枕草子143段 殿などのおはしまさで後

なほめでたき 枕草子
中巻上
143段
殿などの
正月十よ日

(旧)大系:143段
新大系:136段、新編全集:137段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:146段
 

旧全集冒頭:故殿などおはしまさで、世ノ中に


 
 殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、さわがしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、なにともなくうたてありしかば、ひさしう里にゐたり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほえ絶えてあるまじかりける。
 

 右中将おはして、物語し給ふ。
 「今日宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束、裳、唐衣をりにあひ、たゆまで候ふかな。御簾のそばのあきたりつるより見入れつれば、八九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑、萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいとしげきを、『などか、かきはらはせでこそ』といひつれば、『ことさら露置かせて御覧ずとて』と、宰相の君の声にていらへつるが、をかしうもおぼえつるかな。
 『御里居いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじきことありとも、かならず候ふべきものにおぼしめされたるに、かひなく』と、あまたいひつる、語り聞かせ奉れとなめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと」など宣ふ。
 「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえ侍りしかば」といらへ聞こゆ。「おいらかにも」とて笑ひ給ふ。
 

 げにいかならむと思ひ参らする。
 御けしきにはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿がたの人、知るすぢにてあり」とて、さしつどひものなどいふも、下より参る見ては、ふといひやみ、放ち出でたるけしきなるが、見ならはずにくければ、「参れ」など、たびたびある仰せ言をも過ぐして、げにひさしくなりにけるを、また宮の辺には、ただあなたがにいひなして、そら言なども出で来べし。
 

 例ならず仰せ言などもなくて日頃になれば、心ぼそくてうちながむるほどに、長女文を持て来たり。
 「御前より、宰相の君して、忍びて賜はせたりつる」といひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬ花びらただ一重をつつませ給へり。
 それに、「いはで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日頃の絶え間なげかれつる、みな慰めてうれしきに、長女もうちまもりて、「御前には、いかが、もののをりごとに、おぼし出できこえさせ給ふなるものを。誰もあやしき御長居とこそ侍るめれ。などかは参らせ給はぬ」といひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて、参らむ」といひて往ぬる後、御返りごと書きて参らせむとするに、この歌の本さらにわすれたり。
 「いとあやし。おなじふるごとといひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、いひ出でられぬはいかにぞや」などいふを聞きて、前にゐたるが、「『下ゆく水』とこそ申せ」といひたる、などかくわすれつるならむ。これに教へらるるもをかし。
 

 御返し参らせて、すこしほど経て参りたる、いかがと例よりはつつましくて、御几帳にはたかくれて候ふを、「あれは今参りか」など笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、この折はいひつべかりけりとなむ思ふを。おほかた見つけでは、しばしもえこそ慰むまじけれ」など宣はせて、かはりたる御けしきもなし。
 

 童に教へられしことなどを啓すれば、いみじうわらはせ給ひて、「さることぞある。あまりあなづるふるごとなどは、さもありぬべし」など仰せらるる、ついでに、「なぞなぞ合しける、方人にはあらで、さやうのことにりやうりやうじかりけるが、『左の一はおのれいはむ。さ思ひ給へ』など頼むるに、さりともわろきことはいひ出でじかしと、たのもしくうれしうて、みな人々作りいだし、選りさだむるに、『その詞をただまかせて残し給へ。さ申しては、よもくちをしくはあらじ』といふ。げにとおしはかるに、日いと近くなりぬ。
 『なほこのこと宣へ。非常に、おなじこともこそあれ』といふを、『さば、いさ知らず。な頼まれそ』などむつかりければ、おぼつかなながら、その日になりて、みな、方の人、男女居わかれて、見証の人など、いとおほく居並みてあはするに、左の一、いみじく用意してもてなしたるさま、いかなることをいひ出でむと見えたれば、こなたの人、あなたの人、みな心もとなくうちまもりて、『なぞ、なぞ』といふほど、心にくし。
 『天に張り弓』といひたり。右方の人は、いと興ありてと思ふに、こなたの人はものもおぼえず、みなにくく愛敬なくて、あなたによりてことさらに負けさせむとしけるを、など、片時のほどに思ふに、右の人、『いとくちをしく、をこなり』とうちわらひて、『やや、さらにえ知らず』とて、口をひき垂れて、『知らぬことよ』とて、さるがうしかくるに、かずささせつ。
 『いとあやしきこと。これ知らぬ人は誰かあらむ。さらにかずささるまじ』と論ずれど、『知らずといひてむには、などてか負くるにならざらむ』とて、次々のも、この人なむみな論じ勝たせける。
 いみじく人の知りたることなれども、おぼえぬ時はしかこそはあれ。なにしにかは、知らずとはいひし。後にうらみられけること」など、語り出でさせ給へば、御前なるかぎり、さ思ひつべし。
 「くちをしういらへけむ」「こなたの人の心地、うち聞きはじめけむ、いかがにくかりけむ」なんど笑ふ。
 これはわすれたることかは、ただみな知りたることとかや。