枕草子161段 故殿の御服の頃

心もとなき 枕草子
中巻中
161段
故殿の御服
弘徽殿

(旧)大系:161段
新大系:154段、新編全集:155段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:165,166段
(166=宰相中将斉信、宣方の中将と)
 


 
 故殿の御服の頃、六月のつごもりの日、大祓といふことにて、宮の出でさせ給ふべきを、職の御曹司を方あしとて、官の司の朝所にわたらせ給へり。その夜さり、暑くわりなき闇にて、なにともおぼえず、せばくおぼつかなくてあかしつ。
 

 つとめて、見れば、屋のさまいとひらにみじかく、瓦ぶきにて、唐めき、さまことなり。例のやうに格子などもなく、めぐりて御簾ばかりをぞかけたる、なかなかめづらしくてをかしければ、女房、庭に下りなどしてあそぶ。前裁に萱草といふ草を、ませ結ひていとおほく植ゑたりける。花のきはやかにふさなりて咲きたる、むべむべしき所の前裁にはいとよし。時司などは、ただかたはらにて、鼓の音も例のには似ずぞ聞こゆるを、ゆかしがりて、わかき人々二十人ばかり、そなたにいきて、階よりたかき屋にのぼりたるを、これより見あぐれば、あるかぎり薄鈍の裳、唐衣、おなじ色の単襲、くれなゐの袴どもを着てのぼりたるは、いと天人などこそえいふまじけれど、空より降りたるにやとぞ見ゆる。
 おなじわかきなれど、おしあげたる人は、えまじらで、うらやましげに見あげたるも、いとをかし。
 

 左衛門の陣までいきて、倒れさわぎたるもあめりしを、「かくはせぬことなり。上達部のつき給ふ椅子などに女房どものぼり、上官などのゐる床子どもを、みなうち倒し、そこなひたり」などくすしがる者どもあれど、聞きも入れず。
 

 屋のいとふるくて、瓦ぶきなればにやあらむ、暑さの世に知らねば、御簾の外にぞ夜も出で来、臥したる。ふるき所なれば、むかでといふもの、日一日おちかかり、蜂の巣のおほきにて、つき集まりたるなどぞ、いとおそろしき。
 

 殿上人日ごとに参り、夜も居あかしてものいふをききて、「豈にはかりきや、太政官の地の今やかうの庭とならむことを」と誦しいでたりしこそをかしかりしか。
 

 秋になりたれど、かたへだにすずしからぬ風の、所がらなめり、さすがに虫の声など聞こえたり。八日ぞ帰らせ給ひければ、七夕祭、ここにては例よりも近う見ゆるは、程のせばければなめり。
 
 

 宰相の中将斉信、宣方の中将、道方の少納言など参り給へるに、人々出でてものなどいふに、ついでもなく、「明日はいかなることをか」といふに、いささか思ひまはしとどこほりもなく、「『人間の四月』をこそは」といらへ給へるがいみじうをかしきこそ。過ぎにたることなれども、心得ていふは誰もをかしき中に、女などこそさやうの物忘れはせね、男はさしもあらず、よみたる歌などをだになまおぼえなるものを、まことにをかし。内なる人も外なるも、心得ずと思ひたるぞことわりなる。
 

 この四月のついたちごろ、細殿の四の口に殿上人あまた立てり。やうやうすべり失せなどして、ただ頭の中将、源中将、六位一人のこりて、よろづのことをいひ、経を読み、歌うたひなどするに、「明けはてぬなり。帰りなむ」とて、「露は別れの涙なるべし」といふことを頭の中将のうちいだし給へれば、
 源中将ももろともにいとをかしく誦じたるに、「いそぎける七夕かな」といふを、いみじうねたがりて、「ただあかつきの別れ一筋を、ふとおぼえつるままにいひて、わびしうもあるかな。すべて、このわたりにて、かかること思ひまはさずいふは、いとくちをしきぞかし」など、返す返すわらひて、「人にな語り給ひそ。かならずわらはれなむ」といひて、あまりあかうなりしかば、「葛城の神、いまぞずちなき」とて、逃げおはしにしを、
 七夕のをりにこのことをいひいでばやと思ひしかど、宰相になり給ひにしかば、かならずしもいかでかは、そのほどに見つけなどもせむ、文かきて、主殿司してもやらむなど思ひしを、七日に参り給へりしかば、いとうれしくて、その夜のことなどいひ出でば、心もぞ得給ふ、ただすずろにふといひたらば、あやしなどやうちかたぶき給ふ、さらば、それにをありしことばいはむ、とてあるに、つゆおぼめかでいらへ給へりしは、まことにいみじうをかしかりき。
 

 月ごろいつしかとおもほえたりしだに、わが心ながらすきずきしとおぼえしに、いかでさ思ひまうけたるやうに宣ひけむ。もろともにねたがりいひし中将は、おもひもよらでゐたるに、「ありしあかつきのこといましめらるるは。知らぬか」と宣ふにぞ、「げに、げに」とわらふめるわろしかし。
 

 人と物いふことを碁になして、近う語らひなどしつるをば、「手ゆるしてけり」「結さしつ」などいひ、「男は手受けむ」などいふことを人はえ知らず、この君と心得ていふを、「なにぞ、なにぞ」と源中将は添ひつきていへど、いはねば、かの君に、「いみじう、なほこれ宣へ」とうらみられて、よきなかなれば聞かせてけり。あへなく近くなりぬるをば、「おしこぼちのほどぞ」などいふ。
 我も知りにけりといつしか知られむとて、「碁盤侍りや。まろと碁うたむとなむ思ふ。手はいかが。ゆるし給はむとする。頭の中将とひとし碁なり。なおぼしわきそ」といふに、「さのみあらば、さだめなくや」といひしを、またかの君に語りきこえければ、「うれしういひたり」とよろこび給ひし。なほ過ぎにたること忘れぬ人は、いとをかし。
 

 宰相になり給ひし頃、上の御前にて、「詩をいとをかしう誦じ侍るものを。『蕭會稽之過古廟』なども誰かいひ侍らむとする。しばしならでも候ふかし。くちをしきに」など申ししかば、いみじうわらはせ給ひて、「さなむいふとて、なさじかし」などおほせられしもをかし。
 されど、なり給ひにしかば、まことにさうざうしかりしに、源中将おとらず思ひて、ゆゑだち遊びありくに、宰相の中将の御うへをいひいでて、「『未だ三十の期に及ばず』といふ詩を、さらにこと人に似ず誦じ給ひし」などいへば、「などてかそれにおとらむ。まさりてこそせめ」とてよむに、「さらに似るべくだにあらず」といへば、「わびしのことや。いかであれがやうに誦ぜむ」と宣ふを、「『三十の期』といふ所なむ、すべていみじう愛敬づきたりし」などいへば、ねたがりてわらひありくに、
 陣につき給へりけるを、わきに呼び出でて、「かうなむいふ。なほそこもと教へ給へ」と宣ひければ、わらひて教へけるも知らぬに、局のもとにきていみじうよく似せてよむに、あやしくて、「こは誰そ」と問へば、笑みたる声になりて、「いみじきことを聞こえむ。かうかう、昨日陣につきたりしに、問ひ聞きたるに、まづ似たるななり。『誰ぞ』とにくからぬけしきにて問ひ給ふは」といふも、わざとならひ給ひけむがをかしければ、これだに誦ずれば出でてものなどいふを、「宰相の中将の徳を見ること。その方に向ひて拝むべし」などいふ。
 下にありながら、「上に」などいはするに、これをうち出づれば、「まことはあり」などいふ。御前にも、かくなど申せば、わらはせ給ふ。
 

 内裏の御物忌なる日、右近の将監みつなにとかやいふ者して、畳紙にかきておこせたるを見れば、「参ぜむとするを、今日明日の御物忌にてなむ。『三十の期に及ばず』はいかが」といひたれば、返りごとに、「その期は過ぎ給ひにたらむ。朱買臣が妻を教へけむ年にはしも」とかきてやりたりしを、またねたがりて、上の御前にも奏しければ、宮の御方にわたらせ給ひて、「いかでさることは知りしぞ。『三十九なりける年こそ、さはいましめけれ』とて、宣方は、『いみじういはれにたり』といふめるは」と仰せられしこそ、ものぐるほしかりける君とこそおぼえしか。
 
 

心もとなき 枕草子
中巻中
161段
故殿の御服
弘徽殿