宇治拾遺物語:魚養の事

経頼、蛇に逢ふ 宇治拾遺物語
巻第十四
14-4 (178)
魚養の事
新羅国の后

 
 今は昔、遣唐使の唐にある間に、妻を設けて、子を生ませつ。その子いまだいとけなきほどに、日本に帰る。
 妻に契りて日く、「異遣唐使行かんにつけて、消息やるべし。またこの子、乳母離れん程には迎へ取るべし」と契りて帰朝しぬ。
 母、遣唐使の来るごとに、「消息やある」と尋ぬれど、敢へて音もなし。
 母大きに恨みて、この児を抱きて、日本へ向きて、児の首に、遣唐使それがしが子といふ札を書きて、結ひつけて、「宿世あらば、親子の中は行きあひなん」と言ひて、海に投げ入れて帰りぬ。
 

 父ある時難波の浦の辺を行くに、沖の方に鳥の浮びたるやうにて、白き物見ゆ。
 近くなるままに見れば、童に見なしつ。
 怪しければ、馬を控へて見れば、いと近く寄りくるに、四つばかりなる児の、白くをかしげなる、波につきて寄り来たり。
 馬をうち寄せて見れば、大なる魚の背中に乗れり。
 従者をもちて、抱き取らせて見ければ、首に札あり。
 遣唐使それがしが子と書けり。さは、我が子にこそありけれ、唐にて言ひ契りし児を、問はずとて、母が腹立ちて、海に投げ入れてけるが、然るべき縁ありて、かく魚に乗りて来たるなめりと、あはれにおぼえて、いみじうかなしくて養ふ。
 遣唐使の行きけるにつけて、この由を書きやりたりければ、母も、今ははかなきものに思ひけるに、かくと聞きてなん、希有の事なりと悦びける。
 

 さてこの子、大人になるままに、手をめでたく書きけり。魚に助けられたりければ、名をば魚養とぞつけたりける。七大寺の額どもは、これが書きたるなりけりと。