古事記 アヅマの由来(吾妻)~原文対訳

弟橘比賣命 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
6 アヅマの由来(吾妻)
東国造
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
自其
入幸。
 そこより
入り幸いでまして、
 それから
はいつておいでになつて、
悉言向
荒夫琉
蝦夷等。
悉に
荒ぶる
蝦夷えみしどもを言向け、
悉く
惡い
蝦夷えぞどもを平らげ、
亦平和
山河
荒神等而。
また山河の
荒ぶる神どもを
平け和して、
また山河の
惡い神たちを
平定して、
還上幸時。 還り上りいでます時に、 還つてお上りになる時に、
到足柄之
坂本。
足柄あしがらの
坂下もとに到りまして、
足柄あしがらの
坂本に到つて
於食
御粮處。
御粮かれひ
聞きこし食めす處に、
食物を
おあがりになる時に、
其坂神化
白鹿而來立。
その坂の神、
白き鹿かになりて來立ちき。
その坂の神が
白い鹿になつて參りました。
     
爾即
以其咋
遺之蒜片端
待打者。
ここにすなはち
その咋をし
遺のこりの蒜ひるの片端もちて、
待ち打ちたまへば、
そこで
召し上り
殘りのヒルの片端かたはしをもつて
お打ちになりましたところ、
中其目。 その目に中あたりて、 その目にあたつて
乃打殺也。 打ち殺しつ。 打ち殺されました。
     
故登立其坂。 かれその坂に登り立ちて、 かくてその坂にお登りになつて
三歎。 三たび歎かして 非常にお歎きになつて、
詔云。 詔りたまひしく、  
阿豆麻波夜。
〈自阿下
五字以音。(也)〉
「吾嬬あづまはや」
と詔りたまひき。
「わたしの妻はなあ」
と仰せられました。
故號其國謂
阿豆麻也。
かれその國に名づけて
阿豆麻あづまといふなり。
それからこの國を
吾妻あずまとはいうのです。
弟橘比賣命 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
第三次東征(倭建)
6 アヅマの由来(吾妻)
東国造