平家物語 巻第十一 志度合戦 原文

弓流 平家物語
巻第十一
志度合戦
しどかっせん
異:志度裏合戦
しどのうらがっせん
鶏合 壇浦合戦

 
 明けければ、平家は当国志度浦へ漕ぎしりぞく。判官八十余騎、志度へ追うてぞかけられける。平家これを見て、「源氏は小勢ぞ。中に取りこめて討てや」とて、千余人渚にあがり、源氏を中に取りこめて、我討つ取らんとぞ進みける。
 

 さるほどに八島に残り留まつたる二百余騎の勢ども、遅れ馳せに馳せ来たる。平家これを見て、「あはや源氏の大勢の続いたるは。取りこめられてはかなふまじ」とて引き退き、皆船にぞ乗りにける。
 四国をば九郎判官に攻め落とされぬ。九国へは入れられず。ただ中有の衆生とぞ見えし。潮にひかれ、風にまかせていづちをさるともなく、揺られ行くこそ悲しけれ。
 

 判官志度浦におりゐて、首どもの実検しておはしけるが、伊勢三郎義盛を召して、「阿波民部重能が嫡子、田内左衛門教能、伊予の河野四郎が召せども参らぬを攻めんとて、その勢三千余騎で、伊予へ越したりけるが、河野のをば討ちもらしぬ。家の子郎等百五十人が首取り、昨日八島の内裏へ参らせたるが、今日これへ着くと聞く。汝行き向かつて、こしらへて見よ」と宣へば、かしこまり承つて、旗一流れ賜はつてさすままに、その勢十六騎き、皆白装束に出で立つて、馳せ向かふ。
 

 さるほどに、義盛、教能に行きあうたり。あはひ一町ばかりを隔てて、赤旗白旗うつたてたり。義盛、使者をもつて言ひけるは、「かつ聞こしめしても候ふらん、鎌倉殿の御弟、九郎大夫判官殿と申す人、平家追討のために西国へ御下り候ふ。その御内に、伊勢三郎義盛と申す者にて候ふが、大将に申すべき事あつて、これまでまかり向かつて候ふ。軍合戦の料に候はねば、物の具をもし候はず。弓矢をも帯し候はず。ただあけて入れさせ給へ」と言ひければ、三千余騎の兵ども、皆中をあけてぞ通しける。
 義盛、教能にうち並べて言ひけるは、「かつ聞こし召しても候ふらん。鎌倉殿の御弟、九郎大夫判官殿、院宣を承つて平家追討のために西国へ御下り候ふ。その御内に伊勢三郎義盛と申す者にて候ふが、一昨日阿波国勝浦に着いて、御辺の伯父、桜間介殿討ち奉り候ひぬ。昨日八島の内裏に押し寄せて、御所内裏焼き払ひ、主上は海へ入らせ給ひぬ。大臣殿父子をば、生け捕り奉りたり。能登殿は御自害、そのほかの人々は、あるひは御自害、あるひは海へ入らせ給ひて候ふ。余党の少々残つたるをば、今朝志度浦にて皆討ち取り候ひぬ。御辺の父、阿波の民部殿は、降人に参らせ給ひて候ふ。義盛が預かり奉て候ふが、『あなむざんや、田内左衛門がこれをば夢にも知らずして、明日は戦して討たれ参らせんずらんむざんさよ』と、夜もすがら嘆き給ふがいたはしさに、それをば知らせ参らせんがために、まかり向かつて候ふ。この上は、甲を脱ぎ弓の弦をはづいて、降人に参り、父を一度見参らせんとも、また戦して討たれ参らせんとも、ともかくも御辺のはからひぞ」と言ひければ、
 田内左衛門、「かつ聞くことに少しもたがはず」とて、甲を脱ぎ弓の弦をはづいて、降人に参る。大将かやうになる上は、三千余騎の兵どもも、皆かくのごとし。義盛がわづか十六騎に具せられて、おめおめと降人にこそなりにけれ。「義盛がはかりごと神妙なり」とぞ感ぜられける。
 

 やがて田内左衛門は、物の具召されて、伊勢三郎に預けらる。「さてあの兵どもはいかに」と宣へば、「遠国の者どもは、誰を誰とか思ひ参らせ候ふべき。ただ世の乱れをしづめて、国をしろしめされんを、君とせん」と申す。判官、「もつともさるべし」とて、三千余騎の兵ども、皆我が勢にぞ具せられける。
 

 さるほどに、渡辺、福島両所に、残り留まつたりける二百余艘の船ども、梶原を先として、同じき二十二日の辰の刻ばかり、八島の磯にぞ着きにける。「四国をば九郎判官に攻め落とされぬ。今は何の用にかあふべき。六日の菖蒲、会に逢はぬ花、いさかひ果ててのちぎり木かな」とぞ笑はれける。
 

 判官都を立ち給ひて後、住吉の神主長盛、都へのぼり、院参して、「去んぬる十六日の丑の刻ばかりに、当社第三の神殿より、鏑矢の声出でて、西を指してまかり候ひぬ」と、申しければ、法皇大きに御感あつて、御剣以下、種種の神宝を、長盛して住吉大明神へ参らせらる。
 昔、神功皇后、新羅を攻めさせ給ひし時、伊勢大神宮より二神の荒御前を差しそへさせ給ひけり。二神御船の艫へに立つて、新羅を安う攻めしたがへさせ給ひけり。帰朝の後、一神は摂津国住吉の郡にとどまらせおはします。住吉大明神これなり。今一神は、信濃国諏訪の郡に跡を垂る。諏訪大明神これなり。
 「昔の征伐の事を思し召し忘れ給はずして、今も朝の怨敵を滅ぼし給ふべきにや」と、君も臣も頼もしうぞ思し召されける。
 

弓流 平家物語
巻第十一
志度合戦
しどかっせん
異:志度裏合戦
しどのうらがっせん
鶏合 壇浦合戦