古事記 天田振の歌~原文対訳

宮人振の歌 古事記
下巻④
19代 允恭天皇
軽太子兄妹物語
天田振の歌
夷振之片下の歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
如此歌參歸。 かく歌ひまゐ來て、 かように歌いながらやつて來て
白之。 白さく、 申しますには、
我天皇之御子。 「我あが天皇おほきみの御子、 「わたしの御子樣、
於伊呂兄王
無及兵。
同母兄いろせの御子を
な殺しせたまひそ。
そのようにお攻めなされますな。
若及兵者。 もし殺せたまはば、 もしお攻めになると
必人咲。 かならず人咲わらはむ。 人が笑うでしよう。
僕捕以貢進。 僕あれ捕へて獻らむ」
とまをしき。
わたくしが捕えて獻りましよう」
と申しました。
     
爾解兵退坐。 ここに軍を罷やめて
退そきましき。
そこで軍を罷やめて
去りました。
     
故大前小前宿禰。 かれ大前小前の宿禰、 かくて大前小前の宿禰が
捕其輕太子。 その輕の太子を捕へて、 カルの太子を捕えて
率參出以貢進。 率ゐてまゐ出て獻りき。 出て參りました。
     

天田振1

     
其太子。 その太子、 その太子が
被捕歌曰。 捕はれて歌よみしたまひしく、 捕われて歌われた歌は、
     
阿麻陀牟 天飛だむ 空そら飛とぶ雁かり、
加流乃袁登賣 輕の孃子、 そのカルのお孃さん。
伊多那加婆 いた泣かば あんまり泣くと
比登斯理奴倍志 人知りぬべし。 人が氣づくでしよう。
波佐能夜麻能 波佐はさの山の  それでハサの山の
波斗能 鳩の、 鳩のように
斯多那岐爾那久 下泣きに泣く。 忍び泣きに泣いています。
     

天田振2

     
又歌曰。  また歌よみしたまひしく、  また歌われた歌は、
     
阿麻陀牟 天飛あまだむ 空飛ぶ雁かり、
加流袁登賣 輕孃子かるをとめ、 そのカルのお孃さん、
志多多爾母 したたにも しつかりと
余理泥弖登富禮 倚り寢ねてとほれ。 寄つて寢ていらつしやい
加流袁登賣杼母 輕孃子ども。 カルのお孃さん。
     
故其輕太子者。  かれその輕の太子をば、  かくてそのカルの太子を
流於伊余湯也。 伊余いよの湯ゆに放ちまつりき。 伊豫いよの國の温泉に流しました。
     

天田振3

     
亦將流之時。 また放たえたまはむとせし時に、 その流されようとする時に
歌曰。 歌よみしたまひしく、 歌われた歌は、
     
阿麻登夫 天飛あまとぶ 空を飛ぶ
登理母都加比曾 鳥も使ぞ。 鳥も使です。
多豆賀泥能 鶴たづが音ねの 鶴の聲が
岐許延牟登岐波 聞えむ時は、 聞えるおりは、
和賀那斗波佐泥 吾わが名問はさね。 わたしの事をお尋ねなさい。
     
此三歌者。  この三歌は、  この三首の歌は
天田振也。 天田振あまだぶりなり。 天田振あまだぶりです。
宮人振の歌 古事記
下巻④
19代 允恭天皇
軽太子兄妹物語
天田振の歌
夷振之片下の歌