枕草子9段 うへに候ふ御猫は

大進生昌 枕草子
上巻上
9段
うへに候ふ御猫は
正月一日、三月三日は

(旧)大系:9段
新大系:6段、新編全集:7段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:7段
 


 
 うへに候ふ御猫は、かうぶりにて命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬命婦、「あな、まさなや。入り給へ」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁丸、いづら。命婦のおとど食へ」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾のうちに入りぬ。
 

 朝餉のおまへに、上おはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。猫を御ふところに入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆、なりなか参りたれば、「この翁丸打ち調じて、犬島へつかはせ。ただいま」と仰せらるれば、集まり狩りさわぐ。馬命婦をもさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして追ひつかはしつ。
 

 「あはれ、いみじうゆるぎありきつるものを。三月三日、頭の弁の、柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜腰にさしなどしてありかせ給ひしをり、かかる目見むとは思はざりけむ」などあはれがる。「御膳のをりは、必ず向かひ候ふに、さうざうしうこそあれ」など言ひて、三四日になりぬる、昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむ、と聞くに、よろづの犬とぶらひ見に行く。
 

 御厠人なる者走り来て、「あな、いみじ。犬を蔵人二人して打ち給ふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、帰り参りたるとて調じ給ふ」と言ふ。心憂のことや、翁丸なり。「忠隆、実房なんど打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみ、「死にければ、陣の外にひき捨てつ」と言ヘば、あはれがりなどする、夕つ方、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、「翁丸か。このごろかかる犬やはありく」と言ふに、「翁丸」と言ヘど、聞きも入れず。「それ」とも言ひ、「あらず」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ」とて召せば、参りたり。「これは翁丸か」と見せさせ給ふ。「似ては侍れど、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また、『翁丸か。』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、『打ち殺して捨て侍りぬ。』とこそ申しつれ。二人して打たむには、侍りなむや」など申せば、心憂がらせ給ふ。
 

 暗うなりて、物食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬる、つとめて、御けづり髪・御手水など参りて、御鏡を持たせさせ給ひて御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとにゐたるを見やりて、「あはれ、きのふ翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしきここちしけむ」とうち言ふに、このゐたる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。さは翁丸にこそはありけれ、昨夜は隠れ忍びてあるなりけり、と、あはれにそへてをかしきことかぎりなし。
 

 御鏡うち置きて、「さは翁丸か」と言ふに、ひれ伏していみじう泣く。御前にもいみじうおち笑はせ給ふ。右近の内侍召して、「かくなむ」と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞こしめして渡りおはしましたり。「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり」と笑はせ給ふ。うへの女房なども、聞きて参り集まりて、呼ぶにも今ぞ立ち動く。「なほこの顔などの腫れたる、物のてをせさせばや」と言へば、「つひにこれをいひあらはしつること」など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにや侍らむ。かれ見侍らむ」と言ひたれば、「あな、ゆゆし。さらに、さるものなし」と言はすれば、「さりとも、見つくるをりも侍らむ。さのみもえ隠させ給はじ」と言ふ。
 

 さて、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて、ふるひ泣き出でたりしこそ、よに知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。