
 

かたへの人笑ふことにやありけむ
 そばにいる人が笑ったのであった。
 
 つまり白玉は「おかし」に掛けている。水玉(とびちるしぶき)と○玉にかけたギャグ。真珠などではない。
 これは6段の歌とかけて、確実な解釈(白玉かなにぞと人の問ひし時)。
 涙とくれば、その後は面白くするのは著者の定石。東下りがその典型。とはいえやはり一般はそう見ない。
 在原氏の悲哀など全く意味不明。そんなことは文中に一つもない。
 
 かたへ 【片方】
 :かたわら。そば。
 
 タマをバラバラにして、まいている人がいる? そんな人いるわけない。明らかに不自然。
 

この歌にめでて止みにけり
 この歌を(みなで)愛でて、そこで止めた。これにて打ち止め。
 
 

うせにし宮内卿

 

帰くる道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前くるに日暮れぬ。

 
 
帰くる道遠くて
 帰りくる道は遠く
 

うせにし宮内卿もちよし(△もとよし)が家の前くるに日暮れぬ
 どこかいっていた(亡くなった→×)宮内長官もちよしがうちの前に来た頃には、日が暮れた。
 

 うせる 【失せる】
 ①行きやがる。「行く」「去る」を卑しめていう語。
 ②来やがる。「来る」を卑しめていう語。
 
 失せを「亡くなった」(一般の見解)か「どこかに行っていた」と解するか、ここだけでは判断できないが
 歌に「いはふ藻」と岩生と祝ふをかけていること、後述の後宮を仄めかすもてなし方、から後者と解する。
 ここまで遊んでいた文脈から、突如亡くなった人を持ち出すことは不自然。途中ではぐれていたと見るのが普通でごく自然。
 

 くないきゃう 【宮内卿】
 :宮内省の長官。卿は省の第一位。
 
 このような人物が出てくる時点で、宮中での問題人物・業平は関係ない。
 呼び捨てや、名前を出すことは、基本的には好感の表れ。
 
 他方、
 「在五」「けぢめ見せぬ心」(63)、
 「在原なりける男」「つとめて主殿司の見るに、沓はとりて奥になげ入れてのぼりぬ」(65)、
 「馬頭なりける人…その人の名忘れにけり」(82)。
 
 

蛍かも

 

やどりの方を見やれば、
あまのいさり火おほく見ゆるに、かのあるじの男よむ。
 
はるゝ夜の 星か河辺の 蛍かも
 わが住むかたの あまのたく火か
 
とよみて家に帰りきぬ。

 
 
やどりの方を見やれば
 うちの方を見てみれば
 

 やどり 【宿り】
 ①旅先で泊まること。宿泊。
 ②住まい。住居。特に、仮の住居
 ③一時的にとどまること。また、その場所。
 

あまのいさり火おほく見ゆるに
 海人の漁火が多く見えたので
 

 いざりび 【漁り火】
 :夜の漁で魚を誘い集めるために船上でたく火。
 

かのあるじの男よむ
 かの主の男(むかし男)が詠む。
 

はるゝ夜の 星か河辺の 蛍かも
 晴れた夜の 星か 川辺の蛍かと 見まごうほどの
 

わが住むかたの あまのたく火か
 我が住む方の 海女の焚く火か
 

とよみて家に帰りきぬ
 と詠んで家に帰って来た。
 
 その心は、冒頭の歌と合わせ、一日中、灘の女達が働いているのだろうか。
 
 

浮海松

 

その夜、南の風吹きて、浪いとたかし。
つとめて、その家のめのこども出でて、浮海松の波によせられたる拾ひて、家のうちにもてきぬ。

 
 
その夜、南の風吹きて浪いとたかし
 その夜、南の風が吹いて浪がとても高く
 

つとめてその家のめのこども出でて
 早朝にその家の女の子供が出ていって
 

 つとめて
 :早朝。翌朝。
 
 これが出てきたのも、やはり65段で後宮の文脈(つとめて 主殿司の見るに)。
 あともう一つは、69段の伊勢斎宮との深夜の話「つとめていぶかしけれど」
 

浮海松の、波によせられたる拾ひて
 浮いている海藻の 浜に寄せられたのを拾って
 

 浮海松(うきみる)
 :根が切れて水に浮いている海松(松葉のような海藻)。
 

家のうちにもてきぬ
 家の中に持ってきた。
 
 うちを家(うち)にかけている。
 
 

女方

 

女方より、その海松を高坏にもりて、かしはをおほひていだしたる、かしはにかけり。

 
 
女方よりその海松を高坏にもりて
 台所からその海藻を高足の皿に盛って、
 

 女方
 :ここでは台所。
 一般的な言葉ではないだろう。
 この物語では後宮のこと言っていたので(65)、宮内卿がいることと掛けている。
 

 たかつき 【高坏】
 :円柱状の足つき皿。
 

かしはをおほひていだしたる
 柏の葉で覆って(上にかけて)出した。
 
 かしは 【柏・槲】:
 ①柏木。葉を食物を包むのに用いた。
 ②上代、食物を盛るのに用いる葉の総称。また食器の総称。
 

かしはにかけり
 その柏にかけて(詠む)
 
 

わたつみの

 

わたつみの かざしにさすといはふ藻も
 君がためには 惜しまざりけり
 
田舎人の歌にては、あまけりや、たらずや。

 
 
わたつみの かざしにさすと いはふ藻も
 海の神が 髪にさすという 岩に生ふ藻も
 

 わたつみ 【海神】
 :海の神、海、海原。
 
 ここでは海女にかけて。うちのカミさん(子供だけどそのような地位。上の立場。ただし実際の妻ではない。男の子供)。
 「君」は前段にも出てきて、これは梓弓の子のことを言っているので、その子との子供だろう。
 

君がためには 惜しまざりけり
 君のためには 惜しまないと
 

田舎人の歌にては、あまけりやたらずや
 田舎人の歌としては、海女じゃなくて、甘かったか(描写に都の風が入って生ぬるかったか)、
 それとも、(字余りに掛け)言葉足らずだったか(理解は厳しかったか)
 
 田舎人とは、著者の卑下した自称。間違っても女子供の歌ではない。
 そこらの田舎人が突如、和歌など歌うわけないし、歌えない。