宇治拾遺物語:持経者叡實、効験の事

内記上人 宇治拾遺物語
巻第十二
12-5 (141)
持経者叡實
空也上人

 
 昔、閑院大臣殿、三位中将におはしける時、わらは病み重くわづらひ給ひけるが、「神名といふ所に、叡實といふ持経者なん、童やみはよく祈おとし給ふ」と申す人ありければ、「この持経者のいのらせん」とて行き給ふに、荒見川の程にて、はやうおこり給ひぬ。
 寺は近くなりければ、これより帰るべきやうなしとて、念じて神名におはして、坊の簷に車をよせて、案内を言ひ入れ給ふに、近ごろ、蒜を食ひ侍り」と申す。
 しかれども、「ただ上人を見奉らん。ただ今まかり帰ることかなひ侍らじ」とて、坊の蔀、下立ちたるをとりて、新しき筵敷きて、「入り給へ」と申しければ、入り給ひぬ。
 

 持経者、沐浴して、とばかりありて、出で合ひぬ。長高き僧のやせさらぼひて、みるに貴げなり。僧申すやう、「風重く侍るに、医師の申すにしたがひて、蒜を食て候ふなり。それに、かように御座候へば、いかでかはとて参て候ふなり。法華経は、浄不浄をきらはぬ経にてましませば、読み奉らん。何でふ事か候はん」とて、念珠を押し擦りて、そばへより来たる程、もとも頼もし。
 御額に手をいれて、わが膝を枕にせさせ申して、寿量品を打ち出でしてよむ声は、いと貴し。さばかり貴きこともありけりとおぼゆ。すこし、はがれて、高声に読こゑ、誠にあはれなり。持経者、目より大なる涙をはらはらとおとして、なくこと限りなし。
 その時さめて、御心地いとさはやかに、残りなくよくなり給ひぬ。
 返す返す後世まで契りて、かへり給ひぬ。それより有験の名はたかく、広まりけるとか。