源氏物語 46帖 椎本:あらすじ・目次・原文対訳

橋姫 源氏物語
第三部
第46帖
椎本
総角

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 椎本(しいがもと)のあらすじ

 薫23歳の春二月から24歳の夏の話。

 二月二十日ごろ、匂宮〔源氏の異母兄である朱雀帝の孫。今上帝の三宮〕は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧〔源氏と葵の子、唯一の嫡男〕の別荘に立ち寄った。宇治の姫君たちに関心があったからである。匂宮は薫〔源氏の子とみなされる柏木と女三の宮の子〕や夕霧の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮〔源氏の異母弟〕は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。

 翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を常に中君〔次女〕に書かせるようになる。

 今年が重い厄年にあたる八の宮は、薫に姫君たちの後見を托すが、一方で姫君たちに、軽々しく結婚して宇治を離れ俗世に恥をさらすな、この山里に一生を過ごすのがよいと戒め、宇治の山寺に参籠しに出かけ、そこで亡くなった。八月二十日のころである。訃報を知った姫君たちは、父の亡骸との対面を望むが、阿闍梨に厳しく断られる。薫や匂宮が弔問に八の宮邸を訪れるが、悲しみに沈む姫君たちはなかなか心を開かなかった。

 年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫は大君〔長女〕と対面し、匂宮と中君の縁談を持ち上げつつ、おのが恋心をも訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった。

 翌年の春、匂宮の中君への思いはますます募るようになり、夕霧の六の君との縁談にも気が進まない。また、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、薫も久しく宇治を訪ねていない。

 夏、宇治を訪れた薫は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君〔!?〕の美しさにますます惹かれてゆくのであった。

(以上Wikipedia椎本より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#椎本(21首:別ページ)
主要登場人物
 
第46帖 椎本(しいがもと)
 薫君の宰相中将時代
 二十三歳春二月から
 二十四歳夏までの物語
 

第一章 匂宮:春、匂宮、宇治に立ち寄る

第二章 薫:秋、八の宮死去す
第三章 宇治の姉妹:晩秋の傷心の姫君たち
第四章 宇治の姉妹:歳末の宇治の姫君たち
第五章 宇治の姉妹:匂宮、薫らとの恋物語始まる
 
 
第一章 匂宮の物語
 春、匂宮、宇治に立ち寄る
 第一段 匂宮、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る
 第二段 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す
 第三段 薫、迎えに八の宮邸に来る
 第四段 匂宮と中の君、和歌を詠み交す
 第五段 八の宮、娘たちへの心配
 
第二章 薫の物語
 秋、八の宮死去す
 第一段 秋、薫、中納言に昇進し、宇治を訪問
 第二段 薫、八の宮と昔語りをする
 第三段 薫、弁の君から昔語りを聞き、帰京
 第四段 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る
 第五段 八月二十日、八の宮、山寺で死去
 第六段 阿闍梨による法事と薫の弔問
 
第三章 宇治の姉妹の物語
 晩秋の傷心の姫君たち
 第一段 九月、忌中の姫君たち
 第二段 匂宮からの弔問の手紙
 第三段 匂宮の使者、帰邸
 第四段 薫、宇治を訪問
 第五段 薫、大君と和歌を詠み交す
 第六段 薫、弁の君と語る
 第七段 薫、日暮れて帰京
 第八段 姫君たちの傷心
 
第四章 宇治の姉妹の物語
 歳末の宇治の姫君たち
 第一段 歳末の宇治の姫君たち
 第二段 薫、歳末に宇治を訪問
 第三段 薫、匂宮について語る
 第四段 薫と大君、和歌を詠み交す
 第五段 薫、人びとを励まして帰京
 
第五章 宇治の姉妹の物語
 匂宮、薫らとの恋物語始まる
 第一段 新年、阿闍梨、姫君たちに山草を贈る
 第二段 花盛りの頃、匂宮、中の君と和歌を贈答
 第三段 その後の匂宮と薫
 第四段 夏、薫、宇治を訪問
 第五段 障子の向こう側の様子
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

薫(かおる)
源氏の子〔と一般にみなされる柏木の子、頭中将の孫〕
呼称:宰相中将・宰相の君・中将・中納言・中納言殿・中納言の君
匂宮(におうのみや)
今上帝の第三親王
呼称:兵部卿宮・親王・三の宮・宮
八の宮(はちのみや)
桐壺帝の第八親王
呼称:主人の宮・宮・親王・聖
大君(おおいきみ)
八の宮の長女
呼称:姉君・姫君
中君(なかのきみ)
八の宮の二女
呼称:中の宮・君・女
阿闍梨(あじゃり)
呼称:阿闍梨・聖
弁の尼君(べんのあまぎみ)
柏木の乳母の娘
呼称:老い人・古人

 
 以上の内容は、薫の〔〕以外、全て以下の原文のリンクから参照。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  椎本(しいがもと)
 
 

第一章 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る

 
 

第一段 匂宮、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る

 
   如月の二十日のほどに、兵部卿宮、初瀬に詣でたまふ。
 古き御願なりけれど、思しも立たで年ごろになりにけるを、宇治のわたりの御中宿りのゆかしさに、多くは催されたまへるなるべし。
 うらめしと言ふ人もありける里の名の、なべて睦ましう思さるるゆゑもはかなしや。
 上達部いとあまた仕うまつりたまふ。
 殿上人などはさらにもいはず、世に残る人少なう仕うまつれり。
 
 二月の二十日ころに、兵部卿宮、初瀬にお参りになる。
 昔立てた御願のお礼参りであったが、お思い立ちにもならないで数年になってしまったのを、宇治の辺りのご休息宿の興味で、大半の理由は出かける気になられたのであろう。
 恨めしいと言う人もあった里の名が、総じて慕わしくお思いなされる理由もたわいないことであるよ。
 上達部がとても大勢お供なさる。
 殿上人などはさらに言うまでもない、世に残る人はほとんどなくお供申した。
 
   六条院より伝はりて、右大殿知りたまふ所は、川より遠方に、いと広くおもしろくてあるに、御まうけせさせたまへり。
 大臣も、帰さの御迎へに参りたまふべく思したるを、にはかなる御物忌みの、重く慎みたまふべく申したなれば、え参らぬ由のかしこまり申したまへり。
 
 六条院から伝領して、右の大殿が所有していらっしゃる邸は、川の向こうで、たいそう広々と興趣深く造ってあるので、ご準備をさせなさった。
 大臣も、帰途のお迎えに参るおつもりであったが、急の御物忌で、厳重に慎みなさるよう申したというので、参上できない旨のお詫びを申された。
 
   宮、なますさまじと思したるに、宰相中将、今日の御迎へに参りあひたまへるに、なかなか心やすくて、かのわたりのけしきも伝へ寄らむと、御心ゆきぬ。
 大臣をば、うちとけて見えにくく、ことことしきものに思ひきこえたまへり。
 
 宮は、いささか興をそがれた思いがしたが、宰相中将が、今日のお迎えに参上なさっていたので、かえって気が楽で、あの辺りの様子も聞き伝えることができようと、ご満足なさった。
 大臣には、気楽にお会いしがたく、気のおける方とお思い申し上げていらっしゃった。
 
   御子の君たち、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人兵衛佐など、さぶらひたまふ。
 帝、后も心ことに思ひきこえたまへる宮なれば、おほかたの御おぼえもいと限りなく、まいて六条院の御方ざまは、次々の人も、皆私の君に、心寄せ仕うまつりたまふ。
 
 ご子息の公達の、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人兵衛佐などは、みなお供なさる。
 帝、后も特別におかわいがり申されていらっしゃる宮なので、世間一般のご信望もたいそう限りなく、それ以上に六条院のご縁者方は、次々の人も、みな私的なご主君として、親身にお仕え申し上げていらっしゃる。
 
 
 

第二段 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す

 
   所につけて、御しつらひなどをかしうしなして、碁、双六、弾棊の盤どもなど取り出でて、心々にすさび暮らしたまふ。
 宮は、ならひたまはぬ御ありきに、悩ましく思されて、ここにやすらはむの御心も深ければ、うち休みたまひて、夕つ方ぞ、御琴など召して遊びたまふ。
 
 土地に相応しい、ご設営などを興趣深く整えて、碁、双六、弾棊の盤類などを取り出して、思い思いに遊びに一日をお過ごしなさる。
 宮は、お馴れにならない御遠出に、疲れをお感じになって、ここに泊まろうとのお考えが強いので、ちょっとご休憩なさって、夕方は、お琴などを取り寄せてお遊びになる。
 
   例の、かう世離れたる所は、水の音ももてはやして、物の音澄みまさる心地して、かの聖の宮にも、たださし渡るほどなれば、追風に吹き来る響きを聞きたまふに、昔のこと思し出でられて、  例によって、このような世間離れした所は、水の音も引立て役となって、楽の音色もひときわ澄む気がして、あの聖の宮にも、ただ棹一さしで漕ぎ渡れる距離なので、追い風に乗って来る響きをお聞きになると、昔の事が自然と思い出されて、
   「笛をいとをかしうも吹きとほしたなるかな。
 誰ならむ。
 昔の六条院の御笛の音聞きしは、いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹きたまひしか。
 これは澄みのぼりて、ことことしき気の添ひたるは、致仕大臣の御族の笛の音にこそ似たなれ」など、独りごちおはす。
 
 「笛がたいそう美しく聞こえてくるなあ。
 誰であろう。
 昔の六条院のお笛の音を聞いたのは、それは実に興趣深げな愛嬌ある音色にお吹きになったものだ。
 これは澄み上って、大げさな感じが加わっているのは、致仕の大臣のご一族の笛の音に似ているな」などと、独り言をおっしゃる。
 
   「あはれに、久しうなりにけりや。
 かやうの遊びなどもせで、あるにもあらで過ぐし来にける年月の、さすがに多く数へらるるこそ、かひなけれ」
 「ああ、何と昔になってしまったことよ。
 このような遊びもしないで、生きているともいえない状態で過ごしてきた年月が、それでも多く積もったとは、ふがいないことよ」
   などのたまふついでにも、姫君たちの御ありさまあたらしく、「かかる山懐にひき籠めてはやまずもがな」と思し続けらる。
 「宰相の君の、同じうは近きゆかりにて見まほしげなるを、さしも思ひ寄るまじかめり。
 まいて今やうの心浅からむ人をば、いかでかは」など思し乱れ、つれづれと眺めたまふ所は、春の夜もいと明かしがたきを、心やりたまへる旅寝の宿りは、酔の紛れにいと疾う明けぬる心地して、飽かず帰らむことを、宮は思す。
 
 などとおっしゃる折にも、姫君たちのご様子がもったいなく、「このような山中に引き止めたままにはしたくないものだ」とついお思い続けになられる。
 「宰相の君が、同じことなら近い縁者としたい方だが、そのようには考えるわけには行かないようだ。
 まして近頃の思慮の浅いような人を、どうして考えられようか」などとお考え悩まれ、所在なく物思いに耽っていらっしゃる所は、春の夜もたいへん長く感じられるが、打ち興じていらっしゃる旅寝の宿は、酔いの紛れにとても早く夜が明けてしまう気がして、物足りなく帰ることを、宮はお思いになる。
 
   はるばると霞みわたれる空に、散る桜あれば今開けそむるなど、いろいろ見わたさるるに、川沿ひ柳の起きふしなびく水影など、おろかならずをかしきを、見ならひたまはぬ人は、いとめづらしく見捨てがたしと思さる。
 
 はるばると霞わたっている空に、散る桜があると思うと今咲き始めるのなどもあり、色とりどりに見渡されるところに、川沿いの柳が風に起き臥し靡いて水に映っている影などが、並々ならず美しいので、見慣れない方は、たいそう珍しく見捨てがたいとお思いになる。
 
   宰相は、「かかるたよりを過ぐさず、かの宮にまうでばや」と思せど、「あまたの人目をよきて、一人漕ぎ出でたまはむ舟わたりのほども軽らかにや」と思ひやすらひたまふほどに、かれより御文あり。
 
 宰相は、「このような機会を逃さず、あの宮に伺いたい」とお思いになるが、「大勢の人目を避けて独り舟を漕ぎ出しなさるのも軽率ではないか」と躊躇していらっしゃるところに、あちらからお手紙がある。
 
 

632
 「山風に 霞吹きとく 声はあれど
 隔てて見ゆる 遠方の白波」
 「山風に乗って霞を吹き分ける笛の音は聞こえますが
  隔てて見えますそちらの白波です」
 
   草にいとをかしう書きたまへり。
 宮、「思すあたりの」と見たまへば、いとをかしう思いて、「この御返りはわれせむ」とて、
 草仮名でたいそう美しくお書きなっていた。
 宮、「ご関心の所からの」と御覧になると、たいそう興味深くお思いになって、「このお返事はわたしがしよう」と言って、
 

633
 「遠方こちの 汀に波は 隔つとも
 なほ吹きかよへ 宇治の川風」
 「そちらとこちらの汀に波は隔てていても
  やはり吹き通いなさい宇治の川風よ」
 
 
 

第三段 薫、迎えに八の宮邸に来る

 
   中将は参うでたまふ。
 遊びに心入れたる君たち誘ひて、さしやりたまふほど、酣酔楽遊びて、水に臨きたる廊に造りおろしたる階の心ばへなど、さる方にいとをかしう、ゆゑある宮なれば、人びと心して舟よりおりたまふ。
 
 中将はお伺いなさる。
 遊びに夢中になっている公達を誘って、棹さしてお渡りになるとき、「酣酔楽」を合奏して、水に臨んだ廊に造りつけてある階段の趣向などは、その方面ではたいそう風流で、由緒ある宮邸なので、人びとは気をつけて舟からお下りになる。
 
   ここはまた、さま異に、山里びたる網代屏風などの、ことさらにことそぎて、見所ある御しつらひを、さる心してかき払ひ、いといたうしなしたまへり。
 いにしへの、音などいと二なき弾きものどもを、わざとまうけたるやうにはあらで、次々弾き出でたまひて、壱越調の心に、桜人遊びたまふ。
 
 ここはまた、趣が違って、山里めいた網代屏風などで、格別に簡略にして、風雅なお部屋のしつらいを、そのような気持ちで掃除し、たいそう心づかいして整えていらっしゃった。
 昔の、楽の音などまことにまたとない弦楽器類を、特別に用意したようにではなく、次々と弾き出しなさって、壱越調に変えて、「桜人」を演奏なさる。
 
   主人の宮、御琴をかかるついでにと、人びと思ひたまへれど、箏の琴をぞ、心にも入れず、折々掻き合はせたまふ。
 耳馴れぬけにやあらむ、「いともの深くおもしろし」と、若き人びと思ひしみたり。
 
 主人の宮の、お琴をこのような機会にと、人びとはお思いになるが、箏の琴を、さりげなく、時々掻き鳴らしなさる。
 耳馴れないせいであろうか、「たいそう趣深く素晴らしい」と若い人たちは感じ入っていた。
 
   所につけたる饗応、いとをかしうしたまひて、よそに思ひやりしほどよりは、なま孫王めくいやしからぬ人あまた、大君、四位の古めきたるなど、かく人目見るべき折と、かねていとほしがりきこえけるにや、さるべき限り参りあひて、瓶子取る人もきたなげならず、さる方に古めきて、よしよししうもてなしたまへり。
 客人たちは、御女たちの住まひたまふらむ御ありさま、思ひやりつつ、心つく人もあるべし。
 
 土地柄に相応しい饗応を、たいそう風流になさって、はたから想像していた以上に、かすかに皇族の血筋を引くといった素性卑しからぬ人びとが大勢、王族で、四位の年とった人たちなどが、このように大勢客人が見える時にはと、以前からご同情申し上げていたせいか、適当な方々が皆参上し合って、瓶子を取る人もこざっぱりしていて、それはそれとして古風で、風雅にお持てなしなさった。
 客人たちは、宮の姫君たちが住んでいらっしゃるご様子、想像しながら、関心を持つ人もいるであろう。
 
 
 

第四段 匂宮と中の君、和歌を詠み交す

 
   かの宮は、まいてかやすきほどならぬ御身をさへ、所狭く思さるるを、かかる折にだにと、忍びかねたまひて、おもしろき花の枝を折らせたまひて、御供にさぶらふ上童のをかしきしてたてまつりたまふ。
 
 あの宮は、それ以上に気軽に動けないご身分までをも、窮屈にお思いであるが、せめてこのような機会にでもと、たまらなくお思いになって、美しい花の枝を折らせなさって、お供に控えている殿上童でかわいい子を使いにして差し上げなさる。
 
 

634
 「山桜 匂ふあたりに 尋ね来て
 同じかざしを 折りてけるかな
 「山桜が美しく咲いている辺りにやって来て
  同じこの地の美しい桜を插頭しに手折ったことです
 
   野を睦ましみ」  野が睦まじいので」
   とやありけむ。
 「御返りは、いかでかは」など、聞こえにくく思しわづらふ。
 
 とでもあったのであろうか。
 「お返事は、とてもできない」などと、差し上げにくく当惑していらっしゃる。
 
   「かかる折のこと、わざとがましくもてなし、ほどの経るも、なかなか憎きことになむしはべりし」  「このような時のお返事は、特別なふうに考えて、時間をかけ過ぎるのも、かえって憎らしいことでございます」
   など、古人ども聞こゆれば、中の君にぞ書かせたてまつりたまふ。
 
 などと、老女房たちが申し上げるので、中の君にお書かせ申し上げなさる。
 
 

635
 「かざし折る 花のたよりに 山賤の
 垣根を過ぎぬ 春の旅人
 「插頭の花を手折るついでに、山里の家は
  通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょう
 
   野をわきてしも」  わざわざ野を分けてまでもありますまい」
   と、いとをかしげに、らうらうじく書きたまへり。
 
 と、たいそう美しく、上手にお書きになっていた。
 
   げに、川風も心わかぬさまに吹き通ふ物の音ども、おもしろく遊びたまふ。
 御迎へに、藤大納言、仰せ言にて参りたまへり。
 人びとあまた参り集ひ、もの騒がしくてきほひ帰りたまふ。
 若き人びと、飽かず返り見のみせられける。
 宮は、「またさるべきついでして」と思す。
 
 なるほど、川風も隔て心をおかずに吹き通う楽の音を、面白く合奏なさる。
 お迎えに、藤大納言が、勅命によって参上なさった。
 人びとが大勢参集して、何かと騒がしくして先を争ってお帰りになる。
 若い人たちは、物足りなく、ついつい後を振り返ってばかりいた。
 宮は、「また何かの機会に」とお思いになる。
 
   花盛りにて、四方の霞も眺めやるほどの見所あるに、唐のも大和のも、歌ども多かれど、うるさくて尋ねも聞かぬなり。
 
 花盛りで、四方の霞も眺めやる見所があるので、漢詩や和歌も、作品が多く作られたが、わずらわしいので詳しく尋ねもしないのである。
 
   もの騒がしくて、思ふままにもえ言ひやらずなりにしを、飽かず宮は思して、しるべなくても御文は常にありけり。
 宮も、
 何かと騒々しくて、思うようにも意を尽くして言いやることもできずじまいだったことを、残念に宮はお思いになって、手引なしでもお手紙は常にあるのだった。
 宮も、
   「なほ、聞こえたまへ。
 わざと懸想だちてももてなさじ。
 なかなか心ときめきにもなりぬべし。
 いと好きたまへる親王なれば、かかる人なむ、と聞きたまふが、なほもあらぬすさびなめり」
 「やはり、お返事は差し上げなさい。
 ことさら懸想文のようには扱うまい。
 かえって心をときめかさせることになってしまいましょう。
 たいそう好色の親王なので、このような姫がいる、とお聞きになると、放っておけないと思うだけの戯れ事なのでしょう」
   と、そそのかしたまふ時々、中の君ぞ聞こえたまふ。
 姫君は、かやうのこと、戯れにももて離れたまへる御心深さなり。
 
 と、お促しなさる時々、中の君がお返事申し上げなさる。
 姫君は、このようなことは、冗談事にもご関心のないご思慮深さである。
 
   いつとなく心細き御ありさまに、春のつれづれは、いとど暮らしがたく眺めたまふ。
 ねびまさりたまふ御さま容貌ども、いよいよまさり、あらまほしくをかしきも、なかなか心苦しく、「かたほにもおはせましかば、あたらしう、惜しき方の思ひは薄くやあらまし」など、明け暮れ思し乱る。
 
 いつとなく心細いご様子で、春の日長の所在なさは、ますます過ごしがたく物思いに耽っていらっしゃる。
 ご成長なさったご容姿器量も、ますます優れ、申し分なく美しいのにつけても、かえっておいたわしく、「不器量であったら、もったいなく、惜しいなどの思いは少なかったろうに」などと、明け暮れお悩みになる。
 
   姉君二十五、中の君二十三にぞなりたまひける。
 
 姉君は二十五歳、中の君は二十三歳におなりであった。
 
 
 

第五段 八の宮、娘たちへの心配

 
   宮は、重く慎みたまふべき年なりけり。
 もの心細く思して、御行ひ常よりもたゆみなくしたまふ。
 世に心とどめたまはねば、出で立ちいそぎをのみ思せば、涼しき道にも赴きたまひぬべきを、ただこの御ことどもに、いといとほしく、限りなき御心強さなれど、「かならず、今はと見捨てたまはむ御心は、乱れなむ」と、見たてまつる人も推し量りきこゆるを、思すさまにはあらずとも、なのめに、さても人聞き口惜しかるまじう、見ゆるされぬべき際の人の、真心に後見きこえむ、など、思ひ寄りきこゆるあらば、知らず顔にてゆるしてむ、一所一所世に住みつきたまふよすがあらば、それを見譲る方に慰めおくべきを、さまで深き心に尋ねきこゆる人もなし。
 
 宮は、重く身を慎むべきお年なのであった。
 何となく心細くお思いになって、ご勤行を例年よりも弛みなくなさる。
 この世に執着なさっていないので、死出の旅立ちの用意ばかりをお考えなので、極楽往生も間違いないお方だが、ただこの姫君たちの事に、たいそうお気の毒で、この上ない道心の強さだが、「かならず、今が最期とお見捨てなさる時のお気持ちは、きっと乱れるだろう」と、拝する女房もご推察申し上げるが、お思いの通りではなくても、並に、それでも人聞きの悪くなく、世間から認めてもらえる身分の人で、真実に後見申し上げよう、などと、思ってくれる方がいたら、知らぬ顔をして黙認しよう、一人一人が人並みに結婚する縁があったら、その人に譲って安心もできようが、そこまで深い心で言い寄る人はいない。
 
   まれまれはかなきたよりに、好きごと聞こえなどする人は、まだ若々しき人の心のすさびに、物詣での中宿り、行き来のほどのなほざりごとに、けしきばみかけて、さすがに、かく眺めたまふありさまなど推し量り、あなづらはしげにもてなすは、めざましうて、なげのいらへをだにせさせたまはず。
 三の宮ぞ、なほ見ではやまじと思す御心深かりける。
 さるべきにやおはしけむ。
 
 時たまちょっとしたきっかけで、懸想めいたことを言う人は、まだ年若い人の遊び心で、物詣での中宿りや、その往来の慰み事に、それらしいことを言っても、やはり、このように落ちぶれた様子などを想像して、軽んじて扱うのは、心外なので、なおざりの返事をさえおさせにならない。
 三の宮は、やはりお会いしないではいられないとのお思いが深いのであった。
 前世からの約束事でいらしたのであろうか。
 
 
 

第二章 薫の物語 秋、八の宮死去す

 
 

第一段 秋、薫、中納言に昇進し、宇治を訪問

 
   宰相中将、その秋、中納言になりたまひぬ。
 いとど匂ひまさりたまふ。
 世のいとなみに添へても、思すこと多かり。
 いかなることと、いぶせく思ひわたりし年ごろよりも、心苦しうて過ぎたまひにけむいにしへざまの思ひやらるるに、罪軽くなりたまふばかり、行ひもせまほしくなむ。
 かの老い人をばあはれなるものに思ひおきて、いちじるきさまならず、とかく紛らはしつつ、心寄せ訪らひたまふ。
 
 宰相中将は、その年の秋に、中納言におなりになった。
 ますますご立派におなりになる。
 公務が多忙になるにつけても、お悩みになることが多かった。
 どのような事かと、気がかりに思い続けてきた往年よりも、おいたわしくお亡くなりになったという故人の様子が思いやられるので、罪障が軽くおなりになる程の、勤行もしたく思う。
 あの老女をもお気の毒な人とお思いになって、目立ってではなく、何かと紛らわし紛らわししては、好意を寄せお見舞いなさる。
 
   宇治に参うでで久しうなりにけるを、思ひ出でて参りたまへり。
 七月ばかりになりにけり。
 都にはまだ入りたたぬ秋のけしきを、音羽の山近く、風の音もいと冷やかに、槙の山辺もわづかに色づきて、なほ尋ね来たるに、をかしうめづらしうおぼゆるを、宮はまいて、例よりも待ち喜びきこえたまひて、このたびは、心細げなる物語、いと多く申したまふ。
 
 宇治に参らず久しくなってしまったのを、思い出してご訪問なさった。
 七月ごろになってしまったのだ。
 都ではまだ訪れない秋の気配を、音羽山近くの、風の音もたいそう冷やかで、槙の山辺もわずかに色づき初めて、やはり山路に入ると、趣深く珍しく思われるが、宮はそれ以上に、いつもよりお待ち喜び申し上げなさって、今回は、心細そうな話を、たいそう多く申し上げなさる。
 
   「亡からむ後、この君たちを、さるべきもののたよりにもとぶらひ、思ひ捨てぬものに数まへたまへ」  「亡くなった後、この姫君たちを、何かの機会にはお尋ね下さり、お見捨てにならない中にお数え下さい」
   など、おもむけつつ聞こえたまへば、  などと、意中をそれとなく申し上げなさると、
   「一言にても承りおきてしかば、さらに思うたまへおこたるまじくなむ。
 世の中に心をとどめじと、はぶきはべる身にて、何ごとも頼もしげなき生ひ先の少なさになむはべれど、さる方にてもめぐらいはべらむ限りは、変らぬ心ざしを御覧じ知らせむとなむ思うたまふる」
 「一言なりとも先に承っておりましたので、決して疎かには致しません。
 現世に執着しまいと、係累を持たないでおります身なので、何事も頼りがいのなく将来性のない身でございますが、そのようなふうでしても生き永らえておりますうちは、変わらない気持ちを御覧になっていただこうと存じます」
   など聞こえたまへば、うれしと思いたり。
 
 などと申し上げなさると、嬉しくお思いになった。
 
 
 

第二段 薫、八の宮と昔語りをする

 
   夜深き月の明らかにさし出でて、山の端近き心地するに、念誦いとあはれにしたまひて、昔物語したまふ。
 
 まだ夜明けには遠い月が明るく差し出して、山の端が近い感じがするので、念誦をたいそうしみじみと唱えなさって、昔話をなさる。
 
   「このころの世は、いかがなりにたらむ。
 宮中などにて、かやうなる秋の月に、御前の御遊びの折にさぶらひあひたる中に、ものの上手とおぼしき限り、とりどりにうち合はせたる拍子など、ことことしきよりも、よしありとおぼえある女御、更衣の御局々の、おのがじしは挑ましく思ひ、うはべの情けを交はすべかめるに、夜深きほどの人の気しめりぬるに、心やましく掻い調べ、ほのかにほころび出でたる物の音など、聞き所あるが多かりしかな。
 
 「最近の世の中は、どのようになったのでしょうか。
 宮中などでは、このような秋の月の夜に、御前での管弦の御遊の時に伺候する人達の中で、楽器の名人と思われる人びとばかりが、それぞれ得意の楽器を合奏しあった調子などは、仰々しいのよりも、嗜みがあると評判の女御、更衣の御局々が、それぞれは張り合っていて、表面的な付き合いはしているようで、夜更けたころの辺りが静まった時分に、悩み深い風情に掻き調べ、かすかに流れ出た楽の音色などが、聞きどころのあるのが多かったな。
 
   何ごとにも、女は、もてあそびのつまにしつべく、ものはかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。
 されば、罪の深きにやあらむ。
 子の道の闇を思ひやるにも、男は、いとしも親の心を乱さずやあらむ。
 女は、限りありて、いふかひなき方に思ひ捨つべきにも、なほ、いと心苦しかるべき」
 何事につけても、女性というのは、慰み事の相手にちょうどよく、何となく頼りないものの、人の心を動かす種であるのでしょう。
 それだから、罪が深いのでしょうか。
 子を思う道の闇を思いやるにも、男の子は、それほども親の心を乱さないであろうか。
 女の子は、運命があって、何とも言いようがないと諦めてしまうような場合でも、やはり、とても気にかかるもののようです」
   など、おほかたのことにつけてのたまへる、いかがさ思さざらむ、心苦しく思ひやらるる御心のうちなり。
 
 などと、一般論としておっしゃるが、どうしてそのようにお思いにならないことがあろうか、おいたわしく推察される宮のご心中である。
 
   「すべて、まことに、しか思うたまへ捨てたるけにやはべらむ、みづからのことにては、いかにもいかにも深う思ひ知る方のはべらぬを、げにはかなきことなれど、声にめづる心こそ、背きがたきことにはべりけれ。
 さかしう聖だつ迦葉も、さればや、立ちて舞ひはべりけむ」
 「すべて、ほんとうに、先程申し上げましたようにすべてこの世の事は執着を捨ててしまったせいでしょうか、自分自身のことは、どのようなこととも深く分かりませんが、なるほどつまらないことですが、音楽を愛する心だけは、捨てることができません。
 賢く修業する迦葉も、そうですから、立って舞ったのでございましょう」
   など聞こえて、飽かず一声聞きし御琴の音を、切にゆかしがりたまへば、うとうとしからぬ初めにもとや思すらむ、御みづからあなたに入りたまひて、切にそそのかしきこえたまふ。
 箏の琴をぞ、いとほのかに掻きならしてやみたまひぬる。
 いとど人のけはひも絶えて、あはれなる空のけしき、所のさまに、わざとなき御遊びの心に入りてをかしうおぼゆれど、うちとけてもいかでかは弾き合はせたまはむ。
 
 などと申し上げて、名残惜しく聞いたお琴の音を、切にご希望なさるので、親しくなるきっかけにでもとお思いになってか、ご自身はあちらにお入りになって、切にお勧め申し上げなさる。
 箏の琴を、とてもかすかに掻き鳴らしてお止めになった。
 常にもまして人の気配もなくひっそりとして、しみじみとした空の様子、場所柄から、ことさらでない音楽の遊びが心にしみて興趣深く思われるが、気を許してどうして合奏なさろうか。
 
   「おのづからかばかりならしそめつる残りは、世籠もれるどちに譲りきこえてむ」  「自然とこれくらい引き合わせた後は、若い者同士にお任せ申そう」
   とて、宮は仏の御前に入りたまひぬ。
 
 と言って、宮は仏の御前にお入りになった。
 
 

636
 「われなくて 草の庵は 荒れぬとも
 このひとことは かれじとぞ思ふ
 「わたしが亡くなって草の庵が荒れてしまっても
  この一言の約束だけは守ってくれようと存じます
 
   かかる対面もこのたびや限りならむと、もの心細きに忍びかねて、かたくなしきひが言多くもなりぬるかな」  このようにお目にかかることも今回が最後になるだろうと、何となく心細いのに堪えかねて、愚かなことを多くも言ってしまったな」
   とて、うち泣きたまふ。
 客人、
 と言って、お泣きになる。
 客人は、
 

637
 「いかならむ 世にかかれせむ 長き世の
 契りむすべる 草の庵は
 「どのような世になりましても訪れなくなることはありません
  この末長く約束を結びました草の庵には
 
   相撲など、公事ども紛れはべるころ過ぎて、さぶらはむ」  相撲など、公務に忙しいころが過ぎましたら、伺いましょう」
   など聞こえたまふ。
 
 などと申し上げなさる。
 
 
 

第三段 薫、弁の君から昔語りを聞き、帰京

 
   こなたにて、かの問はず語りの古人召し出でて、残り多かる物語などせさせたまふ。
 入り方の月、隈なくさし入りて、透影なまめかしきに、君たちも奥まりておはす。
 世の常の懸想びてはあらず、心深う物語のどやかに聞こえつつものしたまへば、さるべき御いらへなど聞こえたまふ。
 
 こちらで、あの問わず語りの老女を召し出して、残りの多い話などをおさせになる。
 入方の月が、すっかり明るく差し込んで、透影が優美なので、姫君たちも奥まった所にいらっしゃる。
 世の常の懸想人のようではなく、思慮深くお話を静かに申し上げていらっしゃるので、しかるべきお返事などを申し上げなさる。
 
   「三の宮、いとゆかしう思いたるものを」と、心のうちには思ひ出でつつ、「わが心ながら、なほ人には異なりかし。
 さばかり御心もて許いたまふことの、さしもいそがれぬよ。
 もて離れて、はたあるまじきこととは、さすがにおぼえず。
 かやうにてものをも聞こえ交はし、折ふしの花紅葉につけて、あはれをも情けをも通はすに、憎からずものしたまふあたりなれば、宿世異にて、他ざまにもなりたまはむは」、さすがに口惜しかるべう、領じたる心地しけり。
 
 「三の宮が、たいそうご執心でいられる」と、心中には思い出しながら、「自分ながら、やはり普通の人とは違っているぞ。
 あれほど宮ご自身がお許しになることを、それほどにも急ぐ気にもなれないことよ。
 が、結婚など思いもよらないことだとは、さすがに思われない。
 このようにして言葉を交わし、季節折々の花や紅葉につけて、感情や情趣を通じ合うのに、憎からず感じられる方でいらっしゃるので、自分と縁がなく、他人と結婚なさるのは」、やはり残念なことだろうと、自分のもののような気がするのであった。
 
   まだ夜深きほどに帰りたまひぬ。
 心細く残りなげに思いたりし御けしきを、思ひ出できこえたまひつつ、「騒がしきほど過ぐして参うでむ」と思す。
 兵部卿宮も、この秋のほどに紅葉見におはしまさむと、さるべきついでを思しめぐらす。
 
 まだ夜明けに間のあるうちにお帰りになった。
 心細く先も長くなさそうにお思いになったご様子を、お思い出し申し上げながら、「忙しい時期を過ごしてから伺おう」とお思いになる。
 兵部卿宮も、今年の秋のころに紅葉を見にいらっしゃりたいと、適当な機会をお考えになる。
 
   御文は、絶えずたてまつりたまふ。
 女は、まめやかに思すらむとも思ひたまはねば、わづらはしくもあらで、はかなきさまにもてなしつつ、折々に聞こえ交はしたまふ。
 
 お手紙は、絶えず差し上げなさる。
 女は、本気でお考えになっているのだろうとはお思いでないので、厄介にも思わず、何気ない態度で、時々ご文通なさる。
 
 
 

第四段 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る

 
   秋深くなりゆくままに、宮は、いみじうもの心細くおぼえたまひければ、「例の、静かなる所にて、念仏をも紛れなうせむ」と思して、君たちにもさるべきこと聞こえたまふ。
 
 秋が深まって行くにつれて、宮は、ひどく何となく心細くお感じになったので、「いつものように、静かな場所で、念仏を専心に行おう」とお思いになって、姫君たちにもしかるべきことを申し上げなさる。
 
   「世のこととして、つひの別れを逃れぬわざなめれど、思ひ慰まむ方ありてこそ、悲しさをも覚ますものなめれ。
 また見譲る人もなく、心細げなる御ありさまどもを、うち捨ててむがいみじきこと。
 
 「この世の習いとして、永遠の別れは避けられないもののようだが、気の慰まるようなことがあれば、悲しさも薄らぐもののようです。
 また後事を託せる人もなく、心細いご様子の二人を、うち捨てて行くことがまことに辛い。
 
   されども、さばかりのことに妨げられて、長き夜の闇にさへ惑はむが益なさを。
 かつ見たてまつるほどだに思ひ捨つる世を、去りなむうしろのこと、知るべきことにはあらねど、わが身一つにあらず、過ぎたまひにし御面伏せに、軽々しき心どもつかひたまふな。
 
 けれども、その程度のことで妨げられて、無明長夜の闇にまで迷うのは無益なことだ。
 一方でお世話して来た今でさえ執着を断ち切っていたのだから、亡くなった後のことは、知ることはできないものであるが、私一人だけのためでなく、お亡くなりになった母君の面目をもつぶさぬよう、軽率な考えをなさいますな。
 
   おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。
 ただ、かう人に違ひたる契り異なる身と思しなして、ここに世を尽くしてむと思ひとりたまへ。
 ひたぶるに思ひなせば、ことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。
 まして、女は、さる方に絶え籠もりて、いちしるくいとほしげなる、よそのもどきを負はざらむなむよかるべき」
 しっかりと頼りになる人以外には、相手の言葉に従って、この山里を離れなさるな。
 ただ、このように世間の人と違った運命の身とお思いになって、ここで一生を終わるのだとお悟りなさい。
 一途にその気になれば、何事もなく過ぎてしまう歳月なのである。
 まして、女性は、女らしくひっそりと閉じ籠もって、ひどくみっともない、世間からの非難を受けないのがよいでしょう」
   などのたまふ。
 ともかくも身のならむやうまでは、思しも流されず、ただ、「いかにしてか、後れたてまつりては、世に片時もながらふべき」と思すに、かく心細きさまの御あらましごとに、言ふ方なき御心惑ひどもになむ。
 心のうちにこそ思ひ捨てたまひつらめど、明け暮れ御かたはらにならはいたまうて、にはかに別れたまはむは、つらき心ならねど、げに恨めしかるべき御ありさまになむありける。
 
 などとおっしゃる。
 どうなるかの将来の身の上のありようまでは、お考えも及ばず、ただ、「どのようにして、先立たれ申して後は、この世に片時も生きていられようか」とお思いになると、このように心細い状態を前もっておっしゃるので、何とも言いようもないお二方の嘆きである。
 心の中でこそ執着をお捨てになっていらしたようであるが、明け暮れお側に馴れ親しみなさって、急に別れなさるのは、冷淡な心からではないが、なるほど恨めしいに違いないご様子だったのである。
 
   明日、入りたまはむとての日は、例ならず、こなたかなた、たたずみ歩きたまひて見たまふ。
 いとものはかなく、かりそめの宿りにて過ぐいたまひける御住まひのありさまを、「亡からむのち、いかにしてかは、若き人の絶え籠もりては過ぐいたまはむ」と、涙ぐみつつ念誦したまふさま、いときよげなり。
 
 明日、ご入山なさるという日は、いつもと違って、あちらこちらと、邸内を歩きなさって御覧になる。
 たいそう頼りなく、仮の宿としてお過ごしになったお住まいの様子を、「亡くなった後、どのようにして、若い姫君たちが絶え籠もってお過ごしになれようか」と、涙ぐみながら念誦なさる様子は、たいそう清らかである。
 
   おとなびたる人びと召し出でて、  年配の女房たちを召し出して、
   「うしろやすく仕うまつれ。
 何ごとも、もとよりかやすく、世に聞こえあるまじき際の人は、末の衰へも常のことにて、紛れぬべかめり。
 かかる際になりぬれば、人は何と思はざらめど、口惜しうてさすらへむ、契りかたじけなく、いとほしきことなむ、多かるべき。
 もの寂しく心細き世を経るは、例のことなり。
 
 「心配のないようにお仕えしなさい。
 何事も、もともと気がねなく暮らして、世間に噂にならないような身分の人は、子孫の零落することもよくあることで、目立ちもしないようだ。
 このような身分になると、世間の人は何とも思わないだろうが、みじめな有様で流浪するのは、至尊の血筋に生まれた宿縁に対して不面目で、心苦しいことが、多いだろう。
 物寂しく心細い世の中を送ることは、世の常である。
 
   生まれたる家のほど、おきてのままにもてなしたらむなむ、聞き耳にも、わが心地にも、過ちなくはおぼゆべき。
 にぎははしく人数めかむと思ふとも、その心にもかなふまじき世とならば、ゆめゆめ軽々しく、よからぬ方にもてなしきこゆな」
 生まれた家の格式、しきたり通りに身を処するというのが、人聞きにも、自分の気持ちとしても、間違いのないように思われるだろう。
 贅沢な人並みの生活をしようと望んでも、その思う通りにならない時勢であったら、決して決して軽々しく、良くない男をお取り持ち申すな」
   などのたまふ。
 
 などとおっしゃる。
 
   まだ暁に出でたまふとても、こなたに渡りたまひて、  まだ夜の明けないうちにお出になろうとして、こちらにお渡りになって、
   「無からむほど、心細くな思しわびそ。
 心ばかりはやりて遊びなどはしたまへ。
 何ごとも思ふにえかなふまじき世を。
 思し入られそ」
 「留守の間、心細くお嘆きなさるな。
 気持ちだけは明るく持って音楽の遊びなどはなさい。
 何事も思うに適わない世の中だ。
 深刻に思い詰めなさるな」
   など、返り見がちにて出でたまひぬ。
 二所、いとど心細くもの思ひ続けられて、起き臥しうち語らひつつ、
 などと、振り返りながらお出になった。
 お二方は、ますます心細く物思いに閉ざされて、寝ても起きても語り合いながら、
   「一人一人なからましかば、いかで明かし暮らさまし」  「どちらか一方がいなくなったら、どのようにして暮らしていけましょうか」
   「今、行く末も定めなき世にて、もし別るるやうもあらば」  「今は、将来もはっきりしないこの世で、もし別れるようなことがあったら」
   など、泣きみ笑ひみ、戯れごともまめごとも、同じ心に慰め交して過ぐしたまふ。
 
 などと、泣いたり笑ったりしながら、冗談も真実も、同じ気持ちで慰め合いながらお過ごしになる。
 
 
 

第五段 八月二十日、八の宮、山寺で死去

 
   かの行ひたまふ三昧、今日果てぬらむと、いつしかと待ちきこえたまふ夕暮に、人参りて、  あの勤行なさる念仏三昧は、今日終わることだろうと、今か今かとお待ち申し上げていらっしゃる夕暮に、使者が参って、
   「今朝より、悩ましくてなむ、え参らぬ。
 風邪かとて、とかくつくろふとものするほどになむ。
 さるは、例よりも対面心もとなきを」
 「今朝から、気分が悪くなって、参ることができない。
 風邪かと思って、あれこれと手当てしているところです。
 それにしても、いつもよりお目にかかりたいのだが」
   と聞こえたまへり。
 胸つぶれて、いかなるにかと思し嘆き、御衣ども綿厚くて、急ぎせさせたまひて、たてまつれなどしたまふ。
 二、三日怠りたまはず。
 「いかに、いかに」と、人たてまつりたまへど、
 と申し上げなさっていた。
 胸がどきりとして、どのようなことでかとお嘆きになり、御法衣類に綿を厚くして、急いで準備させなさって、お届け申し上げなさる。
 二、三日良くおなりにならない。
 「どのようですか、どのようですか」と、使者を差し向けなさるが、
   「ことにおどろおどろしくはあらず。
 そこはかとなく苦しうなむ。
 すこしもよろしくならば、今、念じて」
 「特にひどく悪いというのではない。
 どことなく苦しいのです。
 もう少し良くなっら、じきに、我慢してでも帰ろう」
   など、言葉にて聞こえたまふ。
 阿闍梨つとさぶらひて仕うまつりける。
 
 などと、口上で申し上げなさる。
 阿闍梨がぴったりと付き添ってお世話申し上げているのであった。
 
   「はかなき御悩みと見ゆれど、限りのたびにもおはしますらむ。
 君たちの御こと、何か思し嘆くべき。
 人は皆、御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず」
 「ちょっとしたご病気と見えるが、最期でいらっしゃるかも知れない。
 姫君たちのご将来の事は、何のお嘆きになることがありましょうか。
 人は皆、それぞれ運命というものは別々なので、ご心配なさっても何にもなりません」
   と、いよいよ思し離るべきことを聞こえ知らせつつ、「今さらにな出でたまひそ」と、諌め申すなりけり。
 
 と、ますます出離なさらねばならないことを申し上げ知らせながら、「いまさら下山なさいますな」と、ご忠告申し上げるのであった。
 
   八月二十日のほどなりけり。
 おほかたの空のけしきもいとどしきころ、君たちは、朝夕、霧の晴るる間もなく、思し嘆きつつ眺めたまふ。
 有明の月のいとはなやかにさし出でて、水の面もさやかに澄みたるを、そなたの蔀上げさせて、見出だしたまへるに、鐘の声かすかに響きて、「明けぬなり」と聞こゆるほどに、人びと来て、
 八月二十日のころであった。
 ただでさえ空の様子のひときわ物悲しいころ、姫君たちは、朝夕の、霧の晴間もなく、お嘆きになりながら物思いに沈んでいらっしゃる。
 有明の月がたいそう明るく差し出して、川の表面もはっきりと澄んでいるのを、そちらの蔀を上げさせて、お覗きになっていらっしゃると、鐘の音がかすかに響いて来て、「夜が明けたようだ」と申し上げるころに、人びとが来て、
   「この夜中ばかりになむ、亡せたまひぬる」  「この夜半頃に、お亡くなりになりました」
   と泣く泣く申す。
 心にかけて、いかにとは絶えず思ひきこえたまへれど、うち聞きたまふには、あさましくものおぼえぬ心地して、いとどかかることには、涙もいづちか去にけむ、ただうつぶし臥したまへり。
 
 と泣く泣く申し上げる。
 心に懸けて、どうしていられるかと絶えずご心配申し上げていらっしゃったが、突然お聞きになって、驚いて真暗な気持ちになって、ますますこのようなことには、涙もどこに行っておしまいになったのであろうか、ただうつ伏していらっしゃった。
 
   いみじき目も、見る目の前にておぼつかなからぬこそ、常のことなれ、おぼつかなさ添ひて、思し嘆くこと、ことわりなり。
 しばしにても、後れたてまつりて、世にあるべきものと思しならはぬ御心地どもにて、いかでかは後れじと泣き沈みたまへど、限りある道なりければ、何のかひなし。
 
 悲しい死別といっても、目の当たりに立ち会ってはっきり見届けるのが、世の常のことであるが、どのような最期であったのかの心残りも添わって、お嘆きになることは、もっともなことである。
 片時の間でも、先立たれ申しては、この世に生きていられようとは考えていらっしゃらなかったお二方なので、是非とも後を追いたいと泣き沈んでいらっしゃるが、寿命の定まった運命のある死出の旅路だったので、何の効もない。
 
 
 

第六段 阿闍梨による法事と薫の弔問

 
   阿闍梨、年ごろ契りおきたまひけるままに、後の御こともよろづに仕うまつる。
 
 阿闍梨は、長年お約束なさっていたことに従って、後のご法事も万事にお世話致す。
 
   「亡き人になりたまへらむ御さま容貌をだに、今一度見たてまつらむ」  「亡き人におなりになってしまわれたというお姿ご様子だけでも、もう一度拝見したい」
   と思しのたまへど、  とお考えになりおっしゃるが、
   「今さらに、なでふさることかはべるべき。
 日ごろも、また会ひたまふまじきことを聞こえ知らせつれば、今はまして、かたみに御心とどめたまふまじき御心遣ひを、ならひたまふべきなり」
 「いまさら、どうしてそのような必要がございましょうか。
 この日頃も、お会いしてはならないとお諭し申し上げていたので、今はそれ以上に、お互いにご執心なさってはいけないとのお心構えを、お知りになるべきです」
   とのみ聞こゆ。
 おはしましける御ありさまを聞きたまふにも、阿闍梨のあまりさかしき聖心を、憎くつらしとなむ思しける。
 
 とだけ申し上げる。
 山籠もりしていらっしゃった時のご様子をお聞きになるにつけても、阿闍梨のあまりに悟り澄ました聖心を、憎く辛いとお思いになるのであった。
 
   入道の御本意は、昔より深くおはせしかど、かう見譲る人なき御ことどもの見捨てがたきを、生ける限りは明け暮れえ避らず見たてまつるを、よに心細き世の慰めにも、思し離れがたくて過ぐいたまへるを、限りある道には、先だちたまふも慕ひたまふ御心も、かなはぬわざなりけり。
 
 出家のご本願は、昔から深くいらっしゃったが、このように見譲る人もない姫君たちのご将来の見捨てがたいことを、生きている間は明け暮れ離れずに面倒を見て上げるのを、本当に侘しい暮らしの慰めとも、お思いになって離れがたく過ごしていらしたのだが、限りある運命の道には、先立ちなさる心配も後を慕いなさるお心も、思うにまかせないことであった。
 
   中納言殿には、聞きたまひて、いとあへなく口惜しく、今一度、心のどかにて聞こゆべかりけること多う残りたる心地して、おほかた世のありさま思ひ続けられて、いみじう泣いたまふ。
 「またあひ見ること難くや」などのたまひしを、なほ常の御心にも、朝夕の隔て知らぬ世のはかなさを、人よりけに思ひたまへりしかば、耳馴れて、昨日今日と思はざりけるを、かへすがへす飽かず悲しく思さる。
 
 中納言殿におかれては、お耳になさって、まことにあっけなく残念に、もう一度、ゆっくりとお話申し上げたいことがたくさん残っている気がして、人の世の無常が思い続けられて、ひどくお泣きになる。
 「再びお目にかかることは難しいだろうか」などとおっしゃっていたが、やはりいつものお心にも、朝夕の隔ても当てにならない世のはかなさを、誰よりも殊にお感じになっていたので、耳馴れて、昨日今日とは思わなかったが、繰り返し繰り返し諦め切れず悲しくお思いなさる。
 
   阿闍梨のもとにも、君たちの御弔らひも、こまやかに聞こえたまふ。
 かかる御弔らひなど、また訪れきこゆる人だになき御ありさまなるは、ものおぼえぬ御心地どもにも、年ごろの御心ばへのあはれなめりしなどをも、思ひ知りたまふ。
 
 阿闍梨のもとにも、姫君たちのご弔問も、心をこめて差し上げなさる。
 このようなご弔問など、また他に誰も訪れる人さえいないご様子なのは、悲しみにくれている姫君たちにも、年来のご厚誼のありがたかったことをお分かりになる。
 
   「世の常のほどの別れだに、さしあたりては、またたぐひなきやうにのみ、皆人の思ひ惑ふものなめるを、慰むかたなげなる御身どもにて、いかやうなる心地どもしたまふらむ」と思しやりつつ、後の御わざなど、あるべきことども、推し量りて、阿闍梨にも訪らひたまふ。
 ここにも、老い人どもにことよせて、御誦経などのことも思ひやりたまふ。
 
 「世間普通の死別でさえ、その当座は、比類なく悲しいようにばかり、誰でも悲しみにくれるようなのに、まして気を慰めようもないお身の上では、どのようにお悲しみになっていられるだろう」と想像なさりながら、後のご法事など、しなければならないことを想像して、阿闍梨にも挨拶なさる。
 こちらにも、老女たちにかこつけて、御誦経などのことをご配慮なさる。
 
 
 

第三章 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち

 
 

第一段 九月、忌中の姫君たち

 
   明けぬ夜の心地ながら、九月にもなりぬ。
 野山のけしき、まして袖の時雨をもよほしがちに、ともすればあらそひ落つる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝も、一つもののやうに暮れ惑ひて、「かうては、いかでか、限りあらむ御命も、しばしめぐらいたまはむ」と、さぶらふ人びとは、心細く、いみじく慰めきこえつつ。
 
 夜の明けない心地のまま、九月になった。
 野山の様子、まして時雨が涙を誘いがちで、ややもすれば先を争って落ちる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝も、一緒のように分からなくなって、「こうしていては、どうして、定めのあるご寿命も、しばらくの間もお保ちになれようか」と、お仕えする女房たちは、心細く、ひどくお慰め申し上げ、お慰め申し上げしつつ。
 
   ここにも念仏の僧さぶらひて、おはしましし方は、仏を形見に見たてまつりつつ、時々参り仕うまつりし人びとの、御忌に籠もりたる限りは、あはれに行ひて過ぐす。
 
 こちらにも念仏の僧が伺候して、故宮のいらした部屋は、仏像を形見と拝し上げながら、時々参上してお仕えしていた者たちで、御忌に籠もっている人びとは皆、しみじみと勤行して過ごす。
 
   兵部卿宮よりも、たびたび弔らひきこえたまふ。
 さやうの御返りなど、聞こえむ心地もしたまはず。
 おぼつかなければ、「中納言にはかうもあらざなるを、我をばなほ思ひ放ちたまへるなめり」と、恨めしく思す。
 紅葉の盛りに、文など作らせたまはむとて、出で立ちたまひしを、かく、このわたりの御逍遥、便なきころなれば、思しとまりて口惜しくなむ。
 
 兵部卿宮からも、度々ご弔問申し上げなさる。
 そのようなお返事など、差し上げる気もなさらない。
 何の返事もないので、「中納言にはこうではないだろうに、自分をやはり疎んじていらっしゃるらしい」と、恨めしくお思いになる。
 紅葉の盛りに、詩文などを作らせなさろうとして、お出かけになるご予定だったが、こうしたことになって、この近辺のご逍遥は、不都合な折なのでご中止なさって、残念に思っていらっしゃる。
 
 
 

第二段 匂宮からの弔問の手紙

 
   御忌も果てぬ。
 限りあれば、涙も隙もやと思しやりて、いと多く書き続けたまへり。
 時雨がちなる夕つ方、
 御忌中も終わった。
 限りがあるので、涙も絶え間があろうかとお思いやりになって、とてもたくさんお書き綴りなさった。
 時雨がちの夕方、
 

638
 「牡鹿鳴く 秋の山里 いかならむ
 小萩が露の かかる夕暮
 「牡鹿の鳴く秋の山里はいかがお暮らしでしょうか
  小萩に露のかかる夕暮時は
 
   ただ今の空のけしき、思し知らぬ顔ならむも、あまり心づきなくこそあるべけれ。
 枯れゆく野辺も、分きて眺めらるるころになむ」
 ちょうど今の空の様子、ご存知ないふりをなさるのでしたら、あまりにひどいことでございます。
 枯れて行く野辺も、特別のものとして眺められるころでございます」
   などあり。
 
 などとある。
 
   「げに、いとあまり思ひ知らぬやうにて、たびたびになりぬるを、なほ、聞こえたまへ」  「おしっしゃるとおり、とても情け知らずの有様で、何度にもなってしまいましたから、やはり、差し上げなさい」
   など、中の宮を、例の、そそのかして、書かせたてまつりたまふ。
 
 などと、中の宮を、いつものように、催促してお書かせ申し上げなさる。
 
   「今日までながらへて、硯など近くひき寄せて見るべきものとやは思ひし。
 心憂くも過ぎにける日数かな」と思すに、またかきくもり、もの見えぬ心地したまへば、押しやりて、
 「今日まで生き永らえて、硯などを身近に引き寄せて使おうなどと思ったろうか。
 情けなくも過ぎてしまった日数だわ」とお思いになると、また涙に曇り、何も見えない気がなさるので、硯を押しやって、
   「なほ、えこそ書きはべるまじけれ。
 やうやうかう起きゐられなどしはべるが、げに、限りありけるにこそとおぼゆるも、疎ましう心憂くて」
 「やはり、書くことはできませんわ。
 だんだんこのように起きてはいられますが、なるほど、限りがあるのだわと思われますのも、疎ましく情けなくて」
   と、らうたげなるさまに泣きしをれておはするも、いと心苦し。
 
 と、可憐な様子で泣きしおれていらっしゃるのも、まことにいたいたしい。
 
   夕暮のほどより来ける御使、宵すこし過ぎてぞ来たる。
 「いかでか、帰り参らむ。今宵は旅寝して」と言はせたまへど、「立ち帰りこそ、参りなめ」と急げば、いとほしうて、我さかしう思ひしづめたまふにはあらねど、見わづらひたまひて、
 夕暮のころに出立したお使いが、宵が少し過ぎたころに着いた。
 「どうして、帰参することができましょう。今夜は泊まって行くように」と言わせなさるが、「すぐ引き返して、帰参します」と急ぐので、お気の毒で、自分は冷静に落ち着いていらっしゃるのではないが、見るに見かねなさって、
 

639
 「涙のみ 霧りふたがれる 山里は
 籬に鹿ぞ 諸声に鳴く」
 「涙ばかりで霧に塞がっている山里は
  籬に鹿が声を揃えて鳴いております」
 
   黒き紙に、夜の墨つきもたどたどしければ、ひきつくろふところもなく、筆にまかせて、おし包みて出だしたまひつ。
 
 黒い紙に、夜のため墨つきもはっきりしないので、体裁を整えることもなく、筆に任せて書いて、そのまま包んでお渡しになった。
 
 
 

第三段 匂宮の使者、帰邸

 
   御使は、木幡の山のほども、雨もよにいと恐ろしげなれど、さやうのもの懼ぢすまじきをや選り出でたまひけむ、むつかしげなる笹の隈を、駒ひきとどむるほどもなくうち早めて、片時に参り着きぬ。
 御前にても、いたく濡れて参りたれば、禄賜ふ。
 
 お使いは、木幡の山の辺りも、雨降りでとても恐ろしそうだが、そのような物怖じしないような者をお選びになったのであろうか、気味悪そうな笹の蔭を、馬を止める間もなく早めて、わずかの時間に参り着いた。
 宮の御前においても、ひどく濡れて参ったので、禄を賜る。
 
   さきざき御覧ぜしにはあらぬ手の、今すこしおとなびまさりて、よしづきたる書きざまなどを、「いづれか、いづれならむ」と、うちも置かず御覧じつつ、とみにも大殿籠もらねば、  以前に見たのとは違った筆跡で、もう少し大人びていて、風情ある書き方などを、「どちららの姫君が書いたものだろうか」と、下にも置かず御覧になりながら、すぐにもお寝みにならないので、
   「待つとて、起きおはしまし」  「待つとおっしゃって、起きていらして」
   「また御覧ずるほどの久しきは、いかばかり御心にしむことならむ」  「また御覧になることの長いことは、どれほどご執心なのでしょう」
   と、御前なる人びと、ささめき聞こえて、憎みきこゆ。
 ねぶたければなめり。
 
 と、御前に仕える女房たちは、ささやき申して、お妬み申し上げる。
 眠たいからなのであろう。
 
   まだ朝霧深き朝に、いそぎ起きてたてまつりたまふ。
 
 まだ朝霧の深い明け方に、急いで起きて手紙を差し上げなさる。
 
 

640
 「朝霧に 友まどはせる 鹿の音を
 おほかたにやは あはれとも聞く
 「朝霧に友を見失った鹿の声を
  ただ世間並にしみじみと悲しく聞いておりましょうか
 
   諸声は劣るまじくこそ」  一緒に鳴く声には負けません」
   とあれど、「あまり情けだたむもうるさし。
 一所の御蔭に隠ろへたるを頼み所にてこそ、何ごとも心やすくて過ごしつれ。
 心よりほかにながらへて、思はずなることの紛れ、つゆにてもあらば、うしろめたげにのみ思しおくめりしなき御魂にさへ、疵やつけたてまつらむ」と、なべていとつつましう恐ろしうて、聞こえたまはず。
 
 とあるが、「あまりに風情を知りすぎるようなのも厄介だ。
 お一方のお蔭に隠れていられたのを頼み所として、何事も安心して過ごしていた。
 思いもかけず長生きして、不本意な間違い事が、少しでも起こったら、気がかりでならないようにお考えであった亡きみ魂にまで、瑕をおつけ申すことになろう」と、何事にも引っ込み思案に恐れて、お返事申し上げなさらない。
 
   この宮などを、軽らかにおしなべてのさまにも思ひきこえたまはず。
 なげの走り書いたまへる御筆づかひ言の葉も、をかしきさまになまめきたまへる御けはひを、あまたは見知りたまはねど、見たまひながら、「そのゆゑゆゑしく情けある方に、言をまぜきこえむも、つきなき身のありさまどもなれば、何か、ただ、かかる山伏だちて過ぐしてむ」と思す。
 
 この宮などを、軽薄な世間並の男性とはお思い申し上げていらっしゃらない。
 何でもない走り書きなさったご筆跡や言葉遣いも、風情があり優美でいらっしゃるご様子を、多くはご存知でないが、御覧になりながら、「その嗜み深く風情あるお手紙に、お返事申し上げるのも、似合わしくない二人の身の上なので、いっそ、ただ、このような山里人めいて過ごそう」とお思いになる。
 
 
 

第四段 薫、宇治を訪問

 
   中納言殿の御返りばかりは、かれよりもまめやかなるさまに聞こえたまへば、これよりも、いとけうとげにはあらず聞こえ通ひたまふ。
 御忌果てても、みづから参うでたまへり。
 東の廂の下りたる方にやつれておはするに、近う立ち寄りたまひて、古人召し出でたり。
 
 中納言殿へのお返事だけは、あちらからも誠意あるように手紙を差し上げなさるので、こちらからも、よそよそしくなくお返事申し上げなさる。
 ご忌中が終わっても、自分自身でお伺いなさった。
 東の廂の下がった所に喪服でいらっしゃるところに、近く立ち寄りなって、老女を召し出した。
 
   闇に惑ひたまへる御あたりに、いとまばゆく匂ひ満ちて入りおはしたれば、かたはらいたうて、御いらへなどをだにえしたまはねば、  闇に閉ざされていらっしゃるお側近くに、たいそう眩しいばかりの美しさに満ちてお入りになったので、恥ずかしくなって、お返事などでさえもおできになれないので、
   「かやうには、もてないたまはで、昔の御心むけに従ひきこえたまはむさまならむこそ、聞こえ承るかひあるべけれ。
 なよびけしきばみたる振る舞ひをならひはべらねば、人伝てに聞こえはべるは、言の葉も続きはべらず」
 「このようには、お扱い下さらないで、故宮のご意向にお従い申されるのが、お話を承る効があるというものです。
 風流に気取った振る舞いには馴れていませんので、人を介して申し上げますのは、言葉が続きません」
   とあれば、  と言うので、
   「あさましう、今までながらへはべるやうなれど、思ひさまさむ方なき夢にたどられはべりてなむ、心よりほかに空の光見はべらむもつつましうて、端近うもえみじろきはべらぬ」  「思いのほかに、今日まで生き永らえておりますようですが、思い覚まそうにも覚ましようもない夢の中にいるように思われまして、心ならず空の光を見ますのも遠慮されて、端近くに出ることもできません」
   と聞こえたまへれば、  と申し上げなさっているので、
   「ことといへば、限りなき御心の深さになむ。
 月日の影は、御心もて晴れ晴れしくもて出でさせたまはばこそ、罪もはべらめ。
 行く方もなく、いぶせうおぼえはべり。
 また思さるらむは、しばしをも、あきらめきこえまほしくなむ」
 「おっしゃることといえば、この上ないご思慮の深さです。
 月日の光は、ご自身その気になって晴れ晴れしく振る舞いなさるならば、罪にもなりましょう。
 どうしてよいか分からず、気持ちが晴れません。
 またお悩みを、少しでも、お晴らし申し上げたく思います」
   と申したまへば、  と申し上げなさると、
   「げに、こそ。
 いとたぐひなげなめる御ありさまを、慰めきこえたまふ御心ばへの浅からぬほど」など、聞こえ知らす。
 
 「ほんとうですこと。
 まことに例のないようなご愁傷を、お慰め申し上げなさるお気持ちも並一通りでないこと」などと、お諭し申し上げる。
 
 
 

第五段 薫、大君と和歌を詠み交す

 
   御心地にも、さこそいへ、やうやう心しづまりて、よろづ思ひ知られたまへば、昔ざまにても、かうまではるけき野辺を分け入りたまへる心ざしなども、思ひ知りたまふべし、すこしゐざり寄りたまへり。
 
 お気持ちも、そうはいっても、だんだんと落ち着いて、いろいろと分別がおつきになったので、亡き父宮への厚志からも、こんなにまで遥か遠い野辺を分け入っていらしたご誠意なども、お分りになったのであろう、少しいざり寄りなさった。
 
   思すらむさま、またのたまひ契りしことなど、いとこまやかになつかしう言ひて、うたて雄々しきけはひなどは見えたまはぬ人なれば、け疎くすずろはしくなどはあらねど、知らぬ人にかく声を聞かせたてまつり、すずろに頼み顔なることなどもありつる日ごろを思ひ続くるも、さすがに苦しうて、つつましけれど、ほのかに一言などいらへきこえたまふさまの、げに、よろづ思ひほれたまへるけはひなれば、いとあはれと聞きたてまつりたまふ。
 
 お嘆きのご心中、またお約束なさったことなどを、たいそう親密に優しく言って、嫌な粗野な態度などはお現しにならない方なので、気味悪く居心地悪くなどはないが、関係ない人にこのように声をお聞かせ申し、何となく頼りにしていたことなどもあった日頃を思い出すのも、やはり辛くて、遠慮されるが、かすかに一言などお返事申し上げなさる様子が、なるほど、いろいろと悲しみにぼうっとした感じなので、まことにお気の毒にとお聞き申し上げなさる。
 
   黒き几帳の透影の、いと心苦しげなるに、ましておはすらむさま、ほの見し明けぐれなど思ひ出でられて、  黒い几帳の透影が、たいそういたいたしげなので、ましてどれほどのご悲嘆でいられるかと、かすかに御覧になった明け方などが思い出されて、
 

641
 「色変はる 浅茅を見ても 墨染に
 やつるる袖を 思ひこそやれ」
 「色の変わった浅茅を見るにつけても墨染に
  身をやつしていらっしゃるお姿をお察しいたします」
 
   と、独り言のやうにのたまへば、  と、独り言のようにおっしゃると、
 

642
 「色変はる 袖をば露の 宿りにて
 わが身ぞさらに 置き所なき
 「喪服に色の変わった袖に露はおいていますが
  わが身はまったく置き所もありません
 
   はつるる糸は」  ほつれる糸は涙に」
   と末は言ひ消ちて、いといみじく忍びがたきけはひにて入りたまひぬなり。
 
 と下は言いさして、たいそうひどく堪えがたい様子でお入りになってしまったようである。
 
 
 

第六段 薫、弁の君と語る

 
   ひきとどめなどすべきほどにもあらねば、飽かずあはれにおぼゆ。
 老い人ぞ、こよなき御代はりに出で来て、昔今をかき集め、悲しき御物語ども聞こゆ。
 ありがたくあさましきことどもをも見たる人なりければ、かうあやしく衰へたる人とも思し捨てられず、いとなつかしう語らひたまふ。
 
 引き止めてよい場合でもないので、心残りにいたわしくお思いになる。
 老女が、とんでもないご代役に出て来て、昔や今のあれこれと、悲しいお話を申し上げる。
 世にも稀な驚くべきことの数々を見て来た人だったので、このようにみすぼらしく落ちぶれた人と見限らず、たいそう優しくお相手なさる。
 
   「いはけなかりしほどに、故院に後れたてまつりて、いみじう悲しきものは世なりけりと、思ひ知りにしかば、人となりゆく齢に添へて、官位、世の中の匂ひも、何ともおぼえずなむ。
 
 「幼かったころに、故院に先立たれ申して、ひどく悲しい世の中だと、悟ってしまったので、成長して行く年齢とともに、官位や、世の中の栄花も、何とも思いません。
 
   ただ、かう静やかなる御住まひなどの、心にかなひたまへりしを、かくはかなく見なしたてまつりなしつるに、いよいよいみじく、かりそめの世の思ひ知らるる心も、もよほされにたれど、心苦しうて、とまりたまへる御ことどもの、ほだしなど聞こえむは、かけかけしきやうなれど、ながらへても、かの御言あやまたず、聞こえ承らまほしさになむ。
 
 ただ、このように静かなご生活などが、心にお適いになっていらっしゃったが、このようにあっけなく先立ち申されたので、ますますひどく、無常の世の中が思い知らされる心も、催されたが、おいたわしい境遇で、後に遺されたお二方の事が、妨げだなどと申し上げるようなのは、懸想めいたように聞こえますが、生き永らえても、あの遺言を違えずに、相談申し上げ承りたく思います。
 
   さるは、おぼえなき御古物語聞きしより、いとど世の中に跡とめむともおぼえずなりにたりや」  実は、思いがけない昔話を聞いてからは、ますますこの世に跡を残そうなどとは思われなくなったのですよ」
   うち泣きつつのたまへば、この人はましていみじく泣きて、えも聞こえやらず。
 御けはひなどの、ただそれかとおぼえたまふに、年ごろうち忘れたりつるいにしへの御ことをさへとり重ねて、聞こえやらむ方もなく、おぼほれゐたり。
 
 泣きながらおっしゃるので、この老女はそれ以上にひどく泣いて、何とも申し上げることができない。
 ご様子などが、まるであの方そっくりに思われなさるので、長年来忘れていた昔の事までを重ね合わせて、申し上げようもなく、涙にくれていた。
 
   この人は、かの大納言の御乳母子にて、父は、この姫君たちの母北の方の、母方の叔父、左中弁にて亡せにけるが子なりけり。
 年ごろ、遠き国にあくがれ、母君も亡せたまひてのち、かの殿には疎くなり、この宮には、尋ね取りてあらせたまふなりけり。
 人もいとやむごとなからず、宮仕へ馴れにたれど、心地なからぬものに宮も思して、姫君たちの御後見だつ人になしたまへるなりけり。
 
 この人は、あの大納言の御乳母子で、父親は、この姫君たちの母北の方の叔父で、左中弁で亡くなった人の子であった。
 長年、遠い国に流浪して、母君もお亡くなりになって後、あちらの殿には疎遠になり、この宮邸で、引き取っておいて下さったのであった。
 人柄も格別というわけでなく、宮仕え馴れもしていたが、気の利かない者でないと宮もお思いになって、姫君たちのご後見役のようになさっていたのであった。
 
   昔の御ことは、年ごろかく朝夕に見たてまつり馴れ、心隔つる隈なく思ひきこゆる君たちにも、一言うち出で聞こゆるついでなく、忍びこめたりけれど、中納言の君は、「古人の問はず語り、皆、例のことなれば、おしなべてあはあはしうなどは言ひ広げずとも、いと恥づかしげなめる御心どもには、聞きおきたまへらむかし」と推し量らるるが、ねたくもいとほしくもおぼゆるにぞ、「またもて離れてはやまじ」と、思ひ寄らるるつまにもなりぬべき。
 
 昔の事は、長年このように朝夕に拝し馴れて、隔意なく全部思い申し上げる姫君たちにも、一言も申し上げたこともなく、隠して来たけれど、中納言の君は、「老人の問わず語りは、皆、通例のことなので、誰彼なく軽率に言いふらしたりしないにしても、まことに気のおける姫君たちは、ご存知でいらっしゃるだろう」と自然と推量されるのが、忌まわしいとも困った事とも思われるので、「また疎遠にしてはおけない」と、言い寄るきっかけにもなるのであろう。
 
 
 

第七段 薫、日暮れて帰京

 
   今は旅寝もすずろなる心地して、帰りたまふにも、「これや限りの」などのたまひしを、「などか、さしもやは、とうち頼みて、また見たてまつらずなりにけむ、秋やは変はれる。
 あまたの日数も隔てぬほどに、おはしにけむ方も知らず、あへなきわざなりや。
 ことに例の人めいたる御しつらひなく、いとことそぎたまふめりしかど、いとものきよげにかき払ひ、あたりをかしくもてないたまへりし御住まひも、大徳たち出で入り、こなたかなたひき隔てつつ、御念誦の具どもなどぞ、変らぬさまなれど、『仏は皆かの寺に移したてまつりてむとす』」と聞こゆるを、聞きたまふにも、かかるさまの人影などさへ絶え果てむほど、とまりて思ひたまはむ心地どもを汲みきこえたまふも、いと胸いたう思し続けらる。
 
 今は泊まるのも落ち着かない気がして、お帰りなさるにも、「これが最後か」などとおっしゃったが、「どうして、そのようなことがあろうか、と信頼して、再び拝しなくなった、秋は変わったろうか。
 多くの日数も経ていないのに、どこにいらしたのかも分からず、あっけないことだ。
 格別に普通の人のようなご装飾もなく、とても簡略になさっていたようだが、まことにどことなく清らかに手入れがしてあって、周囲が趣深くなさっていたお住まいも、大徳たちが出入りし、あちら側とこちら側と隔てなさって、御念誦の道具類なども変わらない様子であるが、『仏像は皆あちらのお寺にお移し申そうとする』」と申し上げるのを、お聞きなさるにつけても、このような様子の人影などまでが見えなくなってしまった時、後に残ってお悲しみになっているお二方の気持ちを推察申し上げなさるのも、まことに胸が痛く思い続けられずにはいらっしゃれない。
 
   「いたく暮れはべりぬ」と申せば、眺めさして立ちたまふに、雁鳴きて渡る。
 
 「たいそう暮れました」と申し上げるので、物思いを中断してお立ちなさると、雁が鳴いて飛んで渡って行く。
 
 

643
 「秋霧の 晴れぬ雲居に いとどしく
 この世をかりと 言ひ知らすらむ」
 「秋霧の晴れない雲居でさらにいっそう
  この世を仮の世だと鳴いて知らせるのだろう」
 
 
 

第八段 姫君たちの傷心

 
   兵部卿宮に対面したまふ時は、まづこの君たちの御ことを扱ひぐさにしたまふ。
 「今はさりとも心やすきを」と思して、宮は、ねむごろに聞こえたまひけり。
 はかなき御返りも、聞こえにくくつつましき方に、女方は思いたり。
 
 兵部卿宮に対面なさる時は、まずこの姫君たちの御事を話題になさる。
 「今はそうはいっても気がねも要るまい」とお思いになって、宮は、熱心に手紙を差し上げなさるのであった。
 ちょっとしたお返事も、申し上げにくく気後れする方だと、女方はお思いになっていた。
 
   「世にいといたう好きたまへる御名のひろごりて、好ましく艶に思さるべかめるも、かういと埋づもれたる葎の下よりさし出でたらむ手つきも、いかにうひうひしく、古めきたらむ」など思ひ屈したまへり。
 
 「世間にとてもたいそう風流でいらっしゃるお名前が広がって、好ましく優美にお思いなさるらしいが、このようにとても埋もれた葎の下のようなところから差し出すお返事を、まことに場違いな感じがして、古めかしいだろう」などとふさいでいらっしゃった。
 
   「さても、あさましうて明け暮らさるるは、月日なりけり。
 かく、頼みがたかりける御世を、昨日今日とは思はで、ただおほかた定めなきはかなさばかりを、明け暮れのことに聞き見しかど、我も人も後れ先だつほどしもやは経む、などうち思ひけるよ」
 「それにしても、思いのほかに過ぎ行くものは、月日ですわ。
 このように、頼りにしにくかったご寿命を、昨日今日とも思わず、ただ人生の大方の無常のはかなさばかりを、毎日のこととして見聞きしてきましたが、自分も父宮も後に遺されたり先立ったりすることに月日の隔たりがあろうか、などと思っていましたたよ」
   「来し方を思ひ続くるも、何の頼もしげなる世にもあらざりけれど、ただいつとなくのどやかに眺め過ぐし、もの恐ろしくつつましきこともなくて経つるものを、風の音も荒らかに、例見ぬ人影も、うち連れ声づくれば、まづ胸つぶれて、もの恐ろしくわびしうおぼゆることさへ添ひにたるが、いみじう堪へがたきこと」  「過去を思い続けても、何の頼りがいのありそうな世でもなかったが、ただいつのまにかのんびりと眺め過ごして来て、何の恐ろしい目にも気がねすることもなく過ごして来ましたが、風の音も荒々しく、いつもは見かけない人の姿が、連れ立って案内を乞うと、まっさきに胸がどきりとして、何となく恐ろしく侘しく思われることまでが加わったのが、ひどく堪え難いことですわ」
   と、二所うち語らひつつ、干す世もなくて過ぐしたまふに、年も暮れにけり。
 
 と、お二方で語り合いながら、涙の乾く間もなくて過ごしていらっしゃるうちに、年も暮れてしまった。
 
 
 

第四章 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち

 
 

第一段 歳末の宇治の姫君たち

 
   雪霰降りしくころは、いづくもかくこそはある風の音なれど、今はじめて思ひ入りたらむ山住みの心地したまふ。
 女ばらなど、
 雪や霰が降りしくころは、どこもこのような風の音であるが、今初めて決心して入った山住み生活のような心地がなさる。
 女房たちなどは、
   「あはれ、年は替はりなむとす。
 心細く悲しきことを。
 改まるべき春待ち出でてしがな」
 「ああ、新しい年がやってきます。
 心細く悲しいこと。
 年の改まった春を待ちたいわ」
   と、心を消たず言ふもあり。
 「難きことかな」と聞きたまふ。
 
 と、気を落とさずに言う者もいる。
 「難しいことだわ」とお聞きになる。
 
   向かひの山にも、時々の御念仏に籠もりたまひしゆゑこそ、人も参り通ひしか、阿闍梨も、いかがと、おほかたにまれに訪れきこゆれど、今は何しにかはほのめき参らむ。
 
 向かいの山でも、季節季節の御念仏に籠もりなさった縁故で、人も行き来していたが、阿闍梨も、いかがですかと、一通りはたまにお見舞いを申し上げはしても、今では何の用事でちょっとでも参ろうか。
 
   いとど人目の絶え果つるも、さるべきことと思ひながら、いと悲しくなむ。
 何とも見ざりし山賤も、おはしまさでのち、たまさかにさしのぞき参るは、めづらしく思ほえたまふ。
 このころのこととて、薪、木の実拾ひて参る山人どもあり。
 
 ますます人目も絶え果てたのも、そのようなこととは思いながらも、まことに悲しい。
 何とも思えなかった山賤も、宮がお亡くなりになって後は、たまに覗きに参る者は、珍しく思われなさる。
 この季節の事とて、薪や、木の実を拾って参る山賤どももいる。
 
   阿闍梨の室より、炭などやうのものたてまつるとて、  阿闍梨の庵室から、炭などのような物を献上すると言って、
   「年ごろにならひはべりにける宮仕への、今とて絶えはつらむが、心細さになむ」  「長年馴れました宮仕えが、今年を最後として絶えてしまうのが、心細く思われますので」
   と聞こえたり。
 かならず冬籠もる山風ふせぎつべき綿衣など遣はししを、思し出でてやりたまふ。
 法師ばら、童べなどの上り行くも、見えみ見えずみ、いと雪深きを、泣く泣く立ち出でて見送りたまふ。
 
 と申し上げていた。
 必ず冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣などを贈っていたのを、お思い出しになってお遣りになる。
 法師たち、童などが山に上って行くのが、見えたり隠れたり、たいそう雪が深いのを、泣く泣く立ち出てお見送りなさる。
 
   「御髪など下ろいたまうてける、さる方にておはしまさましかば、かやうに通ひ参る人も、おのづからしげからまし」  「お髪などを下ろしなさったが、そのようなお姿ででも生きていて下さったら、このように通って参る人も、自然と多かったでしょうに」
   「いかにあはれに心細くとも、あひ見たてまつること絶えてやまましやは」  「どんなに寂しく心細くても、お目にかかれないこともなかったでしょうに」
   など、語らひたまふ。
 
 などと、語り合っていらっしゃる。
 
 

644
 「君なくて 岩のかけ道 絶えしより
 松の雪をも なにとかは見る」
 「父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今
  松の雪を何と御覧になりますか」
 
   中の宮、  中の宮、
 

645
 「奥山の 松葉に積もる 雪とだに
 消えにし人を 思はましかば」
 「奥山の松葉に積もる雪とでも
  亡くなった父上を思うことができたらうれしゅうございます」
 
   うらやましくぞ、またも降り添ふや。
 
 うらやましくいことに、消えてもまた雪は降り積もることよ。
 
 
 

第二段 薫、歳末に宇治を訪問

 
   中納言の君、「新しき年は、ふとしもえ訪らひきこえざらむ」と思しておはしたり。
 雪もいと所狭きに、よろしき人だに見えずなりにたるを、なのめならぬけはひして、軽らかにものしたまへる心ばへの、浅うはあらず思ひ知られたまへば、例よりは見入れて、御座などひきつくろはせたまふ。
 
 中納言の君は、「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになっていらっしゃった。
 雪もたいそう多い上に、普通の身分の人でさえ見えなくなってしまったので、並々ならぬ立派な姿をして、気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅からず思い知られなさるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
 
   墨染ならぬ御火桶、奥なる取り出でて、塵かき払ひなどするにつけても、宮の待ち喜びたまひし御けしきなどを、人びとも聞こえ出づ。
 対面したまふことをば、つつましくのみ思いたれど、思ひ隈なきやうに人の思ひたまへれば、いかがはせむとて、聞こえたまふ。
 
 服喪者用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮がお待ち喜び申し上げていたご様子などを、女房たちもお噂申し上げる。
 直接お話なさることは、気の引けることとばかりお思いになっていたが、好意を無にするように思っていらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
 
   うちとくとはなけれど、さきざきよりはすこし言の葉続けて、ものなどのたまへるさま、いとめやすく、心恥づかしげなり。
 「かやうにてのみは、え過ぐし果つまじ」と思ひなりたまふも、「いとうちつけなる心かな。
 なほ、移りぬべき世なりけり」と思ひゐたまへり。
 
 気を許すというのではないが、以前よりは少し言葉数多く、ものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。
 「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、「まことにあっさり変わってしまう心だな。
 やはり、恋心に変わってまう男女の仲なのだな」と思っていらっしゃった。
 
 
 

第三段 薫、匂宮について語る

 
   「宮の、いとあやしく恨みたまふことのはべるかな。
 あはれなりし御一言をうけたまはりおきしさまなど、ことのついでにもや、漏らし聞こえたりけむ。
 またいと隈なき御心のさがにて、推し量りたまふにやはべらむ、ここになむ、ともかくも聞こえさせなすべきと頼むを、つれなき御けしきなるは、もてそこなひきこゆるぞと、たびたび怨じたまへば、心よりほかなることと思うたまふれど、里のしるべ、いとこよなうもえあらがひきこえぬを、何かは、いとさしももてなしきこえたまはむ。
 
 「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがございましたね。
 しみじみとしたご遺言を一言承りましたことなどを、何かのついでに、ちらっとお洩らし申し上げたことがあったのでしょうか。
 またとてもよく気の回るお方で、推量なさったのでしょうか、わたしに、うまく申し上げてくれるようにと頼むのに、冷淡なご様子なのは、うまくお取り持ち申さないからだと、度々お恨みになるので、心外なこととは存じますが、山里への案内役は、きっぱりとお断り申し上げることもできかねるのですが、なにも、そのようにおあしらい申し上げなさいますな。
 
   好いたまへるやうに、人は聞こえなすべかめれど、心の底あやしく深うおはする宮なり。
 なほざりごとなどのたまふわたりの、心軽うてなびきやすなるなどを、めづらしからぬものに思ひおとしたまふにや、となむ聞くこともはべる。
 何ごとにもあるに従ひて、心を立つる方もなく、おどけたる人こそ、ただ世のもてなしに従ひて、とあるもかかるもなのめに見なし、すこし心に違ふふしあるにも、いかがはせむ、さるべきぞ、なども思ひなすべかめれば、なかなか心長き例になるやうもあり。
 
 好色でいらっしゃるように、人はお噂申し上げているようですが、心の奥は不思議なほど深くいらっしゃる宮です。
 軽い冗談などをおっしゃる女たちで、軽はずみに靡きやすいという人などを、珍しくない女として軽蔑なさるのだろうか、と聞くこともございます。
 どのようなことも成り行きにまかせて、我を張ることもなく、穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従って、どうなるもこうなるも適当に我慢し、少し思いと違ったことがあっても、仕方のないことだ、そういうものだ、などと諦めるようですので、かえって長く添い遂げるような例もあります。
 
   崩れそめては、龍田の川の濁る名をも汚し、いふかひなく名残なきやうなることなども、皆うちまじるめれ。
 心の深うしみたまふべかめる御心ざまにかなひ、ことに背くこと多くなどものしたまはざらむをば、さらに、軽々しく、初め終り違ふやうなることなど、見せたまふまじきけしきになむ。
 
 壊れ始めては、龍田川が濁る名を汚し、言いようもなくすっかり破綻してしまうようなことなども、あるようです。
 心から深く愛着を覚えていらっしゃるらしいご性分にかない、特に御意に背くようなことが多くおありでない方には、全然、軽々しく、始めと終わりが違うような態度などを、お見せなさらないご性格です。
 
   人の見たてまつり知らぬことを、いとよう見きこえたるを、もし似つかはしく、さもやと思し寄らば、そのもてなしなどは、心の限り尽くして仕うまつりなむかし。
 御中道のほど、乱り脚こそ痛からめ」
 誰も存じ上げていないことを、とてもよく存じておりますから、もし似つかわしく、ご縁をとお考になったら、その取りなしなどは、できる限りのお骨折りを致しましょう。
 京と宇治との間を奔走して、脚の痛くなるまで尽力しましょう」
   と、いとまめやかにて、言ひ続けたまへば、わが御みづからのこととは思しもかけず、「人の親めきていらへむかし」と思しめぐらしたまへど、なほ言ふべき言の葉もなき心地して、  と、実に真面目に、おっしゃり続けなさるので、ご自身のことはお考えにもならず、「妹君の親代わりになって返事しよう」とご思案なさるが、やはりお答えすべき言葉も出ない気がして、
   「いかにとかは。
 かけかけしげにのたまひ続くるに、なかなか聞こえむこともおぼえはべらで」
 「何と申し上げてよいものでしょうか。
 いかにもご執着のようにおっしゃり続けるので、かえってどのようにお答えしてよいか存じません」
   と、うち笑ひたまへるも、おいらかなるものから、けはひをかしう聞こゆ。
 
 と、ほほ笑みなさるのが、おっとりとしている一方で、その感じが好ましく聞こえる。
 
 
 

第四段 薫と大君、和歌を詠み交す

 
   「かならず御みづから聞こしめし負ふべきこととも思うたまへず。
 それは、雪を踏み分けて参り来たる心ざしばかりを、御覧じ分かむ御このかみ心にても過ぐさせたまひてよかし。
 かの御心寄せは、また異にぞはべべかめる。
 ほのかにのたまふさまもはべめりしを、いさや、それも人の分ききこえがたきことなり。
 御返りなどは、いづ方にかは聞こえたまふ」
 「必ずしもご自身のこととしてお考えになることとも存じません。
 それは、雪を踏み分けて参った気持ちぐらいは、ご理解下さる姉君としてのお考えでいらっしゃって下さい。
 あの宮のご関心は、また別な方のほうにあるようでございます。
 わずかに文をお取り交わしなさることもございましたが、さあ、それも他人にはどちらかと判断申し上げにくいことです。
 お返事などは、どちらの方が差し上げなさるのですか」
   と問ひ申したまふに、「ようぞ、戯れにも聞こえざりける。
 何となけれど、かうのたまふにも、いかに恥づかしう胸つぶれまし」と思ふに、え答へやりたまはず。
 
 とお尋ね申し上げるので、「よくまあ、冗談にも差し上げなくてよかったことよ。
 何ということはないが、このようにおっしゃるにつけても、どんなに恥ずかしく胸が痛んだことだろう」と思うと、お返事もおできになれない。
 
 

646
 「雪深き 山のかけはし 君ならで
 またふみかよふ 跡を見ぬかな」
 「雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に
  誰も踏み分けて訪れる人はございません」
 
   と書きて、さし出でたまへれば、  と書いて、差し出しなさると、
   「御ものあらがひこそ、なかなか心おかれはべりぬべけれ」とて、  「お言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と言って、
 

647
 「つららとぢ 駒ふみしだく 山川を
 しるべしがてら まづや渡らむ
 「氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を
  宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう
 
   さらばしも、影さへ見ゆるしるしも、浅うははべらじ」  そうなったら、わたしが訪ねた効も、あるというものでしょう」
   と聞こえたまへば、思はずに、ものしうなりて、ことにいらへたまはず。
 けざやかに、いともの遠くすくみたるさまには見えたまはねど、今やうの若人たちのやうに、艶げにももてなさで、いとめやすく、のどかなる心ばへならむとぞ、推し量られたまふ人の御けはひなる。
 
 と申し上げなさると、意外な懸想に、嫌な気がして、特にお答えなさらない。
 きわだって、よそよそしい様子にはお見えにならないが、今風の若い人たちのように、優美にも振る舞わずに、まことに好ましく、おおらかな気立てなのだろうと、推察されなさるご様子の方である。
 
   かうこそは、あらまほしけれと、思ふに違はぬ心地したまふ。
 ことに触れて、けしきばみ寄るも、知らず顔なるさまにのみもてなしたまへば、心恥づかしうて、昔物語などをぞ、ものまめやかに聞こえたまふ。
 
 こうあってこそは、理想的だと、期待する気持ちに違わない気がなさる。
 何かにつけて、懸想心を態度にお現しになるのに対しても、気づかないふりばかりをなさるので、気恥ずかしくて、昔の話などを、真面目くさって申し上げなさる。
 
 
 

第五段 薫、人びとを励まして帰京

 
   「暮れ果てなば、雪いとど空も閉ぢぬべうはべり」  「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうでございます」
   と、御供の人びと声づくれば、帰りたまひなむとて、  と、お供の人びとが促すので、お帰りになろうとして、
   「心苦しう見めぐらさるる御住まひのさまなりや。
 ただ山里のやうにいと静かなる所の、人も行き交じらぬはべるを、さも思しかけば、いかにうれしくはべらむ」
 「おいたわしく見回されるお住まいの様子ですね。
 ただ山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もなくございますのを、もしそのようにお考え下さるなら、どんなに嬉しいことでございましょう」
   などのたまふも、「いとめでたかるべきことかな」と、片耳に聞きて、うち笑む女ばらのあるを、中の宮は、「いと見苦しう、いかにさやうにはあるべきぞ」と見聞きゐたまへり。
 
 などとおっしゃるのにつけても、「とてもおめでたいことだわ」と、小耳にはさんで、ほほ笑んでいる女房連中がいるのを、中の宮は、「とても見苦しい、どうしてそのようなことができようか」とお思いでいらっしゃった。
 
   御くだものよしあるさまにて参り、御供の人びとにも、肴などめやすきほどにて、土器さし出でさせたまひけり。
 また御移り香もて騷がれし宿直人ぞ、鬘鬚とかいふつらつき、心づきなくてある、「はかなの御頼もし人や」と見たまひて、召し出でたり。
 
 御果物を風流なふうに盛って差し上げ、お供の人びとにも、肴など体裁よく添えて、酒をお勧めさせなさるのであった。
 あの殿の移り香を騒がれた宿直人は、鬘鬚とかいう顔つきが、気にくわないが、「頼りない家来だな」と御覧になって、召し出した。
 
   「いかにぞ。
 おはしまさでのち、心細からむな」
 「どうだね。
 お亡くなりになってからは、心細いだろうな」
   など問ひたまふ。
 うちひそみつつ、心弱げに泣く。
 
 などとお尋ねになる。
 べそをかきながら、弱そうに泣く。
 
   「世の中に頼むよるべもはべらぬ身にて、一所の御蔭に隠れて、三十余年を過ぐしはべりにければ、今はまして、野山にまじりはべらむも、いかなる木のもとをかは頼むべくはべらむ」  「世の中に頼る身寄りもございません身の上なので、お一方様のお蔭にすがって、三十数年過ごしてまいりましたので、今はもう、野山にさすらっても、どのような木を頼りにしたらよいのでしょうか」
   と申して、いとど人悪ろげなり。
 
 と申し上げて、ますますみっともない様子である。
 
   おはしましし方開けさせたまへれば、塵いたう積もりて、仏のみぞ花の飾り衰へず、行ひたまひけりと見ゆる御床など取りやりて、かき払ひたり。
 本意をも遂げば、と契りきこえしこと思ひ出でて、
 生前お使いになっていたお部屋を開けさせなさると、塵がたいそう積もって、仏像だけが花の飾りが以前と変わらず、勤行なさったと見えるお床などを取り外して、片づけてあった。
 本願を遂げた時にはと、お約束申し上げたことなどを思い出して、
 

648
 「立ち寄らむ 蔭と頼みし 椎が本
 空しき床に なりにけるかな」
 「立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は
  空しい床になってしまったな」
 
   とて、柱に寄りゐたまへるをも、若き人びとは、覗きてめでたてまつる。
 
 といって、柱に寄り掛かっていらっしゃるのも、若い女房たちは、覗いてお誉め申し上げる。
 
   日暮れぬれば、近き所々に、御荘など仕うまつる人びとに、御秣取りにやりける、君も知りたまはぬに、田舎びたる人びとは、おどろおどろしくひき連れ参りたるを、「あやしう、はしたなきわざかな」と御覧ずれど、老い人に紛らはしたまひつ。
 おほかたかやうに仕うまつるべく、仰せおきて出でたまひぬ。
 
 日が暮れてしまったので、近い所々に、御荘園などに仕えている人びとに、み秣を取りにやったのを、主人もご存知なかったが、田舎びた人びとは、大勢引き連れて参ったのを、「妙に、体裁の悪いことだな」と御覧になるが、老女に用事で来たかのようにごまかしなさった。
 いつもこのようにお仕えするように、お命じおきになってお帰りになった。
 
 
 

第五章 宇治の姉妹の物語 匂宮、薫らとの恋物語始まる

 
 

第一段 新年、阿闍梨、姫君たちに山草を贈る

 
   年替はりぬれば、空のけしきうららかなるに、汀の氷解けたるを、ありがたくもと眺めたまふ。
 聖の坊より、「雪消えに摘みてはべるなり」とて、沢の芹、蕨などたてまつりたり。
 斎の御台に参れる。
 
 年が変わったので、空の様子がうららかになって、汀の氷が一面に解けているのを、不思議な気持ちで眺めていらっしゃる。
 聖の僧坊から、「雪の消え間で摘んだものでございます」といって、沢の芹や、蕨などを差し上げた。
 精進のお膳にして差し上げる。
 
   「所につけては、かかる草木のけしきに従ひて、行き交ふ月日のしるしも見ゆるこそ、をかしけれ」  「場所柄によって、このような草木の有様に従って、行き交う月日の節目も見えるのは、興趣深いことです」
   など、人びとの言ふを、「何のをかしきならむ」と聞きたまふ。
 
 などと、人びとが言うのを、「何の興趣深いことがあろうか」とお聞きになっている。
 
 

649
 「君が折る 峰の蕨と 見ましかば
 知られやせまし 春のしるしも」
 「父宮が摘んでくださった峰の蕨でしたら
  これを春が来たしるしだと知られましょうに」
 

650
 「雪深き 汀の小芹 誰がために
 摘みかはやさむ 親なしにして」
 「雪の深い汀の小芹も誰のために摘んで楽しみましょうか
  親のないわたしたちですので」
 
   など、はかなきことどもをうち語らひつつ、明け暮らしたまふ。
 
 などと、とりとめのないことを語り合いながら、日をお暮らしになる。
 
   中納言殿よりも宮よりも、折過ぐさず訪らひきこえたまふ。
 うるさく何となきこと多かるやうなれば、例の、書き漏らしたるなめり。
 
 中納言殿からも宮からも、折々の機会を外さずお見舞い申し上げなさる。
 厄介で何でもないことが多いようなので、例によって、書き漏らしたようである。
 
 
 

第二段 花盛りの頃、匂宮、中の君と和歌を贈答

 
   花盛りのころ、宮、「かざし」を思し出でて、その折見聞きたまひし君たちなども、  花盛りのころ、宮は、「かざし」の和歌を思い出して、その時お供でご一緒した公達なども、
   「いとゆゑありし親王の御住まひを、またも見ずなりにしこと」  「実に趣のあった親王のお住まいを、再び見ないことになりました」
   など、おほかたのあはれを口々聞こゆるに、いとゆかしう思されけり。
 
 などと、世の中一般のはかなさを口々に申し上げるので、たいそう興味深くお思いになるのであった。
 
 

651
 「つてに見し 宿の桜を この春は
 霞隔てず 折りてかざさむ」
 「この前は、事のついでに眺めたあなたの桜を
  今年の春は霞を隔てず手折ってかざしたい」
 
   と、心をやりてのたまへりけり。
 「あるまじきことかな」と見たまひながら、いとつれづれなるほどに、見所ある御文の、うはべばかりをもて消たじとて、
 と、気持ちのままおっしゃるのであった。
 「とんでもないことだわ」と御覧になりながら、とても所在ない折なので、素晴らしいお手紙の、表面だけでも無にすまいと思って、
 

652
 「いづことか 尋ねて折らむ 墨染に
 霞みこめたる 宿の桜を」
 「どこと尋ねて手折るのでしょう
  墨染に霞み籠めているわたしの桜を」
 
   なほ、かくさし放ち、つれなき御けしきのみ見ゆれば、まことに心憂しと思しわたる。
 
 やはり、このように突き放して、素っ気ないお気持ちばかりが見えるので、ほんとうに恨めしいとお思い続けていらっしゃる。
 
 
 

第三段 その後の匂宮と薫

 
   御心にあまりたまひては、ただ中納言を、とざまかうざまに責め恨みきこえたまへば、をかしと思ひながら、いとうけばりたる後見顔にうちいらへきこえて、あだめいたる御心ざまをも見あらはす時々は、  お胸に抑えきれなくなって、ただ中納言を、あれやこれやとお責め申し上げなさるので、おもしろいと思いながら、いかにも誰憚らない後見役の顔をしてお返事申し上げて、好色っぽいお心が表れたりする時々には、
   「いかでか、かからむには」  「どうしてか、このようなお心では」
   など、申したまへば、宮も御心づかひしたまふべし。
 
 など、お咎め申し上げなさるので、宮もお気をつけなさるのであろう。
 
   「心にかなふあたりを、まだ見つけぬほどぞや」とのたまふ。
 
 「気に入った相手が、まだ見つからない間のことです」とおっしゃる。
 
   大殿の六の君を思し入れぬこと、なま恨めしげに、大臣も思したりけり。
 されど、
 大殿の六の君をお気にかけないことは、何となく恨めしそうに、大臣もお思いになっているのであった。
 けれど、
   「ゆかしげなき仲らひなるうちにも、大臣のことことしくわづらはしくて、何ごとの紛れをも見とがめられむがむつかしき」  「珍しくない間柄の仲でも、大臣が仰々しく厄介で、どのような浮気事でも咎められそうなのがうっとうしくて」
   と、下にはのたまひて、すまひたまふ。
 
 と、内々ではおっしゃって、嫌がっていらっしゃる。
 
   その年、三条宮焼けて、入道宮も、六条院に移ろひたまひ、何くれともの騒がしきに紛れて、宇治のわたりを久しう訪れきこえたまはず。
 まめやかなる人の御心は、またいと異なりければ、いとのどかに、「おのがものとはうち頼みながら、女の心ゆるびたまはざらむ限りは、あざればみ情けなきさまに見えじ」と思ひつつ、「昔の御心忘れぬ方を、深く見知りたまへ」と思す。
 
 その年、三条宮が焼けて、入道宮も、六条院にお移りになり、何かと騒々しい事に紛れて、宇治の辺りを久しくご訪問申し上げなさらない。
 生真面目な方のご性格には、また普通の人と違っていたので、たいそうのんびりと、「自分の物と期待しながらも、女の心が打ち解けないうちは、不謹慎な無体な振る舞いはしまい」と思いながら、「故宮とのお約束を忘れていないことを、深く知っていただきたい」とお思いになっている。
 
 
 

第四段 夏、薫、宇治を訪問

 
   その年、常よりも暑さを人わぶるに、「川面涼しからむはや」と思ひ出でて、にはかに参うでたまへり。
 朝涼みのほどに出でたまひければ、あやにくにさし来る日影もまばゆくて、宮のおはせし西の廂に、宿直人召し出でておはす。
 
 その年は、例年よりも暑さを人がこぼすので、「川辺が涼しいだろうよ」と思い出して、急に参上なさった。
 朝の涼しいうちにご出発になったので、折悪く差し込んでくる日の光も眩しくて、宮が生前おいでになった西の廂の間に、宿直人を召し出してお控えになる。
 
   そなたの母屋の仏の御前に、君たちものしたまひけるを、気近からじとて、わが御方に渡りたまふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみじろきたまふほど近う聞こえければ、なほあらじに、こなたに通ふ障子の端の方に、かけがねしたる所に、穴のすこし開きたるを見おきたまへりければ、外に立てたる屏風をひきやりて見たまふ。
 
 そちらの母屋の仏像の御前に、姫君たちがいらっしゃったが、近すぎないようにと、ご自分のお部屋にお渡りになるご様子、音を立てないようにしていたが、自然と、お動きになるのが近くに聞こえたので、じっとしていられず、こちらに通じている障子の端の方に、掛金がしてある所に、穴が少し開いているのを見知っていたので、外に立ててある屏風を押しやって御覧になる。
 
   ここもとに几帳を添へ立てたる、「あな、口惜し」と思ひて、ひき帰る、折しも、風の簾をいたう吹き上ぐべかめれば、  こちらに几帳を立て添えてある、「ああ、残念な」と思って、引き返す、ちょうどその時、風が簾をたいそう高く吹き上げるようなので、
   「あらはにもこそあれ。
 その几帳おし出でてこそ」
 「丸見えになったら大変です。
 その御几帳を押し出して」
   と言ふ人あなり。
 をこがましきものの、うれしうて見たまへば、高きも短きも、几帳を二間の簾におし寄せて、この障子に向かひて、開きたる障子より、あなたに通らむとなりけり。
 
 という女房がいるようである。
 愚かなことをするようだが、嬉しくて御覧になると、高いのも低いのも、几帳を二間の簾の方に押し寄せて、この障子の正面の、開いている障子から、あちらに行こうとしているところなのであった。
 
 
 

第五段 障子の向こう側の様子

 
   まづ、一人立ち出でて、几帳よりさし覗きて、この御供の人びとの、とかう行きちがひ、涼みあへるを見たまふなりけり。
 濃き鈍色の単衣に、萱草の袴もてはやしたる、なかなかさま変はりてはなやかなりと見ゆるは、着なしたまへる人からなめり。
 
 まず、一人が立って出て来て、几帳から覗いて、このお供の人びとが、あちこち行ったり来たりして、涼んでいるのを御覧になるのであった。
 濃い鈍色の単衣に、萱草の袴が引き立っていて、かえって様子が違って華やかであると見えるのは、着ていらっしゃる人のせいのようである。
 
   帯はかなげにしなして、数珠ひき隠して持たまへり。
 いとそびやかに、様体をかしげなる人の、髪、袿にすこし足らぬほどならむと見えて、末まで塵のまよひなく、つやつやとこちたう、うつくしげなり。
 かたはらめなど、あならうたげと見えて、匂ひやかに、やはらかにおほどきたるけはひ、女一の宮も、かうざまにぞおはすべきと、ほの見たてまつりしも思ひ比べられて、うち嘆かる。
 
 帯を形ばかり懸けて、数珠を隠して持っていらっしゃった。
 たいそうすらりとした、姿態の美しい人で、髪が、袿に少し足りないぐらいだろうと見えて、末まで一筋の乱れもなく、つやつやとたくさんあって、可憐な風情である。
 横顔などは、実にかわいらしげに見えて、色つやがよく、物やわらかにおっとりした感じは、女一の宮も、このようにいらっしゃるだろうと、ちらっと拝見したことも思い比べられて、嘆息を漏らされる。
 
   またゐざり出でて、「かの障子は、あらはにもこそあれ」と、見おこせたまへる用意、うちとけたらぬさまして、よしあらむとおぼゆ。
 頭つき、髪ざしのほど、今すこしあてになまめかしきさまなり。
 
 もう一人がいざり出て、「あの障子は、丸見えではないかしら」と、こちらを御覧になっている心づかいは、気を許さない様子で、嗜みがあると思われる。
 頭の恰好や、髪の具合は、前の人よりもう少し上品で優美さが勝っている。
 
   「あなたに屏風も添へて立ててはべりつ。
 急ぎてしも、覗きたまはじ」
 「あちらに屏風を添えて立ててございました。
 すぐにも、お覗きなさるまい」
   と、若き人びと、何心なく言ふあり。
 
 と、若い女房たちは、何気なしに言う者もいる。
 
   「いみじうもあるべきわざかな」  「大変なことですよ」
   とて、うしろめたげにゐざり入りたまふほど、気高う心にくきけはひ添ひて見ゆ。
 黒き袷一襲、同じやうなる色合ひを着たまへれど、これはなつかしうなまめきて、あはれげに、心苦しうおぼゆ。
 
 と言って、不安そうにいざってお入りなるとき、気高く奥ゆかしい感じが加わって見える。
 黒い袷を一襲、同じような色合いを着ていらっしゃるが、これはやさしく優美で、しみじみと、おいたわしく思われる。
 
   髪、さはらかなるほどに落ちたるなるべし、末すこし細りて、色なりとかいふめる、翡翠だちていとをかしげに、糸をよりかけたるやうなり。
 紫の紙に書きたる経を、片手に持ちたまへる手つき、かれよりも細さまさりて、痩せ痩せなるべし。
 立ちたりつる君も、障子口にゐて、何ごとにかあらむ、こなたを見おこせて笑ひたる、いと愛敬づきたり。
 
 髪は、さっぱりした程度に抜け落ちているのであろう、末の方が少し細くなって、見事な色とでも言うのか、翡翠のようなとても美しそうで、より糸を垂らしたようである。
 紫の紙に書いてあるお経を片手に持っていらっしゃる手つきが、前の人よりほっそりとして、痩せ過ぎているのであろう。
 立っていた姫君も、障子口に座って、何であろうか、こちらを見て笑っていらっしゃるのが、とても愛嬌がある。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 我が庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり(古今集雑下-九八三 喜撰法師)(戻)  
  出典2 桜咲くさくらの山の桜花散る桜あれば咲く桜あり(源氏釈所引-出典未詳)(戻)  
  出典3 稲蓆川添ひ柳水行けば起き臥しすれどその根絶えせず(古今六帖六-四一五五)(戻)  
  出典4 桜人 その舟止(ちぢ)め 島つ田を 十町作れる 見て帰り来むや そよや 明日帰りこむ そよや 言をこそ 明日とも言はめ 遠方(をちかた)に 妻ざる夫(せな)は 明日もさね来じや そよや さ明日もさね来じや そよや(催馬楽-桜人)(戻)  
  出典5 我が宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしを挿しこそはせめ(後撰集恋四-八〇九 伊勢)(戻)  
  出典6 春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(万葉集巻八-一四二八 山部赤人)(戻)  
  出典7 わきてしも何匂ふらむ秋の野にいづれともなくなびく尾花を(源氏釈所引-出典未詳)(戻)  
  出典8 近江路をしるべなくても見てしかな関のこなたは侘しかりけり(後撰集恋三-七八五 源中正)(戻)  
  出典9 松虫の初声誘ふ秋風は音羽山より吹きそめにけり(後撰集秋上-二五一 読人しらず)(戻)  
  出典10 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典11 朝有紅顔誇世路 暮為白骨朽郊原(和漢朗詠集下-七九四 藤原義孝)(戻)  
  出典12 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりけり(古今集哀傷-八六一 在原業平)(戻)  
  出典13 明けぬ夜ながら心地ながらにやみにしをあさくらと言ひし声は聞ききや(後拾遺集雑四-一〇八一 読人しらず)(戻)  
  出典14 我が世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ(新古今集雑中-一六五一 在原行平)(戻)  
  出典15 鹿の棲む尾の上の萩の下葉より枯れ行く野辺もあはれとぞ見る(新千載集秋下-五二六 具平親王)(戻)  
  出典16 山科の木幡の里に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば(拾遺集雑恋-一二四三 柿本人麿)(戻)  
  出典17 笹の隈桧の隈川に駒止めてしばし水かへ影をだに見む(古今集神遊び-一〇八〇 ひるめのうた)(戻)  
  出典18 声立てて鳴きぞしぬべき秋霧に友まどはせる鹿にはあらねども(後撰集秋下-三七二 紀友則)(戻)  
  出典19 藤衣はつるる糸は侘び人の涙の玉の緒とぞなりける(古今集哀傷-一二九二 読人しらず)(戻)  
  出典20 逢ふことはこれや限りのたびならむ草の枕も霜枯れにけり(新古今集恋三-一二〇九 馬内侍)(戻)  
  出典21 雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の中の憂さ(古今集雑下-九三五 読人しらず)(戻)  
  出典22 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりけり(古今集哀傷-八六一 在原業平)(戻)  
  出典23 末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ(古今六帖一-五九三)(戻)  
  出典24 百千鳥さへづる春はものごとに改まれども我ぞ古りゆく(古今集春上-二八 読人しらず)(戻)  
  出典25 海人の住む里のしるべにあらなくにうらみむとのみ人の言ふらむ(古今集恋四-七二七 小野小町)(戻)  
  出典26 神奈備の三室の岸や崩るらむ龍田の川の水の濁れる(拾遺集物名-三八九 高向草春)(戻)  
  出典27 忘れては夢かとぞ思ふ雪踏み分けて君を見むとは(古今集雑下-九七〇 在原業平)(戻)  
  出典28 浅香山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは(古今六帖二-九八五)(戻)  
  出典29 侘び人のわきて立ち寄る木の本は頼む蔭なく紅葉散りけり(古今集秋下-二九二 遍昭僧正)(戻)  
  出典30 優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば(宇津保物語-二一二)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 仕うまつれり--つかうまつ(つ/+れ)り(戻)  
  校訂2 たまへる--給へり(り/$る<朱>)(戻)  
  校訂3 夕つ方ぞ--夕つかたに(に/$そ<朱>)(戻)  
  校訂4 今開け--今△(△/#)ひらけ(戻)  
  校訂5 孫王めく--そむわ(わ/$王<朱>)めく(戻)  
  校訂6 大君--おほき(き/+み)△(△/#)(戻)  
  校訂7 世に心とどめたまはねば、出で立ちいそぎを--を(を/$<朱>)(/+世に心とゝめ給はねはいてたちいそきを<朱>)(戻)  
  校訂8 ただ--たゝ/\(/\/$)(戻)  
  校訂9 もの心細く--物心(心/+ほ)そく(戻)  
  校訂10 怠り--おこ(こ/+た)り(戻)  
  校訂11 おはせしかど--おは(は/+せ)しかと(戻)  
  校訂12 あひ見る--あひ見ん(ん/$る)(戻)  
  校訂13 きこゆる--きこゆ(ゆ/+る<朱>)(戻)  
  校訂14 出で立ちたまひし--いてたち(ち/+給)し(戻)  
  校訂15 ほどもなく--(/+ほとも<朱>)なく(戻)  
  校訂16 御魂--御ため(め/$ま)(戻)  
  校訂17 はべらず--はへ(へ/+ら<朱>)す(戻)  
  校訂18 思ひこそ--思ひに(に/$こ<朱>)そ(戻)  
  校訂19 承らまほしさ--うけたまはら(ら/+ま<朱>)ほしさ(戻)  
  校訂20 遠き国に--とをきくに(に/+に)(戻)  
  校訂21 思ひきこゆる--*思きこゆ(戻)  
  校訂22 心を消たず言ふもあり。
 「難きことかな」と--(/+心をけたすいふもありかたき事かなと)(戻)
 
  校訂23 何しに--なにこと(こと/$し)に(戻)  
  校訂24 など--なと(なと/#<朱>)なと(戻)  
  校訂25 絶えはつらむ--たえはへ(へ/#つ)らん(戻)  
  校訂26 おはしたり--おはした(た/+り<朱>)(戻)  
  校訂27 にもや--に(に/+も)や(戻)  
  校訂28 痛からめ--(/+い)たからめ(戻)  
  校訂29 さし出で--さしはへ(はへ/#)いて(戻)  
  校訂30 口々--くち(ち/+/\<朱>)(戻)  
  校訂31 あたりを--あたり(り/+を)(戻)  
  校訂32 仲らひなる--なからひた(た/$な<朱>)る(戻)  
  校訂33 こなたに--こなたには(は/#<朱>)(戻)  
  校訂34 鈍色--わ(わ/$に<朱>)ひいろ(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。