枕草子184段 宮にはじめて参りたるころ

御形の宣旨 枕草子
中巻中
184段
宮に
したり顔

(旧)大系:184段
新大系:177段、新編全集:177段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:182段
 


 
 宮にはじめて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取りいでて見せさせ給ふを、手にてもえさしいづまじう、わりなし。
 「これは、とあり、かかり。それが、かれが」など宣はす。高坏に参らせたる御殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いとつめたきころなれば、さしいでさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。
 

 暁にはとく下りなむといそがるる。「葛城の神もしばし」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ伏したれば、御格子も参らず。
 女官ども参りて、「これ、放たせ給へ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。ものなど問はせ給ひ、宣はするに、久しうなりぬれば、「下りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは、とく」と仰せらる。ゐざり隠るるや遅きと、あげちらしたるに、雪降りにけり。登花殿の御前は、立蔀近くてせばし。雪いとをかし。
 

 昼つ方、「今日は、なほ参れ。雪にくもりてあらはにもあるまじ」など、たびたび召せば、この局のあるじも、「見苦し。さのみやは篭りたらむとする。あへなきまで御前許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものぞ」と、ただいそがしにいだしたつれば、あれにもあらぬ心地すれど参るぞ、いと苦しき。
 火焼屋の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。
 

 御前近くは、例の、炭櫃の火こちたくおこして、それにはわざと人もゐず。宮は沈の御火桶、梨絵したるにむかひておはします。上臈御まかなひし給ひけるままに、近く候ふ。次の間に長炭櫃に間なくゐたる人々、唐衣着垂れたるほど、なれやすらかなるを見るもいとうらやまし。御文取りつぎ、立ち居行き違ふさまなどの、つつましげならず、物いひゑ笑ふ。いつの世にか、さやうにまじらひならむと思ふさへぞつつましき。奥寄りて、三四人さしつどひて絵など見るもあめり。しばしありて、前駆高う、追ふ声すれば、「殿参らせ給ふなり」とて、散りたる物ども取りやりなどするに、いかでおりなむと思へど、さらにえふともみじろかねば、いま少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめりと、御几帳の綻びよりはつかに見入れたり。
 

 大納言殿の参り給へるなりけり。御直衣、指貫の紫の色、雪に映えていみじうをかし。柱もとにゐ給ひて、「昨日今日、物忌みに侍りつれど、雪のいたく降り侍りつれば、おぼつかなさになむ」と申し給ふ。
 「道もなしと思ひつるに、いかで」とぞ御いらへある。うち笑ひ給ひて、「あはれともや御覧ずるとて」など宣ふ、御ありさまども、これより何事かはまさらむ。物語に、いみじう口にまかせて言ひたるにたがはざめりとおぼゆ。
 

 宮は、白き御衣どもに、紅の唐綾をぞ上に奉りたる。
 御髪のかからせ給へるなど、絵にかきたるをこそ、かかることは見しに、うつつにはまだ知らぬを、夢の心地ぞする。女房ともの言ひ、たはぶれごとなどし給ふ。御いらへを、いささかはづかしとも思ひたらず聞こえ返し、そらごとなど宣ふは、あらがひ論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう、おもてぞあかむや。御くだもの参りなど、とりはやして、御前にも参らせ給ふ。
 

 「御帳の後ろなるは、たれぞ」と問ひ給ふなるべし。さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近うゐ給ひて、ものなど宣ふ。まだ参らざりしより聞きおき給ひけることなど、「まことにや、さありし」など宣ふに、御几帳隔てて、よそに見やり奉りつるだにはづかしかりつるに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたる心地、うつつともおぼえず。行幸など見るをり、車の方にいささかも見おこせ給へば、下簾ひきふたぎて、透影もやと扇をさしかくすに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ちいでしにかと、汗あえていみじきには、何事をかはいらへも聞こえむ。
 

 かしこき陰とささげたる扇をさへ取り給へるに、ふりかくべき髪のおぼえさへあやしからむと思ふに、すべて、さるけしきもこそは見ゆらめ。とく立ち給はなむと思へど、扇を手まさぐりにして、絵のこと、「たがかかせたるぞ」など宣ひて、とみにも給はねば、袖をおしあててうつぶしゐたるも、唐衣に白いものうつりて、まだらならむかし。
 

 久しくゐ給へるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させ給へるにや、「これ見給へ。これはたが手ぞ」と聞こえさせ給ふを、「給はりて見侍らむ」と申し給ふを、「なほ、ここへ」と宣はす。
 「人をとらへて立て侍らぬなり」と宣ふも、いといまめかしく、身のほどにあはず、かたはらいたし。人の草仮名書きたる草子など、とりいでて御覧ず。
 「たれがにかあらむ。かれに見せさせ給へ。それぞ、世にある人の手はみな見知りて侍らむ」など、ただいらへさせむと、あやしきことどもを宣ふ。
 

 ひとところだにあるに、また前駆うち追はせて、同じ直衣の人参り給ひて、これはいま少しはなやぎ、猿楽言などし給ふを、笑ひ興じ、我も「なにがしが、とあること」など、殿上人のうへなど申し給ふを聞くは、なほ、変化の者、天人などの下りきたるにやとおぼえしを、候ひ慣れ、日ごろ過ぐれば、いとさしもあらぬわざにこそはありけれ。
 かく見る人々も、みな家のうちいでそめけむほどは、さこそはおぼえけめなど、観じもてゆくに、おのづから面慣れぬべし。
 

 物など仰せられて、「我をば思ふや」と問はせ給ふ。
 御いらへに、「いかがは」と啓するにあはせて、台盤所の方に、はなをいと高くひたれば、「あな心憂。そらごとをいふなりけり。よし、よし」とて入らせ給ひぬ。
 「いかでかそらごとにはあらず。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。はなこそはそらごとしけれ」とおぼゆ。
 さても、誰かかくにくきわざしつらむと、おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりもおしひしぎつつあるものを、まいていみじ、にくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓しかへさで、明けぬれば、下りたる、すなはち、浅緑なる薄様に艶なる文をこれとて来たる。あけて見れば、「
 

♪21
  いかにして いかに知らまし 偽りを
  空似ただすの 神なかりせば
 

となむ御けしきは」とあるに、めでたくもくちをしうも思ひ乱るるに、なほ昨夜の人ぞねたくにくままほしき。
 

♪22
  うすさ濃さ それにもよらぬ はなゆゑに
  うき身のほどを 見るぞわびしき
 

なほこればかりは啓しなほさせ給へ。式の神もおぼづからもいとかしこし」とて参らせて後にも、うたてをりしも、などてさはたありけむと、いとなげかし。
 
 

御形の宣旨 枕草子
中巻中
184段
宮に
したり顔