枕草子136段 頭の弁の、職に参り給ひて

故殿の 枕草子
中巻上
136段
頭の弁の職
五月ばかり

(旧)大系:136段
新大系:129段、新編全集:130段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:139段
 


 
 頭の弁の、職に参り給ひて、物語などし給ひしに、夜いたうふけぬ。
 「あす御物忌なるにこもるべければ、丑になりなばあしかりなむ」とて、参り給ひぬ。
 

 つとめて、蔵人所の紙屋紙ひき重ねて、「けふ残りおほかる心地なむする。夜を通して、昔物語もきこえあかさむとせしを、にはとりの声に催されてなむ」と、いみじうことおほく書き給へる、いとめでたし。
 御返しに、「いと夜深く侍りける鳥の声は、孟嘗君のにや」と聞こえたれば、たちかへり、「『孟嘗君のにはとりは、函谷関を開きて、三千の客わづかに去れり』とあれど、これは逢坂の関なり」とあれば、
 

♪17
  夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
  世に逢坂の 関はゆるさじ
 

心かしこき関守侍り」ときこゆ。
 また、たちかへり、
 

♪18
  逢坂は 人越えやすき 関なれば
  鳥鳴かぬにも あけて待つとか
 

とありし文どもを、はじめのは、僧都の君、いみじう額をさへつきて、とり給ひてき。後々のは御前に。
 

 さて、逢坂の歌はへされて、返しもえせずなりにき。いとわろし。
 さて、「その文は、殿上人みな見てしは」と宣へば、「まことにおぼしけりと、これにこそ知られぬれ。めでたきことなど、人のいひつたへぬは、かひなきわざぞかし。また、見苦しきこと散るがわびしければ、御文はいみじう隠して、人につゆ見せ侍らず。御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」といへば、「かくものを思ひ知りていふが、なほ人には似ずおぼゆる。『思ひぐまなく、あしうしたり』など、例の女のやうにやいはむとこそ思ひつれ」などいひて、笑ひ給ふ。
 「こはなどて。よろこびをこそきこえめ」などいふ。
 「まろが文を隠し給ひける、また、なほあはれにうれしきことなりかし。いかに心憂くつらからまし。いまよりも、さを頼みきこえむ」など宣ひて、のちに、経房の中将おはして、「頭の弁はいみじう誉め給ふとは知りたりや。一日の文に、ありしことなど語り給ふ。思ふ人の人にほめらるるは、いみじううれしき」など、まめまめしう宣ふもをかし。
 「うれしきこと二つにて、かのほめ給ふなるに、また、思ふ人のうちに侍りけるをなむ」といへば、「それめづらしう、いまのことのやうにもよろこび給ふかな」など宣ふ。