平家物語 巻第二 卒都婆流:概要と原文

康頼祝言 平家物語
巻第二
卒都婆流
そとばながし
蘇武

〔概要〕
 
 平家打倒の陰謀に加担した(真偽は不明)とされて流罪になった平康頼藤原成経の2人は、流された先の鬼界が島(鹿児島南部)から卒塔婆を毎日海に流した。その千本のうちの1つが厳島(広島)で発見され(以上Wikipedia『平家物語の内容』に加筆)、それがさらに2人を流罪に処した清盛の所に送られた。

 厳島は平家の信仰の地でもあり、そこに流れ着くのは潮流や入り組んだ地形など素朴に考えたらありえないようなことと思われるが、しかし物語を超えるような現象や廻り合わせが現実に起こることは、昨今では海を越えた国でのイベントで記憶に新しいと思う。そうしてここでも不思議の事として続く異国の蘇武の話につながる。

 


 
 丹羽少将成経、平判官康頼、常は三所権現の御前に参り、通夜する折もありけり。
 

 ある夜二人通夜して、夜もすがら今様をこそ歌ひけれ。康頼入道、暁方苦しさに、ちとまどろみたる夢に、沖の方より白帆掛けたる小舟一艘漕ぎ寄せて、紅の袴着たりける女房達、二三十人渚にあがり、鼓を打ち、声を調へて、
 

♪13
 よろづの仏の願よりも 千手の誓ひぞ頼もしき
 枯れたる草木も忽ちに 花咲き実生るとこそ聞け

 
 と三返歌ひすまして、かき消すやうにぞ失せにける。康頼入道夢さめて後、奇異の思ひをなして申しけるは、「これはいかさま竜神の化現とおぼえたり。三所権現の内に、西の御前と申すは、本地千手観音にておはします。竜神はすなはち千手の二十八部衆のその一なれば、もつて御納受こそ頼もしけれ」。
 

 またある夜、二人通夜して同じくまどろみたりける夢に、沖の方より吹き来る風の、二人が袂に木の葉を二つ吹きかけたり。何となうこれを取つて見たりければ、御熊野の栴の葉にてぞありける。かの二つの栴の葉に、一首の歌を虫食ひにこそしたりけれ。 
 

♪14
 ちはやぶる 神に祈りの しげければ
  などか都へ 帰らざるべき

 
 康頼入道、故郷の恋しさの余りに、せめての謀にや、千本の卒都婆をつくり、阿字の梵字、年号、月日、仮名実名、二首の歌をぞ書き付けける。 
 

♪15
 薩摩方 沖の小島に 我ありと
  親には告げよ 八重の潮風 

 

♪16
 思ひやれ しばしと思ふ 旅だにも
  なほふるさとは 恋しきものを

 
 これを浦に持ち出でて、「南無帰命頂礼、梵天、帝釈、四大天王、堅牢地神、往生の鎮守諸大明神、別しては熊野権現、安芸の厳島大明神、せめては一本なりとも、都へ伝へてたべ」とて、沖つ白波の、寄せては返るたびごとに、卒都婆を海にぞ浮かべける。
 

 卒都婆は造り出だすにしたがつて、海に入れければ、日数積もれば卒都婆の数も積もりにけり。その思ふ心や便りの風ともなりたりけん、また神明仏陀もや送らせ給ひたりけん、千本の卒都婆の中に一本、安芸国厳島の大明神の御前の渚に打ち寄せたり。
 

 ここに康頼入道がゆかりありける僧の、もししかるべき便りもあらば、かの島へ渡つて、その行方をも聞かんとて、西国修行に出でたりけるが、まづ厳島へぞ参りける。ここに宮人とおぼしくて、狩衣装束なる俗一人よりあうたり。この僧何となう物語りをしけるほどに、「それ和光同塵の利生さまざまなりといへども、この御神はいかなりける因縁をもつて、海漫の鱗に縁をば結ばせ給ふらん」と問ひ奉る。宮人こたへけるは、「これはよな、娑竭羅竜王の第三の姫宮、胎蔵界の垂迹なり」。この島へ御影向ありし始めより、済度利生の今に至るまで、深甚奇特の事をぞ語りける。
 

 さればにや、八社の御殿甍を並べ、社はわだづ海のほとりなれば、潮の満干に月ぞ澄む。潮満ちくれば、大鳥居、緋の玉垣、瑠璃のごとし。潮引きぬれば、夏の夜なれども、御前の白洲に霜ぞ置く。いよいよ尊くおぼえてゐたりけるが、やうやう日暮れ、月さし出でて、潮の満ちけるに、そこはかとなき藻屑どもの中に、卒都婆の姿の見えけるを、何となうこれを取り見たりければ、「沖の小島に我あり」と、書き流せる言の葉なり。文字をば彫り入れ、刻み付けたりければ、波にも洗はれず、あざあざとしてぞ見えたりける。
 あな不思議とて、これを取つて、笈の肩にさして都へ上り、康頼入道が老母の尼公、妻子どもの、一条の北、紫野といふ所に忍び住みけるに、これを見せたりければ、「さらば、この卒都婆が、唐土の方へもゆられ行かず、何しにこれまで伝ひ来て、今さらものを思はすらん」とぞ悲しみける。
 遥かの叡聞に及んで、法皇これを叡覧あつて、「あな無慙、いまだこの者どもが命の生きてあるにこそ」とて、御涙を流させ給ふぞかたじけなき。これを小松の大臣のもとへ送らせ給ひたりければ、父の禅門に見せ奉り給ふ。
 

 柿本人麻呂は、島がくれ行く舟を思ひ、山部赤人は、葦辺の田鶴をながめ給ふ。住吉の明神は、かたそぎの思ひをなし、三輪の明神は、杉立てる門を指す。昔、素盞嗚尊、三十一字のやまと歌をはじめ置き給ひしよりこの方、諸々の神明仏陀も、かの詠吟をもて、百千万端の思ひを述べ給ふ。
 

康頼祝言 平家物語
巻第二
卒都婆流
そとばながし
蘇武