源氏物語 37帖 横笛:あらすじ・目次・原文対訳

柏木 源氏物語
第二部
第37帖
横笛
鈴虫

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 横笛のあらすじ

 光源氏49歳の話。

 柏木の一周忌が巡ってきた。源氏薫〔源氏の妻女三宮と柏木の子〕の代わりに丁重な布施を贈った。裏の事情を知らない柏木の父致仕太政大臣〔かつての頭中将〕はそれに感謝し、悲しみを新たにする。

 女三宮の出家、落葉の宮の夫の死と、相次ぐ姫宮たちの不幸を嘆く朱雀院〔三宮の父〕から、女三宮のところにが贈られてきた。それを生えかけた歯でかじる薫を抱きながら、源氏は今までの人生を思い、また薫の幼いながらも高貴な面差に注目するのであった。

 秋の夕暮れ、夕霧〔源氏と葵の子〕は柏木の未亡人落葉の宮を見舞った。その帰途、落葉の宮の母一条御息所は、柏木の形見の横笛を夕霧に贈る。その夜の夢枕に柏木が立ち、笛を伝えたい人は他にあると夕霧に語る。

 後日、源氏のもとを訪れた夕霧は、明石の女御の御子たちと無心に遊ぶ薫に柏木の面影を見る。そして源氏に柏木の遺言と夢の話を伝えるが、源氏は話をそらし横笛を預かるとだけ言うのだった。

(以上Wikipedia横笛(源氏物語)より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#横笛(8首:別ページ)
主要登場人物
 
第37帖 横笛
 光る源氏の准太上天皇時代
 四十九歳春から秋までの物語
 
第一章 光る源氏の物語~薫の成長
 第一段 柏木一周忌の法要
 第二段 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る
 第三段 若君、竹の子を噛る
 
第二章 夕霧の物語~柏木遺愛の笛
 第一段 夕霧、一条宮邸を訪問
 第二段 柏木遺愛の琴を弾く
 第三段 夕霧、想夫恋を弾く
 第四段 御息所、夕霧に横笛を贈る
 第五段 帰宅して、故人を想う
 第六段 夢に柏木現れ出る
 
第三章 夕霧の物語~匂宮と薫
 第一段 夕霧、六条院を訪問
 第二段 源氏の孫君たち、夕霧を奪い合う
 第三段 夕霧、薫をしみじみと見る
 第四段 夕霧、源氏と対話す
 第五段 笛を源氏に預ける
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
四十九歳
呼称:六条の院・院・大殿・大殿の君
朱雀院(すざくいん)
源氏の兄
呼称:院・山の帝
女三の宮(おんなさんのみや)
源氏の正妻
呼称:入道宮・母宮・宮・君
薫(かおる)
柏木と女三宮の密通の子
呼称:宮の若君・若君・君
匂宮(におうのみや)
明石女御の子
呼称:三宮、今上帝の第三親王
二宮(にのみや)
明石女御の子
呼称:二宮、今上帝の第二親王
夕霧(ゆうぎり)
光る源氏の長男
呼称:大将の君・大将・男君・君
雲居雁(くもいのかり)
夕霧の北の方
呼称:上
致仕の大臣(ちじのおとど)
柏木の父
呼称:父大臣・大臣
四の君(しのきみ)
柏木の母
呼称:上
落葉宮(おちばのみや)
朱雀院の第二内親王
呼称:二の宮・一条の宮・宮
一条御息所(いちじょうのみやすんどころ)
落葉宮の母
呼称:御息所

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  横笛
 
 

第一章 光る源氏の物語 薫の成長

 
 

第一段 柏木一周忌の法要

 
   故権大納言のはかなく亡せたまひにし悲しさを、飽かず口惜しきものに、恋ひしのびたまふ人多かり。
 六条院にも、おほかたにつけてだに、世にめやすき人の亡くなるをば、惜しみたまふ御心に、まして、これは、朝夕に親しく参り馴れつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、いかにぞやと、思し出づることはありながら、あはれは多く、折々につけてしのびたまふ。
 
 故権大納言があっけなくお亡くなりになった悲しさを、いつまでも残念なことに、恋い偲びなさる方々が多かった。
 六条院におかれても、特別の関係がなくてさえ、世間に人望のある人が亡くなるのは、惜しみなさるご性分なので、なおさらのこと、この人は、朝夕に親しくいつも参上しいしい、誰よりもお心を掛けていらしたので、どうにもけしからぬと、お思い出しなさることはありながら、哀悼の気持ちは強く、何かにつけてお思い出しになる。
 
   御果てにも、誦経など、取り分きせさせたまふ。
 よろづも知らず顔にいはけなき御ありさまを見たまふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心のうちに、また心ざしたまうて、黄金百両をなむ別にせさせたまひける。
 大臣は、心も知らでぞかしこまり喜びきこえさせたまふ。
 
 ご一周忌にも、誦経などを、特別おさせになる。
 何事も知らない顔の幼い子のご様子を御覧になるにつけても、何といってもやはり不憫でならないので、内中密かに、また志立てられて、黄金百両を別にお布施あそばすのであった。
 父大臣は、事情も知らないで恐縮してお礼を申し上げさせなさる。
 
   大将の君も、ことども多くしたまひ、とりもちてねむごろに営みたまふ。
 かの一条の宮をも、このほどの御心ざし深く訪らひきこえたまふ。
 兄弟の君たちよりもまさりたる御心のほどを、いとかくは思ひきこえざりきと、大臣、上も、喜びきこえたまふ。
 亡き後にも、世のおぼえ重くものしたまひけるほどの見ゆるに、いみじうあたらしうのみ、思し焦がるること、尽きせず。
 
 大将の君も、供養をたくさんなさり、ご自身も熱心に法要のお世話をなさる。
 あの一条宮に対しても、一周忌に当たってのお心遣いも深くお見舞い申し上げなさる。
 兄弟の君たちよりも優れたお気持ちのほどを、とてもこんなにまでとはお思い申さなかったと、大臣、母上もお喜び申し上げなさる。
 亡くなった後にも、世間の評判の高くていらっしゃったことが分かるので、ひどく残念がり、いつまでも恋い焦がれること、限りがない。
 
 
 

第二段 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る

 
   山の帝は、二の宮も、かく人笑はれなるやうにて眺めたまふなり、入道の宮も、この世の人めかしきかたは、かけ離れたまひぬれば、さまざまに飽かず思さるれど、すべてこの世を思し悩まじ、と忍びたまふ。
 御行なひのほどにも、「同じ道をこそは勤めたまふらめ」など思しやりて、かかるさまになりたまて後は、はかなきことにつけても、絶えず聞こえたまふ。
 
 山の帝は、二の宮も、このように人に笑われるような境遇になって物思いに沈んでいらっしゃるといい、入道の宮も、現世の普通の人らしい幸せは、一切捨てておしまいになったので、どちらも物足りなくお思いなさるが、総じてこの世の事を悩むまい、と我慢なさる。
 御勤行をなさる時にも、「同じ道をお勤めになっているのだろう」などとお思いやりになって、このように尼になられてから後は、ちょっとしたことにつけても、絶えずお便りを差し上げなさる。
 
   御寺のかたはら近き林に抜き出でたる筍、そのわたりの山に掘れる野老などの、山里につけてはあはれなれば、たてまつれたまふとて、御文こまやかなる端に、  お寺近くの林に生え出した筍、その近辺の山で掘った山芋などが、山里の生活では風情があるものなので、差し上げようとなさって、お手紙を情愛こまやかにお書きになった端に、
   「春の野山、霞もたどたどしけれど、心ざし深く堀り出でさせてはべるしるしばかりになむ。
 
 「春の野山は、霞がかかってはっきりしませんが、深い心をこめて掘り出させたものでございます。
 
 

512
 世を別れ 入りなむ道は おくるとも
 同じところを 君も尋ねよ
  この世を捨ててお入りになった道はわたしより遅くとも
  同じ極楽浄土をあなたも求めて来て下さい
 
   いと難きわざになむある」  とても難しい事ですよ」
   と聞こえたまへるを、涙ぐみて見たまふほどに、大殿の君渡りたまへり。
 例ならず、御前近き櫑子どもを、「なぞ、あやし」と御覧ずるに、院の御文なりけり。
 見たまへば、いとあはれなり。
 
 とお便り申し上げなさったのを、涙ぐんで御覧になっているところに、大殿の君がお越しになった。
 いつもと違って、御前近くに櫑子がいくつもあるので、「何だろう、おかしいな」と御覧になると、院からのお手紙なのであった。
 御覧になると、とても胸の詰まる思いがする。
 
   「今日か、明日かの心地するを、対面の心にかなはぬこと」  「わが命も今日か、明日かの心地がするのに、思うままにお会いすることができないのが辛いことです」
   など、こまやかに書かせたまへり。
 この「同じところ」の御ともなひを、ことにをかしき節もなき。
 聖言葉なれど、「げに、さぞ思すらむかし。
 我さへおろかなるさまに見えたてまつりて、いとどうしろめたき御思ひの添ふべかめるを、いといとほし」と思す。
 
 などと、情愛こまやかにお書きあそばしていらっしゃった。
 この「同じ極楽浄土」へ御一緒にとのお歌を、特別に趣があるものではない、僧侶らしい言葉遣いであるが、「いかにも、そのようにお思いのことだろう。
 自分までが疎略にお世話しているというふうをお目に入れ申して、ますます御心配あそばされることになろうことを、おいたわしい」とお思いになる。
 
   御返りつつましげに書きたまひて、御使には、青鈍の綾一襲賜ふ。
 書き変へたまへりける紙の、御几帳の側よりほの見ゆるを、取りて見たまへば、御手はいとはかなげにて、
 お返事は恥ずかしげにお書きになって、お使いの者には、青鈍の綾を一襲をお与えなさる。
 書き変えなさった紙が、御几帳の端からちらっと見えるのを、取って御覧になると、ご筆跡はとても頼りない感じで、
 

513
 「憂き世には あらぬところの ゆかしくて
 背く山路に 思ひこそ入れ」
 「こんな辛い世の中とは違う所に住みたくて
  わたしも父上と同じ山寺に入りとうございます」
 
   「うしろめたげなる御けしきなるに、このあらぬ所求めたまへる、いとうたて、心憂し」  「ご心配なさっているご様子なのに、ここと違う住み処を求めていらっしゃる、まことに嫌な、辛いことです」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
   今は、まほにも見えたてまつりたまはず、いとうつくしうらうたげなる御額髪、面つきのをかしさ、ただ稚児のやうに見えたまひて、いみじうらうたきを見たてまつりたまふにつけては、「など、かうはなりにしことぞ」と、罪得ぬべく思さるれば、御几帳ばかり隔てて、またいとこよなう気遠く、疎々しうはあらぬほどに、もてなしきこえてぞおはしける。
 
 今では、まともにお顔をお合わせ申されず、とても美しくかわいらしいお額髪、お顔の美しさ、まるで子供のようにお見えになって、たいそういじらしいのを拝見なさるにつけては、「どうして、このようになってしまったことか」と、罪悪感をお感じになるので、御几帳だけを隔てて、また一方でたいそう隔たった感じで、他人行儀にならない程度に、お扱い申し上げていらっしゃるのだった。
 
 
 

第三段 若君、竹の子を噛る

 
   若君は、乳母のもとに寝たまへりける、起きて這ひ出でたまひて、御袖を引きまつはれたてまつりたまふさま、いとうつくし。
 
 若君は、乳母のもとでお寝みになっていたが、起きて這い出しなさって、お袖を引っ張りまとわりついていらっしゃる様子、とてもかわいらしい。
 
   白き羅に、唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけなげに引きやられて、御身はいとあらはにて、うしろの限りに着なしたまへるさまは、例のことなれど、いとらうたげに白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。
 
 白い羅に、唐の小紋の紅梅のお召し物の裾、とても長くだらしなく引きずられて、お身体がすっかりあらわに見えて、後ろの方だけが着ていらっしゃる恰好は、幼児の常であるが、とてもかわいらしく色白ですんなりとして、柳の木を削って作ったようである。
 
   頭は露草してことさらに色どりたらむ心地して、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに、恥づかしう薫りたるなどは、なほいとよく思ひ出でらるれど、  頭は露草で特別に染めたような感じがして、口もとはかわいらしく艶々として、目もとがおっとりと、気がひけるほど美しいのなどは、やはりとてもよく思い出さずにはいられないが、
   「かれは、いとかやうに際離れたるきよらはなかりしものを、いかでかからむ。
 宮にも似たてまつらず、今より気高くものものしう、さま異に見えたまへるけしきなどは、わが御鏡の影にも似げなからず」見なされたまふ。
 
 「あの人は、とてもこのようにきわだった美しさはなかったが、どうしてこんなに美しいのだろう。
 母宮にもお似申さず、今から気品があり立派で、格別にお見えになる様子などは、自分が鏡に映った姿にも似てはいないこともないな」というお気持ちになる。
 
   わづかに歩みなどしたまふほどなり。
 この筍の櫑子に、何とも知らず立ち寄りて、いとあわたたしう取り散らして、食ひかなぐりなどしたまへば、
 やっとよちよち歩きをなさる程である。
 この筍が櫑子に、何であるのか分からず近寄って来て、やたらにとり散らかして、食いかじったりなどなさるので、
   「あな、らうがはしや。
 いと不便なり。
 かれ取り隠せ。
 食ひ物に目とどめたまふと、もの言ひさがなき女房もこそ言ひなせ」
 「まあ、お行儀の悪い。
 いけません。
 あれを片づけなさい。
 食べ物に目がなくていらっしゃると、口の悪い女房が言うといけない」
   とて、笑ひたまふ。
 かき抱きたまひて、
 と言って、お笑いになる。
 お抱き寄せになって、
   「この君のまみのいとけしきあるかな。
 小さきほどの稚児を、あまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどは、ただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはひ異なるこそ、わづらはしけれ。
 女宮ものしたまふめるあたりに、かかる人生ひ出でて、心苦しきこと、誰がためにもありなむかし。
 
 「若君の目もとは普通と違うな。
 小さい時の子を、多く見ていないからだろうか、これくらいの時は、ただあどけないものとばかり思っていたが、今からとても格別すぐれているのが、厄介なことだ。
 女宮がいらっしゃるようなところに、このような人が生まれて来て、厄介なことが、どちらにとっても起こるだろうな。
 
   あはれ、そのおのおのの生ひゆく末までは、見果てむとすらむやは。
 花の盛りは、ありなめど」
 ああ、この人たちが育って行く先までは、見届けることができようか。
 花の盛りにめぐり逢うことは、寿命あってのことだ」
   と、うちまもりきこえたまふ。
 
 と言って、じっとお見つめ申していらっしゃる。
 
   「うたて、ゆゆしき御ことにも」  「何とまあ、縁起でもないお言葉を」
   と、人びとは聞こゆ。
 
 と、女房たちは申し上げる。
 
   御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り待ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば、  歯の生えかけたところに噛み当てようとして、筍をしっかりと握り持って、よだれをたらたらと垂らしてお齧りになっているので、
   「いとねぢけたる色好みかな」とて、  「変わった色好みだな」とおっしゃって、
 

514
 「憂き節も 忘れずながら 呉竹の
 こは捨て難き ものにぞありける」
 「いやなことは忘れられないがこの子は
  かわいくて捨て難く思われることだ」
 
   と、率て放ちて、のたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう、這ひ下り騷ぎたまふ。
 
 と、引き離して連れて来て、お話しかけになるが、にこにことしていて、何とも分からず、とてもそそくさと、這い下りて動き回っていらっしゃる。
 
   月日に添へて、この君のうつくしうゆゆしきまで生ひまさりたまふに、まことに、この憂き節、皆思し忘れぬべし。
 
 月日が経つにつれて、この君がかわいらしく不吉なまでに美しく成長なさっていくので、本当に、あの嫌なことが、すべて忘れられてしまいそうである。
 
   「この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外の事もあるにこそはありけめ。
 逃れ難かなるわざぞかし」
 「この人がお生まれになるためのご縁で、あの思いがけない事件も起こったのだろう。
 逃れられない宿命だったのだ」
   と、すこしは思し直さる。
 みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり。
 
 と、少しはお考えが改まる。
 ご自身の運命にもやはり不満のところが多かった。
 
   「あまた集へたまへる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも、思ふに飽かぬところなくてものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつること」  「大勢集っていらっしゃるご夫人方の中でも、この宮だけは、不足に思うところもなく、宮ご自身のご様子も、物足りないと思うところもなくていらっしゃるはずなのに、このように思いもかけない尼姿で拝見するとは」
   と思すにつけてなむ、過ぎにし罪許し難く、なほ口惜しかりける。
 
 とお思いになるにつけて、過去の二人の過ちを許し難く、今も無念に思われるのであった。
 
 
 

第二章 夕霧の物語 柏木遺愛の笛

 
 

第一段 夕霧、一条宮邸を訪問

 
   大将の君は、かの今はのとぢめにとどめし一言を、心ひとつに思ひ出でつつ、「いかなりしことぞ」とは、いと聞こえまほしう、御けしきもゆかしきを、ほの心得て思ひ寄らるることもあれば、なかなかうち出でて聞こえむもかたはらいたくて、「いかならむついでに、この事の詳しきありさまも明きらめ、また、かの人の思ひ入りたりしさまをも聞こしめさむ」と、思ひわたりたまふ。
 
 大将の君は、あの臨終の際に言い遺した一言を、心ひそかに思い出し思い出ししては、「どういうことであったのか」と、とてもお尋ね申し上げたく、お顔色も伺いたいのだが、うすうす思い当たられる節もあるので、かえって口に出して申し上げるのも具合が悪くて、「どのような機会に、この事の詳しい事情をはっきりさせ、また、あの人の思いつめていた様子をお耳に入れようか」と、思い続けていらっしゃる。
 
   秋の夕べのものあはれなるに、一条の宮を思ひやりきこえたまひて、渡りたまへり。
 うちとけ、しめやかに、御琴どもなど弾きたまふほどなるべし。
 深くもえ取りやらで、やがてその南の廂に入れたてまつりたまへり。
 端つ方なりける人の、ゐざり入りつるけはひどもしるく、衣の音なひも、おほかたの匂ひ香うばしく、心にくきほどなり。
 
 秋の夕方の心寂しいころに、一条の宮をどうしていられるかとご心配申し上げなさって、お越しになった。
 くつろいで、ひっそりとお琴などを弾いていらっしゃったところなのであろう。
 奥へ片づけることもできず、そのままその南の廂間にお入れ申し上げなさった。
 端の方にいた人たちが、いざって入って行く様子がはっきり分かって、衣ずれの音や、あたりに漂う香の匂いも薫り高く、奥ゆかしい感じである。
 
   例の、御息所、対面したまひて、昔の物語ども聞こえ交はしたまふ。
 わが御殿の、明け暮れ人しげくて、もの騒がしく、幼き君たちなど、すだきあわてたまふにならひたまひて、いと静かにものあはれなり。
 うち荒れたる心地すれど、あてに気高く住みなしたまひて、前栽の花ども、虫の音しげき野辺と乱れたる夕映えを、見わたしたまふ。
 
 いつものように、御息所がお相手なさって、昔話をあれこれと交わし合いなさる。
 ご自分の御殿は、明け暮れ人が大勢出入りして、もの騒がしく、幼い子供たちが、大勢寄って騒々しくしていらっしゃるのにお馴れになっているので、とても静かで心寂しい感じがする。
 ちょっと手入れも行き届いてない感じがするが、上品に気高くお暮らしになって、前栽の花々、虫の音のたくさん聞こえる野原のように咲き乱れている夕映えを、見渡しなさる。
 
 
 

第二段 柏木遺愛の琴を弾く

 
   和琴を引き寄せたまへれば、律に調べられて、いとよく弾きならしたる、人香にしみて、なつかしうおぼゆ。
 
 和琴をお引き寄せになると、律の調子に調えられていて、とてもよく弾きこんであるのが、人の移り香がしみこんでいて、心惹かれる感じがする。
 
   「かやうなるあたりに、思ひのままなる好き心ある人は、静むることなくて、さま悪しきけはひをもあらはし、さるまじき名をも立つるぞかし」  「このようなところに、慎みのない好き心のある人は、心を抑えることができなくて、見苦しい振る舞いにでも出て、あってはならない評判を立てるものだ」
   など、思ひ続けつつ、掻き鳴らしたまふ。
 
 などと、思い続けながら、お弾きになる。
 
   故君の常に弾きたまひし琴なりけり。
 をかしき手一つなど、すこし弾きたまひて、
 故君がいつもお弾きになっていた琴であった。
 風情のある曲目を一つ二つ、少しお弾きになって、
   「あはれ、いとめづらかなる音に掻き鳴らしたまひしはや。
 この御琴にも籠もりてはべらむかし。
 承りあらはしてしがな」
 「ああ、まことにめったにない素晴らしい音色をお弾きになったものだがな。
 このお琴にも故人の名残が籠もっておりましょう。
 お聞かせ願いたいものだ」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「琴の緒絶えにし後より、昔の御童遊びの名残をだに、思ひ出でたまはずなむなりにてはべめる。
 院の御前にて、女宮たちのとりどりの御琴ども、試みきこえたまひしにも、かやうの方は、おぼめかしからずものしたまふとなむ、定めきこえたまふめりしを、あらぬさまにほれぼれしうなりて、眺め過ぐしたまふめれば、世の憂きつまにといふやうになむ見たまふる」
 「主人が亡くなりまして後より、昔の子供遊びの時の記憶さえ、思い出しなさらなくなってしまったようです。
 院の御前で、女宮たちがそれぞれ得意なお琴を、お試し申されました時にも、このような方面は、しっかりしていらっしゃると、ご判定申されなさったようでしたが、今は別人のようにぼんやりなさって、物思いに沈んでいらっしゃるようなので、悲しい思いを催す種というように拝見しております」
   と聞こえたまへば、  とお答え申し上げなさると、
   「いとことわりの御思ひなりや。
 限りだにある」
 「まことにごもっともなお気持ちです。
 せめて終わりがあれば」
   と、うち眺めて、琴は押しやりたまへれば、  と、物思いに沈んで、琴は押しやりなさったので、
   「かれ、なほさらば、声に伝はることもやと、聞きわくばかり鳴らさせたまへ。
 ものむつかしう思うたまへ沈める耳をだに、明きらめはべらむ」
 「あの琴を、やはりそういうことなら、音色の中に伝わることもあろうかと、聞いて分かるように弾いて下さい。
 何やら気も晴れずに物思いに沈み込んでいる耳だけでも、せめてさっぱりさせましょう」
   と聞こえたまふを、  と申し上げなさるので、
   「しか伝はる中の緒は、異にこそははべらめ。
 それをこそ承らむとは聞こえつれ」
 「ご夫婦の仲に伝わる琴の音色は、特別でございましょう。
 それを伺いたいと申し上げているのです」
   とて、御簾のもと近く押し寄せたまへど、とみにしも受けひきたまふまじきことなれば、しひても聞こえたまはず。
 
 とおっしゃって、御簾の側近くに和琴を押し寄せなさるが、すぐにはお引き受けなさるはずもないことなので、無理にお願いなさらない。
 
 
 

第三段 夕霧、想夫恋を弾く

 
   月さし出でて曇りなき空に、羽うち交はす雁がねも、列を離れぬ、うらやましく聞きたまふらむかし。
 風肌寒く、ものあはれなるに誘はれて、箏の琴をいとほのかに掻き鳴らしたまへるも、奥深き声なるに、いとど心とまり果てて、なかなかに思ほゆれば、琵琶を取り寄せて、いとなつかしき音に、「想夫恋」を弾きたまふ。
 
 月が出て雲もない空に、羽をうち交わして飛ぶ雁も、列を離れないのを、羨ましくお聞きになっているのであろう。
 風が肌寒く感じられ、何となく寂しさに心動かされて、箏の琴をたいそうかすかにお弾きになっているのも、深みのある音色なので、ますます心を引きつけられてしまって、かえって物足りない思いがするので、琵琶を取り寄せて、とても優しい音色に「想夫恋」をお弾きになる。
 
   「思ひ及び顔なるは、かたはらいたけれど、これは、こと問はせたまふべくや」  「お気持ちを察してのようなのは、恐縮ですが、この曲目なら、何かおっしゃって下さるかと思いまして」
   とて、切に簾の内をそそのかしきこえたまへど、まして、つつましきさしいらへなれば、宮はただものをのみあはれと思し続けたるに、  とおっしゃって、しきりに御簾の中に向かって催促申し上げなさるが、和琴を所望された以上に、気が引けるお相手なので、宮はただ悲しいとばかりお思い続けていらっしゃるので、
 

515
 「ことに出でて 言はぬも言ふに まさるとは
 人に恥ぢたる けしきをぞ見る」
 「言葉に出しておっしゃらないのも、おっしゃる以上に
  深いお気持ちなのだと、慎み深い態度からよく分かります」
 
   と聞こえたまふに、ただ末つ方をいささか弾きたまふ。
 
 と申し上げなさると、わずかに終わりの方を少しお弾きになる。
 
 

516
 「深き夜の あはればかりは 聞きわけど
 ことより顔に えやは弾きける」
 「趣深い秋の夜の情趣はぞんじておりますが、
  靡き顔に琴をお弾き申したでしょうか」
 
   飽かずをかしきほどに、さるおほどかなるものの音がらに、古き人の心しめて弾き伝へける、同じ調べのものといへど、あはれに心すごきものの、片端を掻き鳴らして止みたまひぬれば、恨めしきまでおぼゆれど、  もっと聞いていたいほどであるが、そのおっとりした音色によって、昔の人が心をこめて弾き伝えてきた、同じ調子の曲目といっても、しみじみとまたぞっとする感じで、ほんの少し弾いてお止めになったので、恨めしいほどに思われるが、
   「好き好きしさを、さまざまにひき出でても御覧ぜられぬるかな。
 秋の夜更かしはべらむも、昔の咎めやと憚りてなむ、まかではべりぬべかめる。
 またことさらに心してなむさぶらふべきを、この御琴どもの調べ変へず待たせたまはむや。
 弾き違ふることもはべりぬべき世なれば、うしろめたくこそ」
 「物好きな心を、いろいろな琴を弾いてお目に掛けてしまいました。
 秋の夜に遅くまでおりますのも、故人の咎めがあろうかとご遠慮致して、退出致さねばなりません。
 また改めて失礼のないよう気をつけてお伺い致そうと思いますが、このお琴の調子を変えずにお待ち下さいませんか。
 とかく思いもよらぬことが起こる世の中ですから、気掛かりでなりません」
   など、まほにはあらねど、うち匂はしおきて出でたまふ。
 
 などと、あらわにではないが、心の内をほのめかしてお帰りになる。
 
 
 

第四段 御息所、夕霧に横笛を贈る

 
   「今宵の御好きには、人許しきこえつべくなむありける。
 そこはかとなきいにしへ語りにのみ紛らはさせたまひて、玉の緒にせむ心地もしはべらぬ、残り多くなむ」
 「今夜の風流なお振る舞いについては、誰もがお許し申すはずのことでございます。
 これということもない昔話にばかり紛らわせなさって、寿命が延びるまでお聞かせ下さらなかったのが、とても残念です」
   とて、御贈り物に笛を添へてたてまつりたまふ。
 
 と言って、御贈り物に笛を添えて差し上げなさる。
 
   「これになむ、まことに古きことも伝はるべく聞きおきはべりしを、かかる蓬生に埋もるるもあはれに見たまふるを、御前駆に競はむ声なむ、よそながらもいぶかしうはべる」  「この笛には、実に古い由緒もあるように聞いておりましたが、このような蓬生の宿に埋もれているのは残念に存じまして、御前駆の負けないほどにお吹き下さる音色を、ここからでもお伺いしたく存じます」
   と聞こえたまへば、  と申し上げなさると、
   「似つかはしからぬ随身にこそははべるべけれ」  「似つかわしくない随身でございましょう」
   とて、見たまふに、これもげに世とともに身に添へてもてあそびつつ、  とおっしゃって、御覧になると、この笛もなるほど肌身離さず愛玩しては、
   「みづからも、さらにこれが音の限りは、え吹きとほさず。
 思はむ人にいかで伝へてしがな」
 「自分でも、まったくこの笛の音のあらん限りは、吹きこなせない。
 大事にしてくれる人に何とか伝えたいものだ」
   と、をりをり聞こえごちたまひしを思ひ出でたまふに、今すこしあはれ多く添ひて、試みに吹き鳴らす。
 盤渉調の半らばかり吹きさして、
 と、柏木が時々愚痴をこぼしていらっしゃったのをお思い出しなさると、さらに悲しみが胸に迫って、試みに吹いてみる。
 盤渉調の半分ばかりでお止めになって、
   「昔を偲ぶ独り言は、さても罪許されはべりけり。
 これはまばゆくなむ」
 「故人を偲んで和琴を独り弾きましたのは、下手でも何とか聞いて戴けました。
 この笛はとても分不相応です」
   とて、出でたまふに、  と言って、お出になるので、
 

517
 「露しげき むぐらの宿に いにしへの
 秋に変はらぬ 虫の声かな」
 「涙にくれていますこの荒れた家に昔の
  秋と変わらない笛の音を聞かせて戴きました」
 
   と、聞こえ出だしたまへり。
 
 と、内側から申し上げなさった。
 
 

518
 「横笛の 調べはことに 変はらぬを
 むなしくなりし 音こそ尽きせね」
 「横笛の音色は特別昔と変わりませんが
  亡くなった人を悼む泣き声は尽きません」
 
   出でがてにやすらひたまふに、夜もいたく更けにけり。
 
 出て行きかねていらっしゃると、夜もたいそう更けてしまった。
 
 
 

第五段 帰宅して、故人を想う

 
   殿に帰りたまへれば、格子など下ろさせて、皆寝たまひにけり。
 
 殿にお帰りになると、格子などを下ろさせて、皆お寝みになっていた。
 
   「この宮に心かけきこえたまひて、かくねむごろがり聞こえたまふぞ」  「この宮にご執心申されて、あのようにご熱心でいらっしゃるのだ」
   など、人の聞こえ知らせければ、かやうに夜更かしたまふもなま憎くて、入りたまふをも聞く聞く、寝たるやうにてものしたまふなるべし。
 
 などと、誰かがご報告したので、このように夜更けまで外出なさるのも憎らしくて、お入りになったのも知っていながら、眠ったふりをしていらっしゃるのであろう。
 
   「妹と我といるさの山の」  「いい人とわたしと一緒に入るあの山の」
   と、声はいとをかしうて、独りごち歌ひて、  と、声はとても美しく独り歌って、
   「こは、など、かく鎖し固めたる。
 あな、埋れや。
 今宵の月を見ぬ里もありけり」
 「これは、またどうして、こう固く鍵を閉めているのだ。
 何とまあ、うっとうしいことよ。
 今夜の月を見ない所もあるのだなあ」
   と、うめきたまふ。
 格子上げさせたまひて、御簾巻き上げなどしたまひて、端近く臥したまへり。
 
 と、不満げにおっしゃる。
 格子を上げさせなさって、御簾を巻き上げなどなさって、端近くに横におなりになった。
 
   「かかる夜の月に、心やすく夢見る人は、あるものか。
 すこし出でたまへ。
 あな心憂」
 「このように素晴らしい月なのに、気楽に夢を見ている人が、あるものですか。
 少しお出になりなさい。
 何と嫌な」
   など聞こえたまへど、心やましううち思ひて、聞き忍びたまふ。
 
 などと申し上げなさるが、面白くない気がして、知らぬ顔をなさっている。
 
   君たちの、いはけなく寝おびれたるけはひなど、ここかしこにうちして、女房もさし混みて臥したる、人気にぎははしきに、ありつる所のありさま、思ひ合はするに、多く変はりたり。
 この笛をうち吹きたまひつつ、
 若君たちが、あどけなく寝惚けている様子などが、あちらこちらにして、女房も混み合って寝ている、とてもにぎやかな感じがするので、さきほどの所の様子が、思い比べられて、多く違っている。
 この笛をちょっとお吹きになりながら、
   「いかに、名残も、眺めたまふらむ。
 御琴どもは、調べ変はらず遊びたまふらむかし。
 御息所も、和琴の上手ぞかし」
 「どのように、わたしが立ち去った後でも、物思いに耽っていらっしゃることだろう。
 お琴の合奏は、調子を変えずなさっていらっしゃるのだろう。
 御息所も、和琴の名手であった」
   など、思ひやりて臥したまへり。
 
 などと、思いをはせて臥せっていらっしゃった。
 
   「いかなれば、故君、ただおほかたの心ばへは、やむごとなくもてなしきこえながら、いと深きけしきなかりけむ」  「どうして、故君は、ただ表向きの気配りは、大切にお扱い申し上げていながら、大して深い愛情はなかったのだろう」
   と、それにつけても、いといぶかしうおぼゆ。
 
 と、考えるにつけても、大変いぶかしく思わずにはいらっしゃれない。
 
   「見劣りせむこそ、いといとほしかるべけれ。
 おほかたの世につけても、限りなく聞くことは、かならずさぞあるかし」
 「実際会って見て器量がよくないとなると、たいそうお気の毒なことだな。
 世間一般の話でも、最高に素晴らしいという評判の人は、きっとそんなこともあるものだ」
   など思ふに、わが御仲の、うちけしきばみたる思ひやりもなくて、睦びそめたる年月のほどを数ふるに、あはれに、いとかう押したちておごりならひたまへるも、ことわりにおぼえたまひけり。
 
 などと思うにつけ、ご自分の夫婦仲が、その気持ちを顔に出して相手を疑うこともなくて、仲睦まじくなった歳月のほどを数えると、しみじみと感慨深く、とてもこう我が強くなって勝手に振る舞うようにおなりになったのも、無理もないことと思われなさった。
 
 
 

第六段 夢に柏木現れ出る

 
   すこし寝入りたまへる夢に、かの衛門督、ただありしさまの袿姿にて、かたはらにゐて、この笛を取りて見る。
 夢のうちにも、亡き人の、わづらはしう、この声を尋ねて来たる、と思ふに、
 少し寝入りなさった夢に、あの衛門督が、まるで生前の袿姿で、側に座って、この笛を取って見ている。
 夢の中にも、故人が、厄介にも、この笛の音を求めて来たのだ、と思っていると、
 

519
 「笛竹に 吹き寄る風の ことならば
 末の世長き ねに伝へなむ
 「この笛の音に吹き寄る風は同じことなら
  わたしの子孫に伝えて欲しいものだ
 
   思ふ方異にはべりき」  その伝えたい人は違うのだった」
   と言ふを、問はむと思ふほどに、若君の寝おびれて泣きたまふ御声に、覚めたまひぬ。
 
 と言うので、尋ねようと思った時に、若君が寝おびえて泣きなさるお声に、目が覚めておしまいになった。
 
   この君いたく泣きたまひて、つだみなどしたまへば、乳母も起き騷ぎ、上も大殿油近く取り寄せさせたまて、耳挟みして、そそくりつくろひて、抱きてゐたまへり。
 いとよく肥えて、つぶつぶとをかしげなる胸を開けて、乳などくくめたまふ。
 稚児もいとうつくしうおはする君なれば、白くをかしげなるに、御乳はいとかはらかなるを、心をやりて慰めたまふ。
 
 この若君がひどく泣きなさって、乳を吐いたりなさるので、乳母も起き騷ぎ、母上も御殿油を近くに取り寄せさせなさって、額髪を耳に挟んで、せわしげに世話して、抱いていらっしゃった。
 とてもよく太って、ふっくらとした美しい胸を開けて、乳などをお含ませになる。
 子供もとてもかわいらしくいらっしゃる若君なので、色白で美しく見えるが、お乳はまったく出ないのを、気休めにあやしていらっしゃる。
 
   男君も寄りおはして、「いかなるぞ」などのたまふ。
 うちまきし散らしなどして、乱りがはしきに、夢のあはれも紛れぬべし。
 
 男君も側にお寄りになって、「どうしたのだ」などとおっしゃる。
 魔除の撤米をし米を散らかしなどして、とり騒いでいるので、夢の情趣もどこかへ行ってしまうことであろう。
 
   「悩ましげにこそ見ゆれ。
 今めかしき御ありさまのほどにあくがれたまうて、夜深き御月愛でに、格子も上げられたれば、例のもののけの入り来たるなめり」
 「苦しそうに見えますわ。
 若い人のような恰好でうろつきなさって、夜更けのお月見に、格子なども上げなさったので、例の物の怪が入って来たのでしょう」
   など、いと若くをかしき顔して、かこちたまへば、うち笑ひて、  などと、とても若く美しい顔をして、恨み言をおっしゃるので、にっこりして、
   「あやしの、もののけのしるべや。
 まろ格子上げずは、道なくて、げにえ入り来ざらまし。
 あまたの人の親になりたまふままに、思ひいたり深くものをこそのたまひなりにたれ」
 「妙な、物の怪の案内とは。
 わたしが格子を上げなかったら、道がなくて、おっしゃる通り入って来られなかったでしょう。
 大勢の子持ちの母親におなりになるにつれて、思慮深く立派なことをおっしゃるようにおなりになった」
   とて、うち見やりたまへるまみの、いと恥づかしげなれば、さすがに物ものたまはで、  と言って、ちらりと御覧になる目つきが、たいそう気後れするほど立派なので、それ以上は何ともおっしゃらず、
   「出でたまひね。
 見苦し」
 「さあ、もうお止めなさいまし。
 みっともない恰好ですから」
   とて、明らかなる火影を、さすがに恥ぢたまへるさまも憎からず。
 まことに、この君なづみて、泣きむつかり明かしたまひつ。
 
 と言って、明るい灯火を、さすがに恥ずかしがっていらっしゃる様子も憎くない。
 ほんとうに、この若君は苦しがって、一晩中泣きむずかって夜をお明かしになった。
 
 
 

第三章 夕霧の物語 匂宮と薫

 
 

第一段 夕霧、六条院を訪問

 
   大将の君も、夢思し出づるに、  大将の君も、夢を思い出しなさると、
   「この笛のわづらはしくもあるかな。
 人の心とどめて思へりしものの、行くべき方にもあらず。
 女の御伝へはかひなきをや。
 いかが思ひつらむ。
 この世にて、数に思ひ入れぬことも、かの今はのとぢめに、一念の恨めしきも、もしはあはれとも思ふにまつはれてこそは、長き夜の闇にも惑ふわざななれ。
 かかればこそは、何ごとにも執はとどめじと思ふ世なれ」
 「この笛は厄介なものだな。
 故人が執着していた笛の、行くべき所ではなかったのだ。
 女方から伝わっても意味のなことだ。
 どのように思ったことだろう。
 この世に、物の数にも入らない些事も、あの臨終の際に、一心に恨めしく思ったり、または愛情を持ったりしては、無明長夜の闇に迷うということだ。
 そうだからこそ、どのようなことにも執着は持つまいと思うのだ」
   など、思し続けて、愛宕に誦経せさせたまふ。
 また、かの心寄せの寺にもせさせたまひて、
 などと、お考え続けなさって、愛宕で誦経をおさせになる。
 また、故人が帰依していた寺にもおさせになって、
   「この笛をば、わざと人のさるゆゑ深きものにて、引き出でたまへりしを、たちまちに仏の道におもむけむも、尊きこととはいひながら、あへなかるべし」  「この笛を、わざわざ御息所が特別の遺品として、譲り下さったのを、すぐにお寺に納めるのも、供養になるとは言うものの、あまりにあっけなさぎよう」
   と思ひて、六条の院に参りたまひぬ。
 
 と思って、六条院に参上なさった。
 
   女御の御方におはしますほどなりけり。
 三の宮、三つばかりにて、中にうつくしくおはするを、こなたにぞまた取り分きておはしまさせたまひける。
 走り出でたまひて、
 女御の御方にいらっしゃる時なのであった。
 三の宮は、三歳ほどで、親王の中でもかわいらしくいらっしゃるのを、こちらではまた特別に引き取ってお住ませなさっているのであった。
 走っておいでになって、
   「大将こそ、宮抱きたてまつりて、あなたへ率ておはせ」  「大将よ、宮をお抱き申して、あちらへ連れていらっしゃい」
   と、みづからかしこまりて、いとしどけなげにのたまへば、うち笑ひて、  と、自分に敬語をつけて、とても甘えておっしゃるので、ほほ笑んで、
   「おはしませ。
 いかでか御簾の前をば渡りはべらむ。
 いと軽々ならむ」
 「いらっしゃい。
 どうして御簾の前を行けましょうか。
 たいそう無作法でしょう」
   とて、抱きたてまつりてゐたまへれば、  と言って、お抱き申してお座りになると、
   「人も見ず。
 まろ、顔は隠さむ。
 なほなほ」
 「誰も見ていません。
 わたしが、顔を隠そう。
 さあさあ」
   とて、御袖してさし隠したまへば、いとうつくしうて、率てたてまつりたまふ。
 
 と言って、お袖で顔をお隠しになるので、とてもかわいらしいので、お連れ申し上げなさる。
 
 
 

第二段 源氏の孫君たち、夕霧を奪い合う

 
   こなたにも、二の宮の、若君とひとつに混じりて遊びたまふ、うつくしみておはしますなりけり。
 隅の間のほどに下ろしたてまつりたまふを、二の宮見つけたまひて、
 こちら方にも、二の宮が、若君とご一緒になって遊んでいらっしゃるのを、かわいがっておいであそばすのであった。
 隅の間の所にお下ろし申し上げなさるのを、二の宮が見つけなさって、
   「まろも大将に抱かれむ」  「わたしも大将に抱かれたい」
   とのたまふを、三の宮、  とおっしゃるのを、三の宮は、
   「あが大将をや」  「わたしの大将なのだから」
   とて、控へたまへり。
 院も御覧じて、
 と言って、お放しにならない。
 院も御覧になって、
   「いと乱りがはしき御ありさまどもかな。
 公の御近き衛りを、私の随身に領ぜむと争ひたまふよ。
 三の宮こそ、いとさがなくおはすれ。
 常に兄に競ひ申したまふ」
 「まことにお行儀の悪いお二方ですね。
 朝廷のお身近の警護の人を、自分の随身にしようと争いなさるとは。
 三の宮が、特にいじわるでいらっしゃいます。
 いつも兄宮に負けまいとなさる」
   と、諌めきこえ扱ひたまふ。
 大将も笑ひて、
 と、おたしなめ申して仲裁なさる。
 大将も笑って、
   「二の宮は、こよなく兄心にところさりきこえたまふ御心深くなむおはしますめる。
 御年のほどよりは、恐ろしきまで見えさせたまふ」
 「二の宮は、すっかりお兄様らしく弟君に譲って上げるお気持ちが十分におありのようです。
 お年のわりには、こわいほどご立派にお見えになります」
   など聞こえたまふ。
 うち笑みて、いづれもいとうつくしと思ひきこえさせたまへり。
 
 などと申し上げなさる。
 ほほ笑んで、どちらもとてもかわいらしいとお思い申し上げあそばしていらっしゃった。
 
   「見苦しく軽々しき公卿の御座なり。
 あなたにこそ」
 「見苦しく失礼なお席だ。
 あちらへ」
   とて、渡りたまはむとするに、宮たちまつはれて、さらに離れたまはず。
 宮の若君は、宮たちの御列にはあるまじきぞかしと、御心のうちに思せど、なかなかその御心ばへを、母宮の、御心の鬼にや思ひ寄せたまふらむと、これも心の癖に、いとほしう思さるれば、いとらうたきものに思ひかしづききこえたまふ。
 
 とおっしゃって、お渡りになろうとすると、宮たちがまとわりついて、まったくお離れにならない。
 宮の若君は、宮たちとご同列に扱うべきではないと、ご心中にはお考えになるが、かえってそのお気持ちを、母宮が、心にとがめて気を回されることだろうと、これもまたご性分で、お気の毒に思われなさるので、とても大切にお扱い申し上げなさる。
 
 
 

第三段 夕霧、薫をしみじみと見る

 
   大将は、この君を「まだえよくも見ぬかな」と思して、御簾の隙よりさし出でたまへるに、花の枝の枯れて落ちたるを取りて、見せたてまつりて、招きたまへば、走りおはしたり。
 
 大将は、この若君を「まだよく見ていないな」とお思いになって、御簾の間からお顔をお出しになったところを、花の枝が枯れて落ちているのを取って、お見せ申して、お呼びなさると、走っていらっしゃった。
 
   二藍の直衣の限りを着て、いみじう白う光りうつくしきこと、皇子たちよりもこまかにをかしげにて、つぶつぶときよらなり。
 なま目とまる心も添ひて見ればにや、眼居など、これは今すこし強うかどあるさままさりたれど、眼尻のとぢめをかしうかをれるけしきなど、いとよくおぼえたまへり。
 
 二藍の直衣だけを着て、たいそう色白で光輝いてつやつやとかわいらしいこと、親王たちよりもいっそうきめこまかに整っていらっしゃって、まるまると太りおきれいである。
 何となくそう思って見るせいか、目つきなど、この子は少しきつく才走った様子は衛門督以上だが、目尻の切れが美しく輝いている様子など、とてもよく似ていらっしゃった。
 
   口つきの、ことさらにはなやかなるさまして、うち笑みたるなど、「わが目のうちつけなるにやあらむ、大殿はかならず思し寄すらむ」と、いよいよ御けしきゆかし。
 
 口もとが、特別にはなやかな感じがして、ほほ笑んでいるところなどは、「自分がふとそう思ったせいなのか、大殿はきっとお気づきであろう」と、ますますご心中が知りたい。
 
   宮たちは、思ひなしこそ気高けれ、世の常のうつくしき稚児どもと見えたまふに、この君は、いとあてなるものから、さま異にをかしげなるを、見比べたてまつりつつ、  宮たちは、親王だと思うせいから気高くもみえるものの、世間普通のかわいらしい子供とお見えになるのだが、この君は、とても上品な一方で、特別に美しい様子なので、ご比較申し上げながら、
   「いで、あはれ。
 もし疑ふゆゑもまことならば、父大臣の、さばかり世にいみじく思ひほれたまて、
 「何と、かわいそうな。
 もし自分の疑いが本当なら、父大臣が、あれほどすっかり気落ちしていらして、
   『子と名のり出でくる人だになきこと。
 形見に見るばかりの名残をだにとどめよかし』
 『子供だと名乗って出て来る人さえいないことよ。
 形見と思って世話する者でもせめて遺してくれ』
   と、泣き焦がれたまふに、聞かせたてまつらざらむ罪得がましさ」など思ふも、「いで、いかでさはあるべきことぞ」  と、泣き焦がれていらしたのに、お知らせ申し上げないのも罪なことではないか」などと思うが、「いや、どうしてそんなことがありえよう」
   と、なほ心得ず、思ひ寄る方なし。
 心ばへさへなつかしうあはれにて、睦れ遊びたまへば、いとらうたくおぼゆ。
 
 と、やはり納得がゆかず、推測のしようもない。
 気立てまでが優しくおとなしくて、じゃれていらっしゃるので、とてもかわいらしく思われる。
 
 
 

第四段 夕霧、源氏と対話す

 
   対へ渡りたまひぬれば、のどやかに御物語など聞こえておはするほどに、日暮れかかりぬ。
 昨夜、かの一条の宮に参うでたりしに、おはせしありさまなど聞こえ出でたまへるを、ほほ笑みて聞きおはす。
 あはれなる昔のこと、かかりたる節々は、あへしらひなどしたまふに、
 対へお渡りになったので、のんびりとお話など申し上げていらっしゃるうちに、日も暮れかかって来た。
 昨夜、あの一条宮邸に参った時に、おいでになっていたご様子などを申し上げなさったところ、ほほ笑んで聞いていらっしゃる。
 気の毒な故人の話、関係のある話の節々には、あいずちなどを打ちなさって、
   「かの想夫恋の心ばへは、げに、いにしへの例にも引き出でつべかりけるをりながら、女は、なほ、人の心移るばかりのゆゑよしをも、おぼろけにては漏らすまじうこそありけれと、思ひ知らるることどもこそ多かれ。
 
 「あの想夫恋を弾いた気持ちは、なるほど、昔の風流の例として引き合いに出してもよさそうなところであるが、女は、やはり、男が心を動かす程度の風流があっても、いい加減なことでは表わすべきではないことだと、考えさせられることが多いな。
 
   過ぎにし方の心ざしを忘れず、かく長き用意を、人に知られぬとならば、同じうは、心きよくて、とかくかかづらひ、ゆかしげなき乱れなからむや、誰がためも心にくく、めやすかるべきことならむとなむ思ふ」  故人への情誼を忘れず、このように末長い好意を、先方も知られたとならば、同じことなら、きれいな気持ちで、あれこれとかかわり合って、面白くない間違いを起こさないのが、どちらにとっても奥ゆかしく、世間体も穏やかなことであろうと思う」
   とのたまへば、「さかし。
 人の上の御教へばかりは心強げにて、かかる好きはいでや」と、見たてまつりたまふ。
 
 とおっしゃるので、「そのとおりだ。
 他人へのお説教だけはしっかりしたものだが、このような好色の道はどうかな」と、拝見なさる。
 
   「何の乱れかはべらむ。
 なほ、常ならぬ世のあはれをかけそめはべりにしあたりに、心短くはべらむこそ、なかなか世の常の嫌疑あり顔にはべらめとてこそ。
 
 「何の間違いがございましょう。
 やはり、無常の世の同情から世話をするようになりました方々に、当座だけのいたわりで終わったら、かえって世間にありふれた疑いを受けましょうと思ってです。
 
   想夫恋は、心とさし過ぎてこと出でたまはむや、憎きことにはべらまし、もののついでにほのかなりしは、をりからのよしづきて、をかしうなむはべりし。
 
 想夫恋は、ご自分の方から弾き出しなさったのなら、非難されることにもなりましょうが、ことのついでに、ちょっとお弾きになったのは、あの時にふさわしい感じがして、興趣がございました。
 
   何ごとも、人により、ことに従ふわざにこそはべるべかめれ。
 齢なども、やうやういたう若びたまふべきほどにもものしたまはず、また、あざれがましう、好き好きしきけしきなどに、もの馴れなどもしはべらぬに、うちとけたまふにや。
 おほかたなつかしうめやすき人の御ありさまになむものしたまひける」
 何事も、人次第、事柄次第の事でございましょう。
 年齢なども、だんだんと、若々しいお振る舞いが相応しいお年頃ではいらっしゃいませんし、また、冗談を言って、好色がましい態度を見せることに、馴れておりませんので、お気を許されるでしょうか。
 大体が優しく無難なお方のご様子でいらっしゃいました」
   など聞こえたまふに、いとよきついで作り出でて、すこし近く参り寄りたまひて、かの夢語りを聞こえたまへば、とみにものものたまはで、聞こしめして、思し合はすることもあり。
 
 などと申し上げなさっているうちに、ちょうどよい機会を作り出して、少し近くに寄りなさって、あの夢のお話を申し上げなさると、すぐにはお返事をなさらずに、お聞きあそばして、お気づきあそばすことがある。
 
 
 

第五段 笛を源氏に預ける

 
   「その笛は、ここに見るべきゆゑあるものなり。
 かれは陽成院の御笛なり。
 それを故式部卿宮の、いみじきものにしたまひけるを、かの衛門督は、童よりいと異なる音を吹き出でしに感じて、かの宮の萩の宴せられける日、贈り物に取らせたまへるなり。
 女の心は深くもたどり知らず、しかものしたるななり」
 「その笛は、わたしが預からねばならない理由がある物だ。
 それは陽成院の御笛だ。
 それを故式部卿宮が大事になさっていたが、あの衛門督は、子供の時から大変上手に笛を吹いたのに感心して、故式部卿宮が萩の宴を催された日、贈り物にお与えになったものだ。
 女の考えで深い由緒もよく知らず、そのように与えたのだろう」
   などのたまひて、  などとおっしゃって、
   「末の世の伝へ、またいづ方にとかは思ひまがへむ。
 さやうに思ふなりけむかし」など思して、「この君もいといたり深き人なれば、思ひ寄ることあらむかし」と思す。
 
 「子孫に伝えたいということは、また他に誰と間違えようか。
 そのように考えたのだろう」などとお考えになって、「この君も思慮深い人なので、気づくこともあろうな」とお思いになる。
 
   その御けしきを見るに、いとど憚りて、とみにもうち出で聞こえたまはねど、せめて聞かせたてまつらむの心あれば、今しもことのついでに思ひ出でたるやうに、おぼめかしうもてなして、  そのご表情を見ていると、ますます遠慮されて、すぐにはお話し申し上げなされないが、せめてお聞かせ申そうとの思いがあるので、ちょうど今この機会に思い出したように、はっきり分からないふりをして、
   「今はとせしほどにも、とぶらひにまかりてはべりしに、亡からむ後のことども言ひ置きはべりし中に、しかしかなむ深くかしこまり申すよしを、返す返すものしはべりしかば、いかなることにかはべりけむ、今にそのゆゑをなむえ思ひたまへ寄りはべらねば、おぼつかなくはべる」  「臨終となった折にも、お見舞いに参上いたしましたところ、亡くなった後の事を遺言されました中に、これこれしかじかと、深く恐縮申している旨を、繰り返し言いましたので、どのようなことでしょうか、今に至までその理由が分かりませんので、気に掛かっているのでございます」
   と、いとたどたどしげに聞こえたまふに、  と、いかにも腑に落ちないように申し上げなさるので、
   「さればよ」  「やはり知っているのだな」
   と思せど、何かは、そのほどの事あらはしのたまふべきならねば、しばしおぼめかしくて、  とお思いになるが、どうして、そのような事柄をお口にすべきではないので、暫くは分からないふりをして、
   「しか、人の恨みとまるばかりのけしきは、何のついでにかは漏り出でけむと、みづからもえ思ひ出でずなむ。
 さて、今静かに、かの夢は思ひ合はせてなむ聞こゆべき。
 夜語らずとか、女房の伝へに言ふなり」
 「そのような、人に恨まれるような事は、いつしただろうかと、自分自身でも思い出す事ができないな。
 それはそれとして、そのうちゆっくり、あの夢の事は考えがついてからお話し申そう。
 夜には夢の話はしないものだとか、女房たちが言い伝えているようだ」
   とのたまひて、をさをさ御いらへもなければ、うち出で聞こえてけるを、いかに思すにかと、つつましく思しけり、とぞ。
 
 とおっしゃって、ろくにお返事もないので、お耳に入れてしまったことを、どのように考えていらっしゃるのかと、きまり悪くお思いであった、とか。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 春ごとに花の盛りはありなめどあひ見むことは命なりけり(古今集春下-九七 読人しらず)(戻)  
  出典2 今さらに何生ひ出づらむ竹の子の憂き節しげき世とは知らずや(古今集雑下-九五七 凡河内躬恒)(戻)  
  出典3 君が植ゑし一村薄虫の音しげき野辺ともなりにけるかな(古今集哀傷-八五三 三春有助)(戻)  
  出典4 呂氏春秋曰、鍾子期善聴(中略)鍾子期死、伯牙破琴絶絃(蒙求-伯牙絶絃)(戻)  
  出典5 浅茅生の小笹が原に置く露ぞ世の憂きつまと思ひ乱るる(源氏釈所引-出典未詳)(戻)  
  出典6 恋しさの限りだにある世なりせば年経ば物は思はざらまし(古今六帖五-二五七一)(戻)  
  出典7 如聴仙楽耳暫明(白氏文集-六〇三「琵琶行」)(戻)  
  出典8 白雲に羽うち交し飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月(古今集秋上-一九一 読人しらず)(戻)  
  出典9 此時無声勝有声(白氏文集-六〇三「琵琶行」)心には下行く水の湧き返り言はで思ふぞ言ふに勝れる(古今六帖五-二六四八)(戻)  
  出典10 片糸をこなたかなたに撚りかけて逢はずは何を玉の緒にせむ(古今集恋一-四三八 読人しらず)(戻)  
  出典11 妹(いも)と我と いるさの山の 山蘭(やまあららぎ) 手な取り触れそや 顔優るがにや 速(と)く優るがにや(催馬楽-妹と我)(戻)  
  出典12 かくばかり惜しと思ふ夜をいたづらに寝て明かすらむ人さへぞ憂き(古今集秋上-一九〇 凡河内躬恒)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 いかにぞやと--*いかにそや(戻)  
  校訂2 折々に--おり/\(/\/+に<朱>)(戻)  
  校訂3 一襲--(/+一)かさね(戻)  
  校訂4 不便--ふむ(む/$<朱>)ひん(戻)  
  校訂5 誰が--たる(る/$か<朱>)(戻)  
  校訂6 と--*ナシ(戻)  
  校訂7 事の--こと(と/+の<朱>)(戻)  
  校訂8 語り--かたる(る/$り)(戻)  
  校訂9 いるさの山の--(山/+の)(戻)  
  校訂10 あるかし--あるは(は/$か<朱>)し(戻)  
  校訂11 来たる--きた(た/+る)(戻)  
  校訂12 のうちに思せど、なかなかその御心--(/+のうちにおほせと中/\その御心<朱>)(戻)  
  校訂13 心--*ところ(戻)  
  校訂14 なども--(/+な)とも(戻)  
  校訂15 もてなして--もてなし△(△/#て)(戻)  
  校訂16 とか--と(と/+か<朱>)(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。