伊勢物語 全体あらすじ

名称の由来 伊勢物語
総論
全体あらすじ
登場人物

 
 目次
 

全体あらすじ
 
 後宮(女所)に仕えた昔男(文屋)の人生回顧録と諸国見聞録。
 

 むかし男=二条の后に仕うまつる男(95段
 そんな特殊な経歴を持つ男は文屋だけ。
 一般は突如一回だけの男が出現すると見るが、文脈無視
 古今で二条の后完全オリジナルの詞書をもつのは文屋のみ
 しかも二つ(8・445)。これは9の貫之の配慮。
 業平の二条の后の詞書は伊勢の歌と素性のコピー
 古今でこれ以外の二条の后の詞書は存在しない。
 つまり業平はオリジナルではない。そういう貫之の配慮。
 

 初冠(男の里は大和=筒井。狩衣=服の話=縫殿。裾(はした)をなくしてはしたない。自分が。美しい姉妹がではない。それは既におっさんの発想)
 二条の后の服を選び、いとこの見舞いに付き添い、疲れて寝る后(わらべ)に子守歌をし、道中警備されお大事になった話(ひじき藻・西の対・関守)
 それが男女の駆け落ちと噂にされる話(芥河)=これが業平主人公説の実質的根拠(二条の后とは恋仲どころか衆目の前で車に詰め寄る関係。76段と99段)
 東下り(身をえうなきものに思ひなして京にはあらじ。あづまの方に) 業平の気まぐれ行楽で突如都の妻を思い出し男達で泣くというのは人として破綻。
 下った先の陸奥の女としのぶ山(14・15)と別れ(都島:115。回想)
 背景としての田舎の幼馴染の妻と死(20~24。回想94:紅葉も花も=散るもの。源氏の最初の幼な妻の葵の早世、直後の花散里はこれを受けている)
 その後、小町との微妙な関係。違う県に行くので馬の餞。
 だから「女の装束かづけむとす。主の男、歌詠みて、裳の腰に結ひつけさす」。一般の解釈は男に女装を贈るのが当時の文化だったと。完全に意味不明。
 狩の使で会った伊勢斎宮とつかず離れず結ばれず
 目にあまる業平の乱行を徹底非難。
 たまに親しい男達(有常・常行:名前)と遊んで紛らわす。
 最後に己の最期を暗示して終わる。
 
 東下りの三河行きと小町との親密な関係、
 その根拠を公の記録として残した古今938は
 何も根拠がない業平認定に対抗した貫之の援護
  

 判事としての見聞録・法律事例問題・ケースメソッド(世界最古?)
 (12武蔵野:予断排除・伝聞法則
 24梓弓:失踪・離婚・婚約・信義則・憲24
 40すける物思ひ・58荒れたる宿:所有と占有の区別
 51前栽の菊:定着物(所有の帰属)
 78山科の宮:権力による自力救済=取り返し)
 
 こうした描写は法的素養がないと無理、いわんや業平色恋レベルでは(不可能)。
 だから表面的に見るとおかしくなるという問題意識(疑問に思って考える)が一般に全くない。著者の表現がおかしいのだとする。
 予断排除や伝聞法則は、公権力の認定の受け売り(予断)を排し、書面の記述内容を直ちに真実とすること(伝聞)を認めない、真っ当な法理である。
 そのための証拠(記述内容が記述者の認識を超えて真実=史実という根拠)というには、記録内容と他の事実との符合(特信情況)が必要である。
 そして業平認定にそんな情況は全くない。むしろ最も大事な伊勢の記述と完全に矛盾する。
 他人目線で「在五」「この人は」「けぢめ見せぬ心」と非難し、他方でむかし男は、自分としてないだけで記述は一貫して主観。
 よって古今の業平認定は採用できず、端的に言えば、誤認定。これを基づいて伊勢の主人公を業平と「みなす」のも誤り。それが典型的な予断。
 伊勢が誤りではなく古今の認定が誤り。伊勢の方が整合しないのだというのは、そもそも業平認定を前提に考えているからで、その前提が誤り。
 かつ、業平認定が他と通らない証拠となる。
 さらにより客観的な証拠として、この国の古典の理解において最も強力な専門家の証人を用意しよう。
 一般の古今の業平認定に、貫之は配置で対抗した。文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続業平は恋三で敏行(義弟)により連続を崩す
 これ自体で貫之の認識が示されている。この選定に意味を見れないのは、学問はともかく、歌に関して完全素人。そういう人が伊勢を定義する資格はない。
 もっと言えばこのような配置は自然界の妙ではありえず、文屋の直後について古今最初に厚い詞書を付し、自らを100首と操作していた貫之しかありえない。
 古今において伊勢の歌が別格の扱いである以上(詞書上位10首中6首が伊勢の歌。最上位が業平ではない筒井筒)、貫之は伊勢を業平のものと認めていない。
 以上の点に、合理的疑いを差し挟む余地は全くない(不合理な疑い=古今を全否定するのかとか、間違うはずがないとか、業平認定を前提にし続ける指摘)。
 以上から、伊勢は文屋の歌物語で、業平のものではない。
 だから卑官なのに歌仙。歌仙は文屋(と相棒の小町)のための称号。あとは各種権力集団が名誉のために代表をかぶせてきた存在。
 

前半(1~59)
 
 二条の后の噂~東下り~陸奥
 ~武蔵に掛け有常と妻~後宮の女(京の女=強い)
 ~著者の妻(田舎の女=実は強い=ふられた)
 ~小町(つかずはなれずと思ったら離れた)
 冒頭の二条の后とは仕事の関係
 東下りの理由=筒井筒・梓弓での死別
 これで男が宮仕えに出た理由がなくなった
 東を吾妻とするのは、古事記以来の用法
 

 ・前前半(1~24)
  妻:梓弓に至るまで
 

 ・前後半(25~59)
  主に小町・有常との話
 

後半(60~125)
 
 伊勢斎宮:花橘からの盃の関係
 在五と混同され続ける因縁対決
 渚の院(82)の上中下
 上=親王
 中=中将(在五)
 下=地下。在五に突っ込む謎の人。身は卑しの昔男(84)。81段最後に床下這って出現し、親王達の宴会のトリを務める謎の翁
 終盤は主要人物の回想
 
 

全体あらすじ

 
 
 昔男は、後宮に仕え、女に心惑わせそれを忍ぶ、信夫摺りの狩衣や、唐衣、しずのおだまき(糸巻)など、服に関わる男。文屋。
 文才を活かし、後宮の女御達の手習い(暇つぶし)のため、この物語を記した。
 これが伊勢の著者の流布ルート。多数に写本させ、だから影響力があった。
 宮仕えの下っぱ役人が書いたので短く、都度リリース。これが源氏に継承された。
 伊勢の写本の大家である定家が、自ら名乗らず下官と名乗った下官集は、確実に伊勢の精神を汲んでいる。源氏を子女に写本させたという伝え話もそう。
 
 だから、後宮の女に人目を憚らずつきまとい、帝に陳情され流され、なおつきまとったと他人目線で描かれる業平(65段)ではありえない。
 誰より人目をはばかるから昔男なのに。そうやって女性と会うのが昔男の心髄(69段)なのに。
 昔男は常に主観目線。在五は常に他人目線。普通に読めば混同しようがない。それを混同するのは業平ありきで読んでいるから。だったら読む必要がない。
 一般の訳は、65段を、二人の悲恋! 周囲の目に在五諦めない! とするが絶対無理。後宮で人をつけまわして笑われるという時点でアウト。
 加えて帝の女で自分の姪を孕ませ産ませたと噂される外道(79段)。当時はそれもありだったのだろう。なわけがない。そう言うのが未開社会の常套手段。
 
 このような素行の者が、狩の使として最高神格の伊勢の斎宮に懇ろにもてなされることなど、断じてない。
 斎宮の親(帝)に、この人よく労われと言われることもありえない。
 労われとされたのは、著者が後宮等で近く、まず女御達のラインを通じ、歌で帝に貢献していたから(114段)。
 なお、御達というのは女御達の略と見るのが自然。つまり(女)らしくなくなった(偉そうな)人とも言える。
 
 女達の話が出てくるから、あの業平の武勇伝とされて、それに著者が何度も反論したが、全て無視されたという構図。
 これは勘違いというより意図的な無視といえる。つまり下官が貴族がばかに見えるような書物を記したことが宮中では認められなかった。
 だからばかと評される人物をあてがっているし、二条の后に最も近い客観的な記録がある文屋を、今に至るまで伊勢の著者の候補に全くあげない。
 
 物語は大別して、前半と後半に分けられる。
 
 

前半(1~59段)


 
 前半の59段までは、男の比較的若い頃の話。二条の后・陸奥の女・梓弓の子・小町の話。
 中でも、楓もみぢ~筒井筒~梓弓の子が中核。この子が男の妻。
 男の恋愛対象としては、物語前半はこの子の話で、後半は伊勢斎宮になる。二条の后と小町は仕事場の人。
 
 さらに前前半と前後半に分けられる。
 
 

 前前半(1~24段)


 男の自己紹介がわりの狩衣と歌の話から始まり、冒頭の二条の后のまだ春宮の…という一連の話に続け、東に下って陸奥の女の話。
 その後、東に下った理由として、男が後宮にいる話をからめつつ、男女がイチャつく恥ずかしい馴れ初め話をし、妻が果てた24段の梓弓の話まで。
 
 近くで養う理由が無くなった。それを憂い、東に住まいを求めて下っている(赴任を希望したか、受け入れた)。
 男には子がいたこと(94段。朝康のこと)、三河に行く時に小町を誘った記録があることから、三人をあわせてカキツバタ(燕+子+花)とした。
 ただし、小町は物見がてらに誘っただけ。妻が亡くなったあとすぐというのはあまりに無節操だから。だから浅間の嶽の話(8段)が挟まれる。
 
 

 前後半(25~59段)


 前後半は、主に小町の話。そしてセットで紀有常も出てくる。この三者は著者に特に近い人だった。
 倭文の苧環(しずのをだまき・麻糸の糸巻)、下紐、上の衣、裳など、服・縫い殿にまつわる話をからめて、二人のつながりを暗示する。
 44段馬の餞で、著者と有常が、地方に行く小町を送り出す。
 その一連の事情を描きながら、小町もいなくなり、やはり最後に女々しく妻を思い出し、死にそうになる東山でしめる。
 なぜ東山かというと清水があるから。24段でいう「清水のある所にふしにけり」とは、この場所のこと。水が湧いている所で倒れてどうする。
 
 

後半(60~125段)

 
 
 後半は、これまでの話が業平と混同されたので、ことあるたびに様々角度(品性・歌の能力)で拒絶する話。
 
 加えて恋愛話としては、主に伊勢斎宮の話。
 
 以上の文脈にからめて、二条の后、今までの女性達も登場する。
 
 伊勢の話はおまけではないが、この話すら乗っ取られてしまう。
 そうさせないよう入念に、63段で在五が女を罵倒し好き勝手に寝る話、65段で後宮で女につきまとって流された話をしてから、69段の話に入る。
 しかしそれでもなお、この破綻した在五が、斎宮の親(帝)によく労われとされる人物とされ、斎宮に懇ろにもてなされたと見る。ありえない。
 
 それで著者は斎宮との逢瀬もかなわず、周囲の吹いた穢れた醜聞もあってか、斎宮は気に病み尼になって山里に入ってしまう(60段とパラレルの内容)。
 
 後半冒頭、60段の花橘は東山とセットで配置し、共に男と契った女の話。伊勢斎宮との古の関係を暗示する。
 物語終盤123段・井出の玉水で、清水にかけて改めて梓弓の子を思い出し、続く深草・我と等しきで、伊勢斎宮を振り返る。
 
 そして、死にそうな気持ちの最後で締めくくる。
 その内容も、まさか昨日今日で死にそうになるとは! という実に頭の軽い阿保くさい内容に貶められて終わるのであった。
 いや、素直で実にあっぱれな内容である。え、どこが?
 
 そうではなく、人は死ぬ死ぬと聞いていても、(自分のこととなれば、それが)今日明日とは思わないよね、そういう話。実にシンプル。
 むかし男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを
 
 だからやり残したことがないように、生きなければならないなと。
 
 最後の格好つけた言い残しを書かないと、どうしてこうも明後日の方向で滅茶苦茶にされるんですか。これが技術よ。あ、いかん書いてもうた。
 だから目立たせない方がいいでしょ。裾の刺繍って何。京の服でそんなんあったの? しらんけど。
 いやもうこの国は余韻の理解にゃ千年以上はえかった。
 というより古典や文書を重んじ、リスペクトする文化からしてないですよね。都合悪くなると実態ない証拠作出(古今の業平認定)し、捏造し塗りつぶす。
 やりたい放題入れかえ、落とし、改ざんし(114段参照)、それが二次創作ではなく、写本扱いされている。
 
 人格的にスペシャルでないのはリスペクトには値しませんが、伊勢はこの国にとって特別中の特別ではないのでしょうか。
 しかし人格が特別かどうかも、人格がそれ相応に特別でないと判断できないのだと判明しました。つまり繊細さと理解がかけ離れすぎて、及ばないのです。
 紫は源氏で伊勢物語を評し「伊勢の海の深き心」としたが、そのレベルで評したのは、千年以上で紫と貫之のみ。
 「在五中将の名をば、え朽たさじとのたまはせて、宮、
 『みるめこそうらふりぬらめ 年経にし伊勢をの海人の名をや沈めむ(見る目なし。そちらこそ無名の伊勢の男の名を貶めていいのか)』
 かやうの女言にて、乱りがはしく争ふに」
 当然この文脈=業平の否定も全く理解されない。男を在五と混同するのだから、当然意味不明になる。
 
 一般の古今の業平認定に、貫之は配置で対抗した。文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続、業平は恋三で敏行により連続を崩す。
 この選定と配置に意味を見れないのは、完全に歌を知らない人。
 しかし配置についてもまだ早かった。
 しかし貫之と紫は厳然と理解しているので、著者がおかしいとか不手際とか複数という指摘は全く当たらない。ただそういう読者が全然至っていないだけ。