論語 2-5 孟懿子問孝:原文対訳と解説

三十而立 論語
為政第二
5
孟懿子
孟武伯
原文 書き下し 現代語訳
(下村湖人)
孟懿子 孟懿子まういし  大夫の孟懿もうい子が
問孝 孝かうを問とふ、 孝の道を先師にたずねた。
子曰 子曰く、 すると先師は答えられた。
無違 違たがふ無なかれ。 「はずれないようになさるがよろしいかと存じます。」
樊遲 樊遲はんち御ぎよたり、  そのあと、樊遅はんちが先師の車の御者をつとめていた時、
子吿之曰 子し之これに告つげて曰く、 先師が彼にいわれた。
孟孫問孝於我 孟孫まうそん孝かうを我われに問とふ、 「孟孫もうそんが孝の道を私にたずねたので、
我對曰
『無違』
我われ対こたへて曰く
違たがふ無なかれと。
私はただ、
はずれないようになさるがいい、とこたえておいたよ。」
     
樊遲 樊遲曰く、  樊遅はんちがたずねた。
何謂也 何なんの謂いひぞや。 「それはどういう意味でございましょう。」
子曰 子曰く、  先師が答えられた。
生いけるには 「親の存命中は
事之以禮 之れに事つかふるに礼れいを以もつてし、 礼を以て仕え、
死しせるには その死後は
葬之以禮 之れを葬ほうむるに礼れいを以てし、 礼を以て葬り、
祭之以禮 之れを祭まつるに礼を以てす。 礼を以て祭る。
    つまり、礼にはずれないという意味だ。」

 

下村湖人による注釈

 

孟懿子
魯の大夫。「子」の敬称があるのは大夫の身分だからである。僣上驕慢で礼にそむくことの多かつた人である。。
樊遲(樊遅)
孔子門人。
孟孫
魯の大夫には孟孫、叔孫、季孫の三家があつた。孟懿は孟孫家の人だつたので、孔子はそう呼んだのである。