古事記 置目老媼(おきめのおみな)~原文対訳

宮と系譜 古事記
下巻⑧
23代 顕宗天皇
置目老媼
置目慕う歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
此天皇。  この天皇、 この天皇、
求其父王。 その父王 父君
市邊王之御骨時。 市の邊の王の
御骨みかばねを求まぎたまふ時に、
イチノベの王の
御骨をお求めになりました時に、
在淡海國。 淡海あふみの國なる 近江の國の
賤老媼。
參出白。
賤しき老媼おみな
まゐ出て白さく、
賤いやしい老婆が
參つて申しますには、
王子御骨所埋者。 「王子の御骨を埋みし所は、 王子の御骨を埋めました所は、
專吾能知。 もはら吾よく知れり。 わたくしがよく知つております。
亦以
其御齒可知。
またその御齒もちて知るべし」
とまをしき。
またそのお齒でも知られましよう」
と申しました。
     
〈御齒者。
如三技
押齒坐也〉
(御齒は
三枝なす
押齒に坐しき。)
オシハの王子のお齒は
三つの枝の出た
大きい齒でございました。
     
爾起民。 ここに民を起たてて、 そこで人民を催して、
掘土。 土を掘りて、 土を掘つて、
求其御骨。 その御骨を求ぎて、 その御骨を求めて、
即獲其御骨而。 すなはちその御骨を獲て、 これを得て
於其蚊屋野之
東山。
その蚊屋野の
東ひむかしの山に、
カヤ野の
東の山に
作御陵葬。 御陵作りて葬をさめまつりて、 御陵を作つてお葬り申し上げて、
以韓帒之子等。 韓帒からふくろが子どもに、 かのカラフクロの子どもに
令守其陵。 その御陵を守らしめたまひき。 これを守らしめました。
(然後 然ありて後に、 後には
持上
其御骨也)
その御骨を
持ち上のぼりたまひき。
その御骨を
持ち上のぼりなさいました。
     
故還上坐而。 かれ還り上りまして、 かくて還り上られて、
召其老媼。 その老媼を召して、 その老婆を召して、
譽其不失見
置知其地以。
その見失はず、
さだかに
その地を知れりしことを譽めて、
場所を忘れずに
見ておいたことを譽めて、
賜名號
置目老媼。
置目おきめの老媼おみな
といふ名を賜ひき。
置目おきめの老媼ばば
という名をくださいました。
仍召入宮内。 よりて宮の内に召し入れて、 かくて宮の内に召し入れて
敦廣慈賜。 敦あつく廣く惠みたまふ。 敦あつくお惠みなさいました。
宮と系譜 古事記
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置目老媼
置目慕う歌