古事記 倭建:熊襲襲名~原文対訳

女装で武装 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
ヤマトタケルの物語
⑤熊襲を襲名
出雲建の悲劇
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
爾其熊曾建
白言。
ここにその熊曾建
白して曰さく、
ここにそのクマソタケルが
申しますには、
莫動其刀。 「その刀をな動かしたまひそ。 「そのお刀をお動かし遊ばしますな。
僕有白言。 僕やつこ白すべきことあり」
とまをす。
申し上げることがございます」
と言いました。
     
爾暫
許押伏。
ここに暫しまし
許して押し伏せつ。
そこでしばらく
押し伏せておいでになりました。
     

大八嶋國の倭男具那王

     
於是白言。 ここに白して言さく、  
汝命者誰。 「汝なが命は誰そ」 「あなた樣さまは
どなたでいらつしやいますか」
  と白ししかば、 と申しましたから、
爾詔。    
吾者
坐纒向之
日代宮。
「吾あは
纏向まきむくの
日代ひしろの宮にましまして、
「わたしは
纏向まきむくの
日代ひしろの宮においで遊ばされて
所知
大八嶋國。
大八島國おほやしまぐに
知しらしめす、
天下を
お治めなされる
大帶日子
淤斯呂和氣天皇
之御子。
大帶日子淤斯呂和氣
おほたらしひこ
おしろわけの天皇
の御子、
オホタラシ彦
オシロワケの天皇の
御子の
名倭男具那王
者也。
名は倭男具那
やまとをぐなの王なり。
ヤマトヲグナの王という者だ。
     
意禮熊曾建二人。 おれ熊曾建二人、 お前たちクマソタケル二人が

無禮聞看而。
伏まつろはず、
禮ゐやなしと聞こしめして、
服從しないで
無禮だとお聞きなされて、
取殺意禮詔
而遣。
おれを取り殺とれと詔りたまひて、
遣せり」
とのりたまひき。
征伐せよと仰せになつて、
お遣わしになつたのだ」
と仰せられました。
     

野蛮度:熊<倭

     
爾其熊曾建白。 ここにその熊曾建白さく、 そこでそのクマソタケルが、
信然也。 「信に然しからむ。 「ほんとうにそうでございましよう。
於西方。 西の方に 西の方に
除吾二人。 吾二人を除おきては、 我々二人を除いては
無建強人。 建たけく強こはき人無し。 武勇の人間はありません。
然於大倭國。 然れども大倭おほやまとの國に、 しかるに大和の國には
益吾二人而。 吾二人にまして 我々にまさつた
建男者坐祁理。 建たけき男は坐いましけり。 強い方がおいでになつたのです。
是以。
吾獻御名。
ここを以ちて吾、
御名を獻らむ。
それでは
お名前を獻上致しましよう。
自今以後。 今よ後、 今からは
應稱
倭建御子。
倭建やまとたけるの御子と
稱へまをさむ」とまをしき。
ヤマトタケルの御子と
申されるがよい」と申しました。
     
是事白訖。 この事白まをし訖へつれば、 かように申し終つて、
即如熟苽
振折而。
すなはち
熟苽ほぞちのごと、
振り拆さきて
熟した瓜を
裂くように裂き
殺也。 殺したまひき。 殺しておしまいになりました。
     

倭建命

     
故自其時。 かれその時より御名を稱へて、 その時からお名前を
稱御名謂倭建命。 倭建やまとたけるの命とまをす。 ヤマトタケルの命と申し上げるのです。
女装で武装 古事記
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ヤマトタケルの物語
⑤熊襲を襲名
出雲建の悲劇