大鏡 原文全文:語句検索用

和歌一覧 大鏡
原文全文
   

 

 大鏡の全文。三巻本系の原文対照。
 世次・重木(通称、世継・繁樹)などの話者がわかるように色づけし、和歌と漢詩に♪を付した。別ページに抜粋してある。

 

 文字数は約12万8千、句読点空白括弧除くと約11万5千。
 

語り手別の文章数
大宅世次おおやけよつぎ  4178
夏山重木なつやましげき 316
侍めきたる者 216
繁樹の妻 7
3
 以下流布本のみ  
法師 11
二の舞の翁 55

※主要2人の名称が本により異なるが、世次・重木が古写本の正式表記、世継・繁樹はその表記に対し「ふつう世継と書く」「ふつう繁樹と書く」という定型句で注記され(大系36p)、そのうえで底本に反してまで修正採用(全集34p)される強力な通称。

 つまり、世次・重木が著者本来の正式名称なのであって、この意味で「ふつう」どう書かれるかは関係ない。

 

 通説によれば大宅は公の意の当て字。有力説(集成14p)によると、世次は世代継承で系譜を意味する仇名、夏山と重木は「夏山の繁き嘆きは身にこそありけれ」(宇津保物語)という歌語。妥当。
 本文によれば、重木は夏山からの連想で元服時に主君に名付けられたもので、幼名は大犬丸(おおいぬまる)。
 二の舞の翁の話は古い写本(古本)にはなく、いわゆる流布本のみに存在する内容。

 


 


 

天皇編
  原文題 和歌 漢詩
1 (序)    
2 一 五十五代 文徳天皇    
3 一 五十六代 清和天皇    
4 一 五十七代 陽成院    
5 一 五十八代 光孝天皇    
6 一 五十九代 宇多天皇 1  
7 一 六十代  醍醐天皇 2  
8 一 六十一代 朱雀院 1  
9 一 六十二代 村上天皇 2  
10 一 六十三代 冷泉院    
11 一 六十四代 円融院    
12 一 六十五代 花山院    
13 一 六十六代 一条院    
14 一 六十七代 三条院    
15 一 六十八代 後一条院 2  
大臣編
  原文題 和歌 漢詩
       
16 一  左大臣冬嗣    
17 一 太政大臣良房 2  
18 一  右大臣良相    
19 一 権中納言従二位
  左兵衛督長良
   
20 一 太政大臣基経 2  
21 一  左大臣時平 10 4
22 一  左大臣仲平 3  
23 一 太政大臣忠平    
24 一 太政大臣実頼 2  
25 一 太政大臣頼忠 1  
26 一  左大臣師尹 3  
27 一  右大臣師輔 5  
28 一 太政大臣伊尹 8 1
29 一 太政大臣兼通 1  
30 一 太政大臣為光    
31 一 太政大臣公季 1  
32 一 太政大臣兼家 2  
33 一  内大臣道隆    
34 一  右大臣道兼 1  
35 一 太政大臣道長 5  
36  (藤原氏物語 1  
37 一 太政大臣道長(下) 19  
38 △流布本のみ
後日物語
/二の舞の翁の物語
(7)  
   計 74
(81)
5

 


三巻本系
尾張徳川本 校訂
三巻本系
京大本 校訂

(序)

   
 さいつ頃、雲林院の菩提講に詣でて侍りしかば、例人よりはこよなう年老い、うたてげなる翁二人、嫗と行きあひて、同じ所に居ぬめり。  先(さい)つ頃(ころ)、雲林院(うりんゐん)の菩提講(ぼだいこう)に詣(まう)でてはべりしかば、例人(れいひと)よりはこよなう年老い、うたてげなる翁(おきな)二人、嫗(おうな)といきあひて、同じ所に居(ゐ)ぬめり。
   
あはれに、同じやうなるもののさまかな 「あはれに、同じやうなるもののさまかな」
と見侍りしに、これらうち笑ひ、見かはして言ふやう、 と見はべりしに、これらうち笑ひ、見かはして言ふやう、
〔世次〕年頃、昔の人に対面して、いかで世の中の見聞く事をも聞え合はせむ、このただ今の入道殿下の御有様をも申し合はせばやと思ふに、あはれに嬉しくも会ひ申したるかな。  世次『年頃(としごろ)、昔の人に対面(たいめ)して、いかで世の中の見聞くことをも聞こえあはせむ、このただ今の入道殿下(にふだうてんが)の御有様(ありさま)をも申しあはせばやと思ふに、あはれにうれしくも会ひ申したるかな。
今ぞ心やすく黄泉路もまかるべき。 今ぞ心やすく黄泉路(よみぢ)もまかるべき。
思しき事言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける。 おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地(ここち)しける。
かかればこそ、昔の人はもの言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れ侍りけめとおぼえ侍り。 かかればこそ、昔の人はもの言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れはべりけめとおぼえはべり。
返す返す嬉しく対面したるかな。 かへすかへすうれしく対面(たいめ)したるかな。
さてもいくつにかなり給ひぬる。 さてもいくつにかなりたまひぬる』
 と言へば、いま一人の翁、 と言へば、いま一人(ひとり)の翁(おきな)、
〔重木〕いくつといふ事、さらに覚え侍らず。  重木『いくつといふこと、さらに覚えはべらず。
ただし、おのれは、故太政のおとど貞信公、蔵人の少将と申しし折の子舎人童、大犬丸ぞかし。 ただし、おのれは、故太政(こだいじやう)のおとど貞信公(ていしんこう)、蔵人(くらうど)の少将(せうしやう)と申しし折の子舎人童(こどねりわらは)、大犬丸(おほいぬまろ)ぞかし。
ぬしは、その御時の母后の宮の御方の召使、高名の大宅世次とぞ言ひ侍りしかしな。 ぬしは、その御時の母后(ははきさき)の宮(みや)の御方の召使(めしつかひ)、高名(かうみやう)の大宅世次(おほやけよつぎ)とぞ言ひはべりしかしな。
されば、ぬしの御年は、おのれにはこよなくまさり給へらむかし。 されば、ぬしの御年(みとし)は、おのれにはこよなくまさりたまへらむかし。
みづからが小童にてありし時、ぬしは二十五六ばかりの男にてこそはいませしか。 みづからが小童(こわらは)にてありし時、ぬしは二十五六ばかりの男(をのこ)にてこそはいませしか』
 と言ふめれば、世次、 と言ふめれば、世次、
〔世次〕しかしか、さ侍りし事なり。  『しかしか、さかべりしことなり。
さてもぬしの御名はいかにぞや。 さてもぬしの御名(みな)はいかにぞや』
 と言ふめれば、 と言ふめれば、
〔重木〕太政大臣殿にて元服つかまつりし時、  重木『太政大臣殿にて元服(げんぶく)つかまつりし時、
「きむぢが姓はなにぞ」 「きむぢが姓(さう)はなにぞ」
と仰せられしかば、 と仰せられしかば、
「夏山となむ申す」 「夏山(なつやま)となむ申す」
と申ししを、やがて、重木となむつけさせ給へりし。 と申ししを、やがて、重木(しげき)となむつけさせたまへりし』
 など言ふに、いとあさましうなりぬ。 など言ふに、いとあさましうなりぬ。
   
   
   
 たれも、少しよろしき者どもは、見おこせ、居寄りなどしけり。  たれも、少しよろしき者どもは、見おこせ、居寄(ゐよ)りなどしけり。
年三十ばかりなる侍めきたる者の、せちに近く寄りて、 年三十ばかりなる侍(さぶらひ)めきたる者の、せちに近く寄りて、
〔侍〕いで、いと興ある事言ふ老者達かな。  侍『いで、いと興(きよう)あること言ふ老者(らうざ)たちかな。
さらにこそ信ぜられね。 さらにこそ信ぜられね』
 と言へば、翁二人見かはしてあざ笑ふ。 と言へば、翁(おきな)二人見かはしてあざ笑ふ。
重木と名のるがかたざまに見やりて、 重木と名のるがかたざまに見やりて、
〔侍〕
「いくつといふ事覚えず」
 侍『「いくつといふこと覚えず」
と言ふめり。 といふめり。
この翁どもは覚えたぶや。 この翁どもは覚えたぶや』
 と問へば、 と問へば、
〔世次〕さらにもあらず。  世次『さらにもあらず。
一百九十歳にぞ、今年はなり侍りぬる。 一百九十歳にぞ、今年(ことし)はなりはべりぬる。
されば、重木は百八十におよびてこそ候ふらめど、やさしく申すなり。 されば、重木は百八十におよびてこそさぶらふらめど、やさしく申すなり。
おのれは水尾の帝のおりおはします年の、正月の望の日生まれて侍れば、十三代にあひ奉りて侍るなり。 おのれは水尾(みづのを)の帝(みかど)のおりおはします年の、正月の望(もち)の日(ひ)生まれてはべれば、十三代にあひたてまつりてはべるなり。
けしうは候はぬ年なりな。 けしうはさぶらはぬ年なりな。
まことと思さじ。 まことと思(おぼ)さじ。
されど、父が生学生に使はれたいまつりて、 されど、父が生学生(なまがくしやう)に使はれたいまつりて、
「下藹なれども都ほとり」 「下藹(げらふ)なれども都ほとり」
と言ふ事なれば、目を見給へて、産衣に書き置きて侍りける、いまだ侍り。 と言ふことなれば、目を見たまへて、産衣(うぶぎぬ)に書き置きてはべりける、いまだはべり。
丙申の年に侍り。 丙申(ひのえさる)の年にはべり』
 と言ふも、げにと聞ゆ。 と言ふも、げにと聞こゆ。
   
いま一人に、  いま一人(ひとり)に、
〔侍〕なほ、わ翁の年こそ聞かまほしけれ。  侍『なほ、わ翁(おきな)の年(とし)こそ聞かまほしけれ。
生まれけむ年は知りたりや。 生まれけむ年は知りたりや。
それにていとやすく数へてむ。 それにていとやすく数(かず)へてむ』
 と言ふめれば、 と言ふめれば、
〔重木〕これはまことの親にも添ひ侍らず、  重木『これはまことの親にも添(そ)ひはべらず、
他人のもとに養はれて、十二三まで侍りしかば、はかばかしくも申さず。 他人のもとに養はれて、十二三まではべりしかば、はかばかしくも申さず。
ただ、 ただ、
「我は子産むわきも知らざりしに、主の御使に市へまかりしに、また、私にも銭十貫を持ちて侍りけるに、 「我は子うむわきも知らざりしに、主の御使(つかひ)に市(いち)へまかりしに、また、私(わたくし)にも銭十貫を持ちてはべりけるに、
母が抱きて、 母が抱(いだ)きて、
『この児買はん人がな』 「この児(ちご)買はん人がな」
とひとりごちしを聞きて、見侍りけるに、色白うてにくげも侍らざりければ、さるべきにや、あはれにおぼえて抱きとり侍りけるに、うち笑みてかきつきて侍りけるに、いとどかなしくて、 とひとりごちしを聞きて、見はべりけるに、色白うてにくげもはべらざりければ、さるべきにや、あはれにおぼえて抱きとりはべりけるに、うち笑みてかきつきてはべりけるに、いとどかなしくて、
『など、かくうつくしき児を放たむとは思はるるぞ』 「など、かくうつくしき児(ちご)を放(はな)たむとは思はるるぞ」
と問ひ侍りければ、 と問ひはべりければ、
『まろも子を十人まで』。 「まろも子を十人(とたり)まで」。
 にくげもなき児を抱きたる女の、  にくげもなき児を抱(いだ)きたる女の、
『これ人に放たむとなむ思ふ。 「これ人に放たむとなむ思ふ。
子を十人まで産みて、これは四十たりの子にて、おとど五月にさへ生まれてむつかしきなり』 子を十人までうみて、これは四十(よそ)たりの子にて、おとど五月にさへ生まれてむつかしきなり」
と言ひ侍りければ、この持ちたる銭にかへてきにしなり。 と言ひはべりければ、この持ちたる銭にかへてきにしなり。
『姓は何とか言ふ』 「姓は何(なに)とか言ふ」
と問ひ侍りければ、 と問ひはべりければ、
『夏山』とは申しける」 「夏山」とは申しける」。
さて、十三にてぞ、おほき大殿には参り侍りし。 さて、十三にてぞ、おほき大殿(おほどの)にはまゐりはべりし』
 など言ひて、 など言ひて、
〔世次〕さても、嬉しく対面したるかな。  世次『さても、うれしく対面(たいめ)したるかな。
仏の御しるしなめり。 仏(ほとけ)の御しるしなめり。
年頃、ここかしこの説経とののしれど、なにかはとて参らず侍り。 年頃(としごろ)、ここかしこの説経(せきやう)とののしれど、なにかはとてまゐらずはべり。
かしこく思ひたちて、参り侍りにけるが、嬉しきこと。 かしこく思ひたちて、まゐりはべりにけるが、うれしきこと』
 とて、 とて、
〔世次〕そこにおはするは、その折の女人にやみでますらむ。  世次『そこにおはするは、その折の女人にやみでますらむ』
 と言ふめれば、 と言ふめれば、
重木がいらへ、 重木がいらへ、
〔重木〕いで、さも侍らず。 『いで、さもはべらず。
それははや失せ侍りにしかば、これは、その後あひ添ひて侍る童べなり。 それははやうせはべりにしかば、これは、その後(のち)あひ添(そ)ひてはべるわらべなり。
さて閣下はいかが。 さて閣下(かふか)はいかが』
 と言ふめれば、 と言ふめれば、
世次がいらへ、 世次がいらへ、
〔世次〕それは侍りし時のなり。 『それははべりし時のなり。
今日もろともに参らむと出でたち侍りつれど、わらはやみをして、あたり日に侍りつれば、口惜しくえ参り侍らずなりぬる。 今日(けふ)もろともにまゐらむと出でたちはべりつれど、わらはやみをして、あたり日(び)にはべりつれば、口惜(くちを)しくえまゐりはべらずなりぬる』
 と、あはれに言ひ語らひて泣くめれど、涙落つとも見えず。 と、あはれに言ひ語らひて泣くめれど、涙落つとも見えず。
   
   
   
 かくて講師待つほどに、我も人も久しくつれづれなるに、この翁ともの言ふやう、  かくて講師(こうじ)待つほどに、我も人もひさしくつれづれなるに、この翁(おきな)ともの言ふやう、
〔世次〕いで、さうざうしきに、いざ給へ。  世次『いで、さうざうしきに、いざたまへ。
昔物語して、このおのおはさふ人々に、 昔物語(むかしものがたり)して、このおのおはさふ人々に、
「さは、いにしへは、世はかくこそ侍りけれ」 「さは、いにしへは、世はかくこそはべりけれ」
と、聞かせ奉らむ。 と、聞かせたてまつらむ』
 と言ふめれば、いま一人、 と言ふめれば、いま、一人(ひとり)、
〔重木〕しかしか、いと興ある事なり。  重木『しかしか、いと興(きよう)あることなり。
いで覚え給へ。 いで覚えたまへ。
時々、さるべき事のさしいらへ、重木もうち覚え侍らむかし。 時々、さるべきことのさしいらへ、重木もうち覚えはべらむかし』
 と言ひて、言はむ言はむと思へる気色ども、いつしか聞かまほしく、おくゆかしき心地するに、そこらの人多かりしかど、ものはかばかしく耳とどむるもあらめど、人目にあらはれて、この侍ぞ、よく聞かむと、あどうつめりし。 と言ひて、言はむ言はむと思へる気色(けしき)ども、いつしか聞かまほしく、おくゆかしき心地(ここち)するに、そこらの人多かりしかど、ものはかばかしく耳とどむるもあらめど、人目にあらはれて、この侍(さぶらひ)ぞ、よく聞かむと、あどうつめりし。
   
世次が言ふやう、 世次が言ふやう。
〔世次〕世はいかに興あるものぞや。 『世はいかに興あるものぞや。
さりとも、翁こそ、少々の事は覚え侍らめ。 さりとも、翁(おきな)こそ、少々のことは覚えはべらめ。
昔さかしき帝の御政の折は、 昔さかしき帝(みかど)の御政(まつりごと)の折は、
「国のうちに年老いたる翁、嫗やある」 「国のうちに年老いたる翁・嫗(おうな)やある」
と召し尋ねて、いにしへの掟の有様を問はせ給ひてこそ、奏する事を聞こし召し合はせて、世の政は行はせ給ひけれ。 と召し尋ねて、いにしへの掟(おきて)の有様(ありさま)を問はせたまひてこそ、奏(そう)することを聞こし召しあはせて、世の政は行はせたまひけれ。
されば、老いたるは、いとかしこき者に侍り。 されば、老いたるは、いとかしこきものにはべり。
若き人たち、なあなづりそ。 若き人たち、なあなづりそ』
 とて、黒柿の骨九あるに、黄なる紙張りたる扇をさしかくして、気色だち笑ふほども、さすがにをかし。 とて、黒柿(くろかへ)の骨九あるに、黄(き)なる紙張りたる扇(あふぎ)をさしかくして、気色だち笑ふほども、さすがにをかし。
   
〔世次〕まめやかに世次が申さむと思ふ事は、ことごとかは。  世次『まめやかに世次が申さむと思ふにことは、ことごとかは。
ただ今の入道殿下の御有様の、世にすぐれておはします事を、道俗男女の御前にて申さむと思ふが、いとこと多くなりて、あまたの帝王、后、また大臣、公卿の御上を続くべきなり。 ただ今の入道殿下(にふだうてんが)の御有様の、世にすぐれておはしますことを、道俗男女の御前(おまえ)にて申さむと思ふが、いとこと多くなりて、あまたの帝王・后(きさき)、また大臣(だいじん)・公卿(くぎやう)の御上(うへ)をつづくべきなり。
その中に、幸ひ人におはします、この御有様申さむと思ふほどに、世の中の事の隠れなくあらはるべきなり。 そのなかに、幸(さいは)ひ人(びと)におはします、この御有様申さむと思ふほどに、世の中のことのかくれなくあらはるばきなり。
つてに承れば、法華経一部を説き奉らむとてこそ、まづ余教をば説き給ひけれ。 つてにうけたまはれば、法華経(ほけきやう)一部を説きたてまつらむとてこそ、まづ余教(よけう)をば説きたまひけれ。
それを名づけて五時教とは言ふにこそはあなれ。 それを名づけて五時教(ごじけう)とは言ふにこそはあなれ。
しかのごとくに、入道殿の御栄えを申さむと思ふほどに、余教の説かるると言ひつべし。 しかのごとくに、入道殿の御栄えを申さむと思ふほどに、余教の説かるると言ひつべし』
 など言ふも、わざわざしく、ことごとしく聞ゆれど、 など言ふも、わざわざしく、ことごとしく聞こゆれど、
いでやさりとも、何ばかりの事をか、 「いでやさりとも、なにばかりのことをか」
と思ふに、いみじうこそ言ひ続け侍りしか。 と思ふに、いみじうこそ言ひつづけはべりしか。
   
〔世次〕世間の摂政、関白と申し、大臣、公卿と聞ゆる、古今の、皆、この入道殿の有様のやうにこそはおはしますらめとぞ、今様の児どもは思ふらむかし。  世次『世間の摂政(せつしやう)・関白(くわんぱく)と申し、大臣(だいじん)・公卿(くぎやう)と聞こゆる、古今(いにしへいま)の、皆、この入道殿(にふだうどの)の有様(ありさま)のやうにこそはおはしますらめとぞ、今様(いまやう)の児(ちご)どもは思ふらむかし。
されども、それさもあらぬ事なり。 されども、それさもあらぬことなり。
言ひもていけば、同じ種一つ筋にぞおはしあれど、門別れぬれば、人々の御心用ゐも、また、それにしたがひてことごとになりぬ。 言ひもていけば、同じ種一(ひと)つ筋(すぢ)にぞおはしあれど、門(かど)別れぬれば、人々の御心用(こころもち)ゐも、また、それにしたがひてことごとになりぬ。
この世はじまりて後、帝はまづ神の世七代をおき奉りて、神武天皇をはじめ奉りて、当代まで六十八代にぞならせ給ひにける。 この世はじまりて後(のち)、帝(みかど)はまづ神の世七代をおきたてまつりて、神武天皇(じんむてんわう)をはじめたてまつりて、当代(たうだい)まで六十八代にぞならせたまひにける。
すべからくは、神武天皇をはじめ奉りて、次々の帝の御次第を覚え申すべきなり。 すべからくは、神武天皇をはじめたてまつりて、次々の帝の御次第(しだい)を覚え申すべきなり。
しかりと言へども、それはいと聞き耳遠ければ、ただ近きほどより申さむと思ふに侍り。 しかりと言へども、それはいと聞き耳遠ければ、ただ近きほどより申さむと思ふにはべり。
文徳天皇と申す帝おはしましき。 文徳(もんとく)天皇と申す帝おはしましき。
その帝よりこなた、今の帝まで十四代にぞならせ給ひにける。 その帝よりこなた、今の帝まで十四代にぞならせたまひにける。
世をかぞへ侍れば、その帝、位につかせ給ふ嘉祥三年庚午の年より、今年までは一百七十六年ばかりにやなりぬらむ。 世をかぞへはべれば、その帝、位(くらゐ)につかせたまふ嘉祥(かしやう)三年庚午(かのえうま)の年より、今年(ことし)までは一百七十六年ばかりにやなりぬらむ。
かけまくもかしこき君の御名を申すは、かたじけなく候へども。 かけまくもかしこき君の御名を申すは、かたじけなくさぶらへども』
 とて、言ひ続け侍りし。 とて、言ひつづけはべりし。
   
   

一 五十五代 文徳天皇

   
〔世次〕文徳天皇と申しける帝は、仁明天皇御第一の皇子なり。  世次『文徳天皇と申しける帝は、仁明(にんみやう)天皇御第一の皇子なり。
御母、太皇太后宮藤原順子と申しき。 御母、太皇太后宮藤原順子(たいくわうたいこうぐうふぢはらのじゆんし)と申しき。
その后、左大臣贈性一位太政大臣冬嗣のおとどの御女なり。 その后(きさき)、左大臣贈性一位太政大臣冬嗣(さだいじんぞうじやういちゐだいじやうだいじんふゆつぎ)のおとどの御女(むすめ)なり。
この帝、天長四年丁末八月に生まれ給ひて、御心あきらかに、よく人をしろしめせり。 この帝、天長(てんちやう)四年丁末(ひのとひつじ)八月に生まれたまひて、御心あきらかに、よく人をしろしめせり。
承和九年壬戌二月二十六日に御元服。 承和(じようわ)九年壬戌(みづのえいぬ)二月二十六日に御元服(げんぶく)。
同八月四日、東宮に立ち給ふ、 御年十六。 同八月四日、東宮(とうぐう)にたちたまふ。 御年十六。
仁明天皇もとおはする東宮をとりて、この帝を、承和九年八月四日、東宮にたて奉らせ給ひしなり。 仁明(にんみやう)天皇もとおはする東宮(とうぐう)をとりて、この帝(みかど)を、承和(じようわ)九年八月四日、東宮にたてたてまつらせたまひしなり。
いかにやすからず思しけむとこそおぼえ侍れ。 いかにやすからず思(おぼ)しけむとこそおぼえはべれ。
嘉祥三年庚午三月二十一日、位につき給ふ、 御年二十四。 嘉祥(かしやう)三年庚午(かのえうま)三月二十一日、位(くらゐ)につきたまふ。 御年二十四。
さて世をたもたせ給ふこと八年。 さて世をたもたせたまふこと八年。
   
   
   
 御母后の御年十九にてぞ、この帝を産み奉り給ふ。  御母后(きさい)の御年十九にてぞ、この帝をうみたてまつりたまふ。
嘉省三年四月に后に立たせ給ふ、 御年四十二。 嘉省三年四月に后にたたせたまふ。 御年四十二。
斎衡元年甲戌の年、皇后宮に上がりゐ給ふ。 斎衡(さいかう)元年甲戌(きのえいぬ)の年、皇后宮にあがりゐたまふ。
貞観三年辛巳二月二十九日癸酉、御出家して、潅頂などせさせ給へり。 貞観(ぢやうぐわん)三年辛巳(かのとみ)二月二十九日癸酉(みづのととり)、御出家(すけ)して、潅頂(くわんぢやう)などせさせたまへり。
同六年丙申正月七日、皇太后に上がりゐ給ふ。 同六年丙申(ひのえさる)正月七日、皇太后にあがりゐたまふ。
これを五条后と申す。 これを五条后(ごでうのきさい)と申す。
伊勢語に、業平中将の、 伊勢語(ものがたり)に、業平中将(なりひらのちゆうじやう)の、
「よひよひごとにうちも寝ななむ」 「よひよひごとにうちも寝ななむ」
とよみ給ひけるは、この宮の御事なり。 とよみたまひけるは、この宮の御ことなり。
「春や昔の」なども。 「春や昔の」なども。
 同じ事のやうに候ふめる。  同じことのやうにさぶらふめる。
いかなる事にか、二条の后に通ひまされける間の事どもとぞ、承りしを。 いかなることにか、二条(にでう)の后(きさい)に通ひまされける間のことどもとぞ、うけたまはりしを。
「春や昔の」なども。 「春や昔の」なども。
五条の后の御家と侍るは、わかぬ御仲にて、その宮に養はれ給へれば、同じ所におはしけるにや。 五条の后の御家とはべるは、わかぬ御仲にて、その宮に養はれたまへれば、同じ所におはしけるにや。
   

一 五十六代 清和天皇

   
 次の帝、清和天皇と申しけり。  次の帝、清和天皇と申しけり。
文徳天皇の第四皇子なり。 文徳天皇の第四皇子なり。
御母、皇太后宮明子と申しき。 御母、皇太后宮明子(あきらけいこ)と申しき。
太政大臣良房のおとどの御女なり。 太政大臣良房(よしふさ)のおとどの御女(むすめ)なり。
この帝、嘉祥三年庚午三月二十五日に、母方の御祖父、おほきおとどの子一条の家にて、父帝の位につかせ給へる、五日といふ日、生まれ給へりけむこそ、いかに折さへはなやかにめでたかりけむとおぼえ侍れ。 この帝、嘉祥三年庚午三月二十五日に、母方の御祖父(おほぢ)、おほきおとどの子一条の家にて、父帝(ちちみかど)の位につかせたまへる、五日といふ日、生まれたまへりけむこそ、いかに折さへはなやかにめでたかりけむとおぼえはべれ。
 この帝は、御心いつくしく、御かたちめでたくぞおはしましける。 この帝は、御心いつくしく、御かたちめでたくぞおはしましける。
惟喬親王の東宮あらそひし給ひけんも、この御事とこそおぼゆれ。 惟喬(これたか)親王の東宮あらそひしたまひけむも、この御こととこそおぼゆれ。
やがて生まれ給ふ年の十一月二十五日戊戌、東宮に立ち給ひて、天安二年戊寅八月二十七日、御年九にて位につかせ給ふ。 やがて生まれたまふ年の十一月二十五日戊戌(つちのえいぬ)、東宮(とうぐう)にたちたまひて、天安(てんあん)二年戊寅(つちのえとら)八月二十七日、御年九にて位(くらゐ)につかせたまふ。
貞観六年正月一日戊子、御元服、御年十五なり。 貞観(ぢやうぐわん)六年正月一日戊子(つちのえね)、御元服(げんぶく)、御年十五なり。
世をたもたせ給ふこと十八年。 世をたもたせたまふこと十八年。
同十八年十一月二十九日、染殿院にておりさせ給ふ。 同十八年十一月二十九日、染殿院(そめどののゐん)にておりさせたまふ。
元慶三年五月八日、御出家。 元慶(ぐわんぎやう)三年五月八日、御出家(すけ)。
水尾の帝と申す。 水尾(みづのを)の帝(みかど)と申す。
この御末ぞかし、今の世に源氏の武者の族は。 この御末(すゑ)ぞかし、今の世に源氏(げんじ)の武者(むさ)の族(ぞう)は。
それもおほやけの御かためとこそはなるめれ。 それもおほやけの御かためとこそはなるめれ。
   
   
   
 御母、二十三にて、この帝を産み奉り給へり。  御母、二十三にて、この帝をうみたてまつりたまへり。
貞観六年正月七日、皇后宮に上がりゐ給ふ。 貞観六年正月七日、皇后宮(くわうごうぐう)にあがりゐたまふ。
后の位にて四十一年おはします。 后(きさい)の位にて四十一年おはします。
染殿の后と申す。 染殿(そめどの)の后と申す。
その御時の護持僧には智証大師におはす。 その御時の護持僧(ごぢそう)には智証大師(ちしようだいし)におはす。
   
さばかりの仏の護持僧にておはしけむに、この后の御物の怪のこはかりけるに、など、えやめ奉り給はざりけむ。  さばかりの仏の護持僧にておはしけむに、この后の御物(もの)の怪(け)のこはかりけるに、など、えやめたてまつりたまはざりけむ。
前の世の事にておはしましけるにやとこそおぼえ侍れ。 前(さき)の世(よ)のことにておはしましけるにやとこそおぼえはべれ。
   
天安二年戊寅にぞ唐より帰り給ふ。  天安(てんあん)二年戊寅(つちのえとら)にぞ唐より帰りたまふ。
   
   

一 五十七代 陽成院

   
 次の帝、陽成院天皇と申しき。  次の帝、陽成院天皇と申しき。
これ、清和天皇の第一皇子なり。 これ、清和天皇の第一皇子なり。
御母、皇太后宮高子と申しき。 御母、皇太后宮高子(たかいこ)と申しき。
権中納言贈性一位太政大臣長良の御女なり。 権中納言贈性一位(ごんちゆうなごんぞうじやういちゐ)太政大臣長良(ながら)の御女(むすめ)なり。
 この帝、貞観十年戊子十二月十六日、染殿院にて生まれ給へり。 この帝、貞観十年戊子(つちのえね)十二月十六日、染殿院にて生まれたまへり。
同じき十一年己丑二月一日、御年二つにて東宮に立たせ給ひて、同じき十八年丙申十一月二十九日、位に即かせ給ふ。 同じき十一月二月一日己丑(つちのとうし)、御年二にて東宮にたたせたまひて、同じき十八年丙申(ひのえさる)十一月二十九日、位につかせたまふ。
御年九歳。 御年九歳。
元慶六年壬寅正月二日乙巳、御元服、御年十五。 元慶六年壬寅(みづのえとら)正月二日乙巳(きのとみ)、御元服。御年十五。
世をしらせ給ふこと八年。 世をしらせたまふこと八年。
位おりさせ給ひて、二条院にぞおはしましける。 位おりさせたまひて、二条院(にでうのゐん)にぞおはしましける。
さて六十五年なれば、八十一にてかくれさせ給ふ。 さて六十五年なれば、八十一にてかくれさせたまふ。
御法事の願文には、 御法事(ほふぢ)の願文(ぐわんもん)には、
「釈迦如来の一年の兄」 「釈迦如来(しやかによらい)の一年(ひととせ)の兄(このかみ)」
とは作られたるなり。 とは作られたるなり。
智恵深く思ひよりけむほど、いと興あれど、仏の御年よりは御年高しといふ心の、後世の責めとなむなれるとこそ、人の夢に見えけれ。 智恵(ちゑ)深く思ひよりけむほど、いと興(きよう)あれど、仏の御年よりは御年高しといふ心の、後世(ごせ)の責(せ)めとなむなれるとこそ、人の夢に見えけれ。
   
   
   
 御母后、清和の帝よりは九年の御姉なり。  御母后、清和の帝(みかど)よりは九年の御姉なり。
二十七と申しし年、陽成院をばうみ奉り給へるなり。 二十七と申しし年、陽成院(やうぜいゐん)をばうみたてまつりたまへるなり。
元慶元年正月に后に立たせ給ふ、中宮と申す。 元慶(ぐわんぎやう)元年正月に后(きさい)にたたせたまふ、中宮(ちゆうぐう)と申す。
御年三十六。 御年三十六。
同じき六年正月七日、皇太后宮に上がり給ふ。 同じき六年正月七日、皇太后宮にあがりたまふ。
御年四十一。 御年四十一。
 この后宮の、宮仕ひしそめ給ひけむやうこそおぼつかなけれ。 この后宮の、宮仕(みやづか)ひしそめたまひけむやうこそおぼつかなけれ。
いまだ世ごもりておはしける時、在中将しのびて率てかくし奉りたりけるを、御せうとの君達、基経の大臣、国経の大納言などの、若くおはしけむほどの事なりけむかし、取り返しにおはしたりける折、 いまだ世ごもりておはしける時、在中将(ざいちゆうじやう)しのびて率(ゐ)てかくしたてまつりたりけるを、御せうとの君達、基経(もとつね)の大臣・国経(くにつね)の大納言などの、若くおはしけむほどのことなりけむかし、取り返しにおはしたりける折、
「つまもこもれりわれもこもれり」 「つまもこもれりわれもこもれり」
とよみ給ひたるは、この御事なれば、末の世に、 とよみたまひたるは、この御ことなれば、末の世に、
「神代の事も」 「神代(かみよ)のことも」
とは申し出で給ひけるぞかし。 とは申し出でたまひけるぞかし。
されば、世の常の御かしづきにては御覧じそめられ給はずやおはしましけむとぞ、おぼえ侍る。 されば、世(よ)の常(つね)の御かしづきにては御覧(ごらん)じそめられたまはずやおはしましけむとぞ、おぼえはべる。
もし、離れぬ御仲にて、染殿宮に参り通ひなどし給ひけむほどの事にやとぞ、推しはかられ侍る。 もし、離れぬ御仲にて、染殿宮(そめどののみや)にまゐり通ひなどしたまひけむほどのことにやとぞ、推(お)しはかられはべる。
及ばぬ身に、かやうの事をさへ申すは、いとかたじけなき事なれど、これは皆人の知ろしめしたる事なれば。 およばぬ身に、かやうのことをさへ申すは、いとかたじけなきことなれど、これは皆人(みなひと)の知ろしめしたることなれば。
いかなる人かは、この頃、古今、伊勢語など覚えさせ給はぬはあらむずる。 いかなる人かは、この頃(ごろ)、古今(こきん)・伊勢語(ものがたり)など覚えさせたまはぬはあらむずる。
「見もせぬ人の恋しきは」 「見もせぬ人の恋しきは」
など申す事も、この御なからひのほどとこそは承れ。 など申すことも、この御なからひのほどとこそはうけたまはれ。
末の世まで書き置き給ひけむ、恐ろしき好き者なりかしな。 末の世まで書き置きたまひけむ、おそろしき好き者なりかしな。
いかに、昔は、なかなかに気色ある事も、をかしき事もありけるもの。 いかに、昔は、なかなかに気色(けしき)あることも、をかしきこともありけるもの』
 とて、うち笑ふ。 とて、うち笑ふ。
気色ことになりて、いとやさしげなり。 気色ことになりて、いとやさしげなり。
二条の后と申すは、この御事なり。  世次『二条(にでう)の后と申すは、この御ことなり。
   
   

一 五十八代 光孝天皇

   
〔世次〕 次の帝、光康天皇と申しき。  次の帝(みかど)、光康天皇と申しき。
仁明天皇第三皇子なり。 仁明(にんみやう)天皇第三皇子なり。
御母、贈皇太后宮藤原沢子、贈太政大臣総継御女なり。 御母、贈皇太后宮藤原沢子(たくし)、贈太政大臣総継(ふさつぎに)御女(むすめ)なり。
この帝、淳和天皇御時の天長七年庚戌、東五条家にて生まれ給ふ。 この帝、淳和(じゆんな)天皇御時の天長(てんちやう)七年庚戌(かのえいぬ)、東五条家にて生まれたまふ。
御親の深草の帝の御時の承和三年丙辰正月七日、四品し給ふ。 御親の深草(ふかくさ)の帝の御時の承和(じようわ)三年丙辰(ひのえたつ)正月七日、四品(しほん)したまふ。
御年七。 御年七。
嘉祥三年正月、中務卿になり給ふ。 嘉祥三年正月、中務卿(なかつかさきやう)になりたまふ。
御年二十一。 御年二一。
仁寿元年十一月二十一日、三品にのぼり給ふ。 仁寿(にんじゆ)元年十一月二十一日、三品(さんぼん)にのぼりたまふ。
御年二十二。 御年二十二。
貞観六年正月十六日、上野大守かけさせ給ふ。 貞観(ぢやうぐわん)六年正月十六日、上野大守(かうづけのかみ)かけさせたまふ。
御年三十五。 御年三十五。
同八年正月十三日、大宰権師にうつりならせ給ふ。 同八年正月十三日、大宰権師(だざいのごんのそち)にうつりならせたまふ。
同十二年二月七日、二品にのぼらせ給ふ。 同十二年二月七日、二品(にほん)にのぼらせたまふ。
御年四十。 御年四十。
同十八年二月二十六日、式部卿にならせ給ふ。 同十八年二月二十六日、式部卿にならせたまふ。
御年四十六。 御年四十六。
元慶六年正月七日、一品にのぼらせ給ふ。 元慶(ぐわんぎやう)六年正月七日、一品(いつぽん)にのぼらせたまふ。
御年五十三。 御年五十三。
同八年に大宰師かけ給ひて、二月四日、位に即き給ふ。 同八年に大宰師かけたまひて、二月四日、位につきたまふ。
御年五十五。 御年五十五。
世をしらせ給ふこと四年。 世をしらせたまふこと四年。
小松の帝と申す。 小松(こまつ)の帝と申す。
この御時に、藤壺の上の御局の黒戸は開きたると聞き侍るは、まことにや。 この御時に、藤壷(ふぢつぼ)の上(うへ)の御局(みつぼね)の黒戸(くろど)は開(あ)きたると聞きはべるは、まことにや。
   
   

一 五十九代 宇多天皇

   
 次の帝、亭子の帝と申しき。  次の帝、亭子(ていじ)の帝と申しき。
これ、小松の天皇の御第三皇子。 これ、小松の天皇の御第三皇子。
御母、皇太后宮班子女王と申しき。 御母、皇太后宮班子(はんし)女王と申しき。
二品式部卿贈一品太政大臣仲野親王御女なり。 二品式部卿贈一品太政大臣仲野(なかの)親王御女(むすめ)なり。
この帝、貞観九年丁亥五月五日、生まれさせ給ふ。 この帝、貞観九年丁亥(ひのとゐ)五月五日、生まれさせたまふ。
元慶八年四月十三日、源氏になり給ふ。 元慶八年四月十三日、源氏になりたまふ。
御年十八。 御年十八。
   
 王侍従など聞えて、殿上人にておはしましける時、殿上の御椅子の前にて、業平の中将と相撲とらせ給ひけるほどに、御椅子にうちかけられて高欄折れにけり。  王侍従(わうじじゆう)など聞こえて、殿上人(てんじやうびと)にておはしましける 時、殿上の御椅子(ごいし)の前にて、業平(なりひら)の中将(ちゆうじやう)と相 撲(すまひ)とらせたまひけるほどに、御椅子にうちかけられて高欄(かうらん)折れ にけり。
その折目今に侍るなり。 その折目(をれめ)今にはべるなり。
仁和三年丁末八月二十六日に春宮に立たせ給ひて、やがて同日に位に即かせ給ふ。 仁和(にんな)三年丁末(ひのとひつじ)八月二十六日に春宮にたたせたまひて、やがて同日に位につかせたまふ。
御年二十一。 御年二十一。
世をしらせ給ふこと十年。 世をしらせたまふこと十年。
寛平元年己酉十一月二十一日己酉の日、賀茂の臨時祭はじまる事、この御時よりなり。 寛平(くわんぴやう)元年己酉(つちのととり)十一月二十一日己酉の日、賀茂(かも)の臨時祭(りんじのまつり)はじまること、この御時よりなり。
使には右近中将時平なり。 使(つかひ)には右近中将時平(うこんのちゆうじやうときひら)なり。
昌泰元年戊午四月十日、御出家せさせ給ふ。 昌泰(しやうたい)元年戊午(つちのえうま)四月十日、御出家(すけ)せさせたまふ。
   
 この帝、いまだ位に即かせ給はざりける時、十一月二十余日のほどに、賀茂の御社の辺に、鷹つかひ、遊びありけるに、賀茂の明神託宣し給ひけるやう、  この帝(みかど)、いまだ位(くらゐ)につかせたまはざりける時、十一月二十余(よ)日のほどに、賀茂の御社(みやしろ)の辺(へん)に、鷹(たか)つかひ、遊びありけるに、賀茂の明神(みやうじん)託宣したまひけるやう、
「この辺に侍る翁どもなり。 「この辺にはべる翁(おきな)どもなり。
春は祭多く侍り。 春は祭多くはべり。
冬のいみじくつれづれなるに、祭給はらむ」 冬のいみじくつれづれなるに、祭たまはらむ」
と申し給へば、その時に賀茂の明神の仰せらるるとおぼえさせ給ひて、 と申したまへば、その時に賀茂の明神の仰せらるるとおぼえさせたまひて、
「おのれは力及び候はず。 「おのれは力およびさぶらはず。
おほやけに申させ給ふべき事にこそ候ふなれ」 おほやけに申させたまふべきことにこそさぶらふなれ」
と申させ給へば、 と申させたまへば、
「力及ばせ給ひぬべきなればこそ申せ。 「力およばせたまひぬべきなればこそ申せ。
いたく軽々なるふるまひなさせ給ひそ。 いたく軽々(きやうきやう)なるふるまひなさせたまひそ。
さ申すやうありとて。 さ申すやうありとて。
近くなり侍り」 近くなりはべり」
とて、かい消つやうに失せ給ひぬ。 とて、かい消(け)つやうにうせたまひぬ。
いかなる事にかと心得ず思し召すほどに、かく位に即かせ給へりければ、臨時の祭せさせ給へるぞかし。 いかなることにかと心得ず思(おぼ)し召(め)すほどに、かく位につかせたまへりければ、臨時の祭せさせたまへるぞかし。
賀茂の明神の託宣して、 賀茂の明神の託宣して、
「祭せさせ給へ」 「祭せさせたまへ」
と申させ給ふ日、酉の日にして侍りければ、やがて霜月のはての酉の日、臨時の祭は侍るぞかし。 と申させたまふ日、酉(とり)の日(ひ)にしてはべりければ、やがて霜月(しもつき)のはての酉の日、臨時の祭ははべるぞかし。
   
東遊びの歌は、敏之の朝臣の詠みけるぞかし。 東遊(あづまあそび)の歌は、敏之(としゆき)の朝臣(あそん)のよみけるぞかし。
   
♪1
ちはやぶる
 賀茂の社の
 姫小松
 よろづ代経とも
 色は変はらじ
 
ちはやぶる
 賀茂の社(やしろ)の
 姫小松(ひめこまつ)
 よろづ代経(よふ)とも
 色は変はらじ
   
 これは古今に入りて侍り。  これは古今(こきん)に入りてはべり。
人皆知らせ給へる事なれども、いみじく詠み給へるぬしかな。 人皆(ひとみな)知らせたまへることなれども、いみじくよみたまへるぬしかな。
 今に絶えずひろごらせ給へる御末、帝と申すともいとかくやはおはします。 今に絶えずひろごらせたまへる御末(すゑ)、帝(みかど)と申すともいとかくやはおはします。
位に即かせ給ひて二年といふにはじまれり。 位(くらゐ)につかせたまひて二年といふにはじまれり。
使、右近中将時平の朝臣こそはし給ひけれ。 使(つかひ)、右近中将時平(ときひら)の朝臣(あそん)こそはしたまひけれ。
寛平九年七月五日、おりさせ給ふ。 寛平(くわんぴやう)九年七月五日、おりさせたまふ。
昌泰三年己末十月十四日、出家せさせ給ふ。 昌泰(しやうたい)三年己末(つちのとひつじ)十月十四日、出家(すけ)せさせたまふ。
御名、金剛覚と申しき。 御名、金剛覚(こんがうかく)と申しき。
承平元年七月十九日、失せさせ給ひぬ。 承平(しやうへい)元年七月十九日、うせさせたまひぬ。
御年六十六。 御年六十六。
肥前掾橘良利、殿上に候ひける、入道して、修行の御供にも、これのみぞつかうまつりける。 肥前掾橘良利(ひぜんのぞうたちばなのよしとし)、殿上(てんじやう)にさぶらひける、入道(にふだう)して、修行(すぎやう)の御供(とも)にも、これのみぞつかうまつりける。
されば、熊野にても、日根といふ所にて、 されば、熊野(くまの)にても、日根(ひね)といふ所にて、
「旅寝の夢に見えつるは」 「たびねの夢に見えつるは」
とも詠むぞかし。 ともよむぞかし。
人々の涙落とすも、ことわりにあはれなる事よな。 人々の涙落とすも、ことわりにあはれなることよな。
   
   
   
 この帝の、ただ人になり給ふほどなどおぼつかなし。  この帝の、ただ人になりたまふほどなどおぼつかなし。
よくも覚え侍らず。 よくも覚えはべらず。
御母、洞院の后と申す。 御母、洞院(とうゐん)の后(きさき)と申す。
この帝の、源氏にならせ給ふ事、よく知らぬにや、 この帝の、源氏にならせたまふこと、よく知らぬにや、
「王侍従」 「王侍従(わうじじゆう)」
とこそ申しけれ。 とこそ申しけれ。
陽成院の御時、殿上人にて、神社行幸には舞人などせさせ給ひたり。 陽成院(やうぜいゐん)の御時、殿上人(てんじやうびと)にて、神社行幸(ぎやうかう)には舞人(まひびと)などせさせたまひたり。
位につかせ給ひて後、陽成院を通りて行幸ありけるに、 位につかせたまひて後(のち)、陽成院を通りて行幸ありけるに、
「当代は家人にはあらずや」 「当代(たうだい)は家人(けにん)にはあらずや」
とぞ仰せられける。 とぞ仰せられける。
さばかりの家人持たせ給へる帝も、ありがたき事ぞかし。 さばかりの家人持たせたまへる帝も、ありがたきことぞかし。
   
   

一 六十代 醍醐天皇

   
 次の帝、醍醐天皇と申しき。  次の帝(みかど)、醍醐天皇と申しき。
これ、亭子太上法皇の第一の皇子におはします。 これ、亭子太上法皇(ていじだいじやうほふわう)の第一の皇子におはします。
御母、皇太后宮胤子と申しき。 御母、皇太后宮胤子(いんし)と申しき。
内大臣藤原高藤のおとどの御女なり。 内大臣藤原高藤(たかふぢ)のおとどの御女(むすめ)なり。
この帝、仁和元年乙巳正月十八日に生まれ給ふ。 この帝、仁和元年乙巳(きのとみ)正月十八日に生まれたまふ。
寛平五年四月十四日、東宮にたたせ給ふ。 寛平(くわんぴやう)五年四月十四日、東宮(とうぐう)にたたせたまふ。
御年九歳。 御年九歳。
同七年正月十九日、十一歳にて御元服。 同七年正月十九日、十一歳にて御元服。
また同九年丁巳七月三日、位に即かせ給ふ。 また同九年丁巳(ひのとみ)七月三日、位につかせたまふ。
御年十三。 御年十三。
やがて今宵、夜の御殿より、にはかに御かぶり奉りて、さし出でおはしましたりける。 やがて今宵(こよひ)、夜(よる)の御殿(おとど)より、にはかに御かぶりたてまつりて、さし出でおはしましたりける。
「御手づからわざ」 「御手づからわざ」
と人の申すは、まことにや。 と人の申すは、まことにや。
さて、世をたもたせ給ふこと三十三年。 さて、世をたもたせたまふこと三十三年。
この御時ぞかし、村上か朱雀院かの生まれおはしましたる御五十日の餅、殿上に出ださせ給へるに、伊衡中将の和歌つかうまつり給へるは。 この御時ぞかし、村上(むらかみ)か朱雀院(すざくゐん)かの生まれおはしましたる御五十日(いか)の餅(もちひ)、殿上(てんじやう)に出(い)ださせたまへるに、伊衡(これひら)中将の和歌つかうまつりたまへるは」
 とて、おぼゆめる。 とて、覚ゆめる。
   
♪2〔世次〕
ひととせに
 こよひかぞふる
 今よりは
 ももとせまでの
 月影を見む
 
世次『
ひととせに
 こよひかぞふる
 今よりは
 ももとせまでの
 月影を見む
   
 と詠むぞかし。 とよむぞかし。
御返し、帝のしおはしましけむかたじけなさよ。 御返し、帝のしおはしましけむかたじけなさよ。
   
♪3
いはひつる
 言霊ならば
 ももとせの
 後もつきせぬ
 月をこそ見め
 
いはひつる
 言霊(ことだま)ならば
 ももとせの
 後(のち)もつきせぬ
 月をこそ見め
   
 御集など見給ふるに、いとなまめかしう、かくやうの方さへおはしましける。 御集(ぎよしふ)など見たまふるに、いとなまめかしう、かくやうの方(かた)さへおはしましける。
   
   

一 六十一代 朱雀院

   
 次の帝、朱雀院天皇と申しき。  次の帝、朱雀院天皇と申しき。
これ、醍醐の帝第十一皇子なり。 これ、醍醐の帝第十一皇子なり。
御母、皇太后宮穏子と申しき。 御母、皇太后宮穏子(をんし)と申しき。
太政大臣基経のおとどの第四女なり。 太政大臣基経(もとつね)のおとどの第四女なり。
この帝、延長元年癸末七月二十四日、生まれさせ給ふ。 この帝(みかど)、延長(えんちやう)元年癸末(みづのとひつじ)七月二十四日、生まれさせたまふ。
同三年十月二十一日、東宮に立たせ給ふ。 同三年十月二十一日、東宮(とうぐう)にたたせたまふ。
御年三歳。 御年三歳。
同八年庚寅九月二十二日、位に即かせ給ふ。 同八年庚寅(かのえとら)九月二十二日、位(くらゐ)につかせたまふ。
御年八歳。 御年八歳。
承平七年正月四日、御元服。 承平(しようへい)七年正月四日、御元服。
御年十五。 御年十五。
世をたもたせ給ふこと十六年なり。 世をたもたせたまふこと十六年なり。
   
 八幡の臨時の祭は、この御時よりあるぞかし。  八幡の臨時の祭は、この御時よりあるぞかし。
この帝生まれさせ給ひては、御格子も参らず、夜昼灯をともして御帳の内にて三まで生し奉らせ給ひき。 この帝生まれさせたまひては、御格子(みかうし)もまゐらず、夜昼灯(ひ)をともして御帳の内にて三まで生(おほ)したてまつらせたまひき。
北野に怖ぢ申させ給ひてかくありしぞかし。 北野に怖(お)ぢ申させたまひてかくありしぞかし。
この帝生まれおはしまさずは、藤氏の栄えいとかうしもおはしまさざらまし。 この帝生まれおはしまさずは、藤氏の栄えいとかうしもおはしまさざらまし。
いみじき折節生まれさせ給へりしぞかし。 いみじき折節生まれさせたまへりしぞかし。
位につかせ給ひて、将門が乱れ出できて、御願にてぞと聞え侍りし、この臨時の祭は。 位につかせたまひて、将門(まさかど)が乱れ出(い)できて、御願にてぞと聞こえはべりし、この臨時の祭は。
その東遊の歌、貫之のぬしの詠みたりし。 その東遊(あづまあそび)の歌、貫之(つらゆき)のぬしの詠みたりし。
   
♪4
松も生ひ
 またも影さす
 石清水
 行末遠く
 仕へまつらむ
 
松も生ひ
 またも影さす
 石清水(いはしみづ)
 行末遠く
 仕へまつらむ
   
   

一 六十二代 村上天皇

   
 次の帝、村上天皇と申す。  次の帝、村上天皇と申す。
これ、醍醐の帝の第十四皇子なり。 これ、醍醐(だいご)の帝の第十四皇子なり。
御母、朱雀院の同じ御腹におはします。 御母、朱雀院(すざくゐん)の同じ御腹(はら)におはします。
この帝、延長四年丙戌六月二日、桂芳坊にて生まれさせ給ふ。 この帝、延長四年丙戌(ひのえいぬ)六月二日、桂芳坊(けいはうばう)にて生まれさせたまふ。
天慶三年二月十五日辛亥、御元服。 天慶(てんぎやう)三年二月十五日辛亥(かのとゐ)、御元服。
御年十五。 御年十五。
同七年甲辰四月二十二日、春宮に立たせ給ふ。 同七年甲辰(きのえたつ)四月二十二日、春宮(とうぐう)にたたせたまふ。
御年十九。 御年十九。
同九年丙午四月十三日、位に即かせ給ふ。 同九年丙午(ひのえうま)四月十三日、位につかせたまふ。
御年二十一。 御年二十一。
世をしらせ給ふこと二十一年。 世をしらせたまふこと二十一年。
   
   
   
 御母后、延喜三年癸亥、前坊を産み奉らせ給ふ。  御母后、延喜(えんぎ)三年癸亥(みづのとゐ)、前坊(せんばう)をうみたてまつらせたまふ。
御年十九。 御年十九。
同二十年庚辰女御の宣旨下り給ふ。 同二十年庚辰女御(かのえたつにようご)の宣旨(せんじ)下りたまふ。
御年三十六。 御年三十六。
同二十三年癸末、朱雀院生まれさせ給ふ。 同二十三年癸末(みづのとひつじ)、朱雀院生まれさせたまふ。
閏四月二十五日、后宣旨かぶらせ給ふ。 閏(うるふ)四月二十五日、后(きさき)宣旨かぶらせたまふ。
御年三十九。 御年三十九。
やがて、帝うみ奉り給ふ同月に、后にもたたせ給ひけるにや。 やがて、帝(みかど)うみたてまつりたまふ同月に、后(きさき)にもたたせたまひけるにや。
四十二にて、村上は生まれさせ給へり。 四十二にて、村上は生まれさせたまへり。
后に立ち給ふ日は、先坊の御事を、宮のうちにゆゆしがりて申し出づる人もなかりけるに、かの御乳母子に大輔の君と言ひける女房の、かく詠みて出だしける、 后にたちたまふ日は、先坊(せんばう)の御ことを、宮のうちにゆゆしがりて申し出づる人もなかりけるに、かの御乳母子(めのとご)に大輔(たいふ)の君(きみ)と言ひける女房(にようばう)の、かくよみて出(い)だしける、
   
♪5
わびぬれば
 今はとものを
 思へども
 心に似ぬは
 涙なりけり
 
わびぬれば
 今はとものを
 思へども
 心に似ぬは
 涙なりけり
   
 また、御法事はてて、人々まかり出づる日も、かくこそは詠まれたりけれ。 また、御法事はてて、人々まかり出づる日も、かくこそはよまれたりけれ。
   
♪6
今はとて
 み山を出づる
 郭公
 いづれの里に
 鳴かむとすらむ
 
今はとて
 み山を出づる
 郭公(ほととぎす)
 いづれの里に
 鳴かむとすらむ
   
 五月の事に侍りけり。 五月のことにはべりけり。
げにいかにとおぼゆるふしぶし、末の世まで伝ふるばかりの事言ひおく人、優に侍りかしな。 げにいかにとおぼゆるふしぶし、末の世まで伝ふるばかりのこと言ひおく人、優(いう)にはべりかしな。
前の東宮におくれ奉りて、かぎりなく嘆かせ給ふ同年、朱雀院生まれ給ひ、我、后に立たせ給ひけむこそ、さまざま、御嘆き御よろこび、かきまぜたる心地つかうまつれ。 前(さき)の東宮(とうぐう)におくれたてまつりて、かぎりなく嘆かせたまふ同年、朱雀院(すざくゐん)生まれたまひ、我(われ)、后にたたせたまひけむこそ、さまざま、御嘆き御よろこび、かきまぜたる心地(ここち)つかうまつれ。
世の、大后とこれを申す。 世の、大后(おほきさき)とこれを申す。
   
   

一 六十三代 冷泉院

   
 次の帝、冷泉院天皇と申しき。  次の帝、冷泉院天皇と申しき。
これ、村上天皇第二皇子なり。 これ、村上天皇第二皇子なり。
御母、皇太后宮安子と申す。 御母、皇太后宮安子(あんし)と申す。
右大臣師輔のおとどの第一御女なり。 右大臣師輔(もろすけ)のおとどの第一御女なり。
この帝、天暦四年庚戌五月二十四日、在衡のおとどのいまだ従五位下にて、備前介と聞えける折の五条家にて、生まれさせ給へり。 この帝、天暦(てんりやく)四年庚戌(かのえいぬ)五月二十四日、在衡(ありひら)のおとどのいまだ従五位下(じゆごゐげ)にて、備前介(びぜんのすけ)と聞こえける折の五条家にて、生まれさせたまへり。
同年の七月二十三日、東宮に立たせ給ふ。 同年の七月二十三日、東宮にたたせたまふ。
応和三年二月二十八日、御元服。 応和(おうわ)三年二月二十八日、御元服(げんぶく)。
御年十四。 御年十四。
康保四年五月二十五日、御年十八にて位に即かせ給ふ。 康保(かうほう)四年五月二十五日、御年十八にて位(くらゐ)につかせたまふ。
世をたもたせ給ふこと二年。 世をたもたせたまふこと二年。
寛弘八年十月二十四日、御年六十二にて失せさせおはしましけるを、三条院につかせ給ふ年にて、大嘗会などの延びけるをぞ、「をりふし」と、世の人申しける。 寛弘(くわんこう)八年十月二十四日、御年六十二にてうせさせおはしましけるを、三条院(さんでうゐん)につかせたまふ年にて、大嘗会(だいじやうゑ)などの延びけるをぞ、「をりふし」と、世の人申しける。
   
   

一 六十四代 円融院

   
 次の帝、円融院天皇と申しき。  次の帝(みかど)、円融院天皇と申しき。
これ村上の帝の第五皇子なり。 これ村上の帝の第五皇子なり。
御母、冷泉院の同腹におはします。 御母、冷泉院(れいぜいゐん)の同腹(はら)におはします。
この帝、天徳三年己末三月二日、生まれさせ給ふ。 この帝、天徳(てんとく)三年己末(つちのとひつじ)三月二日、生まれさせたまふ。
この帝の東宮に立たせ給ふほどは、いと聞きにくく、いみじきことどもこそ侍れな。 この帝の東宮(とうぐう)にたたせたまふほどは、いと聞きにくく、いみじきことどもこそはべれな。
これは皆人の知ろしめしたる事なれば、ことも長し、とどめ侍りなむ。 これは皆人(みなひと)の知ろしめしたることなれば、ことも長し、とどめはべりなむ。
安和二年己巳八月十三日にこそは位に即かせ給ひけれ。 安和(あんな)二年己巳(つちのとみ)八月十三日にこそは位につかせたまひけれ。
御年十一にて。 御年十一にて。
世をたもたせ給ふこと十五年。 世をたもたせたまふこと十五年。
   
   
   
 母后の、御年二十三四にて、うちつづき、この帝、冷泉院とうみ奉り給へる、いとやむごとなき御宿世なり。  母后(ははきさき)の、御年二十三四にて、うちつづき、この帝、冷泉院とうみたてまつりたまへる、いとやむごとなき御宿世(すくせ)なり。
御母方の祖父は出雲守従五位下藤原経邦と言ひし人なり。 御母方の祖父(おほぢ)は出雲守従五位下(いづものかみじゆごゐげ)藤原経邦(つねくに)と言ひし人なり。
末の世には、奏せさせ給ひてこそは、贈三位し給ふとこそは承りしか。 末(すゑ)の世(よ)には、奏(そう)せさせたまひてこそは、贈三位(ぞうさんみ)したまふとこそはうけたまはりしか。
いませぬ後なれど、この世の光はいと面目ありかし。 いませぬ後(あと)なれど、この世の光はいと面目(めいぼく)ありかし。
中后と申す。 中后(なかきさき)と申す。
この御事なり。 この御ことなり。
女十宮うみ奉り給ふたび、かくれさせ給へりし御嘆きこそ、いとかなしく承りしか。 女十宮うみたてまつりたまふたび、かくれさせたまへりし御嘆きこそ、いとかなしくうけたまはりしか。
村上御日記御覧じたる人もおはしますらむ。 村上御日記御覧(ごらん)じたる人もおはしますらむ。
ほのぼの伝へ承るにも、及ばぬ心にも、いとあはれにかたじけなく候ふな。 ほのぼの伝へうけたまはるにも、およばぬ心にも、いとあはれにかたじけなくさぶらふな。
そのとどまりおはします女宮こそは、大斎院よ。 そのとどまりおはします女宮こそは、大斎院(おほさいゐん)よ。
   
   

一 六十五代 花山院

   
 次の帝、花山院天皇と申しき。  次の帝(みかど)、花山院天皇と申しき。
冷泉院第一皇子なり。 冷泉院(れいぜいゐん)第一皇子なり。
御母、贈皇后宮懐子と申す。 御母、贈皇后宮懐子(ぞうくわうごうぐうくわいし)と申す。
太政大臣伊尹のおとどの第一御女なり。 太政大臣伊尹(これまさ)のおとどの第一御女(むすめ)なり。
 この帝、安和元年戊辰十月二十六日丙子、母方の御祖父の一条の家にて生まれさせ給ふとあるは、世尊寺の事にや。 この帝、安和元年戊辰(つちのえたつ)十月二十六日丙子(ひのえね)、母方の御祖父(おほぢ)の一条の家にて生まれさせたまふとあるは、世尊寺(せそんじ)のことにや。
その日は、冷泉院御時の大嘗会御禊あり。 その日は、冷泉院御時の大嘗会御禊(だいじやうゑごけい)あり。
同二年八月十三日、春宮に立ち給ふ。 同二年八月十三日、春宮(とうぐう)にたちたまふ。
御年二歳。 御年二歳。
天元五年二月十九日、御元服。 天元(てんげん)五年二月十九日、御元服。
御年十五。 御年十五。
永観二年八月二十八日、位に即かせ給ふ。 永観(えいくわん)二年八月二十八日、位(くらゐ)につかせたまふ。
御年十七。 御年十七。
寛和二年丙戌六月二十二日の夜、あさましく候ひし事は、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。 寛和(くわんな)二年丙戌(ひのえいぬ)六月二十二日の夜(よ)、あさましくさぶらひしことは、人にも知らせさせたまはで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道(にふだう)せさせたまへりしこそ。
御年十九。 御年十九。
世をたもたせ給ふこと二年。 世をたもたせたまふこと二年。
その後二十二年おはしましき。 その後(のち)二十二年おはしましき。
   火焚屋、陣屋などとりやられけるほどにこそ、え堪へずしのび音泣く人々侍りけれ。まして皇后宮、堀河の女御殿など、さばかり心深くおはします御心どもに、いかばかり思し召しけむとおぼえ侍りし。
   
   
   
 あはれなる事は、おりおはしましける夜は、藤壺の上の御局の子戸より出でさせ給ひけるに、有明の月のいみじく明かかりければ、  あはれなることは、おりおはしましける夜は、藤壷(ふぢつぼ)の上(うへ)の御局(つぼね)の子戸(こど)より出(い)でさせたまひけるに、有明(ありあけ)の月のいみじく明(あ)かかりければ、
「顕証にこそありけれ。 「顕証(けんしよう)にこそありけれ。
いかがすべからむ」 いかがすべからむ」
と仰せられけるを、 と仰せられけるを、
「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。 「さりとて、とまらせたまふべきやうはべらず。
神璽、宝剣わたり給ひぬるには」 神璽(しんし)・宝剣(ほうけん)わたりたまひぬるには」
と、粟田殿のさわがし申し給ひけるは、まだ、帝出でさせおはしまさざりけるさきに、手づからとりて、春宮の御方にわたし奉り給ひてければ、かへり入らせ給はむ事はあるまじく思して、しか申させ給ひけるとぞ。 と、粟田殿(あはたどの)のさわがし申したまひけるは、まだ、帝出でさせおはしまさざりけるさきに、手づからとりて、春宮の御方にわたしたてまつりたまひてければ、かへり入らせたまはむことはあるまじく思(おぼ)して、しか申させたまひけるとぞ。
さやけき影を、まばゆく思し召しつるほどに、月のかほにむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、 さやけき影を、まばゆく思し召しつるほどに、月のかほにむら雲(くも)のかかりて、すこしくらがりゆきければ、
「わが出家は成就するなりけり」 「わが出家(すけ)は成就するなりけり」
と仰せられて、歩み出でさせ給ふはどに、弘徽殿の女御の御文の、日頃破り残して御身も放たず御覧じけるを思し召し出でて、 と仰せられて、歩み出でさせたまふはどに、弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)の御文(ふみ)の、日頃(ひごろ)破(や)り残して御身も放(はな)たず御覧(ごらん)じけるを思(おぼ)し召(め)し出でて、
「しばし」 「しばし」
とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、 とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿(あはたどの)の、
「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。 「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。
ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうできなむ」 ただ今(いま)過ぎば、おのづから障(さは)りも出でまうできなむ」
と、そら泣きし給ひけるは。 と、そら泣きしたまひけるは。
    さて、式部卿の宮と申すは、故一条院の一の皇子におはします。その宮をば、年どろ帥宮と申ししを、小一条院、式部卿にておはしまししかど、東宮に立たせ給ひて、あくところに、帥宮をばのかせ給ひて、式部卿とは申ししぞかし。その後のたびの東宮にもはづれ給ひて、思し嘆きしほどに、失せ給ひにし後、またこの小一条院の御さしつぎの二宮敦儀親王をこそは、式部卿とは申すめれ。
   
   
   
 さて、土御門より東ざまに率て出だし参らせ給ふに、晴明が家の前をわたらせ給へば、みづからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打ちて、  さて、土御門(つちみかど)より東(ひんがし)ざまに率(ゐ)て出(い)だしまゐらせたまふに、晴明(せいめい)が家の前をわたらせたまへば、みづからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打ちて、
「帝王おりさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。 「帝王(みかど)おりさせたまふと見ゆる天変(てんぺん)ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。
参りて奏せむ。 まゐりて奏(そう)せむ。
車に装束とうせよ」 車に装束(そうぞく)とうせよ」
といふ声聞かせ給ひけむ、さりともあはれには思し召しけむかし。 といふ声聞かせたまひけむ、さりともあはれには思し召しけむかし。
「且、式神一人内裏に参れ」 「且(かつがつ)、式神一人内裏(だいり)にまゐれ」
と申しければ、目には見えぬものの、戸をおしあけて、御後をや見参らせけむ、 と申しければ、目には見えぬものの、戸をおしあけて、御後(うしろ)をや見まゐらせけむ、
「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり」 「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり」
といらへけりとかや。 といらへけりとかや。
その家、土御門町口なれば、御道なりけり。 その家、土御門町口(まちぐち)なれば、御道なりけり。
   
   
   
   
 花山寺におはしまし着きて、御髪おろさせ給ひて後にぞ、粟田殿は、  花山寺におはしまし着きて、御髪(みぐし)おろさせたまひて後(のち)にぞ、粟田殿は、
「まかり出でて、おとどにも、かはらぬ姿、いま一度見え、かくと案内申して、かならず参り侍らむ」 「まかり出でて、おとどにも、かはらぬ姿、いま一度見え、かくと案内(あない)申して、かならずまゐりはべらむ」
と申し給ひければ、 と申したまひければ、
「朕をば謀るなりけり」 「朕(われ)をば謀(はか)るなりけり」
とてこそ泣かせ給ひけれ。 とてこそ泣かせたまひけれ。
あはれにかなしき事なりな。 あはれにかなしきことなりな。
日頃、よく 日頃(ひごろ)、よく、
「御弟子にて候はむ」 「御弟子(でし)にてさぶらはむ」
と契りて、すかし申し給ひけむが恐ろしさよ。 と契りて、すかし申したまひけむがおそろしさよ。
東三条殿は、 東三条殿(とうさんでうどの)は、
「もしさる事やし給ふ」 「もしさることやしたまふ」
とあやふさに、さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者達をこそ、御送りに添へられたりけれ。 とあやふさに、さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者(むさ)たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。
京のほどはかくれて、堤の辺よりぞうち出で参りける。 京のほどはかくれて、堤(つつみ)の辺(わたり)よりぞうち出でまゐりける。
寺などにては、 寺などにては、
「もし、おして人などやなし奉る」 「もし、おして人などやなしたてまつる」
とて、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞまもり申しける。 とて、一尺(ひとさく)ばかりの刀(かたな)どもを抜きかけてぞまもり申しける。
   
   

一 六十六代 一条院

   
 次の帝、一条院と申しき。  次の帝(みかど)、一条院天皇と申しき。
これ、円融院第一皇子なり。 これ、円融院第一皇子なり。
御母皇后詮子と申しき。 御母皇后詮子(せんし)と申しき。
これ、太政大臣兼家のおとどの第二御女なり。 これ、太政大臣兼家(かねいへ)のおとどの第二御女(むすめ)なり。
この帝、天元三年庚辰六月一日、兼家のおとどの東三条の家にて生まれさせ給ふ。 この帝、天元(てんげん)三年庚辰(かのえたつ)六月一日、兼家のおとどの東三条(とうさんでう)の家にて生まれさせたまふ。
東宮に立ち給ふこと、永観二年八月二十八日なり。 東宮(とうぐう)にたちたまふこと、永観(えいくわん)二年八月二十八日なり。
御年五歳。 御年五歳。
寛和二年六月二十三日、位に即かせ給ふ。 寛和(くわんな)二年六月二十三日、位(くらゐ)につかせたまふ。
御年七歳。 御年七歳。
永祚二年庚寅正月五日、御元服。 永祚(えいそ)二年庚寅(かのえとら)正月五日、御元服(げんぶく)。
御年十一。 御年十一。
世をたもたせ給ふこと二十五年。 世をたもたせたまふこと二十五年。
御母は、十九にて、この帝を産み奉り給ふ。 御母は、十九にて、この帝をうみたてまつりたまふ。
東三条の女院とこれを申す。 東三条の女院(にようゐん)とこれを申す。
この御母は、摂津守藤原中正女なり。 この御母は、摂津守(つのかみ)藤原中正(なかまさ)女なり。
   
   

一 六十七代 三条院

   
 次の帝、三条院と申す。  次の帝、三条院と申す。
これ、冷泉院第二皇子なり。 これ、冷泉院(れいぜいゐん)第二皇子なり。
御母、贈皇后宮超子と申しき。 御母、贈皇后宮超子(てうし)と申しき。
太政大臣兼家のおとど第一御女なり。 太政大臣兼家(かねいへ)のおとど第一御女なり。
この帝、貞元元年丙子正月三日、生まれさせ給ふ。 この帝、貞元(ぢやうげん)元年丙子(ひのえね)正月三日、生まれさせたまふ。
寛和二年七月十六日、東宮にたたせ給ふ。 寛和二年七月十六日、東宮にたたせたまふ。
同日、御元服。 同日、御元服。
御年十一。 御年十一。
寛弘八年六月十三日、位につかせ給ふ。 寛弘(くわんこう)八年六月十三日、位(くらゐ)につかせたまふ。
御年三十六。 御年三十六。
世をたもたせ給ふこと五年。 世をたもたせたまふこと五年。
   
   
   
 院にならせ給ひて、御目を御覧ぜざりしこそ、いといみじかりしか。  院にならせたまひて、御目を御覧(ごらん)ぜざりしこそ、いといみじかりしか。
こと人の見奉るには、いささか変はらせ給ふ事おはしまさざりければ、そらごとのやうにぞおはしましける。 こと人(ひと)の見たてまつるには、いささか変はらせたまふことおはしまさざりければ、そらごとのやうにぞおはしましける。
御まなこなども、いと清らかにおはしましける。 御まなこなども、いと清らかにおはしましける。
いかなる折にか、時々は御覧ずる時もありけり。 いかなる折にか、時々は御覧ずる時もありけり。
「御廉の編諸の見ゆる」 「御廉(みす)の編諸(あみを)の見ゆる」
なども仰せられて。 なども仰せられて。
一品宮ののぼらせ給ひけるに、弁の乳母の御供に候ふが、さし櫛を左にさされたりければ、 一品宮(いつぽんのみや)ののぼらせたまひけるに、弁(べん)の乳母(めのと)の御供にさぶらふが、さし櫛(ぐし)を左にさされたりければ、
「あゆよ、など櫛はあしくさしたるぞ」 「あゆよ、など櫛はあしくさしたるぞ」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰せられけれ。
この宮をことのほかにかなしうし奉らせ給うて、御髪のいとをかしげにおはしますを、さぐり申させ給うて、 この宮をことのほかにかなしうしたてまつらせたまうて、御髪(みぐし)のいとをかしげにおはしますを、さぐり申させたまうて、
「かくうつくしうおはする御髪を、え見ぬこそ、心憂く口惜しけれ」 「かくうつくしうおはする御髪を、え見ぬこそ、心憂(こころう)く口惜(くちを)しけれ」
とて、ほろほろと泣かせ給ひけるこそ、あはれに侍れ。 とて、ほろほろと泣かせたまひけるこそ、あはれにはべれ。
わたらせ給ひたる度には、さるべきものを、かならず奉らせ給ふ。 わたらせたまひたる度(たび)には、さるべきものを、かならず奉らせたまふ。
三条院の御券を持て帰りわたらせ給うけるを、入道殿、御覧じて、 三条院の御券(けん)を持(も)て帰りわたらせたまうけるを、入道殿(にふだうどの)、御覧じて、
「かしこくおはしける宮かな。 「かしこくおはしける宮かな。
幼き御心に、古反古と思してうち捨てさせ給はで、持てわたらせ給へるよ」 幼き御心に、古反古(ふるほぐ)と思(おぼ)してうち捨てさせたまはで、持てわたらせたまへるよ」
と興じ申させ給ひければ、 と興(きよう)じ申させたまひければ、
「まさなくも申させ給ふかな」 「まさなくも申させたまふかな」
とて、御乳母たちは笑ひ申させ給ひける。 とて、御乳母(めのと)たちは笑ひ申させたまける。
冷泉院も奉らせ給ひけれど、 冷泉院(れいぜいゐん)も奉らせたまひけれど、
「昔より帝王の御領にてのみ候ふ所の、いまさらに私の領になり侍らむは、便なき事なり。 「昔より帝王の御領にてのみさぶらふ所の、いまさらに私(わたくし)の領になりはべらむは、便(びん)なきことなり。
おほやけものにて候ふべきなり」 おほやけものにてさぶらふべきなり」
とて、返し申させ給ひてけり。 とて、返し申させたまひてけり。
されば、代々のわたりものにて、朱雀院の同じ事に侍るべきにこそ。 されば、代々のわたりものにて、朱雀院(すざくゐん)の同じことにはべるべきにこそ。
   
   
   
 この御目のためには、よろづにつくろひおはしましけれど、その験ある事もなき、いといみじき事なり。  この御目のためには、よろづにつくろひおはしましけれど、その験(しるし)あることもなき、いといみじきことなり。
もとより御風重くおはしますに、医師どもの、 もとより御風(かぜ)重くおはしますに、医師(くすし)どもの、
「大小寒の水を御頭に沃させ給へ」 「大小寒(だいせうかん)の水を御頭(みぐし)に沃(い)させたまへ」
と申しければ、凍りふたがりたる水を多くかけさせ給ひけるに、いといみじくふるひわななかせ給ひて、御色もたがひおはしましたりけるなむ、いとあはれにかなしく人々見参らせけるとぞ承りし。 と申しければ、凍(こほ)りふたがりたる水を多くかけさせたまけるに、いといみじくふるひわななかせたまて、御色もたがひおはしましたりけるなむ、いとあはれにかなしく人々見まゐらせけるとぞうけたまはりし。
御病により、金液丹といふ薬を召したりけるを、 御病(やまひ)により、金液丹(きんえきたん)といふ薬(くすり)を召したりけるを、
「その薬くひたる人は、かく目をなむ病む」 「その薬くひたる人は、かく目をなむ病(や)む」
など人は申ししかど、桓算供奉の御物の怪にあらはれて申しけるは、 など人は申(ま)ししかど、桓算供奉(くわんざんぐぶ)の御物(もの)の怪(け)にあらはれて申しけるは、
「御首に乗りゐて、左右の羽をうちおほひ申したるは、うちはぶき動かす折に、すこし御覧ずるなり」 「御首(くび)に乗りゐて、左右の羽をうちおほひ申したるは、うちはぶき動かす折に、すこし御覧ずるなり」
とこそ言ひ侍りけれ。 とこそいひはべりけれ。
御位去らせ給ひし事も、多くは中堂にのぼらせ給はむとなり。 御位(くらゐ)去らせたましことも、多くは中堂(ちゆうだう)にのぼらせたまはむとなり。
さりしかど、のぼらせ給ひて、さらにその験おはしまさざりしこそ、口惜しかりしか。 さりしかど、のぼらせたまひて、さらにその験(しるし)おはしまさざりしこそ、口惜(くちを)しかりしか。
やがておこたりおはしまさずとも、少しの験はあるべかりしことよ。 やがておこたりおはしまさずとも、すこしの験はあるべかりしことよ。
されば、いとど山の天狗のし奉るとこそ、さまざまに聞え侍れ。 されば、いとど山の天狗(てんぐ)のしたてまつるとこそ、さまざまに聞こえはべれ。
太奏にも蘢らせ給へりき。 太奏(うづまさ)にも蘢(こも)らせたまへりき。
さて仏の御前より東の廂に、組入はせられたるなり。 さて仏の御前(おまへ)より東の廂(ひさし)に、組入(くみれ)はせられたるなり。
   
   
   
 御鳥帽子せさせ給ひけるは、大入道殿にこそ似奉り給へりけれ。  御鳥帽子(えぼうし)せさせたまひけるは、大入道殿(おほにふだうどの)にこそ似たてまつりたまへりけれ。
御心ばへいとなつかしう、おいらかにおはしまして、世の人いみじう恋ひ申すめり。 御心(こころ)ばへいとなつかしう、おいらかにおはしまして、世の人いみじう恋ひ申すめり。
「斎宮下らせ給ふ別れの御櫛ささせ給ひては、かたみに見返らせ給はぬ事を、思ひかけぬに、この院はむかせ給へりしに、あやしとは見奉りしものを」 「斎宮(さいぐう)下らせたまふ別れの御櫛(みぐし)ささせたまては、かたみに見返らせたまはぬことを、思ひかけぬに、この院はむかせたまへりしに、あやしとは見たてまつりしものを」
とこそ、入道殿は仰せらるなれ。 とこそ、入道殿は仰せらるなれ。
   
   

一 六十八代 後一条院

   
 次の帝、当代。  次の帝(みかど)、当代(たうだい)。
一条院の第二皇子なり。 一条院の第二皇子なり。
御母、今の入道殿下の第一御女なり。 御母、今の入道殿下の第一御女なり。
皇太后宮彰子と申す。 皇太后宮彰子(しやうし)と申す。
ただ今、たれかはおぼつかなく思し思ふ人の侍らむ。 ただ今、たれかはおぼつかなく思(おぼ)し思ふ人のはべらむ。
されどまづすべらぎの御事を申すさまにたがへ侍らぬなり。 されどまづすべらぎの御ことを申すさまにたがへはべらぬなり。
寛弘五年戊申九月十一日、土御門殿にて生まれさせ給ふ。 寛弘(くわんこう)五年戊申(つちのえさる)九月十一日、土御門殿(つちみかどどの)にて生まれさせたまふ。
同八年六月十三日、春宮に立たせ給ひき。 同八年六月十三日、春宮(とうぐう)にたたせたまひき。
御年四歳。 御年四歳。
長和五年正月二十九日、位に即かせ給ひき。 長和(ちやうわ)五年正月二十九日、位(くらゐ)につかせたまひき。
御年九歳。 御年九歳。
寛仁二年正月三日、御元服。 寛仁(くわんにん)二年正月三日、御元服(げんぶく)。
御年十一。 御年十一。
位に即かせ給ひて十年にやならせ給ふらむ。 位につかせたまて十年にやならせたまふらむ。
今年、万寿二年乙丑とこそは申すめれ。 今年、万寿(まんじゆ)二年乙丑(きのとうし)とこそは申すめれ。
同じ帝王と申せども、御後見多く頼もしくおはします。 同じ帝王と申せども、御後見(うしろみ)多く頼(たの)もしくおはします。
御祖父にてただ今の入道殿下、出家せさせ給へれど、世の親、一切衆生を一子のごとくはぐくみ思し召す。 御祖父(おほぢ)にてただ今の入道殿下、出家せさせたまへれど、世の親、一切衆生(いつさいしゆじやう)を一子のごとくはぐくみ思(おぼ)し召(め)す。
第一の御舅、ただ今の関白左大臣、一天下をまつりごちておはします。 第一の御舅(をぢ)、ただ今の関白左大臣(くわんばくさだいじん)、一天下(いつてんが)をまつりごちておはします。
次の御舅、内大臣、左近大将にておはします。 次の御舅、内大臣・左近大将にておはします。
次々の御舅と申すは、大納言春宮の大夫、中宮権大夫、中納言など、さまざまにておはします。 次々の御舅と申すは、大納言春宮(だいなごんとうぐう)の大夫(だいふ)、中宮権大夫(ちゆうぐうのごんのだいぶ)、中納言など、さまざまにておはします。
かやうにおはしませば、御後見多くおはします。 かやうにおはしませば、御後見多くおはします。
昔も今も、帝かしこしと申せど、臣下のあまたして傾け奉る時は、傾き給ふものなり。 昔も今も、帝(みかど)かしこしと申せど、臣下のあまたして傾(かたぶ)けたてまつる時は、傾きたまふものなり。
されば、ただ一天下はわが御後見のかぎりにておはしませば、いと頼もしくめでたき事なり。 されば、ただ一天下はわが御後見のかぎりにておはしませば、いと頼もしくめでたきことなり。
昔、一条院の御悩の折、仰せられけるは、 昔、一条院の御悩(なやみ)の折、仰せられけるは、
「一の親王をなむ春宮とすべけれども、後見申すべき人のなきにより、思ひかけず。 「一の親王をなむ春宮とすべけれども、後見申すべき人のなきにより、思ひかけず。
されば二宮をばたて奉るなり」 されば二宮をばたてたてまつるなり」
と仰せられけるぞ、この当代の御事よ。 と仰せられけるぞ、この当代(たうだい)の御ことよ。
げにさる事ぞかし。 げにさることぞかし』
   
   
   
 帝王の御次第は申さでもありぬべけれど、入道殿下の御栄花もなにによりひらけ給ふぞと思へば、まづ帝、后の御有様を申すなり。  世次『帝王の御次第(しだい)は申さでもありぬべけれど、入道殿下の御栄花(えいぐわ)もなにによりひらけたまふぞと思へば、まづ帝・后(きさき)の御有様(ありさま)を申すなり。
植木は根をおほくて、つくろひおほしたてつればこそ、枝も茂りて木の実をもむすべや。 植木は根をおほくて、つくろひおほしたてつればこそ、枝も茂りて木(こ)の実(み)をもむすべや。
しかれば、まづ帝王の御つづきを覚えて、次に大臣の続きはあかさむとなり。 しかれば、まづ帝王の御つづきを覚えて、次に大臣のつづきはあかさむとなり』
 と言へば、大犬丸をとこ、 と言へば、大犬丸(おほいぬまろ)をとこ、
〔重木〕いでいで、いといみじうめでたしや。 『いでいで、いといみじうめでたしや。
ここらのすべらぎの御有様をだに鏡をかけ給へるに、まして大臣などの御事は、年頃闇に向ひたるに、朝日のうららかにさし出でたるにあへらむ心地もするかな。 ここらのすべらぎの御有様をだに鏡をかけたまへるに、まして大臣などの御ことは、年頃闇(としごろやみ)に向(むか)ひたるに、朝日のうららかにさし出でたるにあへらむ心地(ここち)もするかな。
また、翁が家の女どものもとなる櫛笥鏡の、影見えがたく、とぐわきも知らず、うち挟めて置きたるにならひて、あかく磨ける鏡に向ひて、我が身の顔を見るに、かつは影はづかしく、また、いとめづらしきにも似給へりや。 また、翁(おきな)が家(いへ)の女(をんな)どものもとなる櫛笥鏡(くしげかがみ)の、影見えがたく、とぐわきも知らず、うち挟(はさ)めて置きたるにならひて、あかく磨(みが)ける鏡に向ひて、わが身の顔を見るに、かつは影はづかしく、また、いとめづらしきにも似たまへりや。
いで興ありのわざや。 いで興(きよう)ありのわざや。
さらに翁、いま十二十年の命は、今日延びぬる心地し侍り。 さらに翁、いま十二十年の命は、今日(けふ)延びぬる心地しはべり』
 と、いたく遊戯するを、見聞く人々、をこがましくをかしけれども、言ひ続くることどもおろかならず、恐ろしければ、ものも言はで、皆聞きゐたり。 と、いたく遊戯(ゆげ)するを、見聞く人々、をこがましくをかしけれども、言ひつづくることどもおろかならず、おそろしければ、ものも言はで、皆聞きゐたり。
   
   
   
大犬丸をとこ、  大犬丸(おほいぬまろ)をとこ、
〔重木〕いで、聞き給ふや。 『いで、聞きたまふや。
歌一首つくりて侍り。 歌一首つくりてはべり』
 と言ふめれば、世次、 と言ふめれば、世次、
〔世次〕いと感ある事なり。 『いと感あることなり』
 とて、 とて、
〔世次〕承らむ。  世次『うけたまはらむ』
 と言へば、重木、いとやさしげにいひ出づ。 と言へば、重木、いとやさしげにいひ出づ。
   
♪7〔重木〕
あきらけに
 鏡にあへば
 過ぎにしも
 今ゆく末の
 ことも見えけり
 
『あきらけに
 鏡にあへば
 過ぎにしも
 今ゆく末の
 ことも見えけり』
   
 と言ふめれば、世次いたく感じて、あまた度誦して、うめきて、返し、 と言ふめれば、世次いたく感じて、あまた度誦(たびす)して、うめきて、返し、
   
♪8〔世次〕
すべらぎの
 あともつぎつぎ
 かくれなく
 あらたに見ゆる
 古鏡かも
 
『すべらぎの
 あともつぎつぎ
 かくれなく
 あらたに見ゆる
 古鏡かも
   
 今様の葵八花がたの鏡、螺鈿の箱に入れたるに向かひたる心地し給ふや。  今様(いまやう)の葵八花(あふひやつはな)がたの鏡、螺鈿(らでん)の筥(はこ)に入れたるに向ひたる心地したまふや。
いでや、それは、さきらめけど、曇りやすくぞあるや。 いでや、それは、さきらめけど、曇りやすくぞあるや。
いかにいにしへの古代の鏡は、かね白くて、人手ふれねど、かくぞあかき。 いかにいにしへの古体(こたい)の鏡は、かね白くて、人手ふれねど、かくぞあかき』
 など、したり顔に笑ふ顔つき、絵にかかまほしく見ゆ。 など、したり顔(がほ)に笑ふ顔つき、絵にかかまほしく見ゆ。
あやしながら、さすがなる気つきて、をかしく、まことにめづらかになむ。 あやしながら、さすがなる気(け)つきて、をかしく、まことにめづらかになむ。
   
   
   
〔世次〕よしなき事よりは、まめやかなる事を申しはてむ。  世次『よしなきことよりは、まめやかなることを申しはてむ。
よくよく、たれもたれも聞こし召せ。 よくよく、たれもたれも聞こし召せ。
今日の講師の説法は、菩提のためと思し、翁らが説く事をば、日本紀聞くと思すばかりぞかし。 今日の講師(こうじ)の説法(せつぽふ)は、菩提(ぼだい)のためと思(おぼ)し、翁(おきな)らが説くことをば、日本紀(にほんぎ)聞くと思すばかりぞかし』
 と言へば、僧俗、 と言へば、僧俗(そうぞく)、
〔僧俗〕げに説経、説法多く承れど、かく珍しき事宣ふ人は、さらにおはせぬなり。  『げに説経・説法多くうけたまはれど、かく珍しきことのたまふ人は、さらにおはせぬなり』
 とて、年老いたる尼、法師ども、額に手をあてて、信をなしつつ聞きゐたり。 とて、年老いたる尼・法師ども、額(ひたひ)に手をあてて、信をなしつつ聞きゐたり。
   
   
   
〔世次〕世次はいと恐ろしき翁に侍り。  世次『世次はいとおそろしき翁にはべり。
真実の心おはせむ人は、などか恥づかしと思さざらむ。 真実の心おはせむ人は、などか恥づかしと思さざらむ。
世の中を見知り、うかべたてて持ちて侍る翁なり。 世の中を見知り、うかべたてて持ちてはべる翁なり。
目にも見、耳にも聞き集めて侍るよろづの事の中に、ただ今の入道殿下の御有様、古を聞き今を見侍るに、二もなく三もなく、ならびなく、はかりなくおはします。 目にも見、耳にも聞き集めてはべるよろづのことの中に、ただ今の入道殿下の御有様(ありさま)、古(いにしへ)を聞き今を見はべるに、二もなく三もなく、ならびなく、はかりなくおはします。
たとへば一乗の法のごとし。 たとへば一乗(いちじよう)の法(ほふ)のごとし。
御有様のかへすかへすもめでたきなり。 御有様のかへすかへすもめでたきなり。
世の中の太政大臣、摂政、関白と申せど、始終めでたき事は、えおはしまさぬ事なり。 世の中の太政大臣・摂政・関白と申せど、始終(はじめをはり)めでたきことは、えおはしまさぬことなり。
法文、聖教の中にもたとへるなるは、 法文(ほふもん)・聖教(しやうげう)の中にもたとへるなるは、
「魚子多かれど、まことの魚となることかたし。 「魚子(うをのこ)多かれど、まことの魚となることかたし。
菴羅といふ植木あれど、木の実を結ぶ事かたし」 菴羅(あんら)といふ植木あれど、木(こ)の実(み)を結ぶことかたし」
とこそは説き給へなれ。 とこそは説きたまへなれ。
天下の大臣、公卿の御中に、この宝の君のみこそ、世にめづらかにおはすめれ。 天下の大臣・公卿(くぎやう)の御中に、この宝(たから)の君(きみ)のみこそ、世にめづらかにおはすめれ。
今ゆく末も、たれの人かかばかりはおはせむ。 今ゆく末(すゑ)も、たれの人かかばかりはおはせむ。
いとありがたくこそ侍れや。 いとありがたくこそはべれや。
たれも心をとなへて聞こし召せ。 たれも心をとなへて聞こし召せ。
世にある事をば、なにごとをか見残し聞き残し侍らむ。 世にあることをば、なにごとをか見残し聞き残しはべらむ。
この世次が申す事どもはしも、知り給はぬ人々多くおはすらむとなむ思ひ侍る。 この世次が申すことどもはしも、知りたまはぬ人々多くおはすらむとなむ思ひはべる』
 と言ふめれば、 と言ふめれば、
人々、すべてすべて申すべきにも侍らずとて聞きあへり。  人々『すべてすべて申すべきにもはべらず』とて聞きあへり。
   
   
   
〔世次〕世はじまりて後、大臣皆おはしけり。  世次『世はじまりて後(のち)、大臣皆(みな)おはしけり。
されど、左大臣、右大臣、内大臣、太政大臣と申す位、天下になりあつまり給へる、かぞへて皆覚え侍り。 されど、左大臣・右大臣・内大臣・太政大臣と申す位(くらゐ)、天下になりあつまりたまへる、かぞへて皆覚えはべり。
世はじまりて後今にいたるまで、左大臣三十人、右大臣五十七人、内大臣十二人なり。 世はじまりて後今にいたるまで、左大臣三十人、右大臣五十七人、内大臣十二人なり。
太政大臣はこの帝の御代に、たはやすくおかせ給はざりけり。 太政大臣はこの帝(みかど)の御代(みよ)に、たはやすくおかせたまはざりけり。
あるいは帝の御祖父、あるいは御舅ぞなり給ひける。 あるいは帝の御祖父(おほぢ)、あるいは御舅(をぢ)ぞなりたまひける。
また、しかのごとく、帝王の御祖父、舅などにて、御後見し給ふ大臣、納言数多くおはす。 また、しかのごとく、帝王の御祖父・舅などにて、御後見(うしろみ)したまふ大臣・納言(なごん)数多くおはす。
失せ給ひて後、贈太政大臣などになり給へるたぐひ、あまたおはすめり。 うせたまひて後、贈(ぞう)太政大臣などになりたまへるたぐひ、あまたおはすめり。
さやうのたぐひ七人ばかりやおはすらむ。 さやうのたぐひ七人ばかりやおはすらむ。
わざとの太政大臣はなりがたく、少なくぞおはする。 わざとの太政大臣はなりがたく、少なくぞおはする。
神武天皇より三十七代にあたり給ふ孝得天皇と申す帝の御代にや、八省、百官、左右大臣、内大臣なりはじめ給へらむ。 神武(じんむ)天皇より三十七代にあたりたまふ孝得(かうとく)天皇と申す帝の御代にや、八省・百官・左右大臣・内大臣なりはじめたまへらむ。
左大臣には阿倍倉橋麿、右大臣には蘇我山田石川麿、これは、元明天皇の御祖父なり。 左大臣には阿倍倉橋麿(あべのくらはしまろ)、右大臣には蘇我山田石川麿(そがやまだのいしかはまろ)、これは、元明(げんめい)天皇の御祖父なり。
石川麿大臣、孝徳天皇位につきたまての元年乙巳、大臣になり、五年己酉、東宮のために殺され給へりとこそは、これはあまりあがりたる事なり。 石川麿大臣、孝徳天皇位につきたまての元年乙巳(きのとみ)、大臣になり、五年己酉(つちのととり)、東宮(とうぐう)のために殺されたまへりとこそは、これはあまりあがりたることなり。
内大臣には中臣鎌子連なり。 内大臣には中臣鎌子連(なかとみのかまこのむらじ)なり。
年号いまだあらざれば、月日申しにくし。 年号いまだあらざれば、月日(つきひ)申しにくし。
また、三十九代にあたり給ふ帝、天智天皇こそは、はじめて太政大臣をばなし給ひけれ。 また、三十九代にあたりたまふ帝、天智(てんぢ)天皇こそは、はじめて太政大臣をばなしたまけれ。
それは、やがてわが御弟の皇子におはします大友皇子なり。 それは、やがてわが御弟(おとと)の皇子におはします大友皇子(おほとものみこ)なり。
正月に太政大臣になり。 正月に太政大臣になり。
同年十二月二十五日に位につかせ給ふ。 同年十二月二十五日に位につかせたまふ。
天武天皇と申しき。 天武(てんむ)天皇と申しき。
世をしらせ給ふこと十五年。 世をしらせたまふこと十五年。
神武天皇より四十一代にあたり給ふ持統天皇、また、太政大臣に高市皇子をなし給ふ。 神武天皇より四十一代にあたりたまふ持統(ぢとう)天皇、また、太政大臣に高市皇子(たけちのみこ)をなしたまふ。
天武天皇の皇子なり。 天武(てんむ)天皇の皇子なり。
この二人の太政大臣はやがて帝となり給ふ、高市皇子は大臣ながら失せ給ひにき。 この二人の太政大臣はやがて帝(みかど)となりたまふ、高市皇子(たけちのみこ)は大臣ながらうせたまひにき。
その後、太政大臣いと久しく絶え給へり。 その後(のち)、太政大臣いとひさしく絶えたまへり。
ただし、職員令に、 ただし、職員令(しきゐんりやう)に、
「太政大臣にはおぼろけの人はなすべからず。 「太政大臣にはおぼろけの人はなすべからず。
その人なくは、ただにおけるべし」 その人なくは、ただにおけるべし」
とこそあんなれ。 とこそあんなれ。
おぼろけの位には侍らぬにや。 おぼろけの位(くらゐ)にははべらぬにや。
四十二代にあたり給ふ文武天皇の御時に、年号定りたり。 四十二代にあたりたまふ文武(もんむ)天皇の御時に、年号定(さだま)りたり。
大宝元年といふ。 大宝(たいほう)元年といふ。
文徳天皇の末の年、斎衡四年丁丑二月十九日、帝の御舅、左大臣従一位藤原良房のおとど、太政大臣になり給ふ。 文徳(もんとく)天皇の末(すゑ)の年、斎衡(さいかう)四年丁丑(ひのとうし)二月十九日、帝の御舅(をぢ)、左大臣従一位(じゆいちゐ)藤原良房(よしふさ)のおとど、太政大臣になりたまふ。
御年五十四。 御年五十四。
このおとどこそは、はじめて摂政もし給へれ。 このおとどこそは、はじめて摂政もしたまへれ。
やがてこの殿よりして、今の閑院大臣まで、太政大臣十一人つづき給へり。 やがてこの殿(との)よりして、今の閑院(かんゐん)大臣まで、太政大臣十一人つづきたまへり。
ただし、これよりさきの大友皇子、高市皇子くはへて、十三人の太政大臣なり。 ただし、これよりさきの大友皇子(おほとものみこ)・高市皇子くはへて、十三人の太政大臣なり。
太政大臣になり給ひぬる人は、失せ給ひて後、かならず諡号と申すものあり。 太政大臣になりたまひぬる人は、うせたまひて後、かならず諡号(いみな)と申すものあり。
しかれども、大友皇子やがて帝になり給ふ。 しかれども、大友皇子やがて帝になりたまふ。
高市の皇子の御諡号おぼつかなし。 高市の皇子の御諡号おぼつかなし。
また、太政大臣といへど、出家しつれば、諡号なし。 また、太政大臣といへど、出家しつれば、諡号なし。
されば、この十一人つづかせ給へる太政大臣、二所は出家し給へれば、諡号おはせず。 されば、この十一人つづかせたまへる太政大臣、二所(ふたところ)は出家したまへれば、諡号おはせず。
この十一人の太政大臣たちの御次第、有様、始終申し侍らむと思ふなり。 この十一人の太政大臣たちの御次第(しだい)・有様(ありさま)、始終(はじめをはり)申しはべらむと思ふなり。
   
流れを汲みて、源を尋ねてこそは、よく侍るべきを、大織冠よりはじめ奉りて申すべけれど、それはあまりあがりて、この聞かせ給む人々も、あなづりごとには侍れど、なにごととも思さざらむものから、こと多くて講師おはしなば、こと醒め侍りなば、口惜し。 流れを汲(く)みて、源(みなもと)を尋ねてこそは、よくはべるべきを、大織冠(たいしよくくわん)よりはじめたてまつりて申すべけれど、それはあまりあがりて、この聞かせたまはむ人々も、あなづりごとにははべれど、なにごととも思(おぼ)さざらむものから、こと多くて講師(こうじ)おはしなば、こと醒(さ)めはべりなば、口惜(くちを)し。
されば、帝王の御事も、文徳の御時より申して侍れば、その帝の御祖父の鎌足のおとどより第六にあたり給ふ、世の人は、ふぢさしとこそ申すめれ、その冬嗣の大臣より申し侍らむ。 されば、帝王の御ことも、文徳の御時より申してはべれば、その帝の御祖父(おほぢ)の鎌足(かまたり)のおとどより第六にあたりたまふ、世の人は、ふぢさしとこそ申すめれ、その冬嗣(ふゆつぎ)の大臣より申しはべらむ。
その中に、思ふに、ただ今の入道殿、世にすぐれさせ給へり。 その中に、思ふに、ただ今の入道殿、世にすぐれさせたまへり。
   

一 左大臣 冬嗣ふゆつぎ

   
 この大臣は、内麻呂のおとどの三郎、御母は正六位上飛鳥部奈止麻呂の女なり。  このおとどは、内麿(うちまろ)のおとどの三郎。御母、正六位上飛鳥部奈止麿(しやうろくゐじやうあすかべのなどまろ)の女(むすめ)なり。
公卿にて十六年、大臣の位にて六年。 公卿(くぎやう)にて十六年、大臣(だいじん)の位(くらゐ)にて六年。
田邑の御祖父におはします。 田邑(たむら)の御祖父(おほぢ)におはします。
かるがゆゑに、嘉祥三年庚午七月十七日、贈太政大臣になり給へり。 かるがゆゑに、嘉祥(かしやう)三年庚午(かのえうま)七月十七日、贈(ぞう)太政大臣になりたまへり。
閑院の大臣と申す。 閑院(かんゐん)の大臣と申す。
このおとどは、大方、男子十一人おはしたるなり。 このおとどは、おほかに男子(をのこご)十一人おはしたるなり。
されど、くだくだしき御子達の事は、くはしく知り侍らず。 されど、くだくだしき女子(をんなご)たちなどのことは、くはしく知りはべらず。
ただし、田邑の帝の御母后、贈太政大臣長良、太政大臣良房のおとど、右大臣良相のおとどは、一つ御腹なり。 ただし、田邑(たむら)の帝(みかど)の御母后(ははきさき)・贈太政大臣長良(ながら)・太政大臣良房(よしふさ)のおとど・右大臣良相(よしみ)のおとどは、一つ御腹(はら)なり。
   

一 太政大臣 良房よしふさ 忠仁公ちゅうじんこう

   
 この大臣は、左大臣冬嗣の二郎なり。  このおとどは、左大臣冬嗣の二郎なり。
天安元年二月十九日、太政大臣になり給ふ。 天安(てんあん)元年二月十九日、太政大臣になりたまふ。
同年四月十九日、従一位、御年五十四。 同年四月十九日、従一位(じゆいちゐ)、御年五十四。
水尾の帝は御孫におはしませば、位に即かせ給ひし年戊寅、摂政の詔あり、年官、年爵給はり給ふ。 水尾(みづのを)の帝(みかど)は御孫(まご)におはしませば、即位の年、摂政の詔(みことのり)あり、年官(ねんくわん)・年爵(ねんしやく)たまはりたまふ。
貞観八年丙戌、関白にうつり給ふ。 貞観(ぢやうぐわん)八年に関白にうつりたまふ。
年六十三。 年六十三。
失せ給ひて後、御諡号忠仁公と名付け奉る。 うせたまひて後(のち)、御諡号(いみな)忠仁公と申す。
また、白川の左大臣、染殿の大臣とも申し伝へたり。 また、白川(しらかわ)の大臣・染殿(そめどのの)大臣とも申し伝へたり。
ただし、この大臣は、文徳天皇の御をぢ、太皇太后明子の御父、清和天皇の祖父にて、太政大臣、准三宮の位にのぼらせ給ふ。 ただし、このおとどは、文徳天皇の御舅(をぢ)、太皇太后明子(あきらけいこ)の御父、清和天皇の祖父(おほぢ)にて、太政大臣・准三宮(じゆさんぐう)の位にのぼらせたまふ。
年官、年爵の宣旨下り、摂政、関白などし給ひて、十五年こそはおはしましたれ。 年官・年爵の宣旨(せんじ)下り、摂政・関白などしたまひて、十五年こそはおはしましたれ。
大方、公卿にて三十年、大臣の位にて二十五年ぞおはする。 おほかに公卿にて三十年、大臣の位にて二十五年ぞおはする。
この殿ぞ、藤氏のはじめて太政大臣、摂政し給ふ。 この殿ぞ、藤氏のはじめて太政大臣・摂政したまふ。
めでたき御有様なり。 めでたき御有様(ありさま)なり。
   
   
   
 和歌もあそばしけるにこそ。  和歌もあそばしけるにこそ。
古今にも、あまた侍るめるは。 古今(こきん)にも、あまたはべるめるは。
「前のおほいまうち君」 「前(さき)のおほいまうち君(ぎみ)」
とは、この御事なり。 とは、この御ことなり。
多かる中にも、いかに御心ゆき、めでたくおぼえてあそばしけむと推しはからるるを、御女の染殿后の御前に、桜の花の瓶にさされたるを御覧じて、かく申させ給へるにこそ。 多かる中にも、いかに御心ゆき、めでたくおぼえてあそばしけむと推(お)しはからるるを、御女(むすめ)の染殿后(そめどののきさき)の御前(おまへ)に、桜の花の瓶(かめ)にさされたるを御覧(ごらん)じて、かくよませたまへるにこそ。
   
♪9
年経れば
 よはひは老いぬ
 しかはあれど
 花をし見れば
 もの思ひもなし
 
年経(ふ)れば
 よはひは老いぬ
 しかはあれど
 花をし見れば
 もの思ひもなし
   
 后を、花にたとへ申し給へるにこそ。 后を、花にたとへ申させたまへるにこそ。
 隠れ給ひて、白川にをさめ奉る日、素性ぎみの詠み給へりしは、  かくれたまひて、白川(しらかは)にをさめたてまつる日、素性(そせい)ぎみのよみたまへりしは、
   
♪10
血の涙
 落ちてぞたぎつ
 白川は
 君が代までの
 名にこそありけれ
 
血の涙
 落ちてぞたぎつ
 白川は
 君が世までの
 名にこそありけれ
   
 皆人知ろしめしたらめど、ものを申しはやりぬれば、さぞ侍る。 皆人(みなひと)知ろしめしたらめど、ものを申しはやりぬれば、さぞはべる。
かくいみじき幸ひ人の、子のおはしまさぬこそ口惜しけれ。 かくいみじき幸(さいは)ひ人(びと)の、子のおはしまさぬこそ口惜(くちを)しけれ。
御兄の長良の中納言、ことのほかに越えられ給ひけむ折、いかばかり辛う思され、また世の人もことのほかに申しけめども、その御末こそ、今に栄えおはしますめれ。 御兄(このかみ)の長良(ながら)の中納言、ことのほかに越えられたまひけむ折、いかばかり辛(から)う思(おぼ)され、また世人もことのほかに申しけめども、その御末(すゑ)こそ、今に栄えおはしますめれ。
行く末は、ことのほかにまさり給ひけるものを。 ゆく末は、ことのほかにまさりたまひけるものを。
   
   

一 右大臣 良相よしみ

   
 この大臣は、冬嗣の大臣の五郎。  このおとどは、冬嗣(ふゆつぎ)のおとどの五郎。
御母は、白川の大臣に同じ。 御母は、白川の大臣に同じ。
大臣の位にて十一年、贈正一位。 大臣の位(くらゐ)にて十一年、贈性一位(ぞうじやういちゐ)。
西三条の大臣と申す。 西三条(さいさんでう)の大臣と申す。
浄蔵定額を御祈の師にておはす。 浄蔵定額(じやうざうぢやうがく)を御祈(いのり)の師にておはす。
千手陀羅尼の験徳かぶり給ふ人なり。 千手陀羅尼(せんじゆだらに)の験徳(げんとく)かぶりたまふ人なり。
この大臣の御女子の御事よく知らず。 この大臣の御女子の御ことよく知らず。
一人ぞ、水尾の御時の女御。 一人ぞ、水尾(みづのを)の御時の女御(にようご)。
男子は、大納言常行卿と聞えし。 男子(をのこご)は、大納言常行(ときつね)卿と聞こえし。
御子二人おはせしも、五位にて、典薬助、主殿頭などいひて、いと浅くてやみ給ひにき。 御子二人おはせしも、五位にて典薬助(てんやくのすけ)・主殿頭(とのものかみ)など言ひて、いとあさくてやみたまひにき。
かくばかり末栄え給ひける中納言殿を、やへやへの御弟にて、越え奉り給ひける御あやまりにや、とこそおぼえ侍れ。 かくばかり末栄えたまひける中納言殿を、やへやへの御弟(おとと)にて、越えたてまつりたまひける御あやまちにや、とこそおぼえはべれ。
   
   

一 権中納言従二位左兵衛督 長良ながら

   
 この中納言殿は、冬嗣の大臣の太郎。  この中納言は、冬嗣(ふゆつぎ)のおとどの太郎。
母は白川の大臣、西三条の大臣に同じ。 母、白川(しらかはの)大臣・西三条(さいさんでうの)大臣に同じ。
公卿にて十三年。 公卿(くぎやう)にて十三年。
陽成院の御時に、御祖父におはするゆゑに、元慶元年丁酉正月に贈左大臣正一位、また贈太政大臣。 陽成院(ようぜいゐん)の御時に、御祖父(おほぢ)におはするがゆゑに、元慶(ぐわんぎやう)元年正月に贈(ぞう)左大臣正一位(じやういちゐ)、次、贈太政大臣。
枇杷の大臣と申す。 枇杷(びはの)大臣と申す。
この殿の御男子六人おはせし、その中に基経の大臣すぐれ給へり。 この殿(との)の御男子(をのこご)六人おはせし、その中に基経(もとつね)のおとどすぐれたまへり。
   
   

一 太政大臣 基経もとつね 昭宣公しょうせんこう

   
 この大臣は、長良の中納言の三郎におはす。  この大臣(おとど)は、長良の中納言の三郎におはす。
この大臣の御女、醍醐の御時の后、朱雀院並びに村上二代の御母后におはします。 このおとどの御女(むすめ)、醍醐(だいご)の御時の后(きさき)、朱雀院幵(すざくゐんならびに)村上二代の御母后(ははきさき)におはします。
この大臣の御母、贈太政大臣総継の御女、贈正一位大夫人乙春なり。 このおとどの御母、贈太政大臣総継(ふさつぎ)の女、贈正一位大夫人乙春(たいふぢんおとはる)なり。
陽成院位に即かせ給ひて、摂政の宣旨をかぶり給ふ。 陽成院位(くらゐ)につかせたまひて、摂政宣旨(せつしやうのせんじ)かぶりたまふ。
御年四十一。 御年四十一。
寛平御時、仁和三年丁未十一月二十一日、関白にならせ給ふ。 寛平(くわんぴやうの)御時、仁和(にんな)三年十一月二十一日、関白(くわんばく)にならせたまふ。
御年五十六にて失せ給ひて、御諡号、昭宣公と申す。 御年五十六にてうせたまひて、御諡号(いみな)、昭宣公と申す。
公卿にて二十七年、大臣の位にて二十年、世をしらせ給ふこと十余年かとこそ覚え侍れ。 公卿にて二十七年、大臣の位にて二十年、世をしらせたまふこと十余年かとぞ覚えはべる。
世の人、堀河の大臣と申す。 世の人、堀河(ほりかはの)大臣と申す。
   
   
   
 小松の帝の御母、この大臣の御母のはらからにおはします。  小松(こまつ)の帝(みかど)の御母、この大臣(おとど)の御母、はらからにおはします。
さて、児より小松の帝をば親しく見奉らせ給ひて、 さて、児(ちご)より小松の帝をば親しく見たてまつらせたまうけるに、
「事にふれ警策におはします。  ことにふれ 迹(きやうじやく)におはします。
あはれ君かな」 「あはれ君かな」
と見奉らせ給ひけるが、良房の大臣の大饗にや、昔は親王達、必ず大饗につかせ給ふ事にて、渡らせ給へるに、雉の足は必ず大饗に盛るものにて侍るを、いかがしけむ、尊者の御前にとり落してけり。 と見たてまつらせた まひけるが、良房のおとどの大饗(だいきやう)にや、昔は親王たち、かならず大饗につかせたまふことにて、わたらせたまへるに、 (きじ)の足はかならず大饗に盛るものにてはべるを、いかがしけむ、尊者(そんじや)の御前(おまへ)にとり落してけり。
陪膳の、親王の御前のをとりて、まどひて尊者の御前に据うるを、いかが思し召しけむ、御前の大殿油を、やをらかい消たせ給ふ。 陪膳(はいぜん)の、皇子(みこ)の御前(おまへ)のをとりて、まどひて尊者(そんじや)の御前に据(す)うるを、いかが思(おぼ)し召(め)しけむ、御前の大殿油(おほとなぶら)を、やをらかい消(け)たせたまふ。
この大臣は、その折は下藹にて、座の末にて見奉らせ給ふに、 このおとどは、その折は下藹(げらふ)にて、座の末(すゑ)にて見たてまつらせたまふに、
「いみじうもせさせ給ふものかな」 「いみじうもせさせたまふかな」
と、いよいよ見めで奉らせ給ひて、陽成院おりさせ給ふべき陣の定に候はせ給ふ。 と、いよいよ見めでたてまつらせたまひて、陽成院(やうぜいゐん)おりさせたまふべき陣定(ぢんのさだめ)にさぶらはせたまふ。
融のおとど、左大臣にてやむごとなくて、位に即かせ給はむ御心深くて、 融(とほる)のおとど、左大臣にてやむごとなくて、位(くらゐ)につかせたまはむ御心ふかくて、
「いかがは。 「いかがは。
近き皇胤をたづねば、融らも侍るは」 近き皇胤(くわういん)をたづねば、融らもはべるは」
と言ひ出で給へるを、この大臣こそ、 と言ひ出でたまへるを、このおとどこそ、
「皇胤なれど、姓給はりて、ただ人にて仕へて、位につきたる例やある」 「皇胤なれど、姓(しやう)た はりて、ただ人(びと)にて仕へて、位につきたる例(ためし)やある」
と申し出で給へれば、 と申し出でたまへれ。
さもある事なれど、このお大臣の定めによりて、小松の帝は位に即かせ給へるなり。 さもあることなれど、このおとどの定(さだ)めによりて、小松(こまつ)の帝(みかど)は位につかせたまへるなり。
帝の御末もはるかに伝はり、大臣の末もともに伝はりつつ後見申し給ふ。 帝の御末もはるかに伝はり、おとどの末もともに伝はりつつ後見(うしろみ)申したまふ。
さるべく契りおかせ給へる御中にやとぞおぼえ侍る。 さるべく契りおかせたまへる御仲にやとぞおぼえはべる。
   
   
   
 大臣失せ給ひて、深草の山にをさめ奉る夜、勝延僧都の詠み奉れる、  大臣(おとど)うせたまひて、深草(ふかくさ)の山(やま)にをさめたてまつる夜(よ)、勝延僧都(しやうえんそうづ)のよみたまふ、
   
♪11
うつせみは
 からを見つつも
 慰めつ
 深草の山
 煙だに立て
 
うつせみは
 からを見つつも
 慰めつ
 深草の山
 煙(けぶり)だに立て
   
 また、上野峯雄と言ひし人のよみたる、 また、上野峯雄(かんつけのみねを)と言ひし人のよみたる、
   
♪12
深草の
 野辺の桜し
 心あらば
 今年ばかりは
 墨染に咲け
 
深草の
 野辺(のべ)の桜し
 心あらば
 今年ばかりは
 墨染(すみぞめ)に咲け
   
 などは、古今に侍る事どもぞかしな。 などは、古今(こきん)にはべることどもぞかしな。
御家は堀河院と閑院とに住ませ給ひしを、堀河院をば、さるべき事の折々、はればれしき料にせさせ給ふ。 御家は堀河院(ほりかはゐん)・閑院(かんゐん)とに住ませたまひしを、堀河院をば、さるべきことの折、はればれしき料(れう)にせさせたまふ。
閑院をば、御物忌やうの時、人などは参らぬ所にて、さるべくむつまじく思す人ばかりを御供に候はせて、渡らせ給ふ折もおはしましける。 閑院をば、御物忌(ものいみ)や、また、うとき人などはまゐらぬ所にて、さるべくむつましく思(おぼ)す人ばかり御供(とも)にさぶらはせて、わたらせたまふ折もおはしましける。
堀川院は、地形のいといみじきなり。 堀河院(ほりかはゐん)は地形(ぢぎやう)のいといみじきなり。
大饗の折、殿ばらの御車の立ちやうなどよ。 大饗(だいきやう)の折、殿(との)ばらの御車の立ちやうなどよ。
尊者の御車をば東に立て、牛は御橋の平葱柱にひきつなぎ、已下の上達部の車をば、川より西に立てたるがめでたきをば。 尊者(そんじや)の御車をば東に立て、牛は御橋(みはし)の平葱柱(ひらきはしら)につなぎ、こと上達部(かんだちめ)の車をば、河よりは西に立てたるがめでたきをは。
「尊者の御車の別に見ゆる事は、こと所はえ侍らぬものをや」 「尊者の御車の別(べち)に見ゆることは、こと所はえはべらぬものをや」
と見給ふるに、この賀陽院殿にこそおされ侍るめれ。 と見たまふるに、この高陽院殿(かやのゐんどの)にこそおされにてはべれ。
方四町にて、四面に大路ある京中の家は、冷泉院のみとこそ思ひ候ひつれ。 方四町(ほうしちやう)にて四面に大路(おほぢ)ある京中の家は、冷泉院(れいぜいゐん)のみとこそ思ひさぶらひつれ、
世の末になるままに、まさる事のみ出でまうで来るなり。 世の末(すゑ)になるままに、まさることのみ出でまうで来るなり。
 この昭宣公のおとどは、陽成院の御をぢにて、宇多の帝の御時にこそ、准三宮の位にて年官、年爵を得給ひ、 この昭宣公(せうせんこう)のおとどは、陽成院(やうぜいゐん)の御舅(をぢ)にて、宇多(うだ)の帝(みかど)の御時に、准三宮(じゆさんぐう)の位(くらゐ)にて年官(ねんくわん)・年爵(ねんしやく)をえたまふ。
朱雀院並びに村上の祖父にておはしまし候ふ。 朱雀院(すざくゐん)・村上の祖父(おほぢ)にておはします。
「世覚えやむごとなし」 「世覚(おぼ)えやむごとなし」
と申せばおろかなりや。 と申せばおろかなりや。
御男子四人おはしましき。 御男子(をのこご)四人おはしましき。
太郎左大臣時平、二郎左大臣仲平、四郎太政大臣忠平。 太郎左大臣時平(ときひら)、二郎左大臣仲平(なかひら)、四郎太政大臣忠平(ただひら)』
 と言ふに、重木、気色ことになりて、まづ後ろの人の顔うち見わたして、 と言ふに、重木、気色(けしき)ことになりて、まづうしろの人の顔うち見わたして、
〔重木〕それぞ、いはゆる、この翁が宝の君貞信公におはします。 『それぞ、いはゆる、この翁(おきな)が宝の君貞信公(ていしんこう)におはします』
 とて、扇うちつかふ顔もち、ことにをかし。 とて、扇(あふぎ)うちつかふ顔もち、ことにをかし。
〔世次〕三郎にあたり給ひしは、従三位して宮内卿兼平の君と申して失せ給ひにき。  世次『三郎にあたりたまひしは、従三位(じゆさんみ)して宮内卿兼平(くないきやうかねひら)の君(きみ)と申してうせたまひにき。
さるは、御母、忠良の式部卿の親王の御女にて、いとやむごとなくおはすべかりしかど。 さるは、御母、忠良(ただよし)の式部卿(しきぶきやう)の親王の御女(むすめ)にて、いとやむごとなくおはすべかりしかど。
この三人の大臣達を、世の人 この三人の大臣たちを、世の人、
「三平」 「三平」
と申しき。 と申しき。
   
   

一 左大臣 時平ときひら

   
 この大臣は、基経のおとどの太郎なり。  この大臣(おとど)は、基経(もとつね)のおとどの太郎なり。
御母、四品弾正尹人康親王の御女なり。 御母、四品弾正尹人康(しほんだんじやうのゐんさねやす)親王の御女なり。
 醍醐の帝の御時、この大臣、左大臣の位にて年いと若うておはします。 醍醐(だいご)の帝の御時、このおとど、左大臣の位(くらゐ)にて年いと若くておはします。
菅原の大臣、右大臣の位にておはします。 菅原(すがはら)のおとど、右大臣の位にておはします。
その折、帝御年いと若くおはします。 その折、帝御年いと若くおはします。
左右の大臣に世の政を行ふべきよし宣旨下さしめ給へりしに、その折、左大臣、御年二十八九ばかりなり。 左右の大臣に世の政(まつりごと)を行ふべきよし宣旨(せんじ)下さしめたまへりしに、その折、左大臣、御年二十八九ばかりなり。
右大臣の御年五十七八にやおはしけむ。 右大臣の御年五十七八にやおはしましけむ。
ともに世の政をせしめ給ひし間、右大臣は才世にすぐれ、めでたくおはしまし、御心おきても、ことのほかにかしこくおはしまし、 ともに世の政をせしめたまひしあひだ、右大臣は才(ざえ)世にすぐれめでたくおはしまし、御心(こころ)おきても、ことのほかにかしこくおはします。
左大臣は御年も若く、才もことのほかに劣り給へるにより、右大臣の御おぼえことのほかにおはしましたるに、左大臣やすからず思したるほどに、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬ事出できて、昌泰四年正月二十五日、大宰権帥になし奉りて、流され給ふ。 左大臣は御年も若く、才もことのほかに劣りたまへるにより、右大臣の御おぼえことのほかにおはしましたるに、左大臣やすからず思(おぼ)したるほどに、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬこと出できて、昌泰(しやうたい)四年正月二十五日、大宰権師(だざいのごんのそち)になしたてまつりて、流されたまふ。
   
   
   
 この大臣、子どもあまたおはせしに、女君達は婿とり、男君達は、皆ほどほどにつけて位どもおはせしを、これも皆方々に流され給ひてかなしきに、幼くおはしける男君、女君達、慕ひ泣きておはしければ、  この大臣(おとど)、子どもあまたおはせしに、女君達は婿(むこ)とり、男君達は、皆ほどほどにつけて位(くらゐ)どもおはせしを、それも皆方々(かたがた)に流されたまひてかなしきに、幼くおはしける男君・女君達慕ひ泣きておはしければ、
小さきはあへなむ 「小さきはあへなむ」
と、おほやけも許させ給ひしぞかし。 と、おほやけもゆるさせたまひしぞかし。
帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方に遣はさざりけり。 帝(みかど)の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方(かた)につかはさざりけり。
方々にいと悲しく思し召して、御前の梅の花を御覧じて、 かたがたにいとかなしく思し召して、御前(おまへ)の梅の花を御覧(ごらん)じて、
   
♪13
東風吹かば
 にほひおこせよ
 梅の花
 あるじなしとて
 春を忘るな
 
東風(こち)吹かば
 にほひおこせよ
 梅の花
 あるじなしとて
 春を忘るな
   
 また、亭子の帝に聞えさせ給ふ、 また、亭子(ていじ)の帝に聞こえさせたまふ、
   
♪14
流れゆく
 我は水宵と
 なりはてぬ
 君しがらみと
 なりてとどめよ
 
流れゆく
 我は水宵(みくづ)と
 なりはてぬ
 君しがらみと
 なりてとどめよ
   
 なき事により、かく罪せられ給ふを、かしこく思し嘆きて、やがて山崎にて出家せしめ給ひて、都遠くなるままに、あはれに心細く思されて、 なきことにより、かく罪せられたまふを、かしこく思し嘆きて、やがて山崎(やまざき)にて出家(すけ)せしめたまひて、都遠くなるままに、あはれに心ぼそく思(おぼ)されて、
   
♪15
君が住む
 宿の梢を
 ゆくゆくと
 かくるるまでも
 かへり見しはや
 
君が住む
 宿の梢(こずゑ)を
 ゆくゆくと
 かくるるまでも
 かへり見しはや
   
 また、播磨国におはしまし着きて、明石の駅といふ所に御宿りせしめ給ひて、駅の長のいみじく思へる気色を御覧じて、作らしめ給ふ詩、いと悲し。 また、播磨国(はりまのくに)におはしましつきて、明石(あかし)の駅(むまや)といふ所に御宿りせしめたまひて、駅の長(をさ)のいみじく思へる気色(けしき)を御覧じて、作らしめたまふ詩、いとかなし。
   
♪16
駅長莫驚時変改 一栄一落是春秋 (駅長驚クコトナカレ、時ノ変改
 一栄一落、是レ春秋)
駅長(えきちやう)驚クコトナカレ、時ノ変改(へんがい) 一栄一落(いつえいいつらく)、是(こ)レ春秋(しゆんじう)
   
   
   
 かくて筑紫におはし着きて、ものをあはれに心細く思さるる夕、をちかたに所々煙立つを御覧じて、  かくて筑紫(つくし)におはしつきて、ものをあはれに心ぼそく思さるる夕(ゆふべ)、をちかたに所々(ところどころ)煙(けぶり)立つを御覧(ごらん)じて、
   
♪17
夕されば
 野にも山にも
 立つ煙
 嘆きよりこそ
 燃えまさりけれ
 
夕されば
 野にも山にも
 立つ煙
 なげきよりこそ
 燃えまさりけれ
   
 また、雲の浮きてただよふを御覧じて、 また、雲の浮きてただよふを御覧じて、
   
♪18
山わかれ
 飛びゆく雲の
 かへり来る
 かげ見る時は
 なほ頼まれぬ
 
山わかれ
 飛びゆく雲の
 かへり来る
 かげ見る時は
 なほ頼(たの)まれぬ
   
 さりともと、世を思し召されけるなるべし。 さりともと、世を思し召されけるなるべし。
月のあかき夜、 月のあかき夜(よ)、
   
♪19
海ならず
 たたへる水の
 そこまでに
 きよき心は
 月ぞ照らさむ
 
海ならず
 たたへる水の
 そこまでに
 きよき心は
 月ぞ照らさむ
   
 これいとかしこくあそばしたりかし。 これいとかしこくあそばしたりかし。
げに月日こそは照らし給はめとこそあはめれ。 げに月日(つきひ)こそは照らしたまはめとこそあはめれ』
   
 まことに、おどろおどろしき事はさるものにて、かくやうの歌や詩などをいとなだらかに、ゆゑゆゑしう言ひつづけまねぶに、見聞く人々、目もあやにあさましく、あはれにもまもりゐたり。 まことに、おどろおどろしきことはさるものにて、かくやうの歌や詩などをいとなだらかに、ゆゑゆゑしう言ひつづけまねぶに、見聞く人々、目もあやにあさましく、あはれにもまもりゐたり。
もののゆゑ知りたる人なども、むげに近く居寄りて外目せず、見聞く気色どもを見て、いよいよはえてものを繰り出だすやうに言ひ続くるほどぞ、まことに希有なるや。 もののゆゑ知りたる人なども、むげに近く居寄(ゐよ)りて外目(ほかめ)せず、見聞く気色(けしき)どもを見て、いよいよはえてものを繰(く)り出(い)だすやうに言ひつづくるほどぞ、まことに希有(けう)なるや。
重木、涙をのごひつつ興じゐたり。 重木、涙をのごひつつ興(きよう)じゐたり。
   
〔世次〕筑紫におはします所の御門かためておはします。  世次『筑紫におはします所の御門(みかど)かためておはします。
大弐の居所は遥かなれども、楼の上の瓦などの、心にもあらず御覧じやられけるに、またいと近く観音寺といふ寺のありければ、鐘の声を聞こし召して、作らしめ給へる詩ぞかし、 大弐(だいに)の居所(ゐどころ)は遥かなれども、楼(ろう)の上の瓦(かはら)などの、心にもあらず御覧(ごらん)じやられけるに、またいと近く観音寺(くわんおんじ)といふ寺のありければ、鐘の声を聞こし召して、作らしめたまへる詩ぞかし、
   
♪20
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声
(都府楼ハ纔ニ瓦ノ色ヲ看ル 観音寺ハ只ダ鐘ノ声ヲ聴ク)
都府楼(とふろう)ハ纔(わづか)ニ瓦ノ色ヲ看(み)ル
観音寺ハ只(ただ)鐘ノ声ヲ聴(き)ク
   
 これは、文集の、白居易の これは、文集(もんじふ)の、白居易(はくきよい)の
「遺愛寺鐘欹枕聴、香炉峯雪撥簾看」 「遺愛寺(ゐあいじ)ノ鐘ハ欹(そばだ)テテ枕ヲ聴キ、 香(かう)炉(ろ)峯(ほう)ノ雪ハ撥(かか)ゲテ簾(すだれ)ヲ看ル」
といふ詩に、まさざまに作らしめ給へりとこそ、昔の博士ども申しけれ。 といふ詩に、まさざまに作らしめたまへりとこそ、昔の博士ども申しけれ。
   
また、かの筑紫にて、九月九日菊の花を御覧じけるついでに、いまだ京におはしましし時、九月の今宵、内裏にて菊の宴ありしに、この大臣の作らせ給ひける詩を、帝かしこく感じ給ひて、御衣を給へりしを、筑紫に持て下らしめ給へりければ、御覧ずるに、いとどその折思し召し出でて、作らしめ給ひける、 また、かの筑紫にて、九月九日菊の花を御覧じけるついでに、いまだ京におはしましし時、九月の今宵(こよひ)、内裏(だいり)にて菊の宴ありしに、このおとどの作らせたまひける詩を、帝(みかど)かしこく感じたまひて、御衣(おんぞ)たまはりたまへりしを、筑紫に持(も)て下らしめたまへりければ、御覧ずるに、いとどその折思(おぼ)し召(め)し出(い)でて、作らしめたまひける、
   
♪21
去年今夜侍清涼
秋思詩篇独断腸
(去年ノ今夜ハ清涼ニ侍リキ 秋思ノ詩篇独リ腸ヲ断ツ)
去年ノ今夜(こよひ)ハ清涼(せいりやう)ニ侍(はべ)リキ
秋思(しうし)ノ詩篇(しへん)ニ独(ひと)リ腸(はらわた)ヲ断(た)チキ
   
♪22
恩賜御衣今在此
捧持毎日拝余香
(恩賜ノ御衣今此ニ在リ
捧ゲ持チテ毎日余香ヲ拝シタテマツル)
恩賜(おんし)ノ御衣(ぎよい)ハ今此(ここ)ニ在(あ)リ
捧(ささ)ゲ持チテ毎日余香(よかう)ヲ拝シタテマツル
   
 この詩、いとかしこく人々感じ申されき。 この詩、いとかしこく人々感じ申されき。
この事どもただちりぢりなるにもあらず、かの筑紫にて作り集めさせ給へりけるを、書きて一巻とせしめ給ひて、後集と名づけられたり。 このことどもただちりぢりなるにもあらず、かの筑紫にて作り集めさせたまへりけるを、書きて一巻とせしめたまひて、後集(こうしふ)と名づけられたり。
また折々の歌書きおかせ給へりけるを、おのづから世に散り聞えしなり。 また折々(をりをり)の歌(うた)書きおかせたまへりけるを、おのづから世に散り聞こえしなり。
世次若う侍りし時、この事のせめてあはれにかなしう侍りしかば、大学の衆どもの、なま不合にいましかりしを、訪ひたづねかたらひとりて、さるべき餌袋、破子やうのもの調じて、うち具してまかりつつ、習ひとりて侍りしかど、老の気のはなはだしき事は、皆こそ、忘れ侍りにけれ。 世次若(わか)うはべりし時、このことのせめてあはれにかなしうはべりしかば、大学(だいがく)の衆(しゆう)どもの、なま不合(ふがふ)にいましかりしを、訪(と)ひたづねかたらひとりて、さるべき餌袋(ゑぶくろ)・破子(わりご)やうのもの調(てう)じて、うち具(ぐ)してまかりつつ、習ひとりてはべりしかど、老(おい)の気(け)のはなはだしきことは、皆こそ、忘れはべりにけれ。
これはただ頗る覚え侍るなり。 これはただ頗(すこぶ)る覚えはべるなり』
 と言へば、聞く人々、 と言へば、聞く人々、
『げにげに、いみじき好き者にもものし給ひけるかな。 『げにげに、いみじき好き者にもものしたまひけるかな。
今の人は、さる心ありなむや』 今の人は、さる心ありなむや』
など、感じあへり。 など、感じあへり。
   
〔世次〕また、雨の降る日、うちながめ給ひて、  世次『また、雨の降る日、うちながめたまひて、
   
♪23
あめのした
 かわけるほどの
 なければや
 着てし濡れ衣
 ひるよしもなき
 
あめのした
 かわけるほどの
 なければや
 きてし濡衣(ぬれぎぬ)
 ひるよしもなき
   
   それはまた、しかるべき前の世の御報にこそおはしましけめ。さるは、御心いとうるはしくて、世の政かしこくせさせ給ひつべかりしかば、世間にいみじうあたらしきことにぞ申すめりし。
   
   
   
 やがてかしこにて失せ給へる、夜のうちに、この北野にそこらの松を生ほし給ひて、渡り住み給ふをこそは、ただ今の北野宮と申して、現人神におはしますめれば、おほやけも行幸せしめ給ふ。  やがてかしこにてうせたまへる、夜のうちに、この北野(きたの)にそこらの松を生(お)ほしたまひて、わたり住みたまふをこそは、ただ今の北野宮と申して、現人神(あらひとがみ)におはしますめれば、おほやけも行幸(ぎやうかう)せしめたまふ。
いとかしこくあがめ奉り給ふめり。 いとかしこくあがめたてまつりたまふめり。
筑紫のおはしまし所は安楽寺と言ひて、おほやけより別当、所司などなさせ給ひて、いとやむごとなし。 筑紫のおはしまし所は安楽寺(あんらくじ)と言ひて、おほやけより別当(べたう)・所司(しよし)などなさせたまひて、いとやむごとなし。
内裏焼けて度々造らせ給ふに、円融院の御時の事なり、工ども、裏板どもを、いとうるはしく鉋かきてまかり出でつつ、またの朝に参りて見るに、昨日の裏板にもののすすけて見ゆる所のありければ、梯に上りて見るに、夜のうちに、虫の食めるなりけり。 内裏(だいり)焼けて度々(たびたび)造らせたまふに、円融院(ゑんゆうゐん)の御時のことなり、工(たくみ)ども、裏板(うらいた)どもを、いとうるはしく鉋(かな)かきてまかり出でつt、またの朝(あした)にまゐりて見るに、昨日の裏板にもののすすけて見ゆる所のありければ、梯(はし)に上(のぼ)りて見るに、夜(よ)のうちに、虫の食(は)めるなりけり。
その文字は、 その文字は、
   
♪24
つくるとも
 またも焼けなむ
 すがはらや
 むねのいたま
 のあはぬ限りは
 
つくるとも
 またも焼けなむ
 すがはらや
 むねのいたまの
 あはぬかぎりは
   
 とこそありけれ。 とこそありけれ。
それもこの北野のあそばしたるとこそは申すめりしか。 それもこの北野のあそばしたるとこそは申すめりしか。
かくて、この大臣、筑紫におはしまして、延喜三年癸亥二月二十五日に失せ給ひしぞかし。 かくて、このおとど、筑紫におはしまして、延喜(えんぎ)三年癸亥(みづのとゐ)二月二十五日にうせたまひしぞかし。
御年五十九にて。 御年五十九にて。
   
   
   
 さて後七年ばかりありて、左大臣時平のおとど、延喜九年己巳四月四日失せ給ふ。  さて後(のち)七年ばかりありて、左大臣時平(ときひら)のおとど、延喜九年四月四日うせたまふ。
御年三十九。 御年三十九。
大臣の位にて十一年ぞおはしける。 大臣の位(くらゐ)にて十一年ぞおはしける。
本院大臣と申す。 本院(ほんゐんの)大臣と申す。
この時平のおとどの御女の女御も失せ給ふ。 この時平のおとどの御女(むすめ)の女御(にようご)もうせたまふ。
御孫の春宮も、一男八条大将保忠卿も失せ給ひにきかし。 御孫(まご)の春宮(とうぐう)も、一男八条大将保忠(はちでうのだいしやうやすただ)卿もうせたまひにきかし。
この大将、八条に住み給へば、内に参り給ふほどいと遥かなるに、いかが思されけむ、冬は餅のいと大きなるをば一つ、小さきをば二つを焼きて、焼き石のやうに、御身にあてて持ち給へりけるに、ぬるくなれば、小さきをば一つづつ、大きなるをば中よりわりて、御車副に投げとらせ給ひける。 この大将、八条に住みたまへば、内(うち)にまゐりたまふほどいと遥かなるに、いかが思(おぼ)されけむ、冬は餅(もちひ)のいと大きなるをば一つ、小さきをば二つを焼きて、焼き石のやうに、御身にあてて持ちたまへりけるに、ぬるくなれば、小さきをば一つづつ、大きなるをば中よりわりて、御車副(くるまぞひ)に投げとらせたまひける。
あまりなる御用意なりかし。 あまりなる御用意なりかし。
その世にも、耳とどまりて人の思ひければこそ、かく言ひ伝へためれ。 その世にも、耳とどまりて人の思ひければこそ、かく言ひ伝へためれ。
この殿ぞかし、病づきて、さまざま祈りし給ひ、薬師経読経、枕上にてせさせ給ふに、 この殿(との)ぞかし、病(やまひ)づきて、さまざま祈りしたまひ、薬師経読経(やくしきやうのどきやう)、枕上(まくらがみ)にてせさせたまふに、
「所謂宮毘羅大将」 「所謂宮毘羅大将」
とうちあげたるを、 (しよゐくびらだいしやう)とうちあげたるを、
「我をくびるとよむなりけり」 「我を[くびる]とよむなりけり」
と思しけり。 と思しけり。
臆病に、やがて絶え入り給へば、経の文といふ中にも、こはき物の怪にとりこめられ給へる人に、げにあやしくはうちあげて侍りかし。 臆病(おくびやう)に、やがて絶(た)え入(い)りたまへば、経の文といふ中にも、こはき物(もの)の怪(け)にとりこめられたまへる人に、げにあやしくはうちあげてはべりかし。
さるべきとはいひながら、ものは折ふしの言霊も侍ることなり。 さるべきとはいひながら、ものは折ふしの言霊(ことだま)もはべることなり。
   
   
   
 その御弟の敦忠の中納言も失せ給ひにき。  その御弟(おとと)の敦忠(あつただ)の中納言もうせたまひにき。
和歌の上手、菅絃の道にもすぐれ給へりき。 和歌の上手(じやうず)、菅絃(くわんげん)の道にもすぐれたまへりき。
世にかくれ給ひて後、御遊びある折、博雅三位の、さはる事ありて参らざる時は、 世にかくれたまひて後(のち)、御遊びある折、博雅三位(ひろまさのさんみ)の、さはることありてまゐらざる時は、
「今日の御遊びとどまりぬ」 「今日の御遊びとどまりぬ」
と、度々召されて参るを見て、ふるき人々は、 と、度々(たびたび)召されてまゐるを見て、ふるき人々は、
「世の末こそあはれなれ。 「世の末(すゑ)こそあはれなれ。
   
敦忠中納言のいますかりし折は、かかる道に、この三位、おほやけをはじめ奉りて、世の大事に思ひ侍るべきものとこそ思はざりしか」 敦忠中納言のいますかりし折は、かかる道に、この三位、おほやけをはじめたてまつりて、世の大事に思ひはべるべきものとこそ思はざりしか」
とぞ宣ひける。 とぞのたまひける。
先坊に御息所参り給ふ事、本院のおとどの御女具して三四人なり。 先坊(せんぼう)に御息所(みやすどころ)まゐりたまふこと、本院(ほんゐん)のおとどの御女(むすめ)具して三四人なり。
本院のは、失せ給ひにき。 本院のは、うせたまひにき。
中将の御息所と聞えし、後は重明の式部卿親王の北の方にて、斎宮女御の御母にて、そも失せ給ひにき。 中将の御息所と聞こえし、後(のち)は重明(しげあきら)の式部卿(しきぶきやう)親王の北の方にて、斎宮女御(さいぐうのにようご)の御母にて、そもうせたまひにき。
いとやさしくおはせし。 いとやさしくおはせし。
先坊を恋ひかなしび奉り給ひ、大輔なむ、夢に見奉りたると聞きて、詠みておくり給へる、 先坊を恋ひかなしびたてまつりたまひ、大輔(たいふ)なむ、夢に見たてまつりたると聞きて、よみておくりたまへる、
   
♪25
時の間も
 慰めつらむ
 君はさは
 夢にだに見ぬ
 我ぞかなしき
 
時の間も
 慰めつらむ
 君はさは
 夢にだに見ぬ
 我ぞかなしき
   
 御返りごと、大輔、 御返りごと、大輔、
   
♪26
恋しさの
 慰むべくも
 あらざりき
 夢のうちにも
 夢と見しかば
 
恋しさの
 慰むべくも
 さらざりき
 夢のうちにも
 夢と見しかば
   
 いま一人の御息所は、玄上の宰相の女にや。 いま一人の御息所は、玄上(はるかみ)の宰相(さいしやう)の女にや。
その後朝の使、敦忠中納言、少将にてし給ひける。 その後朝の使(つかひ)、敦忠(あつただ)中納言、少将にてしたまひける。
宮失せ給ひて後、この中納言にはあひ給へるを、かぎりなく思ひながら、いかが見給ひけむ、文範の民部卿の、播磨守にて、殿の家司にて候はるるを、 宮うせたまひて後、この中納言にはあひたまへるを、かぎりなく思ひながら、いかが見たまひけむ、文範(ふみのり)の民部卿(みんぶきやう)の、播磨守(はりまのかみ)にて、殿(との)の家司(けいし)にてさぶらはるるを、
「我は命みじかき族なり。 「我は命みじかき族(ぞう)なり。
かならず死なむず。 かならず死なむず。
その後、君は文範にぞあひ給はむ」 その後、君は文範にぞあひたまはむ」
と宣ひけるを、 とのたまひけるを、
「あるまじきこと」 「あるまじきこと」
といらへ給ひければ、 といらへたまひければ、
「天がけりても見む。 「天(あま)がけりても見む。
よにたがへ給はじ」 よにたがへたまはじ」
など宣ひけるが、まことにさていまするぞかし。 などのたまひけるが、まことにさていまするぞかし。
   
   
   
 ただ、この君達の御中には、大納言源昇の卿の御女の腹に、顕忠の大臣のみぞ、右大臣までなり給ふ。  ただ、この君たちの御中には、大納言源昇(みなもとののぼる)の卿(きやう)の御女の腹の顕忠(あきただ)のおとどのみぞ、右大臣までなりたまふ。
その位にて六年おはせしかど、少し思すところやありけむ、出でて歩き給ふにも、家の内にも、大臣の作法をふるまひ給はず。 その位(くらゐ)にて六年おはせしかど、少し思(おぼ)すところやありけむ、出でて歩(あり)きたまふにも、家内にも、大臣の作法(さほふ)をふるまひたまはず。
御歩きの折は、おぼろけにて御前つがひ給はず。 御歩きの折は、おぼろけにて御前(ごぜん)つがひたまはず。
まれまれも数少なくて、御車のしりにぞ候ひし。 まれまれも数少なくて、御車のしりにぞさぶらひし。
車副四人つがはせ給はざりき。 車副(くるまぞひ)四人つがはせたまはざりき。
御先も時々ほのかにぞ参りし。 御先(みさき)も時々(ときどき)ほのかにぞまゐりし。
半挿盥して御手すますことなかりき。 盥(たらひ)して御手すますことなかりき。
寝殿の日隠の間に棚をして、小桶に小さきひさごして置かれたれば、仕丁、つとめてごとに、湯を持て参りて入れければ、人してもかけさせ給はず、我出で給ひて、御手づからぞすましける。 寝殿(しんでん)の日隠(ひがくし)の間(ま)に棚(たな)をして、小桶(こをけ)に小 (こひさご)して置かれたれば、仕丁(じちやう)、つとめてごとに、湯を持(も)てまゐりて入れければ、人してもかけさせたまはず、我(われ)出でたまひて、御手づからぞすましける。
御召物は、うるはしく御器などにも参り据ゑで、ただ御土器にて、台などもなく、折敷にとり据ゑつつぞ参らせける。 御召物(めしもの)は、うるはしく御器(ごき)などにもまゐり据(す)ゑで、ただ御土器(かはらけ)にて、台などもなく、折敷(をしき)にとり据ゑつつぞまゐらせける。
倹約し給ひしに、さるべき事の折の御座と、御判所とにぞ、大臣とは見え給ひし。 倹約(けんやく)したまひしに、さるべきことの折の御座と、御判所(はんしよ)とにぞ、大臣とは見えたまひし。
かくもてなし給ひし故にや、このおとどのみぞ、御族の中に、六十余までおはせし。 かくもてなしたまひし故(け)にや、このおとどのみぞ、御族(ぞう)の中に、六十余までおはせし。
四分一の家にて大饗し給へる人なり。 四分一の家にて大饗(だいきやう)したまへる人なり。
富小路の大臣と申す。 富小路(とみのこうぢ)の大臣と申す。
   かやうのことども聞き見給ふれど、なは、この入道殿、世にすぐれ抜け出でさせ給へり。天地にうけられさせ給へるは、この殿こそはおはしませ。何事も行はせ給ふ折に、いみじき大風吹き、長雨降れども、まづ二三日かねて、空晴れ、土乾くめり。
   
   
   
 これよりほかの君達、皆三十余、四十に過ぎ給はず。  これよりほかの君達、皆三十余、四十に過ぎたまはず。
そのゆゑは、他の事にあらず、この北野の御嘆きになむあるべき。 そのゆゑは、他(た)のことにあらず、この北野の御嘆きになむあるべき。
顕忠の大臣の御子、重輔の右衛門佐とておはせしが御子なり、今の三井寺の別当心誉僧都、山階寺の権別当扶公僧都なり。 顕忠(あきただ)の大臣の御子、重輔(しげすけ)の右衛門佐(うゑもんのすけ)とておはせしが御子なり、今の三井寺(みゐでら)の別当心誉僧都(べたうしんよそうづ)・山階寺(やましなでら)の権別当扶公(ごんのべたうふこう)僧都なり。
この君達こそはものし給ふめれ。 この君達こそはものしたまふめれ。
敦忠中納言の御子あまたおはしける中に、兵衛佐なにがし君とかや申しし、その君出家して往生し給ひにき。 敦忠(あつただ)中納言の御子あまたおはしける中に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)なにがし君(ぎみ)とかや申(ま)しし、その君出家(すけ)して往生(わうじやう)したまひにき。
その仏の御子なり、石蔵の文慶僧都は。 その仏(ほとけ)の御子なり、石蔵(いはくら)の文慶(もんけい)僧都は。
敦忠の御女子は枇杷大納言の北の方にておはしきかし。 敦忠の御女子は枇杷(びはの)大納言の北の方にておはしきかし。
あさましき悪事を申し行ひ給へりし罪により、このおとどの御末はおはせぬなり。 あさましき悪事(あくじ)を申し行ひたまへりし罪により、このおとどの御末(すゑ)はおはせぬなり。
さるは、大和魂などは、いみじくおはしましたるものを。 さるは、大和魂(やまとだましひ)などは、いみじくおはしましたるものを。
   
   
   
 延喜の、世間の作法したためさせ給ひしかど、過差をばえしづめさせ給はざりしに、この殿、制を破りたる御装束の、ことのほかにめでたきをして、内に参り給ひて、殿上に候はせ給ふを、帝、小蔀より御覧じて、御気色いとあしくならせ給ひて、職事を召して、  延喜(えんぎ)の、世間の作法(さほふ)したためさせたまひしかど、過差(くわさ)をばえしづめさせたまはざりしに、この殿(との)、制(せい)を破りたる御装束(さうぞく)の、ことのほかにめでたきをして、内(うち)にまゐりたまひて、殿上(てんじやう)にさぶらはせたまふを、帝(みかど)、小蔀(こじとみ)より御覧(ごらん)じて、御気色(けしき)いとあしくならせたまひて、職事(しきじ)を召して、
「世間の過差の制きびしき頃、左のおとどの一の人といひながら、美麗ことのほかにて参れる、便なき事なり。 「世間の過差の制きびしき頃、左(ひだり)のおとどの一(いち)の人(ひと)といひながら、美麗(びれい)ことのほかにてまゐれる、便(びん)なきことなり。
はやくまかり出づべきよし仰せよ」 はやくまかり出(い)づべきよし仰せよ」
と仰せられければ、承る職事は、 と仰せられければ、うけたまはる職事は、
「いかなる事にか」 「いかなることにか」
と怖れ思ひけれど、参りて、わななくわななく、 と怖(おそ)れ思ひけれど、まゐりて、わななくわななく、
「しかじか」 「しかじか」
と申しければ、いみじくおどろき、かしこまり承りて、御随身の御先参るも制し給ひて、急ぎまかり出で給へば、御前どもあやしと思ひけり。 と申しければ、いみじくおどろき、かしこまりうけたまはりて、御随身(みずいじん)の御先(みさき)まゐるも制したまひて、急ぎまかり出でたまへば、御前(ごぜん)どもあやしと思ひけり。
さて本院の御門一月ばかり鎖させて、御簾の外にも出で給はず、人などの参るにも、 さて本院の御門一月(みかどひとつき)ばかり鎖(さ)させて、御簾(みす)の外(と)にも出でたまはず、人などのまゐるにも、
「勘当の重ければ」 「勘当(かんだう)の重ければ」
とて、会はせ給はざりしにこそ、世の過差はたひらぎたりしか。 とて、会はせたまはざりしにこそ、世の過差はたひらぎたりしか。
内々によく承りしかば、さてばかりぞしづまらむとて、帝と御心あはせさせ給へりけるとぞ。 内々によくうけたまはりしかば、さてばかりぞしづまらむとて、帝と御心あはせさせたまへりけるとぞ。
   
   
   
 もののをかしさをぞえ念ぜさせ給はざりける。  もののをかしさをぞえ念ぜさせたまはざりける。
笑ひたたせ給ひぬれば、頗ることも乱れけるとか。 笑ひたたせたまひぬれば、頗(すこぶ)ることも乱れけるとか。
北野と世をまつりごたせ給ふ間、非道なる事を仰せられければ、さすがにやむごとなくて、せちにし給ふ事をいかがはと思して、 北野と世をまつりごたせたまふあひだ、非道(ひだう)なることを仰せられければ、さすがにやむごとなくて、せちにしたまふことをいかがはと思(おぼ)して、
「このおとどのし給ふ事なれば、不便なりと見れど、いかがすべからむ」 「このおとどのしたまふことなれば、不便(ふびん)なりと見れど、いかがすべからむ」
と嘆き給ひけるを、なにがしの史が、 と嘆きたまひけるを、なにがしの史(し)が、
「ことにも侍らず。 「ことにもはべらず。
おのれ、かまへてかの御事をとどめ侍らむ」 おのれ、かまへてかの御ことをとどめはべらむ」
と申しければ、 と申しければ、
「いとあるまじきこと。 「いとあるまじきこと。
いかにして」 いかにして」
など宣はせけるを、 などのたまはせけるを、
「ただ御覧ぜよ」 「ただ御覧ぜよ」
とて、座に着きて、事きびしく定めののしり給ふに、この史、文刺に文挟みて、いらなくふるまひて、この大臣に奉るとて、いと高やかに鳴らして侍りけるに、おとど文もえとらず、手わななきて、やがて笑ひて、 とて、座につきて、こときびしく定めののしりたまふに、この史、文刺(ふんさし)に文挟(ふみはさ)みて、いらなくふるまひて、このおとどに奉るとて、いと高やかに鳴らしてはべりけるに、おとど文もえとらず、手わななきて、やがて笑ひて、
「今日は術なし。 「今日は術(ずち)なし。
右の大臣に任せ申す」 右(みぎ)のおとどにまかせ申す」
とだに言ひやり給はざりければ、それにこそ菅原の大臣、御心のままにまつりごち給ひけれ。 とだに言ひやりたまはざりければ、それにこそ菅原(すがはら)のおとど、御心のままにまつりごちたまひけれ。
   
   
   
 また、北野の、神にならせ給ひて、いと恐ろしく雷鳴りひらめき、清涼殿に落ちかかりぬと見えけるが、本院の大臣、太刀を抜きさけて、  また、北野の、神にならせたまひて、いとおそろしく雷(かみ)鳴りひらめき、清涼殿(せいりやうでん)に落ちかかりぬと見えけるが、本院(ほんゐん)の大臣(おとど)、太刀(たち)を抜きさけて、
「生きても我が次にこそものし給ひしか。 「生きてもわが次にこそものしたまひしか。
今日、神となり給へりとも、この世には、我に所置き給ふべし。 今日、神となりたまへりとも、この世には、我に所置きたまふべし。
いかでかさらではあるべきぞ」 いかでかさらではあるべきぞ」
とにらみやりて宣ひける。 とにらみやりてのたまひける。
一度はしづまらせ給へりとぞ、世の人申し侍りし。 一度はしづまらせたまへりとぞ、世(よ)の人(ひと)、申しはべりし。
されどこれは、かの大臣のいみじうおはするにはあらず、王威の限りなくおはしますによりて、理非を示し給へるなり。 されど、されは、かの大臣(おとど)のいみじうおはするにはあらず、王威(わうゐ)のかぎりなくおはしますによりて、理非(りひ)を示させたまへるなり。
   
   

一 左大臣 仲平なかひら

   
 この大臣は、基経の大臣の二郎。  この大臣(おとど)は、基経(もとつね)のおとどの次郎。
御母は、本院の大臣に同じ。 御母は、本院(ほんゐん)の大臣に同じ。
大臣の位にて十三年ぞおはせし。 大臣の位(くらゐ)にて十三年ぞおはせし。
枇杷の大臣と申す。 枇杷(びは)の大臣と申す。
御子持たせ給はず。 御子持たせたまはず。
伊勢が集に、 伊勢集(いせしふ)に、
   
♪27
花薄
 われこそしたに
 思ひしかほに
 出でて人に
 むすばれにけり
 
花薄(はなすすき)
 われこそしたに
 思ひしかほに
 出でて人に
 むすばれにけり
   
 など詠み給へるは、この人におはす。 などよみたまへるは、この人におはす。
貞信公よりは御兄なれども、二十年まで大臣になりおくれ給へりしを、つひになり給へれば、太政大臣御喜びの歌、 貞信公(ていしんこう)よりは御兄なれども、三十年まで大臣になりおくれたまへりしを、つひになりたまへれば、おほきおほいどのの御よろこびの歌、
   
♪28
おそくとく
 つひに咲きぬる
 梅の花
 たが植ゑおきし
 種にかあるらむ
 
おそくとく
 つひに咲きぬる
 梅の花
 たが植ゑおきし
 種にかあるらむ
   
 やがてその花をかざして、御対面の日、喜び給へる。 やがてその花をかざして、御対面(たいめ)の日、よろこびたまへる。
廂の大饗せさせ給ひけるにも、横ざまにぞ据ゑ参らせさせけるこそ、年頃少しかたはらいたく思されける御心とけて、いかにかたみに心ゆかせ給へりけむ、御あはひめでたけれ。 廂(ひさし)の大饗(だいきやう)せさせたまひけるにも、横さまに据ゑまゐらせさせたまひけるこそ、年頃(としごろ)少しかたはらいたく思(おぼ)されける御心(こころ)とけて、いかにかたみに心ゆかせたまへりけむ、御あはひめでたけれ。
この殿の御心、まことにうるはしくおはしましける。 この殿(との)の御心、まことにうるはしくおはしましける。
皆人聞き知ろしめしたる事なり、申さじ。 皆人聞き知ろしめしたることなり、申さじ。
このおとどに伊勢の御息所の忘られて詠める歌。 このおとどに伊勢(いせ)の御息所(みやすどころ)の忘られてよむ歌なり。
   
♪29
人知れず
 やみなましかば
 わびつつも
 無き名ぞとだに
 言はましものを
 
人知れず
 やみなましかば
 わびつつも
 無き名ぞとだに
 言はましものを
   
   

一 太政大臣 忠平ただひら 貞信公ていしんこう

   
 この大臣、これ、基経の大臣の四郎君。  この大臣(おとど)、これ、基経(もとつね)のおとどの四郎君。
御母、本院の大臣、枇杷の大臣に同じ。 御母、本院(ほんゐんの)大臣・枇杷(びはの)大臣に同。
 この大臣、延長八年九月二十一日摂政、天慶四年十一月関白宣旨下り給へり。 このおとど、延長(えんちやう)八年九月二十一日摂政、天慶(てんぎやう)四年十一月関白宣旨(せんじ)かぶりたまふ。
公卿にて四十二年、大臣の位にて三十六年、世をしらせ給ふこと二十年。 公卿(くぎやう)にて四十二年、大臣位にて三十二年、世をしらせたまふこと二十年。
後の御諡号貞信公と名づけ奉る。 後(のち)の御諡号(いみな)貞信公と名づけたてまつる。
小一条太政大臣と申す。 子一条(こいちでう)太政大臣と申す。
 まさしき朱雀院、並びに村上の御をぢにおはします。 朱雀院幵(すざくゐんならびに)村上の御舅(をぢ)におはします。
この御子五人。 この御子五人。
その折は、御位太政大臣にて、御太郎は、左大臣にて実頼の大臣、これ、小野宮と申しき。 その折は、御位(くらゐ)太政大臣にて、御太郎、左大臣にて実頼(さねより)のおとど、これ、小野宮(をののみや)と申しき。
二郎、右大臣師輔の大臣、これを九条殿と申しき。 二郎、右大臣師輔(もろすけ)のおとど、これを九条殿(くでうどの)と申しき。
四郎、師氏の大納言と聞えき。 四郎、師氏(もろうじ)の大納言と聞こえき。
五郎、また左大臣師尹の大臣、小一条殿と申しきかし。 五郎、また左大臣師尹(もろまさ)のおとど、子一条殿と申しきかし。
この四人の君達、左右の大臣、納言などにて、さし続きおはしましし、いみじかりし御栄華ぞかし。 これ、四人君達、左右(さう)の大臣、納言(なごん)などにて、さしつづきおはしましし、いみじかりし御栄花(えいぐわ)ぞかし。
女子一所は、先坊の御息所にておはしましき。 女君一所(をんなぎみひとところ)は、先坊(せんばう)の御息所(みやすどころ)にておはしましき。
   
   
   
 常にこの三人の大臣達の参らせ給ふ料に、小一条の南、勘解由小路には、石畳をぞせられたりしが、まだ侍るぞかし。  つねにこの三人の大臣たちのまゐらせたまふ料(れう)に、小一条(こいちでう)の南、勘解由小路(かでのこうぢ)には、石畳(いしだたみ)をぞせられたりしが、まだはべるぞかし。
宗像の明神のおはしませば、洞院。 宗像(むなかた)の明神(みやうじん)のおはしませば、洞院(とうゐん)。
小代の辻よりおりさせ給ひしに、雨などの降る日の料とぞ承りし。 小代(こしろ)の辻子(つじ)よりおりさせたまひしに、雨などの降る日の料とぞうけたまはりし。
大方その一町は、人まかり歩かざりき。 凡その一町(ひとまち)は、人まかり歩(あり)かざりき。
今は、あやしの者も馬車に乗りつつ、みしみしと歩き侍るは、昔の名残に、いとかたじけなくこそ見給ふれ。 今は、あやしの者も馬・車に乗りつつ、みしみしと歩(ある)きはべれば、昔のなごりに、いとかたじけなくこそ見たまふれ。
この翁どもは、今もおぼろけにては通り侍らず。 この翁(おきな)どもは、今もおぼろけにては通りはべらず。
今日も参り侍るが、腰のいたく侍りつれば、術なくてぞまかり通りつれど、なほ石畳をばよきてぞまかりつる。 今日もまゐりはべるが、腰のいたくはべりつれば、術(ずち)なくてぞまかり通りつれど、なほ石畳をばよきてぞまかりつる。
南のつらのいと悪しき泥を踏み越えて候ひつれば、きたなき物も、かくなりて侍るなり。 南のつらのいとあしき泥(でい)をふみこみてさぶらひつれば、きたなきものも、かくなりてはべるなり』
 とて、引き出でて見す。 とて、引き出でて見す。
   
〔世次〕
「先祖の御物は何もほしけれど、小一条のみなむ要に侍らぬ。
 世次『「先祖の御ものは何もほしけれど、小一条のみなむ要(えう)にはべらぬ。
人は子産み、死ぬる料にこそ家もほしきに、さやうの折、外へ渡らむ所は、何かはせむ。 人は子うみ死なむが料にこそ家もほしきに、さやうの折、ほかへわたらむ所は、なににかはせむ。
また、大方、常にもたゆみなく恐ろし」 また、凡、つねにもたゆみなくおそろし」
とこそ、この入道殿は仰せらるなれ。 とこそ、この入道殿(にふだうどの)は仰せらるなれ。
ことわりなりや。 ことわりなりや。
この貞信公には、宗像の明神、うつつに物語など申し給ひけり。 この貞信公には、宗像の明神、うつつに、ものなど申したまひけり。
「我よりは御位高くて居させ給へるなむ、苦しき」 「我よりは御位(くらゐ)高くて居(ゐ)させたまへるなむ、くるしき」
と申し給ひければ、いと不便なる御事とて、上の御位に申しなさせ給へるなり。 と申したまひければ、いと不便(ふびん)なる御こととて、神の御位申しあげさせたまへるなり。
   
   
   
 この殿、いづれの御時とはおぼえ侍らず、思ふに、延喜、朱雀院の御ほどにこそは侍りけめ、宣旨奉らせ給ひて、行ひに陣座ざまにおはします道に、南殿の御帳の後ろのほど通らせ給ふに、物のけはひして、御太刀の石突をとらへたりければ、いとあやしくて探らせ給ふに、毛むくむくと生ひたる手の、爪ながく刀の刃のやうなるに、鬼なりけりと、いと恐ろしく思しけれど、臆したるさま見えじと念ぜさせ給ひて、  この殿(との)、何(いづれの)御時とは覚えはべらず、思ふに、延喜(えんぎ)・朱雀院(すざくゐん)の御ほどにこそははべりけめ、宣旨(せんじ)奉(うけたまは)らせたまひて、おこなひに陣座(ぢんのざ)ざまにおはします道に、南殿(なでん)の御帳(みちやう)のうしろのほど通らせたまふに、もののけはひして、御太刀(たち)の石突(いしづき)をとらへたりければ、いとあやしくてさぐらせたまふに、毛はむくむくと生ひたる手の、爪(つめ)ながく刀(かたな)の刃(は)のやうなるに、鬼なりけりと、いとおそろしくおぼえけれど、臆(おく)したるさま見えじと念(ねん)ぜさせたまひて、
「おほやけの勅宣承りて、定めに参る人とらふるは何者ぞ。 「おほやけの勅宣(ちよくせん)うけたまはりて、定(さだめ)にまゐる人とらふるは何者ぞ。
許さずは、悪しかりなむ」 ゆるさずは、あしかりなむ」
とて、御太刀をひき抜きて、かれが手をとらへさせ給へりければ、まどひてうち放ちてこそ、丑寅の隅ざまにまかりにけれ。 とて、御太刀をひき抜きて、かれが手をとらへさせたまへりければ、まどひてうち放(はな)ちてこそ、丑寅(うしとら)の隅(すみ)ざまにまかりにけれ。
思ふに夜の事なりけむかし。 思ふに夜(よる)のことなりけむかし。
こと殿ばらの御事よりも、この殿の御事申すは、かたじけなくもあはれにも侍るかな。 こと殿(との)ばらの御ことよりも、この殿の御こと申すは、かたじけなくもあはれにもはべるかな』
 とて、声うち変はりて、鼻度々うちかむめり。 とて、音(こゑ)うちかはりて、鼻度々(たびたび)うちかむめり。
   
〔世次〕いかなりける事にか、七月にて生まれさせ給へるとこそ、人申し伝へけれ。  世次『いかなりけることにか、七月にて生まれさせたまへるとこそ、人申し伝へたれ。
天暦三年八月十一日にぞ失せさせ給ひける。 天暦(てんりやく)三年八月十一日にぞうせさせたまひける。
正一位に贈せられ給ふ。 正一位(じやういちゐ)に贈(ぞう)せられたまふ。
御年七十一。 御年七十一。
   
   

一 太政大臣 実頼さねより 清慎公せいしんこう

   
 この大臣は、忠平の大臣の一男におはします。  このおとどは、忠平のおとどの一男におはします。
小野の宮の大臣と申しき。 小野(をの)の宮(みや)のおとどと申しき。
御母は、寛平法皇の御女なり。 御母、寛平(くわんぴやう)法皇の御女(むすめ)なり。
大臣の位にて二十七年、天下執行、摂政、関白し給ひて二十余年ばかりやおはしましけむ。 大臣の位(くらゐ)にて二十七年、天下執行(しふぎやう)、摂政・関白したまひて二十年ばかりやおはしましけむ。
御諡号、清慎公なり。 御諡号(いみな)、清慎公なり。
 和歌の道にもすぐれおはしまして、後撰にもあまた入れり。 和歌の道にもすぐれおはしまして、後撰(ごせん)にもあまた入りたまへり。
大方、何事にも有識に、御心うるはしくおはします事は、世の人の本にぞひかれさせ給ふ。 凡、何事にも有識(いうそく)に、御心うるはしくおはしますことは、世の人の本(ほん)にぞひかれさせたまふ。
 小野宮の南面には、御髻放ちては出で給ふ事なかりき。 小野宮の南面(みなみおもて)には、御髻放(もとどりはな)ちては出でたまふことなかりき。
そのゆゑは、 そのゆゑは、稲荷(いなり)の杉のあらはに見ゆれば、
「稲荷の杉のあらはに見ゆれば、明神、御覧ずらむに、いかでかなめげにては出でむ」 「明神(みやうじん)、御覧(ごらん)ずらむに、いかでかなめげにては出でむ」
と宣はせて、いみじくつつしませ給ふに、おのづから思し召し忘れぬる折は、御袖をかづきてぞ驚きさわがせ給ひける。 とのたまはせて、いみじくつつしませたまふに、おのづから思(おぼ)し召(め)し忘れぬる折は、御袖(そで)をかづきてぞ驚きさわがせたまひける。
   
   
   
 この大臣の御女子、女御にて失せ給ひにき。  この大臣(おとど)の御女子(をんなご)、女御(にようご)にてうせたまひにき。
村上の御時にや、よくも覚え侍らず。 村上の御時にや、よくも覚えはべらず。
男君は、時平のおとどの御女の腹に、敦敏少将と聞えし、父大臣の御先に隠れ給ひにきかし。 男君(をとこぎみ)は、時平のおとどの御女(むすめ)の腹に、敦敏(あつとし)少将と聞こえし、父大臣(おとど)の御先にかくれたまひにきかし。
さていみじう思し嘆くに、東のかたより、失せ給へりとも知らで、馬を奉りたりければ、大臣、 さていみじう思し嘆くに、東(あづま)のかたより、うせたまへりとも知らで、馬を奉りたりければ、大臣(おとど)、
   
♪30
まだ知らぬ
 人もありけり
 東路に
 我もゆきてぞ
 住むべかりける
 
まだ知らぬ
 人もありけり
 東路(あづまぢ)に
 我もゆきてぞ
 住むべかりける
   
 いとかなしき事なり」 いとかなしきことなり」
とて、目おしのごふに、 とて、目おしのごふに、
世次『大臣の御童名をば、うしかひと申しき。 世次『大臣(おとど)の御童名(わらはな)をば、うしかひと申しき。
されば、その御族は、牛飼を「牛つき」と宣ふなり。 されば、その御族(ぞう)は、牛飼(うしかひ)を「牛つき」とのたまふなり。
   
   
   
 敦敏の少将の子なり、佐理の大弐、世の手書の上手。  敦敏の少将の子なり、佐理(すけまさ)の大弐(だいに)、世の手書(てかき)の上手(じやうず)。
 任はてて上られけるに、伊予国のまへなるとまりにて、日いみじう荒れ、海のおもてあしくて、風恐ろしく吹きなどするを、少しなほりて出でむとし給へば、また同じやうになりぬ。 任はてて上(のぼ)られけるに、伊予国(いよのくに)のまへなるとまりにて、日いみじう荒れ、海のおもてあしくて、風おそろしく吹きなどするを、少しなほりて出でむとしたまへば、また同じやうになりぬ。
かくのみしつつ日頃過ぐれば、いとあやしく思して、もの問ひ給へば、 かくのみしつつ日頃(ひごろ)過(す)ぐれば、いとあやしく思(おぼ)して、もの問ひたまへば、
「神の御祟」 「神の御祟(たたり)」
とのみ言ふに、さるべき事もなし。 とのみ言ふに、さるべきこともなし。
いかなる事にかと、怖れ給ひける夢に見え給ひけるやう、いみじうけだかきさましたる男のおはして、 いかなることにかと、怖(おそ)れたまひける夢に見えたまひけるやう、いみじうけだかきさましたる男(をとこ)のおはして、
「この日の荒れて、日頃ここに経給ふは、おのれがし侍る事なり。 「この日の荒れて、日頃ここに経(へ)たまふは、おのれがしはべることなり。
よろづの社に額のかかりたるに、おのれがもとにしもなきがあしければ、かけむと思ふに、なべての手して書かせむがわろく侍れば、われに書かせ奉らむと思ふにより、この折ならではいつかはとて、とどめ奉りたるなり」 よろづの社(やしろ)に額(がく)のかかりたるに、おのれがもとにしもなきがあしければ、かけむと思ふに、なべての手して書かせむがわろくはべれば、われに書かせたてまつらむと思ふにより、この折ならではいつかはとて、とどめたてまつりたるなり」
と宣ふに、 とのたまふに、
「たれとか申す」 「たれとか申す」
と問ひ申し給へば、 と問ひ申したまへば、
「この浦の三島に侍る翁なり」 「この浦の三島(みしま)にはべる翁(おきな)なり」
と宣ふに、夢のうちにもいみじうかしこまり申すと思すに、おどろき給ひて、またさらにもいはず。 とのたまふに、夢のうちにもいみじうかしこまり申すと思すに、おどろきたまひて、またさらにもいはず。
さて、伊与へわたり給ふに、多くの日荒れつる日ともなく、うらうらとなりて、そなたざまに追風吹きて、飛ぶがごとくまうで着き給ひぬ。 さて、伊与(いよ)へわたりたまふに、多くの日荒れつる日ともなく、うらうらとなりて、そなたざまに追風(おひかぜ)吹きて、飛ぶがごとくまうで着きたまひぬ。
湯度々浴み、いみじう潔斎して、清まはりて、昼の装束して、やがて神の御前にて書き給ふ。 湯度々(たびたび)浴(あ)み、いみじう潔斎(けつさい)して、清(きよ)まはりて、昼(ひ)の装束(さうぞく)して、やがて神の御前(おまへ)にて書きたまふ。
神司ども召し出だして打たせなど、よく法のごとくして帰り給ふに、つゆ怖るる事なく、すゑずゑの船にいたるまで、たひらかに上り給ひにき。 神司(かみづかさ)ども召(め)し出(い)だして打たせなど、よく法(はふ)のごとくして帰りたまふに、つゆ怖(おそ)るることなく、すゑずゑの船にいたるなで、たひらかに上(のぼ)りたまひにき。
わがする事を人間にほめ崇むるだに興ある事にてこそあれ、まして神の御心にさまでほしく思しけむこそ、いかに御心おごりし給ひけむ。 わがすることを人間(にんげん)にほめ崇(あが)むるだに興(きよう)あることにてこそあれ、まして神の御心にさまでほしく思(おぼ)しけむこそ、いかに御心おごりしたまひけむ。
また、おほよそこれにぞ、いとど日本第一の御手のおぼえはとり給へりし。 また、おほよそこれにぞ、いとど日本第一の御手のおぼえはとりたまへりし。
六波羅蜜寺の額も、この大弐の書き給へるなり。 六波羅蜜寺(ろこはらみつじ)の額も、この大弐(だいに)の書きたまへるなり。
されば、かの三島の社の額と、この寺のとは同じ御手に侍り。 されば、かの三島(みしま)の社(やしろ)の額と、この寺のとは同じ御手にはべり。
   
   
   
 御心ばへぞ、懈怠者、少しは如泥人とも聞えつべくおはせし。  御心ばへぞ、懈怠者(けだいしや)、少しは如泥人(じよでいにん)とも聞こえつべくおはせし。
故中関白殿、東三条つくらせ給ひて、御障子に歌絵ども書かせ給ひし色紙形を、この大弐に書かせまし給ひけるを、いたく人さわがしからぬほどに、参りて書かれなばよかりぬべかりけるを、関白殿わたらせ給ひ、上達部、殿上人など、さるべき人々参りつどひて後に、日高く待たれ奉りて参り給ひければ、少し骨なく思し召さるれど、さりとてあるべき事ならねば、書きてまかで給ふに、女装束かづけさせ給ふを、さらでもありぬべく思さるれど、捨つべき事ならねば、そこらの人の中をわけ出でられけるなむ、なほ懈怠の失錯なりける。 故中関白殿(なかのくわんばくどの)、東三条(とうさんでう)つくらせたまひて、御障子(しやうじ)に歌絵(うたゑ)ども書かせたまひし色紙形(しきしがた)を、この大弐に書かせましたまひけるを、いたく人さわがしからぬほどに、まゐりて書かれなばよかりぬべかりけるを、関白殿わたらせたまひ、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)など、さるべき人々まゐりつどひて後(のち)に、日高く待たれたてまつりてまゐりたまひければ、少し骨(こち)なく思(おぼ)し召(め)さるれど、さりとてあるべきことならねば、書きてまかでたまふに、女装束かづけさせたまふを、さらでもありぬべく思さるれど、捨つべきことならねば、そこらの人の中をわけ出でられけるなむ、なほ懈怠の失錯(しつさく)なりける。
「のどかなる今朝、とくもうち参りて書かれなましかば、かからましやは」 「のどかなる今朝(けさ)、とくもうちまゐりて書かれなましかば、かからましやは」
とぞ、皆人も思ひ、みづからも思したりける。 とぞ、皆人(みなひと)も思ひ、みづからも思したりける。
「むげのその道、なべての下藹などにこそ、かやうなる事はせさせ給はめ」 「むげのその道、なべての下藹(げらふ)などにこそ、かやうなることはせさせたまはめ」
と、殿をも謗り申す人々ありけり。 と、殿(との)をも謗(そし)り申す人々ありけり。
   
   
   
 その大弐の御女、いとこの懐平の上衛門督の北の方にておはせし、経任の君の母よ。  その大弐(だいに)の御女(むすめ)、いとこの懐平(やすひら)の上衛門督(うゑもんのかみ)の北の方にておはせし、経任(つねたふ)の君の母よ。
大弐におとらず、女手書にておはすめり。 大弐におとらず、女手書(をんなてかき)にておはすめり。
大弐の御妹は、法住寺のおとどの北の方にておはす。 大弐の御妹は、法住寺(ほふぢゆうじ)のおとどの北の方にておはす。
その御腹の女君は、花山院の御時の弘徽殿の女御、また、入道中納言の御北の方。 その御腹(はら)の女君(をんなぎみ)は、花山院(くわざんゐん)の御時の弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)、また、入道(にふだう)中納言の御北の方。
また、男子は、今の中宮の大夫斎信の卿とぞ申すめる。 また、男子(をのこご)は、今の中宮(ちゆうぐう)の大夫斎信(だいぶただのぶ)の卿(きやう)とぞ申すめる。
   
   
   
 小野宮の大臣の三郎、敦敏の少将の同腹の君、右衛門督までなり給へりし、斎敏とぞ聞えしかし。  小野宮(をののみや)の大臣(おとど)の三郎、敦敏(あつとし)の少将の同腹の君(ぎみ)、右衛門督までなりたまへりし、斎敏(ただとし)とぞ聞こえしかし。
その御男君、播磨守尹文の女の腹に三所おはせし。 その御男君、播磨守尹文(はりまのかみまさぶん)の女の腹に三所(みところ)おはせし。
太郎は高遠の君、大弐にて失せ給ひにき。 太郎は高遠(たかとほ)の君、大弐にてうせたまひにき。
二郎は懐平とて、中納言、右衛門督までなり給へりし。 二郎は懐平(やすひら)とて、中納言・右衛門督までなりたまへりし。
その御男子なり、今の右兵衛督経通の君、また侍従宰相資平の君、今の皇太后宮権大夫にておはすめる。 その御男子なり、今の右兵衛督経通(うひやうゑのかみつねみち)の君、また侍従宰相資平(じじゆうのさいしやうすけひら)の君、今の皇太后宮権大夫(くわうたいごうぐうのごんのだいふ)にておはすめる。
 その斎敏の君の御男子、御祖父小野宮のおとどの御子にし給ひて、実資とつけ奉り給ひて、いみじうかなしうし給ひき。 その斎敏の君の御男子、御祖父(おほぢ)小野宮のおとどの御子にしたまひて、実資(さねすけ)とつけたてまつりたまひて、いみじうかなしうしたまひき。
このおとどの御名の文字なり、 このおとどの御名の文字なり、
「実」文字は。 「実」文字は』
   
   といふほども、あまり才(ざえ)がりたりや。
  「童名(わらはな)は、大学丸(だいがくまろ)とぞつけたりける
その君こそ、今の小野宮の右大臣と申して、いとやむごとなくておはすめり。 『その君こそ、今の小野宮の右大臣と申して、いとやむごとなくておはすめり。
このおとどの、御子なき嘆きをし給ひて、わが御甥の資平の宰相を養ひ給ふめり。 このおとどの、御子なき嘆きをしたまひて、わが御甥(をひ)の資平の宰相を養ひたまふめり。
末に、宮仕人を思しける腹に出でおはしたる男子は、法師にて、内供良円君とておはす。 末に、宮仕人(みやづかへびと)を思(おぼ)しける腹に出でおはしたる男子は、法師にて、内供良円君(ないぐりやうゑんのきみ)とておはす。
また、さぶらひける女房を召しつかひ給ひけるほどに、おのづから生まれ給へりける女君、かくや姫とぞ申しける。 また、さばらひける女房(にようばう)を召しつかひたまひけるほどに、おのづから生まれたまへりける女君、かくや姫(ひめ)とぞ申しける。
この母は頼忠の宰相の乳母子。 この母は頼忠(よりただ)の宰相の乳母子(めのとご)。
 北の方は、花山院の女御、為平式部卿の御女。 北の方は、花山院の女御、為平式部卿(ためひらのしきぶきやう)の御女(むすめ)。
院そむかせ給ひて、道信の中将も懸想し申し給ふに、この殿参り給ひにけるを聞きて、中将の聞え給ひしぞかし、 院そむかせたまひて、道信(みちのぶ)の中将も懸想(けさう)し申したまふに、この殿まゐりたまひにけるを聞きて、中将の聞こえたまひしぞかし、
   
♪31
嬉しきは
 いかばかりかは
 思ふらむ
 憂きは身にしむ
 心地こそすれ
 
うれしきは
 いかばかりかは
 思ふらむ
 憂(う)きは身にしむ
 心地(ここち)こそすれ
   
 この女御、殿に候ひ給ひしなり。 この女御、殿にさぶらひたまひしなり。
   
   この女君、千日(せんにち)の講(こう)おこなひたまふ。
  祐家(すけいえ)中納言の上(うへ)の母なり。
  兼頼(かねより)の中納言北の方にてうせたまひにき。
  おほかに、子かたくおほしましける族(ぞう)にや。
  これも、中宮(ちゆうぐう)の権大夫(ごんのだいぶ)の上も、継子(ままこ)を養ひたまへる。
   
この女君を、小野宮の寝殿の東面に帳たてて、いみじうかしづき据ゑ奉り給ふめり。 この女君を、小野宮(をののみや)の寝殿(しんでん)の東面(ひんがしおもて)に帳(ちやう)たてて、いみじうかしづき据ゑたてまつりたまふめり。
いかなる人か御婿となり給はむとすらむ。 いかなる人か御婿(むこ)となりたまはむとすらむ。
   
   
   
 かの殿は、いみじき隠り徳人にぞおはします。  かの殿は、いみじき隠(こも)り徳人(とくにん)にぞおはします。
故小野宮のそこばくの宝物、荘園は、皆この殿にこそはあらめ。 故小野宮のそこばくの宝物(たからもの)・荘園(しやうゑん)は、皆この殿にこそはあらめ。
殿づくりせられたるさま、いとめでたしや。 殿づくりせられたるさま、いとめでたしや。
対、寝殿、渡殿は例の事なり、辰巳の方に三間四面の御堂たてられて、廻廊は皆、供僧の房にせられたり。 対(たい)・寝殿・渡殿(わたどの)は例のことなり、辰巳(たつみ)の方(はう)に三間四面の御堂(みだう)たてられて、廻廊は皆、供僧(ぐそう)の房(ばう)にせられたり。
湯屋に大きなる鼎二つ塗り据ゑられて、煙立たぬ日なし。 湯屋(ゆや)に大きなる鼎(かなへ)二つ塗(ぬ)り据(す)ゑられて、煙(けぶり)立たぬ日なし。
御堂には、金色の仏多くおはします。 御堂には、金色(こんじき)の仏多くおはします。
供米三十石を、定図におかれて絶ゆる事なし。 供米(くまい)三十石(こく)を、定図(ぢやうづ)におかれて絶ゆることなし。
御堂へ参る道は、御前の池よりあなたをはるばると野につくらせ給ひて、時々の花、紅葉を植ゑ給へり。 御堂へまゐる道は、御前(おまへ)の池よりあなたをはるばると野につくらせたまひて、時々(ときどき)の花・紅葉(もみぢ)を植ゑたまへり。
また舟に乗りて池より漕ぎても参る。 また舟に乗りて池より漕(こ)ぎてもまゐる。
これよりほかに道なし。 これよりほかに道なし。
   
 これよりほかの道なきけにや、心やすきけなし。  これよりほかの道なきけにや、心やすきけなし。
さだめて、三日精進なり。 さだめて、三日精進(かさうじ)なり。
さらずはあへてたひらかに参るべきならず。 さらずはあへてたひらかにまゐるべきならず。
   
住僧にはやむごとなき智者、あるいは持経者、真言師どもなり。 住僧(ぢゆうそう)にはやむごとなき智者(ちしや)、あるいは持経者(ぢきやうじや)・真言師(しんごんし)どもなり。
これに夏冬の法服を賜び、供料をあて賜びて、わが滅罪生善の祈、また姫君の御息災を祈り給ふ。 これに夏冬の法服(ほふぶく)を賜(た)び、供料(くれう)をあて賜びて、わが滅罪生善(めつざいじやうぜん)の祈(いのり)、また姫君の御息災を祈りたまふ。
この小野宮をあけくれつくらせ給ふ事、日に工の七八人絶ゆる事なし。 この小野宮(をののみや)をあけくれつくらせたまふこと、日に工(たくみ)の七八人絶(た)ゆることなし。
世の中に手斧の音する所は、東大寺とこの宮とこそは侍るなれ。 世の中に手斧(てをの)の音する所は、東大寺(とうだいじ)とこの宮とこそははべるなれ。
祖父おほいどのの、とりわき給ひししるしはおはする人なり。 祖父(おほぢ)おほいどのの、とりわきたまひししるしはおはする人なり。
まこと、この御男子は、今の伯耆守資頼と聞ゆめるは、姫君の御一つ腹にあらず、いづれにかありけむ。 まこと、この御男子は、今の伯耆守資頼(ははきのかみすけより)と聞こゆめるは、姫君の御一(ひと)つ腹(ばら)にあらず、いづれにかありけむ。
   
   

一 太政大臣 頼忠よりただ 廉義公れんぎこう

   
 このおとどは、小野宮実頼のおとどの二郎なり。  このおとどは、小野宮実頼(さねより)のおとどの二郎なり。
御母、時平の大臣の御女、敦敏少将の御同腹なり。 御母、時平(ときひら)の大臣の御女(むすめ)、敦敏(あつとし)少将の御同腹(おなじはら)なり。
大臣の位にて十九年、関白にて九年、この生きはめさせ給へる人ぞかし。 大臣の位(くらゐ)にて十九年、関白にて九年、この生(しやう)きはめさせたまへる人ぞかし。
三条よりは北、西洞院より東に住み給ひしかば、三条殿と申す。 三条(さんでう)よりは北、西洞院(にしのとうゐん)より東(ひんがし)に住みたまひしかば、三条殿と申す。
この大臣、いみじくことどもしおき給へる人なり。 この大臣(おとど)、いみじくことどもしおきたまへる人なり。
賀茂詣に、検非違使、車のしりに具すること、また馬の上の随身、左右に四人つがはしむる事も、この殿のしいで給へり。 賀茂詣(かもまうで)に、検非違使(けびゐし)、車のしりに具(ぐ)すること、また馬の上の随身(ずいじん)、左右(さう)に四人つがはしむることも、この殿(との)のしいでたまへり。
古は、物節のかぎり、一人づつありて、府生はなくて侍りしなり。 古(いにしへ)は、物節(もののふし)のかぎり、一人づつありて、府生(ふしやう)はなくてはべりしなり。
一の人おはすなど見ゆる事侍らざりけり。 一(いち)の人(ひと)おはすなど見ゆることはべらざりけり。
必ずかく侍るなりける事なりかし。 必ずかくはべるなりけることなりかし。
あまりよろづしたためあまり給ひて、殿のうちに宵にともしたる油を、またのつとめて、侍に油瓶を持たせて、女房の局までめぐりて、残りたるを返し入れて、また、今日の油にくはへてともさせ給ひけり。 あまりよろづしたためあまりたまひて、殿(との)のうちに宵(よひ)にともしたる油を、またのつとめて、侍(さぶらひ)に油瓶(あぶらがめ)を持たせて、女房(にようばう)の局(つぼね)までめぐりて、残りたるを返し入れて、また、今日の油にくはへてともさせたまひけり。
あまりにうたてある事なりや。 あまりにうたてあることなりや。
   
   
   
 一条院位につかせ給ひしかば、よそ人にて、関白退かせ給ひにき。  一条院位(くらゐ)につかせたまひしかば、よそ人(びと)にて、関白退(の)かせたまひにき。
ただ、おほきおほいどのと申して、四条の宮にこそは、一つに住ませ給ひしか。 ただ、おほきおほいどのと申して、四条(しでう)の宮(みや)にこそは、一つに住ませたまひしか。
それに、この前の師殿は、時の一の人の御孫にて、えもいはずはなやぎ給ひしに、六条殿の御婿にておはせしかば、つねに西洞院のぼりに歩き給ふを、こと人ならばこと方よりよきてもおはすべきを、大后、太政大臣のおはします前を、馬にてわたり給ふ。 それに、この前(さき)の師殿(そちどの)は、時の一(いち)の人(ひと)の御孫(まご)にて、えもいはずはなやぎたまひしに、六条殿(ろくでうどの)の御婿(むこ)にておはせしかば、つねに西洞院(にしのとうゐん)のぼりに歩(あり)きたまふを、こと人(ひと)ならばこと方(かた)よりよきてもおはすべきを、大后(おほきさき)・太政大臣のおはします前を、馬にてわたりたまふ。
おほきおほいどのいとやすからず思せども、いかがはせさせ給はむ。 おほきおほいどのいとやすからず思(おぼ)せども、いかがはせさせたまはむ。
なほいかやうにてかとゆかしく思して、中門の北廊の連子よりのぞかし給へば、いみじうはやる馬にて、御紐おしのけて、雑色二三十人ばかりに、先いと高くおはせて、うち見いれつつ、馬の手綱ひかへて、扇高くつかひて通り給ふを、あさましく思せど、なかなかなる事なれば、こと多くも宣はで、ただ、 なほいかやうにてかとゆかしく思して、中門(ちゆうもん)の北廊(きたのらう)の連子(れんじ)よりのぞかしたまへば、いみじうはやる馬にて、御紐(ひも)おしのけて、雑色(ざふしき)二三十人ばかりに、先(さき)いと高くおはせて、うち見いれつつ、馬の手綱(たづな)ひかへて、扇(あふぎ)高くつかひて通りたまふを、あさましく思せど、なかなかなることなれば、こと多くものたまはで、ただ、
「なさけなげなる男にこそありけれ」 「なさけなげなる男(をのこ)にこそありけれ」
とばかりぞ申し給ひける。 とばかりぞ申したまひける。
非常の事なりや。 非常(ひじやう)のことなりや。
さるは、師中納言殿の上の六条殿の姫君は、母は三条殿の御女におはすれば、御孫ぞかし。 さるは、師中納言殿(そちのちゆうなごんどの)の上(うへ)の六条殿(ろくでうどの)の姫君は、母は三条殿の御女におはすれば、御孫ぞかし。
されば、人よりは参りつかまつりだにこそし給ふばかりしか。 されば、人よりはまゐりつかまつりだにこそしたまふばかりしか。
この頼忠のおとど、一の人にておはしまししかど、御直衣にて内に参り給ふ事侍らざりき。 この頼忠(よりただ)のおとど、一(いち)の人(ひと)にておはしまししかど、御直衣(なほし)にて内(うち)にまゐりたまふことはべらざりき。
奏せさせ給ふべき事ある折は、布袴にてぞ参り給ふ。 奏(そう)せさせたまふべきことある折は、布袴(ほうこ)にてぞまゐりたまふ。
さて、殿上に候はせ給ふ。 さて、殿上(てんじやう)にさぶらはせたまふ。
年中行事の御障子のもとにて、さるべき職事蔵人などしてぞ、奏せさせ給ひ、承り給ひける。 年中行事(ねんちゆうぎやうじ)の御障子(さうじ)のもとにて、さるべき職事蔵人(しきじくらうど)などしてぞ、奏せさせたまひ、うけたまはりたまひける。
また、ある折は、鬼間の帝出でしめ給ひて、召しある折ぞ参り給ひし。 また、ある折は、鬼間(おにのま)の帝(みかど)出でしめたまひて、召しある折ぞまゐりたまひし。
関白し給へど、よその人におはしましければにや。 関白したまへど、よその人におはしましければにや。
   
   
   
 故中務卿代明親王御女の腹に、御女二人、男子一人おはしまして、大姫君は、円融院の御時の女御にて、天元五年三月十一日に后にたち給ひ、中宮と申しき。  故中務卿代明(こなかつかさきやうよあきら)親王御女の腹に、御女二人・男子一人おはしまして、大姫君(おほひめぎみ)は、円融院(ゑんゆうゐん)の御時の女御(にようご)にて、天元(てんげん)五年三月十一日に后(きさき)にたちたまひ、中宮(ちゆうぐう)と申しき。
御年二十六。 御年二十六。
御子おはせず。 御子(みこ)おはせず。
四条の宮とぞ申すめりし。 四条(しでう)の宮とぞ申すめりし。
いみじき有心者、有識にぞいはれ給ひし。 いみじき有心者(うしんじや)・有識(いうぞく)にぞいはれたまひし。
功徳も御祈も如法に行はせ給ひし。 功徳(くどく)も御祈(いのり)も如法(によほふ)に行はせたまひし。
毎年の季御読経なども、つねの事とも思し召したらず、四日がほど、二十人の僧を、房のかざりめでたくて、かしづき据ゑさせ給ひ、湯あむし、斎などかぎりなく如法に供養せさせ給ひ、御前よりも、とりわきさるべきものども出でさせ給ふ。 毎年の季御読経(きのみどきやう)なども、つねのこととも思(おぼ)し召(め)したらず、四日がほど、二十人の僧を、房(ばう)のかざりめでたくて、かしづき据ゑさせたまひ、湯あむし、斎(とき)などかぎりなく如法に供養(くやう)せさせたまひ、御前(おまへ)よりも、とりわきさるべきものども出でさせたまふ。
御みづから清き御衣奉り、かぎりなくきよまはらせ給ひて、僧に賜ぶものどもは、まづ御前にとり据ゑさせて置かせ給ひて後につかはしける。 御みづから清き御衣(おんぞ)奉り、かぎりなくきよまはらせたまひて、僧に賜(た)ぶものどもは、まづ御前にとり据ゑさせて置かせたまひて後(のち)につかはしける。
恵心の僧都の頭陀行せられける折に、京中こぞりて、いみじき御斎を設けつつ参りしに、この宮には、うるはしくかねの御器ども失せ給へりしかば、 恵心(ゑしん)の僧都(そうづ)の頭陀行(づだぎやう)せられける折に、京中こぞりて、いみじき御斎(とき)を設(まう)けつつまゐりしに、この宮には、うるはしくかねの御器(ごき)どもうせたまへりしかば、
「かくてあまり見苦し」 「かくてあまり見ぐるし」
とて、僧都は迄食とどめ給ひてき。 とて、僧都は迄食(こつじき)とどめたまひてき。
   
 いま一所の姫君、花山院の御時の女御にて、四条宮に尼にておはしますめり。  いま一所(ひとところ)の姫君(ひめぎみ)、花山院(くわさんゐん)の御時の女御(にようご)にて、四条宮に尼にておはしますめり。
 やがて后、女御の一つ腹の男君、ただ今の按察大納言公任卿と申す。  やがて后・女御の一(ひと)つ腹(ばら)の男君、ただ今の按察大納言公任(あぜちのだいなごんきんたふ)卿と申す。
小野宮の御孫なればにや、和歌の道すぐれ給へり。 小野宮(をののみや)の御孫(むまご)なればにや、和歌の道すぐれたまへり。
世にはづかしく心にくきおぼえおはす。 世にはづかしく心にくきおぼえおはす。
その御女、ただ今の内大臣の北の方にて、年頃多くの君たちうみつづけ給へりつる、去年の正月に失せ給ひて、大納言よろづを知らず、思し嘆く事限りなし。 その御女(むすめ)、ただ今の内大臣の北の方にて、年頃(としごろ)多くの君たちうみつづけたまへりつる、去年(こぞ)の正月にうせたまひて、大納言よろづを知らず、思し嘆くことかぎりなし。
また、男君一人ぞおはする。 また、男君一人ぞおはする。
左大弁定頼の君、若殿上人の中に、心あり、歌なども上手にておはすめり。 左大弁定頼(さだいべんさだより)の君、若殿上人(わかてんじやうびと)の中に、心あり、歌なども上手(じやうず)にておはすめり。
母北の方いとあてにおはすかし。 母北の方いとあてにおはすかし。
村上の九宮の御女、多武峯の入道少将、まちをさ君の御女の腹なり。 村上の九宮の御女(むすめ)、多武峯(たむのみね)の入道(にふだうの)少将、まちをさ君(ぎみ)の御女の腹(はら)なり。
内大臣殿の上も、この弁の君も、されば御なからひいとやむごとなし。 内大臣殿の上(うへ)も、この弁の君も、されば御なからひいとやむごとなし。
   
   
   
 この大納言殿、無心の事一度ぞ宣へるや。  この大納言殿、無心(むしん)のこと一度ぞのたまへるや。
御妹の四条宮の、后にたち給ひて、初めて入内し給ふに、洞院のぼりにおはしませば、東三条の前をわたらせ給ふに、大入道殿も、故女院も胸痛く思し召しけるに、按察大納言は后の御せうとにて、御心地のよく思されけるままに、御馬をひかへて、 御妹の四条宮(しでうのみや)の、后(きさき)にたちたまひて、初めて入内(じゆだい)したまふに、洞院(とうゐん)のぼりにおはしませば、東三条(とうさんでう)の前をわたらせたまふに、大入道殿(おほにふだうどの)も、故女院(にようゐん)も胸痛く思(おぼ)し召(め)しけるに、按察(あぜちの)大納言は后の御せうとにて、御心地(ここち)のよく思されけるままに、御馬をひかへて、
「この女御は、いつか后にはたち給ふらむ」 「この女御は、いつか后にはたちたまふらむ」
と、うち見入れて宣へりけるを、殿をはじめ奉りて、その御族やすからず思しけれど、男宮おはしませば、たけくぞ。 と、うち見入れてのたまへりけるを、殿(との)をはじめたてまつりて、その御族(ぞう)やすからず思しけれど、男宮(をのこみや)おはしませば、たけくぞ。
よその人々も、 よその人々も、
「益なくも宣ふかな」 「益(やく)なくものたまふかな」
と聞き給ふ。 と聞きたまふ。
一条院、位につき給へば、女御、后にたち給ひて入内し給ふに、大納言、啓の将につかまつり給へるに、出車より扇をさし出だして、 一条院(いちでうゐん)、位(くらゐ)につきたまへば、女御、后にたちたまひて入内したまふに、大納言、啓の将(すけ)につかまつりたまへるに、出車(いだしぐるま)より扇をさし出(い)だして、
「やや、もの申さむ」 「やや、もの申さむ」
と、女房の聞えければ、 と、女房(にようばう)の聞こえければ、
「何事にか」 「何事にか」
とて、うち寄り給へるに、進内侍、顔をさし出でて、 とて、うち寄りたまへるに、進内侍(しんのないし)、顔をさし出でて、
「御妹の素腹の后は、いづくにかおはする」 「御妹の素腹(すばら)の后は、いづくにかおはする」
と聞えかけたりけるに、 と聞こえかけたりけるに、
「先年の事を思ひおかれたるなり。 「先年のことを思ひおかれたるなり。
自らだいかがとおぼえつる事なれば、道理なり。 自(みづか)らだいかがとおぼえつることなれば、道理なり。
なくなりぬる身にこそとこそおぼえしか」 なくなりぬる身にこそとこそおぼえしか」
とこそ宣ひけれ。 とこそのたまひけれ。
されど、人柄しよろづによくなり給ひぬれば、ことにふれて捨てられ給はず、かの内侍のとがなるにてやみにき。 されど、人柄しよろづによくなりたまひぬれば、ことにふれて捨てられたまはず、かの内侍のとがなるにてやみにき。
   
  [六〇] 公任卿、大井川三船の誉れ
   
 ひととせ、入道殿の大井川に逍遥せさせ給ひしに作文の船、管絃の船、和歌の船と分たせ給ひて、その道にたへたる人々を乗せさせ給ひしに、この大納言の参り給へるを、入道殿、  ひととせ、入道殿の大井川(おほいがは)に逍遥(せうえう)せさせたまひしに作文(さくもん)の船(ふね)・管絃(くわんげん)の船・和歌の船と分(わか)たせたまひて、その道にたへたる人々を乗せさせたまひしに、この大納言のまゐりたまへるを、入道殿、
「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」 「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき」
と宣はすれば、 とのたまはすれば、
「和歌の船に乗り侍らむ」 「和歌の船に乗りはべらむ」
と宣ひて、詠み給へるぞかし、 とのたまひて、よみたまへるぞかし、
   
♪32
をぐら山
 あらしの風の
 さむければ
 もみぢの錦
 きぬ人ぞなき
 
をぐら山
 あらしの風の
 さむければ
 もみぢの錦(にしき)
 きぬ人ぞなき
   
 申しうけ給へるかひありてあそばしたりな。 申しうけたまへるかひありてあそばしたりな。
御みづからも、宣ふなるは、 御みづからも、のたまふなるは、
「作文のにぞ乗るべかりける。 「作文のにぞ乗るべかりける。
さてかばかりの詩をつくりたらましかば、名のあがらむ事もまさりなまし。 さてかばかりの詩をつくりたらましかば、名のあがらむこともまさりなまし。
口惜しかりけるわざかな。 口惜(くちを)しかりけるわざかな。
さても、殿の、『いづれにかと思ふ』と宣はせしになむ、我ながら心おごりせられし」 さても、殿(との)の、『いづれにかと思ふ』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし」
と宣ふなる。 とのたまふなる。
一事のすぐるだにあるに、かくいづれの道もぬけ出で給ひけむは、いにしへも侍らぬ事なり。 一事(ひとこと)のすぐるだにあるに、かくいづれの道もぬけ出でたまひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
   
 大臣、永祚元年六月二十六日に、失せ給ひて、贈正一位になり給ふ。  大臣(おとど)、永祚(えいそ)元年六月二十六日に、うせたまひて、贈正(ぞうじやう)一位になりたまふ。
廉義公とぞ申しける。 廉義公とぞ申しける。
この大臣の末、かくなり。 この大臣(おとど)の末、かくなり。
   
   

一 左大臣 師尹もろまさ

   
 この大臣、忠平のおとどの五郎、小一条の大臣と聞えさせ給ふめり。 この大臣(おとど)、忠平のおとどの五郎、小一条(こいちでう)の大臣(おとど)と聞えさせたまふめり。
御母、九条殿に同じ。 御母、九条殿に同じ。
大臣の位にて三年。 大臣の位にて三年。
左大臣にうつり給ふ事、西宮殿、筑紫へ下り給ふ御替なり。 左大臣にうつりたまふこと、西宮殿(にしのみやどの)、筑紫へ下りたまふ御替(かはり)なり。
その御事の乱れは、小一条の大臣のいひ出で給へるとぞ、世の人聞えし。 その御ことのみだれは、小一条の大臣(おとど)のいひ出でたまへるとぞ、世の人聞えし。
さて、その年も過さず失せ給ふ事をこそ申すめりしか。 さて、その年も過(すぐ)さずうせたまふことをこそ申すめりしか。
それもまことにや。 それもまことにや。
   
   
   
御娘、村上の御時の宣耀殿の女御、かたちをしげにうつくしうおはしけり。 御娘(むすめ)、村上の御時の宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)、かたちをしげにうつくしうおはしけり。
内へ参り給ふとて、御車に奉り給ひければ、わが御身は乗り給ひけれど、御ぐしのすそは、母屋の柱のもとにぞおはしける。 内(うち)へまゐりたまふとて、御車(みくるま)にたてまつりたまひければ、わが御身は乗りたまひけれど、御(み)ぐしのすそは、母屋(もや)の柱のもとにぞおはしける。
一筋をみちのくにがみに置きたるに、いかにもすき見えずとぞ申し伝へためる。 一筋(すぢ)をみちのくにがみに置きたるに、いかにもすき見えずとぞ申し伝へためる。
御目のしりの少しさがり給へるが、いとどらうたくおはするを、帝、いとかしこくときめかせさせ給ひて、かく仰せられけるとか、 御目のしりの少しさがりたまへるが、いとどらうたくおはするを、帝(みかど)、いとかしこくときめかせさせたまひて、かく仰(おほ)せられけるとか、
   
♪33
生きての生
 死にてののちの
 後の世も
 はねをかはせる
 鳥となりなむ
 
生きての生
 死にてののちの
 後(のち)の世も
 はねをかはせる
 鳥となりなむ
   
 御返し、女御、 御返し、女御(にようご)、
   
♪34
秋になる
 ことの葉だにも
 かはらずは
 われもかはせる
 枝となりなむ
 
秋になる
 ことの葉だにも
 かはらずは
 われもかはせる
 枝となりなむ
   
 古今うかべ給へりと聞かせ給ひて、帝、こころみに本をかくして、女御には見せさせ給はで、 古今うかべたまへりと聞かせたまひて、帝、こころみに本(ほん)をかくして、女御には見せさせたまはで、
「やまとうたは」 「やまとうたは」
とあるをはじめにて、まへの句の事ばを仰せられつつ、問はせ給ひけるに、いひたがへ給ふ事、詞にても歌にてもなかりけり。 とあるをはじめにて、まへの句のことばを仰せられつつ、問はせたまひけるに、いひたがへたまふこと、詞(ことば)にても歌にてもなかりけり。
かかる事なむと、父大臣は聞き給ひて、御装束して、手洗ひなどして、所々に誦経などし、念じ入りてぞおはしける。 かかることなむと、父大臣(おとど)は聞きたまひて、御装束(しやうぞく)して、手洗(あら)ひなどして、所々(ところどころ)に誦経(ずきやう)などし、念じ入りてぞおはしける。
帝、箏の琴をめでたくあそばしけるも、御心にいれてをしへなど、かぎりなくときめき給ふに、冷泉院の御母后失せ給ひてこそ、なかなかこよなく覚え劣り給へりとは聞え給ひしか。 帝、箏(しやう)の琴(こと)をめでたくあそばしけるも、御心(みこころ)にいれてをしへなど、かぎりなくときめきたまふに、冷泉院の御母后(ははきさき)うせたまひてこそ、なかなかこよなく覚え劣りたまへりとは聞えたまひしか。
「故宮のいみじうめざましく、やすらかぬものに思したりしかば、思ひ出づるに、いとほしく、くやしきなり」 「故宮(こみや)のいみじうめざましく、やすらかぬものに思(おぼ)したりしかば、思ひ出づるに、いとほしく、くやしきなり」
とぞ仰せられける。 とぞ仰(おほ)せられける。
   
 この女御の御腹に、八の宮とて男親王一人生れ給へり。  この女御の御腹に、八の宮とて男親王(をとこみこ)一人生れたまへり。
御かたちなどは清げにおはしけれど、御心きはめたる白物とぞ、聞き奉りし。 御かたちなどは清げにおはしけれど、御心きはめたる白物(しれもの)とぞ、聞きたてまつりし。
世の中のかしこき帝の御ためしに、もろこしには堯、舜の帝と申し、この国には延喜、天暦とこそは申すめれ。 世の中のかしこき帝(みかど)の御ためしに、もろこしには堯(げう)・舜(しゆん)の帝と申し、この国には延喜(えんぎ)・天暦(てんりやく)とこそは申すめれ。
延喜とは醍醐の先帝、天暦とは村上の先帝の御事なり。 延喜とは醍醐の先帝(せんだい)、天暦とは村上の先帝の御ことなり。
その帝の御子、小一条の大臣の御孫にて、しかしれ給へりける、いとどあやしき事なりかし。 その帝の御子(みこ)、小一条(こいちでう)の大臣(おとど)の御孫(まご)にて、しかしれたまへりける、いとどあやしきことなりかし。
   
    この大臣は、法興院の大臣の御五男、御母、従四位上摂津守右京大夫藤原中正朝臣の女なり。その朝臣は従二位中納言山蔭卿の七男なり。この道長のおとどは、今の入道殿下これにおはします。
   
   
   
その母女御の御せうと、済時の左大将と申しし、長徳元年己未四月二十三日失せ給ひにき。御年五十五。 その母女御の御せうと、済時(なりとき)の左大将と申(ま)しし、長徳(ちやうとく)元年己未(つちのとひつじ)四月二十三日うせたまひにき、御年五十五。
この大将は、父大臣よりも御心ざまわづらはしく、くせぐせしきおぼえまさりて、名聞になどぞおはせし。 この大将は、父大臣よりも御心(こころ)ざまわづらはしく、くせぐせしきおぼえまさりて、名聞(みやうもん)になどぞおはせし。
御妹の女御殿に、村上の、琴をしへさせ給ひける御前に候ひ給ひて、聞き給ふほどに、おのづから、われもその道の上手に、人にも思はれ給へりしを、おぼろげにて心よくならし給はず、さるべき事の折も、せめてそそのかされて、もの一つばかりかきあはせなどし給ひしかば、 御妹の女御(にようご)殿に、村上の、琴をしへさせたまひける御前(おまへ)にさぶらひたまひて、聞きたまふほどに、おのづから、われもその道の上手(しやうず)に、人にも思はれたまへりしを、おぼろげにて心よくならしたまはず、さるべきことの折も、せめてそそのかされて、もの一つばかりかきあはせなどしたまひしかば、
「あまりけにくし」 「あまりけにくし」
と、人にもいはれ給ひき。 と、人にもいはれたまひき。
人の奉りたる贄などいふものは、御前の庭にとりおかせ給ひて、夜は贄殿に納め、昼はまたもとのやうにとり出でつつ置かせなど、また人の奉りかふるまでは置かせ給ひて、とり動ごかす事はせさせ給はぬ、あまりやさしき事なりな。 人の奉りたる贄(にへ)などいふものは、御前(おまえ)の庭にとりおかせたまひて、夜(よる)は贄殿(にへどの)に納(をさ)め、昼はまたもとのやうにとり出でつつ置かせなど、また人の奉りかふるまでは置かせたまひて、とりうごかすことはせさせたまはぬ、あまりやさしきことなりな。
人などの参るにも、かくなむと見せ給ふ料なめり。 人などのまゐるにも、かくなむと見せたまふ料(れう)なめり。
昔人はさる事をよきにはしければ、そのままの有様をせさせ給ふとぞ。 昔人(むかしびと)はさることをよきにはしければ、そのままの有様(ありさま)をせさせたまふとぞ。
   
   
   
かくやうにいみじう心ありて思したりしほどよりは、よしなしごとし給へりとぞ、人にいはれ給ふめりし。 かくやうにいみじう心ありて思(おほ)したりしほどよりは、よしなしごとしたまへりとぞ、人にいはれたまふめりし。
御甥の八の宮に大饗せさせ奉り給ひて、上戸におはすれば、人々酔はしてあそばむなど思して、 御甥(をひ)の八の宮に大饗(たいきやう)せさせたてまつりたまひて、上戸(じやうご)におはすれば、人々酔(ゑ)はしてあそばむなど思して、
「さるべき上達部たちとく出づるものならば、『しばし』など、をかしきさまにとどめさせ給へ」 「さるべき上達部(かんだちめ)たちとく出づるものならば、『しばし』など、をかしきさまにとどめさせたまへ」
と、よくをしへ申させ給へりけり。 と、よくをしへまうさせたまへりけり。
さこそ人がらあやしくしれ給へれど、やむごとなき親王の大事にし給ふ事なれば、人々あまた参りたりしも古体なりかし。 さこそ人がらあやしくしれたまへれど、やむごとなき親王(みこ)の大事(だいじ)にしたまふことなれば、人々あまたまゐりたりしも古体(こたい)なりかし。
されど、公事さしあはせたる日なれば、いそぎ出で給ふに、まことさる事ありつ、と思し出でて、大将の御方をあまたたび見やらせ給ふに、目をくはせ給へば、御おもていと赤くなりて、とみにえうち出でさせ給はず、ものも仰せられで、にはかにおびゆるやうに、おどろおどろしくあららかに、人々の上の衣の片袂落ちぬばかり、とりかからせ給ふに、参りと参る上達部は、末の座まで見合せつつ、えしづめずやありけむ、顔けしきかはりつつ、とりあへずことにことをつけつつなむ急ぎ立ちぬ。 されど、公事(おほやけごと)さしあはせたる日なれば、いそぎ出でたまふに、まことさることありつ、と思し出でて、大将の御方をあまたたび見やらせたまふに、目をくはせたまへば、御おもていと赤くなりて、とみにえうち出でさせたまはず、ものも仰(おほ)せられで、にはかにおびゆるやうに、おどろおどろしくあららかに、人々の上(うへ)の衣(きぬ)の片袂(かたもと)落ちぬばかり、とりかからせたまふに、まゐりとまゐる上達部(かんだちめ)は、末の座まで見合せつつ、えしづめずやありけむ、顔けしきかはりつつ、とりあへずことにことをつけつつなむ急ぎ立ちぬ。
この入道殿などは、若殿上人にておはしましけるほどなれば、ことすゑにてよくも御覧ぜざりけり。 この入道殿(にふだうどの)などは、若殿上人(わかてんじやうびと)にておはしましけるほどなれば、ことすゑにてよくも御覧(ごらん)ぜざりけり。
「ただ人々のほほゑみて出で給ひしをぞ見し」 「ただ人々のほほゑみて出でたまひしをぞ見し」
とぞ、この頃、をかしかりし事に語り給ふなる。 とぞ、この頃、をかしかりしことに語りたまふなる。
大将は、 大将は、
「なにせむにかかる事をせさせ奉りて、また、しか宣へとも、をしへ聞えさせつらむ」 「なにせむにかかることをせさせたてまつりて、また、しかのたまへとも、をしへきこえさせつらむ」
と、くやしく思すに、御色も青くなりてぞおはしける。 と、くやしく思(おぼ)すに、御色も青くなりてぞおはしける。
まことに、親王をば、もとよりさる人と知り申したれば、これをしも、謗り申さず、この殿をぞ、 まことに、親王(みこ)をば、もとよりさる人と知りまうしたれば、これをしも、謗(そし)りまうさず、この殿(との)をぞ、
「かかる御心を見る見る、せめてならであるべき事ならぬに、かく見苦しき御有様を、あまた人に見せ聞え給へること」 「かかる御心を見る見る、せめてならであるべきことならぬに、かく見ぐるしき御有様を、あまた人に見せきこえたまへること」
とぞ、謗り申しし。 とぞ、謗りまうしし。
いみじき心ある人と世覚えおはせし人の、口惜しき辱号とり給へるよ。 いみじき心ある人と世覚えおはせし人の、口惜(くちを)しき辱号(ぞくがう)とりたまへるよ。
   
   
   
この殿の御北の方にては、枇杷の大納言延光の御女ぞおはする。 この殿の御北の方にては、枇杷(びわ)の大納言延光(のぶみつ)の御女(むすめ)ぞおはする。
女君二所、男君二人ぞおはせし。 女君二所(ふたところ)・男君二人ぞおはせし。
女君は、三条院の東宮にておはしましし折の女御にて、宣耀殿と申して、いと時におはしましし。 女君は、三条院の東宮(とうぐう)にておはしましし折の女御(にようご)にて、宣耀殿と申して、いと時におはしましし。
男親王四所、女宮二人、生れ給へりしほどに、東宮、位につかせ給ひてまたの年、長和元年四月二十八日、后にたち給ひて、皇后宮と申す。 男親王(をとこみこ)四所(よところ)・女宮二人、生れたまへりしほどに、東宮、位につかせたまひてまたの年、長和(ちやうわ)元年四月二十八日、后(きさき)にたちたまひて、皇后宮と申す。
また、いま一所の女君は、父殿失せ給ひにし後、御心わざに、冷泉院の四の親王、師の宮と申す御上にて、二三年ばかりおはせしほどに、宮、和泉式部に思しうつりにしかば、本意なくて、小一条に帰らせ給ひにし後、この頃、聞けば、心えぬ有様の、ことのほかなるにてこそおはすなれ。 また、いま一所の女君は、父殿(ちちとの)うせたまひにし後(のち)、御心(こころ)わざに、冷泉院の四(し)の親王(みこ)、師(そち)の宮(みや)と申す御上(うへ)にて、二三年ばかりおはせしほどに、宮、和泉式部(いづみしきぶ)に思しうつりにしかば、本意(ほい)なくて、小一条に帰らせたまひにし後(のち)、この頃、聞けば、心えぬ有様の、ことのほかなるにてこそおはすなれ。
   
   
   
この殿の御おもておこし給ふは、皇后宮におはしましき。 この殿の御おもておこしたまふは、皇后宮におはしましき。
この宮の御腹の一の親王敦明の親王とて、式部卿と申ししほどに、長和四年正月二十九日、三条院おりさせ給へば、この式部卿、東宮にたたせ給ひにき。 この宮の御腹の一の親王(みこ)敦明(あつあきら)の親王とて、式部卿(しきぶきやう)と申ししほどに、長和四年正月二十九日、三条院おりさせたまへば、この式部卿、東宮にたたせたまひにき。
御年二十三。 御年二十三。
ただし、道理ある事と、皆人思ひ申ししほどに、二年ばかりありて、いかが思し召しけむ、宮たちと申しし折、よろづに遊びならはせ給ひて、うるはしき御有様いとくるしく、いかでかからでもあらばや、と思しなられて、皇后宮に、 ただし、道理あることと、皆人思ひまうししほどに、二年ばかりありて、いかが思(おぼ)し召(め)しけむ、宮たちと申しし折、よろづに遊びならはせたまひて、うるはしき御有様いとくるしく、いかでかからでもあらばや、と思しなられて、皇后宮に、
「かくなむ思ひ侍る」 「かくなむ思ひはべる」
と申させ給ふを、 と申させたまふを、
「いかでかは、げにさもとは思さむずる。 「いかでかは、げにさもとは思さむずる。
すべてあさましく、あるまじきこと」 すべてあさましく、あるまじきこと」
のみ諌め申させ給ふに、思しあまりて、入道殿に御消息ありければ、参らせ給へるに、御物語こまやかにて、 のみ諌(いさ)めまうさせたまふに、思しあまりて、入道殿に御消息(せうそこ)ありければ、まゐらせたまへるに、御物語こまやかにて、
「この位去りて、ただ心やすくてあらむとなむ思ひ侍る」 「この位去りて、ただ心やすくてあらむとなむ思ひはべる」
と聞えさせ給ひければ、 と聞えさせたまひければ、
「さらにさらにうけ給はらじ。 「さらにさらにうけたまはらじ。
さは、三条院の御末はたえねと思し召し、おきてさせ給ふか。 さは、三条院の御末はたえねと思し召し、おきてさせたまふか。
いとあさましくかなしき御事なり。 いとあさましくかなしき御ことなり。
かかる御心のつかはせ給ふは、ことごとならじ、ただ冷泉院の御物の怪などの思はせ奉るなり。 かかる御心のつかはせたまふは、ことごとならじ、ただ冷泉院の御物(もの)の怪(け)などの思はせたてまつるなり。
さ思し召すべきぞ」 さ思し召すべきぞ」
と啓し給ふに、 と啓(けい)したまふに、
「さらば、ただ本意ある出家にこそはあなれ」 「さらば、ただ本意(ほい)ある出家(すけ)にこそはあなれ」
と宣はするに、 とのたまはするに、
「さまで思し召す事なれば、いかがはともかくも申さむ。 「さまで思し召すことなれば、いかがはともかくも申さむ。
内に奏し侍りてを」 内(うち)に奏しはべりてを」
と申させ給ふ折にぞ、御けしきいとよくならせ給ひにける。 と申させたまふ折にぞ、御けしきいとよくならせたまひにける。
   
   
   
さて、殿、内に参り給ひて、大宮にも申させ給ひければ、いかがは聞かせ給ひけむな。 さて、殿(との)、内(うち)にまゐりたまひて、大宮(おほみや)にも申させたまひければ、いかがは聞かせたまひけむな。
このたびの東宮には式部卿の宮をとこそは思し召すべけれど、一条院の、 このたびの東宮には式部卿(しきぶきやう)の宮をとこそは思し召すべけれど、一条院の、
「はかばかしき御後見なければ、東宮に当代を奉るなり」 「はかばかしき御後見(うしろみ)なければ、東宮に当代(たうだい)をたてまつるなり」
と仰せられしかば、これも同じ事なりと思し定めて、寛仁元年八月五日こそは、九つにて、三の宮、東宮に立たせ給ひて、同じ月の二十三日にこそは、壺切といふ太刀は、内より持て参りしか。 と仰(おほ)せられしかば、これも同じことなりと思しさだめて、寛仁(くわんにん)元年八月五日こそは、九つにて、三の宮、東宮にたたせたまひて、同じ月の二十三日にこそは、壺切(つぼきり)といふ太刀(たち)は、内より持(も)てまゐりしか。
当代位につかせ給ひければ、すなはち東宮にも参るべかりしを、しかるべきにやありけむ、とかくさはりて、この年頃、内の納殿に候ひつるぞかし。 当代位につかせたまひければ、すなはち東宮にもまゐるべかりしを、しかるべきにやありけむ、とかくさはりて、この年頃(としごろ)、内(うち)の納殿(をさめどの)にさぶらひつるぞかし。
寛仁三年八月二十八日、御年十一にて、御元服せさせ給ひしか。 寛仁三年八月二十八日、御年十一にて、御元服せさせたまひしか。
前の東宮をば小一条院と申す。 前(まへ)の東宮をば小一条院(こいちでうゐん)と申す。
今の東宮の御有様、申すかぎりなし。 今の東宮の御有様、申すかぎりなし。
つひの事とは思ひながら、ただいまかくとは思ひかけざりし事なりかし。 つひのこととは思ひながら、ただいまかくとは思ひかけざりしことなりかし。
   
   
   
小一条院、わが御心と、かく退かせ給へる事は、これをはじめとす。 小一条院、わが御心(みこころ)と、かく退(の)かせたまへることは、これをはじめとす。
世はじまりて後、東宮の御位とり下げられ給へる事は、九代ばかりにやなりぬらむ。 世はじまりて後(のち)、東宮の御位とり下(さ)げられたまへることは、九代ばかりにやなりぬらむ。
中に法師東宮おはしけるこそ、失せ給ひて後に、贈太上天皇と申して、六十余国にいはひすゑられ給へれ。 中に法師(ほふし)東宮(とうぐう)おはしけるこそ、うせたまひて後(のち)に、贈太上(ぞうだいじやう)天皇と申して、六十余国にいはひすゑられたまへれ。
公家にも知ろしめして、官物のはつをさき奉らせ給ふめり。 公家(おほやけ)にも知ろしめして、官物(くわんもつ)のはつをさき奉らせたまふめり。
この院のかく思し立ちぬる事、かつは殿下の御報の早くおはしますにおされ給へるなるべし。 この院のかく思(おぼ)したちぬること、かつは殿下(でんか)の御報(ごはう)の早くおはしますにおされたまへるなるべし。
また多くは元方の民部卿の霊のつかうまつるなり。 また多くは元方(もとかた)の民部卿(みんぶきやう)の霊(りやう)のつかうまつるなり」
 と言へば、 といへば、
〔侍〕 侍(さぶらひ)、
それもさるべきなり。 「それもさるべきなり。
このほどの御事どもこそ、ことのほかに変りて侍れ。 このほどの御ことどもこそ、ことのほかに変りて侍れ。
なにがしは、いとくはしくうけ給はる事侍るものを。 なにがしは、いとくはしくうけたまはること侍るものを」
 と言へば、世次、 といへば、世次、
〔世次〕さも侍るらむ。 「さも侍るらむ。
伝はりぬる事は、いでいでうけ給はらばや。 伝はりぬることは、いでいでうけたまはらばや。
ならひにしことなれば、もののなほ聞かまほしく侍るぞ。 ならひにしことなれば、もののなほ聞かまほしくはべるぞ」
 といふ。 といふ。
興ありげに思ひたれば、 興(きよう)ありげに思ひたれば、
〔侍〕ことの様体は、三条院のおはしましけるかぎりこそあれ、失せさせ給ひにける後は、世の常の東宮のやうにもなく、殿上人参りて、御遊びせさせ給ひや、もてなしかしづき申す人などもなく、いとつれづれに、まぎるるかたなく思し召されけるままに、心やすかりし御有様のみ恋しく、ほけほけしきまでおぼえさせ給ひけれど、三条院おはしましつるかぎりは、院の殿上人も参りや、御使もしげく参り通ひなどするに、人目もしげく、よろづ慰めさせ給ふを、院失せおはしましては、世の中のもの恐ろしく、大路の道かひもいかがとのみわづらはしく、ふるまひにくきにより、宮司などだにも、参りつかまつる事もかたくなりゆけば、ましてげすの心はいかがはあらむ、殿守司の下部、朝ぎよめつかうまつる事なければ、庭の草もしげりまさりつつ、いとかたじけなき御すみかにてまします。 侍「ことの様体(やうだい)は、三条院のおはしましけるかぎりこそあれ、うせさせたまひにける後(のち)は、世(よ)の常(つね)の東宮のやうにもなく、殿上人(てんじやうびと)まゐりて、御遊びせさせたまひや、もてなしかしづきまうす人などもなく、いとつれづれに、まぎるるかたなく思(おぼ)し召(め)されけるままに、心やすかりし御有様のみ恋しく、ほけほけしきまでおぼえさせたまひけれど、三条院おはしましつるかぎりは、院(ゐん)の殿上人(てんじやうびと)もまゐりや、御使もしげくまゐり通ひなどするに、人目もしげく、よろづ慰めさせたまふを、院うせおはしましては、世の中のものおそろしく、大路(おほち)の道かひもいかがとのみわづらはしく、ふるまひにくきにより、宮司(みやづかさ)などだにも、まゐりつかまつることもかたくなりゆけば、ましてげすの心はいかがはあらむ、殿守司(とのもりづかさ)の下部(しもべ)、朝ぎよめつかうまつることなければ、庭の草もしげりまさりつつ、いとかたじけなき御すみかにてまします。
   
 まれまれ参りよる人々は、世に聞ゆる事とて、  まれまれまゐりよる人々は、世に聞ゆることとて、
「三の宮のかくておはしますを、心ぐるしく殿も大宮も思ひ申させ給ふに、『もし、内に男宮も出でおはしましなば、いかがあらむ。 「三の宮のかくておはしますを、心ぐるしく殿(との)も大宮(おほみや)も思ひまうさせたまふに、『もし、内(うち)に男宮(をとこみや)も出でおはしましなば、いかがあらむ。
さあらぬ先に東宮にたて奉らばや』となむ仰せらるなる。 さあらぬ先に東宮にたてたてまつらばや』となむ仰(おほ)せらるなる。
されば、おしてとられさせ給ふべかむなり」 されば、おしてとられさせたまふべかむなり」
などのみ申すを、まことにしもあらざらめど、げにことのさまも、よもとおぼゆまじければにや、聞かせ給ふ御心地は、いとどうきたるやうに思し召されて、ひたぶるにとられむよりは、我とや退きなまし、と思し召すに、 などのみ申すを、まことにしもあらざらめど、げにことのさまも、よもとおぼゆまじければにや、聞かせたまふ御心地(ここち)は、いとどうきたるやうに思し召されて、ひたぶるにとられむよりは、我(われ)とや退(の)きなまし、と思し召すに、
また、 また、
「高松殿の御匣殿参らせ給ひ、殿、はなやかにもてなし奉らせ給ふべかなり」 「高松殿(たかまつどの)の御匣殿(みくしげどの)まゐらせたまひ、殿(との)、はなやかにもてなしたてまつらせたまふべかなり」
とも、例の事なれば、世の人のさまざま定め申すを、皇后宮、聞かせ給ひて、いみじう喜ばせ給ふを、東宮は、いとよかるべき事なれど、さだにあらば、いとどわが思ふ事えせじ、なほかくてえあるまじく思されて、御母宮に、 とも、例のことなれば、世(よ)の人(ひと)のさまざま定め申すを、皇后宮、聞かせたまひて、いみじう喜ばせたまふを、東宮は、いとよかるべきことなれど、さだにあらば、いとどわが思ふことえせじ、なほかくてえあるまじく思されて、御母宮に、
「しかじかなむ思ふ」 「しかじかなむ思ふ」
と聞え申させ給へば、 と聞えまうさせたまへば、
「さらなりや、いといとあるまじき御事なり。 「さらなりや、いといとあるまじき御ことなり。
御匣殿の御事をこそ、まことならば、すすみ聞えさせ給はめ。 御匣殿の御ことをこそ、まことならば、すすみきこえさせたまはめ。
さらにさらに思しよるまじき事なり」 さらにさらに思しよるまじきことなり」
と聞えさせ給ひて、御物の怪のするなりと、御祈どもせさせ給へど、さらに思しとどまらぬ御心のうちを、いかでか世の人も聞きけむ、 と聞えさせたまひて、御物(もの)の怪(け)のするなりと、御祈(いのり)どもせさせたまへど、さらに思(おぼ)しとどまらぬ御心(みこころ)のうちを、いかでか世の人も聞きけむ、
「さてなむ、『御匣殿参らせ奉り給へ』とも聞えさせ給ふべかなる」 「さてなむ、『御匣殿(みくしげどの)まゐらせたてまつりたまへ』とも聞えさせたまふべかなる」
などいふ事、殿の辺にも聞ゆれば、まことにさも思しゆるぎて宣はせば、いかがすべからむ、など思す。 などいふこと、殿(との)の辺(へん)にも聞ゆれば、まことにさも思しゆるぎてのたまはせば、いかがすべからむ、など思す。
   
   
   
さて東宮はつひに思し召したちぬ。 さて東宮はつひに思し召したちぬ。
後に御匣殿の御事もいはむに、なかなかそれはなどかなからむなど、よきかたざまに思しなしけむ、不覚の事なりや。 後(のち)に御匣殿の御こともいはむに、なかなかそれはなどかなからむなど、よきかたざまに思しなしけむ、不覚(ふかく)のことなりや。
 壺切などの事、僻事に候ふめり。   壺切(つぼきり)などのこと、僻事(ひがごと)にさぶらふめり。
故三条院たびたび申させ給ひしかども、とかく申しやりて奉らせざりしとこそ聞き侍りしか。 故三条院たびたび申させたまひしかども、とかく申しやりて奉らせざりしとこそ聞きはべりしか。
されば、故院も、 されば、故院も、
「さむばれ、なくともたてでは」 「さむばれ、なくともたてでは」
とて、おはしまししなり。 とて、おはしまししなり。
しかるべきとは、おのづからの事を申させて。 しかるべきとは、おのづからのことを申させて。
   
皇后宮にもかくとも申し給はず、ただ御心のままに、殿に御消息聞えむと思し召すに、むつましうさるべき人もものし給はねば、中宮権大夫殿のおはします四条の坊門と西洞院とは宮近きぞかし、そればかりを、こと人よりはとや思し召しよりけむ、蔵人なにがしを御使にて、 皇后宮にもかくとも申したまはず、ただ御心のままに、殿(との)に御消息(せうそこ)聞えむと思し召すに、むつましうさるべき人もものしたまはねば、中宮権大夫殿(ちゆうぐうごんのだいぶどの)のおはします四条の坊門(ばうもん)と西洞院(にしのとうゐん)とは宮近きぞかし、そればかりを、こと人よりはとや思し召しよりけむ、蔵人(くらうど)なにがしを御使にて、
「あからさまに参らせ給へ」 「あからさまにまゐらせたまへ」
とあるを、思しもかけぬことなれば、おどろき給ひて、 とあるを、思しもかけぬことなれば、おどろきたまひて、
「なにしに召すぞ」 「なにしに召すぞ」
と問ひ給へば、 と問ひたまへば、
「申させ給ふべき事の候ふにこそ」 「申させたまふべきことのさぶらふにこそ」
と申すを、この聞ゆる事どもにや、と思せど、退かせ給ふ事は、さりともよにあらじ、御匣殿の御事ならむ、と思す。 と申すを、この聞ゆることどもにや、と思せど、退(の)かせたまふことは、さりともよにあらじ、御匣殿(みくしげどの)の御ことならむ、と思す。
いかにもわが心ひとつには、思ふべき事ならねば、 いかにもわが心ひとつには、思ふべきことならねば、
「おどろきながら参り候ふべきを、大臣に案内申してなむ候ふべき」 「おどろきながらまゐりさぶらふべきを、大臣(おとど)に案内(あない)申(まう)してなむさぶらふべき」
と申し給ひて、まづ、殿に参り給へり。 と申したまひて、まづ、殿(との)にまゐりたまへり。
「東宮より、しかじかなむ仰せられたる」 「東宮より、しかじかなむ仰(おほ)せられたる」
と申し給へば、殿もおどろき給ひて、 と申したまへば、殿もおどろきたまひて、
「何事ならむ」 「何事ならむ」
と仰せられながら、大夫殿と同じやうにぞ思しよらせ給ひける。 と仰せられながら、大夫殿(だいぶどの)と同じやうにぞ思(おぼ)しよらせたまひける。
まことに御匣殿の御事宣はせむを、いなび申さむも便なし。 まことに御匣殿(みくしげどの)の御ことのたまはせむを、いなびまうさむも便(びん)なし。
参り給ひなば、また、さやうにあやしくてはあらせ奉るべきならず。 まゐりたまひなば、また、さやうにあやしくてはあらせたてまつるべきならず。
また、さては世の人の申すなるやうに、東宮退かせ給はむの御思ひあるべきならずかし、とは思せど、 また、さては世の人の申すなるやうに、東宮退(の)かせたまはむの御思ひあるべきならずかし、とは思せど、
「しかわざと召さむには、いかでか参らではあらむ。 「しかわざと召さむには、いかでかまゐらではあらむ。
いかにも、宣はせむ事を聞くべきなり」 いかにも、のたまはせむことを聞くべきなり」
と申させ給へば、参らせ給ふほど、日も暮れぬ。 と申させたまへば、まゐらせたまふほど、日も暮れぬ。
   
 陣に左大臣殿の御車や、御前どものあるを、なまむつかしと思し召せど、帰らせ給ふべきならねば、殿上に上らせ給ひて、  陣(ぢん)に左大臣殿の御車(みくるま)や、御前(ごぜん)どものあるを、なまむつかしと思し召せど、帰らせたまふべきならねば、殿上(てんじやう)に上(のぼ)らせたまひて、
「参りたるよし啓せよ」 「まゐりたるよし啓(けい)せよ」
と、蔵人に宣はすれば、 と、蔵人(くらうど)にのたまはすれば、
「おほい殿の、御前に候はせ給へば、ただいまはえなむ申し候はぬ」 「おほい殿の、御前(おまへ)にさぶらはせたまへば、ただいまはえなむ申しさぶらはぬ」
と聞えさするほど、見まはさせ給ふに、庭の草もいと深く、殿上の有様も、東宮のおはしますとは見えず、あさましうかたじけなげなり。 と聞えさするほど、見まはさせたまふに、庭の草もいと深く、殿上の有様も、東宮のおはしますとは見えず、あさましうかたじけなげなり。
おほい殿出で給ひて、かくと啓すれば、朝餉の方に出でさせ給ひて、召しあれば、参り給へり。 おほい殿出でたまひて、かくと啓すれば、朝餉(あさがれひ)の方に出でさせたまひて、召しあれば、まゐりたまへり。
「いと近く、こち」 「いと近く、こち」
と仰せられて、 と仰せられて、
「ものせらるる事もなきに、案内するもはばかり多かれど、大臣に聞ゆべき事のあるを、伝へものすべき人のなきに、間近きほどなれば、たよりにもと思ひて消息し聞えつる。 「ものせらるることもなきに、案内(あない)するもはばかり多かれど、大臣(おとど)に聞ゆべきことのあるを、伝へものすべき人のなきに、間近(まぢか)きほどなれば、たよりにもと思ひて消息(せうそこ)し聞えつる。
その旨は、かくて侍るこそは本意ある事と思ひ、故院のしおかせ給へる事をたがへ奉らむも、かたがたにはばかり思はぬにあらねど、かくてあるなむ、思ひつづくるに、罪深くもおぼゆる。 その旨(むね)は、かくて侍るこそは本意(ほい)あることと思ひ、故院のしおかせたまへることをたがへたてまつらむも、かたがたにはばかり思はぬにあらねど、かくてあるなむ、思ひつづくるに、罪深くもおぼゆる。
内の御ゆく末はいと遥かにものせさせ給ふ。 内(うち)の御ゆく末はいと遥かにものせさせたまふ。
いつともなくて、はかなき世にも命も知りがたし。 いつともなくて、はかなき世にも命も知りがたし。
この有様退きて、心に任せて行ひもし、物詣をもし、やすらかにてなむあらまほしきを、むげに前東宮にてあらむは、見苦しかるべくなむ。 この有様退きて、心に任(まか)せて行ひもし、物詣(ものまうで)をもし、やすらかにてなむあらまほしきを、むげに前東宮(さきのとうぐう)にてあらむは、見ぐるしかるべくなむ。
院号給ひて、年に受領などありてあらまほしきを、いかなるべき事にかと、伝へ聞えられよ」 院号(ゐんがう)たまひて、年(とし)に受領(ずりやう)などありてあらまほしきを、いかなるべきことにかと、伝へ聞えられよ」
と仰せられければ、かしこまりてまかでさせ給ひぬ。 と仰(おほ)せられければ、かしこまりてまかでさせたまひぬ。
   
 その夜はふけにければ、つとめてぞ、殿に参らせ給へるに、内へ参らせ給はむとて、御装束のほどなれば、え申させ給はず。  その夜はふけにければ、つとめてぞ、殿(との)にまゐらせたまへるに、内へまゐらせたまはむとて、御装束(さうぞく)のほどなれば、え申させたまはず。
おほかたには御供に参るべき人々、さらぬも、出でさせ給はむに見参せむと、多く参り集りて、さわがしげなれば、御車に奉りにおはしまさむに申さむとて、そのほど、寝殿の隅の間の格子によりかかりてゐさせ給へるを、源民部卿寄りおはして、 おほかたには御供(とも)にまゐるべき人々、さらぬも、出でさせたまはむに見参(げざん)せむと、多くまゐり集りて、さわがしげなれば、御車(みくるま)にたてまつりにおはしまさむに申さむとて、そのほど、寝殿(しんでん)の隅(すみ)の間(ま)の格子(かうし)によりかかりてゐさせたまへるを、源民部卿(げんみんぶきやう)寄りおはして、
「などかくてはおはします」 「などかくてはおはします」
と聞えさせ給へば、殿には隠し聞ゆべき事にもあらねば、 と聞えさせたまへば、殿には隠しきこゆべきことにもあらねば、
「しかじかのことのあるを、人々も候へば、え申さぬなり」 「しかじかのことのあるを、人々もさぶらへば、え申さぬなり」
と宣はするに、御けしきうち変りて、この殿もおどろき給ふ。 とのたまはするに、御けしきうち変りて、この殿もおどろきたまふ。
「いみじくかしこき事にこそあなれ。 「いみじくかしこきことにこそあなれ。
ただとく聞かせ奉り給へ。 ただとく聞かせたてまつりたまへ。
内に参らせ給ひなば、いとど人がちにて、え申させ給はじ」 内にまゐらせたまひなば、いとど人がちにて、え申させたまはじ」
とあれば、げにと思して、おはします方に参り給へれば、さならむと御心得させ給ひて、隅の間に出でさせ給ひて、 とあれば、げにと思(おぼ)して、おはします方にまゐりたまへれば、さならむと御心得(こころえ)させたまひて、隅の間に出でさせたまひて、
「春宮に参りたりつるか」 「春宮(とうぐう)にまゐりたりつるか」
と問はせ給へば、よべの御消息くはしく申させ給ふに、さらなりや、おろかに思し召さむやは。 と問はせたまへば、よべの御消息(せうそこ)くはしく申させたまふに、さらなりや、おろかに思し召さむやは。
おしておろし奉らむ事、はばかり思し召しつるに、かかることの出で来ぬる御よろこびなほつきせず。 おしておろしたてまつらむこと、はばかり思し召しつるに、かかることの出で来(き)ぬる御よろこびなほつきせず。
まづいみじかりける大宮の御宿世かな、と思し召す。 まづいみじかりける大宮(おほみや)の御宿世(すくせ)かな、と思し召す。
   
 民部卿殿に申しあはせさせ給へば、  民部卿殿に申しあはせさせたまへば、
「ただとくとくせさせ給ふべきなり。 「ただとくとくせさせたまふべきなり。
なにか吉日をも問はせ給ふ。 なにか吉日(よきひ)をも問はせたまふ。
少しも延びば、思しかへして、さらでありなむとあらむをば、いかがはせさせ給はむ」 少しも延びば、思しかへして、さらでありなむとあらむをば、いかがはせさせたまはむ」
と申させ給へば、さることと思して、御暦御覧ずるに、今日あしき日にもあらざりけり。 と申させたまへば、さることと思して、御暦(こよみ)御覧(ごらん)ずるに、今日あしき日にもあらざりけり。
やがて関白殿も参り給へるほどにて、 やがて関白殿もまゐりたまへるほどにて、
「とくとく」 「とくとく」
と、そそのかし申させ給ふに、 と、そそのかしまうさせたまふに、
「まづいかにも大宮に申してこそは」 「まづいかにも大宮に申してこそは」
とて、内におはしますほどなれば、参らせ給ひて、 とて、内(うち)におはしますほどなれば、まゐらせたまひて、
「かくなむ」 「かくなむ」
と聞かせ奉らせ給へば、まして女の御心はいかが思し召されけむ。 と聞かせたてまつらせたまへば、まして女の御心はいかが思(おぼ)し召(め)されけむ。
それよりぞ、東宮に参らせ給ひて。 それよりぞ、東宮にまゐらせたまひて。
   
   
   
 御子どもの殿ばら、また例も御供に参り給ふ上達部、殿上人引き具せさせ給へれば、いとこちたく、響きことにておはしますを、待ちつけさせ給へる宮の御心は、さりとも、少しすずろはしく思し召されけむかし。  御子(みこ)どもの殿(との)ばら、また例(れい)も御供(とも)にまゐりたまふ上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)引き具(ぐ)せさせたまへれば、いとこちたく、ひびきことにておはしますを、待ちつけたまへる宮の御心地(ここち)は、さりとも、少しすずろはしく思し召されけむかし。
心も知らぬ人は、つゆ参りよる人だになきに、昨日、二位中将殿の参り給へりしだにあやしと思ふに、また今日、かくおびただしく、賀茂詣などのやうに、御先の音もおどろおどろしう響きて参らせ給へるを、いかなる事ぞとあきるるに、少しよろしきほどのものは、  心も知らぬ人は、つゆまゐりよる人だになきに、昨日(きのふ)、二位中将殿(にゐのちゆうじやうどの)のまゐりたまへりしだにあやしと思ふに、また今日、かくおびただしく、賀茂詣(かもまうで)などのやうに、御先(みさき)の音もおどろおどろしうひびきてまゐらせたまへるを、いかなることぞとあきるるに、少しよろしきほどのものは、
「御匣殿の御事申させ給ふなめり」 「御匣殿(みくしげどの)の御こと申(ま)させたまふなめり」
と思ふは、さも似つかはしや。 と思ふは、さも似つかはしや。
むげに思ひやりなき際のものは、また我が心にかかるままに、 むげに思ひやりなき際(きは)のものは、またわが心にかかるままに、
「内のいかにおはしますぞ」 「内のいかにおはしますぞ」
などまで、心ときめきしあへりけるこそ、あさましうゆゆしけれ。 などまで、心さわぎしあへりけるこそ、あさましうゆゆしけれ。
母宮だにえ知らせ給はざりけり。 母宮(ははみや)だにえ知らせたまはざりけり。
かくこの御方にものさわがしきを、いかなる事ぞとあやしく思して、案内し申させ給へど、例の女房の参る道を、かためさせ給ひてけり。 かくこの御方にものさわがしきを、いかなることぞとあやしう思して、案内(あない)しまうさせたまへど、例(れい)の女房(にようぼう)のまゐる道を、かためさせたまひてけり。
   
   
   
殿には、年頃思し召しつることなどこまかに聞えむと、心強く思し召しつれど、まことになりぬる折は、いかになりぬる事ぞと、さすがに御心さわがせ給ひぬ。 殿(との)には、年頃(としごろ)思(おぼ)し召(め)しつることなどこまかに聞えむと、心強く思し召しつれど、まことになりぬる折は、いかになりぬることぞと、さすがに御心さわがせたまひぬ。
向ひ聞えさせ給ひては、かたがたに臆せられ給ひにけるにや。 向(むか)ひきこえさせたまひては、かたがたに臆(おく)せられたまひにけるにや。
ただ昨日のおなじさまに、なかなか言少なに仰せらるる。 ただ昨日のおなじさまに、なかなか言少(ことずく)なに仰(おほ)せらるる。
御返りは、 御返りは、
「さりとも、いかにかうは思しよりぬるぞ」 「さりとも、いかにかくは思し召しよりぬるぞ」
など申させ給ひけむかしな。 などやうに申させたまひけむかしな。
御けしきの心苦しきを、かつは見奉らせ給ひて、少しおし拭はせ給ひて、 御けしきの心ぐるしさを、かつは見たてまつらせたまひて、少しおし拭(のご)はせたまひて、
「さらば、今日、吉日なり」 「さらば、今日、吉日(よきひ)なり」
とて、院になし奉らせ給ふ。 とて、院(ゐん)になしたてまつらせたまふ。
やがて事ども始めさせ給ひて、 やがてことども始めさせたまひぬ。
よろづのこと定め行はせ給ふ。 よろづのこと定め行はせたまふ。
判官代には、宮司ども、蔵人などかはるべきにあらず。 判官代(はうぐわんだい)には、宮司(みやづかさ)ども・蔵人(くらうど)などかはるべきにあらず。
別当には中宮権大夫をなし奉り給へれば、おりて拝し申させ給ふ。 別当(べたう)には中宮権大夫(ちゆうぐうのごんのだいぶ)をなしたてまつりたまへれば、おりて拝(はい)しまうさせたまふ。
事ども定まりはてぬれば、出でさせ給ひぬ。 ことども定まりはてぬれば、出でさせたまひぬ。
   
 いとあはれに侍りけることは、殿のまだ候はせ給ひける時、母宮の御方より、いづかたの道より尋ね参りたるにか、あらはに御覧ずるも知らぬけしきにて、いとあやしげなる姿したる女房の、わななくわななく、  いとあはれにはべりけることは、殿のまださぶらはせたまひける時、母宮(ははみや)の御方より、いづかたの道より尋ねまゐりたるにか、あらはに御覧(ごらん)ずるも知らぬけしきにて、いとあやしげなる姿したる女房(にようばう)の、わななくわななく、
「いかにかくはせさせ給へるぞ」 「いかにかくはせさせたまへるぞ」
と、声もかはりて申しつるなむ、 と、声もかはりて申しつるなむ、
「あはれにも、またをかしうも」 「あはれにも、またをかしうも」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰せられけれ。
勅使こそ誰ともたしかにも聞き侍らね。 勅使(ちよくし)こそ誰(たれ)ともたしかにも聞きはべらね。
禄など、にはかにて、いかにせられけむ。 禄(ろく)など、にはかにて、いかにせられけむ」
 と言へば、 といへば、
〔世次〕殿こそはせさせ給ひけめ。 世次「殿こそはせさせたまひけめ。
さばかりのことになりて、逗留せさせ給はむやは。 さばかりのことになりて、逗留(とうりう)せさせたまはむやは」
〔侍〕火焚屋、陣屋などとりやられけるほどにこそ、え堪へずしのび音泣く人々侍りけれ。 侍「火焚屋(ひたきや)・陣屋(ぢんや)などとりやられけるほどにこそ、え堪(た)へずしのび音(ね)泣く人々侍りけれ。
まして皇后宮、堀河の女御殿など、さばかり心深くおはします御心どもに、いかばかり思し召しけむとおぼえ侍りし。 まして皇后宮・堀河(ほりかは)の女御殿(にようごどの)など、さばかり心深(こころぶか)くおはします御心どもに、いかばかり思(おぼ)し召(め)しけむとおぼえはべりし。
   
世の中の人、 世の中の人、
「女御殿、 「女御殿、
   
♪35
雲居まで
 立ちのぼるべき
 煙かと
 見えし思ひの
 ほかにもあるかな
雲居(くもゐ)まで  立ちのぼるべき  煙(けぶり)かと
 見えし思ひの  ほかにもあるかな
   
 といふ歌よみ給へり」 といふ歌よみたまへり」
など申すこそ、さらによもとおぼゆれ。 など申すこそ、さらによもとおぼゆれ。
いとさばかりのことに、和歌のすぢ思しよらじかしな。 いとさばかりのことに、和歌のすぢ思(おぼ)しよらじかしな。
御心のうちには、おのづから後にもおぼえさせ給ふやうもありけめど、人の聞き伝ふるばかりは、いかがありけむ。  
 と言へば、翁、  
〔世次〕げにそれはさることに侍れど、昔もいみじきことの折、かかることいと多くぞ聞え侍りし。  
 とぞ、ささめくはいかなることにか。  
〔侍〕さて、かくせめおろし奉り給ひては、また御聟にとり奉らせ給ふほど、もてかしづき奉り給ふほど、御有様まことに御心も慰ませ給ふばかりこそ聞え侍りしか。  
おものまゐらする折は、台盤所におはしまして、御台や盤などまで、手づから拭はせ給ひ、何をも召し試みつつなむ参らせ給ひける。  
御障子口までもておはしまして、女房に給はせ、殿上にいだすほどにも立ちそひて、よかるべきやうに教へなど、これこそは御本意よと、あはれにぞ。  
「このきはに、故式部卿の宮の御事ありけり」  
といふこと、そらごとなり。  
なに、故あることにもあらなくに、昔のことどもこそ侍れ、おはします人の御事申す、便なきことなりかし。  
   
 さて、式部卿の宮と申すは、故一条院の一の皇子におはします。  
その宮をば、年どろ帥宮と申ししを、小一条院、式部卿にておはしまししかど、東宮に立たせ給ひて、あくところに、帥宮をばのかせ給ひて、式部卿とは申ししぞかし。その後のたびの東宮にもはづれ給ひて、思し嘆きしほどに、失せ給ひにし後、またこの小一条院の御さしつぎの二宮敦儀親王をこそは、式部卿とは申すめれ。  
   
また次の三宮敦平親王を中務宮と申す。  
次の四宮師明親王と申す。  
幼くより出家して、仁和寺の僧正の御かしづきものにておはしますめり。  
この宮たちの御妹の女宮たち二人、一所はやがて三条院の御時の斎宮にて下らせ給ひにしを、上らせ給ひて後、悪三位道雅の君に名だたせ給ひにければ、三条院も御悩みの折、いとあさましきことに思し嘆きて。  
尼にならせ給ひて、失せ給ひにき。  
いま一所の女宮まだおはします。  
   
 小一条の大将の御姫君こそは、ただ今の皇后宮と申しつるよ。  
三条院の御時に、后に立て奉らむと思しけるに、こちよりては、大納言の女にて、后に立つ例なかりければ、御父の大納言を贈太政大臣になしてこそは、后に立てさせ給ひてしか。  
されば、皇后宮いとめでたくおはしますめり。  
御兄、一人は侍従入道、いま一所は大蔵卿通任の君こそはおはすめれ。  
また伊予の入道もそれぞかし。  
   
   
   
 いま一所の女君こそは、いとはなはだしく心憂き御有様にておはすめれ。 いま一所の女君(をんなぎみ)こそは、いとはなはだしく心憂(こころう)き御有様にておはすめれ。
父大将のとらせ給へりける処分の領所、近江にありけるを、人にとられければ、すべきやうもなくて、かばかりになりぬれば、もののはづかしさも知られずや思はれけむ、夜、かちより御堂に参りて、うれへ申し給ひしはとよ。 父大将のとらせたまへりける処分(そうぶん)の領所(らうしよ)、近江(あふみ)にありけるを、人にとられければ、すべきやうもなくて、かばかりになりぬれば、もののはづかしさも知られずや思はれけむ、夜(よる)、かちより御堂(みだう)にまゐりて、うれへ申したまひしはとよ。
   
 殿の御前は、阿弥陀堂の仏の御前に念誦しておはしますに、夜いたくふけにければ、御脇息によりかかりて、少し眠らせ給へるに、犬防のもとに、人のけはひのしければ、あやしと思し召しけるに、女のけはひにて、忍びやかに、  殿の御前(おまへ)は、阿弥陀堂(あみだだう)の仏の御前(おまへ)に念誦(ねんず)しておはしますに、夜いたくふけにければ、御脇息(けふそく)によりかかりて、少し眠(ねぶ)らせたまへるに、犬防(いぬふせぎ)のもとに、人のけはひのしければ、あやしと思し召しけるに、女のけはひにて、忍びやかに、
「もの申し候はむ」 「もの申しさぶらはむ」
と申すを、御僻耳かと思し召すに、あまたたびになりぬれば、まことなりけり、と思し召して、いとあやしくはあれど、 と申すを、御僻耳(ひがみみ)かと思し召すに、あまたたびになりぬれば、まことなりけり、と思(おぼ)し召(め)して、いとあやしくはあれど、
「誰そ、あれは」 「誰(た)そ、あれは」
と問はせ給ふに、 と問はせたまふに、
「しかじかの人の、申すべきこと候ひて、参りたるなり」 「しかじかの人の、申すべきことさぶらひて、まゐりたるなり」
と申しければ、いといとあさましくは思し召せど、あらく仰せられけむも、さすがにいとほしくて、 と申しければ、いといとあさましくは思し召せど、あらく仰(おほ)せられけむも、さすがにいとほしくて、
「何事ぞ」 「何事(なにごと)ぞ」
と問はせ給ひければ、 と問はせたまひければ、
「知ろしめしたることに候ふらむ」 「知ろしめしたることにさぶらふらむ」
とて、ことの有様こまかに申し給ふに、いとあはれに思し召して、 とて、ことの有様こまかに申したまふに、いとあはれに思し召して、
「さらなり、みな聞きたることなり。 「さらなり、みな聞きたることなり。
いと不便なることにこそ侍るなれ。 いと不便(ふびん)なることにこそはべるなれ。
いま、しかすまじきよし、すみやかにいはせむ。 いま、しかすまじきよし、すみやかにいはせむ。
かくいましたること、あるまじきことなり。 かくいましたること、あるまじきことなり。
人してこそいはせ給はめ。 人してこそいはせたまはめ。
とく帰られね」 とく帰られね」
と仰せられければ、 と仰せられければ、
「さこそはかへすがへす思ひ給へ候ひつれど、申しつぐべき人のさらに候はねば、さりともあはれとは仰せ言候ひなむ、と思ひ給へて、参り候ひながらも、いみじうつつましう候ひつるに、かく仰せらるる、申しやるかたなくうれしく候ふ」 「さこそはかへすがへす思ひたまへさぶらひつれど、申しつぐべき人のさらにさぶらはねば、さりともあはれとは仰(おほ)せ言(ごと)さぶらひなむ、と思ひたまへて、まゐりさぶらひながらも、いみじうつつましうさぶらひつるに、かく仰せらるる、申しやるかたなくうれしくさぶらふ」
とて、手をすりて泣くけはひに、ゆゆしくも、あはれにも思し召されて、殿も泣かせ給ひにけり。 とて、手をすりて泣くけはひに、ゆゆしくも、あはれにも思し召されて、殿(との)も泣かせたまひにけり。
   
 出で給ふ途に、南大門に人々ゐたる中をおはしければ、なにがしぬしの引き留められけるこそ、いと無愛のことなりや。  出でたまふ途(みち)に、南大門(なんだいもん)に人々ゐたる中をおはしければ、なにがしぬしの引(ひ)き留(とど)められけるこそ、いと無愛(ぶあい)のことなりや。
後に、殿も聞かせ給ひければ、いみじうむつからせ給ひて、いと久しく御かしこまりにていましき。 後(のち)に、殿も聞かせたまひければ、いみじうむつからせたまひて、いとひさしく御かしこまりにていましき。
さて御うれへの所は、長く論あるまじく、この人の領にてあるべきよし、仰せ下されにければ、もとよりいとしたたかに領じ給ふ、きはめていとよし。 さて御うれへの所は、長く論あるまじく、この人の領(らう)にてあるべきよし、仰せ下されにければ、もとよりいとしたたかに領じたまふ、きはめていとよし。
「さばかりになりなむには、ものの恥しらでありなむ。 「さばかりになりなむには、ものの恥(はぢ)しらでありなむ。
かしこく申し給へる、いとよきこと」 かしこく申したまへる、いとよきこと」
と、口々ほめ聞えしこそ、なかなかにおぼえ侍りしか。 と、口々ほめきこえしこそ、なかなかにおぼえはべりしか。
大門にてとらへたりし人は、式部大夫源政成が父なり。 大門にてとらへたりし人は、式部大夫(しきぶのたいふ)源政成(みなもとのまさなり)が父なり。
   
   

一 右大臣 師輔もろすけ

   
〔世次〕この大臣は、忠平の大臣の二郎君、御母、右大臣源能有の御女、いはゆる九条殿におはします。  世次「この大臣(おとど)は、忠平(ただひら)の大臣(おとど)の二郎君、御母、右大臣源能有(みなもとのよしあり)の御女(むすめ)、いはゆる、九条殿(くでうどの)におはします。
公卿にて二十六年、大臣の位にて十四年ぞおはしましし。 公卿にて二十六年、大臣の位にて十四年ぞおはしましし。
御孫にて、東宮、また、四五の宮を見おき奉りて隠れ給ひけむは、きはめて口惜しき御事ぞや。 御孫(まご)にて、東宮(とうぐう)、また、四・五の宮を見おきたてまつりてかくれたまひけむは、きはめて口惜し(くちを)き御ことぞや。
御年まだ六十にもたらせ給はねば、ゆく末はるかに、ゆかしき事多かるべきほどよ。 御年まだ六十(むそじ)にもたらせたまはねば、ゆく末はるかに、ゆかしきこと多かるべきほどよ」
 とせめてささやくものから、手を打ちてあふぐ。 とせめてささやくものから、手を打ちてあふぐ。
   
〔世次〕その殿の 御公達十一人、女五六人ぞ、おはしましし。 世次「その殿(との)の 御公達(きんだち)十一人、女五六人ぞ、おはしましし。
第一の御女、村上の先帝の御時の女御、多くの女御、御息所のなかに、すぐれてめでたくおはしましき。 第一の御女、村上の先帝(せんだい)の御時の女御(にようご)、多くの女御、御息所(みやすどころ)のなかに、すぐれてめでたくおはしましき。
帝も、この女御殿にはいみじう怖ぢ申させ給ひ、ありがたき事をも奏せさせ給ふ事をば、いなびさせ給ふべくもあらざりけり。 帝(みかど)も、この女御殿にはいみじう怖(お)ぢまうさせたまひ、ありがたきことをも奏(そう)せさせたまふことをば、いなびさせたまふべくもあらざりけり。
いはむや自余の事をば申すべきならず。 いはむや自余(じよ)のことをば申すべきならず。
少し御心さがなく、御もの怨みなどせさせ給ふやうにぞ、世の人にいはれおはしましし。 少し御心(みこころ)さがなく、御もの怨(うら)みなどせさせたまふやうにぞ、世の人にいはれおはしましし。
帝をもつねにふすべ申させ給ひて、いかなる事のありける折にか、ようさりわたらせおはしましたりけるを、御格子を叩かせ給ひけれど、あけさせ給はざりければ、叩きわづらはせ給ひて、 帝をもつねにふすべまうさせたまひて、いかなることのありける折にか、ようさりわたらせおはしましたりけるを、御格子(みかうし)を叩(たた)かせたまひけれど、あけさせたまはざりければ、叩きわづらはせたまひて、
「女房に、『などあけぬぞ』と問へ」 「女房に、『などあけぬぞ』と問へ」
と、なにがしのぬしの、童殿上したるが御供なるに仰せられければ、あきたる所やあると、ここかしこ見たうびけれど、さるべき方は皆たてられて、細殿の口のみあきたるに、人のけはひしければ、寄れてかくとのたうびければ、いらへはともかくもせで、いみじう笑ひければ、参りて、ありつるやうを奏しければ、帝もうち笑はせ給ひて、 と、なにがしのぬしの、童殿上(わらはてんじやう)したるが御供(とも)なるに仰(おほ)せられければ、あきたる所やあると、ここかしこ見たうびけれど、さるべき方は皆たてられて、細殿(ほそどの)の口のみあきたるに、人のけはひしければ、寄れてかくとのたうびければ、いらへはともかくもせで、いみじう笑ひければ、まゐれて、ありつるやうを奏しければ、帝もうち笑はせたまひて、
「例の事ななり」 「例(れい)のことななり」
と仰せられてぞ、帰りわたらせおはしましける。 と仰(おほ)せられてぞ、帰りわたらせおはしましける。
この童は、伊賀前司資国が祖父なり。 この童は、伊賀前司資国(いがのぜんじすけくに)が祖父(おほじ)なり。
   
   
   
 藤壺、弘徽殿との上の御局は、ほどもなく近きに、藤壺の方には小一条の女御、弘徽殿にはこの后の上りておはしましあへるを、いとやすからず、えやしづめがたくおはしましけむ、中隔の壁に穴をあけて、のぞかせ給ひけるに、女御の御かたち、いとうつくしくめでたくおはしましければ、 藤壷(ふぢつぼ)・弘徽殿(こきでん)との上(うへ)の御局(みつぼね)は、ほどもなく近きに、藤壷の方には小一条(いちでう)の女御、弘徽殿にはこの后(きさき)の上(のぼ)りておはしましあへるを、いとやすからず、えやしづめがたくおはしましけむ、中隔(なかへだて)の壁に穴をあけて、のぞかせたまひけるに、女御の御かたち、いとうつくしくめでたくおはしましければ、
「むべ、ときめにこそありけれ」 「むべ、ときめにこそありけれ」
と御覧ずるに、いとど心やましくならせ給ひて、穴よりとほるばかりの土器のわれして、打たせ給へりければ、帝おはしますほどにて、こればかりはえたへさせ給はずむつかりおはしまして、 と御覧(ごらん)ずるに、いとど心やましくならせたまひて、穴よりとほるばかりの土器(かはらけ)のわれして、打たせたまへりければ、帝おはしますほどにて、こればかりはえたへさせたまはずむつかりおはしまして、
「かうやうの事は、女房はせじ。 「かうやうのことは、女房(にようぼ)はせじ。
伊尹、兼通、兼家などが、いひもよほして、せさするならむ」 伊尹(これまさ)・兼通(かねみち)・兼家(かねいへ)などが、いひもよほして、せさするならむ」
と仰せられて、皆、殿上に候はせ給ふほどなりければ、三所ながら、かしこまらせ給へりしかば、その折に、いとどおほきに腹立たせ給ひて、 と仰(おほ)せられて、皆、殿上(てんじやう)にさぶらはせたまふほどなりければ、三所(みところ)ながら、かしこまらせたまへりしかば、その折に、いとどおほきに腹立(はらだ)たせたまひて、
「わたらせ給へ」 「わたらせたまへ」
と申させ給へば、思ふにこの事ならむ、と思し召して、わたらせ給はぬを、たびたび、 と申させたまへば、思ふにこのことならむ、と思(おぼ)し召(め)して、わたらせたまはぬを、たびたび、
「なほなほ」 「なほなほ」
と御消息ありければ、わたらずは、いとどこそむつからめと、恐ろしくいとほしく思し召して、おはしましけるに、 と御消息(しようそく)ありければ、わたらずは、いとどこそむつからめと、おそろしくいとほしく思し召して、おはしましけるに、
「いかでかかる事はせさせ給ふぞ。 「いかでかかることはせさせたまふぞ。
いみじからむさかさまの罪ありとも、この人々をば思しゆるすべきなり。 いみじからむさかさまの罪ありとも、この人々をば思しゆるすべきなり。
いはむや、まろが方ざまにてかくせさせ給ふは、いとあさましう心憂き事なり。 いはむや、まろが方(かた)ざまにてかくせさせたまふは、いとあさましう心憂(こころう)きことなり。
ただいま召し返せ」 ただいま召し返せ」
と申させ給ひければ、 と申させたまひければ、
「いかでかただいまはゆるさむ。 「いかでかただいまはゆるさむ。
音聞き見苦しき事なり」 音聞(おとぎ)き見ぐるしきことなり」
と聞えさせ給ひけるを、 と聞えさせたまひけるを、
「さらにあるべき事ならず」 「さらにあるべきことならず」
と、せめ申させ給ひければ、 と、せめまうさせたまひければ、
「さらば」 「さらば」
とて、帰りわたらせ給ふを、 とて、帰りわたらせたまふを、
「おはしましなば、ただいまもゆるさせ給はじ。 「おはしましなば、ただいまもゆるさせたまはじ。
ただこなたにてを召せ」 ただこなたにてを召せ」
とて、御衣をとらへ奉りて、立て奉らせ給はざりければ、いかがはせむと思し召して、この御方へ職事召してぞ、参るべきよしの宣旨下させ給ひける。 とて、御衣(おんぞ)をとらへたてまつりて、立てたてまつらせたまはざりければ、いかがはせむと思し召して、この御方へ職事(しきじ)召してぞ、まゐるべきよしの宣旨(せんじ)下させたまひける。
これのみにもあらず、かやうなる事ども多く聞え侍りしかは。 これのみにもあらず、かやうなることども多く聞えはべりしかは。
   
   
   
 大方の御心はいとひろく、人のためなどにも思ひやりおはしまし、あたりあたりに、あるべきほどほど過ぐさせ給はず、御かへりみあり。  おほかたの御心(みこころ)はいとひろく、人のためなどにも思ひやりおはしまし、あたりあたりに、あるべきほどほど過ぐさせたまはず、御かへりみあり。
かたへの女御たちの御ためも、かつは情あり、御みやびをかはさせ給ふに、心よりほかにあまらせ給ひぬる時の御もの妬みのかたにや、いかが思し召しけむ。 かたへの女御(にようご)たちの御ためも、かつは情(なさけ)あり、御みやびをかはさせたまふに、心よりほかにあまらせたまひぬる時の御もの妬(ねた)みのかたにや、いかが思し召しけむ。
この小一条の女御は、いとかく御かたちのめでたくおはすればにや、御ゆるされにすぎたる折々の出でくるより、かかる事もあるにこそ。 この小一条の女御は、いとかく御かたちのめでたくおはすればにや、御ゆるされにすぎたる折々の出でくるより、かかることもあるにこそ。
その道は心ばへにもよらぬ事にやな。 その道は心ばへにもよらぬことにやな。
かやうの事までは申さじ、いとかたじけなし。 かやうのことまでは申さじ、いとかたじけなし。
   
 大方、殿上人、女房、さるまじき女官までも、さるべき折のとぶらひせさせ給ひ、いかなる折も、かならず見過し聞き放たせ給はず、御覧じ入れて、かへりみさせ給ひ、まして、御はらからたちをば、さらなりや。  おほかた、殿上人(てんじやうびと)・女房(にようばう)、さるまじき女官(にようくわん)までも、さるべき折のとぶらひせさせたまひ、いかなる折も、かならず見過(みすぐ)し聞き放(はな)たせたまはず、御覧じ入れて、かへりみさせたまひ、まして、御はらからたちをば、さらなりや。
御兄をば親のやうに頼み申させ給ひ、御弟をば子のごとくにはぐくみ給ひし御心おきてぞや。 御兄(あに)をば親のやうに頼(たの)みまうさせたまひ、御弟(おとと)をば子のごとくにはぐくみたまひし御心(こころ)おきてぞや。
されば、失せおはしましたりし、ことわりとはいひながら、田舎世界まで聞きつぎ奉りて、惜しみ悲しび申ししか。 されば、うせおはしましたりし、ことわりとはいひながら、田舎世界(ゐなかせかい)まで聞きつぎたてまつりて、惜しみ悲しびまうししか。
帝、よろづの政をば聞えさせ合せてせさせ給ひけるに、人のため嘆きとあるべき事をば直させ給ふ、よろこびとなりぬべき事をばそそのかし申させ給ひ、おのづからおほやけ聞し召してあしかりぬべき事など人の申すをば、御口より出させ給はず。 帝(みかど)、よろづの政(まつりごと)をば聞(きこ)えさせ合(あは)せてせさせたまひけるに、人のため嘆きとあるべきことをば直(なほ)させたまふ、よろこびとなりぬべきことをばそそのかし申させたまひ、おのづからおほやけ聞し召してあしかりぬべきことなど人の申すをば、御口(くち)より出(いだ)させたまはず。
かやうなる御心おもむけのありがたくおはしませば、御祈ともなりて、ながく栄えおはしますにこそあべかめれ。 かやうなる御心おもむけのありがたくおはしませば、御祈(いのり)ともなりて、ながく栄えおはしますにこそあべかめれ。
   
 冷泉院、円融院、為平の式部卿の宮と、女宮四人との御母后にて、またならびなくおはしましき。  冷泉院・円融院・為平(ためひら)の式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)と、女宮(をんなみや)四人との御母后(ははきさき)にて、またならびなくおはしましき。
帝、春宮と申し、代代の関白、摂政と申すも、多くは、ただこの九条殿の御一筋なり。 帝・春宮(とうぐう)と申し、代代(よよ)の関白・摂政と申すも、多くは、ただこの九条殿(くでうどの)の御一筋(ひとすぢ)なり。
男宮たちの御有様は、代々の帝の御事なれば、かへすがへすまたはいかが申し侍らむ。 男宮(をとこみや)たちの御有様は、代々の帝の御ことなれば、かへすがへすまたはいかが申(ま)しはべらむ。
   
   
   
 この后の御腹には、式部卿の宮こそは、冷泉院の御次に、まづ東宮にもたち給ふべきに、西宮殿の御婿におはしますによりて、御弟の次の宮にひき越されさせ給へるほどなどの事ども、いといみじく侍る。 この后の御腹には、式部卿の宮こそは、冷泉院の御次に、まづ東宮にもたちたまふべきに、西宮殿(にしみやどの)の御婿(むこ)におはしますによりて、御弟の次の宮にひき越されさせたまへるほどなどのことども、いといみじく侍(はべ)る。
そのゆゑは、式部卿の宮、帝にゐさせ給ひなば、西宮殿の族に世の中うつりて、源氏の御栄えになりぬべければ、御舅たちの魂深く、非道に御弟をば引き越し申させ奉らせ給へるぞかし。 そのゆゑは、式部卿の宮、帝にゐさせたまひなば、西宮殿の族(ぞう)に世の中うつりて、源氏の御栄えになりぬべければ、御舅(をぢ)たちの魂(たましひ)深く、非道(ひだう)に御弟をば引き越しまうさせたてまつらせたまへるぞかし。
世の中にも宮のうちにも、殿ばらの思しかまへけるをば、いかでかは知らむ。 世の中にも宮のうちにも、殿(との)ばらの思(おぼ)しかまへけるをば、いかでかは知らむ。
次第のままにこそはと、式部卿の宮の御事をば思ひ申したりしに、にはかに、 次第のままにこそはと、式部卿の宮の御ことをば思ひまうしたりしに、にはかに、
「若宮の御ぐしかいけづり給へ」 「若宮(わかみや)の御(み)ぐしかいけづりたまへ」
など、御乳母たちに仰せられて、大入道殿、御車にうち乗せ奉りて、北の陣よりなむおはしましけるなどこそ、伝へ承りしか。 など、御乳母(めのと)たちに仰(おほ)せられて、大入道殿(おほにふだうどの)、御車(みくるま)にうち乗せたてまつりて、北(きた)の陣(ぢん)よりなむおはしましけるなどこそ、伝へうけたまはりしか。
されば、道理あるべき御方人たちは、いかがは思されけむ。 されば、道理あるべき御方人(かたうど)たちは、いかがは思(おぼ)されけむ。
その頃、宮たちあまたおはせしかど、事しもあれ、威儀の親王をさへせさせ給へりしよ。 その頃、宮たちあまたおはせしかど、ことしもあれ、威儀(ゐぎ)の親王(みこ)をさへせさせたまへりしよ。
見奉りける人も、あはれなる事にこそ申しけれ。 見たてまつりける人も、あはれなることにこそ申しけれ。
そのほど、西宮殿などの御心地よな、いかが思しけむ。 そのほど、西宮殿などの御心地(ここち)よな、いかが思しけむ。
さてぞかし、いと恐ろしく悲しき御事ども出できにしは。 さてぞかし、いとおそろしく悲しき御ことども出できにしは。
かやうに申すも、なかなかいとど事おろかなりや。 かやうに申すも、なかなかいとどことおろかなりや。
かくやうの事は、人中にて、下﨟の申すにいとかたじけなし、とどめ候ひなむ。 かくやうのことは、人中(ひとなか)にて、下臈(げらふ)の申すにいとかたじけなし、とどめさぶらひなむ。
されどなほ、われながら無愛のものにて、おぼえ候ふにや。 されどなほ、われながら無愛(ぶあい)のものにて、おぼえさぶらふにや。
   
 式部卿の宮、わが御身の口惜しく本意なきを、思しくづほれてもおはしまさで、なほ末の世に、花山院の帝は、冷泉院の皇子におはしませば、御甥ぞかし、その御時に、御女奉り給ひて、御みづからもつねに参りなどし給ひけるこそ、  式部卿の宮、わが御身の口惜(くちを)しく本意(ほい)なきを、思しくづほれてもおはしまさで、なほ末の世に、花山院の帝(みかど)は、冷泉院の皇子(みこ)におはしませば、御甥(をひ)ぞかし、その御時に、御女奉りたまひて、御みづからもつねにまゐりなどしたまひけるこそ、
「さらでもありぬべけれ」 「さらでもありぬべけれ」
と、世の人もいみじう謗り申しけり。 と、世の人もいみじう謗(そし)りまうしけり。
さりとても、御継などのおはしまさば、いにしへの御本意のかなふべかりけるとも見ゆべきに、帝、出家し給ひなどせさせ給ひて後、また今の小野宮の右大臣殿の北の方にならせ給へりよ、いとあやしかりし御事どもぞかし。 さりとても、御継(つぎ)などのおはしまさば、いにしへの御本意のかなふべかりけるとも見ゆべきに、帝、出家(すけ)したまひなどせさせたまひて後(のち)、また今の小野宮(をののみや)の右大臣殿の北の方にならせたまへりよ、いとあやしかりし御ことどもぞかし。
その女御殿には、道信の中将の君も御消息聞え給ひけるに、それはさもなくて、かの大臣に具し給ひければ、中将の申し給ふぞかし、 その女御殿(にようごどの)には、道信(みちのぶ)の中将の君も御消息(せうそこ)聞えたまひけるに、それはさもなくて、かの大臣(おとゞ)に具(ぐ)したまひければ、中将の申したまふぞかし、
「憂きは身にしむ心地こそすれ」 「憂(う)きは身にしむ心地(ここち)こそすれ」
とは、今に人の口にのりたる秀歌にて侍るめり。 とは、今に人の口にのりたる秀歌(しうか)にて侍(はべ)めり。
   
   
   
 まこと、この式部卿の宮は、世にあはせ給へるかひある折、一度おはしましたるは、御子の日ぞかし。 まこと、この式部卿の宮は、世にあはせたまへるかひある折一度おはしましたるは、御子(ね)の日(ひ)ぞかし。
御弟の皇子たちもまだ幼くおはしまして、かの宮おとなにおはしますほどなれば、世覚え、帝の御もてなしもことに思ひ申させ給ふあまりに、その日こそは、御供の上達部、殿上人などの狩装束、馬鞍まで内裏のうちに召し入れて御覧ずるは、またなき事とこそは承れ。 御弟(おとと)の皇子たちもまだ幼くおはしまして、かの宮おとなにおはしますほどなれば、世覚え(よおぼえ)・帝(みかど)の御もてなしもことに思ひまうさせたまふあまりに、その日こそは、御供の上達部(かんだちめ)・殿上人などの狩装束(かりさうそく)・馬鞍(うまくら)まで内裏(だいり)のうちに召し入れて御覧(ごらん)するは、またなきこととこそはうけたまはれ。
滝口をはなちて、布衣のもの、内に参る事は、かしこき君の御時も、かかる事の侍りけるにや。 滝口(たきぐち)をはなちて、布衣(ほい)のもの、内にまゐることは、かしこき君の御時も、かかることの侍りけるにや。
大方いみじかりし日の見物ぞかし。 おほかたいみじかりし日の見物ぞかし。
物見車、大宮のぼりに所やは侍りしとよ。 物見車(ものみぐるま)、大宮(おほみや)のぼりに所やは侍りしとよ。
さばかりの事こそ、この世にはえ候はね。 さばかりのことこそ、この世にはえさぶらはね。
   
 殿ばらも、宣ひけるは、 殿(との)ばらも、のたまひけるは、
「大路わたる事は常なり。 大路(おおぢ)わたることは常(つね)なり。
藤壺の上の御局に、つぶとえもいはぬ打出ども、わざとなくこぼれ出でて、后の宮、内の御前などさしならび、御簾のうちにおはしまして御覧ぜし御前通りしなむ、たふれぬべき心地せし」 藤壷(ふぢつぼ)の上(うへ)の御局(みつぼね)につぶとえもいはぬ打出(うちいで)ども、わざとなくこぼれ出でて、后(きさき)の宮(みや)・内(うち)の御前(おまへ)などさしならひ、御簾(みす)のうちにおはしまして御覧ぜし御前(おまえ)通りしなむ、たふれぬべき心地(ここち)せし」
とこそ宣ひけれ。 とこそのたまひけれ。
またそれのみかは、大路にも宮の出車十ばかり引きつづけて立てられたりしは、 またそれのみかは、大路にも宮出車十(いだしぐるまとを)ばかり引きつづけて立てられたりしは。
一町かねてあたりに人もかけらず、滝口、侍の御前どもに選りととのへさせ給へりし、さるべき者の子どもにて、心のままに、今日はわが世よと、人払はせ、きらめきあへりし気色どもなど、よそ人、まことにいみじうこそ見侍りしか。 一町かねてあたりに人もかけらず、l滝口・侍(さぶらひ)の御前(ごぜん)どもに選(え)りととのへさせたへりし、さるべきものの子どもにて、心のままに、今日はわが世よと、人払はせ、きらめきあへりし気色(きそく)どもなど、よそ人、まことにいみじうこそ見はべりしか」
 とて、車の衣の色などをさへ語りゐたるぞあさましきや。 とて、車の衣(きぬ)の色などをさへ語りゐたるぞあさましきや。
   
   
   
〔世次〕さて、この御腹におはしましし、女宮一所こそ、いとはかなく、失せ給ひにしか。 世次「さて、この御腹におはしましし、女宮一所こそ、いとはかなく、うせたまひにしか」
いま一所、入道一品の宮とて三条におはしましき。 いま一所、入道一品の宮とて三条におはしましき。
失せ給ひて十余年にやならせ給ひぬらむ。 うせたまひて十余年にやならせたまひぬらむ。
うみおき奉らせ給ひしたびの宮こそは、今の斎院におはしませ。 うみおきたてまつらせたまひしたびの宮こそは、今の斎院におはしませ。
いつきの宮、世に多くおはしませど、これはことにうごめきなく、世に久しくたもちおはします。 いつきの宮、世に多くおはしませど、これはことにうごめきなく、世にひさしくたもちおはします。
ただこの御一筋のかく栄え給ふべきとぞ見申す。 ただこの御一筋のかく栄えたまふべきとぞ見まうす。
昔の斎宮、斎院は、仏経などの事は忌ませ給ひけれど、この宮には仏法をさへあがめ給ひて、朝ごとの御念誦かかせ給はず。 昔の斎宮・斎院は、仏経などのことは忌ませたまひけれど、この宮には仏法をさへあがめたまひて、朝ごとの御念誦かかせたまはず。
近くは、この御寺の今日の講には、さだまりて布施をこそは贈らせ給ふめれ。 近くは、この御寺の今日の講には、さだまりて布施をこそは贈らせたまふめれ。
いととうより神人にならせ給ひて、いかでかかる事を思し召しよりけむとおぼえ候ふは。 いととうより神人にならせたまひて、いかでかかることを思し召しよりけむとおぼえさぶらふは。
 賀茂の祭の日、一条大路に、そこら集りたる人、さながらともに仏とならむと、誓はせ給ひけむこそ、なほあさましく侍れ。 賀茂の祭の日、一条大路に、そこら集りたる人、さながらともに仏とならむと、誓はせたまひけむこそ、なほあさましく侍れ。
さりとてまた、現世の御栄華をととのへさせ給はぬか。 さりとてまた、現世の御栄華をととのへさせたまはぬか。
御禊よりはじめ三箇日の作法、出車などのめでたさ、おほかた御さまのいと優に、らうらうじくおはしましたるぞ。 御禊よりはじめ三箇日の作法、出車などのめでたさ、おほかた御さまのいと優に、らうらうじくおはしましたるぞ。
   
 今の関白殿、兵衛左にて、御禊に御前せさせ給へりしに、いと幼くおはしませば、例は本院に帰らせ給ひて、人々に禄など給はするを、これは川原より出でさせ給ひしかば、思ひがけぬ御事にて、さる御心もうけもなかりければ、御前の召しありて、御対面などせさせ給ひて、奉り給へりける小袿をぞ、かづけ奉らせ給ひける。 今の関白殿、兵衛左にて、御禊に御前せさせたまへりしに、いと幼くおはしませば、例は本院に帰らせたまひて、人々に禄などたまはするを、これは川原より出でさせたまひしかば、思ひがけぬ御ことにて、さる御心もうけもなかりければ、御前の召しありて、御対面などせさせたまひて、奉りたまへりける小袿をぞ、かづけたてまつらせたまひて、
入道殿聞かせ給ひて、  
「いとをかしくもし給へるかな。 「いとをかしくもしたまへるかな。
禄なからむも便なく、取りにやり給はむもほど経ぬべければ、とりわきたるさまを見せ給ふなめり。 禄なからむもたよりなく、取りにやりたまはむもほど経ぬべければ、とりわきたるさまを見せたまふなめり。
えせ者は、え思ひよらじかし」 えせ者は、え思ひよらじかし」
とぞ申させ給ひける。 とぞ申させたまひける。
   
 この当代や東宮などの、まだ宮たちにておはしましし時、祭見せ奉らせ給ひし御桟敷の前過ぎさせ給ふほど、殿の御膝に、二所ながらすゑ奉らせ給うて、  この当代(とうだい)や東宮(とうぐう)などの、まだ宮たちにておはしましし時、祭見せたてまつらせたまひし御桟敷(さじき)の前過ぎさせたまふほど、殿(との)の御膝(ひざ)に、二所(ふたところ)ながらすゑたてまつらせたまひて、
「この宮たち見奉らせ給へ」 「この宮たち見たてまつらせたまへ」
と申させ給へば、御輿の帷より赤色の御扇のつまをさし出で給へりけり。 と申させたまひば、御輿(みこし)の帷(かたびら)より赤色(あかいろ)の御扇(あふぎ)のつまをさし出でたまへりけり。
殿をはじめ奉りて、 殿をはじめたてまつりて、
「なほ心ばせめでたくおはする院なりや。 「なほ心ばせめでたくおはする院(ゐん)なりや。
かかるしるしを見せ給はずは、いかでか、見奉らせ給ふらむとも知らまし」 かかるしるしを見せたまはずは、いかでか、見たてまつりたまふらむとも知らまし」
とこそは、感じ奉らせ給ひけれ。 とこそは、感じたてまつらせたまひけれ。
院より大宮に聞えさせ給ひける、 院より大宮(おほみや)に聞えさせたまひける、
   
♪36
ひかりいづる
 あふひのかげを
 見てしより
 年積みけるも
 うれしかりけり
 
ひかりいづる
 あふひのかげを
 見てしより
 年積(つ)みけるも
 うれしかりけり
   
 御返し、 御返し、
   
♪37
もろかづら
 二葉ながらも
 君にかく
 あふひや神の
 ゆるしなるらむ
 
もろかづら
 二葉(ふたば)ながらも
 君にかく
 あふひや神の
 ゆるしなるらむ
   
 げに賀茂の明神などのうけ奉り給へればこそ、二代までうちつづき栄えさせ給ふらめな。 げに賀茂(かも)の明神(みゃうじん)などのうけたてまつりたまへればこそ、二代までうちつづき栄えさせたまふらめな。
この事、 このこと、
「いとをかし失せさせ給へり」 「いとをかしうせさせたまへり」
と、世の人申ししに、前帥のみぞ、 と、世の人申ししに、前帥(さきのそち)のみぞ、
「追従ぶかき老ぎつねかな。 「追従(ついそう)ぶかき老(おい)ぎつねかな。
あな、愛敬な」 あな、愛敬(あいぎゃう)な」
と申し給ひける。 と申したまひける。
   
   
   
 まこと、この后の宮の御おととの中の君は、重明の式部卿の宮の北の方にておはしまししぞかし。 まこと、この后(きさい)の宮の御おととの中の君は、重明(しげあきら)の式部卿の宮の北の方にておはしまししぞかし。
その親王は、村上の御はらからにおはします。 その親王(みこ)は、村上(むらかみ)の御はらからにおはします。
この宮の上、さるべき事の折は、もの見せ奉りにとて、后の迎へ奉り給へば、忍びつつ参り給ふに、帝ほの御覧じて、いとうつくしうおはしましけるを、いと色なる御心ぐせにて、宮に、 この宮の上(うへ)、さるべきことの折は、もの見(み)せたてまつりにとて、后の迎へたてまつりたまへば、忍びつつまゐりたまふに、帝(みかど)ほの御覧じて、いと色なる御心ぐせにて、宮に、
「かくなむ思ふ」 「かくなむ思ふ」
とあながちにせめ申させ給へば、一二度、知らず顔にて、ゆるし申させ給ひてけり。 とあながちにせめ申させたまへば、一二度、知らず顔(がほ)にて、ゆるしまうさせたまひけり。
さて後、御心は通はせ給ひける御けしきなれど、さのみはいかがはとや思し召しけむ、后、さらぬ事だに、この方ざまは、なだらかにもえつくりあへさせ給はざめる中に、ましてこれはよその事よりは、心づきなう思し召すべけれど、御あたりをひろうかへりみ給ふ御心深さに、人の心、聞きにくくうたてあれば、なだらかに色にも出でず、過させ給ひけるこそ、いとかたじけなうかなしき事なれな。 さて後(のち)、御心は通はせたまひける御けしきなれど、さのみはいかがとや思(おぼ)し召(め)しけむ、后(きさき)さらぬことだに、この方(かた)ざまは、なだらかにもえつくりあへさせたまはざめる中(なか)に、ましてこれはよそのことよりは、心づきなうも思し召すべけれど、御あたりをひろうかへりみたまふ御心深(こころぶか)さに、人の御ため聞きにくくうたてあれば、なだらかに色にも出でず、過(ずぐ)させたまひけるこそ、いとかたじけなうかなしきことなれな。
さて后の宮失せさせおはしまして後に、召しとりて、いみじうときめかさせ給ひて、貞観殿の尚侍とぞ、申ししかし。 さて后(きさい)の宮(みや)うせさせおはしまして後(のち)に、召しとりて、いみじうときめかさせたまひて、貞観殿(ちやうぐわんでん)の尚侍(ないしのかみ)とぞ、申ししかし。
世になく覚えおはして、こと女御、御息所そねみ給ひしかども、かひかなりけり。 世になく覚えおはして、こと女御(にようご)・御息所(みやすどころ)そねみたひしかども、かひかなりけり。
これにつけても、 これにつけても、
「九条殿の御幸ひ」 「九条殿の御幸ひ」
とぞ、人申しける。 とぞ、人申しける。
   
 また三の君は、西宮殿の北の方にておはせしを、御子うみて、失せ給ひにしかば、よその人は、君達の御ため悪しかりなむとて、また御おととの五にあたらせ給ふ愛宮と申ししにうつらせ給ひにき。 また三の君は、西宮殿(にしのみやどの)の北の方にておはせしを、御子(みこ)うみて、うせたまひにしかば、よその人は、君達(きんだち)の御ためあしかりなむとて、また御おととの五にあたらせたまふ愛宮(あいみや)と申ししにうつらせたまひにき。
四の君はとく失せ給ひにき。 四の君はとくうせたまひにき。
六の君、冷泉院の東宮におはしまししに、参らせ給ひなど、女君たちは、皆かくおはしまさふ。 六の君、冷泉院の東宮(とうぐう)におはしまししに、まゐらせたまひなど、女君(をんなぎみ)たちは、皆かくおはしまさふ。
   
   
   
 男君たちは、十一人の御中に、五人は太政大臣にならせ給へり。  男君たちは、十一人の御中に、五人は太政大臣にならせたまへり。
それあさましうおどろおどろしき御幸ひなりかし。 それあさましうおどろおどろしき御幸ひなりかし。
その御ほかは右兵衛督忠君、また北野の三位遠度、大蔵卿遠量、多武峯の入道少将なり。 その御ほかは右兵衛督忠君(うひゃうゑのかみただきみ)、また北野(きたの)の三位遠度(さんみとほのり)、大蔵卿遠量(おほくらきゃうとほかず)、多武峯(たむのみね)の入道少将(にふだうせうしゃう)なり。
また法師にては、飯室の権僧正、今の禅林寺の僧正などにこそおはしますめれ。 また法師にては、飯室(いひむろ)の権僧正(ごんのそうじゃう)、今の禅林寺(ぜんりんじ)の僧正などにこそおはしますめれ。
法師といへども、世の中の一の験者にて、仏のごとくに公私、頼みあふぎ申さぬ人なし。 法師といへども、世の中の一(いち)の験者(げんざ)にて、仏のごとくに公私(おほやけわたくし)、頼(たの)みあふぎまうさぬ人なし。
また北野の三位の御子は、尋空律師、朝源律師などなり。 また北野の三位の御子(みこ)は、尋空律師(じんくうりし)・朝源(てうげん)律師などなり。
また大蔵卿の御子は、粟田殿の北の方、今の左衛門督の母上。 また大蔵卿の御子は、粟田殿(あはたどの)の北の方、今の左衛門督(さゑもんのかみ)の母上。
この御族、かやうにぞおはしますなかにも、多武峯の少将、出家し給へりしほどは、いかにあはれにもやさしくもさまざまなる事どもの侍りしかは。 この御族(ぞう)、かやうにぞおはしますなかにも、多武峯の少将、出家(すけ)したまへりしほどは、いかにあはれにもやさしくもさまざまなることどもの侍りしかは。
なかにも、帝の御消息つかはしたりしこそ、おぼろけならず、御心もや乱れ給ひけむと、かたじけなく承りしか。 なかにも、帝(みかど)の御消息(せうそこ)つかはしたりしこそ、おぼろけならず、御心もや乱れたまひけむと、かたじけなくうけたまはりしか。
   
♪38
都より
 雲の八重立つ
 奥山の
 横川の水は
 すみよかるらむ
 
みやこより
 雲のうへまで
 山の井の
 横川(よかは)の水は
 すみよかるらむ
   
 御返し、 御返し、
   
♪39
九重の
 うちのみつねは
 こひしくて
 雲の八重たつ
 山は住み憂し
 
九重(ここのへ)の
 うちのみつねに
 こひしくて
 雲の八重(やへ)たつ
 山はすみ憂(う)し
   
 はじめは、横川におはして、後に多武峯には住ませ給ひしぞかし。 はじめは、横川におはして、後(のち)に多武峯(たむのみね)には住ませたまひしぞかし。
いといみじう侍りし事ぞかし。 いといみじう侍りしことぞかし。
されども、それは九条殿、后宮など失せさせおはしまして後の事なり。 されども、それは九条殿・后(きさい)の宮(みや)などうせさせおはしまして後(のち)のことなり。
   
   
   
 この馬頭殿の御出家こそ、親たちの栄えさせ給ふ事のはじめをうち捨てて、いとどありがたく悲しかりし御事よ。  この馬頭殿(うまのかみのとの)の御出家(すけ)こそ、親たちの栄えさせたまふことのはじめをうちすてて、いといとありがたく悲しかりし御ことよ。
とうより、さる御まうけは思しよらせ給ひにけるにや、御はらからの君達に具し奉りて、正月二七夜のほどに、中堂に登らせ給へりけるに、さらに御行ひもせで、大殿篭りたりければ、殿ばら、暁に、 とうより、さる御心(こころ)まうけは思(おぼ)しよらせたまひにけるにや、御はらからの君たちに具(ぐ)したてまつりて、正月二七夜(にしちや)のほどに、中堂(ちゆうだう)に登らせたまへりけるに、さらに御行(おこな)ひもせで、大殿篭(おおとのごも)りたりければ、殿(との)ばら、暁(あかつき)に、
「など、かくては臥し給へる。 「など、かくては臥(ふ)したまへる。
起きて、念誦もせさせ給へかし」 起きて、念誦(ねんず)もせさせたまへかし」
と申させ給ひければ、 と申さたまひければ、
「いま一度に」 「いま一度に」
と宣ひしを、その折は、思ひもとがめられざりき。 とのたまひしを、その折は、思ひもとがめられざりき。
「かやうの御有様を思しつづけけるにや」 「かやうの御有様を思しつづけけるにや」
とこそ、この折には、君たち思し出でて申し給いけれ。 とこそ、この折には、君たち思し出でて申したまいけれ。
さりとて、うち屈しやいかにぞやなどある御けしきもなかりけり。 さりとて、うち屈(く)しやいかにぞやなどある御(み)けしきもなかりけり。
人よりことにほこりかに、心地よげなる人柄にてぞおはしましける。 人よりことにほこりかに、心地(ここち)よげなる人柄(ひとがら)にてぞおはしましける。
   
   
   
 この九条殿は、百鬼夜行にあはせ給へるは。  この九条殿は、百鬼夜行(ひやくきやぎやう)にあはせたまへるは。
いづれの月といふ事は、えうけ給はらず、いみじう夜ふけて、内より出で給ふに、大宮より南ざまへおはしますに、あははの辻のほどにて、御車の簾うち垂れさせ給ひて、 いづれの月といふことは、えうけたまはらず、いみじう夜(よ)ふけて、内(うち)より出でたまふに、大宮(おほみや)より南ざまへおはしますに、あははの辻(つじ)のほどにて、御車(みくるま)の簾(すだれ)うち垂(た)れさせたまひて、
「御車牛もかきおろせ、かきおろせ」 「御車牛(みくるまうし)もかきおろせ、かきおろせ」
と、急ぎ仰せられければ、あやしと思へど、かきおろしつ。 と、急ぎ仰(おほ)せられければ、あやしと思へど、かきおろしつ。
御随身、御前どもも、いかなる事のおはしますぞと、御車のもとに近く参りたれば、御下簾うるはしくひき垂れて、御笏とりて、うつぶさせ給へるけしき、いみじう人にかしこまり申させ給へるさまにておはします。 御随身(みずいじん)・御前(ごぜん)どもも、いかなることのおはしますぞと、御車のもとに近くまゐりたれば、御下簾(したすだれ)うるはしくひき垂(た)れて、御笏(さく)とりて、うつぶさせたまへるけしき、いみじう人にかしこまりまうさせたまへるさまにておはします。
「御車は榻にかくな。 「御車は榻(しぢ)にかくな。
ただ随身どもは、轅の左右の軛のもとにいと近く候ひて、先を高く追へ。 ただ随身どもは、轅(ながえ)の左右(ひだりみぎ)の軛(くびき)のもとにいと近くさぶらひて、先(さき)を高く追へ。
雑色どもも声絶えさすな。 雑色(ざふしき)どもも声絶えさすな。
御前ども近くあれ」 御前ども近くあれ」
と仰せられて、尊勝陀羅尼をいみじう読み奉らせ給ふ。 と仰せられて、尊勝陀羅尼(そんしようだらに)をいみじう読みたてまつらせたまふ。
牛をば御車の隠れの方にひき立てさせ給へり。 牛をば御車の隠(かく)れの方にひき立てさせたまへり。
さて、時中ばかりありてぞ、御簾あげさせ給ひて、 さて、時中(ときなか)ばかりありてぞ、御簾(すだれ)あげさせたまひて、
「今は、牛かけてやれ」 「今は、牛かけてやれ」
と仰せられけれど、つゆ御供の人は心えざりけり。 と仰せられけれど、つゆ御供(とも)の人は心えざりけり。
後々に、 後々(のちのち)に、
「しかじかの事のありし」 「しかじかのことのありし」
など、さるべき人々にこそは、忍びて語り申させ給ひけめど、さるめづらしき事は、おのづから散り侍りけるにこそは。 など、さるべき人々にこそは、忍(しの)びて語り申させたまひけめど、さるめづらしきことは、おのづから散りはべりけるにこそは。
   
 元方の民部卿の御孫、儲の君にておはする頃、帝の御庚申せさせ給ふに、この民部卿参り給へり、さらなり。  元方(もとかた)の民部卿(みんぶきやう)の御孫(まご)、儲(まうけ)の君(きみ)にておはする頃、帝(みかど)の御庚申(かうしん)せさせたまふに、この民部卿まゐりたまへり、さらなり。
九条殿、候はせ給ひて、人々あまた候ひ給ひて、攤うたせ給ふついでに、冷泉院の孕まれおはしましたるほどにて、さらぬだに世人いかがと申したるに、  
九条殿、 九条殿、
「いで、今宵の攤つかうまつらむ」 「いで、今宵(こよひ)の攤つかうまつらむ」
と仰せらるるままに、 と仰(おほ)せらるるままに、
「この孕まれ給へる御子、男におはしますべくは、調六出で来」 「この孕まれたまへる御子(みこ)、男におはしますべくは、調六(でうろく)出(い)で来(こ)」
とて、打たせ給へりけるに、ただ一度に出でくるものか。 とて、打たせたまへりけるに、ただ一度に出でくるものか。
ありとある人、目を見かはして、めで感じもてはやし給ひ、御みづからもいみじと思したりけるに、この民部卿の御けしきいとあしうなりて、色もいと青うこそなりたりけれ。 ありとある人、目を見かはして、めで感じもてはやしたまひ、御みづからもいみじと思(おぼ)したりけるに、この民部卿の御けしきいとあしうなりて、色もいと青くこそなりたりけれ。
さて後に、霊に出でまして、 さて後(のち)に、霊(りやう)に出でまして、
「その夜やがて、胸に釘はうちてき」 「その夜(よ)やがて、胸に釘(くぎ)はうてき」
とこそ宣ひけれ。 とこそのたまひけれ。
   
 大方、この九条殿、いとただ人にはおはしまさぬにや、思し召しよる行く末の事なども、かなはぬはなくぞおはしましける。  おほかた、この九条殿、いとただ人(びと)にはおはしまさぬにや、思(おぼ)しよるゆく末のことなども、かなはぬはなくぞおはしましける。
口惜しかりける事は、まだいと若くおはしましける時、 口惜(くちを)しかりけることは、まだいと若くおはしましける時、
「夢に、朱雀門の前に、左右の足を西東の大宮にさしやりて、北向きにて内裏を抱きて立てりとなむ見えつる」 「夢に、朱雀門(すざくもん)の前に、左右(さう)の足を西東(にしひんがし)の大宮(おほみや)にさしやりて、北向きにて内裏(だいり)を抱(いだ)きて立てりとなむ見えつる」
と仰せられけるを、御前になまさかしき女房の候ひけるが、 と仰せられけるを、御前(おまへ)になまさかしき女房のさぶらひけるが、
「いかに御股痛くおはしましつらむ」 「いかに御股(また)痛くおはしましつらむ」
と申したりけるが、御夢たがひて、かく御子孫は栄えさせ給へど、摂政、関白しおはしまさずなりにしなり。 と申したりけるに、御夢たがひて、かく子孫は栄えさせたまへど、摂政・関白えしおはしまさずなりにしなり。
また御末に思はずなる事のうちまじり、帥殿の御事なども、かれがたがひたる故に侍るめり。 また御末に思はずなることのうちまじり、帥殿(そちどの)の御ことなども、かれがたがひたる故に侍るめり。
「いみじき吉相の夢もあしざまにあはせつればたがふ」 「いみじき吉相(きつさう)の夢もあしざまにあはせつればたがふ」
と、昔より申し伝へて侍ることなり。 と、昔より申し伝へて侍ることなり。
荒涼して、心知らざらむ人の前に、夢語りな、この聞かせ給ふ人々、しおはしまされそ。 荒涼(くわうりやう)して、心知らざらむ人の前に、夢語りな、この聞かせたまふ人々、しおはしまされそ。
今ゆく末も九条殿の御末のみこそ、とにかくにつけて、ひろごり栄えさせ給はめ。 今ゆく末も九条殿の御末のみこそ、とにかくにつけて、ひろごり栄えさせたまはめ。
   
   
   
 いとをかしき事は、かくやむごとなくおはします殿の、 貫之のぬしが家におはしましたりしこそ、なほ和歌はめざましき事なりかしと、おぼえ侍りしか。  いとをかしきことは、かくやむごとなくおはします殿(との)の、 貫之(つらゆき)のぬしが家におはしましたりしこそ、なほ和歌はめざましきことなりかしと、おぼえはべりしか。
正月一日つけさせ給ふべき魚袋のそこなはれたりければ、つくろはせ給ふほど、まづ貞信公の御もとに参らせ給ひて、 正月一日つけさせたまふべき魚袋(ぎよたい)のそこなはれたりければ、つくろはせたまふほど、まづ貞信公(ていしんこう)の御もとにまゐらせたまひて、
「かうかうの事の侍れば、内に遅く参る」 「かうかうのことの侍れば、内(うち)に遅くまゐる」
のよしを申させ給ひければ、おほきおとど驚かせ給ひて、年頃持たせ給へりける、取り出でさせ給ひて、やがて、 のよしを申させたまひければ、おほきおとど驚かせたまひて、年頃(としごろ)持たせたまへりける、取り出でさせたまひて、やがて、
「あえものにも」 「あえものにも」
とて奉らせ給ふを、ことうるはしく松の枝につけさせ給へり。 とて奉らせたまふを、ことうるはしく松の枝につけさせたまへり。
その御かしこまりのよろこびは、御心のおよばぬにしもおはしまさざらめど、なほ貫之に召さむ、と思し召して、わたりおはしましたるを、待ちうけましけむ面目、いかがおろかなるべきな。 その御かしこまりのよろこびは、御心(みこころ)のおよばぬにしもおはしまさざらめど、なほ貫之に召さむ、と思(おぼ)し召(め)して、わたりおはしましたるを、待ちうけましけむ面目(めいぼく)、いかがおろかなるべきな。
   
♪40
吹く風に
 こほりとけたる
 池の魚
 千代まで松の
 かげにかくれむ
 
吹く風に
 こほりとけたる
 池の魚
 千代(ちよ)まで松の
 かげにかくれむ
   
 集に書き入れたる、ことわりなりかし。 集に書き入れたる、ことわりなりかし。
   
 いにしへより今にかぎりもなくおはします殿の、ただ冷泉院の御有様のみぞ、いと心憂く口惜しきことにておはします。  いにしへより今にかぎりもなくおはします殿(との)の、ただ冷泉院の御有様のみぞ、いと心憂(こころう)く口惜(くちを)しきことにておはします」
 と言へば、侍、 といへば、侍(さぶらひ)、
〔侍〕されど、ことの例には、まづその御時をこそは引かるめれ。 「されど、ことの例(れい)には、まづその御時をこそは引かるめれ」
 と言へば、 といへば、
〔世次〕それは、いかでかはさらでは侍らむ。 世次「それは、いかでかはさらでは侍らむ。
その帝の出でおはしましたればこそ、この藤氏の殿ばら、今に栄え御はしませ。 その帝(みかど)の出でおはしましたればこそ、この藤氏(とうし)の殿(との)ばら、今に栄え御はしませ。
「さらざらましかば、この頃わづかにわれらも諸大夫ばかりになり出でて、ところどころの御前、雑役につられ歩きなまし」 「さらざらましかば、この頃わづかにわれらも諸大夫(しよだいぶ)ばかりになり出でて、ところどころの御前(ごぜん)・雑役(ざふやく)につられ歩(あり)きなまし」
とこそ、入道殿は仰せられければ、源民部卿は、 とこそ、入道殿(にふだうどの)は仰(おほ)せられければ、源民部卿(げんみんぶきやう)は、
「さるかたちしたるまうちぎみだちの候はましかば、いかに見苦しからまし」 「さるかたちしたるまうちぎみだちのさぶらはましかば、いかに見ぐるしからまし」
とぞ、笑ひ申させ給ふなる。 とぞ、笑ひ申させたまふなる。
かかれば、公私、その御時のことをためしとせさせ給ふ、ことわりなり。 かかれば、公私(おほやけわたくし)、その御時のことをためしとせさせたまふ、ことわりなり。
御物の怪こはくて、いかがと思し召ししに、大嘗会の御禊にこそ、いとうるはしくて、わたらせ給ひにしか。 御物(もの)の怪(け)こはくて、いかがと思(おぼ)し召(め)ししに、大嘗会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)にこそ、いとうるはしくて、わたらせたまひにしか。
「それは、人の目にあらはれて、九条殿なむ御後を抱き奉りて、御輿のうちに候はせ給ひける」 「それは、人の目にあらはれて、九条殿なむ御後(うしろ)を抱(いだ)きたてまつりて、御輿(みこし)のうちにさぶらはせたまひける」
とぞ、人申しし。 とぞ、人申しし。
げに現にても、いとただ人とは見えさせ給はざりしかば、ましておはしまさぬ後には、さやうに御守にても添ひ申させ給ひつらむ。 げに現(うつつ)にても、いとただ人(びと)とは見えさせたまはざりしかば、ましておはしまさぬ後(あと)には、さやうに御守(まぼり)にても添(そ)ひまうさせたまひつらむ」
〔侍〕さらば、元方卿、桓算供奉をぞ、逐ひのけさせ給ふべきな。 侍「さらば、元方(もとかた)卿・桓算供奉(くわんざんぐぶ)をぞ、逐(お)ひのけさせたまふべきな」。
   
〔世次〕それはまた、しかるべき前の世の御報にこそおはしましけめ。 世次「それはまた、しかるべき前(さき)の世(よ)の御報(むくひ)にこそおはしましけめ。
さるは、御心いとうるはしくて、世の政かしこくせさせ給ひつべかりしかば、世間にいみじうあたらしきことにぞ申すめりし。 さるは、御心(みこころ)いとうるはしくて、世の政(まつりごと)かしこくせさせたまひつべかりしかば、世間(よのなか)にいみじうあたらしきことにぞ申すめりし。
   
 さてまた、今は故九条殿の御子どもの数、この冷泉院、円融院の御母、貞観殿の尚侍、一条摂政、堀河殿、大入道殿、忠君の兵衛督と六人は、武蔵守従五位上経邦の女の腹におはしまさふ。  さてまた、今は故九条殿の御子(みこ)どもの数(かず)、この冷泉院・円融院の御母、貞観殿(ぢやうぐわんでん)の尚侍(ないしのかみ)、一条摂政、堀河殿(ほりかはどの)、大入道殿(おほにふだうどの)、忠君(ただきみ)の兵衛督(ひやうゑのかみ)と六人は、武蔵守(むさしのかみ)従(じゆ)五位上経邦(つねくに)の女(むすめ)の腹におはしまさふ。
世の人 世の人
「女子」 「女子(をんなご)」
といふことは、この御事にや。 といふことは、この御ことにや。
大方、御腹ことなれど、男君たち五人は太政大臣、三人は摂政し給へり。 おほかた、御腹ことなれど、男君(をとこぎみ)たち五人は太政大臣、三人は摂政したまへり。
   
   

一 太政大臣 伊尹これまさ 謙徳公けんとくこう

   
 この大臣は、一条摂政と申しき。  この大臣(おとど)は、一条摂政と申しき。
これ、九条殿の一男におはします。 これ、九条殿(くでうどの)の一男におはします。
いみじき御集つくりて、豊景と名のらせ給へり。 いみじき御集(ぎよしふ)つくりて、豊景(とよかげ)と名のらせたまへり。
大臣になり栄え給ひて三年。 大臣になり栄えたまひて三年。
いと若くて失せおはしましたることは、九条殿の御遺言をたがへさせおはしましつる故とぞ人申しける。 いと若くてうせおはしましたることは、九条殿の御遺言(ゆいごん)をたがへさせおはしましつる故(け)とぞ人申しける。
されどいかでかは、さらでもおはしまさむ。 されどいかでかは、さらでもおはしまさむ。
御葬送の沙汰を、むげに略定に書きおかせ給へりければ、 御葬送(さうそう)の沙汰(さた)を、むげに略定(りやくぢやう)に書きおかせたまへりければ、
「いかでか、いとさは」 「いかでか、いとさは」
とて、例の作法に行せ給ふとぞ。 とて、例(れい)の作法(さはう)に行(おこなは)せたまふとぞ。
それはことをりの御しわざぞかし。 それはことをりの御しわざぞかし。
ただ、御かたち、身の才、何事もあまりすぐれさせ給へれば、御命のえととのはせ給はざりけるにこそ。 ただ、御かたち・身の才(ざえ)、何事もあまりすぐれさせたまへれば、御命のえととのはせたまはざりけるにこそ。
   
 折々の御和歌などこそめでたく侍れな。 折々の御和歌などこそめでたく侍れな。
春日の使におはしまして、帰るさに、女のもとに遺はしける、 春日(かすが)の使(つかひ)におはしまして、帰るさに、女のもとに遺(つか)はしける、
   
♪41
暮ればとく
 ゆきて語らむ
 逢ふことは
 とをちの里の
 住み憂かりしも
 
暮ればとく
 ゆきて語らむ
 逢(あ)ふことは
 とをちの里の
 住み憂(う)かりしも
   
 御返し、 御返し、
   
♪42
逢ふことは
 とをちの里に
 ほど経しも
 吉野の山と
 思ふなりけむ
 
逢ふことは
 とをちの里に
 ほど経(へ)しも
 吉野の山と
 思ふなりけむ
   
 助信の少将の、宇佐の使にたたれしに、殿にて、餞に 助信(すけのぶ)の少将の、宇佐(うさ)の使にたたれしに、殿(との)にて、餞(うまのはなむけ)に
「菊の花のうつろひたる」 「菊の花のうつろひたる」
を題にて、別れの歌よませ給へる、 を題にて、別れの歌よませたまへる、
   
♪43
さは遠く
 うつろひぬとか
 きくの花
 折りて見るだに
 飽かぬ心を
 
さは遠く
 うつろひぬとか
 きくの花
 折りて見るだに
 飽(あ)かぬ心を
   
 帝の御舅、東宮の御祖父にて摂政せさせ給へば、世の中はわが御心にかなはぬことなく、過差ことのほかに好ませ給ひて、大饗せさせ給ふに、寝殿の裏板の壁の少し黒かりければ、にはかに御覧じつけて、陸奥紙をつぶと押させ給へりけるがなかなか白く清げに侍りける。 帝(みかど)の御舅(をぢ)・東宮(とうぐう)の御祖父(おほぢ)にて摂政せさせたまへば、世の中はわが御心(みこころ)にかなはぬことなく、過差(くわさ)ことのほかに好ませたまひて、大饗(たいきやう)せさせたまふに、寝殿(しんでん)の裏板(うらいた)の壁の少し黒かりければ、にはかに御覧(ごらん)じつけて、陸奥紙(みちのくにがみ)をつぶと押させたまへりけるがなかなか白く清(きよ)げに侍りける。
思ひよるべきことかはな。 思ひよるべきことかはな。
御家は今の世尊寺ぞかし。 御家は今の世尊寺(せそんじ)ぞかし。
御族の氏寺にておかれたるを、かやうのついでには、立ち入りて見給ふれば、まだその紙の押されて侍るこそ、昔にあへる心地してあはれに見給ふれ。 御族(ぞう)の氏寺(うぢでら)にておかれたるを、かやうのついでには、立ち入りて見たまふれば、まだその紙の押されて侍るこそ、昔にあへる心地(ここち)してあはれに見たまふれ。
かやうの御栄えを御覧じおきて、御年五十にだなたらでうさせ給へるあたらしさは、父大臣にもおとらせ給はずこそ、世の人惜しみ奉りしか。 かやうの御栄えを御覧じおきて、御年五十(いそじ)にだなたらでうさせたまへるあたらしさは、父大臣(おとど)にもおとらせたまはずこそ、世の人惜しみたてまつりしか。
   
   
   
その御男、女君たちあまたおはしましき。 その御男(をとこ)・女君(をんなぎみ)たちあまたおはしましき。
女君一人は、冷泉院の御寺の女御にて、花山院の御母、贈皇后宮にならせ給ひにき。 女君一人は、冷泉院の御寺の女御(にようご)にて、花山院の御母、贈(ぞう)皇后宮にならせたまひにき。
次々の女君二人は、法住寺の大臣の北の方にて、うちつづき失せさせ給ひにき。 次々の女君二人は、法住寺(ほふぢゆうじ)の大臣(おとど)の北の方にて、うちつづきうせさせたまひにき。
九の君は、冷泉院の御皇子の弾上の宮と申す御上にておはせしを、その宮失せ給ひて後、尼にていみじう行ひつとめておはすめり。 九の君は、冷泉院の御皇子(みこ)の弾上(だんじやう)の宮(みや)と申す御上(うへ)にておはせしを、その宮うせたまひて後(のち)、尼(あま)にていみじう行ひつとめておはすめり。
また、忠君の兵衛督の北の方にておはせしが、後には、六条の左大臣殿の御子の右大弁の上にておはしけるは、四の君とこそは。 また、忠君(ただきみ)の兵衛督(ひやうゑのかみ)の北の方にておはせしが、後(のち)には、六条の左大臣殿の御子(みこ)の右大弁(うだいべん)の上にておはしけるは、四の君とこそは。
   
また、花山院の御妹の女一の宮は失せ給ひにき。 また、花山院の御妹(いもうと)の女一の宮はうせたまひにき。
女二の宮は冷泉院の御時の斎宮に立たせ給ひて、円融院の御時の女御に参り給へりしほどもなく、内の焼けにしかば、火の宮と世の人つけ奉りき。 女二の宮は冷泉院の御時の斎宮(さいぐう)にたたせたまひて、円融院の御時の女御にまゐりたまへりしほどもなく、内(うち)の焼けにしかば、火(ひ)の宮(みや)と世の人つけたてまつりき。
さて二三度参り給ひて後、ほどもなく失せ給ひにき。 さて二三度まゐりたまひて後(のち)、ほどもなくうせたまひにき。
この宮に御覧ぜさせむとて、三宝絵はつくれるなり。 この宮に御覧(ごらん)ぜさせむとて、三宝絵(さんぽうゑ)はつくれるなり。
   
   
   
 男君達は、代明の親王の御女の腹に、前少将挙賢、後少将義孝とて、花を折り給ひし君達の、殿失せ給ひて、三年ばかりありて、天延二年甲戌の年、皰瘡おこりたるに、煩ひ給ひて、前少将は、朝に失せ、後少将は、夕に隠れ給ひにしぞかし。  男君たちは、代明(よあきら)の親王(みこ)の御女(むすめ)の腹に、前少将挙賢(たかかた)・後少将義孝(よしたか)とて、花を折りたまひし君たちの、殿(との)うせたまひて、三年ばかりありて、天延(てんえん)二年甲戌(きのえいぬ)の年、皰瘡(もがさ)おこりたるに、煩(わづら)ひたまひて、前少将は、朝(あした)にうせ、後少将は、夕(ゆふべ)にかくれたまひにしぞかし。
一日がうちに、二人の子を失ひ給へりし、母北の方の御心地いかなりけむ、いとこそ悲しく承りしか。 一日(ひとひ)がうちに、二人の子をうしなひたまへりし、母北の方の御心地(ここち)いかなりけむ、いとこそ悲しくうけたまはりしか。
   
 かの後少将は義孝とぞ聞えし。  かの後少将は義孝とぞ聞えし。
御容貌いとめでたくおはし、年頃きはめたる道心者にぞおはしける。 御かたちいとめでたくおはし、年頃(としごろ)きはめたる道心者(だうしんざ)にぞおはしける。
病重くなるままに、生くべくもおぼえ給はざりければ、母上に申し給ひけるやう、 病重くなるままに、生くべくもおぼえたまはざりければ、母上に申したまひけるやう、
「おのれ死に侍りぬとも、とかく例のやうにせさせ給ふな。 「おのれ死にはべりぬとも、とかく例(れい)のやうにせさせたまふな。
しばし法華経誦じ奉らむの本意侍れば、必ず帰りまうで来べし」 しばし法華経(ほけきやう)誦(ず)じたてまつらむの本意(ほい)侍れば、かならず帰りまうで来(く)べし」
と宣ひて、方便品を読み奉り給ひてぞ、失せ給ひける。 とのたまひて、方便品(はうべんぼん)を読みたてまつりたまひてぞ、うせたまひける。
その遺言を、母北の方忘れ給ふべきにはあらねども、ものも覚えでおはしければ、思ふに人のし奉りてけるにや、枕がへしなにやと、例のやうなる有様どもにしてければ、え帰り給はずなりにけり。 その遺言(ゆいごん)を、母北の方忘れたまふべきにはあらねども、ものも覚えでおはしければ、思ふに人のしたてまつりてけるにや、枕(まくら)がへしなにやと、例のやうなる有様どもにしてければ、え帰りたまはずなりにけり。
後に、母北の方の御夢に見え給へる、 後(のち)に、母北の方の御夢に見えたまへる、
   
♪44
しかばかり
 契りしものを
 渡り川
 かへるほどには
 忘るべしやは
 
しかばかり
 契りしものを
 渡り川
 かへるほどには
 忘るべしやは
   
 とぞ詠み給ひける、いかにくやしく思しけむな。 とぞよみたまひける、いかにくやしく思(おぼ)しけむな。
   
 さて後、ほど経て、賀縁阿闍梨と申す僧の夢に、この君達二人おはしけるが、兄、前少将いたうもの思へるさまにて、この後少将は、いと心地よげなるさまにておはしければ、阿闍梨、  さて後(のち)、ほど経(へ)て、賀縁(がえん)阿闍梨(あざり)と申す僧の夢に、この君たち二人おはしけるが、兄、前少将いたうもの思へるさまにて、この後少将は、いと心地(ここち)よげなるさまにておはしければ、阿闍梨、
「君はなど心地よげにておはする。 「君はなど心地よげにておはする。
母上は、君をこそ、兄君よりはいみじう恋ひ聞え給ふめれ」 母上は、君をこそ、兄君よりはいみじう恋ひきこえたまふめれ」
と聞えければ、いとあたはぬさまのけしきにて、 と聞えければ、いとあたはぬさまのけしきにて、
   
♪45
時雨とは
 蓮の花ぞ
 散りまがふ
 なにふるさとに
 袖濡らすらむ
 
しぐれとは
 蓮(はちす)の花ぞ
 散りまがふ
 なにふるさとに
 袖(そで)濡(ぬ)らすらむ
   
 など、うち詠み給ひける。 など、うちよみたまひける。
さて後、小野宮の実資の大臣の御夢に、おもしろき花の蔭げにおはしけるに、うつつにも語らひし御中にて、 さて後(のち)に、小野宮(をののみや)の実資(さねすけ)の大臣(おとど)の御夢に、おもしろき花のかげにおはしけるを、うつつにも語らひたまひし御中(なか)にて、
「いかでかくては。 「いかでかくは。
いづくにか」 いづくにか」
とめづらしがり申し給ひければ、 とめづらしがり申したまひければ、その御いらへに、
   
♪46
昔契蓬莱宮裏月
今遊極楽界中風

昔契蓬莱宮裏月
今遊極楽界中風
(昔ハ契リキ、蓬莱宮ノ裏ノ月ニ
 今ハ遊ブ、極楽界ノ中ノ風ニ)
昔ハ契リキ、蓬莱宮(ほうらいきゆう)ノ裏(うち)ノ月ニ
今ハ遊ブ、極楽界(ごくらくかい)ノ中(なか)ノ風ニ
   
 とぞ宣ひけるは、 とぞのたまひける。
極楽に生まれ給へるにぞあなる。 極楽に生れたまへるにぞあなる。
かやうにも夢など示い給はずとも、この人の御往生疑ひ申すべきならず。 かやうにも夢など示(しめ)いたまはずとも、この人の御往生(わうじやう)疑ひまうすべきならず。
   
 世の常の君達などのやうに、内裏わたりなどにて、おのづから女房と語らひ、はかなき事をだに宣はせざりけるに、いかなる折にかありけむ、細殿に立ち寄り給へれば、例ならずめづらしう物語り聞えさせけるが、やうやう夜中などにもなりやしぬらむと思ふほどに、立ち退き給ふを、いづ方へかとゆかしうて、人をつけ奉りて見せければ、北の陣出で給ふほどより、法華経をいみじう尊く誦じ給ふ。  世の常(つね)の君達(きんだち)などのやうに、内(うち)わたりなどにて、おのづから女房(にようばう)と語らひ、はかなきことをだにのたまはせざりけるに、いかなる折にかありけむ、細殿(ほそどの)に立ち寄りたまへれば、例(れい)ならずめづらしう物語りきこえさせけるが、やうやう夜中などにもなりやしぬらむと思ふほどに、立ち退(の)きたまふを、いづかたへかとゆかしうて、人をつけたてまつりて見せければ、北(きた)の陣(ぢん)出でたまふほどより、法華経(ほけきやう)をいみじう尊く誦(ずん)じたまふ。
大宮のぼりにおはして、世尊寺へおはしまし着きぬ。 大宮(おほみや)のぼりにおはして、世尊寺へおはしましつきぬ。
なほ見ければ、東の対の端なる紅梅のいみじく盛りに咲きたる下に立たせ給ひて、 なほ見ければ、東(ひんがし)の対(たい)の端(つま)なる紅梅(こうばい)のいみじく盛りに咲きたる下に立たせたまひて、
「滅罪生善、往生極楽」 「滅罪(めつざい)生善(しやうぜん)、往生(わうじやう)極楽(ごくらく)」
といふ、額を西に向きて、あまたたびつかせ給ひけり。 といふ、額(ぬか)を西に向(む)きて、あまたたびつかせたまひけり。
帰りて御有様語りければ、いといとあはれに聞き奉らぬ人なし。 帰りて御有様語りければ、いといとあはれに聞きたてまつらぬ人なし。
   
 この翁もその頃大宮なる所に宿りて侍りしかば、御声にこそおどろきていといみじう承りしか。  この翁(おきな)もその頃大宮なる所に宿りて侍りしかば、御声にこそおどろきていといみじううけたまはりしか。
起き出でて見奉りしかば、空は霞み渡りたるに月はいみじう明かくて、御直衣のいと白きに、濃き指貫に、よいほどに御くくりあげて、何色にか、色ある御衣どもの、ゆたちより多くこぼれ出でて侍りし御様体などよ。 起き出でて見たてまつりしかば、空は霞(かす)みわたりたるに月はいみじうあかくて、御直衣(なほし)のいと白きに、濃(こ)き指貫(さしぬき)に、よいほどに御くくりあげて、何色(なにいろ)にか、色ある御衣(おんぞ)どもの、ゆたちより多くこぼれ出でて侍りし御様体(やうだい)などよ。
御顔の色、月影に映えて、いと白く見えさせ給ひしに、鬢茎の掲焉にめでたくこそ、まことにおはしまししか。 御顔の色、月影に映(は)えて、いと白く見えさせたまひしに、鬢茎(びんぐき)の掲焉(けちえん)にめでたくこそ、まことにおはしまししか。
やがて見つぎ見つぎに御供に参りて、御額つかせ給ひしも見奉り侍りにき。 やがて見つぎ見つぎに御供(とも)にまゐりて、御額(ぬか)つかせたまひしも見たてまつりはべりにき。
いとかなしうあはれにこそ侍りしか。 いとかなしうあはれにこそ侍りしか。
御供には童一人ぞ候ふめりし。 御供(とも)には童(わらは)一人ぞさぶらふめりし。
   
また、殿上の逍遥侍りし時さらなり、こと人は皆、心々に狩装束めでたうせられたりけるに、この殿はいたう侍たれ給ひて、白き御衣どもに、香染の御狩衣、薄色の御指貫、いとはなやかならぬあはひにて、さし出で給へりけるこそ、なかなかに心を尽くしたる人よりはいみじうおはしましけれ。 また、殿上(てんじやう)の逍遥(せうえう)侍りし時さらなり、こと人はみな、こころごころに狩装束(かりしやうぞく)めでたうせられたりけるに、この殿(との)はいたう侍たれたまひて、白き御衣どもに、香染(かうぞめ)の御狩衣(かりぎぬ)、薄色(うすいろ)の御指貫(さしぬき)、いとはなやかならぬあはひにて、さし出でたまへりけるこそ、なかなかに心を尽(つ)くしたる人よりはいみじうおはしましけれ。
常の御事なれば、法華経、御口につぶやきて、紫檀の数珠の、水精の装束したる、ひき隠して持ち給ひける御用意などの、優にこそおはしましけれ。 常(つね)の御ことなれば、法華経、御口(くち)につぶやきて、紫檀(したん)の数珠(ずず)の、水精(すいせう)の装束(さうぞく)したる、ひき隠して持ちたまひける御用意などの、優(いう)にこそおはしましけれ。
大方、一生精進をはじめ給へる、まづありがたき事ぞかし。 おほかた、一生(いつしやう)精進(さうじん)をはじめたまへる、まづありがたきことぞかし。
なほなほ同じことのやうにおぼえ侍れど、いみじう見給へ聞きおきつる事は、申さまほしう。 なほなほ同じことのやうにおぼえはべれど、いみじう見たまへ聞きおきつることは、申さまほしう。
   
 この殿は、御かたちのありがたく、末の世にもさる人や出でおはしましがたからむとまでこそ見給へしか。  この殿は、御(おほん)かたちのありがたく、末の世にもさる人や出でおはしましがたからむとまでこそ見たまへしか。
雪のいみじう降りたりし日、一条の左大臣殿に参らせ給ひて、御前の梅の木に雪のいたう積りたるを折りて、うち振らせ給へりしかば、御上に、はらはらとかかりたりしが、御直衣の裏の花なりければ、かへりていと斑になりて侍りしに、もてはやされさせ給へりし御かたちこそ、いとめでたくおはしまししか。 雪のいみじう降りたりし日、一条(いちでう)の左大臣殿にまゐらせたまひて、御前(おまへ)の梅の木に雪のいたう積(つも)りたるを折りて、うち振らせたまへりしかば、御上に、はらはらとかかりたりしが、御直衣(なほし)の裏の花なりければ、かへりていと斑(まだら)になりて侍りしに、もてはやされさせたまへりし御かたちこそ、いとめでたくおはしまししか。
御兄の少将も、いとよくおはしましき。 御兄の少将も、いとよくおはしましき。
この弟殿はかくあまりにうるはしくおはせしをもどきて、すこし勇幹にあしき人にてぞおはせし。 この弟殿(おととどの)はかくあまりにうるはしくおはせしをもどきて、すこし勇幹(ようかん)にあしき人にてぞおはせし。
   
   
   
 その義孝の少将、桃園の源中納言保光卿の女の御腹に生まれ給へりし君ぞかし、今の侍従大納言行成卿、世の手書きとののしり給ふは。  その義孝の少将、桃園(ももぞの)の源(げん)中納言保光(やすみつ)卿の女(むすめ)の御腹にうまれたまへりし君ぞかし、今の侍従(じじゆう)大納言行成(ゆきなり)卿、世の手書きとののしりたまふは。
この殿の御男子、ただいまの但馬守実経の君、尾張守良経の君二人は、泰清の三位の女の腹なり。 この殿(との)の御男子(をのこご)、ただいまの但馬守(たじまのかみ)実経(さねつね)の君・尾張守(をはりのかみ)良経(よしつね)の君二人は、泰清(やすきよ)の三位(さんみ)の女の腹なり。
嫡腹の少将行経の君なり。 嫡腹(むかひばら)の少将行経(ゆきつね)の君なり。
女君は、入道殿の御子の、高松腹の権中納言殿の北の方にておはせし、失せ給ひにきかし。 女君(をんなぎみ)は、入道殿(にふだうどの)の御子(みこ)の、高松腹(たかまつばら)の権(ごん)中納言殿の北の方にておはせし、うせたまひにきかし。
また、今の丹波守経頼の君の北の方にておはす。 また、今の丹波守(たんばのかみ)経頼(つねより)の君の北の方にておはす。
また、大姫君おはしますとか。 また、大姫君(おほひめぎみ)おはしますとか。
   
 この侍従大納言殿こそ、備後介とてまだ地下におはせし時、蔵人頭になり給へる、例いとめづらしき事よな。  この侍従大納言殿こそ、備後介(びごのすけ)とてまだ地下(ぢげ)におはせし時、蔵人頭(くらうどのとう)になりたまへる、例(れい)いとめづらしきことよな。
その頃は、源民部卿殿は、職事にておはしますに、上達部になり給ふべければ、一条院、 その頃は、源民部卿殿(げんみんぶきようどの)は、職事(しきじ)にておはしますに、上達部(かんだちめ)になりたまふべければ、一条院(いちでうゐん)、
「この次にはまた誰かなるべき」 「この次にはまた誰(たれ)かなるべき」
と問はせ給ひければ、 と問はせたまひければ、
「行成なむまかりなるべき人に候ふ」 「行成なむまかりなるべき人にさぶらふ」
と奏させ給ひけるを、 と奏(そう)させたまひけるを、
「地下の者はいかがあるべからむ」 「地下(ぢげ)の者はいかがあるべからむ」
と宣はせければ、 とのたまはせければ、
「いとやむごとなき者に候ふ。 「いとやむごとなき者にさぶらふ。
地下など思し召し憚らせ給ふまじ。 地下など思(おぼ)し召(め)し憚(はばか)らせたまふまじ。
行く末にもおほやけに、何事にもつかうまつらむにたへたる者になむ。 ゆく末にもおほやけに、何事にもつかうまつらむにたへたる者になむ。
かやうなる人を御覧じ分かぬは、世のため悪しき事に侍り。 かやうなる人を御覧(ごらん)じ分(わ)かぬは、世のためあしきことに侍り。
善悪をわきまへおはしませばこそ、人も心遣ひはつかうまつれ。 善悪をわきまへおはしませばこそ、人も心遣(こころづか)ひはつかうまつれ。
この際になさせ給はざらむは、いと口惜しき事にこそ候はめ」 このきはになさせたまはざらむは、いと口惜(くちを)しきことにこそさぶらはめ」
と申させ給ひければ、道理の事とは言ひながら、なり給ひにしぞかし。 と申させたまひければ、道理のこととはいひながら、なりたまひにしぞかし。
   
   
   
 大方昔は、前頭の挙によりて、後の頭はなる事にて侍りしなり。  おほかた昔は、前頭(さきのとう)の挙(きよ)によりて、後(のち)の頭はなることにて侍りしなり。
されば、殿上に、我なるべしなど、思ひ給へりける人は、今宵と聞きて参り給へるに、いづこもととかにさしあひ給へりけるを、 されば、殿上(てんじやう)に、われなるべしなど、思ひたまへりける人は、今宵(こよひ)と聞きてまゐりたまへるに、いづこもととかにさしあひたまへりけるを、
「誰ぞ」 「誰(たれ)ぞ」
と問ひ給ひければ、御名のりし給ひて、 と問ひたまひければ、御名のりしたまひて、
「頭になしたびたれば、参りて侍るなり」 「頭になしたびたれば、まゐりて侍るなり」
とあるに、あさましとあきれてこそ、動きもせで立ち給ひたりけれ。 とあるに、あさましとあきれてこそ、動きもせで立ちたまひたりけれ。
げに思ひがけぬ事なれば、道理なりや。 げに思ひがけぬことなれば、道理なりや。
   
 この源民部卿かく申しなし給へることを思し知りて、従二位の折かとよ、越え申し給ひしかど、さらに上に居給はざりき。   この源民部卿かく申しなしたまへることを思(おぼ)し知りて、従二位の折かとよ、越えまうしたまひしかど、さらに上(かみ)に居(ゐ)たまはざりき。
かの殿出で給ふ日は、われ、病まうし、またともに出で給ふ日は、われ、病まうし、またともに出で給ふ日は、むかへ座などにぞ居給ひし。 かの殿(との)出でたまふ日は、われ、病(やまひ)まうし、またともに出でたまふ日は、われ、病(やまひ)まうし、またともに出でたまふ日は、むかへ座(ざ)などにぞ居(ゐ)たまひし。
さて民部卿正二位の折こそは、もとのやうに下﨟になり給ひしか。 さて民部卿正二位の折こそは、もとのやうに下臈(げらふ)になりたまひしか。
   
 大方、この御族の頭争ひに、敵をつき給へば、これもいかがおはすべからむ。  おほかた、この御族(ぞう)の頭争(とうあらそ)ひに、敵(かたき)をつきたまへば、これもいかがおはすべからむ。
みな人知ろしめしたることなれど、朝成の中納言と一条摂政と同じ折の殿上人にて、品のほどこそ、一条殿とひとしからねど、身の才、人覚え、やむごとなき人なりければ、頭になるべき次第いたりたるに、またこの一条殿さらなり、道理の人にておはしけるを、この朝成の君申し給ひけるやう、 みな人知ろしめしたることなれど、朝成(あさひら)の中納言と一条摂政と同じ折の殿上人(てんじやうびと)にて、品(しな)のほどこそ、一条殿とひとしからねど、身の才(ざえ)・人覚(ひとおぼ)え、やむごとなき人なりければ、頭になるべき次第(しだい)いたりたるに、またこの一条殿さらなり、道理の人にておはしけるを、この朝成の君申したまひけるやう、
「殿はならせ給はずとも、人わろく思ひ申すべきにあらず。 「殿(との)はならせたまはずとも、人わろく思ひ申すべきにあらず。
後々にも御心にまかせさせ給へり。 後々(のちのち)にも御心(みこころ)にまかせさせたまへり。
おのれは、このたびまかりはづれなば、いみじう辛かるべきことにてなむ侍るべきを、このたび、申させ給はで侍りなむや」 おのれは、このたびまかりはづれなば、いみじう辛(から)かるべきことにてなむ侍るべきを、このたび、申させたまはで侍りなむや」
と申し給ひければ、 と申したまひければ、
「ここにもさ思ふことなり。 「ここにもさ思ふことなり。
さらば申さじ」 さらば申さじ」
と宣ふを、いとうれしと思はれけるに、いかに思しなりにけることにか、やがて問ひごともなく、なり給ひにければ、かく謀り給ふべしやはと、いみじう心やましと思ひ申されけるに、御中よからぬやうにて過ぎ給ふほどに、この一条院殿のつかまつり人とかやのために、なめきことしたうびたりけるを、 とのたまふを、いとうれしと思はれけるに、いかに思しなりにけることにか、やがて問ひごともなく、なりたまひにければ、かく謀(はか)りたまふべしやはと、いみじう心やましと思ひまうされけるに、御中(なか)よからぬやうにて過ぎたまふほどに、この一条院殿のつかまつり人とかやのために、なめきことしたうびたりけるを、
「本意なしなどばかりは思ふとも、いかに、ことにふれてわれなどをば、かくなめげにもてなしぞ」 「本意(ほい)なしなどばかりは思ふとも、いかに、ことにふれてわれなどをば、かくなめげにもてなしぞ」
と、むつかり給ふと聞きて、 と、むつかりたまふと聞きて、
「あやまたぬよしも申さむ」 「あやまたぬよしも申さむ」
とて、まゐられたりけるに、はやうの人は、われより高き所にまうでては、 とて、まゐられたりけるに、はやうの人は、われより高き所にまうでては、
「こなたへ」 「こなたへ」
となき限りは、上にものぼらで、下に立てることになむありけるを、これは六七月のいと暑くたへがたき頃、かくと申させて、今や今やと、中門に立ちて待つほどに、西日もさしかかりて暑くたへがたしとはおろかなり、心地もそこなはれぬべきに、 となきかぎりは、上(うへ)にものぼらで、下(しも)に立てることになむありけるを、これは六七月のいと暑くたへがたき頃、かくと申させて、今や今やと、中門(ちゆうもん)に立ちて待つほどに、西日(にしび)もさしかかりて暑くたへがたしとはおろかなり、心地(ここち)もそこなはれぬべきに、
「はやう、この殿は、われをあぶり殺さむと思すにこそありけれ。 「はやう、この殿(との)は、われをあぶり殺さむと思(おぼ)すにこそありけれ。
益なくも参りにけるかな」 益(やく)なくもまゐりにけるかな」
と思ふに、すべて悪心おこるとは、おろかなり。 と思ふに、すべて悪心(あくしん)おこるとは、おろかなり。
夜になるほどに、さてあるべきならねば、笏をおさへて立ちければ、はたらと折れけるは。 夜(よる)になるほどに、さてあるべきならねば、笏(しやく)をおさへて立ちければ、はたらと折れけるは。
いかばかりの心をおこされにけるにか。 いかばかりの心をおこされにけるにか。
さて家に帰りて、 さて家に帰りて、
「この族ながく絶たむ。 「この族(ぞう)ながく絶(た)たむ。
もし男子も女子もありとも、はかばかしくてはあらせじ。 もし男子(をのこご)も女子(をんなご)もありとも、はかばかしくてはあらせじ。
あはれといふ人もあらば、それをも恨みむ」 あはれといふ人もあらば、それをも恨(うら)みむ」
など誓ひて、失せ給ひにければ、代々の御悪霊とこそはなり給ひたれ。 など誓ひて、うせたまひにければ、代々(だいだい)の御悪霊(あくりやう)とこそはなりたまひたれ。
されば、まして、この殿近くおはしませば、いと恐ろし。 されば、まして、この殿(との)近くおはしませば、いとおそろし。
殿の御夢に、南殿の御後、かならず人の参るに通る所よな、そこに人の立ちたるを、誰ぞと見れど、顔は戸の上に隠れたれば、よくも見えず。 殿の御夢に、南殿(なでん)の御後(うしろ)、かならず人のまゐるに通る所よな、そこに人の立ちたるを、誰(たれ)ぞと見れど、顔は戸の上(かみ)に隠れたれば、よくも見えず。
あやしくて、 あやしくて、
「誰そ誰そ」 「誰(た)そ誰(た)そ」
と、あまたたび問はれて、 と、あまたたび問はれて、
「朝成に侍り」 「朝成(あさひら)に侍り」
といらふるに、夢のうちにもいと恐ろしけれど、念じて、 といらふるに、夢のうちにもいとおそろしけれど、念じて、
「などかくては立ち給ひたるぞ」 「などかくては立ちたまひたるぞ」
と問ひ給ひければ、 と問ひたまひければ、
「頭弁の参らるるを待ち侍るなり」 「頭弁(とうのべん)のまゐらるるを待ちはべるなり」
といふと見給ひて、おどろきて、 といふと見たまひて、おどろきて、
「今日は公事ある日なれば、とく参らるらむ。 「今日は公事(くじ)ある日なれば、とくまゐらるらむ。
不便なるわざかな」 不便(ふびん)なるわざかな」
とて、 とて、
「夢に見え給へることあり。 「夢に見えたまへることあり。
今日は御病まうしなどもして、物忌かたくして、なにか参り給ふ。 今日は御病まうしなどもして、物忌(ものいみ)かたくして、なにかまゐりたまふ。
こまかにはみづから」 こまかにはみづから」
と書きて急ぎ奉り給へど、ちがひていととく参り給ひにけり。 と書きて急ぎ奉りたまへど、ちがひていととくまゐりたまひにけり。
まもりのこはくやおはしけむ、例のやうにはあらで、北の陣より藤壺、後涼殿のはさまより通りて、殿上に参り給へるに、 まもりのこはくやおはしけむ、例(れい)のやうにはあらで、北(きた)の陣(ぢん)より藤壺(ふぢつぼ)・後涼殿(こうらうでん)のはさまより通りて、殿上(てんじやう)にまゐりたまへるに、
「こはいかに。御消息奉りつるは、御覧ぜざりつるか。 「こはいかに。御消息(せうそこ)奉りつるは、御覧(ごらん)ぜざりつるか。
かかる夢をなむ見侍りつるは」 かかる夢をなむ見はべりつるは」
手をはたと打ちて、いかにぞと、こまかにも問ひ申させ給はず、また二つものも宣はで出で給ひにけり。 手をはたと打ちて、いかにぞと、こまかにも問ひ申させたまはず、また二つものものたまはで出でたまひにけり。
さて御祈などして、しばしは内へも参り給はざりけり。 さて御祈(いのり)などして、しばしは内(うち)へもまゐりたまはざりけり。
この物の怪の家は、三条よりは北、西洞院よりは西なり。 この物(もの)の怪(け)の家は、三条(さんでう)よりは北、西洞院(にしのとうゐん)よりは西なり。
今に一条殿の御族あからさまにも入らぬところなり。 今に一条殿の御族(ぞう)あからさまにも入らぬところなり。
   
   
   
 この大納言殿、よろづにととのひ給へるに、和歌の方や少しおくれ給へりけむ。 この大納言殿、よろづにととのひたまへるに、和歌の方や少しおくれたまへりけむ。
殿上に歌論義といふこと出できて、その道の人々、いかが問答すべきなど、歌の学問よりほかのこともなきに、この大納言殿は、ものも宣はざりければ、いかなる事ぞとて、なにがしの殿の、 殿上(てんじよう)に歌論義(うたろぎ)といふこと出できて、その道の人々、いかが問答(もんだふ)すべきなど、歌の学問よりほかのこともなきに、この大納言殿は、ものものたまはざりければ、いかなることぞとて、なにがしの殿(との)の、
「難波津に咲くやこの花冬ごもり、いかに」 「難波津(なにはづ)に咲くやこの花冬ごもり、いかに」
と聞えさせ給ひければ、とばかりものも宣はで、いみじう思し案ずるさまにもてなして、 と聞えさせたまひければ、とばかりものものたまはで、いみじう思((おぼ)し案(あん)ずるさまにもてなして、
「え知らず」 「え知らず」
と答へさせ給へりけるに、人々笑ひて、こと醒)めすこしいたらぬ事にも、御魂の深くおはして、らうらうじうしなし給ひける御根性にて、帝幼くおはしまして、人々に、 と答へさせたまへりけるに、人々笑ひて、こと醒(さ))めすこしいたらぬことにも、御魂(たましひ)の深くおはして、らうらうじうしなしたまひける御根性(こんじよう)にて、帝(みかど)幼くおはしまして、人々に、
「遊び物ども参らせよ」 「遊び物どもまゐらせよ」
と仰せられければ、さまざま、金銀など心を尽くして、いかなることをがなと、風流をし出でて、持て参りあひたるに、この殿は、こまつぶりにむらごの緒つけて奉り給へりければ、 と仰(おほ)せられければ、さまざま、金(こがね)・銀(しろかね)など心を尽(つ)くして、いかなることをがなと、風流(ふりう)をし出でて、持(も)てまゐりあひたるに、この殿(との)は、こまつぶりにむらごの緒(を)つけて奉りたまへりければ、
「あやしの物のさまや。 「あやしの物のさまや。
こはなにぞ」 こはなにぞ」
と問はせ給ひければ、 と問はせたまひければ、
「しかじかの物になむ」 「しかじかの物になむ」
と申す、 と申す、
「まはして御覧じおはしませ。 「まはして御覧(ごらん)じおはしませ。
興ある物になむ」 興(きよう)ある物になむ」
と申されければ、南殿のうちに、のこらずくるべき歩けば、いみじう興ぜさせ給ひて、これをのみ、つねに御覧じあそばせ給へば、こと物どもは籠められにけり。 と申されければ、南殿(なでんに出でさせおはしまして、まはさせたまふに、いと広き殿(との)のうちに、のこらずくるべき歩(ある)けば、いみじう興ぜさせたまひて、これをのみ、つねに御覧じあそばせたまへば、こと物どもは籠(こ)められにけり。
   
 また、殿上人、扇どもしてまゐらするに、こと人々は、骨に蒔絵をし、あるは、金銀、沈、紫壇の骨になむ筋を入れ、彫物をし、えもいはぬ紙どもに、人のなべて知らぬ歌や詩や、また六十余国の歌枕に名あがりたる所々などを書きつつ、人人まゐらするに、例のこの殿は、骨の漆ばかりをかしげに塗りて、黄なる唐紙の下絵ほのかにをかしきほどなるに、表の方には楽府をうるはしく真に書き、裏には御筆とどめて草にめでたく書きて奉り給へりければ、うち返しうち返し御覧じて、御手箱に入れさせ給ひて、いみじき御宝と思し召したりければ、こと扇どもは、ただ御覧じ興ずるばかりにてやみにけり。  また、殿上人(てんじやうびと)、扇(あふぎ)どもしてまゐらするに、こと人々は、骨に蒔絵(まきゑ)をし、あるは、金・銀・沈(ぢん)・紫壇(したん)の骨になむ筋(すぢ)を入れ、彫物(ほりもの)をし、えもいはぬ紙どもに、人のなべて知らぬ歌や詩や、また六十余国の歌枕(うたまくら)に名あがりたる所々などを書きつつ、人人まゐらするに、例(れい)のこの殿(との)は、骨の漆(うるし)ばかりをかしげに塗(ぬ)りて、黄(き)なる唐紙(からかみ)の下絵(したゑ)ほのかにをかしきほどなるに、表(おもて)の方には楽府(がくふ)をうるはしく真(しん)に書き、裏には御筆(ふで)とどめて草(さう)にめでたく書きて奉りたまへりければ、うち返しうち返し御覧(ごらん)じて、御手箱(てばこ)に入れさせたまひて、いみじき御宝(たから)と思(おぼ)し召(め)したりければ、こと扇どもは、ただ御覧じ興(きよう)ずるばかりにてやみにけり。
いずれもいずれも、帝王の御感侍るにます事やはあるべきよな。 いずれもいずれも、帝王(みかど)の御感(ぎよかん)侍るにますことやはあるべきよな。
   
   
   
 いみじき秀句宣へる人なり。 いみじき秀句(すく)のたまへる人なり。
この高陽院殿にて競馬ある日、鼓は、讃岐前司明理ぞ打ち給ひし。 この高陽院殿(かやゐんどの)にて競馬(くらべうま)ある日、鼓(つづみ)は、讃岐前司明理(さぬきのぜんじあきまさ)ぞ打ちたまひし。
一番にはなにがし、二番にはかがしなどいひしかど、その名こそ覚えね。 一番にはなにがし、二番にはかがしなどいひしかど、その名こそ覚えね。
勝つべき方の鼓をあしう打ちさげて、負になりにければ、その随身の、やがて馬の上にて、ない腹を立ちて、見返るままに、 勝つべき方の鼓をあしう打ちさげて、負(まけ)になりにければ、その随身(ずいじん)の、やがて馬の上にて、ない腹(ばら)を立ちて、見返るままに、
「あなわざはひや。 「あなわざはひや。
かばかりのことをだにしそこなひ給ふよ。 かばかりのことをだにしそこなひたまふよ。
かかれば、『明理、行成』と一双にいはれ給ひしかども、一の大納言にて、いとやむごとなくて候はせ給ふに、くさりたる讃岐前司古受領の、鼓打ちそこなひて、立ち給ひたるぞかし」 かかれば、『明理・行成(ゆきなり)』と一双(いつさう)にいはれたまひしかども、一(いち)の大納言にて、いとやむごとなくてさぶらはせたまふに、くさりたる讃岐前司古受領(ふるずりやう)の、鼓打ちそこなひて、立ちたまひたるぞかし」
と放言したいまつりけるを、大納言聞かせ給ひて、 と放言(はうごん)したいまつりけるを、大納言聞かせたまひて、
「明理の濫行に、行成が醜名呼ぶべきにあらず。 「明理の濫行(らんかう)に、行成が醜名(しこな)呼ぶべきにあらず。
いと辛い事なり」 いと辛(から)いことなり」
とて、笑はせ給ひければ、人々、 とて、笑はせたまひければ、人々、
「いみじう宣はせたり」 「いみじうのたまはせたり」
とて、興じ奉りて、その頃のいひごとにこそし侍りしか。 とて、興(きよう)じたてまつりて、その頃のいひごとにこそしはべりしか。
   
   
   
また、一条摂政殿の御男子、花山院の御時、帝の御舅にて、義懐の中納言と聞えし、少将たちの同じ腹よ。 また、一条摂政殿の御男子(をのこご)、花山院の御時、帝(みかど)の御舅(をぢ)にて、義懐(よしちか)の中納言と聞えし、少将たちの同じ腹よ。
その御時は、いみじうはなやぎ給ひしに、帝の出家せさせ給ひてしかば、やがて、われも、遅れ奉らじとて、花山まで尋ね参りて、一日をはさめて、法師になり給ひにき。 その御時は、いみじうはなやぎたまひしに、帝の出家(すけ)せさせたまひてしかば、やがて、われも、遅れたてまつらじとて、花山(はなやま)まで尋ねまゐりて、一日をはさめて、法師になりたまひにき。
飯室といふ所に、いと尊く行ひてぞかくれ給ひにし。 飯室(いひむろ)といふ所に、いと尊く行ひてぞかくれたまひにし。
その中納言、文盲にこそおはせしかど、御心魂いとかしこく、有識におはしまして、花山院の御時の政は、ただこの殿と惟成の弁として行ひ給ひければ、いといみじかりしぞかし。 その中納言、文盲(もんまう)にこそおはせしかど、御心(こころ)魂(たましひ)いとかしこく、有識(いうそく)におはしまして、花山院の御時の政(まつりごと)は、ただこの殿(との)と惟成(これしげ)の弁(べん)として行ひたまひければ、いといみじかりしぞかし。
   
 その帝をば、  その帝をば、
「内劣りの外めでた」 「内劣(うちおと)りの外(と)めでた」
とぞ、世の人、申しし。 とぞ、世の人、申しし。
「冬の臨時の祭の、日の暮るる、あしきことなり。 「冬(ふゆ)の臨時(りんじ)の祭(まつり)の、日の暮るる、あしきことなり。
辰の時に人々参れ」 辰(たつ)の時に人々まゐれ」
と、宣旨下させ給ふを、さぞ仰せらるとも、巳、午の時にぞはじまらむなど思ひ給へりけるに、舞人の君達装束給はりに参りおはさうじたりければ、帝は御装束奉りて、立たせおはしましたりけるに、この入道殿も舞人にておはしましければ、この頃、語らせ給ふなるを、伝へて承るなり。 と、宣旨(せんじ)下させたまふを、さぞ仰(おほ)せらるとも、巳(み)・午(うま)の時にぞはじまらむなど思ひたまへりけるに、舞人(まひびと)の君達(きんだち)装束(さうぞく)たまはりにまゐりおはさうじたりければ、帝は御装束たてまつりて、立たせおはしましたりけるに、この入道殿も舞人にておはしましければ、この頃、語らせたまふなるを、伝へてうけたまはるなり。
あかく大路など渡るがよかるべきにやと思ふに、帝、馬をいみじう興ぜさせ給ひければ、舞人の馬を後涼殿の北の馬道より通させ給ひて、朝餉の壺にひきおろさせ給ひて、殿上人どもを乗せて御覧ずるをだに、あさましう人々思ふに、はては乗らむとさへせさせ給ふに、すべき方もなくて候ひあひ給へるほどに、さるべきにや侍りけむ、入道中納言さし出で給へりけるに、帝、御おもていと赤くならせ給ひて、術なげに思し召したり。 あかく大路(おほち)などわたるがよかるべきにやと思ふに、帝、馬をいみじう興(きよう)ぜさせたまひければ、舞人の馬を後涼殿(こうらうでん)の北の馬道(めだう)より通させたまひて、朝餉(あさがれひ)の壺(つぼ)にひきおろさせたまひて、殿上人(てんじやうびと)どもを乗せて御覧(ごらん)ずるをだに、あさましう人々思ふに、はては乗らむとさへせさせたまふに、すべき方もなくてさぶらひあひたまへるほどに、さるべきにや侍りけむ、入道中納言さし出でたまへりけるに、帝、御おもていと赤くならせたまひて、術(ずち)なげに思(おぼ)し召(め)したり。
中納言もいとあさましう見奉り給へど、人々の見るに、制し申さむも、なかなか見苦しければ、もてはやし興じ申し給ふにもてなしつつ、みづから下襲のしりはさみて乗り給ひぬ。 中納言もいとあさましう見たてまつりたまへど、人々の見るに、制(せい)しまうさむも、なかなか見ぐるしければ、もてはやし興じまうしたまふにもてなしつつ、みづから下襲(したがさね)のしりはさみて乗りたまひぬ。
さばかりせばき壺に折りまはし、おもしろくあげ給へば、御けしき直りて、悪しき事にはなかりけり、と思し召して、いみじう興ぜさせ給ひけるを、中納言あさましうもあはれにも思さるる御けしきは、同じ御心によからぬことを囃し申し給ふとは見えず、誰もさぞかしとは見知り聞えさする人もありければこそは、かくも申し伝へたれな。 さばかりせばき壺(つぼ)に折りまはし、おもしろくあげたまへば、御けしきなほりて、あしきことにはなかりけり、と思(おぼ)し召(め)して、いみじう興(きよう)ぜさせたまひけるを、中納言あさましうもあはれにも思さるる御けしきは、同じ御心(みこころ)によからぬことを囃(はや)しまうしたまふとは見えず、誰(たれ)もさぞかしとは見知りきこえさする人もありければこそは、かくも申し伝へたれな。
また、 また、
「みづから乗り給ふまではあまりなり」 「みづから乗りたまふまではあまりなり」
といふ人もありけり。 といふ人もありけり。
   
 これならず、ひたぶるに色にはいたくも見えず、ただ御本性のけしからぬさまに見えさせ給へば、いと大事にぞ。  これならず、ひたぶるに色にはいたくも見えず、ただ御本性(ほんじやう)のけしからぬさまに見えさせたまへば、いと大事(だいじ)にぞ。
されば源民部卿は、 されば源民部卿(げんみんぶきよう)は、
「冷泉院の狂ひよりは、花山院の狂ひは術なきものなれ」 「冷泉院の狂(くる)ひよりは、花山院の狂ひは術(ずち)なきものなれ」
と申し給ひければ、入道殿は、 と申したまひければ、入道殿は、
「いと不便なることをも申さるるかな」 「いと不便(ふびん)なることをも申さるるかな」
と仰せられながら、いといみじう笑はせ給ひけり。 と仰(おほ)せられながら、いといみじう笑はせたまひけり。
   
 この義懐の中納言の御出家、惟成の弁の勧め聞えられたりけるとぞ。  この義懐(よしちか)の中納言の御出家(すけ)、惟成(これしげ)の弁(べん)の勧(すす)めきこえられたりけるとぞ。
いみじういたりありける人にて、 いみじういたりありける人にて、
「いまさらに、よそ人にてまじらひ給はむ見苦しかりなむ」 「いまさらに、よそ人(びと)にてまじらひたまはむ見ぐるしかりなむ」
と聞えさせければ、げにさもと、いとど思して、なり給ひにしを、もとよりおこし給はぬ道心なれば、いかがと人思ひ聞えしかど、落ち居給へる御心の本性なれば、懈怠なく行ひ給ひて、失せ給ひにしぞかし。 と聞えさせければ、げにさもと、いとど思して、なりたまひにしを、もとよりおこしたまはぬ道心(だうしん)なれば、いかがと人思ひきこえしかど、落(お)ち居(ゐ)たまへる御心(みこころ)の本性なれば、懈怠(けたい)なく行ひたまひて、うせたまひにしぞかし。
   
 その御子は、ただいまの飯室の僧都、また、絵阿闍梨の君、入道中将成房の君なり。  その御子(みこ)は、ただいまの飯室(いひむろ)の僧都(そうづ)、また、絵阿闍梨(ゑあざり)の君(きみ)、入道中将成房(なりふさ)の君なり。
この三人、備中守為雅の女の腹なり。 この三人(みたり)、備中守(びつちゆうのかみ)為雅(ためまさ)の女(むすめ)の腹なり。
その中将の女は、定経のぬしの妻にてこそはおはすめれ。 その中将の女は、定経(さだつね)のぬしの妻(め)にてこそはおはすめれ。
一条殿の御族は、いかなることにか、御命短くぞおはしますめる。 一条殿の御族(ぞう)は、いかなることにか、御命短くぞおはしますめる。
   
   
   
花山院の、御出家の本意あり、いみじう行はせ給ひ、修行せさせ給はぬところなし。 花山院の、御出家(すけ)の本意(ほい)あり、いみじう行はせたまひ、修行(すぎやう)せさせたまはぬところなし。
されば、熊野の道に千里の浜といふ所にて、御心地そこなはせ給へれば、浜づらに石のあるを御枕にて、大殿籠りたるに、いと近く海人の塩焼く煙の立ちのぼる心細さ、げにいかにあはれに思されけむな。 されば、熊野(くまの)の道に千里(ちさと)の浜といふところにて、御心地(ここち)そこなはせたまへれば、浜づらに石のあるを御枕にて、大殿籠(おほとのごも)りたるに、いと近く海人(あま)の塩焼く煙(けぶり)の立ちのぼる心ぼそさ、げにいかにあはれに思されけむな。
   
♪47
旅の空
 夜半のけぶりと
 のぼりなば
 海人の藻塩火
 焚くかとや見む
 
旅の空
 夜半(よは)のけぶりと
 のぼりなば
 海人(あま)の藻塩火(もしほび)
 焚(た)くかとや見む
   
 かかるほどに、御験いみじうつかせ給ひて、中堂にのぼらせ給へる夜、験競べしけるを、試むと思し召して、御心のうちに念じおはしましければ、護法つきたる法師、おはします御屏風のつらに引きつけられて、ふつと動きもせず、あまり久しくなれば、今はとてゆるさせ給ふ折ぞ、つけつる僧どものがり、をどりいぬるを、  かかるほどに、御験(ごげん)いみじうつかせたまひて、中堂(ちゆうだう)にのぼらせたまへる夜(よ)、験競(げんくら)べしけるを、試(こころみ)むと思(おぼ)し召(め)して、御心(みこころ)のうちに念(ねん)じおはしましければ、護法(ごほふ)つきたる法師、おはします御屏風(びやうぶ)のつらに引きつけられて、ふつと動きもせず、あまりひさしくなれば、今はとてゆるさせたまふ折ぞ、つけつる僧どものがり、をどりいぬるを、
「はやう院の御護法の引き取るにこそありけれ」 「はやう院(ゐん)の御護法の引き取るにこそありけれ」
と、人々あはれに見奉る。 と、人々あはれに見たてまつる。
それ、さることに侍り。 それ、さることに侍り。
験も品によることなれば、いみじき行ひ人なりとも、いかでかなずらひ申さむ。 験(げん)も品(しな)によることなれば、いみじき行(おこな)ひ人(びと)なりとも、いかでかなずらひまうさむ。
前生の御戒力に、また、国王の位をすて給へる出家の御功徳、かぎりなき御事にこそおはしますらめ。 前生(ぜんしやう)の御戒力(かいりき)に、また、国王の位をすてたまへる出家(すけ)の御功徳(くどく)、かぎりなき御ことにこそおはしますらめ。
ゆく末までも、さばかりならせ給ひなむ御心には、懈怠せさせ給ふべきことかはな。 ゆく末までも、さばかりならせたまひなむ御心には、懈怠(けだい)せさせたまふべきことかはな。
それに、いとあやしくならせ給ひにし御心あやまちも、ただ御物の怪のし奉りぬるにこそ侍めりしか。 それに、いとあやしくならせたまひにし御心あやまちも、ただ御物(もの)の怪(け)のしたてまつりぬるにこそ侍(はべ)めりしか。
   
 なかにも、冷泉院の、南院におはしましし時、焼亡ありし夜、御とぶらひに参らせ給へりし有様こそ不思議に候ひしか。  なかにも、冷泉院の、南院(みなみのゐん)におはしましし時、焼亡(せうまう)ありし夜(よ)、御とぶらひにまゐらせたまへりし有様こそ不思議にさぶらひしか。
御親の院は御車にて二条町尻の辻に立たせ給へり。 御親の院は御車(みくるま)にて二条町尻(まちじり)の辻(つじ)に立たせたまへり。
この院は御馬にて、頂に鏡いれたる笠、頭光に奉りて、 この院は御馬にて、頂(いただき)に鏡いれたる笠、頭光(づくわう)にたてまつりて、
「いづくにかおはします、いづくにかおはします」 「いづくにかおはします、いづくにかおはします」
と、御手づから人ごとに尋ね申させ給へば、 と、御手づから人ごとに尋ね申させたまへば、
「そこそこになむ」 「そこそこになむ」
と聞かせ給ひて、おはしましどころへ近く降りさせ給ひぬ。 と聞かせたまひて、おはしましどころへ近く降りさせたまひぬ。
御馬の鞭腕に入れて、御車の前に御袖うち合せて、いみじうつきづきしう居させ給へりしは、さることやは侍りしとよ。 御馬の鞭腕(むちかひな)に入れて、御車の前に御袖(そで)うち合(あは)せて、いみじうつきづきしう居(ゐ)させたまへりしは、さることやは侍りしとよ。
それにまた、冷泉院の、御車のうちより、高やかに神楽歌をうたはせ給ひしは、さまざま興あることをも見聞くかなと、おぼえ候ひし。 それにまた、冷泉院の、御車のうちより、高やかに神楽歌(かぐらうた)をうたはせたまひしは、さまざま興(きよう)あることをも見聞くかなと、おぼえさぶらひし。
明順のぬしの、 明順(あきのぶ)のぬしの、
「庭火、いと猛なりや」 「庭火(にはび)、いと猛(まう)なりや」
と宣へりけるにこそ、万人えたへず笑ひ給ひにけれ。 とのたまへりけるにこそ、万人(ばんにん)えたへず笑ひたまひにけれ。
   
 あてまた、花山院の、ひととせ、祭のかへさ御覧ぜし御有様は、誰も見奉り給ひけむな。  あてまた、花山院の、ひととせ、祭(まつり)のかへさ御覧(ごらん)ぜし御有様は、誰(たれ)も見たてまつりたまひけむな。
前の日、こと出させ給へりしたびのことぞかし。 前の日、こと出(いだ)させたまへりしたびのことぞかし。
さることあらむまたの日は、なほ御歩きなどなくてもあるべきに、いみじき一のものども、高帽頼勢をはじめとして、御車のしりに多くうちむれ参りしけしきども、いへばおろかなり。 さることあらむまたの日は、なほ御歩(あり)きなどなくてもあるべきに、いみじき一(いち)のものども、高帽頼勢(かうぼうらいせい)をはじめとして、御車(みくるま)のしりに多くうちむれまゐりしけしきども、いへばおろかなり。
なによりも御数珠のいと興ありしなり。 なによりも御数珠(ずず)のいと興(きよう)ありしなり。
小さき柑子をおほかたの玉には貫かせ給ひて、達磨には大柑子をしたる御数珠、いと長く御指貫に具して出させ給へりしは、さる見物やは候ひしな。 小さき柑子(かうじ)をおほかたの玉には貫(つらぬ)かせたまひて、達磨(だつま)には大柑子(おほかうじ)をしたる御数珠、いと長く御指貫(さしぬき)に具(ぐ)して出(いだ)させたまへりしは、さる見物(みもの)やはさぶらひしな。
紫野にて、人人、御車に目をつけ奉りたりしに、検非違使参りて、昨日、こと出したりし童べ捕ふべし、といふこと出できにけるものか。 紫野(むらさきの)にて、人人、御車に目をつけたてまつりたりしに、検非違使(けびゐし)まゐりて、昨日、こと出(いだ)したりし童(わらは)べ捕(とら)ふべし、といふこと出できにけるものか。
このごろの権大納言殿、まだその折は若くおはしまししほどぞかし、人走らせて、 このごろの権(ごん)大納言殿、まだその折は若くおはしまししほどぞかし、人走らせて、
「かうかうのこと候ふ。 「かうかうのことさぶらふ。
とく帰らせ給ひね」 とく帰らせたまひね」
と申させ給へりしかば、そこら候ひつるものども、蜘蛛の子を風の吹き払ふごとくに逃げぬれば、ただ御車副のかぎりにてやらせて、物見車のうしろの方よりおはしまししか。 と申させたまへりしかば、そこらさぶらひつるものども、蜘蛛(くも)の子を風の吹き払(はら)ふごとくに逃げぬれば、ただ御車副(みくるまぞひ)のかぎりにてやらせて、物見車(ものみぐるま)のうしろの方よりおはしまししか。
さて検非違使つきや、いといみじう辛う責められ給ひて、太上天皇の御名は下させ給ひてき。 さて検非違使つきや、いといみじう辛(から)う責(せ)められたまひて、太上(だいじやう)天皇の御名は下(くだ)させたまひてき。
かかればこそ、民部卿殿の御いひ言はげにとおぼゆれ。 かかればこそ、民部卿殿の御いひ言(ごと)はげにとおぼゆれ。
   
   
   
 さすがに、あそばしたる和歌は、いづれも人の口にのらぬなく、優にこそ承れな。  さすがに、あそばしたる和歌は、いづれも人の口にのらぬなく、優(いう)にこそうけたまはれな。
「ほかの月をも見てしがな」 「ほかの月をも見てしがな」
などは、この御有様に思し召しよりけることともおぼえず、心ぐるしうこそ候へ。 などは、この御有様に思(おぼ)し召(め)しよりけることともおぼえず、心ぐるしうこそさぶらへ。
あてまた冷泉院に笋奉らせ給へる折は、 あてまた冷泉院に笋(たかうな)奉らせたまへる折は、
   
♪48
世の中に
 ふるかひもなき
 たけのこは
 わが経む年を
 奉るなり
 
世の中に
 ふるかひもなき
 たけのこは
 わが経(へ)む年を
 たてまつるなり
   
 御返し、 御返し、
   
♪49
年経ぬる
 竹のよはひを
 返しても
 この世をながく
 なさむとぞ思ふ
 
年経ぬる
 竹のよはひを
 返しても
 この世をなが
 くなさむとぞ思ふ
   
「かたじけなく仰せられたり」 「かたじけなく仰(おほ)せられたり」
と、御集に侍るこそあはれに候へ。 と、御集(ぎよしふ)に侍るこそあはれにさぶらへ。
まことに、さる御心にも、祝ひ申さむと思し召しけるかなしさよ。 まことに、さる御心(みこころ)にも、祝ひ申さむと思(おぼ)し召(め)しけるかなしさよ。
   
 この花山院は、風流者にさへおはしましけるこそ。  この花山院は、風流者(ふりうざ)にさへおはしましけるこそ。
御所つくらせ給へりしさまなどよ。 御所(ごしよ)つくらせたまへりしさまなどよ。
   
 寝殿、対、渡殿などは、つくりあひ、檜皮葺きあはすることも、この院のし出でさせ給へるなり。  寝殿(しんでん)・対(たい)・渡殿(わたどの)などは、つくりあひ、檜皮葺(ひはだふ)きあはすることも、この院のし出でさせたまへるなり。
昔は別々にて、あはひに樋かけてぞ侍りし。 昔は別々(べちべち)にて、あはひに樋(ひ)かけてぞ侍りし。
内裏は今にさてこそは侍るめれ。 内裏(だいり)は今にさてこそは侍るめれ。
御車やどりには、板敷を奥には高く、端はさがりて、大きなる妻戸をせさせ給へる、ゆゑは、御車の装束をさながら立てさせ給ひて、おのづからとみのことの折に、とりあへず戸押し開かば、からからと、人も手もふれぬさきに、さし出さむが料と、おもしろく思し召しよりたることぞかし。 御車(みくるま)やどりには、板敷(いたじき)を奥には高く、端(はし)はさがりて、大きなる妻戸(つまど)をせさせたまへる、ゆゑは、御車の装束(さうぞく)をさながら立てさせたまひて、おのづからとみのことの折に、とりあへず戸押し開かば、からからと、人も手もふれぬさきに、さし出(いだ)さむが料(れう)と、おもしろく思し召しよりたることぞかし。
御調度どもなどの清らさこそ、えもいはず侍りけれ。 御調度(てうど)どもなどの清(けう)らさこそ、えもいはず侍りけれ。
六の宮の絶えいり給へりし御誦経にせられたりし御硯の箱見給へき。 六の宮の絶(た)えいりたまへりし御誦経(みずきやう)にせられたりし御硯(すずり)の箱見たまへき。
海賦に蓬莱山、手長、足長、金して蒔かせ給へりし、かばかりの箱の漆つき、蒔絵のさま、くちをかれたりしやうなどのいとめでたかりしなり。 海賦(かいぶ)に蓬莱山(ほうらいせん)・手長(てなが)・足長(あしなが)、金(こがね)して蒔(ま)かせたまへりし、かばかりの箱の漆(うるし)つき、蒔絵のさま、くちをかれたりしやうなどのいとめでたかりしなり。
   
 また、木立つくらせ給へりし折は、  また、木立(こだち)つくらせたまへりし折は、
「桜の花は優なるに枝ざしのこはごはしく、幹のやうなどもにくし。 「桜の花は優(いう)なるに枝ざしのこはごはしく、幹(もと)のやうなどもにくし。
梢ばかりを見るなむをかしき」 梢(こずゑ)ばかりを見るなむをかしき」
とて中門より外に植ゑさせ給へる、なによりもいみじく思し寄りたりと、人は感じ申しき。 とて中門(ちゆうもん)より外(と)に植ゑさせたまへる、なによりもいみじく思(おぼ)し寄りたりと、人は感じまうしき。
また、撫子の種を築地の上にまかせ給へりければ、思ひがけぬ四方に、色々の唐錦をひきかけたるやうに咲きたりしなどを見給へしは、いかにめでたく侍りしかは。 また、撫子(なでしこ)の種を築地(ついひぢ)の上にまかせたまへりければ、思ひがけぬ四方(よも)に、色々の唐錦(からにしき)をひきかけたるやうに咲きたりしなどを見たまへしは、いかにめでたく侍りしかは。
   
 入道殿、競馬せさせ給ひし日、迎へ申させ給ひけるに、わたりおはします日の御装は、さらなり、おろかなるべきにあらねど、それにつけても、まことに、御車のさまこそ、世にたぐひなく候ひしか。  入道殿、競馬(くらべうま)せさせたまひし日、迎へまうせさせたまひけるに、わたりおはします日の御装(よそひ)は、さらなり、おろかなるべきにあらねど、それにつけても、まことに、御車(みくるま)のさまこそ、世にたぐひなくさぶらひしか。
御沓にいたるまで、ただ、人の見物になるばかりこそ、後には持て歩くと承りしか。 御沓(くつ)にいたるまで、ただ、人の見物(みもの)になるばかりこそ、後(のち)には持(も)て歩(あり)くとうけたまはりしか。
   
 あて、御絵あそばしたりし、興あり。  あて、御絵(ゑ)あそばしたりし、興(きよう)あり。
さは、走り車の輪には、薄墨に塗らせ給ひて、大きさのほど、輻などのしるしには墨をにほはせ給へりし、げにかくこそ書くべかりけれ。 さは、走り車の輪(わ)には、薄墨(うすずみ)に塗(ぬ)らせたまひて、大きさのほど、輻(や)などのしるしには墨(すみ)をにほはせたまへりし、げにかくこそ書くべかりけれ。
あまりに走る車は、いつかは黒さのほどやは見え侍る。 あまりに走る車は、いつかは黒さのほどやは見えはべる。
また、笋の皮を、男の指ごとに入れて、目かかうして、児をおどせば、顔を赤めてゆゆしう怖ぢたるかた、また、徳人、たよりなしの家のうちの作法などかかせ給へりしが、いづれもいづれも、さぞありけむとのみ、あさましうこそ候ひしか。 また、笋(たかうな)の皮を、男の指(および)ごとに入れて、目かかうして、児(ちご)をおどせば、顔を赤めてゆゆしう怖(お)ぢたるかた、また、徳人(とくにん)・たよりなしの家のうちの作法(さはふ)などかかせたまへりしが、いづれもいづれも、さぞありけむとのみ、あさましうこそさぶらひしか。
この中に、御覧じたる人もやおはしますらむ。 この中(なか)に、御覧(ごらん)じたる人もやおはしますらむ。
   
   

一 太政大臣 兼通かねみち 忠義公ちゅうぎこう

   
 この大臣、これ、九条殿の次郎君、堀河の関白と聞えさせき。 この大臣(おとど)、これ、九条殿(くでうどの)の次郎君、堀河(ほりかは)の関白と聞(きこ)えさせき。
関白し給ふこと六年。 関白したまふこと、六年。
安和二年正月七日、宰相にならせ給ふ。 安和(あんな)二年正月七日、宰相(さいしやう)にならせたまふ。
閏五月二十一日、宮内卿とこそは申ししか。 閏(うるふ)五月二十一日、宮内卿(くないきやう)とこそは申ししか。
天禄二年閏二月二十九日、中納言にならせ給ひて、大納言をば経で、十一月二十七日、内大臣にならせ給ふ。 天禄(てんろく)二年閏二月二十九日、中納言にならせたまひて、大納言をば経(へ)で、十一月二十七日、内大臣にならせたまふ。
いとめでたかりしことなり。 いとめでたかりしことなり。
弟の東三条殿の中納言におはしまししに、まだこの殿は宰相にていと辛きことに思したりしに、かくならせ給ひしめでたかりし事なりかし。 弟(おとうと)の東三条殿(とうさんでうどの)の中納言におはしまししに、まだこの殿は宰相にていと辛(から)きことに思(おぼ)したりしに、かくならせたまひしめでたかりしことなりかし。
天延二年正月七日、従二位せさせ給ふ。 天延(てんえん)二年正月七日、従(じゆ)二位せさせたまふ。
二月二十八日に太政大臣にならせ給ふ。 二月二十八日に太政大臣にならせたまふ。
やがて正二位せさせ給ひ、輦車ゆるさせ給ひて、三月二十六日、関白にならせ給ひにしぞかし。 やがて正二位せさせたまひ、輦車(てぐるま)ゆるさせたまひて、三月二十六日、関白にならせたまひにしぞかし。
宰相にならせ給ひし年より六年といふにかくならせ給ひてき。 宰相にならせたまひし年より六年(むとせ)といふにかくならせたまひてき。
貞元二年十一月八日失せさせ給ひにき、御年五十三。 貞元(ぢやうげん)二年十一月八日うせさせたまひにき、御年五十三。
同じ二十日、贈正一位の宣旨あり。 同じ二十日、贈正(ぞうじやう)一位(いちゐ)の宣旨(せんじ)あり。
後の御忌み名、忠義公と申しき。 後(のち)の御いみな、忠義公と申しき。
この殿、かくめでたくおはしますほどよりは、ひまなくて大将にえなり給はざりしぞ、口惜しかりしや。 この殿(との)、かくめでたくおはしますほどよりは、ひまなくて大将にえなりたまはざりしぞ、口惜(くちを)しかりしや。
それかやうならんためにこそあれ。 それかやうならんためにこそあれ。
さてもありぬべき事なり。 さてもありぬべきことなり。
ただ思し召せかしな。 ただ思(おぼ)し召(め)せかしな。
   
 御母のことのなきは、一条殿の同じきにや。 御母のことのなきは、一条殿(いちでうどの)の同じきにや。
 大入道殿、納言にておはしますほど、御兄なれど、宰相にて年頃経させ給ひけるを、天禄三年二月に中納言になり給ひて、宮中のこと内覧すべき宣旨うけ給はらせ給ひにけり。 大入道殿(おほにふだふどの)、納言(なごん)にておはしますほど、御兄(このかみ)なれど、宰相(さいしやう)にて年頃(としごろ)経(へ)させたまひけるを、天禄(てんろく)三年二月に中納言になりたまひて、宮中のこと内覧(ないらん)すべき宣旨うけたまはらせたまひにけり。
同じ年十一月に、内大臣にて関白の宣旨かぶらせ給ひてぞ、多くの人越え給ひける。 同じ年十一月に、内大臣にて関白の宣旨かぶらせたまひてぞ、多くの人越えたまひける。
   
 円融院の御母后、この大臣の妹におはします。  円融院の御母后(ははきさき)、この大臣(おとど)の妹(いもうと)におはしますぞかし。
この后、村上の御時、康保元年四月二十九日に失せ給ひにしぞかし。 この后(きさき)、村上の御時、康保(かうはう)元年四月二十九日にうせたまひにしぞかし。
この后のいまだおはしましし時に、この大臣いかが思しけむ、 この后のいまだおはしましし時に、この大臣(おとど)いかが思しけむ、
「関白は、次第のままにせさせ給へ」 「関白は、次第(しだい)のままにせさせたまへ」
と書かせ奉りて、取り給ひたりける御文を、守のやうに首にかけて、年頃、持ちたりけり。 と書かせたてまつりて、取りたまひたりける御文(ふみ)を、守(まもり)のやうに首にかけて、年頃(としごろ)、持ちたりけり。
御弟の東三条殿は、冷泉院の御時の蔵人頭にて、この殿よりも先に三位して、中納言にもなり給ひにしに、この殿は、はつかに宰相ばかりにておはせしかば、世の中すさまじがりて、内にもつねに参り給はねば、帝も、うとく思し召したり。 御弟(おとと)の東三条殿は、冷泉院の御時の蔵人頭(くらうどのとう)にて、この殿(との)よりも先(さき)に三位(さんみ)して、中納言にもなりたまひにしに、この殿は、はつかに宰相ばかりにておはせしかば、世の中すさまじがりて、内(うち)にもつねにまゐりたまはねば、帝(みかど)も、うとく思(おぼ)し召(め)したり。
   
その時に、兄の一条の摂政、天禄三年十月に失せ給ひぬるに、この御文を内に持て参り給ひて、御覧ぜさせむと思すほどに、上、鬼の間におはしますほどなりけり。  その時に、兄の一条(いちでう)の摂政(せつしやう)、天禄三年十月にうせたまひぬるに、この御文(ふみ)を内(うち)に持(も)てまゐりたまひて、御覧(ごらん)ぜさせむと思すほどに、上(うへ)、鬼(おに)の間(ま)におはしますほどなりけり。
折よしと思し召すに、御舅たちの中に、うとくおはします人なれば、うち御覧じて入らせ給ひき。 折よしと思し召すに、御舅(をぢ)たちの中に、うとくおはします人なれば、うち御覧じて入(い)らせたまひき。
さし寄りて、 さし寄りて、
「奏すべきこと」 「奏(そう)すべきこと」
と申し給へば、立ち帰らせ給へるに、この文を引き出でて参らせ給へれば、取りて御覧ずれば、紫の薄様一重に、故宮の御手にて、 と申したまへば、立ち帰らせたまへるに、この文を引き出でてまゐらせたまへれば、取りて御覧ずれば、紫の薄様(うすやう)一重(ひとかさね)に、故宮(こみや)の御手にて、
「関白をば、次第のままにせさせ給へ。 「関白をば、次第(しだい)のままにせさせたまへ。
ゆめゆめたがへさせ給ふな」 ゆめゆめたがへさせたまふな」
と書かせ給へる、御覧ずるままに、いとあはれげに思し召したる御けしきにて、 と書かせたまへる、御覧ずるままに、いとあはれげに思し召したる御けしきにて、
「故宮の御手よな」 「故宮の御手よな」
と仰せられ、御文をば取りて入らせ給ひにけりとこそは。 と仰(おほ)せられ、御文をば取りて入らせたまひにけりとこそは。
さてかく出で給へるとこそは聞え侍りしか。 さてかく出でたまへるとこそは聞(きこ)えはべりしか。
いと心かしこく思しけることにて、さるべき御宿世とは申しながら、円融院、孝養の心深くおはしまして、母宮の御遺言たがへじとて、なし奉らせ給へりける、いとあはれなることなり。 いと心かしこく思しけることにて、さるべき御宿世(すくせ)とは申しながら、円融院孝養(けうやう)の心深くおはしまして、母宮の御遺言(ゆいごん)たがへじとて、なしたてまつらせたまへりける、いとあはれなることなり。
   
その時、頼忠の大臣、右大臣にておはしましかば、道理のままならば、この大臣のし給ふべきにてありしに、この文にてかくありけるとこそは聞え侍りしか。  その時、頼忠(よりただ)の大臣(おとど)、右大臣にておはしましかば、道理のままならば、この大臣(おとど)のしたまふべきにてありしに、この文(ふみ)にてかくありけるとこそは聞えはべりしか。
東三条殿も、この堀河殿よりは上臈にておはしまししかば、いみじう思し召しよりたることぞかし。 東三条殿も、この堀河殿よりは上臈(じやうらふ)にておはしまししかば、いみじう思し召しよりたることぞかし。
    
   
   
この殿の御着袴に、貞信公の御もとに参り給へる、贈物に添へさせ給ふとて、貫之のぬしに召したりしかば、奉れたりし歌、 この殿(との)の御着袴(ちやくこ)に、貞信公(ていしんこう)の御もとにまゐりたまへる、贈物(おくりもの)に添(そ)へさせたまふとて、貫之(つらゆき)のぬしに召したりしかば、奉れたりし歌、
   
♪50
ことに出でて
 心のうちに
 知らるるは
 神のすぢなは
 ぬけるなりけり
 
ことに出でて
 心のうちに
 知らるるは
 神のすぢなは
 ぬけるなりけり
   
 引出物に、琴をせさせ給へるにや。 引出物(ひきいでもの)に、琴をせさせたまへるにや。
   
 御かたちいと清げに、きららかになどぞおはしましし。  御かたちいと清(きよ)げに、きららかになどぞおはしましし。
堀河院に住ませ給ひしころ、臨時客の日、寝殿の隅の紅梅盛りに咲きたるを、ことはてて内へ参らせ給ひざまに、花の下に立ち寄らせ給ひて、一枝をおし折りて、御挿頭にさして、けしきばかりうち奏でさせ給へりし日などは、いとこそめでたく見えさせ給ひしか。 堀河院(ほりかはのゐん)に住ませたまひしころ、臨時客(りんじきやく)の日、寝殿(しんでん)の隅(すみ)の紅梅(こうばい)盛(さか)りに咲きたるを、ことはてて内(うち)へまゐらせたまひざまに、花の下に立ち寄らせたまひて、一枝をおし折りて、御挿頭(かざし)にさして、けしきばかりうち奏(かな)でさせたまへりし日などは、いとこそめでたく見えさせたまひしか。
   
 この殿には、御夜に召す卯酒の御肴には、ただいま殺したる雉をぞ参らせける。  この殿(との)には、御夜(ごや)に召す卯酒(ばうしゆ)の御肴(さかな)には、ただいま殺したる鴙(きじ)をぞまゐらせける。
持て参りあふべきならねば、宵よりぞまうけておかれける。 持(も)てまゐりあふべきならねば、宵(よひ)よりぞまうけておかれける。
業遠にぬしのまだ六位にて、はじめて参れる夜、御沓櫃のもとに居られたりければ、櫃のうちに、もののほとほとしけるがあやしさに、暗まぎれなれば、やをら細めにあけて見給ひければ、雉の雄鳥かがまりをるものか。 業遠(なりとほ)にぬしのまだ六位にて、はじめてまゐれる夜(よ)、御沓櫃(くつびつ)のもとに居(ゐ)られたりければ、櫃(ひつ)のうちに、もののほとほとしけるがあやしさに、暗(くら)まぎれなれば、やをら細めにあけて見たまひければ、〓〔矢+鳥〕の雄鳥(をとり)かがまりをるものか。
人のいふことはまことなりけりと、あさましうて、人の寝にける折に、やをら取り出して、懐にさし入れて、冷泉院の山に放ちたりしかば、ほろほろと飛びてこそ去にしか。 人のいふことはまことなりけりと、あさましうて、人の寝にける折に、やをら取り出(いだ)して、懐(ふところ)にさし入れて、冷泉院(れいぜいゐん)の山に放(はな)ちたりしかば、ほろほろと飛びてこそ去(ゐ)にしか。
「し得たりし心地は、いみじかりしものかな。 「し得(え)たりし心地(ここち)は、いみじかりしものかな。
それにぞ、我は幸ひ人なりけりとはおぼえしか」 それにぞ、われは幸(さいは)ひ人(びと)なりけりとはおぼえしか」
となむ、語られける。 となむ、語られける。
殺生は殿ばらの皆せさせ給ふ事なれど、これはむげの無益のことなり。 殺生(せつしやう)は殿(との)ばらの皆せさせたまふことなれど、これはむげの無益(むやく)のことなり。
   
   
   
この殿の御女、式部卿の宮元平の親王の御女の御腹の姫君、円融院の御時に参り給ひて、堀河の中宮と申しき。 この殿(との)の御女(むすめ)、式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)元平(もとひら)の親王(みこ)の御女の御腹の姫君(ひめぎみ)、円融院の御時にまゐりたまひて、堀河(ほりかは)の中宮(ちゆうぐう)と申しき。
幼くおはしまししほど、いかなりけるにか、例の御親のやうに見奉りなどもし給はざりければ、御心いとかしこく、また御後見などこそは申しすすめけめ、物詣、祈りをいみじうせさせ給ひけるとか。 幼くおはしまししほど、いかなりけるにか、例(れい)の御親のやうにつねに見たてまつりなどもしたまはざりければ、御心(みこころ)いとかしこう、また御後見(うしろみ)などこそは申しすすめけめ、物詣(ものまうで)・祈(いのり)をいみじうせさせたまひけるとか。
稲荷の坂にても、この女ども見奉りけり。 稲荷(いなり)の坂にても、この女(をんな)ども見たてまつりけり。
いと苦しげにて、御帔おしやりて、あふがれさせ給ひける御姿つき、指貫の腰ぎはなども、さはいへど、多くの人よりは気高く、なべてならずぞおはしける。 いと苦しげにて、御帔(むし)おしやりて、あふがれさせたまひける御姿つき、指貫(さしぬき)の腰ぎはなども、さはいへど、多くの人よりは気高(けだか)く、なべてならずぞおはしける。
かやうにつとめさせ給へるつもりにや、やうやうおとなび給ふままに、これよりおとななる御女もおはしまさねば、さりとて后にたて奉らであるべきならねば、かく参らせ奉らせ給ひて、いとやむごとなく候はせ給ひしぞかし。 かやうにつとめさせたまへるつもりにや、やうやうおとなびたまふままに、これよりおとななる御女(むすめ)もおはしまさねば、さりとて后(きさき)にたてたてまつらであるべきならねば、かくまゐらせたてまつらせたまひて、いとやむごとなくさぶらはせたまひしぞかし。
いま一所の姫君は、尚侍にならせ給へりし、今におはします。 いま一所(ひとところ)の姫君は、尚侍(ないしのかみ)にならせたまへりし、今におはします。
六条の左大臣殿の御子の讃岐守の上にておはするとかや。 六条の左大臣殿の御子(みこ)の讃岐守(さぬきのかみ)の上(うへ)にておはするとかや。
   
 また、太郎君、長徳二年七月二十一日、右大臣にならせ給ひにき。  また、太郎君(たらうぎみ)、長徳(ちやうとく)二年七月二十一日、右大臣にならせたまひにき。
御年七十八にてや失せおはしましけむ。 御年七十八にてやうせおはしましけむ。
失せ給ひて、この五年ばかりにやなりぬらむ。 うせたまひて、この五年(いつとせ)ばかりにやなりぬらむ。
悪霊の左大臣殿と申し伝へたる、いと心憂き御名なりかし。 悪霊(あくりやう)の左大臣殿と申し伝へたる、いと心憂(こころう)き御名なりかし。
そのゆゑどもみな侍るべし。 そのゆゑどもみな侍るべし。
この御北の方には、村上の先帝の女五の宮、広幡の御息所の御腹ぞかし。 この御北の方には、村上の先帝(せんだい)の女五の宮、広幡(ひろはた)の御息所(みやすどころ)の御腹ぞかし。
その御腹に、男子一人、女二人おはしまししを、男君は重家の少将とて、心ばへ有識に、世覚え重くてまじらひ給ひしほどに、久しくおはしますまじかりければにや、出家して失せ給ひにき。 その御腹に、男子(をのこご)一人・女二人おはしまししを、男君(をとこぎみ)は重家(しげいへ)の少将とて、心ばへ有識(いうそく)に、世覚(よおぼ)え重くてまじらひたまひしほどに、ひさしくおはしますまじかりければにや、出家(すけ)してうせたまひにき。
女君一所は、一条院の御時の承香殿の女御とておはせしが、末には、為平の式部卿の宮の御子、源宰相頼定の君の北の方にて、あまたの君達おはすめり。 女君(をんなぎみ)一所(ひとところ)は、一条院の御時の承香殿(しようきやうでん)の女御(にようご)とておはせしが、末には、為平(ためひら)の式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)の御子(みこ)、源宰相(げんさいしやう)頼定(よりさだ)の君の北の方にて、あまたの君達(きんだち)おはすめり。
そのほどの御事どもは、皆人知ろしめたらむ。 そのほどの御ことどもは、皆人知ろしめたらむ。
その宰相失せ給ひにしかば、尼になりておはします。 その宰相うせたまひにしかば、尼(あま)になりておはします。
いま一所は、今の小一条院の、まだ式部卿の宮と申しし折、婿にとり奉らせ給へりしほどに思ししかど、院にならせ給ひにし後は、高松殿の御匣殿にわたらせ給ひて、御心ばかりは通はし給ひながら、通はせ給ふこと絶えにしかば、女御も父大臣も、いみじう思し嘆きほどに、御病にもなりにけるにや、失せ給ひにき。 いま一所は、今の小一条院(こいちでうゐん)の、まだ式部卿の宮と申(ま)しし折、婿(むこ)にとりたてまつらせたまへりしほどに思(おぼ)ししかど、院にならせたまひにし後(のち)は、高松殿(たかまつどの)の御匣殿(みくしげどの)にわたらせたまひて、御心(みこころ)ばかりは通はしたまひながら、通はせたまふこと絶えにしかば、女御も父大臣(ちちおとど)も、いみじう思(おぼ)し嘆きほどに、御病にもなりにけるにや、うせたまひにき。
   
 いみじきものになりて、父大臣具してこそ、し歩き給ふなれ。   いみじきものになりて、父大臣(おとど)具(ぐ)してこそ、し歩(あり)きたまふなれ。
院の女御には、つねにつきわづらはせ給ふなり。 院の女御には、つねにつきわづらはせたまふなり。
その腹に、宮たちあまた所おはします。 その腹に、宮たちあまた所(ところ)おはします。
   
   
   
また、堀河の関白殿の御二郎、兵部卿有明の親王の御女の腹の君、中宮の御一つ腹にはおはせず。 また、堀河の関白殿の御二郎、兵部卿(ひやうぶきやう)有明(ありあきら)の親王(みこ)の御女(むすめ)の腹の君、中宮の御一(ひと)つ腹(ばら)にはおはせず。
これはまた、閑院の大将朝光とぞ申しし。 これはまた、閑院(かんゐん)の大将朝光(あさてる)とぞ申しし。
兄の大臣、宰相にておはしけるほどは、この殿は中納言にてぞおはしける。 兄(このかみ)の大臣(おとど)、宰相にておはしけるほどは、この殿(との)は中納言にてぞおはしける。
ひき越され給ひけるぞめでたく、その頃などすべていみじかりし御世覚えにて、御まじらひのほどなど、ことのほかにきらめき給ひき。 ひき越されたまひけるぞめでたく、その頃などすべていみじかりし御世覚(よおぼ)えにて、御まじらひのほどなど、ことのほかにきらめきたまひき。
胡簶の水精の筈も、この殿の思ひ寄りし出で給へるなり。 胡簶(やなぐひ)の水精(すいさう)の筈(はず)も、この殿の思ひ寄りし出でたまへるなり。
何事の行幸にぞや仕まつり給へりしに、この胡籙負ひ給へりしは、朝日の光に輝きあひて、さるめでたきことやは侍りし。 何事(なにごと)の行幸(ぎやうかう)にぞや仕(つか)まつりたまへりしに、この胡籙負(お)ひたまへりしは、朝日の光に輝(かかや)きあひて、さるめでたきことやは侍りし。
今は目馴れにたれば、めづらしからず人も思ひて侍るぞ。 今は目馴(めな)れにたれば、めづらしからず人も思ひて侍るぞ。
何事につけても、はなやかにもて出でさせ給へりし殿の、父殿失せ給ひにしかば、世の中おとろへなどして、御病も重くて、大将も辞し給ひてこそ、口惜しかりしか。 何事につけても、はなやかにもて出でさせたまへりし殿の、父殿(ちちどの)うせたまひにしかば、世の中おとろへなどして、御病も重くて、大将も辞(じ)したまひてこそ、口惜(くちを)しかりしか。
さて、ただ按察大納言とぞ聞えさせし。 さて、ただ按察大納言(あぜちのだいなごん)とぞ聞えさせし。
和歌などこそ、いとをかしくあそばししか。 和歌などこそ、いとをかしくあそばししか。
四十五にて失せ給ひにき。 四十五にてうせたまひにき。
   
 北の方には、貞観殿の尚侍の御腹の、重明の式部卿の宮の御中姫君ぞおはせしかし。  北の方には、貞観殿(ぢやうぐわんでん)の尚侍の御腹の、重明(しげあきら)の式部卿の宮の御中姫君ぞおはせしかし。
その御腹に、男君三人、女君のかかやくごとくなるおはせし、花山院の御時参らせ給ひて、一月ばかりいみじうときめかせ給ひしを、いかにしけることにかありけむ、まう上り給ふこともとどまり、帝もわたらせ給ふこと絶えて、御文だに見え聞えずなりにしかば、一二月候ひわびてこそは、出でさせ給ひにしか。 その御腹に、男君三人、女君のかかやくごとくなるおはせし、花山院の御時まゐらせたまひて、一月ばかりいみじうときめかせたまひしを、いかにしけることにかありけむ、まう上(のぼ)りたまふこともとどまり、帝(みかど)もわたらせたまふこと絶えて、御文(ふみ)だに見えきこえずなりにしかば、一二月さぶらひわびてこそは、出でさせたまひにしか。
また、さあさましかりしことやはありし。 また、さあさましかりしことやはありし。
御かたちなどの、世の常ならずをかしげにて、思し嘆くも、見奉り給ふ大納言・御せうとの君たち、いかがは思しけむ。 御かたちなどの、世の常ならずをかしげにて、思(おぼ)し嘆くも、見たてまつりたまふ大納言・御せうとの君たち、いかがは思しけむ。
その御一つ腹の男君三所、太郎君は、今の藤中納言朝経の卿におはすめり。 その御一(ひと)つ腹(ばら)の男君三所(みところ)、太郎君は、今の藤(とう)中納言朝経(あさつね)の卿におはすめり。
人に重く思はれ給へるめり。 人に重く思はれたまへるめり。
次郎、三郎君は、馬頭、少将などにて、みな出家しつつ失せ給ひにき。 次郎・三郎君は、馬頭(うまのかみ)・少将などにて、みな出家(すけ)しつつうせたまひにき。
この馬の入道の御男子なり、今の右京大夫。 この馬(うま)の入道(にふだう)の御男子(をのこご)なり、今の右京大夫(うきやうのだいぶ)。
   
   
   
この閑院の大将殿は、後にはこの君達の母をばさりて、枇杷の大納言延光の卿の失せ給ひにし後、その上の、年老いて、かたちなどわろくおはしけるにや、ことなること聞え給はざりしをぞ住み給ひし。 この閑院(かんゐん)の大将殿は、後(のち)にはこの君達(きんだち)の母をばさりて、枇杷(びは)の大納言延光(のぶみつ)の卿のうせたまひにし後(のち)、その上(うへ)の、年老いて、かたちなどわろくおはしけるにや、ことなること聞えたまはざりしをぞ住みたまひし。
徳につき給へるとぞ世の人申しし。 徳(とく)につきたまへるとぞ世の人申しし。
さて、世覚えもおとり給ひにしぞかし。 さて、世覚(よおぼ)えもおとりたまひにしぞかし。
   
もとの上、御かたちもいとうつくしく、人のほどもやむごとなくおはしまししかど、不合におはすとて、かかる今北の方をまうけて、さり給ひにしぞかし。 もとの上、御かたちもいとうつくしく、人のほどもやむごとなくおはしまししかど、不合(ふがふ)におはすとて、かかる今北の方をまうけて、さりたまひにしぞかし。
この今の上の御もとには、女房三十人ばかり、裳、唐衣着せて、えもいはずさうぞきて、すゑ並べて、しつらひ有様よりはじめて、めでたくしたてて、かしづき聞ゆることかぎりなし。 この今の上の御もとには、女房(にようばう)三十人ばかり、裳(も)・唐衣(からぎぬ)着せて、えもいはずさうぞきて、すゑ並べて、しつらひ有様よりはじめて、めでたくしたてて、かしづききこゆることかぎりなし。
大将歩きて帰り給ふ折は、冬は火おほらかに埋みて、薫物多きにつくりて、伏籠うち置きて、褻に着給ふ御衣をば、暖かにてぞ着せ奉り給ふ。 大将歩(あり)きて帰りたまふ折は、冬は火おほらかに埋(うづ)みて、薫物(たきもの)多きにつくりて、伏籠(ふせご)うち置きて、褻(け)に着たまふ御衣(おんぞ)をば、暖かにてぞ着せたてまつりたまふ。
炭櫃に銀の提子二十ばかりを据ゑて、さまざまの薬を置き並べて参り給ふ。 炭櫃(すびつ)に銀(しろかね)の提子(ひさげ)二十ばかりを据ゑて、さまざまの薬を置き並べてまゐりたまふ。
また、寝給ふ畳の上筵に、綿入れてぞ敷かせ奉らせ給ふ。 また、寝たまふ畳(たたみ)の上筵(うはむしろ)に、綿入れてぞ敷(し)かせたてまつらせたまふ。
寝給ふ時には、大きなる熨斗持ちたる女房三四人ばかり出で来て、かの大殿籠る筵をば、暖かにのしなでてぞ寝させ奉り給ふ。 寝たまふ時には、大きなる熨斗(のし)持ちたる女房三四人(みたりよたり)ばかり出で来(き)て、かの大殿籠(おほとのごも)る筵(むしろ)をば、暖かにのしなでてぞ寝させたてまつりたまふ。
あまりなる御用意なりしかは。 あまりなる御用意なりしかは。
   
おほかたのしつらひ、有様、女房の装束などはめでたけれども、この北の方は、練色の衣の綿厚き二つばかりに、白袴うち着てぞおはしける。 おほかたのしつらひ・有様、女房の装束(さうぞく)などはめでたけれども、この北の方は、練色(ねりいろ)の衣(きぬ)の綿厚き二つばかりに、白袴(しろばかま)うち着てぞおはしける。
年四十余ばかりなる人の、大将には親ばかりにぞおはしける。 年四十余(よそぢあまり)ばかりなる人の、大将には親ばかりにぞおはしける。
色黒くて、額に花がたうち付きて、髪ちぢけたるにぞおはしける。 色黒くて、額(ひたひ)に花がたうち付きて、髪ちぢけたるにぞおはしける。
御かたちのほどを思ひ知りて、さまにあひたる装束と思しけるにや、まことにその御装束こそ、かたちに合ひて見えけれ。 御かたちのほどを思ひ知りて、さまにあひたる装束と思(おぼ)しけるにや、まことにその御装束こそ、かたちに合ひて見えけれ。
さばかりの人の北の方と申すべくも見えざりけれど、もとの北の方重明の式部卿の宮の姫君、貞観殿の尚侍の御腹、やむごとなき人と申しながら、かたち、有様めでたくおはしけるに、かかる人に思しうつりて、さり奉らせ給ひけむほど思ひ侍るに、ただ徳のありて、かくもてかしづき聞ゆるに、思ひのおはしけるにや。 さばかりの人の北の方と申すべくも見えざりけれど、もとの北の方重明(しげあきら)の式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)の姫君、貞観殿(ぢやうぐわんでん)の尚侍(ないしのかみ)の御腹、やむごとなき人と申しながら、かたち・有様めでたくおはしけるに、かかる人に思しうつりて、さりたてまつらせたまひけむほど思ひはべるに、ただ徳(とく)のありて、かくもてかしづききこゆるに、思ひのおはしけるにや。
やむごとなき人だにこそかくはおはしけれ。 やむごとなき人だにこそかくはおはしけれ。
   
あはれ、翁らが心にだに、いみじき宝を降らしてあつかはむといふ人ありとも、年頃の女どもをうち捨ててまからむは、いとほしかりぬべきに、さばかりにやむごとなくおはします人は、不合におはすといふとも、翁らが宿りのやうに侍らむやは。 あはれ、翁(おきな)らが心にだに、いみじき宝(たから)を降(ふ)らしてあつかはむといふ人ありとも、年頃(としごろ)の女(をんな)どもをうち捨ててまからむは、いとほしかりぬべきに、さばかりにやむごとなくおはします人は、不合(ふがふ)におはすといふとも、翁らが宿(やど)りのやうに侍らむやは。
この今北の方のことにより、世の人にも軽く思はれ、世覚えもおとり給ひにし、いと口惜しきことに侍りや。 この今北の方のことにより、世の人にも軽(かろ)く思はれ、世覚(よおぼ)えもおとりたまひにし、いと口惜(くちを)しきことに侍りや。
さばかりのこと思しわかぬやう侍るべしや。 さばかりのこと思しわかぬやう侍るべしや。
あやしの翁らが心におとらせ給はむやは、と思ひ給ふれど、口惜しく思ひ給ふる事なりしかば、申すぞや。 あやしの翁らが心におとらせたまはむやは、と思ひたまふれど、口惜しく思ひたまふることなりしかば、申すぞや」
 とて、ほほゑむけしき、はづかしげなり。 とて、ほほゑむけしき、はづかしげなり。
〔世次〕さばかりの人だにかくおはしましければ、それより次々の人のいかなる振舞もせむ、ことわりなりや。 世次「さばかりの人だにかくおはしましければ、それより次々の人のいかなる振舞(ふるまひ)もせむ、ことわりなりや。
翁らがここらの年頃、あやしの宿りに、わりなき世を念じ過して侍りつるこそ、ありがたくおぼえ侍りつれ。 翁らがここらの年頃、あやしの宿(やど)りに、わりなき世を念(ねん)じ過して侍りつるこそ、ありがたくおぼえはべりつれ」
 快くうちすみたりし顔けしきこそいとをかしかりしか。 快(こころよ)くうちすみたりし顔けしきこそいとをかしかりしか。
   
〔世次〕さて、時々、もとの上の御もとへおはしまさむとて、牛飼、車副などに、 世次「さて、時々、もとの上(うへ)の御もとへおはしまさむとて、牛飼(うしかひ)・車副(くるまぞひ)などに、
「そなたへ車をやれ」 「そなたへ車をやれ」
とて仰せられけれどさらに聞かざりけれ。 とて仰(おほ)せられけれどさらに聞かざりけれ。
この今北の方、侍、雑色、随身、車副などに、装束もの取らすることはさるものにて、日ごとに酒を出して飲ませ遊ばせ、いみじき志どもをしける。 この今北の方、侍(さぶらひ)・雑色(ざふしき)・隨身(ずいじん)・車副などに、装束(さうずく)もの取らすることはさるものにて、日ごとに酒を出(いだ)して飲ませ遊ばせ、いみじき志(こころざし)どもをしける。
その故にや、かくしけるを、それまたいとあやしき御心なりや。 その故(け)にや、かくしけるを、それまたいとあやしき御心(みこころ)なりや。
雑色、牛飼の心にまかせて、それによりてえおはしまさざりけむよ。 雑色・牛飼の心にまかせて、それによりてえおはしまさざりけむよ。
さることやは侍るな。 さることやは侍るな。
さるは、この大将は、御心ばへもかたちも、人にすぐれてめでたくおはせし人なり。 さるは、この大将は、御心(こころ)ばへもかたちも、人にすぐれてめでたくおはせし人なり。
   
   
   
 また、堀河殿の御子、大蔵卿正光と聞えしが御女、源帥の御中の君の御腹のぞかし。 また、堀河殿(ほりかはどの)の御子(みこ)、大蔵卿(おほくらきやう)正光(まさみつ)と聞えしが御女(むすめ)、源帥(げんのそち)の御中(なか)の君(きみ)の御腹のぞかし。
今の皇太后宮の御匣殿とて候ひ給ふ、ただいまの左兵衛督の北の方。 今の皇太后宮の御匣殿(みくしげどの)とてさぶらひたまふ、ただいまの左兵衛督(さひやうゑのかみ)の北の方。
また、上野前司兼定の君ぞかし。 また、上野前司(かうづけのぜんじ)兼定(かねさだ)の君ぞかし。
まことや、北面の中納言とかや、世の人の申しし時光の卿、それまた、右京大夫にておはせし。 まことや、北面(きたおもて)の中納言とかや、世の人の申(ま)しし時光(ときみつ)の卿、それまた、右京大夫(うきやうのだいふ)にておはせし。
この大夫の御子ぞかし、今の仁和寺の別当、律師尋清の君。 この大夫の御子(みこ)ぞかし、今の仁和寺(にんなじ)の別当(べたう)、律師(りし)尋清(じんせい)の君。
堀河殿の御末、かばかりか。 堀河殿の御末、かばかりか。
   
 この大臣、すべて非常の御心ぞおはしし。 この大臣(おとど)、すべて非常(ひざう)の御心ぞおはしし。
かばかり末絶えず栄えおはしましける東三条殿を、ゆゑなきことにより、御官位を取り奉り給へりし、いかに悪事なりしかは。 かばかり末絶えず栄えおはしましける東三条殿(とうさんでうどの)を、ゆゑなきことにより、御官位(つかさくらゐ)を取りたてまつりたまへりし、いかに悪事(あくじ)なりしかは。
天道もやすからず思し召しけむを。 天道(てんたう)もやすからず思(おぼ)し召(め)しけむを。
その折の帝、円融院にぞおはしましし。 その折の帝(みかど)、円融院にぞおはしましし。
かかる嘆きのよしを長歌に詠みて、奉り給へりしかば、帝の御返り、 かかる嘆きのよしを長歌(ながうた)によみて、奉りたまへりしかば、帝の御返り、
「いなふねの」 「いなふねの」
とこそ仰せられければ、しばしばかりを思し嘆きしぞかし。 とこそ仰(おほ)せられければ、しばしばかりを思し嘆きしぞかし。
   
   
   
 堀河殿、はては我失せ給はむとては、関白をば、御いとこの頼忠の大臣にぞ譲り給ひしこそ、世の人いみじき僻事と謗り申ししか。 堀河殿、はてはわれうせたまはむとては、関白をば、御いとこの頼忠(よりただ)の大臣(おとど)にぞ譲りたまひしこそ、世の人いみじき僻事(ひがごと)と謗(そし)りまうししか」。
 この向ひ居る侍の言ふやう、 この向(むか)ひ居(を)る侍(さぶらひ)のいふやう、
〔侍〕東三条殿の官など取り奉らせ給ひしほどのことは、ことわりとこそ承りしか。 「東三条殿(とうさんでうどの)の官(つかさ)など取りたてまつらせたまひしほどのことは、ことわりとこそうけたまはりしか。
おのれが祖父親は、かの殿の年頃の者にて侍りしかば、こまかに承りしは。 おのれが祖父(おほぢ)親(おや)は、かの殿(との)の年頃(としごろ)の者にて侍りしかば、こまかにうけたまはりしは。
この殿たちの兄弟の御中、年頃の官位の劣り優りのほどに、御仲あしくて過ぎさせ給ひし間に、堀河殿御病重くならせ給ひて、今はかぎりにておはしまししほどに、東の方に、先追ふ音のすれば、御前に候ふ人たち、 この殿たちの兄弟(あにおとと)の御中(なか)、年頃の官位(つかさくらゐ)の劣(おと)り優(まさ)りのほどに、御中あしくて過ぎさせたまひし間に、堀河殿御病重くならせたまひて、今はかぎりにておはしまししほどに、東(ひんがし)の方に、先(さき)追ふ音のすれば、御前(おまへ)にさぶらふ人たち、
「誰ぞ」 「誰(たれ)ぞ」
などいふほどに、 などいふほどに、
「東三条殿の大将殿参らせ給ふ」 「東三条殿の大将殿まゐらせたまふ」
と人の申しければ、殿聞かせ給ひて、年頃なからひよからずして過ぎつるに、今はかぎりになりたると聞きて、とぶらひにおはするにこそはとて、御前なる苦しきもの取り遣り、大殿籠りたる所ひきつくろひなどして、入れ奉らむとて、待ち給ふに、 と人の申しければ、殿(との)聞かせたまひて、年頃なからひよからずして過ぎつるに、今はかぎりになりたると聞きて、とぶらひにおはするにこそはとて、御前(おまへ)なる苦しきもの取り遣(や)り、大殿籠(おほとのごも)りたる所ひきつくろひなどして、入れたてまつらむとて、待ちたまふに、
「早く過ぎて、内へ参らせ給ひぬ」 「早く過ぎて、内(うち)へまゐらせたまひぬ」
と人の申すに、いとあさましく心憂くて、御前に候ふ人々も、をこがましく思ふらむ。 と人の申すに、いとあさましく心憂(こころう)くて、御前(おまへ)にさぶらふ人々も、をこがましく思ふらむ。
おはしたらば、関白など譲ることなど申さむとこそ思ひつるに。 おはしたらば、関白など譲ることなど申さむとこそ思ひつるに。
かかればこそ、年頃なからひよからで過ぎつれ。 かかればこそ、年頃なからひよからで過ぎつれ。
   
あさましくやすからぬことなりとて、かぎりのさまにて臥し給へる人の、 あさましくやすからぬことなりとて、かぎりのさまにて臥(ふ)したまへる人の、
「かき起せ」 「かき起(おこ)せ」
と宣へば、人々、あやしと思ふほどに、 とのたまへば、人々、あやしと思ふほどに、
「車に装束せよ。 「車に装束(さうぞく)せよ。
御前もよほせ」 御前(ごぜん)もよほせ」
と仰せらるれば、もののつかせ給へるか、現心もなくて仰せらるるかと、あやしく見奉るほどに、御冠召し寄せて、装束などせさせ給ひて、内へ参らせ給ひて、陣のうちは君達にかかりて、滝口の陣の方より、御前へ参らせ給ひて、昆明池の障子のもとにさし出でさせ給へるに、昼の御座に、東三条の大将、御前に候ひ給ふほどなりけり。 と仰(おほ)せらるれば、もののつかせたまへるか、現心(うつしごころ)もなくて仰せらるるかと、あやしく見たてまつるほどに、御冠(かぶり)召し寄せて、装束などせさせたまひて、内(うち)へまゐらせたまひて、陣(ぢん)のうちは君達(きんだち)にかかりて、滝口(たきぐち)の陣の方より、御前(おまへ)へまゐらせたまひて、昆明池(こんめいち)の障子(さうじ)のもとにさし出でさせたまへるに、昼(ひ)の御座(ござ)に、東三条の大将、御前(おまへ)にさぶらひたまふほどなりけり。
この大将殿は、堀河殿すでに失せさせ給ひぬと聞かせ給ひて、内関白のこと申さむと思ひ給ひて、この殿の門を通りて、参りて申し奉るほどに、堀河殿の目をつづらかにさし出で給へるに、帝も大将も、いとあさましく思し召す。 この大将殿は、堀河殿すでにうせさせたまひぬと聞かせたまひて、内(うち)関白のこと申さむと思ひたまひて、この殿(との)の門(かど)を通りて、まゐりて申したてまつるほどに、堀河殿の目をつづらかにさし出でたまへるに、帝(みかど)も大将も、いとあさましく思(おぼ)し召(め)す。
大将はうち見るままに、立ちて鬼の間の方におはしましぬ。 大将はうち見るままに、立ちて鬼(おに)の間(ま)の方におはしましぬ。
関白殿御前につい居給ひて、御けしきいとあしくて、 関白殿御前(おまへ)につい居(ゐ)たまひて、御けしきいとあしくて、
「最後の除目行ひに参り給ふるなり」 「最後の除目(ぢもく)行ひにまゐりたまふるなり」
とて、蔵人頭召して、関白には頼忠の大臣、東三条殿の大将を取りて、小一条の済時の中納言を大将になし聞ゆる宣旨下して、東三条殿をば治部卿になし聞えて、出でさせ給ひて、ほどなく失せ給ひしぞかし。 とて、蔵人頭(くらうどのとう)召して、関白には頼忠(よりただ)の大臣(おとど)、東三条殿の大将を取りて、小一条(こいちでう)の済時(なりとき)の中納言を大将になしきこゆる宣旨(せんじ)下して、東三条殿をば治部卿(ぢぶきやう)になしきこえて、出でさせたまひて、ほどなくうせたまひしぞかし。
心意地にておはせし殿にて、さばかりかぎりにおはせしに、ねたさに内に参りて申させ給ひしほど、こと人すべうもなかりことぞかし。 心意地(こころいぢ)にておはせし殿(との)にて、さばかりかぎりにおはせしに、ねたさに内(うち)にまゐりて申させたまひしほど、こと人すべうもなかりことぞかし。
されば、東三条殿官取り給ふことも、ひたぶるに堀河殿の非常の御心にも侍らず。 されば、東三条殿官(つかさ)取りたまふことも、ひたぶるに堀河殿の非常(ひざう)の御心(みこころ)にも侍らず。
ことのゆゑは、かくなり。 ことのゆゑは、かくなり。
「関白は次第のままに」 「関白は次第(しだい)のままに」
といふ御文思し召しより、御妹の宮に申して取り給へるも、最後に思すことどもして、失せ給へるほども、思ひ侍るに、心つよくかしこくおはしましける殿なり。 といふ御文(ふみ)思(おぼ)し召(め)しより、御妹(いもうと)の宮に申して取りたまへるも、最後に思すことどもして、うせたまへるほども、思ひはべるに、心つよくかしこくおはしましける殿なり」。
   
   

一 太政大臣 為光ためみつ 恒徳公こうとくこう

   
〔世次〕この大臣は、これ九条殿の御九郎君、大臣の位にて七年、法住寺の大臣と聞えさす。 世次「この大臣(おとど)は、これ九条殿(くでうどの)の御九郎君、大臣の位にて七年、法住寺(ほふぢゆうじ)の大臣(おとど)と聞(きこ)えさす。
御男子七人、女君五人おはしき。 御男子(をのこご)七人・女君(をんなぎみ)五人おはしき。
女二所は、佐理の兵部卿の御妹の腹、いま三所は、一条の摂政の御女の腹におはします。 女二所(ふたところ)は、佐理(すけまさ)の兵部卿(ひやうぶきやう)の御妹の腹、いま三所(みところ)は、一条(いちでう)の摂政(せつしやう)の御女(むすめ)の腹におはします。
男君達の御母、皆あかれあかれにおはしましき。 男君(をとこぎみ)たちの御母、皆あかれあかれにおはしましき。
女君一所は、花山院の御時の女御、いみじう時におはせしほどに、失せ給ひにき。 女君一所は、花山院の御時の女御(にようご)、いみじう時におはせしほどに、うせたまひにき。
いま一所も、入道中納言の北の方にて失せ給ひにき。 いま一所も、入道中納言(にふだうちゆうなごん)の北の方にてうせたまひにき。
   
 男君、太郎は左衛門督と聞えさせし、悪心起して失せ給ひにし有様は、いとあさましかりしことぞかし。  男君、太郎は左衛門督(さゑもんのかみ)と聞えさせし、悪心(あくしん)起してうせたまひにし有様は、いとあさましかりしことぞかし。
人に越えられ、辛いめみることは、さのみこそおはしあるわざなるを、さるべきにこそはありけめ。 人に越えられ、辛(から)いめみることは、さのみこそおはしあるわざなるを、さるべきにこそはありけめ。
同じ宰相におはすれど、弟殿には人柄、世覚えの劣り給へればにや、中納言あくきはに、われもならむ、など思して、わざと対面し給ひて、 同じ宰相(さいしやう)におはすれど、弟殿には人柄(ひとがら)・世覚(よおぼ)えの劣りたまへればにや、中納言あくきはに、われもならむ、など思(おぼ)して、わざと対面(たいめん)したまひて、
「このたびの中納言望み申し給ふな。 「このたびの中納言望みまうしたまふな。
ここに申し侍るべきなり」 ここに申しはべるべきなり」
と聞え給ひければ、 と聞えたまひければ、
「いかでか殿の御先にはまかりなり侍らむ。 「いかでか殿(との)の御先(さき)にはまかりなりはべらむ。
ましてかく仰せられむには、あるべきことならず」 ましてかく仰(おほ)せられむには、あるべきことならず」
と申し給ひければ、御心ゆきて、しか思して、いみじう申し給ふにおよばぬほどにやおはしけむ、入道殿、この弟殿に、 と申したまひければ、御心(こころ)ゆきて、しか思して、いみじう申したまふにおよばぬほどにやおはしけむ、入道殿、この弟殿に、
「そこは申されぬか」 「そこは申されぬか」
と宣はせければ、 とのたまはせければ、
「左衛門督の申さるれば、いかがは」 「左衛門督の申さるれば、いかがは」
と、しぶしぶげに申し給ひけるに、 と、しぶしぶげに申したまひけるに、
「かの左衛門督まかりなるまじくは、由なし。 「かの左衛門督まかりなるまじくは、由(よし)なし。
なしたぶべきなり」 なしたぶべきなり」
と申し給へば、またかくあらむには、こと人はいかでかとて、なり給ひにしを、いかでわれに向ひて、あるまじきよしを謀りけるぞ、と思すに、いとど悪心を起して、除目のあしたより、手をつよくにぎりて、 と申したまへば、またかくあらむには、こと人はいかでかとて、なりたまひにしを、いかでわれに向(むか)ひて、あるまじきよしを謀(はか)りけるぞ、と思すに、いとど悪心(あくしん)を起して、除目(ぢもく)のあしたより、手をつよくにぎりて、
「斉信、道長にわれははまれぬるぞ」 「斉信(ただのぶ)・道長(みちなが)にわれははまれぬるぞ」
といひいりて、ものもつゆまゐらで、うつぶしうつぶし給へるほどに、病づきて七日といふに失せ給ひしには。 といひいりて、ものもつゆまゐらで、うつぶしうつぶしたまへるほどに、病づきて七日といふにうせたまひしには。
にぎり給ひたりける指は、あまりつよくて、上にこそ通りて出でては侍りけれ。 にぎりたまひたりける指(および)は、あまりつよくて、上にこそ通りて出でてははべりけれ。
   
 いみじき上戸にてぞおはせし。  いみじき上戸(じやうご)にてぞおはせし。
この関白殿のひととせの臨時客に、あまり酔ひて、御座に居ながら立ちもあへ給はで、ものつき給へりけるにぞ、高名の弘高が書きたる楽府の屏風にかかりて、そこなはれたなる。 この関白殿のひととせの臨時客(りんじきやく)に、あまり酔(ゑ)ひて、御座(ござ)に居(ゐ)ながら立ちもあへたまはで、ものつきたまへりけるにぞ、高名(かうみやう)の弘高(ひろたか)が書きたる楽府(がふ)の屏風(びやうぶ)にかかりて、そこなはれたなる。
この中納言になり給へるも、いと世覚えあり、よき人にておはしき。 この中納言になりたまへるも、いと世覚えあり、よき人にておはしき。
   
 また、権中将道信の君、いみじき和歌の上手にて、心にくき人にいはれ給ひしほどに、失せ給ひにき。  また、権中将(ごんのちゆうじやう)道信(みちのぶ)の君、いみじき和歌の上手(じやうず)にて、心にくき人にいはれたまひしほどに、うせたまひにき。
また、左衛門督公信の卿、法住寺の僧都の君、阿闍梨良光の君おはす。 また、左衛門督(さゑもんのかみ)公信(きんのぶ)の卿・法住寺(ほふぢゆうじ)の僧都(そうづ)の君・阿闍梨(あざり)良光(よしみつ)の君おはす。
まこと、一条摂政殿の御女の腹の女君たち、三、四、五の御方。 まこと、一条(いちでう)摂政殿(せつしやうどの)の御女の腹の女君(をんなぎみ)たち、三・四・五の御方。
三の御方は、鷹司殿の上とて、尼になりておはします。 三の御方は、鷹司殿(たかつかさどの)の上(うへ)とて、尼(あま)になりておはします。
四の御方は、入道殿の俗におはしましし折の御子うみて、失せ給ひにき。 四の御方は、入道殿の俗(ぞく)におはしましし折の御子(みこ)うみて、うせたまひにき。
五の君は、今の皇太后宮に候はせ給ふ。 五の君は、今の皇太后宮にさぶらはせたまふ。
この大臣の御有様かくなり。 この大臣(おとど)の御有様かくなり。
   
 法住寺をぞ、いといかめしうおきてさせ給へる。  法住寺をぞ、いといかめしうおきてさせたまへる。
摂政、関白せさせ給はぬ人の御しわざにては、いと猛なりかし。 摂政・関白せさせたまはぬ人の御しわざにては、いと猛(まう)なりかし。
この大臣、いとやむごとなくおはしまししかど、御末ほそくぞ。 この大臣(おとど)、いとやむごとなくおはしまししかど、御末ほそくぞ。
   
   

一 太政大臣 公季きんすゑ 仁義公じんぎこう

   
この大臣、ただいまの閑院の大臣におはします。 この大臣(おとど)、ただいまの閑院(かんゐん)の大臣(おとど)におはします。
これ、九条殿の十一郎君、母、宮腹におはします。 これ、九条殿(くでうどの)の十一郎君、母、宮腹(みやばら)におはします。
皇子の御女をぞ、北の方にておはしましし。 皇子(みこ)の御女(むすめ)をぞ、北の方にておはしましし。
その御腹に、女君一所、男君二所、女君は、一条院の御時の弘微殿の女御、今におはします、男一人は、三味噌都如源と申しし、失せ給ひにき。 その御腹に、女君(をんなぎみ)一所(ひとところ)、男君二所(ふたところ)、女君は、一条院の御時の弘微殿(こきでん)の女御(にようご)、今におはします、男一人は、三味噌都(さんまいそうづ)如源(によげん)と申(ま)しし、うせたまひにき。
いま一所の男君は、ただいまの右衛門督実成の卿にぞおはする。 いま一所の男君は、ただいまの右衛門督(うゑもんのかみ)実成(さねなり)の卿にぞおはする。
この殿の御子、播磨守陳政の女の腹に、女二所、男一人おはします。 この殿(との)の御子(みこ)、播磨守(はりまのかみ)陳政(のぶまさ)の女の腹に、女二所・男一人おはします。
大姫君は、今の中宮権大夫殿の北の方、いま一所は源大納言俊賢の卿、これ民部卿と聞ゆ、その御子のただいまの頭中将顕基の君の御北の方にておはすめる。 大姫君(おほひめぎみ)は、今の中宮権大夫殿(ちゆうぐうごんのだいぶどの)の北の方、いま一所は源(げん)大納言俊賢(としかた)の卿、これ民部卿(みんぶきやう)と聞ゆ、その御子のただいまの頭中将(とうのちゆうじやう)顕基(あきもと)の君の御北の方にておはすめる。
男君をば、御祖父の太政大臣殿、子にし奉り給ひて、公政とつけ奉らせ給へるなり。 男君をば、御祖父(おほぢ)の太政大臣殿、子にしたてまつりたまひて、公政(きんなり)とつけたてまつらせたまへるなり。
蔵人頭にて、いと覚えことにておはすめる君になむ。 蔵人頭(くらうどのとう)にて、いと覚えことにておはすめる君になむ。
この太政大臣殿の御有様かくなり。 この太政大臣殿の御有様かくなり。
帝、后、たたせ給はず。 帝(みかど)・后(きさき)、たたせたまはず。
   
   
   
 このおほきおとどの御母上は、延喜の帝の御女、四の宮と聞えさせき。 このおほきおとどの御母上は、延喜(えんぎ)の帝の御女、四の宮と聞えさせき。
延喜、いみじうときめかせ、思ひ奉らせ給へりき。 延喜、いみじうときめかせ、思ひたてまつらせたまへりき。
御裳着の屏風に、公忠の弁、 御裳着(もぎ)の屏風(びやうぶ)に、公忠(きんただ)の弁(べん)、
   
♪51
ゆきやらで
 山路くらしつ
 ほととぎす
 いま一声の
 聞かまほしさに
 
ゆきやらで
 山路(やまぢ)くらしつ
 ほととぎす
 いま一声の
 聞かまほしさに
   
 とよむは、この宮なり。 とよむは、この宮なり。
   
貫之などあまたよみて侍りしかど、人にとりては、すぐれてののしられ給ひし歌よ。 貫之(つらゆき)などあまたよみて侍りしかど、人にとりては、すぐれてののしられたまひし歌よ。
二代の帝の御妹におはします。 二代の帝の御妹(いもうと)におはします。
   
 さて、内住みして、かしづかれおはしまししを、九条殿は女房をかたらひて、みそかに参り給へりしぞかし。  さて、内住(うちず)みして、かしづかれおはしまししを、九条殿は女房(にょうばう)をかたらひて、みそかにまゐりたまへりしぞかし。
世の人、便なきことに申し、村上のすべらぎも、やすからぬことに思し召しおはしましけれど、色に出でて、咎め仰せられずなりにしも、この九条殿の御覚えの、かぎりなきによりてなり。 世の人、便(びん)なきことに申し、村上のすべらぎも、やすからぬことに思(おぼ)し召(め)しおはしましけれど、色に出でて、咎(とが)め仰(おほ)せられずなりにしも、この九条殿の御覚えの、かぎりなきによりてなり。
まだ、人々うちささめき、上にも聞し召さぬほどに、雨のおどろおどろしう降り、雷鳴りひらめきし日、この宮、内におはしますに、 まだ、人々うちささめき、上(うへ)にも聞し召さぬほどに、雨のおどろおどろしう降り、雷鳴(かみな)りひらめきし日、この宮、内(うち)におはしますに、
「殿上の人々、四の宮の御方へ参れ。 「殿上(てんじやう)の人々、四の宮の御方へまゐれ。
恐ろしう思し召すらむ」 おそろしう思し召すらむ」
と仰せごとあれば、たれも参り給ふに、小野宮の大臣ぞかし、 と仰せごとあれば、たれもまゐりたまふに、小野宮(をののみや)の大臣(おとど)ぞかし、
「まゐらじ。 「まゐらじ。
御前のきたなきに」 御前(おまへ)のきたなきに」
とつぶやき給へば、後にこそ、帝、思し召しあはせけめ。 とつぶやきたまへば、後(のち)にこそ、帝、思し召しあはせけめ。
   
 さて殿にまかでさせ奉りて、思ひかしづき奉らせ給ふといへば、さらなりや。  さて殿(との)にまかでさせたてまつりて、思ひかしづきたてまつらせたまふといへば、さらなりや。
さるほどに、この太政大臣殿をはらみ奉り給ひて、いみじうもの心ぼそくおぼえさせ給ひければ、 さるほどに、この太政大臣殿をはらみたてまつりたまひて、いみじうもの心ぼそくおぼえさせたまひければ、
「まろはさらにあるまじき心地なむする。 「まろはさらにあるまじき心地(ここち)なむする。
よし見給へよ」 よし見たまへよ」
と男君につねに聞えさせ給ひければ、 と男君につねに聞えさせたまひければ、
「まことにさもおはしますものならば、片時も後れ申すべきならず。 「まことにさもおはしますものならば、片時(かたとき)も後(おく)れまうすべきならず。
もし心にあらずながらへ候はば、出家かならずし侍りなむ。 もし心にあらずながらへさぶらはば、出家(すけ)かならずしはべりなむ。
また二つこと人見るといふことはあるべきにもあらず。 また二つこと人見るといふことはあるべきにもあらず。
天がけりても御覧ぜよ」 天(あま)がけりても御覧(ごらん)ぜよ」
とぞ申させ給ひける。 とぞ申させたまひける。
法師にならせ給はむことはあるまじとや、思し召しけむ、小さき御唐櫃一具に、片つ方は御烏帽子、いま片つ方には襪を、一唐櫃づつ、御手づからつぶと縫ひ入れさせ給へりけるを、殿はさも知らせ給はざりけり。 法師にならせたまはむことはあるまじとや、思(おぼ)し召(め)しけむ、小さき御唐櫃(からびつ)一具(ひとよろひ)に、片つ方は御烏帽子(えぼうし)、いま片つ方には襪(したうづ)を、一唐櫃づつ、御手づからつぶと縫(ぬ)ひ入れさせたまへりけるを、殿(との)はさも知らせたまはざりけり。
さてつひに失せさせ給ひしには。 さてつひにうせさせたまひしには。
されば、この太政大臣殿は、生れさせ給へる日を、やがて御忌日にておはしますなり。 されば、この太政大臣殿は、生れさせたまへる日を、やがて御忌日(きにち)にておはしますなり。
かの縫ひおかせ給ひし御烏帽子、御襪、御覧ずるたびごとに、九条殿しほたれさせ給はぬ折なし。 かの縫ひおかせたまひし御烏帽子・御襪、御覧ずるたびごとに、九条殿しほたれさせたまはぬ折なし。
まことに、その後、一人住みにてぞやませ給ひにし。 まことに、その後(のち)、一人住(ひとりず)みにてぞやませたまひにし。
   
   
   
 このうみおき奉り給へりし太政大臣殿をば、御姉の中宮、さらなり、世の常ならぬ御族思ひにおはしませば、養ひ奉らせ給ふ。 このうみおきたてまつりたまへりし太政大臣殿をば、御姉の中宮(ちゆうぐう)、さらなり、世の常ならぬ御族(ぞう)思ひにおはしませば、養(やしな)ひたてまつらせたまふ。
内にのみおはしませば、帝もいみじうらうたきものにせさせ給ひて、つねに御前に候はせ給ふ。 内(うち)にのみおはしませば、帝もいみじうらうたきものにせさせたまひて、つねに御前(おまへ)にさぶらはせたまふ。
何事も、宮たちの同じやうに、かしずきもてなし申させ給ふに、御膳召す御台のたけばかりをぞ、一寸おとさせ給ひけるを、けぢめに知ることにはせさせたひける。 何事(なにごと)も、宮たちの同じやうに、かしずきもてなしまうさせたまふに、御膳(おもの)召す御台(みだい)のたけばかりをぞ、一寸(ひとき)おとさせたまひけるを、けぢめに知ることにはせさせたひける。
昔は、皇子たちも、幼くおはしますほどは、内住みせさせ給ふことはなかりけるに、この若君のかくて候はせ給ふは、 昔は、皇子(みこ)たちも、幼くおはしますほどは、内住(うちず)みせさせたまふことはなかりけるに、この若君(わかぎみ)のかくてさぶらはせたまふは、
「あるまじきこと」 「あるまじきこと」
と謗り申せど、かくて生ひたたせ給へれば、なべての殿上人などになずらはせ給ふべきならねど、若うおはしませば、おのづから、御たはぶれなどのほどにも、なみなみにふるまはせ給ひし折は、円融院の帝は、 と謗(そし)りまうせど、かくて生(お)ひたたせたまへれば、なべての殿上人(てんじやうびと)などになずらはせたまふべきならねど、若(わか)うおはしませば、おのづから、御たはぶれなどのほどにも、なみなみにふるまはせたまひし折は、円融院の帝は、
「同じほどの男どもと思ふにや、かからであらばや」 「同じほどの男(をのこ)どもと思ふにや、かからであらばや」
などぞうめかせ給ひける。 などぞうめかせたまひける。
   
   
   
かかるほどに、御年積らせ給ひて、また御孫の頭中将公成の君を、ことのほかにかなしがり給ひて、内にも、御車のしりに乗せさせ給はぬかぎりは、参らせ給はず。 かかるほどに、御年積(つも)らせたまひて、また御孫(まご)の頭中将(とうのちゆうじやう)公成(きんなり)の君を、ことのほかにかなしがりたまひて、内(うち)にも、御車(みくるま)のしりに乗せさせたまはぬかぎりは、まゐらせたまはず。
さるべきことの折も、この君、遅くまかり出で給へば、弓場殿に、御先ばかり参らせ給ひて、待ち立たせ給へりければ、見奉り給ふ人、 さるべきことの折も、この君、遅くまかり出でたまへば、弓場殿(ゆばどの)に、御先(みさき)ばかりまゐらせたまひて、待ち立たせたまへりければ、見たてまつりたまふ人、
「など、かくては立たせ給へる」 「など、かくては立たせたまへる」
と申させ給へば、 と申させたまへば、
「いぬ、待ち侍るなり」 「いぬ、待ちはべるなり」
とぞ仰せられける。 とぞ仰(おほ)せられける。
無量壽院の金堂供養に、東宮の行啓ある御車に候はせ給ひて、ひとみち、 無量壽院(むりやうじゆゐん)の金堂(こんだう)供養(くやう)に、東宮(とうぐう)の行啓(ぎやうけい)ある御車(みくるま)にさぶらはせたまひて、ひとみち、
「公成思し召せよ、思し召せよ」 「公成思(おぼ)し召(め)せよ、思し召せよ」
と、同じことを啓させ給ひける、 と、同じことを啓(けい)させたまひける、
「あはれなるものから、をかしくなむありし」 「あはれなるものから、をかしくなむありし」
とこそ、宮仰せられけれ。 とこそ、宮仰せられけれ。
重木が姪の女の、中務の乳母のもとに侍るが、まうできて語り侍りしなり。 重木(しげき)が姪(めい)の女(むすめ)の、中務(なかつかさ)の乳母(めのと)のもとに侍るが、まうできて語りはべりしなり。
   
   
   
 頭中将顕基の君の御若君おはすとかな。 頭中将顕基(あきもと)の君の御若君(わかぎみ)おはすとかな。
五十日をば四条にわたし聞えて、太政大臣殿こそくくめさせ給ひけれ。 五十日(いか)をば四条(しでう)にわたしきこえて、太政大臣殿こそくくめさせたまひけれ。
御舅の右衛門督ぞいだき聞え給へるに、この若君の泣き給へば、 御舅(をぢ)の右衛門督(うゑもんのかみ)ぞいだききこえたまへるに、この若君の泣きたまへば、
「例はかくもむづからぬに、いかなればかからむ」 「例(れい)はかくもむづからぬに、いかなればかからむ」
と、右衛門督立ち居なぐさめ給ひければ、 と、右衛門督立ち居(ゐ)なぐさめたまひければ、
「おのづから児はさこそあれ。 「おのづから児(ちご)はさこそあれ。
ましも、さぞありし」 ましも、さぞありし」
と、太政大臣殿宣はせけるにこそ、さるべき人々参り給へりける、皆ほほゑみ給ひけれ。 と、太政大臣殿のたまはせけるにこそ、さるべき人々まゐりたまへりける、皆ほほゑみたまひけれ。
なかにも四位少将隆国の君は、つねに思ひ出でてこそ、今に笑ひ給ふなれ。 なかにも四位少将(しゐのせうしやう)隆国(たかくに)の君は、つねに思ひ出でてこそ、今に笑ひたまふなれ。
かやうにあまり古体にぞおはしますべき。 かやうにあまり古体(こたい)にぞおはしますべき。
昔の御童名は、宮雄君とこそは申ししか。 昔の御童名(わらはな)は、宮雄君(みやをぎみ)とこそは申ししか。
   
   

一 太政大臣 兼家かねいえ

   
 この大臣は、九条殿の三郎君、東三条の大臣におはします。 この大臣(おとど)は、九条殿(くでうどの)の三郎君、東三条の大臣(おとど)におはします。
御母は、一条摂政に同じ。 御母は、一条(いちでう)摂政(せつしやう)に同じ。
冷泉院、円融院の御舅、一条院、三条院の御祖父、東三条の女院、贈皇后宮の御父。 冷泉院・円融院の御舅(をぢ)、一条院・三条院の御祖父(おほぢ)、東三条の女院(にようゐん)・贈皇后宮の御父。
公卿にて二十年、大臣の位にて十二年、摂政にて五年、太政大臣にて二年、世をしらせ給ふ、栄えて五年ぞおはします。 公卿にて二十年、大臣の位にて十二年、摂政にて五年、太政大臣にて二年、世をしらせたまふ、栄(さか)えて五年ぞおはします。
出家せさせ給ひてしかば、後の御いみななし。 出家(すけ)せさせたまひてしかば、後(のち)の御いみななし。
   
   
   
 内に参らせ給ふには、さらなり、牛車にて北の陣まで入らせ給へば、それよりうちはなにばかりのほどならねど、紐解きて入らせ給ふこそ。 内(うち)にまゐらせたまふには、さらなり、牛車(ぎつしや)にて北(きた)の陣(ぢん)まで入(い)らせたまへば、それよりうちはなにばかりのほどならねど、紐(ひも)解(と)きて入らせたまふこそ。
されど、それはさてもあり、相撲の折、内、春宮のおはしませば、二人の御前に、なにをもおしやりて、汗とりばかりにて候はせ給ひけるこそ、世にたぐひなくやむごとなきことなれ。 されど、それはさてもあり、相撲(すまひ)の折、内(うち)・春宮(とうぐう)のおはしませば、二人の御前(おまへ)に、なにをもおしやりて、汗(あせ)とりばかりにてさぶらはせたまひけるこそ、世にたぐひなくやむごとなきことなれ。
   
 末には、北の方もおはしまさざりしかば、男住みにて、東三条殿の西の対を清涼殿づくりに、御しつらひよりはじめて、住ませ給ふなどをぞ、あまりなることに人申すめりし。 末には、北の方もおはしまさざりしかば、男(をとこ)住(ず)みにて、東三条殿の西(にし)の対(たい)を清涼殿(せいりやうでん)づくりに、御しつらひよりはじめて、住ませたまふなどをぞ、あまりなることに人申すめりし。
なほ、ただ人にならせ給ひぬれば、御果報のおよばせ給はぬにや。 なほ、ただ人(びと)にならせたまひぬれば、御果報(くわはう)のおよばせたまはぬにや。
さやうの御身持ちにひさしうはたもたせ給はぬとも、定め申すめりき。 さやうの御身持ちにひさしうはたもたせたまはぬとも、定(さだ)め申すめりき。
   
   
   
 その時は、夢解も巫女も、かしこきものどもの侍りしぞとよ。 その時は、夢解(ゆめとき)も巫女(かんなぎ)も、かしこきものどもの侍りしぞとよ。
堀河の摂政のはやり給ひし時に、この東三条殿は御官どもとどめられさせ給ひて、いと辛くおはしまし時に、人の夢に、かの堀河院より、箭をいと多く東ざまに射るを、いかなることぞと見れば、東三条殿に皆落ちぬと見けり。 堀河(ほりかは)の摂政のはやりたまひし時に、この東三条殿は御官(つかさ)どもとどめられさせたまひて、いと辛(から)くおはしまし時に、人の夢に、かの堀河院(ほりかはゐん)より、箭(や)をいと多く東(ひんがし)ざまに射るを、いかなることぞと見れば、東三条殿に皆落ちぬと見けり。
よからず思ひ聞えさせ給へる方よりおはせ給へば、あしきことかな、と思ひて、殿にも、申しければ、おそれさせ給ひて、夢解に問はせ給ひければ、いみじうよき御夢なり。 よからず思ひきこえさせたまへる方よりおはせたまへば、あしきことかな、と思ひて、殿(との)にも、申しければ、おそれさせたまひて、夢解(ゆめとき)に問はせたまひければ、いみじうよき御夢なり。
世の中の、この殿にうつりて、あの殿の人の、さながら参るべきが見えたるなり」 世の中の、この殿にうつりて、あの殿の人の、さながらまゐるべきが見えたるなり」
と申しけるが、当てざらざりしことかは。 と申しけるが、当てざらざりしことかは。
   
 また、その頃、いとかしこき巫女侍りき。  また、その頃、いとかしこき巫女(かんなぎ)侍りき。
賀茂の若宮のつかせ給ふとて、伏してのみものを申ししかば、 賀茂(かも)の若宮(わかみや)のつかせたまふとて、伏(ふ)してのみものを申(ま)ししかば、
「うち伏しのみこ」 「うち伏しのみこ」
とぞ、世の人つけて侍りし。 とぞ、世の人つけて侍りし。
大入道殿に召して、もの問はせ給ひけるに、いとかしこく申せば、さしあたりたること、過ぎにし方のことは、皆さいふことなれば、しか思し召しけるに、かなはせ給ふことどもの出でくるままに、後々には、御装束奉り、御冠せさせ給ひて、御膝に枕をせさせてぞ、ものは問はせ給ひける。 大入道殿(おほにふだうどの)に召して、もの問はせたまひけるに、いとかしこく申せば、さしあたりたること、過ぎにし方のことは、皆さいふことなれば、しか思(おぼ)し召(め)しけるに、かなはせたまふことどもの出でくるままに、後々(のちのち)には、御装束(さうぞく)奉り、御冠(かぶり)せさせたまひて、御膝(ひざ)に枕をせさせてぞ、ものは問はせたまひける。
それに一事として、後後のこと申しあやまたざりけり。 それに一事(ひとこと)として、後後のこと申しあやまたざりけり。
さやうに近く召し寄するに、いふがひなきほどのものにあらで、少しおもとほどのきはにてぞありける。 さやうに近く召し寄するに、いふがひなきほどのものにあらで、少しおもとほどのきはにてぞありける。
   
   
   
 この殿、法興院におはしますことをぞ、こころからよからぬ所と,人は、うけ申さざりしかど、いみじう興ぜさせ給ひて、聞きも入れで、わたらせ給ひて、ほどなく失せさせおはしましにき。 この殿(との)、法興院(ほこゐん)におはしますことをぞ、こころからよからぬ所と,人は、うけ申さざりしかど、いみじう興(きよう)ぜさせたまひて、聞きも入れで、わたらせたまひて、ほどなくうせさせおはしましにき。
「東山などのいとほど近く見ゆるが、山里とおぼえて、をかしきなり」 「東山(ひがしやま)などのいとほど近く見ゆるが、山里とおぼえて、をかしきなり」
とぞ仰せられける。 とぞ仰せられける。
 御物忌の折は、わたり給はむとて、   御物忌(ものいみ)の折は、わたりたまはむとて、
「おはしましてはいかがある」 「おはしましてはいかがある」
と、占せさせ給ひて、そのたび、法興院にて病づきて失せ給ひにき。 と、占(うら)せさせたまひて、そのたび、法興院にて病づきてうせたまひにき。
   
「御厩の馬に御随身乗せて、粟田口へつかはししが、あらはにはるばると見ゆる」 「御厩(みまや)の馬に御随身(みずいじん)乗せて、粟田口(あはたぐち)へつかはししが、あらはにはるばると見ゆる」
など、をかしきことに仰せられて、月のあかき夜は、下格子もせで、ながめさせ給ひけるに、目にも見えぬものの、はらはらと参りわたしければ、候ふ人々は怖ぢさわげど、殿は、つゆおどろかせ給はで、御枕上なる太刀をひき抜かせ給ひて、 など、をかしきことに仰(おほ)せられて、月のあかき夜(よ)は、下格子(げかうし)もせで、ながめさせたまひけるに、目にも見えぬものの、はらはらとまゐりわたしければ、さぶらふ人々は怖(お)ぢさわげど、殿(との)は、つゆおどろかせたまはで、御枕上(まくらがみ)なる太刀(たち)をひき抜かせたまひて、
「月見るとてあげたる格子おろすは、何者のするぞ。 「月見るとてあげたる格子おろすは、何者のするぞ。
いと便なし。 いと便(びん)なし。
もとのやうにあげわたせ。 もとのやうにあげわたせ。
さらずは、あしかりなむ」 さらずは、あしかりなむ」
と仰せられければ、やがて参りわたしなど、おほかた落ち居ぬことども侍りけり。 と仰せられければ、やがてまゐりわたしなど、おほかた落ち居ぬことども侍りけり。
さて、つひに殿ばらの領にもならで、かく御堂にはなさせ給へるなめり。 さて、つひに殿(との)ばらの領(らう)にもならで、かく御堂(みだう)にはなさせたまへるなめり。
   
 この大臣の君達、女君四所、男君五人、おはしましき。  この大臣(おとど)の君達(きんだち)、女君(をんなぎみ)四所(よところ)・男君五人、おはしましき。
女二所、男三所、五所は、摂津守藤原中正のぬしの女の腹におはします。 女二所・男三所(みところ)、五所(いつところ)は、摂津守(せつつのかみ)藤原中正(ふぢはらのなかまさ)のぬしの女(むすめ)の腹におはします。
三条院の御母の贈皇后宮と、女院、大臣三人ぞかし。 三条院の御母の贈(ぞう)皇后宮と、女院(にようゐん)、大臣三人ぞかし。
   
   
   
 この御母、いかに思しけるにか、いまだ若うおはしける折、二条の大路にいでて、夕占問ひ給ひれば、白髪いみじう白き女のただ一人ゆくが、立ちとまりて、  この御母、いかに思(おぼ)しけるにか、いまだ若うおはしける折、二条の大路(おほち)にいでて、夕占(ゆうけ)問ひたまひれば、白髪(しらが)いみじう白き女のただ一人ゆくが、立ちとまりて、
「なにわざし給ふ人ぞ。 「なにわざしたまふ人ぞ。
もし夕占問ひ給ふか。 もし夕占問ひたまふか。
何事なりとも、思さむことかなひて、この大路よりも広くながく栄えさせ給ふべきぞ」 何事(なにごと)なりとも、思さむことかなひて、この大路よりも広くながく栄えさせたまふべきぞ」
と、うち申しかけてぞまかりにける。 と、うち申しかけてぞまかりにける。
人にはあらで、さるべきものの示し奉りけるにこそ侍りけめ。 人にはあらで、さるべきものの示したてまつりけるにこそ侍りけめ。
   
   
   
 女君は、女院の后の宮にておはしましし折の宣旨にておはしき。  女君は、女院(にようゐん)の后(きさい)の宮にておはしましし折の宣旨(せんじ)にておはしき。
また、対の御方と聞えし御腹の女、大臣いみじうかなしくし聞えさせ給ひて、十一におはせし折、尚侍になし奉らせ給ひて、内住みせさせ奉らせ給ひし。 また、対(たい)の御方(おんかた)と聞こえし御腹の女(むすめ)、大臣(おとど)いみじうかなしくしきこえさせたまひて、十一におはせし折、尚侍(ないしのかみ)になしたてまつらせたまひて、内住(うちず)みせさせたてまつらせたまひし。
御かたちいとうつきしうて、御ぐしも十一二のほどに、糸をよりかけたるやうにて、いとめでたくおはしませば、ことわりとて、三条院の東宮にて御元服せさせ給ふ夜の御添臥しに参らせ給ひて、三条院もにくからぬものに思し召したりき。 御かたちいとうつきしうて、御(み)ぐしも十一二のほどに、糸をよりかけたるやうにて、いとめでたくおはしませば、ことわりとて、三条院の東宮(とうぐう)にて御元服(げんぷく)せさせたまふ夜(よ)の御添臥(そひふ)しにまゐらせたまひて、三条院もにくからぬものに思(おぼ)し召(め)したりき。
夏いと暑き日わたらせ給へるに、御前なる氷をとらせ給ひて、 夏いと暑き日わたらせたまへるに、御前(おまへ)なる氷(ひ)をとらせたまひて、
「これしばし持ち給ひたれ。 「これしばし持ちたまひたれ。
まろを思ひ給はば、『今は』といはざらむ限りは、置く給ふな」 まろを思ひたまはば、『今は』といはざらむかぎりは、置くたまふな」
とて、持たせ聞えさせ給ひて御覧じければ、まことに、かたの黒むまでこそ持ち給ひたりけれ。 とて、持たせきこえさせたまひて御覧(ごらん)じければ、まことに、かたの黒むまでこそ持ちたまひたりけれ。
「さりとも、しばしぞあらむと思ししに、あはれさすぎて、うとましくこそおぼえしか」 「さりとも、しばしぞあらむと思ししに、あはれさすぎて、うとましくこそおぼえしか」
とぞ、院は仰ぎせられける。 とぞ、院(ゐん)は仰ぎ(おほ)せられける。
   
   
   
 あやしき事は、源宰相頼定の君の通ひ給ふと、世に聞えて、里に出で給ひにきかし。 あやしきことは、源宰相(げんさいしやう)頼定(よりさだ)の君の通ひたまふと、世に聞えて、里に出でたまひにきかし。
ただならずおはすとさへ、三条院聞かせ給ひて、この入道殿に、 ただならずおはすとさへ、三条院聞かせたまひて、この入道殿に、
「さる事のあなるは、まことにやあらむ」 「さることのあなるは、まことにやあらむ」
と仰せられければ、 と仰せられければ、
「まかりて見て参り侍らむ」 「まかりて見てまゐりはべらむ」
とて、おはしましたりければ、例ならずあやしく思して、几帳ひき寄せさせ給ひけるを、押しやらせ給へれば、もとはなやかなるかたちに、いみじう化粧じ給へれば、常よりもうつくしう見え給ふ。 とて、おはしましたりければ、例(れい)ならずあやしく思して、几帳(きちやう)ひき寄せさせたまひけるを、押しやらせたまへれば、もとはなやかなるかたちに、いみじう化粧(けさう)じたまへれば、常(つね)よりもうつくしう見えたまふ。
「春宮に参りたりつるに、しかじか仰せられつれば、見奉りに参りつるなり。 「春宮(とうぐう)にまゐりたりつるに、しかじか仰せられつれば、見たてまつりにまゐりつるなり。
そらごとにもおはせむに、しか聞し召され給はむが、いと不便なれば」 そらごとにもおはせむに、しか聞し召されたまはむが、いと不便(ふびん)なれば」
とて、御胸をひきあけさせ給ひて、乳をひねり給へりければ、御顔にさとはしりかかるものか。 とて、御胸をひきあけさせたまひて、乳(ち)をひねりたまへりければ、御顔にさとはしりかかるものか。
ともかくも宣はで、やがて立たせ給ひぬ。 ともかくものたまはで、やがて立たせたまひぬ。
   
春宮に参り給ひて、 春宮(とうぐう)にまゐりたまひて、
「まことに候ひけり」 「まことにさぶらひけり」
とて、し給ひつる有様を啓せさせ給へれば、さすがに、もと心ぐるしう思し召しならはせ給へる御中なればにや、いとほしげにこそ思し召したりけれ。 とて、したまひつる有様を啓(けい)せさせたまへれば、さすがに、もと心ぐるしう思し召しならはせたまへる御中(なか)なればにや、いとほしげにこそ思し召したりけれ。
「尚侍は、殿帰らせ給ひて後に、人やりならぬ御心づから、いみじう泣き給ひけり」 「尚侍(ないしのかみ)は、殿(との)帰らせたまひて後(のち)に、人やりならぬ御心(こころ)づから、いみじう泣きたまひけり」
とぞ、その折見奉りたる人語り侍りし。 とぞ、その折見たてまつりたる人語りはべりし。
春宮に候ひ給ひしほども、宰相は通ひ参り給ふ。 春宮(とうぐう)にさぶらひたまひしほども、宰相(さいしやう)は通ひまゐりたまふ。
ことあまり出でてこそは、宮も聞し召して、 ことあまり出でてこそは、宮も聞(きこ)し召(め)して、
「帯刀どもして蹴させやせましと思ひしかど、故大臣のことを、なきかげにもいかがと、いとほしかりしかば、さもせざりし」 「帯刀(たちはき)どもして蹴(け)させやせましと思ひしかど、故大臣(おとど)のことを、なきかげにもいかがと、いとほしかりしかば、さもせざりし」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰(おほ)せられけれ。
この御あやまちより、源宰相、三条院の御時は殿上も給まはで、地下の上達部にておはせしに、この御時にこそは殿上し、検非違使の別当などになりて、失せ給ひにしか。 この御あやまちより、源(げん)宰相、三条院の御時は殿上もしたまはで、地下(ぢげ)の上達部(かんだちめ)にておはせしに、この御時にこそは殿上し、検非違使(けびゐし)の別当(べたう)などになりて、うせたまひにしか。
   
   
   
 いま一つの御腹の大君は、冷泉院の女御にて、三条院、弾正の宮、帥の宮の御母にて、三条院位につかせ給ひしかば、贈皇后宮と申しき。  いま一つの御腹の大君(おほいぎみ)は、冷泉院の女御(にようご)にて、三条院・弾正(だんじやう)の宮(みや)・帥(そち)の宮(みや)の御母にて、三条院位につかせたまひしかば、贈(ぞう)皇后宮と申しき。
この三人の宮たちを、祖父殿ことのほかにかなしうし申し給ひき。 この三人の宮たちを、祖父(おほぢ)殿ことのほかにかなしうしまうしたまひき。
世の中の少しのことも出でき、雷も鳴り、地震もふるときは、まづ春宮の御方に参らせ給ひて、舅の殿ばら、それならぬ人々などを、 世の中の少しのことも出でき、雷(かみ)も鳴り、地震(なゐ)もふるときは、まづ春宮の御方にまゐらせたまひて、舅(をぢ)の殿(との)ばら、それならぬ人々などを、
「内の御方へは参れ。 「内(うち)の御方へはまゐれ。
この御方にはわれ候はむ」 この御方にはわれさぶらはむ」
とぞ仰せられける。 とぞ仰せられける。
雲形といふ高名の御帯は、三条院にこそは奉らせ給へれ。 雲形(くもがた)といふ高名(かうみやう)の御帯(おび)は、三条院にこそは奉らせたまへれ。
かこの裏に、 かこの裏に、
「春宮に奉る」 「春宮に奉る」
と、刀のさきにて、自筆に書かせ給へるなり。 と、刀のさきにて、自筆(じひつ)に書かせたまへるなり。
この頃は、一品の宮にとこそ承れ。 この頃は、一品(いつぽん)の宮(みや)にとこそうけたまはれ。
   
   
   
 この春宮の御弟の宮達は、少し軽々にぞおはしましし。 この春宮の御弟(おとと)の宮たちは、少し軽々(きやうきやう)にぞおはしましし。
帥の宮の、祭のかへさ、和泉式部の君とあひ乗らせ給ひて御覧ぜしさまも、いと興ありきやな。 帥の宮の、祭のかへさ、和泉式部(いづみしきぶ)の君とあひ乗らせたまひて御覧(ごらん)ぜしさまも、いと興(きよう)ありきやな。
御車の口の簾を中より切らせ給ひて、我が御方をば高う上げさせ給ひ、式部が乗りたる方をばおろして、衣ながう出させて、紅の袴に赤き色紙の物忌いとひろきつけて、地とひとしうさげられたりしかば、いかにぞ、物見よりは、それをこそ人見るめりしか。 御車(みくるま)の口の簾(すだれ)を中より切らせたまひて、わが御方をば高う上げさせたまひ、式部が乗りたる方をばおろして、衣(きぬ)ながう出(いで)させて、紅(くれなゐ)の袴(はかま)に赤き色紙(しきし)の物忌(ものいみ)いとひろきつけて、地(つち)とひとしうさげられたりしかば、いかにぞ、物見(ものみ)よりは、それをこそ人見るめりしか。
弾正尹の宮の、童におはしましし時、御かたちのうつくしげさは、はかりも知らず、かかやくとこそは見えさせ給ひしか。 弾正尹(だんじやうのゐん)の宮(みや)の、童(わらは)におはしましし時、御かたちのうつくしげさは、はかりも知らず、かかやくとこそは見えさせたまひしか。
御元服おとりのことのほかにせさせ給ひにしをや。 御元服(げんぶく)おとりのことのほかにせさせたまひにしをや。
   
 この宮達は、御心の少し軽くおはしますこそ、一家の殿ばらうけ申させ給はざりしかど、さるべきことの折などは、いみじうもてかしづき申させ給ひし。  この宮たちは、御心(みこころ)の少し軽(かろ)くおはしますこそ、一家(け)の殿ばらうけまうさせたまはざりしかど、さるべきことの折などは、いみじうもてかしづきまうさせたまひし。
帥の宮、一条院の御時の御作文に参らせ給ひしなどには、御前などにさるべき人多くて、いとこそめでたく参らせ給ふめりしか。 帥(そち)の宮(みや)、一条院の御時の御作文(さくもん)にまゐらせたまひしなどには、御前(ごぜん)などにさるべき人多くて、いとこそめでたくまゐらせたまふめりしか。
御前にて御襪のいたうせめさせ給ひけるに心地もたがひて、いとたへがたうおはしましければ、この入道殿にかくと聞えさせ給ひて、鬼の間におはしまして、御襪をひき抜き奉らせ給へりければこそ、御心地なほらせ給へりけれ。 御前(おまへ)にて御襪(したうづ)のいたうせめさせたまひけるに心地(ここち)もたがひて、いとたへがたうおはしましければ、この入道殿にかくと聞えさせたまひて、鬼(おに)の間(ま)におはしまして、御襪をひき抜きたてまつらせたまへりければこそ、御心地(ここち)なほらせたまへりけれ。
   
 贈后の御一つ腹の、いま一所の姫君は、円融院の御時、梅壺の女御と申して、一の皇子生まれ給へりき。  贈后(ぞうこう)の御一(ひと)つ腹(ばら)の、いま一所(ひとところ)の姫君は、円融院の御時、梅壷(うめつぼ)の女御(にようご)と申して、一(いち)の皇子(みこ)生まれたまへりき。
その皇子五つにて春宮にたたせ給ひ、七つにて位につかせ給ひにしかば、御母、女御殿、寛和二年七月五日、后にたたせ給ひて、中宮と申しき。 その皇子五つにて春宮(とうぐう)にたたせたまひ、七つにて位につかせたまひにしかば、御母、女御殿、寛和(かんな)二年七月五日、后にたたせたまひて、中宮(ちゆうぐう)と申しき。
   
 この帝を一条院と申しき。   この帝(みかど)を一条院と申しき。
その母后、入道せさせ給ひて、太上天皇とひとしき位にて、女院と聞えさせき。 その母后(ははきさき)、入道せさせたまひて、太上天皇とひとしき位にて、女院(にようゐん)と聞えさせき。
一天下をあるままにしておはしましし。 一天下(いちてんか)をあるままにしておはしましし。
   
   
   
 この父大臣の御太郎君、女院の御一つ腹の道隆の大臣、内大臣にて関白せさせ給ひき。 この父大臣(おとど)の御太郎君、女院の御一(ひと)つ腹(ばら)の道隆(みちたか)の大臣(おとど)、内大臣にて関白せさせたまひき。
二郎君、陸奥守倫寧のぬしの女の腹におはせし君なり。 二郎君、陸奥守(みちのくにのかみ)倫寧(ともやす)のぬしの女の腹におはせし君なり。
道綱と聞えし。 道綱(みちつな)と聞えし。
大納言までなりて、右大将かけ給へりき。 大納言までなりて、右大将かけたまへりき。
この母君、きはめたる和歌の上手におはしければ、この殿の通はせ給ひけるほどのこと、歌など書き集めて、『かげろふの日記』と名づけて、世にひろめ給へり。 この母君、きはめたる和歌の上手(じやうず)におはしければ、この殿(との)の通はせたまひけるほどのこと、歌など書き集めて、『かげろふの日記(にき)』と名づけて、世にひろめたまへり。
殿のおはしましたりけるに、門をおそくあけければ、たびたび御消息いひ入れさせ給ふに、女君、 殿のおはしましたりけるに、門(かど)をおそくあけければ、たびたび御消息(せうそこ)いひ入れさせたまふに、女君(をんなぎみ)、
   
♪52
嘆きつつ
 ひとり寝る夜の
 あくるまは
 いかにひさしき
 ものとかはしる
 
嘆きつつ
 ひとり寝(ぬ)る夜(よ)の
 あくるまは
 いかにひさしき
 ものとかはしる
   
 いと興ありと思し召して、 いと興(きよう)ありと思(おぼ)し召(め)して、
   
♪53
げにやげに
 冬の夜ならぬ
 槙の戸も
 おそくあくるは
 苦しかりけり
 
げにやげに
 冬の夜(よ)ならぬ
 槙(まき)の戸も
 おそくあくるは
 苦しかりけり
   
 されば、その腹の君ぞかし、この道綱の卿の、後には東宮傅になり給ひて傅の殿とぞ申すめりし。 されば、その腹の君ぞかし、この道綱(みちつな)の卿の、後(のち)には東宮傅(とうぐうのふ)になりたまひて傅(ふ)の殿(との)とぞ申すめりし。
いとあつくして、大将をも辞し給ひてき。 いとあつくして、大将をも辞(じ)したまひてき。
その殿、今の入道殿の北の政所の御はらからに住み奉らせ給ひて、生れ給へりし君、宰相中将兼経の君よ。 その殿、今の入道殿の北(きた)の政所(まんどころ)の御はらからに住みたてまつらせたまひて、生れたまへりし君、宰相中将(さいしやうのちゆうじやう)兼経(かねつね)の君よ。
父大納言は失せ給ひにき、御年六十六とぞ聞き奉りし。 父大納言はうせたまひにき、御年六十六とぞ聞きたてまつりし。
大入道殿の三郎、粟田殿。 大入道殿の三郎、粟田殿(あはたどの)。
また、四郎は、外腹の治部少輔の君とて、世のしれものにて、まじらひもせでやみ給ひぬとぞ、聞え侍りし。 また、四郎は、外腹(ほかばら)の治部少輔(ぢぶせふ)の君とて、世のしれものにて、まじらひもせでやみたまひぬとぞ、聞えはべりし。
五郎君、ただいまの入道殿におはします。 五郎君、ただいまの入道殿におはします。
女院の御母北の方の御腹の君達三所の御有様、申し侍らむ。 女院(にようゐん)の御母北の方の御腹の君達(きんだち)三所(みところ)の御有様、申しはべらむ。
昭宣公の御君達、 昭宣公(せうせんこう)の御君達、
「三平」 「三平(さんぺい)」
と聞えさすめりしに、この三所をば、 と聞えさすめりしに、この三所をば、
「三道」 「三道(さんだう)」
とや世の人申しけむ、えこそ承らずなりにしか。 とや世の人申しけむ、えこそうけたまはらずなりにしか」
とて、ほほゑむ。 とて、ほほゑむ。
   
   

一 内大臣 道隆みちたか

   
 この大臣は、これ、東三条の大臣の御一男なり。 「この大臣(おとど)は、これ、東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)の御一男なり。
御母は、女院の御同じ腹なり。 御母は、女院(にようゐん)の御同じ腹なり。
関白になり栄えさせ給ひて六年ばかりやおはしけむ、大疫れいの年こそ失せ給ひけれ。 関白になり栄えさせたまひて六年ばかりやおはしけむ、大疫れい(おほえきれい)の年こそうせたまひけれ。
されど、その御病にてはあらで、御酒のみだれさせ給ひにしなり。 されど、その御病にてはあらで、御酒(みき)のみだれさせたまひにしなり。
男は、上戸、ひとつの興のことにすれど、過ぎぬるはいと不便なる折侍りや。 男(おのこ)は、上戸(じやうご)、ひとつの興(きよう)のことにすれど、過ぎぬるはいと不便(ふびん)なる折侍りや。
祭のかへさ御覧ずとて、小一条の大将、閑院の大将と一つ御車にて、紫野に出でさせ給ひぬ。 祭のかへさ御覧(ごらん)ずとて、小一条(こいちでう)の大将・閑院(かんゐん)の大将と一つ御車(みくるま)にて、紫野(むらさいの)に出でさせたまひぬ。
烏のつい居たるかたを瓶につくらせ給ひて、興あるものに思して、ともすれば御酒入れて召す。 烏(からす)のつい居(ゐ)たるかたを瓶(かめ)につくらせたまひて、興あるものに思(おぼ)して、ともすれば御酒(みき)入れて召す。
今日もそれにてまゐらする、もてはやされ給ふほどに、やうやう過ぎさせ給ひて後は、御車の後、前の簾皆あげて、三所ながら御髻はなちておはしましけるは、いとこそ見苦しかりけれ。 今日もそれにてまゐらする、もてはやされたまふほどに、やうやう過ぎさせたまひて後(のち)は、御車(みくるま)の後(しり)・前(まへ)の簾(すだれ)皆あげて、三所(みところ)ながら御髻(もとどり)はなちておはしましけるは、いとこそ見ぐるしかりけれ。
おほかたこの大将殿たちの参り給へる、世の常にて出で給ふをば、いと本意なく口惜しきことに思し召したりけり。 おほかたこの大将殿たちのまゐりたまへる、世の常にて出でたまふをば、いと本意(ほい)なく口惜(くちを)しきことに思(おぼ)し召(め)したりけり。
ものもおぼえず、御装束もひきみだりて、車さし寄せつつ、人にかかれて乗り給ふをぞ、いと興あることにせさせ給ひける。 ものもおぼえず、御装束(さうぞく)もひきみだりて、車さし寄せつつ、人にかかれて乗りたまふをぞ、いと興あることにせさせたまひける。
   
 ただしこの殿、御酔のほどよりはとく醒むることをぞせさせ給ひし。 ただしこの殿(との)、御酔(ゑひ)のほどよりはとくさむることをぞせさせたまひし。
御賀茂詣の日は、社頭にて三度の御かはらけ参らするわざなるを、その御時には、禰宜、神主も心得て、大かはらけをぞ参らせし。 御賀茂詣(かもまうで)の日は、社頭(しやとう)にて三度(みたび)の御かはらけ定まりてまゐわするわざなるを、その御時には、禰宜(ねぎ)・神主(かうぬし)も心得て、大かはらけをぞまゐらせしに、
三度はさらなることにて、七八度など召して、上の社に参らせ給ふ道にては、やがてのけざまに、しりの方を御枕にて、不覚に大殿篭りぬ。 三度はさらなることにて、七八度など召して、上(かみ)の社(やしろ)にまゐりたまつふ道にては、やがてのけざまに、しりの方を御枕にて、不覚(ふかく)に大殿篭(おほとおのごも)りぬ。
一の大納言にては、この御堂ぞおはしまししかば、御覧ずるに、夜に入りぬれば、御前の松の光にとほりて御覧ずるに、御透影のおはしまさねば、あやしと思し召しけるに、参りつかせ給ひて、御車かきおろしたれど、え知らせ給はず。 一(いち)の大納言にてつは、この御堂(みだう)ぞおはしまししかば、御覧(ごらん)ずるに、夜(よ)に入りぬれば、御前(ごぜん)の松の光にとほりて見ゆるに、御透影(すきかげ)のおはしまさねば、あやしと思し召しけるに、まゐりつかせたまひて、御車かきおろしたれど、え知らせたまはず。
いかにと思へど、御前どももえおどろかし申さで、ただ候ひなめるに、入道殿おりさせ給へるに、さてあるべき事ならねば、轅の外ながら、高やかに、 いかにと思へど、御前(ごぜん)どももえおどろかしまうさで、たださぶらひなめるに、入道殿おりさせたまへるに、さてあるべきことならねば、轅(ながえ)の戸(と)ながら、高(たか)やかに、
「やや」 「やや」
と御扇を鳴らしなどせさせ給へど、さらにおどろかせ給はねば、近く寄りて、表の御袴の裾を荒らかにひかせ給ふ折ぞ、おどろかせ給ひて、さる御用意はならはせ給へれば、御櫛、笄具し給へりける、取り出でてつくろひなどして、おりさせ給ひけるに、いささかさりげなく、清らかにておはしましし。 と御扇(あふぎ)を鳴らしなどせさせたまへど、さらにおどろきたまはねば、近く寄りて、表(うへ)の御袴(はかま)の裾(すそ)を荒らかにひかせたまふ折ぞ、おどろかせたまひて、さる御用意はならはせたまへれば、御櫛(くし)・笄具(かうがいぐ)したまへりける取り出でて、つくろひなどして、おりさせたまひけるに、いささかさりげなくて、清(きよ)らかにてぞおはしましし。
されば、さばかり酔ひなむ人は、その夜は起きあがるべきかは。 されば、さばかり酔(ゑ)ひなむ人は、その夜は起きあがるべきかは。
それに、この殿の御上戸は、よくおはしましける。 それに、この殿(との)の御上戸(じやうど)は、よくおはしましける。
その御心のなほ終りまでも忘れ給はざりけるにや、御病づきて失せ給ひける時、西にかき向け奉りて、 その御心(みこころ)のなほ終りまでも忘れさせたまはざりけるにや、御病づ来てうせたまひけるとき、西にかき向けたてまたりて、
「念仏申させ給へ」 「念仏(ねんぶつ)申させたまへ」
と、人々のすすめ奉りければ、 と、人々のすすめたてまつりければ、
「済時、朝光などもや極楽にはあらずむらむ」 「済時(なりとき)・朝光(あさてる)なむどもや極楽(ごくらく)にはあらずむらむ」
と仰せられけるこそあはれなれ。 と仰(おほ)せられけるこそ、あはれなれ。
常に御心に思し召しならひたる事なれば。 つねに御心に思(おぼ)しならひたることなればにや。
あの、地獄の鼎のふたに頭うち当てて、三宝の御名思ひ出でけむ人のやうなる事なりや。 あの、地獄の鼎(かなへ)のはたに頭(かしら)うちあてて、三宝(さんぽう)の御名(みな)思ひ出でけむ人のやうなることなりや。
   
   
   
 御かたちぞいと清らにおはしましし。  御かたちぞいと清らにおはしましし。
帥殿に天下執行の宣旨下し奉りに、この民部卿殿の、頭弁にて参り給へりけるに、御病いたくせめて、御装束もえ奉らざりければ、御直衣にて御簾の外にゐざり出でさせ給ふに、長押をおりわづらはせ給ひて、女装束御手にとりて、かたのやうにかづけさせ給ひしなむ、いとあはれなりし。 帥殿(そちどの)に天下執行(しゆぎやう)の宣旨(せんじ)下したてまつりに、この民部卿殿(みんぶきやうどの)の、頭弁(とうのべん)にてまゐりたまへりけるに、御病いたくせめて、御装束(さうぞく)もえたてまつらざりければ、御直衣(なほし)にて御簾(みす)の外(と)にゐざり出でさせたまふに、長押(なげし)をおりわづらはせたまひて、女装束(をんなさうぞく)御手にとりて、かたのやうにかづけさせたまひしなむ、いとあはれなりし。
こと人のいとさばかりになりたらむは、ことやうなるべきを、なほいとかはらかにあてにおはせしかば、 こと人のいとさばかりなりたまむは、ことやふなるべきを、なほいとかはらかにあてにおはせしかば、
「病づきてしもこそ容貌はいるべかりけれ、となむ見えし」 「病づきてしもこそかたちはいるでかりけれ、となむ見えし」
とこそ、民部卿殿はつねに宣ふなれ。 とこそ、民部卿殿はつねにのたまふなかれ。
   
  [一一九] 道隆の子孫
   
 その関白殿は、腹ばらに男子、女君あまたおはしましき。 その関白殿は腹(はら)ばらに男子(をのこご)・女子(をんなご)あまたおはしましき。
今の北の方は、大和守高階成忠のぬしの御娘なり。 今の北の方は、大和守高階成忠(やまとのかみたかしなのなりただ)のぬしの御女(むすめ)なり。
後には高二位とこそいひ侍りしか。 後(のち)には高二位(かうにゐ)とこそいひはべりしか。
さて積善寺の供養の日は、この入道殿の上に候はれしは、いとめでたうなりしわざかな。 さて積善寺(しやくぜんじ)の供養(くやう)の日は、この入道殿の上(かみ)にさぶらはせしは、いとめだうなりしわざかな。
   
その腹に男君三所、女君四所おはしましき。 その腹に男君三所(をとこぎみみところ)・女君四所(をんなぎみよところ)おはしましき。
大姫君は、一条院の十一にて御元服せしめ給ひしに、十五にてや参らせ給ひけむ。 大姫君(おほひめぎみ)は、一条院の十一にて御元服せしめたまひしに、十五にてやまゐらせたまひけむ。
やがてその年六月一日、后にゐさせ給ふ。 やがてその年六月一日、后(きさき)にゐさせたまふ。
中宮と申しき。 中宮(ちゆうぐう)と申しき。
東三条殿の御悩のさかりも過ぐさせ給はで、奉らせ給ひしをぞ、世人、いかにぞや申し侍りし。 東三条殿(とうさんでうどの)の御悩(ごなう)のさかりも過ぐさせたまはで、奉らせたまひしをぞ、世人(よひと)、いかにぞや申しはべりし。
   
さて関白殿など失せさせ給ひて後、男君一人、女君二人生み奉らせ給へりき。 さて関白殿などうせさせたまひて後(のち)に男御子(をとこみこ)一人・女御子二人うみたてまつらせたまへりき。
女君は入道の一品宮とて、三条におはします。  
女二の宮は、九つにて失せ給ひにき。 女一の宮は、九つにてうせたまひにき。
男親王、式部卿の宮敦康とこそ申ししか。 男親王(みこ)、式部卿(しきぶきやう)の宮篤康(みやあつやす)の親王(みこ)とこそ申ししか。
たびたび御思ひたがひて、世の中を思し嘆きて失せ給ひにき。 たびたびの御思ひたがひて、世の中を思(おぼ)し嘆きてうせたまひにき、
御年二十にて、あさましうて病ませ給ひにしかな。 御年二十にて。あさましうて病(や)ませたまひにしかは。
冷泉院の宮達などのやうに、軽々におはしまさましかば、いとほしさもよろしうや、世の人思ひ申さまし。 冷泉院の宮たちなどのやうに、軽々(きようきよう)におはしまさましかば、いとほしさもよろしくや、世の人思ひまさまし。
御才いとかしこく、御心ばへもいとめでたくぞおはしましし。 御才(ざえ)いとかしこう、御心(こころ)ばへもいとめでたうぞおはしましし。
   
 さてまた、この宮の御母后の御さしつぎの中の君、三条院の東宮と申しし折の淑景舎とて、花やがせ給ひしも、父殿失せ給ひにし後、御年二十二三ばかりにて失せさせ給ひにき。 さてまた、この宮の御母后(ははきさき)の御さしつぎの中(なか)の君(きみ)は、三条院の東宮(とうぐう)と申しし折のしげいさとて、はなやがせたまひしも、父殿(ちちどの)うせたまひにし後(のち)、御年二十二三ばかりにてうせさせたまひにき。
 三の御方は、冷泉院の四の皇子、帥の宮と申ししをこそは、父殿婿どり奉らせ給へりしも、後には、やがて御中絶えにしかば、末の世は、一条わたりにいとあやしくておはするとぞ聞え給ひし。 三の御方は、冷泉院の四の皇子(みこ)、帥(そち)の宮(みや)と申ししをこそは、父殿(ちちどの)婿(むこ)どりたてまつらせたまへりしも、後(のち)には、やがて御中(なか)絶えにしかば、末の世は、一条の渡りにいとあやしくておはするとぞ聞えたまひし。
まことにや、御心ばへなどの、いと落ち居ずおはしましければ、かつは、宮もうとみ聞えさせ給へりけるとかや。 まことにや、御心ばへなどの、いと落(お)ち居(ゐ)ずおはしければ、かつは、宮もうつうみきこえさせたまへりけるとかや。
僧、客人などの参りたる折は、御簾をいと高やかに押しやりて、御懐をひろげて立ち給へりければ、宮は御おもてうち赤めてなむおはしましける。 客人(まらうど)などのまゐりたる折は、御簾(みす)をいと高やかに押しやりて、御懐(ふところ)をひろげて立ちたまへりければ、宮は御おもてうち赤(あか)めてなむおはしましける。
候ふ人も、顔の色たがふ心地して、うつぶしてなむ、立たむもはしたに、術なかりける。 さぶらふ人も、おもての色たがふ心地(ここち)して、うつぶしてなむ、立たむもはしたに、術(ずち)なかりける。
宮、後には、 宮、後(のち)には、
「見返りたりしままに、動きもせられず、ものこそ覚えざりしか」 「見返りたりしままに、動きもせられず、ものこそ覚えざりしか」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰せられけれ。
   
 また、学生ども召し集め、文作り遊ばせ給ひけるに、黄金を二三十両ばかり、屏風の上より投げ出して、人々打ち給ひければ、ふさはしからず憎しとは思はれけれど、その座にて饗応し申してとり争ひけり。 また、学生(がくしやう)ども召し集めて、作文(さくもん)し遊ばせたまひけるに、金(こがね)を二三十両ばかり、屏風(びやうぶ)の上より投げ出(いだ)して、人々うちたまひければ、ふさはしからず憎しとは思はれけれど、その座にては饗応(きやうよう)しまうしてとり争ひけり。
「黄金給はりたるはよけれども、さも見苦しかりしものかな」 「金たまはりたるはよけれども、さも見ぐるしかりしものかな」
とこそ今に申さるなれ。 とこそ今に申さるなれ。
人々文作りて講じなどするにも、良し悪しいと高やかに定め給ふ折もありけり。 人々文(ふみ)作るて講じなどするに、よしあしいと高やかに定めたまふ折もありけり。
二位の新発意の御流にて、この御族は、女も皆、才のおはしたるなり。 二位の新発(しぼち)の御流(ながれ)にて、この御族(ぞう)は、女も皆、才(ざえ)のおはしたるなり。
   
 母上は高内侍ぞかし。 母上は高内侍(こうないし)ぞかし。
されど、殿上えせられざりしかば、行幸、節会などには、南殿にぞ参られし。 されど、殿上(てんじやう)えせられざりしかば、行幸(ぎやうかう)・節会(せちゑ)などには、南殿(なでん)にぞまゐられし。
それはまことしき文者にて、御前の作文には、文奉られしはとよ。 それはまことしき文者(もんざ)にて、御前(おまへ)の作文(さくもん)には、文(ふみ)奉られしはとよ。
少々の男にはまさりてこそ聞え侍りしか。 少々(せうせう)の男(をのこ)にはまさりてこそ聞えはべりしか。
さやうの折、弘徽殿の上の御局の方より通ひて、二間に南無候ひ給ひけるとこそ承りしか。 さやうの折、弘徽殿(こきでん)の上(うえ)の御局(みつぼね)の方より通ひて、二間(ふたま)に南無サブらひたまひけるとこそうけたまはりしか。
古体に侍りや。 古体(こたい)に侍りや。
「女のあまりに才かしこきは、ものあしき」 「女のあまりに才(ざえ)かしこきは、ものあしき」
と、人の申すなるに、この内侍、後にはいといみじう堕落せられにしも、その故とこそはおぼえ侍りしか。 と、人の申すなるに、この内侍、後(のち)にはいといみじう堕落(だらく)せられにしも、その故(け)とこそはおぼえはべりしか。
さて、その宮の上の御さしつぎの四の君は、御匣殿と申しし。 さて、その宮の上の御さしつぎの四の君は、御くしげ殿(みくしげどの)と申しし。
御かたちいとうつくしうて、式部卿の宮の御母代にておはしまししも、はかなく失せ給ひにき。 御かたちいとうつくしうて、式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)の御母代(ははしろ)にておはしまししも、はかなくうせたまひにき。
されば、一つ腹の女君たちかくなり。 されば、一(ひと)つ腹(ばら)の女君たちかくなり。
対の御方と聞えさせし人の御腹にも、女君おはしけるは、今の皇太后宮にこそは候ひ給ふなれ。 対(たい)の御方(おんかた)と聞えさせし人の御腹にも、女君おはしけるは、今の皇太后宮にこそはさぶらひたまふなれ。
またも聞え給ふかし。 またも聞えたまふかし。
   
   
   
 男君達は、太郎君、故伊予守守仁のぬしの女の腹ぞかし、大千代君よな。 男君たちは、太郎君、故伊予守守仁(いよのかみもりひと)のぬしの女(むすめ)の腹ぞかし、大千代君(おほちよぎみ)よな。
それは祖父大臣の御子にし奉り給ひて、道よりの六郎君とこそは申ししか。 それは祖父大臣(おほぢおとど)の御子(みこ)にしたてまつりたまひて、道より(みちより)の六郎君とこそは申(ま)ししか。
大納言なでなり給へりき。 大納言なでなりたまへりき。
父関白殿失せ給ひし年の六月十一日に、うちつづき失せ給ひにき。 父関白殿うせたまひし年の六月十一日に、うちつづきうせたまひにき。
御年二十五とぞ聞えさせ給ひし。 御年二十五とぞ聞えさせたまひし。
御かたちいと清げに、あまりあたらしきさまして、ものより抜け出でたるやうにぞおはせし。 御かたちいと清(きよ)げに、あまりあたらしきさまして、ものより抜け出でたるやうにぞおはせし。
御心ばへこそ、こと御はらからにも似給はずいとよく、また、ざれをかしくもおはせしか。 御心(こころ)ばへこそ、こと御はらからにも似たまはずいとよく、また、ざれをかしくもおはせしか。
この殿は、こと腹におはす。 この殿(との)は、こと腹(ばら)におはす。
皇后宮と一つ腹の長君、法師にて、十あまりのほどに僧都になし奉り給へりし。 皇后宮と一つ腹の長君、法師にて、十あまりのほどに僧都(そうづ)になしたてまつりたまへりし。
それも三十六にて失せ給ひにき。 それも三十六にてうせたまひにき。
   
いま一所は、小千代君とて、かの外腹の大千代君にはこよなくひき越し、二十一におはせし時、内大臣になし奉り給ひて、我が失せ給ひし年、長徳元年の事なり、御病重くなる際に、内に参り給ひて、 いま一所(ひとところ)は、小千代君(こちよぎみ)とて、かの外腹(ほかばら)の大千代君にはこよなくひき越し、二十一におはせしとき、内大臣になしたてまつりたまひて、わがうせたまひし年、長徳(ちやうとく)元年のことなり、御病重くなるきはに、内(うち)にまゐりたまひて、
「おのれかくまかりなりにて候ふほど、この内大臣伊周の大臣に、百官ならびに天下執行の宣旨たぶべき」 「おのれかくまかりなりにてさぶらふほど、この内大臣伊周(これちか)の大臣(おとど)に、百官ならびに天下執行(しゆぎやう)の宣旨(せんじ)たぶべき」
よし、申し下さしめ給ひて、我は出家せさせ給ひてしかば、この内大臣殿を関白殿とて、世の人集り参りしほどに、粟田殿にわたりにしかば、手に据ゑたる鷹をそらいたらむやうにて嘆かせ給ふ。 よし、申し下さしめたまひて、われは出家(すけ)せさせたまいてしかば、この内大臣殿を関白殿とて、世の人集りまゐりしほどに、粟田殿(あわたどの)にわたりにしかば、手に据(す)ゑたる鷹をそらいたらむやうにて嘆かせたまふ。
一家にいみじき事に思しみだりしほどに、その移りつる方も夢のごとくにて失せ給ひにしかば、今の入道殿、その年の五月十一日より世をしろしめししかば、かの殿いとど無徳におはしまししほどに、またの年、花山院の御事出できて、御官位とられて、ただ太宰権帥になりて、長徳二年四月二十四日にこそは下り給ひにしか、御年二十三。 一家にいみじきことに思(おぼ)しみだりしほどに、その移りつる方も夢のごとくにてうせたまいにしかば、今の入道殿、その年の五月十一日より世をしろしめししかば、かの殿(との)いとど無徳(むとく)におはしまししほどに、またの年、花山院の御こと出できて、御官位(つかさくらゐ)とられて、ただ太宰権帥(だざいのごんのそち)になりて、長徳二年四月二十四日にこそは下りたまひにしか、御年二十三。
いかばかりあはれにかなしかりしことぞ。 いかばかりあはれにかなしかりしことぞ。
されど、げにかならずかやうのこと、わがおこたりにて流され給ふにしもあらず。 されど、げにかならずかやうのこと、わがおこたりにて流されたまふにしもあらず。
よろづの事身に余りぬる人の、唐にもこの国にもあるわざにぞ侍るなる。 よろづのこと身にあまりぬる人の、唐(もろこし)にもこの国にもあるわざにぞ侍るなる。
昔は北野の御事ぞかし。 昔は北野(きたの)の御ことぞかし」
 などいひて、鼻うちかむほどもあはれに見ゆ。 などいひて、鼻うちかむほどもあはれに見ゆ。
   
   
   
〔世次〕この殿も、御才日本にはあまらせ給へりしかば、かかることもおはしますにこそ侍りしか。 「この殿も、御才(ざえ)日本にはあまらせたまへりしかば、かかることもおはしますにこそ侍りしか。
 さて、式部卿の宮の生れさせ給へる御よろこびにこそ召し返させ給ひつれ。 さて、式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)の生れさせたまへる御よろこびにこそ召し返させたまひつれ。
さて、大臣になずなふる宣旨かぶらせ給ひて歩き給ひし御有様も、いと落ち居ても覚え侍らざりき。 さて、大臣になずなふる宣旨(せんじ)かぶらせたまひて歩(あり)きたまひし御有様も、いと落(お)ち居(ゐ)ても覚えはべらざりき。
いと見苦しき事のみ、いかに聞え侍りしものとて。 いと見ぐるしきことのみ、いかに聞えはべりしものとて。
内に参らせ給ひけるに、北の陣より入らせ給ひて、西ざまにおはしますに、入道殿も候はせ給ふほどなれば、梅壺の東の塀の戸のはさまに、下人どもいと多くゐたるを、この帥殿の御供の人々いみじう払へば、いくべき方のなくて、梅壺の塀のうちにはらはらと入りたるを、これはいかにと、殿御覧ず。 内(うち)にまいらせたまひけるに、北(きた)の陣(ぢん)より入らせたまひて、西ざまにおはしますに、入道殿もさぶらはせたまふほどなれば、梅壷(うめつぼ)の東(ひんがし)の塀(へい)の戸(と)のはさまに、下人(げにん)どもいと多くゐたるを、この帥殿(そちどの)の御供(とも)の人々いみじう払(はら)へば、いくべき方のなくて、梅壷の塀のうちにはらはらと入りたるを、これはいかにと、殿御覧(とのごらん)ず。
あやしと人々見れど、さすがにえともかくもせぬに、なにがしといひし御随身の、そら知らずして、荒らかにいたく払ひ出せば、また戸ざまに、いとらうがはしく出づるを、帥殿の御供の人々、このたびはえ払ひあへねば、ふとり給へる人にて、すがやかにもえ歩み退き給はで、登花殿の細殿の小蔀に押し立てられ給ひて、 あやしと人々見れど、さすがにえともかくもせぬに、なにがしといひし御隋身(みずいじん)の、そら知らずして、荒らかにいたく払ひ出(いだ)せば、また戸(と)ざまに、、いとらうがはしく出づるを、帥殿の御供の人々、このたびはえ払ひあへねば、ふとりたまへる人にて、すがやかにもえ歩(あゆ)み退(の)きたまはで、登花殿(とうくわでん)の細殿(ほそどの)の小じとみに押し立てられたまひて、
「やや」 「やや」
と仰せられけれど、狭き所に雑人いと多く払はれて、おしかけられまつりぬれば、とみにえ退かで、いとこそ不便に侍りけれ。 と仰(おほ)せられけれど、狭(せば)きところに雑人(ざふにん)いと多く払はれて、おしかけられまつりぬれば、とみにえ退かで、いとこそ不便(ふびん)に侍りけれ。
それはげに御罪にあらねど、ただはなやかなる御歩き、振舞をせさせ給はずは、さやうに軽々しきことおはしますべきことかはとぞかし。 それはげに御罪(つみ)にあらねど、ただはなやかなる御歩(あり)き・振舞(ふるまひ)をせさせたまはずは、さやうに軽々(かろがろ)しきことおはしますべきことかはとぞかし。
   
   
   
 また、入道殿の御嶽に参らせ給へりし道にて帥殿の方より便なきことあるべしと聞えて、常よりも世を恐れさせ給ひて、たひらかに帰らせ給へるに、かの殿も、 また、入道殿、御嶽(みたけ)にまゐらせたまへりし道にて帥殿の方より便(びん)なきことあるべしと聞えて、常(つね)よりも世をおそれさせたまひて、たひらかに帰らせたまへるに、かの殿(との)も、
「かかること聞えたりけり」 「かかること聞えたりけり」
と人の申せば、いとかたはらいたく思されながら、さりとてあるべきならねば、参り給へり。 と人の申せば、いとかたはらいたく思(おぼ)されながら、さりとてあるべきならねば、まゐりたまへり。
道のほどの物語などせさせ給ふに、帥殿いたく臆し給へる御けしきのしるきを、をかしくもまたさすがにいとほしくも思されて、 道のほどの物語などせさせたまふに、帥殿いたく臆(おく)したまへる御けしきのしるきを、をかしくもまたさすがにいとほしくも思されて、
「久しく双六つかうまつらで、いとさうざうしきに、今日あそばせ」 「ひさしく双六(すぐろく)つかまつらで、いと差うざうしきに、今日あそばせ」
とて、双六の盤召して、押しのごはせ給ふに、御けしきこよなうなほりて見え給へば、殿をはじめ奉りて、参り給へる人々、あはれになむ見奉りける。 とて、双六のばんを召して、忍野ごはせたまふに、御けしきこよなうなほりて見えたまへば、殿(との)をはじめたてまつりて、まゐりたまへる人々、あはれになむ見たてまつりける。
さばかりのことを聞かせ給はむには、少しすさまじくももてなさせ給ふべけれど、入道殿は、あくまで情おはします御本性にて、かならず人のさ思ふらむ事をば、おしかへし、なつかしうもてなさせ給ふなり。 さばかりのことを聞かせたまはむには、少しすさまじくももてなさせたまふべけれど、入道殿は、あくまで情(なさけ)おはします御本性(ほんじやう)にて、かならず人のさ思ふらむ事をば、おしかへし、なつかしうもてなさせたまふなり。
この御博奕は、うちたたせ給ひぬれば、二所ながら裸に腰からませ給ひて、夜半、暁まであそばす。 この御博奕(ばくやう)は、うちたたせたまひぬれば、二所(ふたところ)ながら裸(はだか)に腰からませたまひて、夜半(よなか)・暁(あかつき)まであそばず。
「心幼くおはする人にて、便なきことどもこそ出でくれ」 「心幼くおはする人にて、便(びん)なきこともこそ出でくれ」
と、人はうけ申さざりけり。 と、人はうけまうさざりけり。
いみじき御賭物どもこそ侍りけれ。 いみじき御賭物(かけもの)どもこそ侍りけれ。
帥殿はふるきものどもえもいはぬ、入道殿はあたらしきが興ある、をかしきさまにしなしつつぞ、かたみにとりかはさせ給ひぬれど、かやうのことさへ、帥殿はつねに負け奉らせ給ひてぞ、まかでさせ給ひける。 帥殿(そちどの)はふるきものどもえもいはぬ、入道殿はあたらしきが興(きよう)ある、をかしきさまにしなしつつぞ、かたみにとりかはさせたまひぬれど、かやうのことさへ、帥殿はつねに負けたてまつらせたまひてぞ、まかでさせたまひける。
   
   
   
 かかれど、ただいまは、一の宮のおはしますをたのもしきものに思し、世の人もさはいへど、したには追従し、怖づまうしたりしほどに、今の帝、春宮さしちづき生れさせ給ひにしかば、世を思しくづほれて、月頃御病もつかせ給ひて、寛弘七年正月二十九日失せさせ給ひにしぞかし。  かかれど、ただいまは、一の宮のおはしますをたのもしきものに思(おぼ)し、世の人もさはいへど、したには追従(ついそう)し、怖(お)づまうしたりしほどに、今の帝(みかど)・春宮(とうぐう)さしちづき生れさせたまひにしかば、世を思しくづほれて、月頃(つきごろ)御病もつかせたまひて、寛弘(くわんこう)七年正月二十九日うせさせたまひにしぞかし。
御年三十七とぞ承りし。 御寝ん三十七とぞうけたまはりし。
かぎりの御病とても、いたう苦しがり給ふこともなかりけり。 かぎりの御病とても、いたう苦しがりたまふこともなかりけり。
御しはぶき病にやなど思しけるほどに、重り給ひにければ、修法せむとて、僧召せど、参るもなきに、いかがはせむとて、道雅の君を御使にて、入道殿に申し給へりける。 御しはぶき病にやなど思しけるほどに、重(おも)りたまひにければ、修法(ずほふ)せむとて、僧召せど、まゐるもなきに、いかがはせむとて、道雅(みちまさ)の君を御使にて、入道殿に申したまへりける。
夜いたうふけて、人もしづまりにければ、やがて御格子にもとによりて、うちはぶき給ふ。 夜(よ)いたうふけて、人もしづまりにければ、やがて御格子(みかうし)にもとによりて、うちはぶきたまふ。
「誰そ」 「誰そ」
と問はせ給へば、御名のり申して、 と問はせたまへば、御名のり申して、
「しかじかのことにて、修法はじめむとつかまつれば、阿闍梨にまうでくる人も候はぬを、給はらむ」 「しかじかのことにて、修法(ずほふ)はじめむとつかまつれば、阿闍梨(あざり)にまうでくる人もさぶらはぬを、たまはらむ」
と申し給へば、 と申したまへば、
「いと不便なる御事かな。 「いと不便(ふびん)なる御ことかな。
えこそうけ給はざりけれ。 えこそうけたまはざりけれ。
いかやうなる御心地ぞ。 いかやうなる御心地(ここち)ぞ。
いとたいだいしき御事にもあるかな」 いとたいだいしき御ことにもあるかな」
と、いみじうおどろかせ給ひて、 と、いみじうおどろかせたまひて、
「誰を召したるに参らぬぞ」 「誰(たれ)を召したるにまゐらぬぞ」
など、くはしく問はせ給ふ。 など、くはしく問はせたまふ。
なにがし阿闍梨をこそは奉らせ給ひしか。 なにがし阿闍梨をこそはたてまちらせたまひしか。
されど、世の末は人の心も弱くなりにけるにや、 されぢ、世の末は人の心も弱くなりにけるにや、
「あしくおはします」 「あしくおはします」
など申ししかど、元方の大納言のゆにやは聞えさせ給ふな。 など申ししかど、元方の大納言のゆにやは聞えさせたまふな。
また、入道殿下のなほすぐれさせ給へる威のいみじきに侍るめり。 また、入道殿下(にゆうどうでんか)のなほすぐれさせたまへる威(ゐ)のいみじきに侍るめり。
老の波にいひ過ごしもぞし侍る。 老(おい)の波にいひ過(すぐ)しもぞしはべる」
 と、けしきだちて、このほどはうちささめく。 と、けしきだちて、このほどうちささめく。
   
   
   
〔世次〕 源大納言重光卿の女腹に、女君二所、男君三所おはせしが、この君達が皆おとなび給ひて、女君達は后がねとかしづき奉り給ひしほどに、皆思しし事どもたがひて、かく御悩みさへ重り給ひにければ、この姫君達を据ゑ並めて、泣く泣く宣ひける。 世次「源(げん)大納言重光(しげみつ)の御女(むすめ)の腹に、女君二人・男君一人おはせしが、この君たち皆おとなびたまひて女君たちは后(きさき)がねとかしづきたてまつりたまひしほどに、さまざま思(おぼ)ししことどもたがひて、かく御病さへ重(おも)りたまひにければ、この姫君たちをすゑなめて、泣く泣くのたまひける
「年頃、仏神にいみじうつかうまつりつれば、何事もさりともとこそ頼み侍りつれど、かくいふかひなき死をさへせむ事の悲しさ。 「年頃(としごろ)、仏(ほとけ)・神(かみ)にいみじうつかうまつりつれば、何事もさりともとこそ頼(たの)みはべりつれど、かくいふかひなき死(しに)をさへせむことのかなしさ。
かく知らましかば、君達をこそ、我より先に失せ給ひねと、祈り思ふべかりけれ。 かく知らましかば、君たちをこそ、われより先にうせたまひねと、祈り思ふべかりけれ。
おのれ死なば、いかなる振舞、有様をし給はむずらむと思ふが悲しく、人笑はれなるべきこと」 おのれ死なば、いかなる振舞(ふるまひ)・有様をしたまはむずらむと思ふが悲しく、人笑はれなるべきこと」
と、言ひ続けて泣かせ給ふ。 と、いひつづけて泣かせたまふ。
「あやしき有様をもし給はば、なき世なりとも、かならずう恨み聞えむずるぞ」 「あやしき有様をもしたまはば、なき世なりとも、かならずう恨(うら)みきこえむずるぞ」
とぞ、母北の方にも、泣く泣く遺言し給ひけるかし。 とぞ、母北の方にも、泣く泣く遺言(ゆいごん)したまひけるかし。
その君達、大姫君は、高松殿の春宮大夫殿の北の方にて、多くの君達産み続けておはすめり。 その君たち、大姫君(おほひめぎみ)は、高松殿(たかまつどの)の春宮大夫殿(とうぐうのだいふどの)の北の方にて、多くの君達(きんだち)うみつづけておはすめり。
それは、悪しかるべき事ならず。 それは、あしかるべきことならず。
いま一所は、大宮に参りて、帥殿の御方とて、いとやむごとなくて候ひ給ふめる事は、思しかけぬ御有様なめれ。 いま一所(ひとところ)は、大宮(おほみや)にまゐりて、帥殿(そちどの)の御方とて、いとやむごとなくてさぶらひたまふめることは、思(おぼ)しかけぬ御有様なめれ。
あはれなめりかし。 あはれなりかし。
   
   
   
 男君は、松の君とて、生まれ給へりしより、祖父大臣いみじきものに思して、迎へ奉り給ふたびごとに、贈物をせさせ給ふ。 男君は、松の君とて、生れたまへりしより、祖父大臣(おほぢおとど)いみじきものに思して、迎へたてまつりたまふたびごとに、贈物(おくりもの)をせさせたまふ。
御乳母をも饗応し給ひし君ぞかし。 御乳母(めのと)をも饗応(きやうよう)したまひし君ぞかし。
この頃三位しておはすめるは。 この頃三位(さんみ)しておはすめるは。
この君を、父大臣、 この君を、父大臣(おとど)、
「あなかしこ、我がなからむ世に、あるまじきわざせず、身捨てがたしとて、もの覚えぬ名簿うちして、我がおもてふせて、『いでや、さありしかど、かかるぞかし』 「あなかしこ、わがなからむ世に、あるまじきわざせず、身捨てがたしとて、もの覚えぬ名簿(みやうぶ)うちして、わがおもてふせて、『いでや、さありしかど、かかるぞかし』
と、人に言ひのたてせさすな。 と、人二位ひのたてせさすな。
世の中にありわびなむ際は、出家すばかりなり」 世の中にありわびなむときわ、出家(すけ)すばかりなり」
と、泣く泣く言ひおほせ給ひけるに、この君、当代の春宮にておはしましし折の亮になり給ひて、いとめやすき事と見奉りしほどに、春宮亮道雅の君とて、いと覚えおはしきかし。 と、泣く泣くい費おかせたまひけるに、この君、当代(たうだい)の春宮(とうぐう)にておはしましし折の亮(すけ)になりたまひて、いとめやすきことと見たてまつりいしほどに、春宮亮道雅(とうぐううのすけみちまさ)の君とて、いと覚えおはしきかし。
それに、いかがしけむ、位につかせ給ひしきざみに、蔵人頭にもえなり給はずして、坊官の労に三位ばかりし給ひて、中将をだにえかけたまはすなりにしこそ、いとかなしかりし事ぞかし。 それに、いかがしけむ、位につかせたまひしきざみに、蔵人頭(くらうどのとう)にもえなりたまはずして、坊官(ぼうくわん)の労(らう)にて三位ばかりして、中将を堕にえかけた間は図なりにしは、いとかなしかりしことぞかし。
あさましう思ひがけぬ事どもかな。 あさましう思ひかけむことどもかな。
   
 この君、故帥の中納言惟仲の女に住み給ひて、男一人、女一人うませ給へりしは、法師にて、明尊僧都の御房にこそはおはすめれ。 この君、故帥中納言惟仲(そちのちゆうなごんこれなか)の女(むすめ)に住みたまひて、男一人・女一人うませたまへりしいは、法師にて、明尊僧都(めいそんそうず)の御房(ごぼう)にこそはおはすめれ。
女君は、いかが思ひ給ひけむ、みそかに逃げて、今の皇太后宮にこそ参りて、大和の宣旨とて候ひ給ふなれ。 女君は、いかが思ひたまひけむ、みそかに逃げて、今の皇太后宮にこそまゐりて、大和(やまと)の宣旨(せんじ)と手さぶらひたまふなれ。
年頃の妻子とやは頼むべかりける。 年頃の妻子(めこ)とやは頼(たんお)むべかりける。
なかなかそれしもこそあなずりて、をこがましくもてなしけれ。 なかなかそれしもこそあなずりて、をこがましくもてなしけれ。
あはれ、翁らがわらはべのさやうに侍らましかば、しららがみをも剃り、鼻をもかきおとし侍りなまし。 あはれ、翁(おきな)らがわらはべのさやうに侍らましかば、しららがみをも剃(そ)り、鼻をもかきおとしはべなまし。
よき人と申すものは、いみじかりし名の惜しければ、えともかくもし給はぬにこそあめれ。 よき人と申すものは、いみじかし名の惜しければ、絵とも描くもしたまはぬにこそあめれ。
さるは、かの君、さやうにしれ給へる人かは。 さるは、かの君、さやうにしれたまへる人かは、
たましひはわき給ふ君をば。 たましひはわきたまふ君をは。
   
   
   
 帥殿は、この内の生れさせ給へりし七夜に、和歌の序代書かせ給へりしぞ、なかなか心なきことやな。 帥殿(そちどの)は、この内(うち)の生れさせたまへりし七夜(しちや)に、和歌の序代(じよだい)書かせたまへりしぞ、なかなか心なきことやな。
本体は参らせ給ふまじきを、それに、さし出で給ふより、多くの人の目をつけ奉りて、 本体(ほんたい)はまゐらせたまふまじきを、それに、さし出でたまふより、多くの人の目をつけたてまつりて、
「いかに思すらむ」 「いかに思(おぼ)すらむ」
「なにせむに参り給へるぞ」 「なにせむにまゐりたまへるぞ」
とのみ、まもられ給ふ。 とのみ、まもられたまふ。
いとはしたなきことにはあらずや。 いとはしたなきことにはあらずや。
それに、例の入道殿はまことにすさまじからずもてなし聞えさせ給へるかひありて、憎さは、めでたくこそ書かせ給へりけれ。 それに、例(れい)の入道殿はまことにすさまじからずもてなしきこえさせたまへるかひありて、憎さは、めでたくこそ書かせたまへりけれ。
当座の御おもては優にて、それにぞ人々ゆるし申し給ひける。 当座(とうざ)の御おもては優(いう)にて、それにぞ人々ゆるしまうしたまひける。
   
   
   
 この帥殿の御一つ腹の、十七にて中納言になりなどして、世の中のさがなものといはれ給ひし殿の、御童名は阿古君ぞかし。 この帥殿の御一(ひと)つ腹(ばら)の、十七にて中納言になりなどして、世の中のさがなものといはれたまひし殿(との)の、御童名(わらはな)は阿古君(あこぎみ)ぞかし。
この兄殿の御ののしりにかかりて、出雲権守になりて、但馬にこそはおはせしか。 この兄殿(あにどの)の御ののしりにかかりて、出雲権守(いずものごんのかみ)になりて、但馬(たじま)にこそはおはせしか。
さて、帥殿の帰り給ひし折、この殿も上り給ひて、もとの中納言になりや、また兵部卿などこそは聞えさせしか。 さて、帥殿の帰りたまひし折、この殿(との)も上(のぼ)りたまひて、もとの中納言になりや、また兵部卿(ひやうぶきやう)などこそは聞えさせしか。
それも、いみじう給ひしおはすとぞ、世の中に思はれ給へりし。 それも、いみじうたまひしおはすとぞ、世の中に思はれたまへりし。
あまたの人々の下﨟になりて、かたがたすさまじう思されながら歩かせ給ふに、御賀茂詣につかうまつり給へるに、むげに下りておはするがいとはしくて、殿の御車に乗せ奉らせ給ひて、御物語こまやかなるついでに、 あまたの人々の下臈(げらふ)になりて、かたがたすさまじう思されながら歩(ある)かせたまふに、御賀茂詣(かもまうで)につかうまつりたまへるに、むげに下(くだ)りておはするがいとはしくて、殿(との)の御車(みくるま)に乗せたてまつらせたまひて、御物語こまやかなるついでに、
「ひととせのことは、おのれが申し行ふとぞ、世の中にいひ侍りける。 「ひととせのことは、おのれが申し行(おこな)ふとぞ、世の中にいひはべりける。
そこにもしかぞ思しけむ。 そこにもしかぞ思しけむ。
されど、さもなかりしことなり。 されど、さもなかりしことなり。
   
宣旨ならぬこと、一言にてもくはへて侍らましかば、この御社にかくて参りなましや。 宣旨(せんじ)ならぬこと、一言(ひとこと)にてもくはへて侍らましかば、この御社(みやしろ)にかくてまゐりなましや。
天道も見給ふらむ。 天道(てんたう)も見たまふらむ。
いと恐ろしきこと」 いとおそろしきこと」
とも、まめやかに宣はせしなむ、 とも、まめやかにのたまはせしなむ、
「なかなかにおもておかむ方なく、術なくおぼえし」 「なかなかにおもておかむかたなく、術(ずち)なくおぼえし」
とこそ、後に宣ひけれ。 とこそ、後(のち)にのたまひけれ。
それも、この殿におはすれば、さやうにも仰せらるるぞ。 それも、この殿(との)におはすれば、さやうにも仰(おほ)せらるるぞ。
帥殿にはさまでもや聞えさせ給ひける。 帥殿(そちどの)にはさまでもや聞えさせたまひける。
   
 この中納言は、かやうにえさりがたきことの折々ばかり歩き給ひて、いといにしへのやうに、まじろひ給ふことはなかりけるに、入道殿の土御門殿にて御遊びあるに、 この中納言は、かやうにえさりがたきことの折々ばかり歩(あり)きたまひて、いといにしへのやうに、まじろひたまふことはなかりけるに、入道殿の土御門殿(つちみかどどの)にて御遊びあるに、
「かやうのことに、権中納言のなきこそ、なほさうざうしけれ」 「かやうのことに、権(ごん)中納言のなきこそ、なほさうざうしけれ」
と宣はせて、わざと御消息聞えさせ給ふほど、杯あまたたびになりて、人々みだれ給ひて、紐おしやりて候はるるに、この中納言参り給へれば、うるはしくなりて、居直りなどせられければ、殿、 とのたまはせて、わざと御消息(せうそく)聞えさせたまふほど、杯(さかづき)あまたたびになりて、人々みだれたまひて、紐(ひも)おしやりてさぶらはるるに、この中納言まゐりたまへれば、うるはしくなりて、居直(ゐなほ)りなどせられければ、殿、
「とく御紐解かせ給へ。 「とく御紐解(と)かせたまへ。
ことやぶれ侍りぬべし」 ことやぶれはべりぬべし」
と仰せられければ、かしこまりて逗留し給ふを、公信の卿、うしろより、 と仰(おほ)せられければ、かしこまりて逗留(とうりう)したまふを、公信(きんのぶ)の卿、うしろより、
「解き奉らむ」 「解きたてまつらむ」
とて寄り給ふに、中納言御けしきあしくなりて、 とて寄りたまふに、中納言御けしきあしくなりて、
「隆家は不運なる事こそあれ、そこたちにかやうにせらるべき身にもあらず」 「隆家(たかいへ)は不運なる事こそあれ、そこたちにかやうにせらるべき身にもあらず」
と、荒らかに宣ふに、人々御けしき変り給へるなかにも、今の民部卿殿は、うはぐみて、人々の御顔をとかく見給ひつつ、こと出できなむず、いみじきわざかなと思したり。 と、荒らかにのたまふに、人々御けしき変りたまへるなかにも、今の民部卿殿(みんぶきやうどの)は、うはぐみて、人々の御顔をとかく見たまひつつ、こと出できなむず、いみじきわざかなと思(おぼ)したり。
入道殿、うち笑はせ給ひて、 入道殿、うち笑はせたまひて、
「今日は、かやうのたはぶれごと侍らでありなむ。 「今日は、かやうのたはぶれごと侍らでありなむ。
道長解き奉らむ」 道長(みちなが)解きたてまつらむ」
とて寄らせ給ひて、はらはらと解き奉らせ給ふに、 とて寄らせたまひて、はらはらと解きたてまつらせたまふに、
「これらこそあるべきことよ」 「これらこそあるべきことよ」
とて、御けしきなほり給ひて、さしおかれつる杯とり給ひてあまたたび召し、常よりも乱れあそばせ給ひけるさまなど、あらまほしくおはしけり。 とて、御けしきなほりたまひて、さしおかれつる杯(さかづき)とりたまひてあまたたび召し、常(つね)よりも乱れあそばせたまひけるさまなど、あらまほしくおはしけり。
殿もいみじうぞもてはやし聞えさせ給ひける。 殿(との)もいみじうぞもてはやしきこえさせたまひける。
   
   
   
 さて式部卿の宮の御事を、さりともさりともと待ち給ふに、一条院の御悩重らせ給ふ際に、御前に参り給ひて、御気色給はり給ひければ、 さて式部卿(しきぶきやう)の宮(みや)の御ことを、さりともさりともと待ちたまふに、一条院の御悩(なやみ)重(おも)らせたまふきはに、御前(おまへ)にまゐりたまひて、御気色(きそく)たまはりたまひければ、
「あのことこそ、つひにえせずなりぬれ」 「あのことこそ、つひにえせずなりぬれ」
と仰せられけるに、 と仰(おほ)せられけるに、
「『あはれの人非人や』とこそ申さまほしくこそありしか」 「『あはれの人非人(にんぴにん)や』とこそ申さまほしくこそありしか」
とこそ宣ひけれ。 とこそのたまひけれ。
さて、まかで給うて、わが御家の日隠の間に尻うちかけて、手をはたはたと打ちゐ給へりける。 さて、まかでたまうて、わが御家の日隠(ひがくし)の間(ま)に尻(しり)うちかけて、手をはたはたと打ちゐたまへりける。
世の人は、 世の人は、
「宮の御事ありて、この殿、御後見もし給はば、天下の政はしたたまりなむ」 「宮の御ことありて、この殿(との)、御後見(うしろみ)もしたまはば、天下の政(まつりごと)はしたたまりなむ」
とぞ、思ひ申しためりしかども、この入道殿の御栄えのわけらるまじかりけるにこそは。 とぞ、思ひまうしためりしかども、この入道殿の御栄えのわけらるまじかりけるにこそは。
   
 三条院の大嘗会の御禊に、きらめかせ給へりしさまなどこそ、常よりもことなりしか。 三条院の大嘗会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)に、きらめかせたまへりしさまなどこそ、常(つね)よりもことなりしか。
人の、この際は、さりともくづほれ給ひなむ、と思ひたりしところをたがへむと、思したりしなめり。 人の、このきはは、さりともくづほれたまひなむ、と思ひたりしところをたがへむと、思(おぼ)したりしなめり。
さやうなるところのおはしまししなり。 さやうなるところのおはしまししなり。
節会、行幸には、掻練襲奉らぬことなるを、単衣を青くてつけさせ給へれば、紅葉襲にてぞ見えける。 節会(せちゑ)・行幸(ぎやうかう)には、掻練襲(かいねりがさね)たてまつらぬことなるを、単衣(ひとへ)を青くてつけさせたまへれば、紅葉襲(もみぢがさね)にてぞ見えける。
表の御袴、竜胆の二重織物にて、いとめでたく清らにこそ、きらめかせ給へりしか。 表(うへ)の御袴(はかま)、竜胆(りんだう)の二重織物(ふたへおりもの)にて、いとめでたく清(けう)らにこそ、きらめかせたまへりしか。
   
   
   
 御目のそこなはれ給ひにしこそ、いといとあたらしかりしか。  御目のそこなはれたまひにしこそ、いといとあたらしかりしか。
よろづにつくろはせ給ひしかど、えやませ給はで、御まじらひ絶え給へる頃、大弐の闕出できて、人々望みののしりにし、唐人の目つくろふがあなるに、見せむと思して、 よろづにつくろはせたまひしかど、えやませたまはで、御まじらひ絶えたまへる頃、大弐(だいに)の闕(けち)出できて、人々望みののしりにし、唐人(からびと)の目つくろふがあなるに、見せむと思して、
「こころみにならばや」 「こころみにならばや」
と申し給ひければ、三条院の御時にて、またいとほしくや思し召しけむ、二言となくならせ給ひてしぞかし。 と申したまひければ、三条院の御時にて、またいとほしくや思し召しけむ、二言(ふたこと)となくならせたまひてしぞかし。
その御北の方には、伊予守兼資のぬしの女なり。 その御北の方には、伊予守兼資(いよのかみかねもと)のぬしの女なり。
その御腹の女君二所おはせしは、三条院の御子の式部卿の宮の北の方、いま一所は、傅の殿の御子に宰相中将兼経の君この二所の御婿をとり奉り給ひて、いみじういたはり聞え給ふめり。 その御腹の女君二所(ふたところ)おはせしは、三条院の御子(みこ)の式部卿の宮の北の方、いま一所(ひとところ)は、傅(ふ)の殿(との)の御子に宰相中将兼経(さいしやうのちゆうじやうかねつね)の君この二所の御婿(むこ)をとりたてまつりたまひて、いみじういたはりきこえたまふめり。
 政よくし給ふとて、筑紫人さながら従ひ申したりければ、例の大弐、十人ばかりがほどにて、上り給へりとこそ申ししか。  政(まつりごと)よくしたまふとて、筑紫人(つくしびと)さながら従ひまうしたりければ、例(れい)の大弐(だいに)、十人ばかりがほどにて、上(のぼ)りたまへりとこそ申ししか。
   
   
   
 かの国におはしまししほど、刀伊国のものにはかにこの国を討ち取らむとや思ひけむ、越え来たりけるに、筑紫にはかねて用意もなく、大弐殿、弓矢の本末も知り給はねば、いかがと思しけれど、大和心かしこくおはする人にて、筑後、備前、肥後、九国の人をおこし給ふをばさることにて、府の内に仕うまつる人をさしおしこりて、戦はせ給ひければ、かやつが方のものども、いと多く死にけるは。 かの国におはしまししほど、刀伊国(といこく)のものにはかにこの国を討ち取らむとや思ひけむ、越え来たりけるに、筑紫にはかねて用意もなく、大弐殿、弓矢(ゆみや)の本末(もとすえ)も知りたまはねば、いかがと思(おぼ)しけれど、大和心(やまとごころ)かしこくおはする人にて、筑後(ちくご)・備前(びぜん)・肥後(ひご)、九国の人をおこしたまふをばさることにて、府(ふ)の内(うち)に仕(つか)うまつる人をさしおしこりて、戦はせたまひければ、かやつが方のものども、いと多く死にけるは。
さはいへど、家高くおはします故に、いみじかりしこと、平らげ給へる殿ぞかし。 さはいへど、家高くおはします故(け)に、いみじかりしこと、平(たひら)げたまへる殿(との)ぞかし。
公家、大臣、大納言にもなさせ給ひぬべかりしかど、御まじらひ絶えにたれば、ただにはおはするにこそあめれ。 公家(おほやけ)、大臣・大納言にもなさせたまひぬべかりしかど、御まじらひ絶えにたれば、ただにはおはするにこそあめれ。
この中に、むねと射返したるものどもしるして、公家に奏せられたりしかば、皆賞せさせ給ひき。 この中に、むねと射返(いかへ)したるものどもしるして、公家に奏(そう)せられたりしかば、皆賞せさせたまひき。
種材は壱岐守になされ、その子は大宰監にこそなさせ給へりしか。 種材(たねき)は壱岐守(ゆきのかみ)になされ、その子は大宰監(だざいげん)にこそなさせたまへりしか。
   
 この種材が族は、純友討ちたりしものの筋なり。 この種材が族(ぞう)は、純友(すみとも)討(う)ちたりしものの筋(すぢ)なり。
この純友は、将門同心に語らひて、恐ろしきこと企てたる者なり。 この純友は、将門(まさかど)同心(どうしん)に語らひて、おそろしきこと企(くはだ)てたるものなり。
将門は、 将門は、
「帝を討ちとり奉らむ」 「帝(みかど)を討ちとりたてまつらむ」
といひ、純友は、 といひ、純友は、
「関白にならむ」 「関白にならむ」
と、同じく心あはせて、この世界に我と政をし、君となりてすぎむ、といふことを契りあひて、一人は東国にいくさをととのへ、一人は西国の海に、いくつともなく、大筏を数知らず集めて、筏の上に土をふせて、植木をおほし、よもやまの田をつくり、住みつきて、おほかたおぼろけのいくさに、動ずべうもなくなりゆくを、かしこうかまへて、討ち奉りたるは、いみじきことなりな。 と、同じく心あはせて、この世界に我(われ)と政(まつりごと)をし、君(きみ)となりてすぎむ、といふことを契りあひて、一人は東国(ひんがしくに)にいくさをととのへ、一人は西国(にしぐに)の海に、いくつともなく、大筏(おほいかだ)を数知らず集めて、筏の上に土(つち)をふせて、植木をおほし、よもやまの田をつくり、住みつきて、おひかたおぼろけのいくさに、動(どう)ずべうもなくなりゆくを、かしこうかまへて、討ちたてまつりたるは、いみじきことなりな。
それはげに人のかしこきのみにはあらじ、王威のおはしまさむ限りは、いかでかさる事あるべきと思へど。 それはげに人のかしこきのみにはあらじ、王威(わうゐ)のおはしまさむかぎりは、いかでかさることあるべきと思へど。
   
 さて壱岐、対馬国の人を、いと多く刀伊国にとりていきたりければ、新羅の帝いくさをおこし給ひて、皆討ち返し給ひてけり。 さて壱岐(ゆき)・対馬国(つしまのくに)の人を、いと多く刀伊国にとりていきたりければ、新羅(しらぎ)の帝(みかど)いくさをおこしたまひて、皆討(う)ち返したまひてけり。
さて便をつけて、たしかにこの島に送り給へりければ、かの国の便には、大弐、金三百両とらせてかへさせ給ひける。 さて便をつけて、たしかにこの島に送りたまへりければ、かの国の便には、大弐(だいに)、金(こがね)三百両とらせてかへさせたまひける。
このほどのことも、かくいみじうしたため給へるに、入道殿、なほこの帥殿を捨てぬものに思ひ聞えさせ給へるなり。 このほどのことも、かくいみじうしたためたまへるに、入道殿、なはこの帥殿(そちどの)を捨てぬものに思ひきこえさせたまへるなり。
さればにや、世にもいとふり捨てがたき覚えにてこそおはすめれ。 さればにや、世にもいとふり捨てがたき覚えにてこそおはすめれ。
御門には、いつかは馬、車の三つ四つ絶ゆる時ある。 御門(みかど)には、いつかは馬 ・車の三つ四つ絶ゆる時ある。
また、道もさりあへず立つ折もあるぞかし。 また、道もさりあへず立つ折もあるぞかし。
この殿の御子の男君、ただいまの蔵人少将良頭の君、また、右中弁経輔の君、また式部丞などにておはすめり。 この殿(との)の御子(みこ)の男君、ただいまの蔵人少将良頭(くらうどのせうしやうよしより)の君、また、右中弁経輔(うちゆうべんつねすけ)の君、また式部丞(しきぶぞう)などにておはすめり。
   
   
   
 まことに、世にあひてはなやぎ給へりし折、この帥殿は花山院とあらがひごと申させ給へりしはとよ。 まことに、世にあひてはなやぎたまへりし折、この帥殿は花山院とあらがひごとまうさせたまへりしはとよ。
いと不思議なりしことぞかし。 いと不思議なりしことぞかし。
「わぬしなりとも、わが門はえわたらじ」 「わぬしなりとも、わが門(かど)はえわたらじ」
と仰せられければ、 と仰(おほ)せられければ、
「隆家、などてかわたり侍らざらむ」 「隆家(たかいへ)、などてかわたりはべらざらむ」
と申し給ひて、その日と定められぬ。 と申したまひて、その日と定められぬ。
輪つよき御車に、逸物の御車牛かけて、御烏帽子、直衣いとあざやかにさうぞかせ給ひて、葡萄染の織物の御指貫少しゐ出でさせ給ひて、祭のかへさに紫野走らせ給ふ君達のやうに、踏板にいと長やかに踏みしだかせ給ひて、くくりは地にひかれて、簾いと高やかに巻き上げて、雑色五六十人ばかり、声のある限り、ひまなく御先参らせ給ふ。 輪(わ)つよき御車(みくるま)に、逸物(いちもち)の御車牛(みくるまうし)かけて、御烏帽子(えぼし)・直衣(なほし)いとあざやかにさうぞかせたまひて、葡萄染(えびぞめ)の織物(おりもの)の御指貫(さしぬき)少しゐ出(い)でさせたまひて、祭のかへさに紫野(むらさきの)走らせたまふ君達(きんだち)のやうに、踏板(ふみいた)にいと長やかに踏みしだかせたまひて、くくりは地(つち)にひかれて、簾(すだれ)いと高やかに巻き上げて、雑色(ざふしき)五六十人ばかり、声のあるかぎり、ひまなく御先(みさき)まゐらせたまふ。
院には、さらなり、えもいはぬ勇敢悍了の法師ばら、大中童子など、あはせて七八十人ばかり、大きなる石五六尺ばかりなる杖ども持たせさせ給ひて、北、南の御門、築地づらに、小一条の前、洞院の裏うへに、ひまなく立て並めて、御門のうちにも、侍、僧の若やかに力強き限り、さるまうけして候ふ。 院(いん)には、さらなり、えもいはぬ勇幹幹了(ようかんかんれう)の法師ばら・大中童子(だいちゆうどうじ)など、あはせて七八十人ばかり、大きなる石・五六尺ばかりなる杖(つえ)ども持たせさせたまひて、北・南の御門(みかど)・築地(ついぢ)づらに、小一条(こいちでう)の前、洞院(とういん)の裏うへ、ひまなく立て並(な)めて、御門のうちにも、侍(さぶらひ)・僧の若やかに力強(ちからづよ)さかぎり、さるまうけしてさぶらふ。
さることをのみ思ひたる上下の、今日にあへるけしきどもは、げにいかがはありけむ。 さることをのみ思ひたる上下(かみしも)の、今日にあへるけしきどもは、げにいかがはありけむ。
いづ方にも、石、杖ばかりにて、まことしき弓矢まではまうけさせ給はず。 いづ方にも、石・杖(つえ)ばかりにて、まことしき弓矢(ゆみや)まではまうけさせたまはず。
   
中納言殿の、御車、一時ばかり立て給ひて、勘解由小路よりは北に、御門近うまでは、やり寄せ給へりしかど、なほえわたりた湊はで、帰らせ給ふに、院方にそこらつどひたるものども、ひとつ心に、目をかためまもりまもりて、やりかへし給ふほど、 中納言殿の、御車(みくるま)、一時(ひととき)ばかり立てたまひて、勘解由小路(かでのこうぢ)よりは北に、御門(みかど)近うまでは、やり寄せたまへりしかど、なほえわたりた湊はで、帰らせたまふに、院方(いんがた)にそこらつどひたるものども、ひとつ心に、目をかためまもりまもりて、やりかへしたまふほど、
「は」 「は」
と一度に笑ひたりし声こそ、いとおびたたしかりしか。 と一度に笑ひたりし声こそ、いとおびたたしかりしか。
さる見物やは侍りしとよ。 さる見物(みもの)やは侍りしとよ。
「王威はいみじきものなりけり。 王威(おうい)はいみじきものなりけり。
えわたらせ給はざりつるよ。 えわたらせたまはざりつるよ。
無益のことをもいひてけるかな。 「無益(むやく)のことをもいひてけるかな。
いみじき辱号とりつる」 いみじき辱号(ぞくがう)とりつる」
とてこそ、笑ひ給ひけれ。 とてこそ、笑ひたまひけれ。
院は勝ちえさせ給へりけるを、いみじと思したるさまも、ことしもあれ、まことしきことのやうなり。 院は勝ちえさせたまへりけるを、いみじと思(おぼ)したるさまも、ことしもあれ、まことしきことのやうなり。
   
   
   
 この帥殿の御はらからといふ君達、数あまたおはすべし。 この帥殿(そちどの)の御はらからといふ君達(きんだち)、数あまたおはすべし。
頼親の内蔵頭、周頼の木工頭などいひし人、かたはしよりなくなり給ひて、今は、ただ兵部大輔周家の君ばかり、ほのめき給ふなり。 頼親(よりちか)の内蔵頭(くらうのかみ)、・周頼(ちかより)の木工頭(もくのかみ)などいひし人、かたはしよりなくなりたまひて、今は、ただ兵部大輔周家(ひようぶのたいふちかいえ)の君ばかり、ほのめきたまふなり。
小一条院の御宮たちの御乳母の夫にて、院の格勤して候ひ給ふ、いとかしこし。 小一条院(こいちでうゐん)の御宮たちの御乳母(めのと)の夫(をとこ)にて、院の格勤(かくごん)してさぶらひたまふ、いとかしこし。
また、井手の少将とありし君は、出家とか。 また、井手(ゐで)の少将とありし君は、出家(すけ)とか。
故関白殿の御心おきていとうるはしく、あてにおはししかど、御末あやしく、御命も短くおはしますめり。 故関白殿の御心(こころ)おきていとうるはしく、あてにおはししかど、御末あやしく、御命も短くおはしますめり。
今は、入道一品の宮と、その帥中納言殿とのみこそは、残らせ給へめれ。 今は、入道一品(いつぽん)の宮(みや)と、その帥(そちの)中納言殿(ちゆうなごんどの)とのみこそは、残らせたまへめれ。
   
   

一 右大臣道兼みちかね

   
 この大臣、これ、大入道殿の御三郎、粟田殿とこそは、聞えさすめりしか。 この大臣(おとど)、これ、大入道殿(おほにふだうどの)の御三郎、粟田殿(あはたどの)とこそは、聞えさすめりしか。
長徳元年乙未五月二日関白の宣旨かうぶらせ給ひて、同じ月の八日失せさせ給ひにき。 長徳(ちやうとく)元年乙未(きのとひつじ)五月二日関白の宣旨(せんじ)かうぶらせたまひて、同じ月の八日うせさせたまひにき。
大臣の位にて五年、関白と申して七日ぞおはしまししか。 大臣の位にて五年、関白と申して七日ぞおはしまししか。
この殿ばらの御族に、やがて世をしろしめさぬたぐひ多くおはすれど、またあらじかし、夢のやうにてやみ給へるは。 この殿(との)ばらの御族(ぞう)に、やがて世をしろしめさぬたぐひ多くおはすれど、またあらじかし、夢のやうにてやみたまへるは。
出雲守相如のぬしの御家に、あからさまにわたり給へりし折、宣旨は下りしかば、あるじのよるこびたうびたるさま、おしはかり給へ。 出雲守相如(いずものかみすけゆき)のぬしの御家(みいへ)に、あからさまにわたりたまへりし折、宣旨(せんじ)は下りしかば、あるじのよるこびたうびたるさま、おしはかりたまへ。
狭うて、ことの作法えあるまじとて、たたせ給ふ日ぞ、御よろこびも申させ給ふ。 狭(せば)うて、ことの作法(さはふ)えあるまじとて、たたせたまふ日ぞ、御よろこびも申させたまふ。
殿の御前は、えもいはぬもののかぎりすぐられたるに、北の方の二条に帰り給ふ御供人は、よきもあしきも、数知らぬまで、布衣などにてあるもまじりて、殿の出したて奉りて、わたり給ひしほどの、殿のうちの栄え人のけしきは、ただ思しやれ。 殿(との)の御前(ごぜん)は、えもいはぬもののかぎりすぐられたるに、北の方の二条に帰りたまふ御供人(ともびと)は、よきもあしきも、数知らぬまで、布衣(ほうい)などにてあるもまじりて、殿の出(いだ)したてたてまつりて、わたりたまひしほどの、殿のうちの栄え・人のけしきは、ただ思(おぼ)しやれ。
あまりにもと見る人もありけり。 あまりにもと見る人もありけり。
御心地は少し例ならず思されけれど、おのづからのことにこそは、いまいましく今日の御よろこび申しとどめじと思して、念じて内に参らせ給へるに、いと苦しうならせ給ひにければ、殿上よりはえ出でさせ給はで、御湯殿の馬道の戸口に、御前を召してかかりて、北の陣より出でさせ給ふに、こはいかにと人々見奉る。 御心地(ここち)は少し例(れい)ならず思されけれど、おのづからのことにこそは、いまいましく今日の御よろこび申しとどめじと思して、念(ねん)じて内(うち)にまゐらせたまへるに、 いと苦しうならせたまひにければ、殿上(てんじやう)よりはえ出でさせたまはで、御湯殿(おゆどの)の馬道(めだう)の戸口に、御前(ごぜん)を召してかかりて、北(きた)の陣(ぢん)より出でさせたまふに、こはいかにと人々見たてまつる。
殿には常よりもとり経営して待ち奉り給ふに、人にかかりて、御冠もしどけなく、御紐おしのけて、いといみじう苦しげにておりさせ給へるを見奉り給へる御心地、出で給ふつる折にたとしへなし。 殿には常(つね)よりもとり経営(けいめい)して待ちたてまつりたまふに、人にかかりて、御冠(かうぶり)もしどけなく、御紐(ひも)おしのけて、いといみじう苦しげにておりさせたまへるを見たてまつりたまへる御心地、出でたまふつる折にたとしへなし。
されど、ただ されど、ただ
「さりとも」 「さりとも」
と、ささめきにこそささめけ、胸はふたがりながら、ここちよ顔をつくりあへり。 と、ささめきにこそささめけ、胸はふたがりながら、ここちよ顔(かお)をつくりあへり。
されば、世にはいとおびたたしくも聞えず。 されば、世にはいとおびたたしくも聞えず。
   
 今の小野官の右大臣殿の御よろこびに参り給へりけるを、母屋の御簾をおろして、呼び入れ奉り給へり。  今の小野官(をののみや)の右大臣殿の御よろこびにまゐりたまへりけるを、母屋(もや)の御簾(みす)をおろして、呼び入れたてまつりたまへり。
臥しながら御対面ありて、 臥(ふ)しながら御対面(たいめ)ありて、
「乱れ心地、いとあやしう侍りて、外にはえまかり出でねば、かくて申し侍るなり。 「乱れ心地、いとあやしう侍りて、外にはえまかり出でねば、かくて申しはべるなり。
年頃、はかなきことにつけても、心のうちによるこび申すことなむ侍りつれど、させることなきほどは、ことごとにもえ申し侍らでなむ過ぎまかりつるを、今はかくまかりなりて侍れば、公私につけて、報じ申すべきになむ。 年頃(としごろ)、  はかなきことにつけても、心のうちによるこび申すことなむ侍りつれど、させることなきほどは、ことごとにもえ申しはべらでなむ過ぎまかりつるを、今はかくまかりなりて侍れば、公私(おほやけわたくし)につけて、報(ほう)じまうすべきになむ。
また、大小のことをも申し合せむと思う給へれば、無礼をもえはばからず、かくらうがはしき方に案内申しつるなり」 また、大小のことをも申し合せむと思うたまへれは、無礼(むらい)をもえはばからず、かくらうがはしき方に案内まうしつるなり」
などこまやかに宣へど、言葉もつづかず、ただおしあてにさばかりなめりと聞きなさるるに、 などこまやかにのたまへど、言葉もつづかず、ただおしあてにさばかりなめりと聞きなさるるに、
「御息ざしなどいと苦しげなるを、いと不便なるわざかなと思ひしに、風の御簾を吹き上げたりしはさまより見入れしかば、さばかり重き病をうけとり給ひてければ、御色もたがひて、きららかにおはする人ともおぼえず、ことのほかに不覚になり給ひにけりと見えながら、ながかるべきことども宣ひしなむ、あはれなりし」 「御息ざしなどいと苦しげなるを、いと不便(ふびん)なるわざかなと思ひしに、風の御簾(みす)を吹き上げたりしはさまより見入れしかば、さばかり重き病をうけとりたまひてければ、御色もたがひて、きららかにおはする人ともおぼえず、ことのほかに不覚(ふかく)になりたまひにけりと見えながら、ながかるべきことどものたまひしなむ、あはれなりし」
とこそ、後に語り給ひたれ。 とこそ、後に語りたまひたれ。
   
   
   
 この粟田殿の御男君達ぞ三人おはせしが、太郎君は福足君とか申ししを、幼き人はさのみこそはと思へど、いとあさましう、まさなう、あしくぞおはせし。 この粟田殿(あはた)の御男君達(をとこきんだち)ぞ三人おはせしが、太郎君は福足君(ふくたりぎみ)と申ししを、幼き人はさのみこそはと思へど、いとあさましう、まさなう、あしくぞおはせし。
東三条殿の御賀に、この君、舞をせさせ奉らむとて、習はせ給ふほども、あやにくがりすまひ給へど、よろづにをこづり、祈りをさへして、教へ聞えさするに、その日になりて、いみじうしたて奉り給へるに、舞台の上にのぼり給ひて、ものの音調子吹き出づるほどに、 東三条殿(とうさんでうどの)の御賀に、この君、舞せさせたてまつらむとて、習(なら)はせたまふほども、あやにくがりす女ひたまへど、よろづにをこづり、祈(いのり)をさへして、教へきこえさするに、その日になりて、いみじうしたてたてまつりたまへるに、舞台(ぶたい)の上にのぼりたまひて、ものの音調子(ねてうし)吹き出づるほどに、
「わざはひかな、あれは舞はじ」 「わざはひかな、あれは舞はじ」
とて、髭頬ひき乱り、御装束はらはらとひき破り給ふに、粟田殿、御色真青にならせ給ひて、あれかにもあらぬ御けしきなり。 とて、髭頬(びづら)ひき乱(みだ)り、御装束(さうざく)はらはらとひき破(や)りたまふに、粟田殿、御色真青(まあを)にならせたまひて、あれかにもあらぬ御けしきなり
ありとある人、 ありとある人、
「さ思へることよ」 「さ思ひつることよ」
と見給へど、すべきやうもなきに、御舅の中関白殿のおりて、舞台に上らせ給へば、いひをこづらせ給ふべきか、また憎さにえたへず、追ひおろさせ給ふべきかと、かたがた見侍りしに、この君を御腰のほどに引きつけさせ給ひて、御手づからいみじう舞はせたりしこそ、楽もまさりおもしろく、かの君の御恥もかくれ、その日の興もことのほかにまさりたりけれ。 と見たまへど、すべきやうもなきに、御舅(をぢ)の中関白殿(なかのくわんぱくどの)のおりて、舞台に上(のぼ)らせたまへば、いひをこづらせたまふべきか、また憎さにえたへず、追ひおろさせたまふべきかと、かたがた見はべりしに、この君を御腰のほどに引きつけさせたまひて、御手づからいみじう舞はせたりしこそ、楽(がく)もまさりておもしろく、かの君の御恥(はぢ)もかくれ、その日の興(きよう)もことのほかにまさりたりけれ。
祖父殿もうれしと思したりけり。 祖父(おほぢ)殿もうれしと思(おぼ)したりけり。
父大臣はさらなり、よその人だにこそ、すずろに感じ奉りけれ。 父大臣(おとど)はさらなり、よその人だにこそ、すずろに感じたてまつりけれ。
かやうに、人のためになさけなさけしきところおはしましけるに、など御末かれさせ給ひにけむ。 かやうに、人のためになさけなさけしきところおはしましけるに、など御末かれさせたまひにけむ。
この君、人しもこそあれ、蛇れうじ給ひて、その祟りにより、頭に物はれて、失せ給ひにき。 この君、人しもこそあれ、蛇(くちなは)れうじたまひて、その崇(たた)りにより、頭(かしら)にものはれて、うせたまひにき。
   
   一三五 道兼ニ男兼陸・三男兼網
   
 この御弟の次郎君、今の左衛門督兼隆の卿は、大蔵卿の女の腹なり。 この御弟(おとど)の次郎君、今の左衛門督兼隆(さえもんのかみかねたか)の卿は、大蔵卿(おほくらきやう)の女(むすめ)の腹なり。
この左衛門督の君達、男女あまたおはすなり。 この左衛門督の君達(きんだち)、男女(をとこをんな)あまたおはすなり。
大姫君は、三条院の三の皇子、敦平の中務の宮に、このきさらぎかとよ、婿どり奉り給へる、いとよき御中にておはしますめり。 大姫君(おほひめぎみ)は、三条院の三の皇子(みこ)、敦平(あつひら)の中務(なかつかさ)の宮に、このきさらぎかとよ、婿(むこ)どりたてまつりたまへる、いとよき御中にておはしますめり。
また、姫君なる四人おはす。 また、姫君なる四人おはす。
また、粟田殿の三郎、前頭中将兼綱の君。 また、粟田殿(あはたどの)の三郎、前 頭中将兼綱(さきのとうのちゆうじやうかねつな)の君。
その君の祭の日ととのへ給へりし車こそ、いとをかしかりしか。 その君の祭の日ととのへたまへりし車こそ、いとをかしかりしか。
桧網代といふものを張りて、的のかたに彩られたりし車の、横ざまのふちを、弓の形にし、縦ぶちを矢の形にせられたりしさまの、興ありしなり。 桧網代(ひあじろ)といふものを張(は)りて、的(まと)のかたに彩(いろど)られたりし車の、横ざまのふちを、弓(ゆみ)の形(かた)にし、縦(たて)ぶちを矢の形にせられたりしさまの、興(きよう)ありしなり。
和泉式部の君、歌によまれて侍るめりき。 和泉式部(いずみしきぶ)の君、歌によまれて侍めりき。
   
♪54
とをつらの
 馬ならねども
 君乗れば
 車もまとに
 見ゆるものかな
 
とをつらの
 馬ならねども
 君乗れば
 車もまとに
 見ゆるものかな
   
 さて、よき御風流と見えしかど、人の口やすからぬものにて、  さて、よき御風流(ふりう)と見えしかど、人の口やすからぬもの にて、
「賀茂の明神の御矢めおひ給へり」 「賀茂(かも)の明神(みやうじん)の御矢めおひたまへり」
と、いひなしてしかば、いと便なくてやみにき。 と、いひなしてしかば、いと便(びん)なくてやみにき。
この君の、頭とられ給ひし、いといみじく侍りしことぞかし。 この君の、頭(とう)とられたまひし、いといみじく侍りしことぞかし。
頭になりておどろきよろこび給ふべきならねど、あるべきことにてあるに、 頭になりておどろきよるこびた率ふべきならねど、あるべきことにてあるに、
「粟田殿、花山院すかしおろし奉り、左衛門督、小一条院すかしおろし奉り給へり。 「粟田殿、花山院すかしおろしたてまつり、左衛門督(さえもんのかみ)、小一条院(こいちでういん)すかしおろしたてまつりたまへり。
帝、春宮の御あたり近づかでありぬべき族」 帝(みかど)・春宮(とうぐう)の御あたり近づかでありぬべき族(ぞう)」
といふこと出できにしぞ、いと希有に侍りきな。 といふこと出できにしぞ、いと希有(けう)に侍りきな。
誰も聞し召し知りたることなれど。 誰(たれ)も聞(きこ)し召(め)し知りたることなれど。
男君たち、かくなり。 男君(をとこぎみ)たち、かくなり。
   
   
   
 女君は、故一条院の御乳母の藤三位の腹に出でおはしましたりを、やがてその御時のくらべやの女御と聞えし。  女君は、故一条院の御乳母(めのと)の藤三位(とうさんみ)の腹に出でおはしましたりを、やがてその御時のくらべやの女御(にようご)と聞えし。
後に、この大蔵卿通任の君の御北の方にて失せ給ひにしかし。 後(のち)に、この大蔵卿通任(おおくらきやうみちたふ)の君の御北の方にてうせたまひにしかし。
御嫡腹に、仏神に申してはらまれ給へりし君、今の中宮に、二条殿の御方とてこそは候ひ給ふめれ。 御嫡腹(むかへばら)に、仏(ほとけ)・神(かみ)に申してはらまれたまえりし君、今の中宮(ちゆうぐう)に、二条殿の御方とてこそはさぶらひたまふめれ。
父殿、女子をほしがり、願をたて給ひしかど、御顔をだにえ見奉り給はずなりにき。 父殿(ちちどの)、女子(をんなご)をほしがり、願(ぐわん)をたてたまひしかど、御顔をだにえ見たてまつりたまはずなりにき。
かやうにあはれなることどもの、世に侍りしぞかし。 かやうにあはれなることどもの、世に侍りしぞかし。
   
その殿の御北の方、栗田殿の御後は、この堀河殿の御子の左大臣に北の方にてこそは、年頃おはすと、聞き奉りしか。 その殿(との)の御北の方、栗田殿の御後は、この堀河殿(ほりかはどの)の御子(みこ)の左大臣に北の方にてこそは、年頃(としごろ)おはすと、聞きたてまつりしか。
その北の方、九条殿の御子の大蔵卿の君の女ぞかし。 その北の方、九条殿(くでうどの)の御子の大蔵卿の君の女(むすめ)ぞかし。
されば、この栗田殿の御有様、ことのほかにあへなくおはしましき。 されば、この栗田殿の御有様、ことのほかにあへなくおはしましき。
さるは、御心いと情なく恐ろしくて、人にいみじう怖ぢられ給へりし殿の、あやしく末なくてやみ給ひにしなり。 さるは、御心(みこころ)いとなさけなくおそろしくて、人にいみじう怖(お)ぢられたまへりし殿の、あやしく末なくてやみたまひにしなり。
   
   
   
 この殿、父大臣の御忌には、土殿などにもゐさせ給はで、暑きにことつけて、御簾どもあげわたして、御念誦などもし給はず、さるべき人々呼び集めて、後撰、古今ひろげて、興言し、遊びて、つゆ嘆かせ給はざりけり。  この殿、父大臣(おとど)の御忌(いみ)には、土殿(つちどの)などにもゐさせたまはで、暑きにことつけて、御簾(みす)どもあげわたして、御念誦(ねんず)などもしたまはず、さるべき人々呼び集めて、後撰(ごせん)・古今(こきん)ひろげて、興言(きようげん)し、遊びて、つゆ嘆かせたまはざりけり。
そのゆゑは、花山院をばわれこそすかしおろし奉りたれ、されば、関白をも譲らせ給ふべきなり、といふ御恨みなりけり。 そのゆゑは、花山院をばわれこそすかしおろしたてまつりたれ、されば、関白をも譲らせたまふべきなり、といふ御恨みなりけり。
世づかぬ御事なりや。 世(よ)づかぬ御ことなりや。
さまざまよからぬ御事どもこそ聞えしか。 さまざまよからぬ御ことどもこそきこえしか。
傅の殿、この入道殿二所は、如法に孝じよて奉り給ひけりとぞ、承りし。 傅(ふ)の殿・この入道殿二所(ふたところ)は、如法(によほう)に孝(けう)じよてたてまつりたまひけりとぞ、うけたまはりし。
   
   

一 太政大臣 道長

   
〔世次〕 この大臣は、法興院の大臣の御五男、御母、従四位上摂津守右京大夫藤原中正朝臣の女なり。  この大臣(おとど)は、法興院(ほこゐん)の大臣(おとど)の御五男、御母、従四位(じゆしゐ)上摂津守(じやうつのかみ)右京大夫藤原中正朝臣(うきやうのだいぶふぢはらのなかまさあそん)の女(むすめ)なり。
その朝臣は従二位中納言山蔭卿の七男なり。 その朝臣は従二位中納言山蔭(やまかげ)卿の七男なり。
この道長のおとどは、今の入道殿下これにおはします。 この道長のおとどは、今の入道殿下(にふだうでんか)これにおはします。
一条院、三条院の御舅、当代、東宮の御祖父にておはします。 一条院・三条院の御舅(をぢ)、当代(たうだい)・東宮(とうぐう)の御祖父(おほじ)にておはします。
この殿、宰相にはなり給はで、ただちに権中納言にならせ給ふ、御年二十三。 この殿(との)、宰相(さいしやう)にはなりたまはで、ただちに権(ごん)中納言にならせたまふ、御年二十三。
その年、上東門院生まれ給ふ。 その年、上東門院(じやうとうもんゐん)生れたまふ。
四月二十七日、従二位し給ふ、御年二十七。 四月二十七日、従二位したまふ、御年二十七。
関白殿生れ給ふ年なり。 関白殿生れたまふ年なり。
長徳元年乙羊四月二十七日、左近大将かけさせ給ふ。 長徳(ちやうとく)元年乙羊(きのとひつじ)四月二十七日、左近大将(さこんのたいしやう)かけさせたまふ。
   
   
   
 その年の祭の前より、世の中きはめてさわがしきに、またの年、いとどいみじくなりたちにしぞかし。 その年の祭の前より、世の中きはめてさわがしきに、またの年、いとどいみじくなりたちにしぞかし。
まづは、大臣、公卿多く失せ給へりしに、まして、四位五位のほどは、数やは知りし。 まづは、大臣・公卿多くうせたまへりしに、まして、四位・五位のほどは、数やは知りし。
   
 まづその年失せ給へる殿ばらの御数、閑院の大納言、三月二十八日、中関白殿、四月十日。 まづその年うせたまへる殿(との)ばらの御数、閑院(かんゐん)の大納言、三月二十八日、中関白殿(なかのくわんぱくどの)、四月十日。
これは世の疫におはしまさず、ただ同じ折のさしあはせたりし事なり。 これは世の疫(え)におはしまさず、ただ同じ折のさしあはせたりしことなり。
小一条の左大将済時卿は四月二十三日、六条の左大臣殿、粟田の右大臣殿、桃園の中納言保光卿、この三人は五月八日、一度に失せ給ふ。 小一条(こいちでう)の左大将済時(なりとき)卿は四月二十三日、六条の左大臣殿・粟田(あはた)の右大臣殿・桃園(ももぞの)の中納言保光(やすみつ)卿、この三人は五月八日、一度にうせたまふ。
山井の大納言殿、六月十一日ぞかし。 山井(やまのゐ)の大納言殿、六月十一日ぞかし。
またあらじ、あがりての世にも、かく大臣、公卿七八人、二三月のうちにかきはらひ給ふ事、希有なりしわざなり。 またあらじ、あがりての世にも、かく大臣・公卿七八人、二三月のうちにかきはらいたまふこと。希有(うけ)なりしわざなり。
それもただこの入道殿の御幸ひの、上をきはめ給ふにこそ侍るめれ。 それもただこの入道殿の御幸(さいは)ひの、上(かみ)をきはめたまふにこそ侍るめれ。
かの殿ばら、次第のままに久しく保ち給はましかば、いとかくしもやはおはしまさまし。 かの殿ばら、次第(しだい)のままにひさしく保(たも)ちたまはましかば、いとかくしもやはおはしまさまし。
   
 まづ帥殿の御心もちゐのさまざましくおはしまさば、父大臣の御病のほど、天下執行の宣旨下り給へりしままに、おのづからさてもやおはしまさまし。 まづ帥殿(そちどの)の御心(こころ)もちゐのさまざましくおはしまさば、父大臣(おとど)の御病のほど、天下執行(しゆぎやう)の宣旨(せんじ)下りたまへりしままに、おのづからさてもやおはしまさまし。
それにまた、大臣失せ給ひにしかば、いかでか、みどりごのやうなる殿の、世の政し給はむとて、粟田殿に渡りにしぞかし。 それにまた、大臣(おとど)うせたまひにしかば、いかでか、みどりごのようなる殿の、世の政(まつりごと)したまはむとて、粟田殿にわたりにしぞかし。
さるべき御次第にて、それまたあるべき事なり。 さるべき御次第にて、それまたあるべきことなり。
あさましく夢などのやうに、とりあへずならせ給ひにし、これはあるべき事かはな。 あさましく夢などのやうに、とりあへずならせたまひにし、これはあるべきことかはな。
この今の入道殿、その折、大納言中宮大夫と申して、御年いと若く、ゆく末待ちつけつさつせ給ふべき御齢のほどに、三十にて、五月十一日に、関白の宣旨承り給ひて、栄えそめさせ給ひにしままに、また外ざまへも分かれずにしぞかし。 この今の入道殿、その折、大納言中宮大夫(ちゆうぐうのだいぶ)と申して、御年いと若く、ゆく末待ちつけつさつせたまふべき御齢(よはひ)のほどに、三十にて、五月十一日に、関白の宣旨うけたまはりたまふて、栄えそめさせたまひにしままに、また外(ほか)ざまへも分かれずにしぞかし。
いまいまも、さこそは侍るべかんめれ。 いまいまも、さこそは侍るべかむめれ。
   
   
   
 この殿は、北の方二所おはします。 この殿(との)は、北の方二所(ふたところ)おはします。
この宮宮の母上と申すは、土御門の左大臣源雅信のおとどの御女におはします。 この宮宮(みやみや)の母上と申すは、土御門(つちみかど)の左大臣源雅信(みなもとのまさざね)のおとどの御女(むすめ)におはします。
雅信のおとどは、亭子の帝の御子、一品式部卿の宮敦実の親王の御子、左大臣時平のおとどの御女の腹に生れ給ひし御子なり。 雅信のおとどは、亭子(ていじ)の帝(みかど)の御子(みこ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)の宮敦実(みやあつみ)の親王(みこ)の御子、左大臣時平(ときひら)のおとどの御女(むすめ)の腹に生れたまひし御子なり。
その雅信のおとどの御女を、今の入道殿下の北の政所と申すなり。 その雅信のおとどの御女を、今の入道殿下の北(きた)の政所(まんどころ)と申すなり。
その御腹に、女君四所、男君二所ぞおはします。 その御腹に、女君四所(おんなぎみよところ)・男君(をとこぎみ)二所ぞおはします。
その御有様は、ただいまのことなれば、皆人見奉り給ふらめど、ことばつづけ申さむとなり。 その御有様(ありさま)は、ただいまのことなれば、皆人見たてまつりたまふらめど、ことばつづけ申さむとなり。
   
 第一の女君は、一条院の御時、十二にて、参らせ給ひて、またの年、長保二年庚子二月二十五日、十三にて后にたち給ひて、中宮と申ししほどに、うちつづき男親王二人うみ奉り給へりしこそは、今の帝、東宮におはしますめれ。 第一の女君は、一条院の御時、十二にて、まゐらせたひて、またの年、長保(ちやうはう)二年庚子(かのえね)二月二十五日、十三にて后(きさき)にたちたまひて、中宮(ちゆうぐう)と申ししほどに、うちつづき男親王(をとこみこ)二人うみたてまつりたまへりしこそは、今の帝・東宮におはしますめれ。
二所の御母后、太皇太后宮と申して、天下第一の母にておはします。 二所の御母后(ははきさき)、太皇太后宮と申して、天下第一の母にておはします。
   
 その御さしつぎの尚侍と申しし、三条院の東宮におはしまししに、参らせ給うて、宮、位につかせ給ひにしかば、后にたたせ給ひて、中宮と申しき、御年十九。 その御さしつぎの尚侍(ないしのかみ)と申しし、三条院の東宮におはしまししに、まゐらせたまうて、宮、位につかせたまひにしかば、后にたたせたまひて、中宮と申しき、御年十九。
さてまたの年、長和二年癸丑七月二十六日に、女親王生まれさせ給へるこそは、三四ばかりにて一品にならせ給ひて、今におはしませ。 さてまたの年、長和二年みづのと丑(うし)七月二十六日に、女親王(おんなみこ)生れさせたまへるこそは、三四ばかりにて一品(いつぽん)にならせたまひて、今におはしませ。
この頃は、この御母宮を皇太后宮と申して、枇杷殿におはします。 この頃は、この御母宮を皇太后宮と申して、枇杷殿(びはどの)におはします。
一品の宮は、三宮に准じて、千戸の御封を得させ給へば、この宮に后二所おはしますがごとくなり。 一品の宮は、三宮(さんぐう)に准(じゆん)じて、千戸(こ)の御封(みぶ)を得させたまへば、この宮に后二所おはしますがごとくなり。
   
 また次の女君、これも尚侍にて、今の帝十一歳にて、寛仁二年戊午正月三日、御元服せさせ給ふ、その三月に参り給ひて、同じき年の十月十六日に后にゐさせ給ふ。 また次の女君、これも尚侍にて、今の帝(みかど)十一歳にて、寛仁(くわんにん)二年戊午(つちのえうま)正月二日、御元服せさせたまふ、その二月にまゐりたまうて、同じき年の十一月十六日に后にゐさせたまふ。
ただいまの中宮と申して、内裏におはします。 ただいまの中宮と申して、内におはします。
   
 また、次の女君、それも尚侍、十五におはします、今の東宮十三にならせ給ふ年、参らせ給ひて、東宮の女御にて候はせ給ふ。 また、次の女君、それも尚侍、十五におはします、今の東宮十三にならせたまう年、まゐらせたまひて、東宮の女御(にようご)にてさぶらはせたまふ。
入道せしめ給ひて後の事なれば、今の関白殿の御女と名づけ奉りてこそは参らせ給ひしか。 入道せしめたまひて後のことなれば、今の関白殿の御女と名づけたてまつりてこそはまゐらせたまひしか。
今年は十九にならせ給ふ。 今年は十九にならせたまふ。
妊じ給ひて、七八月にぞ当たらせ給へる。 妊(にん)じたまひて、七八月(つき)にぞ当たらせたまへる。
入道殿の御有様見奉るに、必ず男にてぞおはしまさむ。 入道殿の御有様見たてまつるに、かならず男(をのこ)にてぞおはしまさむ。
この翁、さらによも申しあやまち侍らじ。 この翁(おきな)、さらによも申しあやまちはべらじ」
 と、扇を高くつかひつつ言ひしこそ、をかしかりしか。 と、扇(あふぎ)を高くつかひつついひしこそ、をかしかりしか。
   
〔世次〕 女君達の御有様かくのごとし。 「女君たちの御有様かくのごとし。
 男君二所と申すは、今の関白左大臣頼通のおとどと聞えさせて、天下を我がままにまつりごちておはします。 男君二所と申すは、今の関白左大臣頼通(よりみち)のおとどと聞(きこ)えさせて、天下をわがままにまつりごちておはします。
御年二十六にてや、内大臣、摂政にならせ給ひけむ。 御年二十六にてや内大臣・摂政にならせたまひけむ。
帝およずけさせ給ひにしかば、ただ関白にておはします。 帝(みかど)およすけさせたまひにしかば、ただ関白にておはします。
二十余にて納言などになり給ふをぞ、いみじき事に言ひしかど、今の世の御有様かくおはしますぞかし。 二十余(はたちあまり)にて納言などになりたまふをぞ、いみじきことにいひしかど、今の世の御有様かくおはしますぞかし。
御童名は鶴君なり。 御童名(わらはな)は鶴君なり。
いま一所は、ただ今の内大臣にて、左大将かけて、教通のおとどと聞えさす。 いま一所は、ただいまの内大臣にて、左大将かけて、教通(のりみち)のおとどと聞えさす。
世の二の人にておはしますめり。 世の二の人にておはしますめり。
御童名、せや君ぞかし。 御童名、せや君ぞかし。
   
   
   
 かかれば、この北の政所の御栄えきはめさせ給へり。 かかれば、この北の政所の御栄えきはめさせたまへり。
 あるは、帝、東宮の御母后とならせ給ひ、あるは我が御親世の一の人にておはするには、御子生れさせ給はねども、后にゐさせ給ふめり。 御女の御幸(さいは)ひは、あるいは、帝・東宮(とうぐう)の御母后(ははきさき)にならせたまひ、あるいは、わが御親一の人にておはするには、御子生れさせたまはねど、かねて后にみなゐませたまふめり。
女の御幸ひは、后こそきはめておはします御事なめれ。 女の御幸ひは、いと所狭きにおはします。
されどそれは、いと所狭げにおはします。 いみじきとみのことなれど、おぼろけならねば、えうごかせたまはず。
いみじきとみの事あれど、おぼろけならねば、え動かせ給はず。 陣屋(ぢんや)ゐぬれば、女房(にようばう)たやすく心にもまかせず。
陣屋ゐぬれば、女房たはやすく心にまかせてもえつかうまつらず。 かように所狭げなり。
かやうに所狭げなり。  
 ただ人と申せど、帝、春宮の御祖母にて、 ただ人(びと)と申せど、帝・春宮の御祖母(おほば)にて、
三宮になずらふる御位にて、年官、年爵給はらせ給ふ。 准三宮(じゆさんぐう)の御位にて、
唐の御車にて、いとたはやすく、御ありきなども、なかなか御身安らかにて、  
ゆかしく思し召しける事は、世の中の物見、何の法会やなどある折は、御車にても、桟敷にても、必ず御覧ずめり。 ゆかしく思(おぼ)し召しけることは、世の中の物見、なにの法会(ほふゑ)やなどある折は、御車にても、かならず御覧ずめり。
内、東宮、宮々と、あかれあかれよそほしくておはしませど、いづ方にも渡り参らせ給ひてはさし並びおはします。 内・東宮・宮々と、あかれあかれよそほしくておはしませど、いづかたにもわたりまゐらせたまひてはさしならびおはします。
ただいま三后、東宮の女御、関白左大臣、内大臣の御母、帝、春宮はた申さず、おほよそ世の親にておはします。 ただいま三后(さんこう)・東宮(とうぐう)の女御(にようご)・関白左大臣・内大臣の御母・帝・春宮はた申さず、おほよそ世の親にておはします。
入道殿と申すもさらなり、大方この二所ながら、さるべき権者にこそおはしますめれ。 入道殿と申すもさらなり、おほかたこの二所ながら、さるべき権者(ごんじや)にこそおはしますめれ。
御なからひ四十年ばかりにやならせ給ひぬらむ。 御なからひ四十年ばかりにやならせたまひぬらむ。
あはれにやむごとなきものにかしづき奉らせ給ふ、といえばこそおろかなれ。 あはれにやむごとなきものにかしづきたてまつらせたまふ、といえばこそおろかあなれ。
世の中には、いにしへ、ただいまの国王、大臣、皆藤氏にてこそおはしますに、この北の政所ぞ、源氏にて御幸ひきはめさせ給ひにたる。 世の中には、いにしへ・ただいまの国王(こくおう)・大臣、皆藤氏(とうし)にてこそおはしますに、この北(きた)の政所(まんどころ)ぞ、源氏にて御幸(さいは)ひきはめさあせたまあひにたる。
一昨年の御賀の有様などこそ、皆人見聞き給ひし事なれど、なほかえすがへすもいみじく侍りしものかな。 一昨年(おととし)の御賀(が)の有様などこそ、皆人見聞きたまひしことなれど、なほかえすがへすもいみじく侍りしものかな。
   
   
   
 また、高松殿の上と申すも、源氏にておはします。 また、高松殿(たかまつどの)の上(うえ)と申すも、源氏にておはします。
延喜の皇子高明の親王を左大臣になし奉らせ給へりしに、思はざるほかの事によりて、帥にならせ給ひて、いといと心憂かりし事ぞかし。 延喜(えんぎ)の皇子高明(みこたかあきら)の親王(みこ)を左大臣になしたてまつらせたまへりしに、思はざるほかのことによりて、帥にならせたまひて、いといと心憂かりしことぞかし。
その御女におはします。 その御女におはします。
それを、かの殿、筑紫におはしましける年、この姫君まだいと幼くおはしましけるを、御をぢの十五の宮と申したるも、同じ延喜の皇子におはします、女子もおはせざりければ、この君をとり奉りて、養ひかしづき奉りて、もち給へるに、西宮殿も、十五の宮もかくれさせ給ひにし後に、故女院の后におはしましし折、この姫君を迎へ奉らせ給ひて、東三条殿の東の対に、帳を立てて、壁代をひき、我が御しつらひにいささかおとさせ給はず、しすゑ聞えさせ給ひ、女房、侍、家司、下人まで別にあかちあてさせ給ひて、姫宮などのおはしまさせしごとくに限りなく、思ひかしづき聞えさせ給ひにしかば、御せうとの殿ばら、我も我もと、よしばみ申し給ひけれど、后かしこく制し申させ給ひて、今の入道殿をぞ許し聞えさせ給ひければ通ひ奉らせ給ひしほどに、女君二所、男君四人おはしますぞかし。 それを、かの殿、筑紫におはしましける年、この姫君まだいと幼くおはしましけるを、御をぢの十五の宮と申したるも、同じ延喜の皇子におはします、女子(をんなご)もおはせざりければ、この君をとりたてまつりて、養ひかしづきたてまつりて、もちたまへるに、西宮殿(にしのみやどの)も、十五の宮もかくれさせたまひにし後(のち)に、故女院(にようゐん)の后におはしましし折、この姫君を迎へたてまつらせたまひて、東三条殿(とうさんでうどの)の東(ひんがし)の対(たい)に、帳(ちよう)を立てて、壁代(かべしろ)をひき、わが御しつらひにいささかおとさせたまはず、しすゑきこえさせたまひ、女房(にようばう)・侍(さぶらひ)・家司(けいし)・下人(しもびと)まで別(べち)にあかちあてさせたまひて、姫宮(ひめみや)などのおはしまさせしごとくにかぎりなく、思ひかしづききこえさせたまひにしかば、御せうとの殿(との)ばら、我(われ)も我もと、よしばみ申したまひけれど、后かしこく制しまうさせたまひて、今の入道殿をぞ許しきこえさせたまひければ通ひたてまつらせたまひしほどに、女君二所(ふたところ)・男君四人おはしますぞかし。
   
 女君と申すは、今の小一条院の女御。 女君と申すは、今の小一条院(こいちでうゐん)の女御(にようご)。
いま一所は故中務卿具平の親王と申す、村上の帝の七の親王におはしましき、その御男君三位中将師房の君と申すを、今の関白殿の上の御はらからなるが故に、関白殿、御子にし奉らせ給ふを、入道殿婿どり奉らせ給へり。 いま一所(ひとところ)は故中務卿具平(なかつかさきやうともひら)の親王(みこ)と申す、村上の帝の七の親王におはしましき、その御男君三位中将師房(さんみのちゆうじやうもろふさ)の君と申すを、 今の関白殿の上(うへ)の御はらからなるが故(ゆゑ)に、関白殿、御子(みこ)にしたてまつらせたまふを、入道殿婿(むこ)どりたてまつらせたまへり。
「あさはかに、心得ぬこと」 「あさはかに、心得ぬこと」
とこそ、世の人申ししか。 とこそ、世の人申ししか。
殿のうちの人も思したりしかど、入道殿思ひおきてさせ給ふやうありけむかしな。 殿(との)のうちの人も思(おぼ)したりしかど、入道殿思ひおきてさせたまふやうありけむしかな。
   
男君は、大納言にて春宮大夫頼宗と聞ゆる。 男君は、大納言にて春宮大夫頼宗(とうぐうのだいぶよりむね)と聞ゆる。
御童名、石君。 御童名(わらはな)、石君(いはぎみ)。
いま一所、これに同じ、大納言中宮権大夫能信と聞ゆる。 いま一所、これに同じ、大納言中宮権大夫能信(ちゆうぐうのごんのだいぶよしのぶ)と聞ゆる。
いま一所、中納言長家。 いま一所、中納言長家(ながいへ)。
御童名、小若君。 御童名、小若君(こわかぎみ)。
   
   
   
 いま一人は、馬頭にて、顕信とておはしき。 いま一人は、馬頭(うまのかみ)にて、顕信(あきのぶ)とておはしき。
御童名、苔君なり。 御童名、苔君(こけぎみ)なり。
寛弘九年壬子正月十九日、入道給ひて、この十余年は、仏のごとくして行はせ給ふ。 寛弘(くわんこう)九年壬子(みづのえね)正月十九日、入道したてたまひて、この十余年は、仏のごとくして行はせたまふ。
思ひがけず、あはれなる御事なり。 思ひがけず、あはれなる御ことなり。
みづからの菩提を申すべからず、殿の御ためにもまた、法師なる御子のおはしまさぬが口惜しく、こと欠けさせ給へるやうなるに、 みづかrの菩提(ぼだい)を申すべからず、殿の御ためにもまた、法師なる御子(みこ)のおはしまさぬが口惜(くちを)しく、こと欠けさせたまへるやうなるに、
「されば、やがて一度に僧正になし奉らむ」 「されば、やがて一度に僧正(そうじやう)になしたてまつらむ」
となむ仰せられけるとぞ承るを、いかが侍らむ。 となむ仰(おほ)せられけるとぞうけたまはるを、いかが侍らむ。
うるはしき法服、宮々よりも奉らせ給ひ、殿よりは麻の御衣奉るなるをば、あるまじき事に申させ給ふなるをぞ、いみじく侘びさせ給ひける。 うるはしき法服(ほうぶく)、宮々よりも奉らせたまひ、殿よりは麻の御衣(ころも)奉るなるをば、あるまじきことに申させたまふなるをぞ、いみじく侘(わ)びさせたまひける。
   
 出でさせ給ひけるには、緋の御あこめのあまた候ひけるを、 出でさせたまひけるには、緋の御あこめのあまたさぶらひけるを、
「これがあまた重ねて着たるなむうるさき。 「これがあまた重(かさ)ねて着たるなむうるさき。
綿を一つに入れなして一つばかりを着たらばや。 綿を一つに入れなして一つばかりを着たらばや。
しかせよ」 しかせよ」
と仰せられければ、 と仰せられければ、
「これかれそそき侍らむもうるさきにことを厚くして参らせむ」 「これかれそそきはべらむもうるさきにことを厚くしてまゐらせむ」
と申しければ、 と申しければ、
「それは久しくもなりなむ。 「それはひさしくもなりなむ。
ただとくと思ふぞ」 ただとくと思ふぞ」
と仰せられければ、思し召すやうこそはと思ひて、あまたを一つにとり入れて参らせたるをぞ奉りて、その夜は出でさせ給ひける。 と仰せられければ、思(おぼ)し召(め)すやうこそはと思ひて、あまたを一つにとり入れてまゐらせたるをたてまつりてぞ、その夜は出でさせたまひける。
   
 されば、御乳母は、 されば、御乳母(めおと)は、
「かくて仰せられけるものを、なにしにして参らせけむ」 「かくて仰せられけるものを、なにしにしてまゐらえけむ」
と、 と、
「例ならずあやしと思はざりけむ心のいたりなさよ」 「例ならずあやしと思はざりけむ心のいたりなさよ」
と、泣きまどひけむこそ、いとことわりにあはれなれ。 と、泣きまどひけむこそ、いとことわりにあはれなれ。
ことしもそれにさはらせ給はむやうに。 ことしもそれにさhらせたまはむやうに。
かくと聞きつけ給ひては、やがて絶え入りて、なき人のやうにておはしけるを、 かくと聞きつけたまひては、やがて絶え入りて、なき人のやうにておはしけるを、
「かく聞かせ給はば、いとほしと思して、御心や乱れ給はむ」 「かく聞かせたまはば、いとほしと思して、御心(みこころ)や乱(みだ)れたまはむ」
と、 と、
「今さらによしなし。 「今さらによしなし。
これぞめでたきこと。 これぞめでたきこと。
仏にならせ給はば、我が御ためにも、後の世のよくおはせむこそ、つひのこと」 仏(ほとけ)にならせたまはば、我が御ためにも、後の世のよくおはせむこそ、つひのこと」
と、人々のいひければ、 と、人々のいひければ、
「我は仏にならせ給はむも嬉しからず。 「われは仏にならせたまはむもうれしからず。
我が身の後の助けられ奉らむもおぼえず。 わが身の後のたすけられたてまつらむもおぼえず。
ただいまの悲しさよりほかの事なし。 ただいまのかなしさよりほかのことなし。
殿の上も、御子どもあまたあおはしませば、いとよし。 殿の上も、御子(おほんこ)どもあまたあおはしませば、いとよし。
ただ我一人が事ぞや」 ただわれ一人がことぞや」
とぞ、伏しまろびまどひける。 とぞ、伏(ふ)しまろびまどひける。
げにさる事なりや。 げにさることなりや。
道心なからむ人は、後の世までも知るべきかはな。 道心(だうしん)なからむ人は、後の世までも知るべきかはな。
   
 高松殿の御夢にこそ、左の方の御ぐしを、なからより剃り落とさせ給ふと御覧じけるを、かくて後にこそ、これが見えけるなりけりと思ひ定めて、 高松殿(たかまつどの)の御夢にこそ、左の方の御ぐしを、なからより剃(そ)り落とさせたまふと御覧(ごらん)じけるを、かくて後(のち)にこそ、これが見えけるなりけりと思ひさだめて、
「ちがへさせ、祈などをもすべかりける事を」 「ちがへさせ、祈などをもすべかりけることを」
と仰せられける。 と仰(おほ)せられける。
皮堂にて御ぐしおろさせ給ひて、やがてその夜、山へ登らせ給ひけるに、 皮堂(かはだう)にて御ぐしおろさせたまひて、やがてその夜、山へ登らせたまひけるに、
「鴨河渡りしほどのいみじう冷たくおぼえしなむ、少しあはれなりし。 「鴨河(かもがは)渡りしほどのいみじうつめたくおぼえしなむ、少しあはれなりし。
今はかやうにてあるべき身ぞかしと思ひながら」 今はかやうにてあるべき身ぞかしと思ひながら」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰せられけれ。
   
 今の右衛門督ぞ、とくより、この君をば、 今の右衛門督(うゑもんのかみ)ぞ、とくより、この君をば、
「出家の相こそおはすれ」 「出家(すけ)の相こそおはすれ」
と宣ひて、中宮権大夫殿の上に御消息聞えさせ給ひけれど、 とのたまひて、中宮権大夫殿(ちゆうぐうのごんのだいふどの)の上(うへ)に御消息(せうそこ)聞えさせたまひけれど、
「さる相ある人をばいかで」 「さる相ある人をばいかで」
とて、後にこの大夫殿をばとり奉り給へるなり。 とて、後にこの大夫殿(だいぶどの)をばとりたてまつりたまへるなり。
正月に、内裏より出で給ひて、この右衛門督、 正月に、内(うち)より出でたまひて、この右衛門督(うゑもんのかみ)、
「馬頭の、物見よりさし出でたりつるこそ、むげに出家の相近くなりにて見えつれ。 「馬頭(うまのかみ)の、物見(ものみ)よりさし出でたりつるこそ、むげに出家(すけ)の相(さう)近くなりにて見えつれ。
いくつぞ」 いくつぞ」
と宣ひければ、頭中将 とのたまひければ、頭中将(とうのちゆうじやう)
「十九にこそなり給ふらめ」 「十九にこそなりたまふらめ」
と申し給ひければ、 と申したまひければ、
「さては、今年ぞし給はむ」 「さては、今年ぞしたまはむ」
とありけるに、かくと聞きてこそ、 とありけるに、かくと聞きてこそ、
「さればよ」 「さればよ」
と宣ひけれ。 とのたまひけれ。
相人ならねど、よき人は、ものを見給ふなり。 相人(さうにん)ならねど、よき人は、ものを見たまふなり。
   
 入道殿は、 入道殿は、
「益なし。 「益(やく)なし。
いたう嘆きて聞かれじ。 いたう嘆きてかなし。
心乱せられむも、この人のためにいとほし。 心乱らせたまうも、この人ののためにいとほし。
法師子のなかりつるに、いかがはせむ。 法師子(ほふしご)のなかりつるに、いかがはせむ。
幼くてもなさむと思ひしかども、すまひしかばこそあれ」 幼くてもなさむと思ひしかども、すまひしかばこそあれ」
とて、ただ例の作法の法師の御やうにもてなし聞え給ひき。 とて、ただ例(れい)の作法(さはふ)の法師の御やうにもてなしきこえたまひき。
受戒には、やがて殿昇らせ給ひ、人々、我も我もと御供に参り給ひて、いとよそほしげなりき。 受戒(じゆかい)には、やがて殿(との)登らせたまひ、人々我も我もと、御供(とも)にまゐりたまひて、いとよそほしげなりき。
威儀僧にはえもいはぬ者どもえらせ給ひき。  
御先に、有職、僧網どものやむごとなき候ふ。 御先(さき)に、有職(うしき)・僧網(そうがう)どものやむごとなきさぶらふ。
山の所司、殿の御随身ども、人払ひののしりて、戒壇にのぼらせ給ひけるほどこそ、入道殿はえ見奉らせ給はざりけれ。 山の所司(しよし)・殿(との)の御随身(みずいしん)ども、人払(ばら)ひののしりて、戒壇(かいだん)にのぼらせたまひけるほどこそ、入道殿はえ見たてまつらせたまはざありけれ。
御みづからは、本意なくかたはらいたしと思したりけり。 御みづからは、本意(ほい)なくかたはらいたしと思したりけり。
座主の、手興に乗りて、白蓋ささせてのぼられけるこそ、あはれ天台座主、戒和尚の一や、とこそ見え給ひけれ。 座主(ざす)の、手興(たごし)に乗りて、白蓋(びやくがい)ささせてのぼられけるこそ、あはれ天台(てんだい)座主、戒和尚(かいわじやう)の一や、とこそ見えたまひけれ。
世次が隣に侍る者の、そのきにはにあひて見奉りけるが、語り侍りしなり。 世次(よつぎ)が隣(となり)に侍る者の、そのきにはにあひて見たてまつりけるが、語りはべりしなり。
   
「春宮大夫、中宮権大夫殿などの、大納言にならせ給ひし折は、さりしも、御耳とまりて聞かせ給ふらむ、とおぼえしかど、その大饗の折のことども、大納言の座敷き添えられしほどなど、語り申ししかど、いささか御けしき変らず、念ずうちして、 「春宮大夫(とうぐうのだいぶ)・中宮権大夫殿(ちゆうぐうのごんのだいぶどの)などの、大納言にならせたまひし折は、さりしも、御耳とまりてきかせたまふらむ、とおぼえしかど、その大饗の折のことども、大納言の座敷(し)き添えられしほどなど、語り申ししかど、いささか御けしき変らず、念ずうちして、
『かうやうのこと、ただしばしの事なり』 「かうやうのこと、ただしばしのことなり」
とうち宣はせしなむ、めでたく優におぼえし」 とうちのたまはせしなむ、めでたく優(いう)におぼえし」
とぞ、通任の君、宣ひける。 とぞ、通任(みちたふ)の君、のたまひける。
   
   
   
 この殿の君達、男女あはせ奉りて十二人、数のままにておはします。 この殿(との)の君達(きんだち)、男女あはせたてまつりて一二人、数(かず)のままにておはします。
男も女も、御官位こそ心にまかせ給へらめ、御心ばへ人柄どもさへ、いささかかたほにて、もどかれさせ給ふべきもおはしまさず、とりどりに有識にめでたくおはしまさふも、ただことごとならず、入道殿の御幸ひのいふ限りなくおはしますなめり。 男も女も、御官位(つかさくらゐ)こそ心にまかせたまへらめ、御心(こころ)ばへ・人柄(ひとがら)どもさへ、いささかかたほにて、もどかれさせたまふべきもおはしまさず、とりどりに有識(ゆうそく)にめでたくおはしまさふも、ただことごとならず、入道殿の御幸(さいは)ひのいふかぎりなくおはしますなめり。
先々の殿ばらの君達おはせしかども、皆かくしも思ふさまにやはおはせし。 先々(さきざき)の殿(との)ばらの君達おはせしかども、皆かくしも思ふさまにやはおはせし。
おのづから、男も女も良き悪しきまじりてこそおはしまさふめりしか。 おのづから、男も女もよきあしきまじりてこそおはしまさふめりしか。
この北の政所の二人ながら源氏におはしませば、末の世の源氏の栄え給ふべきと定め申すなり。 この北(きた)の政所(まんどころ)の二人ながら源氏(げんじ)におはしませば、末の世の源氏の栄えたまふべきと定(さだめ)め申すなり。
かかれば、この二所の御有様、かくのごとし。 かかれば、この二所(ふたところ)の御有様、かくのごとし。
   
   
   
 ただし、殿の御前は、三十より関白せさせ給ひて、一条院、三条院の御時、世をまつりごち、我が御ままにておはしまししに、また当代の九歳にて位に即かせ給ひにしかば、御年五十一にて摂政せさせ給ふ年、我が御身は太政大臣にならせ給ひて、摂政をば大臣に譲り奉らせ給ひて、御年五十四にならせ給ふに、寛仁三年己未。 ただし、殿の御前(おまへ)は、三十より関白せさせたまひて、一条院・三条院の御時、世をまつりごち、わが御ままにておはしまししに、また当代(たうだい)の九歳にて位につかせたまひにしかば、御年五十一にて摂政せさせたまふ年、わが御身は太政大臣にならせたまひて、摂政をば大臣(おとど)に譲りたてまつらせたまひて、御年五十四にならせたまふに、寛仁(くわんにん)三年己未(つちのとひつじ)
三月十八日の夜中ばかりより御胸を病ませ給ひて、わざとにおはしまさねど、いかが思し召の時ばかり、起き居させ給ひて、御冠めし、掻練の御下襲に布袴をうるはしくさうずかせ給ひて、御手水召せば、何事にかと、関白殿をはじめ奉りて殿ばらも思し召す。  三月十八日の夜中ばかりより御胸を病ませたまひて、わざとにおはしまさねど、いかが思(おぼ)し召(めしけむ、にはかに、二十一日、未(ひつじ)の時ばかり、起き居(ゐ)させたまひて、御冠(かうぶり)し、掻練(かいねり)の御下襲(したがさね)に布袴(ほうこ)をうるはしくさうずかせたまひて、御手水(てうづ)召せば、何事(なにごと)にかと、関白殿をはじめたてまつりて殿ばらも思し召す。
寝殿の西の渡殿に出でさせ給ひて、南面拝せさせ給ひて、春日の明神にいとま申させ給ふなりけり。 寝殿(しんでん)の西(にし)の渡殿(わたどの)に出でさせたまひて、南面(みなみおもて)拝(はい)せさせたまひて、春日(かすが)の明神(みやうじん)にいとま申させたまふなりけり。
慶明僧都、定基律師して、御ぐしおろさせ給ふ。 慶明僧都(きやうめいそうづ)・定基律師(ぢやうきりし)して、御(み)ぐしおろさせたまふ。
関白殿をはじめとして、君達、殿ばらなど、いとあさましく思せど、思し立ちてにはかにせさせ給ふ事なれば、誰も誰もあきれて、え制し申させ給はず。 関白殿をはじめとして、君達(きんだち)・殿(との)ばらなど、いとあさましく思(おぼ)せど、思したちてにはかにせさせたまふことなれば、誰(たれ)も誰もあきれて、え制(せい)しまうさせたまはず。
あさましとはおろかなり。 あさましとはおろかなり。
院源法印、御戒師し給ふ。 院源法印(ゐんげんほふいん)、御戒師(かいし)したまふ。
信恵僧都の袈裟衣をぞ奉りける。 信恵(しんゑ)僧都の袈裟(けさ)・衣をぞ奉りける。
にはかの事にてまうけさせ給はざりけるにや。 にはかのことにてまうけさせたまはざりけるにや。
御名は行観とぞ侍りし。 御名は行観(ぎやうくわん)とぞ侍りし。
   
 かくて後にぞ、内、東宮、宮々達には、かくと聞えさせ給ひける。  かくて後(のち)にぞ、内(うち)・東宮(とうぐう)・宮々たちには、かくと聞えさせたまひける。
聞きつけさせ給へる宮達の御心ども、あさましく思し騒ぐとは、おろかなり。 聞きつけさせたまへる宮たちの御心(みこころ)ども、あさましく思しさわぐとは、 おろかなり。
申の時ばかりに、小一条院渡らせ給ひ、御門の外にて、御車かきおろして、引き入れて、中門の外にておりさせ給ひてこそはおはしまししか。 申(さる)の時ばかりに、小一条院(こいちでういん)わたらせたまひ、御門(おんかど)の外(と)にて、御車(みくるま)かきおろして、引き入れて、中門(ちゆうもん)の外にておりさせたまひてこそはおはしまししか。
寄せてもおりさせ給はで、かしこまり申させ給ふほども、いともかたじけなくめでたき御有様なりかし。 寄(よ)せてもおりさせたまはで、かしこまりまうさせたまふほども、いともかたじけなくめでたき御有様なりかし。
宮達も、夜さりこそは渡らせ給ひしか。 宮たちも、夜(よ)さりこそはわたらせたまひしか。
   
 中宮、皇后宮などは、一つ御車にてぞ渡らせ給ひし。  中宮(ちゆうぐう)・皇后宮などは、一つ御車にてぞわたらせたまひし。
行啓の有様、にはかにて、例の作法も侍らざりける。 行啓(ぎやうけい)の有様、にはかにて、例(れい)の作法(さはふ)も侍らざりける。
同じき年九月二十七日奈良にて御受戒侍りき。 同じき年九月二十七日奈良にて御受戒(じゆかい)侍りき。
かかる御有様につけても、いかにめでたき御有様に事どもの多く侍りしかば、皆人知り給へる事どもなれば、こまかには申し侍らじ。 かかる御有様につけても、いかにめでたき御有様にことどもの多く侍りしかば、皆人知りたまへることどもなれば、こまかには申しはべらじ。
   
三月二十一日、御出家し給ひつれど、なはまた同じき五月八日、准三宮の位にならせ給ひて、年官、年爵得させ給ふ。 三月二十一日、御出家(すけ)したまひつれど、なはまた同じき五月八日、准三宮(じゆさんぐう)の位にならせたまひて、年官・年爵(ねんしやく)得させたまふ。
帝、東宮の御祖父、三后、関白左大臣、内大臣、あまたの納言の御父にておはします。 帝(みかど)・東宮(とうぐう)の御祖父(おほじ)、三后(みきさき)・関白左大臣・内大臣・あまたの納言(なごん)の御父にておはします。
世をたもたせ給ふこと、かくて三十一年ばかりにやならせ給ひぬらむ。 世をたもたせたまふこと、かくて三十一年ばかりにやならせたまひぬらむ。
今年は満六十におはしませば、督の殿の御産の後、御賀あるべしとぞ人申す。 今年(ことし)は満六十におはしませば、督(かん)の殿(との)の御産(ごさん)の後(のち)、御賀(か)あるべしとぞ人申す。
いかにまた様々おはしまさへて、めでたく侍らむずらむ。 いかにまたさまざまおはしまさへて、めでたく侍らむずらむ。
大方また世になき事なり、大臣の御女三人、后にてさし並べ奉り給ふこと。 おほかたまた世になきことなり、大臣(だいじん)の御女三人(みたり)、后(きさき)にてさし並べたてまつりたまふこと。
あさましう希有の事なり。  あさましう希有(けう)のことなり。
   
 唐には、昔三千人の后おはしけれど、それは筋をたづねずしてただかたちありなど聞ゆるを、隣の国まで選び召して、その中に楊貴妃ごときは、あまり時めき過ぎて、悲しき事あり。  唐(もろこし)には、昔三千人の后おはしけれど、それは筋(すぢ)をたづねずしてただかたちありなど聞ゆるを、隣(となり)の国まで選び召して、その中に楊貴妃(やうきひ)ごときは、あまりときめきすぎて、かなしきことあり。
王昭君は父の申すにたがひて胡の国の人となり、上陽人は楊貴妃にそばめられて、帝に見え奉らで、深き窓のうちにて、春のゆき秋の過ぐる事をも知らずして、十六にて参りて、六十までありき。 王昭君(わうせうくん)は父の申すにたがひて胡(こ)の国の人となり、上陽人(じやうやうじ ん)は楊貴妃にそばめられて、帝に見えたてまつらで、深き窓のうちにて、春のゆき秋の過ぐることをも知らずして、十六にてまゐりて、六十までありき。
かやうなれば、三千人のかひなし。 かやうなれば、三千人のかひなし。
   
 我が国には、七の后こそおはすべけれど、代々に四人ぞたち給ふ。  わが国には、七(なな)の后こそおはすべけれど、代々(よよ)に四人ぞたちたまふ。
この入道殿下の御一門よりこそ、大皇太后宮、皇太后宮、中宮、三所出でおはしましたれば、まことに希有希有の御幸ひなり。 この入道殿下の御一門(ひとつかど)よりこそ、大皇太后宮・皇太后宮・中宮、三所(みところ)出でおはしましたれば、まことに希有希有(けうけう)の御幸(さいは)ひなり。
皇后宮一人のみ、筋わかれ給へりといへども、それそら貞信公の御末におはしませば、これをよそ人と思ひ申すべき事かは。 皇后宮一人のみ、筋わかれたまへりといへども、それそら貞信公(ていしんこう)の御末におはしませば、これをよそ人と思ひまうすべきことかは。
しかれば、ただ世の中は、この殿の御光ならずといふ事なきに、この春こそは失せ給ひにしかば、いただ三后のみおはしますめり。 しかれば、ただ世の中は、この殿(との)の御光ならずといふことなきに、この春こそはうせたまひにしかば、いただ三后(みきさき)のみおはしますめり。
   
   
   
 この殿、ことにふれてあそばせる詩、和歌など、居易、人麿、躬恒、貫之といふとも、え思ひよらざりけむとこそおぼえ侍れ。 この殿、ことにふれてあそばせる詩・和歌など、居易(きよい)・人麿(ひとまろ)・躬恒(みつね)・貫之(つらゆき)といふとも、え思ひよらざりけむとこそ、おぼえはべれ。
春日の行幸、先の一条院の御時よりはじまれるぞかしな。 春日(かすが)の行幸(ぎやうかう)、先(さき)の一条院の御時よりはじまれるぞかしな。
それにまた、当代幼くおはしませども、必ずあるべき事にて、はじまりたる例になりにたれば、大宮御興に添ひ申させ給ひておはします、めでたしなどはいふも世の常なり。 それにまた、当代(たうだい)幼くおはしませども、かならずあるべきことにて、はじまりたる例になりにたれば、大宮御興(おほみやみこし)に添(そ)ひまうさせたまひておはします、めでたしなどはいふも世の常なり。
すべらぎの御祖父にて、うち添ひつかうまつらせ給へる殿の御有様、御容貌など少し世の常にもおはしまさましかば、あかぬ事にや。 すべらぎの御祖父にて、うち添ひつかうまつらせたまへる殿の御有様・御かたちなど少し世の常にもおはしまさましかば、あかぬことにや。
そこらあつまりたる田舎世界の民百姓、これこそは、たしかに見奉りけめ、ただ転論聖王などはかくやと、光るやうにおはしますに、仏見奉りたらむやうに、額に手を当てて拝みまどふさま、ことわりなり。 そこらあつまりたる田舎世界(ゐなかせかい)の民百姓(たみひやくしやう)、これこそは、たしかに見たてまつりけめ、ただ転論聖王(てんりんじやうわう)などはかくやと、光るやうにおはしますに、仏見たてまつりたらむやうに、額(ひたひ)に手を当てて拝みまどふさま、ことわりなり。
大宮の、赤色の御扇さし隠して、御肩のほどなどは、少し見えさせ給ひげり。 大宮の、赤色(あかいろ)の御扇(あぶき)さし隠して、御肩のほどなどは、少し見えさせたまひげり。
かばかりにならせ給ひぬる人は、つゆの透影もふたぎ、いかがとこそはもて隠し奉るに、こと限りあれば、今日はよそほしき御有様も、少しは人の見奉らむも、などかはともや思し召しけむ。 かばかりにならせたまひぬる人は、つゆの透影(すきかげ)もふたぎ、いかがとこそはもて隠したてまつるに、ことかぎりあれば、今日はよそほしき御有様も、少しは人の見たてまつらむも、などかはともや思し召しけむ。
殿も宮も、言ふよしなく、御心ゆかせ給へりける事、おしはかられ侍れば、殿、大宮に、 殿も宮も、いふよしなく、御心ゆかせたまへりけること、おしはかられはべれば、殿、大宮に、
   
♪55
そのかみや
 祈りおきけむ
 春日野の
 おなじ道にも
 たづねゆくかな
 
そのかみや
 祈りおきけむ
 春日野(かすがの)の
 おなじ道にも
 たづねゆくかな、
   
 御返し、 御返し、 
   
♪56
曇りなき
 世の光にや
 春日野の
 おなじ道にも
 たづねゆくらむ
 
曇(くも)りなき
 世の光にや
 春日野の
 おなじ道にも
 たづねゆくらむ
   
 かやうに申しかはさせ給ふほどに、げにげにと聞えて、めでたく侍りし中にも、大宮のあそばしたりし、 かやうに申しかはさせたまふほどに、げにげにと聞えて、めでたく侍りしなかにも、大宮のあそばしたりし、
   
♪57
三笠山
 さしてぞ来つる
 いそのかみ
 古きみゆきの
 あとをたづねて
 
三笠山(みかさやま)
 さしてぞ来(き)つる
 いそのかみ
 古きみゆきの
 あとをたづねて
   
 これこそ、翁らが心及ばざるにや。 これこそ、翁(おきな)らが心およばざるにや。
あがりても、かばかりの秀歌え候はじ。 あがりても、かばかりの秀歌(しようか)えさぶらはじ。
その日にとりては、春日の明神もよませ給へりけるとおぼえ侍り。 その日にとりては、春日(かすが)の明神(みやうじん)もよませたまへりけるとおぼえはべり。
今日かかる事ともの栄えあるべきにて、先の一条院の御時にも、大入道殿、行幸申し行はせ給ひけるにやとこそ、心得られ侍れな。 今日かかることともの栄(は)えあるべきにて、先(さき)の一条院の御時にも、大入道殿(おほにうだうどの)、行幸(ぎやうかう)申し行はせたまひけるにやとこそ、心得られはべれな。
   
 大方、幸ひおはしまさむ人の、和歌の道おくれ給へらむは、ことの栄えなくや侍らまし。  おほかた、幸ひおはしまさむ人の、和歌の道おくれたまへらむは、ことの栄えなくやはべらまし。
この殿は、折節ごとに、必ずかやうの事を仰せられて、事をはやさせ給ふなり。 この殿は、折節(をりふし)ごとに、かならずかやうのことを仰(おほ)せられて、ことをはやさせたまふなり。
ひととせの、北の政所の御賀に、詠ませ給へりしは、 ひととせの、北(きた)の政所(まんどころ)の御賀(が)に、よませたまりしは、
   
♪58
ありなれし
 契りは絶えて
 いまさらに
 心かけしに
 千代といふらむ
 
ありなれし
 契りは絶えて
 いまさらに
 心けがしに
 千代(ちよ)といふらむ
   
  また、この一品の宮の生まれおはしましたりし御産養、大宮のせさせ給へりし夜の御歌は、聞き給へりや。  また、この一品(いつぽん)の宮の生れおはしましたりし御産養(うぶやしなひ)、大宮のせさせたまへりし夜(よ)の御歌は、聞きたまへりや。
それこそいと興ある事を。 それこそいと興(きよう)あることを。
ただ人は思ひよるべきにも侍らぬ和歌の体なり。 ただ人は思ひよるべきにも侍らぬ和歌の体(てい)なり。
   
♪59
おと宮の
 産養ひを
 あね宮の
 し給ふ見るぞ
 嬉しかりける
 
おと宮(みや)の
 産養(うぶやしなひ)を
 あね宮の
 したまふ見るぞ
 うれしかりける
   
 とかや、承りし。 とかや、うけたまはりし」
 とて、こころよく笑みたり。 とて、こころよく笑(ゑ)みたり。
   
   
   
〔世次〕四条大納言のかく何事もすぐれ、めでたくおはしますを、大入道殿、  世次「四条(しでう)の大納言のかく何事(なにごと)もすぐれ、めでたくおはしますを、大入道殿
「いかでかかからむ。 「いかでかかからむ。
うらやましくもあるかな。 うらやましくもあるかな。
我が子どもの、影だに踏むべくもあらぬこそ口惜しけれ」 わが子どもの、影だに踏むべくもあらぬこそ口惜(くちをし)しけれ」
と申させ給ひければ、中関白殿、粟田殿などは、げにさもとや思すらむと、はづかしげなる御気色にて、ものも宣はぬに、この入道殿は、いと若くおはします御身にて、 と申させたまひければ、中関白殿(なかのくわんぱくどの)・粟田殿(あはたどの)などは、げにさもとや思(おぼ)すらむと、恥づかしげなる御け気色(けしき)にて、ものものたまはぬに、この入道殿は、いと若くおはします御身にて、
「影をば踏まで、面をやは踏まぬ」 「影をば踏まで、面(つら)をや踏まぬ」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰(おほ)せられけれ。
まことこそさおはしますめれ。 まことこそさおはしますめれ。
内大臣殿をだに、近くてえ見奉り給はぬよ。 内大臣殿をだに、近くてえ見たてまつりたまはぬよ。
   
 さるべき人は、とうより御心魂のたけく、御守もこはきなめりとおぼえ侍るは。 さるべき人は、とうより御心魂(こころだましひ)のたけく、御守(まもり)もこはきなめりとおぼえはべるは。
花山院の御時に、五月下つ闇に、五月雨も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、帝、さうざうしとや思し召しけむ、殿上に出でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々、物語など申し給ひて、昔恐ろしかりける事どもなどに申しなり給へるに、 花山院(くわさんゐん)の御時に、五月下(しも)つ闇(やみ)に、五月雨(さみだれ)も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜(よ)、帝(みかど)、さうざうしとや思(おぼ)し召(め)しけむ、殿上(てんじやう)に出でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々、物語申しなどしたまうて、昔恐ろしかりけることどもなどに申しなりたまへるに、
「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。 「今宵(こよひ)こそいとむつかしげなる夜なめれ。
かく人がちなるだに、けしきおぼゆ。 かく人がちなるだに、気色(けしき)おぼゆ。
まして、もの離れたる所などいかならむ。 まして、もの離れたる所などいかならむ。
さあらむ所に一人往なむや」 さあらむ所に一人(ひとり)往(い)なむや」
と仰せられけるに、 と仰せられけるに、
「えまからじ」 「えまからじ」
とのみ申し給ひけるを、入道殿は、 とのみ申したまひけるを、入道殿は、
「いづくなりともまかりなむ」 「いづくなりともまかりなむ」
と申し給ひければ、さるところおはします帝にて、 と申したまひければ、さるところおはします帝(みかど)にて、
「いと興あることなり。 「いと興(きよう)あることなり。
さらばいけ。 さらば行け。
道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗篭、道長は大極殿へいけ」 道隆(みちたか)は豊楽院(ぶらくゐん)、道兼(みちかね)は仁寿殿(じじゆうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿(だいこくでん)へいけ」
と仰せられければ、よその君達は、便なきことをも奏してけるかなと思ふ。 と仰せられければ、よその君たちは、便(びん)なきことをも奏(そう)してけるかなと思ふ。
   
 また、承らせ給へる殿ばらは、御けしきかはりて、益なしと思したるに、入道殿は、つゆさる御けしきもなくて、  また、うけたまはらせたまへる殿ばらは、御気色変はりて、益(やく)なしと思したるに、入道殿は、つゆさる御けしきもなくて、
「私の従者をば具し候はじ。 「私の従者(ずさ)をば具(ぐ)しさぶらはじ。
この陣の吉上まれ、滝口まれ、一人を、『昭慶門まで送れ』と仰せ言たべ。 この陣(ぢん)の吉上(きちじやう)まれ、滝口(たきぐち)まれ、一人を、『昭慶門(せうけいもん)まで送れ』と仰(おほ)せ言(ごと)賜(た)べ。
それよりうちには一人入り侍らむ」 それよりうちには一人(ひとり)入りはべらむ」
と申し給へば、 と申したまへば、
「証なきこと」 「証(そう)なきこと」
と仰せらるるに、 と仰せらるるに、
「げに」 「げに」
とて、御手箱に置かせ給へる小刀申して立ち給ひぬ。 とて、御手箱(てばこ)に置かせたまへる小刀(こがたな)申して立ちたまひぬ。
いま二所も、苦む苦むおのおのおはさうじぬ。 いま二所(ふたところ)も、苦(にが)む苦む各(おのおの)おはさうじぬ。
「子四つ」 「子(ね)四(よ)つ」
と奏して、かく仰せられ議するほどに、丑にもなりにけむ。 と奏して、かく仰せられ議(ぎ)するほどに、丑(うし)にもなりにけむ。
「道隆は右衛門の陣より出でよ。 「道隆は右衛門(うゑもん)の陣(ぢん)より出(い)でよ。
道長は承明門より出でよ」 道長は承明門(しようめいもん)より出でよ」
と、それをさへ分たせ給へば、しかおはしまし合へるに、中関白殿、陣まで念じておはしましたるに、宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞ゆるに、術なくて帰り給ふ。 と、それをさへ分(わ)かたせたまへば、しかおはしましあへるに、中関白殿(なかのくわんぱくどの)、陣まで念じておはしましたるに、宴(えん)の松原(まつばら)のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術(ずち)なくて帰りたまふ。
   
粟田殿は、露台の外まで、わななくわななくおはしたるに、仁寿殿の東面の棚のほどに、軒とひとしき人のあるやうに見え給ひければ、ものもおぼえで、 粟田殿(あはたどの)は、露台(ろだい)の外(と)まで、わななくわななくおはしたるに、仁寿殿(じじゆうでん)の東面(ひんがしおもて)の砌(みぎり)のほどに、軒(のき)とひとしき人のあるやうに見えたまひければ、ものもおほえで、
「身の候はばこそ、仰せ言も承らめ」 「身のさぶらはばこそ、仰(おほ)せ言(ごと)もうけたまはらめ」
とて、おのおのたち帰り参り給へれば、御扇をたたきて笑はせ給ふに、入道殿はいと久しく見えさせ給はぬを、いかがと思し召すほどにぞ、いとさりげなく事にもあらずげにて参らせ給へる。 とて、おのおのたち帰りまゐりたまへれば、御扇(あふぎ)をたたきて笑はせたまふに、入道殿はいとひさしく見えさせたまはぬを、いかがと思(おぼ)し召(め)すほどにぞ、いとさりげなく、ことにもあらずげにてまゐらせたまへる。
「いかにいかに」 「いかにいかに」
と問はせ給へば、いとのどやかに、御刀に、削られたる物を取り具して奉らせ給ふに、 と問はせたまへば)いとのどやかに、御刀に、削(けづ)られたる物を取(と)り具(ぐ)して奉らせたまふに、
「こは何ぞ」 「こは何(なに)ぞ」
と仰せらるれば、 と仰せらるれは、
「ただにて帰り参りて侍らむは、証候ふまじきにより、高御座の南面の柱のもとを削りて候ふなり」 「ただにて帰りまゐりてはべらむは、証(そう)さぶらふまじきにより、高御座(たかみくら)の南面(みなみおもて)の柱のもとを削りてさぶらふなり」
と、つれなく申し給ふに、いとあさましく思し召さる。 と、つれなく申したまふに、いとあさましく思し召さる。
こと殿たちの御けしきは、いかにもなほ直らで、この殿のかくて参り給へるを、帝よりはじめ感じののしられ給へど、うらやましきにや、またいかなるにか、ものも言はでぞ候ひ給ひける。 こと殿達の御気色(気色)は、いかにもなほ直(なほ)らで、この殿(との)のかくてまゐりたまへるを、帝(みかど)よりはじめ感じののしられたまへど、うらやましきにや、またいかなるにか、ものも言はでぞさぶらひたまひける。
なほ、疑はしく思し召されければ、つとめて、 なほ、うたがはしく思し召されければ、つとめて、
「蔵人して、削り屑をつがはしてみよ」 「蔵人(くらうど)して、削り屑(くづ)をつがはしてみよ」
と仰せ言ありければ、持て行きて押しつけて見たうびけるに、つゆたがはざりけり。 と仰せ言ありければ、持(も)て行きて押しつけて見たうびけるに、つゆ違(たが)はざりけり。
その削り跡は、いとけざやかにて侍るめり。 その削り跡は、いとけざやかにてはべめり。
末の世にも、見る人はなほあさましき事にぞ申ししかし。 末(すゑ)の世にも、見る人はなはあさましきことにぞ申ししかし。
   
   
   
 故女院の御修法して、飯室の権僧正のおはしましし伴僧にて、相人の候ひしを、女房どもの呼びて相ぜられけるついでに、  故女院(にようゐん)の御修法(みしほ)して、飯室(いひむろ)の権僧正(ごんのそうじやう)のおはしましし伴僧(ばんさう)にて、相人(さうにん)のさぶらひしを、女房どもの呼びて相(さう)ぜられけるついでに、
「内大臣殿はいかがおはする」 「内大臣殿はいかがおはす」
など問ふに、 など間ふに、
「いとかしこうおはします。 「いとかしこうおはします。
天下とる相おはします。 天下(てんか)とる相(さう)おはします。
中官大夫殿こそいみじうおはしませ」 中官大夫殿(ちゆうぐうだいふ)こそいみじうおはしませ」
といふ。 といふ。
また、粟田殿を問ひ奉れば、 また、粟田殿(あはたどの)を問ひたてまつれば、
「それもまた、いとかしこくおはします。 「それもまた、いとかしこくおはします。
大臣の相おはします。 大臣の相おはします」。
また また、
あはれ、中宮大夫殿こそいみじうおはしませ」 「あはれ中宮大夫殿こそいみじうおはしませ」
と言ふ。 といふ。
   
また、権大納言殿を問ひ奉れば、 また、権大納言殿を間ひたてまつれば、
「それも、いとやむごとなくおはします。 「それも、いとやむごとなくおはします。
雷の相なむおはする」 雷(いかづち)の相なむおはする」
と申しければ、 と申しければ、
「雷はいかなるぞ」 「雷はいかなるぞ」
と問ふに、 と間ふに、
「ひときはは、いと高く鳴れど、後とげのなきなり。 「ひときはは、いと高く鳴(な)れど、後遂(と)げのなきなり。
されば、御末いかがおはしまさむと見えたり。 されば、御末(すゑ)いかがおはしまさむと見えたり。
中官大夫殿こそ、かぎりなく際なくおはしませ」 中官の大夫殿こそ、かぎりなくきはなくおはしませ」
と、こと人を問ひ奉るたびには、この入道殿をかならずひき添へ奉りて申す。 と、異人(ことひと)を間ひたてまつる度(たび)には、この入道殿をかならず引(ひ)き添(そ)へたてまつりて申す。
「いかにおはすれば、かく毎度には聞え給ふぞ」 「いかにおはすれば、かく毎度(たびごと)には聞こえたまふぞ」
と言へば、 といへば、
「第一の相には、虎の子の深き山の峰を渡るがごとくなるを申したるに、いささかもたがはせ給はねば、かく申し侍るなり。 「第一相には、虎(とら)の子の深き山の峰を渡るがごとくなるを申したるに、いささかも違(たが)はせたまはねばかく申しはべるなり。
このたとひは、虎の子のけはしき山の峰を渡るがごとしと申すなり。 この譬(たと)ひは、虎の子のけはしき山の峰を渡るがごとしと申すなり。
  御かたち・容体(ようてい)は、ただ毘沙門(びしやもん)の生(いき)本見たてまつらむやうにおはします。
御相かくのごとし」 御相かくのごとし
と言へば、 といへば、
「誰よりもすぐれ給へり」 誰(たれ)よりもすぐれたまへり」
とこそ申しけれ。 とこそ申しけれ。
いみじかりける上手かな。 いみじかりける上手(じやうず)かな。
あてたがはせ給へることやはおはしますめる。 当て違はせたまへることやはおはしますめる。
帥の大臣の大臣までかくすがやかになり給へりしを、 帥(そち)のおとどの大臣までかくすがやかになりたまへりしを、
「はじめよし」 「はじめよし」
とは言ひけるなめり。 とはいひけるなめり。
雷は落ちぬれど、またもあがるものを、星の落ちて石となるにぞたとふべきや。 雷(いかづち)は落ちぬれど、またもあがるものを、星の落ちて石となるにぞたとふべきや。
それこそ返りあがる事なけれ。 それこそ返りあがることなけれ。
   
   
   
 折々につけたる御かたちなどは、げに長き思ひ出でとこそは人申すめれ。  折々につけたる御かたちなどは、げにながき思(おも)ひ出(い)でとこそは人申すめれ。
中にも三条院の御時、賀茂行幸の日、雪ことのほかにいたう降りしかば、御単の袖をひき出でて、御扇を高く持たせ給へるに、いと白く降りかかりたれば、 中にも三条院の御時、賀茂行幸の日、雪ことのほかにいたう降りしかば、御単(ひとへ)の袖(そで)をひき出でて、御扇(あふぎ)を高く持たせたまへるに、いと白く降りかかりたれば、
「あないみじ」 「あないみじ」
とて、うち払はせ給へりし御もてなしは、いとめでたくおはしまししものかな。 とて、うち払(はら)はせたまへりし御もてなしは、いとめでたくおはしまししものかな。
上の御衣は黒きに、御単衣は紅のはなやかなるあはひに、雪の色ももてはやされて、えもいはずおはしまししものかな。 上(うへ)の御衣(ぞ)は黒きに、御単衣(ひとへぎぬ)は紅(くれなゐ)のはなやかなるあはひに、雪の色ももてはやされて、えもいはずおはしまししものかな。
高名のなにがしと言ひし御馬、いみじかりし悪馬なり。 高名(かうみやう)のなにがしといひし御馬、いみじかりし悪馬(あくめ)なり。
あはれ、それを奉りしづめたりしはや。 あはれ、それをたてまつりしづめたりしはや。
三条院も、その日の事をこそ思し召し出でおはしますなれ。 三条院も、その日のことをこそ思(おぼ)し召(め)し出(い)でおはしますなれ。
御病のうちにも、 御病のうちにも、
「賀茂行幸の日の雪こそ、忘れがたけれ」 「賀茂行幸の日の雪こそ、忘れがたけれ」
と仰せられけむこそ、あはれに侍れ。 と仰(おほ)せられけむこそ、あはれにはべれ。
   
   
   
 かく世間の光にておはします殿の、一年ばかり、ものをやすからず思し召したりしよ。 世間の光にておはします殿(との)の、一年(ひととせ)ばかり、ものをやすからず思し召したりしよ、
いかに天道御覧じけむ。 いかに天道(てんたう)御覧(ごらん)じけむ。
さりながらも、いささか逼気し、御心やは倒させ給へりし。 さりながらも、いささか逼気(ひけ)し、御心(みこころ)やは倒させたまへりし。
おほやけざまの公事、作法ばかりにはあるべきほどにふるまひ、時たがふことなく勤めさせ給ひて、内々には、所も置き聞えさせ給はざりしぞかし。 おほやけざまの公事(くじ)・作法(さほふ)ばかりにはあるべきほどにふるまひ、時違(たが)ふことなく勤(つと)めさせたまひて、うちうちには、所も置ききこえさせたまはざりしぞかし。
   
 帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに、この殿わたらせ給へれば、思ひがけずあやしと、中関白殿思し驚きて、いみじう饗応し申させ給うて、下﨟におはしませど、前にたて奉りて、まづ射させ奉らせ給ひけるに、帥殿、矢数いま二つ劣り給ひぬ。  帥殿(そちどの)の、南院(みなみのゐん)にて人々集めて弓あそばししに、この殿わたらせたまへれば、思ひがけずあやしと、中関白殿(なかのかんばくどの)思(おぼ)し驚きて、いみじう饗応(きやうよう)しまうさせたまうて、下藤(げらふ)におはしませど、前にたてたてまつりて、まづ射(い)させたてまつらせたまひけるに、帥殿、矢数(やかず)いま二つ劣(おと)りたまひぬ。
中関白殿、また御前に候ふ人々も、 中関白殿、また御前(おまへ)にさぶらふ人々も、
「いま二度延べさせ給へ」 「いま二度延(の)べさせたまへ」
と申して、延べさせ給ひけるを、やすからず思しなりて、 と申して、延べさせたまひけるを、やすからず思しなりて、
「さらば、延べさせ給へ」 「さらば、延べさせたまへ」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、 と仰せられて、また射させたまふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より帝、后たち給ふべきものならば、この矢当たれ」 「道長が家より帝・后たちたまふべきものならば、この矢あたれ」
と仰せらるるに、同じものを中心には当たるものかは。 と仰せらるるに、同じものを中心にはあたるものかは。
次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近くよらず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。 次に、帥殿射たまふに、いみじう臆(おく)したまひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近くよらず、無辺世界を射たまへるに、関白殿、色青くなりぬ。
また、入道殿射給ふとて、 また、入道殿射たまふとて、
「摂政、関白すべきものならば、この矢当たれ」 「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ」
と仰せらるるに、はじめの同じやうに、的の破るばかり、同じ所に射させ給ひつ。 と仰せらるるに、はじめの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させたまひつ。
饗応し、もてはやし聞えさせ給ひつる興も冷めて、こと苦うなりぬ。 饗応し、もてはやしきこえさせたまひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。
父大臣、帥殿に、 父大臣、帥殿に、
「なにか射る。 「なにか射る。
な射そ、な射そ」 な射そ、な射そ」
と制し給ひて、ことさめにけり。 と制したまひて、ことさめにけり。
   
 入道殿、矢もどして、やがて出でさせ給ひぬ。  入道殿、矢もどして、やがて出でさせたまひぬ。
その折は左京大夫とぞ申しし。 その折は左京大夫(さきやうのだいぶ)とぞ申しし。
弓をいみじう射させ給ひしなり。 弓をいみじう射させたまひしなり。
また、いみじう好ませ給ひしなり。 また、いみじう好ませたまひしなり。
   
 今日に見ゆべき事ならねど、人の御さまの、言ひ出で給ふ事のおもむきより、かたへは臆せられ給ふなんめり。 今日に見ゆべきことならねど、人の御さまの、いひ出でたまふことのおもむきより、かたへは臆せられたまふなむめり。
   
   
   
 また、故女院の御石山詣に、この殿は御馬にて、帥殿は車にて参り給ふに、さはる事ありて、粟田口より帰り給ふとて、院の御車のもとに参り給ひて、案内申し給ふに、御車もとどめたれば、轅をおさへて立ち給へるに、入道殿は、御馬をおしかへして、帥殿の御項のもとに、いと近ううち寄せさせ給ひて、  また、故女院(にようゐん)の御石山詣(いしやままうで)に、この殿は御馬にて、帥殿は車にてまゐりたまふに、さはることありて、粟田口(あはたぐち)より帰りたまふとて、院の御車(みくるま)のもとにまゐりたまひて、案内(あない)申したまふに、御車もとどめたれば、轅(ながえ)をおさへて立ちたまへるに、入道殿は、御馬をおしかへして、帥殿(そちどの)の御項(うなじ)のもとに、いと近ううち寄せさせたまひて、
「とく仕うまつれ。 「とく仕(つか)うまつれ。
日の暮れぬるに」 日の暮れぬるに」
と仰せられければ、あやしく思されて見返り給へれど、おどろきたる御けしきもなく、とみにも退かせ給はで、 と仰(おほ)せられければ、あやしく思されて見返りたまへれど、おどるきたる御けしきもなく、とみにも退(の)かせたまはで、
「日暮れぬ。 「日暮れぬ。
とくとく」 とくとく」
とそそのかせ給ふを、いみじうやすからず思せど、いかがはせさせ給はむ、やはら立ち退かせ給ひにけり。 とそそのかせたまふを、いみじうやすからず思せど、いかがはせさせたまはむ、やはら立ち退かせたまひにけり。
父大臣申し給ひければ、 父大臣(おとど)申したまひければ、
「大臣軽むる人のよきやうなし」 「大臣(だいじん)軽(かろ)むる人のよきやうなし」
と宣はせける。 とのたまはせける。
   
 三月巳の日の祓に、やがて逍遥し給ふとて、帥殿、河原にさるべき人々あまた具して出でさせ給へり。  三月巳(み)の日(ひ)の祓(はらへ)に、やがて造遥(せうえう)したまふとて、帥殿、河原(かはら)にさるべき人々あまた具(ぐ)して出でさせたまへり。
平張どもあまたうち渡したるおはし所に、入道殿も出でさせ給へる、御車を近くやれば、 平張(ひらばり)どもあまたうちわたしたるおはし所(どころ)に、入道殿も出でさせたまへる、御車を近くやれば、
「便なきこと。 「便(びん)なきこと。
かくなせそ。 かくなせそ。
やりのけよ」 やりのけよ」
と仰せられけるを、なにがし丸といひし御車副の、 と仰せられけるを、なにがし丸(まろ)といひし御車副(みくるまぞひ)の、
「何事宣ふ殿にかあらむ。 「何事(なにごと)のたまふ殿(との)にかあらむ。
かくきうし給へれば、この殿は不運にはおはするぞかし。 かくきこしたまへれば、この殿は不運にはおはするぞかし。
わざはひや、わざはひや」 わざはひや、わざはひや」
とて、いたく御車牛をうちて、いま少し平張のもと近くこそ、つかうまつり寄せたりけれ。 とて、いたく御車牛(みくるまうし)をうちて、いま少し平張のもと近くこそ、つかうまつり寄せたりけれ。
「辛もこの男にいはれぬるかな」 「辛(から)もこの男(をとこ)にいはれぬるかな」
とぞ仰せられける。 とぞ仰せられける。
さて、その御車副をば、いみじうらうたせさせ給ひ、御かへりみありしは。 さて、その御車副をば、いみじうらうたせさせたまひ、御かへりみありしは。
かやうの事にて、この殿達の御中いと悪しかりき。 かやうのことにて、この殿たちの御中(なか)いとあしかりき。
   
   
   
 女院は、入道殿をとりわき奉らせ給ひて、いみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせ給へりけり。 女院(にようゐん)は、入道殿をとりわきたてまつらせたの愛惰と道長のまひて、いみじう思ひまうさせたまへりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせたまへりけり。
帝、皇后宮をねんごろに時めかさせ給ふゆかりに、帥殿はあけくれ御前に候はせ給ひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、事にふれて申させ給ふを、おのづから心得やせさせ給ひけむ、いと本意なきことに思し召しける、ことわりなりな。 帝(みかど)、皇后官をねんごろにときめかさせたまふゆかりに、帥殿はあけくれ御前(おまへ)にさぶらはせたまひて、入道殿をばさらにも申さず、女院をもよからず、ことにふれて申させたまふを、おのづから心得(こころへ)やせさせたまひけむ、いと本意(ほい)なきことに思し召しける、ことわりなりな。
入道殿の世をしらせ給はむ事を、帝いみじうしぶらせ給ひけり。 入道殿の世をしらせたまはむことを、帝いみじうしぶらせたまひげり。
皇后宮、父大臣おはしまさで、世の中をひきかはらせ給はむ事を、いと心苦しう思し召して、粟田殿にも、とみにやは宣旨下させ給ひし。 皇后官、父大臣おはしまさで、世の中をひきかはらせたまはむことを、いと心ぐるしう思し召して、粟田殿にも、とみにやは宣旨(せんじ)下させたまひし。
されど、女院の道理のままの御事を思し召し、また帥殿をばよからず思ひ聞えさせ給ひければ、入道殿の御事を、いみじうしぶらせ給ひけれど、 されど、女院の道理(だうり)のままの御ことを思し召し、また帥殿をばよからず思ひきこえさせたまうければ、入道殿の御ことを、いみじうしぶらせたまひけれど、
「いかでかくは思し召し仰せらるるぞ。 「いかでかくは思し召し仰せらるるぞ。
大臣越えられたる事だに、いといとほしく侍りしに、父大臣のあながちにし侍りし事なれば、いなびさせ給はずなりにしこそ侍れ。 大臣越えられたることだに、いといとほしく侍りしに、父大臣(おとど)のあながちにしはべりしことなれば、いなびさせたまはずなりにしこそ侍れ。
粟田の大臣にはせさせ給ひて、これにしも侍らざらむは、いとほしさよりも、御ためなむいと便なく、世の人もいひなし侍らむ」 粟田(あはた)の大臣(おとど)にはせさせたまひて、これにしも侍らざらむは、いとほしさよりも、御ためなむ、いと便(びん)なく、世の人もいひなしはべらむ」
など、いみじう奏せさせ給ひければ、むつかしうや思し召しけむ、後にはわたらせ給はざりけり。 など、いみじう奏(そう)せさせたまひければ、むつかしうや思し召しけむ、後(のち)にはわたらせたまはざりけり。
されば、上の御局にのぼらせ給ひて、 されば、上(うへ)の御局(みつぼね)にのぼらせたまひて、
「こなたへ」 「こなたへ」
とは申させ給はで、我、夜の御殿に入らせ給ひて、泣く泣く申させ給ふ。 とは申させたまはで、我(われ)、夜(よる)の御殿(おとど)に入らせたまひて、泣く泣く申させたまふ。
その日は、入道殿は上の御局に候はせ給ふ。 その日は、入道殿は上の御局にさぶらはせたまふ。
いと久しく出でさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて、戸をおしあげて出でさせ給ひける、御顔は赤み濡れつやめかせ給ひながら、御口はこころよく笑ませ給ひて、 いとひさしく出でさせたまはねは、御胸つぶれさせたまひけるほどに、とばかりありて、戸をおしあげて出でさせたまひける、御顔は赤み濡(ぬ)れつやめかせたまひながら、御口はこころよく笑(ゑ)ませたまひて、
「あはや、宣旨下りぬ」 「あはや、宣旨下りぬ」
とこそ申させ給ひけれ。 とこそ申させたまひけれ。
いささかのことだに、この世ならず侍るなれば、いはむや、かばかりの御有様は、人の、ともかくも思しおかむによらせ給ふべきにもあらねども、いかでかは院をおろかに思ひ申させ給はまし。 いささかのことだに、この世ならず侍るなれば、いはむや、かばかりの御有様は、人の、ともかくも思しおかむによらせたまふべきにもあらねども、いかでかは院をおろかに思ひまうさせたまはまし。
その中にも、道理過ぎてこそは報じ奉り仕うまつらせ給ひしか。 そのなかにも、道理(だうり)すぎてこそは報(はう)じたてまつり仕(つか)うまつらせたまひしか。
御骨をさへこそはかけさせ給へりしか。 御骨(こつ)をさへこそはかけさせたまへりしか。
   
 中関白殿、粟田殿うちつづき失せさせ給ひて、入道殿に世の移りしほどは、さも胸つぶれて、きよきよとおぼえ侍りしわざかな。  中関白殿(なかのくわんばくどの)・粟田殿(あはたどの)うちつづきうせさせたまひて、入道殿に世のうつりしほどは、さも胸つぶれて、きよきよとおぼえはべりしわざかな。
いとあがりての世は知り侍らず、翁もの覚えての後は、かかること候はぬものをや。 いとあがりての世は知りはべらず、翁(おきな)もの覚えての後(のち)は、かかることさぷらはぬものをや。
今の世となりては、一の人の、貞信公、小野宮殿をはなち奉りて、十年とおはする事の、近くは侍らねば、この入道殿もいかがと思ひ申し侍りしに、いとかかる運におされて、御兄達はとりもあへず滅び給ひにしにこそおはすめれ。 今の世となりては、一(いち)の人の、貞信公(ていしんこう)・小野宮殿(をののみやどの)をはなちたてまつりて、十年とおはすることの、近くは侍らねば、この入道殿もいかがと思ひまうしはべりしに、いとかかる運におされて、御兄たちはとりもあへずほろびたまひにしにこそおはすめれ。
それもまた、さるべくあるやうある事を、皆世はかかるなんめりとぞ人々思し召すとて、有様を少しまた申すべきなり。 それもまた、さるべくあるやうあることを、皆世はかかるなむめりとぞ人々思(おぼ)し召(め)すとて、有様を少しまた申すべきなり。
   
   

(※藤原氏物語)

   
 世の中の帝、神代七代をばさるものにて、神武天皇よりはじめ奉りて、三十七代にあたり給ふ孝徳天皇の御代よりこそは、さまざまの大臣定まり給へなれ。 世の中の帝、神代(かみよ)七代(ななよ)をばさるものにて、神武(じんむ)天皇よりはじめたてまつりて、三十七代にあたりたまふ孝徳(かうとく)天皇の御代(みよ)よりこそは、さまざまの大臣定(さだ)まりたまへなれ。
ただしこの御時、中臣鎌子の連と申して、内大臣になりはじめ給ふ。 ただしこの御時、中臣鎌子(かまこ)の連(むらじ)と申して、内大臣になりはじめたまふ。
その大臣は常陸国にて生れ給へりければ、三十九代にあたり給へる帝、天智天皇と申す、その帝の御時こそこの鎌足のおとどの御姓、藤原とあらたまり給ひたる。 その大臣は常陸国にて生れたまへりければ、三十九代にあたりたまへる帝、天智天皇と申す、その帝の御時こそこの鎌足のおとどの御姓(しやう)、藤原とあらたまりたまひたる。
されば世の中の藤氏のはじめには内大臣鎌足のおとどをし奉る。 されば世の中の藤氏のはじめには内大臣鎌足のおとどをしたてまつる。
その末々より多くの帝、后、大臣、公卿さまざまになり出で給へり。 その末々より多くの帝・后・大臣・公卿(くぎやう)さまざまになり出でたまへり。
   
 ただし、この鎌足のおとどを、この天智天皇いとかしこくときめかし思して、わが女御一人をこの大臣に譲らしめ給ひつ。  ただし、この鎌足のおとどを、この天智天皇いとかしこくときめかし思して、わが女御一人をこの大臣に譲らしめたまひつ。
その女御ただにもあらず、草み給ひにければ、帝の思し召し宣ひけるやう、この女御の九卒Jぶりる子、男ならば臣が子とせむ、女ならば朕が子とせむと思して、かの大臣に仰せられけるやう、 その女御ただにもあらず、草みたまひにければ、帝の思し召しのたまひけるやう、この女御の九卒Jぶりる子、男ならば臣が子とせむ、女ならば朕が子とせむと思して、かの大臣に仰せられけるやう、
「男ならば大臣の子とせよ。 「男ならば大臣の子とせよ。
女ならば朕が子にせむ」 女ならば朕(わ)が子にせむ」
と契らしめ給へりけるに、この御子、男にて生れ給へりければ、内大臣の御子とし給ふ。 と契らしめたまへりけるに、この御子、男にて生れたまへりければ、内大臣の御子としたまふ。
この大臣は、もとより男一人、女一人をぞ、持ち奉り給へりける。 この大臣は、もとより男一人・女一人をぞ、持ちたてまつりたまへりける。
この御腹に、さしつづき女二人、男二人生れ給ひぬ。 この御腹に、さしつづき女二人・男二人生れたまひぬ。
その姫君、天智天皇の皇子、大友皇子と申ししが、太政大臣の位にて、次にはやがて同じ年のうちに帝となり給ひて、天武天皇と申しける帝の女御にて、二所ながらさしつづきおはしけり。 その姫君、天智天皇の皇子、大友皇子と申ししが、太政大臣の位にて、次にはやがて同じ年のうちに帝となりたまひて、天武天皇と申しける帝の女御(にようご)にて、二所ながらさしつづきおはしけり。
   
 大臣のもとの太郎君をば、中臣意美暦とて、宰相までなり給へり。  大臣(おとど)のもとの太郎君をば、中臣意美暦(おみまろ)とて、宰相(さいしやう)までなりたまへり。
天智天皇の御子の字まれ給へりし、右大臣までなり給ひて、藤原不比等のおとどとておはしけり。 天智天皇の御子の字まれたまへりし、右大臣までなりたまひて、藤原不比等(ふひと)のおとどとておはしけり。
失せ給ひて後、贈大政大臣になり給へり。 うせたまひて後、贈(ぞう)大政大臣になりたまへり。
鎌足のおとどの三郎は宇合とぞ申しける。 鎌足のおとどの三郎は宇合(うまかひ)とぞ申しける。
四郎は麿と申しき。 四郎は麿(まろ)と申しき。
この男君たち、皆宰相ばかり率でぞなり給へる。 この男君たち、皆宰相ばかり率でぞなりたまへる。
かくて鎌足のおとどは、天智天皇の御時、藤原の姓給はり給ひし年ぞ、失せさせ給ひける。 かくて鎌足のおとどは、天智天皇の御時、藤原の姓たまはりたまひし年ぞ、うせさせたまひける。
内大臣の位にて、二十五年ぞおはしましける。 内大臣の位にて、二十五年ぞおはしましける。
太政大臣になり給はねど、藤氏の出ではじめのやむごとなきによりて、失せさせ給へる後の御いみな、淡海公と申しけり。 太政大臣になりたまはねど、藤氏(とうし)の出ではじめのやむごとなきによりて、うせさせたまへる後の御いみな、淡海公(たんかいこう)と申しけり。
 この重木がいふやう、  この重木(しげき)がいふやう、
〔重木〕大織冠をば、いかでか淡海公と申さむ。 「大織冠(だいしよくくわん)をば、いかでか淡海公と申さむ。
大織冠は大臣の位にて二十五年、御年五十六にてなむかくれおはしましける。 大織冠は大臣の位にて二十五年、御年五十六にてなむかくれおはしましける。
ぬしののたぶことも、天の川をかき流すやうに侍れど、折々かかる僻事のまじりたる。 ぬしののたぶことも、天の川をかき流すやうに侍れど、折々かかる僻事のまじりたる。
されども、誰かまた、かうは語らむな。 されども、誰かまた、かうは語らむな。
仏在世の浄名居士とおぼえ給ふものかな。 仏在世(ざいせ)の浄名居士(じやうみやうこじ)とおぼえたまふものかな」
 といへは、世次がいはく、 といへは、世次がいはく、
〔世次〕昔、唐国に、孔子と申す、もの知り宣ひけるやう侍り。 「昔、唐国に、孔子(くじ)と申すもの知り、のたまひけるやう侍り。
「智者は千のおもひはかり、かならず一つあやまちあり」 「智者(ちさ)は千のおもひはかり、かならず一つあやまちあり」
とあれば、世次、年百歳に多くあまり、二百歳にたらぬほどにて、かくまでは間はず語り申すは、昔の人にも劣らざりけるにやあらむ、となむおぼゆる。 とあれば、世次、年百歳(ももとせ)に多くあまり、二百歳にたらぬほどにて、かくまでは間はず語り申すは、昔の人にも劣らざりけるにやあらむ、となむおぼゆる」
 と言へば、重木、 といへは、重木、
〔重木〕しかしか。 「しかしか。
まことに申すべき方なくこそ興あり、おもしろくおぼえ侍れ。 まことに申すべき方なくこそ興あり、おもしろくおぼえはべれ」
 とて、かつは涙をおしのごひなむ感ずる、まことにいひてもあまりにぞおほゆるや。 とて、かつは涙をおしのごひなむ感ずる、まことにいひてもあまりにぞおほゆるや。
   
   
   
〔世次〕御子の右大臣不比等のおとど、実は天智天皇の御子なり。 世次「御子の右大臣不比等(ふひと)のおとど、実は天智天皇の御子なり。
されど、鎌足のおとどの二郎になり給へり。 されど、鎌足のおとどの二郎になりたまへり。
この不比等のおとどの御名よりはじめ、なべてならずおはしましけり。 この不比等のおとどの御名よりはじめ、なべてならずおはしましけり。
「ならびひとしからず」 「ならびひとしからず」
とつけられ給へる名にてぞ、この文字は侍りける。 とつけられたまへる名にてぞ、この文字は侍りける。
この不比等のおとどの御男君たち二人ぞおはしける。 この不比等のおとどの御男君たち二人ぞおはしける。
太郎は武智暦と聞えて、左大臣までなり給へり。 太郎は武智暦(なちまろ)と聞えて、左大臣までなりたまへり。
二郎は房前と申して、宰相までなり給へり。 二郎は房前と申して、宰相までなりたまへり。
この不比等のおとどの御女二人おはしけり。 この不比等のおとどの御女二人おはしけり。
一所は、聖武天皇の御母后、光明皇后と申しける。 一所は、聖武天皇の御母后、光明皇后と申しける。
いま一所の御女は、聖武天皇の女御にて、女親王をぞうみ奉り給へりける。 いま一所の御女は、聖武天皇の女御にて、女親王(ひめみこ)をぞうみたてまつりたまへりける。
女御子を、聖武天皇、女帝にすゑ奉り給ひてけり。 女御子を、聖武天皇、女帝(ひめみかど)にすゑたてまつりたまひてけり。
この女帝をば、高野の女帝と申しけり。 この女帝をば、高野(たかの)の女帝と申しけり。
二度位につかせ給ひたりける。 二度位につかせたまひたりける。
   
 さて、不比等のおとどの男子二人、また御弟二人とを、四家となづけて、皆門わかち給へりけり。  さて、不比等のおとどの男子二人、また御弟二人とを、四家となづけて、皆門わかちたまへりけり。
その武智暦をば南家となづけ、二郎房前をば北家となづけ、御はらからの宇合の式部卿をば式家となづけ、その弟の暦をば京家となづけ給ひて、これを、藤氏の四家とはなづけられたるなりけり。 その武智暦をば南家となづけ、二郎房前(ふささき)をば北家となづけ、御はらからの宇合の式部卿(しきぶきよう)をば式家となづけ、その弟の暦をば京家となづけたまひて、これを、藤氏の四家とはなづけられたるなりけり。
この四家よりあまたのさまざまの国王、大臣、公卿多く出で給ひて栄えおはします。 この四家よりあまたのさまざまの国王・大臣・公卿多く出でたまひて栄えおはします。
しかあれど、北家の末、今に枝ひろどり給へり。 しかあれど、北家の末、今に枝ひろどりたまへり。
その御つづきを、また一筋に申すべきなり。 その御つづきを、また一筋(ひとすぢ)に申すべきなり。
絶えにたる方をば申さじ。 絶えにたる方をば申さじ。
人ならぬほどのものどもは、その御末にもや侍らむ。 人ならぬほどのものどもは、その御末にもや侍らむ。
   
   
   
 この鎌足のおとどよりの次々、今の関白まで十三代にやならせ給ひぬらむ。 この鎌足のおとどよりの次々、今の関白まで十三代にやならせたまひぬらむ。
その次第を聞し召せ。 その次第を聞し召せ。
藤氏と申せば、ただ藤原をぱさいふなりとぞ、人は思さるらむ。 藤氏と申せば、ただ藤原をぱさいふなりとぞ、人は思さるらむ。
さはあれど、本末知ることは、いとありがたきことなり。 さはあれど、本末知ることは、いとありがたきことなり。
   
一、内大臣鎌足のおとど、藤氏の姓給はり給ひての年の十月十六日に失せさせ給ひぬ、御年五十六。  一、内大臣鎌足のおとど、藤氏の姓たまはりたまひての年の 十月十六日にうせさせたまひぬ、御年五十六。
大臣の位にて二十五年。 大臣の位にて 二十五年。
この姓の出でくるを聞きて、紀氏の人のいひける、 この姓の出でくるを聞きて、紀氏(きのうち)の人のいひける、
「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。 「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。
いまぞ紀氏は失せなむずる」 いまぞ紀氏はうせなむずる」
とぞ宣ひけるに、まことにこそしか侍れ。 とぞのたまひけるに、まことにこそしか侍れ。
この鎌足のおとどの病づき給へるに、音この国に仏法ひろまらず、僧などたはやすく侍らずやありけむ、聖徳太子伝へ給ふといへども、この頃だに、生れたる児も法華経を読むと申せど、まだ読まぬも侍るぞかし、百済国よりわたりたりける尼して、維摩経供養じ給へりけるに、御心地ひとたびにおこたりて侍りければ、その経をいみじきものにし給ひけるままに、維摩会は侍るなり。 この鎌足のおとどの病づきたまへるに、音この国に仏法(ぶつほふ)ひろまらず、僧などたはやすく侍らずやありけむ、聖徳太子伝へたまふといへども、この頃だに、生れたる児も法華経(ほけきやう)を読むと申せど、まだ読まぬも侍るぞかし、百済(くだら)国よりわたりたりける尼して、維摩経供養(ゆいまきやうくやう)じたまへりけるに、御心地ひとたびにおこたりて侍りければ、その経をいみじきものにしたまひけるままに、維摩会(ゆいまゑ)は侍るなり。
   
一、鎌足のおとどの二郎、左大臣正二位不比等、大臣の位にて十三年。  一、鎌足のおとどの二郎、左大臣正二位不比等、大臣の位にて十三年。
贈大政大臣にならせ給へり。 贈大政大臣にならせたまへり。
元明天皇、元正天皇の御時二代。 元明(げんめい)天皇・元正(げんしやう)天皇の御時二代。
   
一、不比等のおとどの二郎、房前、宰相にて二十年。  一、不比等のおとどの二郎、房前、宰相にて二十年。
大炊天皇の御時、天平宝字四年庚子八月七日、贈大政大臣になり給ふ。 大炊(おほひ)天皇の御時、天平宝字(てんびやうはうじ)四年庚子八月七日、贈大政大臣になりたまふ。
元正天皇、聖武天皇二代。 元正天皇・聖武天皇二代。
   
一、房前のおとどの四男、真楯の大納言、称徳天皇の御時、天平神護二年三月十六日、失せ給ひぬ、御年五十二。  一、房前のおとどの四男、真楯(またて)の大納言、称徳天皇の御時、天平神護二年三月十六日、うせたまひぬ、御年五十二。
贈大政大臣。 贈大政大臣。
公卿にて七年。 公卿にて七年。
   
一、真楯の大納言の御二郎、右大臣従二位左近大将内暦のおとど、御年五十七。  一、真楯の大納言の御二郎、右大臣従二位左近大将内暦のおとど、御年五十七。
公卿にて二十年、大臣の位にて七年。 公卿にて二十年、大臣の位にて七年。
贈従一位左大臣。 贈従一位左大臣。
桓武天皇、平城天皇二代にあひ給へり。 桓武天皇・平城(へいぜう)天皇二代にあひたまへり。
   
一、内暦のおとどの御三郎、冬嗣のおとどは、左大臣までなり給へり。  一、内暦のおとどの御三郎、冬嗣のおとどは、左大臣までなりたまへり。
贈大政大臣。 贈大政大臣。
この殿より次、さまざまあかしたればこまかに申さじ。 この殿より次、さまざまあかしたればこまかに申さじ。
   
   
   
 鎌足の御代より栄えひろごり給へる、御末々やうやう失せ給ひて、この冬嗣のにはどは無下に心ほそくなり給へりし。 鎌足(かまたり)の御代(みよ)より栄えひろごりたまへる・御末々(すゑずゑ)やうやううせたまひて、この冬嗣のにはどは無下(むげ)に心ほそくなりたまへりし。
その時は、源氏のみぞ、さまざま大臣、公卿にておはせし。 その時は、源氏(げんじ)のみぞ、さまざま大臣・公卿にておはせし。
それに、この大臣なむ南円堂を建てて、丈六の不空願桐索観音を据ゑ奉り給ふ。 それに、この大臣なむ南円堂を建てて、丈六(じやうろく)の不空願桐索観音(ふくうくゑんじやくくわんおん)を据(す)ゑたてまつりたまふ。
   
 さて、やがて不空羅索経一千巻供養じ給へり。  さて、やがて不空羅索経一千巻供養(くやう)じたまへり。
今にその経ありつつ、藤氏の人々とりて守りにしあひ給へり。 今にその経ありつつ、藤氏(とうし)の人々とりて守りにしあひたまへり。
その仏経の力にこそ侍るめれ、また栄えて、帝の御後見今に絶えず、末々せさせ給ふめるは。 その仏経(ぶつきやう)の力にこそ侍るめれ、また栄えて、帝(みかど)の御後見(うしろみ)今に絶えず、末々(すゑずゑ)せさせたまふめるは。
その供養の日ぞかし、こと姓の上達部あまた、日のうちに失せ給ひにければ、まことにや、人々申すめり。 その供養の日ぞかし、こと姓(しやう)の上達部(かんだちめ)あまた、日のうちにうせたまひにければ、まことにや、人々申すめり。
   
一、冬嗣のおとどの御太郎、長良の中納言は、贈太政大臣。 一、冬嗣(ふゆつぐ)のおとどの御太郎、長良(ながら)の中納言は、贈太政大臣。
一、長良のおとどの御三郎、基経のおとどは、太政大臣までなり給へり。 一、長良のおとどの御三郎、基経(もとつね)のおとどは、太政大臣までなりたまへり。
一、基経のおとどの御四郎、忠平のおとどは、太政大臣までなり給へり。 一、基経のおとどの御四郎、忠平(ただひら)のおとどは、太政大臣までなりたまへり。
一、忠平のおとどの御ニ郎、師輔のおとどは、右大臣までなり給へり。 一、忠平のおとどの御ニ郎、師輔(もろすけ)のおとどは、右大臣までなりたまへり。
一、師輔のおとどの御三郎、兼家のおとど、太政大臣まで。 一、師輔のおとどの御三郎、兼家(かねいへ)のおとど、太政大臣まで。
一、兼家のおとどの御五郎、道長のおとど、太政大臣まで。 一、兼家のおとどの御五郎、道長(みちなが)のおとど、太政大臣まで。
一、道長のおとどの御太郎、ただいまの関白左大臣頼通のおとど、これにおはします。 一、道長のおとどの御太郎、ただいまの関白左大臣頼通のおとど、これにおはします。
   
 この殿の御子の、今までおはしまさざりつるこそ、いと不便に侍りつるを、この若君の生れ給ひつる、いとかしこきことなり。  この殿(との)の御子(みこ)の、今までおはしまさざりつるこそ、いと不便(ふびん)に侍りつるを、この若君(わかぎみ)の生れたまひつる、いとかしこきことなり。
母は申さぬことなれど、これはいとやむごとなくさへおはするこそ。 母は申さぬことなれど、これはいとやむごとなくさへおはするこそ。
故左兵衛督は、人柄こそ、いとしも思はれ給はざりしかど、もとの貴人におはするに、また、かく世をひびかす御孫の出でおはしましたる、なき後にもいとよし。 故左兵衛督(さひようのかみ)は、人柄こそ、いとしも思はれたまはざりしかど、もとの貴人(あてびと)におはするに、また、かく世をひびかす御孫(むまご)の出でおはしましたる、なき後にもいとよし。
七夜のことは、入道殿せさせ給へるに、つかはしける。 七夜(しちや)のことは、入道殿せさせたまへるに、つかはしける
   
♪60
年を経て
 待ちつる松の
 若枝に
 うれしくあへる
 春のみどりご
 
年を経て
 待ちつる松の
 若枝に
 うれしくあへる
 春のみどりご
   
 帝、東宮をはなち奉りては、これこそ孫の長とて、やがて御童名を長君とつけ奉らせ給ふ。 帝(みかど)・東宮(とうぐう)をはなちたてまつりては、これこそ孫(むまご)の長(をさ)とて、やがて御童名(わらはな)を長君(をさぎみ)とつけたてまつらせたまふ。
この四家の君たち、昔も今もあまたおはしますなかに、道絶えずすぐれ給へるは、かくなり。 この四家(しけ)の君(きみ)たち、昔も今もあまたおはしますなかに、道絶えずすぐれたまへるは、かくなり。
   
   
   
 その鎌足のおとど生まれ給へるは、常陸国なれば、かしこに鹿島といふ所に、氏の御神を住ましめ奉り給ひて、その御代より今にいたるまで、あたらしき帝、后、大臣たち給ふ折は、幣の使かならずたつ。 その 鎌足(かまたり)のおとど生まれたまへるは、常陸国(ひたちのくに)なれば、かしこに鹿島(かしま)といふ所に、氏(うじ)の御神を住ましめたてまつりたまひて、その御代(みよ)より今にいたるまで、あたらしき帝(みかど)・后(きさき)・大臣たちたまふ折は、幣(みてぐち)の使(つかひ)かならずたつ。
帝、奈良におはしましし時に、鹿島遠しとて、大和国三笠山にふり奉りて、春日明神となづけ奉りて、今に藤氏の御氏神にて、公家、男、女使たてさせ給ひ、后の宮、氏の大臣、公卿、皆、この明神に仕うまつり給ひて、二月、十一月上の申の日、御祭にてなむ、さまざまの使たちののしる。 帝、奈良におはしましし時に、鹿島遠しとて、大和国三笠山(やまとのくにみかさやま)にふりたてまつりて、春日明神(かすがみやうじん)となづけたてまつりて、今に藤氏(とうし)の御氏神(うぢがみ)にて、公家(おほやけ)、男(をとこ)・女使(をんなづかひ)たてさせたまひ、后(きさい)の宮(みや)・氏(うぢ)の大臣(おとど)・公卿、皆、この明神に仕(つか)うまつりたまひて、二月(きさらぎ)・十一月(しもつき)上(かみ)の申(さる)の日、御祭にてなむ、さまざまの使たちののしる。
帝、この京に遷らしめ給ひては、また近くふり奉りて、大原野と申す。 帝、この京に遷(うつ)らしめたまひては、また近くふりたてまつりて、大原野(おおはらの)と申す。
二月の初卯の日、霜月の初子の日と定めて、年に二度の御祭あり。 二月の初卯(はつう)の日・霜月の初子(はつね)の日と定(さだ)めて、年(とし)に二度の御祭あり。
また同じく公家の使たつ。 また同じく公家の使たつ。
藤氏の殿ばら、皆、この御神に御幣、十列奉り給ふ。 藤氏(とうし)の殿(との)ばら、皆、この御神に御幣(みてぐら)・十列(とをつら)奉りたまふ。
なほし近くとて、またふり奉りて、吉田と申しておはしますめり。 なほし近くとて、またふりたてまつりて、吉田(よしだ)と申しておはしますめり。
この吉田の明神は、山陰の中納言のふり奉り給へるぞかし。 この吉田の明神は、山陰(やまかげ)の中納言のふりたてまつりたまへるぞかし。
御祭の日、四月下の子、十一月下の申の日とを定めて、 御祭の日、四月(うづき)下(した)の子(ね)・十一月(しもつき)下(しも)の申(さる)の日とを定めて、
「わが御族に、帝、后宮たち給ふものならば、公祭になさむ」 「わが御族(ぞう)に、帝・后の宮たちたまふものならば、公(おおやけ)祭(まつり)になさむ」
と誓ひ奉り給へれば、一条院の御時より、公祭にはなりたるなり。 と誓(ちか)ひたてまつりたまへれば、一条院の御時より、公祭にはなりたるなり。
   
   
   
 また、鎌足のおとどの御氏寺、大和国多武峯に造らしめ給ひて、そこに御骨を納め奉りて、今に三昧行ひ奉り給ふ。 また、鎌足のおとどの御氏寺(こうちでら)、大和国多武峯(たむのみね)に造(つく)らしめたまひて、そこに御骨を納めたてまつりて、今に三昧行ひたてまつりたまふ。
不比等のおとどは、山階寺を建立せしめ給へり。 不比等のおとどは、山階寺を建立(こんりふ)せしめたまへり。
それにより、かの寺に藤氏を祈り申すに、この寺ならびに多武峯、春日、大原野、吉田に、例にたがひ、あやしきこと出できぬれば、御寺の僧、禰宜等など公家に奏し申して、その時に、藤氏の長者殿占はしめ給ふに、御慎みあるべきは、年のあたり給ふ殿ばらたちの御もとに、御物忌を書きて、一の所より配らしめ給ふ。 それにより、かの寺に藤氏を祈りまうすに、この寺ならびに多武峯・春日・大原野・吉田に、例にたがひ、あやしきこと出できぬれば、御寺の僧・禰宜等(ねぎら)など公家に奏し申して、その時に、藤氏(とうし)の長者殿占はしめたまふに、御慎みあるべきは、年のあたりたまふ殿ばらたちの御もとに、御物忌(ものいみ)を書きて、一の所より配らしめたまふ。
おほよそ、かの寺よりはじまりて、年に二三度、会を行はる。 おほよそ、かの寺よりはじまりて、年に二三度、会を行はる。
正月八日より十四日まで、八省にて、奈良方の僧を講師とて、御斎会行はしむ。 正月八日より十四日まで、八省(はつしやう)にて、奈良方の僧を講師(こうじ)とて、御斎会行はしむ。
公家よりはじめ、藤氏の殿ばら、皆加供し給ふ。 公家よりはじめ、藤氏の殿ばら、皆加供したまふ。
   
 また、三月十七日よりはじめて、薬師寺にて最勝会七日、また山階寺にて十月十日より維摩会七日。  また、三月十七日よりはじめて、薬師寺にて最勝会七日、また山階寺にて十月十日より維摩会七日。
皆これらのたびに、勅使下向して余つかはす。 皆これらのたびに、勅使下向(ちよくしげ)して余つかはす。
藤氏の殿ばらより五位まで奉り給ふ。 藤氏の殿ばらより五位まで奉りたまふ。
南京の法師、三会講師しつれば、己講と名づけて、その次第をつくりて、律師、僧綱になる。 南京(なんきやう)の法師、三会(さんゑ)講師しつれば、己講(いこう)と名づけて、その次第をつくりて、律師、僧綱になる。
かかれば、かの御寺、いかめしうやむごとなき所なり。 かかれば、かの御寺、いかめしうやむごとなき所なり。
いみじき非道のことも、山階寺にかかりぬれば、またともかくも、人ものいはず、 いみじき非道のことも、山階寺にかかりぬれば、またともかくも、人ものいはず、
「山階道理」 「山階道理(やましなだうり)」
とつけて、おきつ。 とつけて、おきつ。
かかれば、藤氏の御有様たぐひなくめでたし。 かかれば、藤氏の御有様たぐひなくめでたし。
   
 同じことのやうなれども、またつづきを申すべきなり。   同じことのやうなれども、またつづきを申すべきなり。
后の官の御父、帝の御祖父となり給へるたぐひをこそは、あかし申さめ。 后(きさい)の官の御父・帝の御祖父(おほじ)となりたまへるたぐひをこそは、あかし申さめ」
 とて、 とて、
〔世次〕一、内大臣鎌足のおとどの御女二人、やがて皆天武天皇に奉り給へりけり。 「一、内大臣鎌足のおとどの御女二人、やがて皆天武天皇に奉りたまへりけり。
男女親王たちおはしましけれど、帝、春宮たたせ給はざめり。 男・女親王たちおはしましけれど、帝・春宮たたせたまはざめり。
   
一、膳大政大臣不比等のおとどの御女二所、一人の御女は、文武天皇の御時の女御、親王生れ給へり。  一、膳大政大臣不比等のおとどの御女二所、一人の御女は、文武(もんむ)天皇の御時の女御(にようご)、親王(みこ)生れたまへり。
それを聖武天皇と申す。 それを聖武天皇と申す。
御母をば光明皇后と申しき。 御母をば光明(こうみやう)皇后と申しき。
いま一人の御女は、やがて御甥の聖武天皇に奉りて、女親王うみ奉り給へろを、女帝にたて奉り給へるなり。 いま一人の御女は、やがて御甥(おひ)の聖武天皇に奉りて、女親王うみたてまつりたまへろを、女帝(ひめみかど)にたてたてまつりたまへるなり。
高野の女帝と申す、これなり。 高野(たかの)の女帝と申す、これなり。
四十六代にあたり給ふ。 四十六代にあたりたまふ。
それおり給へるに、また帝一人を隔て奉りて、また四十八代にかへりゐ給へるなり。 それおりたまへるに、また帝一人を隔てたてまつりて、また四十八代にかへりゐたまへるなり。
母后を贈皇后と申す。 母后を贈皇后と申す。
しかれば不比等のおとどの御女、二人ながら后にましますめれど、高野の女文中の御母后は、贈后と申したるにて、おはしまさぬ世に、后の宮にゐ給へると見えたり。 しかれば不比等のおとどの御女、二人ながら后にましますめれど、高野の女文中の御母后は、贈后(ぞうこう)と申したるにて、おはしまさぬ世に、后の宮にゐたまへると見えたり。
かるが故に、不比等のおとどは、光明皇后、また贈后の父、聖武天皇ならびに高野の女帝の御祖父。 かるが故に、不比等のおとどは、光明皇后、また贈后の父、聖武天皇ならびに高野の女帝の御祖父。
或本にまた、 或本(あるほん)にまた、
「高野の女帝の母后、生き給へる世に后にたち給ひて、その御名を光明皇后と申す」 「高野の女帝の母后、生きたまへる世に后にたちたまひて、その御名を光明皇后と申す」
とあり。 とあり。
聖武の御母も、おはします世に、后となり給ひて、贈后と見え給はず。 聖武の御母も、おはします世に、后となりたまひて、贈后と見えたまはず。
   
一、贈大政大臣冬嗣のおとどは、大皇太后順子の御父、文徳天皇の御祖父。 一、贈大政大臣冬嗣(ふゆづき)のおとどは、大皇太后順子(じゆんし)の御父、文徳天皇の御祖父。
一、太政大臣良房のおとどは、皇太后官明子の御父、清和天皇の御祖父。 一、太政大臣良房のおとどは、皇太后官明子(あきらけいこ)の御父、清和(せいわ)天皇の御祖父。
一、贈大政大臣長良のおとどは、皇太后高子の御父、陽成院の御祖父。 一、贈大政大臣長良のおとどは、皇太后高子(たかいこ)の御父、陽成院(やうぜうゐん)の御祖父。
一、贈大政大臣総継のおとどは、贈皇太后沢子の御父、光孝天皇の御祖父。 一、贈大政大臣総継のおとどは、贈皇太后沢子の御父、光孝天皇の御祖父。
一、内大臣高藤のおとどは、皇太后胤子の御父、醍醐天皇の御祖父。 一、内大臣高藤(たかふぢ)のおとどは、皇太后胤子の御父、醍醐天皇の御祖父。
一、太政大臣基経のおとどは、皇后宮穏子の御父、朱雀、村上二代の御祖父。 一、太政大臣基経のおとどは、皇后官穏子の御父、朱雀・村上二代の御祖父。
一、右大臣師輔のおとどは、皇后安子の御父、冷泉院ならびに円融院の御祖父。 一、右大臣師輔のおとどは、皇后安子の御父、冷泉院ならびに円融院の御祖父。
一、太政大臣伊尹のおとどは、贈皇后懐子の御父、花山院の御祖父。 一、太政大臣伊尹(これまさ)のおとどは、贈皇后懐子(くわいし)の御父、花山院の御祖父。
一、太政大臣兼家のおとどは、皇太后宮詮子、また贈后超子の御父、一条院、三条院の御祖父。 一、太政大臣兼家のおとどは、皇太后宮詮子(せんし)、また贈后超子(てうし)の御父、一条院・三条院の御祖父。
一、太政大臣道長のおとどは、大皇太后宮彰子、皇太后官妍子、中官威子、東宮の御息所の御父、当代ならびに春宮の御祖父におはします。 一、太政大臣道長のおとどは、大皇太后宮彰子(しやうし)・皇太后官妍子(けんし)・中官威子(ゐし)・東宮の御息所(みやすどころ)の御父、当代ならびに春宮の御祖父におはします。
ここらの御中に、后三人並べすゑて見奉らせ給ふことは、入道殿下よりほかに聞えさせ給はざんめり。 ここらの御中に、后三人並べすゑて見たてまつらせたまふことは、入道殿下よりほかに聞えさせたまはざんめり。
関白左大臣、内大臣、大納言二人、中納言の御親にておはします。 関白左大臣・内大臣・大納言二人・中納言の御親にておはします。
さりや、聞し召しあつめよ。 さりや、聞し召しあつめよ。
日本国には唯一無二におはします。 日本国には唯一無二(ゆいいつむに)におはします。
   
   
   
 まづは、造らしめ給へる御堂などの有様、鎌足のおとどの多武峯、不比等のおとどの山階寺、基経のおとどの極楽寺、忠平のおとどの法性寺、九条殿の楞厳院、天のみかどの造り給へる東大寺も、仏ばかりこそは大きにおはすめれど、なほこの無量寿院には並び給はず。 まづは、造(つく)らしめたまへる御堂(みだう)などの有様、鎌足のおとどの多武峯(たむのみね)・不比等(ふひと)のおとどの山階寺・基経のおとどの極楽寺(ごくらくじ)・忠平(ただひら)のおとどの法性寺(ほふしやうじ)・九条殿の楞厳院(れうごんゐん)・天(あめ)のみかどの造りたまへる東大寺も、仏ばかりこそは大きにおはすめれど、なほこの無量寿院(むりやうじゆゐん)には並びたまはず。
まして、こと御寺御寺はいふべきならず。 まして、こと御寺御寺はいふべきならず。
大安寺は、兜率天の一院を天竺の祇園精舎にうつし造り、天竺の祇園精舎を唐の西明寺にうつし造り、唐の西明寺の一院を、この国の帝は、大安寺にうつさしめ給へるなり。 大安寺は、兜率天(とそつてん)の一院を天竺(てんぢく)の祇園精舎(ぎをんしやうじや)にうつし造り、天竺の祇園精舎を唐の西明寺にうつし造り、唐(もろこし)の西明寺(さいみやうじ)の一院を、この国の帝は、大安寺にうつさしめたまへるなり。
しかあれども、ただいまはなほこの無量寿院まさり給へり。 しかあれども、ただいまはなほこの無量寿院まさりたまへり。
南京のそこばくの多かる寺ども、なはあたり給ふなし。 南京のそこばくの多かる寺ども、なはあたりたまふなし。
恒徳公の法住寺いと猛なれど、なはこの無量寿院すぐれ給へり。 恒徳公(こうとくこう)の法住寺(ほふちゆうじ)いと猛(まう)なれど、なはこの無量寿院すぐれたまへり。
難波の天王寺など、聖徳太子の御心に入れ造り給へれど、なほこの無量寿院まさり給へり。 難波(なには)の天王寺(てんわうじ)など、聖徳太子の御心に入れ造りたまへれど、なほこの無量寿院まさりたまへり。
奈良は七大寺十五大寺など見くらぶるに、なほこの無量寿院いとめでたく、極楽浄土のこの世にあらはれけると見えたり。 奈良は七大寺・十五大寺など見くらぶるに、なほこの無量寿院いとめでたく、極楽浄土(ごくらくじやうど)のこの世にあらはれけると見えたり。
かかるが故に、この無量寿院も、思ふに、思し召し願ずること侍りけむ。 かるが故に、この無量寿院も、思ふに、思し召し願(ぐわん)ずること侍りけむ。
浄妙寺は、東三条の大臣の、大臣になり給ひて、御慶びに木幡に参り給へりし御供に、入道殿具し奉らせ給ひて御覧ずるに、多くの先祖の御骨おはするに、鐘の声聞き給はぬ、いと憂きことなり、わが身思ふさまになりたらば、三昧堂建てむと、御心のうちに思し召し企てたりける、とこそ承れ。 浄妙寺は、東三条の大臣の、大臣になりたまひて、御慶(よろこ)びに木幡(こはた)にまゐりたまへりし御供に、入道殿具したてまつらせたまひて御覧(ごらん)ずるに、多くの先祖の御骨(こつ)おはするに、鐘の声聞きたまはぬ、いと憂きことなり、わが身思ふさまになりたらば、三昧堂(さんまいだう)建てむと、御心のうちに思し召し企(くはだ)てたりける、とこそうけたまはれ。
   
   
   
 昔も、かかりけること多く侍りけるなかに、極楽寺、法性寺ぞいみじく侍るや。  昔も、かかりけること多く侍りけるなかに、極楽寺(ごくらくじ)・法性寺(ほふしやうじ)ぞいみじく侍るや。
御年なんどもおとなびさせ給はぬにだにも思し召しよるらむほど、なべてならずおぼえ侍るに、いづれの御時とはたしかにえ聞き侍らず、ただ深草の御ほどにやなどぞ思ひやり侍る。 御年なんどもおとなびさせたまはぬにだにも思(おぼ)し召(め)しよるらむほど、なべてならずおぼえはべるに、いづれの御時とはたしかにえ聞きはべらず、ただ深草(ふかくさ)の御ほどにやなどぞ思ひやりはべる。
芹河の行幸せしめ給ひけるに、昭宣公童殿上にて仕うまつらせ給へりけるに、帝、琴をあそばしける。 芹河(せりかは)の行幸(みゆき)せしめたまひけるに、昭宣公童殿上(せうせんこうわらはてんじやう)にて仕(つか)うまつらせたまへりけるに、帝(みかど)、琴(きん)をあそばしける。
この琴弾く人は、別の爪つくりて、指にさし入れてぞ、弾くことにて侍りし。 この琴弾(ひ)く人は、別(べち)の爪(つめ)つくりて、指にさし入れてぞ、弾くことにて侍りし。
さて持たせ給ひたりけるを、落しおはしまして、大事に思し召しけれど、またつくらせ給ふべきやうもなかりければ、さるべきにてぞ思し召しよりけむ、おとなしき人々にも仰せられずて、幼くおはします君にしも、 さて持たせたまひたりけるを、落しおはしまして、大事に思し召しけれど、またつくらせたまふべきやうもなかりければ、さるべきにてぞ思し召しよりけむ、おとなしき人々にも仰(おほ)せられずて、幼くおはします君にしも、
「求めて参れ」 「求めてまゐれ」
と仰せられければ、御馬をうち返しておはしましけれど、いづくをはかりともいかでかは尋ねさせ給はむ。 と仰せられければ、御馬をうち返しておはしましけれど、いづくをはかりともいかでかは尋ねさせたまはむ。
見つけて参らせざらむ事のいといみじく思し召しければ、これ求め出でたらむ所には一伽藍を建てむと、願じ思して、求め給ひけるに、出できたる所ぞかし、極楽寺は。 見つけてまゐらせざらむことのいといみじく思し召しければ、これ求め出でたらむ所には一伽藍(がらん)を建てむと、願(ぐわん)じ思して、求めたまひけるに、出できたる所ぞかし、極楽寺は。
幼き御心に、いかでか思し召しよらせ給ひけむ。 幼き御心(みこころ)に、いかでか思し召しよらせたまひけむ。
さるべきにて御爪も落ち、幼くおはします人にも仰せられけるにこそは侍りけめ。 さるべきにて御爪も落ち、幼くおはします人にも仰せられけるにこそは侍りけめ。
   
   
   
 さて、やむごとなくならせ給ひて、御堂建てさせにおはします御車に、貞信公はいと小さくて具し奉り給へりけるに、法性寺の前わたり給ふとて、  さて、やむごとなくならせたまひて、御堂(みだう)建てさせにおはします御車(みくるま)に、貞信公(ていしんこう)はいと小さくて具(ぐ)したてまつりたまへりけるに、法性寺の前わたりたまふとて、
「父こそ。 「父こそ。
こここそ、よき堂所なむめれ。 こここそ、よき堂所(だうどころ)なむめれ。
ここに建てさせ給へかし」 ここに建てさせたまへかし」
と聞えさせ給ひけるに、いかに見てかく言ふらむと思して、さし出でて御覧ずれば、まことにいとよく見えければ、幼き目にいかでかく見つらむ、さるべきにこそあらめと、思し召して、 と聞えさせたまひけるに、いかに見てかくいふらむと思して、さし出でて御覧(ごらん)ずれば、まことにいとよく見えければ、幼き目にいかでかく見つらむ、さるべきにこそあらめと、思し召して、
「げにいとよき所なめり。 「げにいとよき所なめり。
汝が堂を建てよ。 汝(まし)が堂を建てよ。
われはしかじかの事のありしかば、そこに建てむずるぞ」 われはしかじかのことのありしかば、そこに建てむずるぞ」
と申させ給ひける。 と申させたまひける。
さて法性寺は建てさせ給ひしなり。 さて法性寺は建てさせたまひしなり」。
   
〔重木〕また、九条殿の飯室のことなどはいかにぞ。 重木「また、九条殿(くでうどの)の飯室(いひむろ)のことなどはいかにぞ。
横川の大僧正、御房にのぼらせ給ひし御供には、重木参りて侍りき。 横川(よかは)の大僧正(だいそうじやう)、御房(ごばう)にのぼらせたまひし御供には、重木まゐりて侍りき」
〔世次〕かやうのことども聞き見給ふれど、なは、この入道殿、世にすぐれ抜け出でさせ給へり。 世次「かやうのことども聞き見たまふれど、なは、この入道殿、世にすぐれ抜け出でさせたまへり。
天地にうけられさせ給へるは、この殿こそはおはしませ。 天地にうけられさせたまへるは、この殿こそはおはしませ。
何事も行はせ給ふ折に、いみじき大風吹き、長雨降れども、まづ二三日かねて、空晴れ、土乾くめり。 何事も行はせたまふ折に、いみじき大風吹き、長雨(ながあめ)降れども、まづ二三日かねて、空晴れ、土乾(かわ)くめり。
かかれば、あるいは聖徳太子の生れ給へると申し、あるいは弘法大師の仏法興隆のために生れ給へるとも申すめり。 かかれば、あるいは聖徳太子の生れたまへると申し、あるいは弘法大師(こうぼふだいし)の仏法興隆(ぶつぼふだいし)のために生れたまへるとも申すめり。
げにそれは、翁らがさがな目にも、ただ人とは見えさせ給はざめり。 げにそれは、翁らがさがな目にも、ただ人とは見えさせたまはざめり。
なは権者にこそおはしますべかめれとなむ、仰ぎ見奉る。 なは権者(ごんじや)にこそおはしますべかめれとなむ、仰(あふ)ぎ見たてまつる。
   
   
   
 かかれば、この御世の楽しきことかぎりなし。 かかれば、この御世(みよ)の楽しきことかぎりなし。
そのゆゑは、音は、殿ばら、宮ばらの馬飼牛飼、なにの御霊会、祭の料とて、銭、紙、米など乞ひののしりて、野山の草をだにやは刈らせし。 そのゆゑは、音は、殿ばら・宮(みや)ばらの馬飼(うまかひ)・牛飼(うしかひ)、なにの御霊会・祭の料とて、銭・紙・米など乞ひののしりて、野山の草をだにやは刈らせし。
仕丁、おものもち出できて、人のもの取り奪ふこと絶えにたり。 仕丁(じちやう)・おものもち出できて、人のもの取り奪ふこと絶えにたり。
また、里の刀禰、村の行事出できて、火祭やなにやと煩はしく責めしこと、今は聞えず。 また、里の刀禰(とね)・村の行事(ぎやうじ)出できて、火祭やなにやと煩(わづら)はしく責めしこと、今は聞えず。
かばかり安穏泰平なる時にはあひなむやと思ふは。 かばかり安穏泰平(あんおんたいへい)なる時にはあひなむやと思ふは。
翁らがいやしき宿りも、帯、紐を解き、門をだに鎖さで、安らかに偃したれば、年も若え、命も延びたるぞかし。 翁らがいやしき宿りも、帯(おび)・紐(ひも)を解(と)き、門(かど)をだに鎖(さ)さで、安らかに偃(のいふ)したれば、年も若え、命も延びたるぞかし。
まづは、北野、賀茂河原に作りたる、まめ、ささげ、うり、なすびといふもの、この中頃は、さらに術なかりしものをや。 まづは、北野(きたの)・賀茂河原(かもがはら)に作りたる、まめ・ささげ・うり・なすびといふもの、この中頃は、さらに術(ずち)なかりしものをや。
この年頃は、いとこそたのしけれ。 この年頃は、いとこそたのしけれ。
   
人の取らぬをばさるものにて、馬、牛だにぞ食まぬ。 人の取らぬをばさるものにて、馬・牛だにぞ食(は)まぬ。
されば、ただまかせ捨てつつ置きたるぞかし。 されば、ただまかせ捨てつつ置きたるぞかし。
かくたのしき弥勒の世にこそあひて侍れや。 かくたのしき弥勒(みろく)の世にこそあひて侍れや」
 といふめれば、いま一人の翁、 といふめれば、いま一人(ひとり)の翁、
〔重木〕ただいまは、この御堂の夫を頻に召すことこそは、人は堪へがたげに申すめれ。  重木「ただいまは、この御堂の夫(ぶ)を頻(しきり)に召すことこそは、人は堪(た)へがたげに申すめれ。
それはさは聞き給はぬか。 それはさは聞きたまはぬか」
   
 といふめれば、世次、  といふめれは、世次、
〔世次〕しかしか、その事ぞある。 「しかしか、そのことぞある。
二三日まぜに召すぞかし。 二三日(ふつかみか)まぜに召すぞかし。
されどそれ、参るにあしからず。 されどそれ、まゐるにあしからず。
ゆゑは、極楽浄土のあらたにあらはれ出で給ふべきために召すなり、と思ひ侍れば、いかで、力堪へば、参りて仕うまつらむ。 ゆゑは、極楽浄土のあらたにあらはれ出でたまふべきために召すなり、と思ひはべれば、いかで、力堪へば、まゐりて仕うまつらむ。
ゆく末に、この御堂の草木となりにしかなとこそ思ひ侍れ。 ゆく末に、この御堂の草木となりにしかなとこそ思ひはべれ。
されば、ものの心知りたらむ人は、望みても参るべきなり。 されば、ものの心知りたらむ人は、望みてもまゐるべきなり。
されば、翁ら、またあらじ、一度欠かず奉り侍るなり。 されば、翁ら、またあらじ、一度欠(か)かずたてまつりはべるなり。
さて参りたれば、あやしき事やはある。 さてまてまゐる
飯、酒しげく賜び、持ちて参る果物をさへ恵み賜び、つねに仕うまつる者は、衣裳をさへこそ宛て行はしめ給へ。 果物をさへ恵み賜(た)び、つねに仕うまつるものは、衣裳をさへこそ宛(あ)て行はしめたまへ。
されば、参る下人も、いみじういそがしがりてぞ、進み集ふめる。 されば、まゐる下人も、いみじういそがしがりてぞ、すすみつどふめる」
 と言へば、 といへば、
〔重木〕しか、それさる事に侍り。 重木「しか、それさることに侍り。
ただし翁らが思ひ得て侍るやうは、いと頼もしきなり。 ただし翁らが思ひ得て侍るやうは、いとたのもしきなり。
翁いまだ世に侍るに、衣裳破れ、むつかしき目見侍らず。 翁いまだ世に侍るに、衣裳破(や)れ、むつかしき目見はべらず。
また、飯、酒乏しき目見侍らず。 また、飯(いひ)・酒(さけ)乏(とも)しき目見はべらず。
もしこの事どもの術なからむ時は、紙三枚をぞ求むべき。 もしこのことどもの術なからむ時は、紙三枚をぞ求むべき。
ゆゑは、入道殿下の御前に申文を奉るべきなり。 ゆゑは、入道殿下の御前に申文(もうしぶみ)を奉るべきなり。
その文に作るべきやうは、 その文に作るべきやうは、
「翁、故太政大臣貞信公殿下の御時の小舎人童なり。 「翁、故太政大臣貞信公殿下の御時の小舎人童(こどねりわらは)なり。
それ多くの年積りて、術なくなりて侍り。 それ多くの年積りて、術なくなりて侍り。
閤下の君、末の家の子におはしませば、同じ君と頼み仰ぎ奉る。 閤下の君、末の家の子におはしませば、同じ君と頼み仰ぎたてまつる。
もの少し恵み給はらむ」 もの少し恵みたまはらむ」
と申さむには、少々のものは賜ばじやはと思へば、それは案のものにて、倉に置きたるごとくになむ思ひ侍る。 と申さむには、少々のものは賜(た)ばじやはと思へば、それは案のものにて、倉に置きたるごとくになむ思ひはべる」
 と言へば、世次、 といへば、世次、
〔世次〕それはげにさる事なり。 「それはげにさることなり。
家貧しくならむ折は御寺に申文を奉らしめむとなむ、卑しき童べとうち語らひ侍る。 家貧しくならむ折は御寺に申文を奉らしめむとなむ、卑しきわらはべとうち語らひはべる」
 と、同じ心に言ひかはす。 と、同じ心にいひかはす。
〔世次〕さてもさても、うれしう対面したるかな。  世次.さてもさても、うれしう対面(たひめ)したるかな。
年頃の袋の口あげ、綻びを裁ち侍りぬること。 年頃の袋の口あげ、綻びを裁ちはべりぬること。
さても、このののしる無量寿院には、いくたび参りて拝み奉り給ひつ。 さても、このののしる無量寿院には、いくたびまゐりて拝みたてまつりたまひつ」
 と言へば、 といへば、
〔重木〕おのれは大御堂の供養の年の会の日は、人いみじう払ふべかなりと聞きしかば、試楽といふ事、三日かねてせしめ給ひしになむ、参りて侍りし。  重木「おのれは大御堂の供養の年の会の日は、人いみじう払ふべかなりと聞きしかば、試楽(しがく)といふこと、三日かねてせしめたまひしになむ、まゐりて侍りし」
 と言へば、世次、 といへば、世次、
〔世次〕おのれは、たびたび参り侍り。 「おのれは、たびたびまゐりはべり。
供養の日の有様のめでたさは、さらにもあらずや。 供養の日の有様のめでたさは・さらにもあらずや。
またの日、今日は御仏など遣うて拝み奉らむ、ものども取りおかれぬ先にと思ひて、参りて侍りしに、宮達の諸堂拝み奉らせ給ひし、見申し侍りしこそ、かかる事にあはむとて、今まで生きたるなりけりとおぼえ侍りしか。 またの日・今日は御仏(みほとけ)など遣うて拝みたてまつらむ、ものども取りおかれぬ先(さき)にと思ひて、まゐりて侍りしに、宮たちの諸堂拝みたてまつらせたまひし、見まうしはべりしこそ、かかることにあはむとて、今まで生きたるなりけりとおぼえはべりしか。
もの覚えて後、さる事をこそまだ見侍らね。 もの覚えて後、さることをこそまだ見はべらね。
御輦車に四所奉りたりしぞかし。 御輦車(てぐるま)に四所たてまつりたりしぞかし。
口に大宮、皇太后官、御袖ばかりをいささかさし出ださせ給ひて侍りしに、枇杷殿の宮の御ぐしの、地にいと長く引かれさせ給ひて、出でさせ給へりしは、いとめづらかなりし事かな。 口に大宮・皇太后官、御袖ばかりをいささかさし出ださせたまひて侍りしに、枇杷(びは)殿の宮の御ぐしの、地(つち)にいと長く引かれさせたまひて、出でさせたまへりしは、いとめづらかなりしことかな。
しりの方には、中宮、督の殿奉りて、ただ御身ばかり御車におはしますやうにて、御衣どもは皆ながら出でて、それも地までこそ引かれ侍りしか。 しりの方には、中宮・督(かん)の殿たてまつりて、ただ御身ばかり御車におはしますやうにて、御衣(おんぞ)どもは皆ながら出でて、それも地までこそ引かれはべりしか。
一品の宮も中に奉りたりけるにや、御衣どもは、なにがしぬしの持ちたうび、御車のしりにぞ候はれし。 一品(いつぽん)の官も中にたてまつりたりけるにや、御衣どもは、なにがしぬしの持ちたうび、御車のしりにぞさぶらはれし。
単の御衣ばかりを奉りておはしましけるなめり。 単の御衣ぽかりをたてまつりておはしましけるなめり。
御車には、まうち君たち引かれて、しりには関白殿をはじめ奉り、殿ばら、さらぬ上達部、殿上人、御直衣にて歩み続かせ給へりし、いで、あないみじや。 御車には、まうちぎみたち引かれて、しりには関白殿をはじめたてまつり、殿ばら、さらぬ上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)、御直衣(なほし)にて歩みつづかせたまへりし、-いで、あないみじや。
   
中宮権大夫殿のみぞ、堅固の御物忌にて率ゐらせ給はざりし。  中官権大夫殿のみぞ、堅固(けんご)の御物忌(ものいろ)にて率ゐらせたまはざりし。
さていみじく口惜しがらせ給ひける。 さていみじく口惜しがらせたまひける。
中宮の御装束は、権大夫殿せさせ給へりし、いと清らにてこそ見え侍りしか。 中宮の御装束(さうざく)は、権大夫殿せさせたまへりし、いと清らにてこそ見えはべりしか。
   
「供養の日、啓すべき事ありて、おはします所に参りて、五所居並ばせ給へりしを見奉りしかば、中官の御衣の優に見えしは我がしたればにや」 「供養の日、啓すべきことありて、おはします所にまゐりて、五所居並ばせたまへりしを見たてまつりしかば、中官の御衣の優に見えしはわがしたればにや」
とこそ、大夫殿仰せられけれ。 とこそ、大夫殿仰せられけれ。
かく口ばかりさかしだち侍れど、下﨟のつたなき事は、いづれの御衣も、ほど経ぬれば、色どものつぶと忘れ侍りにけるよ。 かく口ばかりさかしだちはべれど、下らふ(げらふ)のつたなきことは、いづれの御衣も、ほど経ぬれば、色どものつぶと忘れはべりにけるよ。
ことにめでたくせさせ給へりければにや、下は紅薄物の御単衣重にや、御表着よくも覚え侍らず。 ことにめでたくせさせたまへりければにや、下は紅薄物(うすもの)の御単衣重(ひてぇがさね)にや、御表着よくも覚えはべらず。
萩の織物の三重襲の御唐衣に、秋の野を縫物にし、絵にもかかれたるにやとぞ、目もとどろきて見給へし。 萩(はぎ)の織物(おりもの)の三重襲(みへがさね)の御唐衣に、秋の野を縫物にし、絵にもかかれたるにやとぞ、目もとどろきて見たまへし。
   
 こと宮々のも、殿ばらの調じて奉らせ給へりけるとぞ人申しし。  こと官々のも、殿ばらの調(てう)じて奉らせたまへりけるとぞ、人申しし。
大宮は、二重織物折り重ねられて侍りし。 大宮は、二重織物折り重ねられて侍りし。
皇太后宮は、総じて唐装束。 皇太后宮は、そうじて唐装束(からそうぞく)。
督の殿のは、殿こそせさせ給へりしか。 督(かん)の殿のは、殿こそせさせたまへりしか。
こと御方々のも、絵かきなどせられたり、と聞かせ給ひて、にはかに箔押しなどせられたりければ、入道殿御覧じて、 こと御方々のも、絵かきなどせられたり、と聞かせたまて、にはかに薄押(はくお)しなどせられたりければ、入道殿、御覧じて、
「よき呪師の装束かな」 「よき呪師(じゆし)の装束かな」
とて、笑ひ申させ給ひけり。 とて、笑ひまうさせたまひけり。
   
 殿は、まづ御堂御堂あけつつ待ち申させ給ふ。  殿は、まづ御堂御堂あげつつ待ちまうさせたまふ。
南大門のほどにて見まししだに、笑ましくおぼえ侍りしに、御堂の渡殿の物のはざまより、一品の宮の弁の乳母、いま一人は、それも一品の宮の大輔の乳母、中将の乳母とかや、三人とぞ承りし。 南大門(なんだいもん)のほどにて見まししだに、笑(ゑ)ましくおぼえはべりしに、御堂(みだう)の渡殿のもののはさまより、一品の宮の弁(べん)の乳母(めおと)、いま一人は、それも一品の宮の大輔(たいふ)の乳母・中将の乳母とかや、三人とぞうけたまはりし、
御車よりおりさせ給ひて、ゐざり続かせ給へるを見奉りたるぞかし。 御車よりおりさせたまひて、ゐざりつづかせたまへるを見たてまつりたるぞかし。
恐ろしさにわななかれしかど、今日、さばかりの事はありなむやと思ひて、見参らするに、などてかはとは申しながら、いづれと聞えさすべきにもなく、とりどりにめでたくおはしまさふ。  おそろしさにわななかれしかど、今日、さばかりのことはありなむやと思ひて、見まゐらするに、などてかはとは申しながら、いづれと聞えさすべきにもなく、とりどりにめでたくおはしまさふ。
大宮、御ぐし御衣の裾に余らせ給へり。 大宮、御ぐし御衣の裾(すそ)にあまらせたまへり。
   
中宮は、たけに少し余らせ給へり。 中官は、たけに少しあまらせたまへり。
皇太后官は、御衣に一尺ばかり余らせ給へる御裾、扇のやうにぞ。 皇太后官は、御衣に一尺ばかりあ率らせたまへる御裾、扇のやうにぞ。
督の殿、御たけに七八寸余らせ給へり。 督の殿、御たけに七八寸あまらせたまへり。
御扇少しのけてさし隠させ給ひける。 御扇少しのけてさし隠させたまひける。
一品の宮は、殿の御前、 一品の宮は、殿の御前、
「なにか居させ給ふ。 「なにか居させたまふ。
立たせ給へ」 立たせたまへ」
とて、長押おりのぼらせ給ふ御手をとらへつつ、助け申させ給ふ。 とて、長押(なげし)おりのぼらせたまふ御手をとらへつつ、助けまうさせたまふ。
あまりなる事は、目ももどろく心地なむし給ひける。 あまりなることは、目ももどろく心地なむしたまひける。
あらはならずひきふたぎなど、つくろはせ給ひけるほどに、御覧じつけられたるものかは。 あらはならずひきふたぎなど、つくるはせたまひけるほどに、御覧じつけられたるものかは。
「あないみじ。 「あないみじ。
宮仕へに宿世の尽くる日なりけり」 宮仕(みやつか)へに宿世(すくせ)の尽くる日なりけり」
と、生ける心地もせで、三人ながら候ひ給ひけるほどに、 と、生ける心地もせで、三人ながらさぶらひたまひけるほどに、
「宮達見奉りつるか。 「宮たち見たてまつりつるか。
いかがおはしましつる。 いかがおはしましつる。
この老法師の女達には、けしうはあらずおはしまさふな。 この老法師(おいほふし)の女(むすめ)たちには、けしうはあらずおはしまさふな。
なあなづられそよ」 なあなづられそよ」
と、うち笑みて仰せられかけて、いたうもふたがせ給はでおはしましたりしなむ、生き出でたる心地して、うれしなどはいふべきやうもなく、かたみに見れば、顔はそこら化粧じたりつれど、草の葉の色のやうにて、また赤くなりなど、さまざま汗水になりて見かはしたり。 と、うち笑みて仰せられかけて、いたうもふたがせたまはでおはしましたりしなむ、生き出でたる心地して、うれしなどはいふべきやうもなく、かたみに見れば、顔はそこら化粧(けさう)じたりつれど、草の葉の色のやうにて、また赤くなりなど、さまざま汗水(あせみづ)になりて見かはしたり。
「さらぬ人だに、あざれたる物覗きは、いと便なき事にするを、せめてめでたう思し召しければ、御喜びに堰へで、さはれと思し召しつるにこそと思ひなすも、心驕りなむする」 「さらぬ人だに、あざれたるもの覗きは、いと便なきことにするを、せめてめでたう思し召しければ、御よろこびに堰(た)へで、さはれと思し召しつるにこそと思ひなすも、心驕(こころおご)りなむする」
と、宣ひいまさうじける。 と、のたまひいまさうじける。
   
 かやうの事どもを見給ふままには、いとしもこの世の栄花の御栄えのみおぼえて、染着の心のいとどますますにおこりつつ、道心つくべくも侍らぬに、河内国そこそこに住むなにがしの聖人は、庵より出づる事もせられねど、後世の責めを思へばとて、のぼり参られたりけるに、関白殿参らせ給ひて、雑人どもを払ひののしるに、これこそは一の人におはすめれと見奉るに、入道殿の御前に居させ給へば、なほまさらせ給ふなりけりと見奉るほどに、また行幸なりて、乱声し、待ちうけ奉らせ給ふさま、御輿の入らせ給ふほどなど、見奉りつる殿達の、かしこまり申させ給へば、なほ国王こそ日本第一の事なりけれと思ふに、おりおはしまして、阿弥陀堂の中尊の御前についゐさせ給ひて、拝み申させ給ひしに、   かやうのことどもを見たまふるままには、いとどもこの世の栄花の御栄えのみおぼえて、染着(せんぢやく)の心のいとどますますにおこりつつ、道心(だうしん)つくべくも侍らぬに、河内国(かはちのくに)そこそこに住むなにがしの聖人(しやうにん)は、庵(いほり)より出づることもせられねど、後世の責めを思へばとて、のぼりまゐられたりけるに、関白殿まゐらせたまひて、雑人(ざふにん)どもを払ひののしるに、これこそは一の人におはすめれと見たてまつるに、入道殿の御前に居させたまへば、なはまさらせたまふなりけりと見たてまつるほどに、また行幸なりて、乱声(らんじやう)し、待ちうけたてまつらせたまふさま、御興(みこし)の入らせたまふほどなど、見たてまつりつる殿たちの、かしこまりまうさせたまへば、なは国王こそ日本第一のことなりけれと思ふに、おりおはしまして、阿弥陀堂(あみだだう)の中尊(ちゆうそん)の御前につい居(ゐ)させたまひて、拝(をが)みまうさせたまひしに、
「なほなほ仏こそ上なくおはしましけれと、この会の庭にかしこう結縁し申して、道心なむいとど熟し侍りぬる」 「なはなほ仏こそ上なくおはしましけれと、この会(ゑ)の庭にかしこう結縁(けちえん)しまうして、道心なむいとど熟しはべりぬる」
とこそ申され侍りしか。 とこそ申されはべりしか。
かたはらに居られたりしなりや、まこと、忘れ侍りにけり。 かたはらに居られたりしなりや、まこと、忘れはべりにけり。
   
   
   
 世の中の人の申すやう、  世の中の人の申すやう、
「大宮の入道せしめ給ひて、太上天皇の御位にならせ給ひて、女院となむ申すべき。 「大宮(おほみや)の入道(にふだう)せしめたまひて、太上天皇(だいじやうてんわう)の御位にならせたまひて、女院(にようゐん)となむ申すべき。
この御寺に戒壇あるべかなれば、世の中の尼ども参りて受くべかんなり」 この御寺(みてら)に戒壇(かいだん)あるべかなれば、世の中の尼(あま)どもまゐりて受くべかむなり」
とて、喜びをこそすなれ。 とて、よろこびをこそすなれ。
この世次が女ども、かかる事を伝へ聞きて、申すやう、 この世次(よつぎ)が女(をんな)ども、かかることを伝へ聞きて、申すやう、
「おのれを、その折にだに、白髪の裾そぎてむとなむ、 「おのれを、その折にだに、白髪(しらが)の裾(すそ)そぎてむとなむ。
なにか制する」 なにか制(せい)する」
と語らひ侍れば、 と語らひはべれば、
「何せむにか制せむ。 「なにせむにか制せむ。
ただし、さらむ後には、若からむ女の童べ求めて得さすばかりぞ」 ただし、さらむ後(のち)には、若からむ女(め)のわらはべ求めて得さすばかりぞ」
と言ひ侍れば、 といひはべれば、
「我が姪なる女一人あり。 「わが姪(めい)なる女(をんな)一人あり。
それを今より言ひ語らはむ。 それを今よりいひ語らはむ。
いとさし離れたらむも、情なきこともぞある」 いとさし離れたらむも、情(なさけ)なきこともぞある」
と申せば、 と申せば、
「それあるまじき事なり。 「それあるまじきことなり。
近くも遠くも、身のためにおろかならむ人を、今さらに寄すべきかは」 近くも遠くも、身のためにおろかならむ人を、いまさらに寄すべきかは」
となむ語らひ侍る。 となむ語らひはべる。
やうやう裳、袈裟などのまうけに、よき絹一二疋求めまうけ侍る。 やうやう裳(も)・袈裟(けさ)などのまうけに、よき絹(きぬ)一二疋(ひき)求めまうけはべる」
 などいひて、さすがにいかにぞや、ものあはれげなるけしきの出できたるは、女どもにそむかれむことの心ぼそきにやとぞ見え侍りし。 などいひて、さすがにいかにぞや、ものあはれげなるけしきの出できたるは、女(をんな)どもにそむかれむことの心ぼそきにやとぞ見えはべりし。
   
〔世次〕さて、今年こそ天変頻にし、世の妖言などよからず聞え侍るめれ。 世次「さて、今年こそ天変(てんぺん)頻(しきり)にし、世の妖言(えうげん)などよからず聞(きこ)えはべるめれ。
督の殿のかく懐妊せしめ給ふ、院の女御殿の常の御悩のなかにも、今年となりては、ひまなくおはしますなるなどこそ、恐ろしう承れ。 督(かん)の殿(との)のかく懐妊(くわいにん)せしめたまふ、院の女御殿の常の御悩(なやみ)のなかにも、今年となりては、ひまなくおはしますなるなどこそ、おそろしううけたまはれ。
いでや、かうやうの事をうちつづけ申せば、昔のことこそただ今のやうにおぼえ侍れ。 いでや、かうやうのことをうちつづけ申せば、昔のことこそただいまのやうにおぼえはべれ」
   
 見かはして、重木が言ふやう、 見かはして、重木(しげき)がいふやう、
〔重木〕いであはれ、 「いであはれ、」
かくさまざまにめでたき事ども、あはれにもそこら多く見聞き侍れど、なほ、わが宝の君に後れ奉りしやうに、もののかなしく思う給へらるる折こそ侍らね。 かくさまざまにめでたきことども、あはれにもそこら多く見聞きはべれど、なほ、わが宝(たから)の君(きみ)に後(おく)れたてまつりしやうに、もののかなしく思うたまへらるる折こそ侍らね。
八月十日あまりのことに候ひしかば、折さへこそあはれに、 八月十日あまりのことにさぶらひしかば、折さへこそあはれに、
「時しもあれ」 「時しもあれ」
とおぼえ侍りしものかな。 とおぼえはべりしものかな」
 とて、鼻たびたびかみて、えもいひやらず、いみじと思ひたるさま、まことにその折もかくこそと見えたり。 とて、鼻たびたびかみて、えもいひやらず、いみじと思ひたるさま、まことにその折もかくこそと見えたり。
〔重木〕一日片時生きて世にめぐらふべき心地もし侍らざりしかど、かくまで候ふは、いよいよひろごり栄えおはしますを見奉り、よろこび申させむとに侍めり。 「一日(ひとひ)片時(かたとき)生きて世にめぐらふべき心地(ここち)もしはべらざりしかど、かくまでさぶらふは、いよいよひろごり栄えおはしますを見たてまつり、よろこびまうさせむとに侍(はべ)めり。
さて、またの年五月二十四日こそは、冷泉院は誕生せしめ給へりしか。 さて、またの年五月二十四日こそは、冷泉院(れいぜいゐん)は誕生せしめたまへりしか。
それにつけていとこそ口惜しく、折のうれしさは、はかりもおはしまさざりしか。 それにつけていとこそ口惜(くちを)しく、折のうれしさは、はかりもおはしまさざりしか」
 などいへば、世次も、 などいへば、世次も、
〔世次〕しか、しか。 「しか、しか」
 と、こころよく思へるさまおろかならず。 と、こころよく思へるさまおろかならず。
〔世次〕朱雀院、村上などのうちつづき生れおはしまししは、またいかが。 世次「朱雀院(すざくゐん)・村上などのうちつづき生れおはしまししは、またいかが」
 などいふほど、あまりに恐ろしくぞ。 などいふほど、あまりに恐ろしくぞ。
   
   
   
また、 また、
〔世次〕世次が思ふことこそ侍れ。 「世次が思ふことこそ侍れ。
便なきことなれど、明日とも知らぬ身にて侍れば、ただ申してむ。 便(びん)なきことなれど、明日とも知らぬ身にて侍れば、ただ申してむ。
この一品の宮の御有様のゆかしくおぼえさせ給ふにこそ、また命惜しく侍れ。 この一品(いつぽん)の宮(みや)の御有様のゆかしくおぼえさせたまふにこそ、また命惜しくはべれ。
そのゆゑは、生れおはしまさむとて、いとかしこき夢想見給へしなり。 そのゆゑは、生れおはしまさむとて、いとかしこき夢想(むさう)見たまへしなり。
さおぼえ侍りことは、故女院、この大宮など孕まれさせ給はむとて見えし、ただ同じさまなる夢に侍りしなり。 さおぼえはべりことは、故女院(にようゐん)・この大宮(おほみや)など孕(はら)まれさせたまはむとて見えし、ただ同じさまなる夢に侍りしなり。
それにて、よろづおしはからせ給ふ御有様なり。 それにて、よろづおしはからせたまふ御有様なり。
皇太后宮にいかで啓せしめむと思ひ侍れど、その宮の辺の人に、え会ひ侍らぬが口惜しさに、ここら集り給へる中に、もしおはしましやすらむと思う給へて、かつはかく申し侍るぞ。 皇太后宮にいかで啓(けい)せしめむと思ひはべれど、その宮の辺(ほとり)の人に、え会ひはべらぬが口惜(くちを)しさに、ここら集りたまへる中(なか)に、もしおはしましやすらむと思うたまへて、かつはかく申しはべるぞ。
ゆく末にも、よくいひけるものかなと、思しあはすることも侍りなむ。 ゆく末にも、よくいひけるものかなと、思(おぼ)しあはすることも侍りなむ」
 といひし折こそ、 といひし折こそ、
ここにあり、 記者「ここにあり」
とて、さし出でまほしかりしか。 とて、さし出でまほしかりしか。
   
   

一 太政大臣 道長 

   
 いといとあさましくめづらかに、尽きもせず、二人語らひしに、この侍、  いといとあさましくめづらかに、尽(つ)きもせず、二人語らひしに、この侍(さぶらひ)、
〔侍〕いといと興あることをもうけ給はるかな。 「いといと興(きよう)あることをもうけたまはるかな。
さても、ものの覚えはじめは何事ぞや。 さても、ものの覚えはじめは何事(なにごと)ぞや。
それこそ、まづ聞かまほしけれ。 それこそ、まづ聞かまほしけれ。
語られよ。 語られよ」
 と言へば、世次、 といへば、世次(よつぎ)、
〔世次〕六七歳より見聞き侍りしことは、いとよく覚え侍れど、そのこととなきは、証のなければ、用ゐる人も候はじ。 「六七歳より見聞きはべりしことは、いとよく覚えはべれど、そのこととなきは、証(そう)のなければ、用ゐる人もさぶらはじ。
九つに侍りし時の大事を申し侍らむ。 九つに侍りし時の大事(だいじ)を申しはべらむ。
   
 小松の帝の、親王にておはしましし時の御所は、皆人知りて侍り。  小松(こまつ)の帝(みかど)の、親王(みこ)にておはしましし時の御所(ごしよ)は、皆人知りて侍り。
おのが親の候ひし所、大炊御門よりは北、町尻よりは西にぞ侍りし。 おのが親のさぶらひし所、大炊御門(おつひのみ)よりは北、町尻(まちじり)よりは西にぞ侍りし。
されば、宮の傍にて、つねに参りて遊び侍りしかば、いと閑散にてこそおはしまししか。 されば、宮の傍(かたはら)にて、つねにまゐりて遊びはべりしかば、いと閑散(かんさん)にてこそおはしまししか。
二月の三日、初午といへど、甲午の最吉日、常よりも世こぞりて、いたり事うで稲荷詣にののしりしかば、父の詣で侍りし供にしたひ参りて、さは申せど、幼きほどにて、坂のこはきを登り侍りしかば、困じて、えその日のうちに還向つかまつらざりしかば、父がやがて、その御社の禰宜大夫が後見つかうまつりて、いとうるさくて候ひし宿りにまかりて、一夜は宿りして、またの日帰り侍りしに、東洞院よりのぼりにまかるに、大炊御門より西ざまに、人々のさざと走れば、あやしくて見候ひしかば、わが家のほどにしも、いと暗うなるまで人立ちこみて見ゆるに、いとどおどろかれて、焼亡かと思ひて、上を見あぐれば、煙も立たず。 二月(きさらぎ)の三日、初午((はつうま)といへど、甲午(きのえうま)の最吉日(さいきちにち)、常(つね)よりも世こぞりて、いたり事うで稲荷詣(いなりまうで)にののしりしかほ、父の詣ではべりし供にしたひまゐりて、さは申せど、幼きほどにて、坂のこはきを登りはべりしかば、困(こう)じて、えその日のうちに還向(げかう)つかまつらざりしかば、父がやがて、その御社の禰宜大夫(ねぎのたいふ)が後見(うしろみ)つかうまつりて、いとうるさくてさぶらひし宿(やど)りにまかりて、一夜は宿りして、またの日帰りはべりしに、東洞院(ひがしにとうゐん)よりのぼりにまかるに、大炊御門(ひのみかど)より西ざまに、人々のさざと走れば、あやしくて見さぶらひしかば、わが家のほどにしも、いと暗うなるまで人立ちこみて見ゆるに、-いとどおどろかれて、焼亡(せうまう)かと思ひて、上を見あぐれば、煙(けぶり)も立たず。
「さは、大きなる追捕か」 さは、大きなる追捕(ついぶ)か
など、かたがたに心もなきまでまどひ参りしかば、小野官のほどにて、上達部の御車や、鞍置きたる馬ども、冠、表の衣着たる人々などの見え侍りしに、心得ずあやしくて、 など、かたがたに心もなきまでまどひ亥かりしかば、小野官(ののみや)のほどにて、上達部の御車や、鞍(くら)置きたる馬ども、冠(かうぶり)・表(うへ)の衣(きぬ)着たる人々などの見えはべりしに、心得ずあやしくて、
「何事ぞ、何事ぞ」 「何事ぞ、何事ぞ」
と、人ごとに問ひ候ひしかば、 と、人ごとに間ひさぶらひしかば、
「式部卿の宮、帝にゐさせ給ふとて、大殿をはじめ奉りて、皆人参り給ふなり」 「式部卿の宮、帝にゐさせたまふとて、大殿(おほとの)をはじめたてまつりて、皆人まゐりたまふなり」
とて、急ぎまかりしなどぞ、もの覚えたることにて見給へし。 とて、急ぎまかりしなどぞ、もの覚えたることにて見たまへし。
   
 また、七つばかりにや、元慶二年ばかりにや侍りけむ、式部卿の宮の侍従と申ししぞ、寛平の天皇、つねに狩を好ませおはしまして、霜月の二十余日のほどにや、鷹狩に、式部卿の宮より出でおはしましし御供に走り参りて侍りし。  また、七つばかりにや、元慶(ぐわんぎやう)二年ばかりにや侍りけむ、式部卿の宮の侍従と申ししぞ、寛平(くわんびやう)の天皇、つねに狩を好ませおはしまして、十一月(しもつき)の二十余日(はつかあまり)のほどにや、鷹狩(たかがり)に、式部卿の宮より出でおはしましし御供に走りまゐりて侍りし。
 賀茂の堤のそこそこなる所に、侍従殿、鷹使はせ給ひて、いみじう興に入らせ給へるほどに、俄かに霧たち、世間もかい暗がりて侍りしに、東西もおぼえず、暮の往ぬるにやとおぼえて、藪の中に倒れ伏して、わななきまどひ候ふほど、時中や侍りけむ。 賀茂(かも)の堤(つつみ)のそこそこなる所に、侍従殿、鷹使はせたまひて、いみじう興(きよう)に入らせたまへるほどに、俄(にはか)に霧たち、世間(せけん)もかい暗がりて侍りしに、東西(ひんがしにし)もおぼえず、暮(くれ)の往(い)ぬるにやとおぼえて、藪(やぶ)の中(なか)に倒(たふ)れ伏(ふ)して、わななきまどひさぶらふほど、時中(ときなか)や侍りけむ。
後に承れば、賀茂の明神のあらはれおはしまして、侍従殿にもの申させおはしますほどなりけり。 後(のち)にうけたまはれば、賀茂の明神(みやうじん)のあらはれおはしまして、侍従殿にもの申させおはしますほどなりけり。
そのことは、皆世に申しおかれて侍るなればなかなか申さじ。 そのことは、皆世に申しおかれて侍るなればなかなか申さじ。
知ろしめしたらむ。 知ろしめたらむ、
あはそかに申すべきに侍らず。 あはそかに申すべきに侍らず。
   
 さて後六年ばかりありてや、賀茂の臨時の祭はじまり侍りけむ。  さて後(のち)六年ばかりありてや、賀茂の臨時(りんじ)の祭はじまりはべりけむ。
位につかせおはしましし年とぞ覚え侍る。 位につかせおはしましし年とぞ覚えはべる。
その日、酉の日にて侍れば、やがて霜月の果ての酉の日にては侍るぞ。 その日、酉の日にて侍れば、やがて霜月(しもつき)の果(は)ての酉の日にては侍るぞ。
はじめたる東遊びの歌、敏行の中将ぞかし。 はじめたる東遊(あづまあそび)の歌、敏行(としゆき)の中将ぞかし。
   
♪61
ちはやぶる
 賀茂の社の
 姫小松
 よろづ代までも
 色はかはらじ
 
ちはやぶる
 賀茂の社(やしろ)の
 姫小松(ひめこまつ)
 よろづ代までも
 色はかはらじ
   
 古今に入りて侍り。 古今(こきん)に入りて侍り。
皆人知るしめしたることなれど、いみじうよみ給へるぬしかな。 皆人知るしめしたることなれど、いみじうよみたまへるぬしかな。
今に絶えずひろごらせ給へる御末とか。 今に絶えずひろごらせたまへる御末とか。
帝と申せど、かくしもやはおはします。 帝(みかど)と申せど、かくしもやはおはします。
   
   
   
 八幡の臨時の祭、朱雀院の御時よりぞかし。 八幡(やはた)の臨時の祭、朱雀院の御時よりぞかし。
朱雀院生まれさせた率ひて三年は、おはします殿の御格子も参らず、夜昼火をともして、御帳のうちにておはしたてたて参らせ給ふ、北野に怖ぢ申させ給ひて。 朱雀院生れさせた率ひて三年は、おはします殿の御格子(みかうし)もまゐらず、夜昼(よるひる)火をともして、御帳(みちやう)のうちにておはしたてたてまゐらせたまふ、北野に怖(お)ぢまうさせたまひて。
天暦の帝は、いとさも守り奉らせ給はず。 天暦(てんりやく)の帝は、いとさも守りたてまつらせたまはず。
いみじき折節に生れおはしましたりしぞかし。 いみじき折節(おりふし)に生れおはしましたりしぞかし。
朱雀院生れおはしまさずは、藤氏の御栄え、いとかくしも侍らざらまし。 朱雀院生れおはしまさずは、藤氏の御栄え、いとかくしも侍らざらまし。
さて位につかせ給ひて、将門が乱出できて、その御願にてとぞ承りし。 さて位につかせたまひて、将門(まさかど)が乱(みだれ)出できて、その御願にてとぞうけたまはりし。
その東遊びの歌、貫之のぬしぞかし。 その東遊(あづまあそび)の歌、貫之(つらゆき)のぬしぞかし。
   
♪62
松もおひ
 またも苔むす
 石清水
 ゆく末とほく
 つかへまつらむ
 
松もおひ
 またも苔(こけ)むす
 石清水(いはしみづ)
 ゆく末とほく
 つかへまつらむ
   
 集にも書きて侍るぞかし。 集(しふ)にも書きて侍るぞかし」
 と言へば、重木、 といへば、重木、
〔重木〕この翁も、あのぬしの申されつるがごとく、くだくだしきことは申さじ。 「この翁も、あのぬしの申されつるがごとく、くだくだしきことは申さじ。
同じことのやうなれど、寛平、延喜などの御譲位のほどのことなどは、いとかしこく忘れず覚え侍るをや。 同じことのやうなれど、寛平・延喜などの御譲位のほどのことなどは、いとかしこく忘れず覚えはべるをや。
伊勢の君の、弘徴殿の壁に書きつけたうべりし歌こそは、 伊勢(いせ)の君の、弘徴殿(こきでん)の壁に書きつけたうべりし歌こそは、
そのかみに、あはれなることと人申ししか。 そのかみに、あはれなることと人申ししか。
   
♪63
別るれど
 あひも思はぬ
 ももしきを
 見ざらむことや
 なにかかなしき
 
別るれど
 あひも思はぬ
 ももしきを
 見ざらむことや
 なにかかなしき
   
 法皇の御返し、  法皇(ほふわう)の御返し、
   
♪64
身ひとつの
 あらぬほかりを
 おしなべて
 ゆきかへりても
 などか見ざらむ
 
身ひとつの
 あらぬほかりを
 おしなべて
 ゆきかへりても
 などか見ざらむ」
   
 と言へば、かたはらなる人、 といへば、かたはらなる人、
〔傍〕法皇の書かせ給へりけるを、延喜の、後に御覧じつけて、かたはらに書きつけさせ給へるともうけ給はるは、いづれかまことならむ。 「法皇の書かせたまへりけるを、延喜の、後に御覧じつけて、かたはらに書きつけさせたまへるともうけたまはるは、いづれかまことならむ」。
〔重木〕同じ帝と申せど、その御時に生まれあひて候ひけるは、あやしの民の竃まで、やむごとなくこそ。 重木「同じ帝と申せど、その御時に生れあひてさぶらひけるは、あやしの民(たみ)の竃(かまど)まで、やむごとなくこそ。
大小寒のころほひ、いみじう雪降り、冴えたる夜は、 大小寒(だいせうかん)のころはひ、いみじう雪降り、冴えたる夜は、
「諸国の民百姓いかに寒からむ」 「諸国の民百姓いかに寒からむ」
とて、御衣をこそ、夜の御殿より投げ出しおはしましければ、おのれまでも、恵みあはれびられ奉りて侍る身と、面立たしくこそは。 とて、御衣(おんぞ)をこそ、夜の御殿より投げ出(いだ)しおはしましければ、おのれまでも、恵みあはれびられたてまつりて侍る身と、面立(おもだ)たしくこそは。
   
 されば、その世に見給へしことは、なは末までもいみじきことと覚え侍るぞ。  されば、その世に見たまへしことは、なは末までもいみじきことと覚えはべるぞ。
人々聞し召せ。 人々聞し召せ。
この座にて申すは、はばかりあることなれど、かつは、若く候ひしほど、いみじと身にしみて思う給へし罪も、今に失せ侍らじ。 この座にて申すは、はばかりあることなれど、かつは、若くさぶらひしほど、いみじと身にしみて思うたまへし罪も、今にうせはべらじ。
今日この伽藍にて、擬悔つかうまつりてむとなり。 今日この伽藍(がらん)にて、擬悔(さんげ)つかうまつりてむとなり。
   
 六条の式部卿の宮と申ししは、延喜の帝の一つ腹の御はらからにおはします。  六条(ろくでう)の式部卿の宮と申ししは、延喜の帝の一つ腹(ばら)の御はらからにおはします。
野の行幸せさせ給ひしに、この宮供奉せしめ給へりけれど、京のほど遅参せさせ給ひて、桂の里にぞ参りあはせ給へりしかば、御興とどめて、先立て奉らせ給ひしに、なにがしといひし犬飼の、大の前足を二つながら肩に引き越して、深き河の瀬渡りしこそ、行幸に仕うまつり給へる人々、さながら興じ給はぬなく、帝も、労ありげに思し召したる御けしきにてこそ、見えおはしまししか。 野の行幸(みゆき)せさせたまひしに、この宮供奉(ぐぶ)せしめたまへりけれど、京のほど遅参(ちさん)せさせたまひて、桂(かつら)の里にぞまゐりあはせたまへりしかば、御興とどめて、先立てたてまつらせたまひしに、なにがしといひし犬飼(いぬかひ)の、大の前足を二つながら肩に引き越して、深き河の瀬渡りしこそ、行幸に仕うまつりたまへる人々、さながら興じたまはぬなく、帝も、労ありげに思し召したる御けしきにてこそ、見えおはしまししか。
 さて山口入らせ給ひしほどに、しらせうといひし御鷹の、鳥をとりながら、御興の鳳の上に飛び参りて居て候ひし、やうやう日は山の端に入りがたに、光のいみじうさして、山の紅葉、錦をはりたるやうに、鷹の色はいと白く、雉は紺青のやうにて、羽うちひろげて居て候ひしほどは、まことに雪少しうち散りて、折節とり集めて、さることやは候ひしとよ。  さて山口(やまぐち)入らせたまひしほどに、しらせうといひし御鷹の、鳥をとりながら、御興の鳳(ほう)の上に飛びまゐりて居てさぶらひし、やうやう日は山の端に入りがたに、光のいみじうさして、 山の紅葉(もみぢ)、錦(にしき)をはりたるやうに、鷹の色はいと白く、雉(きじ)は紺青(こんじやう)のやうにて、羽うちひろげて居てさぶらひしほどは、まことに雪少しうち散りて、折節とり集めて、さることやはさぶらひしとよ。
身にしむばかり思う給へしかば、いかに罪得侍りけむ。 身にしむばかり思うたまへしかば、いかに罪得はべりけむ」
 とて、弾指はたはたとす。 とて、弾指(だんし)はたはたとす。
〔重木〕大方、延喜の帝、つねに笑みてぞおはしましける。 重木「おほかた、延喜の帝、つねに笑みてぞおはしましける。
そのゆゑは、 そのゆゑは、
「まめだちたる人には、もの言ひにくし。 「まめだちたる人には、ものいひにくし。
うちとけたるけしきにつきてなむ、人はものはいひよき。 うちとけたるけしきにつきてなむ、人はものはいひよき。
されば、大小こと聞かむがためなり」 されば、大小こと聞かむがためなり」
とぞ仰せ言ありける。 とぞ仰せ言ありける。
それさることなり。 それさることなり。
けにくき顔には、ものいひふれにくきものなり。 けにくき顔には、ものいひふれにくきものなり。
   
 さて、  さて、
「われいかで、七月.九月に死にせじ。 「われいかで、七月(ふづき).九月(ながつき)に死にせじ。
相撲の節、九日の節のとまらむが口惜しきに」 相撲(すまひ)の節(せち)・九日(ここぬか)の節のとまらむが口惜(くちを)しきに」
と仰せられけれど、九月に失せさせ給ひて、九日の節はそれよりとどまりたるなり。 と仰せられけれど、九月にうせさせたまひて、九日の節はそれよりとどまりたるなり。
その日、左衛門の陣の前にて御鷹ども放たれしは、あはれなりしものかな。 その日、左衛門(さゑもん)の陣(ぢん)の前にて御鷹ども放たれしは、あはれなりしものかな。
とみにこそ飛び退かざりしか。 とみにこそ飛び退かざりしか。
   
 公忠の弁をば、おほかたの世にとりても、やむごとなきものに思し召したりし中にも、鷹のかたざまには、いみじう興ぜさせ給ひしなり。  公忠(きんただ)の弁(べん)をば、おほかたの世にとりても、やむごとなきものに思し召したりし中にも、鷹のかたざまには、いみじう興ぜさせたまひしなり。
日々に政を勤め給ひて、馬をいづこにぞや立て給うて、こと果つるままにこそ、中山へはいませしか。 日々に政(まつりごと)を勤(つと)めたまひて、馬をいづこにぞや立てたまうて、こと果つるままにこそ、中山へはいませしか。
官のつかさの弁の曹司の壁には、その殿の鷹のものはいまだ付きて侍らむ。 官(くわん)のつかさの弁の曹司(ぞうし)の壁には、その殿の鷹のものはいまだ付きて侍らむ。
久世の鳥、交野の鳥の味ひ、参り知りたりき。 久世の鳥・交野の鳥の味(あぢはひ)ひ、まゐり知りたりき。
「かたへはそらごとを宣ふぞ。 「かたへはそらごとをのたまふぞ。
こころみたいまつらむ」 こころみたいまつらむ」
とて、みそかに二所の鳥をつくりまぜて、しるしをつけて、人の参りたりければ、いささかとりたがへず、 とて、みそかに二所の鳥をつくりまぜて、しるしをつけて、人のまゐりたりければ、いささかとりたがへず、
「これは久世の、これは交野のなり」 「これは久世(くぜ)の、これは交野(かたの)のなり」
とこそ、参り知りたりけれ。 とこそまゐり知りたりけれ。
かかれば、 かかれば、
「ひたぶるの鷹飼にて候ふものの、殿上に候ふこそ見苦しけれ」 「ひたぶるの鷹飼にてさぶらふものの、殿上にさぶらふこそ見ぐるしけれ」
と、延喜に奏し申す人のおはしければ、 と、延蓋『に奏しまうす人のおはしければ、
「公事をおろそかにし、狩をのみせばこそは罪はあらめ、一度政をもかかで、公事をよろづ勤めて後に、ともかくもあらむは、なんでふことかあらむ」 「公事をおろそかにし、狩をのみせばこそは罪はあらめ、一度政(ひとたびまつりごと)をもかかで、公事をよるづ勤めて後に、ともかくもあらむは、なんでふことかあらむ」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰せられけれ。
   
   
   
 いでまた、いみじく侍りしことは、やがて同じ君の、大井河の行幸に、富小路の御息所の御腹の親王、七歳にて舞せさせ給へりしはかりのことこそ侍らざりしか。 いでまた、いみじく侍りしことは、やがて同じ君の、大井河(おほゐがは)の行幸(みゆき)に、富小路(とみのこうぢ)の御息所の御腹の親王(みこ)、七歳にて舞せさせたまへりしはかりのことこそ侍らざりしか。
万人しはたれぬ人侍らざりき。 万人(ばんにん)しはたれぬ人侍らざりき。
あまり御かたちの光るやうにし給ひしかば、山の神めでて、取り奉り給ひてしぞかし。 あまり御かたちの光るやうにしたまひしかば、山の神めでて、取りたてまつりたまひてしぞかし。
   
 その御時に、いとおもしろきことども多く侍りきや。  その御時に、いとおもしろきことども多く侍りきや。
お陰かた申し尽くすべきならず。 お陰かた申し尽くすべきならず。
まづ申すべきことをも、ただ覚ゆることにしたがひて、しどけなく申さむ。 まづ申すべきことをも、ただ覚ゆることにしたがひて、しどけなく申さむ。
   
法皇の、ところどころの修行しあそばせ給うて、宮滝御覧ぜしほどこそいといみじう侍りしか。 法皇(ほうわう)の、ところどころの修行(すぎやう)しあそばせたまうて、宮滝御覧(みやたきごらん)ぜしほどこそいといみじう侍りしか。
その折、菅原のおとどのあそばしたりし和歌、 その折、菅原(すがはら)のおとどのあそばしたりし和歌、
   
♪65
水ひきの
 白糸はへて
 織るはたは
 旅のころもに
 たちやかさねむ
 
水ひきの
 白糸(しらいと)はへて
 織るはたは
 旅のころもに
 たちやかさねむ
   
 大井の御幸も侍りしぞかし。 大井の御幸(ごかう)も侍りしぞかし。
さてまた、 さてまた、
「みゆきありぬべき所」 「みゆきありぬべき所」
と申させ給ふ、ことのよし秦せむとて、小一条のおほいまうちぎみぞかし、 と申させたまふ、ことのよし秦せむとて、小一条(こいちでう)のおほいまうちぎみぞかし、
   
♪66
をぐら山
 紅葉の色も
 心あらば
 いまひとたびの
 みゆき待たなむ
 
小倉山(をぐらやま) 紅葉(もみぢ)の色も
 こころあらば
 いまひとたびの
 みゆきまたなむ
   
 あはれ優にも候ひしかな。 あはれ優(いう)にもさぶらひしかな。
さて行幸に、あまたの題ありて、やまと歌つかうまつりし中に、 さて行幸(みゆき)に、あまたの題ありて、やまと歌つかうまつりし中(なか)に、
「猿叫峡(猿、峡ニ叫ブ)、躬恒」、 「猿叫峡(さるかひにさけぶ)」、躬恒(みつね)、
   
♪67
わびしらに
 ましらな鳴きそ
 あしひきの
 山のかひある
 今日にやはあらぬ
 
わびしらに
 ましらななきそ
 あしひきの
 山のかひある
 今日にやはらぬ
   
 その日の序代は、やがて貫之のぬしこそはつかうまつり給ひしか。 その日の序代(じよだい)は、やがて貫之(つらゆき)のぬしこそはつかうまつりたまひしか。
   
   
   
 さてまた、朱雀院も優におはしますとこそはいはれさせ給ひしかども、将門が乱など出できて、怖れ過ごさせおはしまししほどに、やがてかはらせ給ひにしぞかし。 さてまた、朱雀院(すざくゐん)も優(いう)におはしますとこそはいはれさせたまひしかども、将門(まさかど)が乱(みだれ)など出できて、怖(おそ)れ過ごさせおはしまししはどに、やがてかはらせたまひにしぞかし。
そのほどのことこそ、いとあやしう侍りけれ。 そのほどのことこそ、いとあやしう侍りけれ。
母后の御もとに行幸せさせ給へりしを、 母后(ははきさき)の御もとに行幸せさせたまへりしを、
「かかる御有様の思ふやうにめでたく嬉しきこと」 「かかる御有様の思ふやうにめでたくうれしきこと」
など秦せさせ給ひて、 など秦(そう)せさせたまひて、
「いまは、東宮ぞかくて見聞えまほしき」 「いまは、東宮(とうぐう)ぞかくて見きこえまほしき」
と申させ給ひけるを、心もとなく急ぎ思し召しける事にこそありけれとて、ほどもなく譲り聞えさせ給ひけるに、后の宮は、 と申させたまひけるを、心もとなく急ぎ思(おぼ)し召(め)しけることにこそありけれとて、ほどもなく譲(ゆづ)りきこえさせたまひけるに、后(きさき)の宮(みや)は、
「さも思ひても申さざりし事を。 「さも思ひても申さざりしことを。
ただ行く末のことをこそ思ひしか」 ただゆく末のことをこそ思ひしか」
とて、いみじう嘆かせ給ひげり。 とて、いみじう嘆かせたまひげり。
   
 さて、おりさせ給ひて後、人々の嘆きけるを御覧じて、院より后の宮に聞えさせ給へりし、国譲りの日、  さて、おりさせたまひて後(のち)、人々の嘆きけるを御覧(ごらん)じて、院(ゐん)より后の宮に聞(きこ)えさせたまへりし、国譲(くにゆづ)りの日、
   
♪68
日のひかり
 出でそふ今日の
 しぐるるは
 いづれの方の
 山辺なるらむ
 
日のひかり
 出でそふ今日の
 しぐるるは
 いづれの方の
 山辺なるらむ
   
 后の宮の御返し、 后の宮の御返し、
   
♪69
白雲の
 おりゐる方や
 しぐるらむ
 おなじみ山の
 ゆかりながらに
 
白雲(しらくも)の
 おりゐる方(かた)や
 しぐるらむ
 おなじみ山の
 ゆかりながらに
   
 などぞ聞え侍りし。 などぞ聞えはべりし。
院は数月、綾綺殿にこそおはしまししか。 院は数月(つきごろ)、綾綺殿(りようきでん)にこそおはしまししか。
後は少し悔い思し召すことありて、位にかへりつかせ給ふべき御祈などせさせ給ひげりとあるは、まことにや。 後(のち)は少し悔(く)い思し召すことありて、位にかへりつかせたまふべき御祈(いのり)などせさせたまひげりとあるは、まことにや。
御心いとなまめかしうもおはしましし。 御心(みこころ)いとなまめかしうもおはしましし。
御心地おもくならせ給ひて、太皇太后官の幼くおはしますを見奉らせ給ひて、いみじうしほたれおはしましけり。 御心地(ここち)おもくならせたまひて、太皇太后官の幼くおはしますを見たてまつらせたまひて、いみじうしはたれおはしましけり。
   
♪70
くれ竹の
 わが世はことに
 なりぬとも
 ねは絶えせずぞ
 なほなかるべき
 
くれ竹の
 わが世はことに
 なりぬとも
 ねは絶えせずぞ
 なほなかるべき
   
 まことにこそかなしくあはれに承りしか。 まことにこそかなしくあはれにうけたまはりしか。
   
   
   
 村上の帝、はた申すべきならず。  村上(むらかみ)の帝(みかど)、はた申すべきならず。
「なつかしうなまめきたる方は、延喜にはまさり申させ給へり」 「なつかしうなまめきたる方(かた)は、延喜(えんぎ)にはまさりまうさせたまへり」
とこそ、人申すめかりしか。 とこそ、人申すめかりしか。
「われをば人はいかがいふ」 「われをば人はいかがいふ」
など、人に問はませ給ひけるに、 など、人に問はませたまひけるに、
「『ゆるになんおはします』と、世には申す」 「『ゆるになんおはします』と、世には申す」
と奏しければ、 と奏(そう)しければ、
「さてはほむるなんなり。 「さてはほむるなんなり。
王のきびしうなりなば、世の人いかが堪へむ」 王(きみ)のきびしうなりなば、世の人いかが堪(た)へむ」
とこそ仰せられけれ。 とこそ仰(おほ)せられけれ。
   
   
   
 いとをかしうあはれに侍りし事は、この天暦の御時に、清涼殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせ給ひしに、なにがしぬしの蔵人にていますがりし時、承りて、  いとをかしうあはれに侍りしことは、この天暦(てんりやく)の御時に、清涼殿(せいりようでん)の御前(おまへ)の梅の木の枯れたりしかば、求めさせたまひしに、なにがしぬしの蔵人(くらうど)にていますがりし時、うけたまはりて、
「若き者どもはえ見知らじ。 「若き者どもはえ見知らじ。
きむぢ求めよ」 きむぢ求めよ」
と宣ひしかば、一京まかり歩きしかども、侍らざりしに、西京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の、様体うつくしきが侍りしを、掘りとりしかば、家あるじの、 とのたまいしかば、一京(ひときやう)まかり歩(あり)きしかども、侍らざりしに、西京(にしきやう)のそこそこなる家に、色濃(いろこ)く咲きたる木の、様体(やうだい)うつくしきが侍りしを、掘りとりしかば、家あるじの、
「木にこれ結ひつけて持て参れ」 「木にこれ結(ゆ)ひつけて持(も)てまゐれ」
といはせ給ひしかば、あるやうこそはとて、持て参りて候ひしを、 といはせたまひしかば、あるやうこそはとて、持てまゐりてさぶらひしを、
「なにぞ」 「なにぞ」
とて御覧じければ、女の手にて書きて侍りける。 とて御覧(ごらん)じければ、女の手にて書きて侍りける。
   
♪71
勅なれば
 いともかしこし
 うぐいすの
 宿はと問はば
 いかが答へむ
 
勅(ちよく)なれば
 いともかしこし
 うぐいすの
 宿はと問はば
 いかが答へむ
   
 とありけるに、あやしく思し召して、 とありけるに、あやしく思(おぼ)し召(め)して、
「何者の家ぞ」 「何者(なにもの)の家ぞ」
とたづねさせ給ひければ、貫之のぬしの御女の住む所なりけり。 とたづねさせたまひければ、貫之(つらゆき)のぬしの御女(みむすめ)の住む所なりけり。
「遺恨わざをもしたりけるかな」 「遺恨(ゐこん)わざをもしたりけるかな」
とて、あまえおはしましける。 とて、あまえおはしましける。
重木今生の辱号は、これや侍りけむ。 重木(しげき)今生(こんじやう)の辱号(ぞくがう)は、これや侍りけむ。
さるは、 さるは、
「思ふやうなる木持て参りたり」 「思ふやうなる木持てまゐりたり」
とて、衣かづけられたりしも、辛くなりにき。 とて、衣(きぬ)かづけられたりしも、辛(から)くなりにき」
 とて、こまやかに笑ふ。 とて、こまやかに笑ふ。
   
   
   
重木また、  重木、また、
〔重木〕いとせちにやさしく思ひ給へしことは、この同じ御時の事なり。 「いとせちにやさしく思ひたまへしことは、この同じ御時のことなり。
承香殿の女御と申ししは、斎宮の女御よ。 承香殿(しようきやうでん)の女御(にようご)と申ししは、斎宮(さいぐう)の女御よ。
「帝久しくわたらせ給はざりける秋の夕暮に、琴をいとめでたく弾き給ひければ、急ぎわたらせ給ひて、御かたはらにおはしましけれど、人やあるとも思したらで、せめて弾き給ふを、聞こし召せば、 「帝(みかど)ひさしくわたらせたまはざりける秋の夕暮(ゆうぐれ)に、琴(こと)をいとめでたく弾(ひ)きたまひければ、急ぎわたらせたまひて、御かたはらにおはしましけれど、人やあるとも思(おぼ)したらで、せめて弾きたまふを、聞(きこ)し召(め)せば、
   
♪72
秋の日の
 あやしきほどの
 夕暮に
 荻吹く風の
 おとぞ聞ゆる
 
秋の日の
 あやしきほどの
 夕暮に
 荻(おぎ)吹く風の
 おとぞきこゆる
   
 と弾きたりしほどこせちなりしか」 と弾きたりしほどこせちなりしか」
と御集に侍るこそ、いみじう候へ。 と御集(ぎよしふ)に侍るこそ、いみじうさぶらへ」
 といふは、あまりかたじけなしやな。 といふは、あまりかたじけなしやな。
   
   [一七二]
 薬樹の妻・世次の妻・良琴衆樹ら
   
ある人、 ある人、
〔人〕城外やし給へりし。 「城外(じやうぐわい)やしたまへりし」
 と言へば、 といへば、
〔重木〕遠国にはまからず。 重木「遠国(おんごく)にはまからず。
和泉国にこそ、貫之のぬしの御任に下りて侍りしか。 和泉国(いづみのくに)にこそ、貫之(つらゆき)のぬしの御任(ごにん)に下(くだ)りて侍りしか。
「ありとはしをば思ふべしやは」 「ありとはしをば思ふべしやは」
と、よまれしたびの供にも候ひき。 と、よまれしたびの供(とも)にもさぶらひき。
雨の降りしさま。 雨の降りしさま」
 など語りしこそ、古草子にあるを見るは、ほど経たる心地し侍りしに、昔にあひにたる心地して、をかしかりしか。 など語りしこそ、古草子(ふるざうし)にあるを見るは、ほど経たる心地しはべりしに、昔にあひにたる心地して、をかしかりしか。
   
この侍もいみじう興じて、  この侍(さぶらひ)もいみじう興じて、
〔侍〕重木が女どもこそ、いま少しこまやかなる事どもは語られめ。 「重木が女(め)どもこそ、いま少しこまやかなることどもは語られめ」
 と言へば、 といへば、
〔妻〕われは京人にも侍らず、高き宮仕へなどもし侍らず。 妻「われは京人(きやうびと)にも侍らず、高き宮仕(みやづかへ)へなどもしはべらず。
若くより、この翁に添ひ候ひにしかば、はかばかしき事をも見給へぬものをは。 若くより、この翁に添ひさぶらひにしかば、はかばかしきことをも見た率へぬものをは」
 といらふれば、 といらふれば、
〔侍〕いづれの国の人ぞ。 侍「いづれの国の人ぞ」
 と問ふ。 と間ふ。
〔妻〕陸奥国安積の沼にぞ侍りし。 妻「陸奥国安積(みちのくにあさか)の沼にぞ侍りし」
 と言へば、 といへば、
〔侍〕いかで京には来しぞ。 侍「いかで京には来(こ)しぞ」
 と間へば、 と間へば、
〔妻〕その人とは、え知り奉らず、歌詠み給ひし北の方おはせし守の御任にぞ、上り侍りし。 妻「その人とは、え知りたてまつらず、歌よみたまひし北(きた)の方(かた)おはせし守(かみ)の御任にぞ、上(のぼ)りはべりし」
 といふに、中務の君にこそと聞くもをかしくなりぬ。 といふに、中務(なかつかさ)の君(きみ)にこそと聞くもをかしくなりぬ。
〔侍〕いといたき事かな。 侍「いといたきことかな。
北の方をば誰とか聞えし。 北の方をば誰(たれ)とか聞(きこ)えし。
よみ給ひけむ歌は覚ゆや。 よみたまひげむ歌は覚ゆや」
 と言へば、 といへば、
〔妻〕その方に心も得で、覚え侍らず。 妻「その方(かた)に心も得で、覚えはべらず。
ただ上り給ひしに、逢坂の関におはして、よみ給へりし歌こそ、ところどころ覚え侍れ。 ただ上りたまひしに、逢坂(あふさか)の関(せき)におはして、よみたまへりし歌こそ、ところどころ覚えはべれ」
とて、 とて、
   
♪73
都には
 待つらむものを
 逢坂の
 関まで来ぬと
 告げややらまし

都(みやこ)には
 待つらむものを
 逢坂の
 関まで来(き)ぬと
 告(つ)げややらまし
   
 など、たどたどしげに語るさま、まことに男にたとしへなし。 など、たどたどしげに語るさま、まことに男(をとこ)にたとしへなし。
   
重木、 重木、
〔重木〕この人をば人と覚えずかとよ。 「この人をば人と覚えずかとよ。
さやうの方は覚ゆらむものぞ。 さやうの方(かた)は覚ゆらむものぞ。
世間だましひはしも、いとかしこく侍るをとり所にて、え去りがたく思ひ給ふるなり。 世間(せけん)だましひはしも、いとかしこく侍るをとり所にて、え去りがたく思ひたまふるなり」
 といふに、世次、  といふに、世次(よつぎ)、
〔世次〕いで、この翁の女人こそ、いとかしこくものは覚え侍れ。 「いで、この翁(おきな)の女人(をんなびと)こそ、いとかしこくものは覚えはべれ。
いまひとめぐりがこのかみに候へば、見給へぬほどのことなども、あれは知りて侍るめり。  いまひとめぐりがこのかみにさぶらへば、見たまへぬほどのことなども、あれは知りて侍るめり。
染殿の后の宮のすましに侍りけり。 染殿(そめどの)の后(きさい)の宮(みや)の洗(すま)しに侍りけり。
母も上の刀自にて仕うまつりければ、幼くより参り通ひて、忠仁公をも見奉りけり。 母も上(かん)の刀自にて仕うまつりければ、幼くよりまゐり通ひて、忠仁公(ちゆうじんこう)をも見たてまつりけり。
童部がたちのほどの、いとものぎたなうも候はざりけるにや、やむごとなき君達も御覧じいれて、兼輔の中納言、良峯衆樹の宰相の御文なども持ちて侍るめり。 童部(わらはべ)がたちのほどの、いとものぎたなうもさぶらはざりけるにや、やむごとなき君達(きんだち)も御覧じいれて、兼輔(かねすけ)の中納言・良峯衆樹(よしみねもろのき)の宰相(さいしやう)の御文(ふみ)なども持ちて侍るめり。
中納言はみちのくにがみに書かれ、宰相のは胡桃色にてぞ侍るめる。 中納言はみちのくにがみに書かれ、宰相のは胡桃色(くるみいろ)にてぞ侍るめる。
   
 この宰相ぞかし、五十までさせることなく、おぼやけに捨てられたるやうにていますがりけるが、八幡に参りたうびたるに、雨いみじう降る石清水の坂登りわづらひつつ参り給へるに、御前の橘の木の少し枯れて侍りけるに立ち寄りて、  この宰相ぞかし、五十までさせることなく、おぼやけに捨てられたるやうにていますがりけるが、八幡(やはた)にまゐりたうび たるに、雨いみじう降る石清水(いはしみづ)の坂登りわづらひつつまゐりたまへるに、御前の橘(たちばな)の木の少し枯れて侍りけるに立ち寄りて、
   
♪74
ちはやぶる
 神の御前の
 橘も
 もろきもともに
 老いにけるかな
 
ちはやぶる
 神の御前の
 橘も
 もろきもともに
 老いにけるかな
   
 とよみ給へば、神聞き、あはれびさせ給ひて、橘も栄え、宰相も思ひかけず頭になり給ふとこそは承りしか。  とよみたまへは、神聞き、あはれびさせたまひて、橘も栄え、宰相も思ひかけず頭(とう)になりたまふとこそはうけたまはりし
 と言へば、侍、 といへば、侍(さぶらひ)、
〔侍〕賀茂の御前にとかや、はるかの世の物語に童べ申し侍るめるは。 「賀茂(かも)の御前(おまへ)にとかや、はるかの世の物語(ものがたり)にわらはべ申しはべるめるは」
 といらふれば、 といらふれば、
〔世次〕さもや侍りけむ。 世次「さもや侍りけむ。
ほど経て僻事も申し侍らむ。 ほど経て僻事(ひがごと)も申しはべらむ。
宰相をば見たいまつりしかど、人となりてこそ尋ね承れ。 宰相をば見たいまつりしかど、人となりてこそ尋ねうけたまはれ」
 といらふ。 といらふ。
侍、 侍、
〔侍〕そはさなり。 「そはさなり。
その宰相は、五十六にて宰相になり、左近中将かけていませしか。 その宰相は、五十六にて宰相になり、左近中将(さこんのちゆうじやう)かけていませしか」
〔世次〕その折はなにともおほえ侍らざりしかど、この頃思ひ出で侍れば、見苦しかりけることかなと思ひ侍る。  世次「その折はなにともおほえはべらざりしかど、この頃(ごろ)思ひ出ではべれば、見ぐるしかりけることかなと思ひはべる」
 この侍、 この侍、
〔侍〕いかでさる有識をば、ものげなきわかうどにてはとりこめられしぞ。 「いかでさる有識(いうそく)をば、ものげなきわかうどにてはとりこめられしぞ」
 と問へば、 と間へば、
〔世次〕さればこそ。 世次「さればこそ。
さやうに好き惚き候ひしものの、心にもあらず、世次が家にはまうで来よりては、恥にして、いかばかりのいさかひ侍りしかど、さばかりにこかけそめて、あからめせさせ侍りなむや。 さやうに好き惚(ほ)きさぶらひしものの、心にもあらず、世次が家にはまうで来(き)よりては、恥(はぢ)にして、いかばかりのいさかひはべりしかど、さばかりにこかけそめて、あからめせさせはべりなむや。
さるほどに、ゐつき候ひては、翁をまた一夜もほかめせさせ侍らぬをや。 さるほどに、ゐつきさぶらひては、翁(おきな)をまた一夜(ひとよ)もほかめせさせはべらぬをや」
 と、ほほゑみたる口つき、いとをこがまし。 と、ほほゑみたる口つき、いとをこがまし。
〔世次〕また、この女どもも、世次も、しかるべきにて侍りけるぞ。  世次「また、この女どもも、世次も、しかるべきにて侍りけるぞ。
かの女、二百歳ばかりになりにて侍り。 かの女、二百歳ばかりになりにてはべり。
兼輔の中納言、衆樹の宰相も、今まであとかはねだにいませず、いかがし侍らまし。 兼輔の中納言・衆樹(もろき)の宰相(さうしやう)も、今まであとかはねだにいませず、いかがしはべらまし。
世次も、今様の若き女ども、さらに語らはれ侍らじ。 世次も、今様(いまよう)の若き女ども、さらに語らはれはべらじ」
 と言へば、 といへば、
〔重木〕かかる命長の生きあはず侍らましかば、いと悪しく侍らまし。 重木「かかる命長(いのちなが)の生きあはず侍らましかば、いとあしく侍らまし」
 とて、こころよく笑ふ。 とて、こころよく笑ふ。
げにと聞えてをかしくもあり、語るも現の事ともおぼえず。 げにと聞えてをかしくもあり、語るも現(うつつ)のことともおぼえず。
   
   
   
〔世次〕あはれ、今日具して侍らましかば、女房たちの御耳に、いま少しとどまる事どもは、聞かせ給へてまし。 世次「あはれ、今日具(ぐ)して侍らましかば、女房(にようぼう)たちの御耳に、いま少しとどまることどもは、聞かせたまへてまし。
私の頼む人にては、兵衛内侍の御親をぞし侍りしかば、内侍のもとへは、時々まかるめりき。 私(わたくし)の頼(たの)む人に ては、兵衛内侍(ひやうゑのないし)の御親をぞしはべりしかば、内侍のもとへは、時々まかるめりき」
 といふに、 といふに、
「とは誰にか」 「とは誰(たれ)にか」
といふ人ありければ、 といふ人ありければ、
〔世次〕いで、この高名の琵琶ひき。 世次「いで、この高名(かうみやう)の琵琶(びは)ひき。
相撲の節に玄上給はりて、御前にて「青海波」つかうまつられたりしは、いみじかりしものかな。 相撲(すまひ)の節(せち)に玄上(げんじやう)たまはりて、御前(おまへ)にて「青海波(せいがいは)」つかうまつられたりしは、いみじかりしものかな。
博雅の三位などだにおぼろげにはえ鳴らし給はざりけるに、これは承明門まで聞え侍りしかば、左の楽屋にまかりて、承りしぞかし。 博雅(はくが)の三位(さんみ)などだにおぼろげにはえ鳴らしたまはざりけるに、これは承明門(しようめいもん)まで聞えはべりしかば、左(ひだり)の楽屋(がくや)にまかりて、うけたまはりしぞかし。
   
 かやうにもののはえ、うべうべしき事どもも、天暦の御時までなり。  かやうにもののはえ、うべうべしきことどもも、天暦(てんりやく)の御時までなり。
冷泉院の御世になりてこそ、さはいへども、世は暗れふたがりたる心地せしものかな。 冷泉院(れいぜいゐん)の御世(みよ)になりてこそ、さはいへども、世は暗れふたがりたる心地せしものかな。
世のおとろふる事も、その御時よりなり。 世のおとろふることも、その御時よりなり。
小野宮殿も、一の人と申せど、よそ人にならせ給ひて、若くはなやかなる御舅達にまかせ奉らせ給ひ、また帝は申すべきならず。 小野宮殿(おののみやどの)も、一(いち)の人と申せど、よそ人にならせたまひて、若くはなやかなる御舅(をぢ)たちにまかせたてまつらせたまひ、また帝(みかど)は申すべきならず。
   
 あはれに候ひける事は、村上失せおはしまして、またの年、小野宮に人々参り給ひて、いと臨時客などはなけれど、嘉辰令月しなどうち誦ぜさせ給ふついでに、一条の左大臣、六条殿など拍子とりて、  あはれにさぶらひけることは、村上うせおはしまして、またの年、小野宮(をののみや)に人々まゐりたまひて、いと臨時客(りんじきやく)などはなけれど、「嘉辰令月(かしんれいげつ)しなどうち誦(ずん)ぜさせたまふついでに、一条(いちでう)の左大臣・六条殿(ろくでうどの)など拍子(はうし)とりて、
「席田」 「席田(むしろだ)」
うち出でさせ給ひけるに、 うち出でさせたまひけるに、
「あはれ、先帝のおはしまさましかば」 「あはれ、先帝(せんだい)のおはしまさましかば」
とて、御笏もうち置きつつ、あるじ殿をはじめ奉りて、事忌もせさせ給はず、上の御衣どもの袖濡れさせ給ひにけり。 とて、御笏(しやく)もうち置きつつ、あるじ殿(との)をはじめたてまつりて、事忌(こといみ)もせさせたまはず、上(うへ)の御衣(おんぞ)どもの袖濡(そでぬ)れさせたまひにけり。
さることなりや。 さることなりや。
何事も、聞き知り見分く人のあるはかひあり、なきはいと口惜しきわざなり。 何事(なにごと)も、聞き知り見分(みわ)く人のあるはかひあり、なきはいと口惜(くちを)しきわざなり。
今日かかることども申すも、わ殿の聞きわかせ給へは、いとどいま少しも申さまほしきなり。 今日かかることども申すも、わ殿(どの)の聞きわかせたまへは、いとどいま少しも申さまほしきなり」
 と言へば、侍もあまえたりき。 といへは、侍(さぶらひ)もあまえたりき。
   
   
   
〔世次〕藤氏の御事をのみ申し侍るに、源氏の御事もめづらしう申し侍らむ。  世次「藤氏(とうし)の御ことをのみ申しはべるに、源氏(げんじ)の御こともめづらしう申しはべらむ。
この一条殿、六条の左大臣殿たちは、六条の一品式部卿の宮の御子どもにおはしまさふ。 この一条殿・六条の左大臣殿たちは、六条の一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)の宮(みや)の御子(みこ)どもにおはしまさふ。
寛平の御孫なりとばかりは申しながら、人の御有様、有識におはしまして、いづれをも村上の帝ときめかし申させ給ひしに、いま少し六条殿をば愛し申させ給へりけり。 寛平(くわんぴよう)の御孫(まご)なりとばかりは申しながら、人の御有様、有識(いくそく)におはしまして、いづれをも村上の帝(みかど)ときめかしまうさせたまひしに、いま少し六条殿をば愛しまうさせたまへりけり。
兄殿は、いとあまりうるはしく、公事よりほかのこと、他分には申させ給はで、ゆるぎたる所のおはしまさざりしなり。 兄殿(あにどの)は、いとあまりうるはしく、公事(おほやけごと)よりほかのこと、他分(たぶん)には申させたまはで、ゆるぎたる所のおはしまさざりしなり。
弟殿は、みそかごとは無才にぞおはしまししかど、若らかに愛敬づき、なつかしき方はまさらせ給ひしかばなめりとぞ、人申しし。 弟殿(おととどの)は、みそかごとは無才(むざえ)にぞおはしまししかど、若らかに愛敬(あいぎやう)づき、なつかしき方はまさらせたまひしかばなめりとぞ、人申しし。
父宮は出家せさせ給ひて、仁和寺におはしまししかば、六条殿、修理大夫にておはしまししほどなれば、仁和寺へ参らせ給ふゆき帰りの道を、一度は、東の大宮より上らせ給ひて、一条より西ざまにおはしまし、また一度は、西の大宮より下らせ給ひて、二条より東ざまなどに過ぎさせ給ひつつ、内裏を御覧じて、破れたる所あれば、修理せさせ給ひげり。 父宮(ちちみや)は出家(すけ)せさせたまひて、仁和寺(にんなじ)におはしまししかば、六条殿、修理大夫(すりのかみ)にておはしまししほどなれば、仁和寺へまゐらせたまふゆき帰りの道を、一度(ひとたび)は、東(ひんがし)の大宮(おほみや)より上(のぼ)らせたまひて、一条より西ざまにおはしまし、また一度は、西の大宮より下(くだ)らせたまひて、二条より東(ひんがし)ざまなどに過ぎさせたまひつつ、内裏(だいり)を御覧(ごらん)じて、破れたる所あれば、修理(すり)せさせたまひげり。
いと手ききたる御心ばへなりな。 いと手ききたる御心(こころ)ばへなりな。
   
また、一条殿の仰せられけるは、  また、一条殿の仰(おほ)せられけるは、
「親王たちのなかにて、世の案内も知らず、たづきなかりしかば、さるべき公事の折は、人より先に参り、こと果てても、最末にまかり出でなどして、見習ひしなり」 「親王(みこ)たちのなかにて、世の案内(あない)も知らず・だづきなかりしかば・さるべき公事(くじ)の折は、人より先にまゐり、こと果(は)てても、最末(いとすゑ)にまかり出でなどして、見習ひしなり」
とぞ宣はせける。 とそのたまはせける。
八幡の放生会には、御馬奉らせ給ひしを、御使などにも浄衣を給はせ、御みづからも清らせ給ひしかばにや、御前近き木に山鳩のかならず居て、ひき出づる折に飛び立ちければ、かひありと、よるこび興ぜさせ給ひげり。 八幡(やはた)の放生会(はうじやうゑ)には・御馬奉らせたまひしを・御使(つかひ)などにも浄衣(じやうえ)をたまはせ、御みずからも清(きよ)らせたまひしかばにや、御前(おまへ)近き木に山鳩(やまばと)のかならず居て、ひき出づる折に飛び立ちければ、かひありと、よるこび興(きよう)ぜさせたまひげり。
御心いとうるはしくおはします人の、信をいたさせ給ひしかば、大菩薩のうけ申させ給へりけるにこそ。 御心(みこころ)いとうるはしくおはします人の、信(しん)をいたさせたまひしかば、大菩薩(だいぼさつ)のうけまうさせたまへりけるにこそ。
ひととせの旱の御祈にこそ、東三条殿の御賀茂詣せさせ給ひしには、この一条殿も参らせ給ひき。 ひととせの旱(ひでり)の御祈(いのり)にこそ、東三条殿(とうさんでうどの)の御賀茂詣(かもまうで)せさせたまひしには、この一条殿もまゐらせたまひき。
大臣にならせ給ひぬれば、さる例なけれども、天下の大事なりとて、御出立ちの所にはおはしまさで、わが御殿の前わたらせ給ひしほどに、引き出でて具し申させ給ひしなり。 大臣にならせたまひぬれは、さる例(れい)なけれども、天下の大事(だいじ)なりとて、御出立(いでた)ちの所にはおはしまさで、わが御殿(ごてん)の前わたらせたまひしほどに、引き出でて具(ぐ)しまうさせたまひしなり。
この生には御数珠とらせ給ふ事はなくてただ毎日、 この生には御数珠(ずず)とらせたまふことはなくてただ毎日、
「南無八幡大菩薩、南無金峯山金剛蔵王、南無大般若波羅蜜多心経」 「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)、南無金峯山金剛蔵王(きんぶさんこんがざわう)、南無大般若波羅蜜多心経(だいはんにやはらみたしんぎやう)」
と、冬の御扇を数にとりて、一百遍づつぞ念じ申させ給ひける。 と、冬の御扇(あふぎ)を数(かず)にとりて、一百遍(いちひやくへん)づつぞ念(ねん)じ申させたまひける。
それよりほかの御勤せさせ給はず。 それよりほかの御勤(つとめ)せさせたまはず。
四条の大后の宮に、かくなむと申す人のありければ、聞かせ給ひて、 四条(しでう)の大后(おほきさい)の宮(みや)に、かくなむと申す人のありければ、聞かせたまひて、
「なつかしからぬ御本尊かな」 「なつかしからぬ御本尊(ごほんぞん)かな」
とぞ仰せられける。 とぞ仰(おほ)せられ 
 この殿こそ、 この殿(との)こそ、
「荒田に生ふる」 「荒田(あらた)に生(お)ふる」
をば、なべてのやうには謡ひ変へさせ給ひけれ。 をば、なべてのやうには謡(うた)ひ変へさせたまひけれ。
一条院の御時、臨時の祭の御前のこと果てて、上達部たちの物見に出で給ひしに、外記の隅のほど過ぎさせ給ふとて、わざとはなく、口ずさみのやうに謡はせ給ひしが、なかなか優におぼえ侍りし。 一条院(いちでういん)の御時、臨時の祭の御前(おまへ)のこと果てて、上達部たちの物見(ものみ)に出でたまひしに、外記(げき)の隅(すみ)のほど過ぎさせたまふとて、わざとはなく、口ずさみのやうに謡はせたまひしが、なかなか優(いう)におぼえはべりし。
「富草の花、手に摘みいれて、宮へ参らむ」 「富草(とみくさ)の花、手に摘(つ)みいれて、宮へまゐらむ」
のほどを、例には変はりたるやうに承りしかば、遠きほどに、老の僻耳にこそはと思ひ給へしを、この按察大納言殿もしか宣はせける。 のほどを、例(れい)には変りたるやうにうけたまはりしかば、遠きほどに、老(おい)の僻耳(ひがみみ)にこそはと思ひたまへしを、この按察大納言殿(あぜちだいなごんどの)もしかのたまはせける。
「殿上人にてありしかば、遠くて、よくも聞かざりき。 「殿上人(てんじやうびと)にてありしかば、遠くて、よくも聞かざりき。
変りたりしやうの、めづらしう、さまかはりておぼえしは、あの殿の御事なりしかばにや。 変りたりしやうの、めづらしう、さまかはりておぼえしは、あの殿(との)の御ことなりしかばにや。
またも聞かまほしかりしかども、さもなくてやみにしこそ、今に口惜しくおぼゆれ」 またも聞かまほしかりしかども、さもなくてやみにしこそ、今に口惜(くちお)しくおぼゆれ」
とこそ宣ふなれ。 とこそのたまふなれ。
   
 このおほい殿達の御弟の大納言、優におはしましき。  このおほい殿(どの)たちの御弟(おとと)の大納言、優(いう)におはしましき。
大方六条の宮の御子どもの、皆めでたくおはしまさひしなり。 おほかた六条の宮の御子(みこ)どもの、皆めでたくおはしまさひしなり。
御法師子は、広沢の僧正、勧修寺の僧正二所こそはおはしまししか。 御法師子(ほふしご)は、広沢(ひろさか)の僧正(そうじやう)・勧修寺(くわんしゆうじ)の僧正二所(ふたところ)こそはおはしまししか。
大方そのほどには、方々につけつつ、いみじき人々のおはしまししものをや。 おほかたそのほどには、かたがたにつけつつ、いみじき人々のおはしまししものをや」
 と言へば、 といへは、
〔侍〕この頃もさやうの人はおはしまさずやはある。 「この頃(ごろ)もさやうの人はおはしまさずやはある」
 と、侍のいへば、 と、侍(さぶらひ)のいへば、
〔世次〕この四人の大納言たちよな。 世次「この四人の大納言たちよな。
斉信、公任、行成、俊賢など申す君達は、またさらなり。 斉信(ただのぶ)・公任(きんたふ)・行成(ゆきなり)・俊賢(としかた)など申す君達(きんだち)は、またさらなり。
   
   
   
さてまた、多くの見物し侍りし中にも、花山院の御時の石清水の臨時の祭、円融院の御覧ぜしばかり、興あること候はざりき。 さてまた、多くの見物(みもの)しはべりし中(なか)にも、花山院(くわさんゐん)の御時の石清水(いはしみづ)の臨時の祭、円融院(ゑんゆうゐん)の御覧(ごらん)ぜしばかり、興(きよう)あることさぶらはざりき。
その折の蔵人頭にては、今の小野宮の右大臣殿ぞおはしましし。 その折の蔵人頭(くらうどのとう)にては、今の小野宮(をののみや)の右大臣殿ぞおはしましし。
御前のこと果てけるままに、院はつれづれにおはしますらむかしと思し召して、参らせ給へりければ、さるべき人も候ひ給はざりけり。 御前(おまへ)のこと果(は)てけるままに、院はつれづれにおはしますらむかしと思(おぼ)し召(め)して、まゐらせたまへりければ、さるべき人もさぶらひたまはざりけり。
蔵人、判官代ばかりして、いといとさうざうしげにておはします。 蔵人・判官代(はうぐわんだい)ばかりして、いといとさうざうしげにておはします。
かく参らせ給へるを、いと時よう思し召したる御けしきを、いとあはれに心ぐるしう見参らせさせ給ひて、 かくまゐらせたまへるを、いと時よう思し召したる御けしきを、いとあはれに心ぐるしう見まゐらせさせたまひて、
「もの御覧ぜよ」 「もの御覧ぜよ 」
など、御けしき給はらせ給へば、 など、御けしきたまはらせたまへば、
「にはかにはいかがあるべからむ」 「にはかにはいかがあるべからむ」
と仰せられけるを、 と仰(おほ)せられけるを、
「かくて実資候へば、また、殿上に候ふ男どもばかりにてあへ侍りなむ」 「かくて実資(さねすけ)さぶらへば、また、殿上(てんじやう)にさぶらふ男(をのこ)どもばかりにてあへはべりなむ」
とそそのかし申させ給ふ。 とそそのかし申させたまふ。
   
御厩の御馬ども召して、候ひし限り、御前仕まつり、頭中将は束帯ながら参り給ふ。 御厩(みまや)の御馬ども召して、さぶらひしかぎり、御前仕(ごぜんつか)まつり、頭中将(とうちゆうじやう)は束帯(そくたい)ながらまゐりたまふ。
堀河院なれば、ほど近く出でさせ給ふに、物見車ども二条大宮の辻に立ちかたまりて見るに、布衣、衣冠なる御前したる車の、いみじく人払ひ、なべてならぬ勢なる来れは、誰ばかりならむとあやしく思ひあへるに、頭中将、下襲の尻はさみて、移置きたる馬に乗りておはするに、院のおはしますなりけりと見て、車どもも、徒人も、てまどひし立ち騒ぎて、いとものさわがし。 堀河院(ほりかはのゐん)なれば、ほど近く出でさせたまふに、物見車(ものみぐるま)ども二条大宮(にでうおほみや)の辻(つじ)に立ちかたまりて見るに、布衣(ほい)・衣冠(いくわん)なる御前(ごぜん)したる車の、いみじく人払(はら)ひ、なべてならぬ勢(いきはひ)なる来(く)れは、誰(たれ)ばかりならむとあやしく思ひあへるに、頭中将(とうちゆうじやう)、下襲(したがさね)の尻(しり)はさみて、移置(うつしお)きたる馬に乗りておはするに、院のおはしますなりけりと見て、車どもも、徒人(かちびと)も、てまどひし立ち騒(さわ)ぎて、いとものさわがし。
二条よりは少し北によりて、冷泉院の築地づらに、御車立てつ。 二条(にでう)よりは少し北によりて、冷泉院(れいぜいゐん)の築地(ついひぢ)づらに、御車(みくるま)立てつ。
御前どもおりて候ひ並み給ふほどに、内より見物しに、引きつづき出で給ふ上達部たちの見給ふに、大路のいみじうののしれば、あやしくて、 御前(ごぜん)どもおりてさぶらひ並(な)みたまふほどに、内(うち)より見物(みもの)しに、引きつづき出でたまふ上達部(かんだちめ)たちの見たまふに、大路(おほち)のいみじうののしれば、あやしくて、
「何事ぞ」 「何事ぞ(なにごと)」
と問はせ給ふに、 と問はせたまふに、
「院のおはしますなり」 「院のおはしますなり」
と申しけるを、よにあらじと思すに、 と申しけるを、よにあらじと思(おぼ)すに、
「頭中将もおはします」 「頭中将もおはします」
といふにぞ、まことなりけりとおぼえつつ、御車よりいそぎおりつつ、皆参り給ひし。  といふにぞ、まことなりけりとおぼえつつ、御車(みくるま)よりいそぎおりつつ、皆まゐりたまひし。
大臣二人は、左右の御車の筒うち押へて立たせ給へり。 大臣二人は、左右(さう)の御車の筒(どう)うち押(おさ)へて立たせたまへり。
東三条殿、一条の左大臣殿よ。 東三条殿(とうさんでうどの)・一条(いちでう)の左大臣殿よ。
   
さて納言以下は、轅のこなたかなたに候ひ給ふ。 さて納言以下(なごんいげ)は、轅(ながえ)のこなたかなたにさぶらひたまふ。
なかなかうるはしからむ、ことの作法よりも、めでたく侍りしものかな。 なかなかうるはしからむ、ことの作法(さはふ)よりも、めでたく侍りしものかな。
舞人、陪従は皆乗りてわたるに、時中の源大納言の、いまだ大蔵卿と申しし折ぞ、使にておはせし、御車の前近く立ちとどまりて、 舞人(まひびと)・陪従(べいじゆう)は皆乗りてわたるに、時中(ときなか)の源大納言(げんだいなごん)の、いまだ大蔵卿(おほくらきやう)と申しし折ぞ、使(つかひ)にておはせし、御車の前近く立ちとどまりて、
「求子」 「求子(もとめご)」
を袖のけしきばかりつかまつり給ひて、つい居給ひしままに、御はた袖を顔におしあてて候ひ給ひしかば、香なる御扇をさし出させ給ひて、 を袖(そで)のけしきばかりつかまつりたまひて、つい居(ゐ)たまひしままに、御はた袖を顔におしあててさぶらひたまひしかば、香(かう)なる御扇(あふぎ)をさし出させたまひて、
「はやう」 「はやう」
とかかせ給ひしかばこそ、少しおし拭ひて立ち給ひしか。 とかかせたまひしかばこそ、少しおし拭(のご)ひて立ちたまひしか。
すべてさばかり優なる事また候ひなむや。 すべてさばかり優(いう)なることまたさぶらひなむや。
げにあはれなる事のさまなれば、人々も御けしきかはり、院の御前にも、少し涙ぐみおはしましけりとぞ、後に承りし。 げにあはれなることのさまなれば、人々も御けしきかはり、院(ゐん)の御前(おまへ)にも、少し涙ぐみおはしましけりとぞ、後(のち)にうけたまはりし。
神泉の丑寅の角の垣のうちにて見給へしなり。 神泉(しんせん)の丑寅(うしとら)の角(すみ)の垣(かき)のうちにて見たまへしなり。
   
 また、若く侍りし折も、仏法うとくて、世ののしる大法会ならぬには、まかりあふ事もなかりしに、まして年積りては、動きがたく候ひしかども、参河の入道の入唐の馬のはなむけの講師、清照法橋のせられし日こそ、まかりたりしか。  また、若く侍りし折も、仏法(ぶつぽう)うとくて、世ののしる大法会(だいほふゑ)ならぬには、まかりあふこともなかりしに、まして年積(としつも)りては、動きがたくさぶらひしかども、参河(みかは)の入道(にふだう)の入唐(につたう)の馬のはなむけの講師(こうじ)、清照法橋(せいせうほつけう)のせられし日こそ、まかりたりしか。
さばかり道心なき者の、はじめて心起こる事こそ候はざりしか。 さばかり道心(だうしん)なきものの、はじめて心起ることこそさぶらはざりしか。
まづは神分の心経、表白のたうびて、鐘打ち給へりしに、そこぼく集まりたりし万人、さとこそ泣きて侍りしか。 まづは神分(しんぶん)の心経(しんぎやう)・表白(へうびやく)のたうびて、鐘(かね)打ちたまへりしに、そこぼくあつまりたりし万人(ばんにん)、さとこそ泣きて侍りしか。
それは道理の事なり。 それは道理(だうり)のことなり。
   
 また、清範律師の、犬のために法事しける人の講師に請ぜられていくを、清照法橋、同じほどの説法者なれば、いかがすると聞きに、頭つつみて、誰ともなくて聴聞しければ、  また、清範律師(せいはんりし)の、犬(いぬ)のために法事(ほふぢ)しける人の講師に請(しやう)ぜられていくを、清照法橋、同じほどの説法者(せほふざ)なれば、いかがすると聞きに、頭(かしら)つつみて、誰(たれ)ともなくて聴聞(ちやうもん)しければ、
「ただ今や、過去聖霊は蓮台の上にてひよと吠え給ふらむ」 「ただいまや、過去聖霊(くわこしやうりやう)は蓮台(れんだい)の上にてひよと吠(ほ)えたまふらむ」
と宣ひければ、 とのたまひければ、
「さればよ。 「さればよ。
こと人、かく思ひよりなましや。 こと人、かく思ひよりなましや。
なは、かやうのたましひあることは、すぐれたる御房ぞかし」 なは、かやうのたましひあることは、すぐれたる御房(ごばう)ぞかし」
とこそほめ給ひけれ。 とこそほめたまひけれ。
まことに承りしに、をかしうこそ候ひしか。 まことにうけたまはりしに、をかしうこそさぶらひしか。
これはまた、聴聞衆ども、さざと笑ひてまかりにき。 これはまた、聴聞衆(ちやうもんしゆう)ども、さざと笑ひてまかりにき。
いと軽々なる往生人なりや。 いと軽々(きやうきやう)なる往生人(わうじやうにん)なりや。
また、無下のよしなしごとに侍れど、人のかどかどしく、たましひある事の興ありて、優におぼえ侍りしかばなり。 また、無下(むげ)のよしなしごとに侍れど、人のかどかどしく、たましひあることの興(きよう)ありて、優(いう)におぼえはべりしかばなり。
   
 法成寺の五大堂供養は、師走には侍らずやな。  法成寺(ほふじやうじ)の五大堂供養(ごだいだうくやう)は、師走(しはす)には侍らずやな。
きはめて寒かりし頃、百僧なりしかば、御堂の北の庇にこそは、題名僧の座はせられたりしか。 きはめて寒かりし頃(ころ)、百僧(ひやくそう)なりしかば、御堂(みだう)の北の庇(ひさし)にこそは、題名僧(だいみやうそう)の座(ざ)はせられたりしか。
その料にその御堂の庇はいれられたるなり。 その料(れう)にその御堂の庇はいれられたるなり。
わざとの僧膳はせさせ給はで、湯漬ばかり給ふ。 わざとの僧膳(そうぜん)はせさせたまはで、湯漬(ゆづけ)ばかりたまふ。
行事二人に、五十人づつ分たせ給ひて、僧の座せられたる御堂の南面に、鼎を立てて、湯をたぎらかしつつ、御ものを入れて、いみじう熱くて参らせ渡したるを、思ふにぬるくこそはあらめと、僧たち思ひて、ざふざふと参りたるに、はしたなき際に熱かりければ、北風はいと冷たきに、さばかりにはあらで、いとよく参りたる御房たちもいまさうじけり。 行事(ぎやうじ)二人に、五十人づつ分(わか)たせたまひて、僧の座せられたる御堂の南面(みなみおもて)に、鼎(かなへ)を立てて、湯をたぎらかしつつ、御(お)ものを入れて、いみじう熱くてまゐらせ渡したるを、思ふにぬるくこそはあらめと、僧たち思ひて、ざふざふとまゐりたるに、はしたなききはに熱かりければ、北風(きたかぜ)はいとつめたきに、さばかりにはあらで、いとよくまゐりたる御房たちもいまさうじけり。
後に、 後に、
「北向きの座にて、いかに寒かりけむ」 「北向きの座にて、いかに寒かりけむ」
など、殿の問はせ給ひければ、 など、殿(との)の問はせたまひければ、
「しかじか候ひしかば、こよなく暖まりて、寒さも忘れ侍りにき」 「しかじかさぶらひしかば、こよなく暖(あたたまりて)まりて、寒さも忘れはべりにき」
と申されければ、行事たちをいとよしと思し召されたりけり。 と申されければ、行事(ぎやうじ)たちをいとよしと思(おぼ)し召(め)されたりけり。
ぬるくて参りたりとも、別の勘当などあるべきにはあらねど、殿をはじめ奉りて、人にほめられ、ゆく末にも、 ぬるくてまゐりたりとも、別(べち)の勘当(かんだう)などあるべきにはあらねど、殿をはじめたてまつりて、人にほめられ、ゆく末にも、
「さこそありけれ」 「さこそありけれ」
といはれたうばむは、ただなるよりはあしからず、よき事ぞかし。 といはれたうばむは、ただなるよりはあしからず、よきことぞかし。
   
   
   
 いでまた、故女院の御賀に、この関白殿、  いでまた、故女院(にようゐん)の御賀に、この関白殿、
「陵王」、春宮大夫殿、 「陵王(りようわう)」、春宮大夫殿(とうぐうのだいぶどの)、
「納蘇利」舞はせ給へりしめでたさはいかにぞ。 「納蘇利(なつそり)」舞(ま)はせたまへりしめでたさはいかにぞ。
「陵王」はいと気高くあてに舞はせ給ひて、御禄給はらせ給ひて、舞ひすてて、知らぬさなにて入りらせ給ひぬる御うつくしさ、めでたさに、並ぶことあらじ、と見参らするに、 「陵王」はいと気高(けだか)くあてに舞はせたまひて、御禄(ろく)たまはらせたまひて、舞ひすてて、知らぬさなにて入りらせたまひぬる御うつくしさ、めでたさに、並(なら)ぶことあらじ、と見まゐらするに、
「納蘇利」のいとかしこく、また、かくこそはありけめと見えて舞はせ給ふに、御禄を、これはいとしたたかに御肩にひきかけさせ給ひて、今ひとかへり、えもいはず舞はせ給へりし興は、またかかるべかりけるわざかな、とこそおぼえ侍りしか。 「納蘇利」のいとかしこく、また、御禄を、これはいとしたたかに御肩(おほんかた)にひきかけさせたまひて、いまひとかへり、えもいはず舞はせたまへりし興(きよう)は、またかかるべかりけるわざかな、とこそおぼえはべりしか。
   
御師の、「陵王」は必ず御禄は捨てさせ給ひてむぞ、同じさまにせさせ給はむ、目馴れたるべければ、さまかへさせ奉りたるなりけり。 御師(おんし)の、「陵王」はかならず御禄は捨てさせたまひてむぞ、同じさまにせさせたまはむ、目馴(めな)れたるべければ、さまかへさせたてまつりたるなりけり。
   
心ばせまされりとこそはいはれ侍りしか。 心ばせまされりとこそはいはれはべりしか。
女院かうぶ給はせば、大夫殿をいみじくかなしがり申させ給へばとぞ。 女院かうぶたまはせば、大夫殿(だいぶどの)をいみじくかなしがりまさせたまはすめりしか。
陵王の御師は賜はらで、いとからかりけり。  
それにこそ、北の政所少しむづからせ給ひけれ。  
さて後にこそ賜はすめりしか。  
かたのやうに舞かせ給ふとも、悪しかるべき御年のほどにもおはしまさず、わろしと人の申すべきにも侍らざりしに、まことにこそ、二所ながら、この世の人とは見えさせ給はで、天童などの降り来たるとこそ見えさせ給ひしか。 かたのやうに舞かせたまふともあしかるべき御年のほどにもおはしまさず、わろしと人の申すべきにも侍らざりしに、まことにこそ、二所(ふたところ)ながら、この世の人とは見えせたまはで、天童(てんどう)などの降り来(き)たるとこそ見えさせたまひしか。
   
   
   
 また、この大宮の大原野行啓はいみじう侍りし。  また、この大宮(おほみや)の大原野(おほはらの)行啓(ぎやうけい)はいみじうはべりし。
ことに雨の降りしこそいと口惜しく侍りし事よ。 ことに雨の降りしこそいと口惜(くちを)しくはべりしことよ。
舞人には、たれたれ、それそれの君達など数へて、一の舞には、関白殿の君とこそはせさせ給ひしか。 舞人(まいびと)には、たれたれ、それそれの君達(きんだち)などかそへて、一(いち)の舞(まひ)には、関白殿(くわんぱくどの)の君(きみ)とこそはせさせたまひしか。
試楽の日、掻練襲の御下襲に、黒半臂奉りたりしは、めづらしく候ひしものかな。 試楽(しがく)の日、掻練襲(かいねりがさね)の御下襲(したがさね)に、黒半臂(くろはんび)たてまつりたりしは、めづらしくさぶらひしものかな。
闕腋に人の着給へりしを、いまだ見侍らざりしかば。 闕腋(わきあけ)に人の着たまへりしを、いまだ見はべらざりしかば。
行啓には、入道殿、それがしといふ御馬に奉りて、御随身四人と、らんもんにあげさせ給へりしは、軽々しかりしわざかな。 行啓には、入道殿、それがしといふ御馬にたてまつりて、御随身(みずいじん)四人と、らんもんにあげさせたまへりしは、軽々(かろがろ)しかりしわざかな。
公忠が少し控へつつ、所おき申ししを、制せさせ給ひしかば、なほ少し怖り申してこそありしか。 公忠(きんただ)が少し控(ひか)けつつ、所おきまうししを、制せさせたまひしかば、なほ少し怖(おそ)りましてこそありしか。
かしこく京のほどは雨も降らざりしぞかし。 かしこく京(きやう)のほどは雨も降らざりしぞかし。
   
閑院の太政大臣殿の、西の七条より帰らせ給ひしをこそ、入道殿いみじう恨み申させ給ひけれ。 閑院(かんゐん)の太政大臣殿の、西の七条より帰らせたまひしをこそ、入道殿いみじう恨みまうさせたまひけれ。
堀河の左大臣殿は、御社までつかまつらせ給ひて、御引出物御馬あり。 堀河(ほりかは)の左大臣殿は、御社(みやしろ)までつかまつらせたまひて、御引出物(ひきいでもの)御馬あり。
枇杷殿の宮、中宮とは、金造の御車にて、まうち君達の、やむごとなきかぎり選らせ給へる御前具し申させ給へりき。 枇杷殿(びはどの)の宮(みや)・中宮(ちゆうぐう)とは、金造(こがねづくり)の御車(みくるま)にて、まうちぎみたちの、やむごとなきかぎり選(え)らせたまへる御前具(ごぜんぐ)しまうさせたまへりき。
御車のしりには、皇后宮の御乳母、維経のぬしの御母、中宮の御乳母、兼安、実任のぬしの御母、おのおのこそ候はれけれ。 御車のしりには、皇后宮の御乳母(めのと)、維経(これつね)のぬしの御母(みはは)、中宮の御乳母、兼安(かねやす)・実任(さねたふ)のぬしの御母、おのおのこそさぶらはれけれ。
殿の君達のまだ男にならせ給はぬ、童にて皆仕うまつらせ給へりき。 殿(との)の君達(きんだち)のまだ男(をとこ)にならせたまはぬ、童(わらは)にて皆仕(つか)うまつらせたまへりき。
   
   
   
 また、ついでなきことには侍れど、怪と人の申す事どもの、させる事なくてやみにしは、前の一条院の御即位の日、大極殿の御装束すとて人々集まりたるに、高御座のうちに、髪つきたるものの頭の、血うちつきたりけるを見つけたりける、あさましく、いかがすべきと行事思ひあつかひて、かばかりの事を隠すべきかとて、大入道殿に、 また、ついでなきことには侍れど、怪(け)と人の申すことどもの、させることなくてやみにしは、前(さき)の一条院(いちでうゐん)の御即位の日、大極殿(だいこくでん)の御装束(そうぞく)すとて人々あつまりたるに、高御座(たかみくら)のうちに、髪(かみ)つきたるものの頭(かしら)の、血うちつきたるを見つけたりける、あさましく、いかがすべきと行事(ぎやうじ)思ひあつかひて、かばかりのことを隠すべきかとて、大入道殿(おほにうだうどの)に、
「かかる事なむ候ふ」 「かかることなむさぶらふ」
と、某の主して申させけるを、いと眠たげなる御気色にもてなせ給ひて、ものも仰せられねば、もし聞こし召さぬにやとて、また御気色賜はれど、うち眠らせ給ひて、なほ御いらへなし。 と、なにがしのぬしして申させけるを、いと眠(ねぶ)たげなる御けしきにもてなせたまひて、ものも仰(おほ)せられなば、もし聞(きこ)し召(め)さぬにやとて、また御けしきたまはれど、うち眠らせたまひて、なほ御いらへなし。
いとあやしく、さまで大殿籠り入りたりとは見えさせ給はぬに、いかなればかくてはおはしますぞと思ひて、とばかり御前に候ふに、うちおどろかせ給ふさまにて、 いとあやしくて、さまで大殿籠(おおとのごも)り入りたりとは見えさせたまはぬに、いかなればかくてはおはしますぞと思ひて、とばかり御前(おまへ)にさぶらふにぞ、うちおどろかせたまふさまにて、
「御装束は果てぬるにや」 「御装束(そうぞく)は果(は)てぬるにや」
と仰せらるるに、聞かせ給はぬやうにてあらむと、思し召しけるにこそと心得て、立ちたうびける。 と仰せらるるに、聞かせたまはぬやうにてあらむと、思(おぼ)し召(め)しけるにこそと心得て、立ちたうびける。
げにかばかりの祝の御事、また今日になりてとまらむも、いまいましきに、やをらひき隠してあるべかりける事を、心肝なく申すかなと、いかに思し召しつらむと、後にぞ、かの殿もいみじう悔い給ひける。 げにかばかりの祝(いはひ)の御こと、また今日になりてとまらむも、いまいましきに、やをらひき隠してあるべかりけることを、心肝(こころぎも)なく申すかなと、いかに思し召しつらむと、後(のち)にぞ、かの殿(との)もいみじう悔(く)いたまひける。
さる事なりしかな。 さることなりしかな。
されば、なでふ事かはおはします、よき事にこそありけれ。 されば、なでふことかはうはします、よきことにこそありけれ。
   
 また、大宮のいまだ幼くおはしましける頃、北の政所具し奉らせ給ひて、春日に参らせ給ひけるに、御前の物どもの参らせ据ゑたりけるを、俄かに辻風の吹きまろびて、東大寺の大仏殿の御前に落したりけるを、春日の御前なる物の源氏の氏寺に取られたるは、よからぬ事にや、 また、大宮(おほみや)のいまだ幼くおはしましける時、北(きた)の政所具(まんどころぐ)したてまつらせたまひて、春日(かすが)にまゐらせたまひけるに、御前(おまへ)のものどものまゐらせすゑたりけるを、俄(にはか)に辻風(つじかぜ)の吹き纒(まつ)ひて、東大寺(とうだいじ)の大仏殿(だいぶつでん)の御前に落したりけるを、春日(かずが)の御前なるものの源氏(げんじ)の氏寺(うじでら)に取られたるはよからぬことにや。
これをも、その折、世の人申ししかど、ながく御末栄え給ふは吉相にこそはありけれ、とぞおぼえ侍るな。 これをも、その折、世の人申ししかど、ながく御末つがせたまふは吉相(きつさう)にこそはありけれ、とぞおぼえはべるな。
夢も現も、 夢も現(うつつ)も、
「これはよきこと」 「これはよきこと」
と人申せど、させる事なくてやむやう侍り。 と人申せど、させることなくてやむやう侍り。
また、かやうに怪だちて見給へ聞ゆる事も、かくよき事も候ふな。 また、かやうに怪(け)だちて見たまへきこゆることも、かくよきこともさぶらふな。
   
  [一七九] 世次、自分の話を自慢し侍の才学ほめる
   
 まことに、世の中にいくそばくあはれにもめでたくも、興ありて承り見給へ集めたる事の、数知らず積りて侍る翁どもとか、人々思し召す。 まことは、世の中にいくそばくあはれにもめでたくも興(きよう)ありて、うけたまはり見たまへ集めたることの、数(かず)知らず積(つも)りて侍る翁(おきな)どもとか、人々思し召す。
やむごとなくも、また下りても、間近き御簾、簾の内ばかりや、おぼつかなさ残りて侍らむ。 やむごとなくも、また下(くだ)りても、間近(まぢか)き御簾(みす)・簾(すだれ)のうちばかりや、おばつかなさ残りて侍らむ。
   
それなりとも、各宮、殿ばら、次々の人の御あたりに、人のうち聞くばかりの事は、女房、童べ申し伝へぬやうやは侍る。 それなりとも、各宮(おのおのみや)・殿(との)ばら・次々の人の御あたりに、人のうち聞くばかりのことは、女房(にようばう)・わらはべ申し伝へぬやうやは侍る。
されば、それも、不意に伝へ承らずしも候はず。 されば、それも、不意(ふい)に伝へうけたまはらずしもさぶらはず。
されど、それをば何とかは語り申さむずる。 されど、それをばなにとかは語りまうさむずる。
ただ世にとりて、人の御耳とどめさせ給ひぬべかりし昔の事ばかりを、かく語り申すだにいとをこがましげに御覧じおこする人もおはすめり。 ただ世にとりて、人の御耳とどめさせたまひぬべかりし昔のことばかりを、かく語りまうすだにいとをこがましげに御覧(ごらん)じおこする人もおはすめり。
   
今日は、ただ殿のめづらしう興ありげに思して、あどをよくうたせ給ふにはやされ奉りて、かばかりも口あけそめて侍れば、なかなか残り多く、またまた申すべき事は、期もなく侍るを、もしまことに聞こし召しはてまほしくは、駄一疋を賜はせよ。 今日は、ただ殿のめづらしう興(きよう)ありげに思(おぼ)して、あどをよくうたせたまふにはやされたてまつりて、かばかりも口あげそめて侍れば、なかなか残り多く、またまた申すべきことは、期(ご)もなく侍るを、もしまことに聞(きこ)し召(め)しはてまほしくは、駄一疋(だいつぴき)をたまはせよ。
はひ乗りて参り侍らむ。 はひ乗りてまゐりはべらむ。
   
かつはまた、御宿りに参りて、殿の御才学のほども承らまはしう思う給ふるやうは、いまだ年頃、かばかりもさしいらへし給ふ人に対面給はらぬに、時々くはへさせ給ふ御ことばの、見奉るは、翁らが玄孫のほどにこそはとおぼえさせ給ふに、この知るしめしげなる事ども、思ふに古き御日記などを御覧ずるならむかしと心にくく下郎はさばかりの才はいかでか侍らむ。 かつまた、御宿(やど)りにまゐりて、殿の御才学(さいがく)のほどもうけた女はらまはしう思ひたまふるやうは、いまだ年頃(としごろ)、かばかりもさしいらへしたまふ人に対面(たいめ)たまはらぬに、時々くはへさせたまふ御ことばの、見たてまつるは、翁らが玄孫(やしはご)のほどにこそはとおぼえさせたまふに、この知るしめしげなることども、思ふに古き御日記(にき)などを御覧(ごらん)ずるならむかしと心にくく下ラフ(げらふ)はさばかりの才(ざえ)はいかでか侍らむ。
ただ見聞き給へしことを心に思ひおきて、かくさかしがり申すにこそあれ。 ただ見聞きたまへしことを心に思ひおきて、かくさかしがり申すにこそあれ。
まこと人にあひ奉りては、思し咎め給ふ事も侍らむと、はづかしうおはしませば、老の学問にも承りあかさまほしうこそ侍れ。 まこと人(びと)にあひたてまつりては、思(おぼ)し咎(とが)めたまふことも侍らむと、はづかしうおはしませば、老(おい)の学問にもうけたまはりあかさまほしうこそ侍れ」
 と言へば、重木もただ、 といへば、重木(しげき)もただ、
〔重木〕かうなり、かうなり。 「かうなり、かうなり。
さらむ折は、かならず告げ給ふべきなり。 さらむ折は、かならず告(つ)げたまふべきなり。
杖にかかりても、必ず参りあひ申し侍らむ。 杖(つゑ)にかかりても、かならずまゐりあひまうしはべらむ」
 と、うなづき合はす。 と、うなづきあはす。
   
   
   
〔世次〕 ただし、さまでのわきまへおはせぬ若き人々は、そら物語する翁かなと思すもあらむ。 世次「ただし、さまでのわきまへおはせぬ若き人々は、そら物語(ものがたり)する翁(おきな)かなと思すもあらむ。
我が心におぼえて、一言にても、むなしき事加はりて侍らば、この御寺の三宝、今日の座の戒和尚に請ぜられ給ふ仏、菩薩を証とし奉らむ。 わが心におぼえて、一言(ひとこと)にても、むなしきことくははりて侍らば、この御寺(みてら)の三宝(さんぽう)、今日の座(ざ)の戒和尚(かいわじやう)に請(しやう)ぜられたまふ仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)を証(しよう)としたてまつらむ。
中にも、若うより、十戒のなかに、妄語をばたもちて侍る身なればこそ、かく命をばたもたれて候へ。 なかにも、若うより、十戒(じつかい)のなかに、妄語(まうご)をばたもちて侍る身なればこそ、かく命をばたもたれてさぶらへ。
今日、この御寺のむねとそれを授け給ふ講の庭にしも参りて、あやまち申すべきならず。 今日、この御寺のむねとそれを授(さづ)けたまふ講(こう)の庭にしもまゐりて、あや率ちまうすべきならず。
大方の世のはじまりは、人の寿は八万歳なり。 おほかた、世のはじまりは、人の寿(いのち)は八万歳なり。
それがやうやう減じもていきて、百歳になる時、仏は出でおはしますなり。 それがやうやう減(げん)じもていきて、百歳になる時、仏(ほとけ)は出でおはしますなり。
されど、生死の定めなき由を人に示し給ふとて、なほ今二十年を約めて八十と申しし年、入滅せさせ給ひにき。 されど、生死(しやうじ)の定(さだ)めなきよしを人に示(しめ)したまふとて、なはいま二十年を約(つづ)めて八十と申しし年(とし)、入滅(にうめつ)せさせたまひにき。
その年より今年まで、一千九百七十三年にぞなり侍りぬる。 その年より今年まで、一千九百七十三年にぞなりはべりぬる。
釈迦如来滅し給ふを期にて、八十には侍れど、仏、人の命を不定なりと見せさせ給ふにや、この頃も、九十、百の人、おのづから聞え侍るめれど、この翁どもの寿は希なること、 釈迦如来(しやかによらい)滅したまふを期(ご)にて、八十には侍れど、仏、人の命を不定(ふぢやう)なりと見せさせたまふにや、この頃(ごろ)も、九十・百の人、おのづから聞(きこ)えはべるめれど、この翁(おきな)どもの寿(いのち)は希(まれ)なること、
「甚深甚深希有希有なり」 「甚深甚深希有希有(じんしんじんしんけうけう)なり」
とは、これを申すべきなり。 とは、これを申すべきなり。
   
 いと昔は、かばかりの人侍らず。  いと昔は、かばかりの人侍らず。
神武天皇をはじめ奉りて、二十余代までの間に、十代ばかりがほどは、百歳、百余歳までたもち給へる帝もおはしましたれど、末代には、けやけき寿もちて侍る翁なりかし。 神武(じんむ)天皇をはじめたてまつりて、二十余代までの間に、十代ばかりがほどは、百歳・百余歳までたもちたまへる帝(みかど)もおはしましたれど、末代(まつだい)には、けやけき寿(いのち)もちて侍る翁なりかし。
かかれば、前生にも戒を受けたもちて候ひけると思ひ給ふれば、この生にも破らでまかりかへらむと思ひ給ふるなり。 かかれば、前生(ぜんしやう)にも戒(かい)を受けたもちてさぶらひけると思ひたまふれば、この生にも破らでまかりかへらむと思ひたまふるなり。
今日、この御堂に影向し給ふらむ神明、冥道達も聞こし召せ。 今日、この御堂(みだう)に影向(かげかう)したまふらむ神明(しんめい)・冥道(みやうだう)たちも聞(きこ)し召(め)せ」
 とうちいひて、したり顔に、扇うちつかひつつ、見かはしたる気色、ことわりに、何事よりも、公私うらやましくこそ侍りしか。 とうちいひて、したり顔(がほ)に、扇(あうぎ)うちつかひつつ、見かはしたるけしき、ことわりに、何事(なにごと)よりも、公(おほやけ)私(わたくし)うらやましくこそ侍りしか。
   
   
   
〔重木〕さてもさても、重木が年かぞへさせ給へ。 重木「さてもさても、重木(しげき)が年かぞへさせたまへ。
ただなる折は、年を知り侍らぬが口惜しきに。 ただなる折は、年を知りはべらぬが口惜(くちお)しきに」
 と言へば、侍、 といへば、侍、
〔侍〕いでいで。 「いでいで」
 とて、 とて、
〔侍〕
「十三にておほき大殿に参りき」
侍「十三にておほき大殿(おほとの)にまゐりき」
と宣へば、十ばかりにて、陽成院のおりさせ給ふ年はいますがりけるにこそ。 とのたまへは、.十(とを)ばかりにて、陽成院(やうぜいゐん)のおりさせたまふ年はいますがりけるにこそ。
それにて推し思ふに、あの世次のぬしには、いま十余年が弟にこそあむめれば、百七十には少しあまり、八十にも及ばれにたるべし。 それにて推(すい)し思ふに、あの世次(よつぎ)のぬしには、いま十余年が弟(おとと)にこそあむめれば、百七十には少しあまり、八十にもおよばれにたるべし」
 など、手を折りかぞへて、 など、手を折りかぞへて、
〔侍〕いとかくばかりの御年どもをば、相人などに相せられやせし。 侍「いとかほかりの御年(みとし)どもをば、相人(さうにん)などに相(さう)せられやせし」
 と問へば、 と間へは、
   
〔重木〕さる人にも見え侍らざりき。 重木「さる人にも見えはべらざりき。
ただ狛人のもとに、二人つれてまかりたりしかば、 ただ狛(こまうど)人のもとに、二人つれてまかりたりしかば、
「二人長命」 「二人長命」
と申ししかど、いとかばかりまで候ふべしとは、思ひかけ候ふべき事か。 と申ししかど、いとかばかりまでさぶらふべしとは、思ひかけさぶらふべきことか。
ことごと問はむ、と思ひ給へしほどに、昭宣公の君達三人おはしまして、え申さずなりにき。 ことごと間はむ、と思ひたまへしほどに、昭宣公(せうせんこう)の君達(きんだち)三人おはしまして、え申さずなりにき。
それぞかし、時平のおとどをば、 それぞかし、時平(ときひら)のおとどをば、
「御かたちすぐれ、心魂すぐれ賢うて、日本にはあまらせ給へり。 「御かたちすぐれ、心(こころ)だましひすぐれ賢(かしこ)うて、日本にはあまらせたまへり。
日本のかためと用ゐむにあまらせ給へり」 日本のかためと用(もち)ゐむにあまらせたまへり」
と相し申ししは。 と相しまうししは。
枇杷殿をば、 枇杷殿(びはどの)をば、
「あまり御心うるはしくすなほにて、へつらひ飾りたる小国にはおはぬ御相なり」 「あまり御心(みこころ)うるはしくすなほにて、へつらひ飾(かざ)りたる小国にはおはぬ御相なり」
と申す。 と申す。
貞信公をば、 貞信公(ていしんこう)をば、
「あはれ、日本国のかためや。 「あはれ、日本国のかためや。
ながく世をつぎ門ひらくこと、ただこの殿」 ながく世をつぎ門(かど)ひらくこと、ただこの殿」
と申したれば、 と申したれば、
「我を、あるが中に、才なく心諂曲なりと、かくいふ、はづかしきこと」 「われを、あるが中に、才(ざえ)なく心諂曲(てんごく)なりと、かくいふ、はづかしきこと」
と仰せられけるは。 と仰(おほ)せられけるは。
   
 されど、その儀にたがはせ給はず、門をひらき、栄花をひらかせ給へば、なほいみじかりけりと思ひ侍りて、またまかりたりしに、小野宮殿おはしまししかば、え申さずなりにき。  されど、その儀(ぎ)にたがはせたまはず、門をひらき、栄花(えいぐわ)をひらかせたまへば、なほいみじかりけりと思ひはべりて、またまかりたりしに、小野宮殿(をののみやどの)おはしまししかば、え申さずなりにき。
ことさらにあやしき姿をつくりて、下﨟の中に遠く居させ給へりしを、多かりし人の中より、のびあがり見奉りて、指をさしてものを申ししかば、何事ならむと思ひ給へりしを、後に承りしかば、 ことさらにあやしき姿をつくりて、下ラフ(げらふ)の中に遠く居(ゐ)させたまへりしを、多かりし人の中より、のびあがり見たてまつりて、指(および)をさしてものを申ししかば、何事(なにごと)ならむと思ひたまへりしを、後にうけたまはりしかば、
「貴臣よ」 「貴臣(きしん)よ」
と申しけるなりけり。 と申しけるなりけり。
さるは、いと若くおはしますほどなりしかな。 さるは、いと若くおはしますほどなりしかな。
いみじきあざれごとどもに侍れど、まことにこれは徳至りたる翁どもにて候ふ。 いみじきあざれごとどもに侍れど、まことにこれは徳至(いた)りたる翁どもにてさぶらふ。
などか人のゆるさせ給はざらむ。 などか人のゆるさせたまはざらむ。
また、拙き下﨟のさる事もありけるはと聞し召せ。 また、拙(つたな)き下臈(げらふ)のさることもありけるはと聞(きこ)し召(め)せ。
   
   
   
 亭主院の、河尻におはしまししに、白女といふ遊女召して、御覧じなどせさせ給ひて、 亭主院(ていじのゐん)の、河尻(かはじり)におはしまししに、白女(しろめ)といふ遊女(あそび)召して、御覧(ごらん)じなどせさせたたまひて、
「はるかに遠く候ふよし、歌につかうまつれ」 「はるかに遠くさぶらふよし、歌につかうまつれ」
と仰せ言ありければ、詠みて奉りし、 と仰(おほ)せ言(ごと)ありければ、よみて奉りし、
   
♪75
浜千鳥
 飛びゆくかぎり
 ありければ
 雲立つ山を
 あはとこそ見れ
 
浜千鳥(はまちどり)
 飛びゆくかぎり
 ありければ
 雲立つ山を
 あはとこそ見れ
   
 いといみじうめでさせ給ひて、物かづけさせ給ひき。 いといみじうめでさせたまひて、物かづけさせたまひき。
「命だに心にかなふものならば」 「命だに心にかなふものならば」
も、この白女が歌なり。 も、この白女が歌なり。
   
 また、鳥飼院におはしましたるに、例の遊女どもあまた参りたる中に、大江玉淵が女の、声よく容貌をかしげなれば、あはれがらせ給ひて、上に召し上げて、  また、鳥飼院(とりかひのゐん)におはしましたるに、例(れい)の遊女(あそび)どもあまたまゐりたる中に、大江玉淵(おおえのたまぶち)が女(むすめ)の、声よくかたちをかしげなれば、あはれがらせたまひて、うへに召しあげて、
「玉淵はいと労ありて、歌などいとよく詠みき。 「玉淵はいと労(らう)ありて、歌などいとよくよみき。
この『とりかひ』といふ題を、人々の詠むに、同じ心につかうまつりたらば、まことの玉淵が子とは思し召さむ」 この『とりかひ』といふ題を、人々のよむに、同じ心につかうまつりたらば、まことの玉淵が子とは思(おぼ)し召(め)さむ」
と仰せ給ふを承りて、すなはち、 と仰(おほ)せたまふをうけたまはりて、すなはち、
   
♪76
深緑
 かひある春に
 あふ時は
 霞ならねど
 たちのぼりけり
 
「ふかみどり
 かひある春に
 あふ時は
 かすみならねど
 たちのぼりけり」
   
 など、めでたがりて、帝よりはじめ奉りて、ものかづけ給ふほどの事、南院の七郎君に後ろむべき事など仰せられけるほどなど、くはしくぞ語る。 など、めでたがりて、帝(みかど)よりはじめたてまつりて、ものかづけたまふほどのこと、南院(なんゐん)の七郎君(しちらうぎみ)にうしろむべきことなど仰せられけるほどなど、くはしくぞ語る。
   
   
   
〔重木〕延喜の御時に、古今抄せられし折、貫之はさらなり、忠岑や躬恒などは、御書所に召されて候ひけるほどに、四月二日なりしかば、まだ忍音の頃にて、いみじく興じおはします。 「延喜(つらゆき)の御時に、古今抄(こきんせう)せられし折、貫之(つらゆき)はさらなり、忠岑(ただみね)や躬恒(みつね)などは、御書所(ごしよどころ)に召されてさぶらひけるほどに、四月二日なりしかば、まだ忍音(しのびね)の頃(ころ)にて、いみじく興(きよう)じおはします。
貫之召し出でて、歌つかうまつらしめ給へり。 貴之召し出でて、歌つかうまつらしめたまへり。
   
♪77
こと夏は
 いかが鳴きけむ
 ほととぎす
 この宵ばかり
 あやしきぞなき
 
こと夏は
 いかが鳴きけむ
 ほととぎす
 この宵ばかり
 あやしきぞなき
   
 それをだに、けやけき事に思ひ給へしに、同じ御時、御遊びありし夜、御前の御階のもとに躬恒を召して、 それをだに、けやけきことに思ひたまへしに、同じ御時、御遊びありし夜、御前(おまへ)の御階(みはし)のもとに躬恒 (みつね)を召して、
『月を弓張といふ心はなにの心ぞ。 「月を弓張(ゆみはり)といふ心はなにの心ぞ。
これがよしつかうまつれ』 これがよしつかうまつれ」
と仰せ言ありしかば、 と仰せ言ありしかば、
   
♪78
照る月を
 弓はりとしも
 いふことは
 山辺をさして
 いればなりけり
 
照る月を
 弓はりとしも
 いふことは
 山辺をさして
 いればなりけり
   
 と申したるを、いみじう感ぜさせ給ひて、大袿給ひて、肩にうちかくるままに、 と申したるを、いみじう感ぜさせたまひて、大袿(おほうちき)たまひて、肩にうちかくるままに、
   
♪79
白雲の
 このかたにしも
 おりゐるは
 天つ風こそ
 吹きてきぬらし
 
白雲(しらくも)の
 このかたにしも
 おりゐるは
 天(あま)つ風(かぜ)こそ
 吹き手きぬらし
   
 いみじかりしものかな。 いみじかりしものかな。
さばかりの者に、近う召し寄せて、勅禄賜はすべき事ならねど、謗り申す人のなきも、君の重くおはしまし、また躬恒が和歌の道に許されたるとこそ、思ひ給へしか。 さばかりの者に、近う召しよせて、勅禄(ちよくろく)たまはすべきことならねど、謗(そし)り まうす人とのなきも、君(きみ)の重くおはしまし、また躬恒(みつね)が和歌の道にゆるされたるとこそ、思ひたまへしか。
かの遊女どもの、歌詠み、感賜はるは、さぞ侍る。 かの遊女(あそび)どもの、歌よみ、感たまはるは、さぞ侍る。
院にならせ給ひ、都離れたる所なれば。 院(ゐん)にならせたまひ、都(みやこ)離れたる所なれば」
 と優にこそ、あまりにおよすげたれ。 と優(いう)にこそ、あまりにおよすけたれ。
   
   
   
この侍問ふ、  この侍(さぶらひ)問ふ、
〔侍〕円融院の紫野の子の日の日、曾禰好忠いかに侍りけるぞ。 「円融院(ゑんゆうゐん)の紫野(むらさいの)の子(ね)の日(ひ)の日、會禰好忠(そねのよしただ)いかに侍りけることぞ」
 と言へば、 といへば、
〔重木〕それそれ、いと興に侍りし事なり。 重木「それそれ、いと興(きよう)に侍りしことなり。
さばかりの事に上下を撰ばず、和歌を賞せさせ給はむに、げに入らまほしき事に侍れど、かくろへて優なる歌を詠み出さむだに、いと無礼に侍るべき。 さばかりのことに上下(かみしも)をえらばず、和歌を賞(しやう)せさせたまはむに、げに入(い)らまほしきことに侍れど、かくろへにて、優なる歌をよみ出(いだ)さむだに、いと無礼(むらい)に侍るべき。
ことに、座に、ただ着きに着きたりし、あさましく侍りし事ぞかし。 ことに、座(ざ)に、ただつきにつきたりし、あさましくはべりことぞかし。
小野宮殿、閑院の大将殿などぞかし、 小野宮殿(をののみやどの)・閑院(かんゐん)の大将殿などぞかし、
「引き立てよ、引き立てよ」 「引き立てよ、引き立てよ」
と、おきてさせ給ひしは。 と、おきてさせたまひしは。
躬恒が別禄賜はるに、たとしへなき歌詠みなりかし。 躬恒(みつね)が別禄(べちろく)たまはるに、たとしへなき歌よみなりかし。
歌いみじくとも、折節、切りめを見て、つかうまつるべきなり。 歌いみじくとも、をりふし・きりめを見て、つかうまつるべきなり。
けしうはあらぬ歌詠みなれど、辛う劣りにし事ぞかし。 けしうはあらぬ歌よみなれど、辛(から)う劣りにしことぞかし」
 と言ふ。 といふ。
   
   
   
 侍、こまやかにうち笑みて、  侍(さぶらひ)、こまやかにうち笑(ゑ)みて、
〔侍〕いにしへのいみじき事どもの侍りけむは知らず。 「いにしへのいみじきことどもの侍りけむは知らず。
なにがし物覚えて後、不思議なりし事は、三条院の大嘗会の御禊の出車、大宮、皇太后宮より奉らせ給へりしぞありしや。 なにがしもの覚(おぼ)えて後(のち)、不思議なりしことは、三条院(さんでうゐん)の大嘗会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)の出車(いだしぐるま)、大宮(おほみや)・皇太后宮より奉らせたまへりしぞありしや。
大宮の一の車の口の眉に、香嚢かけられて、空薫物たかれたりしかば、二条の大路のつぶと煙満ちたりしさまこそめでたく、今にさばかりの見物またなし。 大宮の一(いち)の車の口(くち) の眉(まゆ)に、香嚢(かのうふくろ)かけられて、空薫物(そらだきもの)たかれたりしかば、二条(にでう)の大路(おほち)のつぶと煙(けぶり)満ちたりしさまこそめでたく、今にさばかりの見物(みもの)またなし」
 など言へば、世次、 などいへば、世次(よつぎ)、
〔世次〕しかしか、いかばかり御心に入れて、いどみせ給へりしかは。 「しかしか、いかばかり御心(みこころ)に入れて、いどみせたまへりしかは。
それに、女房の御心のおほけなさは、さばかりの事を、簾おろして渡りたうびにしはとよ。 それに、女房(にようぼう)の御心のおほけなさは、さばかりのことを、簾(すだれ)おろしてわたりたうびにしはとよ。
あさましかりし事ぞかしな。 あさましかりしことぞかしな。
ものけ賜はる口に乗るべしと思はれけるが、しりに押し下され給へりけるとこそは承りしか。 ものけたまはる口に乗るべしと思はれけるが、しりに押し下されたまへりけるとこそはうけたまはりしか。
げに女房の辛き事にせらるれども、主の思し召さむ所も知らず、男はえしかあるまじくこそ侍れ。 げに女房の辛(から)きことにせらるれども、主(しゆう)の思(おぼ)し召(め)さむところも知らず、男(をとこ)はえしかあるまじくこそ侍れ。
   
   
   
 大方、その宮には、心おぞましき人のおはするにや。  おほかた、その宮には、心おぞましき人のおはするにや。
一品の宮の御裳着に、入道殿より、玉を貫き、岩を立て、水を遣り、えもいはず調ぜさせ給へる裳、唐衣を、よつ奉らせ給ひて、 一品(いつぽん)の宮(みや)の御裳着(もぎ)に、入道殿より、玉を貫(つらぬ)き、岩を立て、水を遣(や)り、えもいはず調(てう)ぜさせたまへる裳(も)・唐衣(からきぬ)を、
「中にも、とりわき思し召さむ人に給はせよ」 「まづたてまつらせたまひて、なかにも、とりわき思し召さむ人にたまはせよ」
と申させ給へりけるを、さりともと思ひ給へりける女房の、賜はらで、やがてそれ嘆きの病つきて、七日といふに失せ給ひにけるを、などいとさまで覚え給ひけむ。 と申させたまへりけるを、さりともと思ひたまへりける女房の、たまはらで、やがてそれ嘆きの病つきて、七日といふにうせたまひにけるを、などいとさまで覚えたまひけむ。
罪深く、まして、いかにもの妬みの心深くいましけむ。 罪ふかく、まして、いかにもの妬(ねた)みの心ふかくいましけむ」
 など言ふに、あさましく、 などいふに、あさましく、
「いかでかくよろづの事、御簾のうちまで聞くらむ」 いかでかくよろづのこと、御簾(みす)のうちまで聞くらむ
と恐ろしく。 とおそろしく。
   
   
   
 かやうなる媼、翁なんどの古言するは、いとうるさく、聞かまうきやうにこそおぼゆるに、これはただ昔にたち返りあひたる心地して、またまたも言へかし、さしいらへごと、問はまほしき事多く、心もとなきに、  かやうなる女・翁なんどの古言(ふること)するは、いとうるさく、聞かまうきやにこそおぼゆるに、これはただ昔にたち返りあひたる心地して、またまたもいへかし、さしいらへごと・問はまほしきこと多く、心もとなきに、
「講師おはしにたり」 「講師(こうじ)おはしにたり」
と、立ち騒ぎののしりしほどに、かきさましてしかば、いと口惜しく、 と、立ち騒(さわ)ぎののしりしほどに、かきさましてしかば、いと口惜(くちを)しく、
「こと果てなむに、人つけて、家はいづこぞと見せん」 こと果(は)てなむに、人つけて、家はいづこぞと、見せむ
と思ひしも、講のなからばかりがほどに、その事となく、とよみとてかいののしり出で来て、居こめたりつる人も、皆くづれ出づるほどに紛れて、いづれともなく見紛らはしてし口惜しさこそ。 と思ひしも、講(こう)のなからばかりがほどに、そのこととなく、とよみとて、かいののしり出(い)で来(き)て、居(ゐ)こめたりつる人も、皆くづれ出づるほどにまぎれて、いづれともなく見まぎらはしてし口惜しさこそ。
何事よりも、かの夢の聞かまほしさに、居所も尋ねさせむと侍りしかども、一人びとりをだに、え見つけずなりにしよ。 何事(なにごと)よりも、かの夢の聞かまほしさに、居所(ゐどころ)も尋ねさせむとはべりしかども、ひとりびとりをだに、え見つけずなりにしよ。
   
   
   
 まことまこと、帝の、母后の御もとに行幸せさせ給ひて、御輿寄する事は、深草の御時よりありける事とこそ。  まことまこと、帝(みかど)の、母后(ははきさき)の御もとに行幸(みゆき)せさせたまひて、御輿(みこし)寄することは、深草(ふかくさ)の御時よりありけることとこそ。
それがさきは、降りて乗らせ給ひけるに、后の宮、 それがさきは、降りて乗らせたまひけるが、后(きさい)の宮(みや)、
「行幸の有様見奉らむ。 「行幸の有様見たてまつらむ。
ただ寄せて奉れ」 ただ寄せてたてまつれ」
と申させ給ひければ、そのたび、さておはしましけるより、今は寄せて乗らせ給ふとぞ。 と申させたまひければ、そのたび、さておはしましけるより、今は寄せて乗らせたまふとぞ。
   
   

流布本:後日物語/二の舞の翁の物語

   
 皇后宮大夫殿書きつがれたる夢なり。  皇后宮大夫殿(くわうぐうのだいぶどの)書きつがはれたる夢なり。
   
 この年頃聞けば、百日、千日の講行はぬ家々なし。  この年頃(としごろ)聞けば、百日・千日の講(かう)行(おこな)はぬ家々なし。
老いたるも若きも、後の世の勤めをのみ思し申すめるに、一日の講も行はず、ただつらつらといたづらに起き臥してのみ侍る罪深さに、ある所の千日の講、卯の時になむ行ふと聞きて参りたりけるに、人々、所もなく、車もかちの人もありけむ。 老いたるも若きも、後(のち)の世(よ)の勤(つと)めをのみ思(おぼ)しまうすめるに、一日の講も行はず、ただつらつらといたづらに起(お)き臥(ふ)してのみ侍る罪ふかさに、ある所の千日の講、卯(う)の時になむ行ふと聞きてまゐりたりけるに、人々(ひとびと)、所もなく、車もかちの人もありけむ。
やや侍てど講師見えず。 やや侍てど講師(こうじ)見えず。
 人々の言ふを聞けば、 人々のいふを聞けば、
今日の講は、夕つ方ぞあらむ 「今日の講は、夕(ゆふ)つ方(かた)ぞあらむ」
など言ふに、帰らむも罪得がましく思ふに、百歳ばかりにやあらむと見ゆる翁の居たるかたはらに、法師の同じほどに見ゆる、人の中を分けてきて、この翁に、 などいふに、帰らむも罪得がましく思ふに、百歳(ももとせ)ばかりにやあらむと見ゆる翁(おきな)の居(ゐ)たるかたはらに、法師の同じほどに見ゆる、人の中(なか)を分(わ)けてきて、この翁に、
〔法師〕いとかしこく見奉りつけて、あながちに参りつるなり。  僧「いとかしこく見たてまつりつけて、あながちにまゐりつるなり。
そもそも御前は、ひととせ世次の菩提講にて物語し給ひし、あながちに居寄りて、あどうち給ひしと見奉るは、老法師の僻目か。 そもそも御前(おまへ)は、ひととせ世次(よつぎ)の菩提講(ぼだいこう)にて物語(ものがたり)したまひし、あながちに居寄(ゐよ)りて、あどうちたまひしと見たてまつるは、老法師(おいほふし)の僻目(ひがめ)か」
 と言へば、男、 といへば、男(おとこ)、
〔男〕さもや侍りけむ。 「さもや侍りけむ」
 といふ。 といふ。
〔法師〕これはいで、興ありて。  僧「これはいで、興(きよう)ありて。
その世次には、またやあひ給へりし。 その世次には、またやあひたまへりし」
 と言へば、 といへば、
〔翁〕後三条院生れさせ給ひてなむ、あひて侍りし。  翁「後三条院(ごさんでうゐん)生れさせたまひてなむ、あひて侍りし」
 と言へば、 といへば、
〔法師〕さてさていかなる事か申されけむ。 「さてさていかなることか申されけむ。
そのかみごろも、耳も及ばず承り思う給へし。 そのかみごろも、耳もおよばずうけたまはり思うたまへし。
その後さまざま興あることも侍るを、聞かせ給ひけむ。 その後(のち)さまざま興あることも侍るを、聞かせたまひけむ。
まことに今の世のこと、とりそへて宣はせよ。 まことに今の世のこと、とりそへてのたまはせよ。
あはれ、幾歳になり給ひ侍りぬらむ。 あはれ、幾歳(いくとせ)にななりたまひはべりぬらむ」
 と言へば、 といへば、
〔翁〕二の舞の翁にてこそは侍らめ。  翁「二の舞(まひ)の翁(おきな)にてこそは侍らめ。
さはあれど、聞かむと思し召さば、すこぶる申し侍らむ。 さはあれど、聞かむと思(おぼ)し召(め)さば、すこぶる申しはべらむ。
まづ、その年、万寿二年乙の丑の年、今年己の亥の年とや申す。 まづ、その年、万寿(まんじゆ)二年乙(きのと)の丑(うし)の年、今年己(つちのと)の亥(ゐ)の年とや申す。
八十三年にこそなりにて侍りけれ。 八十三年にこそ、なりにて侍りけれ。
いでや、なにばかり見聞きたる事の情も侍らず。 いでや、なにばかり見聞きたることの情(なさけ)も侍らず。
かの世次の申されし事も、耳にとどまるやうにも侍らざりき。 かの世次の申されしことも、耳にとどまるやうにも侍らざりき」
 と言へば、法師、 といへば、法師、
〔法師〕いでいで、さりとも八十三年の功徳の林とは、今日の講を申すべきなめり。 「いでいで、さりとも八十三年の功徳(くどく)の林(はやし)とは、今日の講(こう)を申すべきなめり。
今も昔もしかぞ侍りし。 今も昔もしかぞ侍りし。
二の舞の翁、物まねびの翁、僧らが申さむ事を、正教になずらへて、誰も聞し召せ。 二の舞の翁、物まねびの翁、僧(そう)らが申さむことを、正教(しやうげう)になずらへて、誰(たれ)も聞(きこ)し召(め)せ」
 と言へば、翁、 といへば、翁、
〔翁〕聞こし召しし所も侍るまじけれど、かくせちにすすめ給へば、今はのきざみに、痴のものに笑はれ奉るべきにこそ。 「聞し召し所(ところ)も侍るまじけれど、かくせちにすすめたまへば、今はのきざみに、痴(をこ)のものに笑はれたてまつるべきにこそ。
見聞き侍りしは、後一条院、長元九年四月十七日失せさせ給へる。 見聞きはべりしは、後一条院(ごいちでうゐん)、長元(ちやうげん)九年四月十七日うせさせたまへる。
天下をしろしめすこと、二十一年。 天下(てんか)をしろしめすこと、二十一年。
そのほど、いらなく悲しきこと多く侍りき。 そのほど、いらなく悲しきこと多く侍りき。
中宮はやがて思し召し嘆きて、同じ年の九月六日失せさせ給ひにし。 中官(ちゆうぐう)はやがて思し召し嘆きて、同じ年の九月六日うせさせたまひにし。
上東門院思し召し嘆きしかど、これにも後れ奉らせ給ひて、一品の宮、前斎院をこそは、かしづき奉らせ給ひしか。 上東門院(じやうとうもんゐん)思し召し嘆きしかど、これにも後(おく)れたてまつらせたまひて、一品(いつぽん)の宮(みや)・前斎院(さきのさいゐん)をこそは、かしづきたてまつらせたまひしか。
院の御葬送の夜ぞかし、常陸国の百姓とかや、 院の御葬送(おほんさうそう)の夜(よ)ぞかし、常陸国(ひたちのくに)の百姓とかや、
   
♪80
かけまくも
 かしこき君が
 雲のうへに
 煙かからむ
 ものとやは見し
 
かけまくも
 かしこぎ君が
 雲のうへに
 煙(けぶり)かからむ
 ものとやは見し
   
 五月ばかり、郭公を聞こし召して、女院、  五月ばかり、郭公(ほととぎす)を聞(きこ)し召(め)して、女院(にようゐん)、
   
♪81
一言を
 君に告げなむ
 ほととぎす
 このさみだれは
 闇にまどふと
 
一言(ひとこと)を
 君に告げなむ
 ほととぎす
 このさみだれは
 闇(やみ)にまどふと
   
 この御思ひに、源中納言顕基の君出家し給ひて後、女院に申し給へりし、 この御思(おほんおも)ひに、源(げん)中納言顕基(あきもと)の君(きみ)出家(すけ)したまひて後(のち)、女院に申したまへりし、
   
♪82
身を捨てて
 宿を出でにし
 身なれども
 なほ恋しきは
 昔なりけり
 
身を捨てて
 宿を出でにし
 身なれども
 なは恋しきは
 昔りけり
   
 御返し、 御返し、
   
♪83
時の間も
 恋しきことの
 なぐさまば
 世はふたたびも
 そむかれなまし
 
時の間も
 恋しきことの
 なぐさまば
 世はふたたびも
 そむかれなまし
   
 その時は、かやうなる事多く聞え侍りしかど、数々申すべきならず。 その時は、かやうなること多く聞えはべりしかど、数々(かずかず)申すべきならず。
   
 後朱雀院位につかせ給うて、さはいへど、はなやかにめでたく世にもてなされて、しばしこそあれ、一の宮の方にゐさせ給ふ一品の宮、后に立たせ給ふ。 後朱雀院(ごすざくゐん)位につかせたまうて、さはいへど、はなやかにめでたく世にもてなされて、しばしこそあれ、一(いち)の宮(みや)の方にゐさせたまふ一品(いつぽん)の宮(みや)、后(きさき)にたたせたまふ。
後三条院生れさせ給ひにしかば、さればこそ、昔の夢はむなしかりけりや。 後三条院(ごさんでうゐん)生れさせたまひにしかば、さればこそ、昔の夢はむなしかりけりや。
「なからむ末伝へさせ給ふべき君におはします」 「なからむ末伝へさせたまふべき君におはします」
とぞ、世次申されし。 とぞ、世次申されし。
今后、弘徴殿におはしまし、春官、梅壺におはしまして、先帝の一品の宮、春宮に参らせ給ひて、藤壺におはしまして、女院入らせ給ひて、ひとつにおほし奉らせ給へる宮達、いづれともおぼつかなからず見奉らせ給ふめでたさに、故院のおはしまさぬ嘆き、尽きせず思し召したりけり。 今后(いまきさき)、弘徴殿(こきでん)におはしまし、春官、梅壷(うめつぼ)におはしまして、先帝(せんだい)の一品の宮、春宮(とうぐう)にまゐらせたまひて、藤壷(ふぢつぼ)におはしまして、女院入らせたまひて、ひとつにおほしたてまつらせたまへる宮たち、いづれともおぼつかなからず見たてまつらせたまふめでたさに、故院(こゐん)のおはしまさぬ嘆き、尽(つ)きせず思(おぼ)し召(め)したりけり。
   
関白殿に養ひ奉らせ給ひし、故式部卿の宮の姫君、内に参らせ給ひて、弘微殿におはしますべしとて、かねて后の宮出でさせ給ひしこそ、いかに安からず思し召すらむと、世の人、悩み申ししか。 関白殿に養ひたてまつらせたまひし、故式部卿(しきぶやう)の宮(みや)の姫君(ひめぎみ)、内(うち)にまゐらせたまひて、弘微殿におはしますべしとて、かねて后(きさき)の宮(みや)出でさせたまひしこそ、いかに安(やす)からず思し召すらむと、世の人、悩みまうししか。
明日まかでさせ給はんとて、上にのぼらせ給ひて、帝いかが申させ給ひけん、宮、 明日まかでさせたまはむとて、上(うへ)にのぼらせたまひて、帝(みかど)いかが申させたまひげむ、宮、
   
♪84
今はただ
 雲居の月を
 ながめつつ
 めぐりあふべき
 ほども知られず
 
今はただ
 雲居(くもゐ)の月を
 ながめつつ
 めぐりあふべき
 ほども知られず
   
 この宮に女宮二所おはします。 この宮に女宮(をんなみや)二所(ふたところ)おはします。
斎宮、斎院にゐさせ給うて、いとつれづれに、宮たち恋しく、世もすさまじく思し召すに、五月五日に、内より、 斎宮(さいぐう)・斎院(さいゐん)にゐさせたまうて、いとつれづれに、宮たち恋しく、世もすさまじく思(おぼ)し召(め)すに、五月五日に、内(うち)より、
   
♪85
もろともに
 かけし菖蒲の
 ねを絶えて
 さらにこひぢに
 まどふ頃かな
 
もろともに
 かけし菖蒲(あやめ)の
 ねを絶えて
 さらにこひぢに
 まどふ頃かな
   
 御返し、 御返し、
   
♪86
かたがたに
 ひき別れつつ
 あやめ草
 あらぬねをやは
 かけむと思ひし
 
かたがたに
 ひき別れつつ
 あやめ草
 あらぬねをやは
 かけむと思ひし
   
 殿の御もてなし、かたはらいたくわづらはしくて、久しく入らせ給はず。 殿(との)の御もてなし、かたはらいたくわづらはしくて、ひさしく入らせたまはず。
されど、この宮おはしますこそは、頼もしき事なれど、今の宮に男皇子産み奉り給ひては、疑ひなき儲の君と思し召したる、ことわりなり。 されど、この宮おはしますこそは、たのもしきことなれど、今の宮に男皇子(をとこみこ)うみたてまつりたまひてば、うたがひなき儲(まうけ)の君(きみ)と思し召したる、ことわりなり。
よき女房多く、出羽、少将、小弁、小侍従など言ひて、手書き、歌詠みなど、はなやかにていみじうて、候はせ給ふ。 よき女房(にようばう)多く、出羽(いでは)・少将(せうしやう)・小弁(こべん)・小侍従(こじじゆう)などいひて、手書き・歌よみなど、はなやかにていみじうて、さぶらはせたまふ」