伊勢物語 44段:馬の餞 あらすじ・原文・現代語訳

第43段
しでの田長
伊勢物語
第二部
第44段
馬のはなむけ
第45段
行く蛍

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  女の装束 脱ぎつれば 面白けれ  
 
 
 

あらすじ

 
 
 地方に行く人の送別会を開く。
 家の女の人に盃をもたせ、女物の装束をやる。
 家の主が「君のために脱いだ」と歌を詠み、先の十二単衣の裳につける。この歌は中々面白いな、という内容。
 

 しかるに、ここで見送る人は女性と解さなければ通らない。
 男に女の服を贈ってどうする。何より素朴な常識に反するし、加えてその解釈に基づく見立ては悉く脈絡がなく、あまりに無秩序で頭がクラクラする。
 

 送る相手を女性とする解釈に合わせて、盃も家の女(家刀自)にもたせている。
 酌をさせるのは童子ではない(文脈で子供を出す意味が全くないし、客をあまりに軽んじている)。
 

 主が「脱ぎつ」というのは、宮中の服を贈ったのだから、一肌脱いだといっている(41段の文脈)。著者なりの言葉遊び。
 それを、来ていた服を脱いで贈るとしたり、前途を祝する宴席での、最高にみやびな服の裳を「喪」にかけてみるのは、もはや若干恐怖を感じる。
 

 この物語は、前後を緻密にかけて書かれている。単体だけ見ても絶対にわかりようがない。
 何より、一つ一つの言葉の意味をよく吟見せず、漫然と決めてみるから、苦し紛れの解釈でもおかしいと思えない。
 

 しかるに、ここで地方に行く人とは小町であり、家の主とは紀有常である。
 業平は全く関係ない。根拠は以下に示す通り。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第44段 馬のはなむけ
   
 むかし、県へゆく人に  むかし、あがたへゆく人に  昔あがたへゆく人に。
  馬のはなむけせむとて、 むまのはなむけせむとて、 馬のはなむけせんとて。
  呼びて、 よびて、 よびたりけるに。
  疎き人にしあらざりければ、 うとき人にしあらざりければ、 うとき人にしあらざりければ。
  家刀自、盃さゝせて いゑとうじさか月さゝせて、 いへとうじして。さかづきさゝせなどして。
  女の装束かづけむとす。 女のさうぞくかづけむとす。 女のさうぞくかづく。
  主の男、歌詠みて、 あるじのおとこ、うたよみて、 あるじの男うたをよみて。
  裳の腰に結ひつけさす。 ものこしにゆひつけさす。 ものこしにゆひつけさす。
       

83
 いでてゆく
 君がためにと脱ぎつれば
 いでゝゆく
 きみがためにとぬぎつれは
 いてゝゆく
 君か爲にとぬきつれは
  我さへもなく
  なりぬべきかな
  我さへもなく
  なりぬべきかな
  我さへもなく
  成ぬへき哉
       
  この歌は、あるがなかに面白ければ、 このうたは、あるがなかにおもしろければ、  
  心とゞめてよまず、腹に味はひて。 心とゞめてよます、はらにあぢはひて。  
   

現代語訳

 
 

女の装束

 

むかし、県へゆく人に馬のはなむけせむとて、呼びて、
疎き人にしあらざりければ、家刀自、盃さゝせて女の装束かづけむとす。

 
 
むかし県(あがた)へゆく人に
 むかし、地方へ行く人に
 
 県(あがた)
 :平安時代、国司など地方官の任地。
 この物語は、800年代前半(平安初期)を中心にした話。
 
 この物語で「人」とする時、意図的に男女をぼかしていることを表している表現。
 つまり周囲に伏せておきたい人。それが42段の文脈(「色好みと知る知る女」)。
 あえて男のような表現を続けていることはそういうブラフ。しかし内実はそうではないということは、続く女物の服に示される通り。
 

馬のはなむけせむとて
 馬のはなむけをしようといって、
 
 うまのはなむけ 【馬の餞】
 :①餞別の品を贈ったり、②送別の宴を行うこと。
 
 古代、旅立=馬で行く、その鼻を向けるにかけ、
 旅先でも上手くいくようにと花を送る(たむける)習慣から。
 ウマを省略して、はなむけ。
 

 ここでは、①が女の装束で、②が盃として表わされる。
 

呼びて
 (その人を)呼んで
 

疎き人にしあらざりければ
 疎遠な人でもなかったので、
 
 この近いとか遠いという微妙な文脈は42段の内容。これは京的にいえば、とても近しい関係ということ。
 そこから紐付けて(37段・28段・25段)、小町。色好みなる女。
 女としていないのは、42段にも暗示されるように、彼女は変な男達につきまとわれたからである。
 (小町針のエピソード。それを話にしたのが竹取。だから、かぐや姫は次々に言い寄ってくる男達の求婚を拒み、出仕を拒否した)
 28段では、「むかし、色好みなりける女、出でていにければ などてかく あふごかたみになりにけむ」。
 

家刀自(いえとうじ)盃さゝせて
 家の女(中)に杯をさせて
 (あえてこのような言葉を出すのは、相手も女という暗示)
 

 いへとうじ 【家刀自】
 :主婦。家内(家乃至に当てたのだろう。家にずっといる人)。

 (家の童子ではない。文脈に合わないし、出す意味がない)
 
 主婦や妻と解されるのが一般だが、ここでは字義に忠実かつ、外れない範囲で、常に家にいる女性=女中と解する。
 このようなずらしは、この物語の基本。
 (40段の解釈の(家の息子が好いたのになぜか家から追い払われた女、つまり)女中の話とかけて、これは確実な解釈。むしろそう見ないと一貫しない。
 40段では女中と明示されていないが、それこそが問題だから(意味が大きい)。そこでは「けしうはあらぬ」=おかしくはない=普通=女中となった。
 このような物語前後の解釈問題を連動させている。前が解けないと、後々も意味不明。しかし簡単ではないのだから、よく考えられなければ。
 ここで妻ではなくあえて女中にすることにも意味がある。つまり、家の主も、背後の「むかし男」も、共に妻はいなくなったという描写をしてきたから。)
 

 刀自
 ①年輩の女性への敬称 ②主婦 ③家に仕えて家事を扱う女性。
 

 ここで、いつもの「むかし、男」の妻は24段梓弓で果てているので、男の妻ではない。
 しかも田舎出身で人を雇う身分ではない(23段・筒井筒にあるように女の親の頼みがなくなった生計のために、別れを惜しんで宮仕えに出た話が24段)。
 だからこの関係を明示するために、この段においては、「むかし、男」から始まらない。
 
 刀自の意味を、家の中の女=女中と解し(40段)、紀有常が女性(妻の貧しい妹)に衣を贈ろうと著者とした話(41段)とかけ、
 刀自の家の「主の男」は、有常と見るべき。
 そして有常の妻は、尼になるなどと言って姉の所に家出している(16段)。つまりこれらの関係性の描写は、全て伏線。
 
 そして、この物語で小町と有常はセットで配置される(37段・38段、83段・82段)。
 つまり両者が著者にとって、同様に近しい、離れがたい特別な存在だったということを、配置によって表わしている。
 なお、業平は関係ない。加えて、有常は業平を良く思っていない(82段・渚の院)。
 
 

女の装束かづけむとす
 女の衣服をあげようとした。
 

  かづく【被く】
 :(服にかけて)あげる。与える。
 

 ここではただ「あげる」という意味。
 左肩にかける云々は関係ない。肩にかける特別な意味が、その文脈であるならともかく。
 そういう解釈は、「服にかけている」言葉を、「服をかけること」と誤解していると思う(実際に実行されたのかはともかく)。
 被服という言葉に掛けているだけで、必ずしも実際の人にかけるわけではない。実態に即さないだろう。それに不自然。
 

 ちなみに、ここで贈物として衣服が出てくるのは、著者と小町の共通の話ということを裏づける(縫殿。六歌仙参照。小町は小町針)。
 この時代、服を贈られていたことが一般とかいうのは違う。伊勢がどれほど後世に影響を及ぼしたか。
 それに伊勢の著者の感性のレベルは一般のそれではない。だから残っている。
 原因と派生を逆転させて、軽んじて見なされることは、伊勢にはつきもの。最たるのが、主人公業平説。
 
 

脱ぎつれば

 

主の男、歌詠みて、裳の腰に結ひつけさす。
 
いでてゆく 君がためにと 脱ぎつれば
 我さへもなく なりぬべきかな

 
主の男、歌詠みて
 家の主の男が歌を詠んで、
 
 (これはいつもの「むかし、男」とは違う、という意味の表現でもある)
 

裳の腰に結ひつけさす
 裳の腰に結びつけさせた。
 

 
 十二単を構成する着物の一部。下の衣の腰につける紐状のもの(37段・下紐とかかる。これも小町の話)。
 

 (喪とかける解釈→× 完全に意味不明。
 しかも不吉。つまりありえない。よって間違い。
 場当たり的に全く脈絡なく解釈して、苦し紛れに真逆の方向に走って、作品をクサしてはいけない。)
 

 この「裳」によるダメ押しで、送った相手は宮中にいた女性と確定。つまり小町。
 地方に行くどこかの男に、宮中の女物の衣服を送り、そこに歌を結びつけるとかいうのは、完全に意味不明。
 
 まして、自分の妻のお下がりを、旅立つ人にあげて、その意味を腹で味わうなどとするのは、もはや不気味さすら感じる。
 子供に酌をさせるのもそう。前からの解釈を無視しているからそうなる。空中分解。
 

 (ちなみに、16段で有常の尼になると言って去った妻に当て、女物の寝巻を送られ喜び涙する一般の解釈も、同様に全く筋が通らないぶっとんだ解釈。
 こういうことを普通倒錯という。だから、女物の服の贈物など、今も昔も一般でも何でもない。著者の職掌・得意分野だっただけ。)
 
 

いでてゆく 君がためにと 脱ぎつれば
 
 これは「一肌脱いだ」ということ。
 (文字通り脱ぐのは意味不明。それをあげるのも不気味かつ失礼甚だしい)
 
 ここでは奮発して贈物をした。それを値札のように掛けてつけた。若干セコイ。
 こういう笑いに走るところが、著者と有常の一貫した関係性(16段・38段)。
 なお有常と業平は、歌でバトル(喧嘩)しているのが、上述した82段・渚の院の内容。
 

我さへもなく なりぬべきかな
 
 そんなこんなで、私も色々泣きそうなんだって。
 あなたが行って寂しくなり、懐も寂しくなって。
 
 

面白けれ

 

この歌は、あるがなかに面白ければ、
心とゞめてよまず、腹に味はひて。

 
この歌は、あるがなかに面白ければ
 この歌は、一見ありそうな内容だが、中々他には無いように面白いので、
 

 ここで「一見」を補うことは、「一肌」を補うことにかけて根拠がある。
 女物と人肌と解き、その心は、恋しい。いと惜しい、とても名残惜しい。
 

心とゞめてよまず、腹に味はひて
 心に留めて、口に出してその解釈は読まなかった。(ちみたちも)よくその意味を味わってくれたまえ。
 とここで、著者「むかし、男」の感想に戻る。
 

 面白いの後、腹が出てくるのだから、腹をかかえて笑った、とかかるしかない。(何の値札みたいなの? ちゃんと取らなきゃ!って)
 寂しいからこそ笑う。その笑いで泣く。