古事記 雄略陵の堀~原文対訳

猪甘老人再び 古事記
下巻⑧
23代 顕宗天皇
雄略陵の堀
顕宗天皇陵
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
天皇。  天皇、  天皇、
深怨
殺其父王之
大長谷天皇。
その父王を殺したまひし
大長谷おほはつせの天皇を
深く怨みまつりて、
その父君をお殺しになつた
オホハツセの天皇を
深くお怨み申し上げて、
欲報
其靈。
その御靈に
報いむと
思ほしき。
天皇の御靈に
仇を報いようと
お思いになりました。
     
故欲毀
其大長谷天皇之
御陵而。
かれ
その大長谷の天皇の
御陵を毀やぶらむと
思ほして、
依つて
そのオホハツセの天皇の
御陵を毀やぶろうと
お思いになつて
遣人之時。 人を遣す時に、 人を遣わしました時に、
其伊呂兄。
意意祁命
奏言。
その同母兄いろせ
意祁おけの命
奏して言まをさく、
兄君の
オケの命の
申されますには、
破壞是御陵。 「この御陵を壞らむには、 「この御陵を破壞するには
不可遣他人。 他あだし人を遣すべからず。 他の人を遣つてはいけません。
專僕自行。 もはら僕みづから行きて、 わたくしが自分で行つて
如天皇之御心。 大君の御心のごと 陛下の御心の通りに
破壞以參出。 壞やぶりてまゐ出む」
とまをしたまひき。
毀して參りましよう」
と申し上げました。
     
爾天皇詔。 ここに天皇、 そこで天皇は、
然隨命
宜幸行。
「然らば
命のまにまにいでませ」
と詔りたまひき。
「それならば、
お言葉通りに行つていらつしやい」
と仰せられました。
是以意祁命。 ここを以ちて意祁おけの命、 そこでオケの命が
自下幸而。 みづから下りいでまして、 御自身で下つておいでになつて、
少掘
其御陵之傍。
その御陵の傍かたへを
少し掘りて
御陵の傍を
少し掘つて
還上。 還り上らして、 還つてお上りになつて、
復奏言。 復奏かへりごとして言まをさく、  
既掘壞也。 「既に掘り壞りぬ」
とまをしたまひき。
「すつかり掘り壞やぶりました」
と申されました。
     
爾天皇。 ここに天皇、 そこで天皇が

其早
還上而。
その早く
還り上りませることを
怪みまして、
その早く
還つてお上りになつたことを
怪しんで、
詔。
如何破壞。
「如何いかさまに壞りたまひつる」
と詔りたまへば、
「どのようにお壞りなさいましたか」
と仰せられましたから、
答白。 答へて白さく、  
少掘其陵之傍土。 「その御陵の傍の土を少し掘りつ」
とまをしたまひき。
「御陵の傍の土を少し掘りました」
と申しました。
     

オケの戒め

     
天皇詔之。 天皇詔りたまはく、 天皇の仰せられますには、
欲報
父王之仇。
「父王ちちみこの仇を
報いまつらむと思へば、
「父上の仇を
報ずるようにと思いますので、
必悉破壞
其陵。
かならずその御陵を
悉ことごとに壞りなむを。
かならずあの御陵を
悉くこわすべきであるのを、

少掘乎。
何とかも
少しく掘りたまひつる」
と詔りたまひしかば、
どうして
少しお掘りになつたのですか」
と仰せられましたから、
     
答曰。 答へて曰さく、 申されますには
所以爲然者。 「然しつる故は、 「かようにしましたわけは、
父王之怨。 父王の仇を、 父上の仇を
欲報
其靈。
その御靈に
報いむと思ほすは、
その御靈に
報いようとお思いになるのは
是誠理也。 誠に理ことわりなり。 誠に道理であります。
然其
大長谷天皇者。
然れどもその
大長谷の天皇は、
しかし
オホハツセの天皇は、
雖爲父之怨。 父の仇にはあれども、 父上の仇ではありますけれども、
還爲
我之從父。
還りては
我が從父をぢにまし、
一面は
叔父でもあり、
亦治天下之
天皇。
また天の下治らしめしし
天皇にますを、
また天下をお治めなさつた
天皇でありますのを、
是今單取
父仇之志。
今單ひとへに
父の仇といふ志を取りて、
今もつぱら
父の仇という事ばかりを取つて、
悉破治
天下之
天皇陵者。
天の下治らしめしし
天皇の御陵を
悉に壞りなば、
天下をお治めなさいました
天皇の御陵を
悉く壞しましたなら、
後人
必誹謗。
後の人
かならず誹そしりまつらむ。
後の世の人が
きつとお誹り申し上げるでしよう。
     
唯父王之仇。 ただ、父王の仇は、 しかし父上の仇は
不可非報。 報いずはあるべからず。 報いないではいられません。
故少掘
其陵邊。
かれその御陵の邊を
少しく掘りつ。
それであの御陵の邊を
少し掘りましたから、
既以是恥。 既にかく恥かしめまつれば、  

示後世。
後の世に示すにも
足りなむ」と、
これで後の世に示すにも
足りましよう」
如此奏者。 かくまをしたまひしかば、 とかように申しましたから、
     
天皇答詔之。 天皇、答へ詔りたまはく、 天皇は
是亦大理。 「こもいと理なり。 「それも道理です。
如命可也。 命みことの如くて可よし」
と詔りたまひき。
お言葉の通りでよろしい」
と仰せられました。
     
故天皇
崩。
かれ天皇
崩りまして、
かくて天皇が
お隱かくれになつてから、
即意祁命。 すなはち意富祁おほけの命、 オケの命が、
知天津日繼。 天つ日繼知らしめき。 帝位にお即つきになりました。
猪甘老人再び 古事記
下巻⑧
23代 顕宗天皇
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顕宗天皇陵