六条御息所の和歌 11首:源氏物語の人物別和歌

藤壺 源氏物語
和歌一覧
人物別内訳
六条御息所
十首未満の人物
(準備中)

 

 六条御息所の和歌全11首(贈7、答2、独詠2)。

 相手内訳:源氏9、独詠2

 

 相手が全て源氏ということが第一の特徴。これは同じ歌数の藤壺と同じで対になり、また女性の割に贈歌の割合が極めて高く、藤壺と対照的になっている。

 第二に憑依による歌が二首(葵と紫に生霊と死霊一首ずつ)があり、六条御息所を特別たらしめている(後者は一首だけ離れた巻にあるので、前の歌を受けたアンコール的なもの)。

 特に葵に憑依した「嘆きわび空に乱るるわが魂(たま)を結びとどめよしたがへのつま」という六条御息所を代表・象徴する和歌について、下前の褄(葵の着物の下半分をきっちり整った状態にして私の魂をとどめよ)とする通説の解釈は、暗記教育的に文脈を無視して、つま=褄という思い込みで代入したもので、一貫した夫婦の文脈、六条御息所を象徴する葵との女同士の争いという文脈を無視している問題があるので、以下で論証して改めた。
 概要を言うと、本和歌は、伊勢東下り「唐衣きつつ馴れにしつましあれば」という妻の死(筒井筒+梓弓。衣+妻=褄。これは山風を嵐という文屋の作法。業平の歌という根拠が全くないので、名声を全て伊勢に依拠しながら、学説は伊勢を無視して、かつてあったはずの業平原歌集という想像の産物を業平認定の理論的根拠にしている)を嘆く歌と、それを受けた蜻蛉日記の「きぬ縫ひて奉るこそよかなれ…唐衣なれにしつまをうちかへしわがしたがひになすよしもがな」という衣を仕立てる妻の和歌の流れの先にあるが(ただしこのような説は他にはない)、これらの先例では、明確な衣という限定のもと褄の意味で用いられており、そうでなければ単なる「つま」を褄と確定しようがないところ、源氏の本和歌では衣の先行はなく、一貫した夫婦の魂の文脈で突如割り込んだ第三者が「わが魂を結びとどめよしたがへ(異本したがひ)のつま」とあるから、つまり「つま」はあなたの妻というのがセオリー。褄という必然がないし、むしろ褄では通らない。

 源氏原文全体でも「したがへ」はこの歌のみで、「したがひ」は従いの意味しかない(当然、下交・下前もない)。にもかかわらず、通説は本和歌のみ「下交ひ」という特殊概念を「つま」を褄ありきで代入し決めつけている。衣がない以上、源氏の「つま」は伊勢同様に妻が第一義で、「つま」とあるから褄というのは和歌及び一般用法に照らし根拠がない。先の源氏の文脈でいう「したがへのつま」は、端的には憑依という現象の象徴表現・アピールで、蜻蛉日記の妻自身の「したがひ(下交ひ×従い)」と、衣(肉体)から離れ、他の女目線で妻を従えさせる女同士の争いという独自の文脈で用いていると見るべきものである。六条御息所と葵の女同士の争いは車争いという大きなイベントで象徴されており、物理的な衣服や褄を持ち出す筋合いはない。

 本和歌に限らず学説は総じて、先例に引っ掛けて独自の意味にする用法(単純な適用ではない応用)を解せず認めないので、突如最後だけ衣服の句と見て解説も辻褄が合わない。褄は合わせるもので、褄を結ぶというのはこじつけ。文脈の多角的根拠なく下交ひ(下前)・褄のような特殊概念を当て付けることは誤った解釈態度で改める必要がある。しるよし(知るよし)に領るよしを当てるように、一般読者を寄せ付けない特殊概念を当て付けることで、当然の根拠があるように見せ、それを真面目な人達が真に受けて、押し通していく手法が受け継がれてきた。

 

  原文
(定家本)
現代語訳
(渋谷栄一)
 

葵 4/24首

109
影をのみ
 御手洗川
 つれなきに
 身の憂きほどぞ
 いとど知らるる
今日の御禊にお姿をちらりと見たばかりで
そのつれなさにかえって我が身の不幸せがますます思い知られる
115
袖濡るる
 恋路とかつは
 知りながら
 おりたつ田子の
 みづからぞ憂き
〔源氏←〕袖を濡らす恋路とは分かっていながら
そうなってしまうわが身の疎ましいことよ
117
贈:
嘆きわび
 空に乱るる
 わが魂を
 結びとどめよ
 したがへのつま
〔源氏←六条御息所生霊in葵〕悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を
結び留め【よ わたしが従えるあなたの妻】てください、下前の褄を結んで
120
人の
 あはれと聞くも
 けきに
 後るる
 思ひこそやれ
〔源氏←〕人の世の無常をこの菊の花の聞くにつけ涙がこぼれますが
先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします
 
 

賢木(さかき) 4/33首

133
神垣は
 しるしの杉も
 なきものを
 いかにまがへて
 折れ
〔源氏←〕ここには人の訪ねる目印の杉もないのに
どうお間違えになって折った榊なのでしょう
136
おほかたの
 秋の別れ
 悲しきに
 鳴く音な添へそ
 野辺の松虫
〔源氏→〕ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに
さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ
139
そのかみを
 今日はかけじと
 忍ぶれど
 心のうちに
 ものぞ悲しき
昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが
心の底では悲しく思われてならない
141
鈴鹿川
 八十瀬の波に
 濡れ
濡れず
 伊勢まで誰れか
 思ひおこせむ
〔源氏→〕鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか
伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか
 
 

須磨 2/48首

194
うきめかる
 伊勢をの海人
 思ひやれ
 藻塩垂るてふ
 須磨にて
〔源氏←〕辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし
やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から
195
伊勢島や
 潮干の潟に
 漁りても
 いふかひなきは
 我が身なりけり
〔源氏←〕伊勢の海の干潟で貝取りしましても
何の生き甲斐もないのはこのわたしです
 
 

若菜下 1/18首

494
贈:
わが身こそ
 あらぬさまなれ
 それながら
 そらおぼれする
 なり
〔源氏←六条御息所死霊in紫上〕わたしはこんな変わりはてた身の上となってしまったが
知らないふりをする あなたは昔のままですね
 

したがひのつま=憑依の象徴表現

 

 葵自身の和歌は物語通して一首もないが(和歌なしは主要ヒロインの中で唯一最大の特徴)、葵の出産間際に六条御息所が憑依した和歌

嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよ したがへのつま

 が一首ある。このような憑依の歌は他には紫の上の一首のみで、葵と紫は特別な女性・妻として対をなしているが、紫の歌はいわば後付けで、上記の葵の歌が六条御息所を象徴する和歌と言える。

 

 そして上記和歌の「つま」について、通説は着物の褄とするが、定家本系大島本に基づき流布する原文は「したがへのつま」(大系)、「したがひのつま」(全集・集成)であり、下交ひでも褄でもない。「したがひ」は下交ひ解釈を受けた校訂と解され、褄という解釈は文脈に根拠がなく、その含みがあったとしても引っ掛けに過ぎず、第一義は妻ということをここで論証して改める。

 

「したがひのつま」を下交ひの褄とする現状の解釈は、お袋の歌を袋の歌とするようなもので、一見して死に体的でずれている。
子供(息子限定)から見た母をお袋という由来は、室町時代の勘定袋・財布の管理、胎内の袋など諸説あり、つまるところ不明とされているが、褄と妻のリンクから上の褄を合わせて留めた部分(つまり昔の広い袖口の下を閉じた部分)と解するのが語源として相応しい。振袖・留袖が江戸時代以来の表現とされることも、お袋という表現の時代性・懐古性と合致している。つまり何かねだってゆするとそこから何か出してくれる(女性はお菓子を常備常食する習性があり、よって娘も母親にねだる方向にいかない)。装飾的な振袖では袋としての機能を果たせない。
一般用法に即した解釈でなく、特殊難解概念に引き付けるのは間違った解釈態度。

 

 したがへのつまは、一貫した魂の文脈から、憑依という特殊現象を端的に表した象徴表現(〇意識の乗っ取り ×下のすそをきちんと着付けよ=意味不明)と解さないとおかしい。突然この歌で起きた憑依を前提に、さらに同一和歌内でひねるのは学者的に解釈を錯綜させ過ぎている。なぜ「つま」と言えば褄になるのか。文脈の根拠がない。

 

参照に足る先例でも、褄の意味を「(唐)衣」の先行なく用いることはない

蜻蛉日記「きぬ縫ひて奉るこそよかなれ…唐衣なれにしつまをうちかへし わがしたがひになすよしもがな」。
これは伊勢物語の「唐衣きつつ馴にしつましあれば(はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ)」を明らかに受けているが、伊勢の歌の目的は第一に妻で、その手段として褄を掛けており(著者男)、蜻蛉は、褄の下交いに妻の従いを織り交ぜて掛けている(著者女)。

他方で源氏の本和歌は、衣の文言も文脈もなく、一貫して源氏と葵の夫婦の魂の話題があるのみだから、これら蜻蛉・伊勢の歌の展開を受けつつ伊勢より明示的に妻の意味とし、そこから蜻蛉の「わがしたがひ」を妻自身の従属ではなく、他の女が本妻を従わせんとする昼ドラ的争いとして読み込み、「わが魂…したがへのつま」とし、女性ならではの視点を出した点に本和歌の独自性がある(昼ドラとは、生活が安定した女房層をターゲットとし、その退屈な日常に多少の刺激をもたらすための色恋ドラマの俗称)。

これが本和歌の学問的な解釈。しかしこのような学説はない。六条御息所が特別扱いされてきた理由もこの(女房受け的な)文脈にあるといえ(男は女の争いに共鳴・共感する動機がない)、そのことからも本和歌は人麻呂以来男主流の和歌史上一つのマイルストーンと言うことができる。しかしこのような解釈は一般にされていないし、そのような評価もされていない。

 

 全集によると、褄を結ぶとさまよい出た魂がもとに戻るという信仰があったらしいという(つまりその理論的根拠は推測)。しかしその信仰らしき概念は、空に乱れる私の魂を(どこかに=葵の体に)結びとどめよという歌詞に積極的に反し(六条御息所が自分の魂を自身の体に戻してほしいと源氏に呼び掛けていると見るのは「結びとどめよ」と相容れない)、用語としても辻褄が合わない。褄は合わせるもので褄(=すそ)を結びとどめるはおかしい。また「わが魂を結びとどめよ したがへのつま」とあるように、結びは端的に魂にかかり(伊勢110段「魂結び」参照)、つまにかかっていない。そして褄を結ぶという源氏以前の用例は提示されていない。だから信仰という典拠不明の論拠を持ち出している。

 仮に原文を「したがひ」と見ても、源氏では全て明確に従い・従っての用例しかない。したがって(そのような裏付けがなくても一般常識・良識に照らせば)「下交ひ」は極めて特殊限定的用法と言え、蜻蛉日記のように明らかに衣服の文脈という限定がないとそのように当てることはできない。自分達の特殊な解釈を当然のように原文に注入して混同させないでほしい。

 何事も事実(原文)と評価(解釈)は基本的に分けて考える必要がある。しかしそういう西洋式客観分析思考が、貫之が女を装ったと数文字から全体の文脈を決める本末転倒のガラパゴス読解では思考の埒外にあり、多角的根拠のない思い込みレベルの通説(本和歌含む)を事実(本来の記述)と混同し、なぜ貫之は女を装ったのかとか、貫之も男目線から抜けきれなかったなどと循環論法を展開していくことが、肝心の所ほど多い(最大の象徴が古今の業平認定)。そうして集団的な思い込みを所与の前提とし、それと相容れない肝心の記録を積極的に曲げて無視し続ける(その典型が、圧倒的名声を伊勢に依拠しながら古今の業平認定の理論的根拠として伊勢を無視し、どこかにあるはずの業平原歌集という想像の産物をとすること。「在五」の原典・伊勢63段の「けぢめ見せぬ心」を分け隔てしない心とする通説のように根本の文言を全力で曲げ、業平を思慕した著者という)のがこの国の作法。認識に合わせて文言を曲げる、それが伝統的解釈。

 以上のような理解は他にないが(あれば上記の説が通説になっているのはおかしい)、それは一つに解釈が暗記教育的、通説だから信じる、結論ありきの非論理的権威主義・ドグマ的解釈、それ自体がどんなに頓珍漢で根拠がなくても理由があるはずと思い、無理な正当化に励む(上記の信仰想定や業平信仰)、有史以来の御用系学問としての不毛な態度がはびこっていることに加え、一般の霊的理解がお粗末なことによる。つまり実際は未開時代の迷信でただの作り話とみなしており、それ以上考える気もないので、即物的で頓珍漢な見立てをしつつ所詮はそういうものと思う。それが「はじめより我は」というもの。