宇治拾遺物語:寂昭上人、鉢を飛す事

渡天の僧 宇治拾遺物語
巻第十三
13-12 (172)
寂昭上人
清瀧川の聖

 
 今は昔、三河入道寂昭といふ人、唐に渡りて後、唐の王、やんごとなき聖どもを召し集めて、堂を飾りて、僧膳を設けて、経を講じ給ひけるに、王宣はく、「今日の斎莚は、手長の役あるべからず。おのおの我が鉢を飛せやりて、物は受くべし」と宣ふ。その心は、日本僧を試みんがためなり。
 

 さて諸僧、一座より次第に鉢を飛ばせて、物を受く。
 三河入道末座に着きたり。その番に当たりて、鉢を持ちて立たんとす。
 「いかで。鉢をやりてこそ受けめ」とて、人々制しとどめけり。
 寂昭申しけるは、「鉢を飛ばする事は、別の法を行ひてするわざなり。然るに寂昭、いまだこの法を伝へ行はず。日本国に於いても、この法行ふ人ありけれど、末世には行ふ人なし。いかでか飛さん」と言ひて居たるに、
 「日本の聖、鉢遅し鉢遅し」と責めければ、日本の方に向ひて、祈念していはく、「我が国の三宝、神祇助け給へ。恥見せ給ふな」と念じ入りて居たるほどに、鉢独楽のやうにくるめきて、唐の僧の鉢よりも速く飛びて、物を受けて帰りぬ。
 その時、王より始めて、「やんごとなき人なり」とて、拝みけるとぞ申し伝へる。