源氏物語 52帖 蜻蛉:あらすじ・目次・原文対訳

浮舟 源氏物語
第三部
第52帖
蜻蛉
手習

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 蜻蛉(かげろう)のあらすじ

 薫27歳のころの話。

 浮舟〔読者による通称。八の宮の三女・源氏の姪〕の姿が見えないので、宇治の山荘は大騒ぎとなる。浮舟の内情を知る女房は、浮舟が宇治川に身を投げたのではと思い惑う。かけつけた浮舟の母の中将の君は真相を聞いて驚き悲しむ。世間体を繕うため、遺骸もないままにその夜のうちに葬儀を営んだ。そのころ石山寺に参籠していた薫〔源氏の幼妻と柏木の子・頭中将の孫〕は、野辺送りの後に初めて事の次第を知った。

 匂宮は悲しみのあまり、病と称して籠ってしまう。それを耳にした薫は、浮舟のことは匂宮との過ちからだと確信するが、浮舟を宇治に放置していたことを後悔、悲しみに暮れる。宇治を訪れた薫はここで浮舟の入水をはじめて知り、悲しみに沈む中将の君を思いやって、浮舟の弟たちを庇護する約束をして慰めた。薫は浮舟の四十九日の法要を宇治山の寺で盛大に営んだ。中君〔浮舟の姉・匂宮の妻〕からも供え物が届けられ、浮舟の義父常陸介は、このときはじめて継娘の素性が自分の子たちとは比較にならないものだった〔源氏の異母弟の子=帝の孫〕と実感した。この事がきっかけで、常陸介は浮舟の異母弟・小君〔大君中君を受け、大中小〕を薫の下で仕えさせる

事を決断。薫は、それで娘を亡くした親の気持ちが慰められるのならと、小君を召し抱えた。

 夏、匂宮は気晴らしに新しい恋をしはじめる。一方、薫はたまたま垣間見た女一宮(母は明石の中宮〔明石中宮=源氏と明石の子〕)に憧れるようになる。そのころ、故式部卿宮(光源氏・宇治八の宮の兄弟)の姫君が女一宮に出仕し、宮の君と呼ばれていた。東宮妃となるべく育てられかつては薫との縁談もあったこの女房に、薫も同情しつつも関心を持ちはじめる。それにつけても、薫はやはり宇治の姫君たちが忘れられず、夕暮れに儚げに飛び交うカゲロウをながめながら、大君・中君・浮舟を追想した。

(以上Wikipedia蜻蛉(源氏物語)より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#蜻蛉(11首:別ページ)
主要登場人物
 
第52帖 蜻蛉
 薫君の大納言時代
 二十七歳三月末頃から秋頃までの物語
 
第一章 浮舟失踪後の人びとの動転
第二章 浮舟失踪と薫、匂宮
第三章 匂宮、侍従を迎えて語り合う
第四章 薫、浮舟の法事を営む
第五章 薫の物語 明石中宮の女宮たち
第六章 薫、断腸の秋の思い
 
 
第一章 浮舟の物語
 浮舟失踪後の人びとの動転
 第一段 宇治の浮舟失踪
 第二段 匂宮から宇治へ使者派遣
 第三段 時方、宇治に到着
 第四段 乳母、悲嘆に暮れる
 第五段 浮舟の母、宇治に到着
 第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む
 第七段 侍従ら真相を隠す
 
第二章 浮舟の物語
 浮舟失踪と薫、匂宮
 第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す
 第二段 薫の後悔
 第三段 匂宮悲しみに籠もる
 第四段 薫、匂宮を訪問
 第五段 薫、匂宮と語り合う
 第六段 人は非情の者に非ず
 
第三章 匂宮の物語
 匂宮、侍従を迎えて語り合う
 第一段 四月、薫と匂宮、和歌を贈答
 第二段 匂宮、右近を迎えに時方派遣
 第三段 時方、侍従と語る
 第四段 侍従、京の匂宮邸へ
 第五段 侍従、宇治へ帰る
 
第四章 薫の物語
 薫、浮舟の法事を営む
 第一段 薫、宇治を訪問
 第二段 薫、真相を聞きただす
 第三段 薫、匂宮と浮舟の関係を知る
 第四段 薫、宇治の過去を追懐す
 第五段 薫、浮舟の母に手紙す
 第六段 浮舟の母からの返書
 第七段 常陸介、浮舟の死を悼む
 第八段 浮舟四十九日忌の法事
 
第五章 薫の物語
 明石中宮の女宮たち
 第一段 薫と小宰相の君の関係
 第二段 六条院の法華八講
 第三段 小宰相の君、氷を弄ぶ
 第四段 薫と女二宮との夫婦仲
 第五段 薫、明石中宮に対面
 第六段 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く
 第七段 明石中宮、薫の三角関係を知る
 
第六章 薫の物語
 薫、断腸の秋の思い
 第一段 女一の宮から妹二の宮への手紙
 第二段 侍従、明石中宮に出仕す
 第三段 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う
 第四段 侍従、薫と匂宮を覗く
 第五段 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う
 第六段 薫、断腸の秋の思い
 第七段 薫と中将の御許、遊仙窟の問答
 第八段 薫、宮の君を訪ねる
 第九段 薫、宇治の三姉妹の運命を思う
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

薫(かおる)
源氏の子〔と一般にみなされる柏木の子、頭中将の孫〕
呼称:大将殿・大将・大将の君・殿・君
匂宮(におうのみや)
今上帝の第三親王
呼称:兵部卿宮・宮・親王
今上帝(きんじょうてい)
朱雀院の第一親王
呼称:帝・内裏・主上
明石中宮(あかしのちゅうぐう)
源氏の娘
呼称:大宮・后の宮・后・宮
夕霧(ゆうぎり)
源氏の長男
呼称:左大臣殿・左の大殿・右の大殿・父大臣
女一の宮(おんないちのみや)
今上帝の第一内親王
呼称:姫宮・一品の宮
女二の宮(おんなにのみや)
今上帝の第二内親王
呼称:二の宮・女宮・帝の御女
中君(なかのきみ)
八の宮の二女
呼称:宮の上・御二条の北の方・対の御方・女君
宮の君(みやのきみ)
蜻蛉宮の姫君
呼称:御女・姫君・女君
浮舟(うきふね)
八の宮の三女
呼称:守の娘・御妹・上・女君・君・女
常陸介(ひたちのすけ)
浮舟の継父
呼称:常陸守・常陸前守・守
中将の君(ちゅうじょうのきみ)
浮舟の母
呼称:母君・御母・親・母
弁尼君(べんのあまぎみ)
〔八の宮の義理の従姉妹、柏木の乳母子〕
呼称:尼君
浮舟の乳母(うきふねのめのと)
呼称:乳母
右近(うこん)
浮舟の乳母子
呼称:右近
侍従の君(じじゅうのきみ)
呼称:侍従
時方(ときかた)
匂宮の従者
呼称:御使・大夫
大蔵大輔(おおくらのたいふ)
薫の家司、道定の妻の父親
呼称:御使・大蔵大夫
小宰相の君(こざいしょうのきみ)
〔明石中宮方女房〕
呼称:小宰相の君・宰相の君・小宰相・宰相

 
 以上の内容は〔〕以外、以下の原文のリンクから参照。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  蜻蛉
 
 

第一章 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転

 
 

第一段 宇治の浮舟失踪

 
   かしこには、人びと、おはせぬを求め騒げど、かひなし。
 物語の姫君の、人に盗まれたらむ明日のやうなれば、詳しくも言ひ続けず。
 京より、ありし使の帰らずなりにしかば、おぼつかなしとて、また人おこせたり。
 
 あちらでは、女房たちが、いらっしゃらないのを探して大騷ぎするが、その効がない。
 物語の姫君が、誰かに盗まれたような朝のようなので、詳しくは話し続けない。
 京から、先日の使者が帰れなくなってしまったので、気がかりに思って、再び使者をよこした。
 
   「まだ、鶏の鳴くになむ、出だし立てさせたまへる」  「まだ、鶏が鳴く時刻に、出立させなさった」
   と使の言ふに、いかに聞こえむと、乳母よりはじめて、あわて惑ふこと限りなし。
 思ひやる方なくて、ただ騷ぎ合へるを、かの心知れるどちなむ、いみじくものを思ひたまへりしさまを思ひ出づるに、「身を投げたまへるか」とは思ひ寄りける。
 
 と使者が言うと、どのように申し上げようと、乳母をはじめとして、あわてふためることこの上ない。
 推量しても見当がつかず、ただ大騷ぎし合っているのを、あの事情を知っている者どうしは、ひどく物思いなさっていた様子を思い出すと、「身を投げなさったのか」と思い寄るのであった。
 
   泣く泣くこの文を開けたれば、  泣きながらこの手紙を開くと、
   「いとおぼつかなさに、まどろまれはべらぬけにや、今宵は夢にだにうちとけても見えず。
 物に襲はれつつ、心地も例ならずうたてはべるを。
 なほいと恐ろしく、ものへ渡らせたまはむことは近くなれど、そのほど、ここに迎へたてまつりてむ。
 今日は雨降りはべりぬべければ」
 「とても気がかりなので、眠れませんでしたせいでしょうか、今夜は夢でさえゆっくりと見えません。
 悪夢にうなされうなされして、気分も普段と違って悪うございますよ。
 やはりとても恐ろしく、あちらにお移りになる日は近くなったが、その前後に、こちらにお迎え申しましょう。
 今日は雨が降りそうでございますので」
   などあり。
 昨夜の御返りをも開けて見て、右近いみじう泣く。
 
 などとある。
 昨夜のお返事を開いて見て、右近はひどく泣く。
 
   「さればよ。
 心細きことは聞こえたまひけり。
 我に、などかいささかのたまふことのなかりけむ。
 幼かりしほどより、つゆ心置かれたてまつることなく、塵ばかり隔てなくてならひたるに、今は限りの道にしも、我を後らかし、けしきをだに見せたまはざりけるがつらきこと」
 「そうであったか。
 心細いことを申し上げなさっていたのだ。
 わたしに、どうして少しもおしゃってくださらなかったのだろう。
 幼かった時から、少しも分け隔て申し上げることもなく、塵ほども隠しだてすることなくやって来たのに、最期の別れ路の時に、わたしを後に残して、そのそぶりさえお見せにならなかったのがつらいことだ」
   と思ふに、足摺りといふことをして泣くさま、若き子どものやうなり。
 いみじく思したる御けしきは、見たてまつりわたれど、かけても、かくなべてならずおどろおどろしきこと、思し寄らむものとは見えざりつる人の御心ざまを、「なほ、いかにしつることにか」とおぼつかなくいみじ。
 
 と思うと、足摺りということをして泣く有様は、若い子供のようである。
 ひどくお悩みのご様子は、ずっと拝見して来たが、まったく、このように普通の人と違って大それたこと、お思いつくとは見えなかった方のお気持ちを、「やはり、どうなさったことか」と分からず悲しい。
 
   乳母は、なかなかものもおぼえで、ただ、「いかさまにせむ。
 いかさまにせむ」とぞ言はれける。
 
 乳母は、かえって何も分からなくなって、ただ、「どうしよう。
 どうしよう」と言うだけであった。
 
 
 

第二段 匂宮から宇治へ使者派遣

 
   宮にも、いと例ならぬけしきありし御返り、「いかに思ふならむ。
 我を、さすがにあひ思ひたるさまながら、あだなる心なりとのみ、深く疑ひたれば、他へ行き隠れむとにやあらむ」と思し騷ぎ、御使あり。
 
 宮にも、まことにいつもと違った様子であったお返事に、「どのように思っているのだろう。
 わたしを、そうはいっても愛している様子でいながら、浮気な心だとばかり、深く疑っていたので、他へ身を隠したのであろうか」とお慌てになって、お使者がある。
 
   ある限り泣き惑ふほどに来て、御文もえたてまつらず。
 
 居合わせた者たちが泣き騒いでいるところに来て、お手紙も差し上げられない。
 
   「いかなるぞ」  「どうしたことか」
   と下衆女に問へば、  と下衆女に尋ねると、
   「上の、今宵、にはかに亡せたまひにければ、ものもおぼえたまはず。
 頼もしき人もおはしまさぬ折なれば、さぶらひたまふ人びとは、ただものに当たりてなむ惑ひたまふ」
 「ご主人様が、今夜、急にお亡くなりになったので、何もかも分からなくいらっしゃいます。
 頼りになる方もいらっしゃらない時なので、お仕えなさっている方々は、ただ物に突き当たっておろおろなさっています」
   と言ふ。
 心も深く知らぬ男にて、詳しう問はで参りぬ。
 
 と言う。
 事情を深く知らない男なので、詳しくは尋ねないで帰参した。
 
   「かくなむ」と申させたるに、夢とおぼえて、  「こうこうでした」と申し上げさせたところ、夢のように思われて、
   「いとあやし。
 いたくわづらふとも聞かず。
 日ごろ、悩ましとのみありしかど、昨日の返り事はさりげもなくて、常よりもをかしげなりしものを」
 「まことに変だ。
 ひどく患っていたとも聞いてない。
 日頃、気分が悪いとばかりあったが、昨日の返事は変わったこともなくて、いつものよりも興趣があったものを」
   と、思しやる方なければ、  と、ご想像もおつきにならないので、
   「時方、行きてけしき見、たしかなること問ひ聞け」  「時方、行って様子を見て、はっきりとしたことを尋ね出せ」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「かの大将殿、いかなることか、聞きたまふことはべりけむ、宿直する者おろかなり、など戒め仰せらるるとて、下人のまかり出づるをも、見とがめ問ひはべるなれば、ことづくることなくて、時方まかりたらむを、ものの聞こえはべらば、思し合はすることなどやはべらむ。
 さて、にはかに人の亡せたまへらむ所は、論なう騒がしう、人しげくはべらむを」と聞こゆ。
 
 「あの大将殿は、どのようなことか、お聞きになっていることがございましたのでしょう、宿直をする者が怠慢である、などと訓戒なさったと言って、下人が退出するのさえ、注意して調べると言いますので、口実もなくて、時方が参ったのを、事が漏れたりしましたら、お気づきになることがございましょう。
 そうして、急に人のお亡くなりになった所は、言うまでもなく騒がしく、人目が多くございましょうから」と申し上げる。
 
   「さりとては、いとおぼつかなくてやあらむ。
 なほ、とかくさるべきさまに構へて、例の、心知れる侍従などに会ひて、いかなることをかく言ふぞ、と案内せよ。
 下衆はひがことも言ふなり」
 「そうかといって、まことに気がかりなままでいられようか。
 やはり、何か適当に計らって、いつものように、事情を知っている侍従などに会って、どうしたわけでこのように言うのか、と尋ねよ。
 下衆も間違ったことを言うものだ」
   とのたまへば、いとほしき御けしきもかたじけなくて、夕つ方行く。
 
 とおっしゃるので、お気の毒なご様子も恐れ多くて、夕方に行く。
 
 
 

第三段 時方、宇治に到着

 
   かやすき人は、疾く行き着きぬ。
 雨少し降り止みたれど、わりなき道にやつれて、下衆のさまにて来たれば、人多く立ち騷ぎて、
 身分の軽い者は、すぐに行き着いた。
 雨が少し降り止んだが、難儀な山道を身を簡略にして、下衆の恰好で来たところ、人が大勢立ち騒いで、
   「今宵、やがてをさめたてまつるなり」  「今夜、このままご葬送申し上げるのです」
   など言ふを聞く心地も、あさましくおぼゆ。
 右近に消息したれども、え会はず、
 などと言うのを聞く気分も、驚き呆れて思われる。
 右近に案内を乞うたが、会うことはできない。
 
   「ただ今、ものおぼえず。
 起き上がらむ心地もせでなむ。
 さるは、今宵ばかりこそ、かくも立ち寄りたまはめ、え聞こえぬこと」
 「ただ今は、何も分かりません。
 起き上がる気持ちもしません。
 それにしても、今夜を最後に、このようにお立ち寄りになるのでしょうが、お話しできませんことが」
   と言はせたり。
 
 と言わせた。
 
   「さりとて、かくおぼつかなくては、いかが帰り参りはべらむ。
 今一所だに」
 「そうは言っても、このようにはっきり分かりませんでは、どうして帰参できましょう。
 せめてもうお一方にでも」
   と切に言ひたれば、侍従ぞ会ひたりける。
 
 と切に言ったので、侍従が会ったのであった。
 
   「いとあさまし。
 思しもあへぬさまにて亡せたまひにたれば、いみじと言ふにも飽かず、夢のやうにて、誰も誰も惑ひはべるよしを申させたまへ。
 すこしも心地のどめはべりてなむ、日ごろも、もの思したりつるさま、一夜、いと心苦しと思ひきこえさせたまへりしありさまなども、聞こえさせはべるべき。
 この穢らひなど、人の忌みはべるほど過ぐして、今一度立ち寄りたまへ」
 「まことに呆れたことです。
 ご自身も思いがけない様子でお亡くなりになったので、悲しいと言っても言い足りず、夢のようで、誰も彼もが途方に暮れています旨を申し上げてくださいませ。
 少しでも気分が落ち着きましたら、日頃、物思いなさっていた様子や、先夜、ほんとうに申し訳なくお思い申し上げていらした有様などを、お聞かせ申し上げましょう。
 この穢など、世間の人が忌む期間が過ぎてから、もう一度お立ち寄りくださいませ」
   と言ひて、泣くこといといみじ。
 
 と言って、泣く様子はまことに大変である。
 
 
 

第四段 乳母、悲嘆に暮れる

 
   内にも泣く声々のみして、乳母なるべし、  内側でも泣く声ばかりがして、乳母であろう、
   「あが君や、いづ方にかおはしましぬる。
 帰りたまへ。
 むなしき骸をだに見たてまつらぬが、かひなく悲しくもあるかな。
 明け暮れ見たてまつりても飽かずおぼえたまひ、いつしかかひある御さまを見たてまつらむと、朝夕に頼みきこえつるにこそ、命も延びはべりつれ。
 うち捨てたまひて、かく行方も知らせたまはぬこと。
 
 「わが姫君は、どこに行かれてしまったのか。
 お帰りください。
 むなしい亡骸をさえ拝見しないのが、効なく悲しいことよ。
 毎日拝見しても物足りなくお思い申し、早く立派なご様子を拝見しようと、朝夕にお頼み申し上げていたので、寿命も延びました。
 お見捨てになって、このように行く方もお知らせにならないこと。
 
   鬼神も、あが君をばえ領じたてまつらじ。
 人のいみじく惜しむ人をば、帝釈も返したまふなり。
 あが君を取りたてまつりたらむ、人にまれ鬼にまれ、返したてまつれ。
 亡き御骸をも見たてまつらむ」
 鬼神も、わが姫君をお取り申すことはできまい。
 皆がたいそう惜しむ人を、帝釈天もお返しになるという。
 姫君をお取り申し上げたのは、人であれ鬼であれ、お返し申し上げてください。
 御亡骸を拝見したい」
   と言ひ続くるが、心得ぬことども混じるを、あやしと思ひて、  と言い続けるが、合点の行かないことがあるのを、変だと思って、
   「なほ、のたまへ。
 もし、人の隠しきこえたまへるか。
 たしかに聞こし召さむと、御身の代はりに出だし立てさせたまへる御使なり。
 今は、とてもかくてもかひなきことなれど、後にも聞こし召し合はすることのはべらむに、違ふこと混じらば、参りたらむ御使の罪なるべし。
 
 「やはり、おっしゃってください。
 もしや、誰かがお隠し申し上げなさったのか。
 確かな事をお聞きなさろうとして、ご自身の代わりに出立させなさったお使いです。
 今は、何にしても効のないことですが、後にお聞き合わせになることがございましょうが、違ったことがございましたら、聞いて参ったお使いの落度になるでしょう。
 
   また、さりともと頼ませたまひて、『君たちに対面せよ』と仰せられつる御心ばへも、かたじけなしとは思されずや。
 女の道に惑ひたまふことは、人の朝廷にも、古き例どもありけれど、またかかること、この世にはあらじ、となむ見たてまつる」
 また、そのようなことはあるまいとご信頼あそばして、『あなた方にお会いせよ』と仰せになったお気持ちを、もったいないとはお思いになりませんか。
 女の道に迷いなさることは、異国の朝廷にも、古い幾つもの例があったが、またこのようなことは、この世にない、と拝見しています」
   と言ふに、「げに、いとあはれなる御使にこそあれ。
 隠すとすとも、かくて例ならぬことのさま、おのづから聞こえなむ」と思ひて、
 と言うので、「おっしゃるとおり、まことに恐れ多いお使いだ。
 隠そうとしても、こうして珍しい事件の様子は、自然とお耳に入ろう」と思って、
   「などか、いささかにても、人や隠いたてまつりたまふらむ、と思ひ寄るべきことあらむには、かくしもある限り惑ひはべらむ。
 日ごろ、いといみじくものを思し入るめりしかば、かの殿の、わづらはしげに、ほのめかし聞こえたまふことなどもありき。
 
 「どうして、少しでも、誰かがお隠し申し上げなさったのだろう、と思い寄るようなことがあったら、こんなにも皆が泣き騒ぐことがございましょうか。
 日頃、とてもひどく物を思いつめているようでしたので、あの殿が、厄介なことに、ちらっとおっしゃってくることなどもありました。
 
   御母にものしたまふ人も、かくののしる乳母なども、初めより知りそめたりし方に渡りたまはむ、となむいそぎ立ちて、この御ことをば、人知れぬさまにのみ、かたじけなくあはれと思ひきこえさせたまへりしに、御心乱れけるなるべし。
 あさましう、心と身を亡くなしたまへるやうなれば、かく心の惑ひに、ひがひがしく言ひ続けらるるなめり」
 お母上でいらっしゃる方も、このように大騷ぎする乳母なども、初めから知り合った方のほうにお引っ越しなさろう、と準備し出して、宮とのご関係を、誰にも知られない状態にばかり、恐れ多くもったいないとお思い申し上げていらっしゃいましたので、お気持ちも乱れたのでしょう。
 驚き呆れますが、ご自分から身をお亡くしになったようなので、このように心の迷いに、愚痴っぽく言い続けてしまうのでしょう」
   と、さすがに、まほならずほのめかす。
 心得がたくおぼえて、
 と、そうはいっても、ありのままにではなく暗示する。
 合点が行かず思われて、
   「さらば、のどかに参らむ。
 立ちながらはべるも、いとことそぎたるやうなり。
 今、御みづからもおはしましなむ」
 「それでは、落ち着いてから参りましょう。
 立ちながら話しますのも、まことに簡略なようです。
 いずれ、宮ご自身でもお出でになりましょう」
   と言へば、  と言うと、
   「あな、かたじけな。
 今さら、人の知りきこえさせむも、亡き御ためは、なかなかめでたき御宿世見ゆべきことなれど、忍びたまひしことなれば、また漏らさせたまはで、止ませたまはむなむ、御心ざしにはべるべき」
 「まあ、恐れ多い。
 今さら、人がお知り申すのも、亡きお方のためには、かえって名誉なご運勢と見えることですが、お隠しになっていた事なので、またお漏らしあそばさないで、終わりなさることが、お気持ちに従うことでしょう」
   ここには、かく世づかず亡せたまへるよしを、人に聞かせじと、よろづに紛らはすを、「自然にことどものけしきもこそ見ゆれ」と思へば、かくそそのかしやりつ。
 
 こちらでは、このように異常な形でお亡くなりになった旨を、人に聞かせまいと、いろいろと紛らわしているが、「自然と事件の子細も分かってしまうのでは」と思うと、このように勧めて帰らせた。
 
 
 

第五段 浮舟の母、宇治に到着

 
   雨のいみじかりつる紛れに、母君も渡りたまへり。
 さらに言はむ方もなく、
 雨がひどく降ったのに隠れて、母君もお越しになった。
 まったく何とも言いようなく、
   「目の前に亡くなしたらむ悲しさは、いみじうとも、世の常にて、たぐひあることなり。
 これは、いかにしつることぞ」
 「目の前で亡くなった悲しさは、どんなに悲しくあっても、世の中の常で、いくらでもあることだ。
 これは、いったいどうしたことか」
   と惑ふ。
 かかることどもの紛れありて、いみじうもの思ひたまふらむとも知らねば、身を投げたまへらむとも思ひも寄らず、
 とうろうろする。
 このような込み入った事件があって、ひどく物思いなさっていたとは知らないので、身を投げなさったとは思いも寄らず、
   「鬼や食ひつらむ。
 狐めくものや取りもて去ぬらむ。
 いと昔物語のあやしきもののことのたとひにか、さやうなることも言ふなりし」
 「鬼が喰ったのか。
 狐のような魔物が連れさらったのか。
 まことに昔物語の妙な事件の例にか、そのような事も言っていた」
   と思ひ出づ。
 
 と思い出す。
 
   「さては、かの恐ろしと思ひきこゆるあたりに、心など悪しき御乳母やうの者や、かう迎へたまふべしと聞きて、めざましがりて、たばかりたる人もやあらむ」  「それとも、あの恐ろしいとお思い申し上げる方の所で、意地悪な乳母のような者が、このようにお迎えになる予定と聞いて、目障りに思って、誘拐を企んだ人でもあろうか」
   と、下衆などを疑ひ、  と、下衆などを疑って、
   「今参りの、心知らぬやある」  「新参者で、気心の知れない者はいないか」
   と問へば、  と尋ねるが、
   「いと世離れたりとて、ありならはぬ人は、ここにてはかなきこともえせず、今とく参らむ、と言ひてなむ、皆、そのいそぐべきものどもなど取り具しつつ、帰り出ではべりにし」  「とても世間離れした所だといって、住み馴れない新参者は、こちらではちょっとしたこともできず、又すぐに参上しましょう、と言っては、皆、その引っ越しの準備の物などを持っては、京に帰ってしまいました」
   とて、もとよりある人だに、片へはなくて、いと人少ななる折になむありける。
 
 と言って、元からいる女房でさえ、半分はいなくなって、まことに人数少ないときであった。
 
 
 

第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む

 
   侍従などこそ、日ごろの御けしき思ひ出で、「身を失ひてばや」など、泣き入りたまひし折々のありさま、書き置きたまへる文をも見るに、「亡き影に」と書きすさびたまへるものの、硯の下にありけるを見つけて、川の方を見やりつつ、響きののしる水の音を聞くにも、疎ましく悲しと思ひつつ、  侍従などは、日頃のご様子を思い出して、「死んでしまいたい」などと、泣き入っていらした時々の様子、書き置きなさった手紙を見ると、「亡くなった後形に」と書き散らしていらっしゃったものが、硯の下にあったのを見つけて、川の方角を見やりながら、ごうごうと轟いて流れている川の音を聞くにつけても、気味悪く悲しいと思いながら、
   「さて、亡せたまひけむ人を、とかく言ひ騷ぎて、いづくにもいづくにも、いかなる方になりたまひにけむ、と思し疑はむも、いとほしきこと」  「こうして、お亡くなりになった方を、あれこれと噂し合って、どなたもどなたも、どのようなふうにお亡くなりになったのか、とお疑いになるのも、お気の毒なこと」
   と言ひ合はせて、  と相談し合って、
   「忍びたる事とても、御心より起こりてありしことならず。
 親にて、亡き後に聞きたまへりとも、いとやさしきほどならぬを、ありのままに聞こえて、かくいみじくおぼつかなきことどもをさへ、かたがた思ひ惑ひたまふさまは、すこし明らめさせたてまつらむ。
 亡くなりたまへる人とても、骸を置きてもて扱ふこそ、世の常なれ、世づかぬけしきにて日ごろも経ば、さらに隠れあらじ。
 なほ、聞こえて、今は世の聞こえをだにつくろはむ」
 「秘密の事とは言っても、ご自身から引き起こした事ではない。
 母親の身として、後に聞き合わせなさったとしても、別に恥ずかしい相手ではないのを、ありのままに申し上げて、このようにひどく気がかりなことまで加わって、あれこれ思い迷っていらっしゃる様子は、少しは合点の行くようにして上げよう。
 お亡くなりになった方としても、亡骸を安置し弔うのが、世間一般であるが、世間の例と変わった様子で幾日もたったら、まったく隠しおおせないだろう。
 やはり、申し上げて、今は世間の噂だけでも取り繕いましょう」
   と語らひて、忍びてありしさまを聞こゆるに、言ふ人も消え入り、え言ひやらず、聞く心地も惑ひつつ、「さは、このいと荒ましと思ふ川に、流れ亡せたまひにけり」と思ふに、いとど我も落ち入りぬべき心地して、  と相談し合って、こっそりと生前の状態を申し上げると、言う人も正気を失って、言葉も続かず、聞く気持ちも乱れて、「それでは、このとても荒々しい川に、身を投じて亡くなったのだ」と思うと、ますます自分も落ち込んでしまいそうな気がして、
   「おはしましにけむ方を尋ねて、骸をだにはかばかしくをさめむ」  「流れて行かれた方角を探して、せめて亡骸だけでもちゃんと葬儀したい」
   とのたまへど、  とおっしゃるが、
   「さらに何のかひはべらじ。
 行方も知らぬ大海の原にこそおはしましにけめ。
 さるものから、人の言ひ伝へむことは、いと聞きにくし」
 「全然何の効もありません。
 行く方も知れない大海原にいらっしゃったでしょう。
 それなのに、人が言い伝えることは、とても聞きにくい」
   と聞こゆれば、とざまかくざまに思ふに、胸のせきのぼる心地して、いかにもいかにもすべき方もおぼえたまはぬを、この人びと二人して、車寄せさせて、御座ども、気近う使ひたまひし御調度ども、皆ながら脱ぎ置きたまへる御衾などやうのものを取り入れて、乳母子の大徳、それが叔父の阿闍梨、その弟子の睦ましきなど、もとより知りたる老法師など、御忌に籠もるべき限りして、人の亡くなりたるけはひにまねびて、出だし立つるを、乳母、母君は、いといみじくゆゆしと臥しまろぶ。
 
 と申し上げるので、あれやこれやと思うと、胸がこみ上げてくる気がして、どうにもこうにもなすすべもなく思われなさるが、この女房たち二人で、車を寄せさせて、ご座所や、身近にお使いになったご調度類など、みなそのままそっくり脱いで置かれた御衾などのようなものを詰めこんで、乳母子の大徳や、その叔父の阿闍梨、その弟子の親しい者など、昔から知っていた老法師など、御忌中に籠もる者だけで、人が亡くなった時の例にまねて、出立させたのを、乳母や、母君は、まことにひどく不吉だと倒れ転ぶ。
 
 
 

第七段 侍従ら真相を隠す

 
   大夫、内舎人など、脅しきこえし者どもも参りて、  大夫や、内舎人など、脅迫申し上げた者どもが参って、
   「御葬送の事は、殿に事のよしも申させたまひて、日定められ、いかめしうこそ仕うまつらめ」  「ご葬送の事は、殿に事情を申し上げさせなさって、日程を決められて、厳かにお勤め申し上げるのがよいでしょう」
   など言ひけれど、  などと言ったが、
   「ことさら、今宵過ぐすまじ。
 いと忍びてと思ふやうあればなむ」
 「特別に、今夜のうちに行いたいのです。
 たいそうこっそりにと思っているところがありますので」
   とて、この車を、向かひの山の前なる原にやりて、人も近うも寄せず、この案内知りたる法師の限りして焼かす。
 いとはかなくて、煙は果てぬ。
 田舎人どもは、なかなか、かかることをことことしくしなし、言忌みなど深くするものなりければ、
 と言って、この車を、向かいの山の前の野原に行かせて、人も近くに寄せず、この事情を知っている法師たちだけで火葬させる。
 まことにあっけなくて、煙は消えた。
 田舎者どもは、かえって、このようなことを仰々しくして、言忌などを深くするものだったので、
   「いとあやしう。
 例の作法など、あることども知らず、下衆下衆しく、あへなくてせられぬることかな」
 「まことに変なこと。
 きまりの作法などが、あることもなさらずに、いかにも下衆のように、あっけなくなさったことよ」
   と誹りければ、  と非難すると、
   「片へおはする人は、ことさらにかくなむ、京の人はしたまふ」  「兄弟などのいらっしゃる方は、わざとこのように、京の方はなさる」
   などぞ、さまざまになむやすからず言ひける。
 
 などと、いろいろと感心しないことを言うのであった。
 
   「かかる人どもの言ひ思ふことだに慎ましきを、まして、ものの聞こえ隠れなき世の中に、大将殿わたりに、骸もなく亡せたまひにけり、と聞かせたまはば、かならず思ほし疑ふこともあらむを、宮はた、同じ御仲らひにて、さる人のおはしおはせず、しばしこそ忍ぶとも思さめ、つひには隠れあらじ。
 
 「このような者どもが言ったり思ったりするだけでも憚れるのに、それ以上に、噂が漏れて広がる世の中では、大将殿あたりで、亡骸もなくお亡くなりになった、とお聞きになったら、きっとお疑いになることがあろうが、宮もまた、親しいお間柄であるから、そのような人がいらっしゃるかいらっしゃらないかは、しばらくの間は隠していると疑っても、いつかは明らかになるであろう。
 
   また、定めて宮をしも疑ひきこえたまはじ。
 いかなる人か率て隠しけむなどぞ、思し寄せむかし。
 生きたまひての御宿世は、いと気高くおはせし人の、げに亡き影に、いみじきことをや疑はれたまはむ」
 また一方、きっと宮だけをお疑い申し上げることはなさらないだろう。
 どのような人が連れて行って隠したのだろうなどと、お考え寄りになるだろう。
 生きていらした間のご運勢は、とても高くいらした方が、なるほど亡くなって後は、たいへんな疑いをお受けになるのだろうか」
   と思へば、ここの内なる下人どもにも、今朝のあわたたしかりつる惑ひに、「けしきも見聞きつるには口かため、案内知らぬには聞かせじ」などぞたばかりける。
 
 と思うと、この家にいる下人どもにも、今朝の慌ただしかった騒動に、「その様子を見たり聞いたりした者には口止めをし、事情を知らない者には聞かせまい」などとごまかしたのであった。
 
   「ながらへては、誰にも、静やかに、ありしさまをも聞こえてむ。
 ただ今は、悲しさ覚めぬべきこと、ふと人伝てに聞こし召さむは、なほいといとほしかるべきことなるべし」
 「年月が経ったら、どちらにも、静かに、生前のご様子を申し上げよう。
 ただ今は、悲しみも覚めるようなことを、ふと人伝てにお聞きなさると、やはりとてもお気の毒なことになるであろう」
   と、この人二人ぞ、深く心の鬼添ひたれば、もて隠しける。
 
 と、この人ら二人は、深く良心が咎めるので、隠すのであった。
 
 
 

第二章 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮

 
 

第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す

 
   大将殿は、入道の宮の悩みたまひければ、石山に籠もりたまひて、騷ぎたまふころなりけり。
 さて、いとどかしこをおぼつかなう思しけれど、はかばかしう、「さなむ」と言ふ人はなかりければ、かかるいみじきことにも、まづ御使のなきを、人目も心憂しと思ふに、御荘の人なむ参りて、「しかしか」と申させければ、あさましき心地したまひて、御使、そのまたの日、まだつとめて参りたり。
 
 大将殿は、母入道の宮がお悩みになったので、石山寺に参籠なさって、おとりこみの最中であった。
 そうして、ますますあちらを気がかりにお思いになったが、はっきりと、「こうだ」と言う人がいなかったので、このような大変な事件にも、まっさきにご使者がないのを、世間体もつらいと思うが、御荘園の者が参上して、「これこれしかじかです」とご報告申し上げさせたので、驚き呆れた気がなさって、ご使者が、その翌日のまだ早朝に参上した。
 
   「いみじきことは、聞くままにみづからもすべきに、かく悩みたまふ御ことにより、慎みて、かかる所に日を限りて籠もりたればなむ。
 昨夜のことは、などか、ここに消息して、日を延べてもさることはするものを、いと軽らかなるさまにて、急ぎせられにける。
 とてもかくても、同じ言ふかひなさなれど、とぢめのことをしも、山賤の誹りをさへ負ふなむ、ここのためもからき」
 「ご一大事は、聞くなりすぐに自分が駆けつけるべきところ、このようにご病気でいらっしゃる御事のために、身を清めて、このような所に日数を決めて参籠しておりますので。
 昨夜の事は、どうして、こちらに連絡して、日を延期してでもそういうことはするべきものを、たいそう簡略な様子で、急いでなさったのか。
 どのようにしたところで、同じく言っても始まらないことだが、最後の葬儀さえ、山賤の非難を受けるのが、わたしにとってもつらい」
   など、かの睦ましき大蔵大輔してのたまへり。
 御使の来たるにつけても、いとどいみじきに、聞こえむ方なきことどもなれば、ただ涙におぼほれたるばかりをかことにて、はかばかしうもいらへやらずなりぬ。
 
 などと、あの信任厚い大蔵大輔を使者としておっしゃった。
 お使いが来たことにつけても、ますます悲しいので、何とも申し上げようのないことなので、ただ涙にくれているだけを口実にして、はっきりともお答え申し上げずに終わった。
 
 
 

第二段 薫の後悔

 
   殿は、なほ、いとあへなくいみじと聞きたまふにも、  殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにも、
   「心憂かりける所かな。
 鬼などや住むらむ。
 などて、今までさる所に据ゑたりつらむ。
 思はずなる筋の紛れあるやうなりしも、かく放ち置きたるに、心やすくて、人も言ひ犯したまふなりけむかし」
 「何という嫌な土地であろう。
 鬼などが住んでいるのだろうか。
 どうして、今までそのような所に置いておいたのだろう。
 思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」
   と思ふにも、わがたゆく世づかぬ心のみ悔しく、御胸痛くおぼえたまふ。
 悩ませたまふあたりに、かかること思し乱るるもうたてあれば、京におはしぬ。
 
 と思うにつけても、自分の迂闊で世間離れした心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。
 お患いあそばしているところで、このような事件でご困惑なさるのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
 
   宮の御方にも渡りたまはず、  宮の御方にもお渡りにならず、
   「ことことしきほどにもはべらねど、ゆゆしきことを近う聞きつれば、心の乱れはべるほども忌ま忌ましうて」  「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」
   など聞こえたまひて、尽きせずはかなくいみじき世を嘆きたまふ。
 ありしさま容貌、いと愛敬づき、をかしかりしけはひなどの、いみじく恋しく悲しければ、
 などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。
 生前の容姿、まことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
   「うつつの世には、などかくしも思ひ晴れず、のどかにて過ぐしけむ。
 ただ今は、さらに思ひ静めむ方なきままに、悔しきことの数知らず。
 かかることの筋につけて、いみじうものすべき宿世なりけり。
 さま異に心ざしたりし身の、思ひの外に、かく例の人にてながらふるを、仏などの憎しと見たまふにや。
 人の心を起こさせむとて、仏のしたまふ方便は、慈悲をも隠して、かやうにこそはあなれ」
 「現世には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。
 今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れない。
 このような方面の事につけて、ひどく物思いをする運命なのだ。
 世人と異なって道心を身上とした人生なのに、思いの外に、このように普通の人のように生き永らえているのを、仏などが憎いと御覧になるのではなかろうか。
 人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」
   と思ひ続けたまひつつ、行ひをのみしたまふ。
 
 と思い続けなさりながら、勤行ばかりをなさる。
 
 
 

第三段 匂宮悲しみに籠もる

 
   かの宮はた、まして、二、三日はものもおぼえたまはず、うつし心もなきさまにて、「いかなる御もののけならむ」など騒ぐに、やうやう涙尽くしたまひて、思し静まるにしもぞ、ありしさまは恋しういみじく思ひ出でられたまひける。
 人には、ただ御病の重きさまをのみ見せて、「かくすぞろなるいやめのけしき知らせじ」と、かしこくもて隠すと思しけれど、おのづからいとしるかりければ、
 あの宮はまた宮で、彼以上に、二、三日は何も考えることができず、正気もない状態で、「どのような御物の怪であろうか」などと騒ぐうち、だんだんと涙も流し尽くして、お気持ちが静まって、生前のご様子が恋しく悲しく思い出されなさるのであった。
 周囲の人には、ただご病気が篤い様子ばかりに見せて、「このような無性に涙顔でいる様子を知らせまい」と、気強く隠そうとお思いになったが、自然とはっきりしていたので、
   「いかなることにかく思し惑ひ、御命も危ふきまで沈みたまふらむ」  「どのような事にこんなにご困惑なさり、お命も危ないまでに嘆き沈んでいらっしゃるのだろう」
   と、言ふ人もありければ、かの殿にも、いとよくこの御けしきを聞きたまふに、「さればよ。
 なほ、よその文通はしのみにはあらぬなりけり。
 見たまひては、かならずさ思しぬべかりし人ぞかし。
 ながらへましかば、ただなるよりぞ、わがためにをこなることも出で来なまし」と思すになむ、焦がるる胸もすこし冷むる心地したまひける。
 
 と、言う人もいたので、あちらの殿におかれても、とてもよくこのご様子をお聞きになると、「そうであったか。
 やはり、単なる文通だけではなかったのだ。
 御覧になっては、きっとそのように熱中なさるはずの女である。
 もし生きていたら、他人の関係以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」とお思いになると、恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった。
 
 
 

第四段 薫、匂宮を訪問

 
   宮の御訪らひに、日々に参りたまはぬ人なく、世の騷ぎとなれるころ、「ことことしき際ならぬ思ひに籠もりゐて、参らざらむもひがみたるべし」と思して参りたまふ。
 
 宮のお見舞いに、毎日参上なさらない方はなく、世間の騷ぎとなっているころ、「大した身分でもない女のために閉じ籠もって、参上しないのも変だろう」とお思いになって参上なさる。
 
   そのころ、式部卿宮と聞こゆるも亡せたまひにければ、御叔父の服にて薄鈍なるも、心のうちにあはれに思ひよそへられて、つきづきしく見ゆ。
 すこし面痩せて、いとどなまめかしきことまさりたまへり。
 人びとまかり出でて、しめやかなる夕暮なり。
 
 そのころ、式部卿宮と申し上げた方もお亡くなりになったので、御叔父の服喪で薄鈍でいるのも、心中しみじみと思いよそえられて、ふさわしく見える。
 少し顔が痩せて、ますます優美さがまさっていらっしゃる。
 お見舞い客が退出して、ひっそりとした夕暮である。
 
   宮、臥し沈みてはなき御心地なれば、疎き人にこそ会ひたまはね、御簾の内にも例入りたまふ人には、対面したまはずもあらず。
 見えたまはむもあいなくつつまし。
 見たまふにつけても、いとど涙のまづせきがたさを思せど、思ひ静めて、
 宮は、臥せって沈んでばかりいられないお気持ちなので、疎遠な客にはお会いにならないが、御簾の内側にもいつもお入りになる方には、お会いなさらないことできもない。
 顔をお見せになるのも何となく気がひける。
 お会いなさるにつけても、ますます涙が止めがたいのをお思いになるが、冷静になって、
   「おどろおどろしき心地にもはべらぬを、皆人、慎むべき病のさまなり、とのみものすれば、内裏にも宮にも思し騒ぐがいと苦しく、げに、世の中の常なきをも、心細く思ひはべる」  「大した病気ではございませんが、誰もが、用心しなければならない病状だ、とばかり言うので、帝におかれても母宮におかれても、御心配なさるのがとてもつらくて、なるほど、世の中の無常を、心細く思っております」
   とのたまひて、おし拭ひ紛らはしたまふと思す涙の、やがてとどこほらずふり落つれば、いとはしたなけれど、「かならずしもいかでか心得む。
 ただめめしく心弱きとや見ゆらむ」と思すも、「さりや。
 ただこのことをのみ思すなりけり。
 いつよりなりけむ。
 我をいかにをかしと、もの笑ひしたまふ心地に、月ごろ思しわたりつらむ」
 とおっしゃって、押し拭ってお隠しになろうとする涙が、そのまま防ぎようもなく流れ落ちたので、たいそう体裁が悪いが、「必ずしもどうして気がつこうか。
 ただ女々しく心弱い者のように見るだろう」とお思いになるが、「そうであったのか。
 ただこの事だけをお悲しみになっていたのだ。
 いつから始まったのだろうか。
 自分を、どんなにも滑稽に物笑いなさるお気持ちで、この幾月もお思い続けていらしたのだろう」
   と思ふに、この君は、悲しさは忘れたまへるを、  と思うと、この君は、悲しみはお忘れになったが、
   「こよなくも、おろかなるかな。
 ものの切におぼゆる時は、いとかからぬことにつけてだに、空飛ぶ鳥の鳴き渡るにも、もよほされてこそ悲しけれ。
 わがかくすぞろに心弱きにつけても、もし心得たらむに、さ言ふばかり、もののあはれも知らぬ人にもあらず。
 世の中の常なきこと惜しみて思へる人しもつれなき」
 「何とまあ、薄情な方であろうか。
 物を切に思う時は、ほんとこのような事でない時でさえ、空を飛ぶ鳥が鳴き渡って行くのにつけても、涙が催されて悲しいのだ。
 わたしがこのように何となく心弱くなっているのにつけても、もし真相を知っても、それほど人の悲しみを分からない人ではない。
 世の中の無常を身にしみて思っている人は冷淡でいられることよ」
   と、うらやましくも心にくくも思さるるものから、真木柱はあはれなり。
 これに向かひたらむさまも思しやるに、「形見ぞかし」とも、うちまもりたまふ。
 
 と、羨ましくも立派だともお思いなさる一方で、女のゆかりと思うとなつかしい。
 この人に向かい合っている様子をご想像になると、「形見ではないか」と、じっと見つめていらっしゃる。
 
 
 

第五段 薫、匂宮と語り合う

 
   やうやう世の物語聞こえたまふに、「いと籠めてしもはあらじ」と思して、  だんだんと世間の話を申し上げなさると、「とても隠しておくこともあるまい」とお思いになって、
   「昔より、心に籠めてしばしも聞こえさせぬこと残しはべる限りは、いといぶせくのみ思ひたまへられしを、今は、なかなか上臈になりにてはべり。
 まして、御暇なき御ありさまにて、心のどかにおはします折もはべらねば、宿直などに、そのこととなくてはえさぶらはず、そこはかとなくて過ぐしはべるをなむ。
 
 「昔から、胸のうちに秘めて少しも申し上げなかったことを残しております間は、ひどくうっとうしくばかり存じられましたが、今は、かえって身分も高くなりました。
 わたくし以上に、お暇もないご様子で、のんびりとしていらっしゃる時もございませんので、宿直などにも、特に用事がなくては伺候することもできず、何となく過ごしておりました。
 
   昔、御覧ぜし山里に、はかなくて亡せはべりにし人の、同じゆかりなる人、おぼえぬ所にはべりと聞きつけはべりて、時々さて見つべくや、と思ひたまへしに、あいなく人の誹りもはべりぬべかりし折なりしかば、このあやしき所に置きてはべりしを、をさをさまかりて見ることもなく、また、かれも、なにがし一人をあひ頼む心もことになくてやありけむ、とは見たまひつれど、やむごとなくものものしき筋に思ひたまへばこそあらめ、見るにはた、ことなる咎もはべらずなどして、心やすくらうたしと思ひたまへつる人の、いとはかなくて亡くなりはべりにける。
 なべて世のありさまを思ひたまへ続けはべるに、悲しくなむ。
 聞こし召すやうもはべらむかし」
 昔、御覧になった山里に、あっけなく亡くなった方の、同じ姉妹に当たる人が、意外な所に住んでいると聞きつけまして、時々逢いもしようか、と存じておりましたが、不都合にも世間の人の非難もきっとあるような時でしたので、あの山里に置いておきましたところ、あまり行って逢うこともなく、また一方、女も、わたくし一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうか、と拝見しましたが、れっきとした重々しい扱いをいたす夫人ならともかく、世話するのには、格別の落度もございませんのに、気楽でかわいらしいと存じておりました女が、まことにあっけなく亡くなってしまいました。
 すべて世の中の有様を思い続けますと、悲しいことだ。
 お聞き及びのこともございましょう」
   とて、今ぞ泣きたまふ。
 
 と言って、今初めてお泣きになる。
 
   これも、「いとかうは見えたてまつらじ。
 をこなり」と思ひつれど、こぼれそめてはいと止めがたし。
 けしきのいささか乱り顔なるを、「あやしく、いとほし」と思せど、つれなくて、
 この方も、「まこと涙顔はお見せ申すまい。
 馬鹿らしい」と思ったが、いったん流れ出しては止めがたい。
 態度がやや取り乱しているようなので、「いつもと違っている、気の毒だ」とお思いになるが、平静を装って、
   「いとあはれなることにこそ。
 昨日ほのかに聞きはべりき。
 いかにとも聞こゆべく思ひはべりながら、わざと人に聞かせたまはぬこと、と聞きはべりしかばなむ」
 「まことにお気の毒なことを。
 昨日ちらっと聞きました。
 どのようにお悔やみ申し上げようかと存じながら、特に世間にお知らせなさらないことと、聞きましたので」
   と、つれなくのたまへど、いと堪へがたければ、言少なにておはします。
 
 と、さりげなくおっしゃるが、とても我慢できないので、言葉少なくいらっしゃる。
 
   「さる方にても御覧ぜさせばや、と思ひたまへりし人になむ。
 おのづからさもやはべりけむ、宮にも参り通ふべきゆゑはべりしかば」
 「適当なお方としてお目にかけたい、と存じておりました女でした。
 自然とそのようなこともございましたでしょうか、お邸にも出入りする縁故もございましたので」
   など、すこしづつけしきばみて、  などと、少しずつ当てこすって、
   「御心地例ならぬほどは、すぞろなる世のこと聞こし召し入れ、御耳おどろくも、あいなきことになむ。
 よく慎ませおはしませ」
 「ご気分がすぐれないうちは、つまらない世間話をお聞きになって、驚きなさるのも、つまらないことです。
 どうぞ大事になさってください」
   など、聞こえ置きて、出でたまひぬ。
 
 などと、申し上げ置いて、お帰りになった。
 
 
 

第六段 人は非情の者に非ず

 
   「いみじくも思したりつるかな。
 いとはかなかりけれど、さすがに高き人の宿世なりけり。
 当時の帝、后の、さばかりかしづきたてまつりたまふ親王、顔容貌よりはじめて、ただ今の世にはたぐひおはせざめり。
 見たまふ人とても、なのめならず、さまざまにつけて、限りなき人をおきて、これに御心を尽くし、世の人立ち騷ぎて、修法、読経、祭、祓と、道々に騒ぐは、この人を思すゆかりの、御心地のあやまりにこそはありけれ。
 
 「ひどくご執心であったな。
 まことにあっけなかったが、やはりよい運勢の女であった。
 今上の帝や、后が、あれほど大切になさっていらっしゃる親王で、顔かたちをはじめとして、今の世の中には他にいらっしゃらないようだ。
 寵愛なさる夫人でも、並一通りでなく、それぞれにつけて、この上ない方をさしおいて、この女にお気持ちを尽くし、世間の人が大騒ぎして、修法、読経、祈祷、祓いと、それぞれ専門に騒ぐのは、この女に執着したための、ご病気であったのだ。
 
   我も、かばかりの身にて、時の帝の御女を持ちたてまつりながら、この人のらうたくおぼゆる方は、劣りやはしつる。
 まして、今はとおぼゆるには、心をのどめむ方なくもあるかな。
 さるは、をこなり、かからじ」
 自分も、これほどの身分で、今上の帝の内親王をいただきながら、この女がいじらしく思えたのは、宮に負けていようか。
 それ以上に、今は亡き人かと思うと、心の静めようがない。
 とはいえ、愚かしいことだ。
 そうはすまい」
   と思ひ忍ぶれど、さまざまに思ひ乱れて、  と我慢するが、いろいろと思い乱れて、
   「人木石に非ざれば皆情けあり」  「人は木や石ではないので、みな感情をもっている」
   と、うち誦じて臥したまへり。
 
 と、口ずさみなさって臥せっていらっしゃった。
 
   後のしたためなども、いとはかなくしてけるを、「宮にもいかが聞きたまふらむ」と、いとほしくあへなく、「母のなほなほしくて、兄弟あるはなど、さやうの人は言ふことあんなるを思ひて、こと削ぐなりけむかし」など、心づきなく思す。
 
 後の葬送なども、まことに簡略にしてしまったのを、「宮におかれてもどのようにお聞きになろうか」と、お気の毒で張り合いがないので、「母が普通の身分で、兄弟のある人はなどと、そのような人は言うことがあるというのを思って、簡略にするのであったろう」などと、気にくわなくお思いになる。
 
   おぼつかなさも限りなきを、ありけむさまもみづから聞かまほしと思せど、「長籠もりしたまはむも便なし。
 行きと行きて立ち帰らむも心苦し」など、思しわづらふ。
 
 気がかりさも限りがないので、その時の実際の様子を自分でも聞きたくお思いになるが、「長い忌籠もりなさるのも不都合である。
 行くには行ってもすぐ帰るのは心苦しい」などと、ご思案なさる。
 
 
 

第三章 匂宮の物語 匂宮、侍従を迎えて語り合う

 
 

第一段 四月、薫と匂宮、和歌を贈答

 
   月たちて、「今日ぞ渡らまし」と思し出でたまふ日の夕暮、いとものあはれなり。
 御前近き橘の香のなつかしきに、ほととぎすの二声ばかり鳴きて渡る。
 「宿に通はば」と独りごちたまふも飽かねば、北の宮に、ここに渡りたまふ日なりければ、橘を折らせて聞こえたまふ。
 
 月が変わって、「今日が引き取る日であったのに」と思い出しなさった夕暮、まことにもの悲しい。
 御前近くの橘の香がやさしい感じのところに、ほととぎすが二声ほど鳴いて飛んで行く。
 「亡くなった人の所に行くなら」と独り言をおっしゃっても物足りないので、北の宮邸に、そこにお渡りになる日であったので、橘を折らせて申し上げなさる。
 
 

756
 「忍び音や 君も泣くらむ かひもなき
 死出の田長に 心通はば」
 「忍び音にほととぎすが鳴いていますが、あなた様も泣いていらっしゃいましょうか
  いくら泣いても効のない方にお心寄せならば」
 
   宮は、女君の御さまのいとよく似たるを、あはれと思して、二所眺めたまふ折なりけり。
 「けしきある文かな」と見たまひて、
 宮は、女君のご様子がとてもよく似ているのを、しみじみとお思いになって、お二方で物思いに耽っていらっしゃるところであった。
 「意味のありそうな手紙だ」と御覧になって、
 

757
 「橘の 薫るあたりは ほととぎす
 心してこそ 鳴くべかりけれ
 「橘が薫っているところは、ほととぎすよ
  気をつけて鳴くものですよ
 
   わづらはし」  迷惑なことを」
   と書きたまふ。
 
 とお書きになる。
 
   女君、このことのけしきは、皆見知りたまひてけり。
 「あはれにあさましきはかなさの、さまざまにつけて心深きなかに、我一人もの思ひ知らねば、今までながらふるにや。
 それもいつまで」と心細く思す。
 宮も、隠れなきものから、隔てたまふもいと心苦しければ、ありしさまなど、すこしはとり直しつつ語りきこえたまふ。
 
 女君は、この事件の経緯は、みなご存知なのであった。
 「しみじみと言いようもないほどあっけなかった、あれこれにつけて感慨深い中で、自分一人が物思いを知らないので、今まで生き永らえていたのであろうか。
 それもいつまで続くやら」と心細くお思いになる。
 宮も、隠すことのできないものから、分け隔てなさるのもとてもお気の毒なので、生前の様子などを、少し取り繕いながらお話し申し上げなさる。
 
   「隠したまひしがつらかりし」  「隠していらっしゃったのがつらかった」
   など、泣きみ笑ひみ聞こえたまふにも、異人よりは睦ましくあはれなり。
 ことことしくうるはしくて、例ならぬ御ことのさまも、おどろき惑ひたまふ所にては、御訪らひの人しげく、父大臣、兄の君たち隙なきも、いとうるさきに、ここはいと心やすくて、なつかしくぞ思されける。
 
 などと、泣いたり笑ったりしながら申し上げなさるにつけても、他の人よりは親しみを感じ胸を打つ。
 大げさに格式ばって、ご病気の件でも、大騒ぎをなさる所では、お見舞い客が多くて、父大臣や、兄の公達がひっきりなしなのも、とてもうるさいが、ここはたいそう気楽で、慕わしい感じにお思いなさるのであった。
 
 
 

第二段 匂宮、右近を迎えに時方派遣

 
   いと夢のやうにのみ、なほ、「いかで、いとにはかなりけることにかは」とのみいぶせければ、例の人びと召して、右近を迎へに遣はす。
 母君も、さらにこの水の音けはひを聞くに、我もまろび入りぬべく、悲しく心憂きことのどまるべくもあらねば、いとわびしうて帰りたまひにけり。
 
 まことに夢のようにばかり、やはり、「どうして、とても急なことであったのか」とばかり気が晴れないので、いつもの人びとを召して、右近を迎えにやる。
 母君も、まったくこの川の音や感じを聞くと、自分もころがり込んでしまいそうで、悲しく嫌なことが休まる間もないので、とても侘しくてお帰りになったのであった。
 
   念仏の僧どもを頼もしき者にて、いとかすかなるに入り来たれば、ことことしく、にはかに立ちめぐりし宿直人どもも、見とがめず。
 「あやにくに、限りのたびしも入れたてまつらずなりにしよ」と、思ひ出づるもいとほし。
 
 念仏の僧どもを頼りとする人として、たいそうひっそりとしているところにやって来たので、厳重に、急に警戒していた宿直人どもも、見咎めない。
 「皮肉にも、最期の折にお入れ申し上げることができずに終わってしまったことよ」と、思い出すのもおいたわしい。
 
   「さるまじきことを思ほし焦がるること」と、見苦しく見たてまつれど、ここに来ては、おはしましし夜な夜なのありさま、抱かれたてまつりたまひて、舟に乗りたまひしけはひの、あてにうつくしかりしことなどを思ひ出づるに、心強き人なくあはれなり。
 右近会ひて、いみじう泣くもことわりなり。
 
 「とんでもないことをご執着なさったことよ」と、見苦しく拝見したが、こちらに来ては、お越しになった夜々の有様や、お抱かれなさって、舟にお乗りになった感じが、上品でかわいらしかったことなどを思い出すと、気丈な人などもなくしみじみとなる。
 右近が会って、ひどく泣くのも道理である。
 
   「かくのたまはせて、御使になむ参りつる」  「このようにおっしゃるので、お使いに来ました」
   と言へば、  と言うと、
   「今さらに、人もあやしと言ひ思はむも慎ましく、参りても、はかばかしく聞こし召し明らむばかり、もの聞こえさすべき心地もしはべらず。
 この御忌果てて、あからさまにもなむ、と人に言ひなさむも、すこし似つかはしかりぬべきほどになしてこそ、心より外の命はべらば、いささか思ひ静まらむ折になむ、仰せ言なくとも参りて、げにいと夢のやうなりしことどもも、語りきこえまほしき」
 「今さら、皆が変だと言い思うのも気がひけまして、参上しても、はきはきとご納得の行くようには、何か申し上げられそうな気がしません。
 このご忌中が終わって、ちょっとどこそこにと人に言っても、少しふさわしいころになってから、思いの他に生きていましたら、少し気持ちが静まったような時に、ご命令がなくても参上して、おっしゃるようにとても夢のようだった事柄を、お話し申し上げとう存じます」
   と言ひて、今日は動くべくもあらず。
 
 と言って、今日は動きそうにもない。
 
 
 

第三段 時方、侍従と語る

 
   大夫も泣きて、  大夫も泣いて、
   「さらに、この御仲のこと、こまかに知りきこえさせはべらず。
 物の心知りはべらずながら、たぐひなき御心ざしを見たてまつりはべりしかば、君たちをも、何かは急ぎてしも聞こえ承らむ。
 つひには仕うまつるべきあたりにこそ、と思ひたまへしを、言ふかひなく悲しき御ことの後は、私の御心ざしも、なかなか深さまさりてなむ」
 「まったく、お二方の事は、詳しくは存じ上げません。
 物の道理もわきまえていませんが、無類のご寵愛を拝見しましたので、あなた方を、どうして急いでお近づき申し上げよう。
 いずれはお仕えなさるはずの方だ、と存じていましたが、何とも言いようもなく悲しいお事の後は、わたし個人としても、かえって悲しみの深さがまさりまして」
   と語らふ。
 
 と懇切に言う。
 
   「わざと御車など思しめぐらして、奉れたまへるを、空しくては、いといとほしうなむ。
 今一所にても参りたまへ」
 「わざわざお車などをお考えめぐらされて、差し向けなさったのを、空っぽで帰るのは、まことにお気の毒です。
 もうお一方でも参上なさい」
   と言へば、侍従の君呼び出でて、  と言うので、侍従の君を呼び出して、
   「さは、参りたまへ」  「それでは、参上なさい」
   と言へば、  と言うと、
   「まして何事をかは聞こえさせむ。
 さても、なほ、この御忌のほどにはいかでか。
 忌ませたまはぬか」
 「あなた以上に何を申し上げることができましょう。
 それにしても、やはり、このご忌中の間にはどうして。
 お厭いあそばさないのでしょうか」
   と言へば、  と言うと、
   「悩ませたまふ御響きに、さまざまの御慎みどもはべめれど、忌みあへさせたまふまじき御けしきになむ。
 また、かく深き御契りにては、籠もらせたまひてもこそおはしまさめ。
 残りの日いくばくならず。
 なほ一所参りたまへ」
 「ご病気で大騒ぎをして、いろいろなお慎みがございますようですが、忌明けをお待ち切れになれないようなご様子です。
 また、このように深いご宿縁では、忌籠もりあそばすのでいらっしゃいましょう。
 忌明けまでの日も幾日でもない。
 やはりお一方参上なさい」
   と責むれば、侍従ぞ、ありし御さまもいと恋しう思ひきこゆるに、「いかならむ世にかは見たてまつらむ、かかる折に」と思ひなして参りける。
 
 と責めるので、侍従が、以前のご様子もとても恋しく思い出し申し上げるので、「いつの世にかお目にかかることができようか、この機会に」と思って参上するのであった。
 
 
 

第四段 侍従、京の匂宮邸へ

 
   黒き衣ども着て、引きつくろひたる容貌もいときよげなり。
 裳は、ただ今我より上なる人なきにうちたゆみて、色も変へざりければ、薄色なるを持たせて参る。
 
 黒い衣装類を着て、化粧をした容貌もとても美しそうである。
 裳は、今後は自分より目上の人はいないとうっかりして、色も染め変えなかったので、薄い紫色のを持たせて参上する。
 
   「おはせましかば、この道にぞ忍びて出でたまはまし。
 人知れず心寄せきこえしものを」など思ふにもあはれなり。
 道すがら泣く泣くなむ来ける。
 
 「生きていらっしゃったら、この道を人目を忍んでお出になるはずだったのに。
 人知れずお心寄せ申し上げていたのに」などと思うにつけ悲しい。
 道中泣きながらやって来た。
 
   宮は、この人参れり、と聞こし召すもあはれなり。
 女君には、あまりうたてあれば、聞こえたまはず。
 寝殿におはしまして、渡殿に降ろしたまへり。
 ありけむさまなど詳しう問はせたまふに、日ごろ思し嘆きしさま、その夜泣きたまひしさま、
 宮は、この人が参った、とお耳にあそばすにつけてもお胸が迫る。
 女君には、あまりに憚れるので、申し上げなさらない。
 寝殿にお出でになって、渡殿に降ろさせなさった。
 生前の様子などを詳しくお尋ねあそばすと、日頃お嘆きになっていた様子や、その夜にお泣きになった様子を、
   「あやしきまで言少なに、おぼおぼとのみものしたまひて、いみじと思すことをも、人にうち出でたまふことは難く、ものづつみをのみしたまひしけにや、のたまひ置くこともはべらず。
 夢にも、かく心強きさまに思しかくらむとは、思ひたまへずなむはべりし」
 「不思議なまでに言葉少なく、ぼんやりとばかりしていらっしゃって、大変だとお思いになることも、他人にお話しになることはめったになく、遠慮ばかりなさったせいでしょうか、言い残しなさることもございません。
 夢にも、このような心強いことをお覚悟だったとは、存じませんでした」
   など、詳しう聞こゆれば、ましていといみじう、「さるべきにても、ともかくもあらましよりも、いかばかりものを思ひ立ちて、さる水に溺れけむ」と思しやるに、「これを見つけて堰きとめたらましかば」と、湧きかへる心地したまへど、かひなし。
 
 などと、詳しく申し上げると、ひとしお実に悲しく思われて、「前世からの因縁で、病死などすることなどよりも、どんなに覚悟なさって、そのような川の中に溺死したのだろう」とお思いやりなさると、「その場を見つけてお止めできたら」と、煮えかえる気持ちがなさるが、どうしようもない。
 
   「御文を焼き失ひたまひしなどに、などて目を立てはべらざりけむ」  「お手紙をお焼き捨てになったことなどに、どうして不審に思わなかったのでございましょう」
   など、夜一夜語らひたまふに、聞こえ明かす。
 かの巻数に書きつけたまへりし、母君の返り事などを聞こゆ。
 
 などと、一晩中お聞きなさるので、お話し申し上げて夜が明ける。
 あの巻数にお書きつけになった、母君の返事などを申し上げる。
 
 
 

第五段 侍従、宇治へ帰る

 
   何ばかりのものとも御覧ぜざりし人も、睦ましくあはれに思さるれば、  何程の者ともお考えでなかった侍従も、親しくしみじみと思われなさるので、
   「わがもとにあれかし。
 あなたももて離るべくやは」
 「わたしの側にいなさい。
 あちらにも縁がないではない」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「さて、さぶらはむにつけても、もののみ悲しからむを思ひたまへれば、今この御果てなど過ぐして」  「そのようにして、お仕えしますにつけても、何となく悲しく存じられますので、もう暫くこの御忌みなどを済ませましてから」
   と聞こゆ。
 「またも参れ」など、この人をさへ、飽かず思す。
 
 と申し上げる。
 「再び参るように」などと、この人までも、別れがたくお思いになる。
 
   暁帰るに、かの御料にとてまうけさせたまひける櫛の筥一具、衣筥一具、贈物にせさせたまふ。
 さまざまにせさせたまふことは多かりけれど、おどろおどろしかりぬべければ、ただこの人に仰せたるほどなりけり。
 
 早朝に帰る時に、あの方の御料にと思って準備なさっていた櫛の箱一具、衣箱一具を、贈物にお遣わしになる。
 いろいろとお整えさせになったことは多かったが、仰々しくなってしまいそうなので、ただ、この人に与えるのに相応な程度であった。
 
   「なに心もなく参りて、かかることどものあるを、人はいかが見む。
 すずろにむつかしきわざかな」
 「何も考えなく参上して、このようなことがあったのを、女房はどのように見るだろうか。
 何となく厄介なことだわ」
   と思ひわぶれど、いかがは聞こえ返さむ。
 
 と困るが、どうして辞退申し上げられよう。
 
   右近と二人、忍びて見つつ、つれづれなるままに、こまかに今めかしうし集めたることどもを見ても、いみじう泣く。
 装束もいとうるはしうし集めたるものどもなれば、
 右近と二人で、こっそりと見ながら、所在ないままに、精巧で今風に仕立ててあるのを見ても、ひどく泣く。
 装束もたいそう立派に仕立て上げられたものばかりなので、
   「かかる御服に、これをばいかでか隠さむ」  「このような服喪期間中なので、これをどう隠したものか」
   など、もてわづらひける。
 
 などと、困るのであった。
 
 
 

第四章 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む

 
 

第一段 薫、宇治を訪問

 
   大将殿も、なほ、いとおぼつかなきに、思し余りておはしたり。
 道のほどより、昔の事どもかき集めつつ、
 大将殿も、同じように、まことに不審でしょうがないので、思い余りなさってお出でになった。
 道中から、昔の事を一つ一つ思い出して、
   「いかなる契りにて、この父親王の御もとに来そめけむ。
 かかる思ひかけぬ果てまで思ひあつかひ、このゆかりにつけては、ものをのみ思ふよ。
 いと尊くおはせしあたりに、仏をしるべにて、後の世をのみ契りしに、心きたなき末の違ひめに、思ひ知らするなめり」
 「どのような縁で、この父親王のお側に来初めたのだろう。
 このように思いもかけなかった人の最期まで世話をし、この一族のことにつけては、物思いばかりすることよ。
 たいそう尊くおいでになった所で、仏のお導きによって、来世ばかりを祈願していたのに、心汚い末路の思惑違いによって、世の無常を思い知らせるようだ」
   とぞおぼゆる。
 右近召し出でて、
 と思われなさる。
 右近を召し出して、
   「ありけむさまもはかばかしう聞かず、なほ、尽きせずあさましう、はかなければ、忌の残りもすくなくなりぬ。
 過ぐして、と思ひつれど、静めあへずものしつるなり。
 いかなる心地にてか、はかなくなりたまひにし」
 「生前の様子もはっきりとは聞かず、やはり、尽きせず呆れて、あっけないので、忌中期間も少なくなった。
 過ぎてから、と思っていたが、抑えきれずにやって来たのです。
 どのような気持ちで、お亡くなりになったのですか」
   と問ひたまふに、「尼君なども、けしきは見てければ、つひに聞きあはせたまはむを、なかなか隠しても、こと違ひて聞こえむに、そこなはれぬべし。
 あやしきことの筋にこそ、虚言も思ひめぐらしつつならひしか。
 かくまめやかなる御けしきにさし向かひきこえては、かねて、と言はむ、かく言はむと、まうけし言葉をも忘れ、わづらはしう」おぼえければ、ありしさまのことどもを聞こえつ。
 
 とお尋ねなさると、「尼君なども、経緯は知ってしまったので、結局はお聞き合わせになるであろうから、なまじ隠しだてしても、話がくいちがって聞かれるのも、具合の悪いことになろう。
 変な話には、嘘を考えて何度も言ってきたが、このような真面目な態度のお前に対座申し上げては、前もって、ああ言おう、こう言おうと、用意していた言葉も忘れ、困ること」と思われたので、生前の様子のあれこれを申し上げた。
 
 
 

第二段 薫、真相を聞きただす

 
   あさましう、思しかけぬ筋なるに、物もとばかりのたまはず。
 
 驚き呆れて、思いもかけなかったことなので、一言も暫くの間はおっしゃれない。
 
   「さらにあらじとおぼゆるかな。
 なべての人の思ひ言ふことをも、こよなく言少なに、おほどかなりし人は、いかでかさるおどろおどろしきことは思ひ立つべきぞ。
 いかなるさまに、この人びと、もてなして言ふにか」
 「難とも信じがたいと思われることだ。
 普通誰でもが思ったり言ったりすることも、この上なく言葉少なく、おっとりしていた人が、どうしてそのような恐ろしいことを思い立ったのだろう。
 どのような様子のために、この人びとは、取り繕って言うのであろうか」
   と御心も乱れまさりたまへど、「宮も思し嘆きたるけしき、いとしるし、事のありさまも、しかつれなしづくりたらむけはひは、おのづから見えぬべきを、かくおはしましたるにつけても、悲しくいみじきことを、上下の人集ひて泣き騒ぐを」と、聞きたまへば、  とお気持ちもいっそう困惑なさるが、「宮もお嘆きになっていた様子、まことにはっきりしていたし、事の成り行きも、そんなそ知らぬふりを装った態度は、自然と分かってしまうものだから、このようにお出でになったにつけても、悲しくてやりきれないことを、身分の上下の人が皆集まって泣き騒いでいるのだから」と、お聞きになると、
   「御供に具して失せたる人やある。
 なほ、ありけむさまをたしかに言へ。
 我をおろかに思ひて背きたまふことは、よもあらじとなむ思ふ。
 いかやうなる、たちまちに、言ひ知らぬことありてか、さるわざはしたまはむ。
 我なむえ信ずまじき」
 「お供をしていなくなった人はいないか。
 さらに、その時の状況をはっきり言いなさい。
 わたしを薄情だと思ってお裏切になることは、決してないと思う。
 どのような、急に、わけの分からないことがあってか、そのようなことをなさったのだろう。
 わたしは信じることができない」
   とのたまへば、「いとどしく、さればよ」とわづらはしくて、  とおっしゃるので、「一段として、心配していたとおりであったよ」と厄介なことに思って、
   「おのづから聞こし召しけむ。
 もとより思すさまならで生ひ出でたまへりし人の、世離れたる御住まひの後は、いつとなくものをのみ思すめりしかど、たまさかにもかく渡りおはしますを、待ちきこえさせたまふに、もとよりの御身の嘆きをさへ慰めたまひつつ、心のどかなるさまにて、時々も見たてまつらせたまふべきやうには、いつしかとのみ、言に出でてはのたまはねど、思しわたるめりしを、その御本意かなふべきさまに承ることどもはべりしに、かくてさぶらふ人どもも、うれしきことに思ひたまへいそぎ、かの筑波山も、からうして心ゆきたるけしきにて、渡らせたまはむことをいとなみ思ひたまへしに、心得ぬ御消息はべりけるに、この宿直仕うまつる者どもも、女房たちらうがはしかなり、など、戒め仰せらるることなど申して、ものの心得ず荒々しきは田舎人どもの、あやしきさまにとりなしきこゆることどもはべりしを、その後、久しう御消息などもはべらざりしに、心憂き身なりとのみ、いはけなかりしほどより思ひ知るを、人数にいかで見なさむとのみ、よろづに思ひ扱ひたまふ母君の、なかなかなることの、人笑はれになりては、いかに思ひ嘆かむ、などおもむけてなむ、常に嘆きたまひし。
 
 「自然とお耳に入っておりましょう。
 初めから不如意な境遇でお育ちになりました方で、人里離れたお住まいで暮らした後は、いつとなく物思いばかりをなさっていたようでしたが、たまにこのようにお越しになりますのを、お待ち申し上げなさることで、もともとのお身の上の不幸までをお慰めになりながら、のんびりとした状態で、時々お逢い申し上げなされるように、早く早くとばかり、言葉に出してはおっしゃいませんが、ずっとお思いでいらしたらしいのを、そのご念願が叶うように承ったことがございましたのに、こうしてお仕えする者どもも、嬉しいことと存じて準備致し、あの筑波山の母君も、やっとのことで念願が叶ったような様子で、お移りになることをご準備なさっていたのに、納得できないお手紙がございましたので、ここの宿直などに仕える者どもも、女房たちがふしだらなようだ、などと、厳しくご命令なさったことなどを申して、物の情理をわきまえない荒々しいのは田舎者どもの、間違いでもあったかのように取り扱い申すことがございましたが、その後、長らくお手紙などもございませんでしたので、情けない身の上だとばかり、幼かった時から思い知っていたが、何とか一人前にしようとばかり、いろいろとお世話なさっていた母君が、なまじその事によって、世間の物笑いになったら、どんなに嘆くだろう、などと悪いほうに考えて、いつも嘆いていらっしゃいました。
 
   その筋よりほかに、何事をかと、思ひたまへ寄るに、堪へはべらずなむ。
 鬼などの隠しきこゆとも、いささか残る所もはべるなるものを」
 その方面より他に、何があろうかと、考えめぐらして見ますに、思い当たることはございません。
 鬼などがお隠し申したとしても、少しは残るものがございますと聞いておりますものを」
   とて、泣くさまもいみじければ、「いかなることにか」と紛れつる御心も失せて、せきあへたまはず。
 
 と言って、泣く様子もたいそうなので、「どのようなことでか」とお疑いになっていた気持ちも消えて、お涙が抑えがたい。
 
 
 

第三段 薫、匂宮と浮舟の関係を知る

 
   「我は心に身をもまかせず、顕証なるさまにもてなされたるありさまなれば、おぼつかなしと思ふ折も、今近くて、人の心置くまじく、目やすきさまにもてなして、行く末長くを、と思ひのどめつつ過ぐしつるを、おろかに見なしたまひつらむこそ、なかなか分くる方ありける、とおぼゆれ。
 
 「わたしは思いどおりに振る舞うこともできず、何事も目立ってしまう身分であるから、気がかりだと思う時にも、いずれ近くに迎えて、何の不満足もなく、世間体もよく持てなして、将来末長く添い遂げよう、とはやる心を抑えながら過ごして来たが、冷淡だとおとりになったのは、かえって他に分ける心がおありだったのだろう、と思われます。
 
   今は、かくだに言はじと思へど、また人の聞かばこそあらめ。
 宮の御ことよ。
 いつよりありそめけむ。
 さやうなるにつけてや、いとかたはに、人の心を惑はしたまふ宮なれば、常にあひ見たてまつらぬ嘆きに、身をも失ひたまへる、となむ思ふ。
 なほ、言へ。
 我には、さらにな隠しそ」
 今さら、こんなことは言うまいと思うが、他に人が聞いているのならともかくだが。
 宮のお事ですよ。
 いつから始まったのでしょうか。
 そのようなことが原因でか、まことに不都合にも、女の心を迷わしなさる宮だから、いつもお逢いできない嘆きで、身をなきものにされたのか、と思う。
 ぜひ、言え。
 わたしには、少しも隠すな」
   とのたまへば、「たしかにこそは聞きたまひてけれ」と、いといとほしくて、  とおっしゃると、「確かな事をお聞きになっているのだ」と、とても困ってしまって、
   「いと心憂きことを聞こし召しけるにこそははべるなれ。
 右近もさぶらはぬ折ははべらぬものを」
 「まことに情けないことをお聞きになったようでございます。
 右近めもお側に伺候していません折はございませんでしたものを」
   と眺めやすらひて、  と物思いにふけりためらって、
   「おのづから聞こし召しけむ。
 この宮の上の御方に、忍びて渡らせたまへりしを、あさましく思ひかけぬほどに、入りおはしたりしかど、いみじきことを聞こえさせはべりて、出でさせたまひにき。
 それに懼ぢたまひて、かのあやしくはべりし所には渡らせたまへりしなり。
 
 「自然とお聞き及びになったことでございましょう。
 この宮の上のお所に、こっそりとお行きになったとき、呆れたことに思いがけない間に、お入りになって来ましたが、たいそう手厳しいことを申し上げまして、お出になりました。
 その事に恐がりなさって、あの見苦しうございました隠れ家にお移りになったのです。
 
   その後、音にも聞こえじ、と思してやみにしを、いかでか聞かせたまひけむ。
 ただ、この如月ばかりより、訪れきこえたまふべし。
 御文は、いとたびたびはべりしかど、御覧じ入るることもはべらざりき。
 いとかたじけなく、うたてあるやうになどぞ、右近など聞こえさせしかば、一度二度や聞こえさせたまひけむ。
 それより他のことは見たまへず」
 その後は、噂としてでも知られまい、とお思いになって終わったのを、どうしてお耳にあそばしたのでしょうか。
 ちょうど、この二月頃から、お便りを頂戴するようになりましたのでしょう。
 お手紙は、とても頻繁にございましたようですが、御覧になることもございませんでした。
 まことに恐れ多く、失礼な事になりましょうと、右近めなどが申し上げましたので、一度か二度はお返事申し上げましたでしょうか。
 それ以外の事は存じません」
   と聞こえさす。
 
 と申し上げる。
 
   「かうぞ言はむかし。
 しひて問はむもいとほしく」て、つくづくとうち眺めつつ、
 「このように言うに決まっていることなのだ。
 無理に問い質すのも気の毒だから」と、つくづくと物思いに耽りながら、
   「宮をめづらしくあはれと思ひきこえても、わが方をさすがにおろかに思はざりけるほどに、いと明らむるところなく、はかなげなりし心にて、この水の近きをたよりにて、思ひ寄るなりけむかし。
 わがここにさし放ち据ゑざらましかば、いみじく憂き世に経とも、いかでか、かならず深き谷をも求め出でまし」
 「宮をめったにないいとしい方と思い申し上げても、自分のほうをやはりいい加減には思っていなかったために、どうしたらよいか分からなくなって、頼りない考えで、この川に近いのを手だてにして、思いついたのであろう。
 自分がここに放って置かなかったら、たいそうつらい生活であっても、どうして、必ず深い谷を探して身投げをしなかっただろうに」
   と、「いみじう憂き水の契りかな」と、この川の疎ましう思さるること、いと深し。
 年ごろ、あはれと思ひそめたりし方にて、荒き山路を行き帰りしも、今は、また心憂くて、この里の名をだにえ聞くまじき心地したまふ。
 
 と、「ひどく嫌な川の名の縁であるよ」と、この川が疎ましく思われなさること、甚だしい。
 長年、恋しいと思われなさっていた所で、荒々しい山路を行き来したのも、今では、また情けなくて、この里の名を聞くのさえ耐えがたい気がなさる。
 
 
 

第四段 薫、宇治の過去を追懐す

 
   「宮の上の、のたまひ始めし、人形とつけそめたりしさへゆゆしう、ただ、わが過ちに失ひつる人なり」と思ひもてゆくには、「母のなほ軽びたるほどにて、後の後見もいとあやしく、ことそぎてしなしけるなめり」と心ゆかず思ひつるを、詳しう聞きたまふになむ、  「宮の上が、おっしゃり始めた、人形と名付けたのまでが不吉で、ただ、自分の過失によって亡くした人である」と考え続けて行くと、「母親がやはり身分が軽いので、葬送もとても風変わりに、簡略にしたのであろう」と合点が行かず思っていたが、詳しくお聞きになると、
   「いかに思ふらむ。
 さばかりの人の子にては、いとめでたかりし人を、忍びたることはかならずしもえ知らで、わがゆかりにいかなることのありけるならむ、とぞ思ふなるらむかし」
 「どのように思っているだろう。
 あの程度の身分の子としては、まことに結構であった人を、秘密の事は必ずしも知らないで、自分との縁でどのようなことがあったのであろう、と思っているであろう」
   など、よろづにいとほしく思す。
 穢らひといふことはあるまじけれど、御供の人目もあれば、昇りたまはで、御車の榻を召して、妻戸の前にぞゐたまひけるも、見苦しければ、いと茂き木の下に、苔を御座にて、とばかり居たまへり。
 「今はここを来て見むことも心憂かるべし」とのみ、見めぐらしたまひて、
 などと、いろいろとお気の毒にお思いになる。
 穢れということはないであろうが、お供の人の目もあるので、お上がりにならず、お車の榻を召して、妻戸の前で座っていたのも、見苦しいので、たいそう茂った樹の下で、苔をお敷物として、暫くお座りになった。
 「今ではここに来て見ることさえつらいことであろう」とばかり、まわりを御覧になって、
 

758
 「我もまた 憂き古里を 荒れはてば
 誰れ宿り木の 蔭をしのばむ」
 「わたしもまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら
  誰がここの宿の事を思い出すであろうか」
 
   阿闍梨、今は律師なりけり。
 召して、この法事のことおきてさせたまふ。
 念仏僧の数添へなどせさせたまふ。
 「罪いと深かなるわざ」と思せば、軽むべきことをぞすべき、七日七日に経仏供養ずべきよしなど、こまかにのたまひて、いと暗うなりぬるに帰りたまふも、「あらましかば、今宵帰らましやは」とのみなむ。
 
 阿闍梨は、今では律師になっていた。
 呼び寄せて、この法事の事をお命じ置きになる。
 念仏僧の数を増やしたりなどおさせになる。
 「罪障のとても深いことだ」とお思いになると、その軽くなることをするように、七日七日ごとにお経や仏を供養するようになど、こまごまとお命じになって、たいそう暗くなったのでお帰りになるのも、「もしも生きていたら、今夜のうちに帰ろうか」とばかりである。
 
   尼君に消息せさせたまへれど、  尼君にも挨拶をおさせになったが、
   「いともいともゆゆしき身をのみ思ひたまへ沈みて、いとどものも思ひたまへられず、ほれはべりてなむ、うつぶし臥してはべる」  「とてもとても不吉な身だとばかり存じられ沈み込んで、ますます何も考えられず、茫然として、臥せっております」
   と聞こえて、出で来ねば、しひても立ち寄りたまはず。
 
 と申し上げて、出て来ないので、無理してはお立ち寄りにならない。
 
   道すがら、とく迎へ取りたまはずなりにけること悔しう、水の音の聞こゆる限りは、心のみ騷ぎたまひて、「骸をだに尋ねず、あさましくてもやみぬるかな。
 いかなるさまにて、いづれの底のうつせに混じりけむ」など、やる方なく思す。
 
 道中、早くお迎えしなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間は、心も落ち着きなさらず、「亡骸さえも捜さず、情けないことに終わってしまったなあ。
 どのような状態で、どこの川底に貝殻とともにいるのであろうか」などと、やるせなくお思いになる。
 
 
 

第五段 薫、浮舟の母に手紙す

 
   かの母君は、京に子産むべき娘のことにより、慎み騒げば、例の家にもえ行かず、すずろなる旅居のみして、思ひ慰む折もなきに、「また、これもいかならむ」と思へど、平らかに産みてけり。
 ゆゆしければ、え寄らず、残りの人びとの上もおぼえず、ほれ惑ひて過ぐすに、大将殿より御使忍びてあり。
 ものおぼえぬ心地にも、いとうれしくあはれなり。
 
 あの母君は、京で子を産む予定の娘のことによって、穢れを騒ぐので、いつものわが家にも行かず、心ならずも旅寝ばかり続けて、思い慰む時もないので、「また、この娘もどうなるのだろうか」と心配するが、無事に出産したのであった。
 穢れているので、立ち寄ることもできず、残りの家族のことも考えられず、茫然として過ごしていると、大将殿からお使いがこっそりと来た。
 何も考えられない気持ちにも、たいそう嬉しく感動した。
 
   「あさましきことは、まづ聞こえむと思ひたまへしを、心ものどまらず、目もくらき心地して、まいていかなる闇にか惑はれたまふらむと、そのほどを過ぐしつるに、はかなくて日ごろも経にけることをなむ。
 世の常なさも、いとど思ひのどめむ方なくのみはべるを、思ひの外にもながらへば、過ぎにし名残とは、かならずさるべきことにも尋ねたまへ」
 「あまりの出来事に、さっそくお見舞い申そうと存じてましたが、気持ちも落ち着かず、目も涙に暮れた心地がして、それ以上にどんなにか心が闇に暮れていらっしゃるだろうかと、暫く待っていましたうちに、あっという間に幾日もたってしまったこと。
 世の中の無常も、ますます呑気に構えていられない気がしますが、案外に生き永らえましたら、亡くなった方の縁者として、きっと何かの時には声をかけてください」
   など、こまかに書きたまひて、御使には、かの大蔵大輔をぞ賜へりける。
 
 などと、こまごまとお書きになって、お使いには、あの大蔵大輔を差し向けなさった。
 
   「心のどかによろづを思ひつつ、年ごろにさへなりにけるほど、かならずしも心ざしあるやうには見たまはざりけむ。
 されど、今より後、何ごとにつけても、かならず忘れきこえじ。
 また、さやうにを人知れず思ひ置きたまへ。
 幼き人どももあなるを、朝廷に仕うまつらむにも、かならず後見思ふべくなむ」
 「悠長に万事を構えて、幾年もたってしまったので、必ずしも誠意があるようには御覧にならなかったでしょう。
 けれども、今から後は、何事につけても、必ずお忘れ申し上げまい。
 また、そのように内々にお思いおきください。
 幼いお子様もいると聞いていますが、朝廷にお仕えなさるにつけても、必ず力添えしましょう」
   など、言葉にものたまへり。
 
 などと、口頭でもおっしゃった。
 
 
 

第六段 浮舟の母からの返書

 
   いたくしも忌むまじき穢らひなれば、「深うしも触れはべらず」など言ひなして、せめて呼び据ゑたり。
 御返り、泣く泣く書く。
 
 たいそう厳重に慎まなくてもよい穢れなので、「大して穢れに触れていません」などと言って、強いて招じ入れた。
 お返事は、泣きながら書く。
 
   「いみじきことに死なれはべらぬ命を、心憂く思うたまへ嘆きはべるに、かかる仰せ言見はべるべかりけるにや、となむ。
 
 「大変な悲しみにも死ぬことができません命を、情けなく存じ嘆いておりますが、このような仰せ言を拝見するためだったのでしょうか、と思います。
 
   年ごろは、心細きありさまを見たまへながら、それは数ならぬ身のおこたりに思ひたまへなしつつ、かたじけなき御一言を、行く末長く頼みきこえはべりしに、いふかひなく見たまへ果てては、里の契りもいと心憂く悲しくなむ。
 
 長年、心細い様子を拝見しながら、それは一人前でない身のつたなさのせいであると存じましたが、恐れ多いお言葉を、将来末長くご信頼申し上げておりましたが、何とも言いようのない事になってしまって、里の名の縁もまことに情けなく悲しうございます。
 
   さまざまにうれしき仰せ言に、命延びはべりて、今しばしながらへはべらば、なほ、頼みきこえはべるべきにこそ、と思ひたまふるにつけても、目の前の涙にくれて、え聞こえさせやらずなむ」  いろいろと嬉しい仰せ言を戴き、寿命も延びまして、もう暫く長生きしましたら、やはり、お頼り申し上げますこと、と存じますにつけても、目の前が涙に暮れまして、何事も申し上げ切れません」
   など書きたり。
 御使に、なべての禄などは見苦しきほどなり。
 飽かぬ心地もすべければ、かの君にたてまつらむと心ざして持たりける、よき班犀の帯、太刀のをかしきなど、袋に入れて、車に乗るほど、
 などと書いた。
 お使いに、普通の禄では見苦しいときである。
 不満足な気もするにちがいないので、あの君に差し上げようと用意して持っていた、立派な斑犀の帯や、太刀の素晴らしいのなどを、袋に入れて、車に乗る時に、
   「これは昔の人の御心ざしなり」  「これは故人のお志です」
   とて、贈らせてけり。
 
 と言って、贈らせた。
 
   殿に御覧ぜさすれば、  殿に御覧に入れると、
   「いとすぞろなるわざかな」  「今さらしなくてもよいことをしたものだな」
   とのたまふ。
 言葉には、
 とおっしゃる。
 口上には、
   「みづから会ひはべりたうびて、いみじく泣く泣くよろづのことのたまひて、幼き者どものことまで仰せられたるが、いともかしこきに、また数ならぬほどは、なかなかいと恥づかしう、人に何ゆゑなどは知らせはべらで、あやしきさまどもをも皆参らせはべりて、さぶらはせむ、となむものしはべりつる」  「ご自身がお会いくださって、ひどく泣きながらいろいろなことをおっしゃって、幼い子のことまでご心配になったのが、まこともったいなくて、また一人前でもない身分の者にとっては、かえってまことに恥ずかしく、誰にもどのような関係でなどとは知らせませんで、不出来な子供たちをも皆参上させまして、お仕えさせましょう、と言っておりました」
   と聞こゆ。
 
 と申し上げる。
 
   「げに、ことなることなきゆかり睦びにぞあるべけれど、帝にも、さばかりの人の娘たてまつらずやはある。
 それに、さるべきにて、時めかし思さむは、人の誹るべきことかは。
 ただ人、はた、あやしき女、世に古りにたるなどを持ちゐるたぐひ多かり。
 
 「なるほど、見栄えのしない親戚付き合いのようだが、帝にも、その程度の身分の人の娘を差し上げなかったことがあろうか。
 それに、前世からの因縁で、寵愛なさるのを、人が非難することであろうか。
 臣下では、また、卑しい女や、いったん結婚した女などをもっている例は多かった。
 
   かの守の娘なりけりと、人の言ひなさむにも、わがもてなしの、それに穢るべくありそめたらばこそあらめ、一人の子をいたづらになして思ふらむ親の心に、なほこのゆかりこそおもだたしかりけれ、と思ひ知るばかり、用意はかならず見すべきこと」と思す。
 
 あの介の娘であったと、人が取り沙汰しても、自分の取り扱いが、そのことで汚点とされるような形で始まったのならともかく、一人の子を亡くして悲しんでいる親の気持ちを、やはり娘の縁で面目を施すことができた、と分かる程度に、配慮は必ずしてやろう」とお思いになる。
 
 
 

第七段 常陸介、浮舟の死を悼む

 
   かしこには、常陸守、立ちながら来て、「折しも、かくてゐたまへることなむ」と腹立つ。
 年ごろ、いづくになむおはするなど、ありのままにも知らせざりければ、「はかなきさまにておはすらむ」と思ひ言ひけるを、「京になど迎へたまひて後、面目ありて、など知らせむ」と思ひけるほどに、かかれば、今は隠さむもあいなくて、ありしさま泣く泣く語る。
 
 あちらでは、常陸介が、やって来て立ったままで、「こんな時に、こうしておいでになるとは」と腹を立てる。
 長年、どこそこにいらっしゃるなどと、事実を知らせなかったので、「見すぼらしい有様でおいでになろう」と思い言ってもいたが、「京などにお迎えになった後は、名誉なことで、などと知らせよう」と思っていたうちに、このような事になってしまったので、今は隠すことも意味がなくて、生前の有様を泣きながら話す。
 
   大将殿の御文もとり出でて見すれば、よき人かしこくして、鄙び、ものめでする人にて、おどろき臆して、うち返しうち返し、  大将殿のお手紙も取り出して見せると、貴人を崇めて、田舎者で、何事にも感心する人なので、びっくりして気後れして、繰り返し繰り返し、
   「いとめでたき御幸ひを捨てて亡せたまひにける人かな。
 おのれも殿人にて、参り仕うまつれども、近く召し使ふこともなく、いと気高く思はする殿なり。
 若き者どものこと仰せられたるは、頼もしきことになむ」
 「まことにめでたいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だなあ。
 自分も殿の家来として、参上してお仕えしていたが、近くにお召しになってお使いになることはなく、たいそう気高く思われる殿である。
 幼い子供たちのことをおっしゃってくださったのは、頼もしいことだ」
   など、喜ぶを見るにも、「まして、おはせましかば」と思ふに、臥しまろびて泣かる。
 
 などと、喜ぶのを見るにつけても、「それ以上に、生きておいでになったら」と思うと、臥し転んで泣けてくる。
 
   守も今なむうち泣きける。
 さるは、おはせし世には、なかなか、かかるたぐひの人しも、尋ねたまふべきにしもあらずかし。
 「わが過ちにて失ひつるもいとほし。
 慰めむ」と思すよりなむ、「人の誹り、ねむごろに尋ねじ」と思しける。
 
 介も今になって泣くのであった。
 その反面、生きていらした時には、かえって、このような類の人を、お尋ねになるようなことはなかってたのだ。
 「自分の過失によって亡くしたのもお気の毒だ。
 慰めよう」とお思いになったため、「他人の非難は、こまごまと考えまい」とお思いなのであった。
 
 
 

第八段 浮舟四十九日忌の法事

 
   四十九日のわざなどせさせたまふにも、「いかなりけむことにかは」と思せば、とてもかくても罪得まじきことなれば、いと忍びて、かの律師の寺にてせさせたまひける。
 六十僧の布施など、大きにおきてられたり。
 母君も来ゐて、事ども添へたり。
 
 四十九日の法事などもおさせになるにつけても、「いったいどういうことになったのか」とお思いになるので、いずれにしても罪になることではないから、たいそうこっそりと、あの律師の寺でおさせになった。
 六十人の僧のお布施など、大がかりに仰せつけになっていた。
 母君も来ていて、お布施を加えた。
 
   宮よりは、右近がもとに、白銀の壺に黄金入れて賜へり。
 人見とがむばかり大きなるわざは、えしたまはず、右近が心ざしにてしたりければ、心知らぬ人は、「いかで、かくなむ」など言ひける。
 殿の人ども、睦ましき限りあまた賜へり。
 
 宮からは、右近のもとに、白銀の壷に黄金を入れて賜った。
 人が見咎めるほどの大げさな法事は、おできになれず、右近の志として催したので、事情を知らない人は、「どうして、このような」などと言った。
 殿の家来どもで、気心の知れた者ばかり大勢お遣わしになった。
 
   「あやしく。
 音もせざりつる人の果てを、かく扱はせたまふ。
 誰れならむ」
 「不思議なこと。
 噂にも聞かなかった方の法事を、こんなに立派にあそばす。
 いったい誰であろう」
   と、今おどろく人のみ多かるに、常陸守来て、主人がり居るなむ、あやしと人びと見ける。
 少将の子産ませて、いかめしきことせさせむとまどひ、家の内になきものはすくなく、唐土新羅の飾りをもしつべきに、限りあれば、いとあやしかりけり。
 この御法事の、忍びたるやうに思したれど、けはひこよなきを見るに、「生きたらましかば、わが身を並ぶべくもあらぬ人の御宿世なりけり」と思ふ。
 
 と、今になって驚く人ばかりが多かったが、常陸介が来て、主人顔でいるので、変だと人びとは見るのだった。
 少将が子を産ませて、盛大なお祝いをさせようと大騷ぎし、邸の中にない物は少なく、唐土や新羅の装飾をもしたいのだが、限界があるので、まことにお粗末な有様であった。
 この御法事が、人目に立たないようにとお思いであったが、感じが格別であるのを見ると、「もし生きていたらどんなにかと、わが身に比肩できない方のご運勢であったなあ」と思う。
 
   宮の上も誦経したまひ、七僧の前のことせさせたまひけり。
 今なむ、「かかる人持たまへりけり」と、帝までも聞こし召して、おろかにもあらざりける人を、宮にかしこまりきこえて、隠し置きたまひたりける、いとほしと思しける。
 
 宮の上も、誦経をなさり、七僧への饗応の事もおさせになった。
 今になって、「このような人を持っていらしたのだ」と、帝までがお耳にあそばして、並々ならず大切に思っていた人を、宮にご遠慮申して隠していらしたのを、お気の毒にとお思いになった。
 
   二人の人の御心のうち、古りず悲しく、あやにくなりし御思ひの盛りにかき絶えては、いといみじければ、あだなる御心は、慰むやなど、こころみたまふこともやうやうありけり。
 
 二人のお方のご心中は、いつまでも悲しく、あいにくな横恋慕の最中に亡くなってしまっては、ひどく悲しいが、浮気なお心は、慰められるかなどと、他の女に言い寄りなさることもだんだんとあるのだった。
 
   かの殿は、かくとりもちて、何やかやと思して、残りの人を育ませたまひても、なほ、いふかひなきことを、忘れがたく思す。
 
 あの殿は、このようにお心にかけて、何やかやとご心配なさって、残った人をお世話なさっても、やはり、言って効のないことを、忘れがたくお思いになる。
 
 
 

第五章 薫の物語 明石中宮の女宮たち

 
 

第一段 薫と小宰相の君の関係

 
   后の宮の、御軽服のほどは、なほかくておはしますに、二の宮なむ式部卿になりたまひにける。
 重々しうて、常にしも参りたまはず。
 この宮は、さうざうしくものあはれなるままに、一品の宮の御方を慰め所にしたまふ。
 よき人の容貌をも、えまほに見たまはぬ、残り多かり。
 
 后の宮が、御軽服の間は、やはり里下がりしていらっしゃるうちに、二の宮が式部卿におなりになった。
 重々しくなって、常には参上なさらない。
 この宮は、もの寂しくて何となく悲しい気分のまま、一品の宮のお側を慰め所としていらっしゃる。
 器量の良い女房の顔で、まだよく御覧にならない者が、多く残っていた。
 
   大将殿の、からうして、いと忍びて語らはせたまふ小宰相の君といふ人の、容貌などもきよげなり、心ばせある方の人と思されたり。
 同じ琴を掻きならす、爪音、撥音も、人にはまさり、文を書き、ものうち言ひたるも、よしあるふしをなむ添へたりける。
 
 大将殿が、やっとのことで、たいそうこっそりと親しくなさっている小宰相の君という女房で、器量なども美しげで、気立ての良い人とお思いであった。
 同じ琴をかき鳴らす、その爪音や、撥の音が、誰にもまさって、手紙を書き、何か言うのも、風流な事が加わっているのだった。
 
   この宮も、年ごろ、いといたきものにしたまひて、例の、言ひ破りたまへど、「などか、さしもめづらしげなくはあらむ」と、心強くねたきさまなるを、まめ人は、「すこし人よりことなり」と思すになむありける。
 かくもの思したるも見知りければ、忍びあまりて聞こえたり。
 
 この宮も、長年、とても関心を寄せていらっしゃって、いつものように、悪口おっしゃるが、「どうして、そのようにありふれた女でいようか」と、気強くて従わないのを、真面目人間は、「少しは他の女と違っている」とお思いなのであった。
 このように物思いに沈んでいらっしゃるのを知っていたので、思い余って差し上げた。
 
 

759
 「あはれ知る 心は人に おくれねど
 数ならぬ身に 消えつつぞ経る
 「お悲しみを知る心は誰にも負けませんが
  一人前でもない身では遠慮して消え入らんばかりに過ごしております
 
   代へたらば」  亡くなった方と入れ替れるものでたら」
   と、ゆゑある紙に書きたり。
 ものあはれなる夕暮、しめやかなるほどを、いとよく推し量りて言ひたるも、憎からず。
 
 と、由緒ある紙に書いてあった。
 何となくしみじみとした夕暮で、しんみりした時に、まことによく推察して言って来たのも、気が利いている。
 
 

760
 「常なしと ここら世を見る 憂き身だに
 人の知るまで 嘆きやはする
 「無常の世を長年見続けて来たわが身でさえ
  人が見咎めるまで嘆いてはいないつもりでしたが
 
   このよろこび、あはれなりし折からも、いとどなむ」  このお見舞いのお礼には、悲しい折柄、ひとしお嬉しかった」
   など言ひに立ち寄りたまへり。
 いと恥づかしげにものものしげにて、なべてかやうになどもならしたまはぬ、人柄もやむごとなきに、いとものはかなき住まひなりかし。
 局などいひて、狭くほどなき遣戸口に寄りゐたまへる、かたはらいたくおぼゆれど、さすがにあまり卑下してもあらで、いとよきほどにものなども聞こゆ。
 
 などと言いに立ち寄りなさった。
 たいそう気恥ずかしくなるほど堂々として、普段はこのようにはお立ち寄りなさらず、人柄もご立派なのに、たいそうささやかな住まいである。
 局などと言って、狭く何程もない遣戸口に寄っていらっしゃるのは、体裁悪く思われるが、そうは言ってもむやみに卑下することもなく、とても良い具合にお話など申し上げる。
 
   「見し人よりも、これは心にくきけ添ひてもあるかな。
 などて、かく出で立ちけむ。
 さるものにて、我も置いたらましものを」
 「亡き人よりも、この人は奥ゆかしい感じが加わっているな。
 どうして、このように出仕したのだろう。
 そのような人として、わたしも側に置いたらよかったものを」
   と思す。
 人知れぬ筋は、かけても見せたまはず。
 
 とお思いになる。
 密やかな心の内は、少しもお見せにならない。
 
 
 

第二段 六条院の法華八講

 
   蓮の花の盛りに、御八講せらる。
 六条の院の御ため、紫の上など、皆思し分けつつ、御経仏など供養ぜさせたまひて、いかめしく、尊くなむありける。
 五巻の日などは、いみじき見物なりければ、こなたかなた、女房につきて参りて、物見る人多かりけり。
 
 蓮の花の盛りに、法華八講が催される。
 六条院の御ため、紫の上のなどと、皆それぞれに日をお分けになって、お経や仏などを供養あそばして、荘厳に、立派に催された。
 五巻目の日などは、大変な見物だったので、あちらこちら、女房の縁故をたどって、見物に来る人が多かった。
 
   五日といふ朝座に果てて、御堂の飾り取りさけ、御しつらひ改むるに、北の廂も、障子ども放ちたりしかば、皆入り立ちてつくろふほど、西の渡殿に姫宮おはしましけり。
 もの聞き極じて、女房もおのおの局にありつつ、御前はいと人少ななる夕暮に、大将殿、直衣着替へて、今日まかづる僧の中に、かならずのたまふべきことあるにより、釣殿の方におはしたるに、皆まかでぬれば、池の方に涼みたまひて、人少ななるに、かくいふ宰相の君など、かりそめに几帳などばかり立てて、うちやすむ上局にしたり。
 
 五日という朝座で終わって、御堂の飾りを取り外し、お部屋の飾りつけを改めるので、北の廂も、襖障子なども外してあったので、皆が入り込んで整えている間、西の渡殿に姫宮はいらっしゃった。
 お経を聞き疲れて、女房たちもそれぞれの局にいて、御前はたいそう人少なな夕暮に、大将殿は、直衣に着替えて、今日退出する僧の中に、是非にお話なさらなければならない事があったので、釣殿の方にいらっしゃったが、皆が退出してしまったので、池の方で涼みなさって、人も少ないので、さきほどの小宰相の君などが、仮に几帳などを立てて、ちょっと休むための上局にしていた。
 
   「ここにやあらむ、人の衣の音す」と思して、馬道の方の障子の細く開きたるより、やをら見たまへば、例さやうの人のゐたるけはひには似ず、晴れ晴れしくしつらひたれば、なかなか、几帳どもの立て違へたるあはひより見通されて、あらはなり。
 
 「ここであろうか、衣ずれの音がする」とお思いになって、馬道の方の襖障子が細く開いているところから、そっと御覧になると、いつもそのような女房がいる感じと違って、広々と整頓されているので、かえって、几帳などがいくつもはすに立ててあって見通されて、丸見えである。
 
   氷をものの蓋に置きて割るとて、もて騒ぐ人びと、大人三人ばかり、童と居たり。
 唐衣も汗衫も着ず、皆うちとけたれば、御前とは見たまはぬに、白き薄物の御衣着替へたまへる人の、手に氷を持ちながら、かく争ふを、すこし笑みたまへる御顔、言はむ方なくうつくしげなり。
 
 氷を何かの蓋の上に置いて割ろうとして、騒いでいる女房たち、大人三人ほどと、童女とがいた。
 唐衣も汗衫も着ず、みな打ち解けていたので、御前とはお思いでないが、白い薄物のお召物を着ていらっしゃる人で、手に氷を持ちながら、このように騒いでいるのを、少しほほ笑んでいらっしゃるお顔、何とも言いようもなくかわいらしげである。
 
   いと暑さの堪へがたき日なれば、こちたき御髪の、苦しう思さるるにやあらむ、すこしこなたに靡かして引かれたるほど、たとへむものなし。
 「ここらよき人を見集むれど、似るべくもあらざりけり」とおぼゆ。
 御前なる人は、まことに土などの心地ぞするを、思ひ静めて見れば、黄なる生絹の単衣、薄色なる裳着たる人の、扇うち使ひたるなど、「用意あらむはや」と、ふと見えて、
 ひどく暑さの堪えがたい日なので、うるさい御髪が、暑苦しくお思いなされるのであろうか、少しこちら側に靡かして引いている様子、何物にも譬えようがない。
 「大勢美しい女性を見て来たが、似ている人は誰もいないなあ」と思われる。
 御前の女房は、まこと土人形のような気がするのを、冷静になって見ていると、黄色い生絹の単衣に薄紫色の裳を着ている女で、扇をちょっと使っているところなど、「いかにも嗜みがあるなあ」と、ふと見えて、
   「なかなか、もの扱ひに、いと苦しげなり。
 ただ、さながら見たまへかし」
 「かえって、氷を扱うのに、とても暑苦しそうです。
 ただ、そのままで御覧なさい」
   とて、笑ひたるまみ、愛敬づきたり。
 声聞くにぞ、この心ざしの人とは知りぬる。
 
 と言って、にっこりしている目もと、愛嬌がある。
 声を聞くと、この目指している女と分かった。
 
 
 

第三段 小宰相の君、氷を弄ぶ

 
   心強く割りて、手ごとに持たり。
 頭にうち置き、胸にさし当てなど、さま悪しうする人もあるべし。
 異人は、紙につつみて、御前にもかくて参らせたれど、いとうつくしき御手をさしやりたまひて、拭はせたまふ。
 
 無理して割って、それぞれの手に持っていた。
 頭の上に置いたり、胸に当てたりなど、体裁の悪い恰好をする女もいるのであろう。
 他の人は、紙に包んで、御前にもこのようにして差し上げたが、とてもかわいらしいお手を差し出しなさって、拭わせなさる。
 
   「いな、持たらじ。
 雫むつかし」
 「いえ、持てません。
 雫が嫌です」
   とのたまふ御声、いとほのかに聞くも、限りもなくうれし。
 「まだいと小さくおはしまししほどに、我も、ものの心も知らで見たてまつりし時、めでたの稚児の御さまや、と見たてまつりし。
 その後、たえてこの御けはひをだに聞かざりつるものを、いかなる神仏の、かかる折見せたまへるならむ。
 例の、やすからずもの思はせむとするにやあらむ」
 とおっしゃるお声、とてもかすかに聞くのも、この上なく嬉しい。
 「まだとても幼くいらしたときに、わたしも、何も分からず拝見したとき、何とかわいらしい姫宮か、と拝見した。
 その後は、まったく姫宮のご様子をさえ聞かなかったが、どのような神仏が、このような機会をお見せになったのであろうか。
 いつもの、心安からず物思いをさせようとするのであろうか」
   と、かつは静心なくて、まもり立ちたるほどに、こなたの対の北面に住みける下臈女房の、この障子は、とみのことにて、開けながら下りにけるを思ひ出でて、「人もこそ見つけて騒がるれ」と思ひければ、惑ひ入る。
 
 と、一方では落ち着かず、じっと見つめて佇んでいると、こちらの対の北面に住んでいた下臈の女房が、この襖障子は、急ぎの用事で、開けたままで下りて来たのを思い出して、「人が見つけて騒いだら大変だ」と思ったので、あわてて入って来る。
 
   この直衣姿を見つくるに、「誰ならむ」と心騷ぎて、おのがさま見えむことも知らず、簀子よりただ来に来れば、ふと立ち去りて、「誰れとも見えじ。
 好き好きしきやうなり」と思ひて隠れたまひぬ。
 
 この直衣姿を見つけて、「誰だろう」とびっくりして、自分の姿を見られることも構わず、簀子からずんずんやって来たので、ふと立ち去って、「誰とも知られまい。
 好色なようだ」と思って隠れなさった。
 
   この御許は、  この女房は、
   「いみじきわざかな。
 御几帳をさへあらはに引きなしてけるよ。
 右の大殿の君たちならむ。
 疎き人、はた、ここまで来べきにもあらず。
 ものの聞こえあらば、誰れか障子は開けたりしと、かならず出で来なむ。
 単衣も袴も、生絹なめりと見えつる人の御姿なれば、え人も聞きつけたまはぬならむかし」
 「大変なことだわ。
 御几帳までを丸見えにしていたことだわ。
 右の大殿の公達であろうかしら。
 疎遠な方は、また、ここまでは来るはずがない。
 何かの噂が立ったら、誰が襖障子を開けていたのだろうかと、きっと出て来るだろう。
 単衣も袴も、生絹のように見えた方のお姿なので、誰もお気づきになることができなかっただろう」
   と思ひ極じてをり。
 
 と困りきっていた。
 
   かの人は、「やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな。
 そのかみ世を背きなましかば、今は深き山に住み果てて、かく心乱れましやは」など思し続くるも、やすからず。
 「などて、年ごろ、見たてまつらばやと思ひつらむ。
 なかなか苦しう、かひなかるべきわざにこそ」と思ふ。
 
 あの方は、「だんだんと聖になって来た心を、一度踏み外して、さまざまに物思いを重ねる人となってしまったなあ。
 その昔に出家遁世してしまったら、今は深い山奥に住みついて、このような心を乱すことはないものを」などとお思い続けるにつけても、落ち着かない。
 「どうして、長年、お顔を拝見したものだと思っていたのであろう。
 かえって苦しいだけで、何にもならないことであるのに」と思う。
 
 
 

第四段 薫と女二宮との夫婦仲

 
   つとめて、起きたまへる女宮の御容貌、「いとをかしげなめるは、これよりかならずまさるべきことかは」と見えながら、「さらに似たまはずこそありけれ。
 あさましきまであてに、えも言はざりし御さまかな。
 かたへは思ひなしか、折からか」と思して、
 翌朝、起きなさった女宮の御器量が、「とても美しくいらっしゃるようなのは、この宮よりもきっとまさっていらっしゃるだろうか」と思いながらも、「まったく似ていらっしゃらない。
 驚くほど上品で、何とも言えないほどのご様子だなあ。
 一つには気のせいか、時節柄か」とお思いになって、
   「いと暑しや。
 これより薄き御衣奉れ。
 女は、例ならぬ物着たるこそ、時々につけてをかしけれ」とて、「あなたに参りて、大弐に、薄物の単衣の御衣、縫ひて参れと言へ」
 「ひどく暑いね。
 これより薄いお召し物になさいませ。
 女性は、変わった物を着ているのが、その時々につけ趣があるものです」と言って、「あちらに参上して、大弍に、薄物の単衣のお召し物を、縫って差し上げよと申せ」
   とのたまふ。
 御前なる人は、「この御容貌のいみじき盛りにおはしますを、もてはやしきこえたまふ」とをかしう思へり。
 
 とおっしゃる。
 御前の女房は、「宮のご器量がたいそう女盛りでいらっしゃるのを、さらに引き立てようとなさる」とおもしろく思っていた。
 
   例の、念誦したまふわが御方におはしましなどして、昼つ方渡りたまへれば、のたまひつる御衣、御几帳にうち掛けたり。
 
 いつものように、念誦をなさるご自分のお部屋にいらっしゃったりなどして、昼頃にお渡りになると、お命じになっていたお召し物が、御几帳に懸けてあった。
 
   「なぞ、こは奉らぬ。
 人多く見る時なむ、透きたる物着るは、ばうぞくにおぼゆる。
 ただ今はあへはべりなむ」
 「どうして、これをお召しにならないのか。
 人が大勢見る時に、透けた物を着るのは、はしたなく思われる。
 今は構わないでしょう」
   とて、手づから着せ奉りたまふ。
 御袴も昨日の同じ紅なり。
 御髪の多さ、裾などは劣りたまはねど、なほさまざまなるにや、似るべくもあらず。
 氷召して、人びとに割らせたまふ。
 取りて一つ奉りなどしたまふ、心のうちもをかし。
 
 と言って、ご自身でお着せなさる。
 御袴も昨日のと同じ紅色である。
 御髪の多さや、裾などは負けないが、やはりそれぞれの美しさなのか、似るはずもない。
 氷を召して、女房たちに割らせなさる。
 取って一つ差し上げなどなさる、心の中もおもしろい。
 
   「絵に描きて、恋しき人見る人は、なくやはありける。
 ましてこれは、慰めむに似げなからぬ御ほどぞかしと思へど、昨日かやうにて、我混じりゐ、心にまかせて見たてまつらましかば」とおぼゆるに、心にもあらずうち嘆かれぬ。
 
 「絵に描いて、恋しい人を見る人は、いないだろうか。
 ましてこの宮は、気持ちを慰めるのに似つかわしからぬご姉妹であると思うが、昨日あのようにして、自分があの中に混じっていて、心ゆくまで拝することができたなら」と思うと、われ知らずのうちに溜息が漏れてしまった。
 
   「一品の宮に、御文は奉りたまふや」  「一品の宮に、お手紙は差し上げなさいましたか」
   と聞こえたまへば、  とお尋ね申し上げなさると、
   「内裏にありし時、主上の、さのたまひしかば聞こえしかど、久しうさもあらず」  「内裏にいたとき、主上が、そのようにおっしゃったので差し上げましたが、長いことそういたしてません」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
   「ただ人にならせたまひにたりとて、かれよりも聞こえさせたまはぬにこそは、心憂かなれ。
 今、大宮の御前にて、恨みきこえさせたまふ、と啓せむ」
 「臣下におなりあそばしたといって、あちらからお便りを下さらないのは、情けないことです。
 今、大宮の御前に、お恨み申されています、と申し上げよう」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
   「いかが恨みきこえむ。
 うたて」
 「どうしてお恨み申していましょう。
 嫌ですわ」
   とのたまへば、  とおっしゃるので、
   「下衆になりにたりとて、思し落とすなめり、と見れば、おどろかしきこえぬ、とこそは聞こえめ」  「身分が低くなったからといって、軽んじていらっしゃるようだ、と思われるので、お便りも差し上げないのです、と申し上げましょう」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
 
 

第五段 薫、明石中宮に対面

 
   その日は暮らして、またの朝に大宮に参りたまふ。
 例の、宮もおはしけり。
 丁子に深く染めたる薄物の単衣を、こまやかなる直衣に着たまへる、いとこのましげなる女の御身なりのめでたかりしにも劣らず、白くきよらにて、なほありしよりは面痩せたまへる、いと見るかひあり。
 
 その日は過ごして、翌朝に大宮に参上なさる。
 いつものように、宮もいらっしゃった。
 丁子色に深く染めた薄物の単衣を、濃い縹色の直衣の下に召していらっしゃったのは、たいそう好感がもてる女宮のお姿が素晴らしかったのにも負けず、白く清らかで、やはり以前よりは面痩せなさっているのは、とても見栄えがする。
 
   おぼえたまへりと見るにも、まづ恋しきを、いとあるまじきこと、と静むるぞ、ただなりしよりは苦しき。
 絵をいと多く持たせて参りたまへりける、女房して、あなたに参らせたまひて、渡らせたまひぬ。
 
 似ていらっしゃると見るにつけても、まっさきに恋しいのを、まことにけしからぬこと、と抑えるのは、拝見しなかった時よりもつらい。
 絵をとてもたくさん持たせて参上なさったが、女房を介して、あちらに差し上げなさって、ご自分もお渡りになった。
 
   大将も近く参り寄りたまひて、御八講の尊くはべりしこと、いにしへの御こと、すこし聞こえつつ、残りたる絵見たまふついでに、  大将も近くに参り寄りなさって、御八講が立派であったことや、昔の御事を少し申し上げながら、残っている絵を御覧になる折に、
   「この里にものしたまふ皇女の、雲の上離れて、思ひ屈したまへるこそ、いとほしう見たまふれ。
 姫宮の御方より、御消息もはべらぬを、かく品定まりたまへるに、思し捨てさせたまへるやうに思ひて、心ゆかぬけしきのみはべるを、かやうのもの、時々ものせさせたまはなむ。
 なにがしがおろして持てまからむ。
 はた、見るかひもはべらじかし」
 「わたしの里にいらっしゃるこ皇女が、宮中から離れて、思い沈んでいらっしゃるのが、お気の毒に拝されます。
 姫宮の御方から、お便りもございませんのを、このように身分が決定なさったので、お見捨てあそばされたように思って、気の晴れない様子ばかりしておりますが、こうした物を、時々お見せ下さいませ。
 わたしが直接持って参りますのも、また、張り合いのないものです」
   とのたまへば、  と申し上げなさると、
   「あやしく。
 などてか捨てきこえたまはむ。
 内裏にては、近かりしにつきて、時々も聞こえたまふめりしを、所々になりたまひし折に、とだえたまへるにこそあらめ。
 今、そそのかしきこえむ。
 それよりもなどかは」
 「変なこと。
 どうしてお見捨て申し上げなさいましょう。
 内裏では、近かったことにつけて、時々手紙のやりとりをなさったようですが、別々におなりになった時から、滞りがちになったのでしょう。
 これから、お促し申し上げましょう。
 そちらからもどうして差し上げなさらないのですか」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
   「かれよりは、いかでかは。
 もとより数まへさせたまはざらむをも、かく親しくてさぶらふべきゆかりに寄せて、思し召し数まへさせたまはむをこそ、うれしくははべるべけれ。
 まして、さも聞こえ馴れたまひにけむを、今捨てさせたまはむは、からきことにはべり」
 「あちらからは、どうしてできましょうか。
 もともとお心に懸けていただけなかったとしても、こうして親しく伺候します縁にことよせて、お心を懸けてくださいましたら、嬉しいことでございます。
 それ以上に、そのように親しくなさっていたのを、今お見捨てになるのは、つらいことでございます」
   と啓せさせたまふを、「好きばみたるけしきあるか」とは思しかけざりけり。
 
 と申し上げなさるのを、「好色心があるのか」とは思いよりなさらなかった。
 
   立ち出でて、「一夜の心ざしの人に会はむ。
 ありし渡殿も慰めに見むかし」と思して、御前を歩み渡りて、西ざまにおはするを、御簾の内の人は心ことに用意す。
 げに、いと様よく限りなきもてなしにて、渡殿の方は、左の大殿の君たちなど居て、物言ふけはひすれば、妻戸の前に居たまひて、
 お立ちになって、「先夜のお目当ての女に会おう。
 先日の渡殿も慰めに見よう」とお思いになって、御前を渡って、西の方角にいらっしゃるのを、御簾の内側の女房は特に緊張する。
 なるほど、たいそう風采よく、この上ない身のこなしで、渡殿の方では、左の大殿の公達などが座っていて、何か言っている様子がするので、妻戸の前にお座りになって、
   「おほかたには参りながら、この御方の見参に入ることの、難くはべれば、いとおぼえなく、翁び果てにたる心地しはべるを、今よりは、と思ひ起こしはべりてなむ。
 ありつかず、若き人どもぞ思ふらむかし」
 「よく参上はいたしますが、こちらの御方にはお目にかかることも、めったにございませんので、いつのまにか、老人めいた気持ちでございますが、今からは、と気を奮い起こしまして。
 不似合いな振る舞いだと、若い人たちは思うでしょう」
   と、甥の君たちの方を見やりたまふ。
 
 と、甥の公達の方を御覧になる。
 
   「今よりならはせたまふこそ、げに若くならせたまふならめ」  「今からお馴染みになられたら、なるほど若返りなされるでしょう」
   など、はかなきことを言ふ人びとのけはひも、あやしうみやびかに、をかしき御方のありさまにぞある。
 そのこととなけれど、世の中の物語などしつつ、しめやかに、例よりは居たまへり。
 
 などと、とりとめもないことを言う女房たちの様子も、不思議と優雅で、風情のあるこちらの御方のご様子である。
 特に用事ということはないが、世間話などをしながら、しんみりと、いつもよりは長居なさった。
 
 
 

第六段 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く

 
   姫宮は、あなたに渡らせたまひにけり。
 大宮、
 姫宮は、あちらにお渡りあそばした。
 大宮が、
   「大将のそなたに参りつるは」  「大将がそちらに参ったが」
   と問ひたまふ。
 御供に参りたる大納言の君、
 とお尋ねになる。
 お供して参った大納言の君が、
   「小宰相の君に、もののたまはむとにこそは、はべめりつれ」  「小宰相の君に、何かおっしゃろうとのことで、ございましょう」
   と聞こゆるに、  と申し上げると、
   「例、まめ人の、さすがに人に心とどめて物語するこそ、心地おくれたらむ人は苦しけれ。
 心のほども見ゆらむかし。
 小宰相などは、いとうしろやすし」
 「いつもの、真面目人間が、やはり女性に心を止めて話をするのは、気のきかない人でしたら困ります。
 心の底も見透かされるでしょう。
 小宰相などは、とても安心です」
   とのたまひて、御姉弟なれど、この君をば、なほ恥づかしく、「人も用意なくて見えざらむかし」と思いたり。
 
 とおっしゃって、ご姉弟であるが、この君を、やはり恥ずかしく思い、「女房たちも不注意に応対しないでほしい」とお思いになっていた。
 
   「人よりは心寄せたまひて、局などに立ち寄りたまふべし。
 物語こまやかにしたまひて、夜更けて出でたまふ折々もはべれど、例の目馴れたる筋にははべらぬにや。
 宮をこそ、いと情けなくおはしますと思ひて、御いらへをだに聞こえずはべるめれ。
 かたじけなきこと」
 「どの女房よりも心をお寄せになって、局などにお立ち寄りなさるのでしょう。
 お話を親密になさって、夜が更けてお帰りになる時々もございましたが、普通のありふれた色恋沙汰ではないのでしょうか。
 宮を、とても情けないお方と思って、お返事さえ差し上げないようでございます。
 恐れ多いこと」
   と言ひて笑へば、宮も笑はせたまひて、  と言って笑うと、宮もにっこりあそばして、
   「いと見苦しき御さまを、思ひ知るこそをかしけれ。
 いかで、かかる御癖やめたてまつらむ。
 恥づかしや、この人びとも」
 「ひどく見苦しいご様子を、知っているのがおもしろい。
 何とかして、あのようなお癖を止めさせ申したいものです。
 恥ずかしいね、そなたたちの手前も」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
 
 

第七段 明石中宮、薫の三角関係を知る

 
   「いとあやしきことをこそ聞きはべりしか。
 この大将の亡くなしたまひてし人は、宮の御二条の北の方の御おとうとなりけり。
 異腹なるべし。
 常陸の前の守なにがしが妻は、叔母とも母とも言ひはべるなるは、いかなるにか。
 その女君に、宮こそ、いと忍びておはしましけれ。
 
 「とても不思議な事を聞きました。
 この大将殿が亡くしなさった人は、宮の二条の北の方のお妹君でした。
 異腹なのでしょう。
 常陸の前の介の何某の妻は、叔母とも母とも言っていますのは、どういうものでしょうか。
 その女君に、宮が、まことにこっそりとお通いになりました。
 
   大将殿や聞きつけたまひたりけむ。
 にはかに迎へたまはむとて、守り目添へなど、ことことしくしたまひけるほどに、宮も、いと忍びておはしましながら、え入らせたまはず、あやしきさまに、御馬ながら立たせたまひつつぞ、帰らせたまひける。
 
 大将殿がお聞きつけになったのでしょうか。
 急遽お迎えなさろうとして、番人を増やしなどして、厳重になさっているところに、宮も、とてもこっそりとお通いになりながら、お入りになることができず、粗末な姿で、お馬に乗って立ったまま、お帰りになりました。
 
   女も、宮を思ひきこえさせけるにや、にはかに消え失せにけるを、身投げたるなめりとてこそ、乳母などやうの人どもは、泣き惑ひはべりけれ」  女も、宮をお慕い申し上げていたのでしょうか、急に消えてしまいましたが、身投げしたようだと言って、乳母などの女房は、泣き暮れておりました」
   と聞こゆ。
 宮も、「いとあさまし」と思して、
 と申し上げる。
 大宮も、「まことに呆れたことだ」とお思いになって、
   「誰れか、さることは言ふとよ。
 いとほしく心憂きことかな。
 さばかりめづらかならむことは、おのづから聞こえありぬべきを。
 大将もさやうには言はで、世の中のはかなくいみじきこと、かく宇治の宮の族の、命短かりけることをこそ、いみじう悲しと思ひてのたまひしか」
 「誰が、そのようなことを言うのですか。
 お気の毒な情けないことですね。
 それほど珍しい事は、自然と噂になろうものを。
 大将もそのようには言わないで、世の中のはかなく無常なこと、このような宇治の宮の一族の短命であったことを、ひどく悲しんでおっしゃっていたが」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
   「いさや、下衆は、たしかならぬことをも言ひはべるものを、と思ひはべれど、かしこにはべりける下童の、ただこのころ、宰相が里に出でまうできて、たしかなるやうにこそ言ひはべりけれ。
 かくあやしうて亡せたまへること、人に聞かせじ。
 おどろおどろしく、おぞきやうなりとて、いみじく隠しけることどもとて。
 さて、詳しくは聞かせたてまつらぬにやありけむ」
 「さあ、下衆は、確かでないことも申すものを、と思いますが、あちらに仕えておりました下童が、つい最近、小宰相の君の実家に出て参って、確かなことのように言いました。
 このように不思議に亡くなったことは、誰にも聞かせまい。
 大げさで、気味の悪い話だからといって、ひどく隠していたこととか。
 そうして、詳しくはお聞かせ申し上げなかったのでしょう」
   と聞こゆれば、  と申し上げると、
   「さらに、かかること、またまねぶな、と言はせよ。
 かかる筋に、御身をももてそこなひ、人に軽く心づきなきものに思はれぬべきなめり」
 「まったく、このような話は、二度と他人には話さないように、と言わせなさい。
 このような色恋沙汰で、お身の上を過ち、世人に軽々しく顰蹙をおかいになることになりましょう」
   といみじう思いたり。
 
 とたいそうご心配になった。
 
 
 

第六章 薫の物語 薫、断腸の秋の思い

 
 

第一段 女一の宮から妹二の宮への手紙

 
   その後、姫宮の御方より、二の宮に御消息ありけり。
 御手などの、いみじううつくしげなるを見るにも、いとうれしく、「かくてこそ、とく見るべかりけれ」と思す。
 
 その後、姫宮の御方から、二の宮にお便りがあったのだった。
 ご筆跡などが、たいそうかわいらしそうなのを見るにつけ、実に嬉しく、「こうしてこそ、もっと早く見るべきであった」とお思いになる。
 
   あまたをかしき絵ども多く、大宮もたてまつらせたまへり。
 大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせたまふ。
 芹川の大将の遠君の、女一の宮思ひかけたる秋の夕暮に、思ひわびて出でて行きたる画、をかしう描きたるを、いとよく思ひ寄せらるかし。
 「かばかり思し靡く人のあらましかば」と思ふ身ぞ口惜しき。
 
 たくさんの趣のある絵をたくさん、大宮も差し上げあそばした。
 大将殿は、それ以上に趣のある絵を集めて、差し上げなさる。
 芹川の大将が遠君の、女一の宮に懸想をしている秋の夕暮に、思いあまって出かけて行った絵が、趣深く描けているのを、とてもよくわが身に思い当たるのである。
 「あれほどまで思い靡いてくださる方があったら」と思うわが身が残念である。
 
 

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 「荻の葉に 露吹き結ぶ 秋風も
 夕べぞわきて 身にはしみける」
 「荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も
  夕方には特に身にしみて感じられる」
 
   と書きても添へまほしく思せど、  と書き添えたく思うが、
   「さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことも、えほのめかし出づまじ。
 かくよろづに何やかやと、ものを思ひの果ては、昔の人のものしたまはましかば、いかにもいかにも他ざまに心分けましや。
 
 「そのようなのを少しの様子にでも漏らしたら、とてもやっかいそうな世の中であるから、ちょっとしたことも、ちらっと出すことができない。
 このようにいろいろと何やかやと、憂愁を重ねた果てに思うことは、亡き大君が生きていらっしゃったら、どうして他の女に心を傾けたりしようか。
 
   時の帝の御女を賜ふとも、得たてまつらざらまし。
 また、さ思ふ人ありと聞こし召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心乱りたまひける橋姫かな」
 今上の帝の内親王を賜うといっても、頂戴はしなかったろうに。
 また、そのように思う女がいるとお耳にあそばしながら、このようなことはなかったろうが、やはり情けなく、わたしの心を乱しなさった宇治の橋姫だなあ」
   と思ひあまりては、また宮の上にとりかかりて、恋しうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまで悔しき。
 これに思ひわびて、さしつぎには、あさましくて亡せにし人の、いと心幼く、とどこほるところなかりける軽々しさをば思ひながら、さすがにいみじとものを、思ひ入りけむほど、わがけしき例ならずと、心の鬼に嘆き沈みてゐたりけむありさまを、聞きたまひしも思ひ出でられつつ、
 と思い余って、また宮の上に執着して、恋しく切なく、どうにもしようがないのを、馬鹿らしく思うまで悔しい。
 この方に思い悩んで、その次には、呆れた恰好で亡くなった人が、とても思慮浅く、思いとどまるところのなかった軽率さを思いながら、やはり大変なことになったと、思いつめていたほどを、わたしの態度がいつもと違っていると、良心の呵責に苛まれて嘆き沈んでいた様子を、お聞きになったことも思い出されて、
   「重りかなる方ならで、ただ心やすくらうたき語らひ人にてあらせむ、と思ひしには、いとらうたかりし人を。
 思ひもていけば、宮をも思ひきこえじ。
 女をも憂しと思はじ。
 ただわがありさまの世づかぬおこたりぞ」
 「重々しい方としての扱いでなく、ただ気安くかわいらしい愛人としておこう、と思ったわりには、実にかわいらしい人であったよ。
 思い続けると、宮をお恨み申すまい。
 女をもひどいと思うまい。
 ただわが人生が世間ずれしていない失敗なのだ」
   など、眺め入りたまふ時々多かり。
 
 などと、物思いに耽りなさる時々が多かった。
 
 
 

第二段 侍従、明石中宮に出仕す

 
   心のどかに、さまよくおはする人だに、かかる筋には、身も苦しきことおのづから混じるを、宮は、まして慰めかねつつ、かの形見に、飽かぬ悲しさをものたまひ出づべき人さへなきを、対の御方ばかりこそは、「あはれ」などのたまへど、深くも見馴れたまはざりける、うちつけの睦びなれば、いと深くしも、いかでかはあらむ。
 また、思すままに、「恋しや、いみじや」などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし侍従をぞ、例の、迎へさせたまひける。
 
 悠長で、自制心が強くいらっしゃる人でさえ、このような方面には、身も苦しいことが自然と出て来るのを、宮は、彼以上に慰めかねながら、あの形見として、尽きない悲しみをおっしゃる相手さえいないが、対の御方だけは、「かわいそうに」などとおっしゃるが、深く親しんでいらっしゃらなかった、短い交際であったので、とても深くはどうしてお思いになろうか。
 また、お気持ちのままに、「恋しい、悲しい」などとおっしゃるのは、気がひけるので、あちらにいた侍従を、例によって、迎えさせなさった。
 
   皆人どもは行き散りて、乳母とこの人二人なむ、取り分きて思したりしも忘れがたくて、侍従はよそ人なれど、なほ語らひてあり経るに、世づかぬ川の音も、うれしき瀬もやある、と頼みしほどこそ慰めけれ、心憂くいみじくもの恐ろしくのみおぼえて、京になむ、あやしき所に、このころ来てゐたりける、尋ねたまひて、  皆女房たちは散り散りになって、乳母とこの人ら二人は、特別に目をかけてくださったのも忘れることができず、侍従は身内外の女房であるが、やはり話相手として暮らしていたが、どこにもないような川の音も、何か嬉しいこともあろうか、と期待していたうちは慰められたが、気持ち悪く大変に恐ろしくばかり思われて、京で、みすぼらしい所に、最近来ていたのを、捜し出しなさって、
   「かくてさぶらへ」  「こうして仕えていなさい」
   とのたまへば、「御心はさるものにて、人びとの言はむことも、さる筋のこと混じりぬるあたりは、聞きにくきこともあらむ」と思へば、うけひききこえず。
 「后の宮に参らむ」となむおもむけたれば、
 とおっしゃるが、「お心はお心としてありがたいが、女房たちが噂するのも、そのような方面のことが絡んでいるところでは、聞きにくいこともあろう」と思うと、お引き受け申さない。
 「后の宮にお仕えしたい」と希望したので、
   「いとよかなり。
 さて人知れず思し使はむ」
 「とても結構なことだ。
 それでは内々に目をかけてやろう」
   とのたまはせけり。
 心細くよるべなきも慰むやとて、知るたより求め参りぬ。
 「きたなげなくてよろしき下臈なり」と許して、人もそしらず。
 大将殿も常に参りたまふを、見るたびごとに、もののみあはれなり。
 「いとやむごとなきものの姫君のみ、参り集ひたる宮」と人も言ふを、やうやう目とどめて見れど、「見たてまつりし人に似たるはなかりけり」と思ひありく。
 
 とおっしゃるのだった。
 心細く頼りとするところのないのも慰むことがあろうかと、縁故を求めて出仕した。
 「小ざっぱりとしたまあまあの下臈だ」と認めて、誰も非難しない。
 大将殿もいつも参上なさるのを、見るたびごとに、何となくしみじみとする。
 「とても高貴な大家の姫君ばかりが、大勢いらっしゃる宮邸だ」と女房が言うのを、だんだん目をとめて見るが、「やはりお仕えしていた方に似た美しい姫君はいないものだ」と思っている。
 
 
 

第三段 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う

 
   この春亡せたまひぬる式部卿宮の御女を、継母の北の方、ことにあひ思はで、兄の馬頭にて人柄もことなることなき、心懸けたるを、いとほしうなども思ひたらで、さるべきさまになむ契る、と聞こし召すたよりありて、  今年の春お亡くなりになった式部卿宮の御娘を、継母の北の方が、特にかわいがらないで、その兄の右馬頭で人柄も格別なところもないのが、心を寄せているのを、不憫だとも思わずに縁づけている、とお耳にあそばしたことがあって、
   「いとほしう。
 父宮のいみじくかしづきたまひける女君を、いたづらなるやうにもてなさむこと」
 「お気の毒に。
 父宮がたいそう大切になさっていた女君を、つまらないものにしてしまおうとは」
   などのたまはせければ、いと心細くのみ思ひ嘆きたまふありさまにて、  などと仰せになったので、ひどく心細くばかり思い嘆いていらっしゃる有様で、
   「なつかしう、かく尋ねのたまはするを」  「やさしく、このようにおっしゃってくださるものを」
   など、御兄の侍従も言ひて、このころ迎へ取らせたまひてけり。
 姫宮の御具にて、いとこよなからぬ御ほどの人なれば、やむごとなく心ことにてさぶらひたまふ。
 限りあれば、宮の君などうち言ひて、裳ばかりひきかけたまふぞ、いとあはれなりける。
 
 などと、ご兄妹の侍従も言って、最近迎え取らせなさった。
 姫宮のお相手として、まことに最適のご身分の方なので、高い身分の方として特別の扱いで伺候なさる。
 決まりがあるので、宮の君などと呼ばれて、裳くらいはお付けになるのが、ひどくおいたわしいことであった。
 
   兵部卿宮、「この君ばかりや、恋しき人に思ひよそへつべきさましたらむ。
 父親王は兄弟ぞかし」など、例の御心は、人を恋ひたまふにつけても、人ゆかしき御癖やまで、いつしかと御心かけたまひてけり。
 
 兵部卿宮は、「この宮くらいは、恋しい人に思いよそえられる様子をしていようか。
 父親王は兄弟であった」などと、例のお心は、故人を恋い慕いなさるにつけても、女を見たがる癖がやまず、早く見たいとお心にかけていらした。
 
   大将、「もどかしきまでもあるわざかな。
 昨日今日といふばかり、春宮にやなど思し、我にもけしきばませたまひきかし。
 かくはかなき世の衰へを見るには、水の底に身を沈めても、もどかしからぬわざにこそ」など思ひつつ、人よりは心寄せきこえたまへり。
 
 大将は、「非難がましいことを言いたくなることだ。
 昨日今日という間に、春宮に差し上げようかなどとお思いになり、わたしにもそのようなご様子をほのめかされたのだ。
 このように無常な世の中の衰退を見ると、川の底に身を沈めても、非難されないことだ」などと思いながら、誰よりも同情をお寄せ申し上げなさった。
 
   この院におはしますをば、内裏よりも広くおもしろく住みよきものにして、常にしもさぶらはぬどもも、皆うちとけ住みつつ、はるばると多かる対ども、廊、渡殿に満ちたり。
 
 この院にいらっしゃるのを、内裏よりも広く興趣あって住みよい所として、いつもは伺候していない女房どもも、みな気を許して住みながら、広々とたくさんある対の屋や、渡廊や、渡殿などにいっぱいいる。
 
   左大臣殿、昔の御けはひにも劣らず、すべて限りもなく営み仕うまつりたまふ。
 いかめしうなりたる御族なれば、なかなかいにしへよりも、今めかしきことはまさりてさへなむありける。
 
 左大臣殿は、昔のご様子にも負けず、すべてこの上もなくお世話申し上げていらっしゃる。
 盛んになったご一族なので、かえって昔以上に、華やかな点ではまさるのであった。
 
   この宮、例の御心ならば、月ごろのほどに、いかなる好きごとどもをし出でたまはまし、こよなく静まりたまひて、人目に「すこし生ひ直りたまふかな」と見ゆるを、このころぞまた、宮の君に、本性現はれて、かかづらひありきたまひける。
 
 この宮は、いつものお心ならば、幾月かの間に、どのような好色事でもなさっていたところが、すっかり落ち着きなさって、傍目には「少しは大人びてお直りになったなあ」と見えるが、最近は再び、宮の君に、ご本性を現して、まつわりつきなさるのであった。
 
 
 

第四段 侍従、薫と匂宮を覗く

 
   涼しくなりぬとて、宮、内裏に参らせたまひなむとすれば、  涼しくなったといって、后宮は、内裏に帰参なさろうとするので、
   「秋の盛り、紅葉のころを見ざらむこそ」  「秋の盛りは、紅葉の季節を見ないというのは」
   など、若き人びとは口惜しがりて、皆参り集ひたるころなり。
 水に馴れ月をめでて、御遊び絶えず、常よりも今めかしければ、この宮ぞ、かかる筋はいとこよなくもてはやしたまふ。
 朝夕目馴れても、なほ今見む初花のさましたまへるに、大将の君は、いとさしも入り立ちなどしたまはぬほどにて、恥づかしう心ゆるびなきものに、皆思ひたり。
 
 などと、若い女房たちは残念がって、みな参集している時である。
 池水に親しみ月を賞美して、管弦の遊びがひっきりなしに催され、いつもより華やかなので、この宮は、このような方面では実にこの上なく賞賛されなさる。
 朝夕に見慣れていても、やはり今初めて見た初花のようなお姿でしていらっしゃるが、大将の君は、あまりそれほど入り込んだりなさらないので、こちらが恥ずかしくなるような気のおける方だと、みな思っていた。
 
   例の、二所参りたまひて、御前におはするほどに、かの侍従は、ものより覗きたてまつるに、  いつもの、お二方が参上なさって、御前にいらっしゃる間に、あの侍従は、物蔭から覗いて拝すると、
   「いづ方にもいづ方にもよりて、めでたき御宿世見えたるさまにて、世にぞおはせましかし。
 あさましくはかなく、心憂かりける御心かな」
 「どちらの方なりとも縁付いて、幸運な運勢に思えたご様子で、この世に生きておいでだったらなあ。
 あきれるほどあっけなく情けなかったお心であったよ」
   など、人には、そのわたりのこと、かけて知り顔にも言はぬことなれば、心一つに飽かず胸いたく思ふ。
 宮は、内裏の御物語など、こまやかに聞こえさせたまへば、いま一所は立ち出でたまふ。
 「見つけられたてまつらじ。
 しばし、御果てをも過ぐさず心浅し、と見えたてまつらじ」と思へば、隠れぬ。
 
 などと、他人には、あの辺のことは少しも知っている顔をして言わない干となので、自分一人で尽きせず胸を痛めている。
 宮は、内裏のお話など、こまごまとお話申し上げあそばすので、もうお一方はお立ちになる。
 「見つけられ申すまい。
 もう暫くの間は、ご一周忌も待たないで薄情な人だ、と思われ申すまい」と思うって、隠れた。
 
 
 

第五段 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う

 
   東の渡殿に、開きあひたる戸口に、人びとあまたゐて、物語などする所におはして、  東の渡殿に、開いている戸口に、女房たちが大勢いて、話などをひっそりとしている所にいらして、
   「なにがしをぞ、女房は睦ましと思すべき。
 女だにかく心やすくはよもあらじかし。
 さすがにさるべからむこと、教へきこえぬべくもあり。
 やうやう見知りたまふべかめれば、いとなむうれしき」
 「わたしをこそ、女房は親しみやすくお思いになるべきではありませんか。
 女でさえこのように気のおけない人はいません。
 それでもためになることを、教えて上げられることもあります。
 だんだんとお分かりになりそうですから、とても嬉しいです」
   とのたまへば、いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、  とおっしゃるので、とても答えにくくばかり思っている中で、弁のおもとといって、物馴れている年配の女房が、
   「そも睦ましく思ひきこゆべきゆゑなき人の、恥ぢきこえはべらぬにや。
 ものはさこそはなかなかはべるめれ。
 かならずそのゆゑ尋ねて、うちとけ御覧ぜらるるにしもはべらねど、かばかり面無くつくりそめてける身に負はさざらむも、かたはらいたくてなむ」
 「そのようにも親しくすべき理由のない者こそ、気兼ねなく振る舞えるのではないでしょうか。
 物事はかえってそのようなものです。
 必ずしもその理由を知ったうえで、くつろいでお話申し上げるというのでもございませんが、あれほど厚かましさが身についているわたしが引き受けないのも、見ていられませんで」
   と聞こゆれば、  と申し上げると、
   「恥づべきゆゑあらじ、と思ひ定めたまひてけるこそ、口惜しけれ」  「恥じる理由はあるまい、とお決めになっていらっしゃるのが、残念なことです」
   など、のたまひつつ見れば、唐衣は脱ぎすべし押しやり、うちとけて手習しけるなるべし、硯の蓋に据ゑて、心もとなき花の末手折りて、弄びけり、と見ゆ。
 かたへは几帳のあるにすべり隠れ、あるはうち背き、押し開けたる戸の方に、紛らはしつつゐたる、頭つきどもも、をかしと見わたしたまひて、硯ひき寄せて、
 などと、おっしゃりながら見ると、唐衣は脱いで押しやって、くつろいで手習いをしていたのであろう、硯の蓋の上に置いて、頼りなさそうな花の枝先を手折って、弄んでいた、と見える。
 ある者は几帳のある所にすべり隠れ、またある者は背を向けて、押し開けてある妻戸の方に、隠れながら座っている、その頭の恰好を、興趣あると一回り御覧になって、硯を引き寄せて、
 

762
 「女郎花 乱るる野辺に 混じるとも
 露のあだ名を 我にかけめや
 「女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも
  露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか
 
   心やすくは思さで」  どなたも気を許してくださらないので」
   と、ただこの障子にうしろしたる人に見せたまへば、うちみじろきなどもせず、のどやかに、いととく、  と、ちょうどこの襖障子の後向きしていた女房にお見せになると、身動きもせずに、落ち着いて、すぐさま、
 

763
 「花といへば 名こそあだなれ 女郎花
 なべての露に 乱れやはする」
 「花と申せば名前からして色っぽく聞こえますが
  女郎花はそこらの露に靡いたり濡れたりしません」
 
   と書きたる手、ただかたそばなれど、よしづきて、おほかためやすければ、誰ならむ、と見たまふ。
 今参う上りける道に、塞げられてとどこほりゐたるなるべし、と見ゆ。
 弁の御許は、
 と書いた筆跡は、ほんの一首ながら、風情があって、だいたいに無難なので、誰なのだろう、とお思いになる。
 今参上した途中で、道をふさがれてとどまっていた者らしい、と思う。
 弁のおもとは、
   「いとけざやかなる翁言、憎くはべり」とて、  「まことにはっきりした老人めいたお言葉、憎うございます」と言って、
 

764
 「旅寝して なほこころみよ 女郎花
 盛りの色に 移り移らず
 「旅寝してひとつ試みて御覧なさい
  女郎花の盛りの色にお心が移るか移らないか
 
   さて後、定めきこえさせむ」  そうして後に、お決め申し上げましょう」
   と言へば、  と言うので、
 

765
 「宿貸さば 一夜は寝なむ おほかたの
 花に移らぬ 心なりとも」
 「お宿をお貸しくださるなら、一夜は泊まってみましょう
  そこらの花には心移さないわたしですが」
 
   とあれば、  とあるので、
   「何か、恥づかしめさせたまふ。
 おほかたの野辺のさかしらをこそ聞こえさすれ」
 「どうして、恥をおかかせなさいます。
 普通にいう野辺のしゃれを申し上げただけです」
   と言ふ。
 はかなきことをただすこしのたまふも、人は残り聞かまほしくのみ思ひきこえたり。
 
 と言う。
 とりとめのないことをほんのちょっとおっしゃっても、女房はその続きを聞きたくばかりお思い申し上げていた。
 
   「心なし。
 道開けはべりなむよ。
 分きても、かの御もの恥ぢのゆゑ、かならずありぬべき折にぞあめる」
 「うっかりしていました。
 道を開けますよ。
 特に意識して、あちらで恥ずかしがっていらやる理由が、きっとありそうな折ですから」
   とて、立ち出でたまへば、「おしなべてかく残りなからむ、と思ひやりたまふこそ心憂けれ」と思へる人もあり。
 
 と言って、お立ちになると、「だいたいこのような奥ゆかしいところがないだろう、とご想像なさるもがつらい」と思っている女房もいた。
 
 
 

第六段 薫、断腸の秋の思い

 
   東の高欄に押しかかりて、夕影になるままに、花の紐解く御前の草むらを見わたしたまふ。
 もののみあはれなるに、「中に就いて腸断ゆるは秋の天」といふことを、いと忍びやかに誦じつつゐたまへり。
 ありつる衣の音なひ、しるきけはひして、母屋の御障子より通りて、あなたに入るなり。
 宮の歩みおはして、
 東の高欄に寄り掛かって、夕日の影るにつれて、花が咲き乱れている御前の叢をお眺めやりになる。
 何となくしみじみと思われて、「中んづく腸の断ち切れる思いがするのは秋の空だ」という詩句を、たいそう密やかに朗誦しながら座っていらっしゃった。
 先程の衣ずれの音が、はっきり聞こえる感じがして、母屋の襖障子から通ってあちらに入って行くようである。
 宮が歩いていらして、
   「これよりあなたに参りつるは誰そ」  「こちらからあちらへ参ったのは誰か」
   と問ひたまへば、  とお尋ねになると、
   「かの御方の中将の君」  「あちらの御方の中将の君です」
   と聞こゆなり。
 
 と申し上げるのである。
 
   「なほ、あやしのわざや。
 誰れにかと、かりそめにもうち思ふ人に、やがてかくゆかしげなく聞こゆる名ざしよ」と、いとほしく、この宮には、皆目馴れてのみおぼえたてまつるべかめるも口惜し。
 
 「やはり、けしからぬ振る舞いだ。
 誰だろうかと、ちょっとでも関心を持った人に、そのままこのように遠慮なく名前を教えてしまうとは」と、気の毒で、この宮に、皆が馴れ馴れしくお思い申し上げているようなのも残念だ。
 
   「おりたちてあながちなる御もてなしに、女はさもこそ負けたてまつらめ。
 わが、さも口惜しう、この御ゆかりには、ねたく心憂くのみあるかな。
 いかで、このわたりにも、めづらしからむ人の、例の心入れて騷ぎたまはむを語らひ取りて、わが思ひしやうに、やすからずとだにも思はせたてまつらむ。
 まことに心ばせあらむ人は、わが方にぞ寄るべきや。
 されど難いものかな。
 人の心は」
 「無遠慮につっこんだお振る舞いに、女はきっとお負け申してしまおう。
 わたしは、まことに残念なことに、こちらのご一族には、悔しくも残念なことばかりだ。
 何とかして、ここの女房の中にでも、珍しいような女で、例によって熱心に夢中になっていらっしゃる女を口説き落として、自分が経験したように、穏やかならぬ気持ちを思わせ申し上げたい。
 ほんとうに物事の分かる女なら、わたしの方に寄って来るはずだ。
 けれども難しいことだな。
 人の心というものは」
   と思ふにつけて、対の御方の、かの御ありさまをば、ふさはしからぬものに思ひきこえて、いと便なき睦びになりゆくが、おほかたのおぼえをば、苦しと思ひながら、なほさし放ちがたきものに思し知りたるぞ、ありがたくあはれなりける。
 
 と思うにつけても、対の御方の、あのお振る舞いを、身分にふさわしくないものとお思い申し上げて、まことに不都合な関係になって行くのが、その世間の評判をつらいと思いながらも、やはりすげなくはできない者とお分かりになってくださるのは、世にもまれな胸をうつことである。
 
   「さやうなる心ばせある人、ここらの中にあらむや。
 入りたちて深く見ねば知らぬぞかし。
 寝覚がちにつれづれなるを、すこしは好きもならはばや」
 「そのような気立ての方は、大勢の中にいようか。
 立ち入って深くは知らないので分からないことだ。
 寝覚めがちに所在ないのを、少しは好色も習ってみたいものだ」
   など思ふに、今はなほつきなし。
 
 などと思うが、今はやはりふさわしくない。
 
 
 

第七段 薫と中将の御許、遊仙窟の問答

 
   例の、西の渡殿を、ありしにならひて、わざとおはしたるもあやし。
 姫宮、夜はあなたに渡らせたまひければ、人びと月見るとて、この渡殿にうちとけて物語するほどなりけり。
 箏の琴いとなつかしう弾きすさむ爪音、をかしう聞こゆ。
 思ひかけぬに寄りおはして、
 例によって、西の渡殿を、先日に真似て、わざわざいらっしゃったのも変なことだ。
 姫宮は、夜はあちらにお渡りあそばしたので、女房たちが月を見ようとして、この渡殿でくつろいで話をしているところであった。
 箏の琴がたいそうやさしく弾いている爪音が、興趣深く聞こえる。
 思いがけないところにお寄りになって、
   「など、かくねたまし顔にかき鳴らしたまふ」  「どうして、このように人を焦らすようにお弾きになるのですか」
   とのたまふに、皆おどろかるべけれど、すこし上げたる簾うち下ろしなどもせず、起き上がりて、  とおっしゃると、皆驚いたにちがいないが、少し巻き上げた簾を下ろしなどもせず、起き上がって、
   「似るべき兄やは、はべるべき」  「似ている兄様が、ございましょうか」
   といらふる声、中将の御許とか言ひつるなりけり。
 
 と答える声は、中将のおもととか言った人であった。
 
   「まろこそ、御母方の叔父なれ」  「わたしこそが、御母方の叔父ですよ」
   と、はかなきことをのたまひて、  と、戯れをおっしゃって、
   「例の、あなたにおはしますべかめりな。
 何わざをか、この御里住みのほどにせさせたまふ」
 「いつものように、あちらにいらっしゃるようですね。
 どのようなことを、この里下がりのご生活の中でなさっておいでですか」
   など、あぢきなく問ひたまふ。
 
 などと、つまらないことをお尋ねになる。
 
   「いづくにても、何事をかは。
 ただ、かやうにてこそは過ぐさせたまふめれ」
 「どちらにいらしても、同じことです。
 ただ、このような事をしてお過ごしでいらっしゃるようです」
   と言ふに、「をかしの御身のほどや、と思ふに、すずろなる嘆きの、うち忘れてしつるも、あやしと思ひ寄る人もこそ」と紛らはしに、さし出でたる和琴を、たださながら掻き鳴らしたまふ。
 律の調べは、あやしく折にあふと聞く声なれば、聞きにくくもあらねど、弾き果てたまはぬを、なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり思ふ。
 
 と言うと、「結構なご身分の方だ、と思うと、わけもない溜息を、うっかりしてしまったのも、変だと思い寄る人があっては」と紛らわすために、差し出した和琴を、ただそのまま掻き鳴らしなさる。
 律の調べは、不思議と季節に合うと聞こえる音なので、聞き憎くもないが、最後までお弾きにならないのを、かえって気がもめると、熱心な人は、死ぬほど残念がる。
 
   「わが母宮も劣りたまふべき人かは。
 后腹と聞こゆばかりの隔てこそあれ、帝々の思しかしづきたるさま、異事ならざりけるを。
 なほ、この御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ。
 明石の浦は心にくかりける所かな」など思ひ続くることどもに、「わが宿世は、いとやむごとなしかし。
 まして、並べて持ちたてまつらば」と思ふぞ、いと難きや。
 
 「わたしの母宮もひけをおとりになる方だろうか。
 后腹と申し上げる程度の相違だが、それぞれの父帝が大切になさる様子に、違いはないのだ。
 がやはり、こちらのご様子は、たいそう格別な感じがするのが不思議なことだ。
 明石の浦は奥ゆかしい所だ」などと思い続けることの中で、「自分の宿世は、とてもこの上ないものであった。
 その上に、並べて頂戴したら」と思うのは、とても難しいことだ。
 
 
 

第八段 薫、宮の君を訪ねる

 
   宮の君は、この西の対にぞ御方したりける。
 若き人びとのけはひあまたして、月めであへり。
 
 宮の君は、こちらの西の対にお部屋を持っていた。
 若い女房たちが大勢いる様子で、月を賞美していた。
 
   「いで、あはれ、これもまた同じ人ぞかし」  「まあ、お気の毒に、こちらも同じ皇族の方であるのに」
   と思ひ出できこえて、「親王の、昔心寄せたまひしものを」と言ひなして、そなたへおはしぬ。
 童の、をかしき宿直姿にて、二、三人出でて歩きなどしけり。
 見つけて入るさまども、かかやかし。
 これぞ世の常と思ふ。
 
 とお思い出し申し上げて、「父親王が、生前に好意をお寄せになっていたものを」と口実にして、そちらにお出でになった。
 童女が、かわいらしい宿直姿で、二、三人出て来てあちこち歩いたりしていた。
 見つけて入る様子なども、恥ずかしそうだ。
 これが世間普通のことだと思う。
 
   南面の隅の間に寄りて、うち声づくりたまへば、すこしおとなびたる人出で来たり。
 
 南面の隅の間に近寄って、ちょっと咳払いをなさると、少し大人めいた女房が出て来た。
 
   「人知れぬ心寄せなど聞こえさせはべれば、なかなか、皆人聞こえさせふるしつらむことを、うひうひしきさまにて、まねぶやうになりはべり。
 まめやかになむ、言より外を求められはべる」
 「人知れず好意をお寄せ申しておりますので、かえって、誰もが言い古るしてきたような言葉が、馴れない感じで、真似をしているようでございます。
 真面目に、言葉以外の表現を探さずにおられません」
   とのたまへば、君にも言ひ伝へず、さかしだちて、  とおっしゃると、宮の君にも言い伝えず、利口ぶって、
   「いと思ほしかけざりし御ありさまにつけても、故宮の思ひきこえさせたまへりしことなど、思ひたまへ出でられてなむ。
 かくのみ、折々聞こえさせたまふなり。
 御後言をも、よろこびきこえたまふめる」
 「まことに思いもかけなかったご境遇につけても、故父宮がお考え申し上げていらっしゃった事などが、思い出されましてなりません。
 このように、折々にふれて申し上げてくださるという。
 蔭ながらのお言葉も、お礼申し上げていらっしゃるようです」
   と言ふ。
 
 と言う。
 
 
 

第九段 薫、宇治の三姉妹の運命を思う

 
   「なみなみの人めきて、心地なのさまや」ともの憂ければ、  「世間並の扱いのようで、失礼ではないか」と気が進まないので、
   「もとより思し捨つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほし尋ねむなむうれしかるべき。
 疎々しう人伝てなどにてもてなさせたまはば、えこそ」
 「もともと見捨てられない間柄としてよりも、今はそれ以上に、何か必要なことにつけても、お声をかけてくださったら嬉しく存じます。
 よそよそしく人を介してなどでしたら、とてもお伺いできません」
   とのたまふに、「げに」と、思ひ騷ぎて、君をひきゆるがすめれば、  とおっしゃるので、「おっしゃるとおりだ」と、あわてて気づいて、宮の君を揺さぶるらしいので、
   「松も昔のとのみ、眺めらるるにも、もとよりなどのたまふ筋は、まめやかに頼もしうこそは」  「松も昔の知る人もいないとばかりに、つい物思いに沈んでしまいますにつけても、もとからの縁などとおっしゃる事は、ほんとうに頼もしく存じられます」
   と、人伝てともなく言ひなしたまへる声、いと若やかに愛敬づき、やさしきところ添ひたり。
 「ただなべてのかかる住処の人と思はば、いとをかしかるべきを、ただ今は、いかでかばかりも、人に声聞かすべきものとならひたまひけむ」と、なまうしろめたし。
 「容貌もいとなまめかしからむかし」と、見まほしきけはひのしたるを、「この人ぞ、また例の、かの御心乱るべきつまなめると、をかしうも、ありがたの世や」と思ひゐたまへり。
 
 と、人を介してというのでなくおっしゃる声、まことに若々しく愛嬌があって、やさしい感じが具わっていた。
 「ただ普通のこのような局住まいをする人と思へば、とても趣があるにちがいないが、ただ今では、どうしてほんのわずかでも、人に声を聞かせてよいという立場に馴れておしまいになったのだろう」と、何となく気になる。
 「容貌などもとても優美であろう」と、見たい感じがしているが、「この人は、また例によって、あの方のお心を掻き乱す種になるにちがいなかろうと、興味深くもあり、めったにいないものだ」とも思っていらっしゃった。
 
   「これこそは、限りなき人のかしづき生ほしたてたまへる姫君。
 また、かばかりぞ多くはあるべき。
 あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人びとの、かたほなるはなかりけるこそ。
 この、はかなしや、軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか」
 「この方こそは、貴いご身分の父宮が大切にお世話して成人させなさった姫君だ。
 また、この程度の女なら他にもそう多くいよう。
 不思議であったことは、あの聖の近辺に、宇治の山里に育った姫君たちで、難のある方はいなかったことだ。
 この、頼りないな、軽率だな、などと思われる女も、このようにちょっと会った感じでは、たいそう風情があったものだ」
   と、何事につけても、ただかの一つゆかりをぞ思ひ出でたまひける。
 あやしう、つらかりける契りどもを、つくづくと思ひ続け眺めたまふ夕暮、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、
 と、何事につけても、ただあのご一族の方をお思い出しなさるのであった。
 不思議と、またつらい縁であった一つ一つを、つくづくと思い出し物思いにふけっていらっしゃる夕暮に、蜻蛉が頼りなさそうに飛び交っているのを、
 

766
 「ありと見て 手にはとられず 見ればまた
 行方も知らず 消えし蜻蛉
 「そこにいると見ても、手には取ることのできない
  見えたと思うとまた行く方知れず消えてしまった蜻蛉だ
 
   あるか、なきかの」  あるのか、ないのか」
   と、例の、独りごちたまふ、とかや。
 
 と、例によって、独り言をおっしゃった、とか。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 わぎもこが来ても寄り立つ真木柱そも睦ましやゆかりと思へば(源氏釈所引-出典未詳)(戻)  
  出典2 人非木石皆有情 不如不遇傾城色<人木石に非ざれば皆情有り 傾城の色に遇はざるに如かず>(白氏文集巻四-一六〇 李夫人)(戻)  
  出典3 亡き人の宿に通はばほととぎすかけて音にのみ鳴くと告げなむ(古今集哀傷-八五五 読人しらず)(戻)  
  出典4 しでの山越えて来つらむほととぎす恋しき人の上語らなむ(拾遺集哀傷-一三〇七 伊勢)(戻)  
  出典5 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集夏-一三九 読人しらず)(戻)  
  出典6 世の中の憂きたびごとに身をば投げば深き谷こそ浅くなりなめ(古今集俳諧-一〇六一 読人しらず)(戻)  
  出典7 今日今日と我が待つ君は石川の貝に混じてありといはずやも(万葉集巻二-二二四 依羅娘子)(戻)  
  出典8 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典9 女郎花多かる野辺に宿りせばあやなくあだの名をや立ちなむ(古今集秋上-二二九 小野美材)(戻)  
  出典10 大抵四時心惣苦 就中腸断是秋天<大抵(おおむね)四時心惣(すべ)て苦し 中に就いて腸(はらわた)断ゆるは是れ秋の天>(白氏文集巻十四-七九〇 暮立)(戻)  
  出典11 故故将繊手 時時小絃 耳聞猶気絶 眼見若為怜(遊仙窟)(戻)  
  出典12 気調如兄 崔季珪之小妹(遊仙窟)(戻)  
  出典13 容貌似舅 潘安仁之外甥(遊仙窟)(戻)  
  出典14 思ふてふ言より外にまたもがな君一人をばわきて偲ばむ(古今六帖五-二六四〇)(戻)  
  出典15 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに(古今集雑上-九〇九 藤原興風)(戻)  
  出典16 ありと見て頼むぞかたきかげろふのいつとも知らぬ身とは知る知る(古今六帖一-八二五)手に取れどたえて取られぬかげろふの移ろひやすき君が心よ(古今六帖一-八二八)(戻)  
  出典17 たとへてもはかなきものはかげろふのあるかなきかの世にこそありけれ(源氏釈所引-出典未詳)世の中と思ひしものをかげろふのあるかなきかの世にこそありけれ(古今六帖一-八二〇)あはれとも憂しともいはじかげろふのあるかなきかに消ぬる世なれば(後撰集雑二-一一九一 読人しらず)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 見とがめ--見とり(り/#か)め(戻)  
  校訂2 時方--とち(ち/#き)かた(戻)  
  校訂3 こそ--う(う/#こ)そ(戻)  
  校訂4 思ひきこえ--*思ひきえ(戻)  
  校訂5 世づかず--よろ(ろ/#つ)かす(戻)  
  校訂6 疎ましく--こ(こ/#う)とましく(戻)  
  校訂7 起こさせ--おう(う/#こ)させ(戻)  
  校訂8 読経--とら(ら/#経)(戻)  
  校訂9 独りごち--ひとりう(う/#こ)ち(戻)  
  校訂10 眺めたまふ--なかめの(の/$給)(戻)  
  校訂11 心強き--い(い/#心)つよき(戻)  
  校訂12 たまはぬ--給はね(ね/#ぬ)(戻)  
  校訂13 裳は--も(も/+は<朱>)(戻)  
  校訂14 さまに--さる(る/#ま<朱>)に(戻)  
  校訂15 うたて--み(み/#う<朱>)たて(戻)  
  校訂16 見めぐらし--見(見/+め)くらし(戻)  
  校訂17 ことを--(/+こ<朱>)とを(戻)  
  校訂18 言葉に--ことはる(はる/$はに<朱>)(戻)  
  校訂19 長く--なかう(う/$く)(戻)  
  校訂20 捨てて亡せ--すてみ(み/#てう<朱>)せ(戻)  
  校訂21 心強く--心つよき(き/#く)(戻)  
  校訂22 見し--*みえし(戻)  
  校訂23 僧の中--そ(そ/+う<朱>)の中(戻)  
  校訂24 着替へ--き(き/+かへ)(戻)  
  校訂25 障子--御(御/#)さうし(戻)  
  校訂26 来に来れば--きにけ(け/#く)れは(戻)  
  校訂27 右の大殿--左右(左右/#右)の大殿(戻)  
  校訂28 障子--さう/\(/\/$し<朱>)(戻)  
  校訂29 ものせさせたまはなむ--ものせさせ(せ/+給イ)はなむ(戻)  
  校訂30 数まへさせ--かすまへ(へ/+させ)(戻)  
  校訂31 甥の君たち--おも(も/#)ひの君たち(戻)  
  校訂32 こそ--に(に/$こ<朱>)そ(戻)  
  校訂33 小宰相--こさ(さ/+い<朱>)将(戻)  
  校訂34 らるかし--らる(る/+か)し(戻)  
  校訂35 また--さ(さ/#ま<朱>)た(戻)  
  校訂36 いみじや--(/+いみしや<朱>)(戻)  
  校訂37 かならず--かなら(ら/+す<朱>)(戻)  
  校訂38 言ひなし--(/+いひ<朱>)なし(戻)  
  校訂39 思ひゐたまへり--思ひ(ひ/+ゐ<朱>)給へり(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。