古事記 屋上の堅魚(カツオ)~原文対訳

宮と系譜・事績 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
屋上の堅魚
若日下部王の歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

堅魚=魚虎・しゃちほこ

     
初大后。  初め大后、  初め皇后樣が
坐日下之時。 日下にいましける時、 河内の
日下くさかにおいでになつた時に、
自日下之
直越道。
日下の
直越ただこえの道より、
天皇が日下の
直越ただごえの道を通つて
幸行河内。 河内に出いでましき。 河内においでになりました。
爾登山上。 ここに山の上に登りまして、 依つて山の上にお登りになつて
望國内者。 國内を見放さけたまひしかば、 國内を御覽になりますと、
有上堅魚
作舍屋之家。
堅魚かつをを上げて
舍屋やを作れる家あり。
屋根の上に高く飾り木をあげて
作つた家があります。
     
天皇。
令問其家云。
天皇
その家を問はしめたまひしく、
天皇が、
お尋ねになりますには
其上堅魚
作舍者。誰家。
「その堅魚かつをを上げて
作れる舍は、誰が家ぞ」
と問ひたまひしかば、
「あの高く木をあげて
作つた家は誰の家か」
と仰せられましたから、
答白。
志幾之
大縣主家。
答へて曰さく、
「志幾しきの
大縣主おほあがたぬしが家なり」
と白しき。
お伴の人が
「シキの村長の家でございます」
と申しました。
     
爾天皇詔者。 ここに天皇詔りたまはく、 そこで天皇が仰せになるには、
奴乎。
己家。
似天皇之
御舍而造。
「奴や、
おのが家を、
天皇おほきみの
御舍みあらかに似せて造れり」
とのりたまひて、
「あの奴やつは
自分の家を
天皇の
宮殿に似せて造つている」
と仰せられて、
     
即遣人。 すなはち人を遣して、 人を遣わして
令燒其家之時。 その家を燒かしめたまふ時に、 その家をお燒かせになります時に、
其大縣主懼畏。 その大縣主、懼おぢ畏かしこみて、 村長が畏れ入つて
稽首白。 稽首のみ白さく、 拜禮して申しますには、
奴有者。 「奴にあれば、 「奴のことでありますので、
隨奴不覺而。 奴ながら覺さとらずて、 分を知らずに
過作。 過ち作れるが、 過つて作りました。
甚畏。 いと畏きこと」とまをしき。 畏れ入りました」と申しました。
     

白犬献上

     
故獻
能美之御幣物。
〈能美二字以音〉
かれ
稽首のみの
御幣物ゐやじりを獻る。
そこで
獻上物を致しました。

布縶白犬。
白き犬に
布を縶かけて、
白い犬に
布を縶かけて
著鈴而。 鈴を著けて、 鈴をつけて、
己族
名謂腰佩人。
おのが族やから、
名は腰佩こしはきといふ人に、
一族の
コシハキという人に
令取犬繩
以獻上。
犬の繩つなを取らしめて
獻上りき。
犬の繩を取らせて
獻上しました。
故令止
其著火。
かれその火著くることを
止めたまひき。
依つてその火をつけることを
おやめなさいました。
宮と系譜・事績 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
屋上の堅魚
若日下部王の歌

堅魚と白犬の意義

 
 ここでの「堅魚」は、しゃちほこ。魚虎(鯱・しゃち・しゃちほこ)に掛け、殿上(天井)を虎(とらん)とするのではなく、服従・忠実のシンボルの犬を献上した。白は降伏の色。家を燃やす燃やさないは、しゃちほこがあると家が焼けないという縁起を否定する行為。

 

 この点武田注釈は、「屋根の上に堅魚のような形の木を載せて作つた家。大きな屋根の家。カツヲは、堅魚木の意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草を押える材。」とする。「堅魚のような形の木」としつつ「葺草を押える材」として、しゃちほことは解していない。しゃちほこは装飾品で木材のことではないし、この武田解釈では、家を燃やそうとしたこと、白い犬を献上したことの関連も取れない。無関係の事象と見る。これが意味がわかってないということ。

 

 現代にも通じる一般的な用法を無視する解釈は大抵無理があり、かつ文脈を捉えていない。 この「堅魚」ような特有の文言ほど、一連の文脈から離れて存在することは絶対ない。しゃちほこの虎が天をとるに掛かるは、その象徴の秀吉・名古屋城でも言えるように何も無理はない。きつつなれにしつましあれば、褄で萎れとかいう珍奇な当ての通説より実質的な根拠がある。