伊勢物語 18段:白菊 あらすじ・原文・現代語訳

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 男と女が、白い菊花にかけてやりとりする。しかし内容は非常に難解。何が言いたいのかわからない。
 つまり『すいません、ちょっとなに言ってるかわかんない』と白々しく言うのが、おおまかな心。
 
 前段で全然ウチにきてくれないという桜花の女から引き続き、しぼんだ菊の花を送ってくる女。まず同一人物。
 そして次の段でおわかれすると。だから歌の構図がほぼ全く同じ。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第18段 白菊
   
 むかし、なま心あるありけり。  むかし、まな心ある女ありけり。  むかし。なま心ある女ありけり。
  男ちかうありけり。 おとこちかうありけり。 男とかういひけり。
  女、歌よむ人なりければ、心みむとて、 女、うたよむ人なりければ、心見むとて、 女歌よむ人なりければ。こゝろみんとて
  菊の花のうつろへる折りて、
男のもとへやる。
きくの花のうつろへるをゝりて、
おとこのもとへやる。
むめを折て
やる。
       

30
 紅に
 にほふはいづら
 白雪の
 くれなゐに
 ゝほふはいづら
 しらゆきの
 紅に
 ゝほふはいつら
 白雪の
 枝もとをゝに
 降るかとも見ゆ
 えだもとをゝに
 ふるかとも見ゆ
 枝もたはゝに
 ふるやとも見ゆ
       
  男、知らずよみにける。 おとこ、しらずによみによみける。 おとこしらず。よみによみけり。
       

31
 紅に
 にほふがうへの
 白菊は
 くれなゐに
 ゝほふがうへの
 しらぎくは
 紅に
 ゝほふかうへの
 しら雪は
 折りける人の
 袖かとも見ゆ
 折ける人の
 そでかとも見ゆ
 折ける人の
 袖かとそ見る
   

現代語訳

 
 

むかし、なま心あるありけり。男ちかうありけり。
女、歌よむ人なりければ、心みむとて、菊の花のうつろへる折りて、男のもとへやる。

 
 
むかし、なま(▲まな)心ある(▲女)ありけり。
 むかし、なま心(?)あるものがいた。
 

なま心(生心):中途半端な分別心や風流心。「なま」は接頭語とのこと。しかしこれは著者の造語だろう。説明の出典がこの段だから根拠にはできない。
 この定義すら、中途半端に風流をきかせた分別かもしれないだろう。記述がぶれる所は注意して留保する。ぶれるということは、解釈の余地が広いから。
 

 また、なま心のある者についても、明示されていない。
 これは男女どちらにもかかっていると見るべき。だから明示していない。
 続く「男ちかう」は、「なま心ある男ありけり」ではないという含みもある。)
 
 

男ちかうありけり(△とかういひけり)。
 男ちかう(?)あった。
(男はその女に色々近かった。→次の段)
 

女、歌よむ人なりければ、心みむとて、
 女は歌を詠む人であったので、心を見る=試みようとして
(試みる主体は、流れで女と解してよい。つまり女が男を試そうと。
 しかし歌の実力のことや、風流なことをではない)
 

菊の花のうつろへる(△むめを)折りて、
 菊の花がしぼんだのを折って

うつろふ 【移ろふ】:変わりゆくこと→色あせる)
 

男のもとへやる。
 男の元に送った。

(ここでやったのは、菊の花でしかないことに注意。歌を詠むこととは、微妙だが区別している。
 したがって、以下の歌は女が詠んだ見るのが素直だが、正確には、送られた菊の意味を、男なりに解釈した内容と見るべき『枝をもとをゝに』)
 

紅に にほふはいづら 白雪の
枝もとをゝに 降るかとも見ゆ

 
 
紅に
(?)
 

にほふはいづら 白雪の
 匂いはいかがか 

いづら 【何ら】:どうか・さあさあ・どれどれ)
 

枝もとをゝに(△枝もたはゝに)

(難解)
 枝も折られて、首しか残っていない? コワ。
 

降るかとも見ゆ
(雪とふるにかけて、女が男を振ったのかなあと。この花はそういうフリかと。花と雪が降るは前段と同じ構図)
 

男、知らずよみにける。
 
紅に にほふがうへの 白菊は
折りける人の 袖かとも見ゆ

 
 
男、知らずよみにける。
 男は、(女の心を)知らずに詠んだ。
 

(何を知らずかも定かではない。
 お決まりの「返し」という言葉がないので、この文が上下どちらにかかるかも実は不明。ということは、どちらにもかかっていると見るべき。
 そして、女の心男知らずで返しの歌を詠んだ。しかし返したかは不明。素朴に見ると返してはいない。詠んだだけ。(物は捨てた)→次の段)
 
 

紅に
(?)
 

にほふがうへの 白菊(△雪)は
 におうのは、上の白菊だ。
 

(つまり、送られてきた菊がにおう。花が匂わないで逆に臭う。鼻につく。
「にほふ」(鼻につく)は、変な感じ・背後の企みのこと。
 塗籠本は雪にしてしまうがそうではない。雪はにおわない。)
 

折りける人の
 それを折った人の
 

袖かとも見ゆ
 袖のことと見る。
 

 袖にかかるのは上の「降る」であるから、袖振る・無心と見た。
 だから(紅=くれない?)。花を折る心無いで無心か、おねだりか何かか? と。
 

 しかしこれでは全然釈然としない。オチも落ち着かない。紅白というあからさまな仕掛けも拾い切れていない。菊花と桜花も。
 先段の桜花と、本段の菊の花しぼめるにかけて、落ちないから拾えない、収拾つかない。それが「なま心」なのか。
 その心は、そのなまでは、煮ても焼いても食えない(菊も雪も)。転じて、煎じて飲む? つまのアカを? まずい。だめぜったい。
 

 なお、白菊の花言葉は真実。え? 白々しい。まっかなうそ。あ!だから紅? それが前段のサクラ(演技)、明日は雪が降るにかかっていると。
 つまり前段から引き続く男女のコント。桜と菊にかけたボケ話。これにて回収完了。いやしかしつきあいきれんと思い、次段の別れ話になる。
 昨日今日で「来てくれない!」はともかく、しぼんだ菊花を送ってくるのは軽くホラー。