古事記 会津の由来(会えず)~原文対訳

屎褌と久須婆 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
会津で会えず
初國之御眞木天皇
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
如此平訖。 かく平ことむけ訖へて、 かように平定し終つて、
參上
覆奏。
まゐ上りて
覆かへりごと奏まをしき。
朝廷に參つて
御返事申し上げました。
     
故大毘古命者。  かれ大毘古おほびこの命は、  かくて大彦の命は
隨先命而。 先の命のまにまに、 前の命令通りに
罷行高志國。 高志こしの國に罷り行いでましき。 越の國にまいりました。
     
爾自東方所遣
建沼河別。
ここに東の方より遣しし
建沼河別
たけぬなかはわけ、
ここに東の方から遣わされた
タケヌナカハワケの命は、
與其父大毘古共。 その父大毘古おほびこと共に、 その父の大彦の命と
往遇于相津。 相津あひづに往き遇ひき。 會津あいずで行き遇いましたから、
故其地謂相津也。 かれ其地そこを相津あひづといふ。 其處を會津あいずというのです。
屎褌と久須婆 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
会津で会えず
初國之御眞木天皇