源氏物語 29帖 行幸:あらすじ・目次・原文対訳

野分 源氏物語
第一部
第29帖
行幸
藤袴

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 行幸(みゆき)のあらすじ

 光源氏36歳の冬から37歳の2月までの話。

 12月、冷泉帝の大原野への行幸が行われ、玉鬘も見物に参加した。初めて実父(内大臣〔かつての頭中将〕)を見た玉鬘だったが、それ以上に(源氏にそっくりな)冷泉帝の端麗さに見とれる。そんな心中を見透かしたように、源氏は玉鬘に尚侍としての出仕を勧めた。

 源氏は玉鬘の裳着を急ぐかたわら、実父・内大臣に腰結いの役を頼むが、玉鬘が実娘とは知らない内大臣は母大宮の病を口実に遠慮する。そこで源氏は自ら大宮の見舞いに参上し、大宮と(後から来た)内大臣に玉鬘の素性を明かした。

 内大臣も今度は喜んで腰結いを引き受け、裳着当日ようやく親子は対面を果たした。やがて事の次第が世間にも漏れ、近江の君は玉鬘ばかりが誰からも大切にされるのを羨んで、ますます周囲にからかわれた。

(以上Wikipedia行幸(源氏物語)より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#行幸(9首:別ページ)
主要登場人物
 
第29帖 行幸(みゆき)
 光る源氏の太政大臣時代
 三十六歳十二月から
 三十七歳二月までの物語
 
第一章 玉鬘の物語
 冷泉帝の大原野行幸
 第一段 大原野行幸
 第二段 玉鬘、行幸を見物
 第三段 行幸、大原野に到着
 第四段 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める
 第五段 玉鬘、裳着の準備
 
第二章 光源氏の物語
 大宮に玉鬘の事を語る
 第一段 源氏、三条宮を訪問
 第二段 源氏と大宮との対話
 第三段 源氏、大宮に玉鬘を語る
 第四段 大宮、内大臣を招く
 第五段 内大臣、三条宮邸に参上
 第六段 源氏、内大臣と対面
 第七段 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去
 
第三章 玉鬘の物語
 裳着の物語
 第一段 内大臣、源氏の意向に従う
 第二段 二月十六日、玉鬘の裳着の儀
 第三段 玉鬘の裳着への祝儀の品々
 第四段 内大臣、腰結に役を勤める
 第五段 祝賀者、多数参上
 第六段 近江の君、玉鬘を羨む
 第七段 内大臣、近江の君を愚弄
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十六歳から三十七歳
呼称:源氏の大臣・太政大臣・六条院・六条の大臣・六条殿・主人の大臣・大臣・大臣の君・殿
夕霧(ゆうぎり)
光る源氏の長男
呼称:中将の君・中将・中将の朝臣
玉鬘(たまかづら)
内大臣の娘
呼称:西の対・西の対の姫君・姫君
内大臣(ないだいじん)
呼称:父大臣・内の大臣・内の大殿・大臣・殿
雲井雁(くもいのかり)
呼称:姫君
柏木(かしわぎ)
呼称:中将・中将の君
紫の上(むらさきのうえ)
呼称:南の上・上
弘徽殿女御(こきでんのにょうご)
呼称:女御・女御殿
冷泉帝(れいぜいてい)
呼称:帝・主上・内裏
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
呼称:中宮
鬚黒大将(ひげくろだいしょう)
呼称:右大将
蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)
呼称:兵部卿宮
末摘花(すえつむはな)
呼称:常陸の宮の御方
近江の君(おうみのきみ)
呼称:君

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  行幸(みゆき)
 
 

第一章 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸

 
 

第一段 大原野行幸

 
   かく思しいたらぬことなく、いかでよからむことはと、思し扱ひたまへど、この音無の滝こそ、うたていとほしく、南の上の御推し量りごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。
 かの大臣、何ごとにつけても、きはぎはしう、すこしもかたはなるさまのことを、思し忍ばずなどものしたまふ御心ざまを、「さて思ひ隈なく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思し返さふ。
 
 このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと、ご思案なさるが、あの音無の滝ではないが、嫌で気の毒なことなので、南の上のご想像通り、身分にふさわしくないご醜聞である。
 あの内大臣が、何ごとにつけても、はっきりさせ、少しでも中途半端なことを、我慢できずにいらっしゃるようなご気性なので、「そうなったら誰はばからず、はっきりとしたお婿扱いなどなされたりしたら、世間の物笑いになるのではないか」などと、お考え直しなさる。
 
   その師走に、大原野の行幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも、御方々引き出でつつ見たまふ。
 卯の時に出でたまうて、朱雀より五条の大路を、西ざまに折れたまふ。
 桂川のもとまで、物見車隙なし。
 
 その年の十二月に、大原野の行幸とあって、世の中の人は一人残らず見物に騒ぐのを、六条院からも御夫人方が引き連ねて御覧になる。
 卯の刻に御出発になって、朱雀大路から五条大路を西の方に折れなさる。
 桂川の所まで、見物の車がびっしり続いている。
 
   行幸といへど、かならずかうしもあらぬを、今日は親王たち、上達部も、皆心ことに、御馬鞍をととのへ、随身、馬副の容貌丈だち、装束を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。
 左右大臣、内大臣、納言より下はた、まして残らず仕うまつりたまへり。
 青色の袍、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。
 
 行幸といっても、かならずしもこんなにではないのだが、今日は親王たちや、上達部も、皆特別に気をつかって、御馬や鞍を整え、随身、馬副人の器量や背丈、衣装をお飾りお飾りになっては、見事で美しい。
 左右の大臣、内大臣、大納言以下、いうまでもなく一人残らず行幸に供奉なさった。
 麹塵の袍に、葡萄染の下襲を、殿上人から五位六位までの人々が着ていた。
 
   雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。
 親王たち、上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御よそひどもをまうけたまふ。
 近衛の鷹飼どもは、まして世に目馴れぬ摺衣を乱れ着つつ、けしきことなり。
 
 雪がほんの少し降って、道中の空までが優美に見えた。
 親王たち、上達部なども、鷹狩に携わっていらっしゃる方は、見事な狩のご装束類を用意なさっている。
 近衛の鷹飼どもは、それ以上に見たことのない摺衣を思い思いに着て、その様子は格別である。
 
   めづらしうをかしきことに競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる足弱き車など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。
 浮橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。
 
 素晴らしく美しい見物をと競って出て来ては、大した身分でもなく、お粗末な脚の弱い車など、車輪を押しつぶされて、気の毒なのもある。
 舟橋の辺りなどにも優美にあちこちする立派な車が多かった。
 
 
 

第二段 玉鬘、行幸を見物

 
   西の対の姫君も立ち出でたまへり。
 そこばく挑み尽くしたまへる人の御容貌ありさまを見たまふに、帝の、赤色の御衣たてまつりて、うるはしう動きなき御かたはらめに、なずらひきこゆべき人なし。
 
 西の対の姫君もお出かけになった。
 大勢の我こそはと綺羅を尽くしていらっしゃる方々のご器量や様子を御覧になると、帝が赤色の御衣をお召しになって、凛々しく微動だになさらない御横顔に、ご比肩申し上げる人もいない。
 
   わが父大臣を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、盛りにはものしたまへど、限りありかし。
 いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿のうちよりほかに、目移るべくもあらず。
 
 わが父内大臣を、こっそりとお気をつけて拝見なさったが、派手で美しく、男盛りでいらっしゃるが、限界があった。
 たいそう人よりは優れた臣下と見えて、御輿の中以外の人には、目が移りそうもない。
 
   まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、さらに類ひなうおはしますなりけり。
 源氏の大臣の御顔ざまは、異ものとも見えたまはぬを、思ひなしの今すこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。
 
 ましてや、美男だとか、素敵な方よなどと、若い女房たちが死ぬほど慕っている中将、少将、何とかいう殿上人などの人は、何ほどのこともなく眼中にないのは、まったく群を抜いていらっしゃるからなのであった。
 源氏の太政大臣のお顔の様子は、別人とはお見えにならないが、気のせいかもう少し威厳があって、恐れ多く立派である。
 
   さは、かかる類ひはおはしがたかりけり。
 あてなる人は、皆ものきよげにけはひ異なべいものとのみ、大臣、中将などの御にほひに目馴れたまへるを、出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜しうぞ圧されたるや。
 
 そうしてみると、このような方はいらっしゃりにくいのであった。
 身分の高い人は、皆美しく感じも格別よいはずのものとばかり、大臣や、中将などのお美しさに見慣れていたので、見劣りした者たちでまともな者はないのであろうか、同じ人の目鼻とも見えず、悔しいほど圧倒されていることだ。
 
   兵部卿宮もおはす。
 右大将の、さばかり重りかによしめくも、今日のよそひいとなまめきて、やなぐひなど負ひて、仕うまつりたまへり。
 色黒く鬚がちに見えて、いと心づきなし。
 いかでかは、女のつくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。
 いとわりなきことを、若き御心地には、見おとしたまうてけり。
 
 兵部卿宮もいらっしゃる。
 右大将が、あれほど重々しく気取っているのも、今日の衣装がたいそう優美で、やなぐいなどを背負って供奉なさっていた。
 色黒く鬚が多い感じに見えて、とても好感がもてない。
 どうして、女性の化粧した顔の色に男が似たりしようか。
 とても無理なことを、お若い方の考えとて、軽蔑なさったのであった。
 
   大臣の君の思し寄りてのたまふことを、「いかがはあらむ、宮仕へは、心にもあらで、見苦しきありさまにや」と思ひつつみたまふを、「馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ、思ひ寄りたまうける。
 
 大臣の君がお考えになっておっしゃっることを、「どうしたものか、宮仕えは、不本意なことで見苦しいことではないかしら」と躊躇していらっしゃったが、「帝の寵愛ということを離れて、一般の宮仕えしてお目通りするならば、きっと結構なことであろう」という、お気持ちになった。
 
 
 

第三段 行幸、大原野に到着

 
   かうて、野におはしまし着きて、御輿とどめ、上達部の平張にもの参り、御装束ども、直衣、狩のよそひなどに改めたまふほどに、六条院より、御酒、御くだものなどたてまつらせたまへり。
 今日仕うまつりたまふべく、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。
 
 こうして、大原野に御到着あそばして、御輿を止め、上達部の平張の中で食事を召し上がり、御衣装を直衣や、狩衣の装束に改めたりなさる時に、六条院からお酒やお菓子類などが献上された。
 今日供奉なさる予定だと、前もってご沙汰があったのだが、御物忌の理由を奏上なさったのであった。
 
   蔵人の左衛門尉を御使にて、雉一枝たてまつらせたまふ。
 仰せ言には何とかや、さやうの折のことまねぶに、わづらはしくなむ。
 蔵人で左衛門尉を御使者として、雉をつけた一枝を献上あそばしなさった。
 仰せ言にはどのようにあったか、そのような時のことを語るのは、わずらわしいことなので。
 

390
 「雪深き 小塩山に たつ雉の
 古き跡をも 今日は尋ねよ」
 「雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように
  古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに」
 
   太政大臣の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例などやありけむ。
 大臣、御使をかしこまりもてなさせたまふ。
 太政大臣が、このような野の行幸に供奉なさった先例があったのであろうか。
 大臣は、御使者を恐縮しておもてなしなさる。
 

391
 「小塩山 深雪積もれる 松原に
 今日ばかりなる 跡やなからむ」
 「小塩山に深雪が積もった松原に
  今日ほどの盛儀は先例がないでしょう」
 
   と、そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ。
 
 と、その当時に伝え聞いたことで、ところどころ思い出されるのは、聞き間違いがあるかもしれない。
 
 
 

第四段 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める

 
   またの日、大臣、西の対に、  翌日、大臣は、西の対に、
   「昨日、主上は見たてまつりたまひきや。
 かのことは、思しなびきぬらむや」
 「昨日、主上は拝見なさいましたか。
 あの件は、その気におなりになりましたか」
   と聞こえたまへり。
 白き色紙に、いとうちとけたる文、こまかにけしきばみてもあらぬが、をかしきを見たまうて、
 と申し上げなさった。
 白い色紙に、たいそう親しげな手紙で、こまごまと色めいたことも含まれてないのが、素晴らしいのを御覧になって、
   「あいなのことや」  「いやなことを」
   と笑ひたまふものから、「よくも推し量らせたまふものかな」と思す。
 御返りに、
 とお笑いなさるものの、「よくも人の心を見抜いていらっしゃるわ」とお思いになる。
 お返事には、
   「昨日は、  「昨日は、
 

392
 うちきらし 朝ぐもりせし 行幸には
 さやかに空の 光やは見し
  雪が散らついて朝の間の行幸では
  はっきりと日の光は見えませんでした
 
   おぼつかなき御ことどもになむ」  はっきりしない御ことばかりで」
   とあるを、上も見たまふ。
 
 とあるのを、紫の上も御覧になる。
 
   「ささのことをそそのかししかど、中宮かくておはす、ここながらのおぼえには、便なかるべし。
 かの大臣に知られても、女御かくてまたさぶらひたまへばなど、思ひ乱るめりし筋なり。
 若人の、さも馴れ仕うまつらむに、憚る思ひなからむは、主上をほの見たてまつりて、えかけ離れて思ふはあらじ」
 「しかじかのことを勧めたのですが、中宮がああしていらっしゃるし、わたしの娘という扱いのままでは不都合であろう。
 あの内大臣に知られても、弘徽殿の女御がまたあのようにいらっしゃるのだからなどと、思い悩んでいたことです。
 若い女性で、そのように親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないのは、主上をちらとでも拝見して、宮仕えを考えない者はないでしょう」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「あな、うたて。
 めでたしと見たてまつるとも、心もて宮仕ひ思ひ立たむこそ、いとさし過ぎたる心ならめ」
 「あら、嫌ですわ。
 いくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、とても出過ぎた考えでしょう」
   とて、笑ひたまふ。
 
 と言って、お笑いになる。
 
   「いで、そこにしもぞ、めできこえたまはむ」  「さあ、そういうあなたこそ、きっと熱心になることでしょう」
   などのたまうて、また御返り、  などとおっしゃって、改めてお返事に、
 

393
 「あかねさす 光は空に 曇らぬを
 などて行幸に 目をきらしけむ
 「日の光は曇りなく輝いていましたのに
  どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう
 
   なほ、思し立て」  やはり、ご決心なさい」
   など、絶えず勧めたまふ。
 
 などと、ひっきりなしにお勧めになる。
 
 
 

第五段 玉鬘、裳着の準備

 
   「とてもかうても、まづ御裳着のことをこそは」と思して、その御まうけの御調度の、こまかなるきよらども加へさせたまひ、何くれの儀式を、御心にはいとも思ほさぬことをだに、おのづからよだけくいかめしくなるを、まして、「内の大臣にも、やがてこのついでにや知らせたてまつりてまし」と思し寄れば、いとめでたくなむ。
 「年返りて、二月に」と思す。
 
 「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を」とお思いになって、そのご用意の御調度類の、精巧で立派な品々をお加えになり、どういった儀式であれ、ご自分では大して考えていらっしゃらないことでも、自然と大げさに立派になるのを、まして、「内大臣にも、このまま儀式の機会にお知らせ申そうか」とお考え寄りになったので、たいそう立派である。
 「年が明けて、二月に」とお考えになる。
 
   「女は、聞こえ高く、名隠したまふべきほどならぬも、人の御女とて、籠もりおはするほどは、かならずしも、氏神の御つとめなど、あらはならぬほどなればこそ、年月はまぎれ過ぐしたまへ、この、もし思し寄ることもあらむには、春日の神の御心違ひぬべきも、つひには隠れてやむまじきものから、あぢきなく、わざとがましき後の名まで、うたたあるべし。
 なほなほしき人の際こそ、今様とては、氏改むることのたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「親子の御契り、絶ゆべきやうなし。
 同じくは、わが心許してを、知らせたてまつらむ」
 「女性というものは、評判が高く、名をお隠しできる年頃ではなくとも、誰かの姫君として、深窓にこもっていらっしゃる間は、必ずしも氏神への参詣なども、表立ってしないので、今までは分からないように過ごしていらっしゃったが、この、もし今考えていることが実現したら、春日明神の御心に背いてしまうし、結局は隠しおおせるものではないから、つまらないことに、格別の計略があったことのように後々まで取り沙汰されては、おもしろからぬことだろう。
 並の人の身分なら、当世ふうとしては、氏を改めることも簡単なものだが」などとご思案なさるが、「親子のご縁は、絶えるようなことはないものだ。
 同じことなら、こちらから進んで、お知らせ申そう」
   など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞こえたまうければ、大宮、去年の冬つ方より悩みたまふこと、さらにおこたりたまはねば、かかるに合はせて、便なかるべきよし、聞こえたまへり。
 
 などとご決心なさって、この儀式の御腰結役には、その内大臣をと、お手紙を差し上げなさったところ、大宮が、去年の冬頃から病気をなさっていたが、一向によくおなりにならないので、このような場合では、都合がつかない旨を、お返事申された。
 
   中将の君も、夜昼、三条にぞさぶらひたまひて、心の隙なくものしたまうて、折悪しきを、いかにせましと思す。
 
 中将の君も、昼夜、三条宮邸に伺候なさっていて、心に余裕もなくいらっしゃるので、時機が悪いのを、どうしたものか、とお考えになる。
 
   「世も、いと定めなし。
 宮も亡せさせたまはば、御服あるべきを、知らず顔にてものしたまはむ、罪深きこと多からむ。
 おはする世に、このこと表はしてむ」
 「世の中も、まことに無常なものだ。
 大宮がお亡くなりにあそばしたら、御喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていらっしゃったら、罪深いことが多かろう。
 生きていらっしゃるうちに、このことを打ち明けよう」
   と思し取りて、三条の宮に、御訪らひがてら渡りたまふ。
 
 とお考えになって、三条宮邸に、お見舞いかたがたお出かけになる。
 
 
 

第二章 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る

 
 

第一段 源氏、三条宮を訪問

 
   今はまして、忍びやかにふるまひたまへど、行幸に劣らずよそほしく、いよいよ光をのみ添へたまふ御容貌などの、この世に見えぬ心地して、めづらしう見たてまつりたまふには、いとど御心地の悩ましさも、取り捨てらるる心地して、起きゐたまへり。
 御脇息にかかりて、弱げなれど、ものなどいとよく聞こえたまふ。
 
 今は以前にもまして、目立たないようになさったが、行幸に負けないほど厳めしく立派で、ますます光輝くばかりのお顔立ちなどが、この世では見られないほどの感じがして、素晴らしいと拝見なさるにつけては、ますますご気分の悪さも、取り除かれたような気持ちがして、起きて座わりになった。
 御脇息に寄りかかりなさって、弱々しそうであるが、お話などはたいそうよく申し上げなさる。
 
   「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣の心惑はして、おどろおどろしう嘆ききこえさすめれば、いかやうにものせさせたまふにかとなむ、おぼつかながりきこえさせつる。
 内裏などにも、ことなるついでなき限りは参らず、朝廷に仕ふる人ともなくて籠もりはべれば、よろづうひうひしう、よだけくなりにてはべり。
 齢など、これよりまさる人、腰堪へぬまで屈まりありく例、昔も今もはべめれど、あやしくおれおれしき本性に、添ふもの憂さになむはべるべき」
 「お悪くはいらっしゃいませんのに、某の朝臣が気を動転させて、仰々しくお嘆き申しているようでしたので、どのようにいらっしゃるのかと、ご心配申し上げておりました。
 宮中などにも、特別な場合でない限りは参内せず、朝廷に仕える人らしくもなく籠もっておりますので、何事も不慣れで大儀に思っております。
 年齢など、わたし以上の人で、腰が辛抱できないほど曲がっても動き回る例は、昔も今もございますようですが、妙に愚かしい性分の上に、物臭になったのでございましょう」
   など聞こえたまふ。
 
 などと申し上げなさる。
 
   「年の積もりの悩みと思うたまへつつ、月ごろになりぬるを、今年となりては、頼み少なきやうにおぼえはべれば、今一度、かく見たてまつりきこえさすることもなくてやと、心細く思ひたまへつるを、今日こそ、またすこし延びぬる心地しはべれ。
 今は惜しみとむべきほどにもはべらず。
 さべき人びとにも立ち後れ、世の末に残りとまれる類ひを、人の上にて、いと心づきなしと見はべりしかば、出で立ちいそぎをなむ、思ひもよほされはべるに、この中将の、いとあはれにあやしきまで思ひあつかひ、心を騒がいたまふ見はべるになむ、さまざまにかけとめられて、今まで長びきはべる」
 「年老いたための病気と存じながら、ここ数か月になってしまいましたが、今年になってからは、望みも少なそうに思われますので、もう一度、このようにお目にかかりお話し申し上げることもないのではなかろうかと、心細く存じておりましたが、今日は、再びもう少し寿命も延びたような気が致します。
 今はもう惜しむほどの年ではございません。
 親しい人たちにも先立たれ、年老いて生き残っている例を、他人の身の上として、とても見苦しいと見ておりましたので、後世への出立の準備が、気になっておりますが、この中将が、とても真心こめて不思議なほどよくお世話し、心配してくださるのを見ましては、あれこれと心を引き留められて、今まで生き延びております」
   と、ただ泣きに泣きて、御声のわななくも、をこがましけれど、さることどもなれば、いとあはれなり。
 
 と、ただお泣きになるばかりで、お声が震えているのも、ばかばかしく思うが、無理のないことなので、まことにお気の毒なことである。
 
 
 

第二段 源氏と大宮との対話

 
   御物語ども、昔今のとり集め聞こえたまふついでに、  お話など、昔のこと今のことなどあれこれととりまぜて申し上げなさる折に、
   「内の大臣は、日隔てず参りたまふことしげからむを、かかるついでに対面のあらば、いかにうれしからむ。
 いかで聞こえ知らせむと思ふことのはべるを、さるべきついでなくては、対面もありがたければ、おぼつかなくてなむ」
 「内大臣は、日を置かず参上なさることは多いでしょうから、このような機会にお目にかかれたら、どんなに嬉しいことでしょう。
 ぜひともお知らせ申し上げたいと思うことがございますが、しかるべき機会がなくては、お目にかかることも難しいので、気になっています」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
   「公事のしげきにや、私の心ざしの深からぬにや、さしもとぶらひものしはべらず。
 のたまはすべからむことは、何さまのことにかは。
 中将の恨めしげに思はれたることもはべるを、『初めのことは知らねど、今はけに聞きにくくもてなすにつけて、立ちそめにし名の、取り返さるるものにもあらず、をこがましきやうに、かへりては世人も言ひ漏らすなるを』などものしはべれば、立てたるところ、昔よりいと解けがたき人の本性にて、心得ずなむ見たまふる」
 「公務が忙しいのでしょうか、孝心が深くないのでしょうか、それほど見舞いにも参りません。
 おっしゃりたいことは、どのようなことでしょうか。
 中将が恨めしく思っていることもございますが、『初めのことは知らないが、今となって二人を引き離そうとしたところで、いったん立った噂は、取り消せるものではなし、ばかげたようで、かえって世間の人も噂するというものを』などと言いましたが、一度言い出しことは、昔から後に引かない性格ですから、分かってくれないように見受けられます」
   と、この中将の御ことと思してのたまへば、うち笑ひたまひて、  と、この中将のこととお思いになっておっしゃるので、にっこりなさって、
   「いふかひなきに、許し捨てたまふこともやと聞きはべりて、ここにさへなむかすめ申すやうありしかど、いと厳しう諌めたまふよしを見はべりし後、何にさまで言をもまぜはべりけむと、人悪う悔い思うたまへてなむ。
 
 「今さら言ってもしかたのないことと、お許しになることもあろうかと聞きまして、わたくしまでがそれとなく口添え申したようなことがありましたが、たいそう厳しくお諌めになる旨を拝見しまして後は、どうしてそんなにまで口出しを致したのだろうかと、体裁悪く後悔致しております。
 
   よろづのことにつけて、清めといふことはべれば、いかがは、さもとり返しすすいたまはざらむとは思うたまへながら、かう口惜しき濁りの末に、待ちとり深う住むべき水こそ出で来がたかべい世なれ。
 何ごとにつけても、末になれば、落ちゆくけぢめこそやすくはべめれ。
 いとほしう聞きたまふる」
 万事につけて、清めということがございますので、何とかして、元通りにきれいさっぱり水に流してくださらないことがあろうかとは存じながら、このように残念ながら濁り淀んでしまった末には、いくら待ち受けても深く澄むような水というものは出て来にくいものなのでしょう。
 何事につけても、後になるほど、悪くなって行き易いもののようでございます。
 お気の毒なことと存じます」
   など申したまうて、  などと申し上げて、
 
 

第三段 源氏、大宮に玉鬘を語る

 
   「さるは、かの知りたまふべき人をなむ、思ひまがふることはべりて、不意に尋ね取りてはべるを、その折は、さるひがわざとも明かしはべらずありしかば、あながちにことの心を尋ね返さふこともはべらで、たださるものの種の少なきを、かことにても、何かはと思うたまへ許して、をさをさ睦びも見はべらずして、年月はべりつるを、いかでか聞こしめしけむ、内裏に仰せらるるやうなむある。
 
 「実は、あの方がお世話なさるはずの人を、思い違いがございまして、思いがけず捜し出しましたが、その時は、そうした間違いだとも言ってくれなかったものでしたから、しいて事情を詮索することもしませんで、ただそのような子どもが少ないので、口実であっても、何かまうものかと大目に見まして、少しも親身な世話もしませんで、年月が過ぎましたが、どのようにしてお聞きあそばしたのでしょうか、帝から仰せになることがございました。
 
   尚侍、宮仕へする人なくては、かの所のまつりごとしどけなく、女官なども公事を仕うまつるに、たづきなく、こと乱るるやうになむありけるを、ただ今、主上にさぶらふ古老の典侍二人、またさるべき人びと、さまざまに申さするを、はかばかしう選ばせたまはむ尋ねに、類ふべき人なむなき。
 
 尚侍として、宮仕えする者がいなくては、あの役所の仕事は取り締まれず、女官なども公務を勤めるのに頼り所がなく、事務が滞るようであったが、現在、帝付きの老齢の典侍二人や、また他に適当な人々が、それぞれに申し出ているが、立派な人をお選びあそばそうとするのに、その適任者がいない。
 
   なほ、家高う、人のおぼえ軽からで、家のいとなみたてたらぬ人なむ、いにしへよりなり来にける。
 したたかにかしこきかたの選びにては、その人ならでも、年月の労になりのぼる類ひあれど、しか類ふべきもなしとならば、おほかたのおぼえをだに選らせたまはむとなむ、うちうちに仰せられたりしを、似げなきこととしも、何かは思ひたまはむ。
 
 やはり、家柄も高く、世間の評判も軽くはなく、家の生活の心配のない人が、昔からなってきている。
 仕事ができて賢い人という点での選考ならば、そういった人でなくとも、長年の功労によって昇任する例もあるが、それに当たる者もいないとなると、せめて世間一般の評判によってでもお選びあそばそうと、内々に仰せられましたが、似つかわしくないことだと、どうしてお思いになるでしょう。
 
   宮仕へは、さるべき筋にて、上も下も思ひ及び、出で立つこそ心高きことなれ。
 公様にて、さる所のことをつかさどり、まつりごとのおもぶきをしたため知らむことは、はかばかしからず、あはつけきやうにおぼえたれど、などかまたさしもあらむ。
 ただ、わが身のありさまからこそ、よろづのことはべめれと、思ひ弱りはべりしついでになむ。
 
 宮仕えというものは、帝の恩顧を期待して、身分の高い者も低い者も出仕するというのが、理想が高いというものです。
 一般職の役職に就いて、そうした所の役所を取り仕切り、公事に関する事務を処理するようなことは、何でもない、重々しくないように思われていますが、どうしてまたそのようなことがありましょうか。
 ただ、自分自身の心がけ次第で、万事決まるようでございましょうというふうに、気持ちが傾いてきましたところです。
 
   齢のほどなど問ひ聞きはべれば、かの御尋ねあべいことになむありけるを、いかなべいことぞとも、申しあきらめまほしうはべる。
 ついでなくては対面はべるべきにもはべらず。
 やがてかかることなむと、あらはし申すべきやうを思ひめぐらして、消息申ししを、御悩みにことづけて、もの憂げにすまひたまへりし。
 
 年齢を尋ねましたところ、あの大臣がお引き取りになるはずの人であることが分かりましたので、どうしたらよいことかと、はっきりとご相談申し上げたいと存じております。
 何かの機会がなくてはお目にかかることもございません。
 すぐにこれこれしかじかのことをと、打ち明けて申し上げるべく手立てを考えて、お手紙を差し上げたのですが、ご病気のことを口実にして、億劫がって辞退なさいました。
 
   げに、折しも便なう思ひとまりはべるに、よろしうものせさせたまひければ、なほ、かう思ひおこせるついでにとなむ思うたまふる。
 さやうに伝へものせさせたまへ」
 なるほど、時期も悪いと思い止まっていたのですが、ご病気もよろしくいらっしゃるようですから、やはり、このように考え出しました機会にと存じております。
 そのようにお伝え下さいませ」
   と聞こえたまふ。
 宮、
 と申し上げなさる。
 宮、
   「いかに、いかに、はべりけることにか。
 かしこには、さまざまにかかる名のりする人を、厭ふことなく拾ひ集めらるめるに、いかなる心にて、かくひき違へかこちきこえらるらむ。
 この年ごろ、うけたまはりて、なりぬるにや」
 「それは、それは、一体どうしたことでございましょうか。
 あちらでは、いろいろとこのような名乗って出て来る人を、かまわずに迎え取っているようですが、どのような考えで、このように間違えて申し出たのでしょう。
 近年になってから、お噂を伺って、お子になったのでしょうか」
   と、聞こえたまへば、  と、お尋ねなさるので、
   「さるやうはべることなり。
 詳しきさまは、かの大臣もおのづから尋ね聞きたまうてむ。
 くだくだしき直人の仲らひに似たることにはべれば、明かさむにつけても、らうがはしう人言ひ伝へはべらむを、中将の朝臣にだに、まだわきまへ知らせはべらず。
 人にも漏らさせたまふまじ」
 「それにはそれなりの訳がございますのです。
 詳しい事情は、あの大臣も自然とお分かりになるでしょう。
 ごたごたした身分の女との間によくあるような話ですから、事情を明かしても、喧しく人が噂するでしょうから、中将の朝臣にさえ、まだ事情を知らせておりません。
 人にはお漏らしになりませんように」
   と、御口かためきこえたまふ。
 
 と、お口止め申し上げなさる。
 
 
 

第四段 大宮、内大臣を招く

 
   内の大殿、かく三条の宮に太政大臣渡りおはしまいたるよし、聞きたまひて、  内大臣、このように三条宮に太政大臣がお越しになっていらっしゃる由、お聞きになって、
   「いかに寂しげにて、いつかしき御さまを待ちうけきこえたまふらむ。
 御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。
 中将は、御供にこそものせられつらめ」
 「どんなに人少なの状態で、威勢の盛んな御方をお迎え申されているのだろう。
 御前駆どもを接待し、お座席を、整える女房も、きっと気の利いた者はいないだろう。
 中将は、お供をなさっていることだろう」
   など、おどろきたまうて、御子どもの君達、睦ましうさるべきまうち君たち、たてまつれたまふ。
 
 などと、驚きなさって、ご子息の公達や、親しく出入りしているしかるべき廷臣たちを、差し向けなさる。
 
   「御くだもの、御酒など、さりぬべく参らせよ。
 みづからも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」
 「御果物や、御酒など、しかるべく差し上げよ。
 自分自身も参上しなければならないが、かえって大騷ぎになるだろう」
   などのたまふほどに、大宮の御文あり。
 
 などとおっしゃているところに、大宮のお手紙がある。
 
   「六条の大臣の訪らひに渡りたまへるを、もの寂しげにはべれば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことことしう、かう聞こえたるやうにはあらで、渡りたまひなむや。
 対面に聞こえまほしげなることもあなり」
 「六条の大臣がお見舞いにいらっしゃっているが、人少なな感じが致しますので、人目も体裁も悪く、もったいなくもあるので、仰々しくこのように申し上げたようにではなく、お越しになりませんか。
 お目にかかって申し上げたいそうなこともあるそうです」
   と聞こえたまへり。
 
 と、お申し上げなさった。
 
   「何ごとにかはあらむ。
 この姫君の御こと、中将の愁へにや」と思しまはすに、「宮もかう御世残りなげにて、このことと切にのたまひ、大臣も憎からぬさまに一言うち出で恨みたまはむに、とかく申しかへさふことえあらじかし。
 つれなくて思ひ入れぬを見るにはやすからず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔にて許してむ」と思す。
 
 「どのようなことだろうか。
 この姫君のおんこと、中将の苦情だろうか」とお考えめぐらしになって、「宮もこのように余命少なげで、このことをしきりにおっしゃり、大臣も穏やかに一言口に出して訴えておっしゃるなるば、とやかく反対申すことはしまい。
 平気な顔をして深く思い悩んでいないのを見るのは面白くないし、適当な機会があったら、相手のお言葉に従った顔をして二人の仲を許そう」とお考えになる。
 
   「御心をさしあはせてのたまはむこと」と思ひ寄りたまふに、「いとど否びどころなからむが、また、などかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。
 「されど、宮かくのたまひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや、かたがたにかたじけなし。
 参りてこそは、御けしきに従はめ」
 「お二人が心を合わせておっしゃろうとすることだな」とお思いになると、「ますます反対のしようのないことだが、また、どうしてすぐに承知する必要があろうか」と躊躇されるのは、じつによからぬあいにくなご性分である。
 「しかし、宮がこのようにおっしゃり、大臣も会おうとお待ちになっているとか、どちらに対しても恐れ多い。
 参上してからご意向に従おう」
   など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前などもことことしきさまにはあらで渡りたまふ。
 
 などとお考え直して、ご装束を特に気をつけ整えなさって、御前駆なども仰々しくなくしてお出かけになる。
 
 
 

第五段 内大臣、三条宮邸に参上

 
   君達いとあまた引きつれて入りたまふさま、ものものしう頼もしげなり。
 丈だちそぞろかにものしたまふに、太さもあひて、いと宿徳に、面もち、歩まひ、大臣といはむに足らひたまへり。
 
 ご子息方をたいそう大勢引き連れてお入りになる様子、堂々として頼もしげである。
 背丈も高くていらっしゃるうえに、肉づきも釣り合って、たいそう落ち着いて威厳があり、お顔つき、歩き方、大臣というに十分でいらっしゃる。
 
   葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長うは裾引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらしと見えたまへるに、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣ひき重ねて、しどけなき大君姿、いよいよたとへむものなし。
 光こそまさりたまへ、かうしたたかにひきつくろひたまへる御ありさまに、なずらへても見えたまはざりけり。
 
 葡萄染の御指貫、桜の下襲、たいそう長く裾を引いて、ゆったりとことさらに振る舞っていらっしゃるのは、ああ何とご立派なとお見えになるが、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣を重ねて、くつろいだ皇子らしい姿が、ますます喩えようもない。
 一段と光輝いていらっしゃるが、このようにきちんと衣装を整えていらっしゃるご様子には、比べものにならないお姿であった。
 
   君達次々に、いとものきよげなる御仲らひにて、集ひたまへり。
 藤大納言、春宮大夫など、今は聞こゆる子どもも、皆なり出でつつものしたまふ。
 おのづから、わざともなきに、おぼえ高くやむごとなき殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中、少将、弁官など、人柄はなやかにあるべかしき、十余人集ひたまへれば、いかめしう、次々のただ人も多くて、土器あまたたび流れ、皆酔ひになりて、おのおのかう幸ひ人にすぐれたまへる御ありさまを物語にしけり。
 
 ご子息たちは次々と、まことに美しいご兄弟で、集まっていらっしゃる。
 藤大納言、春宮大夫などと、今では申す方のご子息方も、みな大きくなってお供していらっしゃる。
 自然と、特別ではないが、評判が高く身分の高い殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将、少将、弁官など、人柄が派手で立派な、十何人が集まっていらっしゃるので、堂々としていて、それ以下の普通の人も多くいるので、杯が何回も回り、みな酔ってしまって、それぞれがこのように幸福が誰よりも勝れていらっしゃるご境遇を話題にしていた。
 
 
 

第六段 源氏、内大臣と対面

 
   大臣も、めづらしき御対面に、昔のこと思し出でられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、挑ましき御心も添ふべかめれ、さし向かひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることの数々思し出でつつ、例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、日暮れゆく。
 御土器など勧め参りたまふ。
 
 大臣も、ひさしぶりのご対面に、昔のことを自然と思い出されて、離れていてこそ、ちょっとしたことにつけても、競争心も起きるようだが、向かい合ってお話し申し上げなさると、お互いにたいそうしみじみとしたことの数々が思い出されなさって、いつもの、心の隔てなく、昔や今のことがらや、長年のお話しに、日が暮れて行く。
 お杯などお勧め申し上げなさる。
 
   「さぶらはでは悪しかりぬべかりけるを、召しなきに憚りて。
 うけたまはり過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」
 「お見舞いに伺わなくてはいけないことでしたが、お呼びがないので遠慮致しておりまして。
 お越しを承りながら参りませんでしたら、お叱り事が増えたことでしょうが」
   と申したまふに、  とお申し上げになると、
   「勘当は、こなたざまになむ。
 勘事と思ふこと多くはべる」
 「お叱りは、こちらの方です。
 お怒りだと思うことがたくさんございます」
   など、けしきばみたまふに、このことにやと思せば、わづらはしうて、かしこまりたるさまにてものしたまふ。
 
 などと、意味ありげにおっしゃると、あの姫君のことだろうかとお思いになって、厄介なことだと、恐縮した態度でいらっしゃる。
 
   「昔より、公私のことにつけて、心の隔てなく、大小のこと聞こえうけたまはり、羽翼を並ぶるやうにて、朝廷の御後見をも仕うまつるとなむ思うたまへしを、末の世となりて、そのかみ思うたまへし本意なきやうなること、うち交りはべれど、うちうちの私事にこそは。
 
 「昔から、公私の事柄につけて、心に隔てなく、大小のことを申し上げたり承ったりして、羽翼を並べるようにして、朝廷の御補佐も致そうと存じておりましたが、年月がたちまして、その当時考えておりました気持ちと違うようなこと、時々出て来ましたが、内々の私事でしかありません。
 
   おほかたの心ざしは、さらに移ろふことなくなむ。
 何ともなくて積もりはべる年齢に添へて、いにしへのことなむ恋しかりけるを、対面賜はることもいとまれにのみはべれば、こと限りありて、世だけき御ふるまひとは思うたまへながら、親しきほどには、その御勢ひをも、引きしじめたまひてこそは、訪らひものしたまはめとなむ、恨めしき折々はべる」
 それ以外のことでは、まったく変わるところはありません。
 特に何ということもなく年をとって行くにつれて、昔のことが懐しくなったのに、お目にかかることもほとんどなくなって行くばかりですので、身分柄きまりがあって、威儀あるお振る舞いをしなければとは存じながらも、親しい間柄では、そのご威勢もお控え下さって、お訪ね下さったらよいのにと、恨めしく思うことが度々ございます」
   と聞こえたまへば、  とお申し上げなさると、
   「いにしへは、げに面馴れて、あやしくたいだいしきまで馴れさぶらひ、心に隔つることなく御覧ぜられしを、朝廷に仕うまつりし際は、羽翼を並べたる数にも思ひはべらで、うれしき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にて、かかる位に及びはべりて、朝廷に仕うまつりはべることに添へても、思うたまへ知らぬにははべらぬを、齢の積もりには、げにおのづからうちゆるぶことのみなむ、多くはべりける」  「昔は、おっしゃる通りしげしげお会いして、何とも失礼なまでにいつもご一緒申して、心に隔てることなくお付き合いいただきましたが、朝廷にお仕えした当初は、あなたと羽翼を並べる一人とは思いもよりませんで、嬉しいお引き立てをば、大したこともない身の上で、このような地位に昇りまして、朝廷にお仕え致しますことに合わせても、有り難いと存じませぬのではありませんが、年をとりますと、おっしゃる通りつい怠慢になることばかりが、多くございました」
   などかしこまり申したまふ。
 
 などと、お詫びを申し上げなさる。
 
   そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり。
 大臣、
 その機会に、ちらと姫君のことをおっしゃったのであった。
 内大臣、
   「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち泣きたまひて、「そのかみより、いかになりにけむと尋ね思うたまへしさまは、何のついでにかはべりけむ、愁へに堪へず、漏らし聞こしめさせし心地なむしはべる。
 今かく、すこし人数にもなりはべるにつけて、はかばかしからぬ者どもの、かたがたにつけてさまよひはべるを、かたくなしく、見苦しと見はべるにつけても、またさるさまにて、数々に連ねては、あはれに思うたまへらるる折に添へても、まづなむ思ひたまへ出でらるる」
 「まことに感慨深く、またとなく珍しいことでございますね」と、何よりも先お泣きになって、「その当時からどうしてしまったのだろうと捜しておりましたことは、何の機会でございましたでしょうか、悲しさに我慢できず、お話しお耳に入れましたような気が致します。
 今このように、少しは一人前にもなりまして、つまらない子供たちが、それぞれの縁故を頼ってうろうろ致しておりますのを、体裁が悪く、みっともないと思っておりますにつけても、またそれはそれとして、数々いる子供の中では、不憫だと思われる時々につけても、真っ先に思い出されるのです」
   とのたまふついでに、かのいにしへの雨夜の物語に、いろいろなりし御睦言の定めを思し出でて、泣きみ笑ひみ、皆うち乱れたまひぬ。
 
 とおっしゃるのをきっかけに、あの昔の雨夜の物語の時に、さまざまに語った体験談の結論をお思い出しになって、泣いたり笑ったり、すっかり打ち解けられた。
 
 
 

第七段 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去

 
   夜いたう更けて、おのおのあかれたまふ。
 
 夜がたいそう更けて、それぞれお別れになる。
 
   「かく参り来あひては、さらに、久しくなりぬる世の古事、思うたまへ出でられ、恋しきことの忍びがたきに、立ち出でむ心地もしはべらず」  「このように参上してご一緒しては、まったく、古くなってしまった昔の事が、自然と思い出されて、懐しい気持ちが抑えきれずに、帰る気も致しません」
   とて、をさをさ心弱くおはしまさぬ六条殿も、酔ひ泣きにや、うちしほれたまふ。
 宮はたまいて、姫君の御ことを思し出づるに、ありしにまさる御ありさま、勢ひを見たてまつりたまふに、飽かず悲しくて、とどめがたく、しほしほと泣きたまふ尼衣は、げに心ことなりけり。
 
 とおっしゃって、決して気弱くはいらっしゃらない六条殿も、酔い泣きなのか、涙をお流しになる。
 宮は宮で言うまでもなく、姫君のお身の上をお思い出しになって、昔に優るご立派な様子、ご威勢を拝見なさると、悲しみが尽きないで、涙をとどめることができず、しおしおとお泣きになる尼姿は、なるほど格別な風情であった。
 
   かかるついでなれど、中将の御ことをば、うち出でたまはずなりぬ。
 ひとふし用意なしと思しおきてければ、口入れむことも人悪く思しとどめ、かの大臣はた、人の御けしきなきに、さし過ぐしがたくて、さすがにむすぼほれたる心地したまうけり。
 
 このようなよい機会であるが、中将のおんことは、お口に出さずに終わってしまった。
 一ふし思いやりがないとお思いであったので、口に出すことも体裁悪くお考えやめになり、あの内大臣はまた内大臣で、お言葉もないのに出過ぎることができずに、そうはいうものの胸の晴れない気持ちがなさるのであった。
 
   「今宵も御供にさぶらふべきを、うちつけに騒がしくもやとてなむ。
 今日のかしこまりは、ことさらになむ参るべくはべる」
 「今夜もお供致すべきでございますが、急なことでお騒がせしてもいかがかと存じます。
 今日のお礼は、日を改めて参上致します」
   と申したまへば、  とお申し上げなさると、
   「さらば、この御悩みもよろしう見えたまふを、かならず聞こえし日違へさせたまはず、渡りたまふべき」よし、聞こえ契りたまふ。
 
 「それでは、こちらのご病気もよろしいようにお見えになるので、きっと申し上げた日をお間違えにならず、お出で下さるように」とのこと、お約束なさる。
 
   御けしきどもようて、おのおの出でたまふ響き、いといかめし。
 君達の御供の人びと、
 お二人方のご機嫌も良くて、それぞれがお帰りになる物音、たいそう盛大である。
 ご子息たちのお供の人々は、
   「何ごとありつるならむ。
 めづらしき御対面に、いと御けしきよげなりつるは」
 「何があったのだろうか。
 久し振りのご対面で、たいそうご機嫌が良くなったのは」
   「また、いかなる御譲りあるべきにか」  「また、どのようなご譲与があったのだろうか」
   など、ひが心を得つつ、かかる筋とは思ひ寄らざりけり。
 
 などと、勘違いをして、このようなこととは思いもかけなかったのであった。
 
 
 

第三章 玉鬘の物語 裳着の物語

 
 

第一段 内大臣、源氏の意向に従う

 
   大臣、うちつけにいといぶかしう、心もとなうおぼえたまへど、  内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたくお思いになるが、
   「ふと、しか受けとり、親がらむも便なからむ。
 尋ね得たまへらむ初めを思ふに、定めて心きよう見放ちたまはじ。
 やむごとなき方々を憚りて、うけばりてその際にはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞こえを思ひて、かく明かしたまふなめり」
 「さっと、そのように迎え取って、親らしくするのも不都合だろう。
 捜し出して手にお入れになった当初のことを想像すると、きっと潔白なまま放っておかれることはあるまい。
 れっきとした夫人方の手前を遠慮して、はっきりと愛人としては扱わず、そうはいっても面倒なことで、世間の評判を思って、このように打ち明けたのだろう」
   と思すは、口惜しけれど、  とお思いになるのは、残念だけれども、
   「それを疵とすべきことかは。
 ことさらにも、かの御あたりに触ればはせむに、などかおぼえの劣らむ。
 宮仕へざまにおもむきたまへらば、女御などの思さむこともあぢきなし」と思せど、「ともかくも、思ひ寄りのたまはむおきてを違ふべきことかは」
 「そのことを瑕としなくてはならないことだろうか。
 こちらから進んで、あちらのお側に差し上げたとしても、どうして評判の悪いことがあろうか。
 宮仕えなさるようなことになったら、女御などがどうお思いになることも、おもしろくないことだ」とお考えになるが、「どちらにせよ、ご決定されおっしゃったことに背くことができようか」
   と、よろづに思しけり。
 
 と、いろいろとお考えになるのであった。
 
   かくのたまふは、二月朔日ころなりけり。
 十六日、彼岸の初めにて、いと吉き日なりけり。
 近うまた吉き日なしと勘へ申しけるうちに、宮よろしうおはしませば、いそぎ立ちたまうて、例の渡りたまうても、大臣に申しあらはししさまなど、いとこまかにあべきことども教へきこえたまへば、
 このようなお話があったのは、二月上旬のことであった。
 十六日が彼岸の入りで、たいそう吉い日であった。
 近くにまた吉い日はないと占い申した上に、宮も少しおよろしかったので、急いでご準備なさって、いつものようにお越しになっても、内大臣にお打ち明けになった様子などを、たいそう詳細に、当日の心得などをお教え申し上げなさると、
   「あはれなる御心は、親と聞こえながらも、ありがたからむを」  「行き届いたお心づかいは、実の親と申しても、これほどのことはあるまい」
   と思すものから、いとなむうれしかりける。
 
 とお思いになるものの、とても嬉しくお思いになるのであった。
 
   かくて後は、中将の君にも、忍びてかかることの心のたまひ知らせけり。
 
 こうして以後は、中将の君にも、こっそりとこのような事実をお知らせなさったのであった。
 
   「あやしのことどもや。
 むべなりけり」
 「妙なことばかりだ。
 知ってみればもっともなことだ」
   と、思ひあはすることどもあるに、かのつれなき人の御ありさまよりも、なほもあらず思ひ出でられて、「思ひ寄らざりけることよ」と、しれじれしき心地す。
 されど、「あるまじう、ねじけたるべきほどなりけり」と、思ひ返すことこそは、ありがたきまめまめしさなめれ。
 
 と、合点のゆくことがあるが、あの冷淡な姫君のご様子よりも、さらにたまらなく思い出されて、「思いも寄らないことだった」と、ばかばかしい気がする。
 けれども、「あってはならないこと。
 筋違いなことだ」と、反省することは、珍しいくらいの誠実さのようである。
 
 
 

第二段 二月十六日、玉鬘の裳着の儀

 
   かくてその日になりて、三条の宮より、忍びやかに御使あり。
 御櫛の筥など、にはかなれど、ことどもいときよらにしたまうて、御文には、
 こうしてその当日となって、三条宮からも、こっそりとお使いがある。
 御櫛の箱など、急なことであるが、種々の品々をたいそう見事に仕立てなさって、お手紙には、
   「聞こえむにも、いまいましきありさまを、今日は忍びこめはべれど、さるかたにても、長き例ばかりを思し許すべうや、とてなむ。
 あはれにうけたまはり、あきらめたる筋をかけきこえむも、いかが。
 御けしきに従ひてなむ。
 「お手紙を差し上げるにも、憚れる尼姿のため、今日は引き籠もっておりますが、それに致しましても、長生きの例にあやかって戴くということで、お許し下さるだろうかと存じまして。
 しみじみと感動してお聞き致しまして、はっきりしました事情を申し上げるのも、どうかと存じまして。
 あなたのお気持ち次第で。
 

394
 ふたかたに 言ひもてゆけば 玉櫛笥
 わが身はなれぬ 懸子なりけり」
  どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって
  切っても切れない孫に当たる方なのですね」
 
   と、いと古めかしうわななきたまへるを、殿もこなたにおはしまして、ことども御覧じ定むるほどなれば、見たまうて、  と、たいそう古風に震えてお書きになっているのを、殿もこちらにいらっしゃって、準備をお命じになっている時なので、御覧になって、
   「古代なる御文書きなれど、いたしや、この御手よ。
 昔は上手にものしたまひけるを、年に添へて、あやしく老いゆくものにこそありけれ。
 いとからく御手ふるひにけり」
 「古風なご文面だが、大したものだ、このご筆跡は。
 昔はお上手でいらっしゃったが、年を取るに従って、奇妙に筆跡も年寄じみて行くものですね。
 たいそう痛々しいほどお手が震えていらっしゃるなあ」
   など、うち返し見たまうて、  などと、繰り返し御覧になって、
   「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。
 三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」
 「よくもこれほど玉くしげに引っ掛けた歌だ。
 三十一文字の中に、無縁な文字を少ししか使わずに詠むということは難しいことだ」
   と、忍びて笑ひたまふ。
 
と、そっとお笑いになる。
 
 
 

第三段 玉鬘の裳着への祝儀の品々

 
   中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など、いと二なくて、例の、壺どもに、唐の薫物、心ことに香り深くてたてまつりたまへり。
 
 中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など、たいそうまたとない立派さで、例によって、数々の壷に、唐の薫物、格別に香り深いのを差し上げなさった。
 
   御方々、皆心々に、御装束、人びとの料に、櫛扇まで、とりどりにし出でたまへるありさま、劣りまさらず、さまざまにつけて、かばかりの御心ばせどもに、挑み尽くしたまへれば、をかしう見ゆるを、東の院の人びとも、かかる御いそぎは聞きたまうけれども、訪らひきこえたまふべき数ならねば、ただ聞き過ぐしたるに、常陸の宮の御方、あやしうものうるはしう、さるべきことの折過ぐさぬ古代の御心にて、いかでかこの御いそぎを、よそのこととは聞き過ぐさむ、と思して、形のごとなむし出でたまうける。
 
 ご夫人方は、みな思い思いに、御装束、女房の衣装に、櫛や扇まで、それぞれにご用意なさった出来映えは、優るとも劣らない、それぞれにつけて、あれほどの方々が互いに、競争でご趣向を凝らしてお作りになったので、素晴らしく見えるが、東の院の人々も、このようなご準備はお聞きになっていたが、お祝い申し上げるような人数には入らないので、ただ聞き流していたが、常陸の宮の御方、妙に折目正しくて、なすべき時にはしないではいられない昔気質でいらして、どうしてこのようなご準備を、他人事として聞き過していられようか、とお思いになって、きまり通りご用意なさったのであった。
 
   あはれなる御心ざしなりかし。
 青鈍の細長一襲、落栗とかや、何とかや、昔の人のめでたうしける袷の袴一具、紫のしらきり見ゆる霰地の御小袿と、よき衣筥に入れて、包いとうるはしうて、たてまつれたまへり。
 
 殊勝なお心掛けである。
 青鈍色の細長を一襲、落栗色とか、何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿とを、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさった。
 
   御文には、  お手紙には、
   「知らせたまふべき数にもはべらねば、つつましけれど、かかる折は思たまへ忍びがたくなむ。
 これ、いとあやしけれど、人にも賜はせよ」
 「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、遠慮致しておりましたが、このような時は知らないふりもできにくうございまして。
 これは、とてもつまらない物ですが、女房たちにでもお与え下さい」
   と、おいらかなり。
 殿、御覧じつけて、いとあさましう、例の、と思すに、御顔赤みぬ。
 
 と、おっとり書いてある。
 殿が、御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。
 
   「あやしき古人にこそあれ。
 かくものづつみしたる人は、引き入り沈み入りたるこそよけれ。
 さすがに恥ぢがましや」とて、「返りことはつかはせ。
 はしたなく思ひなむ。
 父親王の、いとかなしうしたまひける、思ひ出づれば、人に落さむはいと心苦しき人なり」
 「妙に昔気質の人だ。
 ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのに。
 やはり体裁の悪いものです」と言って、「返事はおやりなさい。
 きまり悪く思うでしょう。
 父親王が、たいそう大切になさっていたのを、思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」
   と聞こえたまふ。
 御小袿の袂に、例の、同じ筋の歌ありけり。
 
 と申し上げなさる。
 御小袿の袂に、例によって、同じ趣向の歌があるのであった。
 
 

395
 「わが身こそ 恨みられけれ 唐衣
 君が袂に 馴れずと思へば」
 「わたし自身が恨めしく思われます
  あなたのお側にいつもいることができないと思いますと」
 
   御手は、昔だにありしを、いとわりなうしじかみ、彫深う、強う、堅う書きたまへり。
 大臣、憎きものの、をかしさをばえ念じたまはで、
 ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く、強く、固くお書きになっていた。
 大臣は、憎く思うものの、おかしいのを堪えきれないで、
   「この歌詠みつらむほどこそ。
 まして今は力なくて、所狭かりけむ」
 「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。
 まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」
   と、いとほしがりたまふ。
 
 と、お気の毒にお思いになる。
 
   「いで、この返りこと、騒がしうとも、われせむ」  「どれ、この返事は、忙しくても、わたしがしよう」
   とのたまひて、  とおっしゃって、
   「あやしう、人の思ひ寄るまじき御心ばへこそ、あらでもありぬべけれ」  「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことですのに」
   と、憎さに書きたまうて、  と、憎らしさのあまりにお書きになって、
 

396
 「唐衣 また唐衣 唐衣
 かへすがへすも 唐衣なる」
 「唐衣、また唐衣、唐衣
  いつもいつも唐衣とおっしゃいますね」
 
   とて、  と書いて、
   「いとまめやかに、かの人の立てて好む筋なれば、ものしてはべるなり」  「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」
   とて、見せたてまつりたまへば、君、いとにほひやかに笑ひたまひて、  と言って、お見せなさると、姫君は、たいそう顔を赤らめてお笑いになって、
   「あな、いとほし。
 弄じたるやうにもはべるかな」
 「まあ、お気の毒なこと。
 からかったように見えますわ」
   と、苦しがりたまふ。
 ようなしごといと多かりや。
 
 と、気の毒がりなさる。
 つまらない話が多かったことよ。
 
 
 

第四段 内大臣、腰結に役を勤める

 
   内大臣は、さしも急がれたまふまじき御心なれど、めづらかに聞きたまうし後は、いつしかと御心にかかりたれば、疾く参りたまへり。
 
 内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが、珍しい話をお聞きになって後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。
 
   儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしきさまにしなさせたまへり。
 「げにわざと御心とどめたまうけること」と見たまふも、かたじけなきものから、やう変はりて思さる。
 
 裳着の儀式などは、しきたり通りのことに更に事を加えて、目新しい趣向を凝らしてなさった。
 「なるほど特にお心を留めていらっしゃることだ」と御覧になるのも、もったいないと思う一方で、風変わりだと思わずにはいらっしゃれない。
 
   亥の時にて、入れたてまつりたまふ。
 例の御まうけをばさるものにて、内の御座いと二なくしつらはせたまうて、御肴参らせたまふ。
 御殿油、例のかかる所よりは、すこし光見せて、をかしきほどにもてなしきこえたまへり。
 
 亥の刻になって、御簾の中にお入れなさる。
 慣例通りの設備はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派に整えなさって、御酒肴を差し上げなさる。
 御殿油は、慣例の儀式の明るさよりも、少し明るくして、気を利かせてお持てなしなさった。
 
   いみじうゆかしう思ひきこえたまへど、今宵はいとゆくりかなべければ、引き結びたまふほど、え忍びたまはぬけしきなり。
 
 たいそうはっきりとお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても唐突なことなので、お結びになる時、お堪えきれない様子である。
 
   主人の大臣、  主人の大臣、
   「今宵は、いにしへざまのことはかけはべらねば、何のあやめも分かせたまふまじくなむ。
 心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」
 「今夜は、昔のことは何も話しませんから、何の詳細もお分りなさらないでしょう。
 事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」
   と聞こえたまふ。
 
 とお申し上げなさる。
 
   「げに、さらに聞こえさせやるべき方はべらずなむ」  「おっしゃる通り、まったく何とも申し上げようもございません」
   御土器参るほどに、  お杯をお口になさる時、
   「限りなきかしこまりをば、世に例なきことと聞こえさせながら、今までかく忍びこめさせたまひける恨みも、いかが添へはべらざらむ」  「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」
   と聞こえたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 
 

397
 「恨めしや 沖つ玉藻を かづくまで
 磯がくれける 海人の心よ」
 「恨めしいことですよ。
 玉裳を着る
  今日まで隠れていた人の心が」
 
   とて、なほつつみもあへずしほたれたまふ。
 姫君は、いと恥づかしき御さまどものさし集ひ、つつましさに、え聞こえたまはねば、殿、
 と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。
 姫君は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、
 

398
 「よるべなみ かかる渚に うち寄せて
 海人も尋ねぬ 藻屑とぞ見し
 「寄る辺がないので、このようなわたしの所に身を寄せて
  誰にも捜してもらえない気の毒な子だと思っておりました
 
   いとわりなき御うちつけごとになむ」  何とも無体なだしぬけのお言葉です」
   と聞こえたまへば、  と、お答え申し上げなさると、
   「いとことわりになむ」  「まことにごもっともです」
   と、聞こえやる方なくて、出でたまひぬ。
 
 と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。
 
 
 

第五段 祝賀者、多数参上

 
   親王たち、次々、人びと残るなく集ひたまへり。
 御懸想人もあまた混じりたまへれば、この大臣、かく入りおはしてほど経るを、いかなることにかと疑ひたまへり。
 
 親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった。
 思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃったので、この内大臣が、このように中にお入りになって暫く時間がたつので、どうしたことか、とお疑いになっていた。
 
   かの殿の君達、中将、弁の君ばかりぞ、ほの知りたまへりける。
 人知れず思ひしことを、からうも、うれしうも思ひなりたまふ。
 弁は、
 あの殿のご子息の中将や、弁の君だけは、かすかにご存知だったのであった。
 密かに思いを懸けていたことを、辛いこととも、また嬉しいこととも、お思いになる。
 弁の君は、
   「よくぞうち出でざりける」とささめきて、「さま異なる大臣の御好みどもなめり。
 中宮の御類ひに仕立てたまはむとや思すらむ」
 「よくもまあ告白しなかった」と小声で言って、「一風変わった大臣のお好みのようだ。
 中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」
   など、おのおの言ふよしを聞きたまへど、  などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、
   「なほ、しばしは御心づかひしたまうて、世にそしりなきさまにもてなさせたまへ。
 何ごとも、心やすきほどの人こそ、乱りがはしう、ともかくもはべべかめれ、こなたをもそなたをも、さまざま人の聞こえ悩まさむ、ただならむよりはあぢきなきを、なだらかに、やうやう人目をも馴らすなむ、よきことにははべるべき」
 「やはり、暫くの間はご注意なさって、世間から非難されないようにお扱い下さい。
 何事も、気楽な身分の人には、みだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされようなことがあっては、普通の身分の人よりも困ることですから、穏やかに、だんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、良いことでございましょう」
   と申したまへば、  と申し上げなさると、
   「ただ御もてなしになむ従ひはべるべき。
 かうまで御覧ぜられ、ありがたき御育みに隠ろへはべりけるも、前の世の契りおろかならじ」
 「ただあなた様のなされように従いましょう。
 こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」
   と申したまふ。
 
 とお答えなさる。
 
   御贈物など、さらにもいはず、すべて引出物、禄ども、品々につけて、例あること限りあれど、またこと加へ、二なくせさせたまへり。
 大宮の御悩みにことづけたまうし名残もあれば、ことことしき御遊びなどはなし。
 
 御贈物などは、言うまでもなく、すべて引出物や、禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。
 大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。
 
   兵部卿宮、  兵部卿宮は、
   「今はことづけやりたまふべき滞りもなきを」  「今はもうお断りになる支障も何もないでしょうから」
   と、おりたち聞こえたまへど、  と、身を入れてお願い申し上げなさるが、
   「内裏より御けしきあること、かへさひ奏し、またまた仰せ言に従ひてなむ、異ざまのことは、ともかくも思ひ定むべき」  「帝から御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また再びお言葉に従いまして、他の話は、その後にでも決めましょう」
   とぞ聞こえさせたまひける。
 
 とお返事申し上げなさった。
 
   父大臣は、  父内大臣は、
   「ほのかなりしさまを、いかでさやかにまた見む。
 なまかたほなること見えたまはば、かうまでことことしうもてなし思さじ」
 「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。
 少しでも不具なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」
   など、なかなか心もとなう恋しう思ひきこえたまふ。
 
 などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。
 
   今ぞ、かの御夢も、まことに思しあはせける。
 女御ばかりには、さだかなることのさまを聞こえたまうけり。
 
 今になって、あの御夢も、本当にお分かりになったのであった。
 弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。
 
 
 

第六段 近江の君、玉鬘を羨む

 
   世の人聞きに、「しばしこのこと出ださじ」と、切に籠めたまへど、口さがなきものは世の人なりけり。
 自然に言ひ漏らしつつ、やうやう聞こえ出で来るを、かのさがな者の君聞きて、女御の御前に、中将、少将さぶらひたまふに出で来て、
 世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人であった。
 自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に、中将や、少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、
   「殿は、御女まうけたまふべかなり。
 あな、めでたや。
 いかなる人、二方にもてなさるらむ。
 聞けば、かれも劣り腹なり」
 「殿は、姫君をお迎えあそばすそうですね。
 まあ、おめでたいこと。
 どのような方が、お二方に大切にされるのでしょう。
 聞けば、その人も賤しいお生まれですね」
   と、あふなげにのたまへば、女御、かたはらいたしと思して、ものものたまはず。
 中将、
 と、無遠慮におっしゃるので、女御は、はらはらなさって、何ともおっしゃらない。
 中将が、
   「しか、かしづかるべきゆゑこそものしたまふらめ。
 さても、誰が言ひしことを、かくゆくりなくうち出でたまふぞ。
 もの言ひただならぬ女房などこそ、耳とどむれ」
 「そのように、大切にされるわけがおありなのでしょう。
 それにしても、誰が言ったことを、このように唐突におっしゃるのですか。
 口うるさい女房たちが、耳にしたらたいへんだ」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「あなかま。
 皆聞きてはべり。
 尚侍になるべかなり。
 宮仕へにと急ぎ出で立ちはべりしことは、さやうの御かへりみもやとてこそ、なべての女房たちだに仕うまつらぬことまで、おりたち仕うまつれ。
 御前のつらくおはしますなり」
 「おだまり。
 すっかり聞いております。
 尚侍になるのだそうですね。
 宮仕えにと心づもりして出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。
 女御様がひどくていらっしゃるのです」
   と、恨みかくれば、皆ほほ笑みて、  と、恨み言をいうので、みなにやにやして、
   「尚侍あかば、なにがしこそ望まむと思ふを、非道にも思しかけけるかな」  「尚侍に欠員ができたら、わたしこそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」
   などのたまふに、腹立ちて、  などとおっしゃるので、腹を立てて、
   「めでたき御仲に、数ならぬ人は、混じるまじかりけり。
 中将の君ぞつらくおはする。
 さかしらに迎へたまひて、軽めあざけりたまふ。
 せうせうの人は、え立てるまじき殿の内かな。
 あな、かしこ。
 あな、かしこ」
 「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。
 中将の君はひどくていらっしゃる。
 自分からかってにお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。
 普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。
 ああ、恐い。
 ああ、恐い」
   と、後へざまにゐざり退きて、見おこせたまふ。
 憎げもなけれど、いと腹悪しげに目尻引き上げたり。
 
 と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。
 憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。
 
   中将は、かく言ふにつけても、「げにし過ちたること」と思へば、まめやかにてものしたまふ。
 少将は、
 中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。
 少将は、
   「かかる方にても、類ひなき御ありさまを、おろかにはよも思さじ。
 御心しづめたまうてこそ。
 堅き巌も沫雪になしたまうつべき御けしきなれば、いとよう思ひかなひたまふ時もありなむ」
 「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、いいかげんにはお思いでないでしょう。
 お気持ちをお鎮めになって下さい。
 固い岩も沫雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」
   と、ほほ笑みて言ひゐたまへり。
 中将も、
 と、にやにやして言っていらっしゃる。
 中将も、
   「天の岩門鎖し籠もりたまひなむや、めやすく」  「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」
   とて、立ちぬれば、ほろほろと泣きて、  と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、
   「この君達さへ、皆すげなくしたまふに、ただ御前の御心のあはれにおはしませば、さぶらふなり」  「わたしの兄弟たちまでが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」
   とて、いとかやすく、いそしく、下臈童女などの仕うまつりたらぬ雑役をも、立ち走り、やすく惑ひありきつつ、心ざしを尽くして宮仕へしありきて、  と言って、とても簡単に、精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り、気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、
   「尚侍に、おれを、申しなしたまへ」  「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」
   と責めきこゆれば、あさましう、「いかに思ひて言ふことならむ」と思すに、ものも言はれたまはず。
 
 とお責め申すので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃれない。
 
 
 

第七段 内大臣、近江の君を愚弄

 
   大臣、この望みを聞きたまひて、いとはなやかにうち笑ひたまひて、女御の御方に参りたまへるついでに、  内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、
   「いづら、この、近江の君。
 こなたに」
 「どこですか、これ、近江の君。
 こちらに」
   と召せば、  とお呼びになると、
   「を」  「はあい」
   と、いとけざやかに聞こえて、出で来たり。
 
 と、とてもはっきりと答えて、出て来た。
 
   「いと、仕へたる御けはひ、公人にて、げにいかにあひたらむ。
 尚侍のことは、などか、おのれに疾くはものせざりし」
 「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。
 尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」
   と、いとまめやかにてのたまへば、いとうれしと思ひて、  と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、
   「さも、御けしき賜はらまほしうはべりしかど、この女御殿など、おのづから伝へ聞こえさせたまひてむと、頼みふくれてなむさぶらひつるを、なるべき人ものしたまふやうに聞きたまふれば、夢に富したる心地しはべりてなむ、胸に手を置きたるやうにはべる」  「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」
   と申したまふ。
 舌ぶりいとものさはやかなり。
 笑みたまひぬべきを念じて、
 とお答えなさる。
 その弁舌はまことにはきはきしたものである。
 笑ってしまいそうになるのを堪えて、
   「いとあやしう、おぼつかなき御癖なりや。
 さも思しのたまはましかば、まづ人の先に奏してまし。
 太政大臣の御女、やむごとなくとも、ここに切に申さむことは、聞こし召さぬやうあらざらまし。
 今にても、申し文を取り作りて、びびしう書き出だされよ。
 長歌などの心ばへあらむを御覧ぜむには、捨てさせたまはじ。
 主上は、そのうちに情け捨てずおはしませば」
 「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。
 そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。
 太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。
 今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。
 長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。
 主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」
   など、いとようすかしたまふ。
 人の親げなく、かたはなりや。
 
 などと、たいそううまくおだましになる。
 人の親らしくない、見苦しいことであるよ。
 
   「大和歌は、悪し悪しも続けはべりなむ。
 むねむねしき方のことはた、殿より申させたまはば、つま声のやうにて、御徳をもかうぶりはべらむ」
 「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。
 表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」
   とて、手を押しすりて聞こえゐたり。
 御几帳のうしろなどにて聞く女房、死ぬべくおぼゆ。
 もの笑ひに堪へぬは、すべり出でてなむ、慰めける。
 女御も御面赤みて、わりなう見苦しと思したり。
 殿も、
 と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。
 御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。
 おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。
 女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。
 殿も、
   「ものむつかしき折は、近江の君見るこそ、よろづ紛るれ」  「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」
   とて、ただ笑ひ種につくりたまへど、世人は、  と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、
   「恥ぢがてら、はしたなめたまふ」  「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」
   など、さまざま言ひけり。
 
 などと、いろいろと言うのであった。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 とにかくに人目堤を堰きかねて下に流るる音無の滝(源氏釈所引-出典未詳)(戻)  
  出典2 我欲易之、彼四人輔之、羽翼已成、難動矣(史記-留侯世家)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 女の--(/+女の<朱>)(戻)  
  校訂2 たまふべく--給へて(て/$く<朱>)(戻)  
  校訂3 左衛門尉--(右/$左<朱>)衛門のせう(戻)  
  校訂4 きらし--*きえし(戻)  
  校訂5 そそのかししかど--*そゝのかしかと(戻)  
  校訂6 思ほさぬ--お(お/+も)ほさぬ(戻)  
  校訂7 内の大臣にも--うちのおとゝ(ゝ/+に<朱>)も(戻)  
  校訂8 めでたく--めてたう所せきまて(う所せきまて/$く<朱>)(戻)  
  校訂9 のたまへば--の(の/+た)まへは(戻)  
  校訂10 許し--ゆるして(て/$<朱>)(戻)  
  校訂11 公事を--おほやけことをを(を<後>/#)(戻)  
  校訂12 いつかしき--いつく(く/$か<朱>)しき(戻)  
  校訂13 羽翼を--はね(ね/+を<朱>)(戻)  
  校訂14 筋とは--すちと(と/+は)(戻)  
  校訂15 宮--(/+宮<朱>)(戻)  
  校訂16 ねじけ--ねちき(き/$け<朱>)(戻)  
  校訂17 ことども--ことし(し/$と<朱>)も(戻)  
  校訂18 たまへれば--たまつ(つ/$へ<朱>)れは(戻)  
  校訂19 しらきり--しか(か/$ら<朱>)きり(戻)  
  校訂20 ほどに--ほと(と/+に<朱>)(戻)  
  校訂21 さまざま--さま/\の(の/$<朱>)(戻)  
  校訂22 など--なとも(も/$<朱>)(戻)  
  校訂23 ほほ笑みて--ほお(お/$ほ<朱>)ゑみて(戻)  
  校訂24 あかば--ある(る/$か<朱>)は(戻)  
  校訂25 たまひてむ--給てな(な/$)む(戻)  
  校訂26 頼み--なと(なと/$)たのみ(戻)  
  校訂27 聞き--き(き/+き<朱>)(戻)  
  校訂28 悪し悪しも--あしし(し<後>/$<朱>+/\<朱>)も(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。