宇治拾遺物語:海雲比丘の弟子童の事

巻第十三
優婆崛多の弟子
宇治拾遺物語
巻第十四
14-1 (175)
海雲比丘の弟子童
寛朝僧正

 
 今は昔、海雲比丘、道を行き給ふに、十余歳ばかりなる童子、道にあひぬ。
 比丘、童に問ひていふ、「何の料の童ぞ」と宣ふ。
 童答へていふ、「ただ道まかる者にて候ふ」と言ふ。
 比丘いふ、「汝は法華経はよみたりや」ととへば、童いふ、「法華経と申すらん物こそ、いまだ名をだにも聞き候はね」と申す。比丘またいふ、「さらば我が房に具して行きて、法華経教へん」と宣へば、童「仰せにしたがふべし」と申して、比丘の御供に行ふ。五臺山の坊に行きつきて、法華経を教へ給ふ。
 

 経を習ほどに、小僧常に来て物語を申す。たれ人としらず。
 比丘の宣ふ、「つねに来る小大徳をば、童はしりたりや」と。
 童「しらず」と申す。
 比丘の言ふ、「これこそこの山に住み給ふ文殊よ。我に物語しに来給ふなり」と。
 かうやうに教へ給へども、童は文殊と言ふ事もしらず候ふなり。されば、何とも思ひ奉らず。
 比丘、童に宣ふ、「汝、ゆめゆめ女人に近づくことなかれ。あたりを払ひて、なるなることなかれ」と。
 童、物へ行くほどに、葦毛なる馬に乗たる女人の、いみじく仮粧してうつくしきが、道にあひぬ。
 この女の言ふ、「われ、この馬のくち引きてたべ。道のゆゆしく悪しくて、落ちぬべくおぼゆるに」と言ひけれども、童、耳にも聞き入れずして行くに、この馬あらだちて、女さかさまに落ちぬ。
 恨みて言ふ、「我を助よ。すでに死べくおぼゆるなり」といひけれども、なほ耳に聞き入れず。
 我が師の、女人のかたはらへよることなかれと宣ひしにと思ひて、五台山へかへりて、女のありつるやうを比丘に語り申して、「されども、耳にも聞きいれずして帰りぬ」と申しければ、「いみじくしたり。その女は、文殊の化して、汝が心を見給ふにこそあるなれ」とて、ほめ給ひける。
 

 さるほどに、童は法華経を一部読み終りにけり。
 その時、比丘宣はく、「汝法華経を読み果てぬ。今は法師となりて受戒すべし」とて、法師になされぬ。
 「受戒をばさづくべからず。東京に禅定寺にいまする、倫法師と申す人、この頃おほやけの宣旨を蒙て、受戒を行き給ふ人なり。其人のもとへ行きて受くべきなり。ただいまは汝を見るまじきことのあるなり」とて、泣き給ふこと限りなし。
 童の、「受戒仕へては、すなはち帰り参り候ふべし。いかにおぼしめして、かくは仰せ候ふぞ」と。また「いかなれば、かく泣かせ給ふぞ」と申せば、「ただかなしきことのあるなり」とて泣き給ふ。
 さて童に、「戒師の許に行きたらんに、「いづかたよりきたる人ぞ」と問はば、「清涼山の海雲比丘のもとより」と申すべきなり」と教へ給て、なくなく見送り給ひぬ。
 

 童、仰せにしたがひて、倫法師のもとにゆきて、受戒すべきよし申しければ、案のごとく、「いづかたより来る人ぞ」と問ひ給ければ、教へ給ひつるやう申しければ、倫法師驚て、「貴き事なり」とて、礼拝していふ、「五臺山には文殊のかぎり住み給ふ所なり。汝沙彌は、海雲比丘の善知識にあひて、文殊をよく拝み奉りけるにこそありけれ」とて、貴ぶ事限りなし。
 さて受戒して、五台山へ帰りて、日ごろゐたりつる坊の在所を見れば、すべて人の住みたるけしきなし。泣く泣くひと山を尋ねありけども、つひに在所なし。
 

 これは優婆崛多の弟子の僧、かしこけれども、心よはく、女に近づきけり。
 これはいとけなけれども、心つよくて、女人に近づかず。
 かかるが故に、文殊、これを、かしこき者なれば、教化して仏道に入しめ給ふなり。
 されば世の人、戒をばやぶるべからず。
 

巻第十三
優婆崛多の弟子
宇治拾遺物語
巻第十四
14-1 (175)
海雲比丘の弟子童
寛朝僧正