平家物語 巻第七 返牒 原文

木曾山門牒状 平家物語
巻第七
返牒
へんちょう
平家山門連署

 
 案のごとく山門の大衆、この状を披見して詮議区々なり。或いは源氏に附かんといふ衆徒もあり、或いは平家に同心せんといふ大衆もあり。思ひ思ひ異議様々なり。
 老僧どもの詮議しけるは、「詮ずる所、我等もつぱら金輪聖王天長地久と祈り奉る。平家は当代の御外戚、山門において帰敬を致さる。されば今に至るまでかの繁昌を祈誓す。然りといへども、悪行法に過ぎて、万人これを背く。討手を国々へ遣はすといへども、却つて異賊のために落とされぬ。源氏は近年よりこの方、度々の戦にうち勝つて運命開けんとす。何ぞ当山独り宿運尽きぬる平家に同心して、運命開くる源氏を背かんや。須く平家値遇の儀を翻して、源氏合力の心に住すべき」由、一味同心に詮議して、返牒を送る。
 木曾殿、また家の子郎等召し集めて、覚明にこの返牒を開かせらる。
 

 六月十日の牒状、同じき十六日に到来、披閲の処に数日の欝念一時に解散す。凡そ平家の悪逆累年に及んで、朝廷の騒動止むこと無し。事人人口に在り、委悉するに能はず。夫れ叡岳に到つては、帝都東北の仁祠として国家静謐の精祈を致す。然るを一天久しく彼の夭逆に侵されて、四海鎮へに其の安全を得ず。顕密の法輪無きが如く、擁護の神威数廃る。爰に貴家適累代武備の家に生まれて、幸ひに当時精選の仁たり。予め奇謀を運らして忽ちに義兵を起す。万死の命を忘れ一戦の功を樹つ。其の労未だ両年を過ぎざるに、其の名既に四海に流る。我が山の衆徒、且つ以て承悦す。
 国家の為、累家の為、武功を感じ、武略を感ず。此の如くならば、則ち山上の精祈空しからざることを悦び、海内の衛護怠りなきことを死んぬ。自寺他寺、常住の仏法、本社末社、祭奠の神明、定めて教法の栄えんことを喜び、崇敬の旧に復せんこと、随喜し給ふらん。衆徒等が心中、唯賢察を垂れよ。然れば則ち、冥には十二神将、忝く医王善逝の使者として、兇賊追討の勇士に相加はり、顕には三千の衆徒、暫く修学鑚仰の勤節を止めて、悪侶治罰の官軍を助けしめん。止観十乗の梵風は、奸侶を和朝の外に払ひ、瑜珈三密の法雨は、時俗を堯年の昔に回さん。衆議此の如し。倩之を察せよ。
 
  寿永二年七月二日 大衆等
 

 とぞ書いたりける。
 

木曾山門牒状 平家物語
巻第七
返牒
へんちょう
平家山門連署