宇治拾遺物語:新羅国の后、金の榻(とう)の事

魚養 宇治拾遺物語
巻第十四
14-5 (179)
新羅国の后
玉の価

 
 これも今は昔、新羅国に后おはしけり。その后、忍びて密男を設けてけり。
 帝この由を聞き給ひて、后を捕へて、髪に繩をつけて、上へつりつけて、足を二三尺引き上げて置きたりければ、すべきやうもなくて、心のうちに思ひ給ひけるやう、かかる悲しき目を見れども、助くる人もなし。
 伝へて聞けば、この国より東に日本といふ国あなり。その国に長谷観音と申す仏現じ給ふなり。菩薩の御慈悲、この国まで聞こえてはかりなし。
 たのみをかけ奉らば、などかは助け給はざらんとて、目をふさぎて、念じ入り給ふほどに、金の榻足の下に出で来ぬ。それを踏まへて立てるに、すべて苦しみなし。人の見るには、この榻見えず。日頃ありて、ゆるされ給ひぬ。
 

 後に、后、持ち給へる宝どもを多く、使をさして長谷寺に奉り給ふ。その中に大なる鈴、鏡、金の簾今にありとぞ。かの観音念じ奉れば、他国の人も験を蒙らずといふ事なしとなん。