源氏物語 40帖 御法:あらすじ・目次・原文対訳

夕霧 源氏物語
第二部
第40帖
御法

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 御法(みのり)のあらすじ

 光源氏51歳三月から八月までの話。

 紫の上はあの大病以来、体調が優れることがない。しきりに出家〔〕を望むが、源氏は許そうとしない。

 三月十日、紫の上発願の法華経千部の供養が二条院で盛大に行われた。明石の御方花散里も訪れ、紫の上はこれが最後と別れを惜しむ。

 夏になると紫の上の容態はいっそう悪くなり、明石の中宮も養母の見舞いのため里帰りしてくる。紫の上は可愛がっていた孫の三の宮(匂宮)に、庭の桜を自分の代わりに愛でて時折仏にも供えて欲しい、とそれとなく遺言する。

 風の強い秋の夕暮れ、明石の中宮が紫の上の病床を訪れて、源氏も加わって歌を詠み交わす。その直後紫の上は容態を崩し、中宮に手を取られながら、露のように儚く明け方に息を引き取った。

 悲しみのあまり源氏は紫の上から一切離れようとせず、代わりに葬儀全般を取り仕切ることになった夕霧が覗きに来ても隠そうともしない。その死顔は、生前よりもこの上なく美しく見えた。

 亡くなったのは八月十四日で、亡骸はその日のうちに荼毘に付された。翌朝八月十五日に葬送が取り行われ、致仕大臣〔かつての頭中将〕、秋好中宮〔かつての伊勢斎宮〕など多くの人から弔問があった。源氏は世間体を気にして出家の気持ちをこらえ、その日その日を過ごすのだった。

(以上Wikipedia御法より。色づけと〔〕は本ページ)

 注:ここで出家とされるが、この場合は文字通り家を出て、静かな山に籠って最期を迎えたいということ(後の八の宮と同じ)。
 それが35若菜下で、紫が厄年という理由で突如一度死んだ文脈。本巻での文脈も、ただひたすら死にそう(一章一段)。
 解釈はその部分だけではなく、大きな文脈に即さなければならない。42巻で「光隠れたまひにし」とあるから、隠居して世間を離れて死ぬこと。
 

目次
和歌抜粋内訳#御法(12首:別ページ)
主要登場人物
 
第40帖 御法(みのり)
 光る源氏の准太上天皇時代
 五十一歳三月から八月までの物語
 
第一章 紫の上の物語
 死期間近き春から夏の物語
 第一段 紫の上、出家を願うが許されず
 第二段 二条院の法華経供養
 第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答
 第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答
 第五段 紫の上、明石中宮と対面
 第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉
 
第二章 紫の上の物語
 紫の上の死と葬儀
 第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける
 第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す
 第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る
 第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る
 第五段 紫の上の葬儀
 
第三章 光る源氏の物語
 源氏の悲嘆と弔問客たち
 第一段 源氏の悲嘆と弔問客
 第二段 帝、致仕大臣の弔問
 第三段 秋好中宮の弔問
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
五十一歳
呼称:六条の院・院
紫の上(むらさきのうえ)
源氏の正妻
呼称:女君・上・婆
今上帝(きんじょうてい)
朱雀院の御子
呼称:内裏・内裏の上
匂宮(におうのみや)
今上帝の第三親王
呼称:三の宮・宮
明石の中宮(あかしのちゅうぐう)
今上帝の后
呼称:后の宮・中宮・宮
明石の御方(あかしのおおんかた)
源氏の妻
呼称:明石の御方・明石
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
冷泉院の后
呼称:冷泉院の后の宮
致仕大臣(ちぢのおとど)
源氏の従兄弟
呼称:大臣
夕霧(ゆうぎり)
源氏の長男
呼称:大将の君・大将・君
花散里(はなちるさと)
源氏の妻
呼称:花散里の御方

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  御法(みのり)
 
 

第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語

 
 

第一段 紫の上、出家を願うが許されず

 
   紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後、いと篤しくなりたまひて、そこはかとなく悩みわたりたまふこと久しくなりぬ。
 
 紫の上、ひどくお患いになったご病気の後、とても衰弱がひどくおなりになって、どこそこがお悪いというのでなくご気分がすぐれない状態が長くなった。
 
   いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、頼もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、院の思ほし嘆くこと、限りなし。
 しばしにても後れきこえたまはむことをば、いみじかるべく思し、みづからの御心地には、この世に飽かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思されぬを、年ごろの御契りかけ離れ、思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人知れぬ御心のうちにも、ものあはれに思されける。
 後の世のためにと、尊きことどもを多くせさせたまひつつ、「いかでなほ本意あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは、行ひを紛れなく」と、たゆみなく思しのたまへど、さらに許しきこえたまはず。
 
 たいして重病ではないが、年月が重なるので、頼りなさそうに、ますます衰弱をお増しになったのを、院がご心痛になること、この上ない。
 少しの間でも先立たれ申されることは、堪えがたくお思いになり、ご自身のお気持ちは、この世に何の不足なこともなく、気がかりな子供たちさえおいででないお身の上なので、無理に生き残っていたいお命ともお思いなされないのだが、長年のご夫婦の縁を別れ、ご悲嘆申させるだろうことだけが、人知れず心の中でも、何となく悲しく思われなさるのであった。
 来世のためにと、尊い仏事を数多くなさりながら、「何とかしてやはり出家の本願を遂げて、暫くの間でも生きている命の限りは、勤行を一途に行いたい」と、いつもお思いになりお願いなさるが、まったくお許し申し上げなさらない。
 
   さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねむごろに思ひたまへるついでにもよほされて、同じ道にも入りなむと思せど、一度、家を出でたまひなば、仮にもこの世を顧みむとは思しおきてず、後の世には、同じ蓮の座をも分けむと、契り交はしきこえたまひて、頼みをかけたまふ御仲なれど、ここながら勤めたまはむほどは、同じ山なりとも、峰を隔てて、あひ見たてまつらぬ住み処にかけ離れなむことをのみ思しまうけたるに、かくいと頼もしげなきさまに悩み篤いたまへば、いと心苦しき御ありさまを、今はと行き離れむきざみには捨てがたく、なかなか、山水の住み処濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさへたる、思ひのままの道心起こす人びとには、こよなう後れたまひぬべかめり。
 
 そうは言うものの、ご自分のお気持ちにも、そのようにご決心なさっていることなので、このように熱心に思っていらっしゃる機会に促されて、一緒に出家生活に入ろうとお思いになるが、一度、出家をなさったらば、仮にもこの世の事を顧みようとはお思いにならず、来世では、一つの蓮の座を分け合おうと、お約束申し上げなさって、頼りにしていらっしゃるご夫婦仲であるが、この世のままで勤行なさる間は、同じ奥山であっても、峰を隔てて、お互いに顔を会わせない住まいで離れて生活することばかりをお考えになっていたので、このようにとても頼りない状態で病が篤くなってゆかれるので、とてもお気の毒なご様子を、いよいよ出家しようという時機には捨てることができず、かえって、山水の清い生活も濁ってしまいそうで、ぐずぐずしていらっしゃるうちに、ほんの浅い考えで、思うまま出家心を起こす人々に比べて、すっかり後れを取っておしまいになりそうである。
 
   御許しなくて、心一つに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、このことによりてぞ、女君は、恨めしく思ひきこえたまひける。
 わが御身をも、罪軽かるまじきにやと、うしろめたく思されけり。
 
 お許しがなくて、一存でご決心なさるのも、体裁が悪く不本意のようなので、この一事によって、女君は、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。
 ご自身でも、罪障が浅くない身の上ゆえかと、気がかりに思わずにはいらっしゃれないのであった。
 
 
 

第二段 二条院の法華経供養

 
   年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける『法華経』千部、いそぎて供養じたまふ。
 わが御殿と思す二条院にてぞしたまひける。
 七僧の法服など、品々賜はす。
 物の色、縫ひ目よりはじめて、きよらなること、限りなし。
 おほかた何ごとも、いといかめしきわざどもをせられたり。
 
 長年、私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、急いでご供養なさる。
 ご自身のお邸とお思いの二条院で催されるのであった。
 七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。
 法服の染色や、仕立て方をはじめとして、美しいこと、この上ない。
 だいたいどのようなことに対しても、実にご荘厳な法会を催された。
 
   ことことしきさまにも聞こえたまはざりければ、詳しきことどもも知らせたまはざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひたまひける御心のほどなどを、院はいと限りなしと見たてまつりたまひて、ただおほかたの御しつらひ、何かのことばかりをなむ、営ませたまひける。
 楽人、舞人などのことは、大将の君、取り分きて仕うまつりたまふ。
 
 大層な催しには致されなかったので、詳細な事柄はお教えなさらなかったのに、女性のお指図としては行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお心のほどなどを、院はまことにこの上ない方だと感心なさって、ただ大体のお飾り、何やかのことだけを、お世話なさるのであった。
 楽人、舞人などのことは、大将の君が特別にお世話を申し上げなさる。
 
   内裏、春宮、后の宮たちをはじめたてまつりて、御方々、ここかしこに御誦経、捧物などばかりのことをうちしたまふだに所狭きに、まして、そのころ、この御いそぎを仕うまつらぬ所なければ、いとこちたきことどもあり。
 「いつのほどに、いとかくいろいろ思しまうけけむ。
 げに、石上の世々経たる御願にや」とぞ見えたる。
 
 帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して、ご夫人方が、それぞれ御誦経、捧げ物など程度のことをご寄進なさるのでさえ所狭しなのに、それ以上に、その当時は、このご準備のご用をお務めしない人がないので、たいそう物々しいことがあれこれとある。
 「いつのまに、とてもこのようにいろいろとご用意なさったのであろう。
 なるほど、古い昔からの御願であろうか」と見えた。
 
   花散里と聞こえし御方、明石なども渡りたまへり。
 南東の戸を開けておはします。
 寝殿の西の塗籠なりけり。
 北の廂に、方々の御局どもは、障子ばかりを隔てつつしたり。
 
 花散里と申し上げた御方、明石などもお越しになった。
 東南の妻戸を開けていらっしゃる。
 寝殿の西の塗籠であった。
 北の廂に、御方々のお席は、襖障子だけを仕切って設えてあった。
 
 
 

第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答

 
   三月の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなり。
 深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。
 薪こる讃嘆の声も、そこら集ひたる響き、おどろおどろしきを、うち休みて静まりたるほどだにあはれに思さるるを、まして、このころとなりては、何ごとにつけても、心細くのみ思し知る。
 明石の御方に、三の宮して、聞こえたまへる。
 
 三月の十日なので、花盛りで、空の様子なども、うららかで興趣あり、仏のいらっしゃる極楽浄土の有様が、身近に想像されて、格別である。
 信心のない人までが、罪障がなくなりそうである。
 薪こる行道の声も、大勢集い響き、あたりをゆるがすが、声が中断して静かになった時でさえしみじみ寂しく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、最近になっては、何につけても、心細くばかりお感じになられる。
 明石の御方に、三の宮を使いにして、申し上げなさる。
 
 

552
 「惜しからぬ この身ながらも かぎりとて
 薪尽きなむ ことの悲しさ」
〔紫上〕「惜しくもないこの身ですが、これを最後として
薪〔命の火種〕の尽きることを思うと悲しうございます」
 
   御返り、心細き筋は、後の聞こえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。
 
 お返事は、心細い歌意のことは、後の非難も気にかかったのであろうか、当り障りのない詠みぶりであったようだ。
 
 

553
 「薪こる 思ひは今日を 初めにて
 この世に願ふ 法ぞはるけき」
 〔明石〕「仏道〔行道→逝く道〕への思いは今日を初めの日として
この世で願う〔法の理解は遥か彼方に〕仏法のために千年も祈り続けられることでしょう」
 
   夜もすがら、尊きことにうち合はせたる鼓の声、絶えずおもしろし。
 ほのぼのと明けゆく朝ぼらけ、霞の間より見えたる花の色々、なほ春に心とまりぬべく匂ひわたりて、百千鳥のさへづりも、笛の音に劣らぬ心地して、もののあはれもおもしろさも残らぬほどに、陵王の舞ひ手急になるほどの末つ方の楽、はなやかににぎははしく聞こゆるに、皆人の脱ぎかけたるものの色々なども、もののをりからにをかしうのみ見ゆ。
 
 一晩中、尊い読経の声に合わせた鼓の音、鳴り続けておもしろい。
 ほのぼのと夜が明けてゆく朝焼けに、霞の間から見えるさまざまな花の色が、なおも春に心がとまりそうに咲き匂っていて、百千鳥の囀りも、笛の音に負けない感じがして、しみじみとした情趣も感興もここに極まるといった感じで、陵王の舞が急の調べにさしかかった最後のほうの楽、はなやかに賑やかに聞こえるので、一座の人々が脱いで掛けていた衣装のさまざまな色なども、折からの情景に美しく見える。
 
   親王たち、上達部の中にも、ものの上手ども、手残さず遊びたまふ。
 上下心地よげに、興あるけしきどもなるを見たまふにも、残り少なしと身を思したる御心のうちには、よろづのことあはれにおぼえたまふ。
 
 親王たち、上達部の中でも、音楽の上手な方々は、技を尽くして演奏なさる。
 身分の上下に関わらず気持ちよさそうに、うち興じている様子を御覧になるにも、余命少ないと身をお思いになっていらっしゃるお心の中には、万事がしみじみと悲しく思われなさる。
 
 
 

第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答

 
   昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや、いと苦しうして臥したまへり。
 年ごろ、かかるものの折ごとに、参り集ひ遊びたまふ人びとの御容貌ありさまの、おのがじし才ども、琴笛の音をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。
 
 昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。
 長年、このような機会ごとに、参集して音楽をなさる方々のご容貌や態度が、それぞれの才能、琴笛の音色をも、今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろう、とばかりお思いなさるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔も、しみじみと一人一人に目が自然とお止まりになる。
 
   まして、夏冬の時につけたる遊び戯れにも、なま挑ましき下の心は、おのづから立ちまじりもすらめど、さすがに情けを交はしたまふ方々は、誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我一人行方知らずなりなむを思し続くる、いみじうあはれなり。
 
 それ以上に、夏冬の四季折々の音楽会や遊びなどにも、何となく張り合う気持ちは、自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々は、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分独りが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。
 
   こと果てて、おのがじし帰りたまひなむとするも、遠き別れめきて惜しまる。
 花散里の御方に、
 法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。
 花散里の御方に、
 

554
 「絶えぬべき 御法ながらぞ 頼まるる
 世々にと結ぶ 中の契りを」
〔紫上〕「これが最後と思われます法会〔実り=願いの成就〕ですが、頼もしく思われます
 生々世々にかけてと結んだあなたとの縁を」
 
   御返り、  お返事は、
 

555
 「結びおく 契りは絶えじ おほかたの
 残りすくなき 御法なりとも」
〔花散里〕「あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう
普通の人には残り少ない命とて、多くは催せない法会〔実り=願いの成就〕でしょうとも」
 
   やがて、このついでに、不断の読経、懺法など、たゆみなく、尊きことどもせさせたまふ。
 御修法は、ことなるしるしも見えでほども経ぬれば、例のことになりて、うちはへさるべき所々、寺々にてぞせさせたまひける。
 
 引き続き、この機会に、不断の読経や、懺法などを、怠りなく、尊い仏事の数々をおさせになる。
 御修法は、格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。
 
 
 

第五段 紫の上、明石中宮と対面

 
   夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入りたまひぬべき折々多かり。
 そのことと、おどろおどろしからぬ御心地なれど、ただいと弱きさまになりたまへば、むつかしげに所狭く悩みたまふこともなし。
 さぶらふ人びとも、いかにおはしまさむとするにか、と思ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう悲しき御ありさまと見たてまつる。
 
 夏になってからは、いつもの暑さでさえ、ますます意識を失っておしまいになりそうな時々が多かった。
 どこといって、特に苦しんだりなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになったので、いかにも病人めいてたいそうにお悩みになることもない。
 伺候している女房たちも、この先どうおなりになるのだろうか、と思うにつけても、もう目の前がまっくらになって、もったいなくも悲しいご様子と拝する。
 
   かくのみおはすれば、中宮、この院にまかでさせたまふ。
 東の対におはしますべければ、こなたにはた待ちきこえたまふ。
 儀式など、例に変らねど、この世のありさまを見果てずなりぬるなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり。
 名対面を聞きたまふにも、その人、かの人など、耳とどめて聞かれたまふ。
 上達部など、いと多く仕うまつりたまへり。
 
 こうした状態ばかりでいらっしゃるので、中宮が、この二条院に御退出あそばされる。
 東の対に御滞在あそばす予定なので、こちらでお待ち申し上げていらっしゃる。
 儀式など、いつもと変わらないが、この世の作法もこれが見納めだろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。
 名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。
 
   久しき御対面のとだえを、めづらしく思して、御物語こまやかに聞こえたまふ。
 院入りたまひて、
 上達部なども大勢供奉なさっていた。
 久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。
 院がお入りになって、
   「今宵は、巣離れたる心地して、無徳なりや。
 まかりて休みはべらむ」
 「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですね。
 退出して寝るとしよう」
   とて、渡りたまひぬ。
 起きゐたまへるを、いとうれしと思したるも、いとはかなきほどの御慰めなり。
 
 と言って、お帰りになってしまった。
 起きていらっしゃるのを、嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。
 
   「方々におはしましては、あなたに渡らせたまはむもかたじけなし。
 参らむこと、はたわりなくなりにてはべれば」
 「別々のお部屋にいらっしゃったのでは、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。
 お伺いすること、それもできにくくなってしまいましたので」
   とて、しばらくはこなたにおはすれば、明石の御方も渡りたまひて、心深げにしづまりたる御物語ども聞こえ交はしたまふ。
 
 と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。
 
 
 

第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉

 
   上は、御心のうちに思しめぐらすこと多かれど、さかしげに、亡からむ後などのたまひ出づることもなし。
 ただなべての世の常なきありさまを、おほどかに言少ななるものから、あさはかにはあらずのたまひなしたるけはひなどぞ、言に出でたらむよりもあはれに、もの心細き御けしきは、しるう見えける。
 宮たちを見たてまつりたまうても、
 紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。
 ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。
 宮たちを拝見なさっても、
   「おのおのの御行く末を、ゆかしく思ひきこえけるこそ、かくはかなかりける身を惜しむ心のまじりけるにや」  「それぞれのご将来を、見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」
   とて、涙ぐみたまへる御顔の匂ひ、いみじうをかしげなり。
 「などかうのみ思したらむ」と思すに、中宮、うち泣きたまひぬ。
 ゆゆしげになどは聞こえなしたまはず、もののついでなどにぞ、年ごろ仕うまつり馴れたる人びとの、ことなるよるべなういとほしげなる、この人、かの人、
 と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の美しさ、素晴らしく見事である。
 「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は、思わずお泣きになってしまった。
 縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな、この人、あの人を、
   「はべらずなりなむ後に、御心とどめて、尋ね思ほせ」  「私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」
   などばかり聞こえたまひける。
 御読経などによりてぞ、例のわが御方に渡りたまふ。
 
 などとだけ申し上げなさるのであった。
 御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
 
   三の宮は、あまたの御中に、いとをかしげにて歩きたまふを、御心地の隙には、前に据ゑたてまつりたまひて、人の聞かぬ間に、  三の宮は、大勢の皇子たちの中で、とてもかわいらしくお歩きになるのを、ご気分の好い間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
   「まろがはべらざらむに、思し出でなむや」  「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」
   と聞こえたまへば、  とお尋ね申し上げなさると、
   「いと恋しかりなむ。
 まろは、内裏の上よりも宮よりも、婆をこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは、心地むつかしかりなむ」
 「きっととても恋しいことでしょう。
 わたしは、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなくなったら、機嫌が悪くなりますよ」
   とて、目おしすりて紛らはしたまへるさま、をかしければ、ほほ笑みながら涙は落ちぬ。
 
 と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子、いじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
 
   「大人になりたまひなば、ここに住みたまひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花の折々に、心とどめてもて遊びたまへ。
 さるべからむ折は、仏にもたてまつりたまへ」
 「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には、大切にご鑑賞なさい。
 何かの折には、仏前にもお供えください」
   と聞こえたまへば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ。
 取り分きて生ほしたてまつりたまへれば、この宮と姫宮とをぞ、見さしきこえたまはむこと、口惜しくあはれに思されける。
 
 と申し上げなさると、こっくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので、立って行っておしまいになった。
 特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。
 
 
 

第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀

 
 

第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける

 
   秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かことがまし。
 さるは、身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐしたまふ。
 
 ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは、ご気分も少しはさわやかになったようであるが、やはりどうかすると、何かにつけ悪くなることがある。
 といっても、身にしみるほどに思われなさる秋風ではないが、涙でしめりがちな日々をお過ごしになる。
 
   中宮は、参りたまひなむとするを、今しばしは御覧ぜよとも、聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏の御使の隙なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。
 
 中宮は、宮中に参内なさろうとするのを、もう暫くは御逗留をとも、申し上げたくお思いになるが、差し出がましいような気がし、宮中からのお使いがひっきりなしに見えるのも厄介なので、そのようにはお申し上げなさらず、あちらにもお渡りになることができないので、中宮がお越しなさった。
 
   かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。
 「こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ」と、来し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の薫りにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひたまへるけしき、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。
 
 恐れ多いことであるが、いかにもお目にかからずには張り合いがないということで、こちらに御座所を特別に設えさせなさる。
 「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、こうしても、高貴で優美でいらっしゃることの限りなさも一段と素晴らしく見事である」と、今まで匂い満ちて華やかでいらっしゃった女盛りは、かえってこの世の花の香にも喩えられていらっしゃったが、この上もなく可憐で美しいご様子で、まことにかりそめの世と思っていらっしゃる様子、他に似るものもなくおいたわしく、何となく物悲しい。
 
 
 

第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す

 
   風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息に寄りゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、  風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、
   「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。
 この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」
 「今日は、とても具合好く起きていらっしゃいますね。
 この御前では、すっかりご気分も晴れ晴れなさるようですね」
   と聞こえたまふ。
 かばかりの隙あるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを見たまふも、心苦しく、「つひに、いかに思し騒がむ」と思ふに、あはれなれば、
 と申し上げなさる。
 この程度の気分の好い時があるのをも、まことに嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのも、おいたわしく、「とうとう最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、
 

556
 「おくと見る ほどぞはかなき ともすれば
 風に乱るる 萩のうは露」
 「起きていると見えますのも暫くの間のこと
  ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です」
 
   げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる折さへ忍びがたきを、見出だしたまひても、  なるほど、風にひるがえってこぼれそうなのが、よそえられたのさえ我慢できないので、お覗きになっても、
 

557
 「ややもせば 消えをあらそふ 露の世に
 後れ先だつ ほど経ずもがな」
 「どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に
  せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです」
 
   とて、御涙を払ひあへたまはず。
 宮、
 と言って、お涙もお拭いになることができない。
 中宮、
 

558
 「秋風に しばしとまらぬ 露の世を
 誰れか草葉の うへとのみ見む」
 「秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を
  誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか」
 
   と聞こえ交はしたまふ御容貌ども、あらまほしく、見るかひあるにつけても、「かくて千年を過ぐすわざもがな」と思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ悲しかりける。
 
 と詠み交わしなさるご器量、申し分なく、見る価値があるにつけても、「こうして千年を過ごしていたいものだ」と思われなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。
 
   「今は渡らせたまひね。
 乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。
 いふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげにはべりや」
 「もうお帰りなさいませ。
 気分がひどく悪くなりました。
 お話にもならないほどの状態になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」
   とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、  と言って、御几帳引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、
   「いかに思さるるにか」  「どうあそばしましたか」
   とて、宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騷ぎたり。
 先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。
 
 とおっしゃって、中宮は、お手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが、数えきれないほど騷ぎだした。
 以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざかと疑いなさって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをし尽くしなさったが、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。
 
 
 

第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る

 
   宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを、限りなく思す。
 誰れも誰れも、ことわりの別れにて、たぐひあることとも思されず、めづらかにいみじく、明けぐれの夢に惑ひたまふほど、さらなりや。
 
 中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いあそばす。
 どなたもどなたも、当然の別れとして、誰にでもあることともお思いなされず、又とない大変な悲しみとして、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは、言うまでもないことであるよ。
 
   さかしき人おはせざりけり。
 さぶらふ女房なども、ある限り、さらにものおぼえたるなし。
 院は、まして思し静めむ方なければ、大将の君近く参りたまへるを、御几帳のもとに呼び寄せたてまつりたまひて、
 しっかりとした人はいらっしゃらなかった。
 伺候する女房たちも、居合わせた者は、全て分別のある者はまったくいない。
 院は、誰よりもお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、
   「かく今は限りのさまなめるを、年ごろの本意ありて思ひつること、かかるきざみに、その思ひ違へてやみなむがいといとほしき。
 御加持にさぶらふ大徳たち、読経の僧なども、皆声やめて出でぬなるを、さりとも、立ちとまりてものすべきもあらむ。
 この世にはむなしき心地するを、仏の御しるし、今はかの冥き途のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべきよしものしたまへ。
 さるべき僧、誰れかとまりたる」
 「このように今はもうご臨終のようなので、長年願っていたこと、このような際にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうだ。
 御加持を勤める大徳たち、読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、そうはいっても、まだ残っている僧たちもいるだろう。
 この現世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は、今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、剃髪するよう計らいなさい。
 適当な僧で、誰が残っているか」
   などのたまふ御けしき、心強く思しなすべかめれど、御顔の色もあらぬさまに、いみじく堪へかね、御涙のとまらぬを、ことわりに悲しく見たてまつりたまふ。
 
 などとおっしゃるご様子、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わって、ひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを、無理もないことと悲しく拝し上げなさる。
 
   「御もののけなどの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ。
 さらば、とてもかくても、御本意のことは、よろしきことにはべなり。
 一日一夜忌むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。
 まことにいふかひなくなり果てさせたまひて、後の御髪ばかりをやつさせたまひても、異なるかの世の御光ともならせたまはざらむものから、目の前の悲しびのみまさるやうにて、いかがはべるべからむ」
 「御物の怪などが、今度も、この方のお心を悩まそうとして、このようなことになるもののようでございますから、そのようなことでいらっしゃいましょう。
 それならば、いずれにせよ、御念願のことは、結構なことでございます。
 一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効は必ずあるものと聞いております。
 本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでございましょうか」
   と申したまひて、御忌に籠もりさぶらふべき心ざしありてまかでぬ僧、その人、かの人など召して、さるべきことども、この君ぞ行なひたまふ。
 
 と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧、この僧などをお召しになって、しかるべきことどもを、この君がお命じになる。
 
 
 

第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る

 
   年ごろ、何やかやと、おほけなき心はなかりしかど、「いかならむ世に、ありしばかりも見たてまつらむ。
 ほのかにも御声をだに聞かぬこと」など、心にも離れず思ひわたりつるものを、「声はつひに聞かせたまはずなりぬるにこそはあめれ、むなしき御骸にても、今一度見たてまつらむの心ざしかなふべき折は、ただ今よりほかにいかでかあらむ」と思ふに、つつみもあへず泣かれて、女房の、ある限り騷ぎ惑ふを、
 長年、何やかやと、分不相応な考えは持たなかったが、「いつの世にか、あの時同様に拝見したいものだ。
 かすかにお声さえ聞かなかったことよ」などと、忘れることなく慕い続けていたが、「声はとうとうお聞かせなさらないで終わったようだが、むなしい御亡骸なりとも、もう一度拝見したい気持ちが叶えられる折は、ただ今の時以外にどうしてあろう」と思うと、抑えることもできずつい泣けて、女房たちで、側に伺候する人たち皆が泣き騷ぎおろおろしているのを、
   「あなかま、しばし」  「静かに。
 暫く」
   と、しづめ顔にて、御几帳の帷を、もののたまふ紛れに、引き上げて見たまへば、ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなければ、大殿油を近くかかげて見たてまつりたまふに、飽かずうつくしげに、めでたうきよらに見ゆる御顔のあたらしさに、この君のかくのぞきたまふを見る見るも、あながちに隠さむの御心も思されぬなめり。
 
 と制止するふりして、御几帳の帷子を、何かおっしゃるのに紛らして、引き上げて御覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も弱々しいので、大殿油を近くにかかげて拝見なさると、どこまでもかわいらしげに、立派で美しく見えるお顔のもったいなさに、この君がこのように覗き込んでいらっしゃるのを目にしながらも、無理に隠そうとのお気持ちも起こらないようである。
 
   「かく何ごともまだ変らぬけしきながら、限りのさまはしるかりけるこそ」  「このとおりに何事もまだそのままの感じだが、最期の様子ははっきりしているのです」
   とて、御袖を顔におしあてたまへるほど、大将の君も、涙にくれて、目も見えたまはぬを、しひてしぼり開けて見たてまつるに、なかなか飽かず悲しきことたぐひなきに、まことに心惑ひもしぬべし。
 御髪のただうちやられたまへるほど、こちたくけうらにて、露ばかり乱れたるけしきもなう、つやつやとうつくしげなるさまぞ限りなき。
 
 と言って、お袖を顔におし当てていらっしゃる時、大将の君も、涙にくれて、目も見えなさらないのを、無理に涙を絞り出すように目を開いて拝見すると、かえって悲しみが増してたとえようもなく、本当に心もかき乱れてしまいそうである。
 御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様子、ふさふさと美しくて、一筋も乱れた様子はなく、つやつやと美しそうな様子、この上ない。
 
   灯のいと明かきに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛らはすこと、ありしうつつの御もてなしよりも、いふかひなきさまにて、何心なくて臥したまへる御ありさまの、飽かぬ所なしと言はむもさらなりや。
 なのめにだにあらず、たぐひなきを見たてまつるに、「死に入る魂の、やがてこの御骸にとまらなむ」と思ほゆるも、わりなきことなりや。
 
 灯火がたいそう明るいので、お顔色はとても白く光るようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった、生前のご様子よりも、今さら嘆いても嘆くかいのない、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのも、ことさらめいたことである。
 並一通りの美しさどころか、類のない美しさを拝見すると、「死に入ろうとする魂がそのままこの御亡骸に止まっていてほしい」と思われるのも、無理というものであるよ。
 
 
 

第五段 紫の上の葬儀

 
   仕うまつり馴れたる女房などの、ものおぼゆるもなければ、院ぞ、何ごとも思しわかれず思さるる御心地を、あながちに静めたまひて、限りの御ことどもしたまふ。
 いにしへも、悲しと思すこともあまた見たまひし御身なれど、いとかうおり立ちてはまだ知りたまはざりけることを、すべて来し方行く先、たぐひなき心地したまふ。
 
 お仕え親しんでいた女房たちで、気の確かな者もいないので、院が、何事もお分かりにならないように思われなさるお気持ちを、無理にお静めになって、ご葬送のことをお指図なさる。
 昔も、悲しいとお思いになることを多くご経験なさったお身の上であるが、まことにこのようにご自身でもってお指図なさることはご経験なさらなかったことなので、すべて過去にも未来にも、またとない気がなさる。
 
   やがて、その日、とかく収めたてまつる。
 限りありけることなれば、骸を見つつもえ過ぐしたまふまじかりけるぞ、心憂き世の中なりける。
 はるばると広き野の、所もなく立ち込みて、限りなくいかめしき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなく昇りたまひぬるも、例のことなれど、あへなくいみじ。
 
 そのまま、その当日に、あれこれしてご葬儀をお営み申し上げる。
 所定の作法があることなので、亡骸を見ながらお過しになるということもできないのが、情けない人の世なのであった。
 広々とした広い野原に、いっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳めしい葬儀であるが、まことにあっけない煙となって、はかなく上っていっておしまいになったのも、常のことであるが、あっけなく何とも悲しい。
 
   空を歩む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを、見たてまつる人も、「さばかりいつかしき御身を」と、ものの心知らぬ下衆さへ、泣かぬなかりけり。
 御送りの女房は、まして夢路に惑ふ心地して、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。
 
 地に足が付かない感じで、人に支えられてお出ましになったのを、拝し上げる人も、「あれほど威厳のあるお方が」と、わけも分からない下衆まで泣かない者はいなかった。
 ご葬送の女房は、それ以上に夢路に迷ったような気がして、車から転び落ちてしまいそうになるのに、手を焼くのであった。
 
   昔、大将の君の御母君亡せたまへりし時の暁を思ひ出づるにも、かれは、なほもののおぼえけるにや、月の顔の明らかにおぼえしを、今宵はただくれ惑ひたまへり。
 
 昔、大将の君の御母君がお亡くなりになった時の暁のことをお思い出しになっても、あの時は、やはりまだ物事の分別ができたのであろうか、月の顔が明るく見えたが、今宵はただもう真暗闇で何も分からないお気持ちでいらっしゃった。
 
   十四日に亡せたまひて、これは十五日の暁なりけり。
 日はいとはなやかにさし上がりて、野辺の露も隠れたる隈なくて、世の中思し続くるに、いとど厭はしくいみじければ、「後るとても、幾世かは経べき。
 かかる悲しさの紛れに、昔よりの御本意も遂げてまほしく」思ほせど、心弱き後のそしりを思せば、「このほどを過ぐさむ」としたまふに、胸のせきあぐるぞ堪へがたかりける。
 
 十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。
 日はたいそう明るくさし昇って、野辺の露も隠れたところなく照らし出して、人の世をお思い続けなさると、ますます厭わしく悲しいので、「先立たれたとて、何年生きられようか。
 このような悲しみに紛れて、昔からのご本意の出家を遂げたく」お思いになるが、女々しいとの後の評判をお考えになると、「この時期を過ごしてから」とお思いなさるにつけ、胸に込み上げてくるものが我慢できないのであった。
 
 
 

第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち

 
 

第一段 源氏の悲嘆と弔問客

 
   大将の君も、御忌に籠もりたまひて、あからさまにもまかでたまはず、明け暮れ近くさぶらひて、心苦しくいみじき御けしきを、ことわりに悲しく見たてまつりたまひて、よろづに慰めきこえたまふ。
 
 大将の君も、御忌みに籠もりなさって、ほんのちょっとも退出なさらず、朝夕お側近くに伺候して、痛々しくうちひしがれたご様子を、もっともなことだと悲しく拝し上げなさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
 
   風野分だちて吹く夕暮に、昔のこと思し出でて、「ほのかに見たてまつりしものを」と、恋しくおぼえたまふに、また「限りのほどの夢の心地せし」など、人知れず思ひ続けたまふに、堪へがたく悲しければ、人目にはさしも見えじ、とつつみて、  野分めいて吹く夕暮時に、昔のことをお思い出しになって、「かすかに拝見したことがあったことよ」と、恋しく思われなさると、また「最期の時が夢のような気がした」など、心の中で思い続けなさると、我慢できなく悲しいので、他人にはそのようには見られまいと隠して、
   「阿弥陀仏、阿弥陀仏」  「阿彌陀仏、阿彌陀仏」
   と引きたまふ数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもて消ちたまひける。
 
 と繰りなさる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。
 
 

559
 「いにしへの 秋の夕べの 恋しきに
 今はと見えし 明けぐれの夢」
 「昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても
  御臨終の薄暗がりの中でお顔を見たのが夢のような気がする」
 
   ぞ、名残さへ憂かりける。
 やむごとなき僧どもさぶらはせたまひて、定まりたる念仏をばさるものにて、法華経など誦ぜさせたまふ。
 かたがたいとあはれなり。
 
 のが、その名残までがつらいのであった。
 尊い僧たちを伺候させなさって、決められた念仏はいうまでもなく、法華経など読経させなさる。
 あれこれとまた実に悲しい。
 
   臥しても起きても涙の干る世なく、霧りふたがりて明かし暮らしたまふ。
 いにしへより御身のありさま思し続くるに、
 寝ても起きても、涙の乾く時もなく、涙に塞がって毎日をお送りになる。
 昔からご自身の様子をお思い続けると、
   「鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめたまひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先も例あらじとおぼゆる悲しさを見つるかな。
 今は、この世にうしろめたきこと残らずなりぬ。
 ひたみちに行ひにおもむきなむに、障り所あるまじきを、いとかく収めむ方なき心惑ひにては、願はむ道にも入りがたくや」
 「鏡に映る姿をはじめとして、普通の人とは異なったわが身ながら、幼い時から、悲しく無常なわが人生を悟るべく、仏などがお勧めになったわが身なのに、強情に過ごしてきて、とうとう過去にも未来にも類があるまいと思われる悲しみに遭ったことだ。
 今はもう、この世に気がかりなこともなくなった。
 ひたすら仏道に赴くに支障もないのだが、まことにこのように静めようもない惑乱状態では、願っている仏の道に入れないないのでは」
   と、ややましきを、  と気が咎めるので、
   「この思ひすこしなのめに、忘れさせたまへ」  「この悲しみを少し和らげて、忘れさせてください」
   と、阿弥陀仏を念じたてまつりたまふ。
 
 と、阿彌陀仏をお念じ申し上げなさる。
 
 
 

第二段 帝、致仕大臣の弔問

 
   所々の御とぶらひ、内裏をはじめたてまつりて、例の作法ばかりにはあらず、いとしげく聞こえたまふ。
 思しめしたる心のほどには、さらに何ごとも目にも耳にもとまらず、心にかかりたまふこと、あるまじけれど、「人にほけほけしきさまに見えじ。
 今さらにわが世の末に、かたくなしく心弱き惑ひにて、世の中をなむ背きにける」と、流れとどまらむ名を思しつつむになむ、身を心にまかせぬ嘆きをさへうち添へたまひける。
 
 あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り、型通りの作法だけでなく、たいそう数多く申し上げなさる。
 ご決意なさっているお気持ちとしては、まったく何事も目にも耳にも止まらず、心に掛りなさること、ないはずであるが、「人から惚けた様子に見られまい。
 今さらわが晩年に、愚かしく心弱い惑乱から出家をした」と、後世まで語り伝えられる名をお考えになるので、思うに任せない嘆きまでがお加わりなっていらっしゃるのであった。
 
   致仕の大臣、あはれをも折過ぐしたまはぬ御心にて、かく世にたぐひなくものしたまふ人の、はかなく亡せたまひぬることを、口惜しくあはれに思して、いとしばしば問ひきこえたまふ。
 
 致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方なので、このように世に類なくいらした方が、はかなくお亡くなりになったことを、残念に悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い申し上げなさる。
 
   「昔、大将の御母亡せたまへりしも、このころのことぞかし」と思し出づるに、いともの悲しく、  「昔、大将の御母堂がお亡くなりになったのも、ちょうどこの頃のことであった」とお思い出しになると、とても何となく悲しくて、
   「その折、かの御身を惜しみきこえたまひし人の、多くも亡せたまひにけるかな。
 後れ先だつほどなき世なりけりや」
 「あの時の、あの方を惜しみ申された方も、多くお亡くなりになったな。
 死に後れたり先立ったりしても、大差のない人生だな」
   など、しめやかなる夕暮にながめたまふ。
 空のけしきもただならねば、御子の蔵人少将してたてまつりたまふ。
 あはれなることなど、こまやかに聞こえたまひて、端に、
 などと、ひっそりとした夕暮に物思いに耽っていらっしゃる。
 空の様子も哀れを催し顔なので、ご子息の蔵人少将を使いとして差し上げなさる。
 しみじみとした思いを心をこめてお書き申されて、その端に、
 

560
 「いにしへの 秋さへ今の 心地して
 濡れにし袖に 露ぞおきそふ」
 「昔の秋までが今のような気がして
  涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています」
 
   御返し、  お返事、
 

561
 「露けさは 昔今とも おもほえず
 おほかた秋の 夜こそつらけれ」
 「涙に濡れていますことは昔も今もどちらも同じです
  だいたい秋の夜というのが堪らない思いがするのです」
 
   もののみ悲しき御心のままならば、待ちとりたまひては、心弱くもと、目とどめたまひつべき大臣の御心ざまなれば、めやすきほどにと、  何事も悲しくお思いの今のお気持ちのままの返歌では、待ち受けなさって、意気地無しと、見咎めなさるにちがいない大臣のご気性なので、無難な体裁にと、
   「たびたびのなほざりならぬ御とぶらひの重なりぬること」  「度々の懇ろな御弔問を重ねて頂戴しましたこと」
   と喜びきこえたまふ。
 
 とお礼申し上げなさる。
 
   「薄墨」とのたまひしよりは、今すこしこまやかにてたてまつれり。
 世の中に幸ひありめでたき人も、あいなうおほかたの世に嫉まれ、よきにつけても、心の限りおごりて、人のため苦しき人もあるを、あやしきまで、すずろなる人にも受けられ、はかなくし出でたまふことも、何ごとにつけても、世にほめられ、心にくく、折ふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。
 
 「薄墨衣」とお詠みになった時よりも、もう少し濃い喪服をお召しになっていらっしゃった。
 世の中に幸い人で結構な方も、困ったことに一般の世間の人から妬まれ、身分が高いにつけ、この上なくおごり高ぶって、他人を困らせる人もあるのだが、不思議なまで、無縁な人々からも人望があり、ちょっとなさることにも、どのようなことでも、世間から誉められ、奥ゆかしく、その折々につけて行き届いており、めったにいらっしゃらないご性格の方であった。
 
   さしもあるまじきおほよその人さへ、そのころは、風の音虫の声につけつつ、涙落とさぬはなし。
 まして、ほのかにも見たてまつりし人の、思ひ慰むべき世なし。
 年ごろ睦ましく仕うまつり馴れつる人びと、しばしも残れる命、恨めしきことを嘆きつつ、尼になり、この世のほかの山住みなどに思ひ立つもありけり。
 
 さほど縁のなさそうな世間一般の人でさえ、その当時は、風の音、虫の声につけて、涙を落とさない人はいない。
 まして、ちょっとでも拝した人では、悲しみの晴れる時がない。
 長年親しくお仕え馴れてきた人々、寿命が少しでも生き残っている命が、恨めしいことを嘆き嘆き、尼になり、この世を離れた山寺に入ることなどを思い立つ者もいるのであった。
 
 
 

第三段 秋好中宮の弔問

 
   冷泉院の后の宮よりも、あはれなる御消息絶えず、尽きせぬことども聞こえたまひて、  冷泉院の后の宮からも、お心のこもったお便りが絶えずあり、尽きない悲しみをあれこれと申し上げなさって、
 

562
 「枯れ果つる 野辺を憂しとや 亡き人の
 秋に心を とどめざりけむ
 「枯れ果てた野辺を嫌ってか、亡くなられたお方は
  秋をお好きにならなかったのでしょうか
 
   今なむことわり知られはべりぬる」  今になって理由が分かりました」
   とありけるを、ものおぼえぬ御心にも、うち返し、置きがたく見たまふ。
 「いふかひあり、をかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそおはしけれ」と、いささかのもの紛るるやうに思し続くるにも、涙のこぼるるを、袖の暇なく、え書きやりたまはず。
 
 とあったのを、何も分からぬお気持ちにも、繰り返し、下にも置きがたく御覧になる。
 「話相手になれる風情ある歌のやりとりをして気を慰める人としては、この中宮だけがいらっしゃった」と、少しは悲しみも紛れるようにお思い続けても、涙がこぼれるのを、袖の乾く間もなく、返歌をなかなかお書きになれない。
 
 

563
 「昇りにし 雲居ながらも かへり見よ
 われ飽きはてぬ 常ならぬ世に」
 「煙となって昇っていった雲居からも振り返って欲しい
  わたしはこの無常の世にすっかり飽きてしまいました」
 
   おし包みたまひても、とばかり、うち眺めておはす。
 
 お包みになっても、そのまま茫然と、物思いに耽っていらっしゃる。
 
   すくよかにも思されず、われながら、ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる、紛らはしに、女方にぞおはします。
 
 しっかりとしたお心もなく、自分ながら、ことのほかに正体もないさまにお思い知られることが多いので、紛らわすために、女房のほうにいらっしゃる。
 
   仏の御前に人しげからずもてなして、のどやかに行なひたまふ。
 千年をももろともにと思ししかど、限りある別れぞいと口惜しきわざなりける。
 今は、蓮の露も異事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つこと、たゆみなし。
 されど、人聞きを憚りたまふなむ、あぢきなかりける。
 
 仏の御前に女房をあまり多くなくお召しになって、心静かにお勤めになる。
 千年も一緒にとお思いになったが、限りのある別れが実に残念なことであった。
 今は、極楽往生の願いが他のことに紛れないように、来世をと、一途にお思い立ちになられる気持ち、揺ぎもない。
 けれども、外聞を憚っていらっしゃるのは、つまらないことであった。
 
   御わざのことども、はかばかしくのたまひおきつることどもなかりければ、大将の君なむ、とりもちて仕うまつりたまひける。
 今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふ折多かるを、はかなくて、積もりにけるも、夢の心地のみす。
 中宮なども、思し忘るる時の間なく、恋ひきこえたまふ。
 
 御法要の事も、はっきりとお取り決めなさることもなかったので、大将の君が、万事引き受けてお営みなさるのであった。
 今日が最期かとばかり、ご自身でもお覚悟される時が多いのであったが、いつのまにか、月日が積もってしまったのも、夢のような気ばかりがする。
 中宮なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕っていらっしゃる。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 法華経をわが得しことは薪こり名摘み水汲み仕へてぞ得し(拾遺集哀傷-一三四六 大僧正行基)(戻)  
  出典2 入無余涅槃 如薪尽火滅(法華経-方便品)(戻)  
  出典3 秋吹く風はいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ(詞花集秋-一〇九 和泉式部)(戻)  
  出典4 中品中生者 若有衆生 若一日一夜 受持八戒斎 若一日一夜 持沙弥戒 若一日一夜 持具足戒(観無量寿経-中品中生)(戻)  
  出典5 空蝉はからを見つつも慰めつ深草の山煙だにたて(古今集哀傷-八三一 僧都勝延)(戻)  
  出典6 末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ(新古今集哀傷-七五七 僧正遍昭)(戻)  
  出典7 侘びつつも昨日ばかりは過ぐしてき今日やわが身の限りなるらむ(拾遺集恋一-六九四 読人しらず)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 まほしき--(/+ま)ほしき(戻)  
  校訂2 そこら--そこえ(え/$ら)(戻)  
  校訂3 なりては--なりて△(△/#は)(戻)  
  校訂4 交はし--(/+か)はし(戻)  
  校訂5 しばらくは--しはし(し/$らく<朱>)は(戻)  
  校訂6 うちに--うち(ち/+に)(戻)  
  校訂7 世を--(/+世をイ)(戻)  
  校訂8 もて消ち--*もちけち(戻)  
  校訂9 ややましき--やら(ら/$や)ましき(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。